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文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 12月東京文楽鑑賞教室公演『団子売』『菅原伝授手習鑑』寺入りの段・寺子屋の段 国立劇場小劇場

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同じ演目の配役違いを手軽に楽しめるのが嬉しい鑑賞教室公演。大阪の鑑賞教室はすさまじいシャッフル配役で意外性のある配役や若手の抜擢も多いけど、東京は幹部を得意なところに配役して「初心者には一番最初に最高のものを」という雰囲気。だと思っていたが、今年はチャレンジ精神が入ったのかAプロ・Bプロでだいぶトーンが異なっていた。今回はAプロ、Bプロ両方の通常上演に加え、「Discover Bunraku 外国人のための文楽鑑賞教室」という特殊プログラム(出演者はAプロと同)へ行ってきた。

 

 

 

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団子売。

 
 
 
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上の写真はBプロ(杵蔵=吉田簑太郎、お臼=吉田玉誉)。オニーサンなだけあって洗練されている。 Aプロ(杵蔵=吉田玉翔、お臼=桐竹紋吉)はちょっとおっとり上品な雰囲気で、団子売りに身をやつした敵討ちの旅中の武家姉弟みたいで、可愛かった。しかし、夫婦役が夫婦モンに見えるかは難しいね。

 

 

 

解説 文楽の魅力。

Aプロ=豊竹希太夫・鶴澤寛太郎・吉田玉誉/Bプロ=豊竹靖太夫・鶴澤友之助・吉田玉翔。

三業解説に関しては、やっぱり、希さんは鑑賞教室公演のたび毎回変更があって、お客さんを飽きさせない工夫があり、立派だと思う。今回でいうと、語り分け実演をタイムリーに『鎌倉三代記』局使者の段(三浦之助の母とおらちの会話)、『一谷嫩軍記』熊谷陣屋の段(藤の局が陣屋に突然現れて熊谷が抑え込む場面)にしていた。あと、『菅原伝授手習鑑』自体の解説で、これっていつごろ書かれた話?の例えとして「モーツァルト生誕の10年前」と話されていた。一般の方にも伝わりやすい例え……だと思って希さんは話してくれたんだと思うが、私は「え!?!?!?!?!?!?モーツァルトってそんな最近の人なの!?????????」と違う部分に驚いた。あと、ノゾミは源蔵をちゃんとサイコパスだと紹介していたので、えらい(してません)。いやちゃんと源蔵が一番狂った行動に出るってことを説明していたのだ。松王丸より源蔵のほうがクソヤバってこと、私も日本中の人に伝えたい。それと、床は人形の演技に合わせて演奏しているわけではないことを説明されていたのも正しい。技芸員さんにとっては当たり前すぎて意識すらしてないんだろうけど、これはもう絶対言わないといけないと思う。一般客は逆に床は人形の伴奏だと当たり前に思ってる可能性が極めて高い。総じて初見の観客を考えた解説でとても良いと思った。あとはカンタローと並んで座ってる姿に味があった。

昨年はあらすじ解説で使うレーザーポインタの光量が少なく悲しげな靖さんだったが、今年は巨大マッチ棒みたいな指示棒になっており、安心なさっていた。靖さんはあらすじを全部喋っちゃわないのがえらい。あと、玉翔サンの振り「『菅原伝授手習鑑』を自称・文楽業界の舘ひろし、豊竹靖太夫さんから解説してもらいます」に今年はちゃんと反応していた。(「自称はしておりません!」ヤス・談)

そして、玉翔さんは、『団子売』の内容を受けた人形解説をしていてわかりやすかった。人形解説では女方の人形には物理的な足がないことが必ず説明されるが、そうなると直前に上演している『団子売』のお臼には足が吊ってあることと矛盾してしまう。そこをフォローするために、着物の裾を上げている女方人形は糸足という小さな足を吊っていますとちゃんと説明していた。それと、左遣いと足遣いの子にも挨拶させて紹介していた。その心がけが本当に立派だと思う。ちなみに今回左遣いの小道具出し入れ解説でお園さんが取り出していた小道具はハズキルーペ〜〜!……じゃなくて白いメガネでした。たぶん清公さんのだね。

 

 

 

本編『菅原伝授手習鑑』寺入りの段〜寺子屋の段。

今回、Aプロ・Bプロ見較べて思ったのが、人形遣いによる余白の詰め方の違いだった。

余白の詰め方、というのは、その役の人物像に対し、どれだけ表現を行うか/あるいは行わないかということ。 余白が多いほど役の人物像に太夫・三味線・観客の想像力が介入し、少ないほど人形自体から直感的に人物像を感じ取ることができる(=人間の役者と同等に、人形のみで人物像が表現されている)。というイメージ。人形の演技でどれだけ説明をするか、とも言い換えられるかも。

一番気になったのは松王丸。

文楽の場合、演出が人形だけで成立しているわけではないので、通常はどなたもがフルフルに詰めてはこないと思うんだけど、Bプロ松王丸の勘十郎さんは「そこまでやるか!?」というほど細かく詰めてきている印象だった。一番顕著なのが、松王丸の2度目の出、頭巾姿で現れ、源蔵の家に入って下手側を向き「女房悦べ、倅はお役に立つたぞ」と泣く部分。ここがものすごい泣き方だった。かなり説明的+オーバー気味な演技で正直びっくりした。勘十郎さんも通常の公演では余程のことがない限り、ここまで細かく詰めてないと思うんだけど、鑑賞教室だからなのかな。勘十郎さんの松王丸役は生では初めて観たのでなんともいえない。歌舞伎だと役者主体なので、浄瑠璃の詞章関係なくオーバー気味にやっても見せ場になるのでおかしくないと思うが、文楽でここまでやる人がいるのかと思った。このあとの泣き笑いの部分が松王丸の演技で一番の見せ場だと思っていたので、ここでこんな大きい泣き落としをする人がいるんだと驚いた。

でも確かにこれくらいしないと、はじめて文楽寺子屋を観る人には、松王丸が何をして、何を思っているのか、わからないと思う。泣き笑いは、松王丸は口に出している言葉とは真逆の感情を抱いているという場面なので(これこそが文楽らしさであると思うが)、いちげんではわかりづらい。しかしあそこの演出はまず変えられない。となると説明するには確かにここしかない。でもこの詰め方は、たとえば『夏祭』の団七の詰め方とはまた違うので、気になった。団七の場合、勘十郎さんは細かい手数を増やして演技自体の華やかさを強調しているけど、団七の感情自体に装飾的な説明を過剰に盛っているわけではないので。率直なものいいをすると、松王丸が持ち役の玉男さんと競合するには同じ演技では自分がやる意味ないから、わざと変えてるのかなと思った。芸風の違い以上に、芸人としての戦略的な部分で。

Aプロ松王丸の玉男さんは通常通り、この部分では頭巾で顔を拭うだけにとどめて後の「笑いましたか」以降の泣き笑いに託し、装飾的な所作はカットしているので、違いがかなり際立っていた。ほかにも首実検の部分でどれだけ周囲を確認するかの動作量も違う。ここも玉男さんは余分な動作を大幅に切って端正な佇まいをつくり、視線の動きだけに観客の注意を引くやりかた。勘十郎さんはわりとキョロキョロしているというか、人形が揺れた状態になっていて、視線移動の動作が速く、多い。ただこのあたりに関しては、松王丸役自体の慣れによる演技の的確度の差のような気もする。

どう演じるかは、見取りで寺子屋だけ上演するにあたって、松王丸をどう演出するかの違いもあるのかなと思う。玉男さんだと松王丸が泣き笑いをするまでずっと、謎の人物に見える。動きから本心が読み取れないので、松王丸の感情が伏せられた状態になって、何を考えているかまったくわからない怪人物という印象。玉男さんの場合、人形の構え方として、松王丸が異様に大きく見えるというのもあると思うけど。それにくらべると、勘十郎さんは最初から「人間らしい」、等身大の、松王丸。最初から表情の豊かさがある。たしかに松王丸って極端に身分が高いわけでもなく、三つ子に生まれてバラバラに奉公することになったという境遇ゆえに、自分の意思ではなく悪事に加担するというハズレクジを引いてしまった普通の人。その普通の人に降りかかった受け止めきれない悲劇を人間味のある実感として見せる手法だと感じる。勘十郎さんにはほかの役でもこの傾向あると思うけど、結構、歌舞伎に近い感じイメージ。なるほどそういう解釈か、おもしろい見せ方だなと思った。

なんにせよ、いままで玉男さんの松王丸を何も考えずこれが普通だと思って観ていたので、勉強になった。玉男さんの演技上の意図を考える機会にもなってよかった。指先の曲げ伸ばしの表情演技が細かいこととか、これは手数のカットぶりとは逆に、勘十郎さんより玉男さんのほうが人形の指の仕掛けの「チャキッ」という音を鳴らす演技が多いことに気付いた。松王丸の輪郭をどう大きく見せるかも、お二人で違っていて、面白かったです。あとは正直なところ、左遣いさんが違うと思うので、その技量や慣れの差もかなり出ていると思う。

ちなみに私が玉男さんの松王丸の遣い方で好きなところその1は、最初の駕籠から出て、正面向いて立って、ちょっと喋って、玄関前に行く前に上手を向く姿勢。このターンの速さが日によって違う(びっくりするほど速いときがあり、そういう日は左遣いさんがものすごい勢いで後ろ側に回り込む)。その2は、源蔵の家に入るときに人形がくぐる動作をしないところ。松王丸は上使のあかしの紙の飾りを頭につけてるため、そこが戸口の上部に引っかかるから普通は松王丸をかがませる……んだろうけど(勘十郎さんは実際人形の頭を下げるかたちでかがませていた)、ご自分の体の位置そのものを下げてくぐり、松王丸の姿勢を崩さずまっすぐのままにしているところです。

 

以上に関してはAプロとBプロで観た回数が違うので、理解が足りず、検討不足の部分も多いと思う。 いろいろな方の意見が聞きたいところ。あとは、玉也さんとか、和生さんの松王丸も機会があるのなら見てみたい。

 

 

 

そのほかの部分に関して。

何といってもよかったのが、Aプロの源蔵、玉也さん。すばらしい源蔵だった。この源蔵を観るためだけに鑑賞教室行きたいレベル。腕組みして出てきて、家に帰ってきて、玄関先で頭下げて出迎える寺子たちを見て、上座へ歩いていく。その、玄関先で子どもらを見るところ。屋体に入ったときのほんの一瞬だけ見て、すぐに目線を逸らしてまた考え事をはじめる所作がよかった。本当に一瞬しか子どものほうを見なくて、「やっぱアカン」、という見切りと苛立ち。さすがにこの後初対面の子どもの首を飛ばすだけあるわこの人、と感じた。源蔵は本来、菅丞相に認められたほどの才気ある人物でありながら、戸浪と密通して勘当され、ここまで駆け落ちしてきた身。こういう登場人物って、ほかの狂言だと弱いところがある男(ゆえに魅力的である)という印象だけど、源蔵はまじ狂ってる(ゆえに魅力的である)。松王丸が見込んだだけのことはある。その狂気を十分に表現した源蔵だった。首実検の直前、一度渡した首桶に手をかけて松王丸に凄むところも尋常じゃない気迫でよかった。首桶の蓋がカタカタしてて、ドキドキした。

Aプロは床もよくて、寺子屋の前・千歳さん&富助さんコンビは期待通りだった。丁寧に、かつダイナミックに。浮わついた大げささじゃなくて、浄瑠璃が自然な物音のように聴こえたのが良かった。そしてその後・睦さん&清友さんにはビックリした。寺子屋、前後で分割すると途中で緊迫感が切れて浄瑠璃がつながらなくなり、源蔵と戸浪が「♪五色の息をいっときにホッと吹き出す」という部分、なにが??すでにホッとしとるんでは??ってなると思うんだけど、睦さんからは、前を引き継いだテンションを継続させようという強い意志を感じた。おふたりとも、最後まで熱演だった。睦さんには今年、何回も、いいなあと思わされた。「頑張ってる」以上のものがにじんでいる人だと思う。今後に期待。

