TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 2月東京公演『二人禿』『御所桜堀川夜討』弁慶上使の段『艶容女舞衣』上塩町酒屋の段 国立劇場小劇場

開演前、

「べんけい・じょし……………………。弁慶・女子!!?!」

とつぶやいているお客さんがいらっしゃった。
いる……。こういう、ツメ人形……。と思った。

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二人禿。

いろいろ仕方ない部分もあるけど、床も人形も、覇気がない。
やっぱりこの曲、人形にものすごく踊りがうまい人が二人いる時向けに作られてるんじゃないかと思った。

 
 
 
 
 
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  • 義太夫
    豊竹希太夫、豊竹亘太夫(2/16〜)、竹本聖太夫(2/5、13〜)、豊竹薫太夫(2/5、13〜19)、竹本文字栄太夫/竹澤團吾、鶴澤友之助、鶴澤清公、鶴澤燕二郎、鶴澤清方
  • 人形
    禿[上手]=吉田玉誉、禿[下手]=吉田簑太郎

 

 

 

御所桜堀川夜討、弁慶上使の段。

↓ あらすじ

みんなこの話にはいろいろ突っ込みたいことがあると思う。
でも、突っ込みどころがありすぎて突っ込みきれないので、言わないのだと思う。

しかしこれだけは言わせてくれ。侍従太郎ハウス、内装すごすぎ。全面ピッカピカの金地に、満開の桜と張り巡らされた五色の幔幕、巨大な火焔太鼓が大々的に壁に描かれていた。貴族に仕えている人はあんな豪邸に住めるものなのか? いや、それより、これをヨシ!とするとは、一体どういうセンスなんだ??

あとは、おわさが持ってくる海馬のお守りは、原文だけ読んでいる状態だと、タツノオトシゴの干物だと思ってたが、実際見てみたら、お札みたいなやつだった。中に入ってる本体(?)が、タツノオトシゴのイラスト入りってことなのでしょうか。

 

舞台は、いろいろと大変なことになっていた。みんな一生懸命頑張っていたが、かなり、大変な感じになっていた。

床は複雑な休出演状況となったため、かなり混沌としていた。
初日2/5は、錣さん・宗助さんが出られなかったため、睦さん勝平さんが奥も通しで演奏(どうなってたんだこの日)。公演再開すぐは、錣さんは出られたけど、宗助さんが出られず勝平さんが引き続き演奏。数日後に宗助さんが復帰して、やっと本役の錣さん・宗助さんの演奏ができたという状態だった。
自分は錣・勝平で出たとき、錣・宗助に戻れたときに聞いたが、かなり大変だったんだろうなと思った。勝平さんは一生懸命やってるんだけど、錣さんが三味線をかなり気にしちゃっていた(というか錣さんは人形まで気にしてた。おそらく演奏速度についてきてるかが気になったんだと思うが、そこはさすがに向こうの責任なので無視したってくれ)。宗助さんは戻ってきても、ベストな状態とはいえず、普段の宗助さんがそんなミスをするとは思えない箇所があって驚いた。錣さんは宗助さんが横に帰ってきたことに安心したのか、ご本人が落ち着いたのは良かったけど……。いつもと同じように稽古できなかったのがしんどいのかなと思った。少なくとも、誰もがまともな状況では出来ないわな。

しかし、錣さんのおわさや信夫は可憐で愛らしく、公家に出入りするにはちょっと普通の人っぽい(実際そうだが)チャーミングさがとても良かった。また、状況による刻々とした感情の変化がよく出ていたのが良かった。弁慶の口調の変化、おわさの嘆きの変化。弁慶はわりと早い段階からウルウルしていた。おわさはカシマしい大阪のオバチャン(?)だったのが乙女に戻ったり、お母さんになったりと、さまざまな内面の変化に富んでおり、また、悲しみの水量が変化していくのも良かった。

 

人形はそういう事情がない分、言いにくいが、床とは違う意味で大変なことになっていた。さきほど床の状況はかなり混沌としていたと書いたが、それでも、人形はとてもじゃないけどその場その場の感情表現ができている状況ではなかったので、話の理解には床を頼りにした。

全体的にあっさりしているというか……、率直に言って、浅い印象。全体が大味で、段取りの説明をしている状態にとどまっているような。浅く感じるのは、主役級に素描的な演技の人がかたまりすぎているからだろう。あるいは素朴、もっと言えば、演技が固いと言ってもいい。文楽座として、いろいろなタイプの人、いろいろな成長度合いの人がいること自体はよいことだと思うけど、一演目に対しひとりは写実的で緻密な演技をできる人が欲しい。この状態では、叙情性や詩情がまったくない。確かにもともと大雑把な曲だとは思うんですが、それにしても素朴すぎやしませんかね……。と思った。

今回は、今後の奨励のためもあって、こういう配役になっているのだと思う。ただ、奨励なら奨励で、割り振りなりサポートする体制なりを一考する必要があるように思った。というか、本公演として客前に出す用に、もうちょい体裁を整えておいて欲しいと言ったほうが、客としては正確な心情かもしれない……。
その上でも、個々の問題は、熟練やこなれ以前の、根本的なものがあるように感じた。一生懸命やっていることはわかるが、演技技術以前の違和感のある役がいくつかあった。演技が曲に合ってなくて、頭とケツがずれとるで的な意味で……。

弁慶は、玉也さんらしい、ラフで質朴な味が出ていておもしろかった。良い意味でのぶっきらぼうさ。でも、先述の通り、配役の組み合わせの問題で、それがプラスの方向に引き立っていなかったのは残念。この話、「弁慶上使」といいつつ弁慶が主役なわけではないので、玉也さんはちゃんとやってる、玉也さんさえ良ければいいとは言えないところが難しい。
弁慶の左は、もっと伸縮を強調したダイナミックな動きのほうがよいのでは。「満員電車で身動き取りづらいけど、ポケットの中のスマホをなんとか取り出したいおじさんが周囲の人の迷惑にならない範囲でなんとか腕を動かそうとしている」みたいになっていたのが、哀愁だった。以前にも書いたが、左の人には、右の人(主遣い)の所作のトーンに合わせる意識はどれだけあるのだろう。もっとも、玉也さんの所作の雰囲気に合わせるのは、かなり難しいことだとは思うが。

細かいところでは、花の井役の簑一郎さんが良かった。ふっくらした打掛の構え方、背筋を伸ばして首だけコクッと落とした姿勢が美しかった。立体的で布地のハリを感じる打掛の扱いは特に良かった。ふところにフェレット入れてそうだった。

 

 
 
 
 
 
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  • 義太夫
    中=豊竹睦太夫/野澤勝平
    奥=豊竹睦太夫(代役・2/5)、竹本錣太夫(2/13〜)/野澤勝平(代役・2/13〜14)竹澤宗助(2/15〜)
  • 人形役割
    卿の君=吉田和馬(前半)吉田簑之(後半)、妻花の井=吉田簑一郎、腰元信夫=吉田簑紫郎、母おわさ=吉田一輔、侍従太郎=吉田玉佳、武蔵坊弁慶=吉田玉也

 

 

 

