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文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

映画の文楽4 内田吐夢監督『浪花の恋の物語』4:映画に語られる浄瑠璃

むちゃくちゃ長いこと放置していましたが、内田吐夢監督の映画『浪花の恋の物語』についての記事の続きです。

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┃ はじめに

−−あまりに久しぶりすぎるため、簡単に記事の趣旨を書いておこうと思います。−−

『浪花の恋の物語』(1959/東映)は、人形浄瑠璃『冥途の飛脚』および歌舞伎『恋飛脚大和往来』を原作にした映画だ。基本的な進行は『冥途の飛脚』を土台としており、そこに『恋飛脚大和往来』のキャラクターが追加されている。
視点は事件を傍観する近松門左衛門に置かれていて、「ある飛脚屋の養子が女郎と恋仲になり、当時大罪であった封印切りに至るまで」を近松がなぜ劇化したかを描くというメタ視点の構成になっている。

この映画に対する批判としてよく言われるのが、クライマックスシーンの“時代考証の誤り”だ。片岡千恵蔵演じる近松は、忠兵衛と梅川が起こした一連の事件を見守り、人形浄瑠璃として舞台化する。その舞台シーンは本物の文楽出演者を起用し、文楽の舞台そのものとして映像表現がされているのだが、それが『傾城恋飛脚』の「新口村の段」なのだ。

『傾城恋飛脚』「新口村の段」は、近松門左衛門より後世に書かれた、菅専助らによる改作である。つまり、別人による別の作品である。本作では、本来の近松原作とは異なる内容を近松が書いた、という設定になっているのだ。

内田吐夢は『暴れん坊街道』(1957/原作:恋女房染分手綱)、『妖刀物語 花の吉原百人斬り』(1960/原作:籠釣瓶花街酔醒)、『恋や恋なすな恋』(1962 /原作:蘆屋道満大内鑑)など、古典芸能原作の映画で知られる名匠である。

そんなプロフェッショナルが、なぜこんな展開を採用したのか?

本稿は、その謎について自分なりの考察を示したいと考え、書き始めた。

 

 

┃1. 『浪花の恋の物語』を観る手がかり これまでのまとめ

 

  1. 原作は、人形浄瑠璃『冥途の飛脚』、歌舞伎『恋飛脚大和往来』。クライマックスで上演される人形浄瑠璃は、『傾城恋飛脚』である。
  2. これらの3作品は、作者・内容・初演年代が異なっている。「大坂の飛脚屋の若い男が大罪である封印切り(公儀の金に手をつける)をおかす」という大筋は共通しているが、周辺設定や展開などがそれぞれで異なっている。後世に書かれた『恋飛脚大和往来』『傾城恋飛脚』は、大衆的、通俗的な内容である。
  3. 特に、本作では、菅専助作であるはずの『傾城恋飛脚』を、近松門左衛門が書いたという展開にしている

     

  4. 人形浄瑠璃『冥途の飛脚』、歌舞伎『恋飛脚大和往来』、人形浄瑠璃『傾城恋飛脚』の3作品は、「梅忠もの」と呼ばれるジャンルを形成する作品群の代表格である。
  5. 人形浄瑠璃『冥途の飛脚』と『傾城恋飛脚』は、別作品でありながら、かつてはツギハギされて一本にまとめられ、『冥途の飛脚』という題名で上演されていた。
  6. ただし、『冥途の飛脚』と『傾城恋飛脚』では、人物設定類が異なっており、1本にまとめると話の筋が通らなくなる
  7. 本作では、かつての上演状況同様、その筋の通らない『冥途の飛脚』と『傾城恋飛脚』の連結を行なっている


  8. 『浪花の恋の物語』クライマックスの人形浄瑠璃『傾城恋飛脚』では、文楽や歌舞伎の現行演出と異なり、忠兵衛の父・孫右衛門が忠兵衛と再会する際、目隠しを外さない。孫右衛門が忠兵衛と顔を合わさないのは、近松原作の『冥途の飛脚』と同じである。

 

TIPS.4 原作となった古典演目の作者・初演・概要まとめ

  • 人形浄瑠璃『冥途の飛脚』
    近松門左衛門 作
    正徳1年[1711] 大坂 竹本座 初演

    忠兵衛は愚かさゆえに自滅する。八右衛門は遊び友達であり、正義漢とも悪漢とも定まらない行動をする。
    新口村へ行っても、忠兵衛は父孫右衛門に面会を拒否され、顔を合わせることなく捕縛される。


  • 歌舞伎『恋飛脚大和往来』
    並木正三 作(※その後増補あり)
    現行上演の内容で最古の台本は 寛政8年[1796]1月 大坂 角の芝居
    ただし原型の初演は 宝暦7[1757]7月 大坂 大松座

