TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 2月東京公演『桂川連理柵』国立劇場小劇場

ときどき前を通る新聞店の店先に、腰ほどの高さのスチールのラックが据えられている。その上には常に清潔に掃除された水槽が置かれていて、中には一匹の大きなカメが住んでいる。両手に乗せても太い手足がはみ出すであろうほどの大きなカメだ。飼い主に磨いてもらっているのか、暗緑色の甲羅に汚れはなく、水に濡れてつやつやと鈍く光っている。カメは動かない。いつも、浅く張られた水面から頭を垂直につきだして、天をあおいでいる。朝も昼も夜も、暑い日も寒い日も、カメは同じ姿勢をしたままである。カメは動くことがない。カメは何歳なのだろう。カメはただずっとそこにじっとしている。

そのカメを見るたび、「玉男様……💓」と思っていたが、きょう見たら、めっちゃじたばたしてた。おなかすいてたのかな。

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桂川連理柵、石部宿屋の段。

桂川自体は11月に大阪で出たばかりだが、今回は冒頭に「石部宿屋の段」がつくのが見どころ。石部宿屋は滅多に出ないということなので、以下にあらすじをまとめる。

信濃屋の娘・お半〈人形配役=豊松清十郎〉は丁稚長吉〈吉田文昇〉と下女りん〈桐竹紋吉〉を伴い、伊勢参りの下向道。一行は関の追分で、遠州帰りの隣家帯屋の主人・長右衛門〈吉田玉男〉と偶然出会い、同道することに。

 

一行は京都へ着くまえに石部宿の出刃屋へ投宿する。その深夜、長右衛門の部屋へお半が駆け込んでくる。何事かと問うと、毎晩長吉がしつこく言い寄ってきて、いままではりんを起こして退治させていたが、今夜は彼女がどうしても起きないという。長右衛門はあまり騒ぎ立てては長吉がお払い箱になってしまうからとお半をなだめ、部屋に帰って寝るように諭す。しかしお半は戻ればまた長吉に何をされるかわからないので、長右衛門と一緒に寝かせて欲しいと懇願する。長右衛門は子どものことだと思い、彼女を布団へ入れてやる。

しばらくして、お半を探して長吉がやって来る。猫なで声でお半を誘い出そうとする長吉だったが、大方長右衛門のところへ入り込んでいるのだろうとその部屋の障子に聞き耳を立てる。不審な様子に中を覗いてびっくり。腹を立てた長吉はお半を盗られた意趣晴しに長右衛門が遠州の大名から預かった刀を盗み出し、刀身を己の旅差とすり替えてしまう。

やがて宿の者たちの朝食の膳の支度ができたとの声が聞こえる。長右衛門、お半は帯をしめ、一同は出立の支度をはじめる。

石部宿屋から六角堂までは人形黒衣で上演。

最初の、背の高い松がぽんぽんと間欠的に植えられた街道筋の絵が描かれた幕が降りているパートは原作でいう「道行恋ののりかけ」の部分のようだ。現行上演では最後に増補の道行がついているのでここを道行として処理していないらしいが、見た目は道行で、のんびりとした情景描写になっている。伊勢参り帰りのお半は来合わせた長右衛門にきゃーっと寄っていって、長吉をガン無視してイイコイイコされている。

幕が上がると宿屋「出刃屋」のセット。下手に入り口があり、中央が大きな上り口の間。宿の使用人が頻繁に出入りしている。上手に張り出すように障子の引かれた長右衛門の部屋。上り口の間と長右衛門の部屋の間、上手奥に向かって廊下が続いていて、見えないがその先にお半一行の部屋があるという設定。お半と長吉はここから出入りする。

お半は普通に長右衛門の部屋へやって来て、長右衛門も普通に彼女を布団に寝かしてしまう(っていうか、ちょこんと寝ちゃう)。この流れがかなりさりげない。長右衛門が布団に入るとすぐ障子が閉まってしまうので、事前に後の展開を知らないと話がわからない。襟袈裟の鈴の音がチャリチャリ聞こえるだけ(わざとやっているのかはわからない)。