Bプロの寺子屋・前は呂勢さん&燕三さん。燕三さんすごい良かったです。現状、こういう特殊な機会でもないと寺子屋の前には配役されないと思うけど、本当いいもの聴いたと思った。あと、このお二人、鯖みたいなテッカテカのメタリックブルーの肩衣で、鯖が食べたくて仕方なくなった。

個人的にすごいと思ったのは、Aプロ・千代の清十郎さん。会期中の向上ぶりに目を見張った。2日目に行ったときは松王丸(玉男さん)の演技に追いついておらず、特にいろは送りのところ、「この人まじで大丈夫!?」と心配になったけど、千穐楽前日にはキッチリ決めてきていて、元来お持ちの清楚な悲壮感が出ていてよかった。

あとは、全体のバランスとして、「この人どうしてこういうことしてるんだろう?」と思う部分は、ほかの登場人物(というか、立てるべき役)とのバランスでそうしてるんだなと気づく部分があって、おもしろかった。その点では、Aプロ・戸浪の文昇さん。ラフめというか結構ふつうの奥さん風のつくりで、はじめは「戸浪って元腰元なわけだし、もう少し上品めでもいいんじゃない?」と思ったんだけど、源蔵の出以降はかなり納得。玉也さんの晦渋な狂人という感じの源蔵に似合った奥さんだった。

「好きなもの=直行直帰」としか思えず、給料泥棒、会社員の鑑、『菅原伝授手習鑑』で一番共感できる登場人物No.1・春藤玄蕃は、Aプロ=吉田玉輝、Bプロ=吉田玉佳。玉輝さんの玄蕃は「早期退職募集狙いだが在職中はキッチリ仕事をするタイプ(退職後はバイトでいいから弊社営業部に来て欲しい)」、玉佳さんの玄蕃は「早く帰りたいけど色々やることがありすぎてしかもそれを真面目にやっちゃうため、結果的にサービス残業の常連タイプ(でも転職エージェントには登録してる)」感じになっていた。玉輝さんは上品すぎない適度なザックリ感、小者ぶりがあってよかった。

全体的にはAプロはいま文楽が出せる最大クラスの豪華配役、Bプロは中堅・若手を配置した積極配役という感じだった。Bプロは端正な人が多く、全体の調和は良かったんだけど、フックがなくて、多少独善的になってもいいからもう一歩踏み込んでほしかったとも思う。文司さんとか清五郎さんとか勿体ない。

 

 

 

 

Discover Bunraku 外国人のための文楽鑑賞教室。

東京では初めて外国人向け公演へ行った。『団子売』を上演せず、その分解説に長く時間をさいたプログラムになっている。配布パンフレットが多言語版のオリジナル仕様になっているほか、特別に日本語を含むすべての言語のイヤホンガイドを無料で貸し出すサービスをしていた。

最初は解説パート、1時間程度。司会のステュウット・ヴァーナム・アットキンさんによる解説は英語で、技芸員に話しかけるときのみ日本語(技芸員は基本日本語で解説、技芸員が話し終わったらアットキンさんが要点のみ抄訳)。もちろん、母語が英語でない観客も多いので、ゆっくりめのわかりやすい英語。

今回おもしろかったのは、「口上」も解説していたこと。通常公演のように黒衣サンに「トーザイ〜トーザイ〜 このところお耳に達しますは〜」というのをやってもらい、その後、口上の黒衣サン=文哉さんが頭巾を取って「東西」の意味や黒衣の仕事の解説。「東西」というのは「劇場に来場されているハシからハシまでのすべてのお客様に申し上げます(+ご静聴ください等)」という意味だそう。あとは普段のお仕事=左や足を遣う、道具の出し入れ、小幕の開け閉め、ツケ打ち等をしているというお話だった。文哉さん、東急ハンズにいるスゴイ切れる包丁の実演販売の人みたいな口調でおもしろかった。

次に希さんから太夫、寛太郎さんから三味線の解説。太夫は語り分け解説で『彦山権現誓助剣』瓢箪棚の段の冒頭の辻博奕の語り分け、『鎌倉三代記』「局使者の段」の冒頭を実演(観てからこの記事を書くまでに時間が経ちすぎて、なんかほかにもあった気がするけど、忘れた)。三味線は通常はバチ使いの説明くらいしかしないが、今回は情景描写演奏の実演が細かく入り、『日高川入相花王』渡し場の段の川の流れの音(たぶん清姫が飛び込む直前の部分)、『伊達娘恋緋鹿子』火の見櫓の段の寺院の鐘の音(九つの鐘が鳴る部分のお囃子抜き)の演奏があった。太夫三味線二人合わせての実演も長く、「寺入りの段」の頭を結構な長さで演奏していた。人形解説は通常と同。

解説は前述の通りゆっくり喋ってもらえるので、英語サッパリの私でもある程度は何言ってるかわかるのだが、途中、『リア王』に例えた解説が入ったのはついていけなかった。英語圏っていうかグローバル一般常識ではやっぱりシェークスピアは基礎教養なんですね……。

本編は英語字幕で上演。英語字幕、おもしろくて見始めるとクセになる。浄瑠璃は日本語がわかれば言葉遣いの格調の上下の激しさ、言葉遊びや韻の踏み方・掛詞等が楽しみどころ・聴きどころだが、字幕はそんなこといちいち訳してられないし、母語が英語でない人向けのやさしい文法でなくてはいけないので、「Yodarekuri is something of a fool」とかの豪速球な字幕が出ていてめちゃくちゃ笑った。あとはコタロウの父母はノーブルだろう、とか。おかしくてはじめはついつい見ちゃっていたが、源蔵が入ってくるあたりからはさすがに人形さんに失礼なので、やめた。

上演はかなりウケていた。会場、外国人のお客様が多かったが、やはりみなさん日本在住(滞在中)でしかも文楽に興味のある方だからか、字幕に関係なく太夫の語りで笑っておられる方が多数だった。逆に通常公演のほうが笑うところで誰も笑っていなかったり、太夫の語りでなく字幕表示で笑うパターンが多いかもしれない。この点でいうと、解説時に司会者から会場に向けて「文楽を初めて観る方は挙手してください」という投げかけがあったのだが、挙手は半分以下で、とくに前方席の人は全然手ぇ上げてなかった。やっぱりもとから日本の古典芸能に教養のある方が多いのね。 

 

 

 

今回も鑑賞教室公演、たくさんの発見があって、大変勉強になった。あらためてじっくり舞台に向き合う機会になったと思う。できるだけ毎回、新鮮な気持ちで鑑賞しつづけていきたい。

いつまでも、目の前のものを素直に受け取ることができる心でありたい。これがいま一番思うこと。余計な偏見や思念が入ると、つまらなくなるから。私は、ものごとをつまらなくするのは自分であるという経験が多い。ずっと素直な心でいることは、とても難しいことだとは思う。でも、意味のない意固地や自己の斜に構えた態度で趣味がつまらなくなるなんて、いやじゃないですか。あっ、でも、東西で同じ演目をやるのと、同じ演目2ヶ月もやってんのに会期中どんどん下手になる奴だけは断じて許さん。国立劇場の前庭に植わってる菅丞相の梅の木に逆さ磔にしてやる。

最後に突然妄想を開陳して真に恐悦至極ではありますが、個人的には松王丸=玉志さん、源蔵=玉男さんの配役で観たかったな。6月大阪の鑑賞教室公演・尼ヶ崎の光秀=玉志さん、久吉=玉男さんがめちゃくちゃ良かったので。いつか必ず拝見したい配役である。

 

 

 

今年の文楽はこの12月鑑賞教室・本公演にて見納め。今年もたくさんの充実した公演に行くことができて、楽しかった。来年もアクティブに楽しみたいと思う。

 

 

 

 

文楽 12月東京公演『伊達娘恋緋鹿子』国立劇場小劇場

『鎌倉三代記』で集中力を使い切ってしまい、客席まったりしているところで始まる『伊達娘恋緋鹿子』。なんかこう、それなら『鎌倉三代記』の現行で出せる段ぜんぶ出せばいいのではと思ってしまうのだが……。

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八百屋内の段

雪がちらつく本郷の町。八百屋久兵衛宅の前には、吉祥院の小姓・吉三郎〈吉田玉勢〉の姿があった。主君・左門之助が紛失した家宝「天国(あまくに)の剣」の行方詮議も今日が期限、今夜中に見つからなければ彼は主君とともに切腹しなければならなかった。そのため吉三郎はこの世の別れとして恋人であるこの家の娘・お七に会いに来たのである。そこへお使いの出がけの下女・お杉〈吉田簑紫郎〉が来あわせ、自分が戻ったらお七に引き会わせるとして吉三郎を縁の下へ隠し、いそいそと出かけていった。

一方、家の中ではお七〈吉田一輔〉が吉三郎への想いに打ち沈んでいた。親・久兵衛〈吉田勘市〉は今宵訪ねてきている釜屋武兵衛と内祝言を上げるようにと説得するが、彼女は聞き入れない。先日の大火で焼けたこの家を再建するために久兵衛は武兵衛から多額の出資を受けており、武兵衛はその対価としてお七を嫁にと要求していた。この祝言を断るなら久兵衛は武兵衛に大金を返さねばならず、身代すべて焼けてしまった一家にそれは無理。普通なら娘の気の進まない祝言を蹴ってこの家を出て、一家三人袖乞いになればいいのだが、お七の父は元々この八百屋の奉公人であり、先代の気に叶ってその娘を妻にもらい跡式を譲られた身ゆえ、先代の娘である妻を路頭に立たせるわけにはいかないと言う(先代の孫娘がクズの嫁へいくのは良いのか?)。無理を頼み込む久兵衛にお七は、そちらに義理があるならわたしにも義理があり、言い交わした男を捨てて他の男と添うことはできないと返す。お七と吉三郎の仲を知る久兵衛は、吉三郎は許嫁・お雛と夫婦になって安森家を継がねばならず、そこを邪魔しては吉三郎は咎めを受けて切腹となる。あるいは吉三郎が出家の身となるなら、出家と関係した女は死ぬ前から地獄の迎えが来て、男とともにその責め苦を受けることになると言ってお七を脅す。うまくつけこまれたお七は、自分が地獄へ落ちるのはいいが吉三郎に切腹させ地獄へ道連れにするのは嫌だと泣きじゃくるのだった。そこへ母〈桐竹亀次〉が加勢して、吉三郎を思い切って嫁入りしてくれ、しかし夫に気に入られる必要はないと言う。久兵衛は「嫁のつとめ」を果たさず怠けまくり&無駄遣いしまくり&旦那無視しまくりをしていればすぐに愛想尽かしをされて戻って来られるであろうと加えて、両親揃ってお七に手を合わせて嫁入りを頼み込む。そうして了見したお七は泣きながら両親とともに茶の間を後にした。

親子の話を縁の下から聞いていた吉三郎は三人の思いに声を忍んで泣き、雪の中をそっと立ち去る。それと入れ替わりにお杉が戻ってくると、お七が走り出てきてわっと泣きつく。てっきり吉三郎がお七と会えたと思い込んでいたお杉だったが、二人が会っていないことを知ると、彼を隠しておいた縁の下を改める。するとそこには蓑笠があるばかり。お七はその中に自分宛ての手紙があることに気づき、開いて読んでみると、そこには自分を思い切って嫁入りして欲しいこと、天国の剣の詮議は今宵限りで明朝には若殿共々切腹すること、そのため最後に一目と訪ねてきたが、名残になってしまうので会わずに帰ることが書かれていた。死ぬときは一緒だと言ったではないかと狂乱するお七を引き止め、お杉はなんとかして天国の剣を探し出し男を死なせない算段はないものかと思案する。

