TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 12月東京鑑賞教室公演『二人禿』『芦屋道満大内鑑』国立劇場小劇場

東京の鑑賞教室って、通常の学生向け鑑賞教室公演も、別立てしている「社会人のための文楽鑑賞教室公演」も、内容同じだよね。開演時間だけで「社会人のための」と名付けるのは、ちょっと看板倒れ。せめて社会人のほうは、国立能楽堂の普及公演のような大人向けの解説にできないものか。外国人向け公演の内容の日本語版を「社会人のための」でやってくれると嬉しいな。*1

f:id:yomota258:20200917104215j:plain

 

二人禿。 

Aプロ

  • 義太夫
    豊竹靖太夫、竹本小住太夫(12/9〜 豊竹亘太夫へ配役変更)、竹本碩太夫/竹澤團吾、鶴澤友之助、鶴澤清公、鶴澤清允
  • 人形
    禿[上手]=吉田玉翔、禿[下手]=吉田簑太郎

Bプロ

  • 義太夫
    竹本南都太夫、豊竹咲寿太夫(12/9より休演)、豊竹亘太夫、竹本碩太夫/鶴澤清𠀋、鶴澤寛太郎、野澤錦吾、鶴澤清方
  • 人形
    禿[上手]=吉田玉誉、禿[下手]=桐竹勘次郎

 

率直に申し上げますが、一部ではあるが人形やばすぎやろ……。9月の三番叟もひどかったけど、どないなっとるんや。左や足がめちゃくちゃになっているのは、「慣れていない人がやっているのかなあ、頑張って」と思うくらいだけど(だめですが)、主遣いがポーズを順々に取っていくだけ状態なのは厳しい。これでは小学生が運動会でやらされているダンス状態。頑張っているのはわかるが、舞台に出ている人形が2番しかない以上、責任が伴う。

あとは、AプロもBプロも下手の禿の体の位置が高いことが気になった。はじめは景事だけ低い手すりでやっているのか?と思ったが、そうではないな。物理的に体の位置が高いのもあるんだけど、それが変に見えるというのは、足の位置の問題かな。足がまっすぐ下りておらず、手すりからかなり浮いて、体が縮こまって見えた。

 

 

 

解説。

  • Aプロ=豊竹亘太夫・鶴澤寛太郎(太夫・三味線解説)
  • Bプロ=吉田玉翔(人形解説)

今年の解説は特殊編成で、解説コーナーは床or人形のいずれかのみを行い、解説と本編の間に休憩時間を挟まないという仕様。これ、手短でいいな……。何回か行ったので、みなさん、工夫を重ねてわかりやすくしようという改善をされているのがわかって良かった。

 

Aプロは、床解説。説明そのものはわかりやすいけど、毎回、疑問に思うことがある。三味線の「弾き分け」、言葉の使い方や順序の問題だけど、「泣いている様子は文楽三味線ではこのように表現します」→「演奏例(ある程度のフレーズで)」のほうがわかりよいのでは……? そもそも文楽を見慣れていないと、その演奏が「泣いている」「怒っている」を表現している(というルールになっている)とはわからない気がする。また、撥使いの試演は、若手がやるならせめてすべてを連続で弾く等にしないと、三味線を聞いたことがない人には違いがわからないのではないかと思った。近年、太夫の「語り分け」が同じフレーズを老若男女で語り分けるスタイルになっているのは、区別を明瞭にする配慮だと思う。三味線にも工夫が必要だと感じた。
それにしても裏門の試演、太夫と三味線が噛み合っておらず、これまでになくうまくいっていない気がしたのですが、どないなっとるんや……。あんなに下手なもんやったか……?と思った。

 

