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文楽 『御所桜堀川夜討』全段のあらすじと概要

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2022年2月東京公演で上演された『御所桜堀川夜討』のあらすじまとめです。本作は上演が少なく、調べようと思っても解説資料があまりないので、独立記事として投稿します。

 

 

 

┃ 概要

  • 初演:元文2年(1737)1月28日 大阪竹本座
  • 作者:文耕堂、三好松洛

 

┃ 特徴

源平の争乱後、源頼朝義経が不和に陥ったころを舞台に、義経をめぐる様々な人々を描く時代物。

現行部分「弁慶上使」では弁慶がめちゃくちゃ目立っているが、『御所桜堀川夜討』全体で一番目立つ主役的登場人物は、土佐坊昌俊。「土佐坊」といえば、『義経千本桜』にも頼朝の使者の悪僧として登場する。でも、本作では良い人。どういうこと?

本作では、伝承で「土佐坊」と呼ばれている人物は、実は2人いたというオチになっている。上記の主役的登場人物、土佐坊「昌俊」は、良い人。そしてもうひとつの名前「正尊」のほうは偽物で、梶原景時の家臣・番場忠太が土佐坊に化けたときの名と設定している(なお、『義経千本桜』に描かれる土佐坊は「正尊」)。
これは、土佐坊には実際に昌俊と正尊の2つの名前が伝承されていることを活かしている。なぜ2つ名前が残されているのかというと、頼朝義経兄弟と世の太平を守るために働いた土佐坊昌俊と、梶原一派の番場忠太が化けたほうの偽土佐坊「正尊」がいたってことなんですよ〜、みんな知らないけどね〜、という、浄瑠璃らしい伝説の謎の解き明かし(虚構だけど)が本作の結末になっている。

初演当初は、この土佐坊昌俊と、義経の四天王のひとり・伊勢三郎が登場し、その思いが交錯する二段目が絶賛されていたらしい。
また、現行上演のある三段目「弁慶上使」では父(弁慶)と娘(信夫)の別れが描かれ、四段目では母(磯の前司)と息子(弥藤太)の別れが描かれるのが構成上の特徴である。

 

 

 

┃ あらすじ

第一

源頼朝義経の兄弟は、梶原景時・景高親子の讒言により、鎌倉・京都に引き別れた状況になっていた。頼朝は、義経が平家の一門である平時忠の娘、卿の君を妻としていること、また酒色に溺れていることの2つに疑いを抱いている。源氏譜代の家臣・土佐坊昌俊は、頼朝と義経の復縁を願い、昌俊は命をかけてでも義経を守ろうと考えていた。昌俊は頼朝に、義経の詮議を果たせなければ、義経の住まう堀川御所に屍を埋めると誓い、義経への使いを買って出る。昌俊と梶原景高は、義経を詮議し、また、彼の持つ平家の回文状を回収し、もし引き渡さないのなら義経を討つべく、京都へ向かったのだった。

さて、疑いの原因となっている義経の舅・平時忠は、実は梶原景高と内通していた。時忠は義経を陥れ、義経の愛妾・静を我が物にしたいと願っていた。梶原は、義経の持つ平家の回文状に押印してしまっていたため、時忠へ回文状を盗み出すように依頼する。しかし、時忠・梶原一派が盗み出した回文状は、すんでのところで謎の黒覆面の大男に奪い取られてしまう。その大男は、傷を負いながら闇へと消えていった。

そんなこんなで話題沸騰中の義経は、懐妊中の卿の君を実家へ帰し、白拍子・静を館へ引き込んでドンチャン騒ぎをしていた。そこへ訪れた平時忠は、義経狂言に引っかかり、逆心の馬脚をあらわしてしまう。取り繕おうとする時忠だったが、彼の御台所が義経へ梶原との密通を注進していたため言い訳が立たず、能登へ流されるのだった。

 

 

第二

義経は「牛若丸」と名乗っていた若い頃、五条橋で千人斬りをしていた。それから13年、義経は斬った被害者を募集して、当時はご迷惑おかけしました的な施行をするキャンペーンを行なっていた。ホントかよっていうあやしい奴らがウゾウゾ集まってきて999人の面接がやっと終わり、1000人目はあの弁慶なので、面接担当の駿河次郎は、これでおしまい、と思っていた。ところがそこに、30歳ほどのただ者とは思われない女がやってくる。彼女はとある浪人の妻で、13年前に舅が五条橋で斬殺されており、その犯人が義経ではないかと思っているとのことだった。しかし、義経の斬った999人はすでに見つかっている(義経が、斬った日時・人をいちいちノートにつけていたため、照合すると、怪しくとも彼らは一応本物だとわかったのです)。女に舅が殺された日を尋ねると、それは義朝の命日にあたり、その日は義経も精進のため千人斬りを行なっていなかったことがわかる。女は勘違いを恥じて帰っていった。

