TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 赤坂文楽 #17『義経千本桜』渡海屋・大物浦の段 赤坂区民センター

今回の赤坂文楽は玉男様メインで幽霊知盛・碇知盛。前回はものすっごい後ろの席しか取れず浄瑠璃聞こえねえ事件が起こったが、今回は頑張って前方席をゲットした。

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上演は『義経千本桜』二段目「渡海屋・大物浦の段」より、幽霊知盛および碇知盛の部分の抜粋。この幽霊知盛と碇知盛の上演のあいだに1時間玉男さんのトークショーを挟むという形式。

開演してから気づいたのだが(遅い)、ものすっごい簡易なセット&人形の数がミニマムで、本当、知盛(吉田玉男)のみの演技を純粋に見てもらうという上演だった。出演者の人数の制約からか、お安(安徳天皇)や内侍局ほかの登場人物の人形がいないのが驚き。これ本公演ならまだ他の登場人物いますよね? 知盛以外素浄瑠璃状態。「と娘の手を取り上座へ移し奉り」って、あれ? 娘、いねえ〜! 「昔の日本映画では天皇の姿は恐れ多いとして基本的に登場させないため、周囲の俳優がエア演技状態」になっていた。前回の赤坂文楽の記事にも書いたけど、会場の赤坂区民センターは講演用ホールのような場所で、ステージも大変に狭く、ものすごい庶民感溢るる場所。セットも会場備え付けの暗幕の前にL字型の障子(納戸、いわゆる「一間」)を立てただけのものすごい簡易なもので、これで脇役もいないとなるともはや現代演劇状態と申しますか「玉男様にこんなショボい舞台でやらせんな💢😡」と思ったのだが、知盛の人形が舞台に出てくると、白糸縅の鎧に白く輝く衣装を着た知盛の周囲だけ空気が違い、そこだけが現代の赤坂ではなく『義経千本桜』の世界になっているようで驚いた。最後、出陣のまえに、ステージ手前側に知盛が降りてくるくだりでは人形の大きさに驚き。どんな人形でもそうだけど、ちょこんと置いてあるとそんな大きく見えなかったり、逆にこけしのように棒立ち胴長で美しく見えなかったりするが、やはり人形遣いさんが持っていると違うのだなと思わされる。前述の通り今回は結構前のほうの席が取れたため、国立劇場よりも間近で観られる感覚で長刀(人間サイズ!)を振るう演技を迫力満点で観ることができた。

 

 

トークショーは高木秀樹さんを司会に、赤坂文楽のテーマでもある「伝統を受け継ぐ」について、玉男さんに先代玉男師匠から受け継いだ芸・心についてお話ししてもらうというもの。玉男さんはふんわりとしたやさしい口調で、柔和な雰囲気。渋い外見とのギャップに驚き。結構ビシッとした感じの方かと思っていたけど、とても自然体というか、落ち着いたほんわか癒し系の方だった。以下、お話内容の簡単なまとめ。

 

┃ 知盛の役について

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  • (会場で配布されていた資料に載っている「渡海屋の段」の舞台写真*1、知盛役の先代玉男師匠と、お安役の当時のご自身を見て)この写真は15〜6歳、入門して2年目ごろだと思う。太夫は津太夫師匠、三味線は寛治師匠(6代)だった。お安は実は安徳天皇なので身分の高い役だが、そのころはどう遣ったらよいか、まだよくわからなかった。先代玉男師匠は三段目のすしやの維盛でも出演していた。そこには勘十郎くん……そのころは簑太郎くんも六代君の役で出ていた。師匠は平家の“七盛”を遣っていた。師匠は栄三師匠を大変尊敬していたが、最終的には、栄三師匠より知盛を遣った回数が多かったと思う。

  • 大役の主役の足を遣えるようになるには、10年くらいかかる。知盛の足は1、2回しか遣ったことがない。そのうちに玉輝くんや玉志くんが入ってきて、左遣いになった。NHKから出ている『義経千本桜』のDVDに入っている映像は文楽劇場開場記念のもので、師匠は知盛、その左がぼく、足が玉志くんだった。師匠の左は25年くらい遣っていた。左遣いは舞台全体を見ていなければならないので、大変気を使う。

