TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 5月東京公演『競伊勢物語』玉水渕の段、春日村の段 国立劇場小劇場

前回出たのが14年前の2008年4月大阪公演。その前が34年前の1987年9月東京公演。滅多に出ない演目ということで注目が集まる第二部『競伊勢物語』。話知らんで見る方がおもしろいやろ!というとこで、何の予習もなく突撃した。

 

第三部、競伊勢物語、玉水渕の段。人形黒衣。

あらすじ

大和国。文字摺の絹売り娘・お咲〈吉田文昇〉、お谷〈吉田勘市〉は、都での商売からの帰り道、仲間の信夫がいないことに気づく。そこへ慌てて走ってきたのが信夫〈吉田一輔〉。お咲とお谷は、抜け駆けして先ごろ祝言を挙げた豆四郎とイチャつくつもりだったのだろうと信夫をからかう。そうしてキャイキャイしていると、信夫の夫・豆四郎〈吉田玉勢/吉田簑紫郎〉がやってくる。豆四郎は荷物の重さのあまり、男〈吉田簑一郎〉を雇って持たせていた。信夫と豆四郎はイチャつきつつ、一同ともども、街道筋の茶屋で一休みすることに。

そこへ所の代官、川島典膳〈吉田玉輝〉がやってくる。典膳は茶屋の亭主〈桐竹勘次郎〉を呼び出し、近くの禁猟地・玉水渕で異変が起こっていること、その理由は三種の神器のひとつ・神鏡が水中に沈んでいるからに違いないことを語り、禁足地とすることを周知するよう告げて帰っていく。
それを聞いていた豆四郎は、突然、忘れ物があるので京へ戻ると言い出す。信夫もそれについていくことにして、お谷・お咲は先に村へ帰ることに。
二人になると、豆四郎は玉水渕へ神鏡を取りに行くと言い出す。二人の親王の御位争いが起こり、皇位の条件である神器の行方が知れなくなっている今、豆四郎はみずからの主筋である惟仁親王へ神鏡を渡したいと考えたのだ。その様子を見た茶屋の亭主は、代官所に訴人と走り出す。ところが亭主は荷物持ちの男に捕まり、いてこまされてしまう。思わぬ加勢にホッとする豆四郎と信夫。荷物持ちの男=鉦(どら)の鐃八(にょうはち)から、今夜焦って渕に踏み入り捕まっても仕方ないと諭された豆四郎らは、一旦、村へ帰ることにする。
豆四郎と信夫が去ったあと、死んだはずの茶屋の亭主がムックリと起き出す。実は鐃八と亭主はグルで、豆四郎たちを帰したのは、渕へ沈んだ宝を先にゲットしようという魂胆だったのだ。鐃八は蓑笠で身を隠し、玉水渕へと駆けていく。

その玉水渕では、水が鳴動し、異様な雰囲気が立ち込めていた。鐃八が水中へ飛び込んだところへ、豆四郎を撒いた信夫がやってくる。信夫は夫のため、神鏡を手に入れようとひとりここへやってきたのだった。水底から宝を拾い上げた鐃八のもとへ忍び寄った信夫は、神鏡をもみ合いの中で奪い取り、必死に走り去る。しかし、鐃八の手元には、ちぎれた彼女の着物の片袖が残されていた。

前説的な段。
書割、街道筋のひなびた風景。下手に縄のれんの下がった茶屋。
冒頭部、信夫だけ何も荷物を持たず、言い訳程度に手ぬぐいを被った振袖姿なのが不自然で、ちょっと可笑しい。豆四郎のことばかり考えて、気もそぞろ感がある。
信夫は夫がいるといえど振袖姿、言動もかなり幼い役なので、一輔さんの元来のタイプに合っていて良かった。また、玉勢さん〈前期配役〉の豆四郎も、まだ見識が狭く生真面目な青年の雰囲気がよく出ていた。出演者の若さや一種の拙さが、よい方向に作用していると思う。
一方、粗野なならず者の鐃八は簑一郎さんと、意外な配役。珍しい演目のなか、普段遣うことがない役柄で、裸になる場面もあり、初日は左への指示も含めてなかなか大変そうだった。しかし、会期を経るうち安定して、良かった。

