TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽《再》入門 文楽の「現在」を知る本[『國文学 解釈と教材の研究』2008年10月臨時増刊「特集 文楽−人形浄瑠璃への招待−」学燈社]

かねがね、文楽の中級者向けの本を探していた。

というより、中級になるための本、といったほうが正しいか。

文楽は興行規模や観客人口のわりに初心者向けの本はそれなりにあると思う。しかし、中級者向け書籍となると途端に心当たりがなくなる。隣の芝はなんとやらしてなんとやらなのか、歌舞伎・能楽・落語等は研究書からエッセイから芸談からそりゃもうボウボウに生えに生えまくっているような気がするのにと、隣の庭は釧路湿原くらいあるんちゃうかと思いを馳せていたが、最近は、自分が読みたい「中級者向けの本」ってなんだろう?と思うようになっていた。

自分にとっての「中級者向けの本」とは、現行の舞台に興味を抱いている自分に対して、別の角度・切り口からの見方があることを示唆してくれるものだと思う。次の興味への端緒を発見できる本。その「次の興味」が現行舞台の技芸そのものへの理解を深めることにあるのか、それとも上演史にあるのか、あるいは近世文学にあるのか、義太夫の音曲面にあるのか、違うジャンルからの観点なのか、それはわからないけど、そこで知ったこと・感じたことを経て文楽をもう一度新鮮に見られる本がいいなと思っている。その循環の繰り返しが理解と愛着を深めることにつながると思っている。そういう観点から、自分が読んでよかったと思える文楽《再》入門本について書きたいと思う。

 

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『國文学 解釈と教材の研究』2008年10月臨時増刊「特集 文楽人形浄瑠璃への招待−」 学燈社

書籍ではなく、『國文学 解釈と教材の研究』という学術雑誌の増刊号で、ムック的なつくり。

人形浄瑠璃への招待」とマイルドな副題がついているものの、内容は一般によくある文楽の初心者向け本とは大きく異なる。有名演目解説や三業の役割解説はなく、現在の文楽という芸能がどのようなものであるのかを多方面からの解説によって理解できるようになっている。文楽は遠いところにある古いものだから、その遠く古いものを現代の感性で感じてみましょうという捉え方を超えており、文楽はつねに現在形で存在し続けていて、受容側がそれに気づいたとき、その価値が目の前に現れるというか。文楽の現代性(現代まで継承され続けてきた、現行の古典芸能であること自体)が重視されている内容だと感じた。文楽の観客対象の教本ではなく、国文学の雑誌なのでこういうスタンスなのだろうけど、古典芸能本で「現在」であることに意義をおくというのは、興味深い切り口だと思う。

この本の構成を要約すると、以下のようになっている。

  • 吉田文雀談話(文楽という芸能の実践・現場)
  • 実際の公演の詳細(国立劇場の制作意図/舞台見たまま聞いたまま/CD・映像ソフトガイド)
  • 人形浄瑠璃略史(古浄瑠璃から現代までの興行史)
  • さまざまな観点からの文楽へのアプローチ(言語学音楽学/近世演劇/歌舞伎・大衆芸能・民俗芸能など他の芸能との関係性)
  • ブックガイド 

 これらの内容のうち、とくに感銘を受けたものについて少し詳しく紹介したい。

 

 

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人形遣い吉田文雀師の談話では、芸談というより、「文楽という芸能がどのように伝承されているのか」がリアルタイム目線で語られている。いちばん印象的なのは、人形の役作り、すなわち「人形の演技はどのような考え方にもとづいてなされているのか」という点。

ここで語られている「人形の演技はどのような考え方にもとづいてなされているのか」には、大きく2つのものがある。

まず、人形の演技にはすべて理由があるべきで、それは本(浄瑠璃)に基づいていなければならないということ。演技に理由があるべきなのは当然だが、それは手前勝手の解釈や理由ではなく、必ず浄瑠璃に基づくものでなければならない。従来「刹那的・感覚的な芝居である」と言われていた吉田文五郎も、実際には浄瑠璃に基づき緻密に計算された芝居を行っていたという。具体的には、「合邦庵室」で玉手御前が実家へ入るときの所作それぞれのターゲットの考え方、「酒屋」でお園が父宗岸とともに婚家へ戻ってきたときにどういう振る舞いであるべきかの考え方、お園のサワリの演技を生涯検証し変化させていたことなどが語られている。

また、演技が観客にどう受け取られるかは時代につれ変化していくものであり、演者はそれに自覚的であらねばならないということ。「いままではこうやっていた」としても、時代の変化でお客さんが理解できなくなっていることはするな、と教えられていると。

これを突き詰めていくと、古典芸能といえど演技を変化をさせなくてはならないときがくる。実際、人形の演技を変更したとか、詞章を一部変更したというのは、芸談本を読んでいるとしばしば出てくるエピソードだ。

