TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 12月東京公演『鎌倉三代記』国立劇場小劇場

いつもは部ごとに感想を書いているが、『鎌倉三代記』のあらすじをまとめていたらそれだけで1万字を超えてしまったため、12月本公演の記事は『鎌倉三代記』と『伊達娘恋緋鹿子』で分割しようと思う。まずは『鎌倉三代記』から。

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登場人物全員狂人の「ザ☆文楽」って感じの突き抜けた話でおもしろかった。

と、直感的にはそう思うのだが、とくもかくにも設定が難しかった。

大坂夏の陣をモデルに時代を鎌倉時代に移して描かれている話……とのことだが、パーの私はパニックを起こした。なんせ私は大坂夏の陣加藤泰の映画『真田風雲録』でしか知らないのである。あの映画、真田幸村役が千秋実ですから。そんな奴が鎌倉将軍の順番をわかるわけがなく、そこを合体さすのはやめてくれとしか言いようがない。その上いちばんヤバいのは、先行作『近江源氏先陣館』の続編的な設定が多いこと。『近江源氏先陣館』の盛綱陣屋を理解していないと意味不明の展開が結構あって、観たことがない私はそっちも調べなくてはいけなくなってしまい、これがまた話が狂いすぎていて、難しさに心が折れそうになった。

以下、今回の上演部分に至るまでのいきさつを順を追って記述していく。まったく関係のないエピソードも大量混入していてメチャクチャ長いのだが、そこをカットすると高綱がまじもんのサイコパスになってしまうので、高綱のイイところも読んでください。全部読んでもますますもってサイコパスだけど。(参考文献=『日本古典文学大系 浄瑠璃集 下』岩波書店/1959)

  • 鎌倉時代初期、京方・源頼家(頼朝の長男)と鎌倉方・源実朝(同次男)は長い間争っていたが、ついに和睦がなされ、世は太平となった。しかしそれは表面上のことであり、京方は鎌倉方に圧迫されて劣勢であって、両家は一触即発の状況だった。本曲は佐々木高綱を中心に、暗君頼家を戴いたことによって種々の苦境に立たされる京方の家臣たちの動向と、両家の対立に巻き込まれる人々の運命を描いている。
  • 近江の石山寺にある鎌倉方の執権・北条時政の陣所へ京方の若き家臣・三浦之助義村が挨拶にやって来る。時政は挑発に応じない三浦之助の立派な態度に感心し、頼家のような愚かな主君に仕えねばならない彼の身を嘆いたが、三浦之助は心がけが立派だったので「うちの殿様がアホとかそんなことありません☆ぼく満足してます☆」とか言ってサワヤカに帰っていった。
  • 京方・坂本城へ、鎌倉方の上使・松田左近朝光が訪れる。そこへキャーッと走り寄ってきたのは頼家の側室・宇治の方の召使・朝路。この二人は実は密かな恋人同士であった。松田が仕事だから後でと去っていくと、朝路に気のある侫臣・大庭景義がちょっかいを出しにやってくる。しかし間もなく和田兵衛、佐々木高綱といった重臣や三浦之助らが集合してきたので、朝路はコレ幸いと逃げていった。そうこうしているうちに、高綱は門前に13歳くらいのカワイイ少年がいることに気づく。大庭は若輩者がと嫌味を言うが、少年が高綱だけに密かに言いたいことがあるというので、高綱は大場らを先に行かせて少年と二人その場に残る。なぜ高綱が少年をそんなに優遇したかというと、実は少年は高綱のために首実検を仕損じ切腹した兄・盛綱の忘れ形見、佐々木小三郎だったのである*1。小三郎は高綱の首を取り父の不忠を償わんと家伝の刀を抜いて伯父に詰め寄る。高綱はその健気さに涙を流し、兄の恩に報いるため首を捧げたいが今やこの身は我ひとつのものではないとして、騒ぎになる前にと小三郎を一旦家へ帰らせる。
  • やがて無事御評定も終わり、夜も更けた頃。暗闇に紛れて松田左近と朝路が密会しているところへ大庭が忍び寄り、松田の烏帽子の緒を切って大声を上げ、二人の不義の証拠を取り抑えて暴露しようとする。松田はことを恥じて切腹しようとするが、現れた宇治の方が集まってきた伺候ら全員に烏帽子の緒を切らせ、誰が不義者であるかわからなくしてことをおさめる。二人の関係を知っていた宇治の方は朝路に松田の接待を命じて下がらせるのであった。
  • 一方、おさまらないのは和田兵衛である。一見和睦したかに見える両家であったが劣勢の京方には燻りがあり、和田は時政の首を獲るか京方残らず討死かのいちかばちかに賭けて再度の挙兵をと唱えるが、大庭は必ず失敗に終わるだろうとそれに反対し、和田兵衛はその安穏な物言いに腹を立ててその場を立ち去る。高綱は和田の考えは蛮勇であり大庭の意見は執権らしい深慮であると言うが、宇治の方はこのように家臣らが懸命になっていても酒宴にうつつを抜かし評議を怠る頼家を恥じ入るのであった。その場が解散になると、三浦之助は高綱の側近くへ寄り、大場のような自分可愛さに腰の抜けた者にどうして同意したのかと尋ねる。答えて高綱は、それはもっともであるが、現在諸大名たちは時政に帰服しており、こちらは圧倒的な劣勢である。かくなる上は禁中に参内して帝を擁し、時政に攻め込まれたとしてもこちらに刃を向けられないようにした上で、錦の御旗*2をあげて鎌倉方を討伐するよりほかないと語るのだった。
  • それを襖を隔てて聞いていたのは松田左近である。この話を聞いたからには主君時政に報告するしかない。しかし自分は先ほど宇治の方に命を救われたため、注進しては恩を仇で返すことになり、どちらの道もとることができない。かくなる上は切腹するよりないと覚悟する松田。涙ながらに引き止める朝路に、実はこの和睦は見せかけであり、時政は京方を攻めんと軍備を整え鎌倉を出立しようとしていることを宇治の方へ知らせてご恩報じとしてくれと言って、松田は刃を腹へ突き立てようとする。しかしそこに「犬死にするか松田」と高綱の声がかかる。時政が和睦を破ることはわかっていたことであり、松田の口から漏れたことではない。そして松田はこのまま鎌倉へ立ち帰って聞いたことをすべてそのまま時政へ注進して忠孝を尽くし、死ぬならば戦場で死んで松田の家名を立てよと言う高綱。すると松田は一通の手紙を高綱に渡す。それは彼の父の遺言状であった。そこにはこう書かれていた。松田家は源譜代の侍であったが、源家が京鎌倉に引き別れたとき、鎌倉方の時政につくことになった。しかし頼朝の恩は忘れがたく、和睦が破られたときには左近は京方へ馳せ参じ、忠勤を尽くせと。松田は亡父の言に従いたいと京方へつくことを願い出るも、高綱は魂の座らぬ侍はいらぬと退ける。松田はもはやこれまでと朝路に矢を射ろうとし、朝路も覚悟を決めるが、その心底見えたとして高綱はその矢を掴み取り、松田を家臣に加える。そこに宇治の方がやって来て、頼家は高綱の考えを受け入れ参内する旨を告げる。一同は出立の準備に喜色を示し、松田もついていこうとするが、高綱は松田は一旦鎌倉へ戻って敵方の様子を偵察せよと命じる。そして朝路には「不義の科で暇を遣わす」として、「好いた者と添うがよい」と松田とともに鎌倉へ出立させるのであった。高綱、いい人〜。
  • 頼家一行が内裏へ向かう途中、突然飛んできた手裏剣がその駕籠に刺さる。手裏剣に心当たりを察した高綱は、泥酔して寝ていた頼家の無事を確認するとそのまま出立させようとするが、大庭は曲者の実否を糺すべきだと騒ぎ立てる。ところが三浦之助が引っ立ててきたその「狼藉者」は大庭の組下の者であった。大庭は追求せねばままならぬと言って出発を急ぐ高綱と対立する。そうこうしているうちに、時政が先んじて禁中へ到着したという知らせが入り、高綱と三浦之助は無念の涙を飲むのであった。
  • その深夜、ひとりの女が坂本城へ現れる。女は小三郎の母・早瀬であった。子を探し求め夜闇に迷う早瀬の前に高綱が姿を見せ、“死骸”をくれてやると言って小三郎を突き出す。実は先ほど頼家の供先を汚したのは小三郎であり、三浦之助がとっさの機転で偽の狼藉者を立てて彼をかばい、挟箱に隠して連れ帰っていたのである。高綱はそのまま立ち去るが、早瀬は小三郎を縛っていた布がかつて時政が和田兵衛によって奪われた鎌倉の軍旗であることに気づく*3。小三郎がこの旗を奪い返したとして武功を立てよという高綱の厚情であった。二人が喜んでいると、大庭の組下がめざとく二人を見つけて斬りかかってくる。しかし小三郎はもとより早瀬も武士の妻、二人して押し寄せる軍兵たちを皆殺しにして鎌倉へ帰っていくのだった(ダイナミック)。
  • ここは和田兵衛の屋敷。和田の妻・牧の戸の指南で女中たちが組打ちの稽古をしているところに不機嫌MAXの和田が帰ってくる。頼家や高綱の不甲斐なさにブチ切れている和田はこれなら駕籠掻きでいたほうがマシだった、あのときの衣服を出してこいと妻に言いつける*4。駕籠掻きの格好になってどっかと座った和田は、武士は辞めたっ!駕籠掻きではお前らを雇ってられんから解散解散〜!と言い出すので、奴たちは突然の失業に大困惑。しかし和田が弓矢を売り払って退職金を出すとしたので一同は安心し、皆で酒盛りがはじまる。そうして一同総出でドンチャン騒ぎをしているところへ宇治の方が訪ねてくる。牧の戸は大の字になって爆睡している和田を揺り起こそうとするが夫は起きない。いくら酔っていても和田の忠節は乱れることはないとして、いままでの働きに深く感謝する宇治の方は和田に坂本城へ戻って欲しいと懇願するが、和田は大庭のような侫臣を取り立てる頼家のもとへは戻れないと断固拒否。宇治の方はそれなら彼の子息を二代目の和田兵衛として寄こして欲しいと重ねて頼み込むも、和田は子どもなどいないと言う。将来の見込みのない頼家には仕えさせず鎌倉方へ行かせるつもりかと恨み言を言う宇治の方に、和田は子どもがあるならこの場でひねり殺すと返す。宇治の方はその潔い武士ぶりを見込み、頼家の幼い息子・公暁丸を和田夫婦に預ける。
  • そうこうしているうちに玄関が騒がしくなり、鎌倉方の使者が到着する。時政の命により、京方を離れたという和田を迎えにやって来たのである。使者は頼家以上の大禄でもって召し抱えるという時政の言を伝えるが、酔っ払っているかのように見えた和田はその書状を破り割いて使者を追い返す。和田は危機に瀕している者を助けるのも武士の嗜みとして頼家のもとへ戻る意志を固めて公暁丸と主従の固めの盃を交わす。そして和田が駕籠掻きの半纏を脱ぐと、その下は武者出立であった*5。和田は牧の戸に馬を引かせ、公暁丸とともに出陣する。
  • 公暁丸を伴った和田兵衛は志賀の山越えで多数の敵軍に取り囲まれる。和田が奮戦する中、牧の戸が公暁丸を救出し夫と別れて単騎切り抜けるも、辛崎の渚で公暁丸を小舟に隠し追っ手と戦っているうちに小舟が沖へ流されてしまう。牧の戸は嘆くも時遅し、小舟は山おろしに吹かれて沖へと消える。
  • ここは矢橋の村はずれ。一見渡守の住居に見える家は、京方の落人から武具衣装を奪う盗賊の隠れ家であった。女房・お寄が帳面をつけているところに帰ってきたのは、彼女の夫で日本国の海賊の元締とうたわれる摺針太郎左衛門。摺針はいつもの獲物の武具のほか、金になる大事なものだと言って米櫃を運び込むが、お寄は米櫃から子どもの泣き声がするので不思議がる。それを門口からじっと見ていた編笠姿の浪人が子分たちを突きのけて家へ入ってくる。ここは盗人の家で、入ったからには無事帰れると思うなというお寄の言葉に臆さず、浪人は突然多額の小判を投げ出す。浪人が次々に取り出す心付けに盗賊たちは途端に下手に出るが、浪人が米櫃を見せて欲しいというと摺針は態度を翻し、あの米櫃は船頭の命をつなぐものだが、ことによったら見せてもよいと浪人に正体を明かすことを迫る。摺針と浪人は一触即発となるが、村の小使がやってきて庄屋が摺針を呼んでいるという。摺針は米櫃のことは一旦預けるとして庄屋の方へ出かけていき、浪人は奥の間で待つことにするのだった。

