TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 大阪1月初春公演『妹背山婦女庭訓』道行恋苧環・鱶七上使・姫戻り・金殿の段 国立文楽劇場

今年の初春公演にはクズがいないのが珍しい。求馬は若干やばいが、12月東京は全演目「適当に生きすぎだろ」っていうやつらが跋扈していたので、みんなまともだなと思った。

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第三部、妹背山婦女庭訓、四段目。
今回は道行恋苧環からの上演。

超安定のクオリティ。無理は承知だけど、舞踊は毎回これくらいの水準で出して欲しい、と思った。(無理)

品質保証、「いつものみなさん」的な安定配役だけれど、橘姫の人形が紋臣さんというのが新味。しかしながらぎこちなさはなく、安定したパフォーマンス。世間知らずで大人しい性格の、おっとりしたお姫さんという印象だった。もうちょっと高嶺の花路線でいくのではないかと予想していたので、おぼこい!と思った。でもこれが紋臣さんに期待されているおぼこオーラだな。(文楽の客はみんな紋臣さんをおぼこだと思っているので)
回転する振り付けが綺麗になっておられたのがよかった。いままで、踊りはうまいけど、回転するところがどうにも大回りなのが惜しいなと思っていた。この手のクセは改善が難しいのではないかと思っていたが(まず自分で気付くかどうかと、気付いたところで身体に置き換えて直せるかどうか)、直る人は直るんだなと思った。

私の研究によると、勘十郎さんお三輪は橘姫役の人選によって道行での攻撃力が変化するが、今回はマイルドめだった。ただ、途中で左右から求馬に抱きつくところはマジ叩き、そして即座に橘姫の袖射程から退避。紋臣さん橘姫はフギャー😾💢と反撃せず、「エエエェこの子何!?」って感じの反応だった。

床のバランスは非常に良い。求馬が希さんだとは、床を見るまである意味気づかないのが良かった。

 

 

 

鱶七上使の段。

第一部の藤原時平と第三部の蘇我入鹿、キャラかぶりすぎやろと思った。入鹿のほうが若干頰がふっくらしたかしらを使っているような気がした。入鹿〈吉田文司〉は長い房飾り付きの扇の扱いが良い。

おお、玉志サンの鱶七が向上してる、と思った。
毎回大変恐縮ながら、そんなこと言われても知らんがなと思われると思いますが、2019年の東京公演より大幅に貫禄が増していた。平右衛門と同系統の、明朗で暖かく、野生児的なおおらかさがとても良い。時々、体がぐうーんと大きく伸び上がる。まるで絵本のよう。動物のように体や手足が大きく伸縮するのは、人形ならではの演技。鱶七ののびのびした動作を見ていたら、ストレッチをしたくなった。頼む玉志、玉男様と一緒に筋肉体操に出てくれ!と思った。
時折、犬猫のように頭をドリル状にブルブルブル!と振るのに独特の野性味がある。玉志サン、ときどきアニマルのような謎の独特の動きをするけど、人形は人間ではない感があって、好き。そして、玉志サンの図体デッカ系の人形は、後ろ姿とか帰り際に愛嬌があるのも、良い。寝床や巣に戻っていく動物のようで、とても良い。
細かいところだと、酒を毒味するのに盃を借りたいと言って、上体を低くしてズイッ!と宮腰玄蕃〈吉田文哉〉に鋭く迫るところがわずかに本性を匂わせ、カッコよかった。
あと今回は飲酒速度が初日からちゃんと文句一杯に間が取られていて、安心した。一気飲みは危険だから……(浄瑠璃の尺が余るので)。

床の藤太夫さんの鱶七は、粗野キャラでも若干上品めなので、ダルダルとむさ苦しい印象にはならず、辛口にキリリとした雰囲気になっていた。若干べらんめえ口調になっていたが、キャラが崩れない範囲で異様さを足しているように感じた。ただこれ以上いくと、安手になるな。というか、個人的に江戸弁がかなり苦手なので、あまりそっちに行って欲しくない。

後半で鱶七を見学に来る金殿の官女ズ4人組は、左から二番目のやつが良かった。あれが桜の局? 紅葉の局? 鱶七を銚子の注ぎ口でつついていたやつは、ワカメ酒を作ろうとしていたのかもしれないと思った。

それにしても、入鹿の両サイドに構える荒巻弥藤次〈吉田玉誉〉と宮腰玄蕃がマジで全然動かなかったのが良かった。動かなさでは露天風呂につかるカピバラと勝負できる。(本年のカピバラ長風呂対決優勝は、那須どうぶつ王国の「コブ」さん1歳の、1時間44分36秒とのことです。カピバラのほうが強いか?)*1

 

 

 

姫戻りの段、金殿の段。

今回の「金殿の官女」は三人遣いでなく、ツメ人形。三人遣いのほうが精緻な動きにはなるけど、ツメ人形のほうが心なさそうで良い。官女ズが完全ツメ人形なせいか、ブギウギ豆腐の御用〈桐竹勘壽〉がやたらデカく見えた。いや、本当にデカいんだけど。勘壽さんのご出演が一瞬しかないのは勿体無い。

 

お三輪は馬子唄を結構ちゃんと踊っている。この謎のバッチリ感、勘十郎さんらしくて良い。勘十郎さんは表現したいという欲望や衝動が本来の役の目的に勝ってしまい、微妙に歪みが出て、外してくる傾向があるように思う。それには当たり外れがあるが、それが最も良い方向に出ているのがお三輪だと思う。
階(きざはし)を登るところはさすが。ごくわずかな場面ではあるが、お三輪の冷えた汗が伝うような恐る恐るという心理と、金殿の荘厳さが十分に表現されている。こういった無言の場面のディティールが冴えた人でないとこの役できないわと思った。

 

この段、鱶七に言いたいことがある。3時間は語れる。
鱶七は、金殿になったら超スタイリッシュ化していた。

え!?!?!?!?