  • 幽霊知盛では、長刀の演技があるので左遣いが重要になる。師匠は初役で知盛を演じたとき、文五郎師匠に聞きに行ったらしい。なぜ女形遣いの文五郎師匠に?と思われるだろうが、文五郎師匠は知盛のかしらである検非違使を遣うのがうまかったらしい。検非違使にはピリピリ、キビキビした動きが必要で、文五郎師匠のそれは検非違使のかしらの性質をうまく表していたそうだ。
  • 知盛は「平家の大将知盛とは」のところで左手に持った長刀を大きく振る演技がある。このとき最初は刃を外側(上手側)に向けて振るが、上手には安徳天皇がいるため、畏れ多いとすぐに刃を内側へ持ち直す所作をする。これは師匠が文五郎師匠から教わったことだが、文五郎師匠が考えたわけではなく、口伝で伝わっていたことではないか。(ここでその所作を実演。左遣い・吉田玉佳さん、足遣い・吉田玉路さんのご紹介。ご自身で浄瑠璃を語りながら長刀を振って「ヤー♪」と掛け声をかける玉男様にキュン)
  • 幽霊の姿になると、銀平の姿のときとかしらが違い、手も違う。手は銀平のときはかせ手だが、幽霊の姿ではつかみ手(すみません、このあたりあいまい)。この手は5本の指が離れて動くようになっており、指先に真鍮が入っているのでチャキチャキ鳴る(実演)。最後に義経を討とうと出陣するときは「団七走り」。『夏祭浪花鑑』の団七は「韋駄天走り」で、これとは違う(と、知盛の人形で韋駄天走りの実演、玉男さん超笑顔)。「団七走り」は下手を向いて走っていくので客席からはわかりづらいが、人形には表情もつけている(舞台奥から手前へ向かって走る実演)
  • 自分はこんど64になるが、知盛のような大きい人形で腹のある役は「しんどい」。この人形の重さは10kg程度。師匠は最後、亡くなる2年前、85歳のときにも知盛を遣っていた。師匠は知盛の人形を自称「20kgある〜!!」と言っていた。「えーっ、ほんまですかー!」って……。……そこまではないです……そんなあったら持てません……(笑)。
  • 大きな立役の人形でも、弁慶は意外と軽い。4・5月第1部菅原の寺子屋・首実検の松王は大変重く、10kg以上ある。着流しであれだけ重いものはほかになく、左遣いの玉佳が助けてくれた。すべて自分だけで持ち上げているわけではなく、左や足がつくのでそこで少しラクになる。こういった大きな人形は若いころは重く感じるが、年をとると体力は落ちるはずなのにラクになる。それは経験を積んで力の抜きどころがわかるようになるからで、余計な力が入らなくなるのだろう。

 

┃ 先代玉男師匠のこと、一門のこと

  • 人形は、主遣いが出している「ズ」というサインを左遣い・足遣いが読み取って動かしているので、事前に打ち合わせをしなくても演技ができる。……ちょっとは打ち合わせしましたけど、1時間くらい前に……(笑)。なので、いまいきなりアドリブで演技をすることも可能。時々舞台でもアドリブをやって足遣い・左遣いがついてくるか試すことがある。先代は毎日違うことをやりだすことがあり、勉強になった。毎日同じことをやったらつまらんでしょ。
  • 左遣い・足遣いは主遣いの指示に従っていればいいが、主遣いは自分が演技をしなくてはならないので、床本をよく読んでいなければならない。自分のセリフ、なぜそのような行動をするのかをよくわかっていなくてはいけない。
  • (玉男さんの楽屋に行くと皆さん一生懸命床本を読んでいるのが印象的、ほかの人形さんの楽屋ではそんなことはないと振られ)それは先代が床本をよく読まれていたから。先代はあれだけ遣った徳兵衛でも、いつも床本を読んでいた。
  • 昭和の近松復刻は、長く上演が断絶していて初演も同然だったため、床本と音から理屈に合った演技を考えて作っていた。天満屋でお初に足をつけるのは先代が考えたこと。当時お初役だった栄三師匠は昔の人で、遊女の人形に足を吊るなんてと大変嫌がったが、先代がどうしてもやりたいと、そのときだけ人形とは別途用意していた足を出すという方法で出せるようにしてもらった。天満屋は歌舞伎でも拝見したことがあるが、歌舞伎だと足に顎を乗せてるんですね。喉笛へカミソリのように足を当てるのは文楽ならではの良さだと思う。(え? 歌舞伎も喉笛へカミソリのように足当ててるつもりなんじゃないの? 玉男様の独自の感性によるご感想???)
  • 天神森は、初演当時は徳兵衛が刀を構えたところで幕となっていたが、海外公演でわかりづらいということで、お初を刺す→徳兵衛も喉を突いて上に倒れるという流れに変えたらしい。それが国内公演でも演じられるようになった。ぼくが入座したときにはすでに突くやりかたになっていた。徳兵衛の相手役、お初の役は栄三師匠、簑助師匠、文雀師匠、先代清十郎師匠が遣っていたが、先代は簑助師匠とよく組んでいた。
  • (先代は女形も遣われましたがと振られ)師匠は女形の役もあり、加賀見山の尾上、野崎村のお染、合邦の玉手御前、忠臣蔵九段目のお石、先代萩の政岡も遣っていた。ぼくは女形の足を遣ったことはないが、当時、すべてではないが左には入っていた。
  • (二代目にも尾上を遣って欲しいのですがと言われ)尾上は……それはちょっと……遣えませんわ……/// 先代の尾上の役は、先代の気品、品格によるもの。師匠は菅丞相など、気品のある役をよく遣っていた。
  • 5月東京公演『加賀見山旧錦絵』で遣った岩藤は八汐と同じで歌舞伎でも立役が演じる役。自分は10年前の4月に大阪で遣ったのが初めて。岩藤は憎く遣わなくてはいけないと言われる役で、そのときは「もうちょっといじめないかんのかな?」と思っていた。今回は「憎かったかな?」と思っている。
  • (先代は人を斬るときの気迫がすごかった、足遣いで密着しているとその気迫が伝わってきて、いまから斬るぞというのがわかったと聞いていますがと振られ)……??? そんなことないと思いますけど(笑)。でも、人を斬る役はゾクゾクする役。『国言詢音頭』の初右衛門とか。
  • (玉男さんや一門の方は人形を遣っているとき「わて知らん」という感じで、表情が出ませんねと言われ)そんなことありません、ぼくは若いので(笑)表情が出てしまう。力が入らないように、無表情でできればと思っている。
  • 直弟子は4人いる。玉路、玉峻、玉延、玉征。それと弟弟子を預かっている。若い人を見て、若い人に教えるのは大切なこと。いちいち「ああして、こうして」とは教えられないが、舞台をよく見て、床本を読むように言っている。ぼくはどうしても忙しいときが多いので、玉佳くんが軍曹として教えている。ぼくが忙しいときは玉佳くんに質問してもらう。玉佳くんは聞きやすい人だし。
  • (若手会には左などで出演されるのですかと聞かれ)ぼくはもう出ていなくて、監修の立場。玉佳くんたちが応援で黒衣で出る。いまの若手会は玉勢くん、簑紫郎くんたちが主だってやっている。
  • (知盛の役は先代玉男師匠から玉男さんに受け継がれ、次は玉佳さんに受け継がれるんですねと振られ)玉佳はずっと初代の足を遣っていて、ぼくの左についているので、よくわかっていると思う。

