TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 11月大阪公演『蘆屋道満大内鑑』『桂川連理柵』国立文楽劇場

国立劇場文楽プロモーション動画は結構頑張っているが、文楽劇場制作の動画は天然のなせる技で、平成初期のお父さんのホームビデオのようだ。なぜこんな場所で撮っているのか、なぜこんなに手振れしているのか、なぜこの二人はペア役なのにまったく息が合っていないのか。玉佳さんの与兵衛ばりのデヘヘポーズがかわいすぎてほっこりする。これがぶりっこではないのが文楽業界のすごいところで、納税していてよかったと心の底から思う。和生様動画のほうもアカラサマに「言わされてる」眼光鋭い目の泳ぎぶりが最高だった。

f:id:yomota258:20180820143437j:plain

 

蘆屋道満大内鑑。

今回は我ながら殊勝なことに、観たことのない『蘆屋道満大内鑑』と『鶊山姫捨松』は事前に原文全段を読んだ。が、はりきりすぎて両方とも10月中旬に読み終わってしまい、実際観に行ったときには記憶が揮発して何の話だったかほとんど忘れてしまっていた。そのうえ両方とも「後嗣を擁したほうが勝ちの政権争い」で「姫の義母は悪人と内通している」「義母が姫を憎んでいる」話なところが混乱を招く。淡い記憶を頼りにまとめると『蘆屋道満』の物語のあらすじはこんなところのはず……。(参考文献:新日本古典文学大系93『竹田出雲・並木宗輔 浄瑠璃集』校注=角田一郎・内山美樹子/岩波書店/1991)

  • 朱雀帝の御代を舞台に、執権の座を狙う大臣たちが先ごろ逝去した天文博士・加茂保憲の弟子・蘆屋道満、安倍保名を利用して政権争いを繰り広げる時代物。東宮・櫻木親王には二人の妃がいて、それぞれ御息所は左大将・橘元方、六の君は参議・小野好古の娘であり、男児を産んだ妃の父が政権を握ることができるという寸法。大臣たちはこれを陰陽の術で実現させようという目論見である。
  • 橘元方が擁立する蘆屋道満は一般的には悪役だが、本作では外題に「大内鑑」とあるように内裏に仕える者の手本となるような偉大な人物として描かれる。対して小野好古の家臣・安倍保名は主体性が薄くわりとナヨっていて、世のさざ波に翻弄され続ける。道満と保名は加茂保憲の後嗣候補としてはライバルであるが、本人同士は仲が悪いわけではなく、二人をそれぞれ利用しようとする大臣たちの思惑によって結果的に別離した状態になる。
  • ところで加茂保憲には榊の前という養女がいて、彼女と保名は恋仲であったが、保憲の逝去により二人の関係は宙に浮いていた。保憲の後室は橘元方の妹で、兄の政権奪取計画にイッチョカミしており、また、義理の娘である榊の前を憎んでいて保名のことも快く思っていない。後室と橘元方一派の岩倉治部は、保憲が残した秘伝書「金烏玉兎集」を榊の前と保名が盗んだことにして二人を窮地に追いやるが、保名をかばった榊の前が自害し、保名はそのショックで狂気に陥って出奔する。
  • 一方、事情を知らない蘆屋道満は治部から後嗣の証である「金烏玉兎集」を受け取り、橘元方一派の目的である御息所の懐妊には白狐の血が必要であることを教える。道満は治部の娘婿であったが、義父や橘元方一派の悪計に気づいており、義理に苦しみながらも帝や妃たちに被害が及ばないよう事態を上手く捌いてゆく。
  • その頃、榊の前の実妹・葛の葉姫は、姉の身に異変があったのではという胸騒ぎから信田の社に参詣していた。そこには狂乱する保名がいて、榊の前とそっくりな葛の葉姫を亡き恋人と思い込むが、保名の家臣・与勘平から事情を聞いた姫が声をかけると正気に戻る。与勘平や保名の話から榊の前の死を知る葛の葉姫とその両親・庄司夫婦。保名は葛の葉姫に求婚し、姫と両親はそれを受け入れるも、姫は橘元方一派の石川悪衛門からシツコク追い回されているため、庄司は一旦保留とした。
  • そこへ突然、狐狩りに追われた一匹の白狐が飛び込んでくる。保名は狐を霊獣として庇い社に隠すが、現れた狩人は治部に白狐の血をゲットしてこいと命じられた悪衛門であった。これ幸いと葛の葉姫を連れ去ろうとする悪衛門、彼を嫌う姫と両親は身を隠す。保名は悪衛門に立ち向かうが、ナヨすぎてまったく歯が立たずコテンパンにされ、その恥ずかしさから自害しようとする。そこへ葛の葉姫が戻ってきて保名に思い直させ、二人は手に手を取って落ちていくのだった。