いわゆる「豪快」な役でも、「いわゆる豪快」にいかないのが玉志サンらしさだなと思った。なんというか……、モッサいヤツが、メガネを外したらイケメンになる系というか……。二代目飛び甚かよ(わかりづらすぎる例え)*2
鱶七は、おどけた粗野な田舎者→それが一回り大きくなって、剛猛な勇士になる=より一層豪快で荒い雰囲気になるという変身をするもんだと思い込んでいたが、さんさんとした素朴な快男児→クール系のキラキライケメンになるということか。
前者がごま油でじっくり揚げたえび天なら、こちらはクセのない油でさっと揚げたきす天。鱶七のときは生のザリガニ。
袖のさばきが非常に美しく、尾羽が長く美しい鶏や、ヒレの長い熱帯魚のように華麗だった。スムーズなひるがえしが難しい衣装と思われるが、クルリと円弧を描く動きも颯爽としており、このへんはさすがだと思った。

カッコいいけど、衣装の引き抜きがあり派手な役なので、もうひとまわり、派手さがあってもいいのにと思った。京極内匠(彦山権現誓助剣)とか松永大膳(祇園祭礼信仰記)の輪郭の大きさ、黒い光輝と比べると、金輪五郎がこうなるのはちょっと不思議な気もする。玉志サンには玉志サンのよいところをのびのびさせて欲しいので、この路線のままいくなら、より鋭さや怜悧さを増して欲しい。爽やかなギラギラ感を望む。

ただ、引き抜きは、もうちょっとなんとかならないのかなと思った。9月東京の『嫗山姥』のぶっ返りがモタモタしていたというのと、言いたいことは同じ。失敗しているわけではないが、速度がないと観客に華やいだ印象を与えられないと思う。また、あまりに早く準備をはじめてしまうと、引き抜く前に衣装が崩れた状態になってしまう。
それと、最初の出のときはもうちょっと綺麗にキッチリ着付けておいて欲しい。なんで突然着こなしがラフになるねん。玉志サンは普段かなり衣装の着付けに気を遣っていると思っているが(鱶七上使では脱ぎ着をかなり細やかに整えていた)、なぜここで突然最近のシティボーイ風になるのか、謎。

あとは腰の位置が頭・足から歪んでしまっていたのが、もう、本当に、かなり気になった。両足は目線の真下にちゃんと下りてるのに、そんなことある!? 腰の位置は一体どういう要素によって決定されているのだろう……。左遣いの人が手を添えているが、その手を離したときのほうがむしろ姿勢が綺麗になっているのがちょっと悲哀だった……。これについては、配信でも確認しようと思います……。(配信、前期配役だよね?)

 

↓ 2019年5月東京公演の感想

↓ あらすじ解説。舞台地図など、参考資料へのリンクもつけています。

 

  • 義太夫
    道行恋苧環=お三輪 竹本織太夫、橘姫 豊竹芳穂太夫、求馬 豊竹希太夫、竹本小住太夫、竹本文字栄太夫/鶴澤藤蔵、野澤勝平、鶴澤寛太郎、野澤錦吾、鶴澤燕二郎、鶴澤清方
    鱶七上使の段=豊竹藤太夫/鶴澤清志郎
    姫戻りの段=豊竹希太夫/鶴澤清𠀋
    金殿の段=竹本錣太夫/竹澤宗助
  • 人形
    橘姫=桐竹紋臣、求馬 実は藤原淡海=吉田勘彌、お三輪 桐竹勘十郎、宮腰玄蕃(左にいるやつ) 吉田文哉、荒巻弥藤次(右にいるやつ)=吉田玉誉/吉田簑太郎、蘇我入鹿=吉田文司、漁師鱶七 実は金輪五郎=吉田玉志/吉田玉助、豆腐の御用=桐竹勘壽

 

 


妹背山の四段目は何度か観ているためか、観るたびに自分の要求水準が上がっていく気がする。

今回も非常に安定していて面白い舞台だったけれど、何度もやっている演目なんだから、もっと何かが欲しいと思ってしまう。芝居を楽しむという観劇の一番の目的は十分満たされているし、古典なので本当はこれでいいのだけれど。演出変更や要素追加をして欲しいとは思わないが、なんだろう。「いつもと同じ演目」でも、11月に野崎村で「おみつの母」を出したように、上演により深みの出る企画があるといいんだけど、さすがに妹背山四段目は無理だな。

鑑賞の態度としても、ストーリーを楽しむというより、どんどんディティールに注目がいくようになってきた。特に妹背山四段目は、話自体が格別面白いわけではない。そのため、お三輪・鱶七といったキャラクターがどれだけ見応えある仕上がりになっているかにばかり、自分の気がいってきる気がした。

 

今回は、公演期間中に大阪府が緊急事態宣言対象に指定され、会期後期からは第三部のタイムテーブルが変更されたようだ。開演時間前倒し・休憩時間カットに加え、「鱶七上使の段」を10分程度短縮したようだが、どこを切ったのだろう。人形の待ちを詰める? 詞章を一部カット? 気になる。

 

SNS用プロモーションムービー(ロビーで上映していた初春挨拶の抜粋?)。お三輪の、おちゃっぴいを通り越した大阪のオバちゃん感(これぞ勘十郎)、カンペ見てるだろって感じに目が泳ぐ勘彌さんなど、見どころ満載、なのに謎の低画質のヤバ動画です。

 

 

 

文楽劇場の展示室では、国立劇場伝統芸能情報館と同じく、国立劇場の養成事業についての展示が行われていた。文楽劇場ならではの特別展示は、研修生出身技芸員の修了期別別紹介、そして教材ビデオの上映。

教材ビデオは初代吉田玉男師匠、簑助さん、先代野澤錦糸師匠、住太夫さんが研修生向けに基礎的な内容をレクチャーするというもの。講義・実習風景の収録等ではなく、純粋に教材として撮影されたものだった。インナー映像として、こういうものも残ってるんだな。

三味線と太夫は心得踏まえた講義形式だが、人形は超豪速球の実習、「足の踏み方」の説明だった。
立役(講師:初代吉田玉男)は、人形を主遣いに渡してからの立ち上がり方から、基礎的な歩き方、六方の踏み方の解説。立役の足は、「踏み出すときはひざを曲げながら出し、引くときはまっすぐにして引く」とのことだった。これを踏まえて舞台を観ると、「歩き方が綺麗」と感じる人形は確かにこの通りにやっている。というか、レクチャーでご本人がデモンストレーションしてるんだけど、あまりにうますぎて、異様に足取りが凛々しい人になっており、笑ってしまった。何が凛々しいって、人形の足が確実に地面と垂直になっていることだね。颯爽とした美男子、美丈夫の足を遣う方には是非お願いしたいポイントだなと思った。
六法を踏むときは通常の歩行よりも踏み出しのひざを高く上げるのがコツということはわかったが、そのあとがさらっと説明されるわりに難しく、ビデオ見ている客一同「????????」となってしまった。人形の足取りは重力に関係がなく、また人間とは大きく異なるため、直感的にわかりづらい。巻き戻してもう1回観たかった(しばらくそのまま観続けて次のリピート再生を観たけど、それでもわからなかった)。

