TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

くずし字学習 翻刻『女舞剣紅楓』二巻目 先斗町貸座敷の段

翻刻浄瑠璃 『女舞剣紅楓』の翻字二巻目。

『艶容女舞衣』において半七は親に勘当されたお坊ちゃんという設定だが、その先行作である『女舞剣紅楓』では設定がやや異なる。

半七が大和五條の茜屋の跡取り息子であることは同じ。しかしポジションや性格に違いがあって、『女舞剣紅楓』の半七は茜屋主人である父に命じられて、大坂の大店「宇治屋」へ出向している。現在は半七は手代の立場で若旦那・市蔵の京都行きへ同行し、世話を焼いている設定。仕事をちゃんとしていて、周囲への目配りができる結構なしっかり者。また、茜屋は半七の父(半兵衛)が宇治屋の先代(市蔵の父、現在隠居)から独立して開いたという設定になっている。

本作オリジナルの登場人物、市蔵は隠居した父から家督を譲られたれっきとした若旦那でありながら、相当なポワポワボンボンで、無邪気に遊び歩いている。市蔵には遊女の小勝という恋人がおり、実はこの小勝というのが三勝の姉。その市蔵が小勝を呼び出し、悪賢い手代・長九郎、いとこの善右衛門らとともに先斗町の貸座敷で今日もまた遊びに耽っているが……というのが二巻目のはじまり。

市蔵の放蕩や宇治屋には実在のモデルが存在するが、詳しくは三巻目の掲載時に譲る。

 

一巻目

 

 

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二巻目

千八百両。二千六百両。三千二百両。百二十八貫六百三十三匁六分。九十六貫目。
三百五十貫目。二百四十貫目。見れば金高凡七千六百両。銀高八百十五貫七
百三十三匁二分と。帳面合す奥の間は琴の音色も美しく。こがれし其夜は。あだ

 

夢の。いつをあふせにうつせみの。何ンと喜兵衛。先斗町の借座敷で。かうした勘定すると
いふは。あたらしいではないかい。いか様旦那市蔵様は嶋の内の女郎。小勝殿を連て此京に。三月キ
余りの御逗留。月勘定は御隠居からの格式。それ故はる/“\勘定を。お目にかけに来
たれど。何があの色すに打込。勘定は打やりに気にさへ入レばめつたむしやう。金は湯水と
蒔ちらし。大内相模には廿貫目やるの。山本屋三郎を受出すのと。出入の者は金もふけ
の昼。学問やら色事やら取交たせんさくと。かげ口いへば長九郎。ア是々。そりや旦那をやくた
なしにいふのか。君々たらず共。臣従たりといふ古語か有ル。忝くも旦那は。大坂ては宇治やといふ

 

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て。ならびのない金持。百貫目や二百貫目。おつかひなされても跡のへるといふではなし。人に
やるは。そくゐんの心仁の道。余りしはきはりんしよくといふて。聖人も呵つておかせられたと。学
問ごかしに市蔵を。そやし立たる一思案是ぞ浮名の初めなる。奥より出るは。難波津の。嶋
に名高期き全盛の小かつといへる訳しりが。爰に思ひをつながれて。しとけなりふり取なりも。おぼ
こらしうて色ふかき。長九郎は膝立なをし。久しぶりでの名が琴。アいつ聞てもきびしい/\。是は
又長九様のわるじやればつかり。ヲヽしんき。それはそうと。お前は物しりじやげなが。アノ。此宇治屋を
なぜ。都の辰巳とはいふへ。ハテ。宇治屋は都から。辰巳にあたつて有ル故。そこで宇治屋を辰巳。本ン

 

にそれでよめたわいな。喜撰法師の歌の心で。かはいらしい名では有ルと。我恋人にひかされ
てあだ名浮名もにくからず。何と喜兵衛見たか。旦那の迷ひもむりではない。今の世の
国色/\。おりやこくしやうでもひらでもくふて。お留守居方へ廻らふやならぬ。そんなら今の
せんなふは。二千両迄出すつもり。そふ心得て挨拶仕や。酒すごさずとつい戻りやと。番頭顔
のきりもりは。仏頼んで地獄なる。小かつは立て長九様ン。後にあをへと奥へ行。裾をひかへてこれ
小かつ殿。むごいぞや/\。大坂からこつち。こなたにくどくは幾度ぞ。思いひきらふ。と思ふても。モヽモ
とふも思ひ切れぬ。二度とはいわねぬたつた一度。つき合じやと思うふてと。ほうどだけばふりはなし。コレ

 

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長九様ン嗜まんせ。市蔵様ンはお前の為には何ンじやへ。現在のお主様。いかにわしが勤する迚そふ
さもしうはないわいな。学問とやら獄門とやらに。そんな事が有ルかへ。仮令勤の身じやと思へ
ばこそ声山立ずにこふして居る。憎ふはないがふつつりと。思ひ切ツて下さんせと。粋のさばきはくど
からず。かたいは詞も色めなり。いかにも聞へた。そんならこなた。茜屋の半七は旦那の為にはなんで
ござる。アリヤ親半兵衛が。御隠居に仕別られて大和五条の商人。其子の半七なら市蔵様
の為にはやつぱりけらい。ムヽあぢな事をいはんすはいな。半七様がけらいなら何ンとしたへ。アヽこれ/\小かつ
殿いはしやんな。それ程道立るこなたが。何ンで半七とはしていやしやる。サア。其訳が聞たい。とふから

 

状の取かはし。くろい眼コで見て置イた。有リやうにいやりやよし。そふないと今すぐに。旦那殿へまき出す
ぞ。サア。サヽヽヽどふじやと問詰られ。小かつは顔を打赤め。指うつむいて居たりしが。成ル程状の取
かはし。様子が有ル申シましよ。全わしとの訳ではない。証拠はと懐よりほどきし状を取出し。
うは書キは私が名。中の当テ名は三勝殿半七。其又三勝の状を。何ンでこなたの当名にして有ル。
さればいな。今迄隠して居たれ共ナ。アノ長町に居る舞子の三勝はわしが妹。半七様とは
お通といふ子迄有ルふかい中。始終の世話は姉の此わし。何ンで世話やくと思しめそふが。大和の
芝居で半七様ンを。妹三勝が見初。命にかけても逢たいときつい執心といふ事を。傍

 

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輩衆に聞た故。一人の妹かはいさに色をしらぬわしでもなし。どうぞあはしてやりたいと思ふ
た斗。大和の事ならつてもなし。其中トふつと市蔵様ンと。嶋の内の夏屋で一チ座の時。そこ
へ見へたが兼て聞た半七様。それからわしが取リ持て。今はかはいらしい中じやはいなア。したがかうし
た事がおもやへ聞へては。いふ事がこたへぬと。半七様のきつい隠しやう。それて三かつを妹といふ
事も。隠してゐたは此訳。必々疑ふて下さんすな。市様ンへはきつとさたなし。是斗リは頼ぞへ。きつい
粋では有ルぞいなと。長九郎を立テのぼし。のぼし立テられ両手を打。 大和の者も油断はならぬ。
半七めあやかり者。旦那殿にはいふまいが。其かはりにこなさんに。無心が有ルと付ケ込ムをあぢに

 

あしらい紛らかす折から表に。頼ンませう。なむ三ひよんな魔がさしたと。うぢ付ク間に小か
つはそつと。奥座敷へと走り行。案内とふて入来るは卡立派にいため付。勿体らしき
侍イに。挨拶なれし長九郎。いづ方よりと手をつけば。手前義は桜川大納言殿の家来。今川
大学と申ス者。宇治屋市蔵殿に直々御内意を得たく参ン上致た。其段よろしく御取
次願入と相イのぶれば。幸イ市蔵在宿致せば其段申達ツする間。暫く是に御休息
それおたばこ盆お茶持テと。礼儀もあつく奥へ入ル。やゝ時移り奥よりも長九郎引
つれ宇治屋市蔵。病気の長髪其儘に撫付ケ鬢のつやも能ク。座に居なを

 

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つて是は/\。大納言家よりのお使者と有レば爰は端近。先々奥へと末座に付キ。手前義
は宇治屋市蔵。自今以後御見しりおかれ下されと。挨拶聞イて堂上の使者ハヽハツト飛
しさり。扨はあなたが宇治屋市蔵様でござりますか。初めておめ見へ仕り冥加に余る
仕合と。思ひも寄ぬ挨拶尊敬。只ひれふすぞいぶかしき。アヽこれ/\。拙者は町人。左用の
御挨拶では近頃迷惑仕ると。かうべをさぐれば今川大学。市蔵を見上見おろし涙を流し。
御前にはいまだしろしめさぬ事故。さやうの御ふ審は御尤。もと御前には。桜川大納言家
の御三男。俗に申ス四十二の御二つ子故。陰陽家で占はせし所。公家武家になし奉つては。かなら

 

