TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 12月東京公演『鎌倉三代記』国立劇場小劇場

いつもは部ごとに感想を書いているが、『鎌倉三代記』のあらすじをまとめていたらそれだけで1万字を超えてしまったため、12月本公演の記事は『鎌倉三代記』と『伊達娘恋緋鹿子』で分割しようと思う。まずは『鎌倉三代記』から。

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登場人物全員狂人の「ザ☆文楽」って感じの突き抜けた話でおもしろかった。

と、直感的にはそう思うのだが、とくもかくにも設定が難しかった。

大坂夏の陣をモデルに時代を鎌倉時代に移して描かれている話……とのことだが、パーの私はパニックを起こした。なんせ私は大坂夏の陣加藤泰の映画『真田風雲録』でしか知らないのである。あの映画、真田幸村役が千秋実ですから。そんな奴が鎌倉将軍の順番をわかるわけがなく、そこを合体さすのはやめてくれとしか言いようがない。その上いちばんヤバいのは、先行作『近江源氏先陣館』の続編的な設定が多いこと。『近江源氏先陣館』の盛綱陣屋を理解していないと意味不明の展開が結構あって、観たことがない私はそっちも調べなくてはいけなくなってしまい、これがまた話が狂いすぎていて、難しさに心が折れそうになった。

以下、今回の上演部分に至るまでのいきさつを順を追って記述していく。まったく関係のないエピソードも大量混入していてメチャクチャ長いのだが、そこをカットすると高綱がまじもんのサイコパスになってしまうので、高綱のイイところも読んでください。全部読んでもますますもってサイコパスだけど。(参考文献=『日本古典文学大系 浄瑠璃集 下』岩波書店/1959)

