TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 10・11月大阪錦秋公演『蘆屋道満大内鑑』保名物狂の段、葛の葉子別れの段、蘭菊の乱れ 国立文楽劇場

今回の『蘆屋道満大内鑑』は、FGOコラボ等は特になしです。

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錦秋公演第一部、蘆屋道満大内鑑。

まったく期待していなかった演目。しかし、かなりの驚きがあった。和生さん、清治さんの舞台牽引力を見せつけられた。シッカリした人がリーダーシップをもって統率すれば、舞台はガッチリ成立するんだなと認識した。

特に、ストーリーの軸となる和生さんの葛の葉の牽引力。自分自身よりも大切なものがある人の心の美しさが、そのまま姿として舞台にあらわれていた。落ち着いた美しさ、単なる深刻さや暗さではない内面表現。風の強い日の水面のように波立ち揺れ動く感情表現に優れ、大変に秀麗な舞台となっていた。

 

 


保名物狂の段。

あまり出ないので、簡単にあらすじを。

姉・榊の前の身を心配する信田庄司の娘・葛の葉姫〈桐竹紋臣〉は、腰元を連れて信田の社へお参りに来ていた。

そんな信田に、榊の前の形見の小袖を手にした保名〈吉田簑二郎〉がフラフラと現れ、亡き榊の前の面影を中空に追う。保名を追ってきた奴・与勘平〈吉田玉志〉は、その姿を見て涙に暮れるのだった。(この部分、舞踊)

葛の葉姫は二人の様子を幕の影から窺っていたが、彼女を見つけた保名は姫を榊の前と思い込み、抱きつこうとする。驚いた腰元たちは与勘平に保名を引き離すように言うが、与勘平から保名がこのようになったのは恋人に死に別れたためだと聞くと、腰元たちは葛の葉姫へ保名に声をかけるように促す(イケメンだし的な感じで)。葛の葉姫の言葉を聞いた保名はふと正気に戻り、与勘平もそれを喜ぶ。そして、葛の葉姫が保名の持っていた小袖について尋ねたのをきっかけに、葛の葉姫と榊の前が姉妹であったことがわかり、一同は打ち解ける。

一同が和気藹々としいるところに激しい鉦太鼓の音が聞こえ、一匹の白狐〈吉田和生〉が走ってくる。保名に抱きついておびえる白狐。保名が白狐を隠したところに、狩の主、石川悪右衛門〈吉田勘市〉がやってくる。かねてから懸想していた葛の葉姫を見つけた悪右衛門は狐はどうでもよくなり、葛の葉姫を連れて帰ろうとするが、めちゃくちゃ嫌がられる。割って入った与勘平にブン投げられた悪右衛門は逃げ出し、そのすきに与勘平は葛の葉姫を守護して館へ向かう。与勘平がいなくなると、悪右衛門が勢子を連れて戻ってきて、腹いせに保名を叩きのめし、フンフンと去っていく。

ボロボロになった保名は恥ずかしさのあまり切腹しようとするが、そこになぜか館へ帰ったはずの葛の葉姫〈吉田和生〉が現れ、保名を引き止める。それに保名も気を取り直し、二人は安倍野へと落ちていくのだった。

※原作では信田社へは信田庄司夫妻も現れ、もっと複雑な世間話が展開されるが、現行では葛の葉姫+腰元のみの登場に絞り、平易に改訂されている。このカットのため、保名と葛の葉姫が親公認で婚約したことがわかりづらい。

信田の社は、「金持ちが自宅敷地内に建てているオリジナル神社」みたいな感じだった。うちの近所にああいうの、ある。

 

保名は踊りの振付覚えてないんじゃないかな。そのせいで、気が触れているように見えないし、正気に戻ったときも、そうとはわからない。左が微妙とか、床も間合いが微妙とか、いろいろとやりにくいご事情はあるとは思うが、ベテランでこれはかなり厳しいものがある。

 

