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田宮二郎『白い巨塔』映画版vsドラマ版 ―昭和BL邦画列伝 第3夜―

前回更新からだいぶあいてしまいましたが、昭和BL邦画列伝、今夜は昭和実写BL界の巨塔、田宮二郎版『白い巨塔』について。

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白い巨塔』は旧帝大・浪花大学医学部を舞台に、苦学生から成り上がり野望に燃える財前五郎助教授が海千山千の魑魅魍魎たちをかきわけ、教授の座を射止めるべく権力闘争を繰り広げるという山崎豊子原作の社会派作品だ。権力欲という自身でも制御しきれない化け物に取り憑かれた財前五郎の傲慢さと戸惑いの揺れ動き、そして彼の親友でもありライバルでもある里見脩二との関係(ここ重要)が素晴らしい傑作である。有名作で何度も映像化・リメイクされている本作だが、有名な田宮二郎主演版は映画版(1966年)とドラマ版(1978年)があり、ちょっと見てみよっかな?と思い立っても「で、結局どっちを観たらいいの!?!?!?」と思われることも多いかと思う。どっちと言わず両方観て〜〜〜!!!!!!が私の偽らざる本心だが、どっちから入ったらいいの?という方へのヒントとなるべく、以下に映画版とドラマ版の概要とその違いを解説したいと思う。

 

 

┃ はじめに:あらすじと概要

はじめに、映画版・ドラマ版共通の最初のエピソードであり、最も有名であろう「教授選編」のあらすじをご紹介しておく。(ネタバレは抑えめにしてあります)

大阪、国立浪花大学。

医学部の中でも花形の第一外科の頂点に君臨する東教授は絶対的な権力を持ち、第一外科は彼の名を取って「東外科」と呼ばれていた。しかしその東教授も来年で定年退官。次期教授の最有力候補、東教授の弟子であり長年東教授を補佐してきた財前五郎助教授は若年ながら学問的な実績も臨床の技術もきわめて高い稀なる人物であったが、その一方、大変に傲慢で自信過剰な面を持つ男でもあった。涼しい顔で教授を無視してことを運ぶ財前助教授に嫌悪感を抱いていた東教授は、次第に医局員たちが気兼ねするほど財前助教授への憎悪の感情をあらわにするようになる。東教授は財前を教授にさせないため、母校である東都大学・船尾教授の紹介を受け、金沢大学の菊川教授を次期教授候補者に推薦。一方の財前助教授は、義父で産婦人科病院を経営する財前又一の縁故から、違う学閥が学内に入ることを嫌う同窓会・医師会をバックにつけ、東教授に徹底抗戦を仕掛けた。

こうして教授選の投票権を持つ医学部教授陣はおのおの私利私欲で東派、財前派、そしていずれにもつかない勢力に分かれることになる。財前派は財前又一の財力にものを言わせ金にあかせて買収工作を行い、東派は船尾教授の持つ権力を利用して医学界の重要ポストをエサに票を集めようとした。選挙を決定する浮動票読みに明け暮れる両派。そしてついに教授選投票日がやって来る。 

原作小説は現在、新潮文庫に『白い巨塔』全5巻として収録されているが、発表当時は『白い巨塔』、『続 白い巨塔』という正続編になっていた。映画版製作当時は正編までしか発表されていなかったため、正編の教授選編・医療裁判編をもとに構成されている。一方、ドラマ版は原作完結後に作られたため、続編を含めた原作全編が映像化されている。

