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文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 トークイベント:吉田玉翔×ダニエル・カール「明日、誰かに話したくなる文楽〜文楽人形の魅力〜」あぜくらの夕べ

あぜくら会の会員限定イベント。2016年11月29日(火)開催。国立劇場主催なので国立劇場所蔵の映像、司会の職員の方(写真家)の撮った写真などを見ながらのトークで資料が充実。

お話は玉翔さんからだけでなく、人形実演のために同席されていた玉誉さん(錦秋公演お休みされていたが、お元気になられたみたいでよかった)、玉路さん(お話しされてるの初めて見ました)からのコメントもありで、ファンがじっくり、ゆったり楽しめる内容だった。文楽劇場のイベントもそうだったが、文楽イベントのふんわり癒し系っぷりは魅力。会員限定イベントで好きな人が集まっているので、雰囲気もよい。

ほぼ玉翔さんが話しっぱなしで(めちゃくちゃ元気、いつもこうらしい)、ダニエルさんはインタビュアーポジションに回ってくださった。以下、玉翔さんの話を簡単にまとめ。

文中お名前はすべて当時表記、玉男師匠=先代吉田玉男さんです。

 

┃ 少年時代

  • 玉翔さんはなぜ技芸員、人形遣いになったのか。それは玉男師匠(玉翔さんは「おっしょはん」と呼ぶ)を好きになったから。
  • 出身は高知県足摺岬があるところらへん。空港からさらに数時間の場所。母親が伝統芸能好きだった。母親の知人に玉男師匠ととても親しい人がおり、母親も玉男師匠の楽屋へ出入りするようになった。母親は大阪へ文楽を観に行っていて、弟がまず連れていかれた。弟は「眠たい」と言っていた。次に自分が連れていかれた。はじめて行ったときは眠かった。玉男師匠は舞台のほかでは本当普通のおじいちゃんだった。とても優しくしてくれた。兄弟子にも可愛がってもらえた。しばらくして、母親にまた行く?と言われ、またついて行った。次第にひとりでも行くようになった。あるとき『平家女護島』を観た。玉男師匠が俊寛役だった。最後の場面、俊寛の人形が玉男師匠と一体になっているようで、玉男師匠が俊寛になっているようで、驚いた(すみません、ここ、もうちょっと複雑な言い方で説明されてました)。それで師匠に興味を持った。
  • 中学時代は野球少年。有名校からスカウトがくるくらいだった。でも、田舎の高校で楽しんで野球がやりたいのでと言って蹴っていた(こんなこと言うたら自慢になるけど、フフフ)。高校の面接でも「ぼくが甲子園に連れていきます!」と大見得を切ったが、入部早々先輩と喧嘩して退部した。喧嘩の理由は、先輩に「練習2時から」と言われて2時に行ったら、遅いと叱られたから。早く来て準備しとけということだったんだろうけど。そしてそのまま1年が過ぎ、翌年、野球部の顧問の先生が担任になった。うわ〜っ、ぼく狙いやと思っていたら、先生から「普段は絶対担任なんかしないが、きみが野球部に戻ってくれるよう担任になった」と説得され、野球部へ復帰した。でも1年何もしてへんかったから、やっぱり勝てなかった。高校時代は野球部やりながら、黒衣を借りて文楽を手伝ったりしていた(このあたり話の詳細記憶あいまい、すみません)。高校卒業して、入門した。
  • 文楽自体というより、玉男師匠のことが大好きになって、入門した。師匠のことが大好きで、師匠に惚れていた。玉男師匠は実の親以上だと思っている。入門時、師匠はすでに70代で、ご高齢だった。当初、師匠は「玉女の弟子になれ、一番弟子は可愛いもんやから」と言っていたが、どうしても玉男師匠の弟子になりたくて、玉女さんに頼んで「何かあったときは自分が面倒をみるので、弟子にしてやって欲しい」と口添えしてもらった。あの人にもめずらしくええとこあるんです。フフ。
  • ほんまは料理人になりたかったんです。でも、言うたら料理人の方に悪いけど、料理学校出てから文楽入るより、文楽やりながら料理学校通えばええかなと思って(謎の独自理論)。
  • 自分は直接弟子入りしたので、立場は「研究生」(技芸員が直接取る弟子)。今はどうか知らんけど、当時は東京公演の旅費も自腹だった。「研修生」(国立劇場の養成過程履修者)は国立が面倒見てくれるけど。「研究生」は師匠が…………(と、ここで「研究生」と「研修生」の違いについての質問が入り、その説明で話が脱線したまま戻って来ず。アルバイトはしたことがない、師匠が世話してくれて云々。あと、師匠は自分の身の回りのことは自分でする人で、弟子にはやらせない、みたいな話)

 

