TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 9月東京公演『玉藻前曦袂』国立劇場小劇場

第2部を観劇する日の朝、中平康監督の『才女気質』(日活/1959)という映画を観に行った。京都の表具屋一家の人間模様を描いた作品で、途中に南座文楽見物をするシーンが入っている。そこで上演されているのは『生写朝顔話』大井川の段、出演は竹本南部大夫、野澤八造、吉田栄三。朝顔が大井川の標柱にしがみつくあたりから段切れまでが入っており、三味線の手元や床の二人アップ、人形の背後からのショット、客席(下手桟敷席)からのショットが織り交ぜられ、映像的にも見応えがある。しかし衝撃的なのは義太夫のうまさ。人形の映像がOFFになっていても義太夫はずっと流れ続けているのだが、それがうますぎてまじびっくり。記録映像や音源でむかしの名演を聴いたことはあるけど、映画館の大音量で聴くとよりすばらしい。今後、私がこのような義太夫を生で聴ける機会はあるのだろうか。残念だがおそらくないのではないか……。そう思うとテンションが激烈下がった。そして、上演まではそう思っていたのだが……

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清水寺の段。

謀反を企てる鳥羽天皇の兄・薄雲皇子〈人形役割=吉田玉也〉は着々とその準備を進めていたが、懸想する桂姫が何度召しても応じないことに不満を抱いている。桂姫が思いを寄せていたのは、実は陰陽頭・安倍泰成の弟、采女之助〈吉田幸助〉だった。皇子は家臣・犬淵源蔵〈吉田勘市〉に、鷲塚金藤次を姫のもとへ遣わしてこれ以上従わないならば首を討ってこいと命じ、方丈へと去っていった。やがて薄雲皇子と入れ替わりに桂姫〈吉田簑二郎〉が清水寺を訪れる。姫は来合わせた采女之助に恋しい胸の内を訴えるが、采女之助は取り合わず、現れた犬淵が彼女を連れ去ろうととするのを追い払うのだった。

これは……、もう色々仕方ないのはよくわかっているのだが、床が……。いや、頑張っておられる方もいるのは重々承知で申し訳ないのだが、情景がマジ全っ然わからん! なんとかするか、上演しないかのどっちかにしてくれ! と思った。

 

 

 

道春館(みちはるやかた)の段、ここが一番の出色。

主なき藤原道春の館には、後室・萩の方〈吉田和生〉と二人の娘、姉姫の桂姫と妹姫・初花姫〈吉田文昇〉が暮らしている。初花姫は采女之助を想うあまり取り乱す桂姫を心配していた。桂姫は萩の方に呼び出され館を訪ねた采女之助に走り寄るが、采女之助は自分のことは諦めて入内せよとつれない態度で退ける。現れた萩の方は采女之助に何者かによって盗まれた獅子王の剣を奪還して欲しいと頼む。

そこへ薄雲皇子からの上使・鷲塚金藤次〈吉田玉男〉が訪れる。金藤次は萩の方に獅子王の剣か、皇子に靡かない桂姫の首、どちらかを差し出せと迫るが、獅子王の剣は差し出したくとも叶わない。萩の方は、実は桂姫は血を分けた娘ではなく夫婦の間に子どもがなかったことを憂いた道春が清水寺近くの神社参籠のおり五条坂で雌龍の鍬形とともに拾った赤ん坊であることを明かす。神から授かった子どもを殺すことはできない、妹の初花姫を身代わりにして欲しいと頼む萩の方だったが、金藤次は聞き入れず、どちらの首を差し出すかは二人の双六勝負で決めさせることになる。白装束で現れた二人の姫は互いを助けるため負けようとするが、勝負は桂姫の勝ちに終わり、喜んで首をさしのべる初花姫に金藤次は刀を抜く。ところが金藤次が斬り落としたのは桂姫の首だった。萩の方は憤り、長刀でもって金藤次に立ち向かうが、あえなく縁から蹴り落とされてしまう。それを影から見ていた采女之助が金藤次を刺すと、金藤次は苦しい息の中、ことの真相を語る。実は桂姫は金藤次の実の娘だった。かつて金藤次は東国の武士で、生国を追われ流れているうちに女房が女の子を生み、その子に雌龍の鍬形を添えて五条坂に捨てたというのだ。そして、獅子王の剣は仕官の条件として自分が道春館から盗み出したことを告白し、娘の首を抱いて嘆き悲しんだ。

そこへ帝からの勅使・中納言重之卿〈桐竹亀次〉が到着する。先の句会で初花姫が詠んだ歌が帝の目に止まり、玉藻前と名を改めて入内せよとの仰せ付けだった。萩の方と初花姫は喜んでそれを受諾し、姫は衣装を改めて玉藻前となる。

ここは床も人形も本当によかった。近くの席の男性が泣いていらっしゃったのも印象的。しみじみと美しく哀しい、すばらしい舞台だった。

奥の千歳さんは公演期間半ばだというのに早くもお声が枯れかかっていて、はじめは大丈夫か!?と思ったが、毎日ここまでの大熱演をされているのならお声も枯れようという次第。しかし、萩の方や初花姫の嘆きはその枯れかかった声が涙声の語りに相乗され、雰囲気のひとつになっていた。三味線も力強く素晴らしいものだった。いままで聴いた富助さんの三味線で一番良かった。登場人物のこころの動きがよくわかる演奏だった。出だしからここまでは正直「人形は良いんだけど、床が……」というのが否めず厳しいものを感じていたが、この千歳さん&富助さんには、きっとこれから文楽ですっごく良い浄瑠璃が聴ける、そう思わされた。