す御身に凶事あらん。町人百性となし申さば。御寿命長カしと申せしより。方々と承はり合せし
所に。大坂宇治屋喜左衛門殿に取かへ子の入由。それより拙者が親今川左近と申ス者。其節
の番頭源兵衛と申ス仁と相談仕り。人しらず宇治屋の惣領とは成給共。実は桜川大納
言家の御三男と。聞クより市蔵長九郎。初めて聞きたる取リかへ子さらにふ審ははれやらず。シテ
又其証拠ばしこざるかと。長九郎が根を押ス所へ。奥より出る善右衛門。両手をついてそこつながら
御使者様へ御ふ審。拙者義は是成市蔵とは従弟。親佐左衛門為には市蔵は甥。其
伯父たる佐左衛門。終にかやうの噂も申さず。跡にも先キにも只今承はつたが初め。何ンぞ慥

 

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な蹤跡をと。皆迄いはさずいふにも/\。去ながらたとへ此方に証拠有ツても。其方に証
拠なくては。猶々ふ審に思はれんと。いふ人々心付キ。幸イ此程入用有リて取寄セし。永代帳を持チ
来れといふより早く長九郎。廿七年以前ンの年ン号。くりかへし見る其中に。今川左近手代源兵
衛内々にて。桜川大納言の御三男を。惣領に申請ると。あり/\と印せし蹤跡。扨はそふか
と市蔵始メ皆々。[革可]*1て詞なき。今川大学家頼を招き。挟箱より木地台取出し。冠
装束重二単。市蔵が前に直し置。廿七年以来。御館には殊の外の御なつかしかり。使
者を取て御様子もおきなされ度ク思しめせ共。堂上の聞へを憚り給ひ。今日迄も其事

 

なく。此程しさりの仰には。外の子供はいづれも。雲上の交するに。あれ一人リ果報拙く。町人の
生立チ。年寄ルに従ひ思ひ出すと。御館の思しめしあだ疎に思しめしますな。夫故此装束は。
常こそはならず共。式日ツ五節の折柄は内々にて御召シなさる様にとくれ/“\の思しめし。若シ奥方
もあらば此重二単を指上いと。彼是の御心遣ひ。先ツ々御機嫌の御様子見奉り。いか程か悦
ばしう存ますと次第つぶさに述ければ。市蔵も涙を流し。公家武家の交ならず。ふ運
なる某を。子と思しめす御情。偏に父母の御恵の廣大さよと斗にて。有がた涙に伏しづむ。
座敷もしらけて見へければ。善右衛門は心付キ。先ツ々めでたい家のほまれ。縁ンにつながる手前

 

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迄いか程か大慶/\。長九郎が学文は雑掌役に相応。市蔵殿の惣髪はお公家様に又
相応。重二単は指詰小勝。先ツお使者をば通しませと。俄に追従けいはくは浦山しくぞ見へに
ける。使者は改め懐中より一通取出し念の為。御装束二通り慥に頂戴の御印形をと。いふ
にげにもく市蔵が早印形も手にふれず。長九郎宜しくはからへと。仰にはつと印形を押スにおさ
れぬ高位の旦那。今川大学奥へ来れ。九献をくんで寿んと。詞に各々ハヽハツト敬ひ傅く
かんたんの。爰の栄花の雲の上。皆々打つれ入にける。引かへし出る善右衛門。続いて跡より長九郎。
顔見合せて上首尾/\。扨テ家折たは。永代帳のもくさん大伴の黒主をはだし/\。何ンと善右

 

衛門が智恵見ておけ。市蔵を奢者にして家を追イ出し。跡目なければ親佐左衛門が後見する。
スリヤ此身体は善右衛門が心儘。其時そちを別家させ惚て居る小かつを請け出すか。拙者は舞
子三勝を思ひ者。何ンと色と金とのもふけ取。むまい/\と悦べば。アヽめつたにむもふないてや。アノ
こは者は今川大学。万ン一もくを割おると。おまへやおれが首がとぶ。こちらが命にはかへられぬ。いか様そこも
有ルわいや。そんならどふせうかう/\と。耳に口よせ相談の中へ小かつは走り出。善右衛門様ン長九様ン。市蔵
様ンの御待兼。早い事じやと言ひ捨てとつかい入レばヱヽどんな。奥でとつくり相談と心せはしくはしり入ル。
所へ出る今川大学。おめでた酒のほろ/\酔。ひよろ/\立出あたりを眺め。懐中より金子取出し

 

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明て見て。褒美の金子八十両。ヱ忝しと押シいたゞく。後へ長九郎善右衛門。たまし打に切付クるを引ツ
はづして取ツて投。又切リ付ルを算盤で。はつしと請ケし手引の早わざ。こなたをすかせばあちらから。つ
いてかゝるを大帳で交ケつ流しつ両人を。右と左リに捻上ケて天秤をこだてに取リ。顔も損ぜずさはがぬ
色目。コリヤ藤戸の格じやな。十夜の晩に誓願寺で友達チに頼れた大切ツなもふけ事。仕そん
ぜぬ所が宵寝の仁助。そんなあまい事でいくやうなおれじやごんせぬ。高がかるい者じやによつて。
跡のほぐれの気づかひさに。ばらして仕廻フつもりと見た。ふ了簡/\。惣体仕事といふ物は。念を入レ
てあつらへりや末代道具。ざつとしたでき合は損じがはやい。末代道具にせうと。でき合にあつらよ

 

ふと。どふ成リと手間賃次第。ばた/\せずと出なをさんせと。せんの先ン取ルすつぱの兀頂。二人は思案
の腰ぬかれ[革可]て。詞もなかりけり。何ンと長九郎。末代道具に誂ふかい。したが善右衛門様。末代道具
の代用見にや。手間賃がやられませぬ。いか様。代物見てからと。念をつかへば飲込みました。其代物見
せませうと。表へ向ひ手をたゝけば。ずつと出くる草履取リ。是も十夜の夜番の仲カ間。長九郎様。
善右衛門様。マアおめでたふござります。仁助。ア昔にかはらぬ手際/\。どうみやく事ならお家じや。サ。
十両のわけ口。丁稚衆に聞て置イた。久しぶりじやに。マア握らせ。いかにも浚そと。いふより早くぐつと
突込氷の釼キ。二人はがち/\色青ざめ。立たり居たりうろ付ク内。物をもいはさずとどめの刃。善右衛

 

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門様。長九郎殿。末ツ代道具誂の代物。性根のすはらぬ安ス物と。息の根とめる手間賃が二十
両。其又殺すを代物とは。ハテそつちがばれりやこつちも此首。互イにもらさぬ引ぱり仕事。分口
やらず一人リして。頂戴致す始終の工面と。人を殺して悠々と血押シぬぐふて立ツたるは。ぞつとする程
恐ろしき。さつても物仕め落付イたと。二人もおづ/\廿両。ソレ手間賃と投ケ出せば。押シ戴て懐
中し。御用があらば何ン時でも。随分まけて上ませう。おふたり様。おさらばと。ずつと行をアヽこれ/\。其死
骸をめつそふな。かうして置イてよい物か。どふぞ頼ムと引とむれば。三条のかはら迄。かたげて行のが金
十両。それは高い。高くば外を聞キ合して。お暇申と出て行を。ヲツト十両高ふない。切が有ルならおつての

 

さん用。かゝりはないと両人を。思ふ様に取たくり死骸をかたに引かたげ表へ出るぞふ敵なる。奥より
さは/\市蔵小勝。此喜びを大坂の夏屋でくいつと惣振舞。是からすぐに下リの用意。長
九郎供せい善右殿。同舩致そふいざ/\とあすをしらふの鷹の夢。富士見る夢のたびご
ろもきつれ。引つれ難波津の詞の。花ぞさかりなる

(三巻目へつづく)

 

 

*1:あきれ。革+可で一字。

文楽 1月大阪初春公演『加賀見山旧錦絵』『明烏六花曙』国立文楽劇場

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『加賀見山旧錦絵』草履打の段、廊下の段、長局の段、奥庭の段。

加賀見山は正直話がおもしろくない(突然の直球)。「女忠臣蔵」と言われても『仮名手本忠臣蔵』のような話の深みや文章の美しさがあるわけではなく、全体的に予定調和で単調。とは言え、舞台モノは内容が重厚であることだけがおもしろさではない。そこ以外に見所を作れるかが勝負の演目だと思う。

 

見所は、お初〈桐竹勘十郎〉の異形性。

勘十郎さんは簑助さんに似ていないと思っていたが、いや違う、やはり似ていると思った。見た目そのものはまったく違うが、その異形性そのものにおいては、かなり近いのではないか。

勘十郎さんって、石井輝男の映画に出てきそうなタイプだよね。あのあからさまな異形性、毒々しいけばけばしさ、「人間」でないことの強烈な主張。石井輝男がもし存命で現役であったなら、あるいは勘十郎さんが石井輝男の全盛期と同時代に今の技量があったなら、人形ながらキャストに混じってたと思う。ナチュラルに土方巽が混じっていた、あの感覚で。

このお初にしても、『緋ぢりめん博徒』に出てくる女渡世人たちに混じっていてもおかしくない。古典芸能だと女性の役は実際の女性以上に「女性らしさ」を強調するけど、勘十郎さんはあまり性別を感じさせないところも。(結構男性的な雰囲気があって、場面によってはそれがいきすぎて浮いているけど、岩藤〈吉田玉男〉が出てくるとバランスが取れるのは面白い)