女方(講師:吉田簑助)は、政岡の人形を使って、歩き方の基礎と中腰で座るときの解説。歩く時は必ず!鼻筋の先に!内股で!出す!のが基本とのことだった。簑助さんはとにかく鼻筋の先に出すことをめっっっちゃくちゃ念押ししていた。そんなに鼻筋の先に出ないものなのか。また、中腰のときは、片手で足元を固定し、もう片手をひざ裏へ差し込んで椅子状にしてやり、腰を支えて人形を座らせているようだった。
どちらも、「ホントはこうして欲しいんだな」ということがヒシヒシと伝わってきた。

初代玉男師匠と簑助さんはかなりハキハキ喋っていらっしゃったので説明を聞き取れたのだが(簑助さんの喋り方の勢いのよさに驚いた。魚屋的ハキハキ感)、三味線と太夫は収録音量の問題か、声があまり聞こえなくて残念だった。

そういえば、このビデオによって、前々から気になってた三味線の謎が解き明かされた。道行などで何人も並んでも、三味線を持つ角度が妙に揃っている、あれ。構え方として、肩衣の角度に合わせるとレクチャーされていた。なるほど、だからみんな統一されてるのね。スッキリした。

 

*1:そういえばこないだ、地元の商業施設に行ったら、エスカレーター横の休憩コーナーの椅子に、まさにこの二人のようなスタンバイ武士姿勢で座り、ピクリとも動かない荷物番らしきお父さんがいて、かなり良かった。

*2:朽葉狂介・原作、原恵一郎・作画の漫画『凌ぎの哲』に登場する麻雀打ち。グラサンリーゼントのダサいチンピラキャラだったが、蘇我入鹿のように前触れもなく突然父親(態度がデカい小者)を裏切って殺す。その際、髪を下ろしてグラサンを外し、超絶キラキライケメンに変身する。って、文章で書いても何言ってるか全然わかっていただけないと思いますが……。

文楽 大阪1月初春公演『碁太平記白石噺』『義経千本桜』道行初音旅 国立文楽劇場

「……母様の死に目にも逢わぬとゆ〜、悲し〜〜〜い不孝〜〜な、はかな〜い〜ことがぁ、あろかいのぉ」というところ、内田吐夢監督『浪花の恋の物語』の冒頭、竹本座のお大尽・東野英治郎が地獄のように下手な素人義太夫を唸るシーンで有名ですが、本物をやっと観られました。

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第二部、碁太平記白石噺。

『碁太平記白石噺』全体は、楠正成没後の南北朝時代を舞台に、楠正成の遺子・宇治兵部助が南朝を再興せんと仲間を集め幕府転覆の企てを行うというストーリーが主軸になっている。兵部助は由比正雪がモデルとなっていて、サブキャラも由比正雪関連から取られている。宮城野・おのぶシスターズの敵討ちは、この叛逆劇とは関係ない次元で進行する。まじであまりに話関係なさすぎ、そりゃ今では雷門と新吉原揚屋の段しかやらんわなという状態のため、全段のあらすじまとめは末尾につける。

↓ 全段あらすじへのリンク

 

 

 

浅草雷門の段。

浅草寺・雷門の茶屋の前では、大道芸人どじょう〈吉田勘市〉が手品を披露し、通行人から木戸銭を稼いでいた。そこへ吉原角町の大黒屋惣六〈吉田玉也〉がやってきて、茶屋で座敷を借りる。誰もいなくなると、今度は観九郎〈吉田玉勢〉という女衒がやってくる。観九郎が茶屋の亭主〈桐竹亀次〉とギャイギャイ騒いでいると、そこを巡礼姿の年端もゆかぬ娘・おのぶ〈吉田簑紫郎・代役〉が通りかかる。おのぶが亭主に吉原で有名な太夫の名を教えて欲しい、姉を探していると訛りまくった口調で尋ねると、亭主はあまりに大雑把な尋ね人のため、吉原に詳しい惣六に聞いてやるとして茶屋の中へ引っ込む。

それを見ていた観九郎は、メシのタネとばかりにおのぶに近寄り、姉に会えるよう吉原で働かせてやるとして自分を叔父と呼ぶように言う。そうして二人が「姪よ」「叔父よ」と呼び合いの稽古をしていると、観九郎の悪巧みに気づいた惣六がやってきて、おのぶを買い取ると言って観九郎に50両を渡して連れ帰る。金さえもらえりゃOKの悪党は、惣六から受け取った50両を持ってウキウキ飲み屋へ出かけていった。一方、その様子を影から見ていたどじょうは、借金返済とばかりに追い回してくる観九郎の濡れ手に粟にムカついて、とある作戦を思いつく。

そうこうしていると、ほろ酔いの観九郎が千鳥足で戻ってくる。観九郎が50両を拝んでいるところに現れたのは、地蔵飴売りの道具をパクって地蔵尊コスプレをしたどじょうだった。どじょう地蔵は観九郎の亡くなった息子やら父親やらが地獄で使った小遣いや諸経費を立て替えていると言って請求し、まんまと50両をせしめて去っていく。夢うつつの観九郎は支離滅裂の展開に夢を見ているのかと思い、どじょうの借用書を取り出して確認しようとするが、それも後ろから忍び寄ったどじょうが吊り上げて盗んでしまう。借用書が見えないので、観九郎はこれはやっぱり夢の中だなと思うのであった。

冒頭部は床本通りではなく、オリジナルアレンジを加えたチャリ。絶妙なしょっぱさが良い。改変を加えているところは、プログラムの床本には通常通りで記載があるが、上演中は字幕表示なしだった。
それにしても「ゼンジー北京」、久しぶりに聞いたわ……。「ゼンジー北京」と「雷の呼吸」では前者のほうが爆笑というのが文楽劇場の客層を如実に表していると思った。それはともかく、やたら次から次へとボトボト出てくる花が愛らしかった。あと、江戸時代にも近鉄はあったんだ!むしろ浅草にも近鉄がきてたんだ!と思った。