 

……というところからの、葛の葉子別れの段。

保名は阿倍野の外れの小さな家で、妻・葛の葉と生まれて5年になる息子・安倍童子とともに暮らしている。保名の留守中、葛の葉〈吉田和生〉は機織りをして家計を助けているが、不審な木綿買い〈桐竹勘介〉がやってきたので追い返す。遊びから帰ってきた童子〈桐竹勘次郎〉が家の前でしきりに虫を捕まえては殺しているので、葛の葉は注意をする。

彼女は童子を寝かしつけるとまた機織り部屋に戻って仕事を続けるが、家の前に信太庄司〈吉田玉輝〉とその妻〈吉田簑一郎〉、そして葛の葉姫〈吉田簑紫郎〉が現れる。アレ? 一家は長年行方不明の保名を探しており、ついに所在を突き止めてここまでやって来たのである。庄司は家に声をかけるが、反応がない。機織りの音に下女がいるのではと機織り部屋をそっと覗くと、なんと娘・葛の葉が女房姿で機を織っているではないか。仰天した庄司が妻と娘にも部屋を覗かせると、やはり葛の葉姫に寸分違わない女がそこにいる。コレ離魂病とかいうやつではと親子が話していると、外出していた保名〈豊松清十郎〉がちょうど帰ってくる。保名は信田の社の一件以来挨拶にも参上しなかった庄司夫婦との久々の再会に恐縮し、娘姿の葛の葉を見て「またまた〜wそんなカッコしてぇ〜w」と笑っていたが、庄司の言葉に葛の葉が二人いることを知らされ、用心深く、しかし何気ないふりをして家に入る。何も知らず夫を出迎える女房葛の葉に保名は「先ほど町で庄司夫婦にばったり出くわした、あとで訪ねてくる」と告げる。葛の葉は動じることがなかったが、保名は慎重に奥の間へ入る。

保名が去った後、葛の葉は眠る幼子にひとり語りかける。実は自らは人間ではなく、その正体は、悪衛門に追われていたところを保名に助けられたあの白狐であると。自害しようとした彼を助けるため葛の葉姫に化け、そのまま夫婦になってしまったが、姫本人が現れてはもうここにいるわけにはいかない。今後は庄司夫婦をまことの祖父母、葛の葉姫を母と慕い、父保名の跡を継ぐべく学を修めてほしい。虫を殺してばかりいるのは狐の母の本性を引いてしまったかと胸が痛むばかりだが、今後はそのようなことをせぬよう。別れてもこの母は影から見守っていると涙ながらに語る。それを聞いていた一同は駆け出て彼女を引きとめようとするが、葛の葉は白狐の姿に変じてたちまち姿を消してしまう。葛の葉姫は童子を抱き上げるも、乳が出ないゆえ彼女をママだと認識しない童子に困惑する。狐を妻に持ったことを恥じてはいないという保名が襖を引きあけると、向こうの障子には「恋しくば尋ね来て見よ和泉なる信田の森のうらみ葛の葉」という一句が書かれていた。嘆き悲しむ保名に、庄司は信田の森を訪ね狐の葛の葉に会いにいけばよいと諭す。