そういうわけで、この段の一番のみどころはその障子の中を覗き見て大騒ぎする長吉の可愛さ(?)。長右衛門の部屋を覗いた長吉がほっかむりをして出直してきて、古手屋八郎兵衛がどうたらと言って芝居の真似事をするところ、後ろ姿のキメがアホそうで良かった。長吉はこのあとの帯屋で鼻水をすするタイミングも良かった。長吉は配役された人形遣いによって鼻水をすするタイミング、すすり方が結構違うと思うが、文昇さんのすすり方はかなり良かった。「ずずっ、ず、ずずっ、ずずーーーー!!!!」って感じで少しずつすすり上げていて、まじキモかった。ここ最近の文昇さんで一番良かった(?)。

宿屋の朝の場面で、寝床に落ちたお半の簪を長右衛門が拾って挿してやる演出が入っていたが、落とす簪が最後の道行で「おねだりして買ってもらった簪」というもの(向かって左に挿している手毬状のもの)ではなく、逆のほうに挿したもの(花束状のもの)だった。お人形さんは必ず右利き(左手での細かい演技は基本的にしない)という文楽人形の宿命によるものだと思うが、買ってもらったものを落としたほうが意味が出るしよいように思うが。落とす簪は誰が決めているのだろう。プログラムの解説を読むと、落とすときと落とさないときがあるようだが……。ただこの簪を挿してやる演出、素でキ……、いえ、なんでもないです。逆に長右衛門が清十郎さんならキモくないと思う(清十郎の清楚感への全面的な信頼)。

心の底からどうでもいいことだが、最初の追分松原のところで長右衛門がわらじの紐を結び直すためにかがむシーン、席の関係上、パンチラしそうだった。思わず覗きそうになった。文楽人形は絶対パンチラしないのでよかった。

 

 

 

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六角堂の段。

儀兵衛〈吉田玉佳〉の絶妙なキモさが最高。お絹〈吉田勘彌〉に擦り寄る距離感と手つきの不気味さは神技だった。床机の横に腰掛けてくるときの、一応距離はあけてるんだけど、にしては異様に密着しているなんともいえない距離感。人形が床机に座るときって、普通、二人連れでも二人とも真正面向いて座るじゃないですか。でもヤツはお絹のほうに体を向けて座るんですよ。キモっ。しかも、やたら大げさな身振り手振りをする、そのとき袖がお絹に当たってるの。それと、微妙にお絹のほうに重心が傾いているというか……。めちゃくちゃキモい。こういうウザキモい人、いるよね。そして、セクハラも玉志さんのような一発お縄系のやばいやつではなく、ギリギリ言い逃れができるレベルのまじキモい下卑たタッチ。至芸であった。

お絹の色っぽい人妻感も最高。奥様らしい、親しみやすいが優美なゆっくりとした動作で、中年の女性のもつ美しさと色気を感じる。去年から延々勘彌さんのお絹を見ている気がするが、毎回、隣家の男子高校生になった気分になる。回覧板を持っていくのを口実にすこし喋るのだけが無上の楽しみで唯一の接触、みたいな……。そのお絹が長吉に与える小遣い、かねてよりどれくらいのモンかしらと思っていたところ、上演資料集の解説に「3〜4万円相当(通常無給の人に対して)」と書かれていた。それなら私も言うことを聞くと思う。長吉が受け取る小道具の紙包みの内側に、銀色のシールみたいな感じでお金が規則正しくはりついてるのも笑える。

六角堂の段が終わって昼休憩に入ったとき、近くの席の方が「宿屋の最後のほうで“帯締め……”って言ってたけど、ほどいたってこと???」と物語の根幹を揺るがす SUGOI SUNAO QUESTION を口にされていた。たしかに人形の演技だけ追っていると何が起こったかわかりづらいのだが、あそこで帯解いてなかったら、第一部、11時24分で終演してしまう。

 

 

 

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帯屋の段。

長吉、石部宿屋→六角堂→帯屋と順を追ってアホになっていってませんか。プログラムの解説にも書かれていたが、知性がダダ下がりというか……。石部宿屋では杉坂屋の丁稚くらいの知性はあったのに、帯屋では酒屋の丁稚レベルのな〜〜〜〜〜んにも考えていないアホになっていた。アルジャーノンに花束を的な何かだろうか。太夫の語りにかなりムラがあるのもあって(というか声質や技量のバラつきが要因だと思うけど)、人物の一貫してなさがすごい。これ、人形さん(文昇さん)的にはどういう解釈になっているのだろう。知らなかったが、原作では「石部宿屋の段」のあとに「信濃屋の段」というのがある。*1そこでの長吉にはかなり知性がある。六角堂で金をもらって実利をダイナミックに得たため、考えることをやめてアホになってしまったのだろうか。