    忠兵衛は八右衛門に陥れられた被害者。八右衛門は悪人である。
    新口村で忠兵衛は父孫右衛門と再会する。
    ※現行上演での演出は場合による


  • 人形浄瑠璃『傾城恋飛脚』(『けいせい恋飛脚』)
    菅専助 作
    安永2[1773]12月 大坂 豊竹此吉座 初演

    忠兵衛は八右衛門に陥れられた被害者。八右衛門は悪人である。
    新口村で忠兵衛は父孫右衛門と再会する。

 


┃ 2. 内田吐夢の古典意識

『浪花の恋の物語』は、なぜ、近松門左衛門が『冥途の飛脚』の結末として『傾城恋飛脚』「新口村の段」を書いた、というストーリーになっているのか、製作者サイドの考えが語られた機会はないのだろうか?
公開当時の映画誌や監督・内田吐夢、脚本家・成沢昌茂に関する雑誌・書籍等をできる限り確認したが、製作者サイドから、本作がこのような構成を取っている理由について明確に語られているものを見つけることはできなかった。

ただ一つ、監督の内田吐夢は、古典の映画化に志を持っていたことを示す発言を残してる。『蘆屋道満大内鑑』を原作とした映画『恋や恋なすな恋』発表当時のインタビューで、彼は以下のように語っている。

(映画という新しいメディアで古典芸能モチーフを扱うことについて)積極的な意味では、日本の民族的な古典を映画という新しい形でとらえ直すという作業でもある。いつたい、古典として今日までつたわつているものは、民間の演劇なら演劇というものが、その時代その時代のひとびとにうけ入れられるように、つねにつくり直されてきたものではないだろうか。むろん、その場合には、古典の真の内容は正しく保存され発展させてきたわけだ。私は、こういう風に日本の古典を伝承する仕事が映画でできればさいわいだと思う。

−同居する二つの映画魂、『映画芸術』1962年3月号/編集プロダクション映芸、傍線は引用者による

ここからは、内田吐夢の「古典は時代に合わせて作り直され、変化し、伝承されてきた。それを映画というメディアで行いたい」という意思を汲み取ることができる。

私は、本作が『冥途の飛脚』の結末に『傾城恋飛脚』を置き、それを近松門左衛門が書いたとする“事実誤認”の構成になっているのは意図的なことであり、それ自体が本作の目的–内田吐夢の考える古典継承の姿–を示していると考えている。

『浪花の恋の物語』は、人々に広く知られ、また同時に忘れられつつある古典演劇を、映画という新たなフィールドで再創造した作品だ。
古典演劇はすばらしい。でも、それそのままでは、現代の観客には伝わらなくなってきた。
そのために、古典がつくられた時代と、現代で捉え方や感覚が変わってしまった部分を再解釈し、古典を現代に定着させる試みだったのではないだろうか。
その手法として、近松門左衛門という「伝説上の人物」を狂言回しに置いた上で、新たな「古典」を創出する––現代における『冥途の飛脚』の「改作」を目指したのではないか……そう考えている。

いわば、本作は、『冥途の飛脚』の映画化ではない。
『冥途の飛脚』から改作『恋飛脚大和往来』が生まれ、そこからさらに改作『傾城恋飛脚』が書かれた。『傾城恋飛脚』は『恋飛脚大和往来』に影響を与え、『恋飛脚大和往来』は『傾城恋飛脚』の内容を取り込んで改作され、さらに成長した。その先に、これらの作品群を改作した『浪花の恋の物語』が作られたのだ。

なぜそう考えられるのか。本作は、現代のエンタメ作品制作とは異なる、古典演劇がリアルタイムに演じられていた当時の作品制作のセオリーの王道に則った手法となっているからだ。

 


┃ 3.  古典のスタイルを踏襲する

本作の構造を理解する上で重要なのが、古典演劇の「伝説の影に隠された真実を語る」というスタイルと、「改作」という概念の理解である。


浄瑠璃−伝説の「隠された真実を語る」

本作を理解する上では、浄瑠璃という演劇/文芸ジャンル自体が持つ、物語の形式を認識しておく必要がある。

浄瑠璃の物語形式の王道パターンとして、「あの有名な伝説の影には、実はこういう真実があった」という展開がある。一般に知られている有名な話は歴史の「表面」であって、その影で涙したり、苦心した人がいたのだという、歴史の「裏面」を語る手法である。

そして、重要なのは、その「隠された真実」は史実に即している必要はないということだ。むしろ、驚くような「嘘」のほうがおもしろい。その「嘘」が鮮やかで美しくあればこそ、物語は面白くなる。この手法は、「伝説の再創造」とでも言えようか。