そこへ先ほどの不審な木綿買いが現れる。木綿買いの正体はあの石川悪衛門の家来であり、主人が懸想する葛の葉姫を奪いにきたのであった。保名は葛の葉姫と庄司夫婦を逃すと、いままでのヘタレが嘘のように悪衛門の家来たちを次々倒してゆく。庄司夫婦は喜ぶが、葛の葉姫は狐の葛の葉を訪ねて童子に乳をやりたいと言う。保名はさっそく葛の葉姫を伴い、信田の森へと夜道を急ぐのであった。

姉さん被りの貧家の女房姿、庄司夫婦に会うため改めた紫に菊模様の着物姿、たくさんのフリンジの下がった白い着物姿(狐姿?)*1の葛の葉がとても美しかった。あまりの美しさに、うっとり……。2着目が菊模様の着物なのは「蘭菊」が「狐」の枕詞だからだろうか。 女房葛の葉は往年の大女優のようなシックな美しさだったけど、この衣装のときは少し華やいだ雰囲気と、それに反する寂しげなニュアンスがにじんでいた。印象に残っているのは、この衣装で胸元をくつろげる仕草をする→童子を抱く仕草の素朴な優しさ。一連の動きがとても自然で、無意識レベルで子どもの世話をするお母さんって感じだった。

最後、葛の葉は小柄な白狐(ぬいぐるみ)の姿になって去っていくが、突然のぬいぐるみ、可愛かった……。文楽劇場所有のものだと思うけど、まじ、ぬいぐるみ……。人形のときと、解像度と言うかリアリティのレベルが全然違う……。和生さんって派手にできるようなところも華美になさらないから、人間→狐姿の人形の差し替えも至極自然にされていたけど、ぬいぐるみはさすがに唐突で、見た目がおじいちゃん&狐と化して、我に返って「かわいい……」と思ってしまった。和生さん、人形遣ってるあいだは出遣いでも姿が見えないんだけど……、狐が人間に化けてたんじゃなくて、人間が人形に化けてたんですねって感じでした……。

子を抱いての葛の葉の独白は床も聞きどころ。津駒さん宗助さんの演奏はとてもよかった。抑えめの和生さんの演技と華やぎある床が調和していた。葛の葉は狐詞で喋るので語尾が人間と違う(語尾に間や上がりがある)とのことだが、喋り方がおかしいのはわりとはじめからなのね。保名が帰宅してやりとりしているあいだも喋り方がちょっと違うように思った。ひとりで語りかけるところは、時折、ひそひそ声の、すこし抑えた口調になるのがよかった。私の文楽の好きなところは、上演中(演奏中)は時間の流れが日常から切り離されて伸縮し、(それが速くても遅くても)ゆっくりした気持ちになれるところなんだけど、それを存分に楽しめる時間だった。

それにしても保名、大丈夫か? 言動がおかしくないか。榊の前を失って狂気に陥ったあと、信田の森で葛の葉姫に出会って正気を取り戻したかのように見えても、ずっと狂っているのではないだろうか。清十郎さんはその絶妙なラインを突いてきていた。人形の演技は、帰宅して家の前で庄司夫婦に葛の葉が二人いることを知らされ、何かのまじない……九字を切るような仕草をして家に入るところと、葛の葉と喋った後、正体を怪しんで床の間に飾ってあった御幣(?)を手に背筋をピンと伸ばして奥の間へ入るところがよかった。それ以外はあまりにヘタれているというかヨロヨロしていて大丈夫かと思った。でもこういう線がハイテックC並みに細い系のヘタレはできる人が限られているし、ド悲惨感にあまりに味があったので、いい。