そして金藤次の人形! ほんとうにすばらしかった。いままでに観た玉男さんのしっとり系演技で一番よかった。前半の、こころのないような……、横柄で居丈高な振る舞いから一転し、采女助に刺されて髪をさばき、うつむいて過去を物語る姿には、長い間どうしているかと心に残っていた娘にやっと再会できたのもつかの間、名乗りもできず討たざるを得なかった金藤次の無念がよく滲み出ていた。派手な身振りはないが、うつむきかげんの表情の中に、ニュアンスと雰囲気だけで金藤次のこころのうちを伝えるすばらしい芝居だった。トークイベントでの玉男さんのお話通り、金藤次は桂姫が実の娘と知ってもすぐには表情に出さず冷淡なままであり、その悲しさに涙が出る。

ところで。文楽って同じ種類のかしらの人形が同じような衣装でおもむろに舞台に数人いたりすることがあるじゃないですか。あれ、まじで意味わかんなかったんですが、かしらというのはそれ自体で個性を出すものではなく、あくまで依り代である、アバターなんだなとこの段で突然思った。違いを見るのは語りや人形の遣い方。そういうことを感じた道春館であった。

 

 

 

神泉苑(しんせんえん)の段、廊下の段。

玉藻前として入内した初花姫は帝の寵愛を受け、多くの人に傅かれる日々を送っていたが、哀れ魔風とともに到来した金色九尾の妖狐〈桐竹勘十郎〉に食い殺されてしまう。妖狐が玉藻前の姿に変じ、御殿の奥へと進もうとしたところにかねてより彼女に目をつけていた薄雲皇子がしつこく口説きにやってくる。妖狐は自らの正体がかつて天竺と唐土を滅ぼそうとした老狐であることを明かし、皇子の謀反の企てに魔力をもって協力するかわり、成就ののちには日本を魔界とすることを持ちかける。それには八咫の鏡を穢すことが必要であり、ただひとつ恐れるのは獅子王の剣であると語る。皇子は鏡も剣もすでに落手していると語り、二人は御殿の奥へ消えてゆく。(神泉苑の段)

御殿の廊下では帝の寵愛を失った皇后・美福門院〈吉田清五郎〉と上臈たち〈菖蒲前=吉田玉翔、葛城前=吉田玉誉、千歳前=桐竹勘次郎〉が玉藻前の殺害を企てていたが、灯明を吹き消す一陣の風とともに現れた玉藻前は妖しい光を放って周囲を真昼の如く照らし出し、皇后たちを遠ざける。(廊下の段)

娘の貌と狐の貌、玉藻前の人形の両面のかしらの変化があまりにスムーズすぎて何が起こったかよくわからず客席全体???????となり、拍手がワンテンポ遅れていた。顔だけ狐になる変化には二通りがあり、前後に違う顔のついたかしらを使って髪をさばくと同時に顔そのものを変える「両面」のパターンと、娘の顔の上に狐のお面を下ろす「双面」のパターンがあった。「双面」のほうは『摂州合邦辻』の映像で観たことがあるので仕掛けはわかるが、「両面」のほうはまったくわからない。いや、仕掛けそのものはわかっているが、180度回してますと言われても回してること自体がわかんないんですけど……。なお、さいきん買った参考書『文楽のかしら』によると、「双面」の娘の顔は普通の娘のかしらと違い、つり目つり眉(狐眉)に描くそうです。

↓勘十郎様FaceBookに変化の動画がアップされています。 (音声あり注意)

ただ、この段のみどころはそういったいかにもケレンな部分だけではない。人間のときの玉藻前(文昇さん)と妖狐が変じた姿の玉藻前(勘十郎さん)、双方ともおなじ役ではありながら全然雰囲気が違っていて驚き。姉姫の死の悲しみに暮れるあどけない少女のような人間玉藻前からは一変、妖狐玉藻前は飾り糸のついた檜扇の扱いも堂に入った悠々たる艶姿。鷹揚な身振りも麗しい。今回の『玉藻前曦袂』は「化粧殺生石」が目玉のように喧伝されているけど、先の「道春館」は当然として、妖狐の演技ならばこの「神泉苑」が見どころではなかろうか。皇子と密談を交わす玉藻前の老獪で妖しい高貴さには魅入ってしまった。勘十郎さんってあまり身分の高い役を演じることがないからよくわからなかったが、こういう捻れた気品ある役も良いですね。ああとにかく一刻も早く『シグルイ』が文楽化され、勘十郎様が伊良子清玄を演じてくださることを祈るばかりなり。

 

 

 

訴訟の段、祈りの段。

病に伏せる帝に代わり政を執り行っていた薄雲皇子だったが、水無瀬へ御遊に出かけた折に連れ帰った遊君・亀菊〈吉田勘彌〉を寵愛し、昼夜かまわず酒色に溺れる日々を送り政治を怠っていた。亀菊を女御として披露したいという薄雲皇子に、男の心は変わりやすいと傾城の姿を解かない亀菊。皇子は心変わりをしない証にと八咫の鏡を彼女に預け、訴訟の裁きをも任命した。亀菊は早速内侍の局〈桐竹紋秀〉と持兼の宰相〈吉田文哉〉の金の貸し借り、下女お末〈吉田簑紫郎〉と右大弁〈吉田玉勢〉の色恋沙汰を粋に裁いていく。(訴訟の段)

