TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 4月大阪公演『傾城阿波の鳴門』十郎兵衛住家の段『小鍛冶』国立文楽劇場

第三部は『傾城阿波の鳴門』『小鍛冶』とも、玉佳さんが登場。事情(?)を知らない方が見たら、玉佳チャンをアイドルだと思われるのではないでしょうか。はい、玉佳チャンはみんなのアイドルです!

f:id:yomota258:20210427204817j:image

 

 

『傾城阿波の鳴門』十郎兵衛住家の段。

お弓が故郷に残して来た娘・おつるに偶然再会するも、母と名乗れず再び別れる「巡礼歌の段」だけでなく、その後、十郎兵衛がおつるを娘とは知らず過失で殺してしまうところまでのフル上演。

 

むかしむかし、みんなが『傾城阿波の鳴門』を知っていたころの舞台は、こんなだったのかな。
なんというか、素朴な雰囲気……。今では想像も出来ないけど、みんなが義太夫に親しんでいて、『傾城阿波の鳴門』や『伽羅先代萩』を知っていたころ……。そのころは、こんなふうにみんな浄瑠璃を楽しんでいたのかなあと思った。

なぜそう思ったかというと、「既知の感動の物語」であることに大幅に乗っかった演奏や人形演技になっていたから。浄瑠璃の文章の内容そのものに添って演奏したり人形演技を組み立てているのではなく、有名どころでとにかくめいっぱいやって、観客の紅涙を絞る方向にもってきてるというか……。

 

これはこれでひとつのやり方だとは思う。けど、『傾城阿波の鳴門』は、力一杯がなり立てるようにやる演目ではないと私は思う。『傾城阿波の鳴門』(巡礼歌の段)は義太夫の中でもトップレベルに知名度が高いポピュラーな演目だと思うが、実際には相当演者を選ぶな。千歳さん、勘十郎さんは、タイプ的に、『傾城阿波の鳴門』が持っている哀切、しっとりした情感が出せないのではないだろうか。そのために、このような状態になっているのではと思った。

特に気になったのが、お弓の表現。目の前におつるがいるときと、おつるが帰ってしまったあとのお弓の動乱ぶりが同一なのは疑問。お弓の心の動きを表現する方法は、大声や大振りな演技だけではないはず。引き裂かれるような切実さを無理やり押さえつけている心情の表現が必要なのでは。千歳さんはさすがにこれはない、向いてないにしても、もう少し工夫のしどころを探って欲しかった。トミスケ頼むなんとかしてくれ。

配役は、その人に向いたものにして欲しい。

義太夫に関しては、後のヤスさんは良かった。十郎兵衛の「本当はいい人」感、お弓のワタワタした雰囲気がよく出ていた。また、前半日程で聴いたときは、お弓のクドキのところとその直前が断絶しすぎていて、クドキが唐突すぎる印象だったが、最終日に聴いたときには慌て気味ながらもつながるようになっており、良くなっていた。
 

↓ 2019年11月、西宮白鷹文楽で、和生さん×錣さんで上演されたときの感想。全段あらすじつき。

 

  • 人形役割
    飛脚=桐竹亀次、女房お弓=桐竹勘十郎、娘おつる=桐竹勘次郎、十郎兵衛=吉田玉佳(代役/吉田玉也休演につき)

 

 

 

小鍛冶。

前半日程しか見られないと思っていたが、急遽簑助さんの最後の舞台を観るのに最終日にも行ったため、幸か不幸か、玉志サン稲荷明神を観ることができた。
稲荷明神は前場後場とも凛とした雰囲気が必要になるのと、舞踊要素が大きいので、玉志サンの射程距離に入る得意な部類の役なのではないか、玉志よ自分らしく存分にやってくれ……と勝手に思っていたが、実際に観たら、予想だにしない方向に行っていて、まじでびっくりした。

 

まず、老翁・稲荷明神を、神霊的存在として表現しているのが最大の特徴。

少なくとも普通の遣い方ではない。前場で謎の老翁として登場するときから、普通の老人役とは異なり、体重や人形の重量を感じさせない、空中をすべるような、異様に軽い動き。老翁は鬼一のかしらを使っているが、鬼一であのような遣い方をするのは普通はまずありえない。玉志さんのいままでのジジイ役(鬼一だと弥陀六、謙信)をみても、あの遣い方は考えられない。

