TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 7・8月大阪公演『夏祭浪花鑑』国立文楽劇場

大阪、暑い……。暑すぎる……。 

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夏祭浪花鑑。昨年の鑑賞教室で観たときは団七=玉男さん、義平次=勘十郎さん、三婦=和生さんだった*1。今回の団七は勘十郎さん。何よりの注目は簑助さんがお辰役で出演されることだった。可憐イメージの簑助様が俠客の女房役とは? そして義平次役が老獪ジジイ役をやらせたら右に出る者はいない玉也さん(※個人の意見です)というのも楽しみな、夏休み公演第3部に行ってきた。

 

 

住吉鳥居の段。ここは鑑賞教室では出なかった部分。ステージ中央には「碇床」の文字も雄渾鮮やかなる巨大な黄色い暖簾のかかった髪結い床の小屋が建ち、上手側奥には小さく鳥居が覗いている。

三婦(人形役割=吉田玉也)と彼に付き添われた団七の妻子、お梶(吉田一輔)と一松(桐竹勘昇)は、住吉神社前へ喧嘩の件で入牢していた団七の釈放を迎えにやって来る。三婦はお梶らを先に料理屋へ行かせ、自分だけで団七を待つことに。そこへ駕籠が現れ、客と駕籠かき(こっぱの権=吉田文哉、なまの八=桐竹紋秀)が言い争いをはじめる。たちの悪い駕籠かき二人は金を払え、ここで降りろと迫るが、客の男は約束の長町まで行ってほしい、着いた先で金を払うと返す。見かねた三婦が駕籠かきに金を与え保護したその男こそ、お梶から話を聞いていた磯之丞(吉田清五郎)だった。三婦は後のことは団七がうまくやってくれるだろうと言って磯之丞を料理屋へ行かせる。
やがて役人が現れ、団七(桐竹勘十郎)が釈放される。三婦は団七を労い、お梶と一松、そして磯之丞は料理屋で待たせてあると告げて団七を髪結い床へやらせ、自分は先に料理屋へと発っていった。
そこへ入れ違いに遊女・琴浦(桐竹紋臣)が現れる。琴浦は自分のために難儀に遭った磯之丞のあとを追って大坂へやって来たのだった。さらにその後を追って彼女に横恋慕する大鳥佐賀右衛門(吉田玉勢)が現れ琴浦を連れ去ろうしたが、髪結い床から出てきた団七に腕をひねり上げられ、しっぽを巻いて逃げていった。
さらにそこへ一寸徳兵衛(吉田幸助)が現れて琴浦を渡せと団七に迫るが、喧嘩の仲裁に入ったお梶に窘められる。実は徳兵衛はお梶に救われた過去があった。彼女からことのいきさつを聞いた徳兵衛は佐賀右衛門に雇われたことを悔いて心を一変させ、団七とともに磯之丞を守ることを決意する。二人は片袖を交換してその契りを交わすのだった。

数多くの登場人物が入れ替わり立ち替わり現れ、顔を揃える段。釈放されたばかりでは髪も髭も伸び放題で穢いなりの団七が、髪結い床から出てくると凛々しく涼やかな伊達男に変身しているのが見所(男シンデレラ)。琴浦も紋臣さんらしく平野耕太の好みのタイプっぽくて可愛らしい。しょうもなさすぎの駕籠かき二人、こっぱの権&なまの八がしょうもなさすぎて面白かった。名前からしてしょうもなさすぎて、良い。 でも人形遣いさんおふたり、文哉さん&紋秀さんは普通に頑張っておられた(当たり前だ)のがより一層味わい深くて良かった。

 

 

 