後半、舞台転換して、二の手すり・舟底の全面に水面。二重に岸辺、上手に「殺生禁断」の立て札、中央やや下手に松の木(上手・下手のうしろにもあり)。背景は黒幕。
鐃八が水底から拾い上げたわらじ、デカないか。どこかに身長3メートルの人形がおる。と思った。
あと、八咫の御鏡は、朱色の包み袋のせいで、トマトピザかと思った。
そして、なんだその唐突にリアルなヘビは。文楽、時々、異様にリアルで解像度の高い小動物が出てくるのは、なんなん? うろこてかてかの蛇さんは、シンプル顔の鐃八より妙に生々しくて、不思議な絵面になっていた。鐃八はへびさんを触ったおててをフキフキしていた。

全体の雰囲気は、いまひとつ。個々の人物、その場その場が細切れになっていて、散漫な印象を受けた。滅多に出ない演目ということで手探りになるのはわかるが、全体の雰囲気をまとめられる人がいないのが一番の原因か。ぬるい部分があるのも中途半端さの原因のひとつだろう。玉水渕のくだりは特に、異様な様子の池の恐ろしさ、一心にここへ来た信夫の心細さが出ればと思う。

 
 
 
 
 
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春日村の段。人形出遣い。

舞台は在所の百姓家の屋体。わらびのれん、「南無阿弥陀仏」の掛け軸と位牌の置かれた小さな仏壇。上手に障子の閉まった一間。小よしは上手側に大きな石があるかのような振る舞いをするが、舞台装置としては置物ナシ(少なくとも前方の席からは見えない)。エア石?
わりと小綺麗で、与次郎ハウスのような地獄のズタボロではない。

あらすじ

春日村に住む老女・小よし〈吉田和生〉は、目に涙を浮かべながら、米を挽いていた。今日は彼女の夫の祥月命日。小よしは、かつては東北に住んでいた。夫を亡くして悲しんでいたおり、その形見の石にこすられた着物に模様が染まり、「文字摺」の布ができたという。塩竈を訪れた河原の左大臣源融はそれを見て「陸奥の忍ぶ文字摺誰ゆゑに乱れ染めしわれなら泣くに」という歌を手向け、布を「文字摺」と名付けたという。そして、小よしは彼の領内であるこの春日の地に、石とともに引っ越してきたのであった。

そうして在所女房たちと雑談していると、婿の豆四郎が帰ってくる。小よしは信夫の母であった。信夫とはぐれたことを聞いた小よしは、娘の行方知れずにオロオロ。一方、豆四郎は信夫がよその男と浮気をしているに違いないとヤキモキする。
そこへ、鉦の鐃八が図々しく上がり込んでくる。鐃八は女物の着物の袖をちらつかせ、それを百両で買い取れと言う。相手にしない豆四郎に、袖の売り先は信夫か代官所か二つに一つと笑い、帰ってゆく鐃八。てんで話のわからない豆四郎は、一休みと奥の間へ入る。

小よしが信夫を案じて表の方を眺めていると、華やかな行列がやってきて、家の前に立派な駕籠がつけられる。駕籠から降りた美麗な姿の武士・紀有常〈吉田玉男〉は、小よしの顔を見てしきりに懐かしがるが、小よしは何のことやらわからない。有常は、20年前、陸奥で隣同士に住んでいた太郎助だと名乗る。手拭いを頭に巻いた有常の姿に、懐かしい知人だとやっとわかった小よしは久々の再会に大喜び。思い出話に花が咲く中、小よしの夫・六太夫が亡くなったことを聞いた有常は仏壇に手を合わせ、小よしの作ったはったい茶の振る舞いを受ける。小よしは、娘・信夫が大きくなり、婿を迎えたことを有常に報告する。そして、信夫が帰るまで休んでいてほしいと、有常を奥の間へ通すのだった。

そうしているところへ、髪が乱れ、着物も出たときとは違う姿の信夫が帰ってくる。心配する小よし、文句を言う豆四郎。小よしは二人きりにして仲直りさせてやろうと、自分は奥の間へ引っ込む。小よしが去ると、信夫は無実の証拠にと、玉水渕で鐃八から奪ってきた神鏡を豆四郎に見せる。信夫の働きに喜び勇む豆四郎だったが、同時に先ほど鐃八の持ってきた片袖の意味を悟る。信夫が訴人されれば母小よしにまで類が及ぶため、勘当を受けるように促す豆四郎。悲しむ信夫に、母への孝行のためと言い聞かせ、豆四郎は奥へと去る。
様子を見にきた小よしは、会わせたい人がいると信夫を奥へ連れていこうとするが、信夫は反抗し、母のやることなすことに文句をつける。しかし、小よしは少しも怒ることなく、信夫に謝ってなだめようとする。ここまでの不孝を働いても勘当しないのかと言う信夫に、小よしはむしろ、彼女の機嫌が悪いことを心配するばかり。

