TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

くずし字学習 翻刻『桜御殿五十三駅』五段目 鳥羽道の段

近松半二ほかの浄瑠璃『桜御殿五十三駅』五段目。

室町の御殿を抜け出た将軍の弟・左馬之助、その許嫁・薫姫、左馬之助と相思相愛の傾城・雪の戸を追う詮議の手は、雪の戸の在所付近にまで回っていた。雪の戸の父・渦兵衛とその一家は、百姓をして暮らしていた。雪の戸を追う多聞の頭と歯朶平は、左馬之助と薫姫の祝言、また、将軍義政の雪の戸を側室に迎えたいという意向、この2つの目的を進めるにあたり、雪の戸が了承しないのであれば殺すこともやむを得ないと話している。それを聞いた渦兵衛は、雪の戸は自分に任せて欲しいと申し出る。渦兵衛が娘を思い心配していると、左馬之助を追う雪の戸が走ってくる。渦兵衛はそれを捕まえ、左馬之助を諦めるよう説得するが、雪の戸はどうしても聞き入れない。なぜなら雪の戸は左馬之助の子を身ごもっており、しかもそれが男の子だというのだ。覚悟を決めた渦兵衛は……。

 

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 これまでの翻刻

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  • 捨て仮名、句読点はそのままとして、字体は現行に改めている。
  • 文中■は判読できない文字。
  • 画像引用元:<亭主は東山殿/上客は一休禅師>桜御殿五十三駅(東京大学教養学部国文・漢文学部会所蔵 黒4142-0449)
  • 参考文献:国立劇場芸能調査室=編『浄瑠璃作品要説<3>近松半二篇』国立劇場/1984

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第五

花の名イ所はヱソレ都に。芳野。ヱズトセノセイ。井出の山吹キヱソレ杜時花に。萩よ。ヱストセノセイ。何ンと徳兵。千ン本の花問屋迄は余程遠い。休んで一ツぷく飲ふかい。ヲ丶いかにも。そんなら休スもと荷をおろし堤に腰かけ摺火燧。ナント渦兵衛殿。けふの花はよかとがや。ヲ丶サよい代物じや。ア丶したが日和が堅いので。花畑の水の世話。年が寄ツてはしんどい/\。サア何所もそれで迷惑なと煙筒くはへて商ひ咄し。かゝる所へ山名が家来押シ合イ当馬。手の者引キ連レ出来り。ヤイ/\両人ン。足利殿の御舎弟左馬之助殿。二条家の御ン娘薫姫。又(ツ)傾城雪の戸。若此道へは来なんだかと。聞クより渦兵衛耳欹て。

 

 

 

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イヱ/\そんなお方タは見ませぬが。其雪の戸とおつしやりますは。九条の町の傾城でござりますか。ヲ丶サいかにも其通り。ハテナア。して又其三ン人を。何ンでお尋なされます。ヲ丶子細有ツて蜜に尋る。身は山名宗全ン殿の家来押シ合イ当馬といふ者。岩見太郎左衛門が家来弓削小文治といふやつ。こいつも倶々尋るよし。先ンを越サれては身が一チ分が立タぬ。見付ケ出さば褒美は其方共が望み次第。必ぬかるな。家来参れと目を配り。別カれてこそは通りける。跡に渦兵衛済マぬ顔。ム丶夫ンなら九条へやつた雪の戸は。欠落ちをしをつたかと。いふを徳兵衛が聞キ咎め。コレ貴様は其傾城近カ付キかと。問れてはつと。イヤ/\/\。近カ付でも何ンでもなけれ共。今ひどう時花太夫と聞イた故。名は遠からしつて居る。ヤ役クにも立タぬ