どじょうの地蔵コスは、衝撃的だった。「お地蔵さんってそんな格好してるか……?」と思ったが、あれは何をモデルにしているのだろう。ピクミン(古)の触覚状の赤頭巾があまりに謎すぎる。触覚の根元に小麦粉(?)が仕込まれて降り、本当に粉塵が舞い散っていた。袈裟の胸元の開きと腰から下のスリットもすごすぎて、不知火舞状態……。なお、「袈裟と見せたるつぎつぎの襦袢も千手観音の、宿りもかゆき古頭巾」の「千手観音」というのはノミの異名らしい。ノミ、そんなにお手手あった?????
衣装があまりに謎すぎてそっちに目が釘付けになるけど、どじょうは長い手足を使った悠々とした動作がユーモラスで、お正月らしいふくよかなのんびり感があり、よかった。

それにしても、玉勢さん観九郎、ウトウト居眠り演技がうますぎ。こりゃ客席の寝ている人を参考にしてるな。次第に寝ていく様子とか、うつ伏せになったまま、周囲の物音に若干反応するのがうまい。さすが人形さんは寝てる人ウォッチのプロだなと思った。

ところで、雷門の書割、雷門のサイドに立ってる像ってこんなんだんだったか……? えらい仰角っぽいけど、人形アングルから描いとるんか……? 雷門近辺、人が多すぎていつもすぐ通り過ぎてしまうので、よく見ていない。落ち着いたら久しぶりに行ってみたい。

以上、こんなんだったっけ系の疑問が多すぎる雷門前よりお伝えしました。

 

 

 

新吉原揚屋の段。

新吉原の大黒屋では、遊女たちが吉原一の傾城・宮城野〈吉田和生〉の部屋で女子トークを繰り広げていた。朋輩女郎の宮里〈桐竹紋秀〉・宮柴〈桐竹紋吉〉は昨日雇われた訛りまくりの新参者の喋り方が面白いと言っておのぶを無理矢理連れてくる。二人は親切めかしておのぶに身の上を喋らせおかしがるが、宮城野はそれをたしなめ、おのぶの言葉を解き明かしてやる。

宮里と宮柴が去ると、宮城野はおのぶに在所を尋ねる。奥州白坂の出身で父の名は与茂作というおのぶに、やはり8年前に別れた妹だったかと宮城野はおのぶを抱き寄せようとする。しかしおのぶは警戒心が強く、姉であるならお揃いのお守りを持っているはずだと言う。宮城野が楠家の家臣であった父に縁のある壷井八幡宮のお守りを差し出すと、おのぶも実の姉に会えた喜びに彼女へ抱きつく。宮城野は泣きじゃくるおのぶから、父が代官・台七に殺されたこと、母が病で亡くなったこと、親の敵を討ちたいために故郷を出てきたことを聞く。宮城野は父母を見送れなかったことを嘆き悲しみ、廓を抜け出して曽我兄弟のように姉妹で敵討ちすることを決意する。

二人が勇んで身拵えしているところに、様子を見ていた惣六が声をかける。宮城野は惣六を殺してでも敵討ちに向かおうとするが、懐剣を打ち落とされてしまう。惣六は18年もの長い年月をかけて敵討ちを成し遂げた『曽我物語』の十郎・五郎兄弟の逸話を引き、無分別な行動をたしなめる。姉妹は惣六の親身な諫言に涙し、思い直して逸る心をおさめるのだった。

全体的に落ち着いて、ゆったり、しっとりとした印象だった。むかしの絵本や絵物語を読んだような気分。妙なクセやデコボコといったノイズがなく、品があった。まとまりよすぎて、良い意味で「これだ」的な感想がないな。

和生さんの宮城野はかなりお姉様風だった。和生系女子、と思った。和生系っていうか、和生さんそのものですが……。かわいらしい娘風ではなく、凛とした美人で、かなり大人っぽい。落ち着きと高貴さがある。人形をスラッと長身風に持っているようだった。
また、最高ランクの花魁とはいえ、あまりに気品があると思ったら、宮城野は浪人とはいえ武士の娘という設定なのね。昨年正月の『曲輪文章』夕霧の、少女のような愛らしさとはまた違った傾城像で、面白かった。夕霧も可憐で可愛かったけど、和生さんは本来的には美人・気品路線のほうが合うわな。
宮城野は最後に化粧直しをするときがうまかった。ブラシにパウダーをつけて軽くポンポンするんだけど、化粧の仕方が現実に則していてかなり的確で、じっと見てしまった。おのぶは一緒にポンポンされてくしゃみをしていた。
ところで、差し入れの『曽我物語』の本をめくるとき、ページを繰る指を舐めていた(?)のは和生さんの自然体ムーブだろうか。コロナ的にやめといたほうがええでと思った。

惣六は衣装が変わり、部屋着風というか、半纏的な丈の長い上着を着ていた。おととし上演した『仮名手本忠臣蔵』天河屋の段の原作復元版のときと、同じ着方。あれ、かっこいいよね。
それにしても、惣六は茶店でも自分の店でも人の様子をじっと窺っていて、忙しい。若干わざとらしいキャラではあるが、そういう無理が感じられない質感の芝居だった。玉也さんには似合う、というか、玉也さん以外だとどうにも説得力がつかなさそうなキャラに仕上がっており、良かった。自然な品のある雰囲気で、鼻につくような“粋”ではないのが上手い。本当は、そういうもののほうが観光的な意味では需要があるのだろうが、文楽は垢抜けた粋の表現がうまい人が多いと感じる。粋って本来垢抜けたものだと思うが、そうでなくなってしまっているものも多いよなと思った。惣六は「浅草雷門の段」で床几から立ち上がるときにも、肩から立ち上がるような仕草だったのも良かった。

 

 

宮城野のお部屋は2Fにある設定となっており、大道具は舞台中央に宮城野ルーム、下手側に一間、上手側に1Fと繋がる階段があるつくりになっていた。もちろん本当に階段が造りつけてあるわけでなく、手すりの書割が置かれているだけだ。1Fと行き来するお人形さんたちは「階段を降りる」ように、トントントンとどんどん位置を低くしていっているのが可愛かった。人形だけでなく、人形遣いさんたちも一緒に降りていて、ますます可愛かった。また、2F設定だからか、一番前の手すりが塀という設定になっているらしかった。ハトよけみたいなトゲのある柵だった。