すると、そこに紀有常が姿を見せ、幼い頃に遣わした娘・信夫を勘当し、こちらに戻すようにと小よしに告げる。小よしはその今更のものいいに怒り、信夫はみずからの出生の秘密に驚く。有常は、涙を浮かべていきさつを語る。
実は信夫は有常の実の娘で、彼が東北から都へ戻る際、小よし夫婦に預けてそのまま断絶していた子どもだった。20年近く前、有常は兄から勘当を受け、東北に蟄居していたころに小よしと知り合った。その後都へ帰った有常は、文徳天皇に姫宮が誕生した祝いで不興を許され、地位を回復する。ところが父・文徳天皇が姫宮を斎宮伊勢神宮に奉仕する未婚の内親王)に立てるとの綸言を下したので、母・染殿の后は嘆き悲しむ。そこで、表向きは姫宮は斎宮に立てたとしておき、有常が密かに引き取って、自らの娘・井筒姫として養育していたという。ところが(その2)、ここにきて惟喬親王斎宮を入内させよとムチャクチャを言い出したため、小よしに預けていた実の娘・信夫を斎宮と偽り、惟喬親王のもとへ送り込もうというのが有常の考えだった。
そのあまりに手前勝手すぎる頼みに、小よしは大激怒。信夫もまた、内裏上臈などにはならず、ずっとここで小よしの娘として生きていきたいと母に取りすがる。そこへ代官・川島典膳がやってきて、鐃八の訴人により玉水渕へ入った罪で信夫を捕える、抵抗すれば母もろともと宣言する。焦る小よしに、信夫を勘当してみずからの娘に戻せば信夫は斎宮となり、科があっても代官は手出しできなくなると言う有常。小よしは、親子の縁を切るので信夫を助けて欲しいと願う。その言葉を聞いた有常は、科人の身柄は預かるとして代官を帰す。小よしは信夫の安全が確保されてひと安心。豆四郎も有常が養子にして取り立てるというので、二人は喜び、小よしは盃の用意に納戸へと入る。

有常は信夫を内裏上臈の姿に着替えさせ、髪も下ろして手づから直してやる。井筒姫に似ていると聞いて喜んでいた信夫だったが、刀を抜き振り上げる父に驚き飛びのく。実は有常はこの家に井筒姫と在原業平が匿われていることを知っており、その身代わりとして都に信夫の首を差し出すためここへ来たのだった。深く嘆く有常の姿に信夫も覚悟を決め、最期に夫の顔をひと目見たいと願う。そこに現れたのは、白装束に身を包み、腹切刀を携えた豆四郎だった。豆四郎は本名を磯の上俊清といい、在原業平の父に仕えていたものの勘気を受けて春日野に蟄居していた磯の上俊綱の子であった。親の遺言でその勘当御免を受けるよう頼まれていたことを明かす豆四郎。彼は、井筒姫の身代わりとなって死ぬ信夫とともに、業平の身代わりとして死ぬ覚悟だった。娘夫婦の覚悟の言葉に、有常も涙する。

そうとも知らない小よしは、いそいそと酒の支度を持ってくる。有常は斎宮となった信夫とは身分が違うとして、小よしと信夫の間に衝立を置き、お互いの姿が見えないようにしてしまう。泣きながら別れを告げる信夫に、小よしは暇乞いの連弾きをしようと、娘に琴を渡す。信夫が弾き語りはじめたのは、子を持つ遊女の悲しみを歌う「妹背川」。小よしは不似合いな曲を不思議に思いながら娘に合わせる。覚悟を決め切腹する豆四郎に信夫の心は乱れるが、有常が琴の竜尾を立ててそれを隔てる。様子のおかしさをますます訝しがる小よし、有常もまた覚悟を決め、信夫の首、そして豆四郎の首を打ち落とす。ついに小よしが衝立をどけて見ると、そこには娘夫婦の無残な姿があった。小よしは狂乱し、娘夫婦を元の通りにして返せ、なぜ自分も一緒に殺さなかったのかと有常に食いつき、泣き叫ぶ。老母と有常の嘆きに、この家に匿われていた在原業平〈吉田玉彦/桐竹勘介〉、文徳天皇の姫宮・怡子内親王である井筒姫〈吉田和馬/吉田簑之〉が姿を見せる。有常は二人に神鏡を渡し、出立を促す。
ところがそこに鐃八が飛び出てきて、都へ注進とばかりに駆け出す。有常はすかさず手裏剣で鐃八を仕留め、玉水渕に侵入した科を鐃八に着せることを語る(まあ、実際、入っちゃってたしネ)。
小よしの嘆きの中、有常は信夫と豆四郎の首を左右に抱き、都へと出立するのだった。