その点でいうと葛の葉姫はえらい。おそらく20代前半の設定だと思うけど、将来を約束した男がいつのまにか妻を持っていて、しかもわりとデカイ子どもまでいて、その1ミリも自分になつかない5歳児のママになれって言われて「ちゃんとしなきゃっ!」って納得しているあたりがすごい。だって保名を6年も待っていたわけでしょう。それが男のうっかりさんゆえのこの始末。普通は保名が帰宅してきたところで時点で刺すと思う(もっというと求婚してきた時点でキモくて刺してるかも)。と、浄瑠璃自体からはそう感じるわけだが、人形の演技は大変可憐でよかった。女房葛の葉はかなり年上風だけど、葛の葉姫は本当に物事がよくわかっていない娘さんという感じ。DV男に取り憑かれそう。姫ポーズ(手を袖に入れて三角にしている様子、あれ、なんていうの?)がいじらしかった。が、この後の信田森二人奴の段では5歳児を片腕で軽々持ち上げるので、腕っ節はわりと強い娘さんだと思った。あれ、そういう型だからそうしてるんだろうけど、ボディに対するパワーとしては与勘平並みの腕力だと思う。

どうでもいいことだが、保名の家の前にある物置にかかっているすだれのボロ具合が今までに見た文楽の大道具で一番精度があった。まじボロかった。始終この調子でいってほしい。あと、葛の葉は狐の正体を顕してからは謎の念力で子どもを宙に浮かせたり、戸を閉めたりするけど、私が葛の葉ならその念力で家事をしようとすると思う。AIに仕事を奪われてラクして暮らしたい派なので。

 

信田森二人奴の段。

狐の葛の葉を探す葛の葉姫は安倍童子を伴い、信田の社の前にやって来る。すると石川悪衛門〈吉田簑太郎〉とその手下が現れ葛の葉姫たちを拐おうとするが、折よく保名の家臣の奴〈吉田玉助〉がやってきて姫たちを助け、逃げていく一味を追い立ていく。姫が一安心していると、先ほどの奴〈吉田玉佳〉が戻ってきたので、おおいに褒め称える。しかし、奴・与勘平(よかんべえ)は肩にかけた状箱を見せて、最前まで保名の使いで京都へ行っていたのだという。状況を掴めない与勘平が「?」となっているところに悪衛門が舞い戻ってきたので、与勘平は再び(?)一味を追っていく。それと入れ替わりに忍び寄ってきた悪衛門の手下〈吉田玉路〉が姫と童子を捕らえようとすると、最前の奴が現れてまたも彼らを追っていく。姫が「???」となっているところへ、左右から悪衛門一味を追い払った奴二人が姿を現す。マジクリソツな奴二人に、童子は奴が分裂して二人になったと大はしゃぎ。葛の葉姫は両者に問答して正体を詮議することに。まず右の奴〈吉田玉佳〉に名と生まれを聞くと、与勘平であると言ってその名の由来、出身、給与形態を正しく答える。それは姫が保名から聞いていた話に相違なかった。続けてもうひとりの左の奴〈吉田玉助〉に生まれを聞くと、「穴から出た」という。彼は名を「野干平(やかんべえ)」と名乗り、正体は信太の社に仕える狐であることを告げる。野干平は自分が悪衛門一味を追うので与勘平には葛の葉親子の護衛をしてここから退いて欲しいと言い、与勘平は快くそれを引き受ける。これがいまも伝えられる信太の森、葛の葉稲荷のご威徳のひとつである。

今更ですが……。玉佳さんて普通にまじうまいね。与勘平、すごくよかった。与勘平って、奴で、上半身裸の人形なんだけど、筋肉太りした偉丈夫な「やっこでぃす!!!!」感がすごくよく出ていた。大胸筋すごい、みたいな。人形の肉襦袢自体に大袈裟な筋肉の盛り付けがされているわけではないので、人形の構え方だと思うけど、立ち姿がピンッとしていて、胸が突き出て筋肉がパンと張っているように見えるんだよね。まるでポパイみたいなの。胴に対する顎の前後位置とかもカンペキで、横姿もキレイ。ちょこっと顎を上げてるのもヒゲヅラに似合っている。筋肉太りの雰囲気が出ていて、ふだんから体使う筋肉質な人の体格ってこんな感じ、というか。動きも筋肉がついた人のハリのある動作で、元来の止め姿勢の綺麗さもあいまって素晴らしかった。特によかったのはのしのし悠々とした出と、悪衛門一味を追って状箱で刀を受けて上手に引っ込むところの伸びた姿勢のよさ。奴の体格を表現する人形の姿勢と遣い方で、感銘を受けた。

