TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 9月東京公演『寿二人三番叟』『嫗山姥』国立劇場小劇場

とにかく、本公演が再開できて、本当によかった。本当に嬉しい。

今回は、感染予防対策として客席定員を半減。前後左右1席ずつ空ける千鳥配置で販売された。舞台に近い最前列も販売停止。加えて、文楽は客席右前方に出語り床が張り出しているため、床付近の席=右ブロック前半分を販売停止する処置が取られた。床前はもちろん、通常「三等席」として売られている席やその近辺も販売なし。
床下は事実として普段からなにかスプラッシュ的なものが飛散しているし、また逆に技芸員は無防備なままの出演になるため、お互い万一のことを考えると止むなしだが、床間近の席特有のあの三味線の張りつめた音が聴けなくなったのだなあと、販売停止席をカバーする小豆色のペーパーに覆われ尽くした床前席を見て、しみじみとしてしまった。
でも、床を本舞台に移動させるとか、御簾内にするとか、人形すべて黒衣にするとかの、舞台そのものが通常公演ではない上演にならなくてすんで本当によかったと思った。

 

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第一部その1、寿二人三番叟。
英語でいうとA Double Sanbaso Celebration。

 

実際には普通の二人三番叟なのだが、今回は公演再開を祝し、世の安泰を願う祈りの意味で「寿」をつけたようだ。

本当に普通の二人三番叟なんだけど、久しぶりに文楽を観ると、なんというか、良い意味でそこはかとなく地味でいいなと思った。お人形さんはちんまりソヨソヨとしていて、一生懸命がんばってる感じがする。けなげにがんばってる感が良い。舞台もこんなに狭かったっけなあと感じた。松葉目物用の奥が塞がった大道具なので、普通の演目に増してそう見えるだけなんだけど。でもやっぱり、生の三味線の音はやっぱりピンと強く張って美しく、とても心地よかった。配信と生で快感度が一番違うのは、やっぱり、三味線の音だな。個人的には。

しかし、実際問題としてはなかなかにガタガタだった。人形の手足、人形同士、床と人形。全体的に、なんとな〜く噛み合ってない。文楽のレパートリーのうち二人三番叟は上演頻度が最も高いはずで、私自身も何回も観たことがある演目だけど、それがここまでガタガタになるのかと思わされた。

床のガチャつきはそこまでひどいとは思わなかったのだが(会期後半はまとまってきた)、人形のガタガタ感はかなり気になった。一人の人形として、手足の動きが揃っていない。そして二人の人形ではとなると、足拍子のばらつきが厳しい。片方の三番叟は礼を低くかがむことで体の位置の上下を大きくするなど、動作の流麗感がよかったんだけど、もう片方の三番叟、目線が不自然で、首の不安定さと振り方の荒さが目立つ。かがんだ姿勢から立ち上がるときに胴がフラフラしてるし……。同じ衣装で同じ振り付けだと、かなり目立つ。気になりはじめると、細かいところまですべて気になってしまう……。

最初に観たときは、公演再開間もないからか?と思っていたが、会期後半の最後のほうに観に行ったときも改善していなくて、残念だった。

でも、2回観たうち2回とも、隣の席の人がものすごく嬉しそうだったので、もう、いいかと思った。隣の席の人の嬉しそうな顔が一番良かった。もろもろ、この状態ががよくないということは、今回の公演に足を運ぶような、文楽好きのお客さんにはすぐにわかると思う。でも、あんなに楽しそうにされているなんて、本当に文楽が好きなお客さんが来ているんだろうなと思った。

 

  • 義太夫
    三番叟 豊竹芳穂太夫、三番叟 竹本津國太夫、竹本南都太夫、豊竹咲寿太夫、竹本文字栄太夫/野澤勝平、鶴澤清馗、鶴澤寛太郎、鶴澤清方
  • 人形配役
    三番叟(検非違使)=吉田簑紫郎、三番叟(又平)=吉田玉勢
 
 
 
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第一部その2、嫗山姥。
英語でいうとThe Pregnant Mountain Ogress。

 

以前、外部公演(西宮白鷹文楽)で和生さん八重桐+錣さん語りで観たことがあるので、内容はあらかじめわかっていた。この演目で公演の1プログラムをなそうとするとは大胆だなと思った。内容はまったくなくて、趣向や派手さ自体が眼目なので、ある意味難易度が高い内容だと感じる。

