TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

メモ 戦前歌舞伎映像上映 『紅葉狩』赤染色版の発掘と林又一郎コレクション―初代中村鴈治郎をめぐるフィルム群 国立映画アーカイブ

f:id:yomota258:20220601141516j:image

国立映画アーカイブの上映企画「発掘された映画たち2022」で、「『紅葉狩』赤染色版の発掘と林又一郎コレクション―初代中村鴈治郎をめぐるフィルム群」を観た。国立映画アーカイブでたま〜にある、古典芸能関連の貴重映像上映だ。

今回は、『紅葉狩』の赤染色フィルムを個人蔵している方からフィルムを借用し(寄贈?)、既存のフィルム(日活版)とつなぎ合わせて最長版を作成したというのが目玉。しかし、『紅葉狩』自体はみんな見たことあるので、来場者の目的は“林又一郎コレクション”17本のほうだろう。

コレクション名に冠されている林又一郎(二代目)とは、初代中村鴈治郎(1860-1935年)の長男。映画会社の企画等で撮影されたものではなく、彼が個人的に初代鴈治郎の出演公演をはじめとした当時の歌舞伎舞台やオフの様子を撮っていたというものだ。初代中村鴈治郎の舞台姿を写した彼のフィルムを編集したものとして、松竹大谷図書館が所蔵する『初代中村鴈治郎 舞台のおもかげ』が知られていたが、今回上映されたのは、その原版にあたるもの。国立映画アーカイブの研究員の方が古書店で売られているのを偶然発見して購入、同館に寄贈。発見者の方が以前早大演劇博物館に勤務されていたということで、その縁で歌舞伎・映画ともに詳しい同館副館長・児玉竜一氏に調査を依頼。発見された全51本のうち、今回は17本を選んで上映することになったという。松竹所蔵物にはないものが含まれているのが貴重で、初代鴈治郎にはその12役を撮ったフィルムがあったと言われるが、11が発見されており、あとは「吃又」がない状態とのことだった(『初代中村鴈治郎 舞台のおもかげ』を観たことがないので、このあたり詳細よくわからず。今回で11役まで補完できたということ?)。

上映は合計で約120分あり、サイレントで、かつ、国立映画アーカイブのお客さんは歌舞伎に慣れていないであろうからか、児玉竜一氏の実況解説付き(活弁にあらず)で上映された。
それぞれの演目のあらすじなどはカットし、いま舞台に出ている役が何で役者は誰かという点と、場面の端的な説明のみ(具体的にどういう所作をやっているのかと、当時のその役者の評価はどうであったか等)で進行。ところどころ、簡単に清元や義太夫の詞章、セリフなどを児玉先生が吹き替えて(?)くれた。
上映中にずっと説明されるとうっとおしいかなあと思っていたけど、そうでもなかった。私が見たのは2回目の上映だったが、1回目の上映後に来場者から情報提供があったそうで(あそこに写っていたのは誰々では等)、2回目の上映ではその情報紹介もあった。詳しくは今後、精査の材料にするとのことだった。

今後再上映される機会もそんなにないと思うので、簡単に内容をメモ。歌舞伎はよくわからないし、その場のメモのみで補足の調べ物などはしていないので、間違っていたらすみません。

上映作品

 

 

 

1. 紅葉狩[デジタル復元・最長版]

7分/35mm/16fps/無声/染色
1899年(明治32年
出演:九代目市川團十郎、五代目尾上菊五郎 撮影:柴田常吉
原版協力:本地陽彦

  • 正直、これまでによく見ていたものから、どこが増えてるかわからん。(正直すぎ)
  • 修復に関しては、「今回新発見の赤染色に合わせ、既存版から入れ込んだ部分にも着色処理をした」「画面の明滅は原版の雰囲気を残したままに修復した」というのがポイントのよう。確かに明滅が残っているのは良い。
  • 歌舞伎座の舞台を写した」とよく言われるが、実際には歌舞伎座の裏の空き地で自然光で撮っているとのこと。
  • 可燃性フィルムは赤は映らないので、赤い衣装の人物は色が潰れて黒くなっているようだ。
  • 後見が肩衣をつけていた。

