TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 1月大阪初春公演『良弁杉由来』『傾城恋飛脚』新口村の段 国立文楽劇場

初春公演ははじめのほうの日程に行くと、第一部・第二部それぞれのごはん休憩時間に手ぬぐいまきがある。若手出演者3人が新年の挨拶とともに丸めた手ぬぐいを投げるイベントで、争奪競争が激しそうなイメージがあったが、意外と個数があるのと、おねだりがかなり有効であること、「遠くまで投げたヤツがカッコエー」と思っているらしい技芸員さん方の男子校メンタル(?)のおかげでどの席にいても取れる可能性があった。カンタローに至っては一番後ろの補助席まで飛ばしていてむしろ引いた。寛治さんが見たら卒倒しちゃうと思った。肩を大切にして欲しい。

 

 

 

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『良弁杉由来』志賀の里の段。

志賀の里の茶畑で、渚の方〈吉田和生〉が亡き夫の忘れ形見である一人息子・光丸〈吉田玉俊〉や乳母〈桐竹紋秀〉、腰元たち〈桐竹紋吉、吉田玉誉〉とともに茶摘みを楽しんでいると、突如大風が吹き下ろし、飛来した大鷲に光丸を攫われてしまう。雲間に消えた大鷲を追い、渚の方は腰元たちが止めるのを振り切って走ってゆく。

茶畑で乳母や腰元らが遊んでいる優美で華やかな幕開け。和生さんの気品溢れる優しげな渚の方がそれはもう素晴らしかったんですけど……。そんな和生さんに一切目がいかなくなるレベルに驚くのが、鷲の、スッゲーーーーーーーーーでっかさ!!! あまりのデカさに、鷲が舞い降りてきたとき客席騒然だった。ハリボテの妙に透明感のある鷲なのだがとにかくクッソ巨大で、人形じゃなくても、マジ、子どもが攫われるサイズだった。人形たちが子どもを取り返そうと地表でワアワア騒いていたけど、絶対無理だと思った。

上演中は気づかなかったが、渚の方が舞う場面では特殊な二弦琴(八雲琴)の演奏が聞けるとのこと。普通に琴だと思ってましたがちょっと違うんですね。友之助さんのインスタによると『増補大江山』戻り橋の段でもこの八雲琴の演奏があるそうですが……、こないだにっぽん文楽で見たけど全く気づかなかったです……すいませんでした……。

 

 

 

桜の宮物狂いの段。

それから30年後の時が流れたが、渚の方は物乞いの老婆の姿になってもなお攫われた光丸を探して方々を彷徨い続けていた。桜咲き乱れる桜の宮へたどり着いた渚の方は、里の子どもたちに囃し立てられ、また里の者たちに憐れまれて身の上を語り、泣き伏せる。その川の水面に映った自らの姿を見て正気づいた渚の方は、鷲に攫われた息子はもう殺されているだろうと思い故郷へ帰って子の菩提を弔おうと考えるが、乗合船で「東大寺の大僧正・良弁は幼い頃鷲に攫われてきた」という話を聞きつけ、奈良へ向かうことにする。

奥に桜並木のつらなる土手、手前に川の流れるセット。冒頭に登場する物売り二人、花売娘〈吉田簑紫郎〉と吹玉屋〈吉田勘市〉が可愛らしい。花売娘は棒に藁を巻きつけたのに桜の小枝と普通の簪を刺したものを持っている。簪を売っているということかな? 吹玉屋はしゃぼん玉屋。江戸時代からしゃぼん玉ってあったんだ……。しゃぼん玉をどう再現するのかと思っていたら、遊園地とかお祭りとかで売っていそうな、銀の吹雪が入った透明で虹色に光る風船を何個も連ねて振るという趣向だった。

そして老婆の姿になった渚の方が現れる。婆のかしらに病鉢巻、貧しい身なりで片方の袖を外した姿。焦点の合っていない人形の目が上方を見て泳いでいる。まだなおあの鷲を探しているのだろうか。能の『百万』のレクチャーで教わったが、「物狂い」って単に気が狂っているという意味ではなく、親しい者を失った等の理由で精神が乱れている状態を言うそうだ。『百万』やこの『良弁杉由来』の場合は子どもの行方がわからなくなったゆえの狂乱。能だと物狂いの人物は笹を持っているが、渚の方は小さな草履がついた桜の枝を持っている。当初は心配して話しかける里人も、渚の方の常軌を逸した受け答えにたじろぐ。しかし、渚の方は狂態ではあるが気品ある姿で清潔な雰囲気があり、かつての身分を感じさせる芝居だった。

 

 

 