お初は、尾上の前とそれ以外では、態度が明瞭に異なる。廊下の段で最初に姿を見せるときはおしとやかで大人しいお嬢さん風なのに、尾上の出以降、特に部屋へ帰って世話をするくだりになると落ち着きがなくなり、動作もやや乱雑になる。噂話で尾上が岩藤に侮辱されたことを知り、尾上が何かしでかすのではないかという不安、わたしが励まさなくてはならない、しかしわたしに止められるのかという焦りによって過剰にテンションが上がり、カラ元気のようになっているという解釈かと思う。尾上が脱いだ打掛を片付けるところも、近視眼的な相当がさつな畳み方だったが、他の役ならもっと丁寧にやっていると思う。そのカラ元気感が一種異様で、異様な深刻さ、やや病的に歪んだ印象があるのが勘十郎さんらしさだと思う。それ以外は普通の娘さん。用事をするため控えの間に下がっているあいだは動作が落ち着いていて、襖の出入りも一度かがんでから開け閉めしていて丁寧だし。

長局の段切、尾上の打掛を被って走っていく姿は、忠義に燃える純粋な娘とかそういうものじゃなく、異様な思念に精神を支配されて人間でなくなったモノの姿のようだった。尾上が着ていたときには可憐でおとなしげな柄だと思ったあの薄紫の打掛も、勘十郎さんのお初がかぶるとぎらついているように思えて、紫の小花柄も狂気の象徴のように見える。打掛に隠された彼女の顔を見てはいけないと思った。打掛の下のお初の表情はおそらくガブのかしらよりずっと恐ろしい。ああいうことができるのは、勘十郎さんだけだと思う。私は、お初は、もとから(浄瑠璃の時点から)人間ではないと思う。それが生かされた人形の造形、演技だと感じた。

でも、勘十郎さんのあの異形性をさらにいかすには、あの異形性に追いつけるほどの左や足が必要になる。しかしその日は来ないだろう。玉男さんは方向性の合った左の人がいて、恵まれてると思う。ただそれは偶然ではなく、一門での今までの積み重ねや、ひいては亡くなった師匠がやってきたことといった、数年レベルではない長い年月をかけての積み重ねがあったからこそだと思う。

床も、勘十郎さんの勢いに負けているように感じた。勘十郎さんの勢いというのは、勢いだけで押し切っているのではなく、浄瑠璃に即した登場人物の情念とご本人の情念があってこその、狂気めいたもの。床が人形に合わせる必要があるわけでも、狂気がいるわけでもないが、なにか競合するものがないと、アンバランスに思える。

 

和生さんの尾上はすばらしかった。第一部では和生さんの夕霧役の愛らしさに驚愕したが、でもやっぱり尾上的な役のほうが落ち着く。とはいえ尾上は和生役としては結構若めで、女子校の憧れの先輩的な感じだった。洗練された佇まい、うちしおれた雰囲気が美しかった。枯れた感じじゃなくて、しおれたて(?)な感じが良かった。長局のひとり舞台はさすが。あそこまで少ない動きの中で間を持たせられるのは、当代において和生さんだけだろう。仏間へ入るときの心を定めた陰鬱さはことに良かった。

 

玉男さんは珍しく女方、岩藤役で登場。玉男さんって、ああいう悪意とは真逆の人なんじゃないかなと思った。演技自体はうまいんだけど、そこに執拗さや陰湿さがない。義平次もそうだけど、性格が曲がってて頭で考えて人をいびるような役、あんまり向いていないなと思った。特に執拗さが全然ない。ご自分でも昔紋壽さんにもっとやらなきゃいけない的な助言をされたという話をなさっていたが、いじめかたが誠実すぎなのだと思う。ただ、佇まいはかなり上品で、大奥を仕切っている威厳はよく感じられた。

 

ほか、細かいところを箇条書きで。

  • 草履打ちの段で岩藤が地面にスリスリする泥つきの草履、表がベージュ、裏が茶色で、アルフォートみたいでおいしそうだった。文楽劇場で草履打ちチョコクッキーを売って欲しいと思った。あの丁寧なスリスリ動作、玉男さんらしい几帳面さがあって、良い。
  • 女方の人形って時々お顔を懐紙でトントンして化粧直しするが、人形遣いには化粧直しが的確な人と、「化粧直し」で何をやっているのかよくわからずやっている人がいるね。玉男さんは普段女型をやらないのに化粧直しが正しいのは、リアルな人間を含めた周囲をよく見ているのではないかと思う。
  • お初は普通の町娘とは喋り方が違うそうだ。武家の娘で御殿勤めをしているという複雑な設定のため、特殊な喋り方をするらしい。「タタタッ」と言って、ちょっとゆるむとのこと。実際の舞台ではそこまではよくわからなかった。
  • 以前に観たとき、廊下の段でお初が持っている小さな包みが何かわからなかったのだが、あの中に尾上の替えの草履(上履き?)が入っているってことなのね。あのミニ風呂敷包み、可愛い。
  • 長局は文楽以外では上演できないであろうめちゃくちゃ地味な内容で、あれをいかに聴かせるかに文楽のおもしろさがあるのだろうと思った。自分が観た回は初日・二日目だったからか、ギリギリの均衡という印象だった。良かったのだが、床と人形の兼ね合いがずれたり、緊張感が時折プツプツ切れていたように感じた。長いし、特に尾上一人になってからは大きな動きがないので難しいのだろうと思った。ただ、小娘は出てこないので、千歳さんにとっては声域的にやりやすいだろうなと思った。三味線はとても良かった。
  • お初が局を出る直前、棚に上げたお灯明がふっと消え、お初はそれに気づかないまま出て行ってしまうが、あれは不幸の予兆ということなのだろうか。
  • 廊下で岩藤と密談している伯父弾正〈吉田玉輝〉、相変わらず全身の毛がつながっていそうな風貌と仏壇の前に置いてるグッズ風の濃厚ビジュアルで玉輝〜〜〜!感満点だったが、うつむいて→顎を上げるところに下品と上品ギリギリ境界のニュアンスがあって良かった。
  • 奥庭に出てくる変なヒゲの人、ヒゲが変。〈忍び当馬=吉田玉彦〉

 

 

 

明烏六花曙、山名屋の段。あらすじは以下の通り。

雪降り積もる江戸の町。春日時次郎〈吉田玉助〉は主人の重宝「臥竜梅の一軸」を紛失して勘当され、その行方の目処もつかないことから自害の覚悟を決める。その前に、恋人である遊女・浦里〈吉田勘彌〉と娘・みどり〈前半=吉田玉路〉に一目会おうと、時次郎は浦里が奉公する山名屋へ忍んでゆく。

山名屋の二階では、湯上りの浦里とみどりがそっと話し込んでいる。みどりは浦里を実の母だと知らず、禿として彼女の身の回りの世話をしていた。塀の外に時次郎がいることに気づいたみどりに教えられ、浦里は伸び上がって時次郎に呼びかけるが、そのとき、髪結いのおたつ〈豊松清十郎〉がやってくる。慌てて身を隠す時次郎。

気分がすぐれないので髪を結うのはやめるという浦里に、おたつは髪を直せば気持ちもしゃんとするだろうと、表情の曇った彼女を鏡台の前に座らせる。おたつが髪を直しながら語るのは、夫との馴れ初め話。出会いこそ男の熱烈な求愛だったが、次第に金を貸せと言いだし、しまったと思ったものの若い時分は二度とないと思って金を工面し、それがかさんでついに心中の約束をしてしまった。しかしそれを友達に引き止められ、いまでは所帯を持って普通の夫婦のように仲良く喧嘩しながら暮らしていると。おたつは、浦里にも好きな男ができたら、思うようにいかず気が急いて無分別なことを考えてしまうかもしれないが、みどりのような可愛い子でもあったら無分別も出来ないと言う。そうして喋りすぎたと笑うおたつは、向かいの東屋へ行くと言って庭へ降りる。おたつは切戸口から出ると言って、そこに身を隠していた時次郎を山名屋の中へ押し込むのだった。

再会した浦里と時次郎は涙ながらに手を取り合うが、そのとき、遣り手・おかやが浦里を呼び立てる声が聞こえる。浦里は慌てて時次郎をこたつへ隠し、部屋へ入っていたおかや〈吉田簑一郎〉へは今起き上がったかのように振る舞う。するとおかやは旦那様が呼んでいると言って、浦里とみどりを引っ立てるのだった。

雪の降り積もる中庭に連れてこられた浦里とみどり。主人・勘兵衛〈吉田文司〉は、浦里に「時次郎から何か頼まれたことはないか」と問うが、浦里はシラを切る。勘兵衛はおかやに命じて浦里を庭の松に縛り付けさせ、拷問させるが、浦里はなおも口を割らない。止めに入ったみどりまで縛り上げると、勘兵衛は自ら庭に降り、時次郎から金岡の一軸*1の詮議を頼まれていただろうと火鉢にかけてあった鉄弓を突きつける。実は中庭に面した座敷の床の間にかけてあった掛け軸こそ、時次郎が探していた主人の重宝「臥竜梅の一軸」だったのだ。それでも吐かない浦里に業を煮やした勘兵衛は鉄弓でみどりを打ち据える。その責めに幼子はあっと声を上げて動かなくなってしまい、それを見た浦里は庭に倒れ伏して泣き叫ぶ。

