TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 10・11月大阪錦秋公演『ひらかな盛衰記』大津宿屋の段、笹引の段、松右衛門内の段、逆櫓の段 国立文楽劇場

権四郎渾身のギャグ「もぉ〜〜〜🐮」、大好き。
やたら綺麗な前傾姿勢と足の踏み出し、ツノを作る手がバッチリ左右揃っているのが良い。意味不明すぎて、観客一切ノーリアクションなのも良い。
 
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第二部、ひらかな盛衰記、三段目。
大津宿屋の段。
二重の舞台いっぱいに、「清水屋」というのれんのかかった宿屋。下手は多くの人が雑魚寝で泊まる大部屋(多分)、上手は障子で仕切られた個室になっている。
 
今回印象的だったのは、玉也さんの権四郎の、以前見たときとの雰囲気の違い。
「大津宿屋」「松右衛門内」通して、過去に観た舞台よりも、孫・槌松への愛情の深さ、慈しみが感じられた。宿屋に着いてすぐ槌松に構ってやったり、大津絵を惜しがるのを留めたりする様子に、温かみが感じられる。孫を安心させてあげようとしているようだった。
以前はもっと、権四郎の船頭としての気の強さが全面に出ていたような気がする。田舎のおやっさんだから、孫を大切にしているといっても、愛情表現ももっと荒かった……ような。
でも、今回の権四郎は、そこから年老いてほんの少し心が弱り、そのぶん孫への愛情が具体的なかたちで深まったかのように思った。
これが自分の感じ方の変化なのか、玉也さんの演技が本当に変わっているのか、それとも太夫の語り方の違いなのかは、わからない。でも、全編を通して、権四郎は槌松のことを本当に大切に、なにより一番大事なものとして思いやっているのだと強く感じた。
最近の玉也ジジイ、なんだか優しそうで、好き。
それにしても、玉也さんの権四郎は肩甲骨がしっかりしてそうだ。そしてやはりパワショルっぽい着付(今年流行った、肩口にたくし上げのタックがあるような感じ)。人形なのでまじでパワショルにできる。
 
 
今回はお筆役が清十郎さんに行ったため、およしが勘彌さん。個人的にはお筆は勘彌さんのほうが向いていると思うけど(異常者感とか、色気とか)、結果的に私の大好物「在所のお色気奥さん」が爆誕していて、「これは、これで、良いッッッッッ!!!!!!!!」と力強くうなずいた。およしはわりとデカい子持ちなので、さらに加点させていただきます。若干所帯じみて、服や髪型・化粧はちょっと野暮ったいけど、色気がむんむんな感じで、良かった。しかし、本当に、先代の松右衛門てどんな人だったんだ? 幼馴染とか言ってたけど、こんな嫁さん、贅沢すぎる。
 
 
槌松〈吉田和馬〉は、はじめはおよしと腕のモミモミしあいっこをしたり、権四郎と大津絵で遊んだりしている。枕をぬいぐるみのように抱いてぽんぽんしているうちに、だんだん眠くなってきて、およしにもたれかかってウトウトと眠りはじめる。そのときにおよしが優しくぽんぽんしてあげるんだけど……、うーん、槌松、うらやましい、と思った。私も槌松になってよちよち❤️されたい。数十分後にお首がなくなりますが……。「松右衛門内」の近所の奥さん連中の話からすると、槌松はもう少しガキ大将風だとは思うが、ちょかちょかちんまりした動きが愛らしく、これはこれで良い。
駒若君〈桐竹勘介〉は、大津絵へのリアクションが無すぎてすごい。あの無表情感、実に子供らしいリアクションというか。夏休み親子劇場公演で人形グリーティングで親に人形とのツーショットを撮らされている子供さんたち、人形に対してああいう「無表情でガン見」のリアクションしとる。
 
大人たちが疲れて寝静まったあと、夜はこどもたちの時間。
槌松は、大人のマネでたばこを吸ってみたかったのね。宿に着いてすぐ、権四郎がたばこを吸ってるときに真似したそうにしているが、たしなめられる。ママが寝入ってからやってみるのが可愛い。
この真夜中の場面、できるなら照明落とし目にして欲しい。基本的に夜の暗さは語りや演技で表現すべきだとは思うが、背景に黒い幕を張っている笹引に比べ、さすがに明るすぎる印象がある。
 