京の外れ、粟田口では、夜な夜な追い剥ぎが通行人を襲っていた。しかしその追い剥ぎは不思議な男で、親の病気を治すために妹から金を借りてきたという者には、金を奪うどころか金を与えていた。実はこの追い剥ぎは病気の母の治療費を作るために追い剥ぎをしていた。その追い剥ぎ・郷右衛門のもとへ、さきほど千人斬りの面接に現れた女がやってくる。女は郷右衛門の女房だった。女房は、舅を殺したのは義経ではなかったことを報告し、夫婦は家へと帰っていった。

さて、その郷右衛門の本業は、近くの日ノ岡村で営む“骨継ぎ”だった。彼は凄腕で大人気のため、家の前にはいろいろなお客さんの行列ができていた(追い剥ぎの被害者もいるよ)。その骨継ぎ院へ、刀傷を受けたという立派ないでたちの大男が尋ねてくる。郷右衛門は大男の体に最近できた小さなしょぼい刀傷、そして古い立派な刀傷を認める。男は、古い刀傷は13年前、五条橋で平家の忍びと間違えて斬った老人につけられた傷だと語る。それを聞いた郷右衛門は、父の仇と男=土佐坊昌俊に斬りかかる。
郷右衛門は、かつては義経に仕える伊勢三郎義盛という立派な武士だった。しかし、義経が五条橋で千人斬りをしていたことを知り、父の仇には仕えられないとして、義経のもとをそっと去ったのだった。
昌俊は思わぬ偶然の邂逅に驚く。昌俊は、新しい傷は黒覆面となって梶原・時忠の一味から連判状を奪い取った際に受けたものだと説明した上で、頼朝・義経兄弟の和平を成し遂げたい旨を語り、敵討ちは梶原景高を鎌倉へ戻すまでの間待って欲しいと頼む。三郎は許そうとしないが、そこへ三郎の母が重い病を押して分け入ってくる。母は昌俊を労い、三郎に梶原が帰るまで待つように言うが、昌俊はその間に母が死んでしまうことを心配している。しかし母は、ここで昌俊を討って伊勢家代々の主君である義経に何かあっては意味がないと諭す。三郎は思い直して敵討ちを延期することにする。昌俊は三郎の母へ回文状を進上し、三郎が義経のもとへ帰参するときの土産にして欲しいという。二人が固く結びつけられたことを見届けた母は臨終を迎え、二人の勇者は別れゆくのだった。

 

 

第三

義経の館へ、回文状をたずさえた伊勢三郎が訪ねてくる。義経は三郎が帰ってきたことを喜び、また、回文状を手に入れた経路を明かすことはできないという三郎を許す。

そこへ、鎌倉の上使として、梶原景高と土佐坊昌俊が訪れる。梶原は、2つの詮議に答えられないのなら、卿の君の首に回文状を添えて渡すように迫る。武蔵坊弁慶が進み出で、梶原へ平家の回文状を読み上げるように迫る。梶原は自分の名前があるので、回文状を読み上げられない。義経は梶原が自らの裏切りを誤魔化すために回文状を欲していることを非難し、しかし、その証拠となる回文状をあっさり火鉢へ投げ込んでしまう。三郎と弁慶は驚くが、義経は、いまさら平家に与した者の名を明かしても、天下に騒動が起こるばかりだと語る。梶原はそれでもブツクサ言って、弁慶に卿の君の首を討ってくるよう迫るのだった。

