TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 11月大阪公演『心中宵庚申』『紅葉狩』国立文楽劇場

秋深き隣は何をする人ぞ。大阪公演へ行ってきた。

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心中宵庚申。人形の主演おふたり初役ということで(玉男さんはそうだけど、勘十郎さんも初役?)、楽しみにしていた演目だったが、思っていた以上にずっとよかった。以下、復習がてら、あらすじまとめ。

上田村の段

上田村に住まう平右衛門〈吉田和生〉は苗字を許されたほどの大百姓で、多くの使用人をかかえて暮らしている。妻なき今、姉娘のおかる〈吉田簑助〉に婿を取り家を守らせ、妹娘のお千代は大坂の八百屋半兵衛へ嫁がせていた。その平右衛門がにわか病で床に伏せているこの頃、籠に送られてお千代〈桐竹勘十郎〉が帰ってきた。おかるは嫁ぎ先の忙しい中、父の見舞いに帰郷したのかと問うたが、お千代は離縁されて帰ってきたのだった。おかるは彼女に非はないがもう3度目の出戻りと世間の目の厳しさを皮肉交じりに説くが、身重のお千代が夫半兵衛の不在中に姑から無理やり暇を出されたと聞いて不憫がる。そのうち眠っていた平右衛門が目覚め、何度離縁され世の人がなんと言おうと一番大切なのは娘、次はもっと身代の良い男へ嫁入りさせると彼女を励ます。

お千代に父を介抱させ、おかるが彼女の中食の支度をしていると、玄関先に旅姿の半兵衛〈吉田玉男〉が現れる。半兵衛は父の十七回忌のために実家の浜松へ帰っていたのだった。不愉快なおかるが当てつけるのにも気づかず上り込む半兵衛だったが、奥の間からひょっこり顔を出した千代が顔色を変えて引っ込んだのに驚く。これは何事かと戸惑っていると、おかるからは自分の心に聞けと皮肉られ、お千代に本を読ませている義父平右衛門からは義理も法もない武士のクズと言われ、半兵衛は事態を悟ってその場で切腹しようとするが、それでは義理ある大坂の義父母への当てつけになると平右衛門に諌められて思いとどまる。半兵衛がお千代を連れて大坂へ帰るというと、彼女は父の病を忘れたかのように喜んで帰り支度。その姿を見て平右衛門も嬉しく思い、半兵衛お千代と水杯を交わすのだった。平右衛門は二人が未来まで連れ添い、灰になっても戻らぬようにとおかるに門火を焚かせる。不吉さに心曇るおかるがつけた焚火の煙に送られ、お千代と半兵衛は連れ立って大坂へ帰っていった。

お千代がひたすら哀れで健気。いちばん最初の出、実家へ無理矢理に帰された駕籠からうち萎れて出てくるところの、落ち込んだ儚げな雰囲気が印象的。くるくるとまめまめしく立ち働く姉おかる(簑助さんぽい、ひゅっと伸び上がる姿が可愛い)とは対照的に、目を伏せ気味にしてゆっくりとした歩み、寄る年波と病で弱った父平右衛門よりもぐったりとしている。

お千代の演技をよく見ていると、姉に甘えるとき、父に甘えるとき、そして夫・半兵衛に甘えるときで仕草や印象がすべて違っていて面白い。半兵衛の胸にすがりつくときの、安心しきったすごくシンプルな表情の愛らしさ。姉や父の膝にすがりつくときはそれぞれ今まで自分の中に押しとどめていた感情が堰を切って溢れ出すような複雑な表情で抱きついているんだけど、半兵衛に抱きつくときだけは複雑じゃなくて、ただ一心に愛しい人のもとへ帰ってきたという、まるで童心に還っているかのようなピュアな表情なんだよね。ところでお千代、前触れもない自然さとすごいスピードで半兵衛に抱きつくんだけど、そのとき半兵衛の左遣いさんがズドドドドと近づいてくる勘十郎さんを避けるのにものすごい速さでくるっと半兵衛の人形の後ろ側へ避難したのにはちょっと笑った。半兵衛とお千代の人形がからむ所作の、まるで人間同士でやっているような自然さには、こんな努力(?)が隠されていたのね。