 

┃ 幽霊知盛と碇知盛

  • 渡海屋(幽霊)と大物浦(碇)では、渡海屋のあいだのほうが「しんどい」。これから義経を討とうと出陣する場面があるので。着流しの人形は基本的に自分も気持ちをゆっくりできるが、大きい役は腹にグッと力を入れて遣わなくてはならない。『菅原伝授手習鑑』の松王は「しんどい」役。「腹がある」役は気を使って遣わなくてはいけない。碇は手負いなのでそれに比べるとラク。髪を捌いている役はどんな役でも気分的にラク。だませるから……(←?)

  • 碇知盛は三味線のメリヤスに乗って登場し、軍兵の人形と戦うカラミがある。注目してみてください。
  • (ツメ人形でも、キャリアが長い方が遣っていることがありますね、玉男さんはいつまで遣われていましたかと振られ)ツメ人形は40代くらいまでやっていた。人手の少ない巡業や地方ではツメ人形で出たりすることもあるが。一人遣いのツメ人形は難しい。とくに『一谷嫩軍記』の「脇ケ浜宝引きの段」に出てくる百姓のツメ人形はやることが多く、難しいですね。
  • (付記:昨年9月東京の宝引きのお百姓ツメ人形のみなさんの写真がありました。下記twitter引用ご参照。たしかに出遣いでいいでしょうというような豪華配役。ツメ人形だけで長時間演技するので、技量のあるひとしかできないんでしょうね。……というか、みなさんご自身のお顔立ちとツメ人形の顔が似ているのは気のせい??) 

 

  • 碇知盛は碇を持って極まるところが見所。段切で知盛は碇を頭上にかつぎ、頭から後ろ向きに海へ落ちる(入水する)。文楽はこの碇についているヒモが短い。歌舞伎はものすっごい長いですね。海に飛び込むところは歌舞伎ではバク転するけれど、文楽の場合空中で人形が逆さまになってゆっくり落ちる。このときポンとそのままひっくり返したら足の形がメチャクチャになってしまうので、足遣いが足を綺麗な形に作るのが大切。師匠は余韻が残るよう「跡白浪とぞなりにける」でゆっくりやるように言っていた。ここは三人以外にもうひとり介錯がついて、四人遣いのようになる。
  • 大物浦のセットはずっと昔から島状になっていて、小島と千鳥(とりピーピー)を出していた。なんでかな?と思うんですけど……。小舟で行かんでいいんかな?と思うんですけど……。(このあたりよくわからなかった。玉男様の独自の感性の話でしょうか)

 

トークショーはここで時間切れ。玉男さんの意外な一面を知ることができて、面白い1時間だった。人から「玉男さんはボソボソとしか喋りませんよ」と聞いていたのでトークショー1時間もあるのがとても心配だったのだが(クソ失礼)、聞き上手の高木さん相手だとお話されやすいのか、マイペースに楽しげにお話されていた。でもやっぱりお人形を持ってお話されているときが一番いきいきされているね。そして、上記まとめではニュアンス伝わらないと思うけど、玉男さんは玉佳さんを本当に頼りにされているんだな〜と感じた時間だった。

 

 

 

最後は碇知盛の実演。これも暗幕前というセットも何もない場所での実演だったが、前半とおなじように人形はその空間から次元が切り離され、くっきり浮いて見える。呂勢さん燕三さんもそうなんだけど、本当この厳しい状態でよく間が持つなと思う。イベント等でのお若い方のデモンストレーションだと、この間が持っていない(本当にデモンストレーションにすぎない)ことも多いので、さすがベテランは違うと思わされた。この部分の冒頭では左遣いが転倒するという意外な(?)ハプニング。倒れる寸前に左手をきれいな形にしてすぐ離されたので、人形の演技には影響なかったが大丈夫でしたでしょうか……すぐ介錯の子が飛んできて、もとのポジションに戻られたので平気かと思うが。余計なこと観察してても失礼なんだけど、ものすっごい狭くて背後余裕なし、手すり超ギリギリの場所でやっているからだろう。本当大変だわと思った。

