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TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

麻雀漫画と昭和の日本映画と文楽(人形浄瑠璃)について書くブログ

文楽一年生

文楽を観るようになって一年が経った。

文楽が何かもわからず思いつきでチケットを取ったのが一年前の2月東京公演第三部『義経千本桜』。古典芸能の素養があるわけでもなく、最初にチケットを取った時点で知っていたのは「人形が動く」「義太夫節という語りですべての話を進めている」という2点だけだった。

さて、ちくまプリマー新書の中に、中川右介『歌舞伎一年生』という新書がある。「歌舞伎っていうものがあるのは知っているが、観に行ったことはない。いっぺん観たほうがいいかも?」と思っている方にとても良い、きわめて平易な入門書だ。この本が他の入門書とどう違うかというと、「チケットは具体的にどうやって買うのか。いくらなのか。どの席がいいのか。良い席はどうやれば取れるのか」といった具体的な実践知識と、良い意味で著者の個人的な感想にのみ絞って書かれていることで、歌舞伎の知識のない私にも楽しく読めた。こういう本が文楽にもあったら良いのにと思う。

で、歌舞伎より若干マイナーな感じの文楽ですが(失礼)、以前書いたとおり、私は「古典芸能を理解したい」「玉男様ステキ」という立派な心がけと立派な邪念の二本立てで見始めいまに至るわけだが、入門書などを見てもわからなかった、実際にチケットを取り劇場へ行ってはじめて知った実感や、最初に見に行くときに知りたかったことを『歌舞伎一年生』にならい、一年生なりの自分の言葉でこの一年間に感じたことを書いていきたい。 

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目次 

 


┃ 1. 文楽をはじめて観に行ったときのこと


最初に文楽を観に行ったとき、いちばん驚いたのが「直感的にわかる」ということだった。

観に行くまでは、文楽は古典芸能の中でもハイコンテクストな芸能の部類だと思っていた。「生身の人間でなく人形が演じている」「セリフ・ナレーションをすべて義太夫節で語っている(音曲要素が強い語り物)」というのは、ある程度習熟しないと理解できないだろうなと思っていた。歌舞伎でも義太夫狂言のほうが難しいイメージがあるし*1

しかし、一番最初に観た『義経千本桜』渡海屋・大物浦の段、道行初音旅の最初から、内容がものすごくすんなり自分のなかに入ってくるのが本当に不思議だった。いや、何がどうなってこういう話になっているというディテールはよくわからないんだけど、なんかいい!すごくいい!と思った。

とりわけ、人形芝居部分が今まで見たことがないほどに流麗であるのには驚いた。舞踊的な、あらかじめ決められた振り付けの芝居をしているのかと思っていたけど、そうではなくわりと素早くこまごまとした動作で、ディズニーやピクサー、あるいはジブリのアニメーションのように、人間そのままの動きではないが生命を感じる、異様に洗練された大変緻密な動きだった。文楽では人形のうしろに人形遣いが立っているので、舞台上に人形遣いの姿がつねに見えている状態なのだが、上演中しばしば人形遣いの姿が消し飛んで、人形がひとりでに動いているように見えてぞっとするときがある。文楽では一体の人形に対し三人の人形遣いで遣っているわけだけど、それを知っていても何がどうなってああなっているのかまったくわからない。本当、不思議。

そのときのよくわからない高揚感のまま一年が過ぎて、いまだ何が良いと思ったのかは説明できない。でも、いま思えばはじめ障壁になるだろうと思っていた「生身の人間でなく人形が演じている」「セリフ・ナレーションをすべて義太夫節で語っている(音曲要素が強い語り物)」という点が逆に私にとって文楽に入りやすい要因だったのだろうと思う。文楽は音曲と人形で要素が構成されているので、表現が直接的ではなく、それを見てどう感じるか、観客に委ねられている部分が大きく感じられた。押し付けがましさがなく、語りや芝居をどう受け取るかはこちらに裁量がある。これが私にとっては良かったのだろう。舞台のそのままをすんなり受け取れるような気がした。

こむづかしくもったいぶって書いてしまったけど、もっと即物的に言えば、私からすると文楽は時代劇ミュージカル人形芝居で、私は時代劇が好き、ミュージカル(音楽映画)が好き、人形(人形劇、パペットアニメーション)が好きなので、実際には好きな要素の集合体でもあった。そういった自分個人にとっての「とっつきやすさ」も大きかったと思う。

そして、このとっつきやすさのひとつとして、文楽が敷居の低い、おおらかな雰囲気であったということもつけ加えておきたい。古典芸能で「わたしたち敷居低いです、庶民的です」アピールしてくる業種は結構あると思うんだけど、文楽はその中でもかなり敷居が低いほうだと思う。わざとやっているかどうかは別として、なんというか、こう、ポワ……としとるんですわ、すべてが……。このフンワリした雰囲気が魅力でもあるのだが、そのホンワカぶりはこのひとたちこんなポワっとしてて大丈夫なのかなと思うほど……。そのせいで槍玉にあげられることもあったり、本当は色々大変なのだろうけど、行く末長くホンワカしていて欲しいと願う。

 

 

┃ 2. 初心者の疑問、「文楽」と「人形浄瑠璃」の違い 


公演スケジュールの謎

観にいきたい、と思い立ったら……、文楽はどのように公演をしているのか? そもそもどのような公演が存在するのか、いつ、どこで観られるのか、チケットはどのように手配するのか、というのがまず問題になると思う。というわけで私も調べたのだが……

文楽は大阪の国立文楽劇場日本橋)を本拠としており、年5回(1、4、6、7-8、10-11月)公演を行う。東京だと国立劇場小劇場(半蔵門)で年4回(2、5、9、12月)公演を行う。「本公演」と呼ばれているのはこれらの主催公演のことで*2文楽に行くといえば基本的にはこの本公演のこと。このほかに3、9-10月に地方公演として全国を巡業する。また、本公演前後や地方公演期間には公演以外の単発イベントへの出演も多く行われる。以上が文楽公演の基本。

というわけで、東京ではなく大阪が本拠なのはわかったが、なんでこんなパラパラやってんの? 歌舞伎みたいに毎月やってないの? 東京年4公演って少なくない? とはじめは思った。歌舞伎は何箇所もの劇場で常演しているし、能も流派自前の能楽堂などで随時個別公演を行なっているのに、なぜ文楽は常演していないのか?

