「文楽座学」は文楽東京公演会期中に開催されるNPO法人人形浄瑠璃文楽座主催の講義形式トークイベント。申し込めば賛助会員でなくとも参加できる。浄瑠璃等の研究者のほか技芸員による講義もあり、これは後者で、勘十郎さんがご自身で第二部『玉藻前曦袂』に関して解説するというもの。以下、トーク内容のまとめ。
┃ キツネの役
- (玉藻前の人形の髪や衣装を丁寧に整えてから客席を向き)大切にせんとね、怖いんです。
- よく「玉藻前の役」と言われるが、わたしの役は妖狐なんです。妖狐ちゃんです。“ちゃん”をつけると可愛いですね。
- 狐が大好きで、いままでたくさん遣ってきた。子どもの頃からキツネが好き。当時、小道具の白ギツネがうちにあった。触ったら怒られるので触らなかったが、母に連れられて劇場へ行ったとき、うちで見たときはモノだったキツネがいきいきと動き回るのを見て、好きになった。
- このうち『芦屋道満大内鑑』の葛の葉は本公演では遣っていない。あべの文楽で、玉男くんの保名で遣ったことはある。葛の葉の役は、歌舞伎では、残していく子どもへの置き手紙に大きな振りで空中に文字を書く演技があるが、浄瑠璃(文楽)は太夫さんがどんどん語って進めていくので、そのような演技はなく、すでに文字が描いてある小道具を使う。
- 『芦屋道満大内鑑』は人形浄瑠璃史上でも重要な演目で、ここから三人遣いが始まったと言われている。「二人奴」という場面があり(信田森二人奴の段)、「与勘平(よかんべえ)」、「野干平(やかんぺえ)」というやっこさんが出てくる。この二人はそっくりな外見で、鏡写しに同じフリをする演技がある。当時の人形は一人遣いだったが、この大きな人形を三人で遣ったことから現在に続く三人遣いが生まれたらしい。人形はいっきに大きくなり、三人遣いがはじまって3年程度でいまくらいの大きさになったようだ。ちなみにこの「野干」というのはキツネのこと。上方よりも40年早く、江戸で三人遣いが興ったらしいが、その三人遣いは現在の文楽の遣い方とは異なり、「かしら」「両手」「両足」に別れての三人遣いだったそうだ。これはすぐに廃れてなくなったという。わたしが生きてたわけやありませんので、よそであったかもしれませんけど。
- 八重垣姫について。今年は師匠に入門して50年の年なので、どこかで少しでもいいから師匠の相手役がやりたいなー❤️ と思ったら、正月公演(本朝廿四孝)で早速配役されて嬉しかった❤️ 数年前から師匠の病気のこともあり、『本朝廿四孝』の八重垣姫の役は、師匠が十種香、自分が奥庭を遣っていた。ところが配役を見たら両方とも自分が八重垣姫に配役されていて、師匠はその横にいる腰元濡衣だった。八重垣姫は三姫と呼ばれる難役で、十種香はとても難しい段。師匠がずっと横にいるのが気になる。師匠の視線が……、嬉しいんですけど……
- 狐忠信は何度も遣った好きな役。
- 有吉佐和子さん原作の新作『ゆきやこんこん』(とおっしゃったと思っていたけど、ごめん、有吉佐和子の話は別件で、高見順原作の『雪狐々姿湖』のことか)にもキツネが出てくる。主人公の奥さんになるキツネだけ白ギツネで、それ以外は普通の茶色のキツネ。「右コン(うこん)」と「左コン(さこん)」です。自分で作った新作の『鈴の音』『桜物語』にもキツネが出てきます。
┃ 金毛九尾のキツネ、化粧殺生石の段について
- 『芦屋道満大内鑑』『本朝廿四孝』『義経千本桜』ではキツネの色は白。今回の妖狐は「金毛九尾」のキツネ。小道具(ぬいぐるみ)は昭和49年、国立劇場での通し上演のために作られたもの。当時は先代の玉男師匠が妖狐の役を遣った。
- 『玉藻前曦袂』は天竺・唐土・日本を股にかけたスケールの大きい悪さををするキツネの話。天竺、唐土の場面ではインドや中国の衣装を使うが、人形遣いとしては中国等の衣装は遣いにくい。うちの師匠は大変嫌うんです。
