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麻雀漫画と昭和の日本映画と文楽(人形浄瑠璃)について書くブログ

文楽 赤坂文楽#19『絵本太功記』尼ヶ崎の段 赤坂区民センター

吉例! 赤坂文楽に行ってきた。今回は玉男さんメインの回。

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内容としては公演というより実演付きトークショーと言うべきだろうか。『絵本太功記』十段目「尼ヶ崎の段」から光秀の出、操のクドキ、松に登っての物見〜段切の3箇所をダイジェスト上演し、高木秀樹さんの司会で玉男さんが人形の解説をその場でのデモンストレーションを交えて話すというもの。

ダイジェストとは言え、一昨年5月東京で半通しを観たのと、十段目は津太夫のCDを持っているから内容や詞章が頭に入っているため、迷うことなく話に入っていけた。

以下、簡単に実演とお話の内容。

 

 

 

┃ 光秀の出

月漏る片庇
こゝに苅り取る真柴垣、夕顔棚のこなたより、現れ出でたる武智光秀
「必定久吉この内に、忍びゐるこそ究竟一。たゞひと討ち」 と気は張弓、心は矢竹藪垣の、見越しの竹をひつそぎ槍、小田の蛙の啼く音をば、留めて『敵に悟られじ』と、差し足抜き足、窺ひ寄り、聞こゆる物音、『心得たり』と、突つ込む手練の槍先に
『ワツ』と玉ぎる女の泣き声
『合点行かず』と引き出す手負ひ
真柴にあらで真実の、母のさつきが七転八倒
「ヤゝこは母人か、為成したり。残念至極」
と、ばかりにて、さすがの武智も仰天し、たゞ呆然たるばかりなり

一番最初に高木さんから『絵本太功記』自体のおおまかな解説があって、そのあと光秀の出の実演→玉男さんのお話の流れで進行。

セットは暗幕をバックに、障子をL字型に立てて奥の一間(湯殿)に見立てたものと竹やぶのみの簡素なもの。そんな舞台にも関わらず、「夕顔棚のこなたより」で笠を掲げてゆっくりと姿を表す光秀の人形は、月の光をまとったかのように美しく静かに輝いている。諸般の事情によりさつきがいない(涙)のがまことに残念至極なのだが、光秀だけでも意外と違和感がない。さつきは湯殿の中にとどまっているのかなと思う程度。というのはもちろん呂勢さん&燕三さんの浄瑠璃と玉男さんの技量によるものなんだけど、とにかくあの悪環境で人形が輝いて見えるというのはすごいなとシンプルに思った。赤坂区民センター、本当に音響が悪いし舞台も狭いので……。

この部分は手すりなしの舞台装置で、人形遣いの足元がどうなってるのかがよくわかる形での上演だった。手すりがないと人形と舞台下駄を履いた人形遣い自身にかなり迫力がある。足遣いの人の足拍子の所作もよく見える。もともとの姿勢が低いし、高い位置から足を振り下ろせるわけではないので、かなり大変そう。というか、古典芸能用の舞台ならともかく、こんな普通の床でよくあんな大きい音出せるなと思った。それともうひとつ。手すりがないことで介錯の人が何をやっているかわかるのが面白かった。この場面でいうと、光秀が脱ぎ捨てた笠を拾ったり、竹を斬って槍にするところで竹を支えて水平を保ち、人形の演技を助けたり。人形が出ている間は袖で待機されていて、ずっと腰を屈めているので大変そうだった。それにしても、手すりがなくても人形って見えないグランドラインの上を違和感なく歩くんですね……。当たり前だけど……。

最後、トークショーに入るため幕を一旦下ろしたときに、幕が降りきるまで時間がかかるからか、燕三さんが頭を下げながらふふっと少し微笑んでおられたのと、呂勢さんとそっと顔を見合わせて笑っておられたのが可愛かった。

 

玉男さんのお話(1)