文楽を見はじめて一番驚いたのが、いわゆる「文楽」と呼ばれているそれは上演グループが「一座」しかなく、全パートあわせて80人程度の座員で大阪と東京の公演を交互に行っているということだ。文楽国立劇場系列館でのみ大規模な公演を行なっているのは知っていたが、国立劇場大劇場や国立能楽堂の歌舞伎・能公演みたいに、企画によっていろんな門閥から出演者をセレクトして公演を組んでいるのかと思っていたら、「文楽は門閥がしないため、その80人の一座がまるごと東西をいったりきたりしている」という形態そのものにまじ驚いた。門閥どうこうじゃなく、一座しかないとは。歌舞伎や能・狂言にならぶ日本の伝統芸能なんだから継承者がけっこういるように思っていたが、驚異の小所帯。何かあったらジャンルごと消滅しませんかこの人数では……。知名度に対してここまで演者が少ないとは、マイナー(失礼)な理由がわかった気がする。かつ、世襲制ではないというのも衝撃的だった。歌舞伎や能のような家元制度で成立していると思っていたがそうではなく、文楽実力主義になっていて、技芸員のうち7割程度は一般家庭出身(国立劇場の養成機関出身)だそうだ。なので一般ご出身の方だと技芸員になる前はまったく違うことをやっていた方というのもいて、なぜ技芸員になったのかをインタビューなどで読むと結構面白い。

一地域で見た場合の公演回数の少なさは、何も知らない客からすると「たまにしかやってねぇ〜〜暇なのかな〜〜〜😴」と思ってしまうけど、あちら様からしたら「一年中めいっぱい働いとるわっ💢」ってことだったんですね……。なるほど、そういう事情だから公演回数等に制約があるのかと、しみじみと思った。

 

文楽」と「人形浄瑠璃」は何が違うのか

初心者がまずそもそも引っかかる疑問「人形浄瑠璃」と「文楽」はどう違うかというのもこれでわかった。「人形浄瑠璃」は浄瑠璃(語り、音曲要素)に人形芝居をつけて見せる芸能の総称で、「文楽」というのは、人形浄瑠璃のうち大手の興行を行う一座の固有名詞「文楽座」のことだったのか。明治頃までは色々な人形浄瑠璃の一座があったが、文楽座以外すべて消滅、現在残っているのが文楽座だけのため、いつしか「人形浄瑠璃」ニアイコール「文楽」になったということなんですね。例えて言うなら「ステイプラー」と「ホチキス」の関係だろうか。技芸員さんたちが「“文楽”は固有名詞です!」とアピってくる理由もよくわかった。

 

仁義なきチケット争奪戦 半蔵門死闘篇

文楽でいちばん難しいのは、チケットを取ることだ。

と知ったのも、実際に観に行くようになってからのこと。文楽の東京公演はチケットが取りづらい。チケットが取れないなどとは実際に観るようになるまでまったく知らなかった。東京では10〜20年ほど前から文楽の人気が大変高く、国立劇場小劇場の560席のキャパと2週間程度の公演期間では客が捌ききれないようだ。とくに土休日公演の競争率が高く、速いと発売数時間で完売することもあるらしい。しかし会期中まで残っていることもあり、売れ行きが何に左右されているかはよくわからない。自分が最初に行った公演は思いつきで「取ろう」と思ったときにすぐ取れたのだが(いま思えば3部制の公演だったためチケット総数自体が多く、年間でもっとも取りやすい公演だったのだろう)、あのとき簡単にチケットが取れて本当によかったと思う。

対して大阪の国立文楽劇場は730席程の大劇場、公演期間も長く3週間にわたるからか当日券も出て、土休日でもチケットが比較的取りやすい。直前にチケットを取ると、キャンセルで出た分のものすごくいい席を取れることがあって(センターブロック2〜3列目とか左ブロック最前列とかが出ている)、しばしばおいしい思いをさせてもらった。東京と大阪で大阪のほうが近い方は、絶対、大阪へ行ったほうがいいと思う。

チケットは一度完売してしまっても、時々キャンセル戻りが出て空席が復活することがある。公式サイト(国立劇場チケットセンター)には時々このキャンセル戻りが出現し、それで席を取ったことがあるので(執念深いので公式サイトを毎日蛇のように這い回っていた)、公式サイトをウオッチしつづてキャンセル待ちするのはかなり有効な手段のようだ。

 

※追記

チケット購入は以下の公式チケット販売サイトをご覧ください。

http://ticket.ntj.jac.go.jp

スマホサイトhttp://ticket.ntj.jac.go.jp/m/index_phone.html

東京公演の場合、PCサイトでは、トップ→チケットのご購入→東京 国立劇場 大劇場・小劇場の公演→5月 文楽公演 から空席状況参照できます。

スマホサイトは無料会員登録すると空席状況が見られます。登録せずとも、表示をPCサイトに切り替えれば空席状況参照可能です。

 

 

 

┃ 3. 劇場の七不思議

興行形態が特殊な芸能のせいなのか、なんとかチケットを取って会場までたどり着いても疑問は尽きない。劇場で「そうなってるんだ……」と思ったこと7点についてちょこちょことメモ。

 