咄しで隙入。問ヒ屋の間に合ハねば損。サおじや/\と咄しをば花で散して千ン本ンの。問やをさしてぞ急ぎ行。かゝる折しも。左馬の助気も狂乱の乱れ髪。狂ひ来タるを薫姫。漸したひ走り付キ。コレ申シ殿様。正体ない此有リ様。何ンぼつれなひ殿御でも大事の我カ夫マ我カ夫ト。心をしづめて給はれと縋り給へば。ヤア/\/\何ンじや/\。大仏ツの鼻毛が五尺延た。コリヤたまらぬ。鞍馬の僧正呼ンでこふと。狂ひ出るをコレ待ツてと。縋れど払ふ足弱車。とゞめ兼させ給ふ所へ。岩見が家来弓削小文治家来諸共かけ来タり。サアしてやつたと引ツ立れば。なふ悲しやと薫姫歎き給ふを無二無三。者共急げと引ツ立て。岩見が家敷へ急ぎ行。程も有ラせず押シ合イ当馬。主従かけ付ケ南無三ン宝。小文治  

 

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に先ン越れたぼつかけて奪かへさん。者共続けと欠行所へ。跡を慕ふて歯朶平が走りかゝつて当馬が首筋。引ツ掴んで二三間ン。投ケ付ケられて砂まぶれ。ヤアうぬは奴の歯朶平め。又しや/\り出て邪魔ひろぐか。ソレ遁すなと主従が。切ツてかゝるを事共せず。なぎ立テ/\切リ立ツる。突き切ツ先キ狼狽眼。コリヤ叶はぬと当馬が逸足ばら/\/\と逃ケ行を。ヤア比興者遁すさじと。ほつかけ行後ろより。歯朶平待テと呼フ声に。ハツト恟りふり返り。ヤお旦那。多門の頭様。ヲ丶最前より木影にて。様子は残らず見届けた。ホ丶出かした/\。ハ様子ご存シの上ヱなれば。早お暇と又欠ケ出すコリヤ待テ歯朶平。そちやかけ出して何国へ行。ハ太郎左衛門が屋敷へ参り。御両所奪取り立チ

帰らん。ホ丶せくは尤去リながら。岩見が方タへお越シ有レば苦しうない其侭/\。イヤ申シお旦ン那。意趣有ル岩見が心ン底を。ホ丶太郎左衛門が胸中は。身が得と見届け置イた。其侭置ケと。少シも騒ぬ。其折リから戻りかゝりし渦兵衛は。何事やらんと片タかげに。身を忍びてぞ聞キ居たる。歯朶平猶もすり寄ツて。然らば打チ捨置クべきが。猶置カれぬは傾城雪の戸。義政公の御意に入リ差シ上ケよと有ル御難ン題。其傾城も欠落致し。剰へ御旗紛失。彼是持ツてお気の障り。左馬之助様は御狂気。此治りはいかゞぞと。尋に多門も小首を傾け。いかにも身も其義が分ン明ならず。義政公へ傾城を差シ上ケずは立ツ腹ク。兎角妨に成ルは傾城雪の戸。不便ンながらも手にかけずば成ルまい。ハテどふ

 

 

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がなと主従は思案取リ々成ル所へ。イヤ其役ク目は私に。仰付ケられ下タさりませと。木影を出る渦兵衛親仁。様子有リげに見へにけり。ヤア終に見馴ぬ其方。何をしつてこしやく千ン万ン。ア丶いや其様に。お呵りなされまするな。私は其傾城雪の戸が親でござります。雪の戸事はちいさい時キ奉公に遣はしましたが。今では全盛の太夫に成リおつて。勿体ない若カ殿様が。可愛がつて下タさりますとの噂。よふ聞イておりまする。今のお咄シを聞ケば。若カ殿と娘めと縁ンが深カい故。姫君様と御祝言もなされず。又御大将へ差シ上ケいでは。やつぱり左馬之助様の身の難ン義。ハテ娘さへ得心ンして。義政様へ参リますれば。何所もかしこも能しやござりませぬか。じやに寄ツて娘に得心ンさせます。程に此

