TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 5月東京公演『加賀見山旧錦絵』国立劇場小劇場

楽しみにしていた五月東京公演。なぜなら今回はダブルキャスト配役を狙って取っているのと、玉男様の女形配役があるからです。 

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前半は加賀家の陪臣(家臣の家臣)・又助とその一家の、陪臣であるがゆえの悲劇を描くエピソード。まず筑摩川の段。

大雨で増水し轟々と渦巻く筑摩川(つくまがわ)のほとりに、ゴザを被った裸の男・又助(人形配役=吉田玉志)が現れる。又助は引き抜いた脇差を口にくわえると荒れ狂う水の中に飛び込んだ。次にその川岸へ現れたのは、馬に乗った多賀藩の大殿様・多賀大領(吉田玉佳・代役)と近習・山左衛門(桐竹勘次郎)。山左衛門は水量の多さに危険を伝えるが、多賀大領は馬で海を渡った『平家物語』の「藤戸」の逸話を引き、川の中へ入っていく。が、水中に潜んでいた又助によって大領は討たれ、馬だけがその難を逃れて走り去っていく。

水面が段々状になった川の中のセット。又助に水中へ引き摺り込まれた馬や人形が水面のあいまからスローモーションのようにゆっくりと動くのが映画みたいで印象的だった。最後に大岩の上に立つ又助の姿も決まって格好よい。

すごくどうでもいいのだが、又助は長い髪を下ろして左右両側に垂らす髪型で、髪ブラだった。動きが激しいわりに乳首がほぼ見えなくて感動した。ちなみにパンフレットに載っている過去の公演写真ではメッチャ見えていた。

 

 

又助住家の段。

筑摩川の一件から5年後。加賀国の片田舎にある又助の侘び住いでは、彼の女房・お大(豊松清十郎)が夫の留守に針仕事。門口では二人の息子の又吉(吉田和馬)が遊んでいた。お大は猪狩りの竹槍を届けに来た近所の男(歩きの太郎作=桐竹亀次)から金に詰まった者が娘を鏡山の廓へ売るのにその親方が村へ来ていることを聞きつけると、廓へ奉公したい者があるから親方へうちにも来てくれるよう伝えてくれと頼む。その頃、又助の主人・求馬は悪人の罠にかかり主家の家宝・菅家の一軸を紛失し、浪人の身の上となっていた。その菅家の一軸が質入れされていることを知った又助は預かっていた村の公金を使ってそれを請け出し、求馬を帰参させようとしていた。その使い込みの穴埋めに、お大は身売りを考えていたのだ。お大が髪を直していると、話を聞いた廓の亭主才兵衛(吉田玉佳)がやってくる。お大は事情を話し、亭主から百両を受け取って暇乞いの時間をもらう。

やがて求馬(吉田勘彌)を連れた又助が帰宅。愛想が尽きた、出て行くと言いだすお大に怒った又助は三行半をつきつけるが、ちょうどそこへ庄屋の治郎作(吉田簑一郎)がやってくる。治郎作は預けておいた公金百両を返せと迫るが、お大がすかさず先ほどの百両を差し出し、盗人は自分だと告げる。彼女が出て行こうとしたところ門口に廓の親方が駕籠屋を連れて現れたのを見た又助は、事情と妻の本心を悟り、涙ながらに別れるのだった。