  • 夕闇が迫る頃、血刀を杖にした瀕死の女が村はずれに現れる。女はやっとの思いで民家にたどり着くが、それはあの盗賊の隠れ家だった。水を頼まれたお寄がその女の顔を見ると、彼女はなんと妹のお巻、すなわち和田兵衛の妻・牧の戸。何があったと尋ねるお寄だったが、お巻は主君の大事であるとして決して事情を話そうとしない。しかし、牛頭天王の護符を燃やして他言をしないという誓いを立てたお寄の誠心を知り、お巻は夫と別れて公暁丸を守護し逃げ延びるも辛崎の渚で小舟に乗せた若君を見失ってしまったいきさつを涙ながらに語る。お寄は先ほど夫が持ち帰った子どもの泣き声がする米櫃が怪しいと件の米櫃を引き出そうとするが、そこに摺鉢が躍り出て女房を引き退け、子どもは公暁丸に相違ないと錠を捻じ切る。そして中に入っていた子どもをお巻の前に突き出し、お巻が「公暁様」と叫んだ瞬間子どもの首を討ち落とすと、その首を引っ掴み、表に待っていた鎌倉方の家臣に渡すのだった。それを目の当たりにしたお巻は驚きのあまりそのまま死んでしまう。お寄は夫にすがりつき恨み涙を流すが、そこに「公暁君は恙なく和田兵衛が守護仕る」という声がかかる。そこにはなんと公暁丸を抱いた和田が立っていた。お寄は公暁丸の着物がかねてより預かっていた和田夫婦の息子・大三のものであると気づく。実は摺針は和田夫婦と示し合わせて大三と公暁丸を取り換えており、先ほど首を討った子どもというのは大三だったのである。赤ん坊の頃から我が子のように可愛がって育てた大三の変わり果てた姿に嘆き悲しむお寄、摺針もまた大三の首を討つのは心苦しかったが、我が子を公暁君として殺させたとしてお巻の健気さを褒め称える。実はこの摺針太郎左衛門の正体こそ、坂本城の四天王のひとりと言われた小坂部九郎だったのである。すると突然奥の間の障子が開き、長袴に装束を改めた先ほどの浪人が現れる。彼は清和源氏の末裔、対馬冠者義弘だった。驚く摺針夫婦に、かねてより和田に頼まれていた公暁丸を迎えに来たという義弘。彼は公暁丸に御供し、琉球へ向かうという(注:流布の『鎌倉三代記』では義弘らが向かうのは蝦夷が島という設定。おそらく文楽座の底本も同。私が参考文献にしている本の底本はどうも設定が微妙に違うらしく、そのため最後の段で高綱が出立するのも蝦夷が島でなく琉球となっている。)。そしてもし京方が落城することがあれば我が国へ来られよと和田へ日本・明国を自由に往来できる通行手形を渡す。義弘が出立すると間もなく鎌倉の大群が押し寄せてくる。しかし軍兵が隠れ家に踏み込むともぬけの殻。すでに抜け出て裏の汀で小舟に竿をさす摺鉢は、これが小坂部九郎の手柄始めと言って大砲を撃ち、隠れ家を鎌倉勢ごと木っ端微塵にするのだった。

  • [ここから今回の上演に大きく関連する部分]田植えに賑わう近江路の北川村では、百姓の藤三・おくる夫婦が快気祝いの団子を配って挨拶回りをしていた。ちょっと抜けたところのある藤三は昨年の冬、狐に化かされたのか行方不明になって近隣の衆に随分と心配をかけ、なんとか帰ってきて近頃やっと調子が戻ったのである。ところが、肝心のお神酒を忘れた!とおくるが家に戻った間に時政の家臣・富田六郎がやって来て、佐々木高綱に相違ないと言って藤三を引っ立てる。泣き叫ぶ藤三は女房を迎えに寄越してくれと言い残し、鎌倉の陣所へ連れていかれるのだった。

  • 時政の陣所には武者姿に化け周囲を偵察していた高綱の妻・篝火が捕らえられていた。高綱の影武者に何度も騙されていた時政が篝火に藤三郎を実検させると、彼女はこれは間違いなく夫高綱であると言って藤三にすがり泣く。もはや武運尽きたとして自害を勧める篝火に引きまくる藤三だったが、そこへ知らせを受けたおくるが走ってきて、夫は単なる水呑み百姓でまったくの人違いだと言って助命を乞う。息子小四郎を見殺しにする夫の計略に加担した篝火の性根の太さ*6を知る時政は、篝火の実検は偽りであるとして藤三を単なるソックリさんと認め、縄を解いてやる。すると藤三は昨冬の行方不明事件の顛末を語りだす。それによると、畑から戻る最中に多数の侍に取り囲まれてどこぞと知れぬ屋敷へ連れてゆかれ、その旦那らしい男に「ソックリだ」と言われて豪華な振る舞いを受けたが、武芸の稽古がからっきしだったので「顔は似ているが役立たず」と再び街道筋に打ち捨てられたのだという。時政はそれは高綱が藤三を影武者を仕立てようとしたのだと言い、二度と高綱と間違わないようにと彼の額に入墨を施す。

  • そうこうしているうち、時政の家臣たちが主君へこの近隣の絹川村には三浦之助の母が閑居を構えているので、危険を避けるべく鎌倉へ戻ることを進言する。さらにはそのもとに身を寄せる時政の娘・時姫を迎えに参上したとしても、姫が戻ることを受け入れなければ役目の恥であるから、使者には女を立てて欲しいと告げる。それを聞いていた藤三は時政の前に平伏し、時姫の迎えには侍が大勢寄ってたかって行くより百姓の自分が一人で行ったほうが警戒されないだろうから、自分を使って欲しいと申し出る。時政は面白がって藤三に「安達藤三郎」という名を与え、武具を与えて端武者姿に仕立ててやるのだった。調子に乗った藤三は、不義を働いた姫を連れ戻して手打ちにするなら自分の女房にもらいたいと言い出す。仰天したのはおくるで、せっかく助かった命に姫をもらいたいとは何を無茶を言う、っていうかアホな亭主を子どもを育てるように辛抱した私を捨てて世間に顔が立つものかと藤三にすがりつくが、夫は恨み泣きする彼女に目もくれず、慣れない鎧でフラフラしながら絹川村へ向かうのだった。

 

 

 

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長文お読みいただきありがとうございました。「これまでのあらすじ」がこの記事で一番長いよ。とにかく、現行で通し上演できるなら和田兵衛の人形配役は絶対玉也さんだなということだけはよーくわかった。

というところから、今回の本編がやっとはじまる。

局使者の段

三浦之助の母〈吉田和生〉は絹川村に居を構え、病床に伏せている。老いに取り憑かれ病み衰えたその姿は、誰が見ても先は長くないのであった。その閑居に近所の女房・おらち〈吉田簑一郎〉が最近ひとりで村に越してきたという女・おくる〈桐竹紋臣〉を連れて見舞いに来ていた。おらちはおくるへ用事を何でも頼めばいいと言いつつ、生き仏だのナンマイダブだのという不吉な言葉を連発して座を慌てさせる。やがておくるが帰っていくのと入れ替わりに、武家の礼装姿の女二人、讃岐の局〈桐竹紋秀〉・阿波の局〈桐竹紋吉〉が訪ねてくる。彼女らは北条時政の使いであり、敵方の三浦之助を慕って家出した時政の娘・時姫を迎えに来たのであった。二人の局は三浦之助の母に時姫を返してほしいと言うが、姫は自分の嫁であり、暇の状を遣わさないあいだは鎌倉へは帰さないし、姫も帰るつもりはないだろうというすげない返事。そうこうしているうちに、振る舞い酒のお使いに出ていた時姫が帰宅したという声が聞こえる。

幕が開くと舞台にいきなり人形がたくさん立っているデストラップな段。完全に顔立ちがおかしいおらち(「丁稚」のかしらに在所の奥さんの着付)に目が釘付けである。しかし実は「近所の奥さんA」風になにげなく座っていて、しかもすぐ帰ってしまい普通ならここで出番終わりのおくるの方に意味があるのだった……。

三浦之助の母=和生さんは上手の一室から動かない。若武者の母といっても老婆のかしらの人形。近所の衆が来ているあいだは丸めた布団にひじをついて身体を横向きに斜めに倒し、ずっとじっとしている。しかし局たちに話しかけられて以降は武家の奥方らしく、姿勢をなおして背筋をまっすぐにして座りなおし、端正な居住まいになる。抑えた上品な雰囲気が美しく、とくに大きな動きはない中の見応えある芝居。どうでもいいことだが和生さん今回めっちゃ髪型キマッてた。

あとは讃岐の局の紋秀さんが最初に出てくるときの姿勢が綺麗でよかった。あの〜、お使いをつとめる人がよくやってる、袖を腕に巻きつけて掲げるやつ、あれ何て言うのかわからないけれど、その手の形がバランスよく綺麗だった。この次の段の頭、時姫が下手から入ってくる直前、讃岐の局はそちらから顔を背けて正面を向き、目を閉じているのも印象的だった*7。最近船頭とか奴とかのコッテコテの役ばかりだったので、久々にキレイ目の役を拝見できてよかった。

