TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 杉本文楽『女殺油地獄』世田谷パブリックシアター

杉本文楽現代美術家杉本博司による演出で上演される単発公演。2011年に『曾根崎心中』が上演され、今回はその第二弾。

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会場となる世田谷パブリックシアターは小ぶりのホールで、舞台に対し客席が扇型に広がっている。客席に傾斜がついているので、国立劇場小劇場のように前の人の頭で舞台が見えないという悲しい現象は少ない。2階席、3階席もあるが、文楽で覗き込みになる席は厳しいので、1階席を取った。

私が行ったのは初日。客筋は本公演とは違いアート好きの人が多いのかなと思っていたが、文楽から流れているお客様が多そうだった。ただ、笑いのタイミングが速かったり、素浄瑠璃で寝ている人が少なかったりと(奇跡)、本公演とはリアクションが異なる部分もあったので、結構な文楽ファンの人が多かったのかも。若手会のような雰囲気だった。

 

 

 

本公演のように人形浄瑠璃で上演するのではなく、口上(人形のみ)、三味線曲、素浄瑠璃人形浄瑠璃の四部構成で上演。

口上の音声は杉本博司氏自身によるものだが、近松の魂がお盆に帰ってきて話しているというテイ。暗闇に浮かぶ文机に突っ伏した近松の人形に人魂(曾根崎心中の天神森でプワンプワンしてる緑色のと同じやつ)が宿ると人形が起き上がり、半円状に客席へ張り出している舞台へ歩み出て口上をはじめるという趣向。ころんと寝転がったり雑誌を取り出して投げ捨てたりと、ちょこまか動き回る人形の仕草が可愛らしい。色々な道具を突然空中から取り出すのがちょっと手品めいているのもキュート。近松役は玉佳さん、さすがのプリティさ。

 

 

 

三味線序曲は鶴澤清治によるオリジナル「地獄のテーマ」。タイトルが少々面白な気がしますがそこは置いておいて……、義太夫風の曲かと思いきやそうではなく、なんかクラシック音楽風の曲でびっくりした(音楽の語彙が皆無のため私には説明不可能)。へえ、清治さんてこういう趣味があったんだあ……と新発見。お囃子の音色を積極的に取り入れているのも本公演にはない技法。三味線もあれは太棹じゃないのかな。

この部分では暗い背景に三味線弾き三人の座る台だけがぽっかり浮かんでいて、その背後に立てらた松の描かれた大きな屏風は進藤尚郁による「松図屏風」というお品だとか。この屏風の趣向は雰囲気に合っていて良かった。

それはともかく清治さんがメガネをかけておられたのが萌えだった。

 

 

 

浄瑠璃は千歳さん&藤蔵さんで豊島屋の前。ここの曲も清治さんがオリジナルでつけているとのこと。浄瑠璃の詞章は近松原作に即しているそうだが、本公演で同演目を観たことがないので、現行曲とどこまで違うかは私にはわからなかった。

浄瑠璃をゆっくり聞けて良かったんだけど、千歳さんの声が枯れていたのが残念。台詞部分は良いのだが地合が聞き取りづらくて話に入れず。これで万全の体調でいらしたら最高の素浄瑠璃だったんだけど。本公演千穐楽直後だから仕方ないか。それを気遣ってか、藤蔵さんの唸り声が通常比30%程度だったのが面白かった。あと藤蔵さんもメガネだった。萌え。技芸員にメガネをかけさせる新趣向か、なら玉男様にもメガネをかけさせてくれ頼む博司と思って見ていたが、そうではないようだった。単に新曲なので譜面を見るためかけていたらしい。

しかし途中で千歳さんが潮を吹いたのにはびっくりした。突如暗闇に吹き上がる謎の飛沫!!! これもそういう演出なのかと思ったが、単に千歳さんが勝手にスプラッシュしているだけのようだった。本公演で床真下の席を取るときは気をつけようと思った。