役ク目を私に。言ヒ付ケさしやつてくださりませ。と理非を分ケたる。颯破理親仁。思案ンも深カき渦兵衛なり。多門の頭打チ默頭。すりや其方は雪の戸が親じやな。ホ丶神妙成ル一言ン併女の一途の了簡。いかやうに申シても。聞キ入レなき其時キは。ハテそりやもふ是非がござりませぬ。どふで助スからぬあいつか命チ。人手にかきよより私が。手にかけて殺しまする。ム丶しかと其詞に相違はないな。ハテ親が子を殺すに誰レが何ンと申シませふ。ホ丶出かした。ソレ此一ト腰は当座の褒美。ヱ丶此一ト腰を。サ百性の魂を武士の性根に入レかへて。しつかりと。ナ得心さすが国の為。娘が為。合点がいたか。ハいかにも。なるならざれは刀の鯉口。切ルか。切ラぬは。生死の境。合点てござります。其方が宅は。鳥羽村。名は。渦兵衛と申シ

 

 

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ます。しかと詞をつがふたそと。心残して多門の頭歯朶平。引キ連レ立チ帰。跡打眺めて渦兵衛は。暫し思案ンにくれけるが。ア丶侭ならぬは浮キ世。せつないは身の難ン義。人手にかけさすまいため。おれが殺すと一寸遁れ。併欠落したといへば何所を少途。余人の目にかゝぬ中に。ア丶早ふ逢たいと。案ンじる親の。心が通じ血縁の。縁か道筋を尋廓の雪の戸は。殿に放れてうろ/\と走り。躓き小石道。ばつたり当るも縁ンの綱。ヲ丶コレハ/\。余り道を急ぎまして思はぬ麁相。お赦しなされて下タさりませ。ヱ丶めつそふな人では有ルはいの。思案して居るどふぶくら。どふやらよさそふな思案ンも恟りで引ツ込ンだ。麁相なわろでは有ルはい。ヤ娘じやないか。そふいはしやんすはヲ丶爺様ンか。娘。ハツト刀を後へ廻し。互イに驚く斗リ也。ヲ丶娘そちに逢イたふて/\ならなんだに。よい

所へよふ来てくれたなア。サア私もお前に逢イたふて。ヤ此中不思議に姉様ンにも逢ました。かゝ様もお健なそふな。マアお前も御無事で嬉しうござんす。久しぶりて逢イましたれど。きつふ気のせく事が有ル緩りとお目にかゝりませうと。行クを引キとめ。コリヤ/\/\マ丶丶待チや/\。吾儕にはとつくりと咄さねばならぬ。大事の/\用が有ル。サア私もたんと咄したい事が有レど。どふも叶はぬ大事の用。其中チ緩りと聞キませふと。行カんとするを猶引キとめ。サ丶マ丶丶丶待ちやといふならマア待ちやいの。コレそちが大事の用といふは。若殿を尋るのか。ヱ丶サ丶隠しやんなしつて居る/\。まだ其上ヱに。わりやアノ廓を欠落したで有ふがな。ム丶合点の行カぬ。成ル程私は欠落しましたが。様子を知ツての其訳ケを。咄して聞カして下タ

 

 

 

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さんせといふ顔ながめて涙ぐみ。どふで言ねばならぬ事。がマア是はかふして置イて。其方には此親が。改めて無心が有ルが聞イてたもるか。ムン久しぶりて逢フた爺様ン。無心ンとは何ンでござんすへ。ヲ丶外カの事でもない。其無心ンといふは。左馬の助様の事を思ひ切ツて。御大将の御殿へ。お伽に上カつて貰ひたい。ヱ丶ム丶かはつた事を言しやんす。どふでも是にはヲ丶様子が有ル/\モ丶丶丶丶様子がなふてなろかいの。コレ若殿左馬之助様いの。そちと深カふ言ヒかはしてござる故。姫君と御祝言なく。それ故禁庭へ申シ訳ケも立タず。二つには義政公。お心をおかけなされたと有ル。若シ差シ上ケねば是も又。左馬之助様の御身の難ン義。そちが心を取リ直し。若殿様を思ひ切ツて。御大将の御心に従へば。われが身の為。