Bプロは、人形解説。解説で一番「へぇ〜」の声が上がってたのが、勘介さんの髪型の秘密についてだった。それもどうかと思うが、鑑賞教室と言っても夜や休日の回は観客の大半が常連客という状況ゆえの出来事だと思う。
行かれなかった方のために書きますと、あれはパンチパーマではなく「アイパー」で、毎月、松原の伝説のコテ職人のもとに通って手入れされており、一回の施術時間は5時間を超えるそうです。\\\\\👴👩へぇ〜👨👵/////
でも、古典芸能の中でもさらに通好み指向が強い文楽で、のびのびとした若者もいることがわかるというのは、とても良いことだと思う。あんなのびのびした若者、一般社会にもそうそうおらん。
あとは、勘介さんがウッカリ舞台下駄を用意し忘れたおかげで、舞台下駄の用意は左遣いがしますという説明が入れられていたのも、逆に、良かった。

 

今回は演目のあらすじ説明がかなりわかりやすくて良かった。
Aプロ・Bプロとも、『芦屋道満大内鑑』とは陰陽師安倍晴明の誕生秘話を描いた物語なんですよーということを説明していたので、物語や登場人物とお客さん(特に学生さん)の接点が作れていて、良かった。こういった、聴衆がわかるところを起点にはじめる解説のしかたは出来る演目・出来ない演目があるとは思うけど、次回からもこうだといいな。

亘さんは「葛の葉子別れの段」に至るまでの前提から説明。保名が悪右衛門に襲われている葛の葉姫と狐を助けたこと、そのあと保名の窮地を葛の葉姫(?)が救い、夫婦になったことを説明していた。『芦屋道満大内鑑』全体の話の流れを踏まえた解説で、見取りに慣れていない人への配慮を感じた。

玉翔さんは逆に前提をカット。「葛の葉子別れの段」で、保名の女房・葛の葉と、やってきた葛の葉姫が「ソックリ」であり、それが物語のキーになることを手厚く説明していた。玉翔さんの説明は親切だなと思った。「女房葛の葉」の人形と「葛の葉姫」の人形って、ぶっちゃけ、全然似てないじゃないですか。衣装が全然違うのは当然、老女方と娘のかしらで顔が異なっているし。そこを「似ている(ことになっている)」と強く念押ししていたのは、人形遣いさんならではだなと思った。

 

ところで、「“人形劇”といえば?」という問いかけ、私は人形劇にぬいぐるみの下から手を突っ込むパペットや、人形の体を糸で吊るしたマリオネットのイメージはあまりないな。人形劇といえば『ひょっこりひょうたん島』をはじめとするNHK教育でやっていたテレビ人形劇を思い出す。子供のころ、テレビ人形劇、大好きでした。あとは、シュヴァンクマイエルなどのパペットアニメーションの印象が強いです。

 

 

 

芦屋道満大内鑑、葛の葉子別れの段。

Aプロ

  • 義太夫
    中=豊竹咲寿太夫(12/9〜 竹本小住太夫へ配役変更)/野澤勝平
    奥=豊竹呂勢太夫/豊澤富助
  • 人形
    女房葛の葉=桐竹勘十郎、安倍童子=吉田玉路、木綿買 実は荏柄団八=桐竹勘介、信田庄司=吉田玉志、庄司の妻=桐竹紋臣、葛の葉姫=桐竹紋秀、安倍保名=吉田玉也、信楽雲蔵(二番目に出てくるヤツ)=吉田簑之、落合藤次(逃げるヤツ)=吉田玉延

Bプロ

  • 義太夫
    中=竹本小住太夫/鶴澤清志郎
    奥(前半日程)=豊竹睦太夫/鶴澤清介
    奥(後半日程)=豊竹希太夫/鶴澤藤蔵
  • 人形
    女房葛の葉=豊松清十郎、安倍童子=吉田和馬、木綿買 実は荏柄団八=吉田玉彦、信田庄司=吉田玉輝、庄司の妻=吉田簑一郎、葛の葉姫=桐竹紋臣、安倍保名=吉田玉男信楽雲蔵(二番目に出てくるヤツ)=吉田玉峻、落合藤次(逃げるヤツ)=吉田簑悠

 