艶容女舞衣、上塩町酒屋の段。

↓ あらすじ

ここまでの2つの演目が結構大変な状態で、酒屋、どうなっちゃうんだと不安に思っていたが、非常によかった。
ごく普通の誠実な人々が出くわしてしまった行き違いの不幸の、偽りのない本心からの誠実さが煎じられている印象がある。透明感があり、散らかりのない雰囲気。大坂の小さな商家の薄暗い居間で、行灯の火が揺れている。小さな湯呑みに注がれたお茶からは、ゆっくりと湯気が立ち上っている。時々、風が吹くと、色あせた門の木戸がカタカタと揺れる乾いた音が聞こえる。物語の空間がよく感じられた。

 

二人の父親、宗岸〈桐竹勘壽〉と半兵衛〈吉田玉輝〉はお二人ともとても良かった。芸風の違いも役に対してうまく出ていて、適役だと感じた。
宗岸は、まさかこの人がキレて娘を婚家から無理やり連れ帰ったとは思えない好々爺だった。勘壽さんの芯がある町人男性役らしく、ちょっと首をすくめた感じに、肩を内側に寄せていた。
半兵衛はお通をあんまり気にしていないのが笑えた。半兵衛も、人によってはお通をあやしながら手紙の読み上げを夢中に聞いてたりするが、玉輝さん半兵衛は子供あやしがかなりの手練れで、「はいはい〜いい子いい子〜!ちょっと待ってね〜!」って感じだった。初孫、初孫!!!

簑二郎さんのお園も、かなり良かった。小柄で、小さな声で喋り、常に自分以外のことを心配しているような表情。大人しく地味な雰囲気のお園で、嘘がなかった。お園に嘘がないというのは重要なことだ。お園さんは正味な話、かなり非現実的というか特殊な思考回路をされており、言動が完全にイってしまっておられるので、それを舞台にどう定着されるかに個性が出る。簑二郎さんの場合は、「本当にそういう子」というニュアンスが強く、本心からのまごころをもって半七や親たちに接していると感じられた。要は、客に対する受け狙いや押し付けめいたところがないのだ。それには、派手な振りを抑えている点が大きい。なんなら、自然な流れの後ろぶりは、兄弟子たちより上手いまである。舞台の誠実な雰囲気は、このお園によるものが大きいだろう。
人形のこしらえは、顔まわりがすっきりした印象になっていた。襟を強く押さえて、首やうなじを広く出しているからだと思う。
しかし、お園、「前」が終わった後、納戸へ引っ込まんのか? 引っ込んで、「後」の演奏が始まったときに、のれんをくぐってソロソロ出てくるという演出にする人が多いと思う。あれは、そこから「お園さんだけの世界に切り替わった」というイメージが出て、よくできている演出なんだなと思った。あとは、一度土間に足を下ろすところからがちょっと集中力が切れているようで、人形の姿勢が崩れていた。あと一息頑張れ!と思った。しかし、逆にいえば、簑二郎さんはおそらく本公演初役で、気負いもあるだろうに、そこまでは常にテンポを整え続け、ゆとりを持った抑えた使い方になっていたのは、すごいことだと思う。

これまでのイメージにない役で良かったのは、紋秀さんの半七。
お兄さん風のスッとした淀みを感じない半七で、非常に雰囲気が良かった。半七の透明感のある美男子ぶりがよく感じられた。半七は言動はクソカスとしか言いようがないが、それを劇として成立させうる空虚な雰囲気、ビードロ(うすはりのガラスでできた、りんごあめみたいな形の、息を吹き入れるとペコペコするアレ!)のような人柄が出ていた。半七は左も良かった。

紋臣さんの三勝も、雑味を抑えた美麗な雰囲気。大人っぽく、姉さん女房っぽかった(まじで紋秀さんの兄弟子だからですが)。
頭巾を被っている役は顔が目元しか見えず、かしら全体の動きによるニュアンス表現が使えないのでかなり難しいと思うが、清楚な美しさ、三勝の内面の慎ましさがよく出ていた。冒頭、三勝が茜屋に酒を買いに来た際、長太がお通をイナイイナイバアであやしてくれるが、そのときお通が喜んで首を振って三勝を見ながら笑い、三勝は背中を少しぽんぽんしているように見せているのが良かった(お通、このときは三勝に抱っこされているため人がついてないので、全部紋臣さんがやってる)。全体的には、脂っぽさのない、濁りない雰囲気が良かった。文楽の親役って不思議で、子供が大きくなればなるほど子供への愛が深まって、その愛と罪悪感が流れ出した泥沼から逃れ難くなっていくように感じるけど、三勝はそこまでいく前の、純粋な親心が表現されているように感じた。
最後の茜屋の門外で半七と共に嘆きを見せる場面、頭巾を取るところだけ若干唐突に感じられた。もう少し自然にはらりと落とすか、それとももっと感情的におもいきり外して小道具として扱うか、どちらかにしたほうがよいように思った。

前半の玉征お通は、天真爛漫でおっとりした雰囲気。めちゃくちゃでっかいハムスターのようだった(めちゃくちゃでっかいハムスター、それはモルモット)。じぃじのおひざに乗っかろうとするとき、半兵衛の膝でトントンと三味線の拍子をとっていた。隣の席にいたらウザいタイプだ。しかしさすがにあちらは若造といえどプロなので、調子が変わるところは適当にフェードアウトさせて誤魔化し、ズレを防いでいた。そして、羽織のぽんぽんをしきりにぽふ!ぽふ!とパンチしていた。
後半勘昇お通はかなり元気いっぱいで、動きが超素早かった。いやもう立って歩けや。しかし、拍子は取らず(若造が清治の拍子取ったら「明日から来んでええよ☺️」になるからネ!)、半兵衛におもいきりしがみついていた。玉征お通はずっと起きていたが、勘昇お通は途中で飽きて、眠そうにしていた。あのお通の飽き居眠り、客も飽きて居寝始めるころに寝始めるので、よくできてる。
しかしお通よ、わずか3歳で、知らん家にひとりで置いておかれても平気でひとり遊びしてるって、えらいのお。

 

何より良かったのは、清治さんの三味線。お園の空想的、観念的な世界を感じ取ることができた。清治さんにしか弾けない艶と深みのある音で、さすがだと思った。
呂勢さんは「はんひち」と言っていた。無理に押し出したところのない、落ち着いた演奏で、良かった。
太夫さんは「そこまで!?」と思うほど咳き込んでいて、絶対検査に行ったほうがいい半兵衛だった。お園頼む、すぐ検査してもらえる病院探してやってくれ、オトーチャン、持病のある高齢者だから。お園は「女方」っぽい喋り方だった。やはり、意図的にやっているのだろうか。

 

 
 
 
 
 
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  • 義太夫
    中=豊竹靖太夫/鶴澤清馗
    前=豊竹藤太夫/鶴澤清友
    後=豊竹呂勢太夫鶴澤清治
  • 人形役割
    丁稚長太=桐竹勘次郎、半兵衛女房=吉田文昇、美濃屋三勝=桐竹紋臣、娘お通=吉田玉征(前半)桐竹勘昇(後半)、舅半兵衛=吉田玉輝、五人組の長=吉田玉峻(前)吉田玉延(中)吉田簑悠(後)、親宗岸=桐竹勘壽、嫁お園=吉田簑二郎、茜屋半七=桐竹紋秀