段切、碇をかついで海に飛び込む部分のみ岩場と海のセットを出して上演。足場が悪そうでみなさん無茶苦茶な姿勢になっておられたけど、見事だった。話題になっていた、入水するときの足の形やスローモーションのようなゆっくりした動きもなるほどと。この最後の部分、私が最初に観に行った昨年2月の東京公演だと知盛が勘十郎さんで、そのときは一瞬で碇と一緒に落ちていた。私は知らなかったのでそういうものかと思っていたけど、どうもそれは文楽の定法の型ではないらしい。その一瞬で落ちるという演出については色々な意見があるようで、今回のトークショーでも話題に出た(振られても玉男さんはそうらしいですねーとしか返していなかったが……)。歌舞伎では役者が普通に重力に従って落ちるようだが、文楽は人形が演じているため重力にとらわれない動きができるので、ゆっくり落下するという人形浄瑠璃であることを活かした演出になっているようだ。

 

 

今回は床の正面になる席が取れたため、太夫さんの語りも三味線の音も満喫。音響悪い会場だなとは思うけど、以前のように「太夫の声が琴の音より小さい」という悲惨な事態にはならず、十分楽しめた。でもやはり悪い環境でも輝いて見える人形が一番印象的だったな。ダイジェストなのが勿体無い。次に本公演でこの段が出るときには、知盛役は玉男さんで観てみたい。

 

 

 

 

*1:調べたところ、その写真は1970年(昭和45年)4月朝日座公演の通し上演の時のもののようでした。

文楽 5月東京公演『寿柱立万歳』『菅原伝授手習鑑』国立劇場小劇場

東京第一部は4月大阪の第一部と同じ演目。せっかくなのでダブルキャストを勘案し、出来るだけ配役が異なる回のチケットを取った。その点交え、大阪公演と比較して感じた点を中心に書いていきたい。

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『寿柱立万歳』。大阪では床というか太夫さんの揃ってなさがいくらなんでもレベルだったが、東京で千穐楽も近い日となると慣れてこられたのか、さすがに揃ってきていた。人形は変わらず良かった。

 

 

 

『菅原伝授手習鑑』。

茶筅酒の段。まず違ったのが大根の立派さ。「そこ?」と言わないでください。まじ立派な、ちゃんとした八百屋に行かないと買えないような40cm以上ありそうなご立派な大根だった。大阪ではちっちゃな大根で葉っぱは作り物だったのに、今回はちゃんと本物の生の葉っぱだった。これも千穐楽が近いことによる大盤振る舞いでしょうか。(大阪での大根は ↓ みたいな感じ)

大根がデカいせいで八重(吉田簑二郎)の首斬り浅ぶりがパワーアップ。それはそれは豪快な風呂吹き大根ができたのではないだろうか。

ところで、東京公演と大阪公演両方行かれる方はご承知のことと思うが、東京公演で販売されているパンフレットと大阪公演で販売されているパンフレットは内容・編集が異なっている。東京公演のパンフレットには鑑賞ガイドやあらすじ解説のほかに「上演作品への招待」という演目に関するかなり詳細な解説記事がついている。これによると白太夫(吉田玉也)は「茶筅酒の段」の段階ではまだ事態の深刻さを理解していないと書かれている。てっきり、事態の深刻さは理解しているが、さすがに実の息子のことなので行動を決めかねてカラ元気で通しており、その間にどんどん事態が悪い方へ転がっていくという流れなのかと思っていた。ふーん。やや暗い印象というか、悩んでいるようにも見えるがそうでもないのか。三方を出されたときなどはビクッとしているが……。

 

 

喧嘩の段。ここが大阪公演とは配役が違う。太夫=竹本小住太夫、三味線=鶴澤寛太郎、人形・梅王丸=吉田玉志。言うまでもなく、玉志さんと小住さん目当てである(カンタローすまんね〜)。

まず松王丸(吉田玉男)と梅王丸が兄弟に見えたのが大阪と違う点*1。それは喧嘩するところでとくにそう思った。意図か否かはわからないけど、基本的な雰囲気や動きがばらけていない。クセのなさの方向性や、すっと立っているときや人形が動き出すのときの雰囲気(動きそのもの?)の近さが兄弟っぽさを感じさせるのだろうか。玉男さん、玉志さん、おふたりともお師匠様が同じだから芸風が近くて揃って見えるのか。それとも単に人形遣いの身長差や体力差問題か。あとは梅王丸がお兄ちゃんに見えた点が違うかな。三つ子だけど一応長兄。桜丸切腹で最後に戻ってくるところの、やさしさというか、芯のしなやかさというかの、なんともいえない微妙なニュアンスが面白いと思った。春(吉田一輔)にこそこそと何か耳打ちする仕草の雰囲気とか。大阪の幸助さんはもうちょっと気が強いというか、芯が太い雰囲気だったな。ひとによって印象が結構変わるものだなと思った。

太夫は大阪で大変好評だったと聞く小住さん、たしかに良かった。お若いのに貫禄ある。あのプリツヤをキープしつつ、のびのび育って欲しいと思った。

そんなこんなで、大阪では中学生兄弟のそれだった松王丸と梅王丸の喧嘩だが、東京では高校生か大学生の兄弟の喧嘩くらいになっており、キャスト違いを楽しめた段だった。

 

 

 

訴訟の段〜桜丸切腹の段。

桜丸(吉田簑助)のあの儚げだけど意思のある雰囲気はどこからくるものだろうと思っていたが、桜丸は座ってからずっと、どこか遠くを見ているのだな。八重や白太夫に視線がいっておらず、つねにやや上向きで、客席の中空を見ているようだった。視線というのは、大切なことなのだなと感じた。