葛の葉の人形は、2チームでまったく違った解釈になっていた。

まずはそもそも、葛の葉役は難しいんだなと思った。長時間ひとりでの演技が続くうえ、正体がきつねいう特殊な設定があるため、テーマの表現に大きく力量を問われる。
特に、きつねの本性(フリンジがいっぱいついた白い衣装)を顕してからがかなり難しいのではないかと思った。両チームとも、きつねの動作云々ではない次元の違和感があるなあ、と思ったけど、手の表現なのかな。手が狐手になるので、通常の女方にある「指先の動きで細密な心情を表現する」という演技ができなくなる。手の甲を揃えて差し出す演技を漠然と繰り返すだけにならないよう、相当の注意が必要なのだなと思った。宙に浮く、伏して足摺するなどの特殊な演技が入るぶん、普通の演技部分が単調にならない工夫が必要そうだと思った。

 

Aプロは勘十郎さん。勘十郎さんはかつてトークショーで「葛の葉を本公演でやりたい」とおっしゃっていたのを聞いていたので、今回ついに国立劇場制作の公演で葛の葉に配役されて、どういう葛の葉にするんだろうと思っていた。(鑑賞教室は本公演ではありませんが。葛の葉役は外部の単発公演でやったことがあるとのことでした)
そのトークショーの発言は文脈上、狐の役は全部やりたい、あとは葛の葉だけやったことがないという話だったけど、なるほどその通りだなと思った。たしかに、「きつね」として人形全体の姿勢の見栄え、大きな動きのところは、とても良かった。最後、本当に狐のぬいぐるみになる前、安倍童子を抱きしめるところでほおをグッと強く当てるのは、動物の情愛の表現なのかなと思った。ねこなどの動物が、匂いをつけようとしてグイグイくる感じがあった。また、冒頭の添い寝の場面、安倍童子をぐっと抱いて寝るなどは、どこか神経質な雰囲気に勘十郎さんらしさがあった。

ただその反面、正体が狐の役としてかなり割り切って演じているということね……と感じた。まだ手のかかる年齢の子供がいる母「女房葛の葉」役としては、ディティールがかなり不自然に映る。一番気になったのが、動きの処理が極端すぎて、順々にポーズを決めている状態であること。かしらの傾き・顎のニュアンス、演技の末尾といった感情表現に繋がるディティールがない。元々勘十郎さんはこの傾向が強い人だとは思うが(そういう芸風なのだと思う)、ディティールがないと、特に後半の正体をあらわすくだり以降がつながらなくなって、姿が変わっても変わらないはずの母の気持ち、葛の葉の内面がよくわからなくなる。きつねのケレン物として演じるのが、葛の葉子別れが描くテーマとマッチするかというと……?

女房や母としての葛の葉の描写が薄く感じられたのには正直がっかりしたけど、これを通して、自分が老女方のかしらの役の演技を、普段、どういうところをキーとして観ているかがよくわかった。娘と老女方の演技って、何が違うの?と思っていたが、かなり違うわと思った。あごの表情や、ちょっとしたかしらの傾き、それらと肩との微妙な関係、演技の末尾の間の持たせ方で内面表現しているのを読み取っているんだな。特に、あごのニュアンスの有無が大きくイメージに差をつけていると感じた。非常に勉強になった。
ただ、この違和感は、まことに失礼な話だが、私が勘十郎さん自身を見ていないことによるものだろうなと思う。自分が過去に和生さん葛の葉で「葛の葉子別れ」を観たことがあることと、先月末に和生さんの「先代萩」を観たことによる、その差でこの評価になっているのだろうな。

 

Bプロ清十郎さんは真逆で、葛の葉の心情に重点を置いた演技になっていた。葛の葉の子供を思う心の描写が非常に細密。しっとり系の演目に元々適性が高くていらっしゃるのもあるが、予想以上に良かった。
どの姿でも、葛の葉の子供を愛する優しい雰囲気が通されているのが非常に印象的。人間でも狐でも変わらない情愛表現に徹し、一貫させているのだと思う。特に会期後半は、希さんの寂しげな語りと清十郎さんの人形が非常にマッチしており、葛の葉の哀切や痛み、動物ゆえに引き受けることとなったみじめさが伝わってくる出色の舞台になっていた。