東大寺の段。

渚の方は東大寺へと辿り着くが、身を恥じて中に入ることが出来ない。そこで、通りかかった僧侶・雲弥坊〈吉田幸助〉を呼び止め良弁の身の上について尋ねると、確かに渚の方の言う身の上に一致していると言う。雲弥坊は彼女を哀れむも、自分では多数の従者にかしづかれている良弁に拝謁することはままならないので、大僧正が毎日参拝しているという二月堂前の杉の木に手紙を貼っておくようにと、懐紙に彼女の身の上を認めて渡してやるのだった。

登場人物が2人しかおらず、会話のみで成り立っているため、出演者の技術が問われる段。書いて申し訳ないが門前の1枚絵の書割がちょっとアレで、これ、和生さんじゃなかったらマジ間が持たないだろうなと思った。渚の方がそっと門の奥を気にして覗き込む仕草など、彼女が気にするような「門の奥の世界」があることをイメージできるのは和生さんの演技力によるものだと思う。

 

 

 

二月堂の段。

東大寺二月堂には多数の近習らを従えた良弁〈吉田玉男〉が日課の参拝に訪れていた。二月堂前の杉の大木こそ、彼が幼い頃鷲に攫われて食われそうになっていところを先代僧正に救われた謂れのある木なのである。良弁は行方も生死もわからない両親のため、日々杉に参拝し涙していた。杉の木に貼られた紙に気づいた良弁は、紙を貼った者がいないかあたりを探させる。そうして良弁の前に引き出された老女こそ渚の方であった。良弁に子細を尋ねられ、渚の方は自らの身の上と鷲に攫われた息子を探し長い年月訪ね歩いてきたことを物語る。渚の方の話に我が身を重ね、その息子に何か証拠になるものは持たせていなかったかと聞く良弁に、渚の方は錦の守り袋に入れた如意輪観音像を持たせていたことを思い出す。すると良弁は「もしや」と錦の守り袋を取り出した。果たしてそれはかつて渚の方の夫が自ら拵え幼い息子にもたせた如意輪観音の守り袋であった。二人は涙を流して抱き合い再会を喜ぶ。良弁は三十年間の不孝を詫び、再会の縁となった如意輪観音像をおさめた寺を志賀の里に建てることを誓う。渚の方が故郷に帰って尼となり夫の菩提を弔うと言うのを良弁は引き止め、少しの間だけでも孝行させて欲しいと母の手を取り輿に乗せ、二月堂を伏し拝むのだった。

玉男様、なぜ第一部でも第二部でも坊さん役???????????? と思ったけど、良弁は俊寛とは全く雰囲気が異なり、色白のかしらに緋色の衣と錦の袈裟で高貴な雰囲気。この良弁の人形、輝いて見えるほどに美しくてびっくりした。肌の塗りが明るい色(ほぼ白?)で、坊主にした頭も薄水色、顔のパーツの描いた色も淡い墨色、緋の着物とのコントラストが鮮やかで、まるで内側から光り輝いているように見えるからかなあ。まじ、淡い色で描かれた仏画が動いてるみたいで、リアル来迎図って感じの清浄な輝き、こんなふうに見える人形もあるんだ〜と驚いた。良弁は立ち居振る舞いもとても静かでほとんど動かず、動作もゆっくりしていて最小限の身振りしかしない。たいへん清楚な気品に満ちており、怜悧な輝きはいつもの玉男様とちょっと違っていてこれはこれでいい、のだが、あまりに動かなさすぎてどうしようかと思うほど動かなくてどうしようかと思った。連れている弟子僧〈吉田文哉、吉田玉翔〉もほとんど動かない。文哉さんのほうは母子の再会に先に泣き始めるのだが、玉翔さんのほうが本当に最後の最後まで泣かずに動かないままで、みなさん根性がすごいと思った。上演時間1時間以上あるので、じ〜っと動かないというのは大変だと思う。

そのぶん楽しいのが冒頭に登場する沢山の近習たち。毛槍を持った二人組、台傘(?)を持った二人組、立傘(?)を持ったツメ人形が登場し、曲芸を見せてくれる。毛槍と台傘は舞台左右からのパス(ただし台傘は後ろ向きに投げる)、立傘は一人で高く投げる&頭の上で回すという芸を見せてくれるのだが、毛槍のおふたりは大成功!! 台傘は1回目のパスの飛距離が短くて落とすかと思ったら、相手役の人がものすごい勢いで走って取りに行って見事ご自分の体でキャッチされていて、笑った。正月一発目は絶対失敗せんというすさまじいガッツを感じた。立傘さんは1回キャッチに失敗していたけど、つなぎが自然で違和感なかった。頭の上でクルクル回すかわいい演技にはお客さん大喜びだった。