会場

前述の通り、文楽国立劇場小劇場(東京)と文楽劇場(大阪)で本公演を行っている。どうせいっちゅうねんという立地もさることながら(とくに半蔵門の立地の最悪さがやばい。場所が気取ってるとかそういう問題ではない)、ふたつともド昭和な建物で、中途半端な時間の止まりぶりに癒されるステキスポット。実家の近くの文化会館に行ったような感覚になる。この特にテンション上がらなさがさすがというか、派手な会場でやればいいってもんじゃないけど、ここにも文楽の地味さ(重ねて失礼)が出ている気がする。
とはいえ大阪の文楽劇場は結構快適で、屋内のロビーで入場待ちができ、公演ごとに企画が入れ替わる展示室があるので開演前の時間つぶしも可能。だが国立劇場は待合用のロビーがなく、12月と2月というクソ寒い時期に公演があるにも関わらず吹きっさらしの場所で入場待ちをさせられるのは勘弁してほしい。それと別棟の展示室は歌舞伎中心で文楽肩身狭いので、もうちょっとブイブイ言わせて欲しい。

 

パンフレット

初心者が劇場へ行ってまずすべきことは、パンフレットを買うことである。買わないといまから何がはじまるか一切わからない(本当)。パンフレットは劇場売店で600円くらいで売られている。パンフレットには配役や上演演目のあらすじ、解説、出演者インタビュー、演目にまつわる読み物等が載っているが、別冊で床本(浄瑠璃の台本)の小冊子がついてくる。これ、何のためにわざわざ別冊にしてまでついているかはじめはわからなかったのだが、家に帰ってから読み返すと上演中何を言っているのかわからなかった部分がわかったり話の流れをより理解できたりと、わりと重要なアイテムであった。
パンフレットまわりで一番なんでこうなってんのと思うのは、最後に載っている技芸員一覧。技芸員さんのお名前と顔写真が一覧で載っていて、さっき出ていたのはどなたというとき出演者を調べるのに便利なページではあるのだが……、なんか写真が妙に……ものすごく……古い。これ10年くらい前の写真なのではって人がいる気がしてならないんですけど……。しかも全体的に写りが悪いというか最悪というか……、……これ以上私の口からは申し上げられません……。せめて2年に1度くらいはすべて撮り直してほしいし、みなさんもう少し男前に写るよう配慮してあげてほしいです……。


幕開き三番叟

本公演の場合、朝の回の開演15分前に「幕開き(幕開け)三番叟」という前座がある。やりますよってことは公演情報のどこにも書かれておらず、やっていること自体を知らないと見られないというのがすごく不思議だった。三番叟という二人遣いの小さな人形が三味線の伴奏のみで数分間踊るのだが、これは舞台を清める意味でやっているらしい。基本的にはお若い人形遣いさんが出演しているそうだが、時々妙に上手い人がいる。三番叟の配役は表には出されないが、一度、文楽劇場のバックステージツアーへ行った時に楽屋入口に三番叟の配役表が貼ってあるのを見たことがある。それを見るとなるほどうまい人がいるのも当たり前、足は本当に若い子だけど、人形はちょいとした役をやるような、もうちょっとお兄さんな人形遣いさんたちがやってるんですね。三番叟の上演中にお客さんに着席の義務はなく、お客さんは見ている場合も、見ていない場合もあり、拍手がある場合も、ない場合もある。人形が踊っているあいだは、不思議な時間である。


初心者最大の疑問・拍手タイミング

上演中に迷うことの代表格が、舞台ものでは業種によって色々風習のある拍手タイミング。文楽だと

  1. 開演前の口上で太夫・三味線弾きの名前が紹介されるとき 
  2. 人形遣いで有名な人が出遣いで一番最初に出てきたとき(or最後の退出時)
  3. ここぞという場面
  4. 太夫・三味線の交代タイミング(床が廻るタイミング)
  5. 終演時

が拍手タイミング。1、4、5は開演・終演の拍手の部類で誰もが拍手するが、2と3は時と場合によってまちまちのようだ。
2の人形遣いの出入りでの拍手は、有名な人が出てきても演目や内容・登場の状況によっては拍手がないことも多い。そして「有名な人」ってどういうライン引きだよって話だが、これは上演によってまちまちで、会場のノリによって左右されている気がする。トップクラスの方は大抵拍手されるが、回によってはこの人が拍手されないの?ってこともあるし、中堅・若手の方でもひとりのお客さんだけが盛大に拍手していることもある。みなさんオキニの人が出て来たら拍手しているようだ。さすが自由の国、文楽、と思う。
3の「ここぞという場面」だが、歌舞伎ほど頻繁に拍手が起こるわけではない。それこそ「ここぞという場面」のみ。この拍手は太夫・三味線・人形それぞれに対して発生するのだが、人形に関して言えば、文楽義太夫節のテンポ(浄瑠璃の進行)にあわせて人形が芝居をしているので、客の拍手待ち的な間合いは存在せず、事前に拍手するタイミングをわかっていないと(あるいは拍手するに値する芸かどうかわかっていないと)なかなか拍手しにくい。私はそのへんよくわからないので、周囲の状況と自分の気持ちで拍手している。私が観た公演だとこのような「ここぞという場面」の拍手の頻度はそれほど高くないように思うが、昔の資料映像を見るといまよりはるかに拍手の回数が多い上演もあり、世につれ人につれなのかと感じる。
拍手とは違うが、声かけについて。文楽には歌舞伎のような大向こう(上演中の公式かけ声)はないが、開演前の口上時、太夫さんや三味線弾きさんは「〇〇太夫~」「〇〇~」とかけ声をかけられていることがある。大向こう風にそれっぽい節をつけている人、アイドルコンサートかってコールの人、いろいろ。人形遣いにはほとんど名前コールはないようだけど、これも昔の資料映像を観ていると有名な人はコールされていることがあり、自由の国だなと思う。

 