↓ 西宮白鷹文楽で観たときの感想。詳しいあらすじ、和生さんによる解説トークもこちらに記載。


八重桐〈桐竹勘十郎〉は、出てきた途端、舞台の解像度爆上がり。
冒頭の八重桐は落ちぶれているので、一応、地味な足取りで、地味に出てくるはずなのだが、そういった動作的なところとは違う次元の鮮やかさがあった。古寺や古代遺跡の映像を、最高画質カメラで撮った4K映像で見ている感じ。そうだったな、文楽って、人形遣いの上手い人は「解像度が高い」って感じなんだよなあと、文楽を生で観る感覚を思い出した。この感覚は、映像で観たときにはない。現実空間の視覚で「解像度」を感じるという、あの感覚は、本当に不思議。

勘十郎さんの八重桐はリアルなイメージだった。伝説上の虚構の人物ではなく、微妙にそのへんにいそうな生っぽさ、俗っぽさに味わいがある。なんというか、片手にハンディサイズの扇風機を持ち、もう片手でスマホをいじりながら、旦那さんと一緒に回転寿司の行列に並んでそうな、身長155cmくらいのお姉さん(実は料理が得意だが、今日はおやすみして外食!とインスタに投稿中)って感じ……。いかにも若干早口で喋りそうな、かしましく、かつ、まめまめした雰囲気が良い。言っては失礼かもしれないが、冒頭部に落魄感がないのが勘十郎さんぽいな。

八重桐の紙子の衣装は、くずし字を少し読めるようになった今見ると、「なんか変な字ぃ書いてある服着とる」と思った。黒地に、「恋しき」とか「まいる」「はづかしき」とかの恋文の断片が美しい彩りの刺繍で散らされているんだけど、なんかこう、若干唐突感があって、「みそラーメン大盛り」とか書いてあるTシャツを着ている外国人を見るような気分……。良い。

 

源七は玉也さん。どう演じられるのかなと思っていたけど、意外に(?)顔そのまんまの、スッとした、素直な雰囲気の源七だった。
今回の公演では、この源七、第四部の沢市の二人の立役が三味線を弾くが、両方とも実際の床の三味線と特に合っているわけではなかった。弾く手つきや姿勢にしても同じく、写実性を追求する演技ではなく、なんとなくそれっぽくやってる感じ。(ただし、源七は三味線手ではなく、人形遣いがバチを直接持つ)
立役の人だと女方の人よりも三味線のリアリティ追求が薄いのかな。いや、正月公演の七福神では、玉志さんはこっちが引くほど床と合わせていたが、あれはご本人のこだわりか……。
源七と沢市は、フリは合っていないのだが、お二人とも弦にバチを当てていたため、前方席だと、少しだけ、ピンピンとした音が聞こえてきた。

 

前半、八重桐が虚々実々に喋りまくる廓噺のパートは良かった。太夫〈竹本千歳太夫〉がホラ話をまくし立てるように喋り続け、舞台中央では八重桐が煙管などを使って身振り手振りで一人芝居をする。
千歳さんは、前半に観に行ったとき、かなり調子が悪そうで、声がしゃがれて咳き込んでいた。配信で聞いた先月の文楽劇場の素浄瑠璃公演も声が枯れていたので、大丈夫かな、調子悪いのがずいぶん長いのかなと心配だった。しかし、後半には復調されて、元気に可愛く語っておられて、かなり良かった。結構元気な八重桐だった。
いたちはピンピンしていた〈三味線=豊澤富助〉。いたちって、見た目的に、ねこ風に無音で歩くかと思いきや、わりとでかい音を立てていた。

 

しかし、後半にある八重桐のぶっ返りが、2回観た2回ともモッサリしていたのは残念だったな。最初に観たときは、公演再開間もなかったので、まだ慣れてなくて失敗したのかなと思ったが、千穐楽2日前でも同じモタモタした状態だった。左右の袖が返るタイミングがずれていて、単に衣装がバラけただけに見える。うしろの裾を引き上げる極めもフラフラした印象。勘十郎さん、客席からどう見えているか、わかってるんだろうか……。わかっていたらこだわりの強い勘十郎さんのこと、さぞ不満だと思うが、ご自分だけでどうこうできることでもないので、大変だと思った。そして、中身が全然ない話なので、こういうとこをガッチリ決めてもらわないと、客としては満足度はだだ下がりになるよなぁ。と思った。