 

 

 

襲名披露口上。大阪とは口上のメンバーが変わり、太夫からは司会・呂勢太夫さん、太夫部代表・津駒太夫さんに。清治さんと勘十郎さんは大阪に引き続き挨拶。津駒さんは汗ダラダラで顔が(>_<)になっていて、この人口上でもメッチャがんばってる!?と思った。呂勢さんからは、若太夫師匠が若太夫襲名後も床本の表紙に「呂太夫」と書き続けた話があった。なぜ呂太夫と書き続けたのか。若太夫師匠ご自身はもう目が悪くなっていて本当は床本はいらないのだが、のちに呂太夫を襲名するひとにその名が入った床本を使ってもらうためだったという話だった。

 

 

 

寺入りの段。大阪公演で謎だった「千代(桐竹勘十郎)が持ってくる手土産の中身」が判明。今回は手土産をめぐる流れが大阪と違っていて、子どもたちが勝手に開けて食べようとしたところで戸浪(桐竹勘壽)がすかさず近寄ってきて、バカッと蓋を閉めて箱ごと回収してしまった。あらら。が、よだれくり(吉田玉翔)が実は中身を少々ガメていて、寺子屋の段の冒頭で屋台のヘリに中身を並べたり、目に当てたりしていたため、中身がはっきり見えたのである。それを見るとどうもレンコンやニンジンの煮物のようだった。大阪公演の際に見えていた半月型の茶色の物体は半月切りにした何かの野菜のようだ。なぜ今回戸浪は蓋を閉めたのか。あの手土産には「四十九日の蒸物」の意味があるそうなので、全部食ったら最後の野辺の送りが引き立たないからか。

 

 

寺子屋の段。

人形がすごく良かった。大変力が入っていると感じた。ものすごく漠然とした物言いになってしまうけど、松王丸、千代がとてもよくて、ドキドキして、本当、観に来てよかった〜と思った。文楽を観ていると、時折舞台上に多少ノイズを感じることがあるけど、そのノイズが松王丸・千代の演技ですべてかき消されている感じ。終演後、うしろの席の男性が「よく子供殺したな〜」と感心したように言っていたのが印象的だった。よくぞ殺す決意をした、というニュアンスのようだった。話の内容からするときわめて正しい反応だが、これ言わせるだけある内容だった。この感想、現代の感性では普通は絶対ありえないよね*2。源蔵役の和生さん、戸浪役の勘壽さんも本当良かった。戸浪はちょっと婀娜っぽい別嬪奥さんてな感じですごく好きだった。千代とはまた感じが違うのが良い。

さて、大阪公演の感想で「寺子屋の段」は呂太夫さんが一人で語ったほうが良いと書いた。襲名披露の祝いに前後分割でしかも前はかわいそうという心情もあったのだが、一番の理由はその分割した前後がつながっていなかったから(主に声量)。あまりのつながってなさに、普段からこんなだったかと思ったのだが、今回は普通につながっていた。それには呂太夫さんが頑張っておられたのと、咲さんが調整されていたのがあると思う。が、咲さんは途中、千代のクドキの部分でかなり弱々しくなっていて、心配になった。燕三さんがサポートされていて、最後は持ち直しておられたけど……。そんなこんなで今回は結果的に前後がつながって普通に聞こえた。

 

 

 

大阪と東京の両方で同じ演目を見るのはどうかと思う部分も若干あったのだが、東京公演も観に行って良かったと思う。さすがに2ヶ月目の最後ともなると皆さんパフォーマンス上がっていて、明らかに良くなっている方もおられたのがわかったし、自分自身も話をよりよく理解でき、細かい人形の演技をよく見ることができて、満喫した。

あとはやっぱり大阪と東京の客席の雰囲気の違いを感じた。大阪だとお客さん皆さんワイワイキャッキャやってて盛り上がっている感じだけど、東京のお客さんは真面目に観ている感じ。『菅原伝授手習鑑』、人形の出で拍手があったの、簑助さんだけだった。拍手はともかく東京公演は上演中に喋ってる人がほとんどいなくて本当落ち着いて観られるのが良いんだけど、大阪公演では他のお客さんと一緒にヤンヤヤンヤするのが楽しいですね。

 

大阪公演『寿柱立万歳』『菅原伝授手習鑑』の感想はこちら↓

 

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*1:例えて言うなら、大阪はなんというか、『現代やくざ 与太者仁義』って感じだった。これ、私がいままでに観た映画の中でも最強に無理のある兄弟配役の映画でしてねえ……。なんせ池部良菅原文太田村正和が兄弟という設定の映画なんですよ。言うてもヤクザ映画やし兄弟言うても盃の兄弟やろって思うでしょ? 違うんです、ガチで血のつながった兄弟設定。無理ありすぎて初めて観た時には企画者の正気を疑ったものだ。でも、東京公演では『狼と豚と人間』くらいになっていた。これは三國連太郎高倉健北大路欣也が兄弟設定で、まだわかる(?)。という感じ。以上、よりわかりづらいたとえ話で失礼いたしました。

*2:ちなみに大阪での後ろの席の人の反応は「子供殺すのはありえないね」という現代人として至極尤もなものだった。ザ・素直!!!