 
「大津宿屋」は、重要な伏線が多い。
プログラムの解説では、大津絵がこのあとの伏線になっていると書かれていたが、権四郎が言う「生き身は死に身、合はせものは離れもの(生きているものはいつか必ず死に、くっついているものも必ず離れる)」も、「松右衛門内」への重要な伏線だと思う。
現行上演ではカットされている、権四郎が山吹御前に語る「自分は聟を亡くしたが、ものすごくいい新しい聟を迎えて、安心して仕事を任せている」という話も、伏線として結構重要な気がするのだが、どういう経緯でなくなったのだろう。
 
あと、やっぱり、山吹御前の部屋が満員なのが良い。一応、4人しかいないということになってるんですけど、とってもみっしりしていた。
 
 
 
笹引の段。
一面、鬱蒼とした竹やぶ。
 
清十郎さんのお筆は清涼感ある雰囲気で、彼女の真摯さが全面に出ていた。結構若い感じ。自分独自の信念があるというタイプではなく、優等生的というか、世の中にある既存の「規範」の正しさをまだ信じている若さがあるように感じた。
清十郎さんはお筆初役で、ご本人としてはかなりの思い入れがある役のようだ。清十郎ブログにある、後輩のほうに先に配役がいって、自分はもうもらえないかと思ったというのは、2017年12月東京公演で勘彌さんがお筆を勤めたことを指しているのだろう。
段切。山吹御前の遺骸を一生懸命に笹の上に乗せて帯で結わえ、折った笹を引いて輿にして引いていく姿は、清十郎さんの持つ純粋さが、お筆のひたむきさという形でよく出ていたと思う。
そこまでのあいだに、もうちょっと、彼女自身の持つ軽率さや怪しさが出ても良かも、と思った。
 
今回の笹引は、2017年12月東京公演で観たときより、悲惨さ、不気味さがなかったような気がする。人形のお筆の演技の違いもあると思うけど……、床が全体的におしなべてしんみり系になっていたからかなぁ。前半と後半の落差がもっと出ているほうが、お筆の慟哭が引き立つ気がするが。お筆が主役になって展開する場はここだけなので、いろいろ、なんだか少し、勿体ない感じがあった。
 
お筆は、物語のページを綴じる綴じ糸みたいなキャラクターだよね。場所や人をつないで、本来出会うことがなかった人物たちを巡り会わせていったり、観客にその人々の行方を教えていくような動きをする。あるいは、彼女の軌跡が物語を記していくような動きなので、「お筆」という名前なのかもしれない。
しかし、お筆って、ちょっとADHD的な傾向があるんじゃないかと思った。いや、お筆だけじゃなく、千鳥(梅ヶ枝)も……。
二人とも、目の前の問題にだけとらわれて、その場凌ぎの解決をしようとする。お筆は、暗い竹やぶに山吹御前と駒若君を残し、不必要な敵を深追いしてしまう。千鳥は、源太の生活費のために遊女になり、そこで身を汚さないために源太が武士に戻るのに一番大切なはずの産衣の鎧を質入れしてしまう。そのためにドラマが展開するのだけど、二人ともあまりに行動が場当たりで、本質を踏み外してる感じが、なんか、こう……。
 
 
 
松右衛門内の段。
大きな松が門口にある権四郎宅。家業が船頭なので、よくある文楽の在所ハウスと異なり、のれんの模様はヒトデ。上手の床の間には「船玉大明神」の軸がかかっている。
 
冒頭、先代松右衛門の供養に寄り集まる近所の奥さんツメズに、おばあちゃんがいるのが特徴。奥さんツメズのお茶の入れ方などの細かい仕草は、日によって少し違うみたい。人参の太煮(?)を掴めていない日があった。
300年前からやっているであろう「夫を訪ねてきた謎の女を見て、権四郎の肩をめちゃくちゃに叩くおよし、ノオオオとなる権四郎」は、今回もお客さんの笑いを誘っていた。
 