┃ 玉男師匠の思い出

  • 歳をとってからの弟子だったので、とても可愛がられた(でもそれは玉翔さんが頑張っていたからと劇場の人からコメント。玉男師匠と玉翔さんが一緒に写っている一枚の写真を示し、若手の公演のとき、あまりに忙しすぎてだれも玉男師匠のところへ出来を尋ねに来なかったが、玉翔さんだけが「どうでしたか?」と聞きに来た。師匠は「玉翔はえらい!」と褒めていた、これはそのときの写真、とのこと)。
  • あるとき、師匠に褒められてウキウキしていたら、兄弟子たちは「師匠滅多に褒めへんのやけどな〜?」と首をかしげていた。素で「下手やのになんでやろ〜?」と言ってくる兄弟子がいてショックだった(笑)。でも本当そのときは下手で褒めるとか褒めないとかいうレベルでもなかった。
  • 玉男師匠は理論的な人だった。ほかのお師匠さんは「足ソッチや!」「どっちですか!?」「ちゃう、コッチや!」と漠然としたことを言ってくるが、師匠は「棒足は〜……、33度!」「(逆にわからん!)」など教え方がきちんと、ちゃんとしていた。
  • 玉男師匠は字がとてもお上手だった。(玉男師匠が人形小割帳をつけている写真を見て)小割帳は筆ペンで書いていた。師匠は「わしは英語が書ける」と言って、人形の胴の部分には「TAMAO」と書いていた。(ダニエルさんからそれローマ字ですねというツッコミを受け)ぼくらからしたらこれも英語なんです!

 

人形遣いの修行

  • 小割といえば、足って場面によって違う人がついとるって知ってますか? ひとつの人形に始終ずっと同じ人がついてるわけではない。忠臣蔵やったら、はじめは高師直の足いって、次は由良助の足いってって、場面によってバラバラに細かくついている。だから気分的にはこれどうなんやって場合もある。入りたての人形遣いは朝から晩まで仕事がある。朝一番最初に来て最後に帰る。はじめは介錯、つぎに動かない足を持つ。介錯と足で出ずっぱりになって、休憩なんかない。食事の時間も取れない。終わったら顔真っ青。ぼくもいまは合間に食事取れるようになったので、いいですけど。次の12月公演の忠臣蔵、10時半(開演)から9時半(終演)て、1人2人死ぬんとちゃいますか。
  • 野球をやっていたので、人形遣いも体力面では簡単だろうと思っていた。でも、使う筋肉が違うので、入門してからとても大変だとわかった。人形遣いは体育会系。太夫と三味線は文化系で、楽屋の雰囲気も全然違う。
  • 太夫・三味線さんは、公演中の出番でないとき、空き時間に次の公演の稽古をしている。人形は基本的に稽古ができない。イメトレ(+普段からよく見ているしかない)。12月公演(12/3初日)は明日(11/30)から稽古。明日が第一部で明後日が第二部、通しはその次の日の1回しかない。この通し稽古が一番緊張する。客席に偉い師匠らが座っているので。ここで認められないと上へいけない。ある意味本番(初日)より緊張して、初日にはほっとするくらい。
  • むかしは足遣い10年、左遣い10年言うてたらしいけど(直前の勘十郎さんトークショーでは勘十郎さんは「ぼく30まで足つこてました」とコメントしていた)、いまは足遣い20年、左遣い20年。なかなか役がもらえない。いちばんいいのはいま60歳くらいの人。和生さん、勘十郎さん、(いまの)玉男さん。
  • 自分は子役が多くて、先日の大阪で出た志度寺(『花上野誉碑』)では坊太郎でかなり良い子役だった(ふふん♪)。(ダニエルさんから「赤ちゃんの役は?」という質問を受け)ハイハイしかしないような子役はもっと入りたての人がやる。いい子役がつくときはばーっとつく。でも子役の命は短く、演目のローテーションもあるし、人形遣い自身の年齢もあるので、つくのは7年くらいの間。50くらいのオッサンが子役やっててもね。配役には見た目もある。自分は子役の中でも最高齢。
  • 修行時代は男の足にも、女の足にもつく。そのうちどちらが得意かで分化してゆくが、自分は女形の勉強がもったいないので両方やりたい。(実演では女の人形の模範演技も見せてくださいました)
  • 若い頃はなかなか役がもらえず苦しかった。あるとき「どうせ黒衣だから」と茶髪にした(突然のヤンチャ告白)。人形遣い連中が「茶髪や〜!」とわいわいする中、偉い太夫さんが大激怒してハサミを持って追いかけてきた。とっつかまって玉男師匠の前に突き出されたが、玉男師匠は「若いんやったら、ええやん!」と言ってくれた。太夫さんは二の句が継げなくて、帰っていった。そんな玉男師匠も、若い頃、爺さん役を振られてヘソを曲げ、ヒゲを伸ばすというヤンチャをしていたらしい。自称・役作りとのこと。

 

