TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 文楽 in Hyogo『一谷嫰軍記』熊谷陣屋の段 兵庫県立芸術文化センター

流れ流れてひさびさに大阪以西へ進出、西宮で行われた『一谷嫰軍記』熊谷陣屋の段の上演へ行った。

f:id:yomota258:20170710233601j:plain

会場となる兵庫県立芸術文化センターは、阪急西宮北口駅下車すぐにある、コンサートホール等を擁する大型の劇場施設。ロビーの天井が高く自然光が差し込む開放感ある設計の綺麗な建物だった。ホール場内も石造りのモダンな壁面にダークグレー基調の落ち着いた雰囲気、かつ席が前後で互い違いになっていて見やすい構造。現代的な雰囲気のホールながら定式幕が引けるのが良い。

 

 

 

第一部トークショー兵庫県のローカルネタ話だった。技芸員さんとかは出ない文楽の話もほぼなしの、ピュアネス地元トーク。あまりに濃厚なローカルネタすぎてよそ者はついてゆけず。「六甲アイランドの元祖は平清盛、生誕900年」「生田神社の祭神は松が大嫌いなので、戦前あった能楽堂の背景に描かれていた木の絵は杉だし、いまやってる薪能でも橋掛りのわきに植えてある3本の木は松じゃなくて杉」という話をされていた。

 

 

 

第二部本編は配役が単発公演とは思えないほど豪華。床が千歳太夫さん&富助さん、人形が熊谷=玉男さん、相模=和生さんという本公演なみ、あるいは本公演以上の配役。西宮まで東京から日帰り出張する価値ある公演。

一番の目当ての玉男さんの熊谷、イヤ〜❤️ステキ〜〜❤️❤️キャ〜〜〜❤️❤️❤️って感じだった。

とだけ書くとあまりにもバカ感想なので今回はもうすこし。玉男さんてはじめは何が他の人と違うのか、どういうところが良いのかすぐにはわからなかった(クソ失礼)。が、しばらくじーっと見ていて、気づいた。堂々感が違うのである。人形って中身が空洞で、中身が空洞なりのものにしか見えない人もいるけど、そうじゃない人もいて、玉男さんはそのなかでも大袈裟さや力みがなくともまっすぐな堂々とした雰囲気を出しているというところかなと思う。とくに顕著なのが人形の重量感、まっすぐな重厚さ。熊谷は冒頭陣屋へ帰ってくるときの「出」が重要らしいけれど、そこの部分の歩み。なんかひときわ重そうじゃないですか? いや実際重い衣装つけてるんだろうと思いますけど、こころの重さを加えた人間の重量感を感じる。全体を支配する威風堂々とした雰囲気やこういった重量感は少しにじるような歩き方をはじめほんのちょっとした姿勢や所作の積み重ねなんだろうけど、「雰囲気」って本当に難しいんだなと思う。これは鑑賞教室、若手会で改めて感じた。そもそも人形に肩幅や体・腕の厚みを感じさせ、がっちりした体格に見せるということそのものがベテランの技なんだなーと思った。それで私、最近玉男様をめっちゃ見直しましたわ……。いやこれまでも勿論団七とか弁慶とか、あと志度寺の悪役とか一谷の忠度とか良いなーとは思ってたけど、なんでそれが良いと思えたのかいままでよくわからなくて自信なくて言えなくて……、ゴメンナサイって思った……。

そんなこんなで最近気になるのは人形ならではの架空の人間の肉質感。ないはずの筋肉、骨格、内臓をいかに感じさせるか、という点。とくに気になるのが肩から二の腕にかけてのライン。立役の人形なら筋肉の隆々とした(人形にはないはずの)二の腕をいかに見せるか。逆に女形の人形なら白く細くしんなりとした二の腕が見えるか、あるいは表現しないのか。女方人形遣いでも、特に簑助さんは動きが大ぶりになるときでも人形の身体がかなり華奢に、小柄に見えますよね。それはほかの人となにが違うのか。そしてそのどちらでもない、色男の肩や二の腕の表現はどうなっているのか。そのあたりを今後の公演でももうちょっとよく見ておこうと思う。

