TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 4月大阪公演『義経千本桜』伏見稲荷の段、道行初音旅、河連法眼館の段 国立文楽劇場

近所の木に「稽古中!!」って感じの初心者ウグイスがとまっていて、独特すぎる音程のホケキョをかましまくっている。

 

第一部、義経千本桜。
今回は狐忠信がらみのくだりのダイジェスト。あらすじはこちらから。

 

伏見稲荷の段。
上手に伏見稲荷の赤い鳥居。中央〜下手には瑞垣、紅白の梅が咲いている。

 

義経〈吉田勘彌〉、色気ありすぎてびびった。
文楽史上最大のお色気義経
ミナミNo.1ホスト。
ここにいるヤツ、全員抱いた。
って感じだった。文楽義経は清涼な雰囲気で表現されることが多いが、一周回って古典の世界に描かれる好色な武将としての義経に接近しており、度肝を抜かれた。しかし、気品があるため、下品には見えない。勘彌さんらしく、まつげバシバシ系の美麗ぶりで、透明感のある香りが漂ってくるような若男。非常に良かった。
細心の注意が払われた所作だが、重量からか、人形がやや不安定なことは気になる。
あとは、桔梗信玄餅を思わせるシューズが良かった。

静御前〈吉田簑二郎〉は、いままでに見たことがないタイプの静像。貴公子の愛妾というのとはまた違う。世話がかってるというか、文字通りに白拍子らしいというか。いわゆる「静御前」ではない。かなり痩せて背が高く見え、影のある哀れな雰囲気が出ていた。仮に14歳の男の娘なら、かなり良い路線行っている。ただ、静がこれだと物語に艶感がないため、初段から上演して、卿の君を愛らしい系の人ができれば、と思った。

義経を追いかけてきた逸見の藤太〈吉田勘市〉アンドおツメ雑兵ズは、きつねの出現にビビり散らして地面に__(_ _)__ピト…と、伏せていた。ちっちゃなきつねがそんなに怖いのだろうか。かく言う私も、先日、自然が多い別荘地に行ったとき、子猫くらいのサイズの台湾リス3匹がコッチに向かってズドドドドドと激走してきたので、ビビって逃げた。まじでやばい。人間、ワイルド・アニマルには勝てないですよ。
逸見藤太はかしらが鼻動きで、くたばるときが特に可愛かった。

 

狐忠信〈桐竹勘十郎〉は、きつね時の動物らしい動きが愛くるしい。勘十郎さんの動物愛を感じる。特に、しっぽへのこだわりは、絶品。ポインとした愛らしい動きやボリューム感、しっぽが常にちゃんと見えるように構える遣い方に、勘十郎さんの「動物のしっぽ、かわいいっ!」という気持ちがよく伝わってくる。リアルに寄せすぎず、人形より稚拙なものとしての“ぬいぐるみ”であること自体の可愛さも伝わってくるのも良かった。

人間の姿では、性別なり身分属性なりをあまり感じさせない。目線や所作に若干浮ついたところがあり、最初から、人外めいたものがある。体の表面がサラサラしていそうだった。きつねの正体を匂わせる浮遊の場面では、浮遊感そのものは良い雰囲気。足の揺れのバランスが左右揃っていないのが若干気になった。忠信に限らず、狐の役では同じ戸惑いがよくみられるけど、物理的に左足が動かしにくいのかな? 左手(左遣い)に当たるのを気にしているとかなの?

狐忠信は、ヘアスタイルが普通の源太とは違っていて、3本ピヨが両サイドこめかみについているのね。ただし、河連法眼館の検非違使にはついていない。

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忠信の紋が源氏車なのは、源氏の家臣だからだと思っていたが(狐の浅知恵的な感じで)、そうではなく、初演の政太夫の紋をつけているそうだ。
弁慶さんの紋は、輪宝だった。『ひらかな盛衰記』の「辻法印の段」原作では、ニセ弁慶を見たお百姓ズが、「弁慶の紋が違う、束熨斗じゃなくて輪宝のはずだ」というキツいツッコミを入れてくるが、その裏が取れた(?)。
というか、弁慶、大物浦とヘアスタイルが全然違うのは、なぜ?