ライトブラウンの裃に、藁で包んだ櫓を肩にかけて現れる松右衛門〈吉田玉男〉は、めちゃくちゃデカかった。
まじでデカい。デカすぎる。ドォォォーーーーーーーーーーーーーーンとしとる。
ずっしりとした筋肉を全身にまとったドンとした立ち姿、とてつもない重量感。「威風堂々」という言葉にふさわしい。今回の公演は朝イチ(蘆屋道満大内鑑)から観ていても、このクラスの大きさの人形は出てこないので、デカさはより一層。デカすぎて、客席の「…………ゴクリ」感がすごかった。ご近所の奥さんツメたちは「いつ見てもでっかいわぁ!」くらいのリアクション(?)だったが、松右衛門は喋り方が落ち着いており、言動がかなり礼儀正しいので、意味ありげに謎の人になっていた。まじ、「友達の家に遊びに行って和気藹々としていたら、初めて会う旦那さん(orお父さん)が帰ってきて、それが信じられんくらいガタイよくて挨拶しながら会話若干上の空」状態だった。
玉男さんの人形って、本当に、人形そのまんまの顔をしている。人形の顔と、その人が遣っている人物像と、ちょっと違う人、いるじゃないですか。良い意味でも、悪い意味でも。そうではなく、玉男さんは、文七のかしらの顔そのままの、漆黒の大きく鋭い瞳、ぎゅっと上がった雄渾な眉、奥歯を噛み締めた力強い口元、人形の顔かたちそのままの顔で、人形を遣っていると思う。本当にああいう顔している人、って感じがする。
そして、玉男さんの文七がしらの人形には、独特の、ゆっくりとした時間が流れている。ゆったりした間合いとじっくりした動きは、ほかの小さな人形たちとは、時間の流れ方が違うように思える。浄瑠璃に合わせているはずなのに、何か少し間合いが違うのが、主人公らしい。
あとはやっぱり、眉毛で返事するのがいい。時々、ゆっくり「もそ……」と上げ下げしている。最近記録映像を観ていて気づいたが、この、なにかを語りかけてくるような眉毛の「もそ……」、初代玉男師匠といまの玉男さんで、一番似ているところかもしれない。
二度目の出、上手の一間で駒若君を左手に抱えて立つ姿の堂々ぶりは見事。巨木のようにドーーーーンと立っていた。あまりにまっすぐに姿よく立っているので、何事かと驚く。一度目の名乗りで袖を返す姿も、粗末な着流しに似合わない気品で、良かった。樋口本人としては、烏帽子大紋などの格の高い衣装でやってるイメージなのだろうか。
 
お筆は出の暗さが印象に残る。
まず床〈豊竹呂太夫/鶴澤清介〉がかなり沈んでおり、お筆が槌松を死なせてしまったことを本当に心から申し訳ないと思っているような、陰鬱な印象だった。人形の清十郎さんも、「駒若君を保護してくれているであろう家をやっと見つけた!」という高潮で心が逸る腰元……、という感じではなく、あんなこと、どうやって伝えたらいいのか、こちらのことをわかってもらえるのか……と思い悩んでいるふうだった。
私の考えでは、お筆の出は暗い気持ちという理解ではなかったので、結構面白かった。現代的な感覚では、このような考えもわかる。ただ、後半で軽率な物言いをして権四郎を怒らせるくだりと落差をつけることを考えると、この時点では軽い考えのほうがいいように思う。
 
 
そして、なによりも、権四郎。文楽の登場人物の中でも、権四郎はとても好きなキャラクター。特に松右衛門内の権四郎は大好き。
権四郎はやっぱり、かなり早い段階で駒若君をお筆に返すことを心に決めているんじゃないかな。権四郎って、相当の人格者だと思う。立場的にもあのへんの船頭の棟梁だろうし。酒をあおったり、腕を組んでいるあいだは、あくまで、自分の槌松への気持ちをどこへやったらいいのかを悩んでいるんじゃないか。自分よりも娘のほうが悲しいはずだから、自分がわあわあ騒ぐことはできない。だけど、あまりに悲しくて、やりきれなくて仕方ない……。
お筆が余計なことを言ったせいで瞬間的に激怒したものの、包丁を研いだり、それを松右衛門に差し出すのは、松右衛門がそんなことしないとわかっているからこそやっている気がする。今回は、お筆を叱りつける茶碗投げはともかく、包丁研ぎは本気で子供を殺そうとした鬼気迫るものいうより、自分のためにやっているような気がした。むしろ、包丁を松右衛門に差し出すことで、心から信頼している聟に「おやじさん、それはいけません!」と言って欲しかったのかもしれない。権四郎は、合邦(摂州合邦辻)のように、自分のホントの気持ちを代弁する行動をしてくれる奥さんがいるわけじゃないから。
 