平右衛門の和生さんの堂々とした演技も見どころだった。平右衛門は病身ゆえ、丸めたふとんにもたれかかっていてほとんど動かないのだが、父親らしい情愛に満ちた大きい人間性を感じる。夏休み公演の『源平布引滝』義賢に続くイイ役だった。

 

 

 

八百屋の段

半兵衛の養家である八百屋は大坂新靭にあり、かつては小さい商いだったものの、いまでは使用人を何人も雇い人に金を貸すほどの店になっていた。主人・伊右衛門〈吉田簑一郎〉は切り盛りを半兵衛に任せて自分は念仏三昧、その女房〈吉田簑二郎〉は使用人へのケチつけに忙しい。そこへ得意先への配達に行っていた養母の甥・太兵衛〈吉田玉翔〉が帰ってきて、半兵衛に山城屋からの呼び出しの言付けを伝える。実はそれはお千代からのもので、半兵衛は養母に遠慮して大坂へ連れ帰ったお千代を従兄弟の山城屋へ預けていたのだった。それを悟った養母は、甥の太兵衛でなく他人の半兵衛に店を継がせたにも関わらず、その親の気に入らない妻を大事にする不孝者と半兵衛に小言する。伊右衛門は信者仲間の食事会に女房を連れ出そうとするが、留守のうちにお千代を連れ込まれてはと女房は頑として動こうとしない。その気性をよく知る伊右衛門はうまくなだめて後から来させることにして、自分は先に家を出て行くのだった。養母と二人きりになった半兵衛は、自分の不在中に姑から離縁したのでは世間の批判が養母に向く、自分から千代を離縁すると告げる。養母は、それが嘘なら出刃包丁で喉を突いてやると脅して出かけていった。

入れ替わりに浮き足立ったお千代が帰ってくる。あまりにタイミングよく現れたのを訝しがる半兵衛が事情を尋ねると、お千代は養母が山城屋に来て家に帰るよう言ってくれたと、留守中に荒れ放題の家の中を見てどこから家事をしようかとそわそわしている。その姿を見て心が痛んだ半兵衛はすべての事情を話し、養父母・義父母ともに孝行の道を立てるにはもはや心中しかないと告げる。お千代も夫の孝行の道が立てるなら一緒に死ぬと、二人は抱き合い泣き沈むのだった。その門口へ養母がにょっと戻ってくる。猫なで声の養母に呼ばれ心苦しく側へ寄ろうとするお千代を制し、半兵衛は涙ながらに去り状を突きつけて門外へ追い出す。これには養母もさすがに後味悪く、読経にと奥の間へ消えていく。

やがて夜が迫る頃。半兵衛は準備していた脇差一振り・毛氈・死装束の包みを抱えてそっと店を抜け出し、門外で待っていたお千代とともに、死に場所を探しに出るのだった。

お人形があまりに可愛すぎて、ありがたさのあまり合掌しそうになった。

さきほどの段に続き、お千代の演技で可愛らしかったのが、義母に見せつけるため半兵衛に無理矢理店の外へ追い出され、ぴしゃりと門を閉められたあと。門扉の格子の隙間から家の中にいる半兵衛をじ〜っと見ているのだが、その仕草の可愛らしいこと。おろおろしつつ、しかし不安に夫愛しい気持ちが打ち勝っているような微妙なニュアンスのある仕草で、「すき……❤️」って感じだった。その間メインで演技をしているのは半兵衛なんだけど、どちらかというとお千代のほうに目がいく。勘十郎さんもちょっと人形につられていて切なげな雰囲気というか、可愛いことになっていて、笑った(ごめんなさい)。勘十郎さんはこういう感情だけで生きているようなキャラクターがお似合いですね。感情だけで生きてるって、現実的にはまずそんなことできないし、映画などでも「ありえなくない?」となりがちで、かなり難易度の高いキャラクターだと思う。こういう人物造形、私は文楽を観るようになってはじめて納得がいったというか、しっくりきたな。文楽だと生臭さがなく、浄瑠璃も人形も、感情のそのものを表現しているだけだからかもしれない。ことにお千代はいちばん重要なこと、ただ一心に半兵衛を慕っていることが自然に心に伝わってくるのがとても良かった。