  • 『絵本太功記』は思い出深い狂言。昭和41年か42年、中学二年生だったころ、文楽協会が設立されてから初めて『絵本太功記』が通し狂言で出た。『絵本太功記』は登場人物が多く、人形遣いの人手が足りないので、「誰か若い子おらんのか」ということで、当時近所に住んでいた人形遣いの玉昇さんに「遊びに来ぃへんか」と誘われ、ちょっと「手伝った」。
  • 同世代の手伝いがほかにもいて、勘十郎さん(当代)もその手伝いをしていた。勘十郎さんはそれよりも前から楽屋へ遊びに行っていたらしい。
  • 手伝いの内容は、横幕(小幕)の開け閉め、舞台下駄や草履を揃えて運ぶなど。人形を持つ(遣う)まではいかなかった。ただ、十一段目の「大徳寺焼香の段」にはたくさんの人形が必要。ほとんど動かない人形もいるため、じっとしている大徳寺のお坊さんの足を「持っていた」。
  • 当時の公演期間は二週間程度で、学校の放課後、4時くらいから行っていた。夜の部が始まったころに劇場に着くと、師匠(初代吉田玉男。この時点では弟子入り前)がうどんを食べさせてくれた。それから、師匠に頭巾や黒衣を借りて、下は学生ズボンで手伝っていた。
  • その一興業が終わった段階で文楽に入ろうと思ったわけではなかった。進路には迷っていて、中三になる頃は高校に行こうかな?と思っていた。が、高校には行かず、文楽に入ることに決めた。
  • 初代玉男師匠の弟子になったのは、手伝いの頃から部屋が一緒だったし(紹介してくれた玉昇さんが玉市師匠の弟子で、初代玉男師匠と同部屋だった)、実の親のように接してくれたから。(お話自体にはなかったが、私の印象だと、どなたの弟子になるか、はじめから心に決めておられたみたいでした)
  • 師匠には預かりの弟子がいたけれど、直弟子はいなかった。ほかに先に兄弟子がいたが、お辞めになって、自分が最初の直弟子になった。師匠にもらった名前は「玉女(たまめ)」。はじめは「玉若(たまわか)」にすると言っていたが、途中から「玉女」にしようと言い出した。何故かって……? そのころはかわいかった*1から……////(高木さんから「師匠ははじめから名前を継がせようとしてたんでしょう!そうでしょう!!」と迫られ、「わかりません!!そんなことないと思います!!」と照れまくる玉男様)

  • 本舞台での初めての光秀役。昭和57年の朝日座正月公演で吉田文吾師匠が襲名し、その襲名披露狂言が尼ヶ崎だった。文吾師匠が光秀、玉男師匠が十次郎、簑助師匠が初菊。尼ヶ崎は文楽のお客さんにも大変馴染みがあり、曲もよい、誰もが知っている狂言で、勘十郎さんも襲名披露狂言にしていた。そのころ、本興行が終わった後に「若手向上会」という若手の勉強会があって、そこで光秀の配役が来た。
  • 本興行では光秀の左に入っていたわけではなく、左は玉幸さん、足は文司さんが入っていた。ぼくは師匠(十次郎)の左に入っていて、じっと光秀を見ていた。師匠の左を遣っていても気もそぞろで、光秀のほうばかり見ていた(笑)。舞台ではそんなふうに人が遣っているのを見ている。
  • (先代玉男師匠は当時光秀を遣っていなかったんですよね?と高木さんに振られ)当時師匠は光秀などの大きな人形は遣っていなかった。そのころ荒物を遣っていたのは先代勘十郎師匠や亀松さん(四世)。その方々が亡くなり、師匠が遣うようになった。大きな人形の配役が来るようになったのは大変だったみたいですね。
  • 若手向上会は舞台稽古1日で、本番4日間。本興行中は「見ているだけ」なのに稽古1日で遣えるのは、本興行中に毎日楽屋で人形を持たせてもらって遣っていたから。人形を遣っていると、師匠がやってきて「こうやで」と教えてくれる。
  • 本番には師匠が2回左に入ってくれた。師匠が左に入るとやりやすいとも言えるが、左から引っ張られて止められたり、「重い」。間違っていると(指導で)引っ張ってくる。でも、決めのところはちゃんとやってくれて、勉強になった。そのころ文七の初役がたくさん来たんです。ほかには『一谷嫩軍記』の熊谷の物語、『菅原伝授手習鑑』の松王の首実検の左にも師匠に入ってもらった。もう、汗が出て大変だった。こういう経験は師匠とぼくだけじゃなく、簑助師匠も勘十郎さんの左に入っていた。菅原でも勘十郎さんの源蔵の左に入っておられたり。
  • 光秀の出。竹を刈って先を斬ったあと、槍の穂先を人形の額部分につける所作がある。これは穂先に油をつけて久吉を刺す刃先の通りをよくしようとするもの。ずっと昔からあった演技だと思う。昔は地方公演に行くとこの部分で「細かい!」という声がかかった(笑)。師匠も笑ってましたね。