現行上演部分・弁慶上使の段

卿の君は懐妊のため義経のもとを離れ、父方の家臣で、彼女を幼い頃から育てていた乳人の侍従太郎の館に預けられていた。彼女の気慰みのため、侍従太郎の妻・花の井や腰元・信夫らが面白おかしく話していると、信夫の母で御物師(裁縫師)のおわさが娘を訪ねてやってくる。元気でおしゃべりなおわさは、安産祈願として家伝の海馬のお守りを持参し、卿の君を励ます。そうして一同がキャッキャしていると、義経の使い・弁慶がやってくるとの知らせが入る。腰元たちは“女嫌い”で有名な弁慶をイジリ倒してやろうと相談をはじめる。
大紋姿で現れた弁慶は、相談があるとして卿の君と侍従太郎夫婦を伴い、奥へ入る。残された信夫とおわさが久々の再会を喜び、和気藹々と話しているところへ、侍従太郎だけが深刻な顔で戻ってくる。侍従太郎は突然、信夫を女房にもらいたいと言い出す。それを聞いていた花の井と侍従太郎は取っ組み合いになるが、おわさが分け隔てて事情を聞く。弁慶の来訪の目的は、卿の君の首を受け取ることだという。侍従太郎夫婦は主君の娘を殺すわけにもいかず、年恰好の似た信夫に、卿の君の身代わりになってくれないかと頼む。事情を理解した信夫は承諾するが、おわさは猛反対。信夫には父がいるのに、勝手に殺せないという。
おさわは上着を脱ぎ、左袖に縫い付けられた紅の振袖を見せて、信夫が生まれるに至った恋物語を語る。おわさは播州福井村の本陣(旅籠屋)の娘で、18年前の9月の二十六夜待ちの夜、16歳ほどの稚児姿の少年と一夜の契りを結んだという。人の足音が聞こえて少年は走り去ってしまい、おわさの手元には、少年の着ていた紅の振袖の左袖だけが残った。おわさはそのときにできた子・信夫を産み、赤ん坊を抱いて国を出、父親探しの旅を続けていたと語る。
おわさがその父に会わせるまでは暇を欲しいと頼んでいると、その話を聞いていた弁慶が障子の隙間から信夫を突き刺す。おわさは泣いて弁慶を責め立てるが、弁慶は上着を脱ぎ、左袖のなくなった紅い振袖を見せる。おわさが18年前に契った稚児というのは、若き日の弁慶だったのだ。おわさは信夫を抱き起こし、父親は弁慶だったと教えるが、信夫はもはや目も見えず耳も聞こえず、たったひとりの大切な母が弁慶に斬られないよう心配をして言切れる。おわさは信夫の遺骸を抱きしめ、ずっと探していた父親に父娘とも知らずに殺し殺された境遇を嘆く。弁慶は、おわさの話を立ち聞きして信夫が娘と悟ったが、主君義経のため殺さざるを得ず、未練が残らないよう顔を見ることなく殺したと語り、涙を流す。生まれ落ちたとき以来泣いたことのなかった弁慶が、このとき初めて泣いたのだった。
刻限が近づき、侍従太郎が信夫の首を討つ。が、侍従太郎はそのまま自の腹に刀を突き立てる。顔が見知られてる自分の首を添えることで、頼朝にも梶原にも信夫を偽首と言わせないためだった。弁慶は侍従太郎の首を討ち、信夫の首とともに両脇に抱え、堀川御所へ立ち帰るのだった。
弁慶上使の段 ここまで

 

 

第四

平時忠の御台所は、娘・卿の君の安産祈願のため、伊勢神宮を参拝する。都への帰り道、草津宿で、御台所は卿の君・侍従太郎の首を運ぶ梶原景高と出くわす。娘の顔を一目見せて欲しいと梶原に取り付いた御台所までも首を討たれそうになったところに、道端の田楽売りが割り込んで来て御台所を救う。実は彼は静の兄・弥藤太で、母・磯の前司に勘当されて以来、風来坊となっていたのだった。御台所は弥藤太に感謝して逃げていくが、実はこれは弥藤太と梶原景高が共謀して打った芝居だった。

一方、放蕩に溺れる義経は静を本妻と定め、堀川御所に彼女の母・磯の前司を呼び出す。訪れた磯の前司に、静は兄・弥藤太が時忠の御台所を救ったことを語り、義経も勘当を許すように言う。しかし磯の前司は、夫が兄を心配して亡くなったことを語り、夫の代わりに「磯の前司」を名乗っている母に直接許しを乞うまでは、勘当を許すのは待って欲しいという。義経はそれを許し、磯の前司に舞を所望する。
さて、侍従太郎の館での難を逃れた卿の君は、信夫と名乗り静の腰元に化けていた。堀川御所に出入りするようになった弥藤太はそれに目をつけ、鎌倉へ注進しようとする。静と弥藤太は斬り合いになるが、舞を終えた磯の前司がそこに割り入り、弥藤太を斬る。母は舞装束の烏帽子を弥藤太に投げつけ、亡くなった父の手にかかったと思えと涙ながらに叱りつける。弥藤太はその言葉に善心を取り戻し、番場忠太らが堀川御所を夜討にすべく向かっていることを語って息絶える。
まもなく鐘太鼓の音が響き渡り、静の知らせに武装した義経が鎌倉の軍勢を迎え撃つ。現れた夜討の大将は、土佐坊昌俊だった。昌俊は義経へ、義経に弓引くことあらば日本中の神の罰を受けると誓う。そして、頼朝の旧主・義朝の息子の頼朝・義経二人とも大切で、どちらかを選ぶことはしないと語る。その証拠に、昌俊が持っていた矢には矢尻がなかった。昌俊は、かつての伊勢三郎との約束通り、梶原景高が鎌倉へ帰った今、この場で三郎に討たれて死ぬことを望む。昌俊の言葉に感じ入った義経はその衷心を誉とし、三郎に敵討ちを許す。こうして三郎はついに父の仇を討つのだった。

 

 

第五

鎌倉勢を追っていた弁慶は、「土佐坊昌俊」を捉えて堀川御所へ戻ってくる。しかし義経伊勢三郎から偽物だと言われ、覆面を引き剥がすと、それは番場忠太であった。弁慶は番場忠太に土佐坊「正尊」(=死に損?)という戒名をつけて首を討ち飛ばす。
義経は無事戦が納まったことを喜び、静に舞を舞わせるのだった。

おしまい

 

 

 

┃ 参考文献

『竹本座浄瑠璃集 二』国書刊行会/1995(『御所桜堀川夜討』校訂=黒石陽子)

 

┃ 画像出典

『御所桜堀川夜討』東京大学教養学部国文・漢文学部会所蔵