これはまったくもって私の想像だけど、おそらく、演技の考え方が、原作である謡曲(能)に立脚しているのだと思う。上手いシテ方が出演する能を観たときと、同じ感覚を覚えた。
能には、この世ならぬ存在が、現世での仮の姿と、真の姿の二つの姿で化現する「夢幻能」と呼ばれる物語形式がある。前場では、観客視点にあたる人物(ワキ)が不思議な人物(前シテ)と出会い、その人物から、土地の伝承や言い伝えなどの不思議な話を聞かされる。後場になると、その不思議な人物が正体を顕し(後シテ)、実は自分こそが伝承に語られる人物−現世のものではない、神霊や亡霊−であることを語って、その伝承を舞などで再現する。文楽の『小鍛冶』も、能の『小鍛冶』を踏襲し、この構造をとっている。
能の公演を実際に観にいくと、シテは橋ガカリを通り入ってくるときから舞台上で異彩を放ち、「この世ならぬ存在」として表現される。巧みな能楽師が演じるシテは、本当に人間でない、超自然的な存在に見える。それを文楽『小鍛冶』でも取り入れるのは、シンプルながら、ちょっと驚きの発想。派手でナンボの方向に行かなかったんだ。文楽は人形を使うから、能以上に生身の肉体を排することが出来、「この世ならぬ者」神霊的存在を表現しやすいというのは、発見。

以上は私が勝手にそう思ったというだけの話ではあるけど、客に理解されるかというと、かなり難しいと思った。というか、左の人にすら、伝わってない気が……。右手と左手で動きが違ってしまっていた。

 

後場になると、宗近〈吉田玉佳〉の祈りに応え、稲荷明神が神の姿で化現する。
稲荷明神は3人とも出遣いで、左・玉勢さん、足・玉路さん。稲荷明神の拵えは文七のかしらに衣装もゴージャスでデカいのだが、軽やかで透明感の高い、神秘的な雰囲気。普通は力強い表現にするであろうところ、神霊であるイメージに大幅に寄せているのだろう。ここでも「現世の人間ではない」雰囲気が非常に強い。

幣が揺れるさまのような、重力を無視したふわふわっとした動き。狐の振りで空中に浮くところも、ちんまりと可愛らしくふわふわ、ゆらゆらしていた。神というより、精霊かな。これ自体が稲荷明神だという直接的な解釈なのか、それとも稲荷明神の眷属神である狐の、従来の文楽にはない表現を目指したのか……。なんというか、メルヘンだった。文七のかしらでこんなに可愛いっていうことがありえるのか……。
なお、フェアリー度は第一部『花競四季寿』の鷺娘・清十郎さんに張っていた。清十郎〜!!! 第三部見た〜!?!? 立役一本槍の玉志にカワイイ妖精さんポジを食われそうになっとんで〜!!!!! と思った。

祭壇の手前に出て激しく踊る部分は動作にノイズや濁りがなく、キレあるシャープさが出ていて、大変良かった。人形の姿勢に激しい動きに発生しがちな余計なブレがない。このあたりはやはり最もお得意な部分だなと感じた。

宗近とともに鍛冶を打つ場面では、槌を振る仕草が妙に丁寧だった。槌を振り下ろす振りが小さい。宗近はもともとそれほど大きく振り下ろさないので、二人でトントンカンカンやっていると、こびとのかじやさん状態でかなり愛らしくなっていた。一体どういうこだわりなんだ。*1

なお、この鍛治打ちの場面では、稲荷明神と宗近が槌を打ち下ろすたび、「キン!」という音とともに火花が散っていた。はじめは、台に電流を流して、金槌と台が接触するごとに火花が散っているのかと思っていたが、時々タイミングが微妙にずれたり、不発だったりするのを見ると、人力? 火花係の人、上手いなと思った。

 

そういうわけで、玉志サンの稲荷明神、かなり独自の稲荷明神だった。フロンティアスピリットがすごすぎて、びっくりした。ここ数ヶ月、地方公演の『釣女』や、それこそ前半日程の『小鍛冶』では「後ろの鏡板をなんだと思ってるんだ、能楽堂行って勉強してくれ」と切れまくってきたが、ここまでやられると、「く、狂ってる!!!!!」と思った。(わがまま)