 

 

2. 鳰(にお)の浮巣

2分/35mm/12fps/無声/白黒
1900年(明治33年)
出演:初代中村鴈治郎、嵐鯉昇/撮影:土屋常二

  • 木漏れ日が差す森の中の小径を、何人もの花魁が禿などを引き連れ、道中している。それを見物していた旅の男?が執拗に覗き込んで、追い払われる。いぬが出てきて、男にまとわりつく。という内容。
  • カメラに向かって歩いてくる花魁の衣装の豪華さが素晴らしい。最後、カメラ前ぎりぎりで上手に曲がるのだが、本当にカメラにぶつかるくらいの超寄りになるので、細かい刺繍なども見える。花魁の衣装はどんどん豪華になっていき、最後の人は孔雀の羽のようなフサフサがついていた。しかし、森の中のロケと全然マッチしてなくて、謎すぎる。実際に舞台でかかった場合は、どういうシチュエーションなんだろう?
  • 花魁の付き人は、「さぼってんだろ」という表情で、良い。
  • そして、ぶちいぬ(中に人が入っている)、良すぎ。

 

 

3. 河庄[心中天網島

5分/35mm/11fps/無声/白黒
1925年(大正14年)6月 中座
出演:初代中村鴈治郎、七代目市川中車、初代中村魁車

  • 冒頭、鳥屋口から撮った花道からの治兵衛の出が入っている。「魂抜けてとぼとぼと」の部分。映像が暗く、どういう状況なのか言われないとわからないレベルだが、当時「頰かむりの中に日本一の顔」と絶賛された鴈治郎の治兵衛の出を記録したいということで撮られたか。
  • 以降、本舞台下手袖からの撮影で、治兵衛が河庄に忍んでくるところ、格子にくくられる部分、助けてくれた孫右衛門にthanksしてたらオニーチャンだったビックリというところ、小春を叩こうとするところ、ショボーンと羽織をかぶるところ、孫右衛門に髪を直されて小春の櫛やーんと櫛を投げるところが入っている。
  • 同じシーンが2回アングル違いで重複しているので、2回撮影しているのか、カメラ2台で撮っているのか。
  • 河庄の屋台の影で治兵衛がカサコソするのが、ショボくてかわいい。孫右衛門はわりと堂々としている。
  • アングルが特殊で、屋体を入口側から撮っているため普通の家屋の映画セット風に見え、映画のような写実感がある。最近文楽しか見ていないので、大道具の立派さに驚き。
  • というか、そもそも、戦前の歌舞伎の舞台写真を見ると、全般的に大道具が写実風にリアルな気がする。一方、文楽は、大道具の雑さにキレ狂っている劇評が散見される。いまとは大道具に対する感覚が違っていたのだろうか。

 

 

4. すしや[義経千本桜]

1分/35mm/11fps/無声/白黒
1930年(昭和5年)10月 中座
出演:初代中村鴈治郎、四代目片岡我童(十二代目片岡仁左衛門

  • 鳥屋口から舞台に向かっての撮影。かなり遠い。
  • 後半、鉢巻をしめた権太が駆け出るところ。一旦花道に出てから、鮓桶を取りに戻り、また駆け出す。お里は本舞台でモゾモゾしているが、遠すぎてよくわからず。
  • 権太の動きはマラソンランナーみたい。スタッスタッスタッと走っていく。

 

 

5. 勧進帳

1分/35mm/11fps/無声/白黒
1931年(昭和6年)2月 中座
出演:初代中村鴈治郎、七代目松本幸四郎

  • 冨樫が出て番卒が並んでいるところ、義経一行と冨樫が押し合いになるところ。
  • 舞台上手袖、下手袖からの撮影。
  • 押し合いになるところは、剛力多すぎて、正直よくわからん。

 

 

6. 封印切[恋飛脚大和往来]