このスタイルをとるもので有名な作品は、『義経千本桜』だろう。
義経千本桜』は、物語そのものが「討死したと思われていた平家の武将たちはじつは生きていた」という「隠された真実」語りのスタイルを取っている。『義経千本桜』という題名を持ち、義経の逃避行が物語の縦糸にはなっているものの、彼はほとんど傍観者であり、彼の行く先々で源平合戦の華やかな歴史に隠された「真実」が描かれていく。
二段目では、壇ノ浦から逃れた安徳天皇を守護し、尼崎の船宿の主人に身をやつして平家復興の機会を伺う武将・平知盛が登場する。知盛は偶然船宿にやってきた義経と出会い、彼を倒して平家一門の復讐を果たそうとする。が、義経安徳天皇を守る意思を知り、安徳天皇からも時代の移り変わりを指摘される。知盛は自分がこのまま生きていても安徳天皇の為にならないと悟り、自身はやはり源平合戦の最中に死んでいたことにするとして、幽霊の装束で海に身を投げる。
このような知盛の思いを知らない市井の人々には、彼の望み通り「大物浦に知盛の幽霊が出た」ということだけが伝わり、現在ではそれが謡曲船弁慶』の物語として伝説になっている……と、現実に伝わっている「伝説」の秘密が明かされるという構造だ。

このように浄瑠璃に描かれる「隠された真実」の特徴は、2つある。1つ目は、要素の齟齬。どこかで聞いたことがある周知の要素が、その「真実」の裏付けとして、パズルのようにうまくパチッとはまり、「そうだったのかぁ」と思える快感がある。2つ目は、ドラマ性。隠された真実であることに値する、史実とは違うからこその強靭な物語が描かれている。

本作は、あけすけに言えば、近松の有名作品『冥途の飛脚』が書かれたウラ話である。美しい芝居世界として受容されている「梅忠もの」の真実を語り、また、神様と崇められた近松創作の真実を語るという体裁をとっている。非常に浄瑠璃芝居らしいスタイルであると思う。

 


改作で生き続ける物語–『心中天網島

歌舞伎・人形浄瑠璃の物語には、ある世界観やキャラクターが定番化し、同じ道具立てで違う物語が変奏されていく「改作」という独特の手法がある。

それって、リメイク? と思われるかもしれないが、一般的には、別の作者が二次創作的に行う。また、リメイクやアレンジどころか、一部をまるっと流用して、要素を継ぎ足し、新しい作品としている場合もある。内容の引き写し、文章の大幅流用は、現代の感覚ではギョッとするような「剽窃」「盗作」行為だが、当時は当たり前に行われていた。こうした改作が多数生み出されると、その物語はもはや単独で存在するのではなく、たくさんの異伝やアナザーストーリーを擁する「ジャンル」、すなわち「世界」へと成長してゆく。

改作って、じゃあ、具体的にはどういうものがあるの? どういうふうにアレンジされているの? という疑問を持つ方も多いだろう。実は近松門左衛門作品こそが、改作が大量に存在する超一大ジャンルである。
近松作品は、現代の古典芸能の舞台にまで原型そのままの状態で引き継がれてきている作品は少ない。現代どころか、江戸時代の時点でも原作は引き継がれていなかった。しかし巷間では知られていた。どういうことか。改作が作られ、広まっていたのである。原作は断絶しても、改作が伝承されることによって、長く上演され、人々に親しみ続けられてきたのだ。

心中天網島』という近松門左衛門作品をご存じだろうか。
かなり有名な作品なので、古典演劇を一切ご覧にならない方でも名前だけはご存知のことも多いだろう。ここまで有名だと、さぞや近松当時から脈々と丁寧に受け継がれてきた演目だろうと思われるだろうが、実はそうではない。
心中天網島』は、大きく分けて「河庄」「紙屋」「大和屋」「道行」の4場面で構成されている。
このうち、ストーリー上重要で面白いのは「河庄」「紙屋」なのだが、実はこの2場面こそが改作で普及している。原作通りの上演は早々に断絶しており、歴史的には、改作『心中紙屋治兵衛』『天網島時雨炬燵』で上演されていた期間のほうがはるかに長く、また、改作の内容のほうが広く知られている。

┃ 参考 『心中天網島』系列作について

いずれの改作も、『心中天網島』の世界観やキャラクター・文章を大幅に流用しつつ、味付けを濃くして娯楽性がかなり高められている。江戸時代から明治時代においては特にこの『心中紙屋治兵衛』と『天網島時雨炬燵』をつなげたものを『心中天網島』と銘打って上演しており、観客はそれを楽しんでいた。いわば、『心中天網島』は、改作でこそ人に知られ、残ってきた作品だ。

近松門左衛門は近世演劇のうちかなり初期の作者。江戸時代のうちでも前の方。江戸時代は300年あるので、「江戸時代って面白い!」というときにイメージするような時期(幕末に近い文化・化政期)になるまで、相当かかる。演劇関係にしても、一般に「古典演劇はいま見てもおもしろい!」というときにイメージされるような鶴屋南北(歌舞伎作者)よりも、相当前。近松時代は演劇がまだ素朴だったためか、劇としての手法はかなり素直だ。はっきり言って素朴すぎる。