┃ 海外公演

  • 入ったばかりのころ、玉男師匠がこれが(ご自身が海外公演に出るのは)最後だからと「フランス公演一緒に行くか?」と言ってくれて、嬉しかった。ついて行ってもなんの役にも立たないのに。当時は海外公演が3週間程度あり、兄弟子たちが師匠のために日本食を用意しておけと言うので、師匠の好物である南座のニシン蕎麦を休みの日に京都まで行って買ってきた。師匠喜ぶやろな〜❤️と思って、公演も半ばにさしかかったころにドヤッと出したら、「なんでここまで来て蕎麦食わなあかんねん」と言われ、大道具さんに配った(涙)。
  • 玉男師匠は「エビフライが食べたい!」と言った。でもレストランで「エビフライ」を何と言ったらいいかわからず、同伴の弟子は必死にエビポーズで説明。レストランの人がわかってくれて、エビが出て来たのだが、エビの丸焼きだった。自分が同伴したときは、師匠が「ハンバーグが食べたい!」と言うのでハンバーグを注文したのだが、中がレアというのか生焼けで、大丈夫かなと思ったがエエわ!と思って食べた。大丈夫だった。
  • 海外では舞台がはじまるのは夜8時くらいで11時終わり。ディナーを食べてから見に行くという時間帯に設定されている。開演時間まではすべて自由時間。観光が好きな人は「どこ行こ!?」と本当にあちこち行きたがるが、自分はあまり観光に興味がなくて、ホテルで読書したり(現地で売っている日本語の本を買う)、ちょっとあたりを歩き回ったり、美術館やお寺(教会)へ行くくらい。スペインへ行ったときは美術館へピカソの『ゲルニカ』を見に行った。ぼく、ピカソけっこう好きなんで。『ゲルニカ』はとても大きく、壁いっぱいの大きさだった。周囲にも製作過程のパネルなどが展示されていた。帰り、兄弟子が「ところで『ゲルニカ』ってどれやった?」と言い出したので、仰天した。
  • 海外公演でも、食事はお米が食べたい。最近は大都市なら日本食店がある。まえのフランス公演では一風堂へ行った。地方都市で日本食の店がない場合は、中華へ行く。中華はどこにでもあるので。

 

┃ 質疑応答

  • (会場からの質問:芸名の由来を教えてください)当時「翔」という字が流行っていたのもあるが、玉男師匠の弟子は「たまめ」「たまか」など、基本的に「玉+読み1文字」の名前。でもそのとき「もう1文字の名前ないねん」と言われた。「たましょう」だと、まえに読みが同じ「玉昇」さんという方がいたので、みんな呼びにくいと言って本名の「けい」で呼ばれる。芸名は実は玉男師匠からではなく、先に母親から知らされた。母親が決めたのではと思った。普通は「この中から好きな名前選べ」とか、師匠から言われるはずなのに……。師匠にはもう知ってますとも言えず、有り難みがなかった。
  • 芸名について、私が思ったこと。三味線弾きさんとかでもわりと今風のお名前の方いらっしゃいますが、やっぱりお師匠様によってはちゃんと流行(?)も考慮してくれるんですね。ちょっと大きくなってからつける名前なぶん、その人にあった名前にしてもらえますしね。「玉女」さんも、ご本人の外見のわりに可愛い芸名だな〜、わざと逆打ちしてるんかなと思っていたら、入門当時の写真を見たら涼やか美少年で、コリャ玉女でええわいと思った。やっぱりみなさんちゃんとつけてもらってるんですね〜。(当たり前だ)
  • (会場からの質問:修行は大変なことも多いと思います。厳しいと思うときはどんなときですか?)厳しいと思うことはない。(考え込んで)厳しいって、どういうことかわからない。これが普通だと思うので……。昔は舞台下駄で殴られたり蹴られたりしていたと聞いているが、いまはそんなことはない。残っているのは言葉の暴力(笑)? 玉路どう? いちばん実感しとるんとちゃう?(と促された玉路さんから、自分もこれが厳しいとは思っていませんというコメント)修行は好きなことだから楽しくやっています。つらいのは、何も言ってもらえないこと。厳しいというのはどういうことをいうのか、わかりません。(首傾げ)
  • (実演でダニエルさんから「佐渡の文弥人形は一人遣いで、左手は棒状のものを振り回している状態」と説明され)幕開き三番叟と同じですね。幕開き三番叟は二人遣い。左手は棒になっていて、こんな感じで(実演)、慣れないと結構大変です。
  • 人形は主遣いひとりで持っていると重いけど、うまい左や足がついてくれると(衣装の重さも軽減されて)軽くなる。下手な左がつくと引っ張ってきたりして、よけい重くなる。
  • (客席からの実演質問:主遣いが左遣い・足遣いに出しているサインというのは具体的にどういうものですか?)主遣いの出しているサインは人形の後頭部、肩にあらわれる(実演)。(質問:足遣いのかたはどうしているのですか?見えないのでは?)足は主遣いの足と同じ方向を出す(実演)。でもお客さんはそんなんわからなくていいんですよ。



若め〜中堅の技芸員さんの個人的なお話を聞く機会はいままでなかったので、とてもいいイベントだった。どういう気持ちで毎日がんばっておられるかの言葉が生々しい。あれもやりたい、これもやりたいという前向きな気持ちが感じられる。