  • 鎌倉時代初期、京方・源頼家(頼朝の長男)と鎌倉方・源実朝(同次男)は長い間争っていたが、ついに和睦がなされ、世は太平となった。しかしそれは表面上のことであり、京方は鎌倉方に圧迫されて劣勢であって、両家は一触即発の状況だった。本曲は佐々木高綱を中心に、暗君頼家を戴いたことによって種々の苦境に立たされる京方の家臣たちの動向と、両家の対立に巻き込まれる人々の運命を描いている。
  • 近江の石山寺にある鎌倉方の執権・北条時政の陣所へ京方の若き家臣・三浦之助義村が挨拶にやって来る。時政は挑発に応じない三浦之助の立派な態度に感心し、頼家のような愚かな主君に仕えねばならない彼の身を嘆いたが、三浦之助は心がけが立派だったので「うちの殿様がアホとかそんなことありません☆ぼく満足してます☆」とか言ってサワヤカに帰っていった。
  • 京方・坂本城へ、鎌倉方の上使・松田左近朝光が訪れる。そこへキャーッと走り寄ってきたのは頼家の側室・宇治の方の召使・朝路。この二人は実は密かな恋人同士であった。松田が仕事だから後でと去っていくと、朝路に気のある侫臣・大庭景義がちょっかいを出しにやってくる。しかし間もなく和田兵衛、佐々木高綱といった重臣や三浦之助らが集合してきたので、朝路はコレ幸いと逃げていった。そうこうしているうちに、高綱は門前に13歳くらいのカワイイ少年がいることに気づく。大庭は若輩者がと嫌味を言うが、少年が高綱だけに密かに言いたいことがあるというので、高綱は大場らを先に行かせて少年と二人その場に残る。なぜ高綱が少年をそんなに優遇したかというと、実は少年は高綱のために首実検を仕損じ切腹した兄・盛綱の忘れ形見、佐々木小三郎だったのである*1。小三郎は高綱の首を取り父の不忠を償わんと家伝の刀を抜いて伯父に詰め寄る。高綱はその健気さに涙を流し、兄の恩に報いるため首を捧げたいが今やこの身は我ひとつのものではないとして、騒ぎになる前にと小三郎を一旦家へ帰らせる。
  • やがて無事御評定も終わり、夜も更けた頃。暗闇に紛れて松田左近と朝路が密会しているところへ大庭が忍び寄り、松田の烏帽子の緒を切って大声を上げ、二人の不義の証拠を取り抑えて暴露しようとする。松田はことを恥じて切腹しようとするが、現れた宇治の方が集まってきた伺候ら全員に烏帽子の緒を切らせ、誰が不義者であるかわからなくしてことをおさめる。二人の関係を知っていた宇治の方は朝路に松田の接待を命じて下がらせるのであった。
  • 一方、おさまらないのは和田兵衛である。一見和睦したかに見える両家であったが劣勢の京方には燻りがあり、和田は時政の首を獲るか京方残らず討死かのいちかばちかに賭けて再度の挙兵をと唱えるが、大庭は必ず失敗に終わるだろうとそれに反対し、和田兵衛はその安穏な物言いに腹を立ててその場を立ち去る。高綱は和田の考えは蛮勇であり大庭の意見は執権らしい深慮であると言うが、宇治の方はこのように家臣らが懸命になっていても酒宴にうつつを抜かし評議を怠る頼家を恥じ入るのであった。その場が解散になると、三浦之助は高綱の側近くへ寄り、大場のような自分可愛さに腰の抜けた者にどうして同意したのかと尋ねる。答えて高綱は、それはもっともであるが、現在諸大名たちは時政に帰服しており、こちらは圧倒的な劣勢である。かくなる上は禁中に参内して帝を擁し、時政に攻め込まれたとしてもこちらに刃を向けられないようにした上で、錦の御旗*2をあげて鎌倉方を討伐するよりほかないと語るのだった。
  • それを襖を隔てて聞いていたのは松田左近である。この話を聞いたからには主君時政に報告するしかない。しかし自分は先ほど宇治の方に命を救われたため、注進しては恩を仇で返すことになり、どちらの道もとることができない。かくなる上は切腹するよりないと覚悟する松田。涙ながらに引き止める朝路に、実はこの和睦は見せかけであり、時政は京方を攻めんと軍備を整え鎌倉を出立しようとしていることを宇治の方へ知らせてご恩報じとしてくれと言って、松田は刃を腹へ突き立てようとする。しかしそこに「犬死にするか松田」と高綱の声がかかる。時政が和睦を破ることはわかっていたことであり、松田の口から漏れたことではない。そして松田はこのまま鎌倉へ立ち帰って聞いたことをすべてそのまま時政へ注進して忠孝を尽くし、死ぬならば戦場で死んで松田の家名を立てよと言う高綱。すると松田は一通の手紙を高綱に渡す。それは彼の父の遺言状であった。そこにはこう書かれていた。松田家は源譜代の侍であったが、源家が京鎌倉に引き別れたとき、鎌倉方の時政につくことになった。しかし頼朝の恩は忘れがたく、和睦が破られたときには左近は京方へ馳せ参じ、忠勤を尽くせと。松田は亡父の言に従いたいと京方へつくことを願い出るも、高綱は魂の座らぬ侍はいらぬと退ける。松田はもはやこれまでと朝路に矢を射ろうとし、朝路も覚悟を決めるが、その心底見えたとして高綱はその矢を掴み取り、松田を家臣に加える。そこに宇治の方がやって来て、頼家は高綱の考えを受け入れ参内する旨を告げる。一同は出立の準備に喜色を示し、松田もついていこうとするが、高綱は松田は一旦鎌倉へ戻って敵方の様子を偵察せよと命じる。そして朝路には「不義の科で暇を遣わす」として、「好いた者と添うがよい」と松田とともに鎌倉へ出立させるのであった。高綱、いい人〜。
  • 頼家一行が内裏へ向かう途中、突然飛んできた手裏剣がその駕籠に刺さる。手裏剣に心当たりを察した高綱は、泥酔して寝ていた頼家の無事を確認するとそのまま出立させようとするが、大庭は曲者の実否を糺すべきだと騒ぎ立てる。ところが三浦之助が引っ立ててきたその「狼藉者」は大庭の組下の者であった。大庭は追求せねばままならぬと言って出発を急ぐ高綱と対立する。そうこうしているうちに、時政が先んじて禁中へ到着したという知らせが入り、高綱と三浦之助は無念の涙を飲むのであった。
  • その深夜、ひとりの女が坂本城へ現れる。女は小三郎の母・早瀬であった。子を探し求め夜闇に迷う早瀬の前に高綱が姿を見せ、“死骸”をくれてやると言って小三郎を突き出す。実は先ほど頼家の供先を汚したのは小三郎であり、三浦之助がとっさの機転で偽の狼藉者を立てて彼をかばい、挟箱に隠して連れ帰っていたのである。高綱はそのまま立ち去るが、早瀬は小三郎を縛っていた布がかつて時政が和田兵衛によって奪われた鎌倉の軍旗であることに気づく*3。小三郎がこの旗を奪い返したとして武功を立てよという高綱の厚情であった。二人が喜んでいると、大庭の組下がめざとく二人を見つけて斬りかかってくる。しかし小三郎はもとより早瀬も武士の妻、二人して押し寄せる軍兵たちを皆殺しにして鎌倉へ帰っていくのだった(ダイナミック)。
  • ここは和田兵衛の屋敷。和田の妻・牧の戸の指南で女中たちが組打ちの稽古をしているところに不機嫌MAXの和田が帰ってくる。頼家や高綱の不甲斐なさにブチ切れている和田はこれなら駕籠掻きでいたほうがマシだった、あのときの衣服を出してこいと妻に言いつける*4。駕籠掻きの格好になってどっかと座った和田は、武士は辞めたっ!駕籠掻きではお前らを雇ってられんから解散解散〜!と言い出すので、奴たちは突然の失業に大困惑。しかし和田が弓矢を売り払って退職金を出すとしたので一同は安心し、皆で酒盛りがはじまる。そうして一同総出でドンチャン騒ぎをしているところへ宇治の方が訪ねてくる。牧の戸は大の字になって爆睡している和田を揺り起こそうとするが夫は起きない。いくら酔っていても和田の忠節は乱れることはないとして、いままでの働きに深く感謝する宇治の方は和田に坂本城へ戻って欲しいと懇願するが、和田は大庭のような侫臣を取り立てる頼家のもとへは戻れないと断固拒否。宇治の方はそれなら彼の子息を二代目の和田兵衛として寄こして欲しいと重ねて頼み込むも、和田は子どもなどいないと言う。将来の見込みのない頼家には仕えさせず鎌倉方へ行かせるつもりかと恨み言を言う宇治の方に、和田は子どもがあるならこの場でひねり殺すと返す。宇治の方はその潔い武士ぶりを見込み、頼家の幼い息子・公暁丸を和田夫婦に預ける。
  • そうこうしているうちに玄関が騒がしくなり、鎌倉方の使者が到着する。時政の命により、京方を離れたという和田を迎えにやって来たのである。使者は頼家以上の大禄でもって召し抱えるという時政の言を伝えるが、酔っ払っているかのように見えた和田はその書状を破り割いて使者を追い返す。和田は危機に瀕している者を助けるのも武士の嗜みとして頼家のもとへ戻る意志を固めて公暁丸と主従の固めの盃を交わす。そして和田が駕籠掻きの半纏を脱ぐと、その下は武者出立であった*5。和田は牧の戸に馬を引かせ、公暁丸とともに出陣する。
  • 公暁丸を伴った和田兵衛は志賀の山越えで多数の敵軍に取り囲まれる。和田が奮戦する中、牧の戸が公暁丸を救出し夫と別れて単騎切り抜けるも、辛崎の渚で公暁丸を小舟に隠し追っ手と戦っているうちに小舟が沖へ流されてしまう。牧の戸は嘆くも時遅し、小舟は山おろしに吹かれて沖へと消える。
  • ここは矢橋の村はずれ。一見渡守の住居に見える家は、京方の落人から武具衣装を奪う盗賊の隠れ家であった。女房・お寄が帳面をつけているところに帰ってきたのは、彼女の夫で日本国の海賊の元締とうたわれる摺針太郎左衛門。摺針はいつもの獲物の武具のほか、金になる大事なものだと言って米櫃を運び込むが、お寄は米櫃から子どもの泣き声がするので不思議がる。それを門口からじっと見ていた編笠姿の浪人が子分たちを突きのけて家へ入ってくる。ここは盗人の家で、入ったからには無事帰れると思うなというお寄の言葉に臆さず、浪人は突然多額の小判を投げ出す。浪人が次々に取り出す心付けに盗賊たちは途端に下手に出るが、浪人が米櫃を見せて欲しいというと摺針は態度を翻し、あの米櫃は船頭の命をつなぐものだが、ことによったら見せてもよいと浪人に正体を明かすことを迫る。摺針と浪人は一触即発となるが、村の小使がやってきて庄屋が摺針を呼んでいるという。摺針は米櫃のことは一旦預けるとして庄屋の方へ出かけていき、浪人は奥の間で待つことにするのだった。