- 一昨年大阪で「化粧殺生石」が41年ぶりに上演されたのは、このキツネが見つかったところからはじまった。企画は東京(国立劇場)。昭和49年当時は文楽劇場がまだなく、通し上演は東京で行われた。キツネの小道具は収蔵庫にしまわれたまま長い時が流れたが、収蔵庫に入った人が金のキツネを見つけて「これは何?」となった。そこから再演の企画が持ち上がった。
- 「化粧殺生石」は景事で振りつけが非常に多い。43年前の通し公演では、妖狐役の玉男師匠はヨーロッパ公演中に振り付けを覚え帰国したら即公演というスケジュールになってしまい、大変すぎて円形脱毛症になった。とお弟子さんから聞きました(突然のエビデンス)。外国でみんなあちこち行って楽しいのに、ひとりホテルでずっと踊ってるわけですから……。当時はDVDもないので、紙に書いた振りを見て覚えていた。自分も去年何度も踊った。すぐ忘れますので……忘れないと次覚えられませんからね。昭和49年に通し上演された後、昭和57年にも先代清十郎師匠が妖狐役で通し上演されたが、そのときは「化粧殺生石」は上演されなかった。大変すぎるからやないでしょうか。
- 一昨年、玉藻前実は妖狐の役を演じるにあたり、那須の殺生石へお参りに行った。演じる前と後の二回行っている。そこでお守りを2個授かってきた。そのうちひとつは自分が持っていて(懐から絵馬型の可愛いお守りを取り出す。金の糸でキツネが縫い取ってあるらしい)、もうひとつは金のキツネのおなかに埋め込んである。そういうのは結構信じてるんです。
- 殺生石がある場所について。初めて行った時は、天気のこともあるが、この芝居の雰囲気がよくわかった(妖しく禍々しい雰囲気というニュアンス)。殺生石は近づいた生き物を殺し植物を枯れさせるというが、周囲には硫黄の匂いが漂っていて、実際、空気の流れによって鳥が落ちたり人が死んだりというのは本当のことらしい。
- 帰りに蔵王のキツネ村に行った(唐突)。そこでは100匹くらいのキツネが放し飼いになっていて、エキノコックスなどの病気の心配もない。おとなしいキツネちゃんは抱っこさせてもらえる。抱っこするのに40分並んだ。蛍光色のジャンパーを着せられて、400円。可愛かった〜❤️ 初めて生きたキツネを抱っこできて嬉しかった。本当は大人のキツネを抱っこしたかったが、ぼくの手前で「疲れますから」と大きいキツネ抱っこが終わってしまい、子ギツネを抱っこさせてもらった。10月にまた行くので今度は大人のキツネを抱っこしたい。
- 玉藻前を主人公にした話は17、8ある。インド・中国・日本の三国が舞台のものはほとんどない。お能の「殺生石」は石になったあとの話。キツネに関する物語は東日本に多く分布している。源氏が信仰していたのも稲荷。玉藻前は「獅子王の剣」だけが苦手で、剣を突きつけられて那須野が原へ飛んでいくが、実際、?????(聞き取れず、源氏の史料関係)の記録に三浦????(聞き取れず。今回上演されない段で獅子王の剣を持ち帰る三浦之助との名前の共通点の指摘の意)という名前が載っている。その人がキツネを射止めたのではないかと思うが、かわいそう。キツネはそっとしてあげておいてほしい。(突然の勘十郎様独自の感性のお話)
- (今回の上演で使用するキツネの人形を実際に取り出す。客席大喜び)金毛九尾のキツネは、普通の白ギツネより頭ひとつぶんちょっと大きい。しっぽが9本あるので下半身が重い。しっかり持っていないと手首を痛めてしまう。一昨年の大阪公演ではあまりに重すぎて持てないので、2本しっぽを抜いたら、真面目に数える人がいて、9本ない〜!!!!!と騒がれたので、もとにもどした。そんなことはどうでもええんです!!!!!!