訴訟は陰陽頭・安倍泰成〈吉田玉輝〉の番になる。泰成は帝の病の原因を玉藻前、その正体は金色九尾の妖狐であると訴えるが、同席していた玉藻前は証拠不十分と反論し、亀菊も玉藻前の言葉を受けて泰成の訴えを退けた。泰成はそれでは帝の病ご平癒のため祈祷をしたく玉藻前を弊取の役にと願い出る。これには玉藻前も了承し、殿中へと去っていく。亀菊が一人になると、泰成の使い・采女之助が姿を現した。亀菊は薄雲皇子から預かっていた八咫の鏡を采女助に渡す。実は彼女は帝派、泰成の密偵だったのだ。ところがそこへ薄雲皇子が現れ、裏切りに憤って亀菊を刺す。なんとか采女助を逃し、皇子に改心を願う亀菊だったが、彼の決意は変わる事なく、亀菊は息絶える。

一方、禁中にしつらえられた祭壇では帝の病平癒の祈祷が始まっていた。壇上からわたしを化生の者と言うならばその証拠を見せてみよと嘲る玉藻前に、泰成は携えていた獅子王の剣を抜いて掲げる。その剣の威徳の光に玉藻前は憤怒の形相を顕して、日本を魔界にできずに終わる無念を語り、妖狐の姿に変じて虚空高く飛び去っていった。(祈りの段)

御殿に現れる突然の傾城!!!!!! 突如始まる傾城裁判!!!!! めっちゃ国傾いとる!!!!!!!!!!!

亀菊、ハチャメチャに浮いていてちょっと笑った。紅葉散らしたる打掛の、豪奢な衣装に身を包んだ亀菊はとても可愛く美しいんですけど、とにかく唐突感がすごい。いやそういう話なんだけどとにかく激浮き。禿〈文字野=吉田簑悠〉に身の回りの世話をさせ煙管をふかし、ゆったりと首をかしげる。亀菊には不思議な華美さがあり、清楚なたたずまいで首をわずかに動かすたびにちゃりちゃり揺れて輝く簪が印象的だった。そして、勘彌さんが遣っているからか、亀菊は可憐な非処女というこの世ならぬ魔導生物的な何かになっていて、とってもよかった。こういう芝居ならではの現実味のないキャラを演じられるのは女方人形遣いさんでもごく一部だなと思う。次々出てくるどうでもいい訴訟(というか人生相談)の原告の人々も面白い。

獅子王の剣を突きつけられた妖狐が飛び去るところは宙乗り国立劇場小劇場はステージが狭いせいか、なんかほのぼのしていて可愛かった(?)。

 

 

 

化粧殺生石(けわいせっしょうせき)。

那須野原に飛来し、巨石「殺生石」と化した妖狐だったが、その禍々しい妖気は近づく者の命を奪い、草木を枯れさせていた。長い年月が流れる中、殺生石に閉じ込められた妖狐の霊魂は夜な夜な様々な姿に化け出でて踊り狂う。

この段はこれまでのストーリーから完全に切り離された景事。妖狐がコスプレ……もとい「七化け」を見せるお楽しみ会。

妖狐は、たんこぶのあるおもしろ「座頭」→うぶエロい「在所娘」→突然のおっちょこちょい「雷」さん→祭りの提灯みたいなのを掲げた「いなせな男」→こう見えても純朴で身持ちの固い「夜鷹」→おたふく顔が可愛らしいほっこり「女郎」→おおらかな「奴」さん→玉藻前と早変わりで変化してゆく。個人的には雷さんといなせな男が良いと思ったな。雷さんは四肢ののびのびとした動きがよかった。

イメージの違う役を巧くぱっぱっぱっと次々遣い分けてていくのが見どころだけど、勘十郎さん、余裕あるな! 悠々とやっておられるように見えた。実は私の席からは早変わりの仕掛けが一部見えてしまっていたのだが、あせることなく落ち着いてやっておられるのがよくわかった。私がいままでに観た勘十郎さんの技術上の驚きとしては『本朝廿四孝』の奥庭が一番驚異的で(あれだけ速い動きで人形の姿勢が崩れないのは本当にすごいと思う)、これはあそこまでの速い動きではなく浄瑠璃のテンポに乗ってぽんぽんやっていくので余裕に見えるし、ほぼ舞踊なので見ている方も気負いなくヤンヤヤンヤと気楽に楽しめる。って、実際には絶え間なくずっと踊りっぱなしだし、勘十郎さんには珍しく汗をかいておられたので、本当はとても大変なのだと思うけど。

この段、戦後の文楽では演じたのが先代の玉男師匠と勘十郎さんしかいないのかな? 我がバイブル、吉田玉男文楽藝話』に1枚この七化けのところの舞台写真が載っているのだが、「イケメンが狐のぬいぐるみ抱っこしとる!?!?!?!?!?!?」状態で爆笑した。いや、キマりすぎてて笑えない。ほら、勘十郎さんは愛嬌あるお顔立ちだからさ(disってないです)。あの写真1枚でもこの本買う価値あります。イケメンが狐遣ってる絵面がまじすごいんで。