清十郎さんは頬ずりの演技がかなり良い。やわらかーい子供のほっぺに、やさしくスリスリする感じが出ていた。頬ずりの演技は何度もあるので、そのときどきの葛の葉の心情に合わせて頬ずりのニュアンスを変えているのも印象的。白い衣装になった後のきつね独特の振り(特に後ろ向きで浮遊するなどの特殊な部分)は前半日程では綺麗に決まらず苦労されていたと思うが、後半日程では安定し、うら寂しさのある綺麗な動きになっていた。最後、本当にきつねの姿(ぬいぐるみ)になってから、「ぽいん」としたジャンプの動きは、しなやかな筋肉を持つ動物っぽくて、良かった。そして、去っていくきつねがとても寂しそうなのが、なんとも、良い。*2

しかし、左遣いの人に、清十郎さんの演技の意図があんまり伝わっていないのではという気がした。清十郎さん(右手)がきつねの所作で処理していないところでも、左手だけきつねの所作になってしまっているところがかなりあった。左の人からすると右手が見えてないんだろうけど、客席から見るとこの解釈違いは厳しい。そういう演技の意図って、あらかじめ左の人に伝えていないのかな? 左の人も、主遣いに確認しないのか? この点だけ、かなり勿体無かった。

今回の配役を通じて、清十郎さんは娘役でも老女方でもそれぞれの年齢に応じた表情の描写がなされ、かつ、それらは「清十郎さんらしい」という着地に落ちていることがわかった。ムラがあるとは思うけど、慣れ不慣れはともかく、役の描写という本質的な部分においては、ムラになっているわけではない。目に見えない内面や情感を形にして表現する力というのは、本当にすごいことだと思った。今回の鑑賞教室を経て、私、清十郎さんをかなり見直しました……。(清十郎はもとからちゃんとしとります)

 

 

 

そのほかの役。

Aプロは庄司一家が不穏すぎるのが良かった。信田庄司=玉志さん、庄司の妻=紋臣さん、葛の葉姫=紋秀さんの庄司ファミリーは「人んちに押しかけてきて勝手に心中しようとする人たち」的な何かを感じた。
玉志さんの庄司は非常に威厳のある武張った雰囲気。サイコジジイ感がすごい。本蔵かい。率直に言ってあまりにもやりすぎ、零落して田舎に引っ込んどるって書いてあるやろとちょっと笑ってしまったが、こういう謎の方向にやりすぎる、やる気はみだし玉志サンを久々に見られて良かった。将来的には本蔵をやってくれと思った。でも、全編通して体が硬くなったジジイの所作で通していて、良かった。
妻・紋臣さんは品ある印象。これもやりすぎ?という気がしないでもないけど、玉志サンがめちゃくちゃやりすぎなので、マッチ。葛の葉姫の紋秀さんはおとなしげな雰囲気がよくて、「地味だけど可愛い子」感が感じられ、味わいがあった。

Bプロの庄司ファミリーは信田庄司=玉輝さん、庄司の妻=簑一郎さん、葛の葉姫=紋臣さんで、全く雰囲気が異なり、王道のきっちり感があった。
玉輝さんは格式ある雰囲気ながら、娘を思いやる普通の老人の佇まいもあって、絶対にやりすぎないコントロール力が良かった。鶴田浩二的な、職分に対する真面目さを感じた。そして、なんかこう、玉輝オーラにより、若干、マフィアファミリー感があるのも味わいがあった。妻・簑一郎さんの質実な端正さ、葛の葉姫・紋臣さんの両親に可愛がられて育った感のあるおっとりした愛らしさもマッチしていた(このへんがマフィアファミリー感を醸造しているのかもしれない)。着地点がしっくりしており、非常に良い庄司一家だった。