釣船三婦内の段。

三婦の自宅では女房・おつぎ(桐竹勘壽)が食事の支度をしている。焼いている魚がでかい。傍では磯之丞と琴浦が痴話喧嘩(暑い熱い暑い熱い暑い熱い暑い熱い)。その琴浦の「んもうっ!ぷんぷん!」という所作が可憐。二人とも妙にパタパタとうちわをあおぐ苛立った仕草も愛らしい。文楽ではお熱い二人がいるとき、その他の脇で控えてる人形がものすごい速度でうちわをあおぎはじめるのも可愛い。本作は夏ものの狂言だけあって、登場人物がみなうちわや扇子を持っており、そのあおぎ方で気分を表現しているのも見所。

あれやこれやしている間に三婦の家を訪ねてくるのは一寸徳兵衛の女房・お辰(吉田簑助)。水色の日傘を差した姿も涼しげに、黒い着物姿でゆったりと舞台へ現れる。おつぎはこれを機会とばかりに磯之丞をお辰へ預けようとするが、三婦が割って入って拒否。お辰は女だから舐めて預けてくれないのかと三婦に問うが、彼の言うその理由はお辰があまりに美しすぎるから。と言った瞬間のお辰の仕草が美しい。恥じらってなのか、三婦から顔をそむけ大きく身体をよじって下手に向いてうつむくのだ。三婦は本来なら預けたいところだが若い女に若い男を預けて何かあっては徳兵衛の顔も立たないと得々と説明するが、お辰は突然焼けた鉄弓*2を顔に当てて大きな火傷をつくり、これでも預けられないかと凄む。その所作もやはり簑助さん独特のもので、後ろ向きから身体を大きくよじって伸び上がるようにして三婦のほうに目をやる。人間には出来ない極端な姿勢だが、おそろしいほどに凄艶な、不思議な演技。このあと手鏡を覗き込み、心配する三婦らに応えて「なんのいな、わが手にしたこと、ホゝ、ホホ、オホゝゝゝゝ、オゝ恥かし」とうち微笑んで顔を隠す色っぽさと底知れない侠女のおそろしさ。簑助さんは昨年観た『艶容女舞衣』の三勝の悲しげな色気も素晴らしかったが、このお辰の一線を超えた色気も美しい。

人形遣いの芸って普段ぼーっと見ているぶんには上手い下手の区別がよくわからないが、やはりあきらかに上手い人というのは全然違っている。そういう人が出てくると舞台の雰囲気が一変し、そこだけ突然この世の解像度が急激に上がって、目が釘付けになる。特殊な演技だけでなく、動作と動作の間にまで心が配られていて、歩くとか座るとかの普通の演技のちょっとした見え方も全然違うので本当に驚く。そして人形の見た目以上の印象や雰囲気を演技によって作り出せるかという点も上手い人はやはり全然違っているなと感じる、今日この頃である。

しかし三婦が何故お辰に磯之丞を預けることをかなり渋ったのかよくわからなかったが、文化デジタルライブラリーで『夏祭浪花鑑』の全段解説を読んでわかった(絵本太功記・夏祭浪花鑑|文化デジタルライブラリー)。磯之丞、クソすぎるだろ……。もう前の段で心中しとけや……。もしも間違いがあってはというのは、かわいい若様に何か間違いがあってはと単純に心配したんじゃなくて、磯之丞の手癖が悪いということか。確かに前科持ちは普通には預けられない、三婦の言うことも道理である。

最後、おつぎから琴浦を義平次に預けたと聞かされた団七は慌ててそのあとを追うのだが、その速さがはんぱなくてちょっと笑った。走る距離が短いので一瞬しか見えないのだが、立役ではいままでに見たことないくらいのすごい速さだった。

この段の奥は床も千歳さん&富助さんで充実。若干千歳さんの声が枯れかけなのが残念だったけど(千穐楽近い日程で行ったので……)、ゆったりと浄瑠璃を楽しむことができた。

ところでこの段の冒頭、三婦は右耳から数珠を垂らしているが、これは耳に数珠をかけているということ? 戒めを破るくだりは浄瑠璃では数珠を千切ることになっているが、さすがに毎日千切れないからか後ろへ放り投げることになっているのが惜しい。三婦役の玉輝さんは今となっては気のいいおじいちゃんだけど昔はやんちゃだった絶妙な親しみやすさ(?)が出ていて良かった。 