しかし冒頭にも書いたけど、玉助さんと玉佳さん、全然息が合ってなくて、おまえら似てねえよ!!!!状態で、めっちゃ笑った。でも玉助さんは玉助さんで、こいつ、あやしいなー、まがいもんじゃね?しっぽあるだろ??っていう味があった。本来どこまでそっくり演技をするものなのかわからないけれど、こういうざっくりしたのんびりさが似合う段だった。

 

 

 

 

桂川連理柵。

去年の地方公演と同じ構成で、六角堂の段・帯屋の段・道行朧の桂川の段が出た。が、比較するのも何だが、本公演の今回はとてもよかった。当然ながら本公演のほうが技芸員の層が厚いので配役がよくなっているということもあるが、同じ配役で出演していても良くなっている人がいるという意味もある。

まずよかったのはお絹役の勘彌さん。地方公演でもよかったけど、今回はますます美しく色っぽくなっておられて、とてもよかった。私が隣家に住む男子高校生なら叶わぬ恋に身を焦がしているところだ。六角堂のお高祖頭巾姿から滲む色気はやはりよかったし、帯屋の夫の窮地を助ける妻としての気丈さと、しかしながら少し悩み疲れたような姿勢や辛さをこらえる表情も美しかった。私は勘彌さんには遊女・傾城・姫役を期待しているのだが、こういうエロ奥さんもたまらない味がある。

意外配役で飛ばしてきたのは儀兵衛役の玉志さんだった。配役を見たとき驚いたが、でもこれだけの役が配役される人なんだと思った。先代玉男師匠がなさっていたことを受けての配役だろうか。相当清潔感のある人だしああいうゴキブリ&イキリ&チャリの3リ役はどうなるのかと思ったが、実際見てみるとキレのある動きが儀兵衛に謎のヤバオーラを醸し出させ、若干サイコパス化していてよかった。喜劇俳優がベタベタにおもしろおかしく行くというより、人間で言うと三島雅夫がやっているような、目が一切笑っていない「ヤバい」オーラがあった。長吉とのやりとりでケタケタと笑い転げまくり、しかし時々ぴたっと止まって我に返る瞬間の真顔ぶりなど最高だった。妙にキレのある動きは、母おとせ役の簑二郎サンとまさかのマッチングを見せていて爆笑した。全然芸風違うはずなのになぜか止まらない母息子オーラ。正確には動きに異様なキレがあるという一点突破。この謎配役ハーモニー、たい焼きにはじめてカスタードクリームを入れた人の偉業に匹敵する。肩たたきの場面とか超最高でした。

しかし私個人として殊に「さすが玉志さんだね……」と思ったのは、六角堂でお絹に言い寄りセクハラタッチをするところ。浄瑠璃に合わせて光の速さで超真面目にセクハラをしていらっしゃった。普通、文楽人形のセクハラって、喋って、ワンテンポおいて、太ももや膝を可愛くなでくり回すorフェザータッチ、というチャーミングな方向に振ると思うが、玉志さんは秒でお絹の股間に手をサッと的確に差し伸べていてマジビビッタ。本来、ギリギリ言い逃れができるレベルでやるのがゴキブリ系キモ野郎のセクハラの作法である。なんという潔さ、清冽さ。そこを触っては言い訳する前に即座にアイスピックで喉笛を突かれても仕様がない。誰か玉志さんにセクハラの仕方を教えて差し上げて。しかしながら『彦山権現誓助剣』の京極内匠の色悪ぶりの余裕や間のもたせ方は大阪東京の二ヶ月の時を経て板についておられたので、きっと慣れの問題だと思う。