それは江戸時代の人々も同じだったのだろう。近松自身は浄瑠璃作者として当時でも評価されていたが、原作そのままの再演は少なく、時代がくだるうちに、改作という形で一般に享受されていった。なぜ原作が伝わらず改作が普及したかには色々議論もあるが、時代の流れにつれて観客の嗜好や演劇の技術が変化・発展してゆき、改作で盛ったエンタメ性が圧倒的好評を博して再演され続けたというのが大きいだろう。『傾城恋飛脚』や『心中紙屋治兵衛』、『天網島時雨炬燵』のほうが、たとえ通俗的と言われる内容であろうが、舞台映えや娯楽としては圧倒的に強くなっていった。古典作品だからといって、初演当時、あるいは江戸時代から、強固に固定されたものがなにひとつ変わらず継承され続けたわけではない。そのときどきの大衆に望まれる形に変化しながら、継承されて続けているのだ。このように長い時間を経て改作が作られ、変化や混交が起こっていること自体が、古典演劇の特徴なのだ。

「改作」というだけで頭から粗悪品扱いする方もあるが、そうではないと思う。古い作品が改作として生き残り、伝承され、人々に鑑賞され続けたということ自体に意味がある。原作がほんまもんのカスなら改作されないし、改作がカスなら伝承もされず、存在を忘れられる。その残ったものが「大衆に望まれた物語」なのだ。

「大衆に望まれた物語」とは何なのか?
それは何重もの意味で、本作にも関わるテーマだと思う。

 

 

┃ 4. 近松伝説の利用

本作において、「近松門左衛門」をどう捉えるかは重要だ。
彼は、本物の「近松門左衛門」ではない。
この点、『浪花の恋の物語』は、現代の「いかに史実(っぽい)か」を重視した“時代劇”とはまったく違う考え方で作られている。ここにも、本作の「伝説の再創造」の手腕が発揮されている。

 

伝説中の人物・近松門左衛門

本作は、近松を史実に基づいた伝記的人物像にする気ははじめからなく、ネームバリューありき、近松門左衛門を日本文学史に燦然と輝く「浄瑠璃作者」の象徴として使っているのだと思う。

古典演劇の世界で「源義経」が史実に即したキャラクターである必要がないのと同じ意味で、彼はあくまで「近松門左衛門」という“伝説”上の存在。虚構のキャラクターであって、事実に即している必要はないのだ。

まずもって、現代において、近松について具体的な事項を理解している人は非常に少ないと思う。名前が知られているだけで、近松作品を読んだことがあるとか、どういう作品を書いたとか、そういった事実に即した具体的なことはほとんどの人は知らないだろう。昭和30年代には近松原作の映画が多数作られたが、映画雑誌の映画評やら監督インタビューを読むと、それがとてもよくわかる。制作当事者でも、実はよくわからずやってるんだなというケースが多いのだ。
それゆえ逆に、「よくわからないけど、なんだか高尚らしきもの(伝説の存在)」としてのニーズがあったんだろうなと感じる。

本作は、そういった近松の「名前の一人歩き」「名前だけが伝説化」「高尚・伝説ニーズ」を利用し、みながボンヤリと思っている近松門左衛門像を、「“大スター” 片岡千恵蔵」というレンズを通して、実はこんな人だった、と結像させている。
こうして、先述した「伝説の隠された真実を語る」という古典演劇のもつ王道スタイルを、浄瑠璃(古典演劇)の神様である近松門左衛門にすら適用して、新たな近松伝説を作り出しているのだ。

本作の近松門左衛門が、梅川の生のつぶやきを聞いて書いた「名文句」かのように使われている「金が仇(かたき)の世の中」という言葉。実はこれ、原作の『冥途の飛脚』には出てこない文章である。「金が仇の世の中」は、近松ではなくて、井原西鶴作品で有名な言葉だと思うのだが……。これも、一般には近松西鶴がどう違うかなんて別に誰も意識してないことを利用した巧妙な「伝説の創造」なのだろうか?


近松作品のイメージ利用

本作で面白いのが、「現実に起こった出来事」にあたる内容が、史実(実際の事件の記録)をもとにはされていないという点。『冥途の飛脚』(『恋飛脚大和往来』)の内容自体が事実であるとする、メタ的な構造をとっている点だ。『冥途の飛脚』に描かれる内容は、この物語の中では、近松の見た「事実」なのだ。

これは、近松は現実に起こった事件を劇化した世話物の作者として有名であるという点と、作風が“リアル”であるという、一般にも知られた言説を利用していると思う。

 

近松は「事実」である 現実に取材した世話物

近松の世話物は現実に起こった事件をもとにしているという点。『曾根崎心中』が実際に起こった心中事件をもとにして書かれているという逸話は、多くの人が耳にしたことがあるだろう。本作では、「実際の事件を劇化したことで世話物ジャンルを確立した劇作者である」という世間に流布したイメージを逆転させ、近松が書いた物語はすべて事実に即しているという思い込みを利用している。