4分/35mm/11fps/無声/白黒
1928年(昭和3年)3月 中座
出演:初代中村鴈治郎、初代中村魁車、四代目中村福助(三代目中村梅玉

  • 下手袖からの撮影で、裏庭(賃座敷)で梅川と話すところ。客席後方、正面からの撮影で、2階から走り降りてきて八右衛門に文句をつけ封印を切るところ。
  • 賃座敷の場面は回舞台が動いている(?)ためか、移動撮影かのように見える。
  • 肝心の封印切りは、カメラが遠いため、ややわかりづらい。封印は、先に刀で紙を切っていた。ボソボソの映像だが、よーーーく見ると小判がこぼれるのがわかる。ちょっとずつ落とすやり方。

 

 

7. 盛綱陣屋[近江源氏先陣館]

18分/35mm/11fps/無声/白黒
1928年(昭和3年)6月 中座
出演:初代中村鴈治郎、二代目実川延若、四代目市川市蔵、林長三郎、林敏夫

  • 凱陣で小四郎を連れて帰ってくるところ、和田兵衛が来るところ、盛綱が思案するところ、微妙と話すところ、篝火や早瀬が来るところ、首実検。
  • 主に上手袖からの撮影。
  • 盛綱が縁側に出て、下に間者が潜んでいないか床をトントンする仕草が、初代鴈治郎の「写実」らしい。
  • 首実検では、回り舞台で千畳敷のすごいセットがあらわれる。陣屋なのに。また、夜のシーンであることを表現するため、舞台前方客席側に蝋燭の灯りが出ており、盛綱も手燭を掲げて実検する。これも当時流の写実味?
  • 和田兵衛が堂々としすぎていてすごい、そこが一番すごい。今回上映されたものの中で、一番迫力があった。勇壮で、本当にすごい。

 

 

8. 実盛物語[源平布引滝]

8分/35mm/11fps/無声/白黒
1928年(昭和3年)7月 神戸八千代座
出演:初代中村鴈治郎、七代目市川中車

  • 実盛物語のところ、腕が生まれた!のところ、瀬尾が小万を蹴って太郎吉に刺されるところ、実盛が太郎吉に大人になっての再会を約束するところ、実盛が太郎吉を馬に乗せてあげて舞台を一周するところ。フィルム編集の問題なのか、順番がやや乱れているようだった。
  • 実盛物語は上手袖からの撮影。カメラがあまりにも寄りすぎで、ちょっと笑ってしまう。腰から上を真横で撮影しているかのような状態。それにしても動きが早い、ばたばたしている。実盛ってそんなに一生懸命語ってたんだと思った。
  • 生まれた腕を見た瀬尾のリアクションが薄い。実盛のほうが驚いていた。文楽の瀬尾が驚きすぎなのかもしれないが……。
  • 小万(の死体)は、歌舞伎だと本当にずっと転がっているのか? 転がっている位置が地べたというか、屋体の中じゃないと思うんだけど、歌舞伎だとそうしているってことなのか。上手のキワにいるように見えて、なんかすごい位置に転がっているなと思った。
  • 実盛が乗る馬は、映像がガサガサなこともあって、本物の馬のように見えて、面白かった。

  • このあとに、『安宅の関』(『鳴響安宅新関』と説明されていたかも)がオマケで少しだけ入っていた。『勧進帳』の踊りがなく、台詞劇になっている活劇風のものということだが、現在は上演されていないそうだ。レコードが残されており、そこからは上演されていた当時の迫力ある舞台が感じられるとのこと。

 

 

9. 土屋主税

3分/35mm/11fps/無声/白黒
1933年(昭和8年)3月 大阪歌舞伎座
出演:初代中村鴈治郎、七代目松本幸四郎、十五代目市村羽左衛門

  • 女中お園がなんかするところ、討入中の隣から人が来るところ。(観たことないからわからん。あいまいすぎてすみません)
  • 客席2階(?)後方から、かなりロングでの撮影。
  • 映像状態の悪さからか、雪の粒がいまよりも細かく見える。本当に粉雪が降っているようだった。
  • 客席にものすごく盛り上がっている方がいて、幕が下りたときにバンザイしていた。なぜバンザイ。確かに今でも、頭上で拍手してる人、いるが。パワーある。

 


10. 寺子屋[菅原伝授手習鑑]