そして、玉翔さんが本当に「おっしょはん」が大好きだったことがわかるお話だった。上にも書いたが、玉翔さんが入門したてのころ、若手の発表会で玉男師匠に出来を尋ねに行ったときの写真が印象的だった(ご本人はこのとき何を話していたかまったく覚えていらっしゃらなかったが、撮影したカメラマンの方が対談の司会で、会話内容を覚えておられたのだ)。あかるい光が入っているロビーのような場所の喫煙所で、窓ぎわのベンチに、ハットにコート姿の玉男師匠が座っている。カメラに背を向けて座っているので、玉男師匠の表情はわからない。紋付姿の玉翔さんはひざまずいて灰皿に手をかけ、すこしからだをのり出すようにして、真摯な眼差しで玉男師匠を見ている。目の澄み方はそのころから変わっておられないのだなあと思った。

 

と、いい話のあとで申し訳ないが、知り合いの方が「むかしは玉翔さんが一番のイケメンと言われていた」と話してくださるのをいままで「フーン」とてきとうに流して聞いていたが、この写真の玉翔さん、まじ凛々しいイケメンで、ほんまや! ほんまにイケメンやったんや!!! と驚いた。いやいまも大変な男前ですけどね!!! 

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文楽 トークイベント:桐竹勘十郎×ダニエル・カール「人形のまなざし」三井記念美術館特別展「日本の伝統芸能展」記念対談

三井記念美術館で開催されている国立劇場50周年記念企画展の付属イベント。2016年11月29日(火)開催。たぶん会場全員勘十郎様ファン。以下、話は順不同だが覚えている限りの勘十郎さんのお話のメモ。