ここの段は全部通して千歳さん&富助さん。丁寧でしっとりした床で良かった。話が劇的ではない分、穏やかで丁寧な語りが活きていたと思う。

しかし私、渚の方と良弁は身分が違いすぎて、てっきり親子の名乗りはできないと思っていた。立派に育った息子の姿を見たからもういい、いま名乗り出ては息子の足を引っ張ると、渚の方がしらを切り通すかと。『砂の器』みたいな感じで。私、『瞼の母』でも親子の名乗りができないエンドが好き派のド悲劇大好き人間なのだが、本作に関しては名乗りあえてハッピーエンドでよかったと思う。文楽で生き別れの親子が再会するときはだいたいどっちがが死ぬときだと思うが、誰も死ななくてよかった。文楽なりの正月補正だろうか?(瀬尾太郎と玉手御前は死にましたが) 渚の方が早々に良弁を息子ではと気づいているにもかかわらず、お互いを親子だと認識する手順が微妙に回りくどくてヤキモキしたり、も少し葛藤がないと物足りない気もするけど、正月からすっきりした気分になれる良い話だった。

 

 

 

傾城恋飛脚、新口村の段。

人形の配役は結構12月東京鑑賞教室と似ていて、梅川・忠兵衛も鑑賞教室であった組み合わせ、清十郎さん&勘彌さんの少女漫画風キラキラカップルだった。大阪でもキラキラしていた。個人的な趣味を言わせてもらえば、清十郎さんと勘彌さんの配役は大阪ではひっくり返してほしかったな。梅川=清十郎さん、忠兵衛=勘彌さんも良いんだけど、梅川=勘彌さん、忠兵衛=清十郎さんのほうが色っぽくないですか。男を破滅させそうな梅川と自身のしょうもない意地と女の色香に負けそうな忠兵衛で。私は勘彌さんの配役は女方の役のほうが好きで、遊女役がある演目なら遊女のほうをやって欲しいな……。清十郎さんのファンの方は清十郎さんに女方やって欲しいと思ってると思いますけど……。でも「この組み合わせ……イイ……👍✨」と思えるカプを発見できたからこれはこれで良い。

孫右衛門は待ってました、ジジイ役ナンバーワン・玉也さん。やはり12月東京鑑賞教室の玉男さん・勘十郎さんとは演技が違っていた。梅川が目隠しの手ぬぐいを取ってくれるところで梅川に目をやったあとすぐに忠兵衛に視線を移さずしばらくじいっと梅川を見ていたり。直前の、孫右衛門と梅川二人だけでやりとりする部分を受けての演技だと思う。一番違うのは最後。御所街道へ抜ける二人を見送るところで傘を持たずにすぐ外へ出て、羽織をかぶってその場にうつむいてうずくまるという演技だった。なるほど、孫右衛門の感情の高ぶりの解釈が人によって違うのね。玉也さんの孫右衛門は「お父さん!」って感じで良かった。

 

2017年12月東京 文楽鑑賞教室公演『傾城恋飛脚』新口村の段の感想

  

 

昨年は小正月に行ったら大雪でひどい目にあったため、今年ははりきって初日&二日目に行ったが、初日早々に行ってよかった。お正月ならではの華やかな雰囲気が味わえてイベントも色々あるし、また、いらしている知り合いの方々にもたくさんお会いでき、とても楽しかった。あとは技芸員さんたちがみなさん散髪したてって感じでめっちゃおもしろかった。来年も是非正月早々のうちに行きたいと思う。

 

 

 

床に飾られた鏡餅。第一部開演前と第二部終演後に見られました。

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休憩時間にロビーで咲さんが売っていた八世綱太夫の著書『でんでん虫』の復刻版、フォトブックつき。たぶん咲さんの自費出版、一般には販売してないと思う。買ったら咲さんがサインしてくれました。

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帰りに寄り道して、グランフロント大阪メルセデスショールームに飾られている痛ベンツ(新口村柄)を見に行った。すごいセンスだと思った。

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同じくグランフロントのカフェで出されている、うめだ文楽コラボドリンク。「梅みるく&ももスムージー」。上にかかっている梅味?のザラメが血飛沫にしか見えなくて怖い。折角だから小判をイメージした金箔のほうがいいんじゃないか。封印切り上演しないと思うけど。コラボドリンクはほかにもホットのサングリアがあったが、文楽時空的にはなんかこう、干支的なものがゾロ目に揃ってる人の血が入った盃にしか見えなかった。文楽劇場の食堂でもこういうコラボメニュー出して欲しいなあ。首桶パンケーキとか。

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文楽 1月大阪初春公演『花競四季寿』『平家女護島』『摂州合邦辻』国立文楽劇場