映画版、ドラマ版ともに主演は田宮二郎田宮二郎は昭和を代表する美男俳優にして「傲慢で自信過剰のクッソいけ好かねえエリートイケメン役」を演じさせたら右に出るものはいない名優である。顔がいいのは見た瞬間わかるからいいけど、何を根拠にそんなに自分に自信があるんだってくらいのクソ尊大さがすばらしい。その尊大さはもはや清々しいほどである。傲慢エリートのバリエーションは警察キャリア、大企業の有望社員などいろいろあるが、本作では旧帝大医学部助教授と芸歴の中でも最高ともいうべきエリート役だ。田宮二郎の数々のエリート役キャリアの中でも『白い巨塔』でとくに良い点は、財前は単なるいけ好けねえエリートではないという点。財前は自信家で傲慢だが、一方で給料をもらったらすぐ郷里の母に仕送りするという親孝行な一面もある。財前は岡山の貧農の母子家庭の出で、母の希望と篤志家の支援で大阪の名門大医学部に進学、そしてこれもまた母の希望で、堂島の大きな産婦人科開業医の娘と結婚して婿養子になったという設定なのだ。また、他人を省みない尊大さがありながら、並みいる医学会重鎮の魑魅魍魎たちに比べれば精神的に華奢でまだまだ他人に遠慮しているという多面性を持つ。このあたりの精神的にアンバランスなキャラクター性が田宮二郎本人にぴったりで、本人がかなり熱を入れていたというのも納得できる。映画版製作当時は教授の椅子を狙う助教授にしては田宮二郎は31歳とかなり若く、無謀な野心家感があってこれはこれで良いのだが、ドラマ版では43歳と原作設定に近い年齢になっていて、味わいが出ている。

 

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で、みなさん以上のあらすじに肝心の里見くんが出てこないじゃないかと仰るでしょうが、ここが重要、里見は権力闘争と関係ない境地にいる、財前とは真逆の性格とスタンスの医師なのだ。

里見は内科の助教授で、研究主体で固い雰囲気の基礎医学から近年臨床に転向してきたという設定。財前とは彼が基礎医学の研究室にいたころの同級生で、困ったことがあれば相談もしあう仲。だがべったり仲良しというわけでもなく、何かあったら喋る程度で、実は里見はわりと財前の存在を気にしていない。だがそのぶん、里見は本作中で唯一財前その人そのものを正確に捕らえられる人物でもある。

映画版とドラマ版では、財前と里見は真逆の性格の友人兼ライバル……?ということは一緒なのだが、イヤ〜❤️ 真逆の性格の友達兼ライバルやて〜❤️ あざとすぎや〜❤️ どないしょ〜❤️ って感じじゃないですか?

私からすると、映画版とドラマ版での最大の違いとはこの二人の関係の描き方の違いなのだ。二人の関係のニュアンスが微妙に違う。ここが映画版・ドラマ版を比較して観るときの最大の見所だと思う(お前はな)。そして、里見は映画版・ドラマ版で俳優が違うため、それぞれの俳優については以下項目別本文にてご確認いただきたい。

 

 

 

┃ 映画版:明快で深遠、強靭なストーリーと、美男俳優の共演を楽しむ

先述の通り私は田宮二郎が「傲慢で自信過剰のクッソいけ好かねえエリートイケメン役」を演じている映画がしぬほど好きなのだが、その意味でも本作は田宮二郎の代表作だろう。本作は田宮二郎の美貌の絶頂期の作品であり、大映の撮影技術もあいまってひたすら「いとありがたし……」という言葉が漏れる。ご本人は当時通常はもう少しクールでさらっとした雰囲気なのだが、原作版では財前は男性的(要するにゴリラ系)と設定されているためか眉毛をメイクで少し濃いめにして、クドめの顔に役作りをしている。

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映画版の良いところはやはり脚本の緻密さだと思う。個人的にはこの点において原作よりもクオリティが高いと感じる。実は原作は結構紋切り型描写やその繰り返しが多々あり、クドく感じる部分も多い。映画では原作の通俗的な部分をカットし、物語全体のトーンをクールに処理している。そして、一箇所、原作から設定を大きく改変している部分がある。その改変している部分がうまくてうならされる。この改変部分がクライマックスの話のキモであり、最大のネタバレになってしまうので伏せるが、改変したことによってテーマの構造、メッセージがよりわかりやすく、より明確になっているのだ。