 

 

 

長町裏の段。高津宮の祭りの喧騒から遠く離れた、暗くうら寂しい長町裏の井戸端に義平次と駕籠が現れる。そこへ団七がやっと追いついてくるが。

津駒さんの語る義平次が気色悪すぎて、滅多斬りにされる前から化け物だった。団七に媚びへつらう口調、ガラスを引っ掻くがごとき神経を逆撫でする下品な猫なで声ぶりに感動してしまった。歯が抜け落ちだらしなく開いた、ぬたぬたした赤い口元が見えるよう。今思い出しただけでゾッとする。語りによる人物造形力に驚き。

人形の勘十郎さんの団七、玉也さんの義平次はナイスな配役。人形だけで演技し続ける部分の多い演目にぴったりだと思う。義平次は一般市民の爺さんなだけあって人形も小柄で、背筋をしゃんともせず、体をかがめるようにしてちょこちょこ歩いているのもいかにもといった風情。昨年の鑑賞教室の勘十郎さんで義平次を見たときは婿さんに甘えかかるウザ可愛いジジイという感じで、長町裏でも無駄に団七に甘えるように肩をドンドンぶつけたり(玉男さんの団七はひたすら静止……)、股間をわざとらしくパタパタしたりと可愛いらしかった。しかし今回は語りもあってピュアネスにまじキモい妖怪ジジイになっていた。

ウザく団七に纏わりつく義平次だったが、もみ合ううちに団七の脇差で耳を切ったところで「人殺し〜!!!」と大騒ぎをはじめ、口をふさがれてもまだわめくので、団七に本当に斬りつけられてしまう。仄暗い闇の中、大蛇のようにうねる団七の裸身、いくら斬られてもしぶとく団七に纏わりつく化け物めいた義平次の姿。お二人とも演技の手数の多い役でもそのつなぎが綺麗でスマートなので見栄えして格好良い人だけど、二人ペアならより一層。千穐楽の近い日に行ったこともあって息も合っている。勘十郎さんはやっぱり一線を超えた人の役がよく似合う。ご本人的には狐の役、死にかけの役(切腹する役)に凝っておられるとのことだが、個人的にはお三輪、八重垣姫、福岡貢のような鬼気迫る常軌を逸した役が一番の当たり役のように思う。常軌を逸する前と後の演じ分けもあって、劇場の雰囲気もそれに従って一変する。団七は当初は義平次を立てて婿さんに徹しまともげな感じで、何故こんなちゃんとできるのに元々はだらしない生活をしていたのか?こんだけまともならちゃんと堅気でやっていけるのでは?と思うのだが、後半で成る程これは堅気ではやってはいけまいとわからせる芝居だった。

 

 

 

次第に高まるお囃子の音色やクライマックスで突然舞台に現れる宵宮のお神輿など、季節感ある高揚を感じる面白い構成の狂言だった。勘十郎さん&玉也さんのスピード感あるスタイリッシュな立ち回りは古典芸能ということを忘れさせる洗練を感じる。古典芸能というものはつねに現代的であり、新鮮なものであると改めて感じた。

それにしても、やはり人形の配役ってとても重要で、ペア役は技量が拮抗しているか、慣れた人同士でないとどうにもペア役に見えづらいなと思った。若い人同士ならそれはそれで良いのだが、技量に差がついたペアだとどうしても上手いほうの人が気を使っていたり、リードしていたりするがわかる。特によくわかるのが演技の速度とテンポ、これがぜんぜん違う。これは芝居の盛り上がりに直結する。上手い人と中堅以下を組み合わせて、これからがんばって成長してねというのはよくわかるけど、客の立場としてはやっぱり上手い人同士のペアで観るのが一番盛り上がるので、良い配役のときによーく観ておこうと思う。

 

 

 