しかし、曽我物語って、文楽だと、キャラ取り入れレベルのものでも、現行にないのでは。いつからやらなくなったのだろう。文楽だと『仮名手本忠臣蔵』『伊賀越道中双六』が強すぎるのだろうか。惣六がえらい懇々と事細かに説明してくれたが、確かにあれくらい説明してもらわないと、わからないかも……。

あとは、宮城県出身のおのぶの国訛りが北関東系なのが不思議だった。昔は江戸・大坂の人にはネイティブ東北弁はピンとこず、「訛ってる」感のある北関東弁にしたということだろうか。

 

 

  • 人形
    豆蔵どじょう=吉田勘市、大黒屋惣六=吉田玉也、茶店亭主=桐竹亀次、悪者観九郎=吉田玉勢、妹おのぶ=吉田簑紫郎(代役/吉田文昇休演)、傾城宮城野=吉田和生、禿しげり=桐竹勘次郎、新造宮里=桐竹紋秀、新造宮柴=桐竹紋吉

 

 

 

義経千本桜、道行初音旅。

清治さんの文化功労者指定記念演目ということで、三味線は清治さんの弟子筋で固められていた。といっても全員出るわけじゃないのね。それはそうか。口上の床が礼をするタイミングで「はい」と軽く声をかける清治さんのちょっとドヤぶりがナイスだった。
いまは床前席販売なしと言っても、中央ブロック上手寄りだと、わりあい三味線の音の聞き分けができる。というか、清治さんの音は粒立ってわかるなと思った。三味線は華やかで良かった。

人形に対しては、私とまったく同じ感想を近くの席の人たちが言っていた……。同じ演目をやりすぎて、そりゃそういう感想が出るわなというか……。せっかく記念と銘打っているわけだし、人形ももうちょっと何か盛っててもいいかもと思った。当たり障りなさは勿体無い。

 

 

 


付記 『碁太平記白石噺』全段のあらすじ

前述の通り、『碁太平記白石噺』全体は、楠正成没後の南北朝時代を舞台に、南朝再興を目指す人々の動向を描く物語になっている。

現行にある宮城野・おのぶの敵討ちと、南朝再興のメインストーリーとの関連性は薄い。南朝再興を志す主人公・宇治兵部助が「新吉原揚屋の段」以後の二人を保護し、武術の鍛錬をさせた上で、行政に届出して正式な敵討ちの手続きをとってやり(確実に敵討ちが実行できるように手回しする)、宮城野・おのぶは自力で敵・志賀台七を討つという関わりになっている。
現行上演部分で存在だけ示されている宮城野の許嫁(金江谷五郎)は、兵部助の仲間となる主要人物で、諸国を巡る武芸者という設定。ただ、宮城野との関係の進展が描かれることがないまま物語は終わる。宮城野もあまり気にしていない様子なのがなかなかすごい……。

現行上演部分にも原作と現行の違いがある。おのぶが姉探しをするくだりでは吉原の風俗描写が大量に盛り込まれているが、現行ではカット。宮城野らの再会と平行しての南朝派の人々の暗躍も現行ではカットされている。現行の吉原パートでは宮城野・おのぶ姉妹の物語に描写を絞り、よく整理されていると感じる。

 


[初段]

南北朝時代。楠正成は、弥生の節句建武天皇のいる吉野内裏へ参内する。そこを訪ねた旧臣佐々目兼房は、楠判官に勘当の許しを乞う。しかし楠判官は受けれず、自分はこのあとの湊川の戦いで討死するであろうとして、後の弔いを頼む。やがて勅諚が下り、楠判官は湊川へ出陣していく。

 

[二段目]

それから幾世か経て、奥州の山奥。山城の浪人・宇治兵部助は前世の夢を見て、楠判官の霊が宿って生まれた自分の出生を知る。彼の母は佐々目兼房の妹であり、楠判官の寵愛を受けていたのだった。兵部助は明神森で首塚を築く謎の河内の浪人と出会い、同じ南朝方と知り友情を結んで別れる。

 

[三段目]

岩手の石堂家では、若君・小太郎の家督相続の祝儀が執り行われていた。石堂家の門前に行きかかった兵部助は、石堂家の剣術指南役・楠原普伝と、その弟子・志賀台七に出会う。
普伝の正体は唐土呂洞賓に師事した妖術使いで、七草*1一揆を起こし天下を掌握するため、仲間となる豪傑の士を探していた。普伝は、兵部助には妖術、台七には全てを見通す鏡「天眼鏡」を伝授する。
天眼鏡を授かった台七は、さっそく片思い中の館の娘・千束姫が何をしているかウォッチすることに(低レベルすぎる使い道)。すると、千束姫と奴・伊達助がちちくりあっているのが見えてきて、大騒ぎ。
一方、普伝の邪悪を見破った兵部助は、普伝と忍びの者が密会し、石堂家の家督相続の綸旨を盗み出す企てをしていることを知る。忍びを殺して入れ替わった兵部助は、それに気付かない普伝から綸旨を受け取って館を脱出する。
千束姫は伊達助に思いの丈を打ち明けて涙するが、伊達助は身分が違うと言って受け入れない。すると千束姫は伊達助とは世を忍ぶ仮の名だろうと言い出す。伊達助はその姫の口を塞ぎ、夫婦の約束をする。その様子を伺っていた普伝は二人の不義を言い立てる。千束姫の母・後室寄浪御前が証拠はないとして事を収めようとしたところに、綸旨が紛失したとの知らせが入る。
寄浪御前はやむなく幼い当主小太郎に切腹させようとするが手が動かなくなり、代理を頼まれた普伝は皆を下がらせる。人がいなくなると、寄浪御前は呂洞賓の絵図を取り出し、まことに忠義があるなら絵姿を踏むよう普伝に迫る。寄浪御前は普伝を天下転覆を狙う妖術師と気付いており、その術を破る。妖力を失った普伝は、突然現れた台七に首を斬り落とされる。寄浪御前は千束姫と伊達助を勘当し、綸旨を見つけ出し戻ったときにはそれを許すと告げる。二人は情けを感じつつ岩手館を後にするのだった。

 