本作は社会派作品だと冒頭に書いたが、社会派として何を描いているかと言うと、設定上は医学界と大学組織の腐敗である。ここにそれだけではないさらなる社会性を乗せてくるあたり、さすが脚本・橋本忍だけあると思わされる。人間がまっとうに生きることを阻害する「社会」への怒りと悲しみと、それをお涙頂戴やいい話〆にせず現実にひきつけて描き切る覚悟。忍っちはすぐナレーション付き回想をぶち込んできたり(本作でも謎のナレーションパートが……)、やたら登場人物が切腹しようとしたりと、そのよくわからない性癖に引いてしまうこともあるが、やはり巧い。単調な感動話、あるいは勧善懲悪の社会問題告発話には持っていかないあたり、すばらしい。本作についてはまず映画としてきわめてクオリティの高い傑作であることをここにはっきり書いておきたい。

 

■ 

本作での里見修二役は田村高廣。昭和の銀幕において影のある美男子……いや、正確なことばを使えば「心のないクズ野郎」を演じさせたらこの人にまさる俳優なし。天下の大俳優・阪妻の長男、兄弟のなかでいちばんの美男子にしていちばんの名優にしていちばんのサイコパスオーラを放つ人。そしてうす顔系昭和美男俳優の中でも最高峰ではというほどの美貌で、この貴公子風で優しそうな感じ、いかにも女にモテそう。そして心がないというのがすばらしくないですか。すばらしいでしょ。

私のお気に入りは木下惠介監督『この天の虹』(松竹/1958)。ここでは製鉄工場の建築技師というエリートを演じているのだが、現場勤務の人々とは一線を画すエリートなのになんの気取りもなくひょうひょうとして誰にでも同じ態度で接するなんて、素敵!と思ったら大間違い。ヒロインに想いを寄せられ彼女に結婚の約束をしたかのように錯覚させながらも結婚する気はまったくなく、下宿先の奥さんにまで想いを寄せられそれをスルスルかわしながらも思わせぶりなことを言い、実際には別にどちらとも深い関係があるわけではなく、そのうえ実のところ誰にも関心がなくて、しかもその態度がすべて天然の為せるわざという、ありとあらゆる場所に無意識で火を放った上ガソリンをスプレー噴射して回る最悪の放火魔。人間の心というものを1mmも感じさせないド畜生名演技が八幡製鉄所の巨大な高炉をバックに高貴な輝きを放つ。木下惠介大先生とは男の趣味合わな~いと思っていた私だが、姿勢を正して「はっ、木下惠介大先生は最高であります!!!!!」と思わされた一本だった。

有名作としては勝新太郎とともに終戦直前の北支戦線を駆け回る落ちこぼれ兵士コンビを演じた『兵隊やくざ』シリーズ(大映/1965〜1972)。このときは超短髪でメガネをかけたインテリ兵士役で貴公子風のオーラは消しているが、クズ野郎っていうかどこに焦点が合っているのかわからないヤバい奴感が炸裂していてたいへんな好演だった。「どうせ戦争に負けたらみんなソ連兵に殺されるんだ!」とか言って憲兵を射殺するエピソードがとくに最高。心がないとしか思えない。

貴公子顔を活かした役だと、幕府に冷遇される地方藩の冷徹なご城代様役を演じた山内鉄也監督『忍者狩り』(東映/1964)が良い。大義のため、なんの躊躇もなく部下を見切る心ない演技が素晴らしい(結局心がない)。

と、突然田村高廣について熱弁してしまったが、田村高廣っていいよね〜。こいつが登場人物の中で唯一「心ある人物」役ってすごくないですか?