1分/35mm/11fps/無声/白黒
1933年(昭和8年)6月 大阪歌舞伎座
出演:初代中村鴈治郎、六代目尾上菊五郎、六代目大谷友右衛門

  • 首実検で(おそらく)蓋を閉めたあとの部分、松王丸の2回目の出の部分。 
  • 舞台袖上手から撮っているため、上手で監視している玄蕃は取り巻きの組子に隠れて見えなくなってしまっている。
  • シャープな雰囲気の源蔵。でも短すぎてよくわからん。

 


11. 山科閑居[碁盤太平記

1分/35mm/11fps/無声/白黒
1933年(昭和8年)6月 大阪歌舞伎座
出演:初代中村鴈治郎、林長三郎(又一郎)、六代目尾上菊五郎

  • 客席2階からかなりの引きで撮っている。
  • 観たことないからわからんが、主税が下男を刺して屏風の影に隠す場面らしい。遠すぎてよくわからなかった。

 

 

12. 乗合船恵方萬歳

1分/35mm/11fps/無声/白黒
1933年(昭和8年)6月 大阪歌舞伎座
出演:林敏夫

  • 舞台正面からの撮影。幕前での娘の踊り子の踊り。
  • いわゆる『乗合船恵方萬歳』の内容ではないらしい。現行では出ず、昔、状況によって冒頭につけられていた「三面子守」ではないかとのこと。

 

 

13. かさね[色彩間苅豆]

6分/35mm/11fps/無声/白黒
1931年(昭和6年)6月 中座
十五代目市村羽左衛門、六代目尾上梅幸、五代目清元延寿太夫

  • ここから新出フィルム。
  • 鎌が刺さったドクロが卒塔婆に乗ってドンブラコしてくるところ。かさねがドクロ(与右衛門に殺された父)の呪いで足が悪くなって、顔が崩れるところ。与右衛門がかさねを殺そうとするが、死なない場面(ここが長い)。下手袖からの撮影。
  • かさねは長身でそのまんま立つとデカすぎのため、小柄に見せるよう、少しかがんで演技をしている。横からのアングルなので、かがみの姿勢がよくわかる。正面から見ると「ちんまり」して見えるのかな。
  • 上記の要因もあるのかもしれないが、正直なところ、横から見る演目じゃないなという印象だった。かなりバタバタして感じられる。
  • 上手に並んでいる清元が結構はっきり写っている。三味線の手元が見えるので、役者の動きは曲に合ったものになっていることがなんとなくわかる。

*末尾につけているYoutubeに少し映像あり

 

 

14. 春興鏡獅子

9分/35mm/11fps/無声/白黒
1933年(昭和8年)6月 大阪歌舞伎座
出演:六代目尾上菊五郎

  • 娘の踊り(長さとしてはこちらがメイン)、獅子の精の踊り。
  • 客席後方(2階)、中央付近だが、やや上手/下手に振ったアングルからの撮影。
  • ものすごい人数の長唄連中が後ろに並んでいる。同じ演目を撮った小津安二郎作品(『新歌舞伎十八番之内 春興鏡獅子』)は海外向けに撮っているため、長唄は並んでいない。今回の上映フィルムは、舞台そのままの映像として、貴重なもの。
  • 毛振りは現行より短く、さらっとしている。サイレントなので拍手などがどうなっているかはわからないが、役者の個性(考え)として自分のペースでやり、さっと切り上げていたのか、それとも時代を下るにつれ、どんどん長くなってきているということなのか。

 


15. 狐火[本朝廿四孝]

