TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 9月東京公演『鑓の権三重帷子』国立劇場小劇場

今月は、ロビーに、伝統芸能保存のため(多分)の募金箱が設置されていた。
大きな透明アクリル製の、縦に長い直方体のボックスで、底に、マスクをしたくろごちゃんのぬいぐるみが置かれていた。国立劇場は、お地蔵さんやらの前にちょこっとお賽銭の小銭が置かれているようなイメージだったのかもしれないが、国立劇場に来るお客さんは募金箱に千円札を入れる方が多いようで、投入された千円札がどんどん重なってきて、最後にはくろごちゃんin札束風呂のようになっていた。「神崎揚屋」の無間の鐘のシーンをガチでやるとこうなるのだなと思った。

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第二部、鑓の権三重帷子。
英語で言うとGonza the Spearman。重帷子どこいった。

第一部『嫗山姥』に続き、『鑓の権三重帷子』もなかなか上演難易度が高い演目だと思う。話にどれだけ説得力を持たせられるかは、出演者のパフォーマンス勝負。『嫗山姥』よりも一層、出演者の技芸が見どころの中心になると思う。そのためか、重要な場面の出演者はベテラン陣で固められていた。

 

浜の宮馬場の段。

ポンポンと所々に松の見えるのどかな浜辺の雰囲気の中、馬の稽古をしている権三〈人形役割=吉田玉男〉を訪ねて、彼に恋する娘・お雪〈桐竹紋臣〉が乳母〈吉田清五郎〉に伴われてやって来る。

権三のカスぶりが発揮される名場面。権三、伴之丞をdisってるけど、お前が言うなやって感じ。

↓ あまりに最高すぎる写真。

 
 
 
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権三役は、今回は玉男さん。漠然と似合うなと思った。権三は源太のかしらを使っており、やや弓なりの眉が引かれていて、口が微妙に開いている。真っ青な着物に首がすっと長く見える持ち方と拵えで、当世風のイケメン。いかにも「お人形さん」な佇まいで、良かった。
権三は泣きついてくるお雪の手を取り、自分の膝へ置く。ここのカスムーブの精度は「さすが玉男様」と思わされた。え、どうしよ、と戸惑うお雪の抱いて背中をぽんぽんする仕草にまごころがこもっているのが良い。適当にやっているわけではなく、その場その場では本気でそう思っていそうな薄っぺらいヤバさがある。
玉男様の手握りと背中ぽんぽん系演技は本当にとても良い。あのシンプルな動作に無限の表情を持たせ得る、これはほんとに誰も右に出る者がいない、玉男さん独特の持ち味だと思う。
この場面、原作では、権三はお雪の手を握りながら「ボクのこの誓い、この馬ちゃんも聞いてますよ……。馬ちゃん、証人になってくれるよね?」と、衝撃のカス発言をする(馬ちゃん、馬なので馬耳東風)。この迫真のカス手握り、ぜひ玉男さんの演技で見たかった。

お雪紋臣さんの、乙女走りでズドドドドと走ってくる娘役は、まじでズドドドドと走ってくるのがやばそうで良い。いや実際にズドドドドとは走っているわけではなくて、ちょかかって感じだが、あの小動物的な大慌て感は絶品。世間知らずのフワフワした愛らしいおぼこお嬢さん感全開で、良かった。
しかし、お雪は激重女だと思う。いっそ殺してとか言い立てるのは浄瑠璃らしくて可愛いが、プレゼントが手作りオリジナルグッズというのがめちゃくちゃ重い。そして、その手縫いの帯が、権三の紋入り……まではよかったが、お雪の紋の黄色の花弁に緑の茎という裏菊の模様が派手すぎて、ヒッピー調になっている。高円寺にああいう格好の人おる。現実的には、小道具として客からよく見えるようにそうしてるんだろうけど、なんであれでいいと思ったのか、謎。そして、確かに紋臣さんのお雪には、あれをやらかしそうな狂気めいたおぼこオーラがあるのも怖い。コイツに手ぇ出したらド地雷やろ感があって、権三の脇の甘さが引き立ち、満足。

床の藤太夫さんは、のんびりとした枯淡な雰囲気があって面白い語りだったけど、お雪のセリフだけ妙に浮いていた。年増な人が無理に若作りしてるよう。藤太夫さんってこんな語り方の人だったっけ……???