文楽 5月東京公演『加賀見山旧錦絵』国立劇場小劇場

楽しみにしていた五月東京公演。なぜなら今回はダブルキャスト配役を狙って取っているのと、玉男様の女形配役があるからです。 

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前半は加賀家の陪臣(家臣の家臣)・又助とその一家の、陪臣であるがゆえの悲劇を描くエピソード。まず筑摩川の段。

大雨で増水し轟々と渦巻く筑摩川(つくまがわ)のほとりに、ゴザを被った裸の男・又助(人形配役=吉田玉志)が現れる。又助は引き抜いた脇差を口にくわえると荒れ狂う水の中に飛び込んだ。次にその川岸へ現れたのは、馬に乗った多賀藩の大殿様・多賀大領(吉田玉佳・代役)と近習・山左衛門(桐竹勘次郎)。山左衛門は水量の多さに危険を伝えるが、多賀大領は馬で海を渡った『平家物語』の「藤戸」の逸話を引き、川の中へ入っていく。が、水中に潜んでいた又助によって大領は討たれ、馬だけがその難を逃れて走り去っていく。

水面が段々状になった川の中のセット。又助に水中へ引き摺り込まれた馬や人形が水面のあいまからスローモーションのようにゆっくりと動くのが映画みたいで印象的だった。最後に大岩の上に立つ又助の姿も決まって格好よい。

すごくどうでもいいのだが、又助は長い髪を下ろして左右両側に垂らす髪型で、髪ブラだった。動きが激しいわりに乳首がほぼ見えなくて感動した。ちなみにパンフレットに載っている過去の公演写真ではメッチャ見えていた。

 

 

又助住家の段。

筑摩川の一件から5年後。加賀国の片田舎にある又助の侘び住いでは、彼の女房・お大(豊松清十郎)が夫の留守に針仕事。門口では二人の息子の又吉(吉田和馬)が遊んでいた。お大は猪狩りの竹槍を届けに来た近所の男(歩きの太郎作=桐竹亀次)から金に詰まった者が娘を鏡山の廓へ売るのにその親方が村へ来ていることを聞きつけると、廓へ奉公したい者があるから親方へうちにも来てくれるよう伝えてくれと頼む。その頃、又助の主人・求馬は悪人の罠にかかり主家の家宝・菅家の一軸を紛失し、浪人の身の上となっていた。その菅家の一軸が質入れされていることを知った又助は預かっていた村の公金を使ってそれを請け出し、求馬を帰参させようとしていた。その使い込みの穴埋めに、お大は身売りを考えていたのだ。お大が髪を直していると、話を聞いた廓の亭主才兵衛(吉田玉佳)がやってくる。お大は事情を話し、亭主から百両を受け取って暇乞いの時間をもらう。

やがて求馬(吉田勘彌)を連れた又助が帰宅。愛想が尽きた、出て行くと言いだすお大に怒った又助は三行半をつきつけるが、ちょうどそこへ庄屋の治郎作(吉田簑一郎)がやってくる。治郎作は預けておいた公金百両を返せと迫るが、お大がすかさず先ほどの百両を差し出し、盗人は自分だと告げる。彼女が出て行こうとしたところ門口に廓の親方が駕籠屋を連れて現れたのを見た又助は、事情と妻の本心を悟り、涙ながらに別れるのだった。

夜も迫る頃、編笠を被った立派な身なりの武士が又助の家を訪ねてくる。その男は多賀家の家老・安田庄司(吉田文昇)だった。その来訪に驚く二人の様子に、本国の様子を知っているかと尋ねる庄司は、一振りの脇差を差し出す。それは求馬がかつて大領から拝領した刀で、以前又助に渡していたものだった。その脇差を見て又助は帰参の機会と喜び、求馬に菅家の一軸を庄司へ渡すよう促す。それが間違いなく本物の菅家の一軸であると認めた庄司だったが、彼が懐から取り出したのは白木の位牌。庄司は大領は5年前筑摩川で何者かによって暗殺されており、犯人の手がかりとなるこの脇差が筑摩川下流で見つかったというのだ。すなわち、多賀大領暗殺の犯人は又助だったのである。求馬は怒り狂って又助を打ち据え、事情のわからない又吉は必死で父を庇おうとする。又助は足手まといと脇差で又吉の首を撥ね、求馬に「子殺し、主人に刃向かう大悪人」と竹槍で突かれる。又助はその苦しい息の中、望月源蔵に騙され、闇の中で主家を害する蟹江一角と思い込んで大領を討ってしまった5年前の筑摩川のいきさつを物語る。それを門口で聞いていたお大は涙ながらに一緒に死ぬと喉に刀を突き立て、又吉の首を抱く。又助の告白から大領暗殺の首謀者は望月源蔵と知れ、その又助を討った手柄で求馬の帰参が許される。庄司の言葉を聞いた又助とお大は安心して息を引き取った。