もういちど熊谷の演技の話に戻ると、先述の出の部分、制札の見得が重厚または堂々としていてとても良かった。そして、敦盛を討ったという物語の部分の表現が興味深い。物語の部分では微細な顔の向きや目配せ含め、長い語りの中で結構細かい演技をしてるんですね。顔はそんなに動かさないけど、ほんのちょっとだけ藤の局を見たり、相模を見たりしている。印象的な、黒地に赤の日の丸が描かれた扇の扱いも綺麗で良かった。語りもあるけど、そんなワタワタ動けない人形の演技で長〜い物語のあいだ間が持つというのは本当にすごいわ。公演によっては時々物語の最中に寝そうになるんで……。起きてもまだ物語ってる〜!?ってとき、ありません? ないか……。

相模役の和生さんももちろん素敵。和生さんが出てくると、安心感がある。首桶の中身が実は我が子小次郎だと知り、首を抱いて藤の局(吉田文昇)に見せて嘆き悲しむ場面、千歳さんの語りのよさもあって涙が出た。

そして玉志さんの弥陀六も良かった。バカなので当日まで人形の細かい配役を調べずに行ってしまったのだが、会場で案内パンフもらってはじめて玉志さんが弥陀六役で出演されることを知って「やった〜!!! 新幹線特急料金払った甲斐あった〜!!!!!」と大はしゃぎした。しかし弥陀六って、演じる人によってヨボヨボ度・老獪度が違いますね。玉志さんの弥陀六はカクシャクとした、ピン!!としたジジイだった。まずもって元武将だし、16歳の男の子の入った鎧櫃しょって長距離歩いて帰れる体力のある爺さんだからか。私、あの鎧櫃を義経が「あげる!」って言い出すのを初めて聞いたとき、お爺ちゃんには重すぎでは!? いくら敦盛がしな〜っとした美少年でも50kg以上あるだろ!? え!? しょった!? まじでしょって帰るの!? せめて台車(?)とか貸してあげたほうがいいのでは!?!? と本気でびっくりした。先日歌舞伎で熊谷陣屋見たときは左團次さんが弥陀六をやってて、すごいヨボヨボジジイぶりでめっっっっっちゃ重そうに鎧櫃を持ち上げようとして尻餅ついていたが、文楽だとそこまではしないようだ。

大変そうだったのは梶原平次景高役の簑紫郎さん。簑紫郎さんの衣装が着付けじゃなかったんで……。そこまではおそらく相模などの左に入っていて、相模がはけている間に一瞬だけ主遣い出演だから着替える暇がなかったんだろうけど、人手の足りない中一瞬で殺される役、大忙しだなと思った。

あとは義経役の玉佳さんがいつもと髪型違っていらっしゃって、ソフトなオールバック風だった(人形を見ろ)。貴公子役だからでしょうか? その通り、義経、陰鬱な陣屋の雰囲気に爽やかな光をもたらすような透明感あるキラキラ貴公子だった。この義経がキラキラ貴公子に見えるのかバカ殿に見えるのかは、物語の見え方として本当重要だなと感じた。

 

 

 

もともとは人形の配役目当てで行ったのだけれど、実際観て良いと思ったのは、床が前後分割なしの一段通しての語りということ。ひとりの太夫さんの語りをゆっくり聴ける。先述の通り、先日歌舞伎の熊谷陣屋に行き、ひとりの太夫さんが一段通しで語っているのを見て、文楽は前後分割だよね、文楽もこうしてくれると良いんだけどな〜と思っていたので、とってもよかった。でもこれはやっぱり上手い人だからこそですね。それに今回は1回のみの公演なので、千歳さんの全力(?)を聴くことができて、しみじみとよかった。最後のほうは声が掠れるほどの熱演、詞章をじっくりたのしめた。富助さんもやっぱり上手い。三味線の上手い下手って素人にはよくわからないのだけれど、なんだか違うということだけは、なんとなく感じる。本公演だと前後分割する部分のつなぎの演奏、普通に交代してつなぐのとはちょっと違う?んですね。

 

 

 

そういうわけで、メイン目的の人形陣、床とも大満足で、西宮まで行った甲斐あった。一段だけのために新幹線日帰りはちょっと勿体無いかなと思っていたけど全然そんなことない。ある意味、単発企画でしかできない、本公演以上の豪華上演だったと思う。

今回はチケットを取ったタイミングが遅く、かなりの後列席になってしまった。実際に行ってみたら規模的には小ぶりな客席に高低差をつけて立体的にしたようなホールだったのでむしろ国立劇場小劇場の2等席よりは見えるんだけど、さすがに細かい所作は見えない状況。