すると突然奥の戸棚が開き、丁稚の弥作〈吉田玉翔〉が現れる。弥作はなぜか「天国の剣は太左衛門が先ほど持ってきて武兵衛が腰へ差している」ことを知っており、それを奪って神田の左門之助宅へお杉に届けさせればよいと言う。するとお杉はお七のためなら盗みも厭わない、酔っ払っている武兵衛からは自分が盗んでくると言い出し、弥作も手伝うという。お杉と弥作は抜き足差し足、武兵衛のいる座敷へ向かうのだった。

世話物らしい会話劇。

「火の見櫓の段」だけだと派手な人形の振りしか見どころがない(と言ったら申し訳ないけど)ので、国立劇場としては浄瑠璃をしっかり聴かせるべく滅多に出ないという「八百屋内の段」をつけたのかな? と思いきや、「八百屋内の段」、全然意味わからなかった。いや、正確には「八百屋内の段」もモノスゴク話の途中で、もっと前から上演してもらわないと意味がわからない(ここまでの詳しいあらすじはこの記事末尾に付けてます)。

ストーリーがとくに複雑なわけではない。「お七と吉三郎は何かの事情で別れさせられた恋人同士」「お七は嫌な男に嫁がなくてはならない」「お七の両親はその男に多額の借金をしており、娘の嫌がる結婚は不本意だが、とにかく金がなくて断れないので説得に回らざるを得ない」というのが状況理解のポイントだと思うが、これに関して全員自分の意見を表明しているだけなので、話に入り込むとっかかりがないのだ。プロット上のギミック等もない。津駒さん&宗助さんがここに突然配役されている理由がよくわかった。情景描写や登場人物の語り口等がキッチリしていないと聞き応えも情感もなにもなくなるので、若手等ではこれは間がもたない。これくらいのベテランがキッチリ押さえ込ないと、大炎上してしまう。客席でも素で「津駒さんでよかった……」と言っちゃってる人がいてめちゃくちゃ笑った。

津駒さんはいつも超一生懸命な顔になっておられるが、今回は世話物だから軽く、かと思いきや、超一生懸命な顔で語っておられて、感動した。当たり前だが、津駒さんはいつも本気なのだと思った。お七パパの商売人らしい軽妙な印象や、お七を説得する手練手管(?)に合わせての口調の変化が面白かった。「まだ肝心はの、コレ」と声を潜めて新婚早々離縁されるテクを伝授してくるが、その前におんしは金の算段なんとかせえやとしかいいようがない絶妙な適当加減で良かった。あと、冒頭でお杉が家の前にいる吉三郎に気づいて驚き、「ヲゝ怖」と言うところ。いちばん最初に拝聴した3日目だと、「うっわっ」って感じでお杉が素で驚いたようなトーンで語られていたが、後半日程では調子を抑えて、前後とつなげて浮かないようにされていた。どういうご意図なのだろう。お杉の素の驚き声、微妙に声を潜めた感じがいかにも商家の下女というか、いまでいうなら中高大一貫の女子校育ちの女の子が女の子同士でいるときに発する地声調で面白かったんだけど。

どうでもいいが、文楽太夫さんって、床が回った後、三味線さんからものすごく離れて座りなおす人と、ほぼそのままの位置で語り出す人がいる。津駒さんは猛烈にずれているが、一体何の間合いなのだろう? 体格がいい人同士ならそりゃ邪魔だろうから離れた方がいいだろうけど、宗助さんはチョコリンとしてるからそのままポジでもよさそうだが。いや、宗助さんのほうが汁をかけられたくなくて、三味線が濡れちゃうからとかなんとか言って津駒さんに離れてくれって言ってるのかも……。一方離れないのが千歳さんで、逆に富助さんは千歳さんを邪魔だと思っていないのかが気になる。千歳さん、なんかときどき、プレーリードッグっていうかオットセイみたいな感じに、にょきっと伸びながら何かをスプラッシュしているから……。それが客にかかっているということは富助さんにかかってないはずがないもん……。その点で言うと、歌舞伎で義太夫狂言が出るときの竹本の太夫さん三味線さんは床がちっちゃいのでどんな大曲だろうがめっちゃ密着しているが、あれはツラくないのかしらんと思う。

しかし途中で突然戸棚をガラリと引きあけて出現する丁稚のまったく意味わからなさはすごかった。誰???ドラえもん????ってか玉翔よくそんな狭いとこから出てくるな?????とどよめく客席。あの絶妙な空気感は来場できなかった方々にも共有したい。

ところで突然脈絡のない発言をするが、女性役の人形さんで、袖でそっと涙を拭く仕草が居酒屋のオシボリでゴシゴシ顔を拭くオジサンになっちゃってる人がいて、乙女でございという顔はしていてもやっぱり正体はオジサンなんだなと思った。あと、娘役の人形で、背筋は伸ばすってか軽くS字湾曲状にしつつ真っ直ぐにして、首だけ急にカクッと下げて強く顎を引いた状態にしてシオシオ泣いている表現をする人がいると思うが、人間でそのポーズをすると二重顎になるか、首元で皮膚がモタついて美しくない。人形にしかできない可憐さだなと思う。以上、無軌道発言でした。

 

 

 

火の見櫓の段

お杉と弥作が武兵衛から天国の剣を盗んでいるころ、町中へ迷い出たお七はいかにして剣を本郷から神田まで届けるかを思案していた。江戸では夜間は何人たりとも屋外の往来を禁じられており、町の門も閉ざされるのでとても神田へ行くことはできない。そしてはやその合図となる九つの鐘が鳴るのだった。そんな中、火の見櫓を見たお七はあることを思いつく。火事の知らせの半鐘を鳴らせばさすがに町々の門も開き、お杉も神田までたどり着けるはず。みだりに半鐘を打った罪でこの身が火刑とされても恋しい男ゆえ後悔はないと意を決し、凍結した火の見櫓の梯子に足をかける。

一方、お杉はなんとか天国の剣を盗み出し、久兵衛宅を駆け出てくる。それを追ってくる武兵衛〈桐竹勘介〉と太左衛門〈吉田玉路〉、そしてお杉を助ける弥作。お杉・弥作と悪人二人が剣の奪い合いになり大騒ぎとなる中、櫓の上へたどり着いたお七は半鐘を打ち鳴らす。すると町々の門が次々と開いてゆき、お杉はなんとか掠め取った剣を携え、吉三郎のいる神田へ急ぎゆくのだった。

よくある外部公演ではお七が火の見櫓を登るところだけ見せるので、お七役の人形遣いのみが目立つ演目というイメージだった。

なので、今回も一輔さんのファン以外は観てもしょうがないだろと思っていたが……、むしろ一輔さんのファンのほうが可哀想だった。今回は前段から上演するためか、通例カットとなるお七以外の脇キャラのみなさんが登場してしまい、下界では掴み合いになったり剣をトスしたり雪をかけたり用水桶に叩き込んだりというドリフが始まるため、イチスケ、全然目立たねえ……。つぶらな瞳で(一輔さんが)けなげに半鐘打ってるだけになっておられた。

脇キャラも先ほどの段に引き続き登場するお杉・弥作の二人だけでなく、「誰???」としか思えない二人(武兵衛・太左衛門)が突然出てくるので、客の視線はソッチに釘付け。しかもなんでこんなパンチが利いた人形配役やねん。みんな元気がありすぎ、お前ら頑張りどころが間違うとる。下界のみなさんも中日あたりからはお七が目立つよう、大人しく(?)やってらっしゃったが、普通にお七だけが登場する外部公演のほうが見応えがあり、この演出この仕打ち、国立劇場の配役担当者は火の見櫓に逆さ吊りにされてもおかしくないと思った。楽しそうなのはいいんだけど、さすがに本公演なんで……。

ところでパンフレットによると、お七が禁忌を破り鐘を打ち鳴らす展開は『ひらかな盛衰記』神崎揚屋の段で、遊女梅ヶ枝が夫のため、打てば現世では富貴を得られるが来世では無間地獄に堕ちるという「無間の鐘」になぞらえて手水鉢を打つシーンを受けて作られているらしい。フーン。普通の「八百屋お七」の話を受けて、放火したかに思えて実は放火しておらず、火事騒ぎには理由があった的なことをアナザーストーリーとして見せるのが趣旨なのかと思っていたので、意外だった。

 

 

 

読了が観劇後になったが、本作も全段を読んだ。それにより話全体をやっと理解。武家の家宝を巡りテンション高い人々がテンヤワンヤするストーリーで、お七が登場するに至るまでになかなか長い展開がなされていた。以下、今回上演以降も含んだ全段のあらすじ。(参考=土田衛・北川博子・福嶋三知子=編『菅専助全集 第二巻』勉誠社/1992)