 

 

 

道春館ではしっとりと浄瑠璃を楽しみ、以降はケレンに満ちた演出を楽しむ充実度の高い演目だった。観に行く前とはじめのほうの段では「人形はよくても床が……」という念がどうしても拭えなかったのだが、そのもやもやは道春館ですっきりと晴れた。この段だけでももういちど観たかったわ……。道春館がしっかりしていたおかげで後のケレン味の強い話もシンプルに楽しめた。

ところで今回、パンフレットの技芸員インタビューが勘十郎さんだったんだけど、完全に勘十郎様ワールドが炸裂していて爆笑した。インタビューページの図版ってみなさんだいたい「ワシも若い頃はイケメンやったんやで〜」的な若い頃の思い出アルバムとか載せているが、勘十郎様はご自分で描かれたキツネ姿の童子のイラスト、作ったぬいぐるみ(ブランド物にいろどられたしっぽを持つ“求美の狐”)の写真、蔵王キツネ村に行って小ギツネを抱っこしたときの写真を掲載されていて、オリジナリティ溢れすぎるページと化していた。でも勘十郎様ってほんとこだわり派だよね。単純に手先が器用なだけじゃなくて、なにごとにもこだわりと研究・研鑽をもってやってらっしゃるんだと思う。それが化粧殺生石に現れているんでしょうね。*1

 

 

 

 勘十郎様メッセージ動画

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*1:私なんかむかし『不思議の国のアリス』の眠りネズミのぬいぐるみを作ったら、不器用なくせに何の研鑽もしなかったせいで変なところから足を生やしてしまい、そのぬいぐるみ、友人一同から「ボッキー」と呼ばれてましたわ……

文楽 トークイベント:吉田玉男「『生写朝顔話』&近況について」文楽座話会

文楽座話会」はNPO法人人形浄瑠璃文楽座主催のトークイベント。「文楽座学」とは異なり、ホスト技芸員個人の芸談等が中心。以前、燕三さんの回に行ったときは燕三さんの弾き語りの会と化していたが*1、サテ、今回の玉男さんの話は一体どうなるのか……?

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┃ 宮城阿曾次郎の役について

  • (傍に置いた阿曾次郎の人形に目をやって)横に人形があると話せる……。
  • 宮城阿曾次郎は、遣っていて自分でも気持ちが良い。先代がよく遣っていた役。なんというかじっとしている役で、師匠は手数も使わない。いつもじっとしてるという気持ちで遣っていた。自分も足、左で遣っていて、その気持ちがわかった。
  • 阿曾次郎は動かない役だが、今日は暑くて……、目に汗が入って……、つらい……。目をぱちくりしてたと思うんですけど……(きゅっと目をつぶる仕草)。
  • 宿屋ではこう……、深雪がかわいそうだと思って遣っています……。深雪は目が見えなくて……、でも駒沢は名乗れなくて……、いい役やと思って遣っています……。お客さんには「名乗ればいいのに!」とよく言われる……。深雪は色々苦労があって……、輪抜吉兵衛に売り飛ばされて……、側にいて手を出したいけど……、ねえねえ。別れる芝居(話)で……、なんていうかこう……。最後の最後は……、会えるみたいですね……(注:最後の道行、「帰り咲吾妻の路草」のことらしい)
  • 駒沢のお兄さんが出る芝居(話)がある。駒沢が徳右衛門に渡す目薬はその兄貴=春次が中国から持ち帰ってきたもの。それは「麻耶岳の段」でわかる。通し狂言だと、そういうのが朝から晩まで続いてるんです。

 

┃ 笑い薬ではひたすらじ〜〜っとしている

  • 笑い薬の段では駒沢は動かないし、セリフもなくてつらい……。こないだ、祐仙(勘十郎さん)の左遣いが茶碗を取り落としてパリーーーンと割ってしまって……、びっくりしました……。ちょっと笑ったりしました……。
  • (司会からお客さんは演出だと思って大笑いしていましたねと振られ)簑助師匠が祐仙役を演じるときは、わざと茶碗を割る仕掛けを作っていた。拭いているうちに茶碗が割れるというもの。割ると、もういっこ用意してあった茶碗を茶箱から取り出す。そういうことをしているので簑助師匠はお茶を点てる演技が長くて、うちの師匠が「長い〜〜〜〜〜!!!!!!」と言っていた。
  • 駒沢役はそのお茶を点てるところをじ〜っと見て……、笑い転げているところを見て……、ほんとしんどいです……(心の底から大変そうに)。ずっとじっとしていなくてはならないので、左遣い、足遣いがつらい……。今回足は玉征、左は玉佳が遣っている。玉征はからだが大きいから大変……。足遣いがちょっとでも動くと「ん〜〜〜」(と腰をひねる仕草をして、動くなと指示する)。
  • ぼくの左はずっと玉佳、足は玉路か玉征。足遣いは体格で変えている。時代物の大きい人形のときは体の大きながっちりした子をつけている。そうでないと、「足に負ける」。大きな人形の足を安定してしっかり持って、がっちり遣えない(大型の人形の座り姿勢の足を持つ仕草)。いまは主に玉路にいかせている。世話物の二枚目は、(小柄な)玉延か玉峻にいかせている。