しかし、本作の近松は、忠兵衛と梅川の行く末を「現実通り」に描いたのではなく、悲惨な彼らの末路を変え、芝居の上で救済した。近松の物語に描かれたことは事実ではなく、彼の心情が反映されたものであるという「芝居の内容はすべてが事実なのではなく、慈悲ある創作者だった」という驚きを描いているといえるだろう。

 

近松は「リアル」である 八右衛門の造形

近松は「物語が“リアル”である」という言説。一般的に、近松作品は「リアル」だと言われている。これは、ストーリーが事実に即しているという評価ではなく、後世の作品とはエンタメの志向が異なるという意味。簡単にいうと、近松の世話物は「後世の演劇に比べ、話をわかりやすくするような類型的な悪役などの人物造形、テンプレ演出をあまり持ち込んでいない」ということ。まあ本当は、そういう類型的な役も普通に近松作品に出てくるんですけど……。

本作のうち、その特性を引き継ぎ、『冥途の飛脚』における近松らしさ、リアルさをもっとも象徴しているのが、忠兵衛の友人・八右衛門のキャラクターだ。
本作の八右衛門は、底意の不明瞭さ、掴めなさを持っている。

本作のクレジットでは、原作を歌舞伎『恋飛脚大和往来』と表記しており、多くの登場人物の造形を歌舞伎のそれに依っているが、物語の質感は通俗アレンジを施された改作『恋飛脚大和往来』ではなく、原作の『冥途の飛脚』自体にかなり寄った内容という印象を受ける。
なぜ本作が『冥途の飛脚』の質感をもっているかというと、八右衛門の人物造形が『恋飛脚大和往来』ではなく、『冥途の飛脚』に準拠しているという点が大きい。

忠兵衛の友人、八右衛門は、歌舞伎『恋飛脚大和往来』では、忠兵衛を陥れる典型的な悪役として描かれている。浄瑠璃『傾城恋飛脚』でも同じである。八右衛門は忠兵衛を利用対象としか思っていない。これをそのまま踏襲すれば、本作での八右衛門像も、娯楽時代劇の「待ってましたぁーーーー!」的テンプレ悪役の言動になるはずである。

しかし、本作の八右衛門は『冥途の飛脚』原作に準拠している。“悪友”ではあるが、遊び友達として忠兵衛への友情を持っていて、ヘタレな忠兵衛を良くも悪くも引っ張っていく人物として描かれている。しかし、とっても友達思いで最後まで忠兵衛をなんとかしてくれようとするイイ奴かというとそうではなく、最後はアッサリと彼を見切ってしまう冷淡さも持ち合わせている。善悪がはっきりつかない、原作準拠の“リアル”な造形だ。また、配役としても、典型的悪役俳優ではない千秋実が演じている。
この八右衛門の造形は、本作を単なる「スター俳優の演じる美男美女の悲恋物語」としない、奥行きのひとつとなっている。

 

 


┃ 5. 「原作」をいかす部分

なぜ八右衛門を通俗的悪役にしなかったのか

娯楽映画としては、八右衛門を『恋飛脚大和往来』のような典型的悪役キャラにしたほうが話がわかりやすい。また、本作の構成そのものからすると、正直なところ、八右衛門が典型的悪役でも差し支えはない展開ではある。なんといっても、主人公・忠兵衛の造形や廓の衆の造形は『恋飛脚大和往来』に寄せた類型キャラなのだから。*1

八右衛門を『冥途の飛脚』に寄せているのは、近松へのリスペクトだと思う。加飾されきった古典改作をそのまま映画に写し取るのではなく、現在の鑑賞に耐える新たな改作として創造するにあたり、悪人としての八右衛門のベタさを取り除いたのではないだろうか? 『冥途の飛脚』『恋飛脚大和往来』『傾城恋飛脚』と並べた上で、八右衛門の造形がもっとも優れているのは『冥途の飛脚』であるという判断があった。また、八右衛門の人物造形こそが『冥途の飛脚』の素晴らしさであり、『恋飛脚大和往来』『傾城恋飛脚』には継承されなかったそれを、現代において継承しようという意思があったのではないか。これはすばらしい判断だと思う。

 

「新口村」に原作を残す

私は、前回取り上げた「めんない千鳥」で目隠しを外さないこともまた、近松と古典へのリスペクトなのではないかと思っている。

正直言って、目隠しを外すか外さないかは、映画だけ見る人にとってはたいした違いはない。私も『浪花の恋の物語』を初めて観たときには『傾城恋飛脚』の「新口村の段」を観たことがなかったので、なんの違和感もなかった。