又助住家の段、大満足。床も人形もとても良くて、ええもん見せてもろた、文楽観た〜って感じだった。

又助の人形はダブルキャストで、私が観た回は玉志さんだった。だったというか、それを狙ってチケットを取った(ダブルキャストを考慮してチケットを取る知恵を獲得したのです)。すっとしたまっすぐな気性を感じる又助で、とても良かった。所作ひとつひとつが丁寧でつなぎに無駄がなく、堂々としていた。背骨がぴんとしているので、身分は低くても心根は卑しくないまっすぐな人間、ゆえに悲劇に陥るという雰囲気がつたわってくる。なかでも苦しい息の又助が筑摩川での一件を身振り手振りで物語る部分が光っていた。ここの部分の人形のひとつひとつの型が淀みなく綺麗で印象に残った。文楽を観るようになってびっくりしたことのひとつに、登場人物の独白(物語やクドキ)の部分がこんな長いんだ〜という点がある。それが成立し得るのは浄瑠璃のことばひとつひとつの美しさや出演者の芸によるものだろうけど、現代の娯楽では忌避されそうなこういった長ゼリフが最大の聴きどころ見どころになるのはおもしろい。と、話は戻って、玉志さんは昨年5月東京の『絵本太功記』に武智光秀役で出演されていて、演技をあまりにさらっと自然にこなされているので、なんて洗練された人なのかとびっくりしたことが記憶に残っている。そのときはどういうわけでああいう配役なのか理解できなかったのだが、そりゃいい役やる人だよとこの一年でよくわかった。

そして呂勢太夫さんが良かった。呂勢さんは2月の『冥途の飛脚』の淡路町の奥も盛り上がってすごく良くて印象に残っているけど、今回も良かった。荒削りな部分もあるだろうが(これで千穐楽まで持つの!?と思った)、今後どうなっていかれるのか、楽しみ。

そんないい話のあとで恐縮だが、求馬メンタルめちゃ強では。ひとんち上がっていきなりそこで離婚話始まったら、私ならストレスで卒倒すると思う。うしろのほうで静観してないでちょっとはフォローしたほうがよいのではと思ったが身分制度がある時代は違うのでしょうか。あと、庄屋さんは子どもの生首転がってるわ嫁さんは喉突いて自害してるわ旦那さんは死にかけてるわという状況で訪ねてきて、「コレ又助殿」と話しかけておきながらその様子に一切タッチすることなく報告だけして帰っていったが、家の中の様子を全然見てないということなのだろうか。という2点のみ、なんでそんなことなってるのと思わされた。

しかし又吉の首がいきなり目の前に飛んできたのには腰を抜かした。前触れなくいきなり子どもの首を撥ね飛ばすとはさすが文楽。子どもを見たら殺されると思えくらいの勢いがあった。 

脇役で印象に残ったのは廓の亭主。ステージが不幸の予感オーラで辛気臭い状態になっているところ、いい笑顔(もともとそういう顔)でトントントンと入ってくるので笑う。気前よく百両出してしまうし、なんかこの人良い人では状態だった。

 

 

ここからは有名な部分、草履打の段。局・岩藤(吉田玉男)と中老・尾上(吉田和生)が鶴岡八幡宮を参詣している。岩藤は尾上が町人の出であり、金があるというだけでもしものときのための武芸の嗜みがないと言って執拗に詰るが、尾上はそれに耐えるばかりだった。

紅白幕が落ちると桜満開の鶴岡八幡宮。尾上と岩藤が大勢の腰元たちとともに舞台に並んでいる。客席の視線一点集中、玉男さんの女形配役ははじめて見た。いや、映像ではデモンストレーション演技を見たことあるが、WEB動画だったんですけど、突然のことにあまりにびびりすぎて速攻ブラウザを閉じ、二度目に指の隙間から見るという奇行をかましてしまった記憶が。くねっとした動きがいつもと違って、しかし普通になじんでいるようにも思え(少なくとも人形のかしらとの取り合わせは)、不思議な感じだった。普段まっすぐ立っている方が首をかしげてくねっとしているとドキドキする。ここが大阪なら玉男様ガチ恋勢のおじいちゃんたち倒れちゃうって思った。10年前にも大阪で同じ配役があったようだが、おじいちゃんたち大丈夫だったのだろうか。草履打ちの場面では、岩藤は草履を地面に丁寧にスリスリしてから尾上をぶっており、その細やかさがちょっとかわいかった。だから草履の裏が茶色に塗ってあるんだね。ところで草履が人形の足よりデカく見えるのは気のせいでしょうか???

尾上、和生さんはいつもと変わらぬ気品ある立ち姿。人形の姿勢や衣装の整えが美しかった。人形を高く掲げているからか、いつもより一生懸命な様子でいらっしゃった。岩藤の嫌がらせにうつむいてじっと耐える姿は、人形に表情があるように思われるほどだった。

それはともかく、岩藤役の津駒太夫さんの陰湿ぶりがすごかった。しょっぱなからいきなりトップギアで岩藤が尾上にインネンつけてくるのだが、ものすごい陰湿ぶり。津駒さんは昨夏の伊勢音頭の万野の陰湿ぶりも大変よかったが、今回は身分の高い役ということもあって、気位が加算されより一層陰湿になっておられた。東映のヤクザ映画ならインネンつけられた時点で即座に刺されているほどのネチネチネチネチとした陰湿さだった。

ほかには咲寿太夫さんが大変頑張っておられた。3月地方公演、妹背山の「道行恋の苧環」の橘姫でご出演されていたときから明らかに向上されていた。3月のときは声が不安定で「がんばってね〜」としか言えなかったが、4月大阪菅原伝授の「喧嘩の段」ではそこから一歩進んで「がんばってるね!」という感じになり、今月お聴きして、声の安定感に驚いた。わずか2ヶ月程度でここまで向上するとは、やはりお若い方は日進月歩、責任ある一人での語りを任されると、素人客にもわかるレベルで成長するのだなと思った。

 

 