5分/35mm/11fps/無声/白黒
1929年(昭和4年)1月25日 朝日会館
出演:初代中村扇雀(二代目中村鴈治郎)、初代中村鴈治郎

  • 人形振り。八重垣姫が奥庭で嘆くところ、きつねが寄ってくるところ、兜を持って池水に姿を映すところ、狐が乗り移るところ、段切に決まるところ。
  • 舞台下手袖というか……、客席下手側最前列から撮ってないかこれ?
  • 初代鴈治郎はきつね、人形遣い役。きつぬい(きつねのぬいぐるみ)が白ではないようだった。記事の冒頭につけた画像がこの「狐火」のきつねの出のところ(国立映画アーカイブYoutubeより)なので、ご参照いただきたい。どう? どうにもこんがり感があり、茶色なのではないか。そのへんの野生のきつねに見えてかわいい。きつぬいの動き(なんかしらんけど振り返る、カイカイなど)は、現行文楽に近い。初代鴈治郎文楽に籍をおいていたこともあった(本当か、形だけかは不明)ということだが……?
  • 白黒フィルムのため、衣装の色が不鮮明で、八重垣姫が引き抜きをしたかどうかがわかりづらい(間違いなくやっているんだけど)。人形遣いも途中で引き抜きによって出遣い扱いになる。その引き抜きはわかる。
  • ところで八重垣姫、これが二代目中村鴈治郎になるの? この美女があの温泉卵みたいなおじさんになるとは、驚き。
  • 下手アングルでの撮影部分では、舞台上手に竹本が並んでいるのが見える。のび上がっていた。

*末尾につけているYoutubeに少し映像あり

 


16. 新口村[恋飛脚大和往来]

3分/35mm/11fps/無声/白黒
1932年(昭和7年)10月 大阪歌舞伎座
初代中村鴈治郎、四代目中村福助(三代目中村梅玉)、中村章景

  • 新口村の入り口を経て忠三郎の家の前までくるところ、孫右衛門と二役なので忠兵衛がセリで一旦下がるところ、孫右衛門の出、段切に追手の中を逃げていく2人を見送る孫右衛門。
  • 下手袖からの撮影のようだが、かなりの寄り。もしかして部分的には下手客席最前列あたりから撮っているか?
  • 最後、忠兵衛と梅川が落ち延びていく様子は、遠見の子役で演じられている。孫右衛門の周囲には巡礼(八右衛門?)がいる。巡礼との立ち回りが入っているパターンでの上演か?
  • 忠兵衛・孫右衛門を一人で早変わりして演じる演出のため、前半に、鴈治郎がすっぽんで引っ込む様子が映されている。舞台稽古なのか、穴の上から覗き込むという超特殊なアングルの映像になっている。引っ込み際の「イエイ!」って感じのスマイルが良い!
  • 竹本は6人いる。
  • 個人的に「新口村」の演出史に興味があるので、もう少し長く見たかった。

 

 

17. 初代中村鴈治郎後援会「林会」のホームムービー 松茸山

4分/35mm/16fps/無声/白黒
1926年(大正15年)頃
出演:初代中村鴈治郎、林長丸 他

  • ここから舞台映像ではなく、いわゆるホームムービー。
  • 松茸山とは何か? 松茸がいっぱい生えている山のことです!
  • 後援会「林会」の人々との松茸狩りや、それを屋外でそのままお鍋にする松茸鍋パーティ、レクリエーションの様子が写されている。
  • かごにデカまつたけが超山盛りになっていた。野生の松茸ってこと? 昔はこんなでっかい松茸がにょきにょき生えていたんだなと思った。そして、納涼床のような、紋入り幔幕を張り巡らせた場所で松茸鍋パーティーをしていた。
  • ごはんのあと、変なゲーム。足首を縛って、野原の斜面をぴょんぴょん下るというもの。役者らしい人はすごい速さで活発に動き回っているが、番頭らしい人は動きがモッサリしていて、良かった。
  • 長谷川一夫(当時林長丸)が少し写っているのだが、イケメンすぎて爆笑。顔が整いすぎなのはもちろん、「あ〜〜〜〜〜〜〜〜、こういう人、いまでも文楽劇場の近くの場外車券売り場にたかってはりますわぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」って感じのオッチャンたちに混じって、ハンチング、ブーツというぶっちぎりのオシャレファッション。絵にあるような殿御のおいで♪だった。
  • みんな笑っていて、とても楽しそう。舞台の笑顔とは全然違う、本当に良い、心からの笑顔。とても素敵な、心洗われるような映像だった。

 

 