信田庄司の演技は、玉志さんと玉輝さんで結構違っていた。役自体にかなり裁量があるということかな。
大きく異なるのが、奥に入ったところのヲクリ〜枕の演技の処理と、段切の極めのポーズ。ヲクリ〜枕の演技は、玉志さんはヲクリがはじまったら、ひざにもたれ掛かってきている葛の葉姫を離す演技をしており、玉輝さんはヲクリがひと段落するまで葛の葉姫をひざに乗せたままにしていた。こういうのって、事前に葛の葉姫役や妻役の人と打ち合わせしてるのかな。玉志さんはおそらく、床の交代も含めてヲクリ〜枕で動かないと、客にとっては人形の静止時間が長すぎるので演技を入れ、玉輝さんは逆にその長い間(ま)に演技を入れてしまうと間延びすると考えて演技のタイミングを決定しているのではないかと思った。
Aプロ葛の葉姫・紋秀さんは早々に離されると、かなり長いヲクリ〜枕の間、なんらかの演技をひとりで続けることになる。妻のところへ寄っていって話す演技、中央に戻ってきて姿勢を直し、手を自分のひざにトントンして思案する演技をして間をつないでいた。Bプロ・紋臣さんは逆に、庄司に離されてから保名の出までの間が短いため、妻のほうへ寄っていってちょこちょこ話す→真ん中へ戻って思案しはじめてすぐ保名の出になるよう、バランスをとった配分の演技にされていた。葛の葉姫、なかなか大変だと思った。
ちなみに、段切は、玉輝さんは左手に刀を立てて持つポーズ、玉志さんは刀なしで手をかかげるポーズだった。

 

 

 

Aプロ保名は玉也さん。意外な配役だなと思ったけど、9月の『嫗山姥』の源七と同じく、わりとクセのない二枚目の演技。玉也さんの良さが出にくい配役というのはちょっと残念。

Bプロ保名、玉男さんは「さすが玉男様……」と感じる、柔らかでどこか足りなさそうな二枚目だった。ふんわりと花びらが舞い散るような優美な所作、しなやかな肢体でありつつ、体幹がしっかりしているので健全なイメージがあり、貧弱な印象は受けない。それにしても、玉男さんのあのそこはかとない「どこか足りなさそう」感はすごいと思った。こういうのも具体的な形にしては表現できないことだと思うが、どうやってそう見せているのか。ちなみに奥へ引っ込む葛の葉の着物のすそをチョッとめくって逃げる演技は、玉男さんは逃げるのが妙に素早くて笑ってしまった。(あの裾めくり、葛の葉にきつねのしっぽがついてないか、チェックしてるってことかな?)

しかし保名って、「芦屋道満と争って加茂保憲の後継候補になるほどの能力がある」という設定ではあるけど、それほどの能力があるのに6年も葛の葉の正体がわからなかったというのは、ちょっと違和感あるよね。原作をよく読むと、実際には芦屋道満のほうが能力的にも人間的にも保名より上(と取れる)というのは、あるけど。プラスに考えれば、1000歳のきつねのほうが保名の能力を上回る力を持っていた、それゆえにきつねの血を引く安倍晴明は父や芦屋道満以上の強大な力を持つ陰陽師となった、ということか。『芦屋道満大内鑑』の映画化、内田吐夢監督『恋や恋なすな恋』では、「保名は庄司一家が訪ねてきて女房葛の葉が正体を明かすまで、ずっと気が狂っていた」という設定になっていたが、あれはうまいなと思った。

 

 

 

安倍童子はAプロ・玉路さん、Bプロ・和馬さん。二人ともちっちゃい体をヨタヨタさせながら動く所作がとても愛らしかった。冒頭出てきてすぐ、安倍童子は何かの虫を取っているが、その虫が何かというのが玉路さんと和馬さんで違うようだった。玉路さんのほうは目線が上向きになり、宙を目で追ったのちに地面にぱかっと伏せて取っているので、詞章とあわせてかんがみるに、とんぼを取っているつもりなのかな。和馬さんは逆に地べたに視線を落としているので、ばった(もしくはいなご)と思われる。玉路さんは虫を撫でくりまわしていたが、和馬さんは虫の足をちぎって捨てていて、やばかった。

それと、葛の葉が去ったあとで葛の葉姫が「私がママになる!」宣言をしたとき、安倍童子は葛の葉姫が抱き寄せてくるのを拒絶するが、そのときのおむねさわさわ具合が二人で違っていて、ちょっと面白かった。和馬さんはおむねトントンしてしっかり乳の有無を確かめていたが、玉路さんはおなかあたりを「そ……」と触っていた。タマミチ、きつねだから乳の位置が人間と違うという解釈? それとも、葛の葉姫役の人に対する遠慮でしょうか……?