ただ、ここでいう里見の「心がある」というのは、エゴイズムが一切なく、患者のための医療と医学の発展に心を砕くという意味である。人間味というのはやさししさや思いやりだけで形成されるものではない。エゴイズム、私利私欲、わかっていてもやれない/やってしまう愚かな行動も含めての人間味であって、その影の側面を光でとばしてしまってはやっぱりつまらないのだ。その意味での人間味といったら財前はじめ魑魅魍魎のみなさんのほうが溢れ出るくらいにあって、その薄汚い人間味のうごめきが本作最大のおもしろさ。それと対極となる里見は学問的な業績はすぐれているが融通がきかない(あるいは御しやすい)と設定されている。

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さて、そんな財前と里見の関係だが、映画版での描写は実はわりとクールである。教授選とそこにまつわる人間関係に焦点をおいた構成となっているため、教授選に無関係でかつ関心がない設定の里見には派手な出番はない。里見は部外者として物語を俯瞰している立場に設定されており、ストーリーの核心からは一歩引いている。里見は患者の診療や治療に関し財前を頼ることがあり、財前も得意げにそれを引き受けるのだが(このあたりのエッヘン演技は最高)、財前が里見に頼るときは私利私欲のために彼を利用しようとするときであり、里見はそれを固辞する。結果、二人は道を分かつことになるのだが……。うーん、そういう意味では本記事の趣旨としては残念な設定ですな。そもそも忍っち自身があんまり男男萌え要素がないですからなあ。とにかく映画としてのクオリティとルックスは抜群なので、公式なにくそ、妄想でおらがドリームを増幅(ブースト)できる猛者のみなさんは是非映画版をどうぞ。

あと一応白衣マニアの方にお知らせしておきますが、写真を見ていただけばわかる通り、俳優の衣装は白衣じゃないです。白衣マニアの方は以下のドラマ版をご覧ください。

 

 

┃ ドラマ版:財前五郎という人間の心の明暗、里見との関係性を重点的に描く

  • プロデューサー=小林俊一
  • 脚本=鈴木尚之
  • 製作=田宮企画・フジプロダクション
  • 放送期間=1978年6月〜1979年1月(フジテレビ)、全31回

結論から先に書いてしまうが、ドラマ版では財前五郎という人物自体の明暗描写に力が入っており、社会の歪みを告発するニュアンスの強い映画版とは違った印象の作品に仕上がっている。

映画版と違うのは、財前は流され易いだけで、そこまでガッついているわけではない、というニュアンスの強調だ。ドラマ版での財前は、周囲の人間にかつぎあげられた神輿として描かれ、その暴走に本人がついていけなくなるような描写が見られる。これは原作版や映画版にもある描写なのだが、ドラマ版ではそのニュアンスをことに強調しており、それが最終回の展開に効いている。このような微妙なニュアンスの付加は財前だけでなくすべての登場人物に言えることで、登場人物をわりとパキッと色づけし、わかりやすいキャラクター的に描いている原作とは異なる点でもある。特に良いのは財前の義父の財前又一。堂島の産婦人科開業医である財前又一は身内に医学部教授を出したいばかりに、金と同窓会関係の縁故にモノを言わせて財前をゴリ押しする俗っぽい大阪のオッチャンキャラだが、俳優に曾我廼家明蝶を起用し、それだけの一辺倒ではない、金持ちならではの品のある遊びのうまい大阪人で、バカっぽい言動の中にも愛嬌の滲み出るチャーミングなジイさんに仕上がっている。曾我廼家明蝶が連れて来る同窓会関係の医学会重鎮のみなさんがまたやたらと面白い配役ですばらしい。これは観てのお楽しみ。ちなみに東教授(ドラマ版配役・中村伸郎)が恃みとする東都大学・船尾教授役は佐分利信、都会的なエリート感満載で、曾我廼家明蝶との対比にうならされる。

ドラマ版はすでに述べた財前・財前又一のほか、東教授の描写も重層的でとても上手い。実は東教授本人はきわめてまっとうであり、教授選はその渦中の当人たち以上に、利権にあやかろうとする周囲のおぞましい煽てによって彩られている。また、原作にもある描写だが、東教授の長年自分を支えてきてくれた財前への愛憎が描かれるのもドラマ版の見所である。