本作、この段をはじめとして、文章上での権三やおさゐの容姿の美しさの描写がかなり手厚いが、ちょっとしつこく感じる。原作をいじってるからそうなっているんじゃなくて、原作からして、元々容姿描写が多い*1。一人遣いで人形そのものも素朴だった時代だからなのかな。現代だと、人形は出てきた瞬間当たり前に美しいのと、まず何より人形が美男美女の遣い方で演技されているため、いちいち言葉にしてそこまで言う必要はないと感じる。

それにしても、伴之丞〈吉田文司〉とおさゐパパ・岩木忠太兵衛〈吉田玉輝〉は配役が逆な気がしたが、どうだろう。

 

 

 

浅香市之進留守宅の段。
茶道の師範を勤める浅香市之進はその用で江戸に出張中。その留守宅では、彼の妻・おさゐ〈吉田和生〉が子供たちの世話や家の用事に忙しく立ち回っている。

この段とその次の数寄屋の段は、黒衣が非常に効果的だった。見た目がガチャガチャしないので人形の姿が明瞭になり、上手い人はより一層上手く見える。

奥のふすまを開けて、丁寧にツツっと入ってくるおさゐ。和生さんはやっぱり上手いと思った。芝居めいたところがなくとも、上品な奥様、しかも何人かの子供がいる人、かつ、自宅内(プライベート空間)での少しリラックスした振る舞いに、普通に見える。その自然さがやっぱりすごいんだなと思った。あの普通感、自然さというのは、驚異的なことだと思う。あと、美文字書きそう感がすごい。

清五郎さんの乳母がいい。乳母は年齢設定が原文と人形のかしらと各太夫の解釈ぜんぶバラけとるんちゃうんかと思うヤバい役だと思うけど、それを舞台に繋ぎ止める力があった。この「浅香市之進留守宅の段」では、応対に出たまん〈吉田簑太郎〉が小腰をかがめている姿勢なのに対し、乳母は一見シュッとした座り方ながら、しっかり腰を下ろして人んちの玄関にスッと座り込む、どこか図太いところが良かった。
あとは、棒(?)を持った虎次郎〈桐竹勘昇〉が、景清気取り(?)で仕舞風の所作をするのが可愛かった。頑張り感が能の子方っぽかった。

 

 

 

数寄屋の段。
夜更け。権三を娘の婿に定めたおさゐは、「真の台子」を彼に伝授するため、ひとり数寄屋の前で待っている。やがて権三が現れるが、そんな数寄屋へ、不審な2人(と超でっかい樽)の影が忍び寄る……。

冒頭部はおさゐの美しさが発揮される場面。庭の腰掛けに座るおさゐの、夜闇に映える白く端正な表情が美しい。じっと目を閉じたときの怜悧さが特に良い。単に人形の造形として目を閉じたときの顔立ちが良く作られているとか以上のものがある。

権三は、上手に設えられた門からノコノコやって来る。あの暗い中でもわかるクソヤバデザインの帯をして。ただ、この帯、権三役が勘十郎さんだったときは「ないわー(失笑)」と思ったのに、玉男様がお勤めになられると微妙にスリルがあると申しますか、「や、やらかしてしまう、かも……(ゴクリ)」な感じがあって、ある意味リアルだった。
玉男様権三には、あの地獄のようなデザインの帯を素で使ってしまうそこはかとないポテンシャルがある。あの隙、たまらない。私、玉男様のこと、本当に・心から・LOVEなんですけど、なんというか、こういうところも本当に・心から・LOVEというか、普通はありえないこの手の不思議な愛嬌をお持ちでいらっしゃるところが、私、玉男様のこと、本当に・心から・LOVEです。
でも、玉男さんの権三、抱きつきが情熱的すぎて、姦通を疑われてもしゃあない感が満々だなと思った。いや、あかの他人同士の抱きつきにしてはテンポがばっちりはまりすぎているのが、芝居だからこそのミラクル感を高めていて、良いんだけど。これくらいの勢いでいかないと、この話、成立しないよな。と思った。
ちなみに、玉男様権三は生垣に埋め込まれた樽をくぐるのがめちゃくちゃうまかった。みなさん、少し時間をかけて人形の形を整えながら潜っておられたのだが、権三は樽の手前で一旦ゲンゴロウ風のポーズを取って長く平たくなったのを客に見せてから、シュワッ!と素早く樽へ入っていた。なぜそこが人一倍巧い。ますます玉男様が好きになった。

この、アホ2人組が持ち込む、生け垣にトンネルを作るための樽、ほんと良すぎる。人形のサイズに対して樽のサイズが妙にどでかいのが最高に可愛い。下人〈吉田玉翔〉が頑張って肩にかかえているのも良い。そして、樽をくぐって外と数寄屋の庭を行き来するのに、人形と一緒に人形についている3人(の人形遣い)ががんばってくぐっているのがもうほんと良い。そのがんばり感が愛らしすぎて、違う効果を生んでしまっている。これもある意味この演目最大の見所だと思う。