それでは、芸の変化を許容する考え方の元にある、文楽としてここは動かせないものはなにかというと、文雀師匠はそれは本(浄瑠璃)だという。本を読み、その役を突き詰めて考えて表現すること。その考え方・突き詰めるやり方は、時代に合わせて変わっていくという。「文楽で一番重要なのは本(浄瑠璃)」ということは、入門本類にはなかなか書かれていないし、鑑賞教室等でも言及されないけれど、文楽を理解する上でもっとも重要な事項だと思う。ここではそれが具体例を交えて繰り返し語られている。

それにしても、文楽は思っている以上に実務的・合理的な話が多いね。かしら割りにしたって、舞台を見ているだけでは、人形ってなんだかいっぱいうぞうぞしてるぞということしかわからないが、よく考えてみると、60人くらいひしめいているアレを毎月毎月用意するというのは大変なことだ。床山さん(当時は一人。いまはどうなってるのかしら?)の作業時間を考えて早期にかしらを決定して指示、次回公演・各位の個人仕事での単発使用発注も踏まえてかしらの運用を管理し、次の公演でも使い回せるものはそのまま使う等の工夫をしているという。文楽は古典芸能の中でもかなり不思議ちゃん度が高いし、なんだかおっとりしているように見えるので、なんとなく、フンワリしているのかな……? サンリオキャラがうぞうぞしている的な……? 言われてみれば体重をりんご換算できそうな……? という印象を受けるが、技芸員にしてもスタッフにしても少ない人数・固定のメンバーで毎月舞台を回さなくてはいけないという観点から、実情はものすごく合理的な運営になっていることに驚かされる。

ほか、文雀師匠の子ども時代、まだ客として文楽を見ていたころの戦前の大阪の芝居茶屋や芝居小屋の様子が仔細に語られているのも興味深い。文雀師匠のご実家は芝居茶屋へ布団を手配する商売だったという。当時の文楽の客は道頓堀川から船で芝居茶屋へ乗りつけて、預けておいた布団を出してもらってそこへ泊まったそうだ。そして翌早朝、芝居が始まる時間になると、茶屋から芝居小屋へ渡した板を歩き、足袋のまま直接芝居小屋へ入っていたという。もう、あまりに隔世の感がありすぎて、本当、驚き……。むかしは朝6時くらいに開演して大序から通しでやっていたと聞くが、そんなん客みんな三段目くらいからしか来ないのでは?と思っていたが、文楽好きな人は近隣在住なら暗い中を籠で乗りつけたり(籠!?)、遠方在住なら前ノリして前泊、朝イチから見ていたそうだ。公演の状況は変わろうとも、やる気のある人のやる気だけは時代を問わないと思った。

 

 

 

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以上は技芸員側からみた現代の文楽公演の状況だが、続いて、国立劇場文楽劇場で制作にたずさわった山田庄一氏から、文楽本公演の準備進行過程、上演演目の制作意図や施策が解説される。国立劇場は設立時、なぜ通し上演を復活させようとしたのかや、文楽公演における新作の意図や東京公演/大阪公演の観客の違いによる公演企画の検討等、興味深い話題が多い。技芸員の談話にしてもそうだけど、現場の人はコチラ(客)が思っている以上に文楽公演はあくまで客あっての興行という意識が高いと感じる。誰のために何をするのか、最終的に何を目指しているのか、誰に何を伝えたいのか。技芸員は目の前にいる客との芸を通したコミュニケーションを重視しており、国立劇場側(というか山田庄一氏)は集客とともに将来を見据えた文楽・客の双方の育成を意識していると感じた。

ところで、文楽には、かしらが火災に遭って大量に焼失した場合、興行ができなくなり、最悪芸能が断絶するおそれがあるという大きなリスクが存在している。大江巳之助さんの存命時の話だが、文楽劇場設立前はかしら・衣装は文楽協会の所有で、国立劇場は手が出せなかった。そこで、当時始まっていた研修生育成事業の教材費を名目にかしらの製作費用を捻出。最低忠臣蔵が打てるだけのかしらを国立劇場サイドで保有する計画を進めていたようだ。現在、かしらは文楽劇場が所有・管理していると思うが、いまでも緊急時に備えて、どこか別の場所へかしらを保管しているのかな。

 

 

 

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以降は知識編で、人形浄瑠璃略史のパートでは古浄瑠璃の時代から現代に至るまでの浄瑠璃の歴史を概観できる。

浄瑠璃の歴史は『岩波講座 歌舞伎・文楽』シリーズに詳説されているが、詳しすぎて基礎知識がないまま読むと大変。本書は歴史のアウトラインをつかんでおくのに好適だと感じた。時代別に4人がリレー式に書いており、書き方が統一されていないところもおもしろかった。読みにくいっちゃ読みにくいんだけど、その時代時代によって着目すべき点や興行の変遷の状況・スピード感が違うので、単純な年表形式でなくてかえってわかりやすいように思う。文楽関係の書籍は竹本義太夫からその歴史を解説することが多いが、本書はそこに至るまでの時代・古浄瑠璃パートを設けているのが特色で、現行の舞台では知り得ない時代の大いなる厚みを感じた。