母おとせ〈桐竹勘壽〉は煙管で背中をかいたあと、ひざで吸い口を拭いていたのが細かい。今月は勘壽さんが働きすぎで心配。5月の妹背山では豆腐の御用の御馳走配役なので、今月は働いてもらうということでしょうか……。

お絹が長吉に目配せするところ、お人形が両目を「……ばちん!」としばたかせるのがいい。キャッ❤️となった。あんな小娘より絶対お絹のほうがいい。長右衛門の寝姿を気にしながら暖簾の奥へ去る姿も美しかった。

お半はかなり稚気に振った印象で、勘十郎さんのような意思の強さを感じさせる確信的な様子はなく、純粋に長右衛門を慕うあどけない娘という印象だった。ただ、見え方の不安定さが気になった。特に帯屋の出。後ろ向きの姿、もう少し詰められるように思う。室内に入ってきてからは幼稚な雰囲気が可愛らしくて良いんだけど。白痴っぽい可愛さは映画などで人間の女優にやらせるとかなり痛いが(監督や脚本家が)、人形ならギリギリで持つなと思った。清十郎さんはそっちで行こうとしているのかしらん。どういうお半像にしたいのか、すこしピンボケしているようだった。お半は元々理解不能のキャラクター造形なので、勘十郎さんのようなサイコパスみがある人のほうが有利かも。あとは勘彌さんのお半が見たい(ただの願望)。

ひとつ疑問があるのだが、お半は長右衛門を起こすとき、家の中を伺いながら「長右衛門様(ちょうえみさん)……、……おじさん……」と呼びかけながら近づいてくる。この「おじさん」呼びは原作にない入れ事として有名だが、お半は幼い頃から長右衛門を慕っていたという設定のはず。お半が幼い頃、長右衛門は20代半ばくらいで「おにいさん」だったと思うが、いつから「おじさん」と呼ぶようになったのだろう。母親を「ママ」と呼んでいたボーヤが「おふくろ」と呼び出す境目のようなものがあるということだろうか。でも私が長右衛門なら、いちばん最初に「おじさん」と呼ばれたときにはショックで卒倒すると思う。もうデオドラントグッズとか買いまくりですよ。いやでも江戸時代なら20代半ばは完全にはじめから「おじさん」か……。ていうか、まあ、一番最初にこの入れ事をやりだした人が「おじさん」呼び萌えだったんでしょうね。よかったね〜。私も素直に生きよう!と思った。

あとは玉男さんがずっとじっとしていて、すごく満足感があった。じっとしている玉男様は値千金。動きがある部分は上品だがかなり線が太い印象だった。それはいいんだけど、お半を激しく抱きしめている日があり、長右衛門の演技としては正しいのだが、「こいつ反省してねぇな」と思った。

 

 

 

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道行朧の桂川

悪くはないのだが……、最後の部分で人形のフリがあまり揃っておらず、さすがに11月のほうが良かったというのが素直な感想。それぞれ細かい所作の処理は綺麗なんだけど、フリが揃っていないと心中しなさそうに見える。床は逆に今月のほうが上達していて、良い。

先にも書いたが、石部宿屋とここで演出に使われる簪が違うのが気になる。通常増補の道行しか出していないところに石部宿屋がごく稀にくっつくため違和感が出るのだろうか。長吉の知性が急降下することに比べたら誤差の範囲?

 

 

 

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11月は玉男さん勘十郎さんコンビで「うん、やらかしそう^^」感がすごかったが、今回は今回で「や、やらかしそう……(冷や汗)」という感じの配役だった。先にも書いたが、お半は決めなきゃいけない部分部分がどうにも惜しい。11月に玉男さん勘十郎さんで出たばかりなので、清十郎さんは比べられたらそりゃ不利ではあるが、出来ると思うので、頑張って欲しい。

 

 

 

2月公演は淫行心中、姦通逐電、美少女拷問、美女拷問となかなかスパークした演目選定だった。

第一部は石部宿屋がついていたのが良かった。第二部は人形の出演者が渋く豪華なので大変満足。第三部はさすがにこの短期スパンで同じ演目を繰り返されると厳しいなと感じていたのだが、結果的には出演者のパフォーマンスの上昇度が一番高く、もっとも満足感を得られる部になっていた。ただ狂言自体への理解の難易度も一番高くて、見た目の派手さと相反する難しさであるとは思った。