18. 初代中村鴈治郎後援会「林会」のホームムービー 若草山

3分/35mm/16fps/無声/白黒
1926年(大正15年)頃
出演:林長三郎、初代中村扇雀

  • 若草山とは何か? こちらはそのまんま、奈良の、鹿がいっぱいおる、あの、若草山です!!
  • 冒頭は東大寺参りの風景。入り口の雰囲気は今も変わらず。
  • それにしても、うろついている鹿がでっかい。奈良公園の鹿は戦前からデカかったのか。てっきり、戦後日本の経済成長によって食糧事情が改善し、人々の体格が向上したように、鹿も高度成長期のおこぼれ頂戴で巨大化したのかと思っていた。あの体格で突撃されたら、戦前の人は負けそう。
  • 芸者さんらしい女性がたくさん写っている。芸者さんたちは串こんにゃくを食いまくり、笑いまくっていた。屋外で鍋を沸かしていたが、いまでいうバーベキューパーティーの感覚なのか?
  • 今回のゲームは、芸者さんの旗取り競争。メンズは、芸者さんが持ったうちわの上のパン(?)を食べる競争をしていた。
  • こちらの映像も、みんな笑っていて、良い。楽しそう。今こんなイベントやっている後援会もそうそうないだろうが、こういうレクリエーション、行きたい。

 

 

19. 初代中村鴈治郎葬儀の記録

24分/35mm/14fps/無声/白黒
1935年(昭和10年)2月6日 大阪常国寺
出演:林長三郎、初代中村扇雀、中村芳子、林敏夫

  • 最後は、初代鴈治郎の葬儀の様子をとらえたもの。
  • お通夜と告別式の映像が順不同でつながれている。
  • 「常国寺は文楽劇場を出て左に行き、坂を登りきったあたりです」という解説があったが、東京でこの解説はすごい。文楽劇場が大阪にあること自体知らないお客さんも多いのでは。
  • いまでも常国寺にお墓がある。
  • お寺の参道に並ぶ花、花、花。参道が狭くなるほどの献花。豪壮な飾りは、言い方はあれだが、昔のヤクザ映画の葬式のシーンのよう。
  • 参列者は、男性はモーニング?と紋付の人が多い。女性は柄入りの着物や洋装スーツが多い。女性弔問客は花柳界の人、女優などが多いからかもしれないが、かなり派手な格好の人も多く、昔は告別式でも自由な服装で来ていたんだなと思った。
  • 祭壇に床本の形の備えものが置かれている(映像では本物の床本にしか見えない)。一瞬しか映らないので文字は読めなかったが、十種香の詞章をもじったものが書かれているらしい。
  • 政財界、医療界の著名人が多数映っている。文楽からは鶴澤友次郎の献花が出ているが、本人は舞台出演中で参列していない。上方歌舞伎界の人は同様に舞台出演都合で出られなかったらしく、あまり映っていない。
  • 未亡人には看護婦さん(「看護婦さん」としか言いようがない、膨らんだ帽子にパフスリーブの服装)が2人ついてくる。亡くなる直前まで手を尽くしたという意味。
  • 参列者へのお土産のみかん、パン、おこしが山積みになっている。直持ちして帰ってもらってたのか!? おこしは今もある、あみだ池大黒のもの。
  • 白木の霊柩車を使用している。車で葬儀を行うというのがモダン。前年に亡くなった役者は違った。
  • 出棺のときなど、道路に野次馬がめちゃくちゃいる。まじで野次馬(悲しそうな人はあまりいない。大半が、「え?え?今なにしとるん?見えへ〜〜ん!」みたいなツメ人形ムーブ)。あまりに人がいっぱい集合してしまっているからか、警官が警備している。
  • お棺を持つのは弟子さんたち。膝当て(上使とかがつけてるやつ)のある、ちょっと芝居衣装風の出で立ち。喪主、遺族は白装束の裃。
  • 食満南北筆による看板がいろいろ登場する。味のあるいい文字。

 

 

 

いずれも数分の短いサイレントの映像で、状態も必ずしも良好とはいえないが、当時の演劇界をとらえた映像として、大変興味深いものだった。むしろ、モノクロでサイレントだからこそ、想像力を刺激する夢のような世界が映し出されていた。