- 玉藻前の人形は遣いにくい。赤の長袴をはいており、裾に「撥木」という板が取り付けてある。これに取手がついていて、足遣いはこれと袴の裾を持って、裾をさばきながら歩いているように見せている。
- 化粧殺生石の段の七変化は、女方も立役も色々やりたいわたしにはぴったりの役。座頭→在所娘→雷さん→いなせな男→夜鷹→女郎→奴と人形を早変わりしていく。ここには主遣い以外に、21人の人形遣い、十数人の大道具さんが裏で動いている。あんまりころころ変わるので、お客さんのお連れさんなどが「あれは誰?全部おなじ人がやっているの?」と驚かれることもある。全部ぼくです。
- いなせな男に変身するところで、「わたしに会いたかったら浅草三社の榎の木の下で葉っぱを拾いなさい」という浄瑠璃があるが、東京の王子狐の行列は榎の木の下で衣装を着替えるそうだ。ぼくも行列参加したいんですけどね、できないんです(開催が年末年始のため)。
- やっこさんはさきほど話した与勘平のかしらを使う。
- クライマックス、何度も観ているお客さんはここぞというところ(最後に玉藻前の人形が娘から狐面に変わるところ)で双眼鏡を取り出す。舞台から見ていると、ひとりやふたりやなく、けっこうたくさんの人がやっていて、野鳥の会みたい。(会場の期待に答え、玉藻前の人形をかまえて)一回しかやりませんからよう見といてください………(変化を実演)
┃ キツネ&文楽公演慣例Tips
- キツネの役のときのみ、楽屋にキツネののれんをかける。キツネののれんは2つ持っていて、(ぽふぽふしっぽの見返り姿風のキツネが描かれた、森永キャラメルの箱のような黄色いのれんを取り出し)これは自分でキツネの絵を描いて、染物屋さんに作ってもらったもの。染物屋さんに「きつね色で」と注文すると、これで仕上がってくる。これを初めて楽屋にかけたときは大騒ぎされた。むかしは四つ足の生き物は劇場に連れてきてはいけなかった。「客が去ぬ(=いぬ、犬)」という縁起担ぎ。キツネは「客が来ん来ん(=コンコン)」と言われた。でも実際は去年の大阪公演はお客さんが増えたと聞いているのでええんです(突然のエビデンス)。もうひとつは、いま楽屋にかかっているので持って来られないが、いま歌舞伎座に出演されている絵が上手い歌舞伎役者さんに無理やり頼み込んで描いていただいたもの。
- 毎回、公演の前に「道具調べ」といって、完成した大道具のチェックをぼく、和生さん、玉男さんでやっている。朝から晩まで、大道具に光を当たりして、ちゃんとできているか確認する。その日の朝に、楽屋入口に祀ってあるお稲荷さんをわけてもらった日枝神社の神主さんに来てもらって、安全祈願をしてもらう。今回は宙乗りがあるので、ワイヤーにも御幣を振ってもらうのだが、それがなんにもない舞台にワイヤーだけが吊ってあって、それに向かって振るのが……(笑)。国立劇場の役員さんとかえらいさんもみーんな真面目に頭下げてて……(笑)。いや、真面目にやってます!
- 大阪ローカルメニュー。大阪には「きつねどんぶり」というメニューがある。薄揚げを卵でとじてあるもの。大阪のうどんやさんの符丁で「あまばけ」というのは、「甘いきつねそば」のこと。ばけ=そば(うどんから化けているの意)。「あまぎつね」は「甘いきつねうどん」です。
実際に玉藻前、金毛九尾のキツネも同席(?)しての1時間にわたるお話、充実だった。勘十郎さんのお話は優しくチャーミング。基本的に内部向けイベントのためか、ニコニコとリラックスして、嬉しそうにお話されていた。甘えん坊風の雰囲気がずるい。時々人形のほうを向いて、髪を整えたり衣装を直しておられたのも印象的。人形のほうをむいてお話しされたり。本当にお気に入りのお人形なんですね。
実演では、舞台では見られないブリッコギツネの演技がかわいかった。妖狐ちゃんには気品が必要なので、ブリッコはできませんからね。会場は国立劇場伝統芸能情報館のレクチャールーム(キャパ150人程度の講義室)というよくない環境だけど、やっぱり勘十郎さんが人形を遣うと雰囲気が変わる。玉藻前の人形実演で娘の顔が一瞬で狐面に変わるのは、「いまからやりますよー」と言われてもどうやっているのか全然わからず面白かった。もちろん、仕掛け自体は知っているのだが、なんであんな自然にできるのかが不思議だった。