 

 

米洗いの段

時姫〈吉田勘彌〉は恭しく日傘を差しかけられ奴らにかしづかれてはいるが、豆腐と徳利を手に手ぬぐいを姉さん被りにした前掛け姿、取ってつけたような在所の嫁さん風のなりをしていた。二人の局はその姿に仰天しつつ、姫の前にひれ伏し時政の命を伝えるが、彼女はやはり帰らないと言って咳き込む三浦之助の母を甲斐甲斐しく看病する。姫に代わって用立てしようとする局たちに時姫は鎌倉の館とこの在所では「礼儀作法」が違うとして、自分のことは「お時」と呼ぶようにと言い渡し、田舎の奥さんの言葉遣いを教える。三人が慣れない田舎言葉勉強会でおじゃおじゃやっていると、おらちがやって来て夕飯の支度をするように言う。私たちがという二人の局を引き止めて時姫はすりこぎを取り出し、一生懸命山芋(?)をすろうとするが、深窓の姫ゆえままならず、また二人の局も慣れぬ身の上で手伝いができない。見ていられなくなったおらちは片肌を脱いですり鉢を取り上げ、見事山芋をトロットロにすり上げる。そして水汲みもできない新妻・時姫に米の研ぎ方、研ぎ桶から釜への無駄のない移し方、さらには初心者にもできる水加減の方法と、「コメの炊き方」を事細かに伝授してやるのだった。しかし盛り上がっているうちにおらちは振る舞い用の徳利をカラにしてしまったので、彼女はそのままダッシュで酒を買いに去って行った。そうこうしているところへ、三浦之助の母の咳が聞こえる。時姫が看病にと台所を立ち去ったスキに、二人の局は「姫の心の迷いになっている三浦之助の母を刺し殺して、無理矢理にでも鎌倉へ連れ帰ろう」と恐ろしい相談をしはじめる。するとそこへ粗末な姿の雑兵・安達藤三郎〈吉田玉志〉が現れる。こう見えても時政の正式な使いであるという藤三郎は証拠の守り刀を局二人に見せ、局たちがいては邪魔である、ここは自分が解決すると言って二人を一旦この閑居から去らせるのであった。

とにかく時姫の清純な美しさ、可憐さに感動した。日本一可愛い。かわいすぎて号泣。時姫が舞台に出ている時間はかなり長く、 田舎の新妻コスプレ、鎌倉方執権の姫君、甲斐甲斐しい嫁、恋に惑う少女、キモ男に斬りつける気丈娘、そしてさすが武士の子女武士の妻とクルクル表情を変えていくが、もう、全部可愛くて最高。所作が全部おっとり、ちょこんとしていて本当に可愛くて、抱きしめたくなる。ひとつひとつの動きの丁寧さが光っており、無駄がなく美しい。それでいて華美さが抑えられていて、少し純朴さや幼さを感じさせるところもあって、その可憐さは舞台に咲いたスミレの花のようだった。まじ可愛かった。

簑一郎クッキング〜飯の炊き方編〜は最高だった。コメの研ぎ方のザックリさと水切りの的確さのコントラストが素晴らしい。手間なことはやりたくないが、一粒も無駄にせまいという心意気を感じた。研いだ後、桶のヘリに手をペシッと打ち付けてコメと水気を払うのが「わかる」。私には米粒が桶に落ちるのが見えた。山芋のすりっぷりも堂に入っていた。いや、山芋かどうかはわかんないんだけど、味噌やゴマではないな、あの混ぜ方は。あのすり鉢の中にはホワッホワのトロットロにホイップされた山芋が入っているのだと思う。むぎとろご飯が食べたくなった。でも私は簑一郎asおらちほど丁寧な暮らしをしていないので、自然薯の皮をむいておろすのが面倒。時姫にはうちにある無洗米を分けてあげます。とか言って、千穐楽観てご機嫌で帰ってきて、朝食用のシリアルを1kg入りの大袋から保存容器に移そうとしたら3分の1くらいを豪快にシンクにこぼしてしまって「ああああああああああああああもったいないいい〜!!!!!もったいないいいいいいい〜!!!!!!」と叫んでしまった。自己像は娘のかしらにシャラシャラのついた花のかんざしを差して「ナウ悲しや」と嘆く姫のつもりだったのに、眉毛がない丁稚のかしらに片肌脱いでオッパイ丸出しのおらちさんだったとは……。せめて口針ついてるかしらがよかった……。(おらちさんに学び、こぼれたシリアルはシンクから拾って全部保存容器に格納)

料理つながりでいうと、時姫が登場するときにお盆に乗せて掲げ持っている豆腐、めちゃくちゃデカい。人形からすると4丁くらいある。あの家って時姫と三浦之助の母の二人暮らしだよね。二人ともあんま食わなさそうだし、食べきれないでしょ。時姫、深窓の姫すぎてものがわかっていなくて、豆腐屋に騙されてないか? と思った。あと、豆腐の表面の水に濡れたようなテカリがリアルすぎてめちゃくちゃ笑った。時姫の赤い振袖が微妙に写り込んでいるのが最高だった。

安達藤三郎は玉志さん。この時点では正体を現していないので、黄色い小袖にテキトーな厚紙鎧と厚紙笠の安っぽい雑兵の格好をしている。この藤三郎のふりをしている部分がどう軽妙になるのか実は心配だったのだが(何様?)、ちゃんとチャラかった。チョロチョロ、ピョコピョコとした軽くイラっとする動きが可愛らしい。そんなクリクリと小首を動かす小動物のような仕草に加え、身分に似合わず扇子を使った振りが多いのが面白い。最初は白地に赤丸のこぶりな扇を持っていて、それをちょこちょこと開いたり閉じたり。

それにつけても二人の局、「姫が帰ってくれないので、その心残りの原因になっている三浦之助の母を殺そう」とフランクに話しているのはやばい。考えの順序がおかしい。さすが文楽だと思った。

 

 

 

 ■

三浦之助母別れの段

夕暮れ時、鎧姿の若武者・三浦之助〈吉田玉助〉が門口に現れる。三浦之助は幼い頃より頼家に奉公し長い間母とは会っていなかったが、その母が病で先が長くないと聞きつけてとりもなおさず訪ねてきたのである。母の居どころにたどり着いた安心で三浦之助は軒先に倒れ臥すが、その姿を認めた時姫が慌てて抱き起こし介抱する。しかしそんな時姫に三浦之助はつれない態度を取るのだった。老母に三浦之助が訪ねて来たと知らせる時姫だったが、母は三浦之助には坂本城へ奉公させたとき親はすでに無いものと言い聞かせたはずと障子を決して開けさせない。三浦之助は不孝を恥じ、戦場で功名を上げて凱旋するとして立ち去ろうとするが、時姫は三浦之助が討死を覚悟していることを察し、母はもう先が長くない、せめて一夜だけでもここに残り、母の臨終を看取ってからと必死で引き止める。三浦之助も思い返し、母の咳の声に、この家にしばらくとどまることにする。

 

ここには時姫が倒れ伏した三浦之助に気付薬を口移しで飲ませる部分がある。湯のみに入れた薬を姫が口に含んだ時、「え?これは口移しする気?人形でどう表現すんのかな?」と思ったのだが、3日目に見た段階では三浦之助の顔のだいぶ上からだばーっとかけてる状態で、「わたし、こんなことやったことありませんっ><」って感じ丸出しで「うちの娘は絶対処女だと思っているお父さん@文楽」の私は「余は満足じゃ」と思ったのだが、最後のほうの日程で見たら振袖でうまく顔を隠して口移ししており(ただしくっつけていないことはわかる、しかし後半日程になるに従ってどんどんくっついていくんです!!!)、演技の向上に関心するとともに我が心のお父さん大号泣であった。

 

 

 

高綱物語の段

深夜。抜き足差し足で庭先へやって来たのは刀を携えた二人の局であった。そこに突然井戸の中からビョインと出てきたのは藤三郎のお目付役として時政から遣わされた富田六郎〈吉田文哉〉。井戸は鎌倉方の秘密の抜け道になっていたのである。三人が老母ばかりか三浦之助まで討ち取るチャンスと話していると、突然おくるが現れる。驚く一同に、おくるは自らは藤三郎の妻であり、あらかじめ村に入り込んでいた間者であると名乗って富田を裏口へ案内する。
家の中では時姫が藤三郎から渡された守り刀を抱き、独り物思いに沈んでいた。そこへヒョコヒョコといやらしく忍び寄ってきた藤三郎は姫の手を取るが、時姫はそれを振り払って鎌倉へ帰ることを拒否。どうせすぐに三浦之助は首がコロリとなるし、時政から姫を女房にもらう許可も得ていると言う藤三郎は時姫の袖を取って膝に頬ずりするも、怒った姫は守り刀を抜く。間一髪で切っ先を避けて軽口を叩く彼に姫がなおも斬りかかろうとするので、藤三郎はぴょんぴょん逃げていった。
ふたたび独りになった時姫は、この守り刀は「三浦之助と縁を切り、母を殺して鎌倉へ帰れ」という父の言葉であると悟っていた。姫は三浦之助以外に添うつもりはないとして、刃を喉に当て自害を企てる。しかしそこに三浦之助が現れ、時姫の心底が見えたとして妻にするという。そして、夫の敵として父時政を討つことを姫に迫るのだった。姫はそれを承諾するが、それを影から聞いていた富田が鎌倉にこのことを注進するとして抜け道の井戸に飛び込もうとする。ところがそのとき、井戸から槍が突き出て富田は刺し殺されてしまう。井戸の中から現れたのは安達藤三郎……その正体は京方の総大将・佐々木高綱であった。高綱は自らに瓜二つだった百姓・藤三郎を偽首に仕立ててて入れ替わり*8、彼の妻・おくると申し合わせて「高綱のニセモノ」として時政に取り入り、ニセモノの「お墨付き」の刺青を得て今日まで雌伏していたのだ。そして三浦之助と示し合わせ、時政の娘時姫を最高の刺客として仕立て上げることに成功したのである。時姫は京方の運が開くならば討死を思いとどまって欲しいと三浦之助に懇願するが、彼が鎧をくつろげるとその肌着は血に染まっていた。三浦之助の死はもう間近だったのである。高綱は三浦之助討死の暁にはこの藤三郎が首を取り、それを土産に時政へ接近すると語り、三浦之助もそれを喜ぶ。その様子に時姫は覚悟を決め、父を討って夫に奉じるとして槍を手にする。一同の話を聞いていた三浦之助の母はその切っ先を引き取り、自らの腹へ突き立てる。三浦之助のために実父を裏切る姫への義理立てであった。母は姫にいままでの感謝の意を示し、三浦之助とその妻・時姫とのあの世での再会を誓う。
やがて夜明けが間近となり、高綱は鎌倉勢が坂本城へ迫っていることを察する。松の木の上から時政の大軍を確認した高綱は、いまこそ決戦の時として三浦之助とともに出陣するのであった。

