TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

 東京オリンピック音頭 恋愛特ダネ合戦


 オリンピック景気恐るべしの怪作。

┃ あらすじ
スポーツ用品店「スパルタ」の入り婿ダンナ・水野文左衛門(南利明)は元マラソン選手だったが、戦争などによってオリンピック出場を果たせず、その夢を娘・アキコ(香山美子)に委ねて日夜彼女のトレーニングに励んでいた。そしてまたアキコは歌って踊れる現代女性、ミス・オリンピックを目指して水野の期待に応えようとしていた。さて、そんな水野の家には新聞記者の杉山平八郎(田村高廣)が居候していた。杉山は芸能部の記者だったが、東京オリンピックの開催を一年後に控えスポーツ部へ一時貸し出しされ、馴れないアスリート取材にてんやわんや。そんな折り、杉山の上司・大原部長(由利徹)のもとにアフリカの新国・イケタニアの国王、ウガンダ殿下が(まだオリンピックまで300日もあるのに)自国のマラソン選手・モモリヤを伴って来日するという特ダネが入ってくる。これは他社を出し抜けるチャンスと息巻く田村だったが、イケタニア語を話せる人間は日本国内にひとりしかおらず、その津山博士はすでにこの世を去っていることがわかる。気落ちする田村だったが、津山博士についてイケタニアに渡っていた助手がいることが判明、それはなんと下宿先の旦那、水野文左衛門だった! しかし先手を打ったライバル紙記者・早野(天田俊明)が先に水野と通訳の専属契約を結んでしまう。困った杉山は彼に便乗してイケタニア国王を取材することにしたが、イケタニア国王は日本語ペラッペラだっためことなきを得る。しかし! そこでさらなる重大な秘密が発覚する。なんとイケタニアのマラソン選手、モモリヤは水野がかつてイケタニアを訪れた際に現地女性に産ませた息子だというのだ……

 この世にこんな中身がない映画が存在したのか……というほど驚異的に中身がない映画。あまりの中身のなさに感動した。こんな映画が素で公開されていた1960年代って本当に素晴らしい。例え日本映画の斜陽期であろうとも、銀幕の輝きは衰えていなかったんですな。

 主演が田村高廣というのが狂っている。なぜこの内容で田村高廣を主演にしたのか。なぜ田村高廣がこの役を受けたのか。田村高廣、真面目系二枚目で常に真顔、常に目がキラキラしていて、まじ恐い。イケタニア国王は博士から日本語を学んでいたため日本語ペラペラで、語尾が〜デスラなことを除き流暢な広島弁?(岡山弁?)で喋るのを南利明名古屋弁に通訳するというギャグがあるのだが、それに真顔で突っ込む田村高廣がリアルに恐かった。一瞬、ギャグじゃなくて、東映的なアレで、日本語で喋ってはいるけど実は外国語で喋っているという設定なのかと思ったもん。そもそも南利明の家に居候していて会社の上司は由利徹って、普通なら発狂しますよそのシチュエーション。ちなみに本当にイケタニア語で喋るシーンには字幕が出るのだが、字幕が昔の翻訳調(文語調)なのが笑える。

 南利明由利徹だけでなく、トニー谷三木のり平など喜劇人が多数出演。やたら大言壮語を吐く音楽家だと思ったら、実は精神病院から抜け出てうろうろしている人だったという役の長門勇インパクトがすごかった。長門勇の目つきがまったく笑えない私にとっては……。
 歌謡映画としては当時の有名歌手が多数出演して歌ってくれるので、画面はたいへん華やかである。大御所で言うと、橋幸夫橋幸夫役で出演している。今となっては誰だかわからない人も多数であるが、それも楽しみの一つ。

 ほか、モロはりぼてで目が電球でぴかぴか光る大蛇がシャーってやってるシーンはギャグかマジか判別がつかず、「松竹って特撮何かやってたっけ……*1」と思わず松竹の技術力を気づかってしまったり。

 とにかく、肩のこらないとか気軽に見られるとかナンセンスとかいう次元を超えた中身のなさがすばらしい映画だった。



参考

*1:後世の作品になるが『宇宙大怪獣ギララ』(1967)が有名?