全般的な特徴は、関係者撮影ならではの特殊アングル。舞台袖から撮っているものが多く、真正面でない、関係者しか見ることのできない「覗き見」風のアングルが魅力的だった。揚幕を解放してカメラを向けているように思うものもあるが、いつ撮っているのだろう。舞台稽古とも思うが、人が入った状態の客席が写っているものも多い。客席の人々は、役者が花道に出てもそんなに振り返ったりしてないようだったが、当時はそんなもんだったのか?
また、舞台袖から撮っている場合、そのまま回り舞台を回すと、目の前を大道具が通り過ぎてゆくことになるので、カメラがあたかもパンしているように見え、迫力があった。
いかにも関係者撮影ならではのショットとしては、幕が閉まったあとの様子が捉えられていること。幕が閉まった瞬間に役者へ人が寄ってきて片付けが早かったり、出ていた役者も笑顔になったり、面白い。なお、劇場の幕は緞帳のものも多かった。

素人でもパッと見でわかるのは、衣装、鬘等の素材感や「整い感」がいまとは全く違う点。現代の感覚からすると若干崩れており、いかにも「普段から一日中そういう格好をしています」感がある。これについては、映画でも(あるいは文楽人形でも)同じことを感じる。古い映像をある程度見慣れると、現代の時代劇は、いかに時代考証をしているのであろうとも、着物や結髪が過剰に整っていて、非常に不自然に見える。着物や日本髪が「普通」ではなくなったために、飾り人形や記念写真のようにキレイに整った見え方のものが「普通」として「普及」したのだろうと感じる。

 

このような舞台の映像も貴重であるが、心に残ったのは、当時の道頓堀や風景だった。盛綱陣屋などの冒頭にちょっとだけ、そのときの劇場前の様子が映っている。ぎっしりと飾られた絵看板や役者の名前を書いた札、その前をワラつく人々、掲げられた櫓。道頓堀の往来には、役者の紋を染めた多数の小さな白い旗が無数に掛け渡され、それがヒラヒラはためく下を着物姿の人が行き来している。あるいは、看板を縁取る電球がビッカビカに輝く道頓堀の夜の風景。写真では見たことがあっても、それらが動きだすとはっとするように生々しく、感じるものが全然違う。素晴らしかった。

 

 

自分は歌舞伎はほとんど見ないので、歌舞伎の歴史における今回上映されたフィルムの価値と貴重性はよくわからない。文楽で同一演目があるものについて、何となく違いがわかる程度。詳しい方ならば、当時の上方ならではの演出にも気づくのだろう。自分の両隣の人は完全に映画側のお客さんだったらしく、内容チンプンカンプンだったようだ。舞踊が延々と続くところなどはずっと水を飲んでおられたが(上映120分あるけど、トイレ大丈夫!?)、有名な名跡の人ですよという話があったり、早変わりなどの演出の説明があると、ホウホウとご覧になっていた。解説がついていて良かったと思った。
ただ、客席全体としては、歌舞伎関連のお客さんもかなりいたと思う。終映後、「いまの演技とここが違った」という話をされている方がいらっしゃったり、児玉先生もアーカイブの案内の方に「今日のお客さん……先生のお知り合いの方ばっかりですか!?」というようなことを言われていたり(ちょっとおもしろかった)。そして、国立映画アーカイブにこんなこぎれいな人おらんやろっていうお客さんが多かったので(素直感想)。

それにしても、国立映画アーカイブ、久しぶりに行った。現在のアーカイブは全席指定、プレイガイドでの事前販売方式で、現地発売は一切なしというかなり強気の体制。それはそれでどうなのかと思う部分もあるが、これで「悪質な客」はいなくなるだろう。と思いきや、それでも受付で札をひらつかせて騒いでいる老人など、フィルムセンター時代を感じさせるクソヤバ客はまだいらっしゃって、びっくりした。むしろ、よりヤバくなってないか。
いまやっている企画からデジタルチケット制度が導入され、おそらく今後はこちらに完全切り替えするのではないかと思うが、どうなることやら……。

 

www.youtube.com