『小鍛冶』なら、もっと派手にやってもいいと思う。というか、頼むから、もっと“俺が俺が”の心を持って派手にやってくれ!!!と思った。(わがまま2)

 

稲荷明神の左の玉勢さんはかなり良かった。前半日程は、左手が前にくるときのほうが人形の姿勢が綺麗に見えるくらい。後半は玉志さんの透明感と合っていて、とても良かった。むしろ、そもそも稲荷明神を玉勢さんがやればいいのに、と思った。勘十郎さんがやらないなら、もはや誰がやっても同じなので、若手がやればいいと思った。

後場で一切動かず、刀が打ち上がるのを見守る橘道成は良すぎる。文哉さんと紋秀さんの「俺は一切動かん」というガッツを見せていただいた。24日の紋秀さんはペカ系だった。

あとはやっぱりみんなのアイドル! 玉佳チャン。本役の『小鍛冶』宗近を凛々しく遣われていて、良かった。第三部の2演目連続出演、さらには直前第二部『国性爺合戦』でもおそらく甘輝の左で出演と、立て続けで大変だったんじゃないかと思う。お疲れ様でした。

床は華やかで良かった。卵色と抹茶色のナミナミ模様の肩衣も、コラボの「刀剣乱舞」ファンの方に「刃文みたい」と喜ばれていて、良かった。

 

↓ 2019年3月、にっぽん文楽で、勘十郎さん稲荷明神で上演されたときの感想。

 

  • 人形役割
    三条小鍛冶宗近=吉田玉佳、老翁 実は稲荷明神=吉田玉助(前半)吉田玉志(後半)[後場 左=吉田玉勢、足=吉田玉路]、勅使橘道成=吉田文哉(前半)桐竹紋秀(後半)

 

 

 

4月公演第三部は、『小鍛冶』で「刀剣乱舞」とのコラボが行われた。

f:id:yomota258:20210427205526p:plain

コラボとは言っても『小鍛冶』上演内容そのものは通常通りのまま、ロビー装飾等に工夫がされているという方式。上演内容をいじらないのは、コラボコンテンツのファンの方々に未知の古典芸能へ触れていただく機会として、ベストな手法だと思う。

コラボ内容は、オリジナル文楽人形展示とオリジナル記念スタンプ設置、「小狐丸」のイラスト入りリーフレット配布程度のかなり控えめなコラボ感だった。コラボ企画の王道、オリジナルグッズ等は特に作らなかったようだ。
それでも「刀剣乱舞」ファンの人は来てくれたようで、第三部開演前は、はじめて文楽へお越しになったのかなという「刀剣乱舞」ファンのお若い方々、「刀剣乱舞」が全然わからない文楽劇場の常連さんたちで、ロビーが混沌としていた。うーん、この脈絡のない群衆、「地元の神社のお祭り」感があって、良い……。
ファンの方々は文楽劇場の誘導に従ってスタンプや人形写真の列を作っていた。文楽劇場ではレアな「最後尾」札も登場。最近の若いもんはマナーがちゃんとしとるのう。文楽劇場側も、「ふだんの客より行儀エエ!!!」と思われたであろう。
一方、文楽劇場の常連さんたちも、「刀剣乱舞、ゆうんがあるんやてぇ」と言って喜んでおられた。私も文楽のお客さんから「ああいう人(小狐丸)がおるん?」と聞かれたが、うーん、人っていうか、おるっていうか……、うん。

 

コラボの目玉として、2Fロビーには、「刀剣乱舞」小狐丸の文楽人形が置かれていた。

f:id:yomota258:20210427204930j:image

「小狐丸の文楽人形を展示する」という告知を聞いた段階では、「もし小狐丸を文楽『小鍛冶』の舞台に出すなら」というコンセプトで、検非違使や源太などのかしらを使って舞台用想定の人形を作るのかと思っていた。
行ってみると、作ったのはどうも、「小狐丸のイラストそっくりに作る」ことを目的とした飾り人形だったようだ。いわば、小狐丸の“コスプレ”をした文楽人形、って感じ。コスプレ好きの孫が遊びに来た……☺️というジジババ気分になった。