もう、話がやたら長い! 段取りが多い!! まどろっこしい!!! 複雑さがドラマやカタルシスと直結していないのが困る。細かいところでいろいろと辻褄が怪しく、不自然になっている気がするが、そこは、目をつぶるしかない。

 

第二部の主役、小よしは和生さん。
見た目は完全に普通のおばあさん。若干衣装が特殊なくらいか。そうそう、今月の和生さんの袴、小よしの着物とお揃いだよね。小よしも在所のおばあさんにしては特殊な衣装だし、これが文字摺ということ? 紋が文雀さんのもの(スズメフレームに文)になっているところをみると、以前に文雀さんが小よしを勤めたときのものを使ってるのかな。

和生さんの小よしは、一言でいうと、「穏やかで優しいおばあさん」。
小よしの暖かな人柄がわかるのが、良いよね。かわいい子供たちを失う小よしは一番の悲劇の主人公であり、可哀想なキャラクターではあるが、劇場をあとにしてから思い返してみると、出来事の悲惨さよりも、「穏やかで優しいおばあさんがいた」という印象が残る。
小よしは、夫に死に別れ、年をとってから馴染みのない土地へ引っ越してきた。普通に考えたら、つらい状況。しかし、いまは土地にも慣れ、赤ん坊のころから大切に育てた義理の娘・信夫、その夫・豆四郎と、幸せに暮らしている。その前半の、豆四郎や信夫への暖かな心遣いが、一番印象的。そこに彼女の芯がある。そこがしっかり立っているからこそ、物語の悲劇性がじんわりと感じられるのだろう。単なる「田舎に住んでいるから言動が素朴な人」にとどまらず、豆四郎や信夫でなくとも、小よしに敬意を抱くというものだ。(「田舎に住んでいるから言動が素朴な人」、それは、ツメ人形)

小よしは不条理や義理詰に慟哭する場面がたびたびあるが、怒りよりも、悲しみが強調されている。和生さんの演技の特徴としての、演技が文章起こしになっていないことによるものだと思う。文楽は本の通りに演じることを求められるが、文章そのままを細切れの逐語訳的に起こせば、単調になる。文章上は怒りを発する場面にしても、乱雑に傾くようなことはなく、トータルでの感情起伏の波が計算されている。
同じ感情表現の重複が回避されているのも、巧い。慟哭が繰り返されるとはいえ、それがコピペ状態にならないのはさすが。なぜ慟哭するかは場面によって違うわけなので、それによって悲しみの潮位や怒りのバランスが変わっている。派手な演技がついているわけではない地味な役ながら(だからこそ?)、上演時間の長さにもかかわらず、演技に飽きない。

あと! 目線の雰囲気がいかにも老婆らしいのがスゴイ!! 帰りが遅い信夫を心配して家の外をじっと見ているところや、来訪した紀有常が旧知の人とわからず、探るようにしげしげと顔を見る場面。若い役とは全然違う。老眼感があるわ。(?)

 

田舎家に不似合いな美々しい駕籠に乗って、紀有常が小よしハウスを来訪する。
紀有常は、デカすぎて、びびった。長裃姿で登場するものの、紀有常って、貴族だよね*1。この時点ではいろいろあって*2武官の身分に落とされているというのはわかるが、さすが玉男様というべきか、あまりに威風堂々としていて、ええんかを通り越して、びびる。斎藤実盛など本物の武将役よりは、所作がやや柔和だけど。それと、肢体の引き締まりが違う感じがする。

それはともかく、有常は娘を殺すためにこの家へやって来ているので、本当は気もそぞろのはず。小よしの言葉に目を瞑る所作が何度かあるが、その目を開けるタイミングが、玉男さんの他の役より若干早い。それは、何を意味しているのか。