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そしてドラマ版でもう一つ重要なのが、財前五郎という人間にとっての、里見脩二という人間の大切さを大きな扱いで描いていることだ。映画版ではわりと決裂していた二人の仲だが、ドラマ版では友達だけど友達未満だけどやっぱり友達以上……みたいな、絶妙なニュアンスのある関係に設定されている。

財前は基本的に、すべての他人に対して建て前の表情を作って対応している。素の表情を見せるのは愛人のケイ子(太地喜和子)、そして同級生だった里見と接しているときだけだ。財前は婿養子で、義父の財力でもっていまの地位を築いた部分もあるため、妻にも本性は見せず、結構ビジネスライクに対応している。家庭でも素にはならない財前が甘えられるのはこの二人だけだ。

劇中だれもが財前の動向に注目するなか、里見だけは財前をとくに気にしていない。これは映画版と同じである。違うのは財前で、映画版にあるような里見への見下しのニュアンスが薄く、かなり彼を頼っているのだ。財前はときどき相談事で里見へゴロニャンとまとわりつくのだが(このときの猫なで声喋りが最高)、里見は自分の研究で忙しく「いま中断できない作業中だから」等で結構スルーしてくる。そういうとき財前は里見の用事が終わるまで横でホワーンと待っているケイ子と喋るときは自信満々饒舌にペラペラペラペラペラ喋りまくる財前も、里見の前では口調が変わってシュッと大人しくなる。財前自身はこれを「あいつは苦手なんだ」と表現している。でもそれ苦手っていうんですかね〜。……小学生か?? ほのぼのしちゃいますね〜。

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本作での里見修二役は山本學。この人、原作の里見のイメージに結構近い。映画版の田村高廣は地味め人物設定のはずの里見にしては顔よすぎじゃね?感があったが、山本學は地味めの脂っけなし、でもモテそう感がかなり里見のイメージにマッチしている。

ドラマ版での里見は映画版よりも聖人感が増しており、下手すると鼻につくことになりそうなのだが、なぜかサークラキャラになっていて謎の時空を形成していた。なにがサークラなのかというと、里見は財前だけでなく東教授の娘・東佐枝子にも信奉され思いを寄せられているのだが、里見は実は佐枝子の友人の夫なのである。里見はそれを察しつつもだいぶ終盤になるまでスルーし続けた結果、大炎上事件が発生する。正直、あれメッチャおもしろかったわ〜。そりゃそうなるだろって思った。そして、なぜか映画版に比べドラマ版の佐枝子は女性受けが悪そうなお嬢様キャラに設定されていたのもすごかった。映画版では配役が藤村志保で、佐枝子はかなりクールに設定されていたのに……。また、ドラマ版には里見にずっとくっついて回るメガネくん助手が設定されており、何があっても必ず里見についていく健気さが可愛いかった。

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ドラマ版は全31話と長く、教授選くらいまではテンポよく手に汗握る展開なのだが、以降は展開が少々緩慢で、若干厳しいものがある。しかしそこを我慢して是非最終回まで観てほしい。なぜなら最終回がこの記事の趣旨的な意味で一番すごいからである。

ここからは終盤のネタバレになるので、気になる方は読まないでほしい。

 

ドラマ版でも映画版と同じく原作の一部改変を行っており、その改変の中で最も有名なのは最終回の最後の部分。上にネタバレの警告を書いたのでいいだろう。簡単にいきさつを説明する。

ここまでの話…財前は教授選で立て込んでいた頃に食道ガンの手術を担当していた患者・佐々木庸平の術後の診療をせず、直後に佐々木がガン性肋膜炎で急死したことで遺族から医師としての職務怠慢、誤診であると裁判を起こされる。第一審ではその訴えは棄却されたものの、納得しかねる遺族から即時控訴され、控訴審が行われていた。