この人形は、各スタッフさんがいろいろな工夫を凝らして手作りしたらしい。本公演ではほとんど使われていない新作用かしら「佐助」をベースに、衣装は一部新調やありもの素材のやりくりを駆使して作られたもののようだ。基本的に文楽の既存キャラにはない衣装のため、黄色い水衣は新規染めをオーダーしたらしい。そのほかポンポンや履き物はじめ、おニューの手作りだとか。予算問題だと思うが、そのあたりに“コスプレ”感があって、「裁縫が得意なお母さんが娘のコスプレに協力して、娘以上に凝り始める🪡🧵」ぽくて、良かった。
ロビーには制作過程を説明したリーフが置かれており、文楽のお客さんには特殊な人形を拵えるときはどうするのかの参考に、「刀剣乱舞」ファンの方には文楽人形の構造がわかるようになっており、これも大変良かった。小狐丸を知らない人に対して「ここがキャラの特徴なので、再現できるよう工夫した」というような説明が丁寧に書かれていたあたり、「刀剣乱舞」を知らない文楽ファンに優しい。このリーフが公開されていないのが、とても残念。

ただ、そっくり目的の飾り人形だからか、それこそ工夫がなされた目元などがちょっと説明過剰で(人形自体で完結しすぎ)、舞台で遣うことはできないなと思った。この部分がある意味、文楽が例えば『Thunderbolt Fantasy』とは大きく異なる点だと思う。でも、今回の『小鍛冶』を観ると、玉志さんならこの人形を遣えるかもしれないですね。玉志よ、2.5次元文楽の地平を切り開いてくれ……。

 

↓ 小狐丸等身大パネル。人形のポーズもこれに合わせているようです。
一緒に記念撮影できますと勧められましたが、申し訳ありません。私、文楽のほうにマダニの如く食いついておりまして、これが玉男様等身大パネルなら撮っていただくところなのですが……。

f:id:yomota258:20210427205018j:image

↓ 小狐丸人形、拡大写真。
この顔立ち、撮るのがかなり難しい。現物はこんなにマネキンっぽくないです。もうちょい、源太とかのような穏やかさがあります。

f:id:yomota258:20210427205203j:image

f:id:yomota258:20210427205314j:image

↓ コラボスタンプ。
初めて観劇記念スタンプ押しました。

f:id:yomota258:20210428012210j:image

 

 

 

地味、微妙(?)と思われた第三部、最終日に観た玉志さんの稲荷明神にはびっくりさせられた。正直言って、『小鍛冶』、演目としてはあまりにどうでもよすぎて、まあ人形振り回して派手にやっといたら何でもえんとちゃう?としか思っていなかったが、その甘い認識を破壊された。あまりにびっくりして、簑助さん引退の涙が引っ込んだ。

『小鍛冶』の「刀剣乱舞」コラボは、従来の文楽のお客さんも、コラボをきっかけに来場されたお客さんも楽しめる内容で良かった。
次回なにかとコラボする際は、コラボグッズを作って欲しい。グッズはコラボの王道で、記念としてコラボ先コンテンツのファンの方に喜ばれるし、文楽劇場にも利益が入る(文楽グッズは何故かボランティアみたいな値付けなので、そういうグッズ商売スピリッツがないんだと思いますが……)。
また「刀剣乱舞」とコラボできるなら、次は『祇園祭礼信仰記』で、倶利伽羅丸コラボでお願いしたい。せっかくだから、面白い演目でコラボして、文楽らしい世界を楽しんで頂きたいです。

ていうか、第三部、『傾城阿波の鳴門』にしても、『小鍛冶』にしても、文楽を初めて見た人は、どう思ったんだろ……。そこだけが疑問。

 

↓ 4月公演は、イープラスで4/26〜5/16動画配信中です。配役は前期日程です。

 

 

 

 

 

*1:帰ってから、Youtubeにある文部科学省の刀鍛冶の動画を見ました。刀の形状になる前、鉄の硬度を上げていく過程ではそれなりに大きく振り下ろすみたいなのですが、仕上げの段階では大きく振り下ろさないみたいでした。あと、能の『小鍛冶』も振り下ろしは小さいようですね。勉強になりました。ありがとう、玉志さん。