夜も迫る頃、編笠を被った立派な身なりの武士が又助の家を訪ねてくる。その男は多賀家の家老・安田庄司(吉田文昇)だった。その来訪に驚く二人の様子に、本国の様子を知っているかと尋ねる庄司は、一振りの脇差を差し出す。それは求馬がかつて大領から拝領した刀で、以前又助に渡していたものだった。その脇差を見て又助は帰参の機会と喜び、求馬に菅家の一軸を庄司へ渡すよう促す。それが間違いなく本物の菅家の一軸であると認めた庄司だったが、彼が懐から取り出したのは白木の位牌。庄司は大領は5年前筑摩川で何者かによって暗殺されており、犯人の手がかりとなるこの脇差が筑摩川下流で見つかったというのだ。すなわち、多賀大領暗殺の犯人は又助だったのである。求馬は怒り狂って又助を打ち据え、事情のわからない又吉は必死で父を庇おうとする。又助は足手まといと脇差で又吉の首を撥ね、求馬に「子殺し、主人に刃向かう大悪人」と竹槍で突かれる。又助はその苦しい息の中、望月源蔵に騙され、闇の中で主家を害する蟹江一角と思い込んで大領を討ってしまった5年前の筑摩川のいきさつを物語る。それを門口で聞いていたお大は涙ながらに一緒に死ぬと喉に刀を突き立て、又吉の首を抱く。又助の告白から大領暗殺の首謀者は望月源蔵と知れ、その又助を討った手柄で求馬の帰参が許される。庄司の言葉を聞いた又助とお大は安心して息を引き取った。

又助住家の段、大満足。床も人形もとても良くて、ええもん見せてもろた、文楽観た〜って感じだった。

又助の人形はダブルキャストで、私が観た回は玉志さんだった。だったというか、それを狙ってチケットを取った(ダブルキャストを考慮してチケットを取る知恵を獲得したのです)。すっとしたまっすぐな気性を感じる又助で、とても良かった。所作ひとつひとつが丁寧でつなぎに無駄がなく、堂々としていた。背骨がぴんとしているので、身分は低くても心根は卑しくないまっすぐな人間、ゆえに悲劇に陥るという雰囲気がつたわってくる。なかでも苦しい息の又助が筑摩川での一件を身振り手振りで物語る部分が光っていた。ここの部分の人形のひとつひとつの型が淀みなく綺麗で印象に残った。文楽を観るようになってびっくりしたことのひとつに、登場人物の独白(物語やクドキ)の部分がこんな長いんだ〜という点がある。それが成立し得るのは浄瑠璃のことばひとつひとつの美しさや出演者の芸によるものだろうけど、現代の娯楽では忌避されそうなこういった長ゼリフが最大の聴きどころ見どころになるのはおもしろい。と、話は戻って、玉志さんは昨年5月東京の『絵本太功記』に武智光秀役で出演されていて、演技をあまりにさらっと自然にこなされているので、なんて洗練された人なのかとびっくりしたことが記憶に残っている。そのときはどういうわけでああいう配役なのか理解できなかったのだが、そりゃいい役やる人だよとこの一年でよくわかった。

そして呂勢太夫さんが良かった。呂勢さんは2月の『冥途の飛脚』の淡路町の奥も盛り上がってすごく良くて印象に残っているけど、今回も良かった。荒削りな部分もあるだろうが(これで千穐楽まで持つの!?と思った)、今後どうなっていかれるのか、楽しみ。

そんないい話のあとで恐縮だが、求馬メンタルめちゃ強では。ひとんち上がっていきなりそこで離婚話始まったら、私ならストレスで卒倒すると思う。うしろのほうで静観してないでちょっとはフォローしたほうがよいのではと思ったが身分制度がある時代は違うのでしょうか。あと、庄屋さんは子どもの生首転がってるわ嫁さんは喉突いて自害してるわ旦那さんは死にかけてるわという状況で訪ねてきて、「コレ又助殿」と話しかけておきながらその様子に一切タッチすることなく報告だけして帰っていったが、家の中の様子を全然見てないということなのだろうか。という2点のみ、なんでそんなことなってるのと思わされた。

しかし又吉の首がいきなり目の前に飛んできたのには腰を抜かした。前触れなくいきなり子どもの首を撥ね飛ばすとはさすが文楽。子どもを見たら殺されると思えくらいの勢いがあった。 

脇役で印象に残ったのは廓の亭主。ステージが不幸の予感オーラで辛気臭い状態になっているところ、いい笑顔(もともとそういう顔)でトントントンと入ってくるので笑う。気前よく百両出してしまうし、なんかこの人良い人では状態だった。

 

 

ここからは有名な部分、草履打の段。局・岩藤(吉田玉男)と中老・尾上(吉田和生)が鶴岡八幡宮を参詣している。岩藤は尾上が町人の出であり、金があるというだけでもしものときのための武芸の嗜みがないと言って執拗に詰るが、尾上はそれに耐えるばかりだった。