  • 夕闇が迫る頃、血刀を杖にした瀕死の女が村はずれに現れる。女はやっとの思いで民家にたどり着くが、それはあの盗賊の隠れ家だった。水を頼まれたお寄がその女の顔を見ると、彼女はなんと妹のお巻、すなわち和田兵衛の妻・牧の戸。何があったと尋ねるお寄だったが、お巻は主君の大事であるとして決して事情を話そうとしない。しかし、牛頭天王の護符を燃やして他言をしないという誓いを立てたお寄の誠心を知り、お巻は夫と別れて公暁丸を守護し逃げ延びるも辛崎の渚で小舟に乗せた若君を見失ってしまったいきさつを涙ながらに語る。お寄は先ほど夫が持ち帰った子どもの泣き声がする米櫃が怪しいと件の米櫃を引き出そうとするが、そこに摺鉢が躍り出て女房を引き退け、子どもは公暁丸に相違ないと錠を捻じ切る。そして中に入っていた子どもをお巻の前に突き出し、お巻が「公暁様」と叫んだ瞬間子どもの首を討ち落とすと、その首を引っ掴み、表に待っていた鎌倉方の家臣に渡すのだった。それを目の当たりにしたお巻は驚きのあまりそのまま死んでしまう。お寄は夫にすがりつき恨み涙を流すが、そこに「公暁君は恙なく和田兵衛が守護仕る」という声がかかる。そこにはなんと公暁丸を抱いた和田が立っていた。お寄は公暁丸の着物がかねてより預かっていた和田夫婦の息子・大三のものであると気づく。実は摺針は和田夫婦と示し合わせて大三と公暁丸を取り換えており、先ほど首を討った子どもというのは大三だったのである。赤ん坊の頃から我が子のように可愛がって育てた大三の変わり果てた姿に嘆き悲しむお寄、摺針もまた大三の首を討つのは心苦しかったが、我が子を公暁君として殺させたとしてお巻の健気さを褒め称える。実はこの摺針太郎左衛門の正体こそ、坂本城の四天王のひとりと言われた小坂部九郎だったのである。すると突然奥の間の障子が開き、長袴に装束を改めた先ほどの浪人が現れる。彼は清和源氏の末裔、対馬冠者義弘だった。驚く摺針夫婦に、かねてより和田に頼まれていた公暁丸を迎えに来たという義弘。彼は公暁丸に御供し、琉球へ向かうという(注:流布の『鎌倉三代記』では義弘らが向かうのは蝦夷が島という設定。おそらく文楽座の底本も同。私が参考文献にしている本の底本はどうも設定が微妙に違うらしく、そのため最後の段で高綱が出立するのも蝦夷が島でなく琉球となっている。)。そしてもし京方が落城することがあれば我が国へ来られよと和田へ日本・明国を自由に往来できる通行手形を渡す。義弘が出立すると間もなく鎌倉の大群が押し寄せてくる。しかし軍兵が隠れ家に踏み込むともぬけの殻。すでに抜け出て裏の汀で小舟に竿をさす摺鉢は、これが小坂部九郎の手柄始めと言って大砲を撃ち、隠れ家を鎌倉勢ごと木っ端微塵にするのだった。