そして、ぶっ返り以降の芝居にメリハリがなく、ダレた印象になるのは、もう、浄瑠璃の構成上、どうしようもないんだろうなと思った。
そもそも同じ花四天が2回出てきて、同じような立ち回りを繰り返すという構成そのものがよくないとしか思えん。あそこにメリハリをつけるにはよほどの技芸か演出上の工夫が必要だろうと思った。ガブがそうなんだろうけど、さほど効果的とは思えず、むしろ、勘十郎さんほど技量があれば、ガブの仕掛けはチャチで、なくても演技で成立するはずだしねえ……と感じた。でも、今回のプログラムの「かしらのいろいろ」のページの八重桐の写真は最高すぎるので最高。

 

お局様〈吉田簑一郎〉は、八重桐がペチャクチャ喋っているあいだも姫チェックに余念がなかった。あと、途中、おふくの腰元〈桐竹紋吉〉が私のほうを見ていた(思い込み)。なんやそっくりなんがおるわ……と思っていたに違いない(思い込み)。沢瀉姫〈吉田玉路〉の左は、衝撃的にメチャクチャになっていた。姫のおてては手首から先しか見せちゃイヤ❤️ ていうか、むしろ、姫、そこまで長い腕あったんかいって思った。左を初めてやる人とかなのかな……? 周囲のお兄さんたち、稽古してあげて欲しい。これを見ると、同じ衣装の『絵本太閤記』の初菊が常にちゃんとしていることに驚く。左遣いの人って「ソヨ……」としているように見えて、かなりの技術と鍛錬が必要なんだなと思いました(当たり前)。

 

面白かったが、正直なところ、西宮で観たときのほうが良かったな……。「〜と比べて」的なことを言うのは意味ないけど、今回はなぜか、いつになく感じてしまった。

西宮は少ない人数で舞台を回すために一部カットして上演していたので、時間的に間延びせずいい感じにコンパクトにまとまって舞台効果を高めていたというのもありそう。舞台装置も簡素だったため、ぶっ返りや花四天との立ち回りも視覚的に非常に効果的だった。
ただ一番違いを感じたのは、和生さん錣さん(当時は津駒さん)は、シーンによる八重桐のさまざまな側面を描き分けていた点。今回の公演では、のっぺりした印象だった。あのバランス感覚は和生さんや錣さんのセンスだったんだなと思った。そのときはぶっ返りも一発で華麗に決まっていた。派手演目で勘十郎さんより和生さんのほうが完成度が高いというのは意外とも思うが、和生さんの達者さがよくわかった。

 

あとは、もう、がっかりするようなミスがぶっ返り以外にも見られたのも、がっかりしました……。ミスそのものは仕方ないけど……、何個も重なると、かなしみ……。

 

 

  • 義太夫
    口=豊竹希太夫/鶴澤清𠀋
    奥=竹本千歳太夫/豊澤富助、ツレ 野澤錦吾
  • 人形配役
    荻野屋八重桐=桐竹勘十郎、煙草屋源七 実は坂田蔵人行時=吉田玉也、沢瀉姫=吉田玉路、局藤浪=吉田簑一郎、腰元更科(おふく)=桐竹紋吉、腰元歌門(娘)=吉田玉誉、太田太郎=吉田勘市

 

 

 

客席半減で千鳥配席、最前列・床前販売停止という状況での本公演を初めて体験したわけだが、舞台の緊張感というのは、客席の緊張感があって成立するものなのだなと思った。場内満席でシーンとしているのと、客席スカスカでシーンとしているのでは、場内に満ちている空気感が違う。第一部のような派手さ自体が眼目の演目だと、客席を間引きした上に、入りも寂しい状態だと、結構辛い。拍手もまばらになりがちで、少し、かなしみを感じた。ただ、そういった空気感は第二部や第三部では気にならなかったので、演目によるところも大きいのだろう。第四部は、むしろ客席が寂しいことが効果を産んでいた(それもちょっとかわいそうだけど)。

 