  • まずなぜ対談相手がダニエル・カールさんなのかという疑問があったのだが、ダニエルさんは大学生のとき日本へ留学していて、そのうち現地実習で半年ほど佐渡島の人形芝居「文弥人形」の人形遣いの師匠へついて勉強していたそうだ。ダニエルさんから「文弥人形」について色々ご紹介があった。「文弥人形」は一人遣いで、人形は「一匹、二匹」と数えるとのこと。文楽人形は「一番、二番」と数えます、と勘十郎さん。
  • 私の個人的コメント。先日、加藤泰監督の『ざ・鬼太鼓座』という映画を観たのだが、その中にちょうど文弥人形の舞台のシーンが出て来たので、このあたりの話がすぐに飲み込めてよかった。『ざ・鬼太鼓座』に入っているのは、たぶん文楽でいう「五条橋」にあたる内容の演目で、義太夫節ではなく浪曲のように切れ目なく語り続けるような音曲(三味線伴奏)に合わせて3頭身くらいの弁慶風姿の人形と若い男の鎧武者の人形を動かしているというものだった。
  • 外部イベントだけあってか、文楽とは何かというそもそも論ビデオを見せられたのだが(勘十郎さんいるのにぶっちゃけ時間の無駄)、それの人形のデモンストレーションが玉男さんで、勘十郎さんはまったく出ていなくて爆笑した。よりにもよって勘十郎さん出てへんやつ流さんでもええやろ。勘十郎さんご本人は上映中じ〜っと画面をご覧になっていた……。
  • (司会者からの質問:文楽を知らない人に紹介するとき、どうしていますか?)まず生で見てくださいと言う。文楽は三業のコンビネーションで成立しているので(このあたり違う言い回しで説明してくださったのだが、細かいニュアンスの記憶がない)、やはり生で見てもらうのが一番。きょう来ていただいているみなさんは全員12月公演に来ていただけるものと思っております(ウフフ❤️)。
  • 若い子に伝統芸能に興味を持ってもらうためのお仕事。地域の方と交流を持つため、15年前から文楽劇場の近くの高津小学校で文楽の実習授業をしている。いまはたくさん楽しいものが溢れていて、文楽を子どもに紹介しても、中学生くらいになると「そういうのはちょっと」と言われるが、小学生だと「あたらしいもの」として、ゲームなどと同じように「なにこれー!?」ととっても興味を持ってくれる。このときを逃してはだめ。このときにすかさず植え付ける!(種まきのジェスチャー
  • 高津小学校は小さな学校で、1学年1クラスしかない。生徒さんには外国人の子もいて、いろいろ。大夫、三味線、人形、お囃子に別れて「五条橋」をやってもらう。はじめは大変だったが(できるかなと心配だったが)、みんながんばってしっかりやってくれる。太夫をやりたがる子はたいてい元気な子。次が三味線。人形はおとなしい子ばかり。15年やってきてずっとそう。自分たち(本職の技芸員)も同じ。ことしは11/20に発表会をやったが、大成功。思い切って弁慶を女の子にやらせてみたが、とてもうまかった。
  • 高津小学校の授業ははじめ1時間目からだった。8時半に学校へ行かなければいけなかったが、朝が苦手なので頼んで2時間目にしてもらった。2時間目からだと9時半、これでもたいへん。授業が終わったあと楽屋へ行く。
  • (司会者からの質問:ご自分でセリフを語ってみたいと思われますか?)思いません。でも、下手な太夫がおって……そういうときは「ん〜〜〜〜〜〜〜っっっっ(>_<)💦💦💦」ってなる(首をプルプルするジェスチャー)。上演前の幕開き三番叟は、三味線は影で演奏してもらっているが、太夫は出ないので、人形遣いが自分で浄瑠璃を語っている(そうなの!?)。はじめは恥ずかしくなかなかて言えない。なんも恥ずかしゅうないんやけど。
  • 立役の人形は高い位置で構え(自由の女神のように左手をかかげるポーズ)、女形の人形は低い位置で構える(胸の前に左手をかざすジェスチャー)。女形から立役への切り替えはすっとできるが、立役を何公演か続けてから女形への切り替えは体が固まっていて難しい。だから、自分個人で受ける仕事は女形をやらせてもらう。
  • (会場からの質問:人形遣いの方はステージでは無表情ですよね。人によっては演技にあわせて表情のあるかたもおられますが。人形遣いの表情についてのお考えは?)人形遣いは人形に芝居をさせるわけで、自分が目立ってはならず、人形の芝居を邪魔してはいけない。自分が自分がという人は人形遣いには向かない。無表情は最近はだいぶできるようになってきたが……。ステージ出演中は目の焦点を合わさないようにしている。きょろきょろしていると目立つ。ぼくは目が大きいほうなので特に……。あんまりじ〜っと正面を見ていると、弊害が起こる。むかし、じ〜っと前を見ていたら、あるとき楽屋に手紙が届いて、その中身は「いつも私を見つめていらっしゃいますね。ありがたく思いますが、私には夫も子供もあり云々」……(ウフフ❤️)。
  • 太夫、三味線、人形の噛み合わせ。(上空に手をかざして)三業のバランスがうまくとれてちょうど真上でぶつかると、鳥肌が立つ。そういうときは、ぼくら(人形)だけでなく、太夫も、三味線も、お客さんもそうだと思う。でも毎日そうはいかない。そういうのは公演期間中2、3回くらい。ごめんなさい。日によって太夫が弱い、三味線が弱い、人形が弱いというのが出て来る。初日、二日目、うまくいかない。でもうしろにいくほどうまくいくわけではない。二日目のほうがよかったということもある。ごめんなさい。それができるだけ多くなるようがんばります。
  • (人形の実演を交え、主遣いが出しているサインの解説で)足遣いのうちから「どういうとき、なにをやるか」をよく見ていなければいけない。でないと左遣いになってもいきなりできない。
  • 実演はツケ打ちもありで、結構ちゃんとしたかたちで見せてもらえた。デモンストレーションが勘十郎さんというのはやはり大変に豪華、悪環境での実演でも迫力があり、あからさまにうまい(当たり前)。ツケ打ちや足拍子の音が大きすぎて、警備員さん来るかな!?とちょっと心配する勘十郎様。
  • (ダニエルさんから質問:おやすみの日は何をしているのですか?)おやすみはほとんどない。錦秋公演終わって(11/20)からきょう(11/29)まで、ずっと一緒に……(会場端に控えている簑紫郎さんたちを示して)。本公演、地方公演以外に個人の仕事を多くやっている人はおやすみがない(と言って自分で照れ笑い、かわいい)。おやすみがあっても人形を触っている。時間があるときは、家でも人形の修理をしたり。突然3日とかぽっと休みができると、自分の性格だろうが不安になる。他の人がなにかしてるかもと思って。旅行するといえば、地方公演。おいしいもの食べて太っちゃいました(ウフフ❤️)。
  • (会場からの質問:舞台を拝見すると、大変動きがしなやかですが、どのようにしなやかな体をつくっているのですか?)特別なことはなにもしていない、お酢を飲むとかは(ウフフ❤️)。師匠から体を柔らかくしておけと若い頃から言われていたので、普段から動きに気をつけている。
  • (会場からの質問:同じ年代の和生さん、玉男さんへ感じていらっしゃることをお願いします。言いにくいでしょうが。)…………言いにくいです(ウフフ❤️)。和生さんは昔から非常に落ち着いていた。ぼくが入門したときから大人。当たり前、自分は中学生で、そのとき和生さんは二十歳くらい。ほんまに大人と子供だった。自分は感覚的に遣っているが、和生さんはよく考えている。和生さんは文雀師匠の遣い方を受け継いでいる。芝居が毎日同じでブレがなく、アドリブを入れない(熟考のすえに演技を組み立て、完成されているので、毎日違う必要がないという意味)。玉男さんも同じ、きちっとしている。先代の玉男師匠に倣い、足遣いのころからきちっと遣っていた。ふたりともずっと一緒にいるので、打ち合わせがなくても雰囲気で次に何をするか、何をしたいかわかる。…………………と言うとうちの師匠がズボラなようですけど、ズボラやないんです。うちの師匠は段取り芝居が大嫌い。と言っても芝居の手順は決まっているのだが、立ち回りなど、ものによっては段取り芝居をすごく嫌い、毎日違うをことしはじめる。自分はそれを継いでいる。うちの師匠がズボラなわけやないんです(強調)。
  • (会場からの質問:将来的に文楽に外国人の技芸員が入ることはあるか?)UNIMA(世界人形劇連盟)のセミナー講師に呼ばれ、フランスへ文楽の三人遣いの説明に行ったことがある。三人遣いは難しいということを言いたかったのだが、ひとりすごく優秀なフランス人がいて、連れて帰りたかった。講習期間は2、3週間しかないのにすごくうまくて……。(簑紫郎さんたちをチラ見)。これからはそうなっていくのかもなあとも思う。
  • (最後に一言)おかげさまで12月の『仮名手本忠臣蔵』の切符の動きは良い(←というか、完売)。来年の目標は大阪(文楽劇場)もいっぱいにすること。一生懸命がんばりますので、今後ともよろしくお願いいたします。