 

┃ 近松の男と世話物・時代物の違いについて

  • 最近は、近松物、『曾根崎』の徳兵衛、『冥途の飛脚』の忠兵衛の役を頂いている。時代物と比べ、世話物では様々な所作が必要になる。時代物は型が決まっているのである意味やりやすいが、近松になるとセリフが多く、ことばが多いと遣いにくい。世話物はサラサラと流れるように遣わなくてはならない。近松の男はナヨナヨして……、それがまあ……、上方の着流しの良いところやけど……。
  • 今年の2月東京公演では、忠兵衛と徳兵衛やらしてもらいましたけど、普通はこのように似たような世話物を続けて遣うということはない。通常なら「俊寛と忠兵衛」など、時代物が間に挟まれるので気分転換になるが、あれはちょっとしんどかったなあと……。時代物になると、人形が大きくて、大きく遣えるが、世話物だとダラっと長くなる。力を抜いて遣うのもそれはそれで苦労がある。どちらが好きか? 時代物のほうが好きかな……。でも、色々やってみたい……////

 

┃ 「玉男」の名跡について

  • 「玉男」の名前には、先代のイメージがあって、それが大きい。お客さんから「玉男さん」と呼ばれると、「ハイ❤️」となるが、ちょっと(ぴんと)こないときもある。先代の名前を継がせてもらうのは大きいことだと思う。
  • 「玉男」での駒沢、忠兵衛、徳兵衛、そしてつぎの大阪公演の加藤正清、半兵衛は「初役」。半兵衛は本当に初役で、ずっとやってみたいと思っていた。半兵衛は勘十郎さんとやります。大阪に来てください……。チケットありますので……(発売してないうちから売れ残り前提で話してしまう玉男様……😭)

 

┃ 女方配役と師匠の導きについて

  • 5月東京公演『加賀見山旧錦絵』での岩藤役は照れ臭かったですね……。立役でずっとやってきているので、お稽古から照れた。色気と品がないと大奥の女方の芝居はできない。「遣う」まではいかないが、この色気と品を出すのが難しかった。
  • 草履打ちは華やかな鶴ヶ岡八幡宮が舞台。ぼくが和生さん(尾上)をいじめる役。師匠が尾上を遣ったとき、2回くらい左に入ったことがあり、そのとき岩藤がどうやっているのかを見ていた。
  • この岩藤や先代萩の八汐は歌舞伎でも立役が演じる役。仁左衛門さんや吉右衛門さんがものすごいいじめるでしょ……。ぼくはこういう役しかできない。師匠は尾上を遣っていたが、自分には絶対できない……、遣えないと思います……。
  • (司会から今回の岩藤役もかなり悩んだと聞いていますがと振られ)10年前に大阪公演で遣ったときは、尾上役の紋壽兄さんから「もっといじめないかん」と言われた。今回はもっといじめたと思う。ああいうのはおもいっきりやらないと面白くない。お初役の勘十郎さんもかなりきつく叩いてました(びっくりした仕草、勘十郎さんも負けじとやり返してきたという意味か)。このときばかりはと……首筋をつかんで……ふだんはそんなことできませんから……(笑)。そういう役のときは楽しまないと……。大げさに「憎いな」「すごいな」と思っていただければ……。
  • 他に女方をやることはない。お七を一度遣ったことがあるが……(突然の仰天告白)。いろんな事情があって、お七と、『傾城阿波の鳴門』と、お園のサワリをイベントでちょっと遣わせてもらった。できなくはないんですけど……、照れ臭い。自分でも笑ってしまいそうになる。立役も女方も両方とも若い頃から遣っていればよかったが……。二十代では下女や遊女(『冥途の飛脚』の鳴戸瀬など)を遣わせてもらったが、三十代から人形遣いとしての方向が決まる。そのとき、「玉女は立役やな」と師匠が気づいてくれて……。(ぼくの遣う)女方の足が不器用やったから……(そう考えてくれだんだと思う)。
  • 勘十郎さんは本当に器用な人。ぼくは本当不器用やから……、もっともっと勉強したらできると……(思って頑張って修行を続けてきた)。師匠も「ぼくも不器用やったんやで」(←ものすご〜く優しい口調)と言っていた……。師匠から教えてもらい、注意を受け、だんだんできるようになってきたんかなあ……と思う……。
  • ぼくは今年で芸歴50年。勘十郎さんと和生さんも50年。勘十郎さんとは同い年で、勘十郎さんは3月生まれ、ぼくは10月生まれ。和生さんはちょっと年上です。

 

┃ 質疑応答

  • (『玉藻前曦袂』の金藤次の役について、気をつけているところ、どういう気持ちで遣っているか?)金藤次はあとの話に繋がる重要な役。道春館を上使として訪ね、そこで首を斬らなければいけない娘の片方がむかし生き別れた実の娘だったというのはいかにも芝居らしいが、即座に気づいた演技をしてしまうとお客さんに違和感を抱かせるので、すぐ変えたりしないようにしている。(このあと長々語り出そうとして、司会者にもう出番ですから!と打ち切られる)
  • (第一部の『生写朝顔話』ではなぜ白い着付なのか?)夏場の公演、夏らしい狂言は劇場からの依頼(指定)で白い着付を着る。でも、勘十郎さんや簑助師匠など、主役級の人は薄茶など、すこし色がついた良い着付を着る。若い人は化繊というか、ナイロンでできたみたいな真っ白な着付。これは出遣いが終わるとすぐ黒衣に着替えないといけないので、あまり良い着物を着ても意味がないから。(このあと長々語り出そうとして、司会者にもう出番ですから!と再び打ち切られる)