 

それにしても、鎧、そんなにコンパクトにたためるか? 京都駅で売ってるお土産の生八ツ橋の箱(20個入り)くらいのパッケージサイズになってますが……。

 

 

 

道行初音旅。

鎧はさらにコンパクトに折りたたまれ、セブンイレブンで売っているおむすび&おかずセットくらいのサイズになっていた。真剣な話、いまのいままで、忠信、弁当しょってんのかと思ってた。

 

演目としてよく出るからだろうが、今回の第一部のなかでは、一番、人形演技が洗練されている。
狐忠信の所作は、道行の完成度がもっとも高い。それはケレン部分だけでなく、普通の舞踊部分も、曲に乗った動きのメリハリが非常に自然だ。
一切迷いがないのが、最も良い点。やり方は一種独特であっても、本人の中で完全に納得してやってるから、違和感にならない。
狐忠信は、普通(?)に考えたら、物語の段階を追って「きつね」度を上げていくと思う。しかし今回はそうではなく、「伏見稲荷」から相当きつねに寄せている。特に道行は、他人に擬する戦物語の箇所を除き、ほぼ全般、「きつね」だろう。きつねの所作を具体的に行うところだけでなく、「変わった」所作になっている。道行は本来、ピンポイント部分以外はきつねではやらないはずで、一種、逸脱している。しかし、いまの勘十郎さんなら、批判されない。なぜなら、物語上の整合性を上回って、完成度が高いから。耳目を引くための「やってみた」的な演技とは、まったく違う。

 

静御前の笠は、通常の黒の塗笠ではなく、市女笠タイプで、シアーな翡翠色のものに差し替えられていた。塗笠では第二部の浅香姫とカブるからだろうか。
静御前はもっと自信を持ってやって欲しかった。これ、もう、派手でナンボの演目でしょう。特に、扇を手元で宙返りさせるところ、後ろ向きに投げるところ(山越え)は、失敗してもいいから、思い切りやって欲しい。
山越えの扇トスは、2回見たうち、1回は失敗、1回は成功。失敗した1回は、風に乗るようなふんわりした投げ方自体は良かった。成功した1回はキャッチボール状態というか、まさに矢のように直線的に飛ばしていた。そんな投げ方初めて見た。文章的には、矢のように飛ばすのもアリだろうけど、むしろ、どうやって投げたんだ。
舞踊部分は、曲に対して尺が余りすぎだと思う。そして、静よりも忠信のほうが肩の表情が豊かなのも気になった。頑張れっ!
ミノジロオにはほんといつも、自信持ってッ!と叫びたくなる。自分のよいところがどこか、わかってないんじゃないか!? 説明するから、なんばウォークサンマルクの入って左奥のカウンター席に来て欲しい!!!!!
でも、ミノジロオの肩衣は最高。実はMIUMIUだと言われても納得する。むしろMIUMIUはあの柄のダウンコートとか出して欲しい。

 

錣さんは切になっても変わらず「奇」で、良かった。静をあまりに無限にやりすぎて完全に独自の世界に行っているが、あの変拍子、一緒に並んでる人ら、ソースケ以外誰も理解できてへんのとちゃうか感が、いや、「感」じゃなくて、事実そうであることが、そこはかとなく、良い。

 

 

 

河連法眼館の段。

舞台上部に桜の飾りが吊られた舞台。中央から上手は瓦燈口のある屋敷の屋体、手毬状の桜のペイントが施されている。下手書割の塀の奥には、桜が満開になっているさまが描かれている。

狐忠信のケレンへのこわだりは、よく理解できた。
見た目として、演出意図通りになっているのかな。スピード感は置いてしまい、仕掛けがバレてもいいから、失敗せず、落ち着いて、丁寧に進行できるようにしているのだとは思う。具体的にどういう早変わりをするかはともかく、人形遣いが追いついてくるよりもあまり先に替えの人形を差し出すのは、他人を使って人形を持ち替えている(いかにも時間を稼いでいる)感が強い。スペクタクル性や見た目の鮮やかさの点で、解決して欲しい。スピードのある転換そのものは、体力のある若いうちにしかできないことなのかもしれないが……。
後半に乗るリフトのステップは非常に簡易で、足場も狭く、驚いた。体格良い目の人だとあれは無理だと思う。勘十郎さんは小柄で体重も軽そうだから大丈夫なのかもしれないけど、おじいちゃんだから心配。多少客席からバレてもいいので、腰の位置などにバーをつけてあげて欲しい。