この状態で玉志与勘平が出てきたらしんどいわなあ、玉志サンは初日から振付完璧に覚えてるタイプだから……、と思っていたところ、やはり当然のごとく普通に悠々と踊っていた。美男子の小柄な人形と無骨な大男の人形が揃って踊るところが楽しい部分だとは思うが、振り付け覚えてる覚えてない問題的なばらつきが出て、正直、よくわからない感じになっていた。

与勘平は、朗らかで、さんさんと明るい雰囲気。おひさまにたっぷり当てたお布団のようなにおいがしそうだった。玉志サンの奴役には、鳥山明の漫画に出てくるキャラクターのような、不思議にカラリとした明朗さがある。気候が違う土地から来た人、みたいな感じがする。
長い腕を存分に使った、悠々とした動き。大きな弧を描くような動線。しなやかに、かつ、奴らしくゆらゆら歩く様子は、まるで人形振りみたいだった(人形です)。保名を見守るとき、背筋をにゅっと伸ばしてやや前のめりになり、ぐっと保名のほうを見る首のすわりは姿勢よく、肩と腕を円弧状に上げ、脇を大きく開いた姿勢がむくつけ奴らしくて、良い。

今月の公演を見ていて感じたのは、『蘆屋道満大内鑑』与勘平、『ひらかな盛衰記』樋口次郎兼光のような動きが大きい大型の人形は、腕を体の後ろに振る時に、いかにダイナミックに、かつ的確に振れるかがかなり重要ではないかということ。肩関節をありえないほど後ろに回すのは人間にはできない人形特有の動きで、これが綺麗だと、人形の見栄えが格段に大きくなり、まるで自分がストレッチしているようで、気持ち良い。
玉志さんは本人(右手)の腕振りに強いキレがあり、動きの軌跡も自分にぶつからせずスムーズで綺麗……なので、突然ですが、与勘平の左遣いの方!!!!!!! ぜひ左腕ももっと思い切って大きくダイナミックに振って欲しいです!!!!!!!!! やりすぎと思うほど思い切ってやったほうがいいんじゃないか、と思った。

そして玉志与勘平は、めちゃくちゃ「プルルッ!」としていた(玉志さんの、顔が赤い役特有の、動作をしはじめるときにアクセント的に行う素早い首振り仕草)。やはり、豪傑はプルルッとする解釈なんだろうなと思った。

感情表現面でいうと、玉志与勘平は、かなりの感情激重タイプだった。与勘平は、狂気に陥った保名を少し離れたところから「じっ……」と見守っている。のだが、なんか、ブルブルしてた。首だけ若干うつむいて肩をいからせ、ブルブルブルブルブルブルブルブルブルしている。チワワ……?と思っていたが……、号泣をこらえてるのね。しかも、だんだん感情が昂ぶってきて泣き始めるというより、かなり早い段階からのMAX泣き。重い、重すぎる。相当に思い込みが激しそうだった。他人への感情移入の速度がかなり速いタイプだ。

なお、保名にすがりついて泣く与勘平(保名に髷をポコン!とされるのがカワイイ)を、口に袖を当てて見守っている葛の葉姫は、「お気に入りカプ(ガチムチワンコ受好き)を壁となって見守る娘さん」状態で、とても良かった。

 

3人が和気藹々としているところへ、狩の鉦太鼓の音が聞こえ、1匹の白狐が走ってくる。
ものすごい、もろ、「ぬいぐるみ」のきつね。勘十郎さんの自作きつぬい(きつねのぬいぐるみ)より、だいぶ「ぬいぐるみ」感がある。フォルムがなんとも昔風というか……。しっぽが絵本的な「きつね」のような真ん中の太い紡錘形ではなく、先っちょが丸くなっているのが特徴。
今月のプログラムに掲載されているセルフ解説インタビュー・和生葛の葉篇によると、和生さんの使っているきつぬいは、およそ60年前、文雀師匠が大江巳之助さんにオーダーして作ってもらったものとのことだった。なんか薄汚れてるなと思っていたら(クソ失礼)、本当に「年を経た狐」だったんだな。
和生きつねはなんとも臆病そうで、微妙にショボ〜ンとした姿や、保名のおなかに顔を埋めてモゾモゾ〜っとする仕草が可愛かった。これが和生的美女になるとは思えないほど、かなり大人しそうなきつねだった。