おまけ

開演前にちょっと寄り道。長町裏には高津神社の宵宮が登場するということで、高津宮へ行ってきた。高津宮は文楽劇場からは10分かからないくらいの場所にある。周囲から小高くなった丘の上にあり、長い参道を登っていくと本殿前に着く。

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高津宮からほど近くに生國魂神社もある。

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当日は気温38℃と猛暑の大阪だったが、こういう気温の中、公演成功祈願等で紋付姿で人形持って参拝している人形遣いさんは本当に大変だと思った。60代とかの人のやることじゃない。

最後は劇場でもらったうちわでパタパタ涼んだ。フィルムセンター(国立近代美術館)や国立能楽堂は空調やる気なしだが、文楽劇場はちゃんと涼しくしてくれるのでありがたい。

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*1:ところで今年のながと近松文楽も演目夏祭だったそうですが、配役どうなっていたのか、どなたか教えてください……。勘十郎様が団七だったことはわかったんですが、玉男様は義平次だったんでしょうか……。

*2:ここでは魚の焼き串

文楽 文楽 in Hyogo『一谷嫰軍記』熊谷陣屋の段 兵庫県立芸術文化センター

流れ流れてひさびさに大阪以西へ進出、西宮で行われた『一谷嫰軍記』熊谷陣屋の段の上演へ行った。

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会場となる兵庫県立芸術文化センターは、阪急西宮北口駅下車すぐにある、コンサートホール等を擁する大型の劇場施設。ロビーの天井が高く自然光が差し込む開放感ある設計の綺麗な建物だった。ホール場内も石造りのモダンな壁面にダークグレー基調の落ち着いた雰囲気、かつ席が前後で互い違いになっていて見やすい構造。現代的な雰囲気のホールながら定式幕が引けるのが良い。

 

 

 

第一部トークショー兵庫県のローカルネタ話だった。技芸員さんとかは出ない文楽の話もほぼなしの、ピュアネス地元トーク。あまりに濃厚なローカルネタすぎてよそ者はついてゆけず。「六甲アイランドの元祖は平清盛、生誕900年」「生田神社の祭神は松が大嫌いなので、戦前あった能楽堂の背景に描かれていた木の絵は杉だし、いまやってる薪能でも橋掛りのわきに植えてある3本の木は松じゃなくて杉」という話をされていた。

 

 

 

第二部本編は配役が単発公演とは思えないほど豪華。床が千歳太夫さん&富助さん、人形が熊谷=玉男さん、相模=和生さんという本公演なみ、あるいは本公演以上の配役。西宮まで東京から日帰り出張する価値ある公演。

一番の目当ての玉男さんの熊谷、イヤ〜❤️ステキ〜〜❤️❤️キャ〜〜〜❤️❤️❤️って感じだった。

とだけ書くとあまりにもバカ感想なので今回はもうすこし。玉男さんてはじめは何が他の人と違うのか、どういうところが良いのかすぐにはわからなかった(クソ失礼)。が、しばらくじーっと見ていて、気づいた。堂々感が違うのである。人形って中身が空洞で、中身が空洞なりのものにしか見えない人もいるけど、そうじゃない人もいて、玉男さんはそのなかでも大袈裟さや力みがなくともまっすぐな堂々とした雰囲気を出しているというところかなと思う。とくに顕著なのが人形の重量感、まっすぐな重厚さ。熊谷は冒頭陣屋へ帰ってくるときの「出」が重要らしいけれど、そこの部分の歩み。なんかひときわ重そうじゃないですか? いや実際重い衣装つけてるんだろうと思いますけど、こころの重さを加えた人間の重量感を感じる。全体を支配する威風堂々とした雰囲気やこういった重量感は少しにじるような歩き方をはじめほんのちょっとした姿勢や所作の積み重ねなんだろうけど、「雰囲気」って本当に難しいんだなと思う。これは鑑賞教室、若手会で改めて感じた。そもそも人形に肩幅や体・腕の厚みを感じさせ、がっちりした体格に見せるということそのものがベテランの技なんだなーと思った。それで私、最近玉男様をめっちゃ見直しましたわ……。いやこれまでも勿論団七とか弁慶とか、あと志度寺の悪役とか一谷の忠度とか良いなーとは思ってたけど、なんでそれが良いと思えたのかいままでよくわからなくて自信なくて言えなくて……、ゴメンナサイって思った……。