 

 

┃ 操のクドキ

妻は涙にむせ返り
「コレ見給へ光秀殿。軍の門出にくれぐれもお諫め申したその時に、思ひ止まつて給はらば、かうした嘆きはあるまいに。知らぬ事とは言ひながら、現在母御を手に掛けて、殺すといふは何事ぞ。せめて母御のご最期に『善心に立ち帰る』と、たつたひと言聞かしてたべ。拝むわいの」
と手を合はし、諫めつ泣いつひと筋に、夫を思ふ恨み泣き、操の鏡曇りなき涙に誠顕せり
光秀は声荒らげ
「ヤア猪口才な諫言立て、無益の舌の根動かすな。遺恨を重ぬる尾田春長。勿論三代相恩の主君でなく、わが諫めを用ひずして神社仏閣を破却し、悪逆日々に増長すれば、武門の習ひ天下の為、討ち取つたるはわが器量。武王は殷の紂王を討ち、北条義時は帝を流し奉る。和漢共に、無道の君を弑するは、民を休むる英傑の志。女童の知る事ならず。退さりをらう」
と光秀が、一心変ぜぬ勇気の眼色、取り付く島もなかりけり。

ここは先にお話を聞いてから実演。玉男さんが高木さんから扇子を借りて、光秀の「取りつく島もなかりけり」で決まる部分をご自身で実演された。玉男さんは体格が良くていらっしゃるからかもしれないけど……、なんかこう……違和感がなかった。人形遣いさんてみんなこういうのできるんですかね。なんかそういう芝居を見ているみたいな気分に……。あまりに普通なので反応に困った。そして光秀の前で崩れる操は高木さんが演じていた。はじめ、「操がいませんねぇ〜、操が〜……」とキョロキョロしながらおっしゃったので、客席から誰か操役を選ぶのかと思ったら、突然ご自分でやりはじめて爆笑。まあ、確かにお客さんでは操のポーズがわからない人が大半ということでしょうね。

そして実演。てっきり素浄瑠璃かと思っていたら、なんとびっくり人形がついていた。光秀だけだけど。ひたすらじ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っとしている光秀……………。本公演だと手前側で操が踊っているはずなのでそっちに目が行くが、今回は諸般の事情により操がいない(涙)ので、ステージに出ているのはじ〜っとしている光秀の人形のみ……。じ〜っとしているのって、大変なのねと思った。やっぱり足がちょっとフラついたりしちゃってたんで……。さすがに人形1体しか出てない状況でお客さんの全視線が集まるので、足を遣っている方も緊張してたと思うが……。じっとしている人形を見せるという趣旨はすごいと思う。

呂勢さんはなぜか(?)光秀の反論より操のクドキのほうがよかった。逆になるかと思っていたが。声量的にも操のほうが声の圧力があった。パフォーマンスそのものは良いんだけど、どういうバランス設計をされているのかがよくわからない……。前の知盛の回でも思ったけど、出来にムラがあるというか、こういう単発公演に弱い人なのだろうか……(東京の本公演はとても良かったんだけど)。

燕三さんはいついかなるときも上手い。お客さん全員知ってることだけど、まじうまい。決してこれみよがしだったりするわけではないんだけど、地力の高さ、その安定をしみじみと感じた。端正で清澄な音で、舞台が引き締まっている。嘆き伏す操の姿がまさに目の前に見えるような三味線。燕三さんは三味線の演奏者というより、あくまで文楽の三味線弾き……太夫さんがいて人形さんがいての三味線弾きって感じなのがとても好き。クドキの最後のほうは、ちょっと光秀から目を離して、しばらく燕三さんの手元を見て聴き入ってしまった。大変に美しい音色だった。

 

玉男さんのお話(2)