古典演劇の「新口村」で目隠しを外す理由は、忠兵衛の父・孫右衛門の煩悶とその昇華を描くためである。「新口村の段」の主人公は、忠兵衛や梅川ではなく、孫右衛門だ。孫右衛門は実の息子である忠兵衛が可愛くて仕方なく、大罪を犯そうが構わず守って逃してやりたい。しかし忠兵衛はとっくの昔に養子にやっていて、すでに「息子」ではないので、義母が入牢させれている状況の養子先への義理を考えたら、むしろ代官所へ罪人を見つけたと訴え出なければならない。忠兵衛と顔を合わせることは人道にもとる行為であるが、しかし、もう一度会いたい……。その苦しみを描いた段なのだが、前回述べた通り、「大衆の願望」が演劇演出に反映され、苦しむ孫右衛門を救済するために、目隠しを外すようになった。

しかし、本作『浪花の恋の物語』には孫右衛門は登場しないため、彼の心情描写を考慮する必要はない。そのため、いまいちど、本来は顔を合わさない近松原作『冥途の飛脚』原型に立ち返り、演出としては「めんない千鳥」で目隠しを外さないことを選択したのではないかと思う。歴史的には改作に圧倒され、継承されることのなかった『冥途の飛脚』「新口村の段」への敬意、そして、観客にわからない部分での小さなこだわりだったのかもしれない。

でもこの場面、なぜ目隠しを外さないのか、文楽ファンとしては本当のところを知りたいものだ。当時の文楽では、外す・外さないの過渡期であったと思われる。文楽よりも歌舞伎に馴染んでいる内田吐夢らにとっても、そうであったと考えられる。ただ、「外す」に傾いてきた時期であったであろうことは想像される。
なので、この映画を撮る際も、外すのか外さないのかは、判断があったことなのではないかと思っている。外す外さないは誰が決めたのか? そこにあった意思は何だったのか? 非常に気になるところではある。文楽の演者は歌舞伎役者とは異なり、合理的説明があり、本人が納得すれば、他者の意見を取り入れる。本作で梅川を演じているのは桐竹紋十郎(文楽業界の超有名人、トップスターです)で、おそらく紋十郎が本作の出演の責任者だが、彼はこの演出をどう思っていたのだろう。

 

TIPS. 5 「新口村」は歌舞伎か人形浄瑠璃

本作の脚本(脚本=成沢昌茂)を読むと、出来上がった映画では人形浄瑠璃として表現されている「近松の描いた虚構の世界」部分は、人間の芝居、歌舞伎でやろうとしていたと取れる書き方になっている。

梅川「御尤もではございますが、お顔を一目なりとも……勿体ないことながら、あなたのお目をこうさへすればこれで構いはござんすまいがな」
と梅川手拭にて孫右衛門の目隠しをして
孫右衛門「オゝ忝い忝い。物云わずと顔見ずと、手先きへなと触ったらそれが本望、逢うた心、親子一世の暇乞い、必ずこなたの連合いに、物云わして下さるな」
梅川「アイアイ」
とこの時忠兵衛藁家より出で、
〽親子手に手を取り交わせど、互いに親とも我が子とも、云わず云われぬ世の義理は、涙わき来る水上と、身を浮くばかり泣き沈む。
とこの内忠兵衛孫右衛門手を取り交わし、三人よろしくあって、(後略)
 
引用元:シナリオ作家協会・編『年間代表シナリオ集 ‘59』ダヴィッド社/1960

なぜ歌舞伎でやろうとしていたと類推できたかというと、まったく同じ文章が、戸板康二=編/山本二郎・郡司正勝=校訂『歌舞伎名作選 第三巻』(創元社/1957)に歌舞伎台本として掲載されているのを確認できたからだ。

このシーンの場割りの指示は「145 舞台(幻想)」とだけ書かれており、このシーンを人形浄瑠璃にするとは書かれていない。脚本家としては、当初は歌舞伎をコピーする想定で、中村錦之助有馬稲子にそのまま「新口村」をやらせようとしていたのかもしれない。

しかし、最終的には人形浄瑠璃にしたという内田吐夢の判断は、何重もの意味で、賢明だったと思う。この物語は、「新口村」が人形浄瑠璃だったからこそ、美しい悲劇として結実していると思う。

 


┃6. 「改作」によって『冥途の飛脚』と『傾城恋飛脚』を接続する

現実の世界(近松原作の世界)と虚構の世界(改作の世界)

以前解説したように、本作の構成は、本来違うものであるはずの原作『冥途の飛脚』と改作『傾城恋飛脚』をリニアに置くという、『冥途の飛脚』のかつての上演形態そのものである。なんかちょっと設定ズレてる気がするけど、話はなんとなく繋がっている……。そのモヤモヤした形態を、そのまま表現している状態になっている。

しかし、原作『冥途の飛脚』と改作『傾城恋飛脚』は、演出として明確に区分され、現実の世界と虚構の世界として、切り分けがされている。

近松が取材した現実の世界<現実空間>
近松原作である『冥途の飛脚』「淡路町の段」〜「封印切の段」〜「道行相合籠」の内容になっている。俳優のリアリスティックな芝居で描かれる。