 

しかし、和生葛の葉と紋臣葛の葉、全然違うやろ! 絶対見分けつくわ!! 黒衣でやってもまだわかるで!!! ミノジロオ、そやろ!!!! と思った。

紋臣さんの葛の葉姫はかなり「田舎のお姫様」風に寄せており、相当ぼ〜っとしたおっとり娘風だった。マシュマロのようなほっぺ、仕草や目元がふわわ〜んとしている。例えていうなら、源泉を持っている温泉旅館のお嬢さん。親に大切に育てられて、とっても優しい子に育っていそうだった。お部屋に出たゴキブリをゴキブリだと気づかず餌を与えて大切に育てちゃう的な……。文楽の客が紋臣さんに求めてるおぼこ娘役そのものだった。文楽の客は全員紋臣さんをおぼこ娘だと思っているので。
テクニック的には、体の高さの上下コントロールがうまいと思った。ロビーで流れている研修生募集ムービーの『妹背山』道行のお三輪役を見てもわかるのだが、体の位置のコントロールでちんまり感、可憐さの表現をしているのが良い。ベテランでも体の位置コントロールが硬く、棒立ち状の人もいる中で、良い役に恵まれているわけでもないのにここまで出来るのは、普段から上手い人下手な人をよく観察してるんだろうなと思った。振り向く演技が特にあるわけではないが、羽が生えていそうな背中の印象も可愛いです。

対して、狐が姫に化けた瞬間、突然、7〜8歳は大人になっていた。和生さんの葛の葉姫は気品が漂う、凛々しく美しいお姫様。田舎育ちでも親が都会の最新の良い物を取り寄せて、洗練した教育を施していそうだった。言うなれば有吉佐和子の小説に出てくる豪商の娘系ヒロインのようだった。見渡す限りの広大な山々をすべて所有する紀州の山林王のお嬢様って感じ。

ただ、紋臣葛の葉姫(本物)と和生葛の葉姫(偽物)で一番違うのは、目線がいかにしっかりしているかだと思う。役自体の性質が違うので、おのずと遣い方が異なっているのだろう。本物は本当にぼーっと生きているが、偽物はそうでない。目的があって、葛の葉姫に化けたのだから。

初対面とはいえ、違いに気づかないとは保名相当どんくさいなと思うが、私が保名だったら、気づいていても知らん顔するかも。どっちの葛の葉姫にもモテたいから。かねてから気になっていた「保名はいくらなんでもアホすぎるのではないか」の矛盾を解消する真理を発見した。

 

なお、葛の葉姫の腰元は3人いた。一番上手の腰元が完全にアサッテの方を見ていた。自宅の冷蔵庫の中の鶏むね肉の消費期限を気にしてそうだった。マジレスすると、出てきたときからずっと向きがおかしいので、正面向いた状態にきっちりとかしらを握れていないんだと思います。

気になる雑魚キャラといえば、保名が踊っているときに上手と下手から出てくる、白と黄色のちょうちょの群れ。上手のちょうちょの羽音がバタバタとデカく、蛾みたいになっているのが味わいだった。
それと悪右衛門。あんな顔だったっけ? なんか物足りないな。マスクしたほうがイケメンに見える顔だなと思った。

あとは、この段、玉志さんの袴がブルーグレーじゃなかった。ペールライラックだった。景事要素が強いからでしょうか。いつも同じなこと自体は、私は、スティーブ・ジョブズ的思考だと思っています。

 

 

 

葛の葉子別れの段。

葛の葉の悲しげな美しさに魅了される。情愛に満ちた優美な佇まい。自分自身より大切なものがある人の心のうち、その美しさを存分に味わった。目元の優しさが、なにより印象的。いつも童子を気にかけていることがよくわかる。いつも私たちまでをも見守ってくれている気がする。和生的には「わしこんな子こさえた覚えない」と思われても、私たち、勝手に和生さんの子になりきっているので……。