初春公演、今年は初日に参上。気持ち良く晴れ渡る青空の下、開演前の鏡開きを見物して正月気分を満喫。しっぽしか見えなかったが、黒門市場から贈られた鯛のデカさに驚いた。

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はじめは景事で、『花競四季寿』。

「万才」、なぜ紋臣さんは最近延々景事で踊っておられるのでしょうか。才三か万歳かの配役違いはあるけど、ここ1年くらい異様に出てませんか、こういう似たようなヤツに。踊りがうまいのはわかる、しかしもっと良い場所に出て欲しい。ちゃんと踊れる人がほかにいないからこうなっているのか? でも、紋臣さんも玉勢さんもおふたりともとてもかわいらしくてよかったです。

「鷺娘」。白い綿帽子、白い着物に黒の傘をさした娘〈人形役割=吉田文昇〉がしずしずと上手奥から入ってくる。彼女は実は鷺の化身で、雪の舞い散る中、早変わりを見せつつ舞うという内容。席がかなり下手寄りだったため傘の影で行うピンクの着物への早変わりの瞬間が見えたのだが……、見ても仕掛けがよくわからなかった(アホ)。引き抜いている、ということだけはわかった。最後のほうは雪がかなり豪快に降っていた。このあと、昼休憩にロビーへ出ると、窓の外でほんとうに雪が舞っていたのが印象的だった。

 

 

 

『平家女護島』鬼界が島の段。

これは昨年2月東京公演でも観たので話が呑み込めているため、じっくり観ることができた。人形の配役は千鳥役の簑助さん以外全員変更で、演じ方の違いを見ることができてよかった。とりあえず康頼〈吉田清五郎〉はだいぶ死にかけというか、はかない感じになっていた。たしかにああいう貴人の細面イケメンが流刑にされたらそらそうなるわなと思った。

簑助さんの千鳥はあいかわらずメチャクチャ可愛かった。ぴょこぴょことした仕草や、相手役の人形を上目遣い風に見たり、からだをちぢこまらせてきゅっと寄り添う姿、浜辺に倒れ伏して身悶えする様子が大変に愛らしい。人間ではありえない可愛さ。あの流人三人は実は離島暮らしの無理が募って発狂していて、千鳥はその幻覚の中にだけ存在する妖精の可能性すらある。だってあんな変な島に海女泳いでくるのかねって感じじゃない? お前らの妄想では? というくらい可愛い。途中、千鳥が俊寛吉田玉男〉を庇い瀬尾太郎〈吉田玉志〉に応戦して一生懸命石を投げる場面があるが、その「えいっ(><)⭐️えいっ(><)⭐️」っていう一生懸命さがもうめっちゃ可愛いのよ……。1日目はあまり飛距離が出ていなかったが、2日目はぎりぎりで玉志さんに当たらない程度に飛ばしていたのが笑った。去年2月に観たときも思ったけど、赦免船に乗り込んで俊寛に一生懸命手を振るところも本当可愛いんだよね。あれは生身の人間にはありえない、お人形ならではの可愛さだと思うわ。本当、簑助さんの可愛さは世界中の人に見ていただきたい可愛さである。簑助さんのご健康とご長寿を心から祈る。

俊寛は玉男さん。芯の太い印象で、長い島暮らしの身ながら覇気が残っており、なんかこう、すごいつよそうだった。さすが平家全盛の世に謀反企てるだけのガッツがある坊さんやわと思った。居丈高さ満点の瀬尾太郎(なんか物理的に丹左衛門基康〈吉田玉輝〉より居丈が高い。あと、めっちゃ足を開いて座っていて、電車で隣の席にきてほしくない感じ)を殺しそう感あった。俊寛は瀬尾太郎の隙をついて脇差を引き抜いて刺したあと、最後、倒れた瀬尾太郎の上に乗って袖で押さえながら首を切り落とす場面があるが、そこで刀をギリギリと鋸引きにして首を切り落としているのが人形とはいえ生々しくて怖かった。和生さんはどうしてたかなあ。鋸引きにはせず、何回か刺してから(?)首を体重で押し切ってる感じだった気がするのだが。鋸引きにするのは先代玉男師匠のやりかたのようですね(どこに書いてあったか忘れた……)。そしてクライマックス、岸辺の岩に駆け上って赦免船を見送る場面、斜面のずり落ちの勢いがすごすぎてツタについている葉っぱが散りまくっていた。初日と2日目で下のほうについている葉っぱがなくなっていたので、最終日までに全部なくなってそうだと思った。力強く、大きな人間味を感じる俊寛だった。成経〈吉田文司〉、千鳥のオトーサン代わり感あった。