 

最後は阿曾次郎の人形をご自分で抱えて颯爽と去っていた玉男様(お弟子さん全員出演中のため自力回収)。ご出演のあいまでのトークイベントだったため、実際のお話は30分程度だったが、ニコニコしながらささやくようにお話しされる玉男さんのふんわり優しい空気感に会場全体がほわん……となった。舞台での勇壮さや覇気、ご自身の外見上からは玉男さんって武骨なかんじの方かなと思っていたけど、お話ぶりはとっても柔和、飾り気なく自然体で、ほんわか……しておられる。とっても癒し系で、舞台のお姿とオフとは真逆なんですね。玉男さんがいままでに見た中でMAX笑顔だったのも良かった。お孫さんでも生まれたのでしょうかというすごい笑顔だったが、会場に来ている方に心安い方が多かったのかしらん。とてもリラックスしてほわわん……とお話しされていた。

「玉男」という名前をとても大切にされているご様子が印象的だった。玉男という名前であらためて演じる役ひとつひとつを大切に思われているさまからは、お師匠様を本当に敬愛されていたんだなということが伝わってきた。そしてお若い頃お師匠様からかけられたという「ぼくも不器用やったんやで」ということばは玉男さんの中でとても大切なことばだったのだと思う。

 

最後に。トップに貼っている画像の写真は、お土産としてもらった渡邉肇さん撮影の舞台写真、玉男さんのサイン入り。これ、5月の赤坂文楽のときのものかな。白く輝くような知盛の人形の写りはすっごく良いんだけど、肝心の(?)玉男様がめっちゃ見切れてて、受付で受け取ったとき笑った。でも、「渡邉肇さん撮影の玉男様舞台写真、サイン入り」って、私がかねてより「欲しい〜!!!!!」と思っていたものなので、とてもとても嬉しかったです!!!!!

 

 

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*1:仮名手本忠臣蔵』の判官切腹をちょっとづつ弾き語りしながら詞章や弾き方のポイントを燕三さんが説明していくという外部運営ではまずありえないすごい回だった。燕三さんの弟子になった気分になれました……。燕三さんもとても自然体な方でした。

文楽 トークイベント:桐竹勘十郎「『玉藻前曦袂』について」文楽座学

文楽座学」は文楽東京公演会期中に開催されるNPO法人人形浄瑠璃文楽座主催の講義形式トークイベント。申し込めば賛助会員でなくとも参加できる。浄瑠璃等の研究者のほか技芸員による講義もあり、これは後者で、勘十郎さんがご自身で第二部『玉藻前曦袂』に関して解説するというもの。以下、トーク内容のまとめ。

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 ┃ キツネの役

  • 玉藻前の人形の髪や衣装を丁寧に整えてから客席を向き)大切にせんとね、怖いんです。
  • よく「玉藻前の役」と言われるが、わたしの役は妖狐なんです。妖狐ちゃんです。“ちゃん”をつけると可愛いですね。
  • 狐が大好きで、いままでたくさん遣ってきた。子どもの頃からキツネが好き。当時、小道具の白ギツネがうちにあった。触ったら怒られるので触らなかったが、母に連れられて劇場へ行ったとき、うちで見たときはモノだったキツネがいきいきと動き回るのを見て、好きになった。
  • 浄瑠璃には狐の役がたくさんある。『義経千本桜』の狐忠信、『本朝廿四孝』の八重垣姫、『芦屋道満大内鑑』の葛の葉など。
  • このうち『芦屋道満大内鑑』の葛の葉は本公演では遣っていない。あべの文楽で、玉男くんの保名で遣ったことはある。葛の葉の役は、歌舞伎では、残していく子どもへの置き手紙に大きな振りで空中に文字を書く演技があるが、浄瑠璃文楽)は太夫さんがどんどん語って進めていくので、そのような演技はなく、すでに文字が描いてある小道具を使う。
  • 芦屋道満大内鑑』は人形浄瑠璃史上でも重要な演目で、ここから三人遣いが始まったと言われている。「二人奴」という場面があり(信田森二人奴の段)、「与勘平(よかんべえ)」、「野干平(やかんぺえ)」というやっこさんが出てくる。この二人はそっくりな外見で、鏡写しに同じフリをする演技がある。当時の人形は一人遣いだったが、この大きな人形を三人で遣ったことから現在に続く三人遣いが生まれたらしい。人形はいっきに大きくなり、三人遣いがはじまって3年程度でいまくらいの大きさになったようだ。ちなみにこの「野干」というのはキツネのこと。上方よりも40年早く、江戸で三人遣いが興ったらしいが、その三人遣いは現在の文楽の遣い方とは異なり、「かしら」「両手」「両足」に別れての三人遣いだったそうだ。これはすぐに廃れてなくなったという。わたしが生きてたわけやありませんので、よそであったかもしれませんけど。
  • 八重垣姫について。今年は師匠に入門して50年の年なので、どこかで少しでもいいから師匠の相手役がやりたいなー❤️ と思ったら、正月公演(本朝廿四孝)で早速配役されて嬉しかった❤️ 数年前から師匠の病気のこともあり、『本朝廿四孝』の八重垣姫の役は、師匠が十種香、自分が奥庭を遣っていた。ところが配役を見たら両方とも自分が八重垣姫に配役されていて、師匠はその横にいる腰元濡衣だった。八重垣姫は三姫と呼ばれる難役で、十種香はとても難しい段。師匠がずっと横にいるのが気になる。師匠の視線が……、嬉しいんですけど……
  • 狐忠信は何度も遣った好きな役。
  • 有吉佐和子さん原作の新作『ゆきやこんこん』(とおっしゃったと思っていたけど、ごめん、有吉佐和子の話は別件で、高見順原作の『雪狐々姿湖』のことか)にもキツネが出てくる。主人公の奥さんになるキツネだけ白ギツネで、それ以外は普通の茶色のキツネ。「右コン(うこん)」と「左コン(さこん)」です。自分で作った新作の『鈴の音』『桜物語』にもキツネが出てきます。