和生さんの葛の葉で具体的に「上手い!!!」と思ったのは、狐手の表情。
狐の正体を顕し、白いモケモケの着物になった葛の葉の手は、指先を強くクルリと曲げ、小指と人差し指を上げて手首を縮めるように甲をカーブさせた「狐手」に変わる。
昨年12月東京鑑賞教室での「葛の葉子別れ」では、この固まった狐手の表情に違和感があった。それは、指の関節が動く通常の女方の手とは異なり、フィックスされた状態だからやむを得ないことだと思っていた。
しかし、和生さんの葛の葉の手にはしなやかな表情があった。手首の折り曲げのニュアンス、全体にごくわずかな回転をかける、あるいは左右の手の傾きの違いといった関係性でニュアンスをつけるなどで、見事な表情が出ていた。悩んでいる、こらえている、握りしめている、悲しみのあまり力が出ない……といった繊細な感情が、手からも感じられる。これにはかなり驚いた。
でも、12月東京鑑賞教室を見ていなかったら、あまりに自然すぎて、この上手さには気づかなかったと思う。というか、狐手だということすら気づかなかったと思う。

先述したプログラムのインタビューには、葛の葉の演技についても短いながら詳しい談話が載っていて、鑑賞の参考になった。
「動物(葛の葉)と植物(お柳)は違うねんで」という文雀師匠の教え。それに対する和生さんの考え。その違いをどう表現するか。
和生さんは、これを「動物は血が通っているが、植物は通っていない。植物のほうが、愛情表現があっさりしている。動物のほうが情が深い」と解釈しているそうだ。そのため、最後、狐になって去っていく直前に安倍童子を抱きしめるとき、犬や猫が子供を舐めるように、童子を舐める演技をしているとのことだった。たしかに和生さんは、最後だけはぎゅっとした抱きしめや頬ずりではなく、動物が毛を舐めるように、ぺろりぺろりと、顎を使った大きな動作をしていた。人間である女房葛の葉は気品があるけど、ここにはその慎みを忘れた野生の動物みがある。

葛の葉は、足もうまい。繊細でフワフワした浮遊感が、和生さんのやわらかい雰囲気とも合っている。衣装のモケモケの揺れも活きていた。そして、あの浮遊は、単に狐だからというより、葛の葉の揺らぐ感情も含めたゆらゆらとした動きのように思われて、感情の動きを覚える足だった。

ただひとつ、葛の葉ですごく気になる演技がある。冒頭でコクコク寝入ってしまった安倍童子を布団に寝かせ、枕屏風を立てるとき、枕屏風を子供の体の上を通らせるくだり。普通、すごく大切な存在が寝ている上を、通すか? 和生さんのとても優しげな葛の葉ならそんなことに気づかないはずはなく、なおさら不自然。ほかの枕屏風立てる演目でもそうしてるし、文楽人形ゆえの動きの制約だと思うけど、なんとかならないのかな。葛の葉の性根とズレすぎだと思う。

 

安倍童子〈桐竹勘次郎〉はおっとり系ではなく、かなりやんちゃな方向に寄せていた。かなり気になったのが、安倍童子が虫を殺す仕草。安倍童子の虫を殺す癖は、人間の子供にある残酷さではなく、半分狐の血を引いているがゆえの野生の本能だよね。床本をそのまま受け取ると、保名は単に子供の無邪気さゆえに殺している(から、注意してあげていればそのうちやらなくなる)と思っているが、葛の葉は、自分の狐の血を引いて動物的本能でやっていることで、もしかしたら将来もっとひどくなって……と思ってゾッとしてるということだと思う。安倍童子の虫殺しは、葛の葉の親心があらわれるきかっけになる、重要な演技。
あの殺し方だと、人間の5歳のやんちゃな男の子が面白がって殺す仕草としてはわかるけど(そう、5歳男児描写としてはかなり的確だと思う)、特に両足で踏みつけて殺すところは、狐の血という感じではない。子供の表現だけで考えいるのだろう。
ただ、飼ってる猫などが虫やトカゲを殺す様子を見たことがない人だと、「動物が食べる目的でもなく、本能ゆえに無心で獲物を殺す姿」自体が、感覚としてわからないのかもしれないと思った。