あと、よく見ていると、数寄屋の部屋の奥に、小道具の行燈が置いてあるのが細かい。

 

 

 

伏見京橋妻敵討の段。
国元を逃れて彷徨うおさゐと権三は、京都伏見でついにおさゐの夫・浅香市之進〈吉田玉佳〉と出くわしてしまう。

陳腐感がすごい段。盆踊りとかの場を盛り上げる演出は全然いいんだけど、おさゐと権三の死ぬ順番を原作通り、権三→おさゐにしてくれ。こんなわざとらしいことしたら、つまらんでしょ。あの展開、溝口健二監督の『近松物語』が「なんでその内容で近松名乗ってんねん」というのと同じモヤモヤを感じる。

だけど、このシーンの玉男さん権三の「こいつ疚しいとこあるな、確実に」オーラによって、原作と展開を変えているがこその効果は上がっていた。あとは、まあ、おさゐの浴衣姿が綺麗だからいいか……。と思った。

内容と全く関係ない話で申し訳ないが、浅香市之進役の玉佳さんがめちゃくちゃ血色良くなっていた。市之進の人形も血色いい(?)ですけど、玉佳さんが。なんかめっちゃツヤツヤになってはる!? と思って、思わず人形じゃなくて玉佳さんを見てしまった。今後もツヤをキープして欲しいと思った。浅香市之進自体は、寡黙さの中に万感の思いが込められていて、とても良かった。

ところで冒頭に出てくる「踊り子」という役。娘のほう〈桐竹紋秀〉が本当に楽しそうに踊っているのがよかった。高校生カップルの女の子が、彼氏との盆踊りデートが嬉しくって仕方ないという感じ。人形自身が心から楽しげに踊っている雰囲気なのがとても良かった。失礼ながら、いてもいなくても同じ役のはずなのに、ここで突然物語に精彩が出ていて、意表を突かれた。こういうのをきちっとやるのってすごいし、踊りがちゃんと三味線に合っているのがすばらしい。紋秀さんは以前の大阪公演もたしか同じ「踊り子」役だったので、踊りのマスター度が高いのかもしれない。

床は、おさゐ=三輪さん、権三=芳穂さん、市之進=小住さん。芳穂さん小住さんは若くシッカリした雰囲気で良かった。三輪さんも華麗で線が細い感じがいかにもおさゐらしくてとてもいい。……んだけど、ほかの人たちとテクニックの方向性が全然違うので、激浮きしていた。まったく作風・絵柄の違う漫画家が合作しているようで、謎の配役と化していた。
それにしても、床の合唱になるところで、高音がキャンキャンしてしまっている人がいたのがかなり聞き苦しく、辛いものがあった。単に高音を出せていないタイプとは違って、客席にどう聞こえているかを客観的に理解できていないんだろうなと思った。

 

  • 義太夫
    浜の宮馬場の段=豊竹藤太夫/竹澤團七
    浅香市之進留守宅の段=竹本織太夫/鶴澤藤蔵、琴 鶴澤清允
    数奇屋の段=豊竹咲太夫/鶴澤燕三
    伏見京橋妻敵討の段=おさゐ 竹本三輪太夫、権三・踊り子 豊竹芳穂太夫、市之進 竹本小住太夫、甚平 豊竹亘太夫、踊り子 竹本碩太夫/鶴澤清友、竹澤團吾、鶴澤友之助、鶴澤清公
  • 人形配役
    女房おさゐ=吉田和生、笹野権三=吉田玉男、娘お雪=桐竹紋臣、お雪の乳母=吉田清五郎、川側伴之丞=吉田文司、岩木忠太兵衛=吉田玉輝、浅香市之進=吉田玉佳、岩木甚兵衛=吉田玉彦、奴角助=桐竹亀次、倅虎次郎=吉田簑悠/吉田玉征/桐竹勘昇、娘お菊=吉田玉峻/吉田玉延、下女まん=吉田簑太郎、下女お杉=吉田和馬/吉田簑之、下人浪介=吉田玉翔、踊り子(娘)=桐竹紋秀、踊り子(源太)=吉田文哉

 

 

 

第二部はベテランが多数出演しているためか、上演のクオリティが高く、ブランクを感じさせることはなかった。演目からくる「これはこんなもんでしょ」感はあっても、見応えや味わいは休演前と変わらないと感じた。「いつも通り」の文楽、な感じで、特別感がないのが良かった。