その声に、現れた手代の彦六〈吉田簑二郎〉がおかやの振り上げた箒をとどめ、折檻の役目を代わりに引き受けると言う。実は彦六はかねてより浦里に横恋慕しており、この機会に彼女へ取り入ろうとしていたのだった。勘兵衛がこの場は任せるとして去っていくと、おかやは浦里の戒めを解こうとする彦六を責め立てる。しかし逆に彦六はおかやを滅多打ちにしてしまい、おかやが昏倒したすきに浦里とみどりを助け、一緒に逃げようと言ってへそくりを取りに行く。その隙にやってきた時次郎、床の間の掛け軸が探していた主家のものであると喜び、早速回収して浦里らとともに逃げ行こうとする。しかし彦六が戻ってくる足音が聞こえ、浦里は座敷の明かりを吹き消す。暗闇の中、彦六は浦里に財布を渡すと、床の間の掛け軸も持って行くと言い出す。掛け軸が見当たらず探り足で庭へ戻った彦六は倒れていたおかやに行き当たり、意識を取り戻したおかやは大騒ぎ。そのすきに時次郎はみどりを背負い、浦里を連れて店を逃げ出すのであった。

24年ぶりの上演とのことだけど……、そりゃ〜上演されないわな〜……と思った。これやるくらいなら加賀見山に筑摩川と又助住家をくっつけて上演したほうが良い気がするが、なんでこれを上演しようと思ったんだろう……。正直、途中で帰りたくなった……。

ツライのは、詞章が全部状況の説明になっていること、話にメリハリがないこと。「見せ場」も「ためにする見せ場」で、ストーリー上の意義がない。内容的に、人形浄瑠璃でやるには濃度不足なんじゃないかと思った。おたつの要素は原作である新内にはなく、義太夫オリジナルらしいけど、それでも間がもっていないし、行動が説明的すぎて不自然さがあり、あれを粋というのは無理がある。「浦里とみどりは親子だが、みどりはそれを知らない」という設定も有効とは思えなかった。正直、文楽にもこんなにつまらん話あるんだという逆の衝撃を受けた。床も相当うまい人がやらないと間がもたないと思う。こういうモタモタしてペタッとした演目こそ、錣さんが語ればもっとグッと締まるんではないかと思うけど、当たり前だけど今月は襲名演目に出演されてるからねぇ……。

人形の浦里、おかや、勘兵衛、彦六、それぞれのパフォーマンスは良い。でも、登場人物同士の人間関係が「設定」にすぎないせいで空回り感があり、ツライものがあった。おたつを簑助さんがやるくらいのパンチがないと、のっぺりした印象になる。少なくとも時次郎を清十郎にしてくれ。清十郎頼む分裂してくれと思った。

浦里は普通の娘とは少し違う印象の顔立ちのかしらのように思われて、なんというか、人間ぽい、普通ぽい顔なのが不思議だった。おもしろかったのは、後半、雪の庭に入ってくるときの足取り。他の演目にあまり見られないような雰囲気で、雪の中だからか、ツギ足のような、あるいは太夫クラスの傾城のように八の字を踏むような変わった歩き方をしていた。雪の中を歩く登場人物だと、駒下駄を履いていてカポカポ足音がするやつがいるが、そういうわけでもなく、雪をもぞもぞ踏み分けているという設定なのかな。ただ後半は縛られている時間が長すぎて、遊女らしい優美さに欠けるのが残念。演出上(浄瑠璃の文書上)の不備に感じた。

彦六が出てきて少し話にメリハリがつくかと思いきや、チャリとしてなんとも薄味。簑二郎さん自身は単調にならないよう舞台を盛り上げようと工夫なさってて、それで一息つけた感はあった。簑ブラザーズの工夫シリーズといえば、庭の雪に顔を突っ込んで気絶していたおかや婆が意識を取り戻して顔を上げたとき、フェイスパックのように顔へ雪を貼り付かせていたのは細かかった。毛穴が2年分ほど縮まりそうだった。(あと、しばらくすると頭にもちゃんと雪が積もっていきます)

 

繰り返しになるが、この上演によって、普段上演されている定番演目というのは、定番になる理由があり、かつ演出が非常に洗練されているということがよくわかった。この退屈さ、現行では見取りになっている演目の上演されていない段や、そもそも上演されていない演目を本で読んだとき、しばしば「そりゃ〜これは上演されないわな」と思うのと似た感覚を覚えた。文楽の満足感には、話のおもしろさ自体の比重が相当高いことを実感した。

 

 

 

そういうわけで、第二部はなかなかチャレンジ精神に溢れた番組編成だった。

演目の特性上、出演者の技量に上演上のおもしろさが左右されていると感じた。これによって、自分は技芸員個々のファンなのではなく、文楽自体が好きなんだなということがわかった。話がつまんないとなんだか満足感が薄い。私は本当は技芸員に興味ないのかもしれない。

 

あまりこういうことは書きたくないが、ひとつ。物陰からそっと立ち上がる人形って、封印切の忠兵衛、殿中刃傷の本蔵などいっぱいいるけど、あれは人形が物陰からすっと姿を覗かせるから雰囲気が出る。人形より先に人形遣いが立ち上がっては興ざめ。人形のミスで、小道具を落っことすとか、衣装の脱ぎ着に多少手間取るとか、そういううっかりミスや未熟故の手際の悪さは仕方ないと思っている。でも、これは偶然の過失のたぐいではない。何も考えてないからこういうことを平気でやるのだろう。この手のありえない悪手をやる人に対し、周囲は誰も注意しないのだろうか。それとも注意されても直らないんだろうか。いずれにしても虚しい。

 

 

 

文藝春秋1月号(12/10発売号)に掲載された玉男様のエッセイ。
(注:文藝春秋の公式デジタル記事配信。途中から有料)

昨年10月22日に行われた即位の儀に付随した首相夫妻主催の晩餐会に出演されたときの感想を綴ったもの。

狂言や歌舞伎と一緒に三番叟を踊ったことについて、文楽としてあの場にどういう考えで臨んだのか、他の芸能との共演の不安やその解消、どうしてあの人形だったのか等が語られている。パフォーマンス自体は動画配信で見たが、能・狂言・歌舞伎は世襲の出演者だったにも関わらず、玉男様だけ一般家庭出身。にも関わらず、「どちらのご宗家?」って感じで、押し出し度はほかの人に張っていたのがとくによかった。

しかし、玉男様の文章って、ものすごく静謐で簡素だよね。ここまでシンプルな文章は意図していないと書けないと思うが、どうなのだろう。小手先の文章テクニックtipsでは書けないタイプの文体だと思う。

↓ フル動画 1:25くらいからが古典芸能パートですが、先に狂言(翁)と歌舞伎(イケメンのほうの三番叟)が踊るので、玉男様(ギャグ顔の三番叟)が出てくるのは最後です。


【LIVE】野村萬斎・市川海老蔵が演目披露も 来日の国賓を招待 首相夫妻主催の晩さん会

 

 

おまけ。

2日目、第一部と第二部の間に、生國魂神社へ初詣に行った。4日ともなればすいているだろうと思ったら結構な行列が出来ており、第二部の開演に遅刻するかと思った。

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境内の浄瑠璃神社。絵馬がお初徳兵衛だった。

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のんきにたこ焼きを食ってから行こうとしたのが間違いだった。
(あほや谷町9丁目店で買いました。文楽劇場から徒歩10分くらい)

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*1:「金岡」って何? 巨勢金岡?

文楽 1月大阪初春公演『七福神宝の入舩』『傾城反魂香』『曲輪文章』国立文楽劇場

正月から情報量が多い! 初春公演に行ってきた。

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七福神宝の入舩』。

宝船に乗った七福神がそれぞれ隠し芸を披露する景事。開演時は舞台に紅白幕が張ってある状態で、それが振り落さされると、七福神の乗った宝船がセリで上がってくる。

最初の感想「人がめっちゃ乗ってる!!!!!!!!」。

次の感想「情報量が多い!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」。

文楽劇場の舞台横幅いっぱいの超巨大な船に、とにかく人がめちゃくちゃいっぱい乗ってた。うそ、7人しか乗ってない。その上、七福神がそれぞれが好き勝手にうぞうぞしているので、情報量が多すぎて気が狂いそうになった。

七福神の披露する芸は、歌舞伎の同演目では舞踊だったと思うが、文楽では舞踊ではなく楽器演奏系が多く、三味線のみなさんが活躍する。

  • 寿老人〈太夫=竹本三輪太夫/人形=吉田玉志〉 三味線で琴の音を出す。演奏は本物の琴+三味線。
  • 布袋〈豊竹靖太夫/吉田清五郎〉 腹鼓を打つ。鼓の音は三味線(鶴澤清𠀋)で再現。
  • 大黒天〈豊竹靖太夫/吉田勘市〉 胡弓を演奏する。演奏は本物の胡弓(鶴澤友之介)。
  • 福禄寿〈豊竹亘太夫/桐竹紋秀〉 越後獅子を披露する。
  • 弁財天〈豊竹芳穂太夫/桐竹紋臣〉 琵琶を演奏する。琵琶の音は三味線で再現(鶴澤清友)。
  • 恵比寿〈竹本太夫/吉田簑紫郎〉 竿で拍子を取る+鯛を釣る。
  • 毘沙門〈竹本文字栄太夫/桐竹亀次〉 三味線を弾く。