儀兵衛の相方、長吉は文司サンだった。うーん、文司サンののどかな味が長吉に合ってる……。このなんとも言えない「目の焦点が合っていない」感。長吉はやっぱりハタキで鼻水を拭いていて怖かった。執拗に床(っていうか手すり)に鼻水のついたハタキを擦り付けていた。それ以外は余計なことをせず大人しくしている長吉だったが、そのせいか愚鈍感がマシマシで、ヤバいもん見てしまった感が増幅した。

待ってました〜っ!!!!!!!*2と思ったのは長右衛門役の玉男さん。桂川って、話があまりに理解不能すぎてついていけない。出演者でもかなりの人が「理解不能」と思って出ていると思う。そこをどうにか浄瑠璃として定着させるところが眼目のひとつだと思うが、この、玉男様の、「うん、やらかしそう^^!!!!!」感、最高だった。玉男さんのヘタレクズオーラ、しかしそれは唾棄すべきものではなく、「しょうがないな〜」という気持ちにさせてくるあの塩梅は他の人には決して出すことのできないもので、まことに文楽の宝だと思う。長右衛門は文楽の中でも最低位のクズ中のクズ、言い逃れ一切不可のドクズだと思う。それを被害者オーラではなく微妙に「しょうがないな〜」のラインにスライドさせてくるというのは玉男さんのご人徳の現れというとまことに失礼だけど、持ち味の良さだと思う。そして、まったく動かず、じ〜っとしているぶりね。じ〜っとしていても、間が持っているのが。玉男さんが赤坂文楽の実演で「光秀がじ〜っと操のクドキを聞いているところ、やりま〜す」と言い出されたときは客席全員仰天したが(そしてまじでじ〜っとしているだけのところを実演)、じ〜っとして思い悩んでいる様子を出すのが本当にお好きというか、お得意なのね……と思った。あの「人形が悩んでいる……」ぶり、よく転ぶときも悪く転ぶときもあるけれど、玉男さん独自の味。

そしてもうひとりの「うん、やらかしそう^^!!!!!」、お半役の勘十郎さんもよかった。隣家の茜色ののれんから周囲を伺いながらピョコンと出てくるいたずらっ子のような仕草。勘十郎さんの女方はやっぱりロリ役が似合う。なんともいえない、たんぽぽのようなおぼこ感がうまく定着していると感じる。勘十郎さんて演技と内面感情が別々に存在しているような役だと、人形の表現が演技そのものに引きずられて人物の内面描写がぼやけることがあるように感じるが、演技と感情が一致しているヤバ娘はやっぱりうまい。恋する長右衛門への気持ちが上ずってウキウキしているお半の気持ちが感じられる。小悪魔というか、単なるおぼこではなく、わかっていてやっているような、倫理観のないデビルぶりもよい。ここはさすがに正体がオッサンなだけはある演技と技術だと思う。

 

