TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 11月大阪公演『鶊山姫捨松』『女殺油地獄』国立文楽劇場

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鶊山姫捨松。漢字が読めない。ひばりやま・ひめすての・まつ。

これも事前に全段を読む予習をした。「中将姫雪責の段」に至るあらすじは以下のようなものだった。(参考文献:叢書江戸文庫11『豊竹座浄瑠璃集 二』校訂=白瀬浩司、河合祐子/国書刊行会/1990)

  • 女帝・称徳天皇の御代を舞台とした皇位継承権争いの時代物。称徳天皇は甥・大炊の君への譲位を考えていたが、帝を女と侮る長戸王子は子息・春日丸を皇位にと狙っている。人々は称徳天皇派vs長戸王子派に別れ、キーアイテム「謎の仏像」を軸に物語が展開する。
  • 淡路島へ流れ着いた謎の仏像。百姓・磯太夫が持参したその像の正体を巡り、内裏で詮議が行われる。像が正統の観音像であるか外道の像であるかで皇位継承を争う二派が対立。そこで横萩右大臣豊成の息女・中将姫が信心深さから像の判定を依頼される。姫は瑞夢に見た千手観音であると語り、像は彼女に預けられることに。称徳天皇は磯太夫に淡路島へ流されている大炊の君のことを頼み、磯太夫はこれを合点承知之助して帰っていった。
  • 称徳天皇派の豊成は、家臣・春時と八郎に命じ、密かに淡路島へ大炊の君を迎えに行かせる。一方、長戸王子は藤原広嗣と豊成の後妻・岩根御前と密議を行なっていた。実は岩根御前は以前は春日丸の乳母であり、今も長戸王子と通じていた。彼女は一種のスパイだったのである。中将姫が預かっている観音像は実は正統のもので、称徳天皇を邪法によって呪詛しようとする長戸王子はその像が呪術の妨げになるとして、岩根御前に像を盗ませようとする(だから内裏でアレは邪法の像だ、玉座から遠ざけろって言い張ったのね)。
  • 淡路島へ到着した晴時と八郎は大炊の君を探すうち、彼を慕う磯太夫の娘・おこなと出会う。同時に、長戸王子による「大炊の君を殺せ」との廻文状が村の庄屋のもとへ届くが、磯太夫・おこな父娘の機転によってすんでのところで大炊の君を救出。しかし磯太夫はそのために命を落とし、晴時がおこなを養女として預かることになって、晴時・八郎は大炊の君とともに帰洛する。
  • [ここから今回上演の三段目]豊成の下屋敷では、八郎の妻で中将姫の腰元・桐の谷が豊成お気に入りの若党・林平から暇乞いをされていた。すると中将姫が現れ、突然林平に恋心を打ち明けて最後に一夜語らいたいと寝所へ引き入れる。入れ替わりに、林平の隠し妻が屋敷の庭先へやって来る。桐の谷は彼女に夫は姫と睦んでいると吹き込み、不義がバレておおごとになる前に夫婦だけが知る秘密を書いて手紙にして渡せば気持ちも冷めて帰って来るだろうと煽る。林平の女房から預かった手紙を手に姫の寝所へ踏み込む桐の谷。手紙には「観音像の儀につき急用あり」と書かれていた。実は中将姫が称徳天皇から預かった仏像は何者かによって盗まれており、桐の谷はその行方を追っていたのである。姫の恋も、林平を犯人と見た桐の谷が打たせた芝居だった。実は林平の女房というのは、つい先頃まで長戸王子に仕えていた腰元・更科であり、林平はそこに出入りする膏薬売りであったのだ。その密通を岩根御前に発見されて一派の悪事に加担させられ、二人は右大臣家に入り込んで観音像を盗んでいたのだ。「夫婦の秘密」とはその観音像のことだったのである。林平は切腹し、観音像は王子側に渡っている旨を告げて果てる。
  • 桐の谷は真実を豊成に報告しようとするが、中将姫は義母岩根御前を庇って引き留める。しかし今日は観音像の行方詮議の期限で、姫は紛失の罪により座敷牢に入ることに。林平の不審な死から事の露見を恐れる岩根御前は姫を問いただすが、姫は自分が無体な恋を仕掛けそれを聞き入れなかったゆえ、桐の谷が林平を切腹させたとシラを切り続ける。
  • そのうち晴時の妻・浮舟が姿を見せる。彼女もまた中将姫の腰元で、夫が淡路島から連れ帰った磯太夫の娘おこなを「千寿」と名を改めさせて伴っていた。千寿は桐の谷が姫の腰元から何か手紙を受け取るのを目撃する。浮舟の参上を知ってやって来た岩根御前は素直な言動の千寿を気に入り、侍女として貰い受けることに。そして姫の不義のために林平は桐の谷に始末されたと浮舟に吹き込んで、姫と桐の谷の罪深さを彼女に植え付けるのであった。