 

 

 

若干「ど、どうなの?」な演目が並ぶ第一部、休演・代演等でいろいろと大変なことになっていた。でも、酒屋は2月公演でぶち抜きのクオリティ、いや、通常比でも相当に良い舞台だったと思う。酒屋を観られてよかった。

人形に対しては、浄瑠璃をよく聞いて欲しい、本文をよく読んで欲しいと思う。曲と動きが合っていない人形は、なぜ合っていないのか。なぜと言われても、それができない人というのは、まあ、決まっている振り付けをやることで精一杯なのだろうけど、当事者なり幕内なりの見解として、いつまでそれが許されるという理解なんだろうと思った。当てこすりとかじゃなく、真剣な話として、素で不思議なんだよね……。だって、曲を無視して振り付けだけをやればいいって話なら、文楽じゃなくていいのでは?って思うので……。

また、「センス」というものを考えさせられる舞台でもあった。この人センスないなぁと思うことがあるけど、逆に、若くてもセンスがあると感じる人もいる。センスには天性のものもあるが、磨くことで造られるものもある。では、その「磨く」とは、どういうことなのか。

 

まじで本編に一切関係なく失礼なのだが、セイトモさんの「大阪のおじさん」感は一体何なのかと考えていた。かなりまともそうな人だが、しかし、そこはかとない「大阪のおじさん」オーラが……。ひたいのすみの剃り込みのせい? 本当にそういう生え際なのかもしれないが、私の気を引く。紋秀さんの髪の毛がペカかフワかの次に。
なお、今月の紋秀さんは、私が観た2回とも、ペカってました。

 

 

 

文楽 『御所桜堀川夜討』全段のあらすじと概要

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2022年2月東京公演で上演された『御所桜堀川夜討』のあらすじまとめです。本作は上演が少なく、調べようと思っても解説資料があまりないので、独立記事として投稿します。

 

 

 

┃ 概要

  • 初演:元文2年(1737)1月28日 大阪竹本座
  • 作者:文耕堂、三好松洛

 

┃ 特徴

源平の争乱後、源頼朝義経が不和に陥ったころを舞台に、義経をめぐる様々な人々を描く時代物。

現行部分「弁慶上使」では弁慶がめちゃくちゃ目立っているが、『御所桜堀川夜討』全体で一番目立つ主役的登場人物は、土佐坊昌俊。「土佐坊」といえば、『義経千本桜』にも頼朝の使者の悪僧として登場する。でも、本作では良い人。どういうこと?

本作では、伝承で「土佐坊」と呼ばれている人物は、実は2人いたというオチになっている。上記の主役的登場人物、土佐坊「昌俊」は、良い人。そしてもうひとつの名前「正尊」のほうは偽物で、梶原景時の家臣・番場忠太が土佐坊に化けたときの名と設定している(なお、『義経千本桜』に描かれる土佐坊は「正尊」)。
これは、土佐坊には実際に昌俊と正尊の2つの名前が伝承されていることを活かしている。なぜ2つ名前が残されているのかというと、頼朝義経兄弟と世の太平を守るために働いた土佐坊昌俊と、梶原一派の番場忠太が化けたほうの偽土佐坊「正尊」がいたってことなんですよ〜、みんな知らないけどね〜、という、浄瑠璃らしい伝説の謎の解き明かし(虚構だけど)が本作の結末になっている。

初演当初は、この土佐坊昌俊と、義経の四天王のひとり・伊勢三郎が登場し、その思いが交錯する二段目が絶賛されていたらしい。
また、現行上演のある三段目「弁慶上使」では父(弁慶)と娘(信夫)の別れが描かれ、四段目では母(磯の前司)と息子(弥藤太)の別れが描かれるのが構成上の特徴である。

 

 

 

┃ あらすじ

第一

源頼朝義経の兄弟は、梶原景時・景高親子の讒言により、鎌倉・京都に引き別れた状況になっていた。頼朝は、義経が平家の一門である平時忠の娘、卿の君を妻としていること、また酒色に溺れていることの2つに疑いを抱いている。源氏譜代の家臣・土佐坊昌俊は、頼朝と義経の復縁を願い、昌俊は命をかけてでも義経を守ろうと考えていた。昌俊は頼朝に、義経の詮議を果たせなければ、義経の住まう堀川御所に屍を埋めると誓い、義経への使いを買って出る。昌俊と梶原景高は、義経を詮議し、また、彼の持つ平家の回文状を回収し、もし引き渡さないのなら義経を討つべく、京都へ向かったのだった。

さて、疑いの原因となっている義経の舅・平時忠は、実は梶原景高と内通していた。時忠は義経を陥れ、義経の愛妾・静を我が物にしたいと願っていた。梶原は、義経の持つ平家の回文状に押印してしまっていたため、時忠へ回文状を盗み出すように依頼する。しかし、時忠・梶原一派が盗み出した回文状は、すんでのところで謎の黒覆面の大男に奪い取られてしまう。その大男は、傷を負いながら闇へと消えていった。

そんなこんなで話題沸騰中の義経は、懐妊中の卿の君を実家へ帰し、白拍子・静を館へ引き込んでドンチャン騒ぎをしていた。そこへ訪れた平時忠は、義経狂言に引っかかり、逆心の馬脚をあらわしてしまう。取り繕おうとする時忠だったが、彼の御台所が義経へ梶原との密通を注進していたため言い訳が立たず、能登へ流されるのだった。

 

 

第二

義経は「牛若丸」と名乗っていた若い頃、五条橋で千人斬りをしていた。それから13年、義経は斬った被害者を募集して、当時はご迷惑おかけしました的な施行をするキャンペーンを行なっていた。ホントかよっていうあやしい奴らがウゾウゾ集まってきて999人の面接がやっと終わり、1000人目はあの弁慶なので、面接担当の駿河次郎は、これでおしまい、と思っていた。ところがそこに、30歳ほどのただ者とは思われない女がやってくる。彼女はとある浪人の妻で、13年前に舅が五条橋で斬殺されており、その犯人が義経ではないかと思っているとのことだった。しかし、義経の斬った999人はすでに見つかっている(義経が、斬った日時・人をいちいちノートにつけていたため、照合すると、怪しくとも彼らは一応本物だとわかったのです)。女に舅が殺された日を尋ねると、それは義朝の命日にあたり、その日は義経も精進のため千人斬りを行なっていなかったことがわかる。女は勘違いを恥じて帰っていった。

京の外れ、粟田口では、夜な夜な追い剥ぎが通行人を襲っていた。しかしその追い剥ぎは不思議な男で、親の病気を治すために妹から金を借りてきたという者には、金を奪うどころか金を与えていた。実はこの追い剥ぎは病気の母の治療費を作るために追い剥ぎをしていた。その追い剥ぎ・郷右衛門のもとへ、さきほど千人斬りの面接に現れた女がやってくる。女は郷右衛門の女房だった。女房は、舅を殺したのは義経ではなかったことを報告し、夫婦は家へと帰っていった。