しかしありがたいことに、来場されていた知り合いの方がご親切に双眼鏡を貸してくださったので、初めて双眼鏡で文楽を見てみた。文楽の公演会場では双眼鏡使ってる人ってあんまり見ないけど、歌舞伎や能だと使っている人をよく見る。みんなそこまでして何を見てるんだと思っていたけど、双眼鏡で人形見ると結構面白いですね。衣装の模様や刺繍、髪型などのディティールがごく細部までよく見えるし、手元のちょっとした所作もよく観察できる。今回でいうと、相模が冒頭で羽織っている打掛の細かな柄や、物語の鍵となる制札の文字もちゃんと見えた。それに、前方席であんまり人形遣いさんのお顔をじーっと見てると人によっては目が合う事故が起こることがあるが、双眼鏡ならそんな心配もない(間違った用途)*1。この無遠慮に自分の見たいところをじろじろ見られる感、歌舞伎座の3階席から双眼鏡で役者さんの太ももをガン見している乙女の皆さんのお気持ちもわかりましたわ。前々から双眼鏡を買うことは検討していたけど、本公演以外だと席が後列になることも多いし、やっぱり必要だよね❤️買お❤️と思った。

 

 

 

*1:ちなみに太夫さんの見台の模様なども双眼鏡で見ると面白いと伺ったので千歳さんも見てみたのだが、おもしろすぎた(失礼)ので、すぐに目をそらした。

文楽 6月東京・文楽若手会(文楽既成者研修発表会)『寿柱立万歳』『菅原伝授手習鑑』国立劇場小劇場

今年の東京若手会は平日開催で難儀したが、なんとか行ってきた。

f:id:yomota258:20170520181811j:plain

 

『寿柱立万歳』。太夫・三味線は本公演より良かった。本公演では全員の調子が合っておらずハチャメチャになっていたが、若手会は皆でひとつの曲をつくりあげる印象でとても良かったと思う。

しかし人形、紋臣さんはなぜまたここに出ているのか……、本公演でも太夫やっていたのに……。いや、紋臣さんの才三は正味なところ若手会でもっとも良いと言っていいほど良かったのだが、本編の千代、戸浪とかやって欲しかったので……。でも本当に良かった。ゆったりした動きがユーモラスで、あたたかい気持ちになる才三だった。

 

 

 

『菅原伝授手習鑑』車曳の段。白太夫の息子たち三人、菅丞相派の梅王丸・桜丸と時平の家来・松王丸が左大臣藤原時平吉田神社参詣のその道すがらに偶然再会するという話。直近の本公演では上演のなかった段。

浅葱幕が降りている冒頭部、深編笠を被った梅王丸(吉田簑太郎)と桜丸(吉田玉誉)が幕の前で今後を相談していると車の先を払う雑色(杉王丸=吉田簑之)が現れて浅葱幕が落とされ、梅が美しく咲き乱れる吉田神社の鳥居前を背に時平(吉田文哉)の牛車が姿を見せる。

なんか名前がきのこたけのこすぎのこ状態になっていて混乱を呼んでいるのが若干気になるがそれはともかく、梅王丸と桜丸の人形は配役が比較的お兄さんだからか、落ち着いて演じておられて安心して見られた。そして途中から「待てらふ、待てらふ、待てらふやい」と大声を張り上げて登場する松王丸(太夫=竹本小住太夫、人形=吉田玉翔)。太夫も松王丸役は初めは床に座っておらず、人形の背景後部鳥居からの入りと同時に舞台袖から声を張り上げて入場し床へ上がるのだが、小住さん、ほかの太夫さんからぶち抜きのバカでかい声で驚いた。めっちゃ威勢のいい人来たなって感じ。舞台袖の時点で一番声がでかい……。かなり貫禄ある松王丸だった。人形は玉翔さん。一生懸命やっておられたのがよくわかった。本当、精一杯やっておられて、わしゃ、心を打たれましたわいの〜おおおおお(泣き崩れる)。ここの部分、人形は松王丸をはじめ、兄弟がたて続けに型を決めていく演技になるということで、みなさん本当大変だったろうなと想像する。松王は鋤のようなものを振り回す派手な手振り身振り以外にも編み込みで作ったような華麗な髪型にも注目(チラシ写真参照)、油付五本三つ組鬢割り櫛入り振分け前髪切藁という髪型だそうです。名前難しすぎ。