ところで、赦免船の大道具はちゃんと赦免船って感じの立派な船だった。舳先についているフサフサもちゃんと本物のタッセルだった。去年2月の東京公演は書割だったのに……。東京公演のほうがチケット高いのになんですかこの違い……。今後もぜひフサフサしていて欲しい。あ、でも、最後俊寛が駆け上がる岩にはフジツボついてなかったです。東京の値段はフジツボ代と思うことにします。

 

 

2017年2月東京公演での『平家女護島』感想

 

 

 

昼休憩を挟んで豊竹咲甫太夫改め六代目竹本織太夫襲名披露口上。竜のうねる巨大な屏風と天井から下がった綱太夫の写真を前に、咲太夫さんと新織太夫さんがふたりで並んでの挨拶。先に八代目竹本綱太夫五十回忌追善の挨拶があるのだが、「父(綱太夫)はわたしが24歳のときに亡くなりまして……、歌舞伎で???丈(忘れた)の追善興行を見ましてこれはすごいなと思っていましたが……、今回国立劇場さんにこのような立派な追善幕を設けていただき涙◎%=涙&$#*@涙△」とお父さんのことを語っていた咲さんが途中で泣きだして、でもそのまま一生懸命しゃべり続けて何言ってるかわからなくなってきて、お客さんが「咲太夫〜っ!」って応援してて、ほっこりした。襲名のお祝いは慎ましく真面目な感じであった。

 

 

襲名披露狂言は『摂州合邦辻』合邦住家の段。ここの床は縁故者出演で、太夫・三味線の組み合わせ等がいつもと違って新鮮。

いろいろ順番を飛ばして書いてしまうが、ここでびっくりしたのは織太夫さん(後=三交代の最後)の三味線で出演した燕三さんのすばらしさ!!! も〜、びっくりした。三味線にはっとして床のほうを見ることたびたび。登場人物の心の動きや怒涛の狂乱を三味線の音のみで表現する場面の多い演目だと思うが、まさに玉手御前や合邦道心の心の動きが手に取るようにわかるすばらしい三味線で、文楽座全体であたらしい織太夫の誕生を祝う気持ちがたいへんに伝わってきた。三味線の音ひとつひとつに感情を感じた。

もちろん織太夫さんも大変に力の入った熱演ですばらしかった。実は私、いままで咲甫さんのしなを作ったような女性の作り声に、そこまで作り声にする必要あるのか、特に身分の高い役で極端な作り声では品位が下がって感じるのが気になっていて、語りそのものを磨くことで勝負すべきではと思っていたのだが、今回はそれに頼らず語っておられて良かった。

咲さん(切=三交代のまんなか)も大変な熱演。びっくりした〜。ここの三味線はいつもの燕三さんから清治さんにチェンジしていて、清治さんもすごくよかった。咲さん大変だと思うけど、東京公演の最後まで頑張って欲しい。

 

人形も配役が豪華で、合邦道心=吉田和生、玉手御前=桐竹勘十郎、俊徳丸=吉田一輔、浅香姫=吉田簑二郎、合邦女房=桐竹勘壽、入平=吉田玉佳。

玉手御前の美しさ。合邦女房が20歳くらいと言っているのでそこそこに若い設定だと思うが、かしらは老女方で黒の落ち着いた着物姿、しかしたたずまいは勘十郎さんらしくクルクルとして若い娘風で可愛らしかった。玉手御前は本当は俊徳丸をどう思っていたかに解釈が別れる話だと思うが、勘十郎さんははじめからすべて嘘の恋という解釈なのかしら? 俊徳丸に擦り寄る場面などは芝居でやっているように感じられた。まあ先日の宵庚申の夫ラブオーラがすごすぎたのかもしれないが……。もはや人形の目つきが違ったもの(人形なのに)。曾根崎心中で玉男さん相手のときのお初もだけど、恋する女役の勘十郎さんのラブオーラはとにかくすごい。でも今回はそれとは違う。玉手御前の語る恋情はお園のクドキが恋に恋しているように見えるのと同様というか、しなを作る向きが相手ではない……、真実は心の向いている方向が違う、そういう感じ。クドキが自分自身に向いていて、芝居で擦り寄っているように見えた。それはともかくドドドドドと割り込んできた浅香姫に玉手御前が飛び蹴りをかますところは最高だった。千葉チャンを思わせるめっちゃキレイな飛び蹴りで、客席から歓声が上がっていた。

そんな玉手御前のめちゃくちゃな物言いにキレて脇差を取りに納戸へ駆け込む合邦のすばやさが和生さんとは思えない(?)すごさで、ちょっと面白かった。和生さんの、道理はわきまえているが娘可愛さで混乱している複雑な父親像、とてもよかった。落ち着いている風の前半から狂乱していく後半への、玉手御前と対照的な演技のメリハリが良い。まだ冷静なうち、頭巾をかぶった玉手御前が戸口へ来て母親を呼ぶところ、女房が開けようとするのととどめるときの、幽霊でも帰ってきてくれたのが嬉しいという女房に、狐狸の化けたのならまだいい、本物の娘が帰ってきたのなら入れてはいけないと言うのが悲しい。でも結局折れて入れちゃう。それが人間味あっていいよね。