それにしても、客席の千鳥配置(前後左右の1席空け)、単純な客の立場としては、ものすごく快適。
ご出演の方や劇場には大変申し訳ないが、ほんと最高。大極上。通常時は、前の人の頭が邪魔になって3列目以降くらいになると見辛さのリスクが大幅に上がるけど、今回はかならず前の席が空いた状態になるので、相当観やすい。隣の人がもたれてきたり、はみ出てきて困るという事故も完全になくなるし。ストレスがかなり削減された。
もちろん、1席空けをしたからといってマナーが悪い人はいるのだが(1席空けてるのに乗り出して喋っている人とか、なんでここに来たんだ?)、客席数が半減していれば確率的にマナーの悪い人も半数になっているので、アレな方が周囲にいる確率が大幅に下がるのが良かった。

あと、そういう理由で場内とても静かなせいか、上演中スヤスヤしている方はやっぱりいらっしゃるのね。第一部は、2回観た2回とも、隣の席の人が二人三番叟では起きてたのに、嫗山姥ではおもいっきり寝ていて、肝心のイベント本番で寝てしまうこどもみたいで、ちょっとおもしろかった。

 

 

 

長い休演を経て、技芸員さんたちはどうなったのか。これはもう、文楽好きの人がみんな心配していたことだと思う。

ひとまず、みなさんお元気そうで、本当によかった。前半は咲さん休演されてたけど、復活してよかった。簑助さんはもともと配役なしだったけど、東京の状況からするとそれでよかったと思う。もう、さっきから「よかった」しか言っていないが、「よかった」としか言えない。
舞台で技芸員さんみなさんのお姿を見ていると、おじいちゃんぽくなった人、髪の毛が減ったり増えたりした人、少し痩せたり太ったりした人、いろいろいて、いままでは毎月のように見ていたから気づかなかったけど、みんな少しずつ変わっていってるんだなあと思った。
ていうか、なんかめちゃくちゃツヤツヤになっている人が若干いるのが、めちゃくちゃよかったです。いろいろなストレスが減って(?)、大元気になったのね……と思いました。

舞台の出来栄えはどうなったのか。休演期間を挟んだゆえの「復調中」感は、やはりあると感じた。レベルが下がったとかではないが、ほんのすこしの違和感がある。どのパートにしても、なんとなくぎこちないところが時折、チラ……と顔を覗かせるというか。
とはいえベテランや中堅一定以上は休演以前のまま。ふつうにいつも通り。本当は大変だったと思うけど、そう見せられる、聴かせられるあたり、芸歴が長いとやはり違うなと思った。もう少し若い層になると、ほぼみんなガッチリそのまんまでいつつ、クセを補正しつつの微妙なピント合わせをしている人も少しいるな、という感じ。さらに若手になると、もろもろのスムーズ感が低下して、苦労しているんだろうなと思わされる人がいる印象。でも、会期中にきっちりリカバリしている人もおり、通っていて、面白かった。

 

 

 

そういう全体状況は置いておくとして、第一部は全体的に微妙な仕上がりだった。

一番気になったのは、当初「どうなの?」と感じたところが、会期後半になっても改善されなかったこと。客からすると、明らかにあかんやろってところがいつまでも改善されないのは、本当に謎。ほかの部はそこまでひどいとは思わなかったんだけど、第一部だけは、それがどうにも……。
当初は、休演期間を挟んだから感覚が取り戻せていないのだろうと思っていたが、後半になっても直らない状況を見る限り、そういうわけでもないのかもしれないなと思った。これまでなんとなくでやっていた、本当は元々できていなかったことが、慣れを失った分、より一層顕著になったのではないか。休演半年の影響が、人によって明確に出ていた。

これは第一部だけの話じゃないけど、人形に関しては、客観的にどう見えているかを考えられているか、何をどうするか考えてやっているかが出ているんだろうなと思った。前々から「この人何も考えずにやってるんとちゃうか」と思うことがしばしばあったが、まじで何も考えずにやっているのだろうなと実感した。いままではそういうの、単なる「雑」だと思っていたけど、根はかなり深いのかもしれない。一生懸命やっているのはわかるが、なにも考えずにやっていては、努力も無駄になるのに。

悪いところやダメなところ、文句って、いくらでも目につくし、誰でも気づく(誰でも言える)ことなので、いちいち書いても意味なくておもしろくないなと、ここまで書いて自分で思った。でも、今回は、単なるあれがダメこれがダメっていうより、ある意味での本質がわかったのかもしれないというか、やっぱりそうだったんだ……と思わされる部分があったので、書いた。どうあれ、観客としては、じっと見守るしかないですね。