  • 操のクドキの間、光秀はじっとしている。大きい人形を高く差し上げ、ぐっ!と腹に力を入れていて……、休んでいるわけじゃないんです。ここは光秀の見せ場でもあって、「気」が入っていないと左や足がついてこない。
  • 光秀のような役は「立ち人形」と言って、動き回るので格好良く見せなければならない。十段目の光秀の人形は11kgほどある。太刀を吊っているので重い。本当は鎧を着ているはずだが、「千早」という甚平のような軽い衣装を着ている。これは明治時代に初代玉造師匠が人形を遣いやすいよう考案したのではないか。
  • 十段目は上演時間が一時間ほどあり、どこでイキを抜くか?気を抜くか?を考えている。若い頃はそれができなかった。人形を遣うのは腕力ではなく、コツがある。
  • 光秀が「取り付く島もなかりけり」で決まるところには2種類のやりかたがある。まず一つは、公演のチラシのビジュアルにもなっている、右足を手前の操のほうに下ろし、右手で鉄扇(軍扇)を顔の前に広げ、左手を頭の横で広げて突き出し、操のほうを見るやりかた(図A)。もうひとつが文吾師匠がやっていた古いやり方で、右足を下ろさず腰掛けて、閉じた鉄扇を両手で持ち、要を刀の根元に押し当てて力を入れて体重をかけ、顔は操のほうをぐっと見るやり方(図B)。

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  • 師匠は両方やっていて、これはむかしのフリや、グッと決まった(こっちの)ほうがラクや」と言っていたが、古いやり方はぼくらがやると「弱い」。師匠がやると力強いんですけど……。ぼくは古いやり方でやったことがない。
  • 師匠は一公演中でもいろいろやっていた。公演も一週間くらいすると左や足の気が抜けてくるので、違うことを突然やろうと思いつく。いきなりやられると、できないんですけど、今日は違う!!!とは思う。できます。(どっちやねん)
  • 人形の演技に手順はあるのだが、変わったりする(変えることができる)。フリがいきなり変わっても、左遣いはそれをこなさなければならない。ぼくも公演中慣れてきたらちょっとそういう変更をやることがある。滅多にはしませんけど……いまの足の子はそれに対応できないですね。でも、対応しなくちゃいけない。
  • 人形の持ち方。立役の大きな人形には「ツキアゲ」という棒がついている。この棒と右手の差し金を一緒に持つと肩が安定し、人形が決まる。指差す所作をするときなどは差し金のみを持ち、ツキアゲは離す(と言いながらさらさら実演する玉男さん。持ったり離したりが自然で、見ているぶんにはスムーズすぎて全然わからない)。人形の位置が高い姿勢のときなどは、ツキアゲをおなかに乗せる。
  • この舞台下駄はぼくが一番使いやすい高さのもの。こないだの六助でもこれを使っていた。(玉男さん背が高くていらっしゃるのでよくわからないが、そこそこ高さのある舞台下駄。見ているぶんには普通に歩いておられるけど、慣れるまでは大変そう。玉男さん身長があるからその高さですんでいるのだろうけど)

 

 

 