[四段目]ここから今回上演部分に関係

田植えシーズンが到来した白坂の逆井村。代官・志賀台七は普伝から授かった天眼鏡を手頃な田んぼに埋め隠す。やがてやって来たのが田んぼの主・与茂作。彼はかつて上方の武士だったが浪人し、今では病気の妻・おさよを支えつつ百姓仕事に励んでいるのだった。畝に埋め込まれた天眼鏡を見つけた与茂作が不思議がっていると、台七が戻って来て与茂作を滅多斬りにして殺してしまう。
そこへやって来た与茂作の娘・おのぶは親の仇と大騒ぎ。おさよの兄で村の庄屋の七郎兵衛、村人たちが集まってきて一触即発となるも、台七は証拠がないと開き直る。そこへ台七の家臣が走ってきて、先日から行方不明になっていた台七の弟・台蔵の死骸が見つかった、首が明神森に埋まっていたという。台七は与茂作を殺したのは弟を殺したのと同一犯に違いないと言い張り、七郎兵衛たちは反論できずに泣き叫ぶおのぶを連れ、与茂作の死骸を彼の家に送っていくことにする。村人たちが去ったあと、台七は天眼鏡を掘り起こしてシメシメとするが、曲者がそれを奪って消え去る。

 

[五段目]

与茂作の家では、妻・おさよが大病に伏している。一家は昨日から足を痛めたと言う浪人を泊めており、彼がおさよの世話を甲斐甲斐しく焼いていた。浪人はおさよに、このあたりに「杉本甚内」という上方の浪人はいないかと尋ねる。彼の父と甚内は懇意であり、その娘と自分は許嫁となっていたという。しかしやがて甚内は浪人し、父も没して自らは流浪の身になったと語り、楠家の家臣・金江勘兵衛の息子、谷五郎と名乗る。
実はその杉本甚内こそ、与茂作のかつての名だった。おさよは偶然の出会いに喜ぶ。が、彼と許嫁にした姉娘・おきのは年貢に詰まって8年前に吉原へ売ってしまっていた。娘はさる屋敷へ奉公に出しているとおさよは言いつくろい、祝言の酒を買いに行くという谷五郎を見送る。
夫が帰ったら事態を相談しようと与茂作を待ちわびるおさよだったが、やって来たのは兄・七郎兵衛だった。夫の死を知ったおさよは誰が殺したのかと慟哭する。台蔵の首が明神森で見つかった話を聞いたおさよは、宿を貸している谷五郎がおととい明神森で野宿したと言っていたことを思い出す。
一同は、帰ってきた谷五郎に詰め寄る。しかし谷五郎は、確かに台蔵は殺したが与茂作は殺していないとして、台七こそが与茂作殺しの犯人だと見抜く。が、それを陰から伺っていた台七が種子島銃で彼を撃とうとしていた。しかし様子を伺っていた兵部助がそれを妨害し、先ほど盗んだ天眼鏡を投げつける。台七は鏡を拾い、慌てて逃げていく。
谷五郎は兵部助が明神森で出会った武芸者(二段目)だと気付き、南朝再興のため来るべき日には彼の配下となることを約束する。兵部助は姉妹の敵討ちの手助けを引き受け、今後は「宇治常悦正之」と名乗ると告げる。こうして常悦・谷五郎の二人の勇者は陸奥を後にするのだった。

 

[六段目・七段目]今回上演部分

このあと物語は「浅草寺雷門の段」「新吉原揚屋の段」へ。
大筋は現行と同様だが、原作では、宮城野を揚げようと争う二人の侍、鵜羽黒右衛門と鞠ケ瀬秋夜が登場する(現行「新吉原揚屋の段」冒頭で、宮里・宮柴が噂している二人の男)。鞠ケ瀬秋夜は宇治常悦一派のメンバーで、宮城野の敵討ちの手助けをするため、吉原へ入り込んでいた。一方、鵜羽黒右衛門の正体は志賀台七だった。
親の名を継ぎ、金江勘兵衛となった谷五郎が秋夜を訪ねてくる。それを見た台七は、吉原から逃げ出す。結末では宮城野の主人・惣六が実は南朝派新田家の旧臣・島田三郎兵衛であったことが明かされる。三郎兵衛は宮城野に年季証文を返し、おのぶとともに常悦のもとへ行かせる。

 

[八段目]

江戸・牛込の宇治常悦の屋敷。おのぶは「信夫(しのぶ)」と名を改め、常悦の妾・おせつから武芸の稽古を受けていた。やがて秋夜が宮城野を連れてやってきて、常悦と囲碁を討つ。その勝負にことよせ、常悦は台七を討つ意思を暗示し、宮城野の性急な心を諌める。
夜更け、囲碁勝負に口出しして窘められた宮城野はうなだれていたが、姉妹で相談し、常悦宅を抜け出して台七を探しに行くことを決意する(反省の色なしの気の早さ)。ところがそこに当の台七が現れる。姉妹は懸命に戦って台七を討ち、屋敷の面々に見送られて陸奥へ帰っていく。
ところがその台七は、常悦が天眼鏡の幻術で作り出したまぼろしだった。屋敷の奥には本物の志賀台七が常悦に匿われていた。常悦は台七を匿って恩を売り、北朝を滅亡させるための毒薬の秘法を聞き出そうとしていたのだった。宮城野・信夫姉妹が去っていったのを見た台七は常悦に心服し、楠原普伝から受け継いだ鴆毒の秘術を教える。
こうして台七は悠々と常悦宅を後にするが、実は宮城野・信夫はまだ常悦の屋敷にいた。常悦は台七を油断させ、姉妹の敵討ちをさせる段取りを取っていたのである。
鎌倉・扇が谷。志賀台七がドヤ顔で歩いていると、大勢の人に取り囲まれ、仇討ち場へと連行されてしまう。宮城野・信夫は三郎兵衛らが見守る中、ついに台七を討ち取る。姉妹はともに髻を切り、尼となって父母の弔いをしたいと告げるが、三郎兵衛に気の早さを窘められるのだった(あいかわらず気が早いシスターズ)。

 

[九段目・十段目]