 
床は、松右衛門の礼儀正しい雰囲気が良かった。ただ、松右衛門が「権四郎〜〜!頭がた〜か〜い〜〜〜〜〜〜〜!!!!」と言うところは、バリバリと雷が落ちるようなバカデカい声で言って欲しかった。地鳴りするような声のイメージでやっているのかもしれないけど、客席からは、押し殺した声のように感じられた。あそこは常に舅に仕える松右衛門が突然超ウエメセになるのが、権四郎も観客もびっくりするところだと思う。そのあと、槌松の笈摺を供養してあげて欲しいと言うところでは、喋り方が元の聟に戻って、権四郎を舅として丁重に扱うわけだし。でももう、これも、笹引と同じで、どうしようもないことなのでしょうね。
 
 
 
逆櫓の段。
畠山重忠の出ありのフルバージョン。
 
玉男さん樋口の圧倒的格好良さが光る。
衣装を改めた樋口は、肩から腕にかけてがガチガチに太そうで、二の腕など、そのへんを歩いてる娘さんのウエストくらいありそうだった。
船頭ファッションの樋口の人形は、上着から見えている白いおなかが「ぽて」と出ているのが可愛い*1。玉志サンが松右衛門をやったときは、人形全体がスレンダーに見えるために「イヤイヤ、この人贅肉ないでしょ、そこはシックスパックでw」って思ったのに、玉男さんだと、筋肉の上に脂肪が乗っている力士体型的な感じで、自然に思える。あのおなか含めて、強そう。
玉男さんの「逆櫓」の樋口は、ひとつひとつの動きにどっしりとした芯と太さ、強いねばりがある。そして、本来ならものすごく速いものを、スローモーションにして見ているかのような感覚を覚える。「ばっ!」と髪を前に投げ出すときも、さばいた髪が飛び散る波頭の水の粒とともに、ゆっくりと動いているように見える。
その人形の動きの中心は、腰にあるように思える。腰を中心として、すべての動作が決まっている。文楽人形って、物理的には腰は上半身にぶらさがっている状態だと思うんだけど、腰がどっしりと座っているように見えるのは、不思議。
玉男さんの場合、人形の全身に力が入っているかどうかが直感的に感じられる。いつでも動ける備えの姿勢のとき、そこからの予備動作、力がみなぎっているとき、それぞれの体への力の入り方の違いが明瞭だ。浜辺へ戻ってからの名乗りは、全身に力がみなぎる型の連続で、動作ひとつひとつに熱い血流を感じた。
そして、手指の力強さもとても印象的。手のひらをそらせ、指を開き、そしてぐっと握りしめる、そこからまた大きく指を開く、そのチャキッ!という音。あの音は、ほかの人形遣い誰よりも、玉男さんが一番、美しい。
 
 
逆櫓名物、船頭三人組。よすぎる。紋秀さん、文哉さん、玉誉さんという、ベストオブ船頭メンバー。最後に出てくる玉志サンの畠山重忠同様、「出番少ないし、絶対この配役じゃないとできないわけじゃないけど、ガッチリした人がやると見応え底上げ」感があって、味わい深すぎる。
海上シーンでは、船の舳先にいる船頭〈桐竹紋秀〉の「わたたぁ〜っ」としたリアクション芸が良かった。松右衛門に背中バンされたときのリアクションがめちゃくちゃデカい。たしかにあの松右衛門に背中バンされたら、素で海に落ちるなと思った。
 
畠山重忠〈吉田玉志〉は、「畠山重忠」としか言いようがない畠山重忠だった。玉志畠山重忠はこれで『出世景清』『壇浦兜軍記』と合わせて3回見たが、畠山重忠の才能がかなりあると思う。この段の畠山重忠は基本、座ってるだけなので、もっと若い人にやらせてもいいんだろうけど……、いや、座ってるだけとは言ってもフルアーマーなので、人形を安定して持つのは相当難しいと思うけど、玉志さんがやっているのは、ストーリーの説得力のためだろうなと思った。あの勇猛な樋口が納得して縄につく説得力があった。玉男様樋口だと、縄かけた程度では0.1秒で引きちぎりそうだもん……。
そして、畠山重忠の盛り上げ役で出てくる高提灯(を持っているツメ人形)が妙にフラフラしていて笑った。畠山重忠も樋口もまじで「じ〜っ」として一切動かないので、ポルターガイスト状態だった。
 