おれも出ツ世。殿様も又御祝言なさるれば。お家も納るどつこもよい。爰の道理を聞キ分て得心してくれ。こりや娘。モこんな無理な事を頼む親。嘸むごい物じやと思はふが。何ンぞわけがなふては頼まぬ。第一はわれは身の為。どふぞ聞入レて下タされと。頼むも涙。聞ク涙。ともに涙の渕ならん。思ひがけなひお頼み。定めて是には様子がござんせふが、爺様ン。是計は堪忍して下タさんせ。殿様の事思ひ切リ。姫君との祝言を。どふまあそれが見て居られふ。外カの事なら何ンでも聞カふ。此事計リは赦してとくどき歎けば。ヱ丶聞キわけのない。わりや親への孝行忘れたな。行カねばそちが為にも
  

 

 

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ならぬ。こりや手を合して親が拝む。聞キわけてくれ。こりやおがむ/\。ヱ丶是いな勿体ない/\。段々の入リ訳ケを。聞キ入レぬ憎いやつと。思ふてじや有ふけれども。外カの男を持ツ事の。ならぬといふ其訳ケは。何を隠さふ殿様の。お胤をやどして居ますると聞イて恟り。ヤアそんならわりや懐胎して居るか。アイしかも左り孕。アノ男の子か。ハアはつと計リにどふと伏シ暫し詞も。なかりける。雪の戸は面慚く。勤に誠はない物といへ共深カひ互イの縁。若殿様に思はれて幾夜さかはす睦言の。其きぬ/”\も重りて。可愛さつもるお情ケの。やゝをもふけた二人リが中カ。とゝ様申シ。ヱ丶あんまり難面。どふよくな。私が心も思ひ

やりこらへて下タんせ爺様ンといふも涙の渕瀬川。恋の柵せきとめてかこち歎くぞ道理なれ。親は胸迄せぐり来る。涙呑ミ込ミ呑ミこんで。コリヤ娘。ヲ丶それならわれがのが道理じや/\/\尤じや。ハテもふ其身になつたら何ンとせふ。御子を聞ケば聞キ程不便ン。是非がないと諦めて。可愛けれども切ラねば。ヱ丶ア丶いやサイノ縁ンを切ラねばならぬ所じや。けれどももふ切ラぬがよからふといふ事。ム丶そんならアノ聞届けて下タさんしたか。ヱ丶忝ふござんすと。知ラず悦ぶ子の心。親は不便ンと血の涙。兎角いふ中チもふ日暮。今ン夜はこちに泊つて。久しぶりじや。婆々や姉に逢フた  
  

 

 

 

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が能イ。アイ/\そりや猶嬉しうござんする。そんならそふして下タさんせといそ/\悦ぶ雪の戸が。先キへすゝむは無常の風。早誘ひくる。暮六つの。ハもふ鐘が鳴ル。幸イ人の通りもない。向ふの土橋で一ト思ひ。ヱ爺様ン何いはしやんすぞいな。ハイヤあの向ふの土橋はの。人の渡る度ヒ毎に。浮雲といふ事。ヱ何ンの浮雲事が有ル。私が先キへ渡るわいな。ヤ何ンじや先キへ渡る。ヲ丶そふじや/\。とふで渡らにやならぬ其身。とつくりと覚悟して。お念ン仏ツ申シて渡つたがよい。ヲ丶仰山な。橋一トつ渡る事を。何ンの苦にする事が有ル。サアござんせと先キに立チしらぬが仏。渦兵衛が心は。鬼の目に涙。堤伝ひの野辺送クり消る間。近カき。雪の戸が憂身の。果ぞ便ンなけれ

 

(つづく)