床は、帯屋の咲さん燕三さんがしみじみとしていて、とてもよかった。ありえなさMAXの物語に唯一説得力を持たせる。それと一番驚いたのは、道行の織太夫さん。驚きには2つ理由がある。まずひとつは、特殊な節からはじまる出だしのよさ。義太夫節以外の節回しではじまる曲って、若い人はだいたい失敗してる。舟歌なり他の邦楽なりのその節回しを理解して語っていないため、単にメロディだけを追ってしまって不自然に聞こえることが多い。ご本人が一生懸命やってるのはわかるんだけど、結果として、音痴だなー、みたいな出来になっているというか。能を観に行くと、子方の謡が「謡」になっていなくて、単なるメロディでしかなくまさに「歌っている」だけのことがあるが、それと同じ。邦楽ってメロディで表現するものではない部分が多いと思うので、メロディだけで聞かされると非常に不自然に感じる。今回の公演でいうと、そういった特殊な出だしをその節付けでキッチリこなして聞かせてくれていたのは、『女殺油地獄』の徳庵堤を語った三輪さんだけ。かと思いきや、この道行の頭を語った織太夫さんもかなりよかった。このひと今までここまでできただろうかと驚いた。義太夫節の節回しではない朗々とした部分を(プログラムの解説からすると、宮園節?)、キッチリこなされていたと思う。もう一つは、お半をつくり声で表現していなかったこと。以前も書いたことがあるが、織太夫さんて女性のセリフが苦手なのか、つくり声に頼りすぎて、身分の高い役だろうが何だろうが全員夜鷹のような喋り方になっているのがすごく気になっていた。襲名公演の東京の玉手御前がそうなっていたのは非常に聞き苦しく、かえすがえすもまことに残念だった。しかし、今回のお半はその癖を抑えて口調のニュアンスでの表現を追われていたようで、ああこの人、ちゃんと自分でわかっていたんだなと思った。今後もこの方向性をキープしてほしいと願う。

 

でも、今回はやっぱり人形の玉男さん勘十郎さんカップル配役による説得力が大きかったな。二人揃って「「うん、やらかしそう^^!!!!!」」ってオーラを醸し出していた。年齢差設定の不自然さを超える説得力がある。

9月の東京公演『夏祭浪花鑑』は、私は玉男さんが義平次というのは納得しかねる部分があったんだけど、でも、千穐楽に観たとき、あ、これは、団七義平次が勘十郎玉男じゃないと芝居として持たなかったんだ!と感じた。お互いに良い意味でもたれかかっている。お互いが一人では成立しえない芝居をしていて、それは相手役の人を無意識レベルで信用しているからだなと。勘十郎さんのほうにそれは特に感じた。勘十郎さんて、カラミのある演技よりソロ演技のほうがうまくて、普段は単独で芝居をするという気持ちをもたれていると思う。そして、今回、正直、団七は最後のほうの日程は体力がついていかなくなっていたと思う。でも相手が玉男さんだから信頼して義平次に預けている部分があって、しかし合わせてご本人も懸命なのでそれが団七の表情に現れていて、だからこそ奇跡的にバランスがとれて成功している部分があった。『桂川』では、道行の最後、「♪繻子の帯屋と信濃屋の」でお半と長兵衛が同時に上手を向くところがあるが、そこの揃いぶりにぞっとした。勘十郎さんも玉男さんも、相手役が自分より経験の少ない人の場合、相手を見て配慮して演技していることが多いと思うけど、二人ペアの配役だと相手を見ず自分の演技に集中してやっている。ご本人たちは揃えているつもりはなく、曲を聞いて自然にやっているんだと思う。だからこそ、相手を見てからやっていては間に合わない本当に揃ったターンで、よかった。

 

2017年度地方公演での『桂川連理柵』感想。

 

 

 

*1:全然どうでもいいことだが、せっかくなので私もオメカシして狐姿の葛の葉みたいなフサフサ毛がついた服を着て行ったけど、和生様の気高い美しさに比べたら私はムダ毛を一切処理していないオッサンが生まれたままの姿にて往来を歩いているようで失敗だった。あのフサフサの白毛、葛の葉はある程度大きな動きがあるわりにグシャらずサラサラと流れていて、絡まり等がなく美しく保たれていた。どなたかが毎日ブラッシングしているのだろうか。あの手の毛生え系の服は手入れが大変だと思う。私もクリーニングでいくら取られるのか怖い。

*2:葛の葉子別れの和生さんにこう叫んでいる和生様ガチ恋勢のオッチャンがいた。和生さん、午前の部の、一番最初の段の、開演3分もしないレベルで出てくるが、オッチャンは待っていたのだ。なぜならワシはずっとずっと前、この世に生まれるまえから和生を待っていたのだから……。そんなオッチャンの魂の叫びを聞いた気がする。「待ってました」はいつ言ってもいい……。そう教えられた。