物語の鍵を握る、玉手御前が持っているアワビの盃。人形の大きさに比してすんごいデカいアワビだなと思っていたら、最後に理由がわかった。俊徳丸の人形の仕掛けと関係あるのね。虎のゾロ目の血の奇跡で彼の病が本復するところに仕掛けが使われているのだが、結構うまくいっていた。自然すぎて、多分、仕掛け自体に気づいていないお客さんもいると思う。

 

『摂州合邦辻』は話に興味があって以前から見てみたい演目だったので、今回観ることができて、とてもよかった。私はこれすごく面白い話だと思うんだけど、変なストーリーと言われることが多い演目だと思う。個人的に説経節の『信徳丸』『愛護若』や謡曲『弱法師』、寺山修司の戯曲『身毒丸』で題材を知っていたので、「そういうアレンジなんだ〜」の範囲におさまるからかしらん。継母が義理の息子に懸想するという流れ自体では『身毒丸』のほうがかなり無茶があるので、そこと引き比べているのかも。個人的には、現代的な考えかもしれないけど、玉手御前は義理もあるけれども本当は俊徳丸を愛していて、それゆえにあんなメチャクチャな行動に出たと解釈したほうが面白くかつ自然だと感じる。ただこのあたりは出演者の語り方演じ方によって、聞こえ方見え方が変わって見えそうなところだとは思う。

 

 

 

行く前は、どんなもんかな〜と思っていた襲名披露だったが、大充実だった。 皆さん大変に力が入っていて、新織太夫の襲名を祝う気持ちがよく伝わってきて、こちらも楽しくなった。それに応えるご本人の意気込みや熱意もすばらしいものであった。『摂州合邦辻』は2月の東京公演にも行く予定なので、このあと1ヶ月で出演者の方々がどれくらい変化するのか、楽しみである。

 

 

 

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鏡割りの風景

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襲名祝いの飾り。文楽らしくのんびり時空なので、ご本人がお客さんとの記念写真撮影でウロウロされていたりします。東京歌舞伎座の襲名披露も行ったけど、やっぱり文楽はホンワカしていて、めっちゃ落ち着くわ……と思いました。

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文楽 12月東京公演『ひらかな盛衰記』国立劇場小劇場

「ひらかな」と書いて「ひらがな」と読むトラップ、今年最後の本公演は中堅公演『ひらかな盛衰記』です。

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昨年の中堅公演は 5月『絵本太功記』だったが、そこで武智光秀役だった玉志さんに「えー!この人ほかの人となんか違うー!!」とビックリして一年半、今度は玉志さんが樋口役で出演ということで楽しみにしていた公演。とはいえ人形ダブルキャストの都合で前期・後期両方行ったので、まとめて書いていこうと思う。

 

 

義仲館の段。

木曽義仲とその御台・山吹御前、子息・駒若君、腰元・お筆との別れを描く段。

この段は前期・後期で2回見てほんとうによかったと思う。前期に見たときは「みんな一生懸命がんばってる!」という感じだったが、その一週間後、後期に見たときは人形も床もみなさん芝居がこなれて、劇的に向上していて驚いた。とくに良いと思ったのは武者姿の巴御前〈吉田一輔〉が長刀を振るいながら宇治の戦いを物語るところの長刀の扱いと、義仲〈吉田玉佳〉が白馬に乗って出陣するところの騎馬の姿勢。私のような素人目にも一週間の上演を経てこなれ、余計な力みがなくなって洗練されていて、すごく良かった。段の内容自体も良いんだけど、今回はそこに一番感動しました。

 

 

 

大津宿屋の段。

大津宿で、巡礼の旅の途上であった摂津福島の船頭・権四郎一家と、京をのがれた山吹御前と駒若君、そしてお筆とその父・鎌田隼人が隣り合わせ、権四郎一家の数奇な運命がはじまるという段。

とにかく権四郎〈吉田玉也〉の在所の武骨ジジイ感がすごかった。はんぱないジジイオーラを放っておられた。出てくるときののしのしとした動きとか、宿の部屋に入って手甲を口でくわえて雑に外すところとか、ものすんごく在所のジジイ感がみなぎっていた。立ち振るいまいも、からだが硬くなってきたけどまだまだ達者な体格のいい元気ジジイ感ある。ジジイジジイ連発してしまったが、とにかくすごいジジイオーラだった。さすが玉也さんと思った。