京都玉川の紺屋弥左衛門宅。岩手館を出た千束姫と伊達助は、ここでお竹、吉六と名乗って下働きをしている。吉六の正体は、新田義興(本作では新田義貞の弟という設定)だった。二人は南朝再興を目指し、かつて勘当された紺屋の息子・宇治常悦と手を結ぶため、この家に入り込んだのだった。現在の紺屋の主人弥左衛門は先代の使用人で、先代夫婦の遺言で娘・お染の今後を任され、店を預かっている。弥左衛門はお染が吉六に恋していることに気づき、一緒にさせようとしていたが、お竹はそれにヤキモキ。彼女と吉六の関係に気づかない天然娘のお染が夫にグイグイ迫るので、お竹はますますイライラを募らせ、しかも奉公人の八尾六がチャリ顔のくせに横恋慕してまとわりついてくるのがウザいことこの上ない(最悪)。そうしてドタバタしているうちにいよいよお染・吉六の祝言となってしまう。
紺屋の門前には、宇治常悦が虚無僧の姿に化けて佇んでいた。弥左衛門は喜んで彼を迎え入れ、帰ったら勘当を解くよう言付かっていたことを語って奥へ招き入れる。一方、お竹と吉六は元の千束姫、新田義興の姿に戻り、帰ってきた常悦の様子を窺う。常悦は伊達助を新田義興と見破り、楠木家に伝わる菊水の旗を示して二人は共闘を誓う。常悦はまた台七から奪った綸旨を二人に返してやる。喜んだ千束姫と義興は、村に迫る北朝方・高師泰の捕手を打ち破ろうと出て行こうとする。
ところがそこに弥左衛門が現れ、奉公人の請状があるからには、姫だろうが武将だろうが勝手はさせない、お染を食い逃げするのは許さないと騒ぎ出す。なだめても聞かない弥左衛門に二人が困惑しているところへ、鎌倉で活動していた鞠ケ瀬秋夜が北朝方に捕まったという知らせが入る。弥左衛門もこれには二人を許し、千束姫もお染のことは嫉妬しないと言って、義興とお染は夫婦の固めをする。ところがそれを伺っていた八尾六が突然躍り出て狼煙を上げる。実は八尾六は師泰のスパイだった。義興はすかさず八尾六を始末する。
現れた師泰軍と常悦は交戦し、それを打ち破って笠置山へと向かう。

 

[十一段目]

笠置山では南朝方と北朝方の激しい戦いが繰り広げられた。各地での南朝優勢に常悦と義興が喜ぶ中、寄浪御前と小太郎、千束姫らが現れ、南朝北朝の和睦が調ったことを知らせる。楠木家・新田家・石堂家の契りは固く、宮城野と信夫の孝行の道は立てられ、千束姫とお染は共に義興の妻妾となり、天下泰平に国は治るのだった。
(おしまい)

 

 

 

*1:天草。島原・天草の一揆を指す。

文楽 大阪1月初春公演『菅原伝授手習鑑』車曳・茶筅酒・喧嘩・訴訟・桜丸切腹の段 国立文楽劇場

不穏な中だが、初春公演に行ってきた。

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第一部、菅原伝授手習鑑。
今回は三段目を上演。来月の東京、四段目に続く、という趣向?


車曳の段。

車曳が出るのは、うし年だから???
うしはとても毛並みがよかった。新品かもしれない。
車曳はうしが途中で帰っちゃうのと、時平が徒歩で帰るのが本当に面白すぎて、愛せる。

今回は玉志サンが松王丸に配役されていた。正月の一演目目から華やかに出てくるオイシイ役なので嬉しかった。凛として、若々しい雰囲気。長い槍を持って両手をT字に広げるところが綺麗に決まっていた。今回の初春公演の玉志サン、第三部の鱶七含めてこの手のポーズがすべて綺麗に伸びきって決まっており、気持ちよかった。運動がしたくなった。そして、めちゃくちゃ律儀そうで、時平〈吉田玉輝〉がドヤるタイミングでキュッ!と礼をしているのがよかった(玉志特有のリアクション芸)。
ただ、車曳がどうなるのかは、事前はとても心配だった。というのも、いままでに文楽で2回車曳を観て、その松王丸が2回ともかしらがグラグラしており、かなり微妙なことになっていたから。おそらく髪型と衣装の重量バランスが悪いのだろう。しかし実際舞台を見たら、しっかり安定しており、とても安心した。普通なんだけど、このように普通に持っているのが実際には非常に難しいのだと思う。

時平の牛車をめぐって梅王丸・桜丸と松王丸がグイグイ押し合いへし合いやりあうところの息がキッチリ合っており、ステージ全体での様式美の構図が働いていた。みんなうまいこと牛車に手をかけているので、何をやっているのか明瞭だった。

あとはやっぱり、津國さんの時平の昭和の特撮悪役感が最高だな。平安時代とは思えん。 

 

 

 

茶筅酒の段。

太夫は玉男さん。若! 元気! ジジイなのは確かだが、元気が有り余っておられるというか、動きが素早くシャキッとしており、お達者オーラがすごい。庭を歩むスピードが速い。また、肩幅がやや狭く、シュッとした印象があった。身長が高そう。
そして、嫁ズが来てからはもうルンルンで、とても嬉しそうだった。ある意味玉男さんの素なのではと思った。

嫁ズは、春=清五郎さん、千代=簑二郎さん、八重=清十郎さん。人形遣いさんそれぞれの個性と人形の性格がマッチしていて、かなり良かった。いままでに観た佐太村でもベストかもしれない。
清五郎さんの春は、美人生徒会長風だった。清五郎さんの美人生徒会長オーラはほんますごい。ほかの人と人形の見栄えタイプがかなり違うよね。おそらく背筋がピンと伸びて長身にシュッと見えること、ちょっとうつむいているのがスズランのようで、クール系美人に見えることが理由かと思うが……、後輩女子が「キャ❤️」となりそうな、資生堂的な美人だった。
簑二郎さんの千代はそれより少し体をちぢこまらせて、顔をちょっと突き出しているのがアダっぽく、いい感じに所帯染みて、おかみさん風。老舗のちょっといいお店の女将って感じ。クッキングもさすが簑二郎なこなれ感が出ていた。
清十郎さんの八重は、おとなしげで可憐な雰囲気。清十郎さんにしてはかなりロリっぽかった。そして、なんというか、リアルな若い女の子感があった。生きてるだけでエライ的な。いかにも、白太夫や姉嫁たちに可愛がられていそう。

ちなみに、クッキングに使われる大根は、本格的な冬になって大根がウルトラデカくなりすぎているせいか、ごん太のままではなく、削られてシュッ……と細くなっていた。
しかし、八重さんあれだけ料理道具の扱いが下手となると、普段はどうしているんだろう。桜丸が作ってるのかな。

 

 

 