  • [ここから今回の上演に大きく関連する部分]田植えに賑わう近江路の北川村では、百姓の藤三・おくる夫婦が快気祝いの団子を配って挨拶回りをしていた。ちょっと抜けたところのある藤三は昨年の冬、狐に化かされたのか行方不明になって近隣の衆に随分と心配をかけ、なんとか帰ってきて近頃やっと調子が戻ったのである。ところが、肝心のお神酒を忘れた!とおくるが家に戻った間に時政の家臣・富田六郎がやって来て、佐々木高綱に相違ないと言って藤三を引っ立てる。泣き叫ぶ藤三は女房を迎えに寄越してくれと言い残し、鎌倉の陣所へ連れていかれるのだった。

  • 時政の陣所には武者姿に化け周囲を偵察していた高綱の妻・篝火が捕らえられていた。高綱の影武者に何度も騙されていた時政が篝火に藤三郎を実検させると、彼女はこれは間違いなく夫高綱であると言って藤三にすがり泣く。もはや武運尽きたとして自害を勧める篝火に引きまくる藤三だったが、そこへ知らせを受けたおくるが走ってきて、夫は単なる水呑み百姓でまったくの人違いだと言って助命を乞う。息子小四郎を見殺しにする夫の計略に加担した篝火の性根の太さ*6を知る時政は、篝火の実検は偽りであるとして藤三を単なるソックリさんと認め、縄を解いてやる。すると藤三は昨冬の行方不明事件の顛末を語りだす。それによると、畑から戻る最中に多数の侍に取り囲まれてどこぞと知れぬ屋敷へ連れてゆかれ、その旦那らしい男に「ソックリだ」と言われて豪華な振る舞いを受けたが、武芸の稽古がからっきしだったので「顔は似ているが役立たず」と再び街道筋に打ち捨てられたのだという。時政はそれは高綱が藤三を影武者を仕立てようとしたのだと言い、二度と高綱と間違わないようにと彼の額に入墨を施す。

  • そうこうしているうち、時政の家臣たちが主君へこの近隣の絹川村には三浦之助の母が閑居を構えているので、危険を避けるべく鎌倉へ戻ることを進言する。さらにはそのもとに身を寄せる時政の娘・時姫を迎えに参上したとしても、姫が戻ることを受け入れなければ役目の恥であるから、使者には女を立てて欲しいと告げる。それを聞いていた藤三は時政の前に平伏し、時姫の迎えには侍が大勢寄ってたかって行くより百姓の自分が一人で行ったほうが警戒されないだろうから、自分を使って欲しいと申し出る。時政は面白がって藤三に「安達藤三郎」という名を与え、武具を与えて端武者姿に仕立ててやるのだった。調子に乗った藤三は、不義を働いた姫を連れ戻して手打ちにするなら自分の女房にもらいたいと言い出す。仰天したのはおくるで、せっかく助かった命に姫をもらいたいとは何を無茶を言う、っていうかアホな亭主を子どもを育てるように辛抱した私を捨てて世間に顔が立つものかと藤三にすがりつくが、夫は恨み泣きする彼女に目もくれず、慣れない鎧でフラフラしながら絹川村へ向かうのだった。

 

 

 

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長文お読みいただきありがとうございました。「これまでのあらすじ」がこの記事で一番長いよ。とにかく、現行で通し上演できるなら和田兵衛の人形配役は絶対玉也さんだなということだけはよーくわかった。

というところから、今回の本編がやっとはじまる。

局使者の段

三浦之助の母〈吉田和生〉は絹川村に居を構え、病床に伏せている。老いに取り憑かれ病み衰えたその姿は、誰が見ても先は長くないのであった。その閑居に近所の女房・おらち〈吉田簑一郎〉が最近ひとりで村に越してきたという女・おくる〈桐竹紋臣〉を連れて見舞いに来ていた。おらちはおくるへ用事を何でも頼めばいいと言いつつ、生き仏だのナンマイダブだのという不吉な言葉を連発して座を慌てさせる。やがておくるが帰っていくのと入れ替わりに、武家の礼装姿の女二人、讃岐の局〈桐竹紋秀〉・阿波の局〈桐竹紋吉〉が訪ねてくる。彼女らは北条時政の使いであり、敵方の三浦之助を慕って家出した時政の娘・時姫を迎えに来たのであった。二人の局は三浦之助の母に時姫を返してほしいと言うが、姫は自分の嫁であり、暇の状を遣わさないあいだは鎌倉へは帰さないし、姫も帰るつもりはないだろうというすげない返事。そうこうしているうちに、振る舞い酒のお使いに出ていた時姫が帰宅したという声が聞こえる。

幕が開くと舞台にいきなり人形がたくさん立っているデストラップな段。完全に顔立ちがおかしいおらち(「丁稚」のかしらに在所の奥さんの着付)に目が釘付けである。しかし実は「近所の奥さんA」風になにげなく座っていて、しかもすぐ帰ってしまい普通ならここで出番終わりのおくるの方に意味があるのだった……。

三浦之助の母=和生さんは上手の一室から動かない。若武者の母といっても老婆のかしらの人形。近所の衆が来ているあいだは丸めた布団にひじをついて身体を横向きに斜めに倒し、ずっとじっとしている。しかし局たちに話しかけられて以降は武家の奥方らしく、姿勢をなおして背筋をまっすぐにして座りなおし、端正な居住まいになる。抑えた上品な雰囲気が美しく、とくに大きな動きはない中の見応えある芝居。どうでもいいことだが和生さん今回めっちゃ髪型キマッてた。