思い沈む時姫に近づく藤三郎の抜き足差し足のキモさが光っていた。異様に下のほうから姫の顔を覗き込み、グヘヘと笑う仕草がゲスくてキモい。いや違うか、芸風自体に清潔感があるので、キモいというか「チャラい」をキープしている。そして袖越し(?)に姫へ抱きつくセクハラが堂に入っていた。先月の桂川ではお絹へのセクハラがあまりに直線的すぎて心配になった玉志サンだが、今月は物慣れていて、よかった。そのあと時姫がいきなり居合抜き状態で斬りつけてくるのをギリで避けるのもナイス。勘彌さんがあまりにキワドイところを狙ってくるのか、それとも派手に避けたほうが見栄えがするという舞台効果を狙っているのか、後半日程ではその避けがすんごい大振りになって、逃げ去る勢いが増していた。刀を抜く直前の勘彌さんの目は超マジで最高だった。

藤三郎はここでも扇を用いた所作が多く、「♪時姫を取り返して戻ったならば」という芝居がかりのセリフというか、謡がかりの義太夫に合わせて、どんどん崩れていくナンチャッテ仕舞?を舞う、人を食った動作もキュート。最後に扇をポインと大きく投げ捨てるのも可愛いですね。

そんな藤三郎の演技と高綱の正体の顕したときのメリハリが大変によかった。藤三郎の段階では人形の小ぶりさをうつしたように動きも軽く、ぴょこぴょこと子リスのように可愛らしく動き回るが、高綱になると雰囲気が大きく変わり、美しく凛々しい武将になる。高綱は服装自体は軽装なので、みずみずしい雰囲気が似合っていて本当によかった。しかしながら一番驚いたのは、物語のところがいままでより骨太な描写になっていたこと。どこがどうなったからそういう印象に見えた、というのはうまく言えないんだけど、凛々しい印象はそのままに芯が太く、ずんと重量が出て筋骨がしっかりしたように思う。千穐楽の物語は本当に勇壮絢爛で感動した。3日目に観たときとは全然違った。ここまでのものを拝見できるとは思っていなかった。12月公演の短い会期中にここまで劇的に向上されるとは、本当に心底驚いた。

高綱の人形の印象でいえばもうひとつ、松の物見のところ。これは流麗な所作が本当に美しかった。去年12月のひらかな盛衰記の樋口、今年6月の絵本太功記・光秀、そしてこの高綱と、松の物見をする座頭役3役すべてを玉志さんが取れたこと自体が私はとても嬉しいんだけど、当然というべきか、いままで見た中で今回がいちばん堂に入っていた。物見では、船底に降りて三味線が木登りのメリヤスに切り替わり、一回上手側へ行ってから下手へ向き直り、移動しなおす。下手へ歩き出す直前に、若干前のめりになって横向きの状態で両手をT字型に大きく広げる所作がありますよね。あの姿勢がとても綺麗でよかった。もちろん、左遣いさんが上手い人でないと綺麗に決まらない演技だと思う。それ含めて本当に立派な高綱。ひとつひとつの動作のつなぎがなめらかで美しい。そして、木に登る動作のスムーズさが昨年の樋口のときより大幅アップしていたのがナイスだった。

とにかく高綱の人形には非常に満足しました。伝統芸能の中にだけ存在するカラリとした男性美が表現されていたと思います。玉志さんは今年一年本当に素晴らしかった。京極内匠、光秀、高綱役を経て、去年の玉志さんとは全然違うと思う。

 

脇役だけどよく見ていると面白いのが謎の女・おくる。登場するたびに立場が変わり「実は」と切り出してくる変わり身が面白いのだが、高綱物語での述懐が一番の見せ場。とはいえ派手な演技があるわけでもない。ちょっとした動きを拾って見るのがおもしろいのだ。高綱の話を受け、おくるが夫と最後に別れたときの話をして泣き伏すが、そのあと時姫がそれを引き受けて三浦之助に討死を止まってほしいと懇願する。このとき、おくるが姫たちのほうを見て自分が語っていたときよりも悲しげな様子を見せるのが不思議だったが、おくるは、時姫もまた自分と同じように、わかっていて夫を弓矢の道のうちに死なせざるを得ない身の上として共感しているのかしらん。おくるは自分の夫が死んだことはもう終わったことで諦めてはいるが、若い姫がこれからおなじ道をたどるのがかわいそうなのか……。義太夫もここを妙につなげて流しているのがわかりづらっ!おくると時姫って身分全く違うはずなのに、人形を見ないとどっちが喋ってんのかわかんねえ!と思っていたが、わざとやっているということ? 登場人物全員狂人の七段目のうち、一番自分の境遇に納得できないのが一般人なのに武家の争いに巻き込まれたおくるだと思うが、よく高綱に従ったなと思う。時姫くらい短絡的に気性が荒かったら高綱を刺しているはず。そこは普通の奥さんの弱さ。が、紋臣さんは抑えた雰囲気で端正にこなされていて、美しかった。今年の本公演で一番良い役で、嬉しかった。(突然のピュアネス個人の感想)

ところで三浦之助はかなりのマザコンではないだろうか。このあたりの説得力には出演者の問題もあるかもしれないが、正直ぴんと来ずそこまでのことか?と感じた。『絵本太功記』の十次郎なんか三浦之助より若く見えるけど、あいつ、大人だな。三浦之助のように母(操)とずっと離れていたわけじゃないからかもしれないけど……。しかし申し訳ないが、三浦之助が時姫とカップル役に見えないのは厳しい。いかんともしがたい実力差か、それともお互い合わせるつもりがないのか。現況では勘彌さんと釣り合う若武者役ができる人がいないのかなと思った。

 

 

 

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なにはともあれ『鎌倉三代記』、本当によかった。

いずれの方もいままでの成果を存分に発揮しつつ、通常からはワンランク上の役を懸命に勤めておられるお姿に感動した。こういう純粋性はやはり普通の世の中には滅多に存在しなくて、私も40代50代、そして60代になったとき、こんなにピュアに何かを頑張ることができるのだろうかと思う。これは文楽を見ていていつも本当に心底思うこと。なにかひとつのことに一生懸命になるというのは本当にすごいことで、それそのものが才能だと思う。普通はどこかで自分の心に負けて、諦めてしまうと思うもの。

客の立場としては配役の難しさを感じた。配役の難しさっていうか、人材の問題。人形の配役には今回非常に満足していて、高綱=玉志さん、時姫=勘彌さんは本当に嬉しかった。配役発表される前からそうなるだろうなと思っていたけど、その配役に相応しい仕上がりだった。

しかし床は難しい、頑張っておられるのはわかるけど、ガタガタになっている部分も多い。頑張っておられる人もいるのは本当によくわかるので心苦しい。一番言いたいのは、勘彌さんの時姫に見合うレベルで女性役のうまい太夫さんを配役して欲しいということ。女性の切々とした心情描写が出来る人がいまの中堅だといないのだろうか(でも鑑賞教室のほうの寺子屋後の睦さんは相当頑張ってて結果も出ていた、これは書いておかなければならない)。このあとの『伊達娘恋緋鹿子』八百屋内の段に「なんで!?」って感じに津駒さんが出現するが、津駒さんにコッチに回ってもらうわけにはいかなかったのだろうか。いや、津駒さんがここに出ては中堅公演の意味がないのはわかるし、逆に八百屋内の段が超大炎上(八百屋お七だけに)(オヤジギャグ)(ガハハハハ)するのはわかるんだけど、これでは現状の文楽では十分な太夫配役ができないと言わざるを得ない。三味線さんがフォローしてるのはよくわかるけど、時姫に見合う品格を備えた太夫の数が少ないことは不満。

とにかく、うまい人のうまさやベテランがベテランである点は何なのか、逆説的に気づかされる部分も多い『鎌倉三代記』だった。

 

 

 

 

 

 

*1:このへん詳しくは前日譚にあたる『近江源氏先陣館』八段目・盛綱陣屋に描かれているらしい。不幸のはじまりは、盛綱と高綱が鎌倉方、京方へ別れて兄弟で争うことになってしまったことである。兄弟の対立が深まる中、盛綱の子息・小三郎は高綱の子息・小四郎を捕らえ、父盛綱とともに帰陣。盛綱の頼みにより、兄弟の母・微妙は高綱の今後の障りになるとして孫小四郎に切腹を促す。しかし小四郎は母・篝火に会ったことで切腹を拒否。ところがそこに高綱討死の知らせと首が届き、盛綱はその首を実検させられることになる。小四郎は首は父であるとして切腹、しかし首は高綱ではない。盛綱は高綱父子の計略を察知し、実子を見殺しにしてまで頼家への忠義立てをした高綱を慮り、偽首を高綱であると証言して意図的に首実検を仕損じる。盛綱は主君時政を裏切ったとして切腹しようとするが、盛綱陣屋の段階では和田兵衛が盛綱の切腹を引き止めて終わる。しかし本曲ではその後盛綱は結局切腹したという設定になっており、盛綱の「不忠」の真相を知る小三郎が父の不名誉を晴らすべく高綱の首を討ちにやって来たというエピソードなのである。両曲は『緋牡丹博徒 花札勝負』と『緋牡丹博徒 お竜参上』のように話が続いているわけなのだが……、『近江源氏先陣館』、『鎌倉三代記』以上に話が狂いすぎていてついていけません!!! 来年あたり上演してくれないかな〜。

*2:朝敵を討伐する官軍の証のこと

*3:これも『近江源氏先陣館』にあるエピソードを受けているらしいです。

*4:これも『近江源氏先陣館』を受けているはず。近江源氏では和田兵衛は「四斗兵衛」という駕籠掻き……に化けている設定、らしい。

*5:このあたりちょっとよく読み取れず。違うかも

*6:近江源氏先陣館』盛綱陣屋

*7:阿波の局は顔を下手に向けて、まっすぐそちらを見据えている。

*8:その藤三郎の首というのが『近江源氏先陣館』盛綱陣屋に出てくる偽首。

文楽 11月大阪公演『鶊山姫捨松』『女殺油地獄』国立文楽劇場

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鶊山姫捨松。漢字が読めない。ひばりやま・ひめすての・まつ。

これも事前に全段を読む予習をした。「中将姫雪責の段」に至るあらすじは以下のようなものだった。(参考文献:叢書江戸文庫11『豊竹座浄瑠璃集 二』校訂=白瀬浩司、河合祐子/国書刊行会/1990)