 

勘十郎さんは普通にお話されているときはおっとり優しい話し方で、とってもフンワリされているのだが、お人形を持つととてもイキイキされていて、本当にお人形が好きなんだなあと思いました。いや、バカ感想だけど、本当に。お人形を持っているときは本当にキリッとしていらっしゃって、すごいと思った。

そして、さすが色々な企画にご出演されているだけあって話し方がとてもお上手。ぽわ〜っとしているようで素人がわかりづらい言い回し等はなく、本当、ちゃんとしていらっしゃるなと思った。本当にお忙しいと思うけど、ご無理をなさらず、お身体に気をつけて頑張っていただきたいと思う。

田宮二郎『白い巨塔』映画版vsドラマ版 ―昭和BL邦画列伝 第3夜―

前回更新からだいぶあいてしまいましたが、昭和BL邦画列伝、今夜は昭和実写BL界の巨塔、田宮二郎版『白い巨塔』について。

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白い巨塔』は旧帝大・浪花大学医学部を舞台に、苦学生から成り上がり野望に燃える財前五郎助教授が海千山千の魑魅魍魎たちをかきわけ、教授の座を射止めるべく権力闘争を繰り広げるという山崎豊子原作の社会派作品だ。権力欲という自身でも制御しきれない化け物に取り憑かれた財前五郎の傲慢さと戸惑いの揺れ動き、そして彼の親友でもありライバルでもある里見脩二との関係(ここ重要)が素晴らしい傑作である。有名作で何度も映像化・リメイクされている本作だが、有名な田宮二郎主演版は映画版(1966年)とドラマ版(1978年)があり、ちょっと見てみよっかな?と思い立っても「で、結局どっちを観たらいいの!?!?!?」と思われることも多いかと思う。どっちと言わず両方観て〜〜〜!!!!!!が私の偽らざる本心だが、どっちから入ったらいいの?という方へのヒントとなるべく、以下に映画版とドラマ版の概要とその違いを解説したいと思う。

 

 

┃ はじめに:あらすじと概要

はじめに、映画版・ドラマ版共通の最初のエピソードであり、最も有名であろう「教授選編」のあらすじをご紹介しておく。(ネタバレは抑えめにしてあります)

大阪、国立浪花大学。

医学部の中でも花形の第一外科の頂点に君臨する東教授は絶対的な権力を持ち、第一外科は彼の名を取って「東外科」と呼ばれていた。しかしその東教授も来年で定年退官。次期教授の最有力候補、東教授の弟子であり長年東教授を補佐してきた財前五郎助教授は若年ながら学問的な実績も臨床の技術もきわめて高い稀なる人物であったが、その一方、大変に傲慢で自信過剰な面を持つ男でもあった。涼しい顔で教授を無視してことを運ぶ財前助教授に嫌悪感を抱いていた東教授は、次第に医局員たちが気兼ねするほど財前助教授への憎悪の感情をあらわにするようになる。東教授は財前を教授にさせないため、母校である東都大学・船尾教授の紹介を受け、金沢大学の菊川教授を次期教授候補者に推薦。一方の財前助教授は、義父で産婦人科病院を経営する財前又一の縁故から、違う学閥が学内に入ることを嫌う同窓会・医師会をバックにつけ、東教授に徹底抗戦を仕掛けた。

こうして教授選の投票権を持つ医学部教授陣はおのおの私利私欲で東派、財前派、そしていずれにもつかない勢力に分かれることになる。財前派は財前又一の財力にものを言わせ金にあかせて買収工作を行い、東派は船尾教授の持つ権力を利用して医学界の重要ポストをエサに票を集めようとした。選挙を決定する浮動票読みに明け暮れる両派。そしてついに教授選投票日がやって来る。 