玉男さんは、全身を使う演技と、かしらや手元のみでのパーツの演技の使い分けが上手い。後半、過去とその葛藤を語るくだりで、慟哭で右足を大きく前に差し出し、体を斜めに倒す型など、大きい動きの決め方が非常に秀麗だ。こういった所作が立つのは、余分で不安定な動きの排除はもちろんのこと、全身で芝居する・しないのメリハリのコントロール−−それまで静かな芝居が続いていた−−の的確さからだろう。

紀有常は、松王丸のように駕籠から登場する。玉男さんと有常は駕籠の影で待機しているのだけど、そのとき、降ろされた駕籠の位置を玉男さんが自分で「ぐい…ぐい…」と直しているのが、なんだか、良かった。玉男様が納得する位置というのがあるのね。有常は、駕籠の影でしゃがんでいる段階から、ちゃんと「いい感じ」にしていた。

 

 
 
 
 
 
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文楽での『競伊勢物語』の最大の魅力は、「はったい茶」の部分だろう。
田舎のばあさんの小よしと、キラキラ長裃姿の紀有常が同座して、上方ことばで歓談し、はったい茶を楽しむ。華麗な姿の有常が手ぬぐいを頭に巻いたり、体育座りしたりして*3、田舎もんのように振る舞うことのモッサリとしたおかしさ。和生さんと玉男さんの丸みのある優しい雰囲気がうまく噛み合い、人形芝居らしい可愛らしくほのぼのとした雰囲気が感じられた。はったい茶が入っている茶碗がまた良いよね。朱色の釉薬のかかった、素朴な風合いのもの。「春日村」専用なのかな。そして、茶碗に突っ込まれた竹のマドラーが妙にデカいのが注意をひくが、あれは何? 人間用の原寸ってこと?

 

内裏上臈の装束にお着替えした信夫は、昭和の酔っぱらいのような足取りが良かった。植木等
しかし、前々から不思議だったのだが、文楽の内裏上臈の衣装って、ペナペナしてて、ショボく見える。なぜこんなペラッとした作りなんだろう。普通の衣装は、綿を入れて、ふんわりさせているよね。ホントにこういうペナッとしたものだからってこと? 遣い方でコントロールすべきこと?

 
 
 
 
 
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最後の琴の連弾きは派手ではあるが、本来はみずからは琴を弾き続けながら、豆四郎の切腹を見守らざるを得ない信夫の乱れる心情に、阿古屋的なみどころがあるはず(阿古屋とは逆に、信夫はまともに演奏できないのであるが)。ここは、難しいね。信夫は琴を弾く所作自体が大変そうだった。こういうところにも、滅多に出せない演目という理由があるのかもしれない。とはいえ、公演日程が経過するうち、まとまってきていた。いずれにせよ、本来は人間の役者が琴を弾いているからこそ意味がある場面だろうと思った。
一方、豆四郎は塩谷判官や久我之助のように、正式な衣装・道具をそろえ、作法にのっとった切腹をする。しっかり稽古して取り込んでいる、真面目な演技だと思う。が、豆四郎の内面はいかに。正しく手順を踏むということに、囚われすぎでは?

信夫と豆四郎は、夫婦ふたりで一緒に身代わりとなって死ぬとはどういうことなのか、表現があればと思った。あまりにあっさり死に別れているように感じた。たとえば、信夫役と豆四郎役で話し合って、ここでは少し目を見合わせて、最期の別れをしようとか。いや、豆四郎は最期は武士なんだとするなら、彼が塩谷判官や久我之助と違うのはどこなのかを考える、間合いの取り方をリニアにしすぎないとか。文楽としてのルールはいろいろあるだろうし、本の下手さ自体は仕方ないが、出演者の芝居で味わいを感じられればと思った。

文楽ではいよいよというとき、有常が琴の竜尾を上げて、信夫と豆四郎を隔てる。いかにもビジュアル的に「映える」型で、有常の演技という観点では派手。ただこれも、すべての出演者の演技次第、型見せで終わると、味気ない。

なお、小よしはこのとき砧を叩いているが、その音は聞こえない。歌舞伎の場合、砧を叩く音を出さないというルールがあるようだ(理由はわからないらしく、劇評で批判されたので、今度からは出してみようかな程度のことらしい)。今回は、小よしの人形に近い下手側の席だと、わずかながら音を聞くことができる。ちなみに、冒頭で米を臼で挽いている場面も、小よしに近い席だと、ちょっとだけ「ゴリ…ゴリ…」と聞こえた。