あとは讃岐の局の紋秀さんが最初に出てくるときの姿勢が綺麗でよかった。あの〜、お使いをつとめる人がよくやってる、袖を腕に巻きつけて掲げるやつ、あれ何て言うのかわからないけれど、その手の形がバランスよく綺麗だった。この次の段の頭、時姫が下手から入ってくる直前、讃岐の局はそちらから顔を背けて正面を向き、目を閉じているのも印象的だった*7。最近船頭とか奴とかのコッテコテの役ばかりだったので、久々にキレイ目の役を拝見できてよかった。

 

 

米洗いの段

時姫〈吉田勘彌〉は恭しく日傘を差しかけられ奴らにかしづかれてはいるが、豆腐と徳利を手に手ぬぐいを姉さん被りにした前掛け姿、取ってつけたような在所の嫁さん風のなりをしていた。二人の局はその姿に仰天しつつ、姫の前にひれ伏し時政の命を伝えるが、彼女はやはり帰らないと言って咳き込む三浦之助の母を甲斐甲斐しく看病する。姫に代わって用立てしようとする局たちに時姫は鎌倉の館とこの在所では「礼儀作法」が違うとして、自分のことは「お時」と呼ぶようにと言い渡し、田舎の奥さんの言葉遣いを教える。三人が慣れない田舎言葉勉強会でおじゃおじゃやっていると、おらちがやって来て夕飯の支度をするように言う。私たちがという二人の局を引き止めて時姫はすりこぎを取り出し、一生懸命山芋(?)をすろうとするが、深窓の姫ゆえままならず、また二人の局も慣れぬ身の上で手伝いができない。見ていられなくなったおらちは片肌を脱いですり鉢を取り上げ、見事山芋をトロットロにすり上げる。そして水汲みもできない新妻・時姫に米の研ぎ方、研ぎ桶から釜への無駄のない移し方、さらには初心者にもできる水加減の方法と、「コメの炊き方」を事細かに伝授してやるのだった。しかし盛り上がっているうちにおらちは振る舞い用の徳利をカラにしてしまったので、彼女はそのままダッシュで酒を買いに去って行った。そうこうしているところへ、三浦之助の母の咳が聞こえる。時姫が看病にと台所を立ち去ったスキに、二人の局は「姫の心の迷いになっている三浦之助の母を刺し殺して、無理矢理にでも鎌倉へ連れ帰ろう」と恐ろしい相談をしはじめる。するとそこへ粗末な姿の雑兵・安達藤三郎〈吉田玉志〉が現れる。こう見えても時政の正式な使いであるという藤三郎は証拠の守り刀を局二人に見せ、局たちがいては邪魔である、ここは自分が解決すると言って二人を一旦この閑居から去らせるのであった。

とにかく時姫の清純な美しさ、可憐さに感動した。日本一可愛い。かわいすぎて号泣。時姫が舞台に出ている時間はかなり長く、 田舎の新妻コスプレ、鎌倉方執権の姫君、甲斐甲斐しい嫁、恋に惑う少女、キモ男に斬りつける気丈娘、そしてさすが武士の子女武士の妻とクルクル表情を変えていくが、もう、全部可愛くて最高。所作が全部おっとり、ちょこんとしていて本当に可愛くて、抱きしめたくなる。ひとつひとつの動きの丁寧さが光っており、無駄がなく美しい。それでいて華美さが抑えられていて、少し純朴さや幼さを感じさせるところもあって、その可憐さは舞台に咲いたスミレの花のようだった。まじ可愛かった。

簑一郎クッキング〜飯の炊き方編〜は最高だった。コメの研ぎ方のザックリさと水切りの的確さのコントラストが素晴らしい。手間なことはやりたくないが、一粒も無駄にせまいという心意気を感じた。研いだ後、桶のヘリに手をペシッと打ち付けてコメと水気を払うのが「わかる」。私には米粒が桶に落ちるのが見えた。山芋のすりっぷりも堂に入っていた。いや、山芋かどうかはわかんないんだけど、味噌やゴマではないな、あの混ぜ方は。あのすり鉢の中にはホワッホワのトロットロにホイップされた山芋が入っているのだと思う。むぎとろご飯が食べたくなった。でも私は簑一郎asおらちほど丁寧な暮らしをしていないので、自然薯の皮をむいておろすのが面倒。時姫にはうちにある無洗米を分けてあげます。とか言って、千穐楽観てご機嫌で帰ってきて、朝食用のシリアルを1kg入りの大袋から保存容器に移そうとしたら3分の1くらいを豪快にシンクにこぼしてしまって「ああああああああああああああもったいないいい〜!!!!!もったいないいいいいいい〜!!!!!!」と叫んでしまった。自己像は娘のかしらにシャラシャラのついた花のかんざしを差して「ナウ悲しや」と嘆く姫のつもりだったのに、眉毛がない丁稚のかしらに片肌脱いでオッパイ丸出しのおらちさんだったとは……。せめて口針ついてるかしらがよかった……。(おらちさんに学び、こぼれたシリアルはシンクから拾って全部保存容器に格納)

料理つながりでいうと、時姫が登場するときにお盆に乗せて掲げ持っている豆腐、めちゃくちゃデカい。人形からすると4丁くらいある。あの家って時姫と三浦之助の母の二人暮らしだよね。二人ともあんま食わなさそうだし、食べきれないでしょ。時姫、深窓の姫すぎてものがわかっていなくて、豆腐屋に騙されてないか? と思った。あと、豆腐の表面の水に濡れたようなテカリがリアルすぎてめちゃくちゃ笑った。時姫の赤い振袖が微妙に写り込んでいるのが最高だった。