 
逆櫓の段、床は睦さん・清志郎さん。このお二人の組み合わせで逆櫓を聴くのは2回目。睦さん単独だと3回目で、ずっと以前には、まずはとにかく間違えず、書いてある内容をこなすのに必死だった気がする。でも今回は、畠山重忠の出、権四郎の子守唄まで、飽きずに聞けた。その中にも荒削りの若さが残っていて、そこに樋口の真剣さ、純粋さが出ているのも良かった。
睦さんは産み字が綺麗なのが良い。「か〜ぜに誘われ櫓拍子立てて、お〜〜〜〜〜〜お・お・お・おすときぃ、いぃいぃいぃ、いぃいぃいぃぃ〜〜はぁ〜〜〜〜」のところとか、産み字(伸ばすところで同じ母音を反復する箇所)が自然な迫力になっている。産み字をやたら揺らしたり、一個ずつ声色を変えようとする人がたまにいるけど、個人的に、産み字自体を目的化しすぎているのが下品に感じて(それを発言している人物の性根描写が不正確になる)、かなり強い抵抗がある。この場面、波立つ海上で激しく櫓を漕ぐ様子を表すので、そっちに行っちゃう人もいると思いますが、そうでなく、樋口の若々しい強さが現れた、力強い産み字でした。
 
良すぎる玉男様&樋口ムービー。舞台では玉男さんは自分の人形を見ることはありませんが、この動画だと、なんだかお嬉しそうに樋口を見守っている(?)のが良いです。冒頭なぜかキョドる玉佳さんも、良い……。

でも一番すごいのは、この動画をいつ一時停止しても、ばっちり姿勢が決まっていることかな。質朴に見えて、ひとつひとつの動作、そのつなぎが洗練されている。
ロング版はさらに良すぎなので、絶対観てください。

 
 
 
 
  • 人形役割
    船頭権四郎=吉田玉也、娘およし=吉田勘彌、倅槌松=吉田和馬(前半)吉田簑之(後半)、宿屋亭主=桐竹亀次、山吹御前=吉田一輔、鎌田隼人=吉田玉輝、駒若君=桐竹勘介、腰元お筆=豊松清十郎、番場忠太=桐竹紋吉(前半)吉田玉翔(後半)、船頭松右衛門 実は 樋口次郎兼光=吉田玉男、船頭又六(まんなかにいる奴)=吉田文哉、船頭富蔵(先頭にいる奴)=桐竹紋秀、船頭九郎作(しっぽにいる奴)=吉田玉誉(前半)吉田簑太郎(後半)、畠山庄司重忠=吉田玉志
 
 
 
第二部は、玉男さんの樋口あってこそだなと感じた。
2020年3月地方公演の「松右衛門内」「逆櫓」でも玉男さんが樋口に配役されていたけど、残念ながらこのときの公演はすべて新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止になってしまった。あれから1年半、玉男さんの樋口をやっと見られて、本当によかった。
樋口は、本人のまっすぐさ、真摯さのみで権四郎を説得する、ある意味めちゃくちゃな役。だけど、そこに圧倒的説得力があった。
玉男様 心から LOVE❤️ の気持ちを新たにした。
 
玉男さんは本当に幸せな人だ。こんな充実した樋口が演じられて、いま、文楽座の人形遣いで、一番幸せな人だと思う。
それには、ご本人の努力が最も大きいと思う。けど、それだけじゃない。亡くなった師匠、兄弟弟子、ご自身の弟子といった、すべての人の努力によるもので、一門の集大成ともいえると思う。やはり、人形遣いというのは主遣いその人だけが上手くてもどうしようもなく、技量の高い左遣い、足遣いあってのもの。いかにその層を厚くするか、後進指導が大切かというのが、今回の樋口で、本当によくわかった。
 
特に、ずっと一緒にやっていらっしゃる、左の玉佳さんの力は本当に大きいと思う。
「逆櫓」の左は玉佳さんだよね。初代玉男師匠の「逆櫓」の映像を見ると、顔と右手は好みや解釈によるが、左は現在、つまり玉佳さんのほうが圧倒的にうまい。一切出遅れがなく、動きのトーンも右手と揃っており、力強く、雄渾である。ここしばらく、地方公演の熊谷など玉志さんがやっている大役を見ると、やっぱり左は人形の見栄えにとっていかに重要なことかと思う。
 