 

最後に登場する在原業平〈前期:吉田玉彦〉は、あの、私、在原業平の本物(?)って初めて見たんですけど、思ってたのとなんか違った。もっと、3〜4日風呂入ってなさそうな感じかなと思ってたんだけど、韓国の美男子アイドルみたいだった。初日はまっすぐちゃんと座ってたのに、途中日程で見たら姿勢が崩れていたのはなんでや。障子が開いたら座ってる系の出で、衣装チェックして出られないので仕方ないのかもしれませんが、和馬も横におるならなんか言うたれよと思った(とばっちり)。
井筒姫〈前期:吉田和馬〉は、紀有常の娘として育てられてはいるが、実は先帝の実の娘。なので内親王なのだが……、和馬井筒姫、「内親王やで?内親王やで?」と言われてそうな、緊張感溢れる内親王ぶりで、良かった。

それにしても、怪奇! なんにでもなる一間!!!! を久しぶりに見た気がする。あの一間、舞台上では「一間」でも、3つくらい部屋があるよね。文楽の場合、床面(手すりの下の空間)がなんでも吸い込むのも良いけど、増殖する一間も、良い。

 

 

  • 義太夫
  • 玉水渕の段
    口=豊竹亘太夫/鶴澤清𠀋
    奥=竹本織大夫/鶴澤清友
  • 春日村の段
    中=竹本小住太夫/鶴澤清馗
    次=豊竹藤太夫/鶴澤藤蔵
    切=竹本千歳太夫/豊澤富助

 

  • 人形役割
    文字摺り売りお咲(お福のほう)=吉田文昇、文字摺り売りお谷(娘のほう)=吉田勘市、娘信夫=吉田一輔、磯の上豆四郎=吉田玉勢(前半)吉田簑紫郎(後半)、亭主五作=桐竹勘次郎、鉦の鐃八=吉田簑一郎、代官川島典膳=吉田玉輝、母小よし=吉田和生、紀有常=吉田玉男在原業平=吉田玉彦(前半)桐竹勘介(後半)、井筒姫=吉田和馬(前半)吉田簑之(後半)

 

 

 

結果的には、一切内容知らずに観てよかった。

鄙びた味わいのある話で、ドラマではなく、芝居世界自体(悪い言い方をすると、小手先感)を見せる演目だと思った。古怪とでもいうべきだろうか。合成着色料や砂糖がたっぷり使われた昔の祝い菓子という印象で、俗な運びや雑味が多いのが面白み。それを良いと取るかどうか。展開が類型的で、とにかく全体がまんべんなくゴチャゴチャしている。
現代では、類型的な話を類型化させることなく表現できる、相当に技術力の高い出演者で埋め尽くさないと、単なる俗悪になると思った。出演者がドラマを積極的に描き出せる人でないと、厳しい。良くも悪くも、芝居(床・人形とも)でコントロールできる(すべき)部分が大きいと思う。現代の観客に供するには信夫と小よしの親子愛が眼目となるだろうが、そのへんは、もっと突っ込んで欲しい部分ではある。

先述の通り、この演目の魅力は、「はったい茶」だと思う。娘を犠牲にする有常の葛藤、身代わりのくだりには劇としての意外性はないため、これらの悲痛さを引き立てるためにも、「はったい茶」でギャップの下地を作るのが勝負どころと言えるだろう。「はったい茶」が楽しく観られて、良かった。それでいうと今月は、第三部「帯屋」の前半もそうだ。今月は、悲劇の前の明るい場面がうまくいっていたと思う。


今回の公演で個人的に良かったのは、千歳さんに対する疑いの念がある程度晴れたこと。
千歳さんに対しては、昨年7月、西宮での『義士銘々伝』弥作鎌腹の段(これも滅多に出ない演目)があまりに乱雑すぎて、評価が大幅に下がった。滅多に出ない演目とはいっても、ここまでいい加減にやるとは、客を舐めすぎだろ、まともに稽古できないなら降りてくれ。そう思って以来、相当に強い疑いの目(耳?)で見て(聞いて?)いた。
しかし、今回の「春日村」は、きちんとまとまっていた。千歳さんのストレートさが、物語の虚飾感をおさえ、小よしの質朴さが引き立つ、良い意味での愚直な世界観になっていたと思う。また、本公演だと、三味線(富助さん)がとどめてコントロールする部分があるからだろうか、「弥作鎌腹」で致命的だった間合いがちゃんとしている。千歳さんの場合、人形が入っていることへの考慮が薄い傾向があるが(人形が動作するための間合いが狭い。たとえば人形が納戸へ出入りする部分など、明らかに詰まりすぎだと思う)、三味線が入ると、戻る。トミスケ、ありがとう!!!と思った。
望むなら、信夫を17歳に聞かせてほしいという点だろうか。千歳さんにとっては、信夫は脇役なんだろうけど。
それにしても、これがちゃんとできるなら、あの「弥作鎌腹」はまじで何やってんだ? なんだかなあ。