さて、その郷右衛門の本業は、近くの日ノ岡村で営む“骨継ぎ”だった。彼は凄腕で大人気のため、家の前にはいろいろなお客さんの行列ができていた(追い剥ぎの被害者もいるよ)。その骨継ぎ院へ、刀傷を受けたという立派ないでたちの大男が尋ねてくる。郷右衛門は大男の体に最近できた小さなしょぼい刀傷、そして古い立派な刀傷を認める。男は、古い刀傷は13年前、五条橋で平家の忍びと間違えて斬った老人につけられた傷だと語る。それを聞いた郷右衛門は、父の仇と男=土佐坊昌俊に斬りかかる。
郷右衛門は、かつては義経に仕える伊勢三郎義盛という立派な武士だった。しかし、義経が五条橋で千人斬りをしていたことを知り、父の仇には仕えられないとして、義経のもとをそっと去ったのだった。
昌俊は思わぬ偶然の邂逅に驚く。昌俊は、新しい傷は黒覆面となって梶原・時忠の一味から連判状を奪い取った際に受けたものだと説明した上で、頼朝・義経兄弟の和平を成し遂げたい旨を語り、敵討ちは梶原景高を鎌倉へ戻すまでの間待って欲しいと頼む。三郎は許そうとしないが、そこへ三郎の母が重い病を押して分け入ってくる。母は昌俊を労い、三郎に梶原が帰るまで待つように言うが、昌俊はその間に母が死んでしまうことを心配している。しかし母は、ここで昌俊を討って伊勢家代々の主君である義経に何かあっては意味がないと諭す。三郎は思い直して敵討ちを延期することにする。昌俊は三郎の母へ回文状を進上し、三郎が義経のもとへ帰参するときの土産にして欲しいという。二人が固く結びつけられたことを見届けた母は臨終を迎え、二人の勇者は別れゆくのだった。

 

 

第三

義経の館へ、回文状をたずさえた伊勢三郎が訪ねてくる。義経は三郎が帰ってきたことを喜び、また、回文状を手に入れた経路を明かすことはできないという三郎を許す。

そこへ、鎌倉の上使として、梶原景高と土佐坊昌俊が訪れる。梶原は、2つの詮議に答えられないのなら、卿の君の首に回文状を添えて渡すように迫る。武蔵坊弁慶が進み出で、梶原へ平家の回文状を読み上げるように迫る。梶原は自分の名前があるので、回文状を読み上げられない。義経は梶原が自らの裏切りを誤魔化すために回文状を欲していることを非難し、しかし、その証拠となる回文状をあっさり火鉢へ投げ込んでしまう。三郎と弁慶は驚くが、義経は、いまさら平家に与した者の名を明かしても、天下に騒動が起こるばかりだと語る。梶原はそれでもブツクサ言って、弁慶に卿の君の首を討ってくるよう迫るのだった。

現行上演部分・弁慶上使の段

卿の君は懐妊のため義経のもとを離れ、父方の家臣で、彼女を幼い頃から育てていた乳人の侍従太郎の館に預けられていた。彼女の気慰みのため、侍従太郎の妻・花の井や腰元・信夫らが面白おかしく話していると、信夫の母で御物師(裁縫師)のおわさが娘を訪ねてやってくる。元気でおしゃべりなおわさは、安産祈願として家伝の海馬のお守りを持参し、卿の君を励ます。そうして一同がキャッキャしていると、義経の使い・弁慶がやってくるとの知らせが入る。腰元たちは“女嫌い”で有名な弁慶をイジリ倒してやろうと相談をはじめる。
大紋姿で現れた弁慶は、相談があるとして卿の君と侍従太郎夫婦を伴い、奥へ入る。残された信夫とおわさが久々の再会を喜び、和気藹々と話しているところへ、侍従太郎だけが深刻な顔で戻ってくる。侍従太郎は突然、信夫を女房にもらいたいと言い出す。それを聞いていた花の井と侍従太郎は取っ組み合いになるが、おわさが分け隔てて事情を聞く。弁慶の来訪の目的は、卿の君の首を受け取ることだという。侍従太郎夫婦は主君の娘を殺すわけにもいかず、年恰好の似た信夫に、卿の君の身代わりになってくれないかと頼む。事情を理解した信夫は承諾するが、おわさは猛反対。信夫には父がいるのに、勝手に殺せないという。
おさわは上着を脱ぎ、左袖に縫い付けられた紅の振袖を見せて、信夫が生まれるに至った恋物語を語る。おわさは播州福井村の本陣(旅籠屋)の娘で、18年前の9月の二十六夜待ちの夜、16歳ほどの稚児姿の少年と一夜の契りを結んだという。人の足音が聞こえて少年は走り去ってしまい、おわさの手元には、少年の着ていた紅の振袖の左袖だけが残った。おわさはそのときにできた子・信夫を産み、赤ん坊を抱いて国を出、父親探しの旅を続けていたと語る。
おわさがその父に会わせるまでは暇を欲しいと頼んでいると、その話を聞いていた弁慶が障子の隙間から信夫を突き刺す。おわさは泣いて弁慶を責め立てるが、弁慶は上着を脱ぎ、左袖のなくなった紅い振袖を見せる。おわさが18年前に契った稚児というのは、若き日の弁慶だったのだ。おわさは信夫を抱き起こし、父親は弁慶だったと教えるが、信夫はもはや目も見えず耳も聞こえず、たったひとりの大切な母が弁慶に斬られないよう心配をして言切れる。おわさは信夫の遺骸を抱きしめ、ずっと探していた父親に父娘とも知らずに殺し殺された境遇を嘆く。弁慶は、おわさの話を立ち聞きして信夫が娘と悟ったが、主君義経のため殺さざるを得ず、未練が残らないよう顔を見ることなく殺したと語り、涙を流す。生まれ落ちたとき以来泣いたことのなかった弁慶が、このとき初めて泣いたのだった。
刻限が近づき、侍従太郎が信夫の首を討つ。が、侍従太郎はそのまま自の腹に刀を突き立てる。顔が見知られてる自分の首を添えることで、頼朝にも梶原にも信夫を偽首と言わせないためだった。弁慶は侍従太郎の首を討ち、信夫の首とともに両脇に抱え、堀川御所へ立ち帰るのだった。
弁慶上使の段 ここまで

 

 

第四

平時忠の御台所は、娘・卿の君の安産祈願のため、伊勢神宮を参拝する。都への帰り道、草津宿で、御台所は卿の君・侍従太郎の首を運ぶ梶原景高と出くわす。娘の顔を一目見せて欲しいと梶原に取り付いた御台所までも首を討たれそうになったところに、道端の田楽売りが割り込んで来て御台所を救う。実は彼は静の兄・弥藤太で、母・磯の前司に勘当されて以来、風来坊となっていたのだった。御台所は弥藤太に感謝して逃げていくが、実はこれは弥藤太と梶原景高が共謀して打った芝居だった。