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廊下の段。屋敷の廊下は腰元たち(吉田玉勢、吉田玉誉)が噂話で盛り上がっている。そこに通りかかった尾上の新参の召使い・お初(桐竹勘十郎)は彼女らから鶴岡八幡宮での一件を聞かされるが、現れた岩藤に謗りの張本人と見咎められ打擲される。

噂をすれば影が差す、突然ぬーーーんと現れる岩藤に場内爆笑。そして、全身に毛がびっしり生えてそうな人形(伯父弾正=吉田玉輝)が出てきたので、「全身に毛がびっしり生えてそう」と思って気が気でなかった。生身の人間なら、全身すべての毛がつながってる部類の人だと思う。しかも仏壇の前においてある座布団みたいなすごい柄の着物を着ていたので、ますます気が気でなかった。妙に堂々と座っているのが悪そうでとてもよかった。

この段でお初が手首に結んでいるうぐいす色の包みは何なのだろう? 最後にはほどいていたが、何が入っていたのかは見えなかった。そして、玉勢さんの持っている腰元お仲の人形が2月東京『冥途の飛脚』に続き、やっぱり170cmくらいありそうなモデル風のスラっとした感じだった。

 

 

長局の段。尾上とお初は居室に帰るが、尾上の様子がおかしいのでお初は心配している。実家への急ぎの文使いを頼まれやむなく出かけるお初だったが、門を出たところで文の中身が遺書であることに気づき慌てて屋敷内へ戻るも、尾上はすでに自害した後だった。尾上の文箱の中には書き置きと件の草履、そして岩藤の陰謀の証拠となる密書が入っていた。

前半と後半で雰囲気がまったく変わる段。まめまめしく尾上の世話を焼くお初が普通の女の子風でかわいらしい。ちょっと子供っぽく、おきゃんな印象で、奉公にあがるようになったばかりという設定がうなずける。尾上のまわりを一生懸命付いて回り、打掛を畳んだり、煙草を用意したり、薬湯を煎じたりという子犬のようなせわしない所作がかわいかった。衣装も町娘風の黄色い着物でキュート。ここまでのお初は武家の生まれと言っても普通のやさしい女の子のようで、とてもこのあと刃傷沙汰をやらかすような強い意思を持っているようには見えない。段の最後で仇討ちを決意したお初が尾上の打掛を被り、人形とは思えないものすごい速さ(いままでに見た文楽人形の動きの中でも最速の部類)で上手へ走り去って行く姿がある意味恐ろしかった。勘十郎さんは本当にこういう異様に意志の強い思い込み暴走娘が似合うと思う。どんな役でもご自分に引き寄せている部分があるのかもしれない。ところでお初は最後に髪を下ろすのだが、ふりほどいた瞬間髪がまっすぐになり、くせがない状態だった。又助も竹槍で刺されたあとはツインテール(?)から髪をふりほどくが、それは少しくせがついた状態。お初はシャンプーのCMのようにするっとまっすぐにほどけていて、さらりと綺麗に髪が下りるよう、出演直前に結ってもらっているのかしらん。

お初が「歌舞伎より操り芝居の浄瑠璃が私は面白うござります」と言うところ、文楽で聴くと面白くて場内ウケていたのだが、歌舞伎でも同じことを言っているのだろうか。

 

 

奥庭の段。雨の降りしきる奥御殿の庭で、何かを埋めていた忍び当馬(桐竹紋吉)が岩藤に刺殺される。当馬が埋めていたのは若君暗殺計画の証拠となる品だった。お初は立ち去ろうとする岩藤に「主人の敵お家の仇」と斬りつける。

立ち回りがかなり激しくて驚き。文楽だと立ち回りに段階があって、舞踊風に様式美の場合と本気で当てる場合があると思うが、今回は本気当て。キャットファイト的なかわいらしいものではなく、わりとガンガンいっていた。勘十郎さん、玉男さん、大変息が合っていた。途中で岩藤は懐剣を打ち落とされて持っていた傘で戦うのだが、人形遣いと人形のあいだによくもまあそんなタイミングよく傘を差し込むな。あまりにタイミングよく傘を差し込むので、上演中は人形と人形が戦っているように見え、人形遣いが人形を遣っていることが気にならず華麗に思うのだけれど、あとあと冷静に考えると人間に当たる可能性があるので結構怖い。岩藤が開いた傘でお初の刀を受け止めるところも、人形のポーズ優先になるため人形遣いの顔の真横に懐剣がザクザク刺さるのをうまいことぎりぎりでよけて、綺麗に決めておられた。なるほど、玉男さんが岩藤に配役されていたのはこういうことなのね、と思わされた。

 

 

今回は前半も後半も見どころ、聴きどころが多くて大満足だった。

特に中堅出演者で固めた又助住家が印象に残った。歌舞伎だと将来が決まっているプリンスを幼い頃から見守るという楽しみがあると思うけど、基本未来が定まっていない文楽だと、自分なりに今後どうなっていくのか楽しみな人、応援したい人を見つけるという楽しみがあるのだなと思った。文楽業界にはいわゆる華麗なプリンス風の方はいないが(※個人の感想です)、みなさん個性をいかして男子校でスクスク育った野生感あって良い。すみれやバラや菜の花や菊やラフレシアが無作為にワサワサ咲いているお花畑のようだと思う。私はすみれやラフレシアに水をやりたい。