玉志サン、新年一発目の役はまさかの七福神センター。上品で清楚げな爺さんだった。寿老人が三味線を弾く手のフリは初日から床とぴたっと合っており、すごいを通り越して若干不気味だった。自信満々でやっているというよりやや神経質な合わせ方で、勘十郎さんの阿古屋とはまた違う意味で玉志サンの執念を感じた。どうも琴の音は余韻として聞こえるという解釈らしく、人形の手のフリは琴の音では動かさず、三味線に合わせているようだった。
寿老人は一番ジジイだからという理由で最初に芸を披露するが、寿老人が三味線を弾いているあいだ、ほかの6人が酒盛りをはじめるのがやばい。絶対三味線聴いてない。大黒よ、なに打ち出の小槌で酒出してんねん*1。しかし、その間も、うしろにいるほかの役の人で、寿老人をガン見している方が複数おられた。いつかご自身に寿老人役が来る日に備えておられるのだろうか。
あと、寿老人はものすごい爺さんという解釈だからか、スタンバイしているときはそこはかとなくプルプルしており、相当な後期高齢者感というか、おじいちゃんを通り越してチワワ入りはじめていた。つねにちっこく佇んでいてかわいかった。

布袋は耳がたぷたぷしていた可愛かった。耳たぶだけかしらとは別の素材でできているらしく、ぷるんぷるんしていた。
宝船が最初にセリで上がってくるときの、ちょっと体をひねってそらせた上向いた立ち姿がとてもよく、さすが清五郎!と思った。ちょっと律儀そうなのが良い。ポーズのキメで重要となるアイテム、袋が意外と重そうで、肩にかけるときは勢いよく回して遠心力で肩にのっけていた。
腹鼓はお囃子が入れるのかと思ったら三味線でやっていて、ちょっととんまな音でおもしろかった。技法は、三味線の糸と竿のあいだに指を入れて糸を持ち上げ、擬似的にくぐもった音を出というもの。糸は爪で持ち上げているようだったが、大変そうだと思った。
ところで布袋さん、自称「和尚」と言っていたので神なのに一般人なの?と思ったら、布袋さんって本当に僧侶なんですね(Wikipedia調べ)。勉強になった。

福禄寿の角兵衛獅子は、伸び縮みする頭の上に獅子舞をかぶせて頭をピョコピョコ伸縮させつつ踊るというもの。船のへりから獅子舞の乗った長い頭をニョッと突き出して登場、ひょうきんじじいになっていた。本物の角兵衛獅子ってバク宙したりするけど、うしろに背後霊がいっぱい憑いてる文楽でどういうふうにやるんだろと思ったら、ひょこっと逆立ちしていた。わりと器用。調子こいたジジイ感があってよかった。それはいいけど、あの頭部は日本芸術文化振興会レギュレーション的にOKということでああなってるんだと思うが、うーん、文楽らしいおおらかさ、と思った。

大黒は胡弓を弾く前の狩衣のようなふわっとした袖をひらひらさせる振りがよかった。外見に似合わないシャープさがある。瑞々しさ、ふんわりとした優しさ、端正さが垣間見得て良かった。初日は人形の胡弓の準備に手間取って弾きだしのところが床に遅れてしまっていたが、二日目には早速リカバリしており、さすがだと思った。

弁財天の人形、頭の上にティアラのように鳥居を乗せているのはなぜ?と思ったが、どうもそういう姿で造形される弁財天がいるようだ。あと、先がとんがったブーツを履いているのが可愛かった。
しかし何より驚くのは、三味線で再現される琵琶の音。突然ジャランとした音が鳴ったので本物の琵琶を演奏しているのかと思ったら、清友さんが三味線で琵琶の音を出していた。『源平布引滝』の中に「松波琵琶」という段があって、そこでは琵琶の音を三味線で再現していると聞いたことがあり、実際「松波琵琶」の古い録音を聞くと*2なんだかいつもよりジャランとした音が鳴っとるぞと思うのだが、いかんせん録音が相当古く、リマスター等もしていない音源のためよくわからなかったのだが……。生の演奏で聴くと、確かに琵琶の音に聞こえる。ふだんの太棹三味線とはまったく違う音。すごい。コマの交換等によってあの音を出しているようだが、コマだけでこんなに音が変わるんだ。人形が持っているのは本物の琵琶ではと思うが、本物の琵琶を持っていない清友さんのほうが琵琶の音を出しているのはすごい。
ちなみに弁財天の人形が琵琶を弾く手のフリ、初日から清友琵琶に合っていて、これもまた不気味だった。そうそう出ない演目だし、琵琶を弾く役も滅多にないと思うが、どうやって演奏を覚えているんだろう。寿老人の玉志さんかて、立役で三味線弾く人形なんか滅多におらんのに。確かに玉志さんや紋臣さんは普通の演技でも必ず浄瑠璃の間合いに合っているので、床をよく聞いているということだろうか。
あと、弁財天の姫感というか、サークラ感がとてもよかった。琵琶は遠慮しますと芸の披露を一回断ったとき、両サイドのじじい&おやじ6人が一気に騒ぎ出すのがやばかった。おまえらさっきまで他人の芸の披露にほぼ無反応やったやん。なんでここだけギャーギャー騒ぐねん。お弁女郎とか、そんなあだ名初めて聞いたし。弁財天はビッシリごっつい服を着ているが、扇子を持って踊っているところの過剰なお色気感は宝船を沈没させそうだった。
太夫は芳穂さんで、ちょっと声がしっかりしすぎになるかなと思ったら意外と(と申しては誠に失礼ではあるのだが)紋臣さん弁財天と合った訳あり風の艶冶な雰囲気があり、サークラ感に合っていた。少し細くしたような声の絞り方(声量ではなく、幅)がよかった。

恵比寿(本名・恵比寿左衛門三郎、西の宮在住。そうなの?)は最初に釣竿で拍子を取るが、釣竿にしなりがあるせいか浄瑠璃の間合いに合っていなくて違和感があった。
ひとしきり拍子を取ったあとは、竿の先にえびをえさにつけ、海に放り込んで釣りをはじめる。そのえびが結構立派なやつで、おいしそうだった*3。恵比寿さんが頑張ってナニカを釣ろうとしていると、大黒さんが応援のため、打出の小槌でビールジョッキ(の食品サンプル)を出してくれる。よく見るとジョッキに恵比寿さんのイラストが描かれていて場内爆笑なのだが、エビスビールと言いたいのはわかるけど、あのイラストって今宮戎神社えべっさんのイラストってこと? 関西の人にしかわからんギャグ。私(東京在住)は恵比寿さんの絵だってことはわかったがイラストの意味がわからず、1Fロビーに今宮戎神社十日戎のポスターが貼ってあるのを見てやっと気づいた。文楽からは大阪や関西独自の風習を知ることができて、本当に勉強になる(?)。
さて、何が釣れるかというと、ぴょい~んと跳ねたのは真っ赤なでっかい鯛(釣り上げの瞬間がめちゃくちゃうまい!!)。おお、なんか足らんと思ったらこの恵比寿さん、鯛を抱っこしてなかった! 鯛さんはびちびちと元気にされており、下手の大黒さんや福禄寿、寿老人の間で跳ね回っていた。
実はこの鯛、日によって動きが違うアドリブ鯛のようだ。初日は鯛リレー。恵比寿さんが隣にいる大黒さんに渡したところ、大黒さんが爆弾リレーのように隣にいる福禄寿にパス、福禄寿も寿老人に渡そうとしたが受取拒否。福禄寿は寿老人に鯛のクチビルをグイグイ押し付け、押し付けられた寿老人がフオオオオとなる展開だった。二日目は大黒さん(確か。福禄寿だったかも)が鯛を受け取ったあと即座に寿老人へ押し付けにいったため、寿老人やむなく(?)受領、跳ね回る鯛を抱っこしてジタバタするという展開だった。以降、鯛は下手3人だけで回したり、やはり寿老人に襲いかかったりと、日々違う動きを見せているようだ。このブログをお読みの皆様もぜひご観劇日の鯛の動きをコメント欄に書き込んでください。ちなみに鯛は最後にはちゃんと恵比寿さんのところへ帰っていき、ヨシヨシイイコイイコされていた。

最後の毘沙門は三味線。毘沙門が「わしもやるー!」と言い出したとき、下手の3人が「うっわー」「いやいやいや」「あかんやろ」って感じでめちゃくちゃdisりはじめるのがやばい。さっきから下手3人やかましいわい。両サイド2人はともかく、なに勘市も一緒になって騒いどんねん。毘沙門の一芸はジャイアンリサイタルなのだろうか。上手の2人は「……」程度の反応なのに、下手のやつらどんだけ自由やねん。毘沙門の三味線は最終的にふさふさ付き扇を持った福禄寿にお鼻をこしょぐられ、クシャミで中断させられていた。