  • 女帝・称徳天皇の御代を舞台とした皇位継承権争いの時代物。称徳天皇は甥・大炊の君への譲位を考えていたが、帝を女と侮る長戸王子は子息・春日丸を皇位にと狙っている。人々は称徳天皇派vs長戸王子派に別れ、キーアイテム「謎の仏像」を軸に物語が展開する。
  • 淡路島へ流れ着いた謎の仏像。百姓・磯太夫が持参したその像の正体を巡り、内裏で詮議が行われる。像が正統の観音像であるか外道の像であるかで皇位継承を争う二派が対立。そこで横萩右大臣豊成の息女・中将姫が信心深さから像の判定を依頼される。姫は瑞夢に見た千手観音であると語り、像は彼女に預けられることに。称徳天皇は磯太夫に淡路島へ流されている大炊の君のことを頼み、磯太夫はこれを合点承知之助して帰っていった。
  • 称徳天皇派の豊成は、家臣・春時と八郎に命じ、密かに淡路島へ大炊の君を迎えに行かせる。一方、長戸王子は藤原広嗣と豊成の後妻・岩根御前と密議を行なっていた。実は岩根御前は以前は春日丸の乳母であり、今も長戸王子と通じていた。彼女は一種のスパイだったのである。中将姫が預かっている観音像は実は正統のもので、称徳天皇を邪法によって呪詛しようとする長戸王子はその像が呪術の妨げになるとして、岩根御前に像を盗ませようとする(だから内裏でアレは邪法の像だ、玉座から遠ざけろって言い張ったのね)。
  • 淡路島へ到着した晴時と八郎は大炊の君を探すうち、彼を慕う磯太夫の娘・おこなと出会う。同時に、長戸王子による「大炊の君を殺せ」との廻文状が村の庄屋のもとへ届くが、磯太夫・おこな父娘の機転によってすんでのところで大炊の君を救出。しかし磯太夫はそのために命を落とし、晴時がおこなを養女として預かることになって、晴時・八郎は大炊の君とともに帰洛する。
  • [ここから今回上演の三段目]豊成の下屋敷では、八郎の妻で中将姫の腰元・桐の谷が豊成お気に入りの若党・林平から暇乞いをされていた。すると中将姫が現れ、突然林平に恋心を打ち明けて最後に一夜語らいたいと寝所へ引き入れる。入れ替わりに、林平の隠し妻が屋敷の庭先へやって来る。桐の谷は彼女に夫は姫と睦んでいると吹き込み、不義がバレておおごとになる前に夫婦だけが知る秘密を書いて手紙にして渡せば気持ちも冷めて帰って来るだろうと煽る。林平の女房から預かった手紙を手に姫の寝所へ踏み込む桐の谷。手紙には「観音像の儀につき急用あり」と書かれていた。実は中将姫が称徳天皇から預かった仏像は何者かによって盗まれており、桐の谷はその行方を追っていたのである。姫の恋も、林平を犯人と見た桐の谷が打たせた芝居だった。実は林平の女房というのは、つい先頃まで長戸王子に仕えていた腰元・更科であり、林平はそこに出入りする膏薬売りであったのだ。その密通を岩根御前に発見されて一派の悪事に加担させられ、二人は右大臣家に入り込んで観音像を盗んでいたのだ。「夫婦の秘密」とはその観音像のことだったのである。林平は切腹し、観音像は王子側に渡っている旨を告げて果てる。
  • 桐の谷は真実を豊成に報告しようとするが、中将姫は義母岩根御前を庇って引き留める。しかし今日は観音像の行方詮議の期限で、姫は紛失の罪により座敷牢に入ることに。林平の不審な死から事の露見を恐れる岩根御前は姫を問いただすが、姫は自分が無体な恋を仕掛けそれを聞き入れなかったゆえ、桐の谷が林平を切腹させたとシラを切り続ける。
  • そのうち晴時の妻・浮舟が姿を見せる。彼女もまた中将姫の腰元で、夫が淡路島から連れ帰った磯太夫の娘おこなを「千寿」と名を改めさせて伴っていた。千寿は桐の谷が姫の腰元から何か手紙を受け取るのを目撃する。浮舟の参上を知ってやって来た岩根御前は素直な言動の千寿を気に入り、侍女として貰い受けることに。そして姫の不義のために林平は桐の谷に始末されたと浮舟に吹き込んで、姫と桐の谷の罪深さを彼女に植え付けるのであった。

 ……というところからの、中将姫雪責の段。

岩根御前に気に入られている浮舟〈桐竹紋臣〉と中将姫に忠実な桐の谷〈吉田一輔〉は、姫の不義の真偽を巡って激しい争いになる*1。そこへ藤原広嗣到着の声が聞こえ、岩根御前〈吉田文司〉が姿を見せる。岩根御前は桐の谷を追い払い、浮舟を自らの部屋へ下がらせた。やがて広嗣〈桐竹亀次〉が座敷に入ってくる。広嗣は表向きは観音像詮議の使者であったが、実は観音像を王子が盗ませた一件が姫に知られることとなった事態へのもみ消しの相談に来たのだ。岩根御前は夫が自分の裏切りを察知したのではないか、また姫が事実を告げてしまうのではないかと恐れていたが、広嗣は姫をこの大雪に紛れて折檻すれば寒さで死ぬか、さもなくば発狂して豊成へ真実を割ることもあるまいという。その言葉を聞いた岩根御前は、奴二人〈吉田文哉・桐竹紋秀〉に命じて中将姫〈吉田簑助〉を雪降り積もる中庭に引き出させる。

降りしきる雪の中、岩根御前は中将姫に像の行方を人面獣心で詮議する。しかし姫は近いうちに必ず取り戻すと言うばかり。奴たちはしきりに姫を打ち据えるが、姫はお経の読誦を乞うだけだった。桐の谷が庭の木戸の前に現れて何故真実を言わないのかと嘆くが、姫は決して口を割らない。姫が先ほど桐の谷へ届けさせた手紙は、観音像の行方の口止めを頼むものだった。桐の谷は姫を哀れみ、せめてこれで雪を避けてほしいと打掛を脱いで投げ入れる。様子を見ていた岩根御前は自ら庭へ降り立ち、姫の髻を掴んで引き回し激しく折檻する。見ていられなくなった桐の谷はついに庭に飛び込んで割れ竹を奪い取り、岩根御前に向かって振り上げる。主に向かってと嘲笑する岩根御前、動けない桐の谷。奴たちはさすがにドン引きして逃げてしまう。広嗣の呼び声によって浮舟が現れ、桐の谷の割れ竹を奪い彼女を打擲しようとする。しかし間に割って入った中将姫が誤って打たれ、その場に倒れ伏してしまう。姫の息が絶えたと浮舟が騒ぐと、岩根御前と広嗣は焦って姿を隠す。

庭には浮舟、桐の谷、そして倒れ伏した中将姫が取り残された。桐の谷が浮舟に食ってかかると、浮舟は芝居はもうよいと言う。実はこれは腰元二人が仕組んだ芝居で、桐の谷と浮舟は不仲を装って岩根御前を謀り、姫に死んだふりをさせて危険な屋敷から連れ出す手筈になっていたのだった。二人がキョトつく姫を抱き起こしていると、「待て」の声がかかる。奥から姿を見せたのは姫の父・右大臣豊成〈吉田玉男〉であった。腰元二人は慌てて打掛で姫の姿を隠す。すべてを承知していた豊成は、帝を守るために姫の境遇を見て見ぬふりをせざるを得なかった苦しい胸の内を述懐し、“姫の遺骸”を鶊山へ隠して欲しいと桐の谷と浮舟へ依願した。その言葉を聞いた姫は打掛の陰から父に手を合わせ、西方浄土での再会を約束する。こうして中将姫は二人の腰元に助けられ、鶊山へと逃げ延びていくのであった。

みんなの姫ふたりが❤️❤️キャットファイト❤️❤️❤️という衝撃の幕開けではじまる段。かわいすぎてどうしようかと思った。浮舟と桐の谷は打掛を脱いで庭へ降り、折り取った花の枝やら雪の掛け合いやらで喧嘩をはじめる。腰元といっても二人は帯をリボン結びにしているような娘の腰元ではなくて、浮舟・桐の谷ともにかしらは老女方で衣装も落ち着いた色味なんだけど、人形遣いが娘役のお二人だからか(プラス、二人とも若めのはず、旦那二人が二十代設定なんで)、原作を読んで思っていたよりキャイキャイしていて、芝居らしく華やかでかわいらしかった。最後に岩根御前が登場するところで二人が広げる巻物が何なのかわからなかったが、今回上演されない部分で姫が桐の谷に渡す手紙なのかしらん。原文を読んだ記憶が揮発したためわからない。とにかくものすんごい長文だった。

中将姫は簑助さん。か、かわいい。わかっていたけどかわいい。なんという気高いかわいらしさ。ちいさな人形が輝いている。中将姫って、原文全段を読むとあまりに健気な悲劇のヒロイン設定すぎて、嘘くさい。率直なエゲツない言葉で言うと、かなり鼻につくキャラ。霊感少女風に初登場する場面など、ドン引きしてしまった。目の前にいたら、私、岩根御前以上にいびり倒してしまいそう。しかし簑助さんの遣う中将姫を見たら、「うん、健気な悲劇のヒロイン😭😭😭😭😭」とメチャクチャ納得した。あの中将姫の清浄さは人形浄瑠璃、ひいては簑助さんにしか表現できない透明感だった。氷や水晶のような、どこかに強さを感じる澄んだ美しさだった。

中将姫は始終かわいいのだが、一番かわいかったのは最後、父とのこの世の別れに、打掛の裾から顔を出し、豊成の後ろ姿を拝むところ。からだを低くかがめて(はじめは打掛の上から覗こうとするのだが、ラストシーンは自分を思いやる腰元たちに気を使ってるのかな)、一心にフルフルと父の姿を見つめる淡く可憐な姿が目に焼きついて離れない。客席からはやや背後姿勢になるのがより情感を高める。

なにはともあれ、中将姫・桐の谷・浮舟と、この秋最高の可憐さかわいさ麗しさがギュッと密集しているのを拝めて最高だった。みなさんほんと薫るようにかわいかった。

 

しかし後半は個人的に超やばかった。人形の見えが。中将姫が折檻される場面は下手中央までの半分が中庭、ごく上手に座敷が張り出しているという大道具配置になるのだが、ラストシーンはその座敷の奥に豊成が出てくるため、桐の谷・中将姫・浮舟が/(スラッシュ)状に並んで彼に向き合い上手を向く。この並びが危険で、私の席はかなり下手だったため、一番手前側にいる桐の谷役の一輔さんの背中しか見えず、「一輔……、背中の広い男……(ポッ)」状態。中将姫も簑助さんも浮舟も紋臣さんも小柄なので一輔さんの陰、豊成もかなり上手にいるので、時々袖をフサフサしているのがわかるのみ。私が見たい人が全員よく見えない。ヒー。幸い今公演は第二部を2回分取っていて、2回目は中央付近の席だったので幸いよく見えたが、1回分しか取っていなかったら無念のあまり自害して文楽劇場に現れる地縛霊となりことの次第を末永く浄瑠璃に語られてしまうところだった。公演日も残り3日ですが、いまからチケットを買われる方はほんま注意して下さい。