安達藤三郎は玉志さん。この時点では正体を現していないので、黄色い小袖にテキトーな厚紙鎧と厚紙笠の安っぽい雑兵の格好をしている。この藤三郎のふりをしている部分がどう軽妙になるのか実は心配だったのだが(何様?)、ちゃんとチャラかった。チョロチョロ、ピョコピョコとした軽くイラっとする動きが可愛らしい。そんなクリクリと小首を動かす小動物のような仕草に加え、身分に似合わず扇子を使った振りが多いのが面白い。最初は白地に赤丸のこぶりな扇を持っていて、それをちょこちょこと開いたり閉じたり。

それにつけても二人の局、「姫が帰ってくれないので、その心残りの原因になっている三浦之助の母を殺そう」とフランクに話しているのはやばい。考えの順序がおかしい。さすが文楽だと思った。

 

 

 

 ■

三浦之助母別れの段

夕暮れ時、鎧姿の若武者・三浦之助〈吉田玉助〉が門口に現れる。三浦之助は幼い頃より頼家に奉公し長い間母とは会っていなかったが、その母が病で先が長くないと聞きつけてとりもなおさず訪ねてきたのである。母の居どころにたどり着いた安心で三浦之助は軒先に倒れ臥すが、その姿を認めた時姫が慌てて抱き起こし介抱する。しかしそんな時姫に三浦之助はつれない態度を取るのだった。老母に三浦之助が訪ねて来たと知らせる時姫だったが、母は三浦之助には坂本城へ奉公させたとき親はすでに無いものと言い聞かせたはずと障子を決して開けさせない。三浦之助は不孝を恥じ、戦場で功名を上げて凱旋するとして立ち去ろうとするが、時姫は三浦之助が討死を覚悟していることを察し、母はもう先が長くない、せめて一夜だけでもここに残り、母の臨終を看取ってからと必死で引き止める。三浦之助も思い返し、母の咳の声に、この家にしばらくとどまることにする。

 

ここには時姫が倒れ伏した三浦之助に気付薬を口移しで飲ませる部分がある。湯のみに入れた薬を姫が口に含んだ時、「え?これは口移しする気?人形でどう表現すんのかな?」と思ったのだが、3日目に見た段階では三浦之助の顔のだいぶ上からだばーっとかけてる状態で、「わたし、こんなことやったことありませんっ><」って感じ丸出しで「うちの娘は絶対処女だと思っているお父さん@文楽」の私は「余は満足じゃ」と思ったのだが、最後のほうの日程で見たら振袖でうまく顔を隠して口移ししており(ただしくっつけていないことはわかる、しかし後半日程になるに従ってどんどんくっついていくんです!!!)、演技の向上に関心するとともに我が心のお父さん大号泣であった。

 

 

 

高綱物語の段

深夜。抜き足差し足で庭先へやって来たのは刀を携えた二人の局であった。そこに突然井戸の中からビョインと出てきたのは藤三郎のお目付役として時政から遣わされた富田六郎〈吉田文哉〉。井戸は鎌倉方の秘密の抜け道になっていたのである。三人が老母ばかりか三浦之助まで討ち取るチャンスと話していると、突然おくるが現れる。驚く一同に、おくるは自らは藤三郎の妻であり、あらかじめ村に入り込んでいた間者であると名乗って富田を裏口へ案内する。
家の中では時姫が藤三郎から渡された守り刀を抱き、独り物思いに沈んでいた。そこへヒョコヒョコといやらしく忍び寄ってきた藤三郎は姫の手を取るが、時姫はそれを振り払って鎌倉へ帰ることを拒否。どうせすぐに三浦之助は首がコロリとなるし、時政から姫を女房にもらう許可も得ていると言う藤三郎は時姫の袖を取って膝に頬ずりするも、怒った姫は守り刀を抜く。間一髪で切っ先を避けて軽口を叩く彼に姫がなおも斬りかかろうとするので、藤三郎はぴょんぴょん逃げていった。
ふたたび独りになった時姫は、この守り刀は「三浦之助と縁を切り、母を殺して鎌倉へ帰れ」という父の言葉であると悟っていた。姫は三浦之助以外に添うつもりはないとして、刃を喉に当て自害を企てる。しかしそこに三浦之助が現れ、時姫の心底が見えたとして妻にするという。そして、夫の敵として父時政を討つことを姫に迫るのだった。姫はそれを承諾するが、それを影から聞いていた富田が鎌倉にこのことを注進するとして抜け道の井戸に飛び込もうとする。ところがそのとき、井戸から槍が突き出て富田は刺し殺されてしまう。井戸の中から現れたのは安達藤三郎……その正体は京方の総大将・佐々木高綱であった。高綱は自らに瓜二つだった百姓・藤三郎を偽首に仕立ててて入れ替わり*8、彼の妻・おくると申し合わせて「高綱のニセモノ」として時政に取り入り、ニセモノの「お墨付き」の刺青を得て今日まで雌伏していたのだ。そして三浦之助と示し合わせ、時政の娘時姫を最高の刺客として仕立て上げることに成功したのである。時姫は京方の運が開くならば討死を思いとどまって欲しいと三浦之助に懇願するが、彼が鎧をくつろげるとその肌着は血に染まっていた。三浦之助の死はもう間近だったのである。高綱は三浦之助討死の暁にはこの藤三郎が首を取り、それを土産に時政へ接近すると語り、三浦之助もそれを喜ぶ。その様子に時姫は覚悟を決め、父を討って夫に奉じるとして槍を手にする。一同の話を聞いていた三浦之助の母はその切っ先を引き取り、自らの腹へ突き立てる。三浦之助のために実父を裏切る姫への義理立てであった。母は姫にいままでの感謝の意を示し、三浦之助とその妻・時姫とのあの世での再会を誓う。
やがて夜明けが間近となり、高綱は鎌倉勢が坂本城へ迫っていることを察する。松の木の上から時政の大軍を確認した高綱は、いまこそ決戦の時として三浦之助とともに出陣するのであった。