話自体は中身一切なしの40分だが、「何かめでたいものを見たっ!!!」という気になった。おめでたさと豪華感と文楽特有の親しみやすさが満艦飾状態で、正月〜!って感じ。正月の一発目の演目は毎年ほぼ景事のようだが、他愛のない内容のわりに結構うまい人が配役されるのは贅沢なことだと思う。

以上、内容がないと言いながら感想がおそろしく長くなりすぎた『七福神宝の入舩』でした。

 

 

 

竹本津駒太夫改め竹本錣太夫襲名披露狂言、『傾城反魂香』土佐将監閑居の段。

まず最初に、津駒さんがこのような晴れ舞台での襲名披露を決心されて、本当によかったと思う。私はご本人とは無関係の立場だが、いろいろと思うこと、どうしてと思うこともたくさんあったけれど、襲名披露公演が決まってからの様々なイベント等を含め、これで本当によかったと思えた。心からお祝いを申し上げます。

口上幕は設けないとのことで、口が終わって床が回った時点で一旦進行を止め、床口上。床に新錣太夫、宗助さんが並んでいるほか、三味線側の小さい扉から呂太夫さんが出て襲名披露の口上をした。
床口上であっても喋る内容は口上幕と同等。祝辞をする人が1人であるだけという感じ。本人はずっと頭を下げたままなのも変わりない。口上の内容は五代目錣太夫の紹介のほか、「生真面目な六代目錣太夫さんが若い子ころ真面目さのあまりやらかしたやばすぎる案件」の紹介だった。東京公演でも同じ口上である可能性があるので内容は伏せるが、うん、確かにやらかしそう。と思った。口上のあいだ、錣さんはずーーーーっと深く頭を下げていたが、その間にも汗が床にボタボタと落ちまくっていた。さすがだと思った。

 

土佐将監閑居の段、あらすじは以下の通り。

土佐将監光信は近江国高島家に仕える絵師であったが、高島家家伝の硯をライバルと激しく争ったことで主人から勘当を受け、山科の閑居で浪人生活をしている。その屋敷の庭先へ、ドヤドヤと近隣の百姓たちがやってきて騒ぎ出す。将監の門弟・修理之助〈吉田玉勢〉がそれを咎めると、百姓たちは「虎が出た」と言い出すので、修理之助は日本に虎などいるはずもないと笑う。しかし姿を見せた土佐将監〈吉田玉也〉に促され、皆で竹やぶを探すと、やぶの中から虎がギャオ~と現れたではないか。驚く一同に、将監はその虎の正体は狩野元信が描いた虎の絵が抜け出たものだろうと語る。その言葉通り、修理之介が絵筆でシュパパパパとすると、虎は霞のように消えてしまうのだった。修理之介はこの功績で将監から「土佐」の苗字を許され、土佐光澄と名乗ることになる。

[ここから奥]そこへ修理之介の兄弟子、浮世又平〈桐竹勘十郎〉が妻・おとく〈豊松清十郎〉を伴って訪ねてくる。又平は土産物の大津絵を描き売ることで貧しく暮らしていたが、日陰となった師匠を心配してこの閑居に日参していたのだった。喋りの不自由な又平に代わり、おとくは土産物を渡してひたすらくっちゃべりまくっていたが、弟弟子である修理之介が「土佐」の苗字を賜ったと聞いて驚愕。又平とともに夫にも苗字をと懇願するが、将監は修理之介には絵筆の功績を上げたために苗字を与えたのであって、功のない又平には許すことはできないと言って叱る。言葉が不自由なことを師匠ばかりか妻にも言われた又平は、舌を掴んでひどく嘆き悲しむのだった。

そうしているところへ、狩野元信の弟子・雅楽之介〈吉田一輔〉が刀を提げて現れる。雅楽之介は高島家の姫が敵に奪われたことを報告し、姫の救出を将監に依頼してまた去っていった。将監が今すぐ姫の身に危急は及ばないだろうとして弁舌の立つ者に救出を任せようと考えていると、又平がなにやらそわそわしている。何が言いたいやらわからないおとくを押しのけ、又平は姫君は自分が迎えに行くことを必死にアピールして泣きじゃくる。しかし将監はそれを退け、又平の言葉の不自由さを指摘して修理之介を遣わそうとする。代わって欲しいと修理之介にすがりつく又平に気を焦らせる将監夫婦、おとくは修理之介から又平を突き放す。女房にまで狂人呼ばわりされた又平は大泣きするが、将監は又平に「土佐」の苗字は画業での功績あってこそ授けるもの、武道での功で継がせることはないと語るのだった。

おとくはもはやこれまでと、ここで自害し贈り号として苗字を賜るしかない、そのための石塔として、庭の手水鉢に自分の姿を描くよう又平へ言う。思い定めた又平は、魂を込めて御影石の手水鉢に自分の姿を描く。ところが不思議なことに、その筆勢は分厚い石を通り越して反対側にも浮き出ているではないか。その絵を見た将監は驚き、師匠にも勝る画工として又平に「土佐又平起」の名を与える。驚いた又平はおとくとともに涙し、喜びに飛び上がる。

将監は又平を姫君の救出に向かわせようと考えるが、彼の言葉の不自由さを心配する。しかしおとくは、又平は踊りが好きで節のついた音曲なら言葉に詰まることはないと言って、夫婦で大頭の舞を披露する。舞い終えて暇乞いをする夫婦に、将監は餞と告げて突然手水鉢を両断する。ばったり倒れる又平、驚くおとくは将監に何が気に入らなかったのかと問う。すると将監は、又平の吃音の原因は舌につながる心臓の調べの不調にあるとして、彼の似姿が描かれた手水鉢を両断し、その根源を断ち切ったと語る。その言葉通り、むっくり起き上がった又平はすらすらと言葉を喋ることができるようになっていた。喜び勇んだ又平は、おとくと共に姫の救出へ旅立っていくのだった。

『傾城反魂香』(宝永5年[1708]竹本座初演、近松門左衛門作)の外題で出ているが、実際には後世の改作『名筆傾城鑑』(宝暦2年[1752] 竹本座初演、吉田冠子作)の内容を上演している。
原作と改作の違いは、最後に又平の吃音が治ること。また、改作では又平が大頭の舞を舞う場面が手厚くなっている。人形遣いでもある吉田冠子の作らしく、人形が目立つ場面が追加されていることが見て取れる。ほか、文言、順序の整理等、そこそこ手が入っている。

 

襲名披露の話が出たとき、なんでこんな地味な曲で? ふだんの配役で来ないようなもっとド派手な曲で襲名披露すればいいのにと思った。けど、演奏を聞いてものすごく納得した。この曲、半端なモンにはできん。登場人物全員パンピーな上にピュアな性格で、愛憎や激情が渦巻いているような曲じゃないから、誤魔化しが一切効かない。難しい曲ですね。他人を思いやる人間の感情が表現できないと絶対に語れないなと感じた。

その点でいうと、『傾城反魂香』は錣さんにはぴったりの曲だった。

朴訥ながらつねに懸命な又平、夫を心底思いやるおとく、いかめしい素振りながら又平を気にかける将監、物静かながら又平夫婦を心配し続けている将監の妻、兄弟子を敬いながらも状況がら頼みを聞いてやれない修理之介。聴いていて切なかった。将監も決してきついだけの人ではなく、師匠だから又平の絵の才能はよくわかっているはずで、それをかたちにできない又平にそわそわしている感じ。本当は又平の吃音のことは気にしていないだろうが、それより気にしているのは又平の要領の悪さだろう。「絵筆の功を立てねば苗字を与えることはできない」ということを理解できない又平を主家の危機の前には追い払わざるを得ないのは苦しかっただろう。それぞれの登場人物の心の綾の微妙さが存分に表現されていた。
又平が吃りながらも一生懸命喋ろうとしているところは、又平も錣さんも本当に一生懸命そうで、又平のピュアさやまっすぐな心がよく伝わってきた。又平は吃音をコンプレックスにしているから、喋りながらときどき、誤魔化すようにへらっと笑う。あれがなんとも悲しい感じで、胸がしめつけられた。そんな心配しなくていいんだよと。又平の健気さや一生懸命ぶりに、客席もしんとして、又平の心を受け止めようとする雰囲気になった。

素朴なストーリーの中にある普通の人の心の微妙な綾が描かれた演奏で、とてもよかった。錣さんの持ち前の優しい雰囲気がとてもよく出ていた。折角の襲名披露、奥だけでなく、まるごと語って欲しかったな。

 

人形は勘十郎さんの又平がとってもよかった。無言のうちのまゆげの「へにょっ……⤵︎」とした表情が愛らしい。喋るのは相当不得手な自覚があるのか、ふだんはおとくに「お願い!」って言いたいことを代弁してもらっているけど、苗字を願うときは本当に一生懸命に頭をぐっと下げている。武士がやるような綺麗な礼じゃなく、手摺りにちょこんとかけた左右の手が揃っていないような礼で、又平の懸命さはよく伝わってきた。
とくによかったのは、喋ることはうまくできなくても、絵を含めて「表現すること」自体は得意というニュアンスがよく伝わってきたこと。喋るのは本当に苦手そうにしておとくの影に隠れているのに(だから姫の救出を志願しようと、又平が自ら歩み出て喋ろうとするというのはよっぽどのことだと感じた)、苗字を許されたことに喜び踊るところでは自信をもって嬉しそうに踊っている。このあたりは勘十郎さんご自身に思うことがあってのことなんだろうなと思う。又平と重なる部分を感じておられるのではないかしらん。勘十郎さんの踊りって、ほかの踊りがうまい人とはまた違ったうまさで、舞踊の振りがうまいというより、登場人物ひいては勘十郎さん自身の中にある「表現したい」という欲求そのもの、「表現しなくてはいられない」という魂が形をなしたもののように感じる。とても又平に似合う踊りだった。しかしそんな踊りに左がついていけていなかったのが非常に残念。左腕がばらけて見える。ここらで真剣になって、ちゃんとがんばろうぜと思った。
又平が石塔に絵を描くところ、客席正面側からは石塔自体に遮られて様子が見えないが、下手の席から見たらとても真剣な様子で絵を描いていた。最後のほうに「ちょんちょん」とするのは目を描き入れているのかな?