一方、放蕩に溺れる義経は静を本妻と定め、堀川御所に彼女の母・磯の前司を呼び出す。訪れた磯の前司に、静は兄・弥藤太が時忠の御台所を救ったことを語り、義経も勘当を許すように言う。しかし磯の前司は、夫が兄を心配して亡くなったことを語り、夫の代わりに「磯の前司」を名乗っている母に直接許しを乞うまでは、勘当を許すのは待って欲しいという。義経はそれを許し、磯の前司に舞を所望する。
さて、侍従太郎の館での難を逃れた卿の君は、信夫と名乗り静の腰元に化けていた。堀川御所に出入りするようになった弥藤太はそれに目をつけ、鎌倉へ注進しようとする。静と弥藤太は斬り合いになるが、舞を終えた磯の前司がそこに割り入り、弥藤太を斬る。母は舞装束の烏帽子を弥藤太に投げつけ、亡くなった父の手にかかったと思えと涙ながらに叱りつける。弥藤太はその言葉に善心を取り戻し、番場忠太らが堀川御所を夜討にすべく向かっていることを語って息絶える。
まもなく鐘太鼓の音が響き渡り、静の知らせに武装した義経が鎌倉の軍勢を迎え撃つ。現れた夜討の大将は、土佐坊昌俊だった。昌俊は義経へ、義経に弓引くことあらば日本中の神の罰を受けると誓う。そして、頼朝の旧主・義朝の息子の頼朝・義経二人とも大切で、どちらかを選ぶことはしないと語る。その証拠に、昌俊が持っていた矢には矢尻がなかった。昌俊は、かつての伊勢三郎との約束通り、梶原景高が鎌倉へ帰った今、この場で三郎に討たれて死ぬことを望む。昌俊の言葉に感じ入った義経はその衷心を誉とし、三郎に敵討ちを許す。こうして三郎はついに父の仇を討つのだった。

 

 

第五

鎌倉勢を追っていた弁慶は、「土佐坊昌俊」を捉えて堀川御所へ戻ってくる。しかし義経伊勢三郎から偽物だと言われ、覆面を引き剥がすと、それは番場忠太であった。弁慶は番場忠太に土佐坊「正尊」(=死に損?)という戒名をつけて首を討ち飛ばす。
義経は無事戦が納まったことを喜び、静に舞を舞わせるのだった。

おしまい

 

 

 

┃ 参考文献

『竹本座浄瑠璃集 二』国書刊行会/1995(『御所桜堀川夜討』校訂=黒石陽子)

 

┃ 画像出典

『御所桜堀川夜討』東京大学教養学部国文・漢文学部会所蔵

文楽 2月東京公演『平家女護島』鬼界が島の段『釣女』国立劇場小劇場

2月文楽公演、前半に大幅な休演があったが、ひとまず、公演再開できてよかった。

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(雨に打たれてしなびたプログラム)


平家女護島、鬼界が島の段。

全段のあらすじまとめは、記事の最後につけています。

淡々とした雰囲気、そっけなさが良かった。床・人形とも、『平家物語』の世界の中の、荒涼とした島の雰囲気を感じられた。枯淡で素描的な感覚が話の雰囲気に合っている。淡白だからこそ面白い舞台だった。

 

俊寛は玉男さん。「鬼界が島」はこれまで何度も観ていて、俊寛といったら、玉男さんのイメージ。実際には和生さんが俊寛の回も何回か観ていて、和生さんは和生さんで良いんだけど、それでも「俊寛はやっぱり玉男さんだな」と思う。説明のなさが謡曲に近く、その雰囲気が好きなのかもしれない。*1

人形の線の強さ、虚無的で孤独な雰囲気。目線が鋭い。宙を掴もうとする骨ばった手は、とても大きく見える。俊寛は杖にすがって立ち上がるが、玉男さんの場合、飢餓状態でふらつくというより、体が軋んで重そうにしているのが面白い。足の指で浜の砂をぐっと掴んで立ち上がっているかのようだ。俊寛の佇まいからは、彼の内面の静けさとは真逆の、鬼界が島の荒涼とした風景も感じられた。匂いのしない乾いた砂粒、肌に刺さるように当たる潮風、目を痛めつけ眩ませる直射日光。おそろしく簡素な舞台装置でも、彼の五感を通して、鬼界が島の風景がイメージさせられる。

それとは裏腹の、流人仲間2人や千鳥への人あたりの大人しさは、不思議。成経の恋バナを聞いているときのリアクション「はわ…」「ふ…」的なものは、いかにも玉男さんな感じがする。個人としては峻厳な雰囲気なのに、世俗的なことにはなんだか微妙にトロい感じがあるというか。頭の少し斜め上のところに、「…」(三点リーダ)が浮かんでいるような雰囲気が好き。千鳥を見守る目線も、「むすこの、かのじょが、あそびにきた……」という、まさにそのまんまな感じなのが、かなり、良い。

また、それを突然ぶっちぎって瀬尾に斬りかかり、刃を交えるときの異様な目つきは、独特。瀬尾の首を高く投げ捨てるのも、不気味さがある。斬り合いは息が合っていてよかった。玉男さんも玉志さんもお互いあまり見ずにやっていたので、感覚的に合わせられるということだろう。

最後に崖を駆け上る勢いは、以前よりもおとなしめ? 体力を振り絞り、必死に登っている印象になっていた。そして、詞章だと「思い切つても凡夫心」だが、むしろ、名残の気持ちは本当になく、無の心で見ている気がした。でも、どこかに人間らしさがある。都へ帰る人たちの幸せを願っていそうな感じとか……。こういうのは、やっているほうが「おじいさん」になっていくにつれ、変わっていくのかな。
崖にからまるツタの葉っぱは初日時点でもかなり散ってしまっていて、舞台稽古で大量にちぎれたのかしらと思った。

 

玉志瀬尾は、かなりキリキリキリキリしていて、神経質そうだった。1ミクロンも融通をきかしてくれなさそう。たしかに原文通りのキャラである。

なぜか微妙に小柄な雰囲気に見えて(実際には居丈高にしているが)、体のパーツがプリプリのソーセージでできていそうな感じがした。弾力がありそうな所作で、とにかくターンが速い。ものすごい勢いで90度の角度で正確にきびすを返す。左の人、あの動作によく追いついてたなと思った。やたらリアクションがデカいのも味わいがあった。丹左衛門が喋ってるのに、丹左衛門よりリアクションがでかいがな(丹左衛門に所作の濃淡コントロールがないという問題もあるけど)。有り余っとるな、元気が。と思った。玉志瀬尾、休演期間のために2日で終わっちゃったので、仕方ないですが……。

そして、ピョコっていた。久しぶりに思い切り「ぴょこん!」としていた。船上から俊寛たちのガチャガチャ騒ぎを発見したときは、「プルルッ!」としていた。顔が赤いから……? そして、時々、「ぴーーーん!!」と、すんごい伸びていた。立ち上がったプレーリードッグのようだった。この手の謎のオリジナル動作、良すぎる。

赦免船に乗る時、玉志サン自身が段差を上がる前に、瀬尾の人形を先に乗せてあげていた(先に人形を差し上げてから、段差を登る)のは、人形の動きが自然に見えて、良かった。

『平家女護島』の原作全段を読むと、この人、なかなか面白い。鬼界が島へ向けて出発する前、能登守教経と丹左衛門元康が書類をチョロまかし「中宮の安産の祈願なんだから、善行として俊寛も助けてあげようよ〜」とか言ってるところに、「善行程度で安産になるなら、世の中に“難産”なんかないっつの」とか毒づいている。文句言いつつ、2人の小細工を放置しているところも、良い。
なお、瀬尾(妹尾)太郎兼康さんは、地元岡山では、いまも使われている用水路を作った人として、有名だそうです。