近松が描いた虚構の世界<劇中劇>
改作である『傾城恋飛脚』「新口村の段」の内容になっている。義太夫演奏と文楽人形が作り出す世界、人形浄瑠璃「新口村」が、劇中劇として上演される。

 

クライマックスの人形浄瑠璃部分は、これでもかと虚構性を強調してくる。義太夫による演奏、人形の演技によって、現実性は完全に失われる。

本作では、この劇中劇シーンの虚構性をより一層高めるため、特異な演出が施されている。
一般的に、映画へ劇中劇を盛り込む場合、カメラアングルは、観客に観劇を擬似体験してもらえるよう、舞台中継的な見せ方が中心になる。たとえば、内田吐夢自身の監督作『恋や恋なすな恋』(東映/1962)で「葛の葉子別れの段」のくだりを描くシーン、伊藤大輔監督『弁天小僧』(大映/1958)で「浜松屋見世先の場」を想像の上で語るシーン、大曾根辰保監督『大忠臣蔵』(松竹/1957)で「祇園一力茶屋の場」のくだりを描くシーンなどは、まさに舞台中継のように扱われ、古典演劇を取り込んだ映画演出の一種のお約束として定着している。

しかし本作は、舞台中継を行わない。むしろ逆。舞台奥から客席側に向かっての「通常の観劇とは真逆」のカメラアングルが設定される*2。また、人形浄瑠璃では本来「見えない」ことになっている、人形にまとわりつく黒衣の人形遣いの姿がはっきりと捉えられている。さらには、出語り床で物語を語り、楽器を演奏する太夫・三味線の姿まで見える。そして、人形たちの背後には、無数の観客たちの顔が映るのだ。
あくまでこれは芝居の中の絵空事、という露骨な演出。しかし同時に、人々は人形たちを真剣に見守っていることがわかる。客席の一番後ろでは、作者である近松もまた、真剣なとも、厳しいともつかない表情で、舞台上の人形たちを見つめている。

このような演出上の世界の切り分けによって、『冥途の飛脚』と『傾城恋飛脚』の違いは明確に区分され、それぞれがあのような話になっている理由、両者で話のトーンが異なっている理由が映画的に説明される。混同しているのではなく、むしろ、別モノだと扱っているのだ。ここで、設定が「ズレている」こと自体に、脚本上の意味が生まれる。
この手法こそ、「伝説の隠された真実を語る」浄瑠璃のセオリーを映画でそのまま再現していると言える。そして、この2つの演目をブリッジする存在として、近松門左衛門を置いているのだ。それが「嘘」であることに、むしろ、古典演劇らしさがあるのではないだろうか。*3

 

本作は、この演出を通して、本来なら長い時間と世代交代を経て、大衆の望むかたちへと変貌・成長していく「古典演劇の生成の過程」を、古典演劇の伝説的存在である近松の創作活動に仮託し、象徴的に描いているのではないかと思う。

そして、映画公開当時、なんだかすごいらしいけど、どうすごいかホントはみんなよくわかっていなかった「近松門左衛門」という偉大なる劇作家が、「イメージ通り」の偉大な劇作家として描かれている。近松ってなんだかすごそうだし、難しくて堅苦しい感じがするけど、実は人情味溢れる人だったのではないか……、そのような大衆の願望を叶え、形にしたのが、この作品ではないだろうか。その意味で、『冥途の飛脚』の結末として『傾城恋飛脚』が据えられているのは、必然であった。

ここに描かれた「物語」が、観客だけが知る「隠された真実」であるのもまた、古典演劇のセオリーに即している。むしろ、「史実」ではないからこその面白さだと思う。

 

 


┃7.  映画としての古典の創造

60〜70年代前後の映画業界では、古典の映画化ブームがあったようだ。本作もそのひとつだと思う。しかし、その際、古典を「そのまま」映画化し、表面上の「現代アレンジ」をほどこした映画たちとはまた異なったコンセプトで制作されていると思う。

『浪花の恋の物語』は、古典演劇を映画という新メディアに進化させて作られた、映画としての古典である。古典作品に対し「史実」を無視したアレンジを行なったのは、無知による“事実誤認”ではなく、古典演劇に対する極めて高いリテラシーと、普通にはできない既成概念の破壊をなし得たからこそできたと思う。古典演劇の本質をわかっていたからこそできる、野心に溢れた作品だ。公開当時失われつつあった「人々が馴染んできた古典の世界」を、再度、「人々」に訴えかけるために描かれた世界なのだと思う。

冒頭に引いた内田吐夢の言葉を再度引用する。

いつたい、古典として今日までつたわつているものは、民間の演劇なら演劇というものが、その時代その時代のひとびとにうけ入れられるように、つねにつくり直されてきたものではないだろうか。むろん、その場合には、古典の真の内容は正しく保存され発展させてきたわけだ。私は、こういう風に日本の古典を伝承する仕事が映画でできればさいわいだと思う。