清十郎さんのおとくは清楚そうでとてもよかった。でも、清十郎さんの人形って、大人しそうだよね。しかし錣さんの語りは勢いがすごくて、まくしたてるように超おしゃべりな感じだった。とはいえ後半はあまり台詞がない&清十郎さんの人形がおとなしそうなため、急にめちゃくちゃ喋っちゃって、あとで恥ずかしくなった奥さんみたいな感じになっていた。
しかし清十郎よ、鼓を打つのがうまいな! 単にぽんぽん叩いてるだけじゃない。打つ動作にタメというか、微妙な緩急があり、リアリスティックな打ち方になっていた。

 

 

 

『曲輪文章*4』吉田屋の段。あらすじは以下の通り。

暮れも押し迫った頃、新町の大きな揚屋・吉田屋の前では嘉例の餅つきが行われ、太神楽の芸人たちもやってきて、近づく正月にみな浮き足立っていた。ひとしきり華やかな騒ぎも静まったころ、深編笠に紙子姿のうらぶれた男・藤屋伊左衛門〈吉田玉男〉が現れる。伊左衛門は主人・喜左衛門を呼び出して欲しいと店に声をかけるが、姿に合わない鷹揚な態度に店の男たちはいぶかしがり、追い払われそうになる。店先での騒ぎに気付いてやってきた喜左衛門〈桐竹勘壽〉は2年ぶりの伊左衛門の姿を見て驚き、彼を店へ上げてやる。

奥座敷へ通された伊左衛門が亭主の掛けてくれた羽織を着て心遣いを喜ぶと、喜左衛門はその様子に涙する。伊左衛門はかつては大店・藤屋の若旦那であり、そのころはこの吉田屋へも出入りしていたが、700貫目の借銭を背負って勘当され、いまはこの姿。吉田屋へも随分と姿を見せていなかった。しかし伊左衛門はそんなことではびくともしないと笑う。喜左衛門に呼び出された女房・おきさ〈吉田簑助〉が正月の飾り物の三方(っていうか、鏡餅?)を運んできて酒を振る舞ってくれるが、伊左衛門は二人が夕霧のことを言い出さないことを気にかける。夕霧はここに出入りする遊女で、伊左衛門のかつての恋人であり、二人のあいだには7歳になる子まであった。だが夕霧は伊左衛門の勘当を知って病に伏せ、その後どうなったのかを伊左衛門は気にかけていたのである。喜左衛門夫妻は、夕霧は秋頃までは病が重く勤めもできないほどであったが、寒くなってからは持ち直し、きょうは阿波からの客があってここへ来ているという。それを聞いた伊左衛門ははっとして夕霧の不義理をなじり、帰ると言い出す。喜左衛門らは今日の客というのはかつて伊左衛門と夕霧を張り合った者ではないと言ってなだめると、首尾をつけるとして座敷をあとにするのだった。

ひとり座敷で寝転ぶ伊左衛門の耳に、隣座敷から唄が聞こえてくる。夕霧と過ごした日々を思い出した伊左衛門は人の心の移り変わりの早さを悲しみ、夕霧に会わずに帰ろうか、しかし喜左衛門夫婦の志が……と思い悩んでいたが、しかしついに奥の間を覗いてしまい、慌てて座敷へ戻って狸寝入りをする。すると奥の間から美しい傾城姿に病鉢巻をした夕霧〈吉田和生〉が現れ、伊左衛門をゆり起こそうとする。しかし伊左衛門は拗ねて顔を見せようとしない。夕霧はなおも久方ぶりの恋人を慕って伊左衛門を起こすが、やっと起きた男は扇を振って彼女を追い払い、おちょくって万歳を踊る。夕霧は心変わりなどすることなく、ずっと伊左衛門を思い続けていたこと、男からの音信不通に思い悩み、床に伏せていたことを口説き立てる。伊左衛門は夕霧を気にしつつなおも拗ねてそっぽを向いていたが、夕霧が癪を起こしたのを見て驚き、酒を注いでやる。しかし夕霧はその盃を取ろうとしない。伊左衛門がやむなくそれを自分で飲もうとすると、夕霧がそこに手を添えて酒を飲み干す。二人がやっと顔を合わせて見つめ合っていると、喜左衛門やおきさ、禿など店の衆が現れ、伊左衛門と夕霧の子は伊左衛門の実家へ引き取られたこと、伊左衛門の勘当が解かれたことを喜左衛門が報告する。そしておきさが夕霧の年季の目処がついたことを告げ、吉田屋は喜びに包まれるのだった。

近松作『夕霧阿波鳴門』が豊後節に入ったものが歌舞伎に入り、義太夫に戻ってきたもの。そのため豊後節の影響が強く、義太夫らしからぬ節付け等になっている箇所がある。『夕霧阿波の鳴門』との差分は、余所事浄瑠璃「ゆかりの月見」のくだり(ここが豊後節)と万歳傾城のくだりの追加。詞章と直接関わりのない人形の細かい演技が多いのも特徴。

冒頭部は吉田屋の門口前で、吉田屋の使用人たちが集まっての餅つきから始まり、やってきた太神楽の芸人二人組が傘で鞠を回したりと、賑やかでほんわかした雰囲気から始まる。太神楽の芸人役の玉翔さん、傘で鞠を回すときの視線がちゃんと鞠に向いていたので、仕掛け自体は他愛なくとも、本当に傘で回しているように見えて、良かった。

 

伊左衛門は玉男さん。

キャーーーーーー玉男様ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!

って感じだった。玉男様のどうしようもないクズ男は最高だと思った。
あのダメぶり、愛嬌、やわらかな佇まい。本当、文楽業界最高のクズ。普段は忠兵衛などでパンピーなヘタレクズぶりを披露なされている玉男様だが、伊左衛門は根がお坊ちゃん育ち。忠兵衛のようなダメ男系の正真正銘のクズじゃなく、拗ねてる結果としてクズっぽくなってるだけなのが良いよね。しかも、拗ねてるのは夕霧の前だけで、甘えている感じなのが良い。喜左衛門の前ではちゃんと若旦那で、吉田屋の中に入ったあと喜左衛門に案内されなくともスタスタと上座へ歩いていくあたりは元のお大尽ぶりを感じさせる。しかし夕霧の前ではまるで坊や。夕霧にやたらそっぽを向こうとするけなげさ(?)が愛らしい。昔の調子で夕霧のほうを見て寝てしまうのを、ピョコッと寝直すのも可愛かった。
伊左衛門は落ちぶれていても深刻だったり悲惨な感じはなくて、寂しい感じ、くらいにとどまっている。基本は優美な印象。伊左衛門はちょっと足と体を振るような感じ、ツギ足で舞台に入ってくる。そのときのなんとも言えないスウッとした天然由来の気取り感がとても良かった。身長185cmくらいあるキラキラ顔のイケメン風。そのあとの扇の扱いなど、仕草も育ちがよさげな感じの上品な佇まい。忠兵衛や徳兵衛とは違う雰囲気で、劇中には出てこない実家の藤屋の大店ぶりを感じた。
それと、時々舞台上でクルンと回る、その回転ぶりがとても綺麗でびっくりした。あれは完全に「人形自体」が回っている。フィギュアスケートのスピンのように、人形のからだの軸を中心にしてクルンと華麗に回転している。人形の振り返り等の演技は、人形遣いではなく人形を中心にして回るのが基本中の基本とのことだが、その人形の軸にまったくブレがない。伊左衛門はごん太系の役じゃないけど、玉男様の謎の体幹力がこんなことろにも発現するとは……。人形の周りを人間が遠心力で振り回されて回転しているようにしか見えなかった。あと、ちょっとしたことだが、玉男さんの伊左衛門は酒をあおる仕草がうまいと思った。なみなみと注いだ盃から、最初、ちょっとすすってからぐっと飲み干すテンポがよかった。
なにはともあれ、玉男様の世話物のクズバリエの広さを思い知らされた。