  • 京都・吉田神社へ、近江国守・高島左京太夫の嫡男、左門之助が禁裏の所望により家宝・天国の剣を持参してやって来る。左門之助には家臣・安森源次兵衛と軍右衛門が伴っていた。源次兵衛は天国の剣を社壇へ奉納し、禁裏の使者を迎えに退出する。そこへ島原の傾城・花園がやってきて、近頃寄り付かない左門之助の無精をなじる。花園は軍右衛門から左門之助が吉田神社に来ることを聞いて出張ってきたのであった。しかし、左門之助が彼女と別れて使者の出迎えに退出したすきに、謎の宮仕が天国の剣をナマクラ物とすり替えてしまう。そうこうしているうちに禁裏の使者・渡辺隼人と相役・鳴島勘解由(かげゆ)が現れる。隼人が剣を改め偽物であると言うと、軍右衛門は左門之助が傾城に放埓を尽くしていることを暴露し、金を作るために天国の剣を売り払ったのだろうと言う。左門之助と源次兵衛は禁裏よりの所望品を盗まれた責任を取り切腹しようとするが、隼人がそれを引き止め、100日以内に行方を詮議して再度献上するようにと事態を取り成す。源次兵衛は近江へこれを報告しに帰り、左門之助は天国の剣を探す旅に出る。
  • その夜、二条河原では軍右衛門と勘解由が密会していた。実は二人は天国の剣をめぐる悪党仲間だったのである。勘解由は左門之助がいなくなればかねてより懸想している花園は自分のものとほくそ笑み、軍右衛門もまた源次兵衛が失脚すれば、現在江戸へ追放されているその子息・吉三郎も帰参が叶わず、彼の許嫁であるお雛が自分のものになるだろうとテンション上がっていた。そこに天国の剣を携えたあの宮仕がやって来る。実は宮仕の正体は釜屋(万屋とも)武兵衛といって軍右衛門の乳兄弟であった。三人は左門之助を始末する相談をして、うなずきあって帰っていく。
  • 一方、国に帰れず行く先に迷う左門之助が寂しく河原道を歩いていたところ、突然多数の非人たちに取り囲まれる。その窮地を救ったのは渡辺隼人だった。吉田神社からの帰りに勘解由が姿を消したことを怪しみ、戻ってきたのだった。隼人は非人たちを買収したのは天国の剣を盗んだ者であると推察する。あのような名剣は京都で売り払うことは出来ず、出現するなら諸国の武士が入り乱れる江戸であろうと言い、左門之助に路銀を渡して江戸へ送り出す。
  • 近江の国。安森源次兵衛は天国の剣紛失と左門之助の放埓の責任を取り、屋敷で謹慎していた。源次兵衛の妻・お町は、夫がこのような状況の上、主君に異見したことで勘気に触れ、江戸の吉祥院へ預け置かれることになった息子・吉三郎の身の上も気になって仕方がない。そこへ城からの上使が到着する。上使が伝えたのは、吉三郎を赦すので江戸から呼び戻して安森の家を継がせよという大殿の言葉だった。喜んだ夫婦は早速、家臣・戸倉十内を江戸に迎えに行かせる準備をはじめる。
  • そこへ花嫁が到着したという知らせが入り、屋敷へ嫁入り道具が次々に運び込まれる。現れたのは高島家家老・鈴木甚太夫とその娘・お雛だった。吉三郎の帰参が許されたため、かねてよりの許嫁であった吉三郎とお雛の祝言をという上意により早速やって来たのだった。ところがそれを迎える源次兵衛は白無垢の無紋の裃の死装束。源次兵衛が甚太夫から贈られた引き出物の箱を開けると、そこには三方に乗った扇とともに刀が入っていた。源次兵衛は左門之助の品行不方正と天国の剣紛失の責任を取って切腹しようとしており、大殿も本来は彼を殺したくはないが、赦免しては政道が立たないとして、涙を飲んでその介錯に甚太夫を遣わしたのだ。吉三郎の赦免は安森家を断絶させないためのせめてもの厚情だった。一同が祝言と別れの杯を交わしているところへ、検使としてドヤりにドヤった軍右衛門がやって来る。言いたい放題言いまくる軍右衛門を大殿の命令だと言ってギッタギタにして追い払う甚太夫。これも実は大殿の心遣いで、ふだんから軍右衛門に苦慮していた源次兵衛へせめて目の前で憂さ晴らしをさせてやるべくわざと軍右衛門に検使を命じていたのだ(ダイナミック・トノ)。軍右衛門は大泣きしてキャンキャン逃げ帰っていった。
  • 旅立ちの準備を終えた十内に、源次兵衛は次のように言い渡す。十内は源次兵衛に代わって江戸へ吉三郎を迎えにゆき、二人で天国の剣の行方を探すこと。若殿・左門之助を探し出し、帰国できるようにすること。嫁入りしたばかりのお雛を江戸へ連れていき、吉三郎と添わせること。100日の期限以内に天国の剣が見つからなければ、左門之助切腹に伴い吉三郎にも追腹を切らせること。そう言って源次兵衛は別れを惜しむ十内とお雛を追い立てると、苦悶のうちに切腹する。それを密かに見届けた十内とお雛は形見の扇を受け取り、涙ながらに近江の国を旅立つ。
  • 夏、江戸。傾城花園は吉原へ移っていた。客の座敷へ出ているにもかかわらず沈んだ様子の彼女に、仲間の遊女たちが何故京都を離れ江戸へ来たのか尋ねると、花園はそれには二つの理由があり、恋しい男を追ってきたのと、それゆえに転売されてきたのだと答える(このあたりよく意味が取れず)。そのとき紙衣姿の「恋の伝授書」売りが外を通りかかる。花園が覗いてみると、その紙衣の男はなんと左門之助だった。近場の女郎たちが伝授書売りに何故そんな姿になったのかと尋ねると、左門之助はこのように答える。かつてわたしは京都で人に使われる身であったが、若気の至りで色街へ出入りするようになった。しかし主人に露見し通えなくなると、その傾城は金がない男とわたしを見限ってどこかへ消えてしまった、と。それを聞いていた花園はブチ切れて「誠なしとはふざけんな!その傾城も男を追って廓を抜けようとしたところを捕まり、遠国へ売り飛ばされたのだ、そして昼も夜も男会いたさに泣き暮らしているというのに!」と客の胸倉に掴みかかって泣きじゃくる(客ドン引き)。そんな大騒ぎが起こっている街角へ勘解由が現れる。会ってはまずいと笠で顔を隠して立ち去る左門之助。勘解由は島原を離れた花園を探し求めて暇を乞い、はるばる江戸まで追いかけてきていたのだった(衝撃的なアホ1号)。キモく言い寄る勘解由だったが、花園につれなく突き飛ばされ、腰をしたたかに打って帰っていく。
  • その頃、江戸へ辿り着いた十内は吉原間近の衣紋坂でやっと吉三郎を捕まえる。吉三郎は用事でしばらく吉祥院を離れており、会えなかったのである。一方、そのすぐそばに軍右衛門と武兵衛、そしてその仲間の油屋太左衛門もやって来ていた。軍右衛門はお雛が江戸へ発ったと聞いて浪人し、追いかけてきたのだった(衝撃的なアホ2号)。三人は天国の剣の質入れの算段をして散っていく。そうやって人の行き来が途絶えたすきに、左門之助が戻ってくる。花園は左門之助に抱きついて彼の身の難儀を嘆き、左門之助も自分のために苦労した花園の身の上を憐れむ。そこに軍右衛門と勘解由が現れて左門之助に飛び蹴りをかます。左門之助は二人が一緒にいるのを見て天国の剣を盗んだ犯人を推察するが、軍右衛門はもう俺は浪人の身の上だもんね〜!と構わず左門之助を踏みつける。そこへ十内と吉三郎が現れ、左門之助と花園を保護する。十内は軍右衛門・勘解由と斬り結び、左門之助と花園、そして吉三郎を逃すのであった。
  • [ここから今回の上演に関係する部分]吉祥院の小座敷では、火事で焼け出されこの寺に仮住まいする八百屋一家の娘・お七が吉三郎から茶の接待を受けていた。お七は吉三郎にしきりにちょっかいを出すが、吉三郎は彼女に「あなたは家の普請を世話してくれた釜屋武兵衛へ嫁入りする談合ができている、夫ある娘にはもう関われない」と言う。しかし、お七は火事のおかげで吉三郎に出会えた、家が焼けたのも苦にならずむしろ火元を拝んでいる、吉三郎を捨てて嫁入りするようなわたしではないとカッ飛んだ返しをして、下女のお杉もそれに口添えする。吉三郎もお七から渡された起請文で彼女の心底を知るが、そこへお七の父・八百屋久兵衛がやって来る。お七と吉三郎の仲を承知している久兵衛は店の再建の目処がついたのを機にお七を迎えに来たのであるが、お七とお杉は抵抗。久兵衛は院主へ挨拶に行くとして座を後にする。お杉がお七と吉三郎を二人にしてやろうと算段しているところに、話を盗み聞きしていた寺の小僧・弁長が現れる。お杉は院主へコトの次第をチクろうとする弁長を張り倒す……のではなく、ソデノシタを渡して買収、弁長はお七と吉三郎を密会用の囲いの中へ押し込むのだった。弁長はお七の起請文が落ちていることに気づき、これが院主に見つかっては一大事とそっと懐に隠す。それを見ていた武兵衛と太左衛門は弁長を浄瑠璃本で買収しようとするが、乗ってこない。しかし寺の前で小僧がお七と吉三郎の色事の取持ちをしていると叫んでやると脅されると、そんなことをされてはお七が可哀想だと思った弁長は、誰にも見せないようにと言って起請文を二人に渡してしまう。
  • 悪党二人が一杯やりに去ったのと入れ替わりに、戸倉十内が吉祥院へやってくる。院主に面会した十内は大殿の赦しが出たため小姓として預けられた吉三郎を返して欲しいと頼むが、院主は一旦弟子とした者を簡単に返すわけにはいかないと拒否。十内は怒って無理にでも吉三郎を連れ帰ろうとするが、居合わせた八百屋久兵衛が取り成して落ち着かせる。するとそこへ酒に酔った武兵衛がやって来て、久兵衛にお七を早々に寄越せと催促する。久兵衛は家が落ち着いた来春にでもと言うが、武兵衛はお七と吉三郎が不義を働いた上、吉三郎の父・源次兵衛は主君の宝を盗んだと言い立て、先程の囲いを引きあけてお七と羽織を被った吉三郎を引き出す。ところが羽織をはがしてみると、吉三郎に見えたのはなんと院主。院主は不義の科は自分にあるとして、お七には自分との恋を思い切り親に尽くすように語るが、これは吉三郎を庇った院主の芝居であった。武兵衛はそんな芝居を打っても証拠を押さえていると嘲笑って起請文を読み上げようとするが、開いてみるとそれは御影講の紙袋。弁長にしてやられていたのである。武兵衛はそれなら院主の不義は間違いないと彼を打擲するが、十内が割って入り、逆になぜ一般人が源次兵衛の失敗を知っているのかと詰問してコテンパンにしてしまう。悪党二人は「代官所へ院主の不義を言い立ててやる」「いやそんなことをしてはお七まで捕まってしまう」などと騒ぎながら逃げ帰っていった。
  • 囲いの内では吉三郎が院主の思いに涙を流す。一方、久兵衛はお七を引き掴み、よくも親に恥をかかせ院主に悪名を立てさせたと拳を振り上げる。吉三郎は割って入って平身低頭するが、今度は十内がそれを引き掴み、源次兵衛の腹切り刀に添えられていた扇で打擲する。父の切腹を知り驚く吉三郎。十内は父母が吉三郎をずっと心配していたにもかかわらず、本人は他人の大切な娘に手をつけ師の顔に泥を塗った、これでは安森の家も終わりであると拳を握り涙を流す。その様子に吉三郎は扇を押し戴いて先非を悔やむ。院主は互いを思い切ってそれぞれの許嫁と添うのが孝行と説得するが、二人は納得しない。その様子に十内は切腹、院主は寺を出ると言い出したので、二人は当座逃れに別れを約束する。こうして吉三郎は十内、お七は久兵衛に連れられて吉祥院を後にするのだった。
  • 師走。瀬戸物町にある十内の仮住まいに吉三郎とお雛も一緒に住んでいたが、二人の仲は打ち解けることがなかった。お雛は吉三郎にお七が忘れられないのだろうと恨み言を言うが、吉三郎はそれに加えて天国の剣の行方と左門之助の身の上を案じているとしてつれない態度。そこへ神田にある左門之助の隠れ家を訪問していた十内が帰ってくる。甚太夫の計らいで花園の身受けの相談もまとまったが、天国の剣の行方は未だ知れない。ここにきて軍右衛門がこの仮住まいに勘付いたらしいので、今夜のうちに夜逃げして左門之助宅へ引っ越してしまおう。家賃もおさめてないし。と言っていたところへ夜逃げの気配を察した家主がやって来る。十内は家賃の代わりに家財道具すべてを渡すと言うが、お雛に惚れている家主は金はいらないから彼女を寄越せという。十内は家主にお雛との逢い引きの算段をするとして「夜、行灯の火を消しておくので表から猫の鳴き真似をして入っておいで」と丸め込むと、家主は有頂天で帰っていった。それと入れ替わりに仕送り屋が借金の取り立てにやって来る。十内は相場で大儲けした作り話をするが、聡い仕送り屋は騙されず、夜にまた来るとして去っていった。さらにそこへやって来たのは家主の女房。十内に惚れている女房はグイグイ言い寄ってくるが、十内は「夜、行灯の火を消しておくので裏からネズミの鳴き真似をして入っておいで」と丸め込んで帰すのだった。やがて夕刻。まとめておいた荷物を取り出し、行灯を吹き消して三人は夜逃げする。そして寄り集まってきた家主、仕送り屋、家主の女房の三人が鉢合わせて……???(怪談)
  • さらに暮れも押し迫った頃。先ごろ大火に遭い丸焼けとなった本郷にも新宅が立ち並び、正月の準備で賑わっている。防火のため、新しい街の四つ辻には火の見櫓が設置されている。そして夜間は防犯のために屋外の通行は厳禁、それが許されるのは火災を知らせる半鐘が打ち鳴らされたときのみという新しいお触れが回っていた。今夜はついにお七と武兵衛との内祝言、八百屋久兵衛宅へ町の名主を仲人に伴った武兵衛がやって来る。久兵衛宅の台所では下女お杉が忙しく立ち働き、丁稚弥作は戸棚で居眠りを決め込んでいた。久兵衛夫婦はお七が嫌がっているので祝言は来春にして欲しいと言うが、武兵衛はお七に吉三郎という虫がついているのは知っている、そのお七を得んがため火事で焼け出された久兵衛一家に店の再建費用200両を投げ渡したのだ、娘を渡さないならいますぐ200両を返せと迫る。夫婦は口惜さに悔し泣きしつつ、ひとまず奥で武兵衛らに酒を振る舞うことに。一方、雪がちらつく屋外には油屋太左衛門が忍んできていた。太左衛門は座敷を抜け出てきた武兵衛に、天国の剣は500両で買い手がついた、軍右衞門には200両で売れたと嘘をついて100両を渡し、残り400両をコチラで着服しようと持ちかける。武兵衛は喜び、お七のことも算段がついたのでこっちで一杯と、太左衛門を屋内へ引っ張り込む。(この後、今回上演の「八百屋の段」「火の見櫓の段」へ続く)
  • その後日、代官所。お七らの働きにより天国の剣を取り戻した左門之助は、代官・長芝栄蔵と渡辺隼人に面会していた。そこには吉三郎、武家の妻の身となった花園、十内も同伴していた。左門之助はかねてより嘆願していたお七助命を再び願い出るも、代官は不憫ではあるが国法を曲げることはできないと言う。涙に沈む一同に、隼人は左門之助夫婦には帰国を促し、吉三郎へは江戸出立の準備のための「暇」を与えてお七が処刑するのは鈴ヶ森であると教える。
  • 鈴ヶ森の刑場へ引かれていくお七の心にあるのは、なおも吉三郎のことだけだった。(この部分、道行なのでこれといって中身はない)
  • 見物人が詰めかける鈴ヶ森の刑場。弱々しい足取りで現れた久兵衛夫婦は、ただ一軒家を建てたために娘をこんな目に遭わせる羽目になったと嘆き悲しむばかり。そこへ名主とお杉が走ってきて、お七と会ってしまったら来世の迷いになるので処刑を見ずに帰ったほうがよいと説得し、後ろのほうへと下がらる。やがてお七が刑場へ連れられてくる。代官・長芝栄蔵は罪状を申し渡し、言い残すことはないかと尋ねる。答えてお七は、処刑は覚悟の上だが、名残に父母に会いたいと言う。久兵衛夫婦はあらん限りの声を上げるも、人混みにまぎれお七には届かない。夫婦は目眩で倒れてしまい、周囲の見物に介抱されて遠くへ連れられていった。そこへ吉三郎が駆けつけ、主君左門之助の帰国が叶い、自身も家名を継ぐことができたにも関わらず、その恩人である彼女を死なせねばならない悔しさに号泣する。しかしお七は吉三郎が左門之助と共に身を立てられればそれで幸せ、自分とは来世で夫婦になってほしいと答えた。吉三郎は夫婦のしるしとして髪を切って差し出す。いよいよ処刑の時となり見物人の回向の声が高まる中、その人ごみの中に吉三郎を狙う軍右衞門の姿があった。そこへ丁稚弥作が太左衛門を引きずってやってくる。太左衛門が天国の剣盗難の黒幕を軍右衞門と白状したというと、代官は吉三郎に先ほど暇を与えたのは軍右衞門をおびき寄せるためだったと告げる。続いて縄を打った武兵衛を引き出し、三者に獄門・打ち首・国へ引き渡しと、相応の処罰を申し渡した。この見事な取り捌きにお七・吉三郎の恨みや未来の迷いは晴れ、正しき政道によって治めらるこの国のこの娘の物語は、後世に語り伝えられているのである。(おしまい)