原作小説は現在、新潮文庫に『白い巨塔』全5巻として収録されているが、発表当時は『白い巨塔』、『続 白い巨塔』という正続編になっていた。映画版製作当時は正編までしか発表されていなかったため、正編の教授選編・医療裁判編をもとに構成されている。一方、ドラマ版は原作完結後に作られたため、続編を含めた原作全編が映像化されている。

映画版、ドラマ版ともに主演は田宮二郎田宮二郎は昭和を代表する美男俳優にして「傲慢で自信過剰のクッソいけ好かねえエリートイケメン役」を演じさせたら右に出るものはいない名優である。顔がいいのは見た瞬間わかるからいいけど、何を根拠にそんなに自分に自信があるんだってくらいのクソ尊大さがすばらしい。その尊大さはもはや清々しいほどである。傲慢エリートのバリエーションは警察キャリア、大企業の有望社員などいろいろあるが、本作では旧帝大医学部助教授と芸歴の中でも最高ともいうべきエリート役だ。田宮二郎の数々のエリート役キャリアの中でも『白い巨塔』でとくに良い点は、財前は単なるいけ好けねえエリートではないという点。財前は自信家で傲慢だが、一方で給料をもらったらすぐ郷里の母に仕送りするという親孝行な一面もある。財前は岡山の貧農の母子家庭の出で、母の希望と篤志家の支援で大阪の名門大医学部に進学、そしてこれもまた母の希望で、堂島の大きな産婦人科開業医の娘と結婚して婿養子になったという設定なのだ。また、他人を省みない尊大さがありながら、並みいる医学会重鎮の魑魅魍魎たちに比べれば精神的に華奢でまだまだ他人に遠慮しているという多面性を持つ。このあたりの精神的にアンバランスなキャラクター性が田宮二郎本人にぴったりで、本人がかなり熱を入れていたというのも納得できる。映画版製作当時は教授の椅子を狙う助教授にしては田宮二郎は31歳とかなり若く、無謀な野心家感があってこれはこれで良いのだが、ドラマ版では43歳と原作設定に近い年齢になっていて、味わいが出ている。

 

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で、みなさん以上のあらすじに肝心の里見くんが出てこないじゃないかと仰るでしょうが、ここが重要、里見は権力闘争と関係ない境地にいる、財前とは真逆の性格とスタンスの医師なのだ。

里見は内科の助教授で、研究主体で固い雰囲気の基礎医学から近年臨床に転向してきたという設定。財前とは彼が基礎医学の研究室にいたころの同級生で、困ったことがあれば相談もしあう仲。だがべったり仲良しというわけでもなく、何かあったら喋る程度で、実は里見はわりと財前の存在を気にしていない。だがそのぶん、里見は本作中で唯一財前その人そのものを正確に捕らえられる人物でもある。

映画版とドラマ版では、財前と里見は真逆の性格の友人兼ライバル……?ということは一緒なのだが、イヤ〜❤️ 真逆の性格の友達兼ライバルやて〜❤️ あざとすぎや〜❤️ どないしょ〜❤️ って感じじゃないですか?

私からすると、映画版とドラマ版での最大の違いとはこの二人の関係の描き方の違いなのだ。二人の関係のニュアンスが微妙に違う。ここが映画版・ドラマ版を比較して観るときの最大の見所だと思う(お前はな)。そして、里見は映画版・ドラマ版で俳優が違うため、それぞれの俳優については以下項目別本文にてご確認いただきたい。

 

 

 

┃ 映画版:明快で深遠、強靭なストーリーと、美男俳優の共演を楽しむ

先述の通り私は田宮二郎が「傲慢で自信過剰のクッソいけ好かねえエリートイケメン役」を演じている映画がしぬほど好きなのだが、その意味でも本作は田宮二郎の代表作だろう。本作は田宮二郎の美貌の絶頂期の作品であり、大映の撮影技術もあいまってひたすら「いとありがたし……」という言葉が漏れる。ご本人は当時通常はもう少しクールでさらっとした雰囲気なのだが、原作版では財前は男性的(要するにゴリラ系)と設定されているためか眉毛をメイクで少し濃いめにして、クドめの顔に役作りをしている。

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映画版の良いところはやはり脚本の緻密さだと思う。個人的にはこの点において原作よりもクオリティが高いと感じる。実は原作は結構紋切り型描写やその繰り返しが多々あり、クドく感じる部分も多い。映画では原作の通俗的な部分をカットし、物語全体のトーンをクールに処理している。そして、一箇所、原作から設定を大きく改変している部分がある。その改変している部分がうまくてうならされる。この改変部分がクライマックスの話のキモであり、最大のネタバレになってしまうので伏せるが、改変したことによってテーマの構造、メッセージがよりわかりやすく、より明確になっているのだ。