半兵衛は抱きついてきたお千代の背中をぽんぽんしてあげる、その手を回す速度とタイミングが完璧でびっくりした。なんという自然な夫感……。文楽を観ていると人形の演技ってやっぱり人形の演技だなと思うことも多かれど、この演技はあまりに自然で違和感がなさすぎ、人形とは思えなかった。さすが抱きつかれ(つき)なれてると思った。あいづちのようにぽんぽんする手つきに半兵衛のやさしい人柄がよく現れている、しみじみとした良い演技だった。

しかし伊右衛門女房、すごいタヌキババア(素直)。この段ってすごく難しいニュアンスがあると思うんですが、このお姑さん、もとからこういうキャラなんですかね。千歳さん&簑二郎さんの演じ方だと、単に嫌な、陰湿なお姑さんではなく、『仁義なき戦い』の山守組長(金子信雄)的なひねりのあるキャラですよね。ちょっとチャーミングな。現実的に考えると、このお姑さん、性根が曲がっていて、お千代をなぜ嫌っているかというと「嫌だから嫌」、気に入らないところがないから逆に嫌なんだと思いますけど、そういくとマジでド悲惨な暗い話になっちゃうからですかね。個人的にはそういう冷え冷えと凍りつくような人間の心の闇が見える話、好きなんですが……。「甥っ子ではなく赤の他人の半兵衛に店を継がせたという過去があるので、根が芯から曲がっているわけではない」という設定になっているので、ああいうお茶目な演じ方もすごくわかる。あとはこのお姑さんの使いこなし方(?)を夫も甥っ子も心得ているのが面白かった。「ど〜でもい〜」って態度丸出しで天秤棒をくるっと振って配達に出かけていく太兵衛が可愛い。お姑さんをうまくいなせないのは、根が真面目な半兵衛とお千代だけなのね。それが不幸の始まりか。

この段は千歳さん&富助さん。千歳さん、最近、語りがとても丁寧で良い! 『心中宵庚申』は人形が可愛すぎてありがたさのあまり2回観たのだが、千歳さん、1回目は若干お声が枯れ気味で心配だったけど、2回目に観たときのほうが声が落ち着いておられて良かった。やっぱり出だしからいい声で語ってもらえると気持ち良い。

ところで、店先に出ている二股大根がすごい二股大根だった。普通のおしとやかな二股大根ではなく、徳川女刑罰絵巻牛裂きの刑状態のダイナミックな開脚ぶりのやつで、大根だけあってすごい大根足、あまりの開脚ぶりにはじめ二股大根と認識できなかった。ほかにはすんごいゴロンとしたかぼちゃなどが置かれていた。しいたけは蔵で育てているそうです。江戸時代はしいたけ農家はなかったのか? それともしいたけ、すぐ傷んじゃうのかしらん。

 

 

 

道行思ひの短夜

今夜は宵庚申。夜明かしで庚申参りをする人混みに混じり、死に場所を探して彷徨う二人は生玉社前にある東大寺大仏殿の勧進所へとたどり着く。いままでの人生を振り返り、一見商売はうまくいっていても心の内は苦しいことばかりだった上、最後は愛する妻を道連れにして心中せざるを得なくなった自分たちの身の上を嘆く半兵衛。お千代もかざされた脇差を前に、産んでやることができなかったお腹の子の不憫さに泣き伏せる。夜明けが迫り、ついにお千代を一突きにする半兵衛。半兵衛は辞世の句を詠み、武士の出らしく切腹して、お千代の遺骸を抱いて果てるのだった。

主役二人が登場する前に、庚申参りの若者カップル〈娘=吉田簑紫郎、若男=吉田玉勢〉が出てくるのだが、この子たちが高校生カップルみたいで可愛い。意図してそうやっているかはわからないけど、なんだか微妙に浮かれていて、所作が子供っぽくて可愛いんだよね。娘のほうがこけるところで優雅にこけられないところが未熟な小娘っぽくて良いんだよ……。若者よ、頑張って……(T_T)という気分になった。私、簑紫郎さんや玉勢さんより年下ですが……。

そんな高校生カップルが去ると、暗い表情ながら透き通るような空気感をまとった主役カップルが入ってくる。お千代の死に際は壮絶。怖すぎる。死に際に異様なこだわりをお持ちの勘十郎さんがやってるからなんだけど、やっぱり心中って綺麗事ではなく、刺されて死ぬわけだからすごい苦しみだよね。と思った。