牛車がパカーンと割れて登場する時平役の文哉さん、超!がんばって!おら!れ!た。月光のように淡く輝く象牙色の衣をまとい金巾子の冠*1をかぶった悪の化身として堂々と振舞っておられたと思う。大変立派だった。そして“人を人とも思わぬ大嗤い”の靖さんも立派だった。

 

寺入りの段。ここからは本公演でも上演があったので、自分も落ち着いて観られる。

この段の冒頭部は悲劇の予兆として少し笑いのある微笑ましい展開だが、客席の雰囲気がよく、お客さんも乗っていて笑いが起こり、お人形のみなさん楽しげに演技をされていてとてもよかった。こういうやわらかい雰囲気は、お客さんがみな暖かい気持ちで舞台を見守っている若手会ならではだと思う。普段の東京公演だとこうもいかないので……(ギャグに誰も笑わないという哀しい事故がしばしば起こる)。その微笑ましい展開のひとつ、今回の戸浪(桐竹紋吉)による子供達からの千代(吉田簑紫郎)の手土産の取り上げ方は、千代の話を横耳で聴きながら手土産を物色する子供達にすかさず近づき、さっと取り上げて蓋を閉めて仕舞っちゃうというものだった。なおよだれくりは玉路さんでした。本公演の菅秀才より役の格が微妙に上がっているのか……。小太郎(吉田玉延)は品があってまじかわで良かった。玉延さん、いままで大丈夫かいなと思うこともあったが、子供ながらけなげにきりっとした小太郎を演じておられ、がんばったんだねと親戚のおばちゃん気分で涙々。

 

寺子屋の段。

お人形みなさん熱演で、良いもん見せてもろたと思った。源蔵(桐竹紋秀)からは邪魔するヤツ全員即始末するという気迫を感じた。帰ってくるところからして若干思いつめたような苛立ったような様子で、気むずかしげというか、気がメチャ強そうだった。さすが夫婦共謀してどこの子かもわからん初対面の子供をいきなり殺すだけのことはある。首実検のところでも、戸浪とともに松王を圧倒する気迫。役に対する強い思い入れを感じた。籠に乗って現れる松王丸(吉田玉勢)は、堂々とした立派な演技。冒頭、刀を杖につきながら寺子屋の前に佇むすっとした立ち姿が美しかった。玉勢さん、いつも人形の位置が高いね。千代役の簑紫郎さんもいつもよりよく考えられたしなやかな動きで良い。ふだんは一瞬しか出演がなくてそこでいっぱいいっぱいでも、みなさんストーリーの流れをつくるような大きな役をもらうと、演技プランをよく考えて遣われるんだなと感じる。最後のいろは送りの部分では松王丸と千代の身振りも息が合っていて、とても良かった。

前半の芳穂さんのみならず、後半を語られた希さん、頑張っておられたと思う。希さんは元々の声質が功を奏している部分もあるのだろうが、いろは送りの高音部がかすれずちゃんと出ていたのは本当頑張っておられると感じた。

 

 

 

若手会、人形はみなさんよく考えて遣っておられて、そのせいか演技が前のめり、情熱的だった。迷いの中で、こういうふうにやりたい!こういうふうに見せたい!という強い意志を感じた。太夫さんは若い方ばかりで、こちらもみなさん本当頑張っておられた。太夫さんもお人形と同じく全員前のめり、こういう語りがしたいという積極性をおびていた。そして掛け合いでみんなでひとつの舞台を作り上げようという気持ちは、本公演以上だったと思う。前述の通り、『寿柱立万歳』は本公演以上によかった。

当然、私のような素人にもわかる範囲で至らないところはある。無理もないけど、太夫さんなら声量が不安定だったり、人形遣いさんは目が泳いでいたり人形のかしらをチラチラ見ちゃってたり、三味線さんで太夫さんの語りと合ってない人がいたり。その点においては、本公演に出演されるお師匠様格の方々がなにげなくこなしている演技の完成度に驚かされた。やはりあのミニマムですべてを表現する洗練度、そして自然に見える・聴こえること自体がすごいのだなと実感。人形なら体格の見せ方など身振りそのもの以外で表現する部分、三味線なら太夫さんの語りに合わせてサポートするように弾いたりという面は、やはり経験やそれによる余裕がものを言うのだなと思う。