 ……というところからの、中将姫雪責の段。

岩根御前に気に入られている浮舟〈桐竹紋臣〉と中将姫に忠実な桐の谷〈吉田一輔〉は、姫の不義の真偽を巡って激しい争いになる*1。そこへ藤原広嗣到着の声が聞こえ、岩根御前〈吉田文司〉が姿を見せる。岩根御前は桐の谷を追い払い、浮舟を自らの部屋へ下がらせた。やがて広嗣〈桐竹亀次〉が座敷に入ってくる。広嗣は表向きは観音像詮議の使者であったが、実は観音像を王子が盗ませた一件が姫に知られることとなった事態へのもみ消しの相談に来たのだ。岩根御前は夫が自分の裏切りを察知したのではないか、また姫が事実を告げてしまうのではないかと恐れていたが、広嗣は姫をこの大雪に紛れて折檻すれば寒さで死ぬか、さもなくば発狂して豊成へ真実を割ることもあるまいという。その言葉を聞いた岩根御前は、奴二人〈吉田文哉・桐竹紋秀〉に命じて中将姫〈吉田簑助〉を雪降り積もる中庭に引き出させる。

降りしきる雪の中、岩根御前は中将姫に像の行方を人面獣心で詮議する。しかし姫は近いうちに必ず取り戻すと言うばかり。奴たちはしきりに姫を打ち据えるが、姫はお経の読誦を乞うだけだった。桐の谷が庭の木戸の前に現れて何故真実を言わないのかと嘆くが、姫は決して口を割らない。姫が先ほど桐の谷へ届けさせた手紙は、観音像の行方の口止めを頼むものだった。桐の谷は姫を哀れみ、せめてこれで雪を避けてほしいと打掛を脱いで投げ入れる。様子を見ていた岩根御前は自ら庭へ降り立ち、姫の髻を掴んで引き回し激しく折檻する。見ていられなくなった桐の谷はついに庭に飛び込んで割れ竹を奪い取り、岩根御前に向かって振り上げる。主に向かってと嘲笑する岩根御前、動けない桐の谷。奴たちはさすがにドン引きして逃げてしまう。広嗣の呼び声によって浮舟が現れ、桐の谷の割れ竹を奪い彼女を打擲しようとする。しかし間に割って入った中将姫が誤って打たれ、その場に倒れ伏してしまう。姫の息が絶えたと浮舟が騒ぐと、岩根御前と広嗣は焦って姿を隠す。

庭には浮舟、桐の谷、そして倒れ伏した中将姫が取り残された。桐の谷が浮舟に食ってかかると、浮舟は芝居はもうよいと言う。実はこれは腰元二人が仕組んだ芝居で、桐の谷と浮舟は不仲を装って岩根御前を謀り、姫に死んだふりをさせて危険な屋敷から連れ出す手筈になっていたのだった。二人がキョトつく姫を抱き起こしていると、「待て」の声がかかる。奥から姿を見せたのは姫の父・右大臣豊成〈吉田玉男〉であった。腰元二人は慌てて打掛で姫の姿を隠す。すべてを承知していた豊成は、帝を守るために姫の境遇を見て見ぬふりをせざるを得なかった苦しい胸の内を述懐し、“姫の遺骸”を鶊山へ隠して欲しいと桐の谷と浮舟へ依願した。その言葉を聞いた姫は打掛の陰から父に手を合わせ、西方浄土での再会を約束する。こうして中将姫は二人の腰元に助けられ、鶊山へと逃げ延びていくのであった。

みんなの姫ふたりが❤️❤️キャットファイト❤️❤️❤️という衝撃の幕開けではじまる段。かわいすぎてどうしようかと思った。浮舟と桐の谷は打掛を脱いで庭へ降り、折り取った花の枝やら雪の掛け合いやらで喧嘩をはじめる。腰元といっても二人は帯をリボン結びにしているような娘の腰元ではなくて、浮舟・桐の谷ともにかしらは老女方で衣装も落ち着いた色味なんだけど、人形遣いが娘役のお二人だからか(プラス、二人とも若めのはず、旦那二人が二十代設定なんで)、原作を読んで思っていたよりキャイキャイしていて、芝居らしく華やかでかわいらしかった。最後に岩根御前が登場するところで二人が広げる巻物が何なのかわからなかったが、今回上演されない部分で姫が桐の谷に渡す手紙なのかしらん。原文を読んだ記憶が揮発したためわからない。とにかくものすんごい長文だった。