  

 

┃ 金毛九尾のキツネ、化粧殺生石の段について

  • 芦屋道満大内鑑』『本朝廿四孝』『義経千本桜』ではキツネの色は白。今回の妖狐は「金毛九尾」のキツネ。小道具(ぬいぐるみ)は昭和49年、国立劇場での通し上演のために作られたもの。当時は先代の玉男師匠が妖狐の役を遣った。
  • 玉藻前曦袂』は天竺・唐土・日本を股にかけたスケールの大きい悪さををするキツネの話。天竺、唐土の場面ではインドや中国の衣装を使うが、人形遣いとしては中国等の衣装は遣いにくい。うちの師匠は大変嫌うんです。
  • 一昨年大阪で「化粧殺生石」が41年ぶりに上演されたのは、このキツネが見つかったところからはじまった。企画は東京(国立劇場)。昭和49年当時は文楽劇場がまだなく、通し上演は東京で行われた。キツネの小道具は収蔵庫にしまわれたまま長い時が流れたが、収蔵庫に入った人が金のキツネを見つけて「これは何?」となった。そこから再演の企画が持ち上がった。
  • 「化粧殺生石」は景事で振りつけが非常に多い。43年前の通し公演では、妖狐役の玉男師匠はヨーロッパ公演中に振り付けを覚え帰国したら即公演というスケジュールになってしまい、大変すぎて円形脱毛症になった。とお弟子さんから聞きました(突然のエビデンス)。外国でみんなあちこち行って楽しいのに、ひとりホテルでずっと踊ってるわけですから……。当時はDVDもないので、紙に書いた振りを見て覚えていた。自分も去年何度も踊った。すぐ忘れますので……忘れないと次覚えられませんからね。昭和49年に通し上演された後、昭和57年にも先代清十郎師匠が妖狐役で通し上演されたが、そのときは「化粧殺生石」は上演されなかった。大変すぎるからやないでしょうか。
  • 一昨年、玉藻前実は妖狐の役を演じるにあたり、那須殺生石へお参りに行った。演じる前と後の二回行っている。そこでお守りを2個授かってきた。そのうちひとつは自分が持っていて(懐から絵馬型の可愛いお守りを取り出す。金の糸でキツネが縫い取ってあるらしい)、もうひとつは金のキツネのおなかに埋め込んである。そういうのは結構信じてるんです。
  • 殺生石がある場所について。初めて行った時は、天気のこともあるが、この芝居の雰囲気がよくわかった(妖しく禍々しい雰囲気というニュアンス)。殺生石は近づいた生き物を殺し植物を枯れさせるというが、周囲には硫黄の匂いが漂っていて、実際、空気の流れによって鳥が落ちたり人が死んだりというのは本当のことらしい。

  • 帰りに蔵王のキツネ村に行った(唐突)。そこでは100匹くらいのキツネが放し飼いになっていて、エキノコックスなどの病気の心配もない。おとなしいキツネちゃんは抱っこさせてもらえる。抱っこするのに40分並んだ。蛍光色のジャンパーを着せられて、400円。可愛かった〜❤️ 初めて生きたキツネを抱っこできて嬉しかった。本当は大人のキツネを抱っこしたかったが、ぼくの手前で「疲れますから」と大きいキツネ抱っこが終わってしまい、子ギツネを抱っこさせてもらった。10月にまた行くので今度は大人のキツネを抱っこしたい。