 

 

 

女殺油地獄

徳庵堤の段。三輪さんの朗らかな美しい語りでの幕開け。春の柔らかくのどかな雰囲気と、野崎詣りのささやかでラフな楽しさが舞台に満ちている。お吉役の和生さんが姉娘をともなって茶屋の床机で一休みしている。そこへ不良仲間と連れだった勘十郎さんの与兵衛が下手小幕から入ってくる。

……勘十郎さんの与兵衛はまじヤンキーだった。少し酔ったような足取り、据わった目つきで舞台に入ってきて、そのあともずっと「ワル」。根元から根性がひん曲がった、浅薄な若い男である。

このとき突然わかった。2月の東京公演で、与兵衛役の玉男さんが何をやりたかったのか。なぜあんなに初週不安定だったのか。なぜインタビューで「愛のある人やと思います」と言ったのかを。

「与兵衛」という人物に対する解釈がまったく違う。あれはご自分なりの与兵衛像を描きたかったんだなとよくわかった。2月に玉男さんの与兵衛を最初に見たとき、「青い茎」という印象を受けた。美しく若い色をしていてまっすぐであるが、筋ばっていて噛み締めると苦い、そういうイメージ。徳庵堤で不良仲間に混じり悪態をつきながらもどこか本心がなさげな、まわりから浮いた姿。河内屋で父母に叱られ、座敷を叩き出されて土間の柱にもたれかかる所在なげで寂しげな仕草が心に残っている。

私の心に浮かんだのは、舛田利雄監督の映画『「無頼」より 大幹部』の渡哲也だった。ここから日活時代の渡哲也トークをはじめると3時間語ってしまうので手短にいきますが、この映画はいわゆる「ヤクザ映画」である。といっても、渡哲也はみずから望んで「ヤクザ」になったわけではない。彼は社会から疎外された若者で、ヤクザであることは不本意であるが、そこから抜け出すことができず、社会のドブ底で苦しみ続ける。日活の昏い青春映画の主人公である社会から孤立した青年は、本人は本当はピュアなのだが、内向的な純粋さが災いして社会に馴染めず、結果的に世間から後ろ指をさされるような立場に陥り、また若さゆえに甘いところや無知なところがあるので、そこから抜け出せなくなる。そして誰も彼の気持ちを理解することができず、彼もまた自分の気持ちを表現するすべを持たないため、事態はどんどん最悪の方向に転がっていく。この路線で最も輝いていたのは渡哲也であり、また、川地民夫もこの手の役は絶品であった。私は2月の与兵衛に、あの日活映画の青年たちのような、自らを表現できないがゆえにどんどん「社会」から疎外され道を踏み外してゆく、若さゆえの過ちというにはあまりに哀れで凄惨な若者の姿をみていたのだ。そういえば「無頼」シリーズのクライマックスの乱闘はかなりリアリスティックな表現の殺陣で、ヘドロの積もった排水路の中であったり、ペンキが一面にこぼれた倉庫であったり、この『女殺油地獄』の油まみれの土間のような場所であることが多かったな……。あの足場の悪さは渡哲也の泥沼の苦境を表現しているのだろうけど、奇妙な符合である。

ウウ……渡哲也かわいかわいそう……。と思わず日活映画に深く思いを馳せてしまったが、今回勘十郎さんの与兵衛を観たことによって、玉男さんは与兵衛の人物像をご自身で掘り下げて、繊細でリアリスティックな、モダンな解釈をしていたんだなと思った。

勘十郎さんはそういった観客の精神をそばだたせるノイズを消した、オーセンティックな極道息子。河内屋での始終の悪態、ふてくされぶりなど、ここまでベタベタなピュアネス極道息子、ひさしぶりに観たっ!と思った。おそらく、こっちのほうが「普通」なのだと思う。手堅い路線だけど、それが安っぽくなったり、陳腐にならないのが、いい。ベタぶりに鋭利さがあり、心の暗黒が滲んで、黒曜石がきらめいているよう。プログラムピクチャーで、山崎努とか仲代達矢が悪役をつとめたときのようだった。

最後の油屋の段での殺しの場面など、勘十郎さんと玉男さんでは全然違った。勘十郎さんはなるほど人間の役者には絶対にできない、人形と手すりというグランドラインがあってはじめて成立する、文楽のみが表現しうる演技。すべる動作そのものを見せるのが眼目になっている。玉男さんはホント「無頼」のクライマックスのような、リアルな動作。伝統演目でないものはここまで出演者の裁量が大きいのね。お吉役の和生さんも相手役によく合わせるなと思った。

でも、河内屋と油店の床は、どうなの。あれでいいと思っているんだろうか……。

あとは逮夜の段がついていないのが個人的に誤算だった。初日一週間前に気付いて、まじで!? あれついてなかったら与兵衛のお兄役の玉志サンの出番、前掛けに羽織のお店からそのままダッシュしてきました的あわてんぼう(?)スタイルで実家に帰ってくる場面しかないんですけど!?!? 8時前に終演するんなら最後までやろうよ!! と思った。でも、短時間の出番とはいえ凛々しかったので満足した。

 

2月東京公演の『女殺油地獄』感想

 

 

 

11月公演もまたぶつ切れの見取りか〜、お気に入りの人がいい役やれるからいいけど、別に好きな演目じゃないな〜。と思っていたけど、実際の舞台を観るとまた違う感じ方があり、機会としては捨てたものではないと思う。はじめからつまらないと判じるのはそれこそつまらないものだ。とはいえ12月の東京中堅公演の『鎌倉三代記』のような企画をなぜ文楽劇場でできないのかと思う。

 

 

 

 

 

*1:原作ではその場に千寿がいることになっているが、話が複雑化するので現行ではカットしているようだ。

文楽 11月大阪公演『蘆屋道満大内鑑』『桂川連理柵』国立文楽劇場

国立劇場文楽プロモーション動画は結構頑張っているが、文楽劇場制作の動画は天然のなせる技で、平成初期のお父さんのホームビデオのようだ。なぜこんな場所で撮っているのか、なぜこんなに手振れしているのか、なぜこの二人はペア役なのにまったく息が合っていないのか。玉佳さんの与兵衛ばりのデヘヘポーズがかわいすぎてほっこりする。これがぶりっこではないのが文楽業界のすごいところで、納税していてよかったと心の底から思う。和生様動画のほうもアカラサマに「言わされてる」眼光鋭い目の泳ぎぶりが最高だった。

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蘆屋道満大内鑑。

今回は我ながら殊勝なことに、観たことのない『蘆屋道満大内鑑』と『鶊山姫捨松』は事前に原文全段を読んだ。が、はりきりすぎて両方とも10月中旬に読み終わってしまい、実際観に行ったときには記憶が揮発して何の話だったかほとんど忘れてしまっていた。そのうえ両方とも「後嗣を擁したほうが勝ちの政権争い」で「姫の義母は悪人と内通している」「義母が姫を憎んでいる」話なところが混乱を招く。淡い記憶を頼りにまとめると『蘆屋道満』の物語のあらすじはこんなところのはず……。(参考文献:新日本古典文学大系93『竹田出雲・並木宗輔 浄瑠璃集』校注=角田一郎・内山美樹子/岩波書店/1991)

  • 朱雀帝の御代を舞台に、執権の座を狙う大臣たちが先ごろ逝去した天文博士・加茂保憲の弟子・蘆屋道満、安倍保名を利用して政権争いを繰り広げる時代物。東宮・櫻木親王には二人の妃がいて、それぞれ御息所は左大将・橘元方、六の君は参議・小野好古の娘であり、男児を産んだ妃の父が政権を握ることができるという寸法。大臣たちはこれを陰陽の術で実現させようという目論見である。
  • 橘元方が擁立する蘆屋道満は一般的には悪役だが、本作では外題に「大内鑑」とあるように内裏に仕える者の手本となるような偉大な人物として描かれる。対して小野好古の家臣・安倍保名は主体性が薄くわりとナヨっていて、世のさざ波に翻弄され続ける。道満と保名は加茂保憲の後嗣候補としてはライバルであるが、本人同士は仲が悪いわけではなく、二人をそれぞれ利用しようとする大臣たちの思惑によって結果的に別離した状態になる。
  • ところで加茂保憲には榊の前という養女がいて、彼女と保名は恋仲であったが、保憲の逝去により二人の関係は宙に浮いていた。保憲の後室は橘元方の妹で、兄の政権奪取計画にイッチョカミしており、また、義理の娘である榊の前を憎んでいて保名のことも快く思っていない。後室と橘元方一派の岩倉治部は、保憲が残した秘伝書「金烏玉兎集」を榊の前と保名が盗んだことにして二人を窮地に追いやるが、保名をかばった榊の前が自害し、保名はそのショックで狂気に陥って出奔する。
  • 一方、事情を知らない蘆屋道満は治部から後嗣の証である「金烏玉兎集」を受け取り、橘元方一派の目的である御息所の懐妊には白狐の血が必要であることを教える。道満は治部の娘婿であったが、義父や橘元方一派の悪計に気づいており、義理に苦しみながらも帝や妃たちに被害が及ばないよう事態を上手く捌いてゆく。
  • その頃、榊の前の実妹・葛の葉姫は、姉の身に異変があったのではという胸騒ぎから信田の社に参詣していた。そこには狂乱する保名がいて、榊の前とそっくりな葛の葉姫を亡き恋人と思い込むが、保名の家臣・与勘平から事情を聞いた姫が声をかけると正気に戻る。与勘平や保名の話から榊の前の死を知る葛の葉姫とその両親・庄司夫婦。保名は葛の葉姫に求婚し、姫と両親はそれを受け入れるも、姫は橘元方一派の石川悪衛門からシツコク追い回されているため、庄司は一旦保留とした。
  • そこへ突然、狐狩りに追われた一匹の白狐が飛び込んでくる。保名は狐を霊獣として庇い社に隠すが、現れた狩人は治部に白狐の血をゲットしてこいと命じられた悪衛門であった。これ幸いと葛の葉姫を連れ去ろうとする悪衛門、彼を嫌う姫と両親は身を隠す。保名は悪衛門に立ち向かうが、ナヨすぎてまったく歯が立たずコテンパンにされ、その恥ずかしさから自害しようとする。そこへ葛の葉姫が戻ってきて保名に思い直させ、二人は手に手を取って落ちていくのだった。

 

……というところからの、葛の葉子別れの段。

保名は阿倍野の外れの小さな家で、妻・葛の葉と生まれて5年になる息子・安倍童子とともに暮らしている。保名の留守中、葛の葉〈吉田和生〉は機織りをして家計を助けているが、不審な木綿買い〈桐竹勘介〉がやってきたので追い返す。遊びから帰ってきた童子〈桐竹勘次郎〉が家の前でしきりに虫を捕まえては殺しているので、葛の葉は注意をする。