喧嘩の段、訴訟の段。

玉佳さん梅王丸と玉志さん松王丸は、律儀ブラザーズだった。二人とも真面目そうである。同じような髪型・衣装の人形ながら、持ち方や着付によって梅王丸、松王丸にそれぞれおふたりの特徴が出ていた。梅王丸は胸の盛り上がりが美しく、大胸筋が発達している。松王丸は肩から二の腕にかけてのラインがたくましく、三角筋が発達しているようだった。同条件で肉体の印象の違いが出るのは面白い。
「喧嘩の段」で梅王丸と松王丸が俵を持って揉み合うところ、玉佳さんがなんだか嬉しそうなのがよかった。なんでやねん。玉佳さん、いままでは人形の気持ちが顔に出てるのかと思ってたけど、ご自分の気持ちが顔に出ているということかしらん……。と思った。すもうも楽しそうだった。一方、玉志さんはめちゃくちゃ真面目だった。人形の姿勢に異様に凝り始めていた。
俵キャッチボールは初日から結構離れてやっていた。もちろん成功。人形さん同士の関係で距離が決まるのかもしれない。
なお、桜の木が折れるくだりでは、松王丸の人形を大きくそらせて木に当てており、また、折れたのをちょっと気にしていて、律儀、と思った。

太夫は松王丸を追い出すとき、家の腰壁みたいなところをほうきでバシバシ叩くが、それが威嚇や怒りの表現というより、動物を「はい、はい、はい。みんな、もうケージに帰りましょうねぇ」と誘導するようで(?)、なんだかマイルドだった。
ほかにも、帰宅時に桜の木が折れているのに気づいたとき、嫁ズから誕プレをもらったときも、リアクションは抑えめだった。3本の扇子で籤を引くときの落胆ぶりは、「わかってはいたけど……」という雰囲気。事情はすべて知った上で、もはや定まっている運命、その不幸に近づいていくのを悲しんでいるような雰囲気だった。

 

 

 

桜丸切腹の段。

まるで音がしないような、すばらしい舞台だった。
「音がしない」とはこれいかに? と思われるかもしれないが、時々、義太夫が音楽としてではなく、舞台上にいる人形たちの心の声や、歴史の大いなる意思のささやきに聞こえて、現実世界での音声とは思えなくなることって、ありませんか? すばらしい小説を読んでいるとき、目で文字を追っているではなく、情景が視えてくるように思えるのと同じように。
これまで実は佐太村をさほど面白いと思ったことはなかったのだけど、今回は本当に良かった。突出して誰か特定の出演者のパフォーマンスが良いというのではなく、良い意味で個性が消えて物語に溶け込んでいるのが良かった。

桜丸〈吉田簑助〉は、いままでよりも華奢で柔らかな印象に思えた。肩が落ちているのかな? ほっそりとして、ローティーンの女の子のような印象だった。やはり、出からすでに現世の人ではないような佇まいがあり、消え入りそうな透明感があるのが印象的。
というか、簑助さんが桜丸で出演されてことがまじ驚きだったよ……。この時勢にご高齢の方が外に出るのは心配だけど、ありがたい限り。

桜丸が切腹する場面の流れが、通常と少し違うようだった。通常は、いざというところで八重が桜丸に取り縋る→桜丸が八重をひざで押さえ込み、八重間近でうずくまる→桜丸切腹→八重そのまま嘆き続けるという流れになることが多いと思う。今回は、八重は桜丸から体を背け、両肘を高く上げた状態から両手で耳をふさぐような仕草をして桜丸から離れていき(耳のうしろに手を回す演技)、癪を起こしたように脇腹を押さえ、そののち桜丸が切腹するタイミングで桜丸に向き直って嘆き伏すという流れだった。八重役の人の違いによるものか。
八重は背骨で泣いているような嘆きぶりで、哀れだった。

太夫はここまでくると普通のおじいちゃんぽくて、しかし、最後に悲しみを振り切って旅立つ姿が、どこか颯爽としていた。やはり彼もまた大いなる物語の登場人物なのだと思った。

 

  • 義太夫
    車曳の段=松王丸 豊竹藤太夫、梅王丸 豊竹睦太夫、桜丸 豊竹芳穂太夫、杉王丸 竹本碩太夫、時平 竹本津國太夫/鶴澤清友
    茶筅酒の段=竹本三輪太夫/竹澤團七
    喧嘩の段=(前期)竹本小住太夫/鶴澤寛太郎、(後期)豊竹亘太夫/鶴澤友之助
    訴訟の段=豊竹靖太夫/野澤錦糸
    桜丸切腹の段=竹本千歳太夫/豊澤富助
  • 人形
    梅王丸=吉田玉佳、桜丸=車曳 吉田簑紫郎/佐太村 吉田簑助、杉王丸=吉田玉翔、松王丸=吉田玉志、左大臣時平=吉田玉輝、親白太夫=吉田玉男、百姓十作=吉田簑一郎、女房八重=豊松清十郎、女房千代=吉田簑二郎、女房春=吉田清五郎

 

 


いままでに観た佐太村の中で一番良かった。見取り上演ながら、舞台上のすべてが、巨大な物語へと収斂していくように感じられた。

初日・二日目を観に行ったが、さすがに正月頭だからか、12月東京公演のように当日キャンセルと思われる空席が目立つこともなく、見た感じ満席。例年通り補助席が出されていたが、使用されていなかった。

また、例年初日劇場玄関前で行なっている鏡割りはなく、1Fロビーで同じ内容をインナーで行なった動画が流されていた。技芸員からは勘十郎さん(お三輪)と勘彌さん(求馬)が出ていた。というか、鏡割りには「お三輪」と「求馬」が参加しているというテイになっており、文楽劇場独特のコクを発揮しておられた。

 

 

 

正月名物その1、門松。

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正月名物その2、にらみ鯛。

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正月名物その3、手ぬぐい。

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今回は若手出演者が舞台から投げる方式ではなく、座席番号による抽選式。開場時点ですでに当選番号が掲示されており(1回あたり20人)、引換所で当選チケットを提示するともらえる。
自分は例年手ぬぐいまきの空気がいたたまれなさすぎて退出することも多かったので、一度ももらったことはなかったが、今回は無作為抽選によって、当選&ゲット。そもそもの入場者が少ない第三部はかなり高確率で当たったのではと思う。
まだ開封していないので、図柄はわかりません。(え?)