権四郎が隣で泣いている駒若君にやろうとする変な絵、なんだありゃと思ったらパンフレットに解説が載っており、大津絵という土産物用の民画だそうだ。権四郎は、駒若君には「座頭の坊主が褌を、犬が銜へて引く所」をあげて、孫の槌松には福禄寿(下法)の長い頭にはしごをかけて月代を剃る絵と鬼の念仏の絵を与える。舞台で使われているのはパンフレットに載っている素朴な濃色の彩色のものよりも優しく淡い色で描かれた可愛らしいものだった。この絵は一瞬しか客席側から見えないので、よく見ていないと何を渡したかわからない。一応内容に意味があり、伏線になっている絵なのだが、後列席だと見えないのでは……。

ここからのお筆は旅姿の黒い着物で色っぽい。個人的にお筆は後期の勘彌さん目当てだったんだけど、思っていた通り、上品で清廉かつ色気があってとても良かった。それと、姿勢なのか動きなのか、お人形が華奢な感じに見えるのが良いよね。別の機会に妹千鳥とのからみのある段も見てみたい。

あとは座敷の奥の襖を開けようとする槌松に権四郎が「その襖開けんものじゃ、怖いぞ怖いぞ」というところ、開けられない書割の襖をつかもうとする槌松役の子の姿は袖をしぼるぞあはれなる。この後悲惨な感じで死ぬ分、11月大阪の宵庚申で書割の茶釜をはたきがけしていた勘十郎様以上にかわいそうだった。

 

 

 

笹引の段。

急襲された宿屋をのがれ、駒若君を抱き山吹御前を連れて笹林へたどり着いたお筆。しかし、彼女が敵を追っているすきに駒若君は番場忠太に首を掻き切られ、山吹御前は悲嘆に暮れる。だが、戻ったお筆がよくよく確かめてみると、殺されたのは駒若君ではなく権四郎の孫・槌松だったという話。

ここも2回見てよかった段。番場忠太役の玉勢さん、演技がとても良くなっていて驚いた。劇的向上度では玉勢さんが一番かも。

最後、首のない槌松、山吹御前、鎌田隼人の死体が転がるさまは人形ながらおそろしい。本当に死体が転がっているような無残な風景である。人形は人形遣いに持たれていなければやはりただの人形なのだが、ひとり生き残ったお筆がそこにいるため、ただ置かれただけの人形のその虚無さがおそろしかった。

 

 

 

松右衛門内の段。

大津の事件からしばらく後、権四郎一家は取り違えて連れ帰った駒若君を我が子、我が孫のように育て、先方が槌松を連れて訪ねてくるのを心待ちにしていたが……という話。この段、話がすごく難しくないですか? 今回は大津宿屋〜笹引がついているからちゃんと見ていればわかるし、よく聴いていればとても面白い話だけど、隣の席のかたが大津宿屋〜笹引をスヤっておられて、松右衛門内の展開に「???」となっておられた。

そんな松右衛門内、はじめに出てくるツメ人形の近所の茶飲みマダムたちが「孫、なんか急にこぎれいになってない?」と突っ込みを入れてくるのには笑った。そしてマダムたちに出される茶菓子(?)。あれ、菅原伝授の寺入りで千代が持ってくる手土産と同じだと思う。

しかし、松右衛門〈前期=吉田玉志〉の出はあまりに凛々しすぎて、びっくりした。ちゃんとした用事からの帰宅なので肩衣をつけて出てくるんだけど、「こんな婿さん在所におらんやろ!!!どこで拾ってきたんじゃ!!!!!」って感じのすさまじい凛々しさだった。いや、町人は町人なんですけど、なんというか、服装が地獄のようにクソダサいイケメンが現れちゃった、みたいな……。いや私はこれを観に来たんですけど、やっぱりごめん、どう見ても一般人じゃなかったです。玉志さんは常に凛々しいけど(時に面白いほど凛々しい)、どうやって人形に凛々しさという抽象的な印象をもたせているかはじっと見ていたけどよくわからなかった。姿勢や動きのメリハリ? ポーズを決めてぴっと静止させ、止まってからポーズを直さないから? 袖をピッピと返して樋口次郎兼光の名乗りをする場面、このあとの逆櫓の出で髪をさばき豆絞りのハチマキで出てくる姿など、その凛々しさがとても活きておられた。

あとは突然ハチマキをしめてすごい勢いで包丁を研ぎ始める権四郎が怖い。包丁がおもちゃっぽくなくてギラギラしているのが文楽っぽいと思った。

 

 

 