 

上演企画に対して率直に言うと、八百屋内の浄瑠璃を聴くのは面白かったけど、私が文楽に求めているカタルシスと、この作品が持っている「見どころ」があまりに違うので、やっぱり『鎌倉三代記』の現行で出せる段全部を出す方式にして欲しかった。

『伊達娘恋緋鹿子』はどこかの単発公演でちょっとだけ見るとか、お七の配役が驚異的に豪華なら話は別だが(たとえば勘十郎さんがやって半鐘が本物・舞台のセリを使い火の見櫓の高さをさらに高くする等の特殊な演出を加えるとか)、国立劇場の本公演、しかも中堅公演で出すには厳しいと感じた。話がつまらん場合、配役とその芸でしか満足感が得られないので……。人形浄瑠璃の上演演目の保持・伝承の意図は理解しますが……。

とはいえ私は私の姫たちがいい役をやれれば演目はなんでも構わないんですけど、それならなおのこと津駒さんには「寺子屋」か『鎌倉三代記』の時姫のセリフが多い段に出て欲しかったです。以上、素直意見でした。

 

 

 

文楽 12月東京公演『鎌倉三代記』国立劇場小劇場

いつもは部ごとに感想を書いているが、『鎌倉三代記』のあらすじをまとめていたらそれだけで1万字を超えてしまったため、12月本公演の記事は『鎌倉三代記』と『伊達娘恋緋鹿子』で分割しようと思う。まずは『鎌倉三代記』から。

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登場人物全員狂人の「ザ☆文楽」って感じの突き抜けた話でおもしろかった。

と、直感的にはそう思うのだが、とくもかくにも設定が難しかった。

大坂夏の陣をモデルに時代を鎌倉時代に移して描かれている話……とのことだが、パーの私はパニックを起こした。なんせ私は大坂夏の陣加藤泰の映画『真田風雲録』でしか知らないのである。あの映画、真田幸村役が千秋実ですから。そんな奴が鎌倉将軍の順番をわかるわけがなく、そこを合体さすのはやめてくれとしか言いようがない。その上いちばんヤバいのは、先行作『近江源氏先陣館』の続編的な設定が多いこと。『近江源氏先陣館』の盛綱陣屋を理解していないと意味不明の展開が結構あって、観たことがない私はそっちも調べなくてはいけなくなってしまい、これがまた話が狂いすぎていて、難しさに心が折れそうになった。

以下、今回の上演部分に至るまでのいきさつを順を追って記述していく。まったく関係のないエピソードも大量混入していてメチャクチャ長いのだが、そこをカットすると高綱がまじもんのサイコパスになってしまうので、高綱のイイところも読んでください。全部読んでもますますもってサイコパスだけど。(参考文献=『日本古典文学大系 浄瑠璃集 下』岩波書店/1959)

  • 鎌倉時代初期、京方・源頼家(頼朝の長男)と鎌倉方・源実朝(同次男)は長い間争っていたが、ついに和睦がなされ、世は太平となった。しかしそれは表面上のことであり、京方は鎌倉方に圧迫されて劣勢であって、両家は一触即発の状況だった。本曲は佐々木高綱を中心に、暗君頼家を戴いたことによって種々の苦境に立たされる京方の家臣たちの動向と、両家の対立に巻き込まれる人々の運命を描いている。
  • 近江の石山寺にある鎌倉方の執権・北条時政の陣所へ京方の若き家臣・三浦之助義村が挨拶にやって来る。時政は挑発に応じない三浦之助の立派な態度に感心し、頼家のような愚かな主君に仕えねばならない彼の身を嘆いたが、三浦之助は心がけが立派だったので「うちの殿様がアホとかそんなことありません☆ぼく満足してます☆」とか言ってサワヤカに帰っていった。
  • 京方・坂本城へ、鎌倉方の上使・松田左近朝光が訪れる。そこへキャーッと走り寄ってきたのは頼家の側室・宇治の方の召使・朝路。この二人は実は密かな恋人同士であった。松田が仕事だから後でと去っていくと、朝路に気のある侫臣・大庭景義がちょっかいを出しにやってくる。しかし間もなく和田兵衛、佐々木高綱といった重臣や三浦之助らが集合してきたので、朝路はコレ幸いと逃げていった。そうこうしているうちに、高綱は門前に13歳くらいのカワイイ少年がいることに気づく。大庭は若輩者がと嫌味を言うが、少年が高綱だけに密かに言いたいことがあるというので、高綱は大場らを先に行かせて少年と二人その場に残る。なぜ高綱が少年をそんなに優遇したかというと、実は少年は高綱のために首実検を仕損じ切腹した兄・盛綱の忘れ形見、佐々木小三郎だったのである*1。小三郎は高綱の首を取り父の不忠を償わんと家伝の刀を抜いて伯父に詰め寄る。高綱はその健気さに涙を流し、兄の恩に報いるため首を捧げたいが今やこの身は我ひとつのものではないとして、騒ぎになる前にと小三郎を一旦家へ帰らせる。
  • やがて無事御評定も終わり、夜も更けた頃。暗闇に紛れて松田左近と朝路が密会しているところへ大庭が忍び寄り、松田の烏帽子の緒を切って大声を上げ、二人の不義の証拠を取り抑えて暴露しようとする。松田はことを恥じて切腹しようとするが、現れた宇治の方が集まってきた伺候ら全員に烏帽子の緒を切らせ、誰が不義者であるかわからなくしてことをおさめる。二人の関係を知っていた宇治の方は朝路に松田の接待を命じて下がらせるのであった。
  • 一方、おさまらないのは和田兵衛である。一見和睦したかに見える両家であったが劣勢の京方には燻りがあり、和田は時政の首を獲るか京方残らず討死かのいちかばちかに賭けて再度の挙兵をと唱えるが、大庭は必ず失敗に終わるだろうとそれに反対し、和田兵衛はその安穏な物言いに腹を立ててその場を立ち去る。高綱は和田の考えは蛮勇であり大庭の意見は執権らしい深慮であると言うが、宇治の方はこのように家臣らが懸命になっていても酒宴にうつつを抜かし評議を怠る頼家を恥じ入るのであった。その場が解散になると、三浦之助は高綱の側近くへ寄り、大場のような自分可愛さに腰の抜けた者にどうして同意したのかと尋ねる。答えて高綱は、それはもっともであるが、現在諸大名たちは時政に帰服しており、こちらは圧倒的な劣勢である。かくなる上は禁中に参内して帝を擁し、時政に攻め込まれたとしてもこちらに刃を向けられないようにした上で、錦の御旗*2をあげて鎌倉方を討伐するよりほかないと語るのだった。
  • それを襖を隔てて聞いていたのは松田左近である。この話を聞いたからには主君時政に報告するしかない。しかし自分は先ほど宇治の方に命を救われたため、注進しては恩を仇で返すことになり、どちらの道もとることができない。かくなる上は切腹するよりないと覚悟する松田。涙ながらに引き止める朝路に、実はこの和睦は見せかけであり、時政は京方を攻めんと軍備を整え鎌倉を出立しようとしていることを宇治の方へ知らせてご恩報じとしてくれと言って、松田は刃を腹へ突き立てようとする。しかしそこに「犬死にするか松田」と高綱の声がかかる。時政が和睦を破ることはわかっていたことであり、松田の口から漏れたことではない。そして松田はこのまま鎌倉へ立ち帰って聞いたことをすべてそのまま時政へ注進して忠孝を尽くし、死ぬならば戦場で死んで松田の家名を立てよと言う高綱。すると松田は一通の手紙を高綱に渡す。それは彼の父の遺言状であった。そこにはこう書かれていた。松田家は源譜代の侍であったが、源家が京鎌倉に引き別れたとき、鎌倉方の時政につくことになった。しかし頼朝の恩は忘れがたく、和睦が破られたときには左近は京方へ馳せ参じ、忠勤を尽くせと。松田は亡父の言に従いたいと京方へつくことを願い出るも、高綱は魂の座らぬ侍はいらぬと退ける。松田はもはやこれまでと朝路に矢を射ろうとし、朝路も覚悟を決めるが、その心底見えたとして高綱はその矢を掴み取り、松田を家臣に加える。そこに宇治の方がやって来て、頼家は高綱の考えを受け入れ参内する旨を告げる。一同は出立の準備に喜色を示し、松田もついていこうとするが、高綱は松田は一旦鎌倉へ戻って敵方の様子を偵察せよと命じる。そして朝路には「不義の科で暇を遣わす」として、「好いた者と添うがよい」と松田とともに鎌倉へ出立させるのであった。高綱、いい人〜。
  • 頼家一行が内裏へ向かう途中、突然飛んできた手裏剣がその駕籠に刺さる。手裏剣に心当たりを察した高綱は、泥酔して寝ていた頼家の無事を確認するとそのまま出立させようとするが、大庭は曲者の実否を糺すべきだと騒ぎ立てる。ところが三浦之助が引っ立ててきたその「狼藉者」は大庭の組下の者であった。大庭は追求せねばままならぬと言って出発を急ぐ高綱と対立する。そうこうしているうちに、時政が先んじて禁中へ到着したという知らせが入り、高綱と三浦之助は無念の涙を飲むのであった。
  • その深夜、ひとりの女が坂本城へ現れる。女は小三郎の母・早瀬であった。子を探し求め夜闇に迷う早瀬の前に高綱が姿を見せ、“死骸”をくれてやると言って小三郎を突き出す。実は先ほど頼家の供先を汚したのは小三郎であり、三浦之助がとっさの機転で偽の狼藉者を立てて彼をかばい、挟箱に隠して連れ帰っていたのである。高綱はそのまま立ち去るが、早瀬は小三郎を縛っていた布がかつて時政が和田兵衛によって奪われた鎌倉の軍旗であることに気づく*3。小三郎がこの旗を奪い返したとして武功を立てよという高綱の厚情であった。二人が喜んでいると、大庭の組下がめざとく二人を見つけて斬りかかってくる。しかし小三郎はもとより早瀬も武士の妻、二人して押し寄せる軍兵たちを皆殺しにして鎌倉へ帰っていくのだった(ダイナミック)。
  • ここは和田兵衛の屋敷。和田の妻・牧の戸の指南で女中たちが組打ちの稽古をしているところに不機嫌MAXの和田が帰ってくる。頼家や高綱の不甲斐なさにブチ切れている和田はこれなら駕籠掻きでいたほうがマシだった、あのときの衣服を出してこいと妻に言いつける*4。駕籠掻きの格好になってどっかと座った和田は、武士は辞めたっ!駕籠掻きではお前らを雇ってられんから解散解散〜!と言い出すので、奴たちは突然の失業に大困惑。しかし和田が弓矢を売り払って退職金を出すとしたので一同は安心し、皆で酒盛りがはじまる。そうして一同総出でドンチャン騒ぎをしているところへ宇治の方が訪ねてくる。牧の戸は大の字になって爆睡している和田を揺り起こそうとするが夫は起きない。いくら酔っていても和田の忠節は乱れることはないとして、いままでの働きに深く感謝する宇治の方は和田に坂本城へ戻って欲しいと懇願するが、和田は大庭のような侫臣を取り立てる頼家のもとへは戻れないと断固拒否。宇治の方はそれなら彼の子息を二代目の和田兵衛として寄こして欲しいと重ねて頼み込むも、和田は子どもなどいないと言う。将来の見込みのない頼家には仕えさせず鎌倉方へ行かせるつもりかと恨み言を言う宇治の方に、和田は子どもがあるならこの場でひねり殺すと返す。宇治の方はその潔い武士ぶりを見込み、頼家の幼い息子・公暁丸を和田夫婦に預ける。
  • そうこうしているうちに玄関が騒がしくなり、鎌倉方の使者が到着する。時政の命により、京方を離れたという和田を迎えにやって来たのである。使者は頼家以上の大禄でもって召し抱えるという時政の言を伝えるが、酔っ払っているかのように見えた和田はその書状を破り割いて使者を追い返す。和田は危機に瀕している者を助けるのも武士の嗜みとして頼家のもとへ戻る意志を固めて公暁丸と主従の固めの盃を交わす。そして和田が駕籠掻きの半纏を脱ぐと、その下は武者出立であった*5。和田は牧の戸に馬を引かせ、公暁丸とともに出陣する。
  • 公暁丸を伴った和田兵衛は志賀の山越えで多数の敵軍に取り囲まれる。和田が奮戦する中、牧の戸が公暁丸を救出し夫と別れて単騎切り抜けるも、辛崎の渚で公暁丸を小舟に隠し追っ手と戦っているうちに小舟が沖へ流されてしまう。牧の戸は嘆くも時遅し、小舟は山おろしに吹かれて沖へと消える。
  • ここは矢橋の村はずれ。一見渡守の住居に見える家は、京方の落人から武具衣装を奪う盗賊の隠れ家であった。女房・お寄が帳面をつけているところに帰ってきたのは、彼女の夫で日本国の海賊の元締とうたわれる摺針太郎左衛門。摺針はいつもの獲物の武具のほか、金になる大事なものだと言って米櫃を運び込むが、お寄は米櫃から子どもの泣き声がするので不思議がる。それを門口からじっと見ていた編笠姿の浪人が子分たちを突きのけて家へ入ってくる。ここは盗人の家で、入ったからには無事帰れると思うなというお寄の言葉に臆さず、浪人は突然多額の小判を投げ出す。浪人が次々に取り出す心付けに盗賊たちは途端に下手に出るが、浪人が米櫃を見せて欲しいというと摺針は態度を翻し、あの米櫃は船頭の命をつなぐものだが、ことによったら見せてもよいと浪人に正体を明かすことを迫る。摺針と浪人は一触即発となるが、村の小使がやってきて庄屋が摺針を呼んでいるという。摺針は米櫃のことは一旦預けるとして庄屋の方へ出かけていき、浪人は奥の間で待つことにするのだった。