 

今回の信田庄司は勘壽さん、庄司妻は文司さんだった。ちょっと珍しい配役。
庄司は肩にぐっと首を埋めてあごと引き、無骨な雰囲気。保名に娘を嫁にもらってもらえなかったら、その場で切腹しそうだった。
12月東京鑑賞教室のときに気になった、配役による庄司の演技の違い(ヲクリ、段切)。ヲクリがほぼ一段落するまで庄司が動かないのは玉輝さんとほぼ同じだったが、今回はそのあとの葛の葉姫の演技が違った。
12月鑑賞教室で玉輝さん庄司・紋臣さん葛の葉姫でやっていたときは、葛の葉姫は舞台下手側にいる庄司のもとを離れた後、上手側にいる母のほうへ寄っていって何か話し、保名の出の直前までに舞台中央に戻るという演技だった。今回、葛の葉姫は紋臣さんで同じ、庄司が姫を離すタイミングも若干勘壽さんのほうが早いながらほぼ同じにも関わらず、葛の葉姫が母のほうへ行かなかったのは、どういう意図や設計なのだろう。葛の葉姫役の人が決めることなのか、母役の人の意図や、出演者同士の協議なのか。個人的には、今回のように母へ寄っていかないほうが、舞台の静かさを保てて、保名の出やそれによる雰囲気の転換が引き立つと思った。

 

庄司一家と話した保名が家に入る時、少しためらった後、手を体の前でシュッシュと動かすのが何なのか、ずっと気になっていた。それが今回やっとわかった。五芒星を描いてるんですね。上手側の席になり、下手の屋体上り口にいる保名を正面側から見られたので、気づいた。ベタ演目でも、いろんな席で見てみるものだ。

木綿買い・玉彦さんは、今回もよかった。保名ハウスの中を見るのに気を取られ、妙に上向きに目線が泳ぐ様子、葛の葉にそれを指摘されてちょっとキョドる様子など、役の不審さ、怪しさがよく表現されていた。目線の使い方がうまい若手は、期待大。

 

床、奥の錣さん・宗助さん、大変素晴らしかった。
喋りながら、どんどんいろんなことを思い出して悲しくなったり、心配になったりする、揺れ動く葛の葉の心境が存分に表現されていた。喋っているうちに溢れてきた涙を我慢して声が小さくなったり、震えたりという語尾にニュアンスがある。声の揺れ動きは、彼女の心拍が乱れているかのようだった。葛の葉は一人語りがとても長く、ノッペリしそうなところ、心の変化の表現に秀でているので、飽きない。かつ、それは極端なものではないというのが、さすがベテラン。
そして、錣さんって一見クセがかなり強いけど、こういうのを全部をギリギリの鍔迫り合いにはせず、流すところは流してるんだなと思った。サラっといっているところも意外に結構あった。昨年、素浄瑠璃で「寺子屋」を拝聴したときにも感じたが、浄瑠璃全体の構成力がある人だ。

錣さんは、大人の女性(さらに下世話な言葉を使うと熟女)の雰囲気を出すのが本当に上手い。女方のかしらは、娘、老女方(は世話風/時代物風があるけど)、婆の3種類しかないけれど、それ以上のグラデーション、女性の多面性のニュアンスを出せる人だなと、改めて思った。
あまりに母性を感じる語りで、危うく、安倍童子のように寝かしつけられしそうになった。

 

 

 

蘭菊の乱れ。

とにかく、床がすごい!!!!!!!!!!!!!!