そして和生さんの夕霧!!!!! 史上最高にデラックスな和生!!!!! こんなビカビカの和生さん見たことない!!!!!
超豪華な衣装に身を包んだ夕霧は、物理的に照明がめちゃくちゃ当たっているのか、超眩しい。夕霧に接近した人がめちゃくちゃ明るくなるのを見るに、本当に光ってるんだと思う。とにかくものすごい輝きぶり。夕霧はものすごいゴテゴテの衣装とものすごいライティングでおそろしくビッカビカになっているのだが、すごいのが、その姿とは打って変わっての可憐さ。
夕霧は人形自体が相当重いだろうに(あんなん、寝てる伊左衛門の顔見るのにうつむいたら二度と戻らんくないですか!?)、そんなことは全然感じない、ちっちゃな白い文鳥ちゃんのようなちんまりチュン……とした愛らしい動き。あまりの可愛さに感動。最初は和生さんが傾城?とびっくりしたけど、幕があいたらこんどは和生さんがこんなに娘風に可愛い!?とめちゃくちゃびっくりした。以前、『絵本太功記』尼が崎の段の映像を何本も観ていたとき、初菊が衝撃的に可愛い回があった。映像を観ているときは黒衣だったからどなたかわからなかったけれど、あとで調べたら文雀師匠だった。拵えものではない、人形の内側から発するようなピュアな可憐さに衝撃を受けたんだけど、あれと同じものを感じる。和生さんといったらやっぱり老女形がだよなと思っていたけど、私が間違ってました。うちの和生は何やってもエエ芝居するんですっ!!!!!と突然立ち上がって叫びそうになった(つまみ出されます)。
夕霧が上手奥の扉からソソソ……と出てきて伊左衛門を見つけたときの嬉しそうな表情は、少女のよう。そっぽを向き続ける伊左衛門に、恋する少女がそうするように、けなげに寄り添おうとする。彼女もまた伊左衛門が夕霧の前でそうであるのと同じように、恋する男の前では子どものように純粋になるのだろう。もちろん、夕霧のほうが勤めや立場からすると精神的にはずっと大人なんだけど、そういう建前を取り払った心の姿そのままなのが可愛らしい。それでも姿が傾城というのが、ギャップ。

初々しく健気な佇まいの夕霧と、彼女に会えた喜びで坊やのように拗ねる伊左衛門に、ああこれは昔のままの二人の、二人だけの時間なんだなと思った。ここに喜左衛門がいたら二人とも態度が変わってしまって、すれ違ったままになっていただろうな。二人で煙草盆を煙管で引っ張り合うとか、伊左衛門は灰や煙をかけるとか、一回夕霧のほうを向いて寝そべってからあわてて逆向きに寝直すとか、狸寝入りとか、万歳を踊って茶化すとか、夕霧が近づいてきたらこたつごと移動するとか(本物のクズすぎて爆笑)、可愛らしい喧嘩をしているけど、最後、夕霧が癪を起こして苦しみだしたのを見た伊左衛門がお酒を自分の手から飲ませてあげることで仲直りする。みなさんはあの癪、本当に具合が悪くなったと思いますか?

そして、吉田屋の亭主・喜左衛門とその女房・おきさがものすごく良かった。勘壽さんの喜左衛門は、加藤泰の明治時代物の映画に出てきそうな、モダンでカラッとした雰囲気。同時に、色街の大店の旦那という「普通」とは違う耽美的な佇まいもあり、端正で奥深い雰囲気があった。こういう味わいは勘壽さんならではだなと思う。ちょっとがっしりしたような、猪首のような構え方も雰囲気があった。『博奕打ち 総長賭博』の若山富三郎みたいな折り目正しさ、律儀さを感じる。

そしておきさの簑助さん。ものすごい色っぽい、しっとりとした風情のある奥さんで、ものすごく良かった。娘のまま大人になった人というイメージで、良い。相当良い家から嫁入りしてきたか、婿を取った吉田屋の一人娘かのどっちかだなって感じ。おきさは出番やしどころが少ないんだけど、いるだけで場の雰囲気が変わり、舞台全体に湿度が満ちて、甘いお菓子やお酒の香りがしてくるよう。絶妙な毒々しさにくらくらした。うちの簑助は宇宙一可愛い!!!!!!!と突然立ち上がって叫びそうになった(つまみ出されます)。

 

『曲輪文章』、思ったよりめちゃくちゃ良かった。とにかく人形がものすごく良い。超おすすめ。幕を開けたままの大道具の転換で吉田屋の内装がどんどん立ち上がっていくのもゾワっとして、良かった。文楽には珍しく、吉田屋の床の間のツボは本物(陶器かどうかは不明。とにかく立体物)で、正月ッ!!!!!!と思った。

それにしても、開演前に「知っとる。クズが出てくる話やろ」って言ってるお客さんがいてめちゃくちゃ笑った。終演後、「グズやなあ〜」と言っているお客さん(開演前とは別人)がいてまた笑った。

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初春公演第一部は正月らしく、かつ文楽らしくほんわかとした雰囲気で、癒された。昨年後半は少し疲れていて、開演直前まで正月休みは初春公演へ行かずにゆっくり過ごした方がよかったかもと思っていたけど、第一部が終わったとき、「ああやっぱり来てよかった」と、満ち足りた気分になった。だいぶ元気になった。

それはこの公演に、自分が文楽に感じている良さがすごく出ていたからだと思う。上述の通り、錣太夫さんは舞台での襲名口上幕をもうけず、床口上での襲名口上。こんな上手い人がこんな簡素な襲名とは勿体ないと思ったけど……、でも、そのぶんのお祝いがあって、本当によかった。ある配役を不思議に思っていたのも、なるほどと思わされた。錣さんと、錣さんと長い年月を過ごした方々らしい、とても素敵なお祝いだった。あたたかい気持ちになった。錣太夫襲名は文楽にとってもすごく喜ばしく、良いことだと思った。皆様、本当におめでとうございます。

 

 

 

初日の鏡開き。

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技芸員からは錣さん、清五郎さん(布袋)、紋秀さん(福禄寿)が参加。色合い的に(?)恵比寿と弁財天あたりが出ると思っていたが、絶妙な渋みのあるセレクト。今年は黒門市場商店街振興組合の人のほかに南水産物組合の人からも挨拶があり(連名でにらみ鯛ちゃんを提供してくれているから)、魚タイムが長くて文楽というより魚関係の鏡割りに行ったような気分になった。

挨拶にあった鯛情報
文楽劇場に贈られるにらみ鯛は九州から飛行機で運んでいる。関西地方では年末時期は海が荒れ、近場で鯛を獲るのが難しい。
②にらみ鯛はオスメスで一対とするが、鯛はオスメスを見分けるのが難しい。(もしかしてあいつらオスメスではないのでは?という空気になる会場)
③鯛がおめでたい行事に使われるのは「めで鯛」の語呂合わせとか色が赤とかの理由がよく言われるが、鯛自体が長生きな魚であることからではないかと思う。(40さいくらいまで生きるそうです)(別にヨタ話ではなく、挨拶してくれた人が大学がそっち関係だから詳しいと自分で言っていた)(正月からこんな『任侠沈没』みたいなことってある?)

ここまで鯛推ししてくる魚関係スポンサーが2人も来るなら、恵比寿さんも出てもらったほうがよかったのではないかと思った。それにしてもあの生にらみ鯛ちゃんたちはあのあとどうなるのだろう? 関係者用の鯛汁とかにされるのだろうか? ちなみに、文楽劇場初春公演ににらみ鯛が贈られるのは今年で30年目とのことでした。

……と、鯛インパクトがすごすぎて後回しにしてしまったが、錣さんからの挨拶は「(オリンピック開催地でない)大阪にも文楽にもお客様がネズミ算式に増えるよう……」というもの。あまりにフツーにスピーチされたため誰もギャグに気づかなくて笑わず、「すみません……」と自分でおっしゃっていた。でも、登壇されたときの拍手は誰よりも盛大で長く、「錣太夫!」の声がかかっていた。

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↓ 動画

 

 

 

ここからSHIKOROコーナーです。

昨年10月に行われた襲名に関する記者会見。とても大切なことを話されていると思う。


80年ぶりの名跡復活 文楽の竹本津駒太夫さん「六代目竹本錣太夫」襲名へ意気込み

 

昨年末は襲名に先駆けていろんな行事に参加されていたが、通天閣で行われた干支の交代式でカピバラと共演していたのが一番意味不明で良かった。挨拶の「がんばりマウス」が棒読みすぎて爆笑した。

↓ 挨拶中の津駒さんのうしろでめちゃくちゃ嫌がるカピバラ

 

↓ 引き継ぎ式のフル動画。津駒さんの挨拶は2:30ごろ(襲名披露関連)、9:30(ねずみの口上)


「きラット輝く年に」通天閣で干支の引き継ぎ式(2019年12月27日)

 

 

 

 

*1:寿老人も自分の出番のあと、お酒ついでもらえます

*2:復刻版『道八芸談』のふろくCDについています。

道八芸談(道八名演CD付き) (花もよ叢書009)

道八芸談(道八名演CD付き) (花もよ叢書009)

 

 

*3:終演後、ほかのお客さんが「『海老で鯛を釣る』やな~」とおっしゃっていたけど、私には「おいしいものでおいしいものを釣る(すぐさばけばえびもたべられる)」というように映った。

*4:「文章」は「文」と「章」で一字。