  • 玉藻前を主人公にした話は17、8ある。インド・中国・日本の三国が舞台のものはほとんどない。お能の「殺生石」は石になったあとの話。キツネに関する物語は東日本に多く分布している。源氏が信仰していたのも稲荷。玉藻前は「獅子王の剣」だけが苦手で、剣を突きつけられて那須野が原へ飛んでいくが、実際、?????(聞き取れず、源氏の史料関係)の記録に三浦????(聞き取れず。今回上演されない段で獅子王の剣を持ち帰る三浦之助との名前の共通点の指摘の意)という名前が載っている。その人がキツネを射止めたのではないかと思うが、かわいそう。キツネはそっとしてあげておいてほしい。(突然の勘十郎様独自の感性のお話)
  • (今回の上演で使用するキツネの人形を実際に取り出す。客席大喜び)金毛九尾のキツネは、普通の白ギツネより頭ひとつぶんちょっと大きい。しっぽが9本あるので下半身が重い。しっかり持っていないと手首を痛めてしまう。一昨年の大阪公演ではあまりに重すぎて持てないので、2本しっぽを抜いたら、真面目に数える人がいて、9本ない〜!!!!!と騒がれたので、もとにもどした。そんなことはどうでもええんです!!!!!!
  • 玉藻前の人形は遣いにくい。赤の長袴をはいており、裾に「撥木」という板が取り付けてある。これに取手がついていて、足遣いはこれと袴の裾を持って、裾をさばきながら歩いているように見せている。
  • 化粧殺生石の段の七変化は、女方も立役も色々やりたいわたしにはぴったりの役。座頭→在所娘→雷さん→いなせな男→夜鷹→女郎→奴と人形を早変わりしていく。ここには主遣い以外に、21人の人形遣い、十数人の大道具さんが裏で動いている。あんまりころころ変わるので、お客さんのお連れさんなどが「あれは誰?全部おなじ人がやっているの?」と驚かれることもある。全部ぼくです。
  • 玉藻前曦袂』では道春館が一番有名で、ここのみの上演も多い。重く哀しい話だが、最後の「化粧殺生石」は歌謡ショー状態で景事。物語と関係ない。あんまり理屈を考えず見て欲しい。
  • いなせな男に変身するところで、「わたしに会いたかったら浅草三社の榎の木の下で葉っぱを拾いなさい」という浄瑠璃があるが、東京の王子狐の行列は榎の木の下で衣装を着替えるそうだ。ぼくも行列参加したいんですけどね、できないんです(開催が年末年始のため)。
  • やっこさんはさきほど話した与勘平のかしらを使う。
  • クライマックス、何度も観ているお客さんはここぞというところ(最後に玉藻前の人形が娘から狐面に変わるところ)で双眼鏡を取り出す。舞台から見ていると、ひとりやふたりやなく、けっこうたくさんの人がやっていて、野鳥の会みたい。(会場の期待に答え、玉藻前の人形をかまえて)一回しかやりませんからよう見といてください………(変化を実演)

 

 

┃ キツネ&文楽公演慣例Tips

  • キツネの役のときのみ、楽屋にキツネののれんをかける。キツネののれんは2つ持っていて、(ぽふぽふしっぽの見返り姿風のキツネが描かれた、森永キャラメルの箱のような黄色いのれんを取り出し)これは自分でキツネの絵を描いて、染物屋さんに作ってもらったもの。染物屋さんに「きつね色で」と注文すると、これで仕上がってくる。これを初めて楽屋にかけたときは大騒ぎされた。むかしは四つ足の生き物は劇場に連れてきてはいけなかった。「客が去ぬ(=いぬ、犬)」という縁起担ぎ。キツネは「客が来ん来ん(=コンコン)」と言われた。でも実際は去年の大阪公演はお客さんが増えたと聞いているのでええんです(突然のエビデンス)。もうひとつは、いま楽屋にかかっているので持って来られないが、いま歌舞伎座に出演されている絵が上手い歌舞伎役者さんに無理やり頼み込んで描いていただいたもの。
  • 毎回、公演の前に「道具調べ」といって、完成した大道具のチェックをぼく、和生さん、玉男さんでやっている。朝から晩まで、大道具に光を当たりして、ちゃんとできているか確認する。その日の朝に、楽屋入口に祀ってあるお稲荷さんをわけてもらった日枝神社の神主さんに来てもらって、安全祈願をしてもらう。今回は宙乗りがあるので、ワイヤーにも御幣を振ってもらうのだが、それがなんにもない舞台にワイヤーだけが吊ってあって、それに向かって振るのが……(笑)。国立劇場の役員さんとかえらいさんもみーんな真面目に頭下げてて……(笑)。いや、真面目にやってます!
  • 大阪ローカルメニュー。大阪には「きつねどんぶり」というメニューがある。薄揚げを卵でとじてあるもの。大阪のうどんやさんの符丁で「あまばけ」というのは、「甘いきつねそば」のこと。ばけ=そば(うどんから化けているの意)。「あまぎつね」は「甘いきつねうどん」です。

 

 

 

実際に玉藻前、金毛九尾のキツネも同席(?)しての1時間にわたるお話、充実だった。勘十郎さんのお話は優しくチャーミング。基本的に内部向けイベントのためか、ニコニコとリラックスして、嬉しそうにお話されていた。甘えん坊風の雰囲気がずるい。時々人形のほうを向いて、髪を整えたり衣装を直しておられたのも印象的。人形のほうをむいてお話しされたり。本当にお気に入りのお人形なんですね。

実演では、舞台では見られないブリッコギツネの演技がかわいかった。妖狐ちゃんには気品が必要なので、ブリッコはできませんからね。会場は国立劇場伝統芸能情報館のレクチャールーム(キャパ150人程度の講義室)というよくない環境だけど、やっぱり勘十郎さんが人形を遣うと雰囲気が変わる。玉藻前の人形実演で娘の顔が一瞬で狐面に変わるのは、「いまからやりますよー」と言われてもどうやっているのか全然わからず面白かった。もちろん、仕掛け自体は知っているのだが、なんであんな自然にできるのかが不思議だった。

 

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