 

勘彌さんの千鳥はかなり大人っぽかった。清楚なおねえさん、という感じ。千鳥って前からこんな顔してたかなと思った。抽象的で空虚な雰囲気。この娘さん、実在するの? 流人三人組の見た幻覚では? という印象があった。簑助さんと同系統。ただ、勘彌さんの普段の技量をかんがみるに、もう少し、何かが欲しかったと思う。
ちなみに、瀬尾に対する攻撃は、砂をグーでつかんでかける!だった。

 

それにしても、今月の鬼界が島の人々は、かなり健康そうだった。
鬼界が島、健康ランドなのかもしれない。
鬼界が島(鹿児島県の硫黄島)って、まじで温泉湧いてるらしいし。流人トリオ、イノシシとかカニとかクジャク*2とか、むしろ都より栄養価が高そうなものをいっぱい食べてるんじゃないかって感じで、栄養状態よさそうだった。それに、俊寛はR1ヨーグルトを1日5個食べてそうだったし、妹尾はヤクルト1000を1.5秒で一気飲みしていそうだった。
若手にあんまり言ったら申し訳ないが、成経〈吉田文哉〉の出など、フラフラ具合が栄養失調というよりのぼせた人みたいで、サウナから出て外気浴してる人みたいになってた。
また、赦免船から瀬尾vs俊寛の戦いを観戦してる人たちは、かなりぼーっとしていて、サウナのテレビ観てる人みたいになってた。
なんだこの日曜日の健康ランド感。
あと、赦免使に対する康頼〈吉田玉翔〉の這いつくばいがすごすぎて、びびった。まじで地面にめりこんで土下座。平たい甲虫のようになっていた。あんな平身低頭してるやつ、在所のお百姓キャラでも見たことない。地下帝国かと思った。成経は逆に「頭下げときゃいいんだろ」状態だった。なお、康頼の冒頭の出は、登ったカーテンレールから降りられなくなったネコみたいで、へっぴりな感じが、良かった。あいつそもそも崖にへばりついて何してんの? 鳥の卵盗もうとしてるとか?
丹左衛門〈吉田簑紫郎〉は代役だから色々仕方ないところもあるだろうが、座り姿勢の腰が浮きすぎていて、かつ、膝の開きが狭く、トイレ行きたい人状態になっていた。段切直前の客席に、こういう人、ときどき、おる。もっとぐっと大きく膝を開き、腰を引いたほうがいいよ!!と思った。いえ、早く都へ帰りたかったのかもしれませんが……。

近松ものはすべてそうだが、『平家女護島』は、文章に、人形の動作の余白がない。人形は、義太夫とはやや離れた、独特の間合いになる。玉男さんは元々間合いの取り方がかなりしっかりしているので余裕に見えるけど、自分でテンポや間合いを作っていかなくてはいけないので、役そのものとしては結構難しそうだと思った。そのほかの登場人物も、船の乗り降りなど、詞章に全く間に合わないところは、義太夫と関係のない独立した動き。そのためにおたすけツメが配置されているんだなと思った。
動きに文章上の間合いがないのは、人形だけではない。斜面船が異様な猛スピードで接近してくるとか(初めて見た時、笑ったもん。そもそも砂浜にあんなデカ船接岸できねえだろ)、島から遠ざかる赦免船も高速艇くらいの速度出てるんじゃねえのかとか、人形一人遣いのときはこれくらいザックリしててよかったんだなーと思った。

 

 

 

床は、呂太夫さん。淡々とした雰囲気は好き。やや薄く伸ばした墨のような印象。ねっとりとした雄渾さをもって濃く語る方法もあるだろうが、枯淡さや質朴さが語られる物語の雰囲気に合っていると感じた。階調の微妙さ、ニュアンスの出し方で聞かせているというか。ただ、ご本人は、ちょっとしんどそうだった。喉の調子が少し悪いようで、抑えつつ引いて伸ばす声が出にくいのか、冒頭の謡ガカリがブツブツ切れていた。以降も声のひっかかりが多く、心配。

三味線は、公演再開すぐは清介さんが休演だったため、清公さんが代演。緊張されていたが、とにかく、弾き切れて、良かった。少し戸惑いつつ演奏されていたけど、出来てるっ!出来てるっ!と叫びたくなった。「自分はこうしたい」という意思が感じられたのが良かった。

 

 


岩礁フジツボは、絶滅していた。
硫黄島の港は、流入する温泉の泉質の影響で、真っ赤になるそうだ。段切、俊寛が駆け上った崖の下の海も、真っ赤だったら、ドラマチックだ。

 
 
 
 
 
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  • 義太夫
    豊竹呂太夫/鶴澤清公(1/13〜2/15代役)、鶴澤清介(2/16〜)
  • 人形役割
    俊寛僧都=吉田玉男、平判官康頼=吉田玉翔、丹波少将成経=吉田文哉、蜑千鳥=吉田勘彌、瀬尾太郎兼康=吉田玉志(前半)吉田玉助(後半)、丹左衛門元康=吉田簑紫郎(代役、吉田勘市休演につき)

 

 

 

釣女。

文楽の歴史のなかにこれがあり、保持しようとするのは理解する。昭和前期の新作だとしても、当時そういう積極的な外部取り込みの動きがあったということ。
でも、現代での上演は、やるにしても、10年に1回でいいのでは? どう言い訳しても、性差別と容姿差別の行為自体を、面白おかしく笑ってくださいという趣旨の演目。文楽はもともと、かしら(顔)と性根(内面)を一致させた表現を目指す、ある意味非常に危険な趣旨を持った芸能。それを保持していくのなら、どの演目をどう舞台にかけていくか、よく考えていくべきだと私はとらえている。
この演目の場合、一番の問題は上演頻度。2022年にもなって、ここまでの頻度で執拗に繰り返し上演していると、内々の事情如何にかかわらず、性差別と容姿差別を積極的に肯定し、助長していると受け取られる。少なくとも、制作がそれを問題に感じていない、課題として意識していないということは、わかった。今回は国立劇場だが、文楽劇場や地方公演の企画制作でも同じ。そこをトータルして文楽という一座になっているんだから、もっとよく考えて欲しい。そして、出演者側で発言権のある人も。
以上、観客の立場から発言しないと、いまの文楽の客、そして今後の文楽の客を舐めくさった態度が未来永劫改善することがないと思ったので書きました。*3

 

舞台全体として、芳穂さんが非常に良かった。上記の通りの演目なので、観客のすべての人が演目自体に対しポジティブな印象を持っているとは思われない中、狂言取り込み演目らしい、明るく朗らかな雰囲気を作っていた。いやそうでなくとも、この演目は、狂言という前提あってこそ、その空気感を楽しむ演目だと思う。語るとき、芳穂さんは、狂言の表情になっていた。人形に狂言感がない中、狂言らしい、おいしそうな香りのするぷくぷくとした膨らみのある雰囲気は、芳穂さんが作っていたものだと思う。
床は全体的に落ち着いていて、たとえば食い気味になるなど、勝手なところがなくて、良かった。

 