しかしそれとはまた別に、若手会には本公演を上回るまっすぐな情熱と熱気を感じる。昨年若手会に行ったときはそもそも文楽を見始めたばかりで出演者の方々のことがよくわからなかったが、今年は「この方は普段こういうことをやっている方」とある程度わかってきているので、感慨深く拝見することができた。また、当然ながら本公演より良い役で出演されるので、おひとりおひとりの個性をよく観察することができる機会でもあったと思う。そもそも一般社会では40代くらいの方があそこまで純粋に頑張っている姿ってそうそう見られないので、心を打たれるものがある。みなさん本当頑張っておられて、私も頑張ろうという気持ちにさせてもらった(仕事さぼって観に行っているヤツがえらそうに言ってみました)。

 

 

 

 

*1:金巾子(きんこじ)の冠って何?って感じだと思いますが、冠の纓(えい)を抑える部分が金巾子でできた冠のことで、もとは天皇が日常で被っていたものだそうです。だから時平はワシってば天子も同然!ふふん!とか言ってるんですね。纓というのは冠のさきっちょにくっついてる長いやつのことで、金巾子というのは纓を抑える紙に金箔を押したもののことだそうです。だがここまで細かい装飾の冠を被っているのを確認するにはオペラグラスがいる。私の席はけっこう前列でしたが、そこまでは見えなかったです。

文楽 6月大阪・文楽鑑賞教室/外国人向け公演 Discover BUNRAKU『二人禿』『仮名手本忠臣蔵』国立文楽劇場

観劇からだいぶ時間があいてしまったが、大阪の鑑賞教室に行ってきた。

文楽鑑賞教室は配役が4種ありどれを観に行くのか悩ましかったのだが、後半日程の午前の部・午後の部を観に行くことにした。このうち午後の部は「Discover BUNRAKU」と銘打たれた外国人向け公演で観ることにした。

f:id:yomota258:20161220092233j:plain

 

 

┃ Discover BUNRAKU(外国人向け英語解説公演)

外国人向け公演 Discover BUNRAKU。通常の鑑賞教室とは異なり、外部作家の構成による特殊プログラム。それは狂言師・茂山童司さんが太郎冠者となって文楽の世界を探検するというもので、太郎冠者の話す日本語での解説部分は狂言仕立て(狂言の台詞口調で話す)、続けてそれを英語に訳して話すという手順になっていた。通常の鑑賞教室のガイダンスでは太夫さんが司会をされているが、そのかわりに“太郎冠者”がナビゲーターとなって解説技芸員さんに質問を投げかけていく進行。デモンストレーションも通常とは少々異なり、通常通りに行う語り分け・弾き分け解説に加えて、童謡「どんぐりころころ」を義太夫節化することで太夫・三味線の語り分け・弾き分けを知ってもらうというものだった。

一番おもしろかったのは義太夫版「どんぐりころころ」(絵=細川貂々)。童謡の歌詞自体はそのままで節回しを義太夫節にして、三味線は通常のメロディを伴奏するのではなく文楽と同じように情景描写を演奏するというもので、出演は靖太夫さん&龍爾さん。どじょう、めっちゃデカかったですね〜。本公演で人形付けてやるならどじょう役はめっちゃデカい悪役の人形で、配役は文司さんでしょうね〜(顔で選びました、すみません)。そして前奏の不穏な旋律からすると、どじょうは絶っっっっっ対どんぐり坊やを突然刺して殺すと思いますわ〜。若君の身代わりにね〜。という感じで、前々からどじょうは不審者だろうと思っていたが、不審者感が極まって悪役になっていた。どじょうが女性のバージョン(少し年配の女中さん風?)も語り分けの一例として披露されていたが、私、どじょうはオスだと思う。*1

それと、三味線による出の弾き分け解説で龍爾さんがいつもなさっているキムタクと猪木のモノマネが外国人向け上演だからか世界レベルになっており、ジョニーデップとシュワちゃんになっていた。このなんともいえない「これなら文楽に来るようなご年配の方も知っているだろう」絶妙セレクト、さすがって感じで笑った。

 