滅多に出ない景事演目は、演奏がバラバラになっても仕方ない。あるいは当然だと思っていた。が、「蘭菊の乱れ」の一糸乱れぬ三味線の演奏に驚かされた。無駄なブレ、ヨレがないため、非常に力のある、義太夫らしい音。子供と夫に別れた狐葛の葉の哀しい道行のシーンだが、霧の立ち込める秋の風景にふさわしい香り高い冷気のようなクリアな美しさ、葛の葉の流す涙の美しい輝きが出ていて、和生さんの葛の葉の気品ととてもマッチしていた。清治さんのこだわりや指導、一緒に出ている人たちも相当に稽古しているものと思うが、本当に素晴らしい演奏だった。

和生さんの葛の葉も、大変に素晴らしかった。柔らかでしっとりした佇まいが大変に秀麗。舞踊ながら「踊ってます」といった感じではなく、彼女の心の動きのままに自然に身体が動いているようだ。演目としての舞踊ではなく、舞踊が物語を紡ぐ道行曲ならではだった。そのため、最後もストーリーとしてのブツ切れの印象がなく、彼女が別れた子供に心惹かされ続ける余韻を感じた。

和生、これから出る舞踊演目全部踊ってくれと思った。(無理)

 

ただ、演出そのものは、かなりケレン強め。それをギトギトした派手さに見せないのが、和生さんの上手さであるが。

浅葱幕が落ちると、白い小菊の花畑の中に、狐の顔になった葛の葉が黒い塗笠を被り、杖を持った旅姿で立っている。背後には、『妹背山』の道行に出るような瑠璃燈が、『妹背山』よりもたくさん吊るされている。
冒頭の葛の葉は狐顔で、鼻から下に狐のマスク(面)をつけている。狐のマスクは正面からだとわかりづらいが、横顔になると、鼻から口あたりがつまんだように立体的になっているのがわかる。しかし、なんかこう、ご時世的に既視感があるというか、「あー、こういうマスクつけてる人、いるよねぇ。呼吸がだいぶラクになるらしいねぇ」って感じだった。

踊っていくにつれ、葛の葉はマスクを外して女房顔になり、さらに塗笠を取って、それを鏡のように掲げたり、狐の霊力でもってクルクルと回す曲芸を見せる(いつもより余計に回しております的な感じ。異様に安定して回っていたが、黒衣さんのテクニックなのか、それとも軸にモーターが仕込んであるのかは不明)。
蘆屋道満大内鑑』は、『新日本古典文学大系 竹田出雲・並木宗輔浄瑠璃集』に翻刻が収録されており、その校注内に、人形・舞台演出の解説も掲載されている。その記載だと、かつては狐面を外したときに塗笠も外していたようなのだが(正しく言うと、笠を取ると人間の顔になる演出)、現行では狐面と塗笠で、外す段階を踏んでいる。この本の刊行は1991年だが、その後どこかで振り付けが改訂されたのだろうか。実は、この本の解説内にも「現行演出ではこのあたりで笠をとると人間の顔になる。初演は小ヲクリの詞句で人間の顔になるであろう。笠をぬぐのは少し先か。」とある。この通りに演技を改訂しているのかもしれない。上演を詞章と合わせて細かく見ていなかったので、いつ笠を取ったかのタイミングを忘れたが、動画配信があるなら、そのときにチェックしたい。

ところで「蘭菊の乱れ」で葛の葉が着ているオレンジ色の着物。すそに入っている柄は「みかん大福」だと思っていたが、菊(マリーゴールド)だそうです。江戸時代にもみかん大福があったのかと思っていました。

 

 

  • 義太夫
    保名物狂いの段
    口(御簾内)=竹本碩太夫・鶴澤燕二郎
    奥=竹本織太夫、ツレ 竹本小住太夫/鶴澤藤蔵、鶴澤清公

    葛の葉子別れの段
    中=豊竹咲寿太夫(前半)豊竹亘太夫(後半)/鶴澤清丈(前半)鶴澤友之助(後半)
    奥=竹本錣太夫/鶴澤宗助

    蘭菊の乱れ
    豊竹呂勢太夫、豊竹芳穂太夫、豊竹咲寿太夫、豊竹亘太夫、竹本碩太夫鶴澤清治、鶴澤清馗、鶴澤友之助(前半)鶴澤清𠀋(後半)、鶴澤清允、鶴澤燕二郎

 