ある公演に際し、勘十郎さんが玉男さんについて、玉男さんはいつも玉佳さんを左につけたがる、若手の育成にならないというような批判をされていた。
玉男さんも出てる公演なのによく言うなあと思ったけど、勘十郎さんの言っていることはよくわかる。勘十郎さんの言う通り、今後を考えると、重要な役の左を玉勢さんや玉翔さん、あるいは玉路さんにやらせたほうがいいだろうから。そうしないと、玉佳さんにも良い本役がつかないし。
でも、勘十郎さんは、本当は、玉佳さんのような人と一緒にできる玉男さんが羨ましいのかもなと思った。勘十郎さんは、ご本人の技芸の水準は高いけど、「左がもっと上手かったらねえ」ということがある。そう考えると、切なくなってしまった。
勝手に勘十郎さんの気持ちを想像してしまいましたが、それはともかく、玉男さんは本当に幸せだと思う。そして、ご本人も、それに溺れたり、甘えたりして楽にやってるわけではないと思う。玉男さんには玉男さんの強い意思がある。玉男さんは師匠とは違う方向に進んで、それに対して強い批判もさんざんに受けたと思う。それでも自分の意思を押し通し、あの樋口像を描いているわけだし、意志がなければさすがに玉佳さんほどの人がついてきてくわるわけがない。
いや、甘えてない、っていうのは、ちょっと嘘かな。玉男さんの玉佳さんに甘えてる感じ、好きです。玉男さんは玉佳さんのこと、大好きだと思う。おそらくこの世でもっとも玉佳さんを評価し、熱く支持している玉佳ファン、実は玉男さんじゃないかと思います。
(ここまで書いといて「逆櫓」の左が玉佳さんじゃなかったらすごい)
 
 
床について、現行の場割りでは体力的に難しい人がいると思う。声量が大幅に落ち、あからさまにセーブしてやってます感がありありと感じられる場所があるのは、さすがにどうなのか……。この状況だと、段をさらに細かく分割するしかないのではと思った。別に今だけの問題ではなく、こういう事態は今後もどんどん起こってくると思う。失礼なもの言いかもしれないけど、越路さんや住さんって、どういう状況になって、ご自分でどう思って、個別のファンを含む客はどう思ってる状況で引退したんだろ、と思った。
 
細かいところでは、だんだん位置が下がってくる人形がいるのが気になった。体力的に辛いというより、その人形にふさわしい定位置を直感的に掴めていないのだろうと思った。太夫で、進行につれて同じ人物にもかかわらず喋り方や声のトーンがどんどん変わってしまう人がいるが、あれと同じ状態か。でも、こういうのは、基礎がしっかりしてさえいれば、いつしかその人が成長していくにつれて、なおるのだと思う。
 
ところで、話として、「松右衛門内」〜「逆櫓」で以前からよくわからないところがあるのだが、樋口と駒若君って、お互い顔を知らなかったのかな? 樋口ほどの格があれば、主家の若君には会ったことがあると思うが。物語開始時点で樋口は出張中の設定なので(多田蔵人行家を攻めるために河内へ行っていて不在、そのために木曽義仲は討ち取られる)、その間に駒若君が成長しちゃって樋口は駒若君の顔がわからなくなり、駒若君はちびっこすぎて樋口を認識できていないということなのか。段切で駒若君が教えられてもいないのに「ひ〜ぐ〜ち〜……」と呼んでいるのは、樋口のことを思い出したのかな。もともとお互い気付いていたとなると話に無理が出てくる気がするが、まあ、そこは芝居ですから、ということかしらん。
 
 
↓ 2017年12月中堅公演。樋口=玉志さん、権四郎=玉也さん、お筆=勘彌さん。

 
↓ 2019年10月地方公演。樋口=勘十郎さん、権四郎=玉志さん、お筆=勘彌さん。 

 
↓ 2017年中之島文楽。「逆櫓」のみで、樋口=玉男さん。

 
おまけ、以前見に行った、摂州福島の逆櫓の松を再掲します。JR新福島駅の近くのマンション敷地内に生えてます。歩道からの見学可能。
 
↓ 我々が思い込んでいる「逆櫓の松」

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↓ ?

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↓ 細長すぎて、玉男様樋口が登るのは難しそう😢
本物の逆櫓の松はずっと昔に枯れてしまって、この子は二代目?三代目?のようです。
奥に写っている喫茶店ウィンブルドン」では、「逆櫓」というロールケーキ風のスイーツが食べられるそうです。

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↓ 逆櫓の松の碑

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↓ 説明パネル

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*1:それにしても、あの服はどういうデザインなんだ? いま流行りのY2K的クロップド丈なのか? 柄もおしゃれだし、GUCCIとかMIUMIUだと言われても納得する気がする……。