  • 夕闇が迫る頃、血刀を杖にした瀕死の女が村はずれに現れる。女はやっとの思いで民家にたどり着くが、それはあの盗賊の隠れ家だった。水を頼まれたお寄がその女の顔を見ると、彼女はなんと妹のお巻、すなわち和田兵衛の妻・牧の戸。何があったと尋ねるお寄だったが、お巻は主君の大事であるとして決して事情を話そうとしない。しかし、牛頭天王の護符を燃やして他言をしないという誓いを立てたお寄の誠心を知り、お巻は夫と別れて公暁丸を守護し逃げ延びるも辛崎の渚で小舟に乗せた若君を見失ってしまったいきさつを涙ながらに語る。お寄は先ほど夫が持ち帰った子どもの泣き声がする米櫃が怪しいと件の米櫃を引き出そうとするが、そこに摺鉢が躍り出て女房を引き退け、子どもは公暁丸に相違ないと錠を捻じ切る。そして中に入っていた子どもをお巻の前に突き出し、お巻が「公暁様」と叫んだ瞬間子どもの首を討ち落とすと、その首を引っ掴み、表に待っていた鎌倉方の家臣に渡すのだった。それを目の当たりにしたお巻は驚きのあまりそのまま死んでしまう。お寄は夫にすがりつき恨み涙を流すが、そこに「公暁君は恙なく和田兵衛が守護仕る」という声がかかる。そこにはなんと公暁丸を抱いた和田が立っていた。お寄は公暁丸の着物がかねてより預かっていた和田夫婦の息子・大三のものであると気づく。実は摺針は和田夫婦と示し合わせて大三と公暁丸を取り換えており、先ほど首を討った子どもというのは大三だったのである。赤ん坊の頃から我が子のように可愛がって育てた大三の変わり果てた姿に嘆き悲しむお寄、摺針もまた大三の首を討つのは心苦しかったが、我が子を公暁君として殺させたとしてお巻の健気さを褒め称える。実はこの摺針太郎左衛門の正体こそ、坂本城の四天王のひとりと言われた小坂部九郎だったのである。すると突然奥の間の障子が開き、長袴に装束を改めた先ほどの浪人が現れる。彼は清和源氏の末裔、対馬冠者義弘だった。驚く摺針夫婦に、かねてより和田に頼まれていた公暁丸を迎えに来たという義弘。彼は公暁丸に御供し、琉球へ向かうという(注:流布の『鎌倉三代記』では義弘らが向かうのは蝦夷が島という設定。おそらく文楽座の底本も同。私が参考文献にしている本の底本はどうも設定が微妙に違うらしく、そのため最後の段で高綱が出立するのも蝦夷が島でなく琉球となっている。)。そしてもし京方が落城することがあれば我が国へ来られよと和田へ日本・明国を自由に往来できる通行手形を渡す。義弘が出立すると間もなく鎌倉の大群が押し寄せてくる。しかし軍兵が隠れ家に踏み込むともぬけの殻。すでに抜け出て裏の汀で小舟に竿をさす摺鉢は、これが小坂部九郎の手柄始めと言って大砲を撃ち、隠れ家を鎌倉勢ごと木っ端微塵にするのだった。

  • [ここから今回の上演に大きく関連する部分]田植えに賑わう近江路の北川村では、百姓の藤三・おくる夫婦が快気祝いの団子を配って挨拶回りをしていた。ちょっと抜けたところのある藤三は昨年の冬、狐に化かされたのか行方不明になって近隣の衆に随分と心配をかけ、なんとか帰ってきて近頃やっと調子が戻ったのである。ところが、肝心のお神酒を忘れた!とおくるが家に戻った間に時政の家臣・富田六郎がやって来て、佐々木高綱に相違ないと言って藤三を引っ立てる。泣き叫ぶ藤三は女房を迎えに寄越してくれと言い残し、鎌倉の陣所へ連れていかれるのだった。

  • 時政の陣所には武者姿に化け周囲を偵察していた高綱の妻・篝火が捕らえられていた。高綱の影武者に何度も騙されていた時政が篝火に藤三郎を実検させると、彼女はこれは間違いなく夫高綱であると言って藤三にすがり泣く。もはや武運尽きたとして自害を勧める篝火に引きまくる藤三だったが、そこへ知らせを受けたおくるが走ってきて、夫は単なる水呑み百姓でまったくの人違いだと言って助命を乞う。息子小四郎を見殺しにする夫の計略に加担した篝火の性根の太さ*6を知る時政は、篝火の実検は偽りであるとして藤三を単なるソックリさんと認め、縄を解いてやる。すると藤三は昨冬の行方不明事件の顛末を語りだす。それによると、畑から戻る最中に多数の侍に取り囲まれてどこぞと知れぬ屋敷へ連れてゆかれ、その旦那らしい男に「ソックリだ」と言われて豪華な振る舞いを受けたが、武芸の稽古がからっきしだったので「顔は似ているが役立たず」と再び街道筋に打ち捨てられたのだという。時政はそれは高綱が藤三を影武者を仕立てようとしたのだと言い、二度と高綱と間違わないようにと彼の額に入墨を施す。

  • そうこうしているうち、時政の家臣たちが主君へこの近隣の絹川村には三浦之助の母が閑居を構えているので、危険を避けるべく鎌倉へ戻ることを進言する。さらにはそのもとに身を寄せる時政の娘・時姫を迎えに参上したとしても、姫が戻ることを受け入れなければ役目の恥であるから、使者には女を立てて欲しいと告げる。それを聞いていた藤三は時政の前に平伏し、時姫の迎えには侍が大勢寄ってたかって行くより百姓の自分が一人で行ったほうが警戒されないだろうから、自分を使って欲しいと申し出る。時政は面白がって藤三に「安達藤三郎」という名を与え、武具を与えて端武者姿に仕立ててやるのだった。調子に乗った藤三は、不義を働いた姫を連れ戻して手打ちにするなら自分の女房にもらいたいと言い出す。仰天したのはおくるで、せっかく助かった命に姫をもらいたいとは何を無茶を言う、っていうかアホな亭主を子どもを育てるように辛抱した私を捨てて世間に顔が立つものかと藤三にすがりつくが、夫は恨み泣きする彼女に目もくれず、慣れない鎧でフラフラしながら絹川村へ向かうのだった。

 

 

 

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長文お読みいただきありがとうございました。「これまでのあらすじ」がこの記事で一番長いよ。とにかく、現行で通し上演できるなら和田兵衛の人形配役は絶対玉也さんだなということだけはよーくわかった。