食事

文楽は上演時間が4時間程度あるので、ランチタイムやディナータイムにかかるときは途中で30分程度の食事休憩が入る。客席は休憩時間中なら座席でも飲食が可能なのだが、ずっと同じ場所に座りっぱなしになってしまうのでできればロビーのベンチで食べたい人が多いと思う。しかし国立劇場小劇場にしても文楽劇場にしてもロビーのベンチの数が少ないので、休憩時間になったら速攻席を取らないと座れない。私は30分休憩でロビーに座れたことがないのだが、座れている人はどんだけ早くロビーへ出ているのだろうか。
食事の調達については、場内の売店で軽食やお弁当が売られている。私は柿の葉寿司が大好きなので、ここぞとばかりに柿の葉寿司を食っている。東京会場でも大阪会場でも売られているが、東西で銘柄が異なっており、大阪・文楽劇場で売られている柿の葉寿司はまじ美味しい。東京会場で売っているものはたしかヤマトの柿の葉寿司だと思うが、大阪会場で売っているものは東京では見たことがない銘柄で、おそらくローカルブランドだと思う(製造場所が奈良県になっていた)。お弁当は持ち込みも可能で、東京会場は大阪よりお弁当メニューがうら寂しいせいか、百貨店で買ったような豪華なお弁当を持ち込んでいる方が結構いらっしゃる。開演前に三越とかに寄り道して買ってきていらっしゃるのだろうか。大阪会場だとお手製弁当ご持参のお客様もよくお見かけして、客筋の違いを感じる。お弁当以外の手段としては食堂利用があるが、東京公演・大阪公演とも、食堂のド昭和オーラには圧倒される。料理の品質、サービスが値段に見合うかといったら今時これは……とも思うのだが、余裕ある座席でゆっくり食べられるので、ある程度仕方ないとは思う。

 

観客

文楽で不思議なのが、上演中に舞台を見ずパンフレットに目を落としているお客さんが多いこと。パンフレットのあらすじ解説ページか技芸員紹介ページ、あるいは床本を見ている方が結構いる。床本を見ている人がいるのはなんとなくわかる。義太夫を聴きに来ているお客さんなのだろう。能でも上演中ずっと謡本を見ている方がいるしね(おそらく謡を習っている方だと思う)。パンフレット本体を見ている方は配役を見ておられるのだろうか。歌舞伎だとお客さんはあそこまでパンフレット見てないと思うが……。そしてやっぱり多いのが上演中寝ている方。義太夫節に催眠効果があるのではと思うほどみなさん結構スヤっている。 床が回ったときに「〇〇太夫〜❤️」と声をかけておきながらその段全部おやすみになっている方もおられるので、義太夫節には人の眠気を誘う何かが秘められているとしか思えない。
それともうひとつびっくりしたのが、これは業界自体の雰囲気でもあるだろうけど、休憩時間等にロビーに技芸員さんがいても誰も気にしていないこと。劇場近辺や駅等でも技芸員さんをお見かけすることがあるが、それも誰も気にしていない……。かく言う私も無視していますが。お客さんに派手な雰囲気がなく、キャーキャーやってる人もあまりいない。文楽の場合、ファンは技芸員さんについていると言ってもアイドルの追っかけ的な意味でのファンなわけではなく、基本的に芸でしか評価していないため、芸の熟練度が高い年配の技芸員さんほど人気があるからだとは思うが、本当、みなさん落ち着いているというかさばけているというか……。
あと、終演したら、お囃子がまだ演奏していてもお客さんみんな速攻席を立って帰るよね。このお客さんのサバサバ感はひたすらすごいと思う。個人的にはこのさっさと帰れる雰囲気は好きではある。

 

技芸員

さいごに技芸員さんについて。技芸員というのは文楽の出演者(太夫・三味線弾き・人形遣い)を指す言葉。パンフレット等では普通に使われているが、これも教えてもらわないと初心者にはわからない言葉だと思う。まさか芸人さんたちをそんな事務的な言葉で呼んでいるとは知りませんでしたわ……。
先述の通り文楽は継承者の人数が少ないのと、良い役をやる方はだいたい決まっているので、結構すぐに顔を覚えられる。文楽は容姿が関係ない業界なので基本的に親戚のオッチャンにしか見えない方が多いが、みなさん髪型が大変にきちっとしている。芸人さんなので当たり前といえば当たり前なのだが、身だしなみはほかの古典芸能業界に比してもちゃんとしておられるように思う。劇場外でお見かけしても(結構格の高い方でも緊張感なくおひとりで普通にトコトコしている)、あそこまで髪の毛をきちんとしている男性はとくに年配の方は少ないので、髪型のきちっと度ですぐわかる。
しかしどうやって髪型をセットしているのか。輝き系の方やオールバックにしている方、若い子で手ぐし風の今時なセットをしている方はともかくとして、幾人か紳士服のモデルのようなフワッとしたセットをしている方がおられるが、あれはどうやっているのだろう? ご自宅でセットしてくるのか? 出演前にセットしているのか? 自分でやっているのか? 誰かにやってもらっているのか? 疑問は尽きない。あと、輝き系の方はどういうタイミングで輝き系になるのかもすごく気になる。あるタイミングで覚悟を決めてスキンヘッドにされるのだろうと思うが、その覚悟のほどを思うと……。芸の将来性とともに髪の毛の将来性が気になる方も幾人かおられるので、長い目で今後を見守りたい。

 

 

┃ 4. 一年前の自分の疑問に答える

趣味のはじまりの時期って疑問がたくさんあって、古典芸能は初心者向けの入門本が数え切れないほど出ているが、それを読んでもよくわからないことがたくさんあった。それにいまの自分の観点から答えたいと思う。また1年後、何年かあとは意見が変わるだろうけど、いまの自分の気持ちとしての答えを記しておきたい。

 