  • 人形役割
    葛の葉姫=桐竹紋臣、安倍保名=吉田簑二郎、奴与勘平=吉田玉志、石川悪右衛門=吉田勘市、女房葛の葉=吉田和生、安倍童子=桐竹勘次郎、木綿買い実は荏柄段八=吉田玉彦、信田庄司=桐竹勘壽、庄司の妻=吉田文司、信楽雲蔵=吉田玉路、落合藤次=吉田玉延(前半)吉田簑悠(後半)

 

 

 

ああ、やっぱり古典芸能っていいな。守るべきものを守り、変えるべきものを変える人たちがいるというのは、とても素晴らしいことだなと、感銘を受けた。

蘆屋道満大内鑑』という演目自体は、個人的にはあまり関心がない。だけど、それを超えて、面白い舞台だった。出演者の力の大きさを感じた。錦秋公演のメインは第二部〜第三部の『ひらかな盛衰記』半通しかなあと思っていたけど、第一部の密度、満足感は、第二部+第三部に張るものがあった。トータルバランスでいえば、意外と第一部が良いかも。

 

ここまで濃厚な『蘆屋道満大内鑑』を実現できたのは、和生さん葛の葉ならではだと思う。和生さんの葛の葉によって、物語に背骨が通ったようだった。(逆にいうと、和生さんが出てくるまでのところはフワッとしてます)

さきほどから何度か引いているプログラム掲載の和生さんインタビューに、印象的な言葉が記されていた。

どんな役でもそうですが、何度も演じていますと、だんだん手数が減ってきます。いろんなことをやらなくても、人形を持って出るだけでお客さまに伝わるようになりますね。

いまの和生さんの充実感、自信と真摯さを感じる言葉で、本当に良かった。
そして、和生さんは客を信頼して舞台を勤めてくれているのだなと感じた。
表現者が受け取る人を信頼するというのは、非常に難しいことだと思う。でも、相手を甘く見る人は、結局、自分にも甘くなる。和生さんにはそういう甘さはない。和生さんは気品の高い芸風で、芸に対しかなりシビアで厳しいところがある人だと思う。でも、そんな人が、私たち観客を信頼してくれているんだなというのが、本当に嬉しい。
そして、私たちが

あまり難しく考えず、楽しんで見ていただければと思います。

とおっしゃる和生さんの言葉をそのまま受け取れるのは、私たちが余計なこと考えずとも、舞台そのままを受け取るだけで存分に楽しめる表現力でもって舞台を作ってくれる和生さんがいるからこそだと思っている。
なおこの記事、和生さんがほんのり笑顔できつぬいを持っている写真が載っているのも良いです。

夏休み公演から改訂されたこのプログラムの記事構成、本当、良い。いまは玉男さん、和生さんと主役をやる人のセルフ解説の掲載だけど、勘壽さんや玉也さんのような主役以上に重要な役を勤める超ベテランバイプレーヤーや、あるいは玉志さんや勘彌さんなど主役級配役が増えてきた人の話もお伺いしたいところ。とりわけ勘壽さんのインタビューは、ぜひともお願いしたい。

 

保名は、紋吉さんを抜擢起用するか(若手会の桜丸が良かったので)、もしくはスペシャル配役として勘壽さんで見てみたいと思った。
NHKから出ている『名場面集』DVDに、初代吉田玉男が保名を演じる「保名物狂」がダイジェスト収録されている。アルティメットイケメンすぎて、合点承知之助と思った。当代の人形遣いでは、「美男子と言えばこの人!」という人は、いないな。初代玉男師匠の弟子もその路線を継いでいる人はいないように見える。けど、玉志さん・玉佳さん・玉勢さんはキラキライケメン系だと思うので、いずれかの人が美男子役を演じるのを見てみたい。

 