思い沈む時姫に近づく藤三郎の抜き足差し足のキモさが光っていた。異様に下のほうから姫の顔を覗き込み、グヘヘと笑う仕草がゲスくてキモい。いや違うか、芸風自体に清潔感があるので、キモいというか「チャラい」をキープしている。そして袖越し(?)に姫へ抱きつくセクハラが堂に入っていた。先月の桂川ではお絹へのセクハラがあまりに直線的すぎて心配になった玉志サンだが、今月は物慣れていて、よかった。そのあと時姫がいきなり居合抜き状態で斬りつけてくるのをギリで避けるのもナイス。勘彌さんがあまりにキワドイところを狙ってくるのか、それとも派手に避けたほうが見栄えがするという舞台効果を狙っているのか、後半日程ではその避けがすんごい大振りになって、逃げ去る勢いが増していた。刀を抜く直前の勘彌さんの目は超マジで最高だった。

藤三郎はここでも扇を用いた所作が多く、「♪時姫を取り返して戻ったならば」という芝居がかりのセリフというか、謡がかりの義太夫に合わせて、どんどん崩れていくナンチャッテ仕舞?を舞う、人を食った動作もキュート。最後に扇をポインと大きく投げ捨てるのも可愛いですね。

そんな藤三郎の演技と高綱の正体の顕したときのメリハリが大変によかった。藤三郎の段階では人形の小ぶりさをうつしたように動きも軽く、ぴょこぴょこと子リスのように可愛らしく動き回るが、高綱になると雰囲気が大きく変わり、美しく凛々しい武将になる。高綱は服装自体は軽装なので、みずみずしい雰囲気が似合っていて本当によかった。しかしながら一番驚いたのは、物語のところがいままでより骨太な描写になっていたこと。どこがどうなったからそういう印象に見えた、というのはうまく言えないんだけど、凛々しい印象はそのままに芯が太く、ずんと重量が出て筋骨がしっかりしたように思う。千穐楽の物語は本当に勇壮絢爛で感動した。3日目に観たときとは全然違った。ここまでのものを拝見できるとは思っていなかった。12月公演の短い会期中にここまで劇的に向上されるとは、本当に心底驚いた。

高綱の人形の印象でいえばもうひとつ、松の物見のところ。これは流麗な所作が本当に美しかった。去年12月のひらかな盛衰記の樋口、今年6月の絵本太功記・光秀、そしてこの高綱と、松の物見をする座頭役3役すべてを玉志さんが取れたこと自体が私はとても嬉しいんだけど、当然というべきか、いままで見た中で今回がいちばん堂に入っていた。物見では、船底に降りて三味線が木登りのメリヤスに切り替わり、一回上手側へ行ってから下手へ向き直り、移動しなおす。下手へ歩き出す直前に、若干前のめりになって横向きの状態で両手をT字型に大きく広げる所作がありますよね。あの姿勢がとても綺麗でよかった。もちろん、左遣いさんが上手い人でないと綺麗に決まらない演技だと思う。それ含めて本当に立派な高綱。ひとつひとつの動作のつなぎがなめらかで美しい。そして、木に登る動作のスムーズさが昨年の樋口のときより大幅アップしていたのがナイスだった。

とにかく高綱の人形には非常に満足しました。伝統芸能の中にだけ存在するカラリとした男性美が表現されていたと思います。玉志さんは今年一年本当に素晴らしかった。京極内匠、光秀、高綱役を経て、去年の玉志さんとは全然違うと思う。

 

脇役だけどよく見ていると面白いのが謎の女・おくる。登場するたびに立場が変わり「実は」と切り出してくる変わり身が面白いのだが、高綱物語での述懐が一番の見せ場。とはいえ派手な演技があるわけでもない。ちょっとした動きを拾って見るのがおもしろいのだ。高綱の話を受け、おくるが夫と最後に別れたときの話をして泣き伏すが、そのあと時姫がそれを引き受けて三浦之助に討死を止まってほしいと懇願する。このとき、おくるが姫たちのほうを見て自分が語っていたときよりも悲しげな様子を見せるのが不思議だったが、おくるは、時姫もまた自分と同じように、わかっていて夫を弓矢の道のうちに死なせざるを得ない身の上として共感しているのかしらん。おくるは自分の夫が死んだことはもう終わったことで諦めてはいるが、若い姫がこれからおなじ道をたどるのがかわいそうなのか……。義太夫もここを妙につなげて流しているのがわかりづらっ!おくると時姫って身分全く違うはずなのに、人形を見ないとどっちが喋ってんのかわかんねえ!と思っていたが、わざとやっているということ? 登場人物全員狂人の七段目のうち、一番自分の境遇に納得できないのが一般人なのに武家の争いに巻き込まれたおくるだと思うが、よく高綱に従ったなと思う。時姫くらい短絡的に気性が荒かったら高綱を刺しているはず。そこは普通の奥さんの弱さ。が、紋臣さんは抑えた雰囲気で端正にこなされていて、美しかった。今年の本公演で一番良い役で、嬉しかった。(突然のピュアネス個人の感想)