そんなこんなで最近気になるのは人形ならではの架空の人間の肉質感。ないはずの筋肉、骨格、内臓をいかに感じさせるか、という点。とくに気になるのが肩から二の腕にかけてのライン。立役の人形なら筋肉の隆々とした(人形にはないはずの)二の腕をいかに見せるか。逆に女形の人形なら白く細くしんなりとした二の腕が見えるか、あるいは表現しないのか。女方人形遣いでも、特に簑助さんは動きが大ぶりになるときでも人形の身体がかなり華奢に、小柄に見えますよね。それはほかの人となにが違うのか。そしてそのどちらでもない、色男の肩や二の腕の表現はどうなっているのか。そのあたりを今後の公演でももうちょっとよく見ておこうと思う。

もういちど熊谷の演技の話に戻ると、先述の出の部分、制札の見得が重厚または堂々としていてとても良かった。そして、敦盛を討ったという物語の部分の表現が興味深い。物語の部分では微細な顔の向きや目配せ含め、長い語りの中で結構細かい演技をしてるんですね。顔はそんなに動かさないけど、ほんのちょっとだけ藤の局を見たり、相模を見たりしている。印象的な、黒地に赤の日の丸が描かれた扇の扱いも綺麗で良かった。語りもあるけど、そんなワタワタ動けない人形の演技で長〜い物語のあいだ間が持つというのは本当にすごいわ。公演によっては時々物語の最中に寝そうになるんで……。起きてもまだ物語ってる〜!?ってとき、ありません? ないか……。

相模役の和生さんももちろん素敵。和生さんが出てくると、安心感がある。首桶の中身が実は我が子小次郎だと知り、首を抱いて藤の局(吉田文昇)に見せて嘆き悲しむ場面、千歳さんの語りのよさもあって涙が出た。

そして玉志さんの弥陀六も良かった。バカなので当日まで人形の細かい配役を調べずに行ってしまったのだが、会場で案内パンフもらってはじめて玉志さんが弥陀六役で出演されることを知って「やった〜!!! 新幹線特急料金払った甲斐あった〜!!!!!」と大はしゃぎした。しかし弥陀六って、演じる人によってヨボヨボ度・老獪度が違いますね。玉志さんの弥陀六はカクシャクとした、ピン!!としたジジイだった。まずもって元武将だし、16歳の男の子の入った鎧櫃しょって長距離歩いて帰れる体力のある爺さんだからか。私、あの鎧櫃を義経が「あげる!」って言い出すのを初めて聞いたとき、お爺ちゃんには重すぎでは!? いくら敦盛がしな〜っとした美少年でも50kg以上あるだろ!? え!? しょった!? まじでしょって帰るの!? せめて台車(?)とか貸してあげたほうがいいのでは!?!? と本気でびっくりした。先日歌舞伎で熊谷陣屋見たときは左團次さんが弥陀六をやってて、すごいヨボヨボジジイぶりでめっっっっっちゃ重そうに鎧櫃を持ち上げようとして尻餅ついていたが、文楽だとそこまではしないようだ。

大変そうだったのは梶原平次景高役の簑紫郎さん。簑紫郎さんの衣装が着付けじゃなかったんで……。そこまではおそらく相模などの左に入っていて、相模がはけている間に一瞬だけ主遣い出演だから着替える暇がなかったんだろうけど、人手の足りない中一瞬で殺される役、大忙しだなと思った。

