TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 5月東京公演『心中宵庚申』国立劇場小劇場


5月公演は第一部しか観られず。最近のよかったこと、横浜のへびが出てきたことだけです。

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第一部、心中宵庚申。
上田村は人形黒衣、以降は出遣い。

上田村のお千代パパ、平右衛門が玉志サンだった。玉志ジジイ……って感じのすごく真面目そうなジジイだった。根性だけで起き上がっている系で、体の位置が低く、左脇の丸めた布団に寄りかかり、体を二つ折りにして、かなり病んでいた。上演中、どんどん具合悪くなっていた。胃が悪いのでしょうか……。帰ってきた千代〈桐竹勘十郎〉が近づいてきたときに、ちょっと、「ウン……!ウン……!」とうなずいているのがよかった。
しかしなんというか、玉志さんから勘十郎さんは絶対生まれないだろと思った。お舅さんとお嫁さんって感じに見えるのが味わい深い。

半兵衛〈吉田玉男〉の出は、武家出身らしいクッキリした動き。お千代ファミリーの人たちはかなり世話がかっているので、半兵衛の出で突然雰囲気が変わり、「何者?」って感じだった。


八百屋は、清治サンの三味線がめちゃくちゃ上手いということがよくわかった。いや清治が三味線上手いことはお客さん全員知ってることなんですが、やっぱり上手い、と思った。音が繊細だ。私は、人形の演技が上手い人というのは、動きはじめ・動きの終わりが上手いと思っていると思うんだけど、三味線も同じだなと思った。音の入りや末尾の精緻さが場の雰囲気を作り出すんだなと思った。

クソババア・伊右衛門女房〈吉田文司〉。クソババアといっても、『心中宵庚申』の場合、彼女の悪辣さは表立って描かれていない。なぜいじめてくるのかわからないこと自体はいいんだけど、難しいと思うのは、ほかのキャラとリアリティレベルに整合性がなさすぎること。半兵衛やお千代のようないかにも芝居じみた善人テンプレキャラの真横にこれがいるというのが難問。若干いじわるババア風にする(桂川のおとせのようにする)人が多いと思うけど、やりすぎると原作から乖離するので、もやっとしたキャラになりがち。それを払拭できる人はいるのだろうか。『心中宵庚申』、いままで2回観て、今回で3回目だが、伊右衛門女房の演技に納得できたことがない。

玉男さんは、勘十郎さんの抱きついてくるタイミングや抱きつき方を見切ってるんだろうなと思った。勘十郎さんてものすごい勢いで抱きつきにいくけど、受け止めが良い塩梅の位置。右上腕で受け止めて、2人の人形の姿勢を綺麗に見せている。それと、抱きとめ方がちゃんとまともな夫だった。恋に溺れた若者や不倫してるヤツではない。さりげなくやっているけど、このあたりはかなり夫婦役の配役次第だと思った。

あとは二股大根がよかった。いつも同じ大根だけど、いつもイイ感じに「ふたまた〜」ってます。二股大根のお世話をする丁稚役の玉彦さんが転びそうになって、ちょっとひやっとした。


道行も團七さんが圧倒的に上手い。当然一番良い三味線を使っているだろうけど、単にそれだけじゃない。床に近い席だったからかもしれないが、誰が弾いているか、意外と(?)聞き分けができるなと思った。
今回の庚申参りカップルは、玉翔さん、紋吉さん。大きくなっても一緒に遊んでいる年の離れた兄妹みたいで、可愛かった。

 

 

 

出演者それぞれの個性がよく出た舞台だった。

なんというか、まともな人を集めた配役になっていた。中途半端な人が混入していると間持ちしない演目だからだと思うけど、正直なところ、このメンツ集めるなら別の演目をやって欲しい。もしくは、この演目をやるなら、人形の配役を変えて欲しい。半兵衛を玉志さんにするか、千代を和生さんにして欲しい。半兵衛の武士らしさをどこまでやるかは人によると思うので、そのあたりも含め、見てみたい。

紋秀さん、玉翔さん、紋吉さんは、一瞬しか出てこない役でも、ちゃんとどういう人物かわかるように遣っていらっしゃるのは面白いと感じたが、この役ではかわいそうだと思った。

 

5月公演は9日〜26日の公演が予定されていたが、9〜11日は緊急事態宣言の休業依頼のため中止。12日に初日を迎えたものの、休演日17日の翌日から千穐楽までは、出演者に感染者・濃厚接触者が確認されたため中止と、大幅な中止日程が出た。そのため、わずか5日間の上演で終わってしまった。こんな儚いことが世にあろうか。感染された方が早くよくなるよう、祈るばかり。9月公演までには、みんな、ワクチン接種できるのかな……。

 