中将姫は簑助さん。か、かわいい。わかっていたけどかわいい。なんという気高いかわいらしさ。ちいさな人形が輝いている。中将姫って、原文全段を読むとあまりに健気な悲劇のヒロイン設定すぎて、嘘くさい。率直なエゲツない言葉で言うと、かなり鼻につくキャラ。霊感少女風に初登場する場面など、ドン引きしてしまった。目の前にいたら、私、岩根御前以上にいびり倒してしまいそう。しかし簑助さんの遣う中将姫を見たら、「うん、健気な悲劇のヒロイン😭😭😭😭😭」とメチャクチャ納得した。あの中将姫の清浄さは人形浄瑠璃、ひいては簑助さんにしか表現できない透明感だった。氷や水晶のような、どこかに強さを感じる澄んだ美しさだった。

中将姫は始終かわいいのだが、一番かわいかったのは最後、父とのこの世の別れに、打掛の裾から顔を出し、豊成の後ろ姿を拝むところ。からだを低くかがめて(はじめは打掛の上から覗こうとするのだが、ラストシーンは自分を思いやる腰元たちに気を使ってるのかな)、一心にフルフルと父の姿を見つめる淡く可憐な姿が目に焼きついて離れない。客席からはやや背後姿勢になるのがより情感を高める。

なにはともあれ、中将姫・桐の谷・浮舟と、この秋最高の可憐さかわいさ麗しさがギュッと密集しているのを拝めて最高だった。みなさんほんと薫るようにかわいかった。

 

しかし後半は個人的に超やばかった。人形の見えが。中将姫が折檻される場面は下手中央までの半分が中庭、ごく上手に座敷が張り出しているという大道具配置になるのだが、ラストシーンはその座敷の奥に豊成が出てくるため、桐の谷・中将姫・浮舟が/(スラッシュ)状に並んで彼に向き合い上手を向く。この並びが危険で、私の席はかなり下手だったため、一番手前側にいる桐の谷役の一輔さんの背中しか見えず、「一輔……、背中の広い男……(ポッ)」状態。中将姫も簑助さんも浮舟も紋臣さんも小柄なので一輔さんの陰、豊成もかなり上手にいるので、時々袖をフサフサしているのがわかるのみ。私が見たい人が全員よく見えない。ヒー。幸い今公演は第二部を2回分取っていて、2回目は中央付近の席だったので幸いよく見えたが、1回分しか取っていなかったら無念のあまり自害して文楽劇場に現れる地縛霊となりことの次第を末永く浄瑠璃に語られてしまうところだった。公演日も残り3日ですが、いまからチケットを買われる方はほんま注意して下さい。

 

 

 

女殺油地獄

徳庵堤の段。三輪さんの朗らかな美しい語りでの幕開け。春の柔らかくのどかな雰囲気と、野崎詣りのささやかでラフな楽しさが舞台に満ちている。お吉役の和生さんが姉娘をともなって茶屋の床机で一休みしている。そこへ不良仲間と連れだった勘十郎さんの与兵衛が下手小幕から入ってくる。

……勘十郎さんの与兵衛はまじヤンキーだった。少し酔ったような足取り、据わった目つきで舞台に入ってきて、そのあともずっと「ワル」。根元から根性がひん曲がった、浅薄な若い男である。

このとき突然わかった。2月の東京公演で、与兵衛役の玉男さんが何をやりたかったのか。なぜあんなに初週不安定だったのか。なぜインタビューで「愛のある人やと思います」と言ったのかを。

「与兵衛」という人物に対する解釈がまったく違う。あれはご自分なりの与兵衛像を描きたかったんだなとよくわかった。2月に玉男さんの与兵衛を最初に見たとき、「青い茎」という印象を受けた。美しく若い色をしていてまっすぐであるが、筋ばっていて噛み締めると苦い、そういうイメージ。徳庵堤で不良仲間に混じり悪態をつきながらもどこか本心がなさげな、まわりから浮いた姿。河内屋で父母に叱られ、座敷を叩き出されて土間の柱にもたれかかる所在なげで寂しげな仕草が心に残っている。