というところから、今回の本編がやっとはじまる。

局使者の段

三浦之助の母〈吉田和生〉は絹川村に居を構え、病床に伏せている。老いに取り憑かれ病み衰えたその姿は、誰が見ても先は長くないのであった。その閑居に近所の女房・おらち〈吉田簑一郎〉が最近ひとりで村に越してきたという女・おくる〈桐竹紋臣〉を連れて見舞いに来ていた。おらちはおくるへ用事を何でも頼めばいいと言いつつ、生き仏だのナンマイダブだのという不吉な言葉を連発して座を慌てさせる。やがておくるが帰っていくのと入れ替わりに、武家の礼装姿の女二人、讃岐の局〈桐竹紋秀〉・阿波の局〈桐竹紋吉〉が訪ねてくる。彼女らは北条時政の使いであり、敵方の三浦之助を慕って家出した時政の娘・時姫を迎えに来たのであった。二人の局は三浦之助の母に時姫を返してほしいと言うが、姫は自分の嫁であり、暇の状を遣わさないあいだは鎌倉へは帰さないし、姫も帰るつもりはないだろうというすげない返事。そうこうしているうちに、振る舞い酒のお使いに出ていた時姫が帰宅したという声が聞こえる。

幕が開くと舞台にいきなり人形がたくさん立っているデストラップな段。完全に顔立ちがおかしいおらち(「丁稚」のかしらに在所の奥さんの着付)に目が釘付けである。しかし実は「近所の奥さんA」風になにげなく座っていて、しかもすぐ帰ってしまい普通ならここで出番終わりのおくるの方に意味があるのだった……。

三浦之助の母=和生さんは上手の一室から動かない。若武者の母といっても老婆のかしらの人形。近所の衆が来ているあいだは丸めた布団にひじをついて身体を横向きに斜めに倒し、ずっとじっとしている。しかし局たちに話しかけられて以降は武家の奥方らしく、姿勢をなおして背筋をまっすぐにして座りなおし、端正な居住まいになる。抑えた上品な雰囲気が美しく、とくに大きな動きはない中の見応えある芝居。どうでもいいことだが和生さん今回めっちゃ髪型キマッてた。

あとは讃岐の局の紋秀さんが最初に出てくるときの姿勢が綺麗でよかった。あの〜、お使いをつとめる人がよくやってる、袖を腕に巻きつけて掲げるやつ、あれ何て言うのかわからないけれど、その手の形がバランスよく綺麗だった。この次の段の頭、時姫が下手から入ってくる直前、讃岐の局はそちらから顔を背けて正面を向き、目を閉じているのも印象的だった*7。最近船頭とか奴とかのコッテコテの役ばかりだったので、久々にキレイ目の役を拝見できてよかった。

 

 

米洗いの段

時姫〈吉田勘彌〉は恭しく日傘を差しかけられ奴らにかしづかれてはいるが、豆腐と徳利を手に手ぬぐいを姉さん被りにした前掛け姿、取ってつけたような在所の嫁さん風のなりをしていた。二人の局はその姿に仰天しつつ、姫の前にひれ伏し時政の命を伝えるが、彼女はやはり帰らないと言って咳き込む三浦之助の母を甲斐甲斐しく看病する。姫に代わって用立てしようとする局たちに時姫は鎌倉の館とこの在所では「礼儀作法」が違うとして、自分のことは「お時」と呼ぶようにと言い渡し、田舎の奥さんの言葉遣いを教える。三人が慣れない田舎言葉勉強会でおじゃおじゃやっていると、おらちがやって来て夕飯の支度をするように言う。私たちがという二人の局を引き止めて時姫はすりこぎを取り出し、一生懸命山芋(?)をすろうとするが、深窓の姫ゆえままならず、また二人の局も慣れぬ身の上で手伝いができない。見ていられなくなったおらちは片肌を脱いですり鉢を取り上げ、見事山芋をトロットロにすり上げる。そして水汲みもできない新妻・時姫に米の研ぎ方、研ぎ桶から釜への無駄のない移し方、さらには初心者にもできる水加減の方法と、「コメの炊き方」を事細かに伝授してやるのだった。しかし盛り上がっているうちにおらちは振る舞い用の徳利をカラにしてしまったので、彼女はそのままダッシュで酒を買いに去って行った。そうこうしているところへ、三浦之助の母の咳が聞こえる。時姫が看病にと台所を立ち去ったスキに、二人の局は「姫の心の迷いになっている三浦之助の母を刺し殺して、無理矢理にでも鎌倉へ連れ帰ろう」と恐ろしい相談をしはじめる。するとそこへ粗末な姿の雑兵・安達藤三郎〈吉田玉志〉が現れる。こう見えても時政の正式な使いであるという藤三郎は証拠の守り刀を局二人に見せ、局たちがいては邪魔である、ここは自分が解決すると言って二人を一旦この閑居から去らせるのであった。

とにかく時姫の清純な美しさ、可憐さに感動した。日本一可愛い。かわいすぎて号泣。時姫が舞台に出ている時間はかなり長く、 田舎の新妻コスプレ、鎌倉方執権の姫君、甲斐甲斐しい嫁、恋に惑う少女、キモ男に斬りつける気丈娘、そしてさすが武士の子女武士の妻とクルクル表情を変えていくが、もう、全部可愛くて最高。所作が全部おっとり、ちょこんとしていて本当に可愛くて、抱きしめたくなる。ひとつひとつの動きの丁寧さが光っており、無駄がなく美しい。それでいて華美さが抑えられていて、少し純朴さや幼さを感じさせるところもあって、その可憐さは舞台に咲いたスミレの花のようだった。まじ可愛かった。

簑一郎クッキング〜飯の炊き方編〜は最高だった。コメの研ぎ方のザックリさと水切りの的確さのコントラストが素晴らしい。手間なことはやりたくないが、一粒も無駄にせまいという心意気を感じた。研いだ後、桶のヘリに手をペシッと打ち付けてコメと水気を払うのが「わかる」。私には米粒が桶に落ちるのが見えた。山芋のすりっぷりも堂に入っていた。いや、山芋かどうかはわかんないんだけど、味噌やゴマではないな、あの混ぜ方は。あのすり鉢の中にはホワッホワのトロットロにホイップされた山芋が入っているのだと思う。むぎとろご飯が食べたくなった。でも私は簑一郎asおらちほど丁寧な暮らしをしていないので、自然薯の皮をむいておろすのが面倒。時姫にはうちにある無洗米を分けてあげます。とか言って、千穐楽観てご機嫌で帰ってきて、朝食用のシリアルを1kg入りの大袋から保存容器に移そうとしたら3分の1くらいを豪快にシンクにこぼしてしまって「ああああああああああああああもったいないいい〜!!!!!もったいないいいいいいい〜!!!!!!」と叫んでしまった。自己像は娘のかしらにシャラシャラのついた花のかんざしを差して「ナウ悲しや」と嘆く姫のつもりだったのに、眉毛がない丁稚のかしらに片肌脱いでオッパイ丸出しのおらちさんだったとは……。せめて口針ついてるかしらがよかった……。(おらちさんに学び、こぼれたシリアルはシンクから拾って全部保存容器に格納)

料理つながりでいうと、時姫が登場するときにお盆に乗せて掲げ持っている豆腐、めちゃくちゃデカい。人形からすると4丁くらいある。あの家って時姫と三浦之助の母の二人暮らしだよね。二人ともあんま食わなさそうだし、食べきれないでしょ。時姫、深窓の姫すぎてものがわかっていなくて、豆腐屋に騙されてないか? と思った。あと、豆腐の表面の水に濡れたようなテカリがリアルすぎてめちゃくちゃ笑った。時姫の赤い振袖が微妙に写り込んでいるのが最高だった。

安達藤三郎は玉志さん。この時点では正体を現していないので、黄色い小袖にテキトーな厚紙鎧と厚紙笠の安っぽい雑兵の格好をしている。この藤三郎のふりをしている部分がどう軽妙になるのか実は心配だったのだが(何様?)、ちゃんとチャラかった。チョロチョロ、ピョコピョコとした軽くイラっとする動きが可愛らしい。そんなクリクリと小首を動かす小動物のような仕草に加え、身分に似合わず扇子を使った振りが多いのが面白い。最初は白地に赤丸のこぶりな扇を持っていて、それをちょこちょこと開いたり閉じたり。

それにつけても二人の局、「姫が帰ってくれないので、その心残りの原因になっている三浦之助の母を殺そう」とフランクに話しているのはやばい。考えの順序がおかしい。さすが文楽だと思った。

 

 

 

 ■

三浦之助母別れの段

夕暮れ時、鎧姿の若武者・三浦之助〈吉田玉助〉が門口に現れる。三浦之助は幼い頃より頼家に奉公し長い間母とは会っていなかったが、その母が病で先が長くないと聞きつけてとりもなおさず訪ねてきたのである。母の居どころにたどり着いた安心で三浦之助は軒先に倒れ臥すが、その姿を認めた時姫が慌てて抱き起こし介抱する。しかしそんな時姫に三浦之助はつれない態度を取るのだった。老母に三浦之助が訪ねて来たと知らせる時姫だったが、母は三浦之助には坂本城へ奉公させたとき親はすでに無いものと言い聞かせたはずと障子を決して開けさせない。三浦之助は不孝を恥じ、戦場で功名を上げて凱旋するとして立ち去ろうとするが、時姫は三浦之助が討死を覚悟していることを察し、母はもう先が長くない、せめて一夜だけでもここに残り、母の臨終を看取ってからと必死で引き止める。三浦之助も思い返し、母の咳の声に、この家にしばらくとどまることにする。

 

ここには時姫が倒れ伏した三浦之助に気付薬を口移しで飲ませる部分がある。湯のみに入れた薬を姫が口に含んだ時、「え?これは口移しする気?人形でどう表現すんのかな?」と思ったのだが、3日目に見た段階では三浦之助の顔のだいぶ上からだばーっとかけてる状態で、「わたし、こんなことやったことありませんっ><」って感じ丸出しで「うちの娘は絶対処女だと思っているお父さん@文楽」の私は「余は満足じゃ」と思ったのだが、最後のほうの日程で見たら振袖でうまく顔を隠して口移ししており(ただしくっつけていないことはわかる、しかし後半日程になるに従ってどんどんくっついていくんです!!!)、演技の向上に関心するとともに我が心のお父さん大号泣であった。

 

 

 