┃ 物見の松〜段切

またも聞こゆる人馬の物音、矢叫びの声かまびすく、手に取る如く聞こゆれば
光秀聞くより突つ立ち上がり
「アノ物音は敵か味方か。勝利如何に」
と庭先の、拗木の松が枝踏みしめ踏みしめよぢ登り、眼下の村手をきつと見下し
「和田の岬の弓手より追々続く数多の兵船、間く立つたる魚鱗の備へ、千成瓢の馬印は、疑ひもなき真柴久吉。風を喰らつてこの家を逃げ延び、手勢引き具し光秀を討つ取る術と覚えたり」
と言ふより早くひらりと飛び下り「草履摑みの猿面冠者イデひとひしぎ」と身繕ひ、勢ひ込んで駆け出だせば
「ヤアヤア武智光秀暫く待て。真柴筑前守久吉対面せん」
と呼ばはつて、三衣に替はる陣羽織、小手臑当も優美の骨柄悠然として立ち出づれば。光秀見るより仰天し、駆け戻つてはつたと睨み
「ヤア珍しゝ真柴久吉。武智十兵衛光秀が、この世の引導渡してくれん。観念せよ」
と詰め寄れば
「ホホヲ共に天を戴かぬ亡君の弔ひ軍。今この所で討ち取つては、義あつて勇を失ふ道理。諸国の武 士に久吉が軍功を知らさん為、時日を移さず山崎にて勝負の雌雄を決すべし。ガ如何に如何に」
「ヲゝさすがの久吉よく言うたり。我も惟任将軍と勅許を受けし身の本懐。ひと先づ都に立ち帰り、京洛中の者共へ、地子を赦すも母への追善、ガ互ひの運は天王山、洞ケ峠に陣所を構へ、たゞ一戦に駆け崩さん。首を洗つて観念せよ」
「ホゝゝゝゝ何さ何さ。たとへ項羽が勇あるとも、我また孫呉が秘術を振るひ、千変万化に駆け悩まし、勝鬨あぐるは瞬くうち」
と久吉が、詞はゆるがぬ大盤石
たちまち廻り小栗栖の、土に哀れを残すとは知らず
知られぬ敵
味方、睨み別るゝ二人の勇者
二世を固めの別れの涙、かゝれとてしもうば玉のその黒髪を敢へなくも、切り払うたる尼ケ崎。菩提の種と夕顔の軒にきらめく千成瓢箪
駒のいなゝき迎ひの軍卒、見渡す沖は中国より追々入り来る数万の兵船。威風りんりん凛然たる、真柴が武名仮名書きに、写す絵本の太功記と末の、世までも残しけり

ここは先にお話があってから、最後に人形浄瑠璃

お話パートでは大道具の松を特別に裏返して、人形遣いが登る階段が見えている状態で舞台下手に設置。御簾内で弾く三味線さんには今回は舞台上で立膝をして弾いてもらい、浄瑠璃を玉男さんがご自分で語りながら物見の所作を実演。本公演ではまったくの無表情で出演されている玉男さんが、笑顔で楽しげにこなされているのが印象的だった。このデモンストレーションでは、左遣い=玉佳さん、足遣い=玉路さんの動きも含めての解説。このお二人も黒衣の頭巾なしでの実演のため、お二人の目線がどこにいっているかがありありとわかった。足遣いの人はお顔をかなり上向きにされていて、ずっと人形の頭あたりを見てるんですね。左の人も上向きなんだけど、人形の姿自体をもっと細かくチェックしてコントロールしている感じ。物見に向かうとき光秀の人形は下手を向いて横向きになるが、解説では人形を正面に向け、玉男さんも左遣いの操演を実演してくれた。

物見はさすがに慣れておられるのか、スイスイと登っていたのでなんというかすごく普通に見えた。もはや裏から見ている意味がないほどのスイスイぶり……。いや、10kg以上の荷物持って段差を昇るのは大変だと思います。12月に観た『ひらかな盛衰記』逆櫓では、樋口の人形は綺麗に登っていたけれど、樋口役の玉志さんご自身は、人形を見上げてチェックしながら昇るのが結構大変げだったので……。松の木の裏に取り付けられた階段を上がるときは舞台下駄を脱ぎ、足袋の状態で昇るのだが、これもスムーズなので、さっと脱いで上がるために実際にはどういう工夫がなされているのかはよくわからなかった。なんか自然すぎて、ふーん。って感じでした(失礼)。

本番、人形浄瑠璃ではなんとびっくり!!! 諸事情によりいないかと思われていた真柴久吉が、いました!!! 玉佳さんが光秀の左から外れてここだけ出遣い(ちゃんと紋付袴にドレスアップ)でご出演。ほぼ本番一発勝負だったと思われるが、キラキラ系の瑞々しい久吉で良かった。詳しくは後述するが、段切のあたりで光秀・久吉がシンメトリーの演技をする部分があるので、久吉がいることで舞台にハリが出た。あと、お迎えの軍卒ツメ人形ちゃんがそっと出てきたのには笑った。そこはいるんかい!!!