私の心に浮かんだのは、舛田利雄監督の映画『「無頼」より 大幹部』の渡哲也だった。ここから日活時代の渡哲也トークをはじめると3時間語ってしまうので手短にいきますが、この映画はいわゆる「ヤクザ映画」である。といっても、渡哲也はみずから望んで「ヤクザ」になったわけではない。彼は社会から疎外された若者で、ヤクザであることは不本意であるが、そこから抜け出すことができず、社会のドブ底で苦しみ続ける。日活の昏い青春映画の主人公である社会から孤立した青年は、本人は本当はピュアなのだが、内向的な純粋さが災いして社会に馴染めず、結果的に世間から後ろ指をさされるような立場に陥り、また若さゆえに甘いところや無知なところがあるので、そこから抜け出せなくなる。そして誰も彼の気持ちを理解することができず、彼もまた自分の気持ちを表現するすべを持たないため、事態はどんどん最悪の方向に転がっていく。この路線で最も輝いていたのは渡哲也であり、また、川地民夫もこの手の役は絶品であった。私は2月の与兵衛に、あの日活映画の青年たちのような、自らを表現できないがゆえにどんどん「社会」から疎外され道を踏み外してゆく、若さゆえの過ちというにはあまりに哀れで凄惨な若者の姿をみていたのだ。そういえば「無頼」シリーズのクライマックスの乱闘はかなりリアリスティックな表現の殺陣で、ヘドロの積もった排水路の中であったり、ペンキが一面にこぼれた倉庫であったり、この『女殺油地獄』の油まみれの土間のような場所であることが多かったな……。あの足場の悪さは渡哲也の泥沼の苦境を表現しているのだろうけど、奇妙な符合である。

ウウ……渡哲也かわいかわいそう……。と思わず日活映画に深く思いを馳せてしまったが、今回勘十郎さんの与兵衛を観たことによって、玉男さんは与兵衛の人物像をご自身で掘り下げて、繊細でリアリスティックな、モダンな解釈をしていたんだなと思った。

勘十郎さんはそういった観客の精神をそばだたせるノイズを消した、オーセンティックな極道息子。河内屋での始終の悪態、ふてくされぶりなど、ここまでベタベタなピュアネス極道息子、ひさしぶりに観たっ!と思った。おそらく、こっちのほうが「普通」なのだと思う。手堅い路線だけど、それが安っぽくなったり、陳腐にならないのが、いい。ベタぶりに鋭利さがあり、心の暗黒が滲んで、黒曜石がきらめいているよう。プログラムピクチャーで、山崎努とか仲代達矢が悪役をつとめたときのようだった。

最後の油屋の段での殺しの場面など、勘十郎さんと玉男さんでは全然違った。勘十郎さんはなるほど人間の役者には絶対にできない、人形と手すりというグランドラインがあってはじめて成立する、文楽のみが表現しうる演技。すべる動作そのものを見せるのが眼目になっている。玉男さんはホント「無頼」のクライマックスのような、リアルな動作。伝統演目でないものはここまで出演者の裁量が大きいのね。お吉役の和生さんも相手役によく合わせるなと思った。

でも、河内屋と油店の床は、どうなの。あれでいいと思っているんだろうか……。

あとは逮夜の段がついていないのが個人的に誤算だった。初日一週間前に気付いて、まじで!? あれついてなかったら与兵衛のお兄役の玉志サンの出番、前掛けに羽織のお店からそのままダッシュしてきました的あわてんぼう(?)スタイルで実家に帰ってくる場面しかないんですけど!?!? 8時前に終演するんなら最後までやろうよ!! と思った。でも、短時間の出番とはいえ凛々しかったので満足した。

 

2月東京公演の『女殺油地獄』感想

 

 

 

11月公演もまたぶつ切れの見取りか〜、お気に入りの人がいい役やれるからいいけど、別に好きな演目じゃないな〜。と思っていたけど、実際の舞台を観るとまた違う感じ方があり、機会としては捨てたものではないと思う。はじめからつまらないと判じるのはそれこそつまらないものだ。とはいえ12月の東京中堅公演の『鎌倉三代記』のような企画をなぜ文楽劇場でできないのかと思う。

 

 

 

 

 

*1:原作ではその場に千寿がいることになっているが、話が複雑化するので現行ではカットしているようだ。