逆櫓の段。

「逆櫓」の稽古をつけてもらいに訪ねてきた船頭たちを連れ、樋口は沖へ出て面々に「逆櫓」を伝授する。しかし船頭やその主・梶原景時は彼の正体を見抜いていたという話。上演前、ロビーで「“さかろ”って何?」「たぶんバックできるんじゃない?」と話していたお客さん方がおられたが、まさにその通り、松右衛門内で脳の容量をすべて使い切っている身としてはわかりやすい名前で助かる。

沖へ出て「逆櫓」の説明をする樋口の振りは人形とは思えない華麗さ勇壮さで驚いた。とくに「スハ負け戦と見る時は……」のところはもう本気でびっくりして「!?!?!?!?」となってしまった。このときは人形がかなり上手にいるので、中央あたりの席を取っていた私は人形を向かって左側面から見ていたのだが、のびきった腕やからだの動きが立体的でなめらか、かつキビキビとしたメリハリがあって人形とは思えず、驚いた。その場面でおひとりだけ拍手されているかたがおられて、わかる、このかたは義理ではなく本心から拍手しているんだなと思った。私はびっくりしすぎてできなかったが、これからは拍手したいと思った。

今回は樋口が松に登る物見〜畠山庄司重忠の登場まで全部上演していた。よって松がめっちゃデカかった。立派な逆櫓の松で、樋口が登っても大丈夫なデカさだった。畠山庄司重忠〈吉田玉輝〉も美しく輝くばかりで良かった。この人ってわかってて駒若君を見逃してるんですよね??? そしてまったく関係ないけど、ひょんなことから玉輝さんのお年を知り、え!?!?!?そのお年であんなどでかい人形持ってるの!?!?!?と驚いた。玉輝さん堂々とした悪役が多いので人形がどでかいこと多いですけど、この人形なんかとくに武装しててすんごい重そうな上にぴくりともせずじーっとしてるのに……。立役の人はやっぱり体力ありますね。と思った。

ここは床も大変よかった。睦さん&清志郎さんは最初に観たときもよかったけど、2回目観たときにはさらによくなっていて、先を切り開いていこうという大変な気迫を感じた。たんに激しいだけでなく、それに雑にのっからず、ひとつひとつきちんと丁寧にやっておられると感じた。そこが一番良い点だと思った。やはり大きな人形って床が大きくないと映えないと思うので、その点でも今回の逆櫓は人形が見栄えしてとても良かった。

ところで逆櫓の樋口のサバみたいな柄の衣装、よく見ると真珠のようなやわらかな色合いのサテン風のつやつやした生地でできており、サバ柄は刺繍で描かれていて、ところどころに銀の糸が混じっていて美しかった。さすが主役、いい服着てますね。

 

 

 

上記ではお筆=勘彌さん(後期日程)、樋口= 玉志さん(前期日程)について書いたが、お筆前期の簑二郎さん、樋口後期の幸助さんも大変がんばっておられた。ダブルキャストの両日程観ると、みなさんそれぞれに良いところがあるし、役の解釈や演じ方の違いも見られて面白い。樋口のほうは左遣いは全日程同じ方なのかな? お疲れ様でした。

いつもの本公演も良いけれど、中堅公演は応援している方が良い役で出ているのを見られて楽しい。本領発揮の方、ちょっと背伸びの方、緊張されている方、いろいろおられる。通常の本公演よりピュアに感じられる部分もあって、純粋に文楽って楽しいな〜と思える公演だと思う。

 

 

 

国立劇場のインスタtheやっぱりキャプションが鬼長。樋口・玉志さん篇です。

 

今日の写真は12月文楽公演『ひらかな盛衰記(ひらがなせいすいき)』だよ✨ 『ひらかな盛衰記』っていう外題(タイトル)は、「『源平盛衰記(げんぺいじょうすいき)』(『平家物語』の異本)を分かりやすくした」という意味なんだよ~♪ 『源平盛衰記』に描かれる木曽義仲(きそよしなか)の最期と樋口次郎兼光(ひぐちのじろうかねみつ)の降伏の裏側には実はこんなことがあったんだよ、という風に作られたお話なんだ。 孫を殺された悲しみと怒りを持つ舅・船頭権四郎(ごんしろう)に、礼儀を尽くして主君・木曽義仲の若君の命を助けて武士道を貫かせてほしいと願う樋口。 二人のやりとりが涙を誘うよ(´;ω;`)ブワッ… 今回の上演では義仲が出陣する「義仲館の段」がついていることで、さらに物語が分かりやすく楽しめるようになっているんだ~⭐️ #国立劇場 #くろごちゃん #ひらかな盛衰記 #平家物語 #木曽義仲 #逆櫓の松 #文楽 #文楽鑑賞教室 #文楽みたよ #伝統芸能 #bunraku #nationaltheatre #tokyo #japan #cooljapan

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