ドラマ部分については、色々と考えさせられることがあった。
床も合わせての話として、狐物語ののっぺり感、もうちょっと、なんとかならないかな。
以前、東京の鑑賞教室で『芦屋道満大内鑑』が出たとき、勘十郎さんの葛の葉は、きつねの表現はできていても、母親としての情緒がないと書いた。これと同じことを狐忠信でも感じた。「河連法眼館」での狐忠信の話は、かなり長い。静もいるっちゃいるけど、口を挟まず進むため、葛の葉同様、狐忠信の一人芝居状態になる。この間の演技(あるいは語り)の間持ちが非常に厳しい。特に、うなだれの演技はポーズだけにとどまらせず、説明的な振りとは異なる表情付けが欲しい。床を含めてここが引き締まり、派手なケレン部分と接続されれば、演目としての見応えがさらに上がると思う。

お人形さんが宙乗りすると、なんだか、かわいい。ほんとに高く飛んでるように見える。鼓から降り出す桜の花びらが、日によって分量違うのは、なんだか微笑ましかった。

 

なんともお行儀の良い座り方の義経、おひざを揃えてチョコ!と座っていた。ここ最近の若い武将役の中では、もっとも綺麗な座り方。そして、勘彌さんは、お袖振りがうまい。なお、ここの義経は動きや振りが決まっていないらしく、配役された本人の考えで出来るようです。

本物の佐藤忠信〈吉田清五郎〉は、気品に溢れた優美な姿。透き通るような凛々しさ、輝きある品格がすごすぎて、貴公子ぶりが義経を通り越しており、「え……もしかして……、源頼朝さんですか!? 大河でいつも見てます!!! サインくださいっ!!!!!」状態だった。
特に、刀を左肩にかけて瞑目する仕草はあまりにキラキラしていて、勝頼かと思った。清五郎さんのはみでるやる気。次は「十種香」の勝頼でお願いします。

静は、鼓を構えるときに、頭を傾けすぎのような。肩に乗せる位置など、人間の構え方とまったく同じにはできないとは思うけど、顔はまっすぐにしたほうがいいと思う。米俵かついだ力士みたいになってしまう。
鼓のラッピングは、伏見稲荷や道行とはまた違っていた。なぜ。鼓は、よく見ると桜の蒔絵が施してあるのが可愛かった。

 

咲さんは、「帯屋」で感じることと同じ印象を受けた。
ロセサンは、ゆとりある静の佇まいが良かった。

 

それにしても、義経、鼓くれるなんて、気前よすぎ。

 

 

 

 

 

 

今回の『義経千本桜』は、勘彌さんが義経、清五郎さんが本物忠信というのが良かった。通し狂言ではこの配役にはできないと思うので、このあたりは見取りならでは。

 

そして、第一部は、勘十郎さんが狐忠信であることありきの演目だと思う。
勘十郎さんのいつもやる気130%ぶりはすごい。勘十郎さんは、和生さんや玉男さんとは意気込みのベクトルや、目指すところがまた違うよね。特に「道行初音旅」は、その心意気に非常に適合した演目だと思う。