『浪花の恋の物語』は、まさにこの偉業をなしとげた、正しく保存され、発展させた映画作品だと思う。

この映画が『冥途の飛脚』をより現代化している点は、梅川の末路だと思う。
梅川の末路は、『冥途の飛脚』にも、『恋飛脚大和往来』にも、『傾城恋飛脚』にも描かれていない。本作オリジナルものである。
本作では、実説つまり「史実(と思われる事件記録)」通り、梅川は悲惨な女郎屋へふたたび連れ戻された設定にされている。

彼女は芝居の「新口村」のように恋人とともにその親に会うことは叶わず、また、美しく心中することもできず、病的かつ薄汚い姿で、茶屋の井戸へ身を投げようとして止められる。処刑される忠兵衛を追って死ぬことすら許されない。この点は、映画でよく見られるような華麗な遊郭物や、遊女の悲劇を描くとはいってもあくまで美女がしがない身の上を悲しむ姿を描写する作品とは異なる。まじで悲惨。有馬稲子もよくやったなというほど不気味で怖いシーンになっている。女郎屋自体の生々しさ、醜さ描写にも力が入っているのは、内田吐夢らしさ、彼の目指した古典の映画化の実直な表現と言えよう。

 

『浪花の恋の物語』封切りの1959年から60年以上の時を経た今、当時ですら失われつつあった「人々が馴染んできた古典の世界」は、いまや全く失われている。「梅忠もの」も、まじでまったく「なにそれ」の世界になっている。
古い映画を愛好する層ですら、古典芸能の愛好家を兼ねていない限り、「人々が馴染んできた古典の世界」を知る人は、ほとんどいないだろう。わからなくて当然だと思う。『浪花の恋の物語』に描かれる内容がリテラシー不足の事実誤認だと思われるのも、仕方ないこと。でも、それでもって、多少ネットなり百科事典なりで調べた程度で『浪花の恋の物語』は間違いだと思われるのは、悲しいことだ。本稿は、それをせめて形ばかりでも継承するために、私なりに思ったことを書いた。

内田吐夢はこの作品の翌年、『妖刀物語 花の吉原百人斬り』を撮る。これは歌舞伎『籠釣瓶花街酔醒』を映画化したものだが、原作から大きく飛躍した構成とストーリーとなっている。この作品は本当にすごい。古典演劇でこの構成・ストーリーを描くことはできず、現代の映画でしかできない内容になっている。ここにこそ、内田吐夢の「古典の映画化」の到達点があると思う。

 

 

 

┃ 参考

内田吐夢の古典芸能映画の最後の作品、『恋や恋なすな恋』(東映/1962)についての考察です。
『恋や恋なすな恋』は、文楽や歌舞伎といった本家本元の古典芸能に先がけ、『蘆屋道満大内鑑』の全編の現代アレンジと全段復活に挑んだ野心作。構成自体に大きく手を加える『浪花の恋の物語』や『妖刀物語 花の吉原百人斬り』とは異なり、物語構成をそのまま生かした上で切り口を変えて現代化を行い、さらには実験的な演出を大量に盛り込むという手法で制作されています。当時は文楽や歌舞伎でも全段は上演されていなかったので、「知られざる物語」であった部分を形にしたというだけでも大きく評価できると思います。これも本当にすごい作品です。

 

*1:そう、忠兵衛の造形がかなり被害者ポジションに寄っている点は、『冥途の飛脚』ではなく、やっぱり歌舞伎的というか、『恋飛脚大和往来』なんですよね……。中村錦之助梨園出身というのが大きいでしょうが、そこはスター映画の限界だと感じました。

*2:文楽では「人形のうしろに人形遣いが3人固まって立っている」という芸能の特質上、「裏返しアングル」は絶対にできないので、相当意図的な演出。そのため、一見「舞台の奥側から撮っている」ように見せかけながら、人形は舞台奥へ向かって演じているという状態になっている。このような「裏返し」アングルへの変更を行うにあたり、演者との打ち合わせや、通常の方法と違うように演じてもらうための説得は、大変だったと思う。

*3:先日、偶然、『源氏物語』を浄瑠璃化した『丹生山田青海剣』という作品を読んだ。登場人物や世界観は『源氏物語』をベースとしており、弘徽殿の女御、髭黒の大将、紫の上、空蝉、明石の姫君、その父の入道など、源氏物語に語られる人物たちが登場するが、人物造形や展開は『源氏物語』とは微妙に異なる。しかし、すごいのが、紫式部自身がその中に登場すること! 紫式部本人(しかもロリ)が光源氏と恋に落ち、葵の上と争うのだ! ラストシーン、石山寺にこもった紫式部は、「光源氏の行跡を書き留めよ」という天の啓示を受け、『源氏物語』を書き始める。あの有名ストーリーがどうして書かれたか、その裏には何があったかを描く構成が本作と非常に近しく、びっくりした。なお、『丹生山田青海剣』は文楽でも歌舞伎でも、現行上演はない。