紅白幕が落ちると桜満開の鶴岡八幡宮。尾上と岩藤が大勢の腰元たちとともに舞台に並んでいる。客席の視線一点集中、玉男さんの女形配役ははじめて見た。いや、映像ではデモンストレーション演技を見たことあるが、WEB動画だったんですけど、突然のことにあまりにびびりすぎて速攻ブラウザを閉じ、二度目に指の隙間から見るという奇行をかましてしまった記憶が。くねっとした動きがいつもと違って、しかし普通になじんでいるようにも思え(少なくとも人形のかしらとの取り合わせは)、不思議な感じだった。普段まっすぐ立っている方が首をかしげてくねっとしているとドキドキする。ここが大阪なら玉男様ガチ恋勢のおじいちゃんたち倒れちゃうって思った。10年前にも大阪で同じ配役があったようだが、おじいちゃんたち大丈夫だったのだろうか。草履打ちの場面では、岩藤は草履を地面に丁寧にスリスリしてから尾上をぶっており、その細やかさがちょっとかわいかった。だから草履の裏が茶色に塗ってあるんだね。ところで草履が人形の足よりデカく見えるのは気のせいでしょうか???

尾上、和生さんはいつもと変わらぬ気品ある立ち姿。人形の姿勢や衣装の整えが美しかった。人形を高く掲げているからか、いつもより一生懸命な様子でいらっしゃった。岩藤の嫌がらせにうつむいてじっと耐える姿は、人形に表情があるように思われるほどだった。

それはともかく、岩藤役の津駒太夫さんの陰湿ぶりがすごかった。しょっぱなからいきなりトップギアで岩藤が尾上にインネンつけてくるのだが、ものすごい陰湿ぶり。津駒さんは昨夏の伊勢音頭の万野の陰湿ぶりも大変よかったが、今回は身分の高い役ということもあって、気位が加算されより一層陰湿になっておられた。東映のヤクザ映画ならインネンつけられた時点で即座に刺されているほどのネチネチネチネチとした陰湿さだった。

ほかには咲寿太夫さんが大変頑張っておられた。3月地方公演、妹背山の「道行恋の苧環」の橘姫でご出演されていたときから明らかに向上されていた。3月のときは声が不安定で「がんばってね〜」としか言えなかったが、4月大阪菅原伝授の「喧嘩の段」ではそこから一歩進んで「がんばってるね!」という感じになり、今月お聴きして、声の安定感に驚いた。わずか2ヶ月程度でここまで向上するとは、やはりお若い方は日進月歩、責任ある一人での語りを任されると、素人客にもわかるレベルで成長するのだなと思った。

 

 

■ 

廊下の段。屋敷の廊下は腰元たち(吉田玉勢、吉田玉誉)が噂話で盛り上がっている。そこに通りかかった尾上の新参の召使い・お初(桐竹勘十郎)は彼女らから鶴岡八幡宮での一件を聞かされるが、現れた岩藤に謗りの張本人と見咎められ打擲される。

噂をすれば影が差す、突然ぬーーーんと現れる岩藤に場内爆笑。そして、全身に毛がびっしり生えてそうな人形(伯父弾正=吉田玉輝)が出てきたので、「全身に毛がびっしり生えてそう」と思って気が気でなかった。生身の人間なら、全身すべての毛がつながってる部類の人だと思う。しかも仏壇の前においてある座布団みたいなすごい柄の着物を着ていたので、ますます気が気でなかった。妙に堂々と座っているのが悪そうでとてもよかった。

この段でお初が手首に結んでいるうぐいす色の包みは何なのだろう? 最後にはほどいていたが、何が入っていたのかは見えなかった。そして、玉勢さんの持っている腰元お仲の人形が2月東京『冥途の飛脚』に続き、やっぱり170cmくらいありそうなモデル風のスラっとした感じだった。

 

 