彼女は童子を寝かしつけるとまた機織り部屋に戻って仕事を続けるが、家の前に信太庄司〈吉田玉輝〉とその妻〈吉田簑一郎〉、そして葛の葉姫〈吉田簑紫郎〉が現れる。アレ? 一家は長年行方不明の保名を探しており、ついに所在を突き止めてここまでやって来たのである。庄司は家に声をかけるが、反応がない。機織りの音に下女がいるのではと機織り部屋をそっと覗くと、なんと娘・葛の葉が女房姿で機を織っているではないか。仰天した庄司が妻と娘にも部屋を覗かせると、やはり葛の葉姫に寸分違わない女がそこにいる。コレ離魂病とかいうやつではと親子が話していると、外出していた保名〈豊松清十郎〉がちょうど帰ってくる。保名は信田の社の一件以来挨拶にも参上しなかった庄司夫婦との久々の再会に恐縮し、娘姿の葛の葉を見て「またまた〜wそんなカッコしてぇ〜w」と笑っていたが、庄司の言葉に葛の葉が二人いることを知らされ、用心深く、しかし何気ないふりをして家に入る。何も知らず夫を出迎える女房葛の葉に保名は「先ほど町で庄司夫婦にばったり出くわした、あとで訪ねてくる」と告げる。葛の葉は動じることがなかったが、保名は慎重に奥の間へ入る。

保名が去った後、葛の葉は眠る幼子にひとり語りかける。実は自らは人間ではなく、その正体は、悪衛門に追われていたところを保名に助けられたあの白狐であると。自害しようとした彼を助けるため葛の葉姫に化け、そのまま夫婦になってしまったが、姫本人が現れてはもうここにいるわけにはいかない。今後は庄司夫婦をまことの祖父母、葛の葉姫を母と慕い、父保名の跡を継ぐべく学を修めてほしい。虫を殺してばかりいるのは狐の母の本性を引いてしまったかと胸が痛むばかりだが、今後はそのようなことをせぬよう。別れてもこの母は影から見守っていると涙ながらに語る。それを聞いていた一同は駆け出て彼女を引きとめようとするが、葛の葉は白狐の姿に変じてたちまち姿を消してしまう。葛の葉姫は童子を抱き上げるも、乳が出ないゆえ彼女をママだと認識しない童子に困惑する。狐を妻に持ったことを恥じてはいないという保名が襖を引きあけると、向こうの障子には「恋しくば尋ね来て見よ和泉なる信田の森のうらみ葛の葉」という一句が書かれていた。嘆き悲しむ保名に、庄司は信田の森を訪ね狐の葛の葉に会いにいけばよいと諭す。

そこへ先ほどの不審な木綿買いが現れる。木綿買いの正体はあの石川悪衛門の家来であり、主人が懸想する葛の葉姫を奪いにきたのであった。保名は葛の葉姫と庄司夫婦を逃すと、いままでのヘタレが嘘のように悪衛門の家来たちを次々倒してゆく。庄司夫婦は喜ぶが、葛の葉姫は狐の葛の葉を訪ねて童子に乳をやりたいと言う。保名はさっそく葛の葉姫を伴い、信田の森へと夜道を急ぐのであった。

姉さん被りの貧家の女房姿、庄司夫婦に会うため改めた紫に菊模様の着物姿、たくさんのフリンジの下がった白い着物姿(狐姿?)*1の葛の葉がとても美しかった。あまりの美しさに、うっとり……。2着目が菊模様の着物なのは「蘭菊」が「狐」の枕詞だからだろうか。 女房葛の葉は往年の大女優のようなシックな美しさだったけど、この衣装のときは少し華やいだ雰囲気と、それに反する寂しげなニュアンスがにじんでいた。印象に残っているのは、この衣装で胸元をくつろげる仕草をする→童子を抱く仕草の素朴な優しさ。一連の動きがとても自然で、無意識レベルで子どもの世話をするお母さんって感じだった。

最後、葛の葉は小柄な白狐(ぬいぐるみ)の姿になって去っていくが、突然のぬいぐるみ、可愛かった……。文楽劇場所有のものだと思うけど、まじ、ぬいぐるみ……。人形のときと、解像度と言うかリアリティのレベルが全然違う……。和生さんって派手にできるようなところも華美になさらないから、人間→狐姿の人形の差し替えも至極自然にされていたけど、ぬいぐるみはさすがに唐突で、見た目がおじいちゃん&狐と化して、我に返って「かわいい……」と思ってしまった。和生さん、人形遣ってるあいだは出遣いでも姿が見えないんだけど……、狐が人間に化けてたんじゃなくて、人間が人形に化けてたんですねって感じでした……。

子を抱いての葛の葉の独白は床も聞きどころ。津駒さん宗助さんの演奏はとてもよかった。抑えめの和生さんの演技と華やぎある床が調和していた。葛の葉は狐詞で喋るので語尾が人間と違う(語尾に間や上がりがある)とのことだが、喋り方がおかしいのはわりとはじめからなのね。保名が帰宅してやりとりしているあいだも喋り方がちょっと違うように思った。ひとりで語りかけるところは、時折、ひそひそ声の、すこし抑えた口調になるのがよかった。私の文楽の好きなところは、上演中(演奏中)は時間の流れが日常から切り離されて伸縮し、(それが速くても遅くても)ゆっくりした気持ちになれるところなんだけど、それを存分に楽しめる時間だった。

それにしても保名、大丈夫か? 言動がおかしくないか。榊の前を失って狂気に陥ったあと、信田の森で葛の葉姫に出会って正気を取り戻したかのように見えても、ずっと狂っているのではないだろうか。清十郎さんはその絶妙なラインを突いてきていた。人形の演技は、帰宅して家の前で庄司夫婦に葛の葉が二人いることを知らされ、何かのまじない……九字を切るような仕草をして家に入るところと、葛の葉と喋った後、正体を怪しんで床の間に飾ってあった御幣(?)を手に背筋をピンと伸ばして奥の間へ入るところがよかった。それ以外はあまりにヘタれているというかヨロヨロしていて大丈夫かと思った。でもこういう線がハイテックC並みに細い系のヘタレはできる人が限られているし、ド悲惨感にあまりに味があったので、いい。

その点でいうと葛の葉姫はえらい。おそらく20代前半の設定だと思うけど、将来を約束した男がいつのまにか妻を持っていて、しかもわりとデカイ子どもまでいて、その1ミリも自分になつかない5歳児のママになれって言われて「ちゃんとしなきゃっ!」って納得しているあたりがすごい。だって保名を6年も待っていたわけでしょう。それが男のうっかりさんゆえのこの始末。普通は保名が帰宅してきたところで時点で刺すと思う(もっというと求婚してきた時点でキモくて刺してるかも)。と、浄瑠璃自体からはそう感じるわけだが、人形の演技は大変可憐でよかった。女房葛の葉はかなり年上風だけど、葛の葉姫は本当に物事がよくわかっていない娘さんという感じ。DV男に取り憑かれそう。姫ポーズ(手を袖に入れて三角にしている様子、あれ、なんていうの?)がいじらしかった。が、この後の信田森二人奴の段では5歳児を片腕で軽々持ち上げるので、腕っ節はわりと強い娘さんだと思った。あれ、そういう型だからそうしてるんだろうけど、ボディに対するパワーとしては与勘平並みの腕力だと思う。

どうでもいいことだが、保名の家の前にある物置にかかっているすだれのボロ具合が今までに見た文楽の大道具で一番精度があった。まじボロかった。始終この調子でいってほしい。あと、葛の葉は狐の正体を顕してからは謎の念力で子どもを宙に浮かせたり、戸を閉めたりするけど、私が葛の葉ならその念力で家事をしようとすると思う。AIに仕事を奪われてラクして暮らしたい派なので。

 

信田森二人奴の段。

狐の葛の葉を探す葛の葉姫は安倍童子を伴い、信田の社の前にやって来る。すると石川悪衛門〈吉田簑太郎〉とその手下が現れ葛の葉姫たちを拐おうとするが、折よく保名の家臣の奴〈吉田玉助〉がやってきて姫たちを助け、逃げていく一味を追い立ていく。姫が一安心していると、先ほどの奴〈吉田玉佳〉が戻ってきたので、おおいに褒め称える。しかし、奴・与勘平(よかんべえ)は肩にかけた状箱を見せて、最前まで保名の使いで京都へ行っていたのだという。状況を掴めない与勘平が「?」となっているところに悪衛門が舞い戻ってきたので、与勘平は再び(?)一味を追っていく。それと入れ替わりに忍び寄ってきた悪衛門の手下〈吉田玉路〉が姫と童子を捕らえようとすると、最前の奴が現れてまたも彼らを追っていく。姫が「???」となっているところへ、左右から悪衛門一味を追い払った奴二人が姿を現す。マジクリソツな奴二人に、童子は奴が分裂して二人になったと大はしゃぎ。葛の葉姫は両者に問答して正体を詮議することに。まず右の奴〈吉田玉佳〉に名と生まれを聞くと、与勘平であると言ってその名の由来、出身、給与形態を正しく答える。それは姫が保名から聞いていた話に相違なかった。続けてもうひとりの左の奴〈吉田玉助〉に生まれを聞くと、「穴から出た」という。彼は名を「野干平(やかんべえ)」と名乗り、正体は信太の社に仕える狐であることを告げる。野干平は自分が悪衛門一味を追うので与勘平には葛の葉親子の護衛をしてここから退いて欲しいと言い、与勘平は快くそれを引き受ける。これがいまも伝えられる信太の森、葛の葉稲荷のご威徳のひとつである。

今更ですが……。玉佳さんて普通にまじうまいね。与勘平、すごくよかった。与勘平って、奴で、上半身裸の人形なんだけど、筋肉太りした偉丈夫な「やっこでぃす!!!!」感がすごくよく出ていた。大胸筋すごい、みたいな。人形の肉襦袢自体に大袈裟な筋肉の盛り付けがされているわけではないので、人形の構え方だと思うけど、立ち姿がピンッとしていて、胸が突き出て筋肉がパンと張っているように見えるんだよね。まるでポパイみたいなの。胴に対する顎の前後位置とかもカンペキで、横姿もキレイ。ちょこっと顎を上げてるのもヒゲヅラに似合っている。筋肉太りの雰囲気が出ていて、ふだんから体使う筋肉質な人の体格ってこんな感じ、というか。動きも筋肉がついた人のハリのある動作で、元来の止め姿勢の綺麗さもあいまって素晴らしかった。特によかったのはのしのし悠々とした出と、悪衛門一味を追って状箱で刀を受けて上手に引っ込むところの伸びた姿勢のよさ。奴の体格を表現する人形の姿勢と遣い方で、感銘を受けた。

しかし冒頭にも書いたけど、玉助さんと玉佳さん、全然息が合ってなくて、おまえら似てねえよ!!!!状態で、めっちゃ笑った。でも玉助さんは玉助さんで、こいつ、あやしいなー、まがいもんじゃね?しっぽあるだろ??っていう味があった。本来どこまでそっくり演技をするものなのかわからないけれど、こういうざっくりしたのんびりさが似合う段だった。