初心者に義太夫節は聞き取れるのか

私が初めて観にいく前にいちばん気になっていたのは、義太夫節が聞き取れないのではということだった。慣れていないと聞き取れないのでは? ミュージカルとかで歌詞が聞き取れないことって結構あるよね? あれと同じ現象になるのでは? と思ったが、驚いたことに結構聞き取れた。私は特別に古典の勉強をしたことはないので、中高の古典の授業レベルの知識で内容を理解できているということだ。国語教育すごい。さすがに一言一句聞き取れているわけではないが、本公演は字幕もついているので、話についていけないということはまずなかった。謡曲は字幕がないとまず聞き取れない私だが、義太夫節は江戸時代のものだけあって使っている言葉が比較的平易。とくに会話部分はほぼ現代の関西弁日本語と同じ。字幕は旧かな表示だが、旧かなと言っても「逢ひたかつた」程度なので大丈夫。いや、しかし、聞き取れなくても字幕が読めなくても、音楽とリズムはわかるので実際には問題ないのだ。その抑揚が直接的に内容を表現しているし、舞台上の人形が浄瑠璃そのままの演技をしているので、聞き取れなくても何の話をしているかはなんとなくわかり、少なくとも話を追うことには問題がなかった。しかし浄瑠璃が聞き取れるかどうかは語っている太夫さんの力量にも左右されると思う。それが初心者への一番のトラップかもしれない。


あぜくら会に入ったほうがいいのか

本ブログには「あぜくら会 文楽 先行」の検索で来てくださる方が多いので、あぜくら会(東京・国立劇場の会員制度)の文楽チケット先行販売について私の実感を簡単に書いておきたい。

結論から言って、東京で文楽観るなら絶対あぜくら会に入ったほうがいいです。

あぜくら会先行でチケットを取ると希望日・希望通りのかなりの前方席が取れるので、基本土休日しか行けない・前方席を狙いたい人形目当ての私にはあぜくら会会員のメリットはきわめて大きい。ミもフタもないが、人形は前方席でないと物理的に見えないので中途半端に後ろのほうの席を定価で買うくらいならあぜくら会の会費を払って前列席を取ったほうがいいと私は思っている。それと、席がどうとか以前に、あぜくら会に入っていないとそもそも取れないようなチケットも存在してしまっているので……私は鑑賞教室のチケットがどうしても取れなかったのを苦に入会した。

あぜくら会入会には初年度入会金・年会費合わせて4,000円程度かかるが、あぜくら会会員はチケット代10%OFFになり、国立劇場系列館の主催公演チケットが先行で取れる。ある程度文楽を観に行く、複数人で行く、またはほかの古典芸能も鑑賞する方は金額的な元はすぐ取れる。私は国立能楽堂の能公演チケット購入でもあぜくら会の先行予約制度を使っている。ツテ等でチケットを入手できる方ならともかく、一般の方&古典芸能が好きな方にはメリットを得られる制度だと思う。

ただし先行販売については、完全好き放題に席を取れるわけではなく、あぜくら会先行予約開始時点で主催者側が抑えている席で前方はかなり埋まっている。これが一番のトラップ。昨年12月の『仮名手本忠臣蔵』、そして次回5月『菅原伝授手習鑑』はあぜくら会の予約開始直後にも関わらず前方席がほとんど埋まってしまっていて、選ぶ余地なくあいているところを取るという形になってしまった(それでもかなり良い席ではあるのだが)。また、文楽に関しては公演によって購入枚数制限があり、先行発売初日は同じ公演は2枚までしか購入できない=3席以上連番で取りたい人は先行購入不可という制約もついている。また、文楽のあぜくら会先行予約日は国立劇場のチケット販売サイトがメチャクチャ重くなってなかなかアクセスできないことは注意が必要かと思う。

私は大阪会場、文楽劇場友の会にも入会した(初年度2,000円程度)。こちらはチケット割引率が20%と大きく1公演で会費のモトが回収でき、先行予約では東京以上に好きな席が取れるので、金銭面でかなりのお得感がある。

 

初心者向けの演目はあるのか

これも検索いただくことが多いキーワードで、一年前の自分も気になっていた疑問。文楽の入門本を読むと初心者向けのおすすめ演目が書かれていることがある。だが、おすすめ演目を書かれてもタイミングよくその演目をやっているということはまずない。おすすめ演目が上演されるのを待っていたら数年経ってしまう。演目名で縛ってしまうのは不自由だと思う。ならどれを観に行けばいいのだろうか? 本当は観に行きたいと思ったときに何も考えず「えいやっ」で観に行くのが一番いいんだろうけど、いきなり難しいものを観て理解できず、つまんないと感じてしまうのはいやだというのは、私もわかる。初心者向けに上演演目の解説がつく鑑賞教室公演もあるが、年一回。普段の公演において、見に行く演目をどう選ぶか、私の観劇体験から逆算して、これは初心者の自分でも理解しやすくおもしろかったというのを、演目名ではない切り口から3つ書いておきたい。

  • その1 「道行」が含まれる回
    先述の通り、私は一番最初に『義経千本桜』を観て、なんかいいなーと思った。なぜだろうか。それは上演に「道行」(道行初音旅)が含まれていたのが大きいと思う。道行とは登場人物がある地点からある地点まで移動する場面のこと。義太夫節の中でも音楽性が強く華やかな音曲で飾られており三味線の音色を聞いているだけでも楽しく、浄瑠璃の詞章には情景を描写する面白い掛詞などが盛り込まれ、人形の演技も踊りがメインの派手なもの。ミュージカルのダンスシーン的に観ることができるのでとっつきやすく、話についていけないということはまずない。私がいちばん最初に観たときは、ひとつ前の「渡海屋・大物浦の段」はそもそも登場人物たちが何者で何をしようとしているかに「???」となり集中力を必要としたが、「道行初音旅」はメロディの立った三味線の音色が流れ、人形が踊っているので、あまり気を張らずに観られた。って、実際は忠信が色々な話をしているのをすべて聞き流しただけですが……。