人形、今回は、最初の「浜の宮馬場の段」と最後の「伏見京橋妻敵討の段」が人形出遣い、中間の「浅香市之進留守宅の段」「数寄屋の段」は黒衣だった。以前大阪公演で出たときは、すべて出遣いだったと思う。
個人的には、すべての段が人形黒衣でいいと思った。今回は人の出入りが激しくゴチャゴチャする段を黒衣にする意図だろうけど、最初と最後も、出遣いだから華やかという話でもないから、黒衣で統一したほうが見やすいように思った。

和生さんのおさゐの上品な美しさには非常に満足。先述の通り、自然な雰囲気がとても良かった。和生さんがいなかったら、この演目、上演できないと思う。(いや、おさゐ役は勘彌さんにもやって欲しいけど)

権三は前回鑑賞時の勘十郎さんから玉男さんへ配役が変わったが、やはりなかなか難しい役だなと思った。事態がもうどうしようもなくなってからパキッと切り替わる湿度と情熱のある演技は、玉男さんの演技としてはとてもよくて、感じ入るものがあった。おそらく、伴之丞が二人の帯を持って走り去った時点で、権三とおさゐは「この社会から致命的に踏み外した」という点で、この世で頼るものがお互いしかいない特別な関係となったという解釈だと思うけど、ただ、話自体にほころびが多すぎて、客としてそこに集中できなかった。浄瑠璃自体の問題だと思う。逆に、この話の完成度が高くて、もし権三に出世欲がもっとあり、思わぬミスやもうちょいまともな(?)脇の甘さで破滅するのなら、勘十郎さんは権三にものすごい適役だったと思う。

床は、段によって不安定さがあり、それがクリアされなかったのが気になった。前半休演されていた咲さんは思ったよりお元気そうで安心はしたんだけど、やはり一段体力が持たなくなってきているんだろうなと感じた。最後の肝心のところに力を残すためだろうけど、真ん中らへんのところがちょっと音量下がりすぎか……。あとは、その登場人物、さっきと喋り方(音程)変わっちゃってるよね、とかの謎のバラつきが散見される段があったのも気になった。

 

 

 

『大経師昔暦』とかもだけど、近松の世話物って、ツッコみはじめると止まらない。話を構成する道具立ては面白いんだけど、肝心なところの謎のツメの甘さが気になる。いざ重要な展開となったときにそれが発揮?されるため、やたら気がそれる。客席が微妙な空気になって、終演後のロビーで、お客さんが「え?どういうこと?」と話しているのも、面白くて実は好き。後世の浄瑠璃のツッコミどころ(ほうれんそうをちゃんとしろとか)とはまた違ったベクトルの雑さを感じる。初演リアルタイムの頃は、観客や出演者はこれを変だと思わなかったのかな。当時の戯曲や物語等が全体的に「こんなモン」だったのか、それとも、一人遣いの素朴な人形だと、これくらい雑でも違和感ないのかな。

おさゐが権三をどう思っていたのかが不明瞭でモヤモヤするというのは、現行の構成によるもののような気がする。
本作は戦後の復曲物で、昭和30年(1955)6月、四ツ橋文楽座で因会が原作をアレンジして復活したものを、引き続き現在でも上演している。
いま上演されているのは、原作のすべてのストーリーのうち、前半部分+ごく末尾部分。近松原作を読むと、二人が数奇屋から出奔した後、おさゐの実家で両親が、品行方正だった娘が突然不義を犯したことを大きく嘆く段がある。そこを上演していないことによって、「話をどう受け取ればいいか」が意味不明になっているのだと思う。あそこがあると、おさゐの明瞭にならない言動そのものに、ある程度の物語上の必然性が出てくる。「なぜあの真面目な娘がそんなことをしたのか全然わからない」というおさゐ父母の思いに感情移入でき、親目線で物語を受け取れるのだ。原作としてはそこがかなりの眼目だったのではないか。
また、おさゐの夫・市之進が事態をどう思っているかも、この段で察せられるようになっていて、現行の状態でも、人形の演技はこの段の内容を踏まえてやっている。

でも、そこを完全にカットしておさゐの話に振り切り、現代的解釈として恋愛物っぽく見せているのが、昭和30年の復活時の最大の工夫だったんだろうなと思った。

個人的には、お雪の乳母、権三やおさゐに対して筋を通せとギャンギャン騒ぎ立てるわりに、そもそもなぜお雪を権三と密会させたのか、そこに言動の整合性がないのがかなり気になるな。権三を婿として引き込むことによって乳母に何かメリットがあったのか?

