TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

 天 に加カン

天に加カンです。

天の雀ゲーの赤木戦をまたやってます。せっかく南2局の親でちまい手で連荘して点棒を稼ぎ、「もう決まりだな」とか言ってやって、やっと赤木に勝てる!と思ったら、4本場で赤木さんが勝手にハネマンツモって親ッかぶりくらった上、南3局でまたもや黒服が赤木さんに倍満振り込んで負けました。なんですかあの不良中年。


さて、それは置いといて、『天』は3部構成になっているということを前回書きました。ただし、この説は私が勝手に唱えている&ファン間でそう言われているだけのことで、福本伸行氏自身がそう発言しているわけではありません。しかし、話が3部構成になっちゃってるせいで、漫画としての『天』はおもいっきり破綻をきたした構成になってしまっています。


この漫画の最大の問題点は、第1部と第2部はまともに麻雀してるのに、第3部になると麻雀漫画のくせに全く麻雀しなくなるところです。第3部「通夜編」は、麻雀ではなく、赤木しげるの物語になります。


第3部(16〜18巻)
東西戦から9年後。しがないサラリーマンになっていたひろゆきは、新聞の広告覧にあった葬儀の案内を偶然目にする。故人の名前は「赤木しげる」。ひろゆきはあわてて会場になっている清寛寺に駆け付けるが、そこで目にしたのは赤木本人の生きた姿。赤木は自らがアルツハイマーに冒されているいることを知り、死を決意していた。そして自殺をするその前にかつての仲間達に会う為、この通夜の席を設けたことをひろゆきに告げる…。天やひろゆき、原田たちは赤木の自殺を止めるために説得を試みるが……


この話は、かなりテーマ自体がヘビーでかつ赤木個人(あるいは福本先生個人)の考えがずーっと語られ続ける話でありながら、リアルに心に迫ってくるものがあります。もともと福本先生の作品の登場人物はあんまり飾り気がないみたいで、妙に生活感漂う台詞を吐く気がするんですが、特に赤木は自然体?というか素直?というか純粋?な性格なので、例えそれが極端に片寄った考えであっても、なんか、親しい人が話してるのを聞いているみたいで、すごくわかる…というか…、ああ、そうだよなあ…と思うのです。「生きたい気持ちは3%くらいある」とか…なんというか、福本先生は、変な技巧や演出に走ることなく(妙な例え話には走るけど)、ただ素直に、そういう誰にでもある微妙な気持ちの揺れや機敏を描くのが巧い人だなあ…と思います。
ひろゆきは特にものすごくいい意味で子供っぽくてナチュラルな子で、ごく普通の人が天性のものを持っている人に憧れる気持ち、妬ましく思う気持ち、自分を見て焦る気持ち、わかってても現状を打破することのできない気持ちを嫌みなく綺麗に出せているキャラですね。私はその昔やっていたアニメ『少女革命ウテナ』の「若葉繁れる」という回がものすごく好きでした。ごく普通の女の子・若葉が、親友であるはずの主人公・ウテナを内心では妬んでいて、でもそれでもおもてむきは友達なんだ、という話だったんですが(確か)、あれは『天』とは違って真っ黒な話だったわけですけど、そういう誰にでもある微妙な気持ちを、ドロドロせず鮮やかに描ける人ってすごいな〜と思います。



第3部はほんと原作で読んでもらいたい話なので、ここでこれ以上の詳しい内容に触れることは避けます。私は映画や漫画などで泣くことはないタイプでしたが、第3部は延々ひろゆきと一緒になって泣いてしまいました。私がほかに泣いたのは『銀と金』だけです(微妙な涙腺ですいません)。


しかし皆言ってるけどこれだけは言わせて下さい。
あんたら赤木さん好きすぎだよ。
「俺のために生きてくれって言ってるんだ」とか言い出す天。
「最近気が付くと赤木さんのことばかり考えている」とかつぶやくひろゆき
「みんな…好きなんだ…おまえが…」でまとまっちゃう話。
福本先生のアレな絵だったからいいようなものの、小畑健さんあたりがやっちゃったりなどしていたら、世界を革命していたことでしょう。合掌。


まあ、そういうわけで、『天』はみんな赤木さん大好き!って話で終わります。こんだけ漫画としての根幹が破綻してようが、正直、読者の99.99999%は、赤木さんに惚れちゃうことうけあいなので、何の違和感もなく読めます。別に話が破綻しててもいいんだもん。おもしろいし。だってアイドル雀士だし。



ところで、篠房六郎の、昔、エロ系出版社から出た短編集に載っている作品で、仁侠映画と恋愛SLG悪魔合体させたような素薔薇しい漫画がありました。なんか、ちょうカッチョイイ兄貴を巡って組が抗争(恋のさや当てとも言う)する話。篠房六郎の絵で。ゴッツイおっさんたちが。私は、それを読むと、天と哭きの竜を思い出します…