あとは義経役の玉佳さんがいつもと髪型違っていらっしゃって、ソフトなオールバック風だった(人形を見ろ)。貴公子役だからでしょうか? その通り、義経、陰鬱な陣屋の雰囲気に爽やかな光をもたらすような透明感あるキラキラ貴公子だった。この義経がキラキラ貴公子に見えるのかバカ殿に見えるのかは、物語の見え方として本当重要だなと感じた。

 

 

 

もともとは人形の配役目当てで行ったのだけれど、実際観て良いと思ったのは、床が前後分割なしの一段通しての語りということ。ひとりの太夫さんの語りをゆっくり聴ける。先述の通り、先日歌舞伎の熊谷陣屋に行き、ひとりの太夫さんが一段通しで語っているのを見て、文楽は前後分割だよね、文楽もこうしてくれると良いんだけどな〜と思っていたので、とってもよかった。でもこれはやっぱり上手い人だからこそですね。それに今回は1回のみの公演なので、千歳さんの全力(?)を聴くことができて、しみじみとよかった。最後のほうは声が掠れるほどの熱演、詞章をじっくりたのしめた。富助さんもやっぱり上手い。三味線の上手い下手って素人にはよくわからないのだけれど、なんだか違うということだけは、なんとなく感じる。本公演だと前後分割する部分のつなぎの演奏、普通に交代してつなぐのとはちょっと違う?んですね。

 

 

 

そういうわけで、メイン目的の人形陣、床とも大満足で、西宮まで行った甲斐あった。一段だけのために新幹線日帰りはちょっと勿体無いかなと思っていたけど全然そんなことない。ある意味、単発企画でしかできない、本公演以上の豪華上演だったと思う。

今回はチケットを取ったタイミングが遅く、かなりの後列席になってしまった。実際に行ってみたら規模的には小ぶりな客席に高低差をつけて立体的にしたようなホールだったのでむしろ国立劇場小劇場の2等席よりは見えるんだけど、さすがに細かい所作は見えない状況。

しかしありがたいことに、来場されていた知り合いの方がご親切に双眼鏡を貸してくださったので、初めて双眼鏡で文楽を見てみた。文楽の公演会場では双眼鏡使ってる人ってあんまり見ないけど、歌舞伎や能だと使っている人をよく見る。みんなそこまでして何を見てるんだと思っていたけど、双眼鏡で人形見ると結構面白いですね。衣装の模様や刺繍、髪型などのディティールがごく細部までよく見えるし、手元のちょっとした所作もよく観察できる。今回でいうと、相模が冒頭で羽織っている打掛の細かな柄や、物語の鍵となる制札の文字もちゃんと見えた。それに、前方席であんまり人形遣いさんのお顔をじーっと見てると人によっては目が合う事故が起こることがあるが、双眼鏡ならそんな心配もない(間違った用途)*1。この無遠慮に自分の見たいところをじろじろ見られる感、歌舞伎座の3階席から双眼鏡で役者さんの太ももをガン見している乙女の皆さんのお気持ちもわかりましたわ。前々から双眼鏡を買うことは検討していたけど、本公演以外だと席が後列になることも多いし、やっぱり必要だよね❤️買お❤️と思った。

 

 

 

*1:ちなみに太夫さんの見台の模様なども双眼鏡で見ると面白いと伺ったので千歳さんも見てみたのだが、おもしろすぎた(失礼)ので、すぐに目をそらした。

文楽 6月東京・文楽若手会(文楽既成者研修発表会)『寿柱立万歳』『菅原伝授手習鑑』国立劇場小劇場

今年の東京若手会は平日開催で難儀したが、なんとか行ってきた。

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『寿柱立万歳』。太夫・三味線は本公演より良かった。本公演では全員の調子が合っておらずハチャメチャになっていたが、若手会は皆でひとつの曲をつくりあげる印象でとても良かったと思う。

しかし人形、紋臣さんはなぜまたここに出ているのか……、本公演でも太夫やっていたのに……。いや、紋臣さんの才三は正味なところ若手会でもっとも良いと言っていいほど良かったのだが、本編の千代、戸浪とかやって欲しかったので……。でも本当に良かった。ゆったりした動きがユーモラスで、あたたかい気持ちになる才三だった。