 

 

 

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文楽から発展しての興味関心という点では、近世演劇史以外の観点から見た文楽や、人形浄瑠璃の周辺文化への目配りがされたパートがアツい。

いままでの自分にまったくなかった観点を与えてくれたものを挙げるとしたら、言語学サイドからみた文楽に残る近世語を調査した記事「近世語と文楽」。「か」を「くゎ」と発音する等の音韻、あるいは、登場人物の身分等によるアクセント位置の違い(演出上の「訛り」)などの発音の側面から、近世語が文楽にどこまで現存しているかの調査が報告されていた。発音に関しては通常、義太夫大阪弁であるべきという話題が多くなるので、近世語という観点からの解説は興味深い。謡曲は音声問題を重視し、古い発音を保持するために謡本・稽古本等が発達したが、義太夫では清濁・アクセント以外の発音が重視されることはなかったという。そのため、発音面では「演者による」現象が結構発生しているようで、登場人物の身分や来歴の区別に近世語の古態を用いているらしい人と、法則性なくそれが出現する人がいるという例は、興味深かった。(ただし、太夫に聞き取りをしたとかではなく音源比較による調査なので、記事中には太夫の実際の意図等は書かれていない。)

古典の研究と現代の上演をつなげるという観点からは、「近松文楽」が興味深い。内容は、近松門左衛門と初代竹本義太夫による当世浄瑠璃の嚆矢『出世景清』を浄瑠璃史の中で捉え直すというもの。礎となった古浄瑠璃「景清」→『出世景清』→そこからさらに発展させた『壇浦兜軍記』を通して、一連の景清もので描かれる趣向の変遷から、浄瑠璃の先行作の取り入れ・アレンジの手法が理解できるようになっている(と私は受け取った)。また、昭和60年に行われた『出世景清』の復活上演がなぜ失敗したのかの考察も興味深い。って、もう失敗したこと前提なんですけど(これ、褒めてる人見たことないんだけど、どんなことなってたの? みんな理由を国立劇場の企画自体の失敗だと言ってるようだけど、ここまで批判されてると逆にどういう上演だったのかが気になる)、そこには現代の文楽公演で近松作品を扱うことの困難が端的に現れている。それにしても、文楽浄瑠璃)の作者の中でもっとも有名な近松の作品が実は現行文楽には合っていないって、文楽好きな人にはその理由がわかっていても、ご覧にならない方からしたら信じられないことだと思う。

 

 

 

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この内容を2019年版にアップデートした本が出たらいいのにと思っている。これ自体10年ほど前の本なので文楽公演の現状は変わってきているし、また、特にブックガイド等は内容が古くなってきていて、いまでは入手できない本やさすがに古く感じる本も多い。最新の知見や状況を知りたいことも多いし、いま第一線をつとめる現役技芸員の率直なことばを聞きたいと思っている。どこかの出版社がこういう本を出してくれないかしら。

 

 

 

 

『國文学 解釈と教材の研究』2008年10月臨時増刊「特集 文楽人形浄瑠璃への招待−」目次
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[インタビュー]
 吉田文雀師に聞く 人形の役作りとかしら割り(聞き手・後藤静雄)
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[コラム]
 文楽の配役 (横道萬理雄)
 四つ橋文楽座 (肥田晧󠄁三)
 文楽の面白さ (水落潔)
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舞台が開くまで (山田庄一
[舞台鑑賞」
 『本朝廿四孝』十種香の段・奥庭狐火の段 (富岡泰)
文楽のCD (大西秀紀)
文楽の映像資料 (飯島満)
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人形浄瑠璃略史]
 古浄瑠璃から近松へ 演劇空間の創造 (坂口弘之)
 人形浄瑠璃黄金時代 戯曲の時代 (内山美樹子)
 浄瑠璃の十九世紀 フシの変遷 (倉田喜弘)
 大正・昭和・平成の文楽史 今日への歩み (高木浩志)
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文楽研究とその周辺]
 民俗芸能と文楽 (齊藤裕嗣)
 近松文楽 (井上勝志)
 近世語と文楽 (坂本清恵)
 義太夫節の音楽的研究 (垣内幸夫)
 「趣向」と「虚」 近世文学に人形浄瑠璃全盛時代がもたらしたもの (黒石陽子)
 歌舞伎と文楽 (河合真澄
 寄席芸と文楽 (荻田清)
 操り人形考古学 (加納克己)
 五行本の世界 抜き本についての覚え書 (神津武男
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文楽読書案内 (児玉竜一
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