高綱物語の段

深夜。抜き足差し足で庭先へやって来たのは刀を携えた二人の局であった。そこに突然井戸の中からビョインと出てきたのは藤三郎のお目付役として時政から遣わされた富田六郎〈吉田文哉〉。井戸は鎌倉方の秘密の抜け道になっていたのである。三人が老母ばかりか三浦之助まで討ち取るチャンスと話していると、突然おくるが現れる。驚く一同に、おくるは自らは藤三郎の妻であり、あらかじめ村に入り込んでいた間者であると名乗って富田を裏口へ案内する。
家の中では時姫が藤三郎から渡された守り刀を抱き、独り物思いに沈んでいた。そこへヒョコヒョコといやらしく忍び寄ってきた藤三郎は姫の手を取るが、時姫はそれを振り払って鎌倉へ帰ることを拒否。どうせすぐに三浦之助は首がコロリとなるし、時政から姫を女房にもらう許可も得ていると言う藤三郎は時姫の袖を取って膝に頬ずりするも、怒った姫は守り刀を抜く。間一髪で切っ先を避けて軽口を叩く彼に姫がなおも斬りかかろうとするので、藤三郎はぴょんぴょん逃げていった。
ふたたび独りになった時姫は、この守り刀は「三浦之助と縁を切り、母を殺して鎌倉へ帰れ」という父の言葉であると悟っていた。姫は三浦之助以外に添うつもりはないとして、刃を喉に当て自害を企てる。しかしそこに三浦之助が現れ、時姫の心底が見えたとして妻にするという。そして、夫の敵として父時政を討つことを姫に迫るのだった。姫はそれを承諾するが、それを影から聞いていた富田が鎌倉にこのことを注進するとして抜け道の井戸に飛び込もうとする。ところがそのとき、井戸から槍が突き出て富田は刺し殺されてしまう。井戸の中から現れたのは安達藤三郎……その正体は京方の総大将・佐々木高綱であった。高綱は自らに瓜二つだった百姓・藤三郎を偽首に仕立ててて入れ替わり*8、彼の妻・おくると申し合わせて「高綱のニセモノ」として時政に取り入り、ニセモノの「お墨付き」の刺青を得て今日まで雌伏していたのだ。そして三浦之助と示し合わせ、時政の娘時姫を最高の刺客として仕立て上げることに成功したのである。時姫は京方の運が開くならば討死を思いとどまって欲しいと三浦之助に懇願するが、彼が鎧をくつろげるとその肌着は血に染まっていた。三浦之助の死はもう間近だったのである。高綱は三浦之助討死の暁にはこの藤三郎が首を取り、それを土産に時政へ接近すると語り、三浦之助もそれを喜ぶ。その様子に時姫は覚悟を決め、父を討って夫に奉じるとして槍を手にする。一同の話を聞いていた三浦之助の母はその切っ先を引き取り、自らの腹へ突き立てる。三浦之助のために実父を裏切る姫への義理立てであった。母は姫にいままでの感謝の意を示し、三浦之助とその妻・時姫とのあの世での再会を誓う。
やがて夜明けが間近となり、高綱は鎌倉勢が坂本城へ迫っていることを察する。松の木の上から時政の大軍を確認した高綱は、いまこそ決戦の時として三浦之助とともに出陣するのであった。

思い沈む時姫に近づく藤三郎の抜き足差し足のキモさが光っていた。異様に下のほうから姫の顔を覗き込み、グヘヘと笑う仕草がゲスくてキモい。いや違うか、芸風自体に清潔感があるので、キモいというか「チャラい」をキープしている。そして袖越し(?)に姫へ抱きつくセクハラが堂に入っていた。先月の桂川ではお絹へのセクハラがあまりに直線的すぎて心配になった玉志サンだが、今月は物慣れていて、よかった。そのあと時姫がいきなり居合抜き状態で斬りつけてくるのをギリで避けるのもナイス。勘彌さんがあまりにキワドイところを狙ってくるのか、それとも派手に避けたほうが見栄えがするという舞台効果を狙っているのか、後半日程ではその避けがすんごい大振りになって、逃げ去る勢いが増していた。刀を抜く直前の勘彌さんの目は超マジで最高だった。

藤三郎はここでも扇を用いた所作が多く、「♪時姫を取り返して戻ったならば」という芝居がかりのセリフというか、謡がかりの義太夫に合わせて、どんどん崩れていくナンチャッテ仕舞?を舞う、人を食った動作もキュート。最後に扇をポインと大きく投げ捨てるのも可愛いですね。

そんな藤三郎の演技と高綱の正体の顕したときのメリハリが大変によかった。藤三郎の段階では人形の小ぶりさをうつしたように動きも軽く、ぴょこぴょこと子リスのように可愛らしく動き回るが、高綱になると雰囲気が大きく変わり、美しく凛々しい武将になる。高綱は服装自体は軽装なので、みずみずしい雰囲気が似合っていて本当によかった。しかしながら一番驚いたのは、物語のところがいままでより骨太な描写になっていたこと。どこがどうなったからそういう印象に見えた、というのはうまく言えないんだけど、凛々しい印象はそのままに芯が太く、ずんと重量が出て筋骨がしっかりしたように思う。千穐楽の物語は本当に勇壮絢爛で感動した。3日目に観たときとは全然違った。ここまでのものを拝見できるとは思っていなかった。12月公演の短い会期中にここまで劇的に向上されるとは、本当に心底驚いた。

高綱の人形の印象でいえばもうひとつ、松の物見のところ。これは流麗な所作が本当に美しかった。去年12月のひらかな盛衰記の樋口、今年6月の絵本太功記・光秀、そしてこの高綱と、松の物見をする座頭役3役すべてを玉志さんが取れたこと自体が私はとても嬉しいんだけど、当然というべきか、いままで見た中で今回がいちばん堂に入っていた。物見では、船底に降りて三味線が木登りのメリヤスに切り替わり、一回上手側へ行ってから下手へ向き直り、移動しなおす。下手へ歩き出す直前に、若干前のめりになって横向きの状態で両手をT字型に大きく広げる所作がありますよね。あの姿勢がとても綺麗でよかった。もちろん、左遣いさんが上手い人でないと綺麗に決まらない演技だと思う。それ含めて本当に立派な高綱。ひとつひとつの動作のつなぎがなめらかで美しい。そして、木に登る動作のスムーズさが昨年の樋口のときより大幅アップしていたのがナイスだった。

とにかく高綱の人形には非常に満足しました。伝統芸能の中にだけ存在するカラリとした男性美が表現されていたと思います。玉志さんは今年一年本当に素晴らしかった。京極内匠、光秀、高綱役を経て、去年の玉志さんとは全然違うと思う。

 

脇役だけどよく見ていると面白いのが謎の女・おくる。登場するたびに立場が変わり「実は」と切り出してくる変わり身が面白いのだが、高綱物語での述懐が一番の見せ場。とはいえ派手な演技があるわけでもない。ちょっとした動きを拾って見るのがおもしろいのだ。高綱の話を受け、おくるが夫と最後に別れたときの話をして泣き伏すが、そのあと時姫がそれを引き受けて三浦之助に討死を止まってほしいと懇願する。このとき、おくるが姫たちのほうを見て自分が語っていたときよりも悲しげな様子を見せるのが不思議だったが、おくるは、時姫もまた自分と同じように、わかっていて夫を弓矢の道のうちに死なせざるを得ない身の上として共感しているのかしらん。おくるは自分の夫が死んだことはもう終わったことで諦めてはいるが、若い姫がこれからおなじ道をたどるのがかわいそうなのか……。義太夫もここを妙につなげて流しているのがわかりづらっ!おくると時姫って身分全く違うはずなのに、人形を見ないとどっちが喋ってんのかわかんねえ!と思っていたが、わざとやっているということ? 登場人物全員狂人の七段目のうち、一番自分の境遇に納得できないのが一般人なのに武家の争いに巻き込まれたおくるだと思うが、よく高綱に従ったなと思う。時姫くらい短絡的に気性が荒かったら高綱を刺しているはず。そこは普通の奥さんの弱さ。が、紋臣さんは抑えた雰囲気で端正にこなされていて、美しかった。今年の本公演で一番良い役で、嬉しかった。(突然のピュアネス個人の感想)

ところで三浦之助はかなりのマザコンではないだろうか。このあたりの説得力には出演者の問題もあるかもしれないが、正直ぴんと来ずそこまでのことか?と感じた。『絵本太功記』の十次郎なんか三浦之助より若く見えるけど、あいつ、大人だな。三浦之助のように母(操)とずっと離れていたわけじゃないからかもしれないけど……。しかし申し訳ないが、三浦之助が時姫とカップル役に見えないのは厳しい。いかんともしがたい実力差か、それともお互い合わせるつもりがないのか。現況では勘彌さんと釣り合う若武者役ができる人がいないのかなと思った。

 

 

 

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なにはともあれ『鎌倉三代記』、本当によかった。

いずれの方もいままでの成果を存分に発揮しつつ、通常からはワンランク上の役を懸命に勤めておられるお姿に感動した。こういう純粋性はやはり普通の世の中には滅多に存在しなくて、私も40代50代、そして60代になったとき、こんなにピュアに何かを頑張ることができるのだろうかと思う。これは文楽を見ていていつも本当に心底思うこと。なにかひとつのことに一生懸命になるというのは本当にすごいことで、それそのものが才能だと思う。普通はどこかで自分の心に負けて、諦めてしまうと思うもの。

客の立場としては配役の難しさを感じた。配役の難しさっていうか、人材の問題。人形の配役には今回非常に満足していて、高綱=玉志さん、時姫=勘彌さんは本当に嬉しかった。配役発表される前からそうなるだろうなと思っていたけど、その配役に相応しい仕上がりだった。

しかし床は難しい、頑張っておられるのはわかるけど、ガタガタになっている部分も多い。頑張っておられる人もいるのは本当によくわかるので心苦しい。一番言いたいのは、勘彌さんの時姫に見合うレベルで女性役のうまい太夫さんを配役して欲しいということ。女性の切々とした心情描写が出来る人がいまの中堅だといないのだろうか(でも鑑賞教室のほうの寺子屋後の睦さんは相当頑張ってて結果も出ていた、これは書いておかなければならない)。このあとの『伊達娘恋緋鹿子』八百屋内の段に「なんで!?」って感じに津駒さんが出現するが、津駒さんにコッチに回ってもらうわけにはいかなかったのだろうか。いや、津駒さんがここに出ては中堅公演の意味がないのはわかるし、逆に八百屋内の段が超大炎上(八百屋お七だけに)(オヤジギャグ)(ガハハハハ)するのはわかるんだけど、これでは現状の文楽では十分な太夫配役ができないと言わざるを得ない。三味線さんがフォローしてるのはよくわかるけど、時姫に見合う品格を備えた太夫の数が少ないことは不満。

とにかく、うまい人のうまさやベテランがベテランである点は何なのか、逆説的に気づかされる部分も多い『鎌倉三代記』だった。

 

 

 

 

 

 

*1:このへん詳しくは前日譚にあたる『近江源氏先陣館』八段目・盛綱陣屋に描かれているらしい。不幸のはじまりは、盛綱と高綱が鎌倉方、京方へ別れて兄弟で争うことになってしまったことである。兄弟の対立が深まる中、盛綱の子息・小三郎は高綱の子息・小四郎を捕らえ、父盛綱とともに帰陣。盛綱の頼みにより、兄弟の母・微妙は高綱の今後の障りになるとして孫小四郎に切腹を促す。しかし小四郎は母・篝火に会ったことで切腹を拒否。ところがそこに高綱討死の知らせと首が届き、盛綱はその首を実検させられることになる。小四郎は首は父であるとして切腹、しかし首は高綱ではない。盛綱は高綱父子の計略を察知し、実子を見殺しにしてまで頼家への忠義立てをした高綱を慮り、偽首を高綱であると証言して意図的に首実検を仕損じる。盛綱は主君時政を裏切ったとして切腹しようとするが、盛綱陣屋の段階では和田兵衛が盛綱の切腹を引き止めて終わる。しかし本曲ではその後盛綱は結局切腹したという設定になっており、盛綱の「不忠」の真相を知る小三郎が父の不名誉を晴らすべく高綱の首を討ちにやって来たというエピソードなのである。両曲は『緋牡丹博徒 花札勝負』と『緋牡丹博徒 お竜参上』のように話が続いているわけなのだが……、『近江源氏先陣館』、『鎌倉三代記』以上に話が狂いすぎていてついていけません!!! 来年あたり上演してくれないかな〜。

*2:朝敵を討伐する官軍の証のこと

*3:これも『近江源氏先陣館』にあるエピソードを受けているらしいです。

*4:これも『近江源氏先陣館』を受けているはず。近江源氏では和田兵衛は「四斗兵衛」という駕籠掻き……に化けている設定、らしい。

*5:このあたりちょっとよく読み取れず。違うかも

*6:近江源氏先陣館』盛綱陣屋

*7:阿波の局は顔を下手に向けて、まっすぐそちらを見据えている。

*8:その藤三郎の首というのが『近江源氏先陣館』盛綱陣屋に出てくる偽首。