半兵衛が辞世の歌を短冊に書きつけるとき、口にくわえた矢立(筆入れ)からしゅっと筆を引き抜く場面、どうやって口に矢立をくわえさせているかよくわからなくなった。初代吉田玉男文楽藝話』をひらくと「筆に栓がついていて、それを口に差し込む」「小道具さんが改良してくれて、上手に引っ掛けられるように工夫されている」と書かれているが、何をどうしていたかは全然わからない。1回めに観たときは半兵衛、引き抜く途中で矢立ごとおろしていたんだけど、2回目は矢立を口にくわえたまますべて引き抜いていた。

そして、刺されたあとのお千代。普通、人形って死ぬと人形遣いは人形を置いて場を離れるが、この間お千代の人形遣いは半兵衛が死ぬ(幕)までかがんでその場で待っている。半兵衛が辞世の句を書いたり、切腹の支度をしている時間は長いんだけど、それまで待っているというのは死ぬときは夫婦一緒という表現なんだろうな。

 

いや〜、『心中宵庚申』、良かったですわ〜。夫婦のあいだに通じ合うしみじみとした情愛を感じた。それも、わざとらしい説明のようなそれではなく、すごく自然な人間らしい感情という印象で……。話が途中から始まるので、この夫婦がどうしてそこまで通じ合っているかはまったくわからないのだが、その前段がなくてもすぐにすうっと世界に入っていけた。他の人がどうあろうと、2人の世界がちゃんとそこにある印象。文楽って浄瑠璃そのものが主体とは言えど、出演者のパフォーマンスによって感じ方が大幅に変わるものだなと思った。

 

 

■ 

可愛いプロモーション用写真。お仕事モードでカメラ目線の玉男様と、半兵衛ラブ心がほとばしる勘十郎様。

  

 

 

 

紅葉狩。

その武勇で知られる平維茂〈吉田文司〉はある夕刻、時雨に錦深まる信州戸隠山を訪れていた。維茂が紅葉を楽しんでいたところに幔幕を張った一角に気づき、さぞや高貴な人であろうとその場を立ち去ろうとすると、現れた美しい姫君・更科姫〈豊松清十郎〉とその腰元たち〈吉田紋秀、吉田玉誉〉が彼を呼び止め、酒を振る舞う。維茂が姫の舞を見ながらまどろんでいると、いつのまにか姫とその一行は姿を消してしまう。やがて日が暮れ、維茂の夢の中に山神〈桐竹紋臣〉が現れて彼の身に迫る危機を知らせ、目覚めるように促す。維茂が山神の警告にはっと目を覚ますと、すさまじい山颪とともに鬼女が姿を現す。姫の正体は、維茂に討たれた仲間の仇をとるべく彼を狙う鬼女であった。妖しい秘術で維茂に迫る鬼女だったが、維茂の武勇と名剣の威徳によりついに滅ぼされた。

いろんな人が踊るのが楽しい作品だった。全員出遣いの更科姫の踊りは結構長くて大変そう。榊のついた長い杖を持った山神のリズミカルな踊りが良かった。童子の姿だが威厳と上品さがあり、さすが神だと思った。

後半の人形が鬼女になったときの清十郎さんの雲模様のド派手着付、北九州の成人式のヤンキーみたいで、清十郎さんに似合ってなさすぎて爆笑した。にっぽん文楽の『増補大江山』で簑二郎さんが着ていたときはとくに違和感なかったんだけど。何が違うんですかね。そして清十郎さんて清楚な姫か透明感のある若い貴人役のような、線の細い芝居のイメージがあったが、毛振りの演技なかなか良かった(ウエメセ)。一発でちゃんと綺麗に回しておられました。本当、片腕だけであの人形のかしらの重量を持ち上げるのは大変だと思う。人間が頭を振ってるのでは表現できない摩訶不思議な印象があった。

 

 

 

 

開演前に大阪観光で大阪城へ行った。城内の近代化度がすごすぎたのと(エレベーターで登れるというのがまずすごい)、敷地内でおそうじの人が落ち葉アートを作っていたり、ミミズクや派手な鳥さんが飼われていたり、お堀に観光客の乗れる御座船が浮かんでいたりの観光充実度に仰天した。さすが大阪、サービス精神が突き抜けていると思った。

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