  • その2 通し上演の回 
    自分の体験から観劇満足度が最も高かったのは、通し上演のとき。この一年以内には『妹背山婦女庭訓』『一谷嫩軍記』『仮名手本忠臣蔵』の通し上演があり、そのいずれもが満足感がきわめて高かった。これは幸運だったと思う。見取り(長編の一部の抜粋上演)だと話が唐突に始まるため、話の前提がわからないせいで登場人物たちが何をどうしたいのかわからないままに終わってしまうことがあるが、通し上演ならいちばん最初から話が始まるので話を理解しやすかった。とはいえ、なんせ通し上演は長いんで、多少意味がわからん段があってもその記憶自体が揮発しているだけとも言う。

  • その3 時代物
    これは完全に私の個人的な観点から。初心者向けのおすすめ演目には、町人の世界を舞台にしているからわかりやすいという理由で世話物がおすすめにされていることがあるけど、私の場合はそれ逆だよと思う。あらゆる古典に言えることだけど、昔の話って倫理観や社会規範が現代と違っている。そんななかで世話物のような感情移入系の話だと、その点十分承知している人でないと話が理解不能だったりする。嫁がいるのによその女に入り浸りで、その女との間にできた子どもを押し付けてきて来世では一緒になろうねと言ってくる男とか、あらすじだけだとコンビニで売っているすごいキャッチコピー鬼盛りのB6サイズのレディコミ状態。現代においてそこに説得力を持たせるのは芸の力だったりするのだろうが、芸のうまいへたは初心者に理解できないので、下手すると「は??????」としか思えないことがある。
    その点、私は時代物が好きだ。私は昔の映画が好きなため時代劇的な価値観・ストーリー運びに慣れているというのも大きいけど、武家社会の話は一般と倫理観がまったく違っていること大前提、その矛盾そのものを描く話が多いので、ストーリーそのものを素直に理解しやすい。というか、時代ものは、アクションがあったり、おおきな武将の人形が出てくるので、わーいって感じで、とてもおもしろいです。人形がおおきいと、うしろのほうの席からでもよく見えるし。おおきい人形がわーわーするのを見たい人には、時代物がいいと思いました。(小学生の作文)

最後に、演目ではないが「有名な人が出ている回を見る」というのもとっかかりとしてとても良いと思う。と言っても文楽の場合、歌舞伎や落語のように派手なマスコミ露出がある人はいないので、初心者には誰が有名なのか自体判別つかない。しかも配役表を見ても格の高い順に名前が並んでいるわけではないのもトラップ。しかし、実は上演を実際に見ると、有名な人というか突き抜けてうまい人は初心者でも直感的にわかる。ここでおひとり挙げるとすれば、文楽を2回目に観に行ったときに初めてご出演を見た人形遣い吉田簑助さん。それは4月大阪公演『妹背山婦女庭訓』の「妹山背山の段」で、簑助さんはヒロイン・雛鳥役で出演されていた。この雛鳥が舞台へしずしずと出てきたとき、さっと舞台の雰囲気が変わったのを感じた。オーラが違うのだ。おそらく、人形が出てくるときの姿勢や仕草、あるいは人形の衣装の着付けといった諸々が重なってオーラといえるものを形成しているのだと思う。簑助様は小柄なおじいちゃんだが、とにかく可憐、姫オーラがすごかった。まわりに桜の花びらがヒラヒラ舞い散り、かすみ草がフワフワ浮いてちょうちょがついてきているかのような可愛さだった。それまでは人形ってもともと可愛く作ってあるんだから可愛く見えて当たり前だろと思っていたが、そういう問題じゃない。可愛さのケタが違うことに驚いた。文楽を観たことがなく、一度行ってみたいという方には、ぜひ、簑助様が出演する回を観てもらいたいと思う。

 

どの席が良いのか

この一年、あてずっぽうにいろいろな席に座ってきたが、その中で思ったことを書きたい。

文楽は歌舞伎のように席種の細かい等級・分類がなく、客席のほとんどが一等席。一等席の価格は東京公演で6,000〜7,000円程度。初めて観に行ったとき、ものがよくわかんないから「とりあえず」で二等席にしたが、国立劇場小劇場の二等席というのは実はうしろから2列分というかなり悪い席。ものすごく人形が見辛かった。東京の二等席は、一等席より1,000円程度安いということ以外にメリットが何もない。一年前の自分にケチらず一等席取っとけと伝えたい。それと、言いたくないが実際問題として後列になるに従ってマナーの悪い観客が混じる傾向があるため、その意味でもできる限り前方に行った方が快適。

以下、参考までに、私が本公演で座ったことがある席の見え方・聞こえ方個人的感想メモ。 

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  • A =人形を見るのにいちばんの席
    人形を見るにはいちばん良い席。人形のファンとしては基本的にはこのあたりの席を狙いたい。足元、手元の細かい演技まで見られて、人形ってこんな細かい演技までしているんだという驚きを得られる。太夫さんの声や三味線の音も心地よく聞こえて楽しい。この席のなかでも、最前列というのはほかの席とはまた違う楽しみがある。文楽本公演で使われる専用劇場は舞台が「舟底」という掘り下げ構造になっていて、前列席からの観劇でも見上げ姿勢にならないようになっている。人形は舞台から高さ80cm程度の手すりと呼ばれる地面を表現した書割の上をグランドラインとして動いているのだが、当然ながら人形は人間より小さく、また座っているときも多いので、80cm上がっている程度では2列目以降だとどうしても前列のお客さんの頭に遮られて人形が見えなくなるときがある。しかし最前列ならその心配はなく、しかも前述の通り、見上げ姿勢にもならない(若干あおり気味にはなる)。目の前いっぱいに人形の演技を見ていると、自分もその座に混じっている人形の一体のような感覚になる。ただ、最前列をはじめあまりに前にいきすぎると字幕が見えない&舞台袖にいる人形が見づらいデメリットはある。個人的には3〜6列目くらいが全体を見やすい気がする。もし一年前の自分に席を取ってあげられるとしたら、そのあたりの席にすると思う。