 

 

 

*1:信濃屋の段あらすじ:石部宿屋の一件から5ヶ月後。お半にお絹の弟・才次郎との縁談が持ち上がり、その結納品を仲人の長右衛門に代わって儀兵衛が信濃屋へ持参、お半の母・お石が歓迎する。連れの衆がお石から振る舞いを受けている影で儀兵衛と長吉はコソコソ密談。お半を狙う長吉、お絹を狙う儀兵衛は利害が一致し、二人で組んで長右衛門を陥れようとしていたのである。儀兵衛はお半が必ず長右衛門へ付け文をするとしてその手紙を盗むように頼むが、実はすでにチャッカリ盗んでいる長吉。また、儀兵衛は石部宿屋ですり替えた預かりの脇差を自分が発見したふりをして長右衛門を蹴落とそうとするが、すぐに受け取ってしまうと目に立つので長吉の兄・本間の五六へ一旦預けることにする。その二人がウッシッシと去ったあと、仲人として礼装姿の長右衛門が信濃屋を訪問する。するとお半が走り出てきて、自分を嫁入りさせようとする長右衛門をなじり、寺子屋の師匠から娘たる者、夫と決めた男はただひとりとしなさいと習ったこと、そして妊娠していることを告白する。長右衛門は当惑し、年端もいかない身での不憫さにお半を抱きしめる(すべてお前のせいだろ)。長右衛門の来訪に気づいたお石が迎えに出たところ、玄関先にひとりの武士が現れる。その男は今日の結納を取りやめにして欲しいと言う。婿の才次郎には隠し女がいて、その女から才次郎の妻にして欲しいと頼まれたというのだ。お石は固辞するが、男はそれでは武士が立たないとして玄関先で切腹すると言い出す。結納を血で汚されてはたまらないとお石は金を包んで切腹をやめさせようとするが、侍はその金をスマイルで見つつ「切腹する」と言い張り、押し問答になる。するとタバコを吸っていた長右衛門が割って入り、おもむろに「人が切腹するとこ見たことないな〜見たいな〜」と言ってお石の阻止を引き止める。どれだけ切腹のそぶりを見せても動じない長右衛門に、武士はスゴスゴ逃げていく。実はその侍は結納を邪魔しにきた長吉の兄・五六だったのだ。お石は長右衛門の機転を喜び、お半を呼び出して結納の盃を取らせようとする。しかしお半は拒否。するとお絹がお半にとくとくと意見した上で、無理に嫁入りさせては互いに無益として破談にすると言い出す。実はお絹は長右衛門とお半の関係に気づいていたのである。お石は取り縋るが、お絹はそのまま帰ってしまう。その夜、お半は、どう考えても長右衛門とは夫婦になれないこと、母やお絹への申し訳なさから、カミソリを取り出して自害を企てる。と、その手を長吉が掴んで止める。そこまでは偉かったが、なおもしつこくお半に迫る長吉。その変なタイミングで縁の下に潜んでいた五六が脇差の受け渡しを催促する。長吉は懐に隠していた脇差を股座から五六に差し出すが、そのせいで手元がお留守になり、お半とりんがいつの間にか入れ替わっていたことに気づかない。行灯が吹き消された暗闇の中で、長吉は門口で待ち構えていた儀兵衛に女を託すが、その声を聞きつけて燭台を持ったお石が現れる。その火に照らされた脇差を見てお石が声を上げるが、お半(と思い込んでいるけど実はりん)を背負った儀兵衛は闇へ消えていくのであった。……という話。帯屋のくだりに話題に出る才次郎とその恋人・雪野の一件は六角堂の段の後半(現行上演ではカット)に登場。また、帯屋の段の最後、長右衛門が出て行ったあとのくだりが現行ではカットされており、その部分で長吉の兄・五六が実はいい人だったという正体をあらわし、長吉・儀兵衛・おとせが追い詰められるという結末がついている。五六がいい人なのは結構なのだが、なぜ実の弟まで裏切るのかはよくわからなかった。悪事を暴露する前に説諭したほうがいいのでは。以上、『新潮日本古典集成 浄瑠璃集』新潮社/1985 参考。