公演が減少するなか、若手のみなさんが8月に自主公演を企画しているようだ。
その開催資金の一部をクラウドファンディングで集めているとのことで、私も孫にお小遣いをあげる気分で、少しばかり出資した。
色々みんなで相談してやっているのだとは思うが、目標金額が異様に低くて、1桁間違って入力しはったんとちゃうかと不安にさせてくる。当然のように即日目標達成していた。そして返礼品が即日なくなってしまったため、ただいま追加返礼品を考えているご様子。うーん、のんびりしとる。私は玉男様私服チェキか、パティスリー・タマショーのレシピブック希望です。

 

 

  • 義太夫
    上田村の段=竹本千歳太夫/豊澤富助
    八百屋の段=豊竹呂勢太夫鶴澤清治
    道行思ひの短夜=お千代 豊竹藤太夫、半兵衛 豊竹希太夫、豊竹咲寿太夫、竹本文字栄太夫/竹澤團七、竹澤團吾、鶴澤清𠀋、野澤錦吾
  • 人形役割
    下女お菊(丁稚がしらのヤツ)=吉田玉峻、下女お竹(鼻動きのヤツ)=吉田玉延、下女お鍋(娘のヤツ)=吉田簑悠、姉おかる=吉田簑二郎、駕籠屋=吉田玉征&豊松清之助確[前半]、女房お千代=桐竹勘十郎、百姓金蔵=吉田文哉、島田平右衛門=吉田玉志、八百屋半兵衛=吉田玉男、丁稚松=吉田玉彦、伊右衛門女房=吉田文司、下女さん=吉田和馬、甥太兵衛=桐竹亀次、西念坊=桐竹紋秀、八百屋伊右衛門=吉田玉輝、庚申参り(若男)=吉田玉翔、庚申参り(娘)=桐竹紋吉 

 

 

 

 

 

 

今月は文楽公演があまりに儚く終わってしまったので、特別企画公演の感想も書いておこうかな……。

 

5月22日、国立劇場大劇場で行われた特別企画公演〈二つの小宇宙―めぐりあう今―〉「変化(へんげ)と人間と ―羽衣伝説―」を観に行った。

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「羽衣伝説」を、天女=中村雀右衛門と漁師伯龍=吉田玉男(人形)が共演して描くという企画。

 人間と人形が同じ舞台に存在したとき、どう見えるかというのが鍵になるが、意外と違和感がなかった。違和感がないっていうか、なんや感じが違うんが二人おるなとは思うんだけど、え、人間と人形でしょ、という不自然さはない。良い意味で「違う人」たちって感じ。

 

これには、舞踊劇であることが大きいと思う。雅楽・神楽をベースに新作された曲に合わせで人間・人形が無言で舞い踊っていた。人間・人形とも、曲のテンポに合わせた動作。人間・人形とも舞踊では生っぽいリアルな動きが排され、音楽によって所作がコントロールされるというのは大きいなと感じた。文楽人形の場合、ある動きをひとつするにしても予備動作が存在するので、人間の役者と同居した際に、サイズ感以上にその点が不自然に見えないよう、コントロールをしていくのは大変だったのではと思うが……。

 

伯龍は、文楽の古典演目の若男よりも、かなり芯がしっかりとした動作に寄せられていた。武人とかの芯の強さではなく、良弁上人のような、間合いが大きくゆったりしていることによる芯の強さ。人間との共演でも存在感が劣らない最大の要因は、これだと思う。なにげなく見ていると、観客もゆったりした雅楽の速度に慣らされるので何も感じないが、実際には相当ゆっくりした演技だと思う。顔をそっと上げる、横を向ける動作にしても、時間をかけて、ゆったりと動いていた。実際には、ああいう軽い拵えの人形をゆったり遣うのは、かなり大変だと思う。座り姿勢でじっとしているときは、まじで空中で静止している状態。このゆったりした所作が単なる剛毅さに見えないのは、伯龍の目線がとてもピュアだったからだと思う。ゆっくりと、「しぱ…しぱ…」とまばたきをするのが印象的だった。一生懸命生きてそうだった。

また、玉男さんの人形特有の、なにか思っていることはあるんだろうけど、口には出さない、寡黙な雰囲気――人形の斜め上に、常に「……」の小さな吹き出しが浮いている――がよく感じられた。人形は元々喋らないけど、そうではなく、喋らなさそうな人に見えるのが良かった。

 

実際には、天女と伯龍が同時に本舞台に立っている場面は非常に少なかった。お互いをそっと見守っている過程の描写が多く、接近する演技はほぼない。時勢柄かもしれないけど、手に手を取り合うとかはなし。両者が背後に近づきあうところでは、さすがに現実のサイズ感の違いが「逆に」よくわかる。人形が小さく思えるというより雀右衛門デカいなという感じで、地母神というか、観音様?と思った。伯龍の背後に天女が立つ時、伯龍の左(玉佳さん)が「緊張している人形」のようにめっちゃ緊張していたのがよかった。いつも空気にそよぐように「ゆら〜ん」としてるのに、常時「シュッ!」としておられた。

 

