TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 文楽 in Hyogo『一谷嫰軍記』熊谷陣屋の段 兵庫県立芸術文化センター

流れ流れてひさびさに大阪以西へ進出、西宮で行われた『一谷嫰軍記』熊谷陣屋の段の上演へ行った。

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会場となる兵庫県立芸術文化センターは、阪急西宮北口駅下車すぐにある、コンサートホール等を擁する大型の劇場施設。ロビーの天井が高く自然光が差し込む開放感ある設計の綺麗な建物だった。ホール場内も石造りのモダンな壁面にダークグレー基調の落ち着いた雰囲気、かつ席が前後で互い違いになっていて見やすい構造。現代的な雰囲気のホールながら定式幕が引けるのが良い。

 

 

 

第一部トークショー兵庫県のローカルネタ話だった。技芸員さんとかは出ない文楽の話もほぼなしの、ピュアネス地元トーク。あまりに濃厚なローカルネタすぎてよそ者はついてゆけず。「六甲アイランドの元祖は平清盛、生誕900年」「生田神社の祭神は松が大嫌いなので、戦前あった能楽堂の背景に描かれていた木の絵は杉だし、いまやってる薪能でも橋掛りのわきに植えてある3本の木は松じゃなくて杉」という話をされていた。

 

 

 

第二部本編は配役が単発公演とは思えないほど豪華。床が千歳太夫さん&富助さん、人形が熊谷=玉男さん、相模=和生さんという本公演なみ、あるいは本公演以上の配役。西宮まで東京から日帰り出張する価値ある公演。

一番の目当ての玉男さんの熊谷、イヤ〜❤️ステキ〜〜❤️❤️キャ〜〜〜❤️❤️❤️って感じだった。

とだけ書くとあまりにもバカ感想なので今回はもうすこし。玉男さんてはじめは何が他の人と違うのか、どういうところが良いのかすぐにはわからなかった(クソ失礼)。が、しばらくじーっと見ていて、気づいた。堂々感が違うのである。人形って中身が空洞で、中身が空洞なりのものにしか見えない人もいるけど、そうじゃない人もいて、玉男さんはそのなかでも大袈裟さや力みがなくともまっすぐな堂々とした雰囲気を出しているというところかなと思う。とくに顕著なのが人形の重量感、まっすぐな重厚さ。熊谷は冒頭陣屋へ帰ってくるときの「出」が重要らしいけれど、そこの部分の歩み。なんかひときわ重そうじゃないですか? いや実際重い衣装つけてるんだろうと思いますけど、こころの重さを加えた人間の重量感を感じる。全体を支配する威風堂々とした雰囲気やこういった重量感は少しにじるような歩き方をはじめほんのちょっとした姿勢や所作の積み重ねなんだろうけど、「雰囲気」って本当に難しいんだなと思う。これは鑑賞教室、若手会で改めて感じた。そもそも人形に肩幅や体・腕の厚みを感じさせ、がっちりした体格に見せるということそのものがベテランの技なんだなーと思った。それで私、最近玉男様をめっちゃ見直しましたわ……。いやこれまでも勿論団七とか弁慶とか、あと志度寺の悪役とか一谷の忠度とか良いなーとは思ってたけど、なんでそれが良いと思えたのかいままでよくわからなくて自信なくて言えなくて……、ゴメンナサイって思った……。

そんなこんなで最近気になるのは人形ならではの架空の人間の肉質感。ないはずの筋肉、骨格、内臓をいかに感じさせるか、という点。とくに気になるのが肩から二の腕にかけてのライン。立役の人形なら筋肉の隆々とした(人形にはないはずの)二の腕をいかに見せるか。逆に女形の人形なら白く細くしんなりとした二の腕が見えるか、あるいは表現しないのか。女方人形遣いでも、特に簑助さんは動きが大ぶりになるときでも人形の身体がかなり華奢に、小柄に見えますよね。それはほかの人となにが違うのか。そしてそのどちらでもない、色男の肩や二の腕の表現はどうなっているのか。そのあたりを今後の公演でももうちょっとよく見ておこうと思う。

もういちど熊谷の演技の話に戻ると、先述の出の部分、制札の見得が重厚または堂々としていてとても良かった。そして、敦盛を討ったという物語の部分の表現が興味深い。物語の部分では微細な顔の向きや目配せ含め、長い語りの中で結構細かい演技をしてるんですね。顔はそんなに動かさないけど、ほんのちょっとだけ藤の局を見たり、相模を見たりしている。印象的な、黒地に赤の日の丸が描かれた扇の扱いも綺麗で良かった。語りもあるけど、そんなワタワタ動けない人形の演技で長〜い物語のあいだ間が持つというのは本当にすごいわ。公演によっては時々物語の最中に寝そうになるんで……。起きてもまだ物語ってる〜!?ってとき、ありません? ないか……。

相模役の和生さんももちろん素敵。和生さんが出てくると、安心感がある。首桶の中身が実は我が子小次郎だと知り、首を抱いて藤の局(吉田文昇)に見せて嘆き悲しむ場面、千歳さんの語りのよさもあって涙が出た。