そのスプラッシュがかかったであろう背後の屏風はこれは杉本博司氏の作品で「松林図屏風」。8本の松のモノクロ写真を屏風にしたもので、皇居なり新宿御苑なりといった場所で撮ったものか? 松以外に風景が一切写っていない、まるで絵のような構図だけど絵ではない、おもしろい作品だった。

 

 

豊島屋・奥は人形浄瑠璃で上演。黒の何もない舞台には上から「豊島屋」の臙脂色の巨大なのれんが吊り下げられ、舞台奥には黒光りする油桶(明治村から借りた本物だそう)が積み上げられている。義太夫は床を与兵衛/お吉でそれぞれ下手/上手に分けた、両床での掛け合いだった。与兵衛は呂勢さん&清治さん(&清馗さん)でお吉を靖さん&清志郎さん。これは太夫さんらのパフォーマンスが上々だったこともあり良かった。*1

ただ大変残念だったのは人形の演出。手摺なしで円形のステージの上そのままを地面として縦横無尽に人形が動き回るのだが……、頑張っておられた人形遣いさんには本当に申し訳ないが、何やってるのかよくわからん。油ですべっているとわかるのは三味線の音でのみ。殺人に至るまでの普通の演技はまあ良いのだが(お吉は隣のエロ奥さんぽくて良かった)、手摺がないせいか肝心のクライマックスの油で滑る演技に迫力がなく、ものすごくこじんまりして見える。ステージの真ん中でこちゃこちゃしているだけに見えて、普段人形しか見ていない私でさえ人形が目に入らないような見え方になってしまっていた。手摺がないぶん人形が地面すれすれでスライディングするような演技はできるのだが、効果的でない。 舞台下駄なしで上演しているので高さの差を出しにくいからか、人形の姿勢がわかりづらいのもあると思う。人形のアクションが主眼となる演目で手摺や舞台下駄をなくすなら、それに変わる迫力を出す演出か演技・配役がないと意味がないと思う。*2最後のつけたしも、殺人の場面がしっかりしてないと活きない。しかし、クライマックスがボケてしまったのには、与兵衛はどの時点からお吉を殺そうとしたのか(どこからが正気でないか)等の演技のメリハリの有無、人形の姿勢や動き、カラミは洗練されていたか等の要因もあると思う。どのみち、本公演であるような、人形の芝居を見る快感がなかったのは残念だった。

 

 

 

カーテンコールで技芸員さんたちが嬉しそうにしていたので、ファンとしては技芸員さんが良いならそれで良いんだけど、全体的に詰めが甘いな〜と思った。

浄瑠璃はまさに技芸員さん個人の芸そのものなので良くて当たり前の部分はあるのだが、素浄瑠璃と両床掛け合いのやりかたは良かったと思う。文楽を観たことがないお客様も多いだろうに、よく肝要のところを素浄瑠璃で出そうと思ったなと感じる(やろうとしても人形遣いの人数が足りないのは置いといて)。むかしは文楽でも全段人形をつけていたわけではなく、素浄瑠璃で上演する部分もあったそうなので、当時はこんな感じだったのかなと思った。

しかし人形浄瑠璃の部分に関してはどう見ても本公演のほうが洗練されている。これ、人形の見え方の検証したんでしょうか? 本公演の美術が幾ら粗末な書割だとて人形の芸がそれによって見劣りすることはないのに、同氏の美術作品に比べてなんでこんな詰めが甘いのか不思議。杉本博司、本当は文楽にそこまで興味ないんろうな〜。ことに人形の芸に興味がないんだろうな〜と思った。正直どこまで意義(芸への反映)があるのかわからない原文復刻をやっているのを見ると、浄瑠璃のほうが興味があるのかな。

古典をアレンジするなら、コンセプトに基づくアレンジの必然性と有効性がないと、単なる「やってみた」になると思う。美術に「本物」を使ったり、人形の移動方向を横のみならず縦横無尽に設定するという点では、それを先行して映画でやっている栗崎碧監督『曾根崎心中』はマジよくできている。特に冒頭の生玉社前、本当に生玉神社の前で撮っている時点でスパークしているんだけど、手摺を設置していないにも関わらず、カメラ位置や美術等で本物の地面の上を人形が動き回っているかのように見せていてほとんど怪奇映像状態。たとえば手法は違うにせよあれを肉眼で見られたら本当にすごいと思う。