 

 

 

ちょい役だけど印象的だったのが、最初に出てくる木綿買い(荏柄団八)役のBプロ・玉彦さん。保名の家に押しかけてきて縁側へチョイと腰掛けたあと、出てきた葛の葉と言葉をかわしながら、それは上の空で体を大きく反らせて家の中をぐるりとねめまわす。そのいやらしい感じがとてもよかった。
そういえば、最後のほう、この木綿買いの木っ端3人組と保名が戦う場面があるが、あそこで客席にまで小道具が飛んできて、びっくりした。保名が上手一間からドラムスティックみたいな棒を投げて、屋体内の木っ端が十手ではねてよけるところ。十手に当たった棒が大きく跳ね返って客席最前列にまで飛んでいた。雪や花びらはよく客席まで降ってくるけど、ああいうデカいブツがきたのは初めてだったので、驚いた。

 

 

 

床は前述の通り、Bプロ希さんがとても良かった。個人的には、いままでに聴いた中でも、ベストオブ希。染み出るようなみじめさを表現できるというのは、人形の清十郎さんもそうだけど、わりとレアな才覚のように思う。Aプロ呂勢さんも、曲とご本人の適性がマッチしているようで、自然な仕上がりになっていて、とても良かった。会期後半、高音が出なくなっていたのは、ちょっとかわいそうだった。

それと、「中」の冒頭の仕事歌のようになっている部分は、あれは難しいんだなと思った。時々、冒頭が仕事歌や舟歌のような特殊な曲節がついている演目があるが、御詠歌や謡ガカリ同様、出演者の得手不得手がはっきり出るなと思った。

 

 

 

鑑賞教室、両チームとも、これぞ12月ッッッッッ!!!! と思った。

今年はコロナの影響でお出かけも減ったためまだ年の瀬を実感していなかったのだが、そうだった。毎年12月の公演は、カオスになるんだった。と思い出した。今年の鑑賞教室は和生さんが出なくなったため、床はもちろん人形も、本公演の中堅編成と近い事態。初役の人や技量を上回る配役の人が多すぎて、前のめりと精一杯で舞台が充満、混沌としていた。それぞれの人の良いところ、もっとこうなればいいのにというところが出ていたと思う。

また、こういうしっとり系演目は、演目としてかなり難しいということもよくわかった。向き不向きも相当出る。そのうえで、なにをどうやるか、共演者に合わせる必要はないけど、演目には合わせてくれと思った。浄瑠璃に即するということを外すと、客からすれば、文楽で見る必要がなくなってしまうと感じる。

それにしても、最近、舞踊の人形がめちゃくちゃなのはなぜ? 後半日程になっても改善されないのは、どういうこと? これまでは、ここまでひどくなかったと思うが……。たまたま舞踊が苦手な人が当たっているとかの、配役の問題なのか……?

…………なんだか最近、「得手不得手」という言葉をやたら使っている気がする……。

 

 

 

今回、技芸員に新型コロナウイルス感染者が出て、その方や濃厚接触者に指定された人は休演になった。公演早期再開の調整には関係者の尽力があったものと思うが、全面休演は回避できて、その点はひとまず良かった。みなさんお若い方なので、大丈夫とは思うけど……、早く快癒されて、初春公演は途中からでも出られるよう、祈っています。

 

 

 

おまけ 

↓ 2018年11月大阪公演『蘆屋道満大内鑑』の感想。前段あらすじ概要つきです。

 

内田吐夢監督の映画『恋や恋なすな恋』の感想。

 

 

 

*1:国立能楽堂の普及公演、毎月1公演だけの企画のために、毎回違う演目・違う講師・違う解説をやっているのが驚異的。

*2:でも、蔵王キツネ村の動画を見たら、きつねさんたち、いま冬場で太っているからか、めちゃくちゃドタドタした動きだった……。文楽のきつねはハクビシン寄りだね。