漁師伯龍は、古典演目にはない拵えの人形。かしらは目がパッチリした描き眉の源太(若男?)、前髪センター分けで月代なしのポニテヘア。往年の時代劇の美青年といった佇まい。かしらは、当日の配布プログラムに乗っていた玉男様インタビューに「若男」というキーワードが使われていたが、優しい顔の源太のように見えた。衣装はコバルトブルーの石持の着付に白の袴。足元は素足。稽古公開の写真ではこの格好だったが、本番では、ペールブルーの袖のない水干のようなものを上に羽織っていた。左は吉田玉佳、足は吉田玉路。左・足は黒衣だが、プログラムにも名前掲載あり。

 

 


詞章の聞き取りはほとんどできなかった。字幕が出ていたが、席の都合で上演中はほぼ観られず、話はよくわからなかった。「羽衣伝説」というと、地上に降りてきた天女の羽衣を漁師が隠してしまい、天女が天に帰れなくなったので漁師と結婚し子供をもうけるが、やがて天女が羽衣を発見し、天に帰っていく話……とイメージされると思う。しかし、今回の天女と漁師伯龍は恋人同士や夫婦には見えなかった。雀右衛門さんの地母神オーラのすごさと、伯龍の人形の「じっ……」ぶりは何?と思っていたが……

帰宅後、配布プログラムの中に挟み込みで詞章が入っていることに気づいた。それによると、本作はどうも「羽衣伝説」の後日談という建てつけのようだった。
天へ帰った天女が地上へ様子を見に来ると、そこには成長した子供が一人で暮らしていて、彼もまた天女に何か不思議なものを感じるが、天女は再び天へ帰っていく……という話なのかな。最後、天女が下手花道を走り去っていくとき、上手花道から「じっ……」とそれを見る伯龍のあどけない表情が印象的だったが、なるほどね。

 

 

 

舞台美術として、樹木をベースにした大型の生け花がステージ中央に飾られていた。ちょっとしたガレージくらいの大きさがあった。伯龍さん、周囲をうろ……としていましたが……、あれは伯龍の家なのかな? 生け花を美術として扱うと聞いて、ああ、「やってみた」がやりたいのね……と思ってたが、なんというか、そういう、「在所で自然に馴染みながら暮らしている人が住んでいるあばら屋」の美的表現に見えて、面白かった。文楽や歌舞伎の俊寛のボロ着や伊左衛門の紙衣は、リアリティ追求でなく美的表現で作られているが、ああいう感じ。書は、意義がよくわからなかった。

薫物で山田松香木堂が参加していた。上演中にオリジナル調合の香を焚いていたようだが、結構前方席だっけど、マスクをしていたためか、正直あまりよくわからず……。
その限りの感覚ではあるが、伝統的な香木の香りというより、アロマ用に売られているもののような、フレグランス的用途な洋風の香りを感じた。前、山田松香木堂のお店へ行ったとき、色々お線香を試させていただいた。そのとき、アロマ用に作られたものも試させてもらったんだけど、お店の人が「華やかな香り」とおっしゃっていた商品と匂いの傾向が似ていた。ただ、燃焼の都合なのか、シーンによって調合を変えているのか、時々、もうちょっと渋い香りにも感じられるときがあった。

演奏の声楽部分は、個人的にはマイクなしでやって欲しかった。むしろ、くっきりはっきり聞こえる必要ないんでは、と思った。

 


客席をみると、おそらく前方は雀右衛門ファン、後方はコンテンポラリーアートのファンの人なんだろうなと思った。
この手の企画は、基本的にはコンテンポラリーアートファンの人向けだな。こういう古典芸能異業種コラボ、もしくはモダンアップデートって、企画としては非常によく見るけど、なんかこう……、古典芸能に詳しくないほうが、面白いよね……。私も、古典芸能を見るようになる前のほうが、この手の企画を「なんかすごい!なんかかっこいい!」というふうに、受け止められていたと思う。今となっては、「ここまで金かけた企画でも、こうなるんだ〜……」というのが、素直な感想……。

 

でも、玉男さんの良さが改めて感じられたので、観て良かった。玉男さんの人間の役者との共演は、令和改元のイベントで、野村萬斎・市川海老蔵と寿式三番叟を踊っていたことが思い出される。その動画配信を観たときにも思ったのだが、玉男さんの人形は、人間のスケール感と同等の存在感がある。

当日配布のプログラムに出演者インタビューが載っており、雀右衛門さん・玉男さんがそれぞれお互いについて書いていた。その雀右衛門さんコメントの中に、次のような言葉があった。

玉男さんは立役のお人形を遣われることが多いですが、人形を支えて動かすために「体の芯が鍛えられていなくてはならない」と常々おっしゃいます。(以下略、歌舞伎の女方でも同様の旨)

玉男様の体幹力は、やっぱり、意識的になされているものなんだ……。と思った。玉男さんは、文楽公演でも、人形が出てきたとき、明らかに胆力が違うオーラがある。他の人とは、動きのベースが違う。玉男さんならではの、立役の新しい解釈だと思う。今回は、人間の役者である雀右衛門さんと共演することによって、それがより一層はっきりわかって、良かった。