醜女〈吉田清五郎〉は、目が一切笑ってなくて、良かった。配役上、醜女は美女より技量が高い人がやるので、たいてい美女より「美人」になってしまう。けど、清五郎醜女はバイト気分の腰元風というか、そこそこガサツに遣っていて、かしわもちの葉っぱを剥かずにそのまままるごと食べてそうな感じがするのが良かった。とはいえ、根っこのところの美人ぶりは隠しようもないから、『いとはん物語』の京マチ子みたいな感じだな*4。また、準備関係にトラブルが発生した回があり、清五郎さんが完全に真顔になっていて、良かった。いやご本人からしたら良くないけど。

大名〈吉田玉勢〉は、非常にバカっぽいのが良かった。太郎冠者〈吉田玉助〉のどうでもよさそうさも、極まっていた。一切会話が通じていなさそう。まじで。しかし、太郎冠者の人形が、立っているのと座っているので姿勢が同じなのは、なんとかならん? あとは足拍子を義太夫の間合いにはめて欲しかった。

美女は、紋吉さんなのが、「紋吉が釣れたっ!」感があった。UFOキャッチャーでポムポムプリンのでっかいぬいぐるみを取った気分がした。

最後の踊りのところ、こいつら本当に好き勝手に踊ってんなと思った。なんだこの一切揃わないぶり。それにしても、能狂言や舞踊って扇の構え方に特徴(というか約束)があると思うんだけど、習っている人からしたら、あれはどう見えるのか。その感想、おもしろそう。

 

そういうことで、出演者自体は良かった。なので、この出演者をこの演目に使うことが「ハァ?」としか思えなかった。
時間稼ぎ・出演者人数稼ぎなら、『平家女護島』に「舟路の道行より敷名の浦の段」をつけるのはどうですか。別に面白いわけじゃないけど。いや、なんなら、まったく面白くないが。(素直)

 

 
 
 
 
 
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  • 義太夫
    太郎冠者 豊竹芳穂太夫、大名 竹本小住太夫、美女 竹本碩太夫、醜女 竹本南都太夫/野澤錦糸、鶴沢清𠀋、鶴澤寛太、野澤錦吾、鶴澤清允(2/16〜)
  • 人形役割
    大名=吉田玉勢、太郎冠者=吉田玉助(代役、吉田文司休演につき)、美女=桐竹紋吉、醜女=吉田清五郎

 

 

 

第三部は、初日3日前に、複数出演者の新型コロナウイルス感染により前半の公演を中止する旨がアナウンスされた。玉男さん・玉志さんの出演演目のチケットを重点的に買っている私はギャッとなった。私の2月文楽、存在しなくなるかと思った。
ひとまず公演再開できてよかったけど、本当に大丈夫なのか。大丈夫なわけないよな。

「鬼界が島」は、人形黒衣で上演して欲しいな。鬼界が島の荒涼とした寂しい雰囲気がよく出そうだ。なんか、あの島、結構、人、いるからさあ。具体的に言うと船が来る前でも16人ほどうぞうぞしてるように見えるもん。そして、現況に対しては、感染リスクの低下にもなると思う。


この部だけの話じゃないけど、舞台全体として、感じたこと。
人形は、小道具の取り扱いは丁寧にしてほしいと思う。小道具の破損などのトラブル防止は、「雑に扱わない」ということから、はじまるんじゃないかな。
また、人形遣いは、あくまで人形につられた動作でいて欲しい。クセで、人形より先に自分自身が行動してしまう人がよくいるよね。簑助さんもそうだったけど、人形が次に向く方向に、人形より先に顔を向けてしまうとか。その程度ならまだいいが、人形より先に立ち上がるのはやめて欲しい。人形より人形遣いが目立ち、「おじさんが起立した」という状態でしかなくなる。左遣いも、人形が伏せているのに立ちっぱなしだったり、人形より先に立たないようにして欲しいと思う。

 

 

 

おまけ 『平家女護島』全段のあらすじ

 

第一

平清盛はイキリまくっていた。興福寺東大寺の伽藍を焼き払い、僧侶を殺しまくって、大得意になっていた。しかし、源氏に肩入れする僧侶・文覚を取り逃がしてしまったので、腹いせに、彼が供養していた源義朝の髑髏を踏み踏みしていた。そこへ、鬼界が島へ流された俊寛僧都の妻・あづまやが連行されてくる。清盛はあづまやの美しさに魅了され、自分にかしづくように言うが、あづまやは激しく抵抗し、言うことをきかない。

六条河原では、大仏の首と義朝の髑髏が並べられ、晒されていた。清盛の命で髑髏が鴨川へ捨てられようとしたところ、大仏の鼻から手が伸びてきて、下使を打ち殺してしまう。大仏の首の中には文覚が隠れていたのだ。文覚は平家の悪逆を滅ぼすと言って大笑いし、立ち去ってゆく。

幽閉されたあづまやの元へ、常盤御前のように清盛に靡いたほうがよいという説得をしに、様々な人が訪れる。しかし、あづまやは夫・義朝の仇に擦り寄る常盤御前の態度を批判し、俊寛を恋しがる。そこへ能登守教経がやってきて、今の世で清盛に背くことはできない、しかしあづまやの貞女の道は必ず自分が守ると告げる。それを聞いたあづまやは意味を悟って自害し、教経は彼女の首を打ち落として清盛のもとへ持っていく。清盛は驚いて怒るが、教経は「おまえが顔がいいっつったんだろ!だったら顔があればいいだろうが!」と逆に責め立てて首を娶れと迫り、ドン引きした清盛は引っ込んでいく。そこへ俊寛の童・有王丸が踊り込み、清盛を討ち取ろうとする。教経とその童・菊王丸が応戦し、激しい戦いになる。しかし、鬼界が島の主を捨てて犬死する気かと教経から一喝された有王丸は、その言葉に恩義を感じ、帰っていく。(現行・六波羅の段)

 

第二

中宮となっていた清盛の娘の出産が近づき、御殿では祈祷が続いている。能登守教経、丹左衛門元康、瀬尾太郎兼康の3人は、安産祈願の一環として、鬼界が島の流人を赦免する件の打ち合わせをしていた。決定では、流人のうち、平判官康頼と丹波少将成経は赦免されるが、俊寛は清盛の憎悪が強く、赦されないことになっている。これを予期していた平重盛は、必ず清盛を諌めるように、できなければこちらの判断で備前までは連れ帰るように教経に伝えていた。教経と丹左衛門は小細工をして3人とも帰ることができるよう手筈を整え、瀬尾はブツクサ言いつつ、鬼界が島へ向けて出発するのだった。