ところで三浦之助はかなりのマザコンではないだろうか。このあたりの説得力には出演者の問題もあるかもしれないが、正直ぴんと来ずそこまでのことか?と感じた。『絵本太功記』の十次郎なんか三浦之助より若く見えるけど、あいつ、大人だな。三浦之助のように母(操)とずっと離れていたわけじゃないからかもしれないけど……。しかし申し訳ないが、三浦之助が時姫とカップル役に見えないのは厳しい。いかんともしがたい実力差か、それともお互い合わせるつもりがないのか。現況では勘彌さんと釣り合う若武者役ができる人がいないのかなと思った。

 

 

 

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なにはともあれ『鎌倉三代記』、本当によかった。

いずれの方もいままでの成果を存分に発揮しつつ、通常からはワンランク上の役を懸命に勤めておられるお姿に感動した。こういう純粋性はやはり普通の世の中には滅多に存在しなくて、私も40代50代、そして60代になったとき、こんなにピュアに何かを頑張ることができるのだろうかと思う。これは文楽を見ていていつも本当に心底思うこと。なにかひとつのことに一生懸命になるというのは本当にすごいことで、それそのものが才能だと思う。普通はどこかで自分の心に負けて、諦めてしまうと思うもの。

客の立場としては配役の難しさを感じた。配役の難しさっていうか、人材の問題。人形の配役には今回非常に満足していて、高綱=玉志さん、時姫=勘彌さんは本当に嬉しかった。配役発表される前からそうなるだろうなと思っていたけど、その配役に相応しい仕上がりだった。

しかし床は難しい、頑張っておられるのはわかるけど、ガタガタになっている部分も多い。頑張っておられる人もいるのは本当によくわかるので心苦しい。一番言いたいのは、勘彌さんの時姫に見合うレベルで女性役のうまい太夫さんを配役して欲しいということ。女性の切々とした心情描写が出来る人がいまの中堅だといないのだろうか(でも鑑賞教室のほうの寺子屋後の睦さんは相当頑張ってて結果も出ていた、これは書いておかなければならない)。このあとの『伊達娘恋緋鹿子』八百屋内の段に「なんで!?」って感じに津駒さんが出現するが、津駒さんにコッチに回ってもらうわけにはいかなかったのだろうか。いや、津駒さんがここに出ては中堅公演の意味がないのはわかるし、逆に八百屋内の段が超大炎上(八百屋お七だけに)(オヤジギャグ)(ガハハハハ)するのはわかるんだけど、これでは現状の文楽では十分な太夫配役ができないと言わざるを得ない。三味線さんがフォローしてるのはよくわかるけど、時姫に見合う品格を備えた太夫の数が少ないことは不満。

とにかく、うまい人のうまさやベテランがベテランである点は何なのか、逆説的に気づかされる部分も多い『鎌倉三代記』だった。

 

 

 

 

 

 

*1:このへん詳しくは前日譚にあたる『近江源氏先陣館』八段目・盛綱陣屋に描かれているらしい。不幸のはじまりは、盛綱と高綱が鎌倉方、京方へ別れて兄弟で争うことになってしまったことである。兄弟の対立が深まる中、盛綱の子息・小三郎は高綱の子息・小四郎を捕らえ、父盛綱とともに帰陣。盛綱の頼みにより、兄弟の母・微妙は高綱の今後の障りになるとして孫小四郎に切腹を促す。しかし小四郎は母・篝火に会ったことで切腹を拒否。ところがそこに高綱討死の知らせと首が届き、盛綱はその首を実検させられることになる。小四郎は首は父であるとして切腹、しかし首は高綱ではない。盛綱は高綱父子の計略を察知し、実子を見殺しにしてまで頼家への忠義立てをした高綱を慮り、偽首を高綱であると証言して意図的に首実検を仕損じる。盛綱は主君時政を裏切ったとして切腹しようとするが、盛綱陣屋の段階では和田兵衛が盛綱の切腹を引き止めて終わる。しかし本曲ではその後盛綱は結局切腹したという設定になっており、盛綱の「不忠」の真相を知る小三郎が父の不名誉を晴らすべく高綱の首を討ちにやって来たというエピソードなのである。両曲は『緋牡丹博徒 花札勝負』と『緋牡丹博徒 お竜参上』のように話が続いているわけなのだが……、『近江源氏先陣館』、『鎌倉三代記』以上に話が狂いすぎていてついていけません!!! 来年あたり上演してくれないかな〜。

*2:朝敵を討伐する官軍の証のこと

*3:これも『近江源氏先陣館』にあるエピソードを受けているらしいです。

*4:これも『近江源氏先陣館』を受けているはず。近江源氏では和田兵衛は「四斗兵衛」という駕籠掻き……に化けている設定、らしい。

*5:このあたりちょっとよく読み取れず。違うかも

*6:近江源氏先陣館』盛綱陣屋

*7:阿波の局は顔を下手に向けて、まっすぐそちらを見据えている。

*8:その藤三郎の首というのが『近江源氏先陣館』盛綱陣屋に出てくる偽首。