また、直近の文楽現代美術家コラボで良かったのは、勘十郎さんの舘鼻則孝プロデュースでのカルティエ財団公演。これは美術のほか衣装等も専用オリジナルデザイン。これも横移動だけではない&手摺を使わない見せ方ながら、演目選定のよさもあって映像見る限り上手くいっている。ただ、この公演に関しては勘十郎さんが出ているからというのが一番大きいとは思う。勘十郎さんとか玉男さんはどんなひどい環境であってもキッチリやりきる人だというのは、私も自身の目で見て実感したので……。

↓下記からカルティエ財団公式動画が少し見られる

 

それと、はたして今、近松という題材が有効なのか? また、その中でも「不良少年の衝動殺人」は口上でわざわざ言うほどに今日的なテーマなのか? というのも疑問だった。個人的には近松の新アレンジってひと昔前のものという印象。それは私が古い日本映画が好きで、60〜70年代の近松ブームのころに作られた「新演出」の近松原作映画を観ているからだと思うが、って、ひと昔どころか50年前の話ですいませんねえ……。演目選定は杉本さんの普段の作風からしても近松作にこだわらず時代物のほうが合ってそうだと思うけど、「近松」のようなわかりやすいハクがないと集客が見込めない、資金調達がつかないと判断してるのかな。

 

 

 

と、色々言いたいことはあれど、気楽にお楽しみ会だと捉えるとおもしろい内容。玉佳さんの可愛い一人芝居が見られたり、清治さんの本公演では計り知れない個人のセンス=オリジナル曲が聞けたり、東京では滅多に聞けない千歳さんの素浄瑠璃が聞けたり、本公演ではつかないような大役の若手人形遣いの芝居が見られたり。これ自体は面白い。口上も人形浄瑠璃部分が成功していればやること自体は悪くないと思う。ただ、口上の内容がどこかで聞いたことがあるような、ひと昔のセンスなのは残念だった。“杉本文楽では、あえて、その<殺し>のくだりにこだわり、究極の「見取り狂言」をめざします”とか大上段なことさえ謳わなければよかったのに。その<殺し>のくだりが一番よくなかったもの。文楽見たことない人向けにはとっかかりやアンチョコのお試しとしてはいいかもしれないが、本公演ではいつも感じる人形の芸へのおどろきがなかった。

でも、清治さんがちゃんとこだわってやっておられたのはわかった。そこだけは本当正しくて、おそらく杉本氏ご自身以上に強い思い入れをお持ちだっただろうと想像する。

そんなこんなで「油まみれのもみ合いのシーンの滑りが足りない」などと邪悪なことを抜かしていたら、帰りに寄ったとんかつ屋の床で自分がおもいっきり滑ったのであった。

 

 

 

参考

杉本文楽については、2011年の『曾根崎心中』の上演に至る過程をドキュメンタリーとして撮影したものがDVD化されている。杉本博司氏を中心に準備過程を追ったもので、実際の上演での舞台映像はダイジェストのみ収録。私はある方のご好意で観ることができたのだが、もう本番の様子どうこうじゃなくて、まず出演者向け説明会の緊迫感というか技芸員さんたちの様子がすごいのと、稽古で何を言われてもまずはやってみてから順を追って説明する勘十郎さんが心底本当に立派だと思った。いやもちろん本番の様子も面白いのだが。まあワシは技芸員さんの味方なんで、いくらでも演出家の悪口言えますわいの。

 

 

  

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*1:私は下手側だったのですぐ前で語っている呂勢さんの声は聴きやすかったが、靖さんの声は会場構造によりどこかに反響しているのか、まっすぐ聞こえてこず、スピーカー音声のようにヘンな方向から聞こえたのがちょっと残念だった。

*2:また、照明がちょっと明るすぎだと感じた。手摺がなく床面が見えている状態でステージ自体が明るいと、床に油が流れてないのがバレるので、それをカバーするほどの演技がますます要求される。