長局の段。尾上とお初は居室に帰るが、尾上の様子がおかしいのでお初は心配している。実家への急ぎの文使いを頼まれやむなく出かけるお初だったが、門を出たところで文の中身が遺書であることに気づき慌てて屋敷内へ戻るも、尾上はすでに自害した後だった。尾上の文箱の中には書き置きと件の草履、そして岩藤の陰謀の証拠となる密書が入っていた。

前半と後半で雰囲気がまったく変わる段。まめまめしく尾上の世話を焼くお初が普通の女の子風でかわいらしい。ちょっと子供っぽく、おきゃんな印象で、奉公にあがるようになったばかりという設定がうなずける。尾上のまわりを一生懸命付いて回り、打掛を畳んだり、煙草を用意したり、薬湯を煎じたりという子犬のようなせわしない所作がかわいかった。衣装も町娘風の黄色い着物でキュート。ここまでのお初は武家の生まれと言っても普通のやさしい女の子のようで、とてもこのあと刃傷沙汰をやらかすような強い意思を持っているようには見えない。段の最後で仇討ちを決意したお初が尾上の打掛を被り、人形とは思えないものすごい速さ(いままでに見た文楽人形の動きの中でも最速の部類)で上手へ走り去って行く姿がある意味恐ろしかった。勘十郎さんは本当にこういう異様に意志の強い思い込み暴走娘が似合うと思う。どんな役でもご自分に引き寄せている部分があるのかもしれない。ところでお初は最後に髪を下ろすのだが、ふりほどいた瞬間髪がまっすぐになり、くせがない状態だった。又助も竹槍で刺されたあとはツインテール(?)から髪をふりほどくが、それは少しくせがついた状態。お初はシャンプーのCMのようにするっとまっすぐにほどけていて、さらりと綺麗に髪が下りるよう、出演直前に結ってもらっているのかしらん。

お初が「歌舞伎より操り芝居の浄瑠璃が私は面白うござります」と言うところ、文楽で聴くと面白くて場内ウケていたのだが、歌舞伎でも同じことを言っているのだろうか。

 

 

奥庭の段。雨の降りしきる奥御殿の庭で、何かを埋めていた忍び当馬(桐竹紋吉)が岩藤に刺殺される。当馬が埋めていたのは若君暗殺計画の証拠となる品だった。お初は立ち去ろうとする岩藤に「主人の敵お家の仇」と斬りつける。

立ち回りがかなり激しくて驚き。文楽だと立ち回りに段階があって、舞踊風に様式美の場合と本気で当てる場合があると思うが、今回は本気当て。キャットファイト的なかわいらしいものではなく、わりとガンガンいっていた。勘十郎さん、玉男さん、大変息が合っていた。途中で岩藤は懐剣を打ち落とされて持っていた傘で戦うのだが、人形遣いと人形のあいだによくもまあそんなタイミングよく傘を差し込むな。あまりにタイミングよく傘を差し込むので、上演中は人形と人形が戦っているように見え、人形遣いが人形を遣っていることが気にならず華麗に思うのだけれど、あとあと冷静に考えると人間に当たる可能性があるので結構怖い。岩藤が開いた傘でお初の刀を受け止めるところも、人形のポーズ優先になるため人形遣いの顔の真横に懐剣がザクザク刺さるのをうまいことぎりぎりでよけて、綺麗に決めておられた。なるほど、玉男さんが岩藤に配役されていたのはこういうことなのね、と思わされた。

 

 

今回は前半も後半も見どころ、聴きどころが多くて大満足だった。

特に中堅出演者で固めた又助住家が印象に残った。歌舞伎だと将来が決まっているプリンスを幼い頃から見守るという楽しみがあると思うけど、基本未来が定まっていない文楽だと、自分なりに今後どうなっていくのか楽しみな人、応援したい人を見つけるという楽しみがあるのだなと思った。文楽業界にはいわゆる華麗なプリンス風の方はいないが(※個人の感想です)、みなさん個性をいかして男子校でスクスク育った野生感あって良い。すみれやバラや菜の花や菊やラフレシアが無作為にワサワサ咲いているお花畑のようだと思う。私はすみれやラフレシアに水をやりたい。