 

 

 

『菅原伝授手習鑑』車曳の段。白太夫の息子たち三人、菅丞相派の梅王丸・桜丸と時平の家来・松王丸が左大臣藤原時平吉田神社参詣のその道すがらに偶然再会するという話。直近の本公演では上演のなかった段。

浅葱幕が降りている冒頭部、深編笠を被った梅王丸(吉田簑太郎)と桜丸(吉田玉誉)が幕の前で今後を相談していると車の先を払う雑色(杉王丸=吉田簑之)が現れて浅葱幕が落とされ、梅が美しく咲き乱れる吉田神社の鳥居前を背に時平(吉田文哉)の牛車が姿を見せる。

なんか名前がきのこたけのこすぎのこ状態になっていて混乱を呼んでいるのが若干気になるがそれはともかく、梅王丸と桜丸の人形は配役が比較的お兄さんだからか、落ち着いて演じておられて安心して見られた。そして途中から「待てらふ、待てらふ、待てらふやい」と大声を張り上げて登場する松王丸(太夫=竹本小住太夫、人形=吉田玉翔)。太夫も松王丸役は初めは床に座っておらず、人形の背景後部鳥居からの入りと同時に舞台袖から声を張り上げて入場し床へ上がるのだが、小住さん、ほかの太夫さんからぶち抜きのバカでかい声で驚いた。めっちゃ威勢のいい人来たなって感じ。舞台袖の時点で一番声がでかい……。かなり貫禄ある松王丸だった。人形は玉翔さん。一生懸命やっておられたのがよくわかった。本当、精一杯やっておられて、わしゃ、心を打たれましたわいの〜おおおおお(泣き崩れる)。ここの部分、人形は松王丸をはじめ、兄弟がたて続けに型を決めていく演技になるということで、みなさん本当大変だったろうなと想像する。松王は鋤のようなものを振り回す派手な手振り身振り以外にも編み込みで作ったような華麗な髪型にも注目(チラシ写真参照)、油付五本三つ組鬢割り櫛入り振分け前髪切藁という髪型だそうです。名前難しすぎ。

牛車がパカーンと割れて登場する時平役の文哉さん、超!がんばって!おら!れ!た。月光のように淡く輝く象牙色の衣をまとい金巾子の冠*1をかぶった悪の化身として堂々と振舞っておられたと思う。大変立派だった。そして“人を人とも思わぬ大嗤い”の靖さんも立派だった。

 

寺入りの段。ここからは本公演でも上演があったので、自分も落ち着いて観られる。

この段の冒頭部は悲劇の予兆として少し笑いのある微笑ましい展開だが、客席の雰囲気がよく、お客さんも乗っていて笑いが起こり、お人形のみなさん楽しげに演技をされていてとてもよかった。こういうやわらかい雰囲気は、お客さんがみな暖かい気持ちで舞台を見守っている若手会ならではだと思う。普段の東京公演だとこうもいかないので……(ギャグに誰も笑わないという哀しい事故がしばしば起こる)。その微笑ましい展開のひとつ、今回の戸浪(桐竹紋吉)による子供達からの千代(吉田簑紫郎)の手土産の取り上げ方は、千代の話を横耳で聴きながら手土産を物色する子供達にすかさず近づき、さっと取り上げて蓋を閉めて仕舞っちゃうというものだった。なおよだれくりは玉路さんでした。本公演の菅秀才より役の格が微妙に上がっているのか……。小太郎(吉田玉延)は品があってまじかわで良かった。玉延さん、いままで大丈夫かいなと思うこともあったが、子供ながらけなげにきりっとした小太郎を演じておられ、がんばったんだねと親戚のおばちゃん気分で涙々。

 