 

財前は誤診裁判控訴審終了後、裁判所で倒れ、胃ガンであることが発覚する。教授選で揉めて割れていた浪速大学医学部教授連も恩讐をこえて医療チームを結成し、引退していた東教授を呼んで緊急手術を行うが、末期状態で転移がひどく、手のほどこしようのない状態だった。しかし誰も財前にそれを告知できず、詳細をはぐらかされた財前は疑心暗鬼に陥る。だが里見は優れた臨床医である財前をいつまでもだまし通せるものではないと思っていた。財前は里見にだけは本当のことを言ってもらいたいと彼を呼び出して頼み込むが、里見も良性の胃潰瘍でただの疲れだとはぐらかす。そしてケイ子が見舞いに持って来たバラが枯れるのを待つまでもたず、財前は死去する。ところがその後、枕の下から遺書が見つかる。それは里見宛に書かれたもので、自分が末期の胃ガンだと気づいていたこと、その自己診断はきわめて精確であり、また今後の医学の発展のために献体すること、そして里見のいままでの友情への感謝の言葉が綴られていた。 

この紅涙をしぼる遺書、実は原作では里見宛ではないのだ。原作だと病理学教授で解剖執刀医の大河内教授宛となっており、実際の病状と寸分違わぬ自己診断、そして今後のガン医療研究のため病理解剖を行って欲しい旨が書かれていることになっており、設定としてはわりと冷静である。前述の通り、ドラマ版では財前と里見の関係をより重点的に描いているのだが、個人的にはこの遺書が里見宛というのが衝撃的すぎて、邪悪な私ですら身を乗り出した。だって感謝の言葉的な内容なら義父宛でもいいはずと思ったもん。それでも里見宛になっているとは、やっぱり財前くんは里見くんのことが好きだったんだね……。涙……。

そして、里見が最後に財前に贈ることばも心に残る。衝突することはあったけれど、里見だけは財前の本質を知っていて、ずっと見守っていたことがわかるのだ。これはぜひ、実際に観て確かめていただきたい。目の前の色々なものごとにどうしても焦ってしまう人には、とても響くことばだと思う。

 

そういう意味で、本記事的な趣旨としてはお勧めはドラマ版と言いたいところなのだが、先述の通り、ドラマ版は途中のダルさがかなり厳しいため、まずはDVDで言うと区切りの良い1〜3巻まで観ていただくのがいいと思う。まずここまで観れば皆が思っている『白い巨塔』の概要は押さえられるので「観た、観たで!!」という顔ができる。また、最終的に両方観るなら、話が整理されている映画版を観てからドラマ版に移行したほうがスムーズで、登場人物の膨らませかたを十分に味わえると思う。

以上、結論なく突然話ここで終了。どちらかしかご覧になったことのないかたは是非ご覧になってない方も観ていただきたいし、どちらもご覧になったことのないかたは是非両方観てねというのが私の言いたいことです。

 

ドラマ版 おまけ

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みんな見て。これがわたしたちが失ってしまったもの。テレビのアスペクト比がスタンダードサイズだった頃のドラマのため、画角におさまるためにメッチャ密着させられる田宮二郎&山本學。いまのような横長アスペクト比ではこの密着はもうありえないだろう。いまこそ言いたい。昔はよかった!!!!!!!!!!

 

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里見に頼まれた初期の膵臓ガン患者の手術を成功させた財前。それを里見くんに深く感謝され、握手を求められてドキッ////とするシーン(大学内のドロドロ事情により、本来はとても引き受けにくい手術だったのだ)。このキョドり感を嘘くさくなく演じられるのはさすが田宮二郎膵臓ガンの手術は滅多になく、外科医としてどうしてもやりたいから引き受けたのに、里見くんにこんなにも感謝されちゃうなんて……//// これで財前が調子に乗って飲みに誘ったのにスルーしてくる里見くんのサークラ気質がすばらしい。