 

人形配役では、当然のことのように小よしを和生さんが演じていたため、穏やかな仕上がりになっていたが、もっと自己主張が強い人や、食いつきが強い人が小よしを演じたら、物語の雰囲気はだいぶ変わったと思う。もっとコッテリと悲劇感を強調した舞台に見せようとするならば、小よしの演じ方が鍵になってくるだろう。

紀有常を貴族らしく見せていくならば、玉志さんが向いているだろうなと思った。本来は貴族で、服装だけ武士というのは、玉志さんの品格の雰囲気に合っていそう。玉男様の有常は悲劇の主人公らしい重量感があってカッコいいけど、気品溢れる玉志有常、機会があったら見てみたい配役である。

 

 

 

付記1 『競伊勢物語』は「大曲」なのか

『競伊勢物語』は、プログラムには「大曲」「大曲」と、随分もったいぶったことが書かれているが、いったいどういう基準で「大曲」て言うとるんじゃ? よう「大曲」て聞く九段目とか日向嶋とは随分と「格調」が違わんか? と思っていた。
が、歌舞伎関連の資料を漁っているときに、偶然文楽についての言及がある資料を見つけ、その理由がわかった。

なんでも、「業界」(「業界」?)では、『仮名手本忠臣蔵』九段目(山科閑居の段)、『嬢景清八嶋日記』日向嶋の段、そしてこの『競伊勢物語』春日村の段を「三大物(おおもの)」と呼んでいるのだとか。広まっている話ではないようだが、戦前から「大曲」という認識はあったようだ。

義太夫年表』明治篇で確認すると、明治期には12回の上演記録があり、明治期までは数年に1度は出る演目だったことがわかる。文楽・非文楽系合わせて、明治5年11月、8年9月、10年9月、13年6月、16年6月、19年1月、21年9月、27年3月、29年3月、32年10月、35年2月、41年4月。上演が多い時期の「春日村」切には、三代目竹本大隅太夫、二代目竹本越路太夫が配役されている。

上演が激減するのはそれ以降だ。大正5年6月、御霊文楽座で、三代目竹本越路太夫が「春日村」切を語った。このときの番付の解説には、「ご存知の大物」とある(大役なのでいままで勧められても受けなかった、でもそれでは修行にならないので、初役として今回頑張ります云々)。このときの語りは劇評では激賞されているが、しかし、以降は勧められても再び語ることはなかった。

このときに“次”を語っていた豊竹古靭太夫(豊竹山城少掾)は復活を志し、東京公演のたびに豊沢松太郎(三味線弾き。明治26年彦六座を退座。当時東京在住)のもとへ合三味線の鶴澤清六とともに通って稽古を重ねた。そして三代目越路太夫の舞台から16年の時が経過した昭和5年10月、四ツ橋文楽座公演で復活を披露した(その後、東京でも昭和6年9月帝国劇場公演で上演)。このときにも、番付にはこの曲が越路太夫以来の上場であり、「斯界の大物」である旨が書かれている。

今日まで続く「大曲」のもったいぶり感は、この巨匠二人のもったいぶり(?)が理由なのだろうか。悪くとれば、古典芸能によくある権威主義とも思えるが、明治時代の劇評を探っていけば、もったいぶりの理由もわかるかもしれない。ただ、部外者が考えるに、現実問題としては、やっぱり、ひとりあたまの演奏時間、つまり、切の長さが大変すぎるから?と思った。*4

 

 

 

付記2 『競伊勢物語』全段について

『競伊勢物語』は、「春日村」だけでは意味不明すぎるので、全段も読んだ。翻刻が出ていないため、早大がデジタル公開している『増補競伊勢物語』正本を利用。

全体としては、2人の親王皇位継承権争いの話を主軸に、親の仇として国家転覆を狙う悪人が噛んでくるという建て付けだった。『伊勢物語』自体をトレースする話や、異伝的なストーリーというわけではない(ほぼすべて京・大和での話だし)。ただ、有名な和歌が多数織り込まれており、歌物語風に歌の由来の謎解きを楽しめるようになっている点が、『伊勢物語』感?

