TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

 アカギ -闇に降り立った天才-

福本伸行 竹書房
1991.6〜 近代麻雀連載


福本伸行の麻雀漫画『天』に登場する「赤木しげる」の若き日の姿を描いた麻雀漫画。現在の麻雀漫画の中でもトップクラスの知名度と発行部数を誇る作品。

┃あらすじ
嵐が吹き荒れる夏の夜。場末の雀荘「みどり」で、南郷は窮地に立たされていた。この麻雀勝負に負ければ、生命保険で借金を払う羽目になる。債権者である対面のヤクザ・竜崎は無論それを狙っている。南郷は、この場の空気を変える何者かが現れることを願う。そう、その者がたとえ悪魔でもいい…と…。そこに雷鳴と共に現われたのは、ずぶ濡れの白髪の少年。南郷は丁度いいところに、と見知らぬ彼を匿うが、この行動はこの麻雀勝負…、ひいては裏麻雀界をも大きく変えてゆくこととなる。その台風の目となる少年の名は……赤木しげる。このとき、彼はまだ13歳であった。



『アカギ』は、今迄にここで感想を書いてきた麻雀漫画の中でも、最も知能戦的な展開を持っている漫画だと思います。それは片山まさゆきのような、自分の打ち筋を貫き通すことで勝つという麻雀としてのおもしろさを追求するタイプの知能戦ではなく、トリッキーでミステリっぽい知能戦という意味でです。役なし裸単騎とか、正直そんな打ち方しとったら即死しそうな打ち筋です。オカルトとかそういう問題ではありません。
しかし、この点を逆に言えば、『アカギ』は例え麻雀のルールがわからなくても、あるいは分からないほうが面白く読める作品であるとも言えます。一般的に「麻雀がよくわからなくてもおもしろく読める作品」と言うと闘牌部分のつくりが甘い作品が多いかと思われそうですが、『アカギ』では闘牌のおもしろさを麻雀の手牌進行のアヤに求めるのではなく、その状況を切り抜けるトリック自体を闘牌の中に組み込むことで万人の支持を得たのだと思います。事実、私が初めて読んだ麻雀漫画はアカギでした。読み始めたのがたまたま7巻の丁半博打だったのもあるのかもしれませんが、当時麻雀のルールがよくわかっていなかったにも関わらず(別に今もわかってないですけど)、その展開には引き込まれるものがありました。麻雀がわかることよりもむしろ福本の絵にレジストできなくてはならないことのほうがハードルが高く感じたほどです。また、その闘牌で、麻雀のロジカルさが重視されている点も好きでした。これもまたデジタルとかそういう話ではなく、「カンしました」→「カンは4枚の同種の牌で行います」→「ということはその牌はカンした人の手元以外にはもうありません」レベルの超単純なロジックです。だから読みやすかったのでしょうね。
しかし、何よりこの漫画の最大の魅力は、アカギというキャラクター自体でしょう。矢木戦でのカンツと待ちの摺り替えと市川戦での西摺り替えはマジえげつなくて初めて読んだときは相当引きました。ドン引きしながらも、相当惹き込まれていったのを覚えています。


『アカギ』についてはいろいろと言いたいことも思い出もありますが、長くなってしまうので今日はここまで。