権三の、出世欲があるわりに脇が異様に甘いという言動は、もう、人物像として成立してないよなあと思った。「公人としては一見優秀だが私人としてはヤバい人で、時折それが公人としての一面にも表出する」ならわかるけど、どっちもグチャグチャでは、ちょっと。

展開が無茶な浄瑠璃は後世にもいろいろあるけど、物語上の技巧で無理が出てきているのではなく、素朴な構成のもので展開に変なところがあると、かなり気になる。

近松の改作もの、詞章をいじっているという理由でよく叩かれているが、言いたいことはわかるけど、原作通りの詞章で上演したところで良くなるわけじゃないだろうなーという点がいつも気になる。客は文章そのものを聞きに来ているわけじゃないし、少なくとも、原作通りの文章で上演しても、おもしろさがアップすることはありえないとしか思えん。そしてなにより、見やすいように改作したところで、「これくらい」にしかならないというのも、なかなか根が深いなと思った。

ただ、現在のいわゆる「新作」の微妙さを考えると、松之輔はちゃんとしとるっ!!!!!と思う。いわゆる「新作」よりは確実に面白いのと、まずなにより、客の期待する「文楽」感に応えていると思う。曲の聞きどころ設計がしっかりしているというか。三味線が主導して新作を作っていた時代の良さだろうなと感じる。

↓ 参考 2017年11月公演で観たときの感想。あらすじもこちら。

 

 

 

第二部は、公演中止になった初日のチケットを取っていた。

当日は通常通り開場していたが、開演5分前のブザーやアナウンスがなく、緞帳が降りたままになっていた。それでも文楽のお客さんは気立てがよいので着席していたのだが、開演時間を過ぎてもはじまらず、客席は「遅れているのかな……?」とソヨソヨしはじめていた。しばらくすると国立劇場のスタッフの方が出てきて、舞台関係者の中に微熱ではあるが発熱者が出たため、これからPCR検査を行うことになった、時勢上万全を期したいため、急遽ながら公演中止とさせて欲しい、検査の結果待ちをするので、本日この後の部もすべて中止になるという説明がされた。

文楽、まれーーーに開演が押すので、開演しないのはそういうことなのかな、久々の公演再開だしなと思っていたが、開演時間になってから急遽中止というのには驚いた。3月の地方公演や4〜8月の本公演の中止以上に、大きなショックを受けた。

客席どよめきが起こっていたが、騒ぎ等になることはなく、みんなじっと静かに聞いていた。ここまでの緊急ではないにせよ、どの人も、内心、こういうことが起こり得ると思っていたのだろう。説明してくださった方の口調からすると判断が相当に微妙なラインでの決断で、また、発熱者が技芸員ではないことが伺われたからというのもあるかもしれない。客以上に焦っていたのは国立劇場で、高確率で起こりうるこういう緊急事態に備えていなかったのかとも思ったが、完売している初日の第二部で、しかも客を入れてしまった状態でこんなことが起こってはやむをえないとも思った。本当に申し訳なさそうだった。

スタッフの方が客席をまわり、払い戻し手続き用の連絡先を記入する用紙を配ったり、補足説明を行ったりしていた。スタッフの方に絡んだりしている人もおらず、質問をする人も、「チケットを技芸員さんに取ってもらったんですけど、自分の連絡先書いておいたほうがいいですか?」等のそりゃそうだ的疑問を確認しているくらいだった。ロビー混雑を避けるため順次退出して欲しいと案内がされたが、とくに誘導がなくとも、みんな、自分で周囲の様子を見つつ、ゆっくり出ていった。

客席に混乱がなかったのは、初日なのでお客さんは文楽・心から・LOVEな人が多かったのが幸いしたと思う。仕方ないね……😢って感じだった。(しかし会場にいる客より先にWebで中止発表してたのには、会場出てからネット見てオイオイと思った)

翌日夕方、検査結果が陰性だったため、3日目から公演が再開されることが告知された。ひとまず、休演は初日の第二部〜四部と2日目のみで済んだ。

今後の公演はどうなっていくのだろう。文楽は技芸員にも客にも高齢者が多いので心配というのと、不安定な開催状況自体が心配というのが両方ある。世の中自体はもろもろ緩和が進んでいるけど、どうなるか。現在、客席での 発声のない舞台は全席入れて上演可能になったようだけど、国立劇場系列は少なくとも年内は減席でいくようだが。地方公演、錦秋公演、12月公演は、全日程幕を開けられるよう、願うばかり。

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*1:ただし「浜の宮」の権三の描写は、原作では2つの段にわたって描かれているものを1つの段に集約しているので、さらに繰り返し感がある状態になっている