 

 

 

 

桂川連理柵。

去年の地方公演と同じ構成で、六角堂の段・帯屋の段・道行朧の桂川の段が出た。が、比較するのも何だが、本公演の今回はとてもよかった。当然ながら本公演のほうが技芸員の層が厚いので配役がよくなっているということもあるが、同じ配役で出演していても良くなっている人がいるという意味もある。

まずよかったのはお絹役の勘彌さん。地方公演でもよかったけど、今回はますます美しく色っぽくなっておられて、とてもよかった。私が隣家に住む男子高校生なら叶わぬ恋に身を焦がしているところだ。六角堂のお高祖頭巾姿から滲む色気はやはりよかったし、帯屋の夫の窮地を助ける妻としての気丈さと、しかしながら少し悩み疲れたような姿勢や辛さをこらえる表情も美しかった。私は勘彌さんには遊女・傾城・姫役を期待しているのだが、こういうエロ奥さんもたまらない味がある。

意外配役で飛ばしてきたのは儀兵衛役の玉志さんだった。配役を見たとき驚いたが、でもこれだけの役が配役される人なんだと思った。先代玉男師匠がなさっていたことを受けての配役だろうか。相当清潔感のある人だしああいうゴキブリ&イキリ&チャリの3リ役はどうなるのかと思ったが、実際見てみるとキレのある動きが儀兵衛に謎のヤバオーラを醸し出させ、若干サイコパス化していてよかった。喜劇俳優がベタベタにおもしろおかしく行くというより、人間で言うと三島雅夫がやっているような、目が一切笑っていない「ヤバい」オーラがあった。長吉とのやりとりでケタケタと笑い転げまくり、しかし時々ぴたっと止まって我に返る瞬間の真顔ぶりなど最高だった。妙にキレのある動きは、母おとせ役の簑二郎サンとまさかのマッチングを見せていて爆笑した。全然芸風違うはずなのになぜか止まらない母息子オーラ。正確には動きに異様なキレがあるという一点突破。この謎配役ハーモニー、たい焼きにはじめてカスタードクリームを入れた人の偉業に匹敵する。肩たたきの場面とか超最高でした。

しかし私個人として殊に「さすが玉志さんだね……」と思ったのは、六角堂でお絹に言い寄りセクハラタッチをするところ。浄瑠璃に合わせて光の速さで超真面目にセクハラをしていらっしゃった。普通、文楽人形のセクハラって、喋って、ワンテンポおいて、太ももや膝を可愛くなでくり回すorフェザータッチ、というチャーミングな方向に振ると思うが、玉志さんは秒でお絹の股間に手をサッと的確に差し伸べていてマジビビッタ。本来、ギリギリ言い逃れができるレベルでやるのがゴキブリ系キモ野郎のセクハラの作法である。なんという潔さ、清冽さ。そこを触っては言い訳する前に即座にアイスピックで喉笛を突かれても仕様がない。誰か玉志さんにセクハラの仕方を教えて差し上げて。しかしながら『彦山権現誓助剣』の京極内匠の色悪ぶりの余裕や間のもたせ方は大阪東京の二ヶ月の時を経て板についておられたので、きっと慣れの問題だと思う。

儀兵衛の相方、長吉は文司サンだった。うーん、文司サンののどかな味が長吉に合ってる……。このなんとも言えない「目の焦点が合っていない」感。長吉はやっぱりハタキで鼻水を拭いていて怖かった。執拗に床(っていうか手すり)に鼻水のついたハタキを擦り付けていた。それ以外は余計なことをせず大人しくしている長吉だったが、そのせいか愚鈍感がマシマシで、ヤバいもん見てしまった感が増幅した。

待ってました〜っ!!!!!!!*2と思ったのは長右衛門役の玉男さん。桂川って、話があまりに理解不能すぎてついていけない。出演者でもかなりの人が「理解不能」と思って出ていると思う。そこをどうにか浄瑠璃として定着させるところが眼目のひとつだと思うが、この、玉男様の、「うん、やらかしそう^^!!!!!」感、最高だった。玉男さんのヘタレクズオーラ、しかしそれは唾棄すべきものではなく、「しょうがないな〜」という気持ちにさせてくるあの塩梅は他の人には決して出すことのできないもので、まことに文楽の宝だと思う。長右衛門は文楽の中でも最低位のクズ中のクズ、言い逃れ一切不可のドクズだと思う。それを被害者オーラではなく微妙に「しょうがないな〜」のラインにスライドさせてくるというのは玉男さんのご人徳の現れというとまことに失礼だけど、持ち味の良さだと思う。そして、まったく動かず、じ〜っとしているぶりね。じ〜っとしていても、間が持っているのが。玉男さんが赤坂文楽の実演で「光秀がじ〜っと操のクドキを聞いているところ、やりま〜す」と言い出されたときは客席全員仰天したが(そしてまじでじ〜っとしているだけのところを実演)、じ〜っとして思い悩んでいる様子を出すのが本当にお好きというか、お得意なのね……と思った。あの「人形が悩んでいる……」ぶり、よく転ぶときも悪く転ぶときもあるけれど、玉男さん独自の味。

そしてもうひとりの「うん、やらかしそう^^!!!!!」、お半役の勘十郎さんもよかった。隣家の茜色ののれんから周囲を伺いながらピョコンと出てくるいたずらっ子のような仕草。勘十郎さんの女方はやっぱりロリ役が似合う。なんともいえない、たんぽぽのようなおぼこ感がうまく定着していると感じる。勘十郎さんて演技と内面感情が別々に存在しているような役だと、人形の表現が演技そのものに引きずられて人物の内面描写がぼやけることがあるように感じるが、演技と感情が一致しているヤバ娘はやっぱりうまい。恋する長右衛門への気持ちが上ずってウキウキしているお半の気持ちが感じられる。小悪魔というか、単なるおぼこではなく、わかっていてやっているような、倫理観のないデビルぶりもよい。ここはさすがに正体がオッサンなだけはある演技と技術だと思う。

 

床は、帯屋の咲さん燕三さんがしみじみとしていて、とてもよかった。ありえなさMAXの物語に唯一説得力を持たせる。それと一番驚いたのは、道行の織太夫さん。驚きには2つ理由がある。まずひとつは、特殊な節からはじまる出だしのよさ。義太夫節以外の節回しではじまる曲って、若い人はだいたい失敗してる。舟歌なり他の邦楽なりのその節回しを理解して語っていないため、単にメロディだけを追ってしまって不自然に聞こえることが多い。ご本人が一生懸命やってるのはわかるんだけど、結果として、音痴だなー、みたいな出来になっているというか。能を観に行くと、子方の謡が「謡」になっていなくて、単なるメロディでしかなくまさに「歌っている」だけのことがあるが、それと同じ。邦楽ってメロディで表現するものではない部分が多いと思うので、メロディだけで聞かされると非常に不自然に感じる。今回の公演でいうと、そういった特殊な出だしをその節付けでキッチリこなして聞かせてくれていたのは、『女殺油地獄』の徳庵堤を語った三輪さんだけ。かと思いきや、この道行の頭を語った織太夫さんもかなりよかった。このひと今までここまでできただろうかと驚いた。義太夫節の節回しではない朗々とした部分を(プログラムの解説からすると、宮園節?)、キッチリこなされていたと思う。もう一つは、お半をつくり声で表現していなかったこと。以前も書いたことがあるが、織太夫さんて女性のセリフが苦手なのか、つくり声に頼りすぎて、身分の高い役だろうが何だろうが全員夜鷹のような喋り方になっているのがすごく気になっていた。襲名公演の東京の玉手御前がそうなっていたのは非常に聞き苦しく、かえすがえすもまことに残念だった。しかし、今回のお半はその癖を抑えて口調のニュアンスでの表現を追われていたようで、ああこの人、ちゃんと自分でわかっていたんだなと思った。今後もこの方向性をキープしてほしいと願う。

 

でも、今回はやっぱり人形の玉男さん勘十郎さんカップル配役による説得力が大きかったな。二人揃って「「うん、やらかしそう^^!!!!!」」ってオーラを醸し出していた。年齢差設定の不自然さを超える説得力がある。

9月の東京公演『夏祭浪花鑑』は、私は玉男さんが義平次というのは納得しかねる部分があったんだけど、でも、千穐楽に観たとき、あ、これは、団七義平次が勘十郎玉男じゃないと芝居として持たなかったんだ!と感じた。お互いに良い意味でもたれかかっている。お互いが一人では成立しえない芝居をしていて、それは相手役の人を無意識レベルで信用しているからだなと。勘十郎さんのほうにそれは特に感じた。勘十郎さんて、カラミのある演技よりソロ演技のほうがうまくて、普段は単独で芝居をするという気持ちをもたれていると思う。そして、今回、正直、団七は最後のほうの日程は体力がついていかなくなっていたと思う。でも相手が玉男さんだから信頼して義平次に預けている部分があって、しかし合わせてご本人も懸命なのでそれが団七の表情に現れていて、だからこそ奇跡的にバランスがとれて成功している部分があった。『桂川』では、道行の最後、「♪繻子の帯屋と信濃屋の」でお半と長兵衛が同時に上手を向くところがあるが、そこの揃いぶりにぞっとした。勘十郎さんも玉男さんも、相手役が自分より経験の少ない人の場合、相手を見て配慮して演技していることが多いと思うけど、二人ペアの配役だと相手を見ず自分の演技に集中してやっている。ご本人たちは揃えているつもりはなく、曲を聞いて自然にやっているんだと思う。だからこそ、相手を見てからやっていては間に合わない本当に揃ったターンで、よかった。

 

2017年度地方公演での『桂川連理柵』感想。

 

 

 

*1:全然どうでもいいことだが、せっかくなので私もオメカシして狐姿の葛の葉みたいなフサフサ毛がついた服を着て行ったけど、和生様の気高い美しさに比べたら私はムダ毛を一切処理していないオッサンが生まれたままの姿にて往来を歩いているようで失敗だった。あのフサフサの白毛、葛の葉はある程度大きな動きがあるわりにグシャらずサラサラと流れていて、絡まり等がなく美しく保たれていた。どなたかが毎日ブラッシングしているのだろうか。あの手の毛生え系の服は手入れが大変だと思う。私もクリーニングでいくら取られるのか怖い。

*2:葛の葉子別れの和生さんにこう叫んでいる和生様ガチ恋勢のオッチャンがいた。和生さん、午前の部の、一番最初の段の、開演3分もしないレベルで出てくるが、オッチャンは待っていたのだ。なぜならワシはずっとずっと前、この世に生まれるまえから和生を待っていたのだから……。そんなオッチャンの魂の叫びを聞いた気がする。「待ってました」はいつ言ってもいい……。そう教えられた。