  • B=人形の穴場席
    人形を見るのに良い席。文楽だとよく門扉のあるセットが出てくるが、この席は門扉の前にあたるため、門前で立ち止まる人形の演技をじっくり見ることができる。また、文楽は人形が下手(向かって左側)の小幕から出入りするので、立ち止まらなくとも人形を間近で見ることができる。大阪公演だと競争率も低く、取りやすい穴場席だと思う。ただ、床からやや遠い場所になるので、床を見るには結構無理めの姿勢をしなくてはならない。

  • C=義太夫を満喫する席
    義太夫を聴くのにいちばん良い席。文楽は会場が小ぶりなので聞こえ方にそんなに差がないと思いきや、やはり床(出語り床)に近いほうが良い。特に三味線は床に近いほうが音が綺麗に聞こえるので、このあたりの席に座るとうっとりする。文楽の三味線特有の低音は床に近いほど美しく聞こえ、離れすぎると音が華奢になってゆく。また、太夫さんや三味線さんをじーっと観察できる席でもある(時々人形を見ているよりおもしろい人がいる)。ただし人形は見づらい。いや、人形は見えるのだが、人形遣いが見えない。小柄な人形遣いさんだと人形の陰にすぽっと隠れてしまうこともあり、きょうあの人出てたっけ???どこにいた???状態になるけど、それはそれで面白い。

  • D=全体をゆったり楽しめる席
    舞台からはやや遠いが、字幕も人形も床も見えやすく、義太夫の聴こえも良い席。芝居を客観的に見られる。Dの中でもできるだけ前方、できるならセンターブロックにするに越したことはないと思うけど、センターブロックは結構すぐ売り切れてしまうので、左側席になりがち。

  • そのほかの席
    Cの後ろの席は本公演では座ったことがない。地方公演等ではここにあたる席になったことがあるが、床の音はいいとして、人形が見づらいのが結構つらい。二等席は先述の通りかなり見辛く、少なくとも東京は避けたほうが無難。東京会場にのみ存在する三等席は1,500円程度と格安だが7席しかなく、まず取れないので狙ったことがない。

 

大阪公演まで行くメリット

さきほどから普通に大阪公演(文楽劇場公演)の話をしているが、私は東京都在住。最初に行ったときは勢いと気分転換の旅行のつもりで行ったのだけど、大阪公演っていいなと思い、以降、文楽劇場の公演にも行くようになった。

当然、大阪公演へ行くにはそれなりにお金がかかるのだが、わざわざ大阪まで観に行くことには大きなメリットがある。もっとも大きいのは、大阪公演のほうが東京公演より良い席が取れること。私は渡世の義理に縛られた人間ゆえ観劇日はどうしても土休日になってしまうが、先述の通り東京公演の土休日は一般発売では良い席は取りづらく、いちばん最初に大阪公演へ行ったときは直前にチケットを購入したにもかかわらず、あまりに良い席が取れて本気でびっくりした。良い席に座ってゆっくり文楽を楽しみたいとなったら、やはり大阪公演まで行くメリットは大きい。文楽劇場国立劇場小劇場よりステージが大きいので、時代物に見栄えがするのも良いところ。大広間や御殿のセット、大きい人形により豪華さや迫力を感じられる。

それともうひとつ、大阪公演の良いところは、客席の雰囲気が良いこと。私の場合は出先でテンション上がっているという部分もあるんだけど、会場に入ると、やっぱり大阪で観るのはいいなと思う。東京会場とは客筋が異なり、お客さんがほのぼのしていて、キャッキャとなさっているのが特に良い。きょうはゆっくりのんびり文楽観よ〜っという気分になる。東京会場は東京会場でお客さんみんな静かに観ているので鑑賞環境がきわめて快適というメリットもあるんだけど(前方席だと一人で来ているお客さんが多く、私語がほとんどない)、文楽劇場の気張りや気取りのない空間はとても素敵なことだと思う。あと、大阪公演は技芸員さんものびのびされているように感じる。やっぱりおうちへ帰れるからでしょうか。

そしてやはり大きいのが、東京公演だけでは年4回しか観劇の機会がないこと。前述の通り、歌舞伎や能・狂言あるいは落語や大衆芸能だと、出演者や内容を選ばなければ都内でも上演頻度が高いけれど、文楽はたとえ選り好みしなくても首都圏上演の機会はどうしても少ない。文楽は大阪をはじめとした関西圏のほうが単発のイベント等も多く、普段は文化的イベントの多い東京在住に満足している私だけど、文楽ばかりは本当関西在住でいたかったと強く思う。

 

お金の話、予算はいかほどか

最後に、お金のことについて。趣味にかける予算は重要なはずだが、あまりそういう話はされないと思うので……。

文楽の場合、チケット代が一等席でも5,000〜7,000円と手頃なので、東京公演のみなら年間の公演を全部一等席で観ても6万円いかない程度だと思う。東京・大阪の主催公演すべてでも年間合計11万円程度。私の場合、これに大阪公演のための東京〜大阪の交通費・宿泊費と、単発公演のチケット代・交通費・宿泊費を使っている。昨年2月から今年1月までの1年で文楽にいくら使ったか計算したら、計26万円くらいであった(内訳:主催公演18ステージ、若手会・地方公演含むその他公演7ステージ。大阪行き4回・松山行き1回の交通・宿泊費を含む。食費・交際費等は除外)。