勘十郎さんのおもしろさというのは、即物性だと思う。この狐忠信は、非常に即物的だ。それは、ケレンの役であること以上に。これが「劇」に対し、どうやってつながっていくことができるのだろうか? それとも、つながりを拒否するのだろうか?
その点は、以前に書いた、いわゆる「荒物」を現代にどう継承するかという点にも関わっている。観客の嗜好や層が変化していく中、そして、世の中の娯楽全般の技術力や精細度が非常に上がっていく中で、道具立てが素朴な文楽において、「緻密さ」でない技術的アプローチは、どこまで可能なのか。「昔ながら」以上のものになり得るのか。何を目指すのか、何を表現するのか。
簑助さんは、手数の多さと情緒の結合に、簑助さんでしかなし得ない回答を出して引退したと思う。簑助さんの場合、手数の多さは、「時間が余ったから、付け足し」とか「とりあえずなんか動いてるほうがそれっぽい」じゃないんだよね。中割りの技法として成立していて、それが人形の思いの横溢を存分に表現していたと思う。同じことは、ほかの人には絶対出来ない。
勘十郎さんの即物性にも、こういった独自の表現の確立は可能なのか。それは、文楽の本質をどう捉えるかにも関わってくる。文楽の歴史の中でも、その挑戦は、いまのタイミングが最後になるのではと思っている。勘十郎さんには、合う役を一層研ぎ澄ませて、さらに上のステージへ行って欲しいと思う。

 

舞台トータルとしては、「河連法眼館」は、正直微妙。興行側としては今月イチオシの段だとは思うが、なんというか、パラついた印象だった。現状だと、場面ごとにイメージが分断されている印象。また、寂しさや叙情性は良いが、それに厚みをもたせる妖しさ、夢幻性、官能性はぴんとこない。もっと色彩を出して欲しい。配役としては、できる限りの好配役でやっている状態だとは思うが……。妖美性の問題に関しては、床要因だろうな。燕三さんがやっているのは、わかかるが。東京公演ではなんとかなるのだろうか。

あまりに冷静に見てしまったのは、私が「河連法眼館」のストーリー自体に関心がないからだろう。話に入り込めず、冷静に出演者の技巧を観察してしまった。「卅三間堂」や「葛の葉子別れ」にどうにも白けてしまうところがあったが、人間以外の話は、自分向けじゃないなと思った。
プログラム編成として、狐忠信の純粋性・素朴さを際立たせるためには、やはり、二段目の知盛、三段目の権太や維盛が出ないと、映えないのだと思った。通し狂言の状態は、よく出来ていると思った。

 

人形にとって、手元の動きはとても重要だと思う。手のひらの向いている方向に違和感があると(人体として捻れた方向になっていると)かなり不自然な印象になる。特に左、常に外側に捻れていることがあるが、この手のミス、まず、改善されない。このような無意識あるいは不注意による違和感の滲み出しは、非常に勿体なく感じる。本人は手順そのものに夢中でクオリティがどうなっているかわかっていないのだろうが、客からはクオリティ自体しか見えないので、手がどのように差し出された状態になっているかは、随時チェックして遣って欲しい。主遣いの人も、自分の左がどうなっているか、本番中に見えないのであれば、録画映像などで確認して欲しいと思った。
あと、床の人は、自分の番以外も、顔を動かさない方がいいと思った。

 

最近の大阪公演のプログラムは、すごく良い。
公演内容そのものに大幅に寄せているため、いま見ている公演と、お客さん自分自身とを結び付けられるような内容になったのが、すごく良いよね。今月にしても、『摂州合邦辻』ゆかりの地の案内はすごく面白い。(人形の写真にフキダシがついて喋ってるあたり、関西オーラ)
今後はぜひ、近世大坂の都市としての固有の面白さも紹介して欲しい。上方ならではの遊女屋のシステムや、堂島など特殊性のある土地の解説、また、奉公の制度解説など、魅力ある企画を待っています。

今月は、「文楽命名150年」の企画等に合わせてなのか、『人形浄瑠璃文楽座」の歩み』という冊子が、ロビー、展示室などで配布されていた。明治期の人形浄瑠璃の流れについて、史跡の写真などを交えながら解説がされている。発行元は文楽劇場ではなく、「一般社団法人 人形浄瑠璃文楽座」となっている。構成などに手作り感があり(右綴じなのに横書き)、おそらく有志の人が作ったのだろう。職員さんかなと思うが、内部に、こういうのをやろうと言う人、しかも自力で形にする人がいることは、すごいことだと思う。
そして、松島文楽座の現在位置イメージ写真がスーパー玉出なのが、良すぎ。

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