それと、今回気づいたこと。義太夫は、「か行」の発音が結構重要なのかもしれない。いや、別に、葛の葉が狐詞で喋るからとかいうことじゃなく、それとは関係ないところで、「か行」の発音でかなりひっかかったところがあったから。重要なフレーズにもかかわらず、節自体に酔いすぎて、「か行」の発音自体のもつアクセントがおろそかになり、何言うてるかわからんところがあった。以前「十種香」で、「勝頼様」の「か」の発音の安直さが妙に気になったこともあったので、「か行」の演出効果というのは、大きいのだと感じた。

 

 

 

さて、冒頭に書いた通り、今回の『蘆屋道満大内鑑』は、文楽座としてやりやすい演目というのもさることながら、FGO蘆屋道満人気を当て込んだ番組編成でもあると思う。若者層への訴求として、若い子に人気のコンテンツをキッカケにするというのは、とても有効なことだろう。昨年12月東京鑑賞教室が『芦屋道満大内鑑』だったのもそのためではないか。

twitterで検索すると、FGOファンの方も少し話題にしてくれているのだが、いかんせん、文楽現行部分には蘆屋道満出てこないからねぇ……。道満が出てくるところもやって欲しいと書いていらっしゃる方も見かけたが……。
そのためなのか、文楽公演Twitterアカウントが、『蘆屋道満大内鑑』の全段について、現行上演がない部分にどう蘆屋道満が出てくるかを解説していた(多分、『浄瑠璃作品要説〈3〉竹田出雲篇』を参考に書いてるね)(涙ぐましい努力)。かつて大内・加茂館などを復活したときに、道満が出てくる場面も復活できれば良かったんでしょうが、安倍晴明より蘆屋道満のほうが話題性が高い時代が来るとは、想定できなかったんでしょうね。Twitterはおそらくお若い担当者さんが頑張ってくれたんだと思うけど、そもそも蘆屋道満がここまで人気とは、文楽劇場に来ている客の99%は知らんと思う(私も知りません)。

国立劇場10月歌舞伎公演の『伊勢音頭恋寝刃』は、Twitterで観測する限り、あまりうまくいかなかった様子。刀剣乱舞との公式コラボはなく、葵下坂の現物展示を行うことで刀剣乱舞ファンの方を引き込もうとしていたようだが……、やはり、文楽劇場4月公演のように、公式コラボという形で打って出ないと、「ちょっと興味あるけど、伝統芸能見たことないし💦」と遠慮される若い層に実際に足を運んでもらうまでは、できないんだろうなと思った。

あとは、今、劇団☆新感線『狐晴明九尾狩』*1が大阪公演中のはず。元々観劇習慣がある人を引き込むという点では現代演劇とのコラボもおおいにありえると思うが、こちらはコラボしたところで、こちらにはメリットがあっても、先様にメリットがなさすぎるか……。

 

 

 

↓ 2020年12月東京公演の感想。葛の葉は勘十郎さん/清十郎さん。


↓ 2018年11月大阪公演の感想。和生さんがこの時、葛の葉の本役初役(代役ではあり)だったことを今回初めて知りました。もうずっとやってるんだと思ってました。このとき、葛の葉での出で「待ってましたぁーーーー」と声をかけていた男性がいたことがすごく印象に残っているのですが、そりゃ叫ぶわー、と思いました。

 

↓ 『蘆屋道満大内鑑』の映画化、内田吐夢監督『恋や恋なすな恋』についての記事。なお、映画はAmazonプライムビデオで配信中で、劇中で越路太夫の演奏を聞くことができます。

 

 

 

*1:『狐晴明九尾狩』、歌舞伎、と銘打っているのに外題が6文字で偶数なことが結構気になるんだけど、何か理由があるのかな? 歌舞伎・浄瑠璃の外題って、基本的に奇数ルールだよね。東京公演時に赤坂見附駅に掲出されていたポスターを見て気になり、観劇感想を検索してみたところ、タイトルを劇中の演出で使うことはわかったのだが、文字数は関係ないようだった。詳しい方、ご教示ください。