現行上演部分ではチョイ役の在原業平は、物語全段を通す縦糸的キャラクター。朝廷のゴタゴタをとりなしつつ、二人の姫君(井筒姫と生駒姫)との恋模様が全編を通して描かれている。
あと、最初のほうで、皇位継承権を相撲で決めようとしていた。「相撲で勝負だ!!!!!!!!」と言って土俵に飛び乗る親王、イキがよすぎる。もう、それでいいのではないか。だって、この国の総理大臣も麻雀で決められているから。

言ってしまうと、全段を読んでも、物語の味わいが深まるとかいうわけではない。むしろ、全段読まないで勝手に想像しているほうが、より面白いと思った。

『競伊勢物語』は歌舞伎から文楽に移入された演目だが、歌舞伎と文楽では、ストーリーの趣旨は同じであるものの、展開・登場人物がまあまあ異なる。実は歌舞伎のみに限っても、台帳によって内容に異同が大きいとのこと。なお、現行の歌舞伎「春日村」は、戦前の台本が散逸したために、戦後、文楽伝承曲を使って補綴されたものを基としているようだ。
なお、歌舞伎で『競伊勢物語』が上演された際の劇評を読むと、「話がおもしろい」という絶賛(?)がわりと見られる。そこまでか……? 滅多に出ない演目だからといって、話、盛ってへんか……?? 歌舞伎は歌舞伎で、ストーリーや筋の通し方への考え方が人形浄瑠璃とは大きく違うとは思うが、何と比較しての評価なんだろう。

 

 

 

*1:終演後調べてみたら、官位は従四位下だった。それなら、まあ、いいか……。

*2:東北に流浪したのは、述懐のなかにある通り、兄・紀名虎から勘当を受けたため。それだけだと「なんか可哀想な話?」と思ってしまうが、その紀名虎とは実は謀反人で、かつてそれが露見して自害。ところがその亡霊が蘇って(喋るドクロ的な感じで)、いま、朝廷に祟りをなそうとしている(息子がそれを引き継いで、かつて名虎と対立した貴族たちに報復しようとしている)というのが『競伊勢物語』全体にかかわる設定になっている。紀有常は善の親王方についているが、悪の親王方(紀名虎の亡霊+息子はこっちについている)の顔も立てなくてはならない立場という設定。

*3:安心や、リラックスしたことをあらわす型。パンピージジイ役がよくやるやつ。名前忘れた。

*4:以上、国立劇場が所蔵・公開している文楽番付、『義太夫年表』明治篇・大正篇、歌舞伎学会『歌舞伎 研究と批評』33 特集:競伊勢物語雄山閣/2004、参考。この頃の『歌舞伎 研究と批評』は、『競伊勢物語』を扱った記事が多くあり、歌舞伎学会でのプロジェクトとしての整理台本作成、国立劇場での通し狂言上演企画の裏話を含むシンポジウムの収録などが載っており、参考になる。2003年、三代目市川猿之助(二代目猿翁)が紀有常をつとめた国立劇場での通し狂言企画で台本整理・補綴を行った方のコメントは、学術的な正確性、合理性とは別次元の歌舞伎役者独自のGO/NGの感覚や、それを制作としてどう処理していくかについての言及が多く、面白い。プロデュース力のある役者による商業演劇に対する感覚、また、歌舞伎は役者ありきのため、興業・制作側は配役が決まらないと台本を書けない(用意できない)という事情面を含めて、かなり興味深い。これを読むと、文楽の「新作」がなんとも垢抜けない理由も納得する。そういえば、宝塚を退団した演出家が文楽の新作に興味を示しているそうですが、文楽劇場はもうオファーしたの? ぜひ時代物の新作を書いていただきたい。コメディやパロディ、ほっこりに逃げないような、堂々たるドラマを新作で観たい。ただ、過去に宝塚の演出家が文楽の新作を手がけた例があるようだが、続かなかったところをみると、作品のクオリティや集客に対して有効だとはいえなかったのだろうか。