絶海の孤島・鬼界が島では、俊寛僧都、平判官康頼と丹波少将成経が壮絶な日々を過ごしていた。俊寛に久しぶりに再会した成経は、霧島の漁夫の娘・千鳥と恋に落ちたことを語り、俊寛も妻・あづまやを思い出し、それを祝福する。
成経が千鳥を呼び寄せて俊寛に紹介していると、沖から赦免船がやってくる。赦免使・瀬尾太郎兼康が、康頼と成経のみが許される旨が記された書状を示すと、名前のない俊寛は嘆き悲しむ。もうひとりの赦免使・丹左衛門元康は、重盛・教経の心遣いの一通を取り出し、俊寛備前までは帰られる計らいをしたと言うので、俊寛も安心する。が、通行切手の人数は3人。千鳥は連れていけないと言われた成経は島に残ると言い出し、俊寛と康頼もそれなら自分たちも残ろうとする。瀬尾は怒り、流人3人を無理やり乗船させる(唐突に、あずまやが清盛に歯向かって死んだと言いながら)。
残された千鳥は嘆き悲しみ、自害しようとする。様子を見ていた俊寛は、あづまやが亡き今、都へ帰っても仕方ないと語り、自分の代わりに千鳥を都へ連れていくよう瀬尾に懇願する。瀬尾は怒って(常に怒ってるなこいつ)俊寛を船に乗せようとするが、俊寛は瀬尾が差していた刀を引き抜き、斬りつける。俊寛と瀬尾は乱闘となり、俊寛は瀬尾を倒してとどめを刺そうとするが、丹左衛門に止められる。しかし、重盛の計らいの赦免状は上使を斬った罪で打ち消し、教経の気遣いの3人分の切手残り1人には千鳥を入れて欲しいと頼み、俊寛は瀬尾の首を押し切る。一同は嘆き悲しむが、俊寛は、島に残るという千鳥を制し、赦免船を出発させる。
俊寛は、遠ざかっていく赦免船を見送る。しかし、諦めたと思ってもなお名残があり、岸から船に向かって叫び続けるのだった。(現行・鬼界が島の段)

 

第三

病が悪化した平重盛に、みなが気を揉んでいる。毎年楽しみにしていた御殿の田植えもしていなかったので(一般人がどういう生活をしているか勉強するため、自宅の庭に田んぼを作っていたのです)、気慰みのため、里人を呼んで田植えをしてもらうことに。しかし、やってきた早乙女たちの田植え唄を聞いていると、どこかおかしい。彼女らは、清盛が囲う常盤御前が館へ男を引きずり込んでいる、常盤御前に夫を奪われたと重盛に訴える。重盛は、かつて源氏の家臣・弥平兵衛宗清を常盤御前の住まう朱雀御所へ派遣し、様子を探らせることにする。

朱雀御所では、噂にたがわず、腰元・笛竹と雛鶴が道ゆく男を次々と引きずり込み、常盤御前の寝所に捧げていた。常盤御前は男に何かの書面に印形を押させようとするが、逃げようとした男は笛竹に斬り殺される。その死骸を雛鶴が埋め隠すので、常盤御前の館から逃れられた男はいなかった。
また次の男が寝所へ送り込まれてくるが、常盤御前がその顔を見ると、弥平兵衛宗清だった。常盤御前は旧臣に恥を知られて驚き、嘆く。宗清は夫に貞操を立てたあづまやを褒めて、不義を働く常盤御前を批判する。しかし常盤御前は、男を引き込んでいるのは源氏に一味する者を集め、息子・牛若丸に兵を上げさせるためだと告白する。宗清は聞かず、懐中にあった“雑巾”で彼女を打ち叩く。宗清は駆け出てきた笛竹=実は牛若丸に“雑巾”を叩きつけるが、開いてみるとそれは源氏の白旗だった。常盤御前と牛若丸は、いまでも源氏を思う宗清の心に感謝するが、宗清は譜代の主人に頭を下げさせる境遇を悔やむ。
宗清は牛若丸へ、平家に寝返った自分を討って館を脱出するように言うが、常盤御前も牛若丸も、どうしてもできない。ところがそのとき、敷板の下から雛鶴が宗清を突く。血に染まった雛鶴は、実は自分は宗清がかつて生き別れた娘・松が枝だと告白する。常盤御前と牛若丸のため、形ばかりでも父宗清を突くしかなかった松ケ枝だが、思わぬ深手を負った父を目の当たりにして嘆き悲しむ。宗清は源氏への忠義を立てた娘を褒め称え、館を出る常盤御前・牛若丸に松が枝を付き添わせ、見送るのだった。

 

第四

康頼、成経、千鳥を乗せて鬼界が島を出た赦免船は航海を続け、敷名の浦へ到着する。迎えにきた有王丸は、俊寛が乗っていないことに落胆。そんなところに、清盛が後白河法皇を伴って厳島参詣をする船がやってくる。丹左衛門から清盛への報告を横から聞いていた後白河法皇は、俊寛が帰還できなかったことにショックを受ける。それを見た清盛は激怒し、法皇を海へ落としてしまう。陰から様子を見ていた千鳥が海へ飛び込み、法皇を助けるが、千鳥は怒った清盛に殺されてしまう。ところが千鳥の怒りの業火が現れ舞いだしたので、清盛は慌てて都へ帰っていくのだった。(現行・舟路の道行より敷名の浦の段)

都へ帰った清盛は、あづまやと千鳥の怨霊に悩まされ、浸かった水が湯になるほどの高熱にうなされていた。清盛の妻・二位の尼は、清盛が仏罰によって無間地獄に沈む夢を見たと語る。また教経も、源頼朝八幡神の加護を受けて世に返り咲く夢を見たという。清盛は、あづまやと千鳥の怨霊、頼朝や牛若丸などの数々の幻覚に悩まされ、身を燃え上がらせて死んでいく。

 

第五

文覚は頼朝に挙兵を勧めるべく、彼が流されている伊豆へ向かっている。その船の上で、文覚は、源氏が平家を滅ぼし、源氏の世が訪れる予知夢を見るのだった。枕にしていた義朝の髑髏が見せてくれたのかな?

おしまい

 

 

 

*1:能の『俊寛』の解説つき公演を観に行ったときのレクチャーで聞いたのだが、謡曲俊寛』では、俊寛は康頼と成経にハブられているそうだ。理由は、二人が鬼界が島に作ったインディーズ神社(熊野三所)に一緒に参詣しないから。たしかに、義太夫の「鬼界が島の段」でも、俊寛だけ二人とは別行動していたように描かれている(俊寛だけ成経に彼女ができたことを知らなかった)。謡曲だと俊寛は容赦なく鬼界が島にマジ残されするのだが、康頼と成経はそれにも無関心で「ま、都に帰ったとき機会があったらとりなし頼むようにするよ〜」程度の社交辞令で済ませてくる。ドイヒー。

*2:硫黄島には野生化したクジャクが闊歩しているそうです。

*3:これだけを取り上げて書くと、国立劇場が差別的な演目に対し、古典芸能だからといって何の批判もなくやっていると思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、身体障害のある方を笑いものにするなど、内容そのものが非常に差別的で絶対に許されることがない演目は、すでに上演していません。ある談話で、そういった演目には技芸員さん自身も反対している−−不快でお客さんが喜ぶことはないし、自分たちもやりたくない旨−−発言を読んだことがあります。確か文雀師匠だったかと思いますが、その資料がいま見つからん!

*4:大正期の大阪の大店のお嬢様(いとはん)・京マチ子は不器量で人からバカにされていたが、心のとても美しい娘だった。京は番頭の鶴田浩二に恋をするも、実は鶴田には美人の恋人がいたという話。京マチ子がわざとらしい“不細工”メイクをして、不美人ゆえの不幸を耐えるヒロインを演じる。監督・伊藤大輔