そして玉志さんの弥陀六も良かった。バカなので当日まで人形の細かい配役を調べずに行ってしまったのだが、会場で案内パンフもらってはじめて玉志さんが弥陀六役で出演されることを知って「やった〜!!! 新幹線特急料金払った甲斐あった〜!!!!!」と大はしゃぎした。しかし弥陀六って、演じる人によってヨボヨボ度・老獪度が違いますね。玉志さんの弥陀六はカクシャクとした、ピン!!としたジジイだった。まずもって元武将だし、16歳の男の子の入った鎧櫃しょって長距離歩いて帰れる体力のある爺さんだからか。私、あの鎧櫃を義経が「あげる!」って言い出すのを初めて聞いたとき、お爺ちゃんには重すぎでは!? いくら敦盛がしな〜っとした美少年でも50kg以上あるだろ!? え!? しょった!? まじでしょって帰るの!? せめて台車(?)とか貸してあげたほうがいいのでは!?!? と本気でびっくりした。先日歌舞伎で熊谷陣屋見たときは左團次さんが弥陀六をやってて、すごいヨボヨボジジイぶりでめっっっっっちゃ重そうに鎧櫃を持ち上げようとして尻餅ついていたが、文楽だとそこまではしないようだ。

大変そうだったのは梶原平次景高役の簑紫郎さん。簑紫郎さんの衣装が着付けじゃなかったんで……。そこまではおそらく相模などの左に入っていて、相模がはけている間に一瞬だけ主遣い出演だから着替える暇がなかったんだろうけど、人手の足りない中一瞬で殺される役、大忙しだなと思った。

あとは義経役の玉佳さんがいつもと髪型違っていらっしゃって、ソフトなオールバック風だった(人形を見ろ)。貴公子役だからでしょうか? その通り、義経、陰鬱な陣屋の雰囲気に爽やかな光をもたらすような透明感あるキラキラ貴公子だった。この義経がキラキラ貴公子に見えるのかバカ殿に見えるのかは、物語の見え方として本当重要だなと感じた。

 

 

 

もともとは人形の配役目当てで行ったのだけれど、実際観て良いと思ったのは、床が前後分割なしの一段通しての語りということ。ひとりの太夫さんの語りをゆっくり聴ける。先述の通り、先日歌舞伎の熊谷陣屋に行き、ひとりの太夫さんが一段通しで語っているのを見て、文楽は前後分割だよね、文楽もこうしてくれると良いんだけどな〜と思っていたので、とってもよかった。でもこれはやっぱり上手い人だからこそですね。それに今回は1回のみの公演なので、千歳さんの全力(?)を聴くことができて、しみじみとよかった。最後のほうは声が掠れるほどの熱演、詞章をじっくりたのしめた。富助さんもやっぱり上手い。三味線の上手い下手って素人にはよくわからないのだけれど、なんだか違うということだけは、なんとなく感じる。本公演だと前後分割する部分のつなぎの演奏、普通に交代してつなぐのとはちょっと違う?んですね。

 

 

 

そういうわけで、メイン目的の人形陣、床とも大満足で、西宮まで行った甲斐あった。一段だけのために新幹線日帰りはちょっと勿体無いかなと思っていたけど全然そんなことない。ある意味、単発企画でしかできない、本公演以上の豪華上演だったと思う。

今回はチケットを取ったタイミングが遅く、かなりの後列席になってしまった。実際に行ってみたら規模的には小ぶりな客席に高低差をつけて立体的にしたようなホールだったのでむしろ国立劇場小劇場の2等席よりは見えるんだけど、さすがに細かい所作は見えない状況。

しかしありがたいことに、来場されていた知り合いの方がご親切に双眼鏡を貸してくださったので、初めて双眼鏡で文楽を見てみた。文楽の公演会場では双眼鏡使ってる人ってあんまり見ないけど、歌舞伎や能だと使っている人をよく見る。みんなそこまでして何を見てるんだと思っていたけど、双眼鏡で人形見ると結構面白いですね。衣装の模様や刺繍、髪型などのディティールがごく細部までよく見えるし、手元のちょっとした所作もよく観察できる。今回でいうと、相模が冒頭で羽織っている打掛の細かな柄や、物語の鍵となる制札の文字もちゃんと見えた。それに、前方席であんまり人形遣いさんのお顔をじーっと見てると人によっては目が合う事故が起こることがあるが、双眼鏡ならそんな心配もない(間違った用途)*1。この無遠慮に自分の見たいところをじろじろ見られる感、歌舞伎座の3階席から双眼鏡で役者さんの太ももをガン見している乙女の皆さんのお気持ちもわかりましたわ。前々から双眼鏡を買うことは検討していたけど、本公演以外だと席が後列になることも多いし、やっぱり必要だよね❤️買お❤️と思った。

 

 

 

*1:ちなみに太夫さんの見台の模様なども双眼鏡で見ると面白いと伺ったので千歳さんも見てみたのだが、おもしろすぎた(失礼)ので、すぐに目をそらした。