本編『仮名手本忠臣蔵』は三段目と四段目の抜粋上演。これは字幕が英語というくらいで通常通りの公演。しかし人形の配役が塩谷判官=清十郎さん、由良助=玉也さんという本公演では絶対ありえない配役になっていた。チャレンジ精神に溢れているというか新兵器実験場というかだけど、珍しいものを見たという感じだった。正直、途中までは出演者に不安な面もあり大丈夫かいなという感じだったが、最後に出てくる由良助と顔世御前=紋臣さんで締まっていた。玉也さんの由良助は老練で落ち着いたシッカリ者感があった。仮名手本だと由良助は塩谷判官の切腹にギリ間に合うことになっているけど、実際のところは江戸時代にどうやって赤穂(兵庫県)から江戸へ1日で来られたのか不思議なはずなのだが(映画等だと間に合わない設定のものも多い)、万障繰り合わせてなんとかギリギリ間に合いましたっ!って感じだった。いかにもな国家老感あった。そして紋臣さんの顔世御前、上手のふすまがさっと開いて彼女が泣き崩れながらタタタタタと出てくると掃いたように場の雰囲気が変わったのがとても良かった。そこまでは義理立ての世界だけど、ぱっと情の世界へ切り替わる感じ。

それはともかく冒頭、前座的に上演する『二人禿』はチャレンジ精神ありすぎて正直大変なことになっていた。特にお人形さん。お若い方に頑張らせるのはよくわかるのだけど、お師匠様や兄弟子さん、もう少しなんとかさせてあげないと出ている方が可哀想に思う。頑張っているのはよくわかるのだけれど、鑑賞教室に来てるお客さん全員があの子らがピヨピヨのヒヨコちゃんだと知ってるわけじゃないんで、なかなかね……。

 

そんなこんなで英語を喋る太郎冠者、日本語解説部分は狂言状態、ジョニーデップ&シュワちゃん、何を振られてもびくともしない靖さんのまゆげ、絶対どんぐり坊やを殺すであろうどじょう、混沌とした配役の忠臣蔵と、盛りだくさんすぎて脳が情報を処理しきれなかった。

ただ、気になることもある。解説が狂言仕立てになっているという構成は面白いのだが、観客のうちで狂言を観たことがある人はどれくらいいるのだろうか。狂言というものがあるということをなんとなく知っている程度ではなく、観たことがある(太郎冠者がどういう役回りの人物なのか知っている等)前提の演出ですよね。おもしろいことをやりたいという意気はわかるけど、正直作り手の自己満足に寄っていると感じた。狂言文楽と同じくそこまでメジャーじゃない古典芸能だと思いますんで……(失礼)。語り方・話し方に特徴のある芸能を解説・被解説で並べると、狂言文楽も観たことがない人は、どれが狂言の演出でどれが文楽の演出なのか混乱するのではないかと思う。文楽劇場の外国人向け公演でこれをやるには検証が必要だと思う。

本来なら、英語などの外国語がネイティブ向けレベルで話せる技芸員さんが解説するのが良いのだろう。燕三さんとか本当は英語できるんじゃないんですか? どうなんだろ? お若い人形遣いさんでできる子がおられるとは聞いたが、ヒヨコちゃんなので鑑賞教室の解説に登場されるまではまだ時間がかかるだろうか。

 

↓ 入場者プレゼントのミニトート&クリアファイル。トートは高師直の切り絵、クリアファイルは昨年4月の『妹背山婦女庭訓』山の段。なぜ。でもうれしい。

なお、今年の無料配布パンフのあらすじまんがは細川貂々さんだった。かわいくのんびりした忠臣蔵で、緊迫感のなさがすごかった(褒めてます)。

f:id:yomota258:20170708155121j:plain

 

 

 

文楽鑑賞教室(通常公演)

ここからは通常の鑑賞教室公演。本当は津駒さんが出ている前半日程・午後の部が良かったのだが、その部の人形の配役(塩谷判官=和生さん、高師直=勘十郎さん、由良助=玉男さん)は昨年内子座で観たため、どうせなら観たことがなくてお気に入りの人が一番固まって出ている後半日程午前の部へ行くことにした。この回は塩谷判官=玉男さん、由良助=和生さんという豪華シャッフル配役なのである。

 

塩谷判官役の玉男さんがよかった。線が太い印象で、確かにその場限りの短気でいきなり人に斬りかかりそうな感じがあった。午後の部の清十郎さんはまあ抜いたはいいけど人を殺せはしまいという感じの青びょうたん若大名、忠臣蔵映画で浅野内匠頭を若めの美男俳優がやっていたりする、あの感じ。しかし玉男さんは高師直を一撃で殺しそうだった。なんでその剛毅ぶりで一太刀目で仕留められなかったのかなーというすごい勢いで高師直を追いかけており、そらみんな必死に止めますわなという迫力だった。しかしそこは高師直役の玉輝さんがシャーっと逃げていた。なんとかギリ助かった高師直、て感じ。玉男さんの人形は、重量感を感じて、良い。人形の中は空洞で、木と布でできた簡易なもののはずだが、肉のつまった人間の体重を感じる気迫がある。数百年の風雪に耐えうる白漆喰の壁や松の巨木のような雰囲気。