 

玉男さんのお話(3)

  • 物見の場面は「木登りのメリヤス」に合わせて松に登る。気に登る所作をする役にはこの武智光秀、『ひらかな盛衰記』の逆櫓の樋口、『鎌倉三代記』の佐々木高綱がある。
  • そのころは(なんの「そのころ」だったか忘れました……すみません)、主遣い師匠、左がぼく、足が玉佳だった。左遣いは人形を支えて遣うのが難しい。光秀が下手向きになって松に向かって歩いていくところでは、左遣いは人形の前に回り込み、人形の左手を使いながら人形の腰を支える。このとき人形は大きく両手を広げて前後に振り、足を踏み出すが、わずかに前傾姿勢になるので、そのときに姿勢が崩れないように胴を支えている。
  • 段切「威風りんりん凛然たる〜」では光秀と久吉の人形が足をばたばたさせるが、これは「長六法」というもので、弁慶の「飛び六方」とは異なるもの。ほかには『八陣守護城』の後藤又兵衛にもある演技。お互いが上下で同じように踏む。光秀が踏み始めたら久吉も踏み、手を回す所作をする。
  • 『絵本太功記』は「尼ヶ崎の段」が有名だが、師匠はそれより前の「妙心寺の段」が好きだった。光秀が主君を殺したことを苦悩し、切腹しようとする段で、人形の演技では実際に衝立へ毛筆で辞世の句を書く場面が有名。大きく遣ってカッコよく見せる十段目とは役の性根が違う。師匠は「十段目はしんどいばっかりやね〜ん」と言っていた。
  • 衝立に辞世の句を書く場面。ぼくも7年ほど前に大阪で遣わしてもらって……。毎日壁に紙を貼って衝立に見立てて、墨汁で書く稽古してました……。うまく書けたときもあるけど、ほとんどよくなかった……。あの衝立は人にあげたり、なくなったり、捨てたり……。師匠が書いていたのはすごかった。取り合いになって……、手ぬぐいにもなっていた……。

 

 

 

お人形の話をされる玉男さんは、ふんわりお優しい雰囲気は変わらないまま、お話ぶりがとってもイキイキされていて、お話しが大変にお上手になられていて超感動した。前回は「秘蔵の姫」って感じだったが、今回は「煌びやかな若武者」って感じ。キラキラと、とても楽しげに人形のお話をなさっていた。とくに玉佳さん(みんなのアイドル)、玉路さん(なんてしっかりした子なんでしょう)が舞台に呼び出されてからは、ご紹介から実演までもう超超超嬉しそうでいらっしゃって、よかったですね……😭✨と思った。お二人のことが大好きなんですね……。玉佳さんが高木さんからいきなり光秀の左の要点を話すよう振られたときには、さっと「こうやなっ!?」って感じにすかさずフォローされていて、玉男様の兄弟子らしさ(?)を見られたのもとてもよかった。6月の大阪鑑賞教室での玉佳さんの光秀役の宣伝もされていて、とにかく嬉しそうでいらっしゃった。お師匠様のお話も楽しげになされていて、そのすごく自然な雰囲気がとてもよかった。

お話も面白かったし、いずれの実演も素晴らしく、美しい人形と浄瑠璃を満喫できた夜だった。今度はぜひ燕三さんらにもトークにお出まし願いたいと思う。

そんなこんなで、実家に油田が湧いたら飛鳥IIの文楽クルーズに行きたい私でした。 

 

 

 

  • 赤坂文楽シリーズ#19「伝統を受け継ぐ其の九」
  • http://labunraku.jp/2018/03/29/赤坂文楽19/
  • 人形浄瑠璃文楽『絵本太功記』尼が崎の段より“武智光秀”
    第一部 武智光秀登場
    第二部 お話)吉田玉男 聞き手)高木秀樹
    光秀の妻、操のクドキ
    第三部 武智光秀と真柴久吉
  • 出演
    太 夫/豊竹呂勢太夫
    三味線/鶴澤燕三・鶴澤友之助・鶴澤清公・鶴澤燕二郎
    人 形/吉田玉男(武智光秀)・吉田玉佳(真柴久吉)・吉田玉勢・吉田玉翔・吉田玉路・吉田玉峻・吉田玉延・吉田玉征

 

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*1:かわいかった時代の玉男様のお写真は書籍『二代目吉田玉男 文楽をゆく』に載っています。なんでコレがアレに?(クソ失礼)という驚異のかわいさに五度見してしまいます。 

文楽をゆく (実用単行本)

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