寺子屋の段。

お人形みなさん熱演で、良いもん見せてもろたと思った。源蔵(桐竹紋秀)からは邪魔するヤツ全員即始末するという気迫を感じた。帰ってくるところからして若干思いつめたような苛立ったような様子で、気むずかしげというか、気がメチャ強そうだった。さすが夫婦共謀してどこの子かもわからん初対面の子供をいきなり殺すだけのことはある。首実検のところでも、戸浪とともに松王を圧倒する気迫。役に対する強い思い入れを感じた。籠に乗って現れる松王丸(吉田玉勢)は、堂々とした立派な演技。冒頭、刀を杖につきながら寺子屋の前に佇むすっとした立ち姿が美しかった。玉勢さん、いつも人形の位置が高いね。千代役の簑紫郎さんもいつもよりよく考えられたしなやかな動きで良い。ふだんは一瞬しか出演がなくてそこでいっぱいいっぱいでも、みなさんストーリーの流れをつくるような大きな役をもらうと、演技プランをよく考えて遣われるんだなと感じる。最後のいろは送りの部分では松王丸と千代の身振りも息が合っていて、とても良かった。

前半の芳穂さんのみならず、後半を語られた希さん、頑張っておられたと思う。希さんは元々の声質が功を奏している部分もあるのだろうが、いろは送りの高音部がかすれずちゃんと出ていたのは本当頑張っておられると感じた。

 

 

 

若手会、人形はみなさんよく考えて遣っておられて、そのせいか演技が前のめり、情熱的だった。迷いの中で、こういうふうにやりたい!こういうふうに見せたい!という強い意志を感じた。太夫さんは若い方ばかりで、こちらもみなさん本当頑張っておられた。太夫さんもお人形と同じく全員前のめり、こういう語りがしたいという積極性をおびていた。そして掛け合いでみんなでひとつの舞台を作り上げようという気持ちは、本公演以上だったと思う。前述の通り、『寿柱立万歳』は本公演以上によかった。

当然、私のような素人にもわかる範囲で至らないところはある。無理もないけど、太夫さんなら声量が不安定だったり、人形遣いさんは目が泳いでいたり人形のかしらをチラチラ見ちゃってたり、三味線さんで太夫さんの語りと合ってない人がいたり。その点においては、本公演に出演されるお師匠様格の方々がなにげなくこなしている演技の完成度に驚かされた。やはりあのミニマムですべてを表現する洗練度、そして自然に見える・聴こえること自体がすごいのだなと実感。人形なら体格の見せ方など身振りそのもの以外で表現する部分、三味線なら太夫さんの語りに合わせてサポートするように弾いたりという面は、やはり経験やそれによる余裕がものを言うのだなと思う。

しかしそれとはまた別に、若手会には本公演を上回るまっすぐな情熱と熱気を感じる。昨年若手会に行ったときはそもそも文楽を見始めたばかりで出演者の方々のことがよくわからなかったが、今年は「この方は普段こういうことをやっている方」とある程度わかってきているので、感慨深く拝見することができた。また、当然ながら本公演より良い役で出演されるので、おひとりおひとりの個性をよく観察することができる機会でもあったと思う。そもそも一般社会では40代くらいの方があそこまで純粋に頑張っている姿ってそうそう見られないので、心を打たれるものがある。みなさん本当頑張っておられて、私も頑張ろうという気持ちにさせてもらった(仕事さぼって観に行っているヤツがえらそうに言ってみました)。

 

 

 

 

*1:金巾子(きんこじ)の冠って何?って感じだと思いますが、冠の纓(えい)を抑える部分が金巾子でできた冠のことで、もとは天皇が日常で被っていたものだそうです。だから時平はワシってば天子も同然!ふふん!とか言ってるんですね。纓というのは冠のさきっちょにくっついてる長いやつのことで、金巾子というのは纓を抑える紙に金箔を押したもののことだそうです。だがここまで細かい装飾の冠を被っているのを確認するにはオペラグラスがいる。私の席はけっこう前列でしたが、そこまでは見えなかったです。