とかのんきに書いているが、実際にはこれ以外にも本を買ったり色々しているので、自分が使った金を計算してちょっと怖くなった。でも、先日、趣味関係に金を突っ込む人々の寄稿を集めた『悪友 vol.1 浪費』という文章同人誌(http://mogmog.hateblo.jp/entry/aku-you01)を読んだのだが、ジャンル的に文楽にもっとも近いであろう「市川海老蔵に浪費する女」という方は、歌舞伎に使うお金は毎月3万程度と決めていると書いていた。決めていて3万円。要するに控えめに言って3万円ということだろう。ということは単純計算で年間36万は使っていることになる。この人、遠隔地の公演へも行っているみたいだけど、その際の交通費等は別途計算しているはず。いくら歌舞伎が東京中心の興行とはいえ交通費込んだら月3万でおさまるわけない。私が使ったお金、まあなんてかわいいんでしょう、ひと安心〜。でも本当、文楽が歌舞伎や能よりはるかにチケット代が手頃な業界でよかった。歌舞伎のように1ステージ2万円ではさすがに毎回一等席は大変。料亭や豪華客船みたいな特殊な場所での公演を除外すると単発公演も比較的良心的でありがたい。安いと無料、最高でも10,000円前後と、逆に心配になってくるほどの庶民価格だ。

それと、文楽はグッズ類が基本的に存在しないので、無駄金は使わなくて済む。いや、グッズ、あるんだけど、謎の歯ブラシとか謎のパラパラ漫画付きメモ帳とか、それどうすんねんって感じの謎すぎて買いようがないモンばっかなので心配ないんですよ……。私は劇場での販売物は書籍とCD、それとカレンダーしか買ったことがない。変な土産物しかないと書いたけれど、書籍は劇場売店でしか売られていない内部刊行物もあるので、一番良い土産物だと思う。

 

 

┃ 5. この一年で印象的だったこと

冒頭ではいちばん最初に観たときの驚きを書いたが、最後に、何回か観てきて、すこし落ち着いて芝居を観られるようになってきたうえで印象的だったことをふたつ書いておきたいと思う。

私が観た人形の芝居でもっとも印象的なのは、昨年の錦秋公演(大阪)で観た『艶姿女舞衣』酒屋の段。さきほどコンビニで売ってるB6のレディコミみたいな話と書いたのはこの狂言で、嫁入りしても夫に無視されているお園がああだこうだ言う前半(本当はここが一番有名)はそういうもんだ程度で流して観ていたのだが、後半、夫・半七の愛人である三勝が出てきてから印象がまったく変わった。三勝はほんの少ししか出てこない。心中を決意した半七と三勝は半七の実家である酒屋・茜屋の門口までくるが、当然中には入れない。三勝は玄関の格子戸の隙間から自分が産んだ子であるお通がお園に抱っこされているのを見て嘆き悲しむ。このときの三勝の姿がとても印象的で、格子戸にすがりつく姿は驚くほど透明感のある美しさをたたえていた。三勝役は吉田簑助さん。人形が本当に生きているようだった。子供を心配した人形が生命を得てひとりでに歩いてきたような、まるで「飴幽霊」のお話のような、美しく神秘的な光景。ちょうど格子戸のセットの目の前の席が取れたのでその芝居を目の前で間近に見ることができ、鳥肌が立った。人形遣いが人形を遣っているのではなく、三人の人形遣いが勝手に動きだす人形を抑えているように見えたのが衝撃的で、忘れられない。その三勝の清廉さと美しさには、半七がお園という妻をさしおいて家をあけることに足る説得力を感じ、ぱっと聞き無茶があるだろうというストーリーを芸の力でここまで違う印象にすることができるのかと驚いた。

それともうひとつ印象的だったのは、芸における「品」という概念について。おそろしくガサツに生きている私は「品」とは縁遠い人間であったけど、文楽ではじめて「品」という概念をわかった気がする。それは人形遣いの吉田和生さんを見てのこと。和生さんの遣う人形にはつねに品がただよっている。歩く姿勢や打掛・袖のさばき、障子の開け閉め、小道具の上げ下ろしといったほんのすこしの所作、その積み重ねに品は現れる。何気ない動作のなかで気品はより一層引き立つ。派手な役でなくとも気品は人形に目を引きつける。和生さんは一見ほのぼのしたおじいちゃんだけど(進藤英太郎とか曾我廼家明蝶系のほのぼの顔)、きわだった気品を感じる人形遣いである。文楽の芸に対して使われる言葉でいうと、ほかに「情」というものがある。これはまだ、私にはよくわからない。むかしの名人の録音を聴いたり、映像を観ていると「このひとは何かが違う」と感じることがあり、ぼんやりとわかるような気もするのだが……、これの実感や理解にはまだ時間がかかりそうだと思う。

 

 

このエントリ、あとあと見返したらブログごと抹消したくなると思うが、観始めたころの気持ちというのは後になっては忘れてしまうものなので、その気持ちを覚えているうちに残しておきたいと思い、今回は長めに書いた。

拍子木の音で定式幕が開き、床が廻ると、そこからは別世界。 公演を観に行くたびにあたらしい発見や驚きがある。何がなんだかよくわからないこともたくさんあるけれど毎公演楽しくて、これは初心者のときだけの嬉しい時間だ。「なんかすごくてびっくり〜」という何も考えていない感じの入り方をしてしまったが(いまなお何も考えてないけど……)、その後良い公演やイベントに行く機会に恵まれ、知人や文楽を通じて知り合った方々のおかげでより楽しみが増して観続けることができているのは、本当ありがたいことだと思う。

 

 

 

*1:とか言って、いまとなっては義太夫狂言のほうがわかりやすいだろと思う。だって義太夫狂言って義太夫でナレーションついてるんだよ。状況全部説明してくれるんだよ。

*2:鑑賞教室公演等の短期公演は本公演には含まないようです