そしてもうおひとり良かったのは、和生さんの由良助。塩谷判官切腹の段でさっと広間に入ってくるときのあの雰囲気。いかにも切れ者の国家老という感じで、ものすごく品があり、ものすごく頭がよさそうだった(アホな褒め方ですみません)。これからストーリーが大きく動いていくことを感じさせる品格、場の雰囲気を掃き清めるようなうつくしい登場。和生さんが由良助役の全段通しを観てみたいなと思わされた。

同じ段、石堂右馬丞役で玉志さんが出ていたのも良かった。石堂右馬丞はまっとうな立派な心を持った使者という設定だそうで、入場してくるときの三味線の旋律がそれをあらわしているそうだ。それをなるほどねと思わせる品格ある石堂右馬丞であった。

そんな塩谷判官切腹の段の床は千歳さん&富助さんでこちらも大満足。配役が切り替わってすぐの日に行ったからか、千歳さんはがんばりがそのまま素直に声に反映されているような語りだった。

 

 

 

以上の観劇は2日に分けたが、続けて観ると出演者による見え方の違いが面白く感じられた。見え方の違いは配役やその組み合わせによって生まれるものだったりするだろう、回によってちょっとずつ雰囲気が違う。文楽は見せ方がストーリーそのものに即しているし、人形にしてもかしらは同じなので大ブレするわけではないのだが、太夫・三味線がつくる場の雰囲気や人形遣いの所作によってニュアンスが微妙に変わってくるように思う。今回はとくに間隔をおかず観ているので、それがより鮮明に思える。

明らかな違いでいうと、人形は細かい所作がやはり人によって違う。何かを意図してそうされているようだったり、あるいはその方の細かいこだわりでそうされているようだったり。たとえば鷺坂伴内が本蔵から賄賂(というかお小遣い?)を受け取るところの仕草とか。おのおのの方の工夫を感じて、面白かった。ネガティブな面での違いをいうなら、やはり慣れない配役で芝居が浄瑠璃とずれていたり(逆に太夫さんも不慣れでテンポがおかしいのかもしれないが)、芝居がかりすぎの人がいたりで、なかなか混沌としていた。

あと、上記では玉也さんと和生さんの由良助を国家老感ある!と褒めまくっているけど、普段由良助役をなさっている玉男様が国家老感ないわけじゃないですからそこんとこよろしくお願いします。玉男様の由良助は映画でいうと『赤穂城断絶』(東映大石内蔵助=萬屋錦之介)、和生様は『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』(東宝、同=八代目松本幸四郎)、玉也さんは『大忠臣蔵』(松竹、同=二代目市川猿之助)もしくは『忠臣蔵』(大映、同=長谷川一夫)って感じ。ちなみに清十郎さんの塩谷判官は『サラリーマン忠臣蔵』(東宝、浅野卓巳社長=池部良)って感じ*2。由良助ではそこまで大きなブレは感じなかったが、塩谷判官は人形配役によって振れ幅が大きいなと感じた。

 

仮名手本忠臣蔵』の前半は鑑賞教室で小中学生が見るにはなかなか難しい話のように思われるが、ご来場の生徒さんたち一生懸命ご覧になっていたそうで、よかったーと思った。歌舞伎では国立劇場主催の鑑賞教室は夫婦愛等を描くような無難な演目を上演し、殺人・不倫・遊郭描写等のある出し物はしないと聞いたが文楽はやくざ、親殺し、女郎、心中、刃傷、切腹、なんでもありの自由にやっておられるようで、何よりだと思う。

 

 

 

*1:あと、勘十郎さんが何かのインタビューで「孫悟空はオスかメスかわからないが」と発言されていたが、私、孫悟空はオスだと思う。

*2:『サラリーマン忠臣蔵』、映画では珍しく仮名手本準拠のストーリー展開で、パロディものにも関わらず前後編構成でオールスターキャスト、脚本も凝っているので、みなさん是非ご覧になってみてください。