本作は社会派作品だと冒頭に書いたが、社会派として何を描いているかと言うと、設定上は医学界と大学組織の腐敗である。ここにそれだけではないさらなる社会性を乗せてくるあたり、さすが脚本・橋本忍だけあると思わされる。人間がまっとうに生きることを阻害する「社会」への怒りと悲しみと、それをお涙頂戴やいい話〆にせず現実にひきつけて描き切る覚悟。忍っちはすぐナレーション付き回想をぶち込んできたり(本作でも謎のナレーションパートが……)、やたら登場人物が切腹しようとしたりと、そのよくわからない性癖に引いてしまうこともあるが、やはり巧い。単調な感動話、あるいは勧善懲悪の社会問題告発話には持っていかないあたり、すばらしい。本作についてはまず映画としてきわめてクオリティの高い傑作であることをここにはっきり書いておきたい。

 

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本作での里見修二役は田村高廣。昭和の銀幕において影のある美男子……いや、正確なことばを使えば「心のないクズ野郎」を演じさせたらこの人にまさる俳優なし。天下の大俳優・阪妻の長男、兄弟のなかでいちばんの美男子にしていちばんの名優にしていちばんのサイコパスオーラを放つ人。そしてうす顔系昭和美男俳優の中でも最高峰ではというほどの美貌で、この貴公子風で優しそうな感じ、いかにも女にモテそう。そして心がないというのがすばらしくないですか。すばらしいでしょ。

私のお気に入りは木下惠介監督『この天の虹』(松竹/1958)。ここでは製鉄工場の建築技師というエリートを演じているのだが、現場勤務の人々とは一線を画すエリートなのになんの気取りもなくひょうひょうとして誰にでも同じ態度で接するなんて、素敵!と思ったら大間違い。ヒロインに想いを寄せられ彼女に結婚の約束をしたかのように錯覚させながらも結婚する気はまったくなく、下宿先の奥さんにまで想いを寄せられそれをスルスルかわしながらも思わせぶりなことを言い、実際には別にどちらとも深い関係があるわけではなく、そのうえ実のところ誰にも関心がなくて、しかもその態度がすべて天然の為せるわざという、ありとあらゆる場所に無意識で火を放った上ガソリンをスプレー噴射して回る最悪の放火魔。人間の心というものを1mmも感じさせないド畜生名演技が八幡製鉄所の巨大な高炉をバックに高貴な輝きを放つ。木下惠介大先生とは男の趣味合わな~いと思っていた私だが、姿勢を正して「はっ、木下惠介大先生は最高であります!!!!!」と思わされた一本だった。

有名作としては勝新太郎とともに終戦直前の北支戦線を駆け回る落ちこぼれ兵士コンビを演じた『兵隊やくざ』シリーズ(大映/1965〜1972)。このときは超短髪でメガネをかけたインテリ兵士役で貴公子風のオーラは消しているが、クズ野郎っていうかどこに焦点が合っているのかわからないヤバい奴感が炸裂していてたいへんな好演だった。「どうせ戦争に負けたらみんなソ連兵に殺されるんだ!」とか言って憲兵を射殺するエピソードがとくに最高。心がないとしか思えない。

貴公子顔を活かした役だと、幕府に冷遇される地方藩の冷徹なご城代様役を演じた山内鉄也監督『忍者狩り』(東映/1964)が良い。大義のため、なんの躊躇もなく部下を見切る心ない演技が素晴らしい(結局心がない)。

と、突然田村高廣について熱弁してしまったが、田村高廣っていいよね〜。こいつが登場人物の中で唯一「心ある人物」役ってすごくないですか?

ただ、ここでいう里見の「心がある」というのは、エゴイズムが一切なく、患者のための医療と医学の発展に心を砕くという意味である。人間味というのはやさししさや思いやりだけで形成されるものではない。エゴイズム、私利私欲、わかっていてもやれない/やってしまう愚かな行動も含めての人間味であって、その影の側面を光でとばしてしまってはやっぱりつまらないのだ。その意味での人間味といったら財前はじめ魑魅魍魎のみなさんのほうが溢れ出るくらいにあって、その薄汚い人間味のうごめきが本作最大のおもしろさ。それと対極となる里見は学問的な業績はすぐれているが融通がきかない(あるいは御しやすい)と設定されている。

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さて、そんな財前と里見の関係だが、映画版での描写は実はわりとクールである。教授選とそこにまつわる人間関係に焦点をおいた構成となっているため、教授選に無関係でかつ関心がない設定の里見には派手な出番はない。里見は部外者として物語を俯瞰している立場に設定されており、ストーリーの核心からは一歩引いている。里見は患者の診療や治療に関し財前を頼ることがあり、財前も得意げにそれを引き受けるのだが(このあたりのエッヘン演技は最高)、財前が里見に頼るときは私利私欲のために彼を利用しようとするときであり、里見はそれを固辞する。結果、二人は道を分かつことになるのだが……。うーん、そういう意味では本記事の趣旨としては残念な設定ですな。そもそも忍っち自身があんまり男男萌え要素がないですからなあ。とにかく映画としてのクオリティとルックスは抜群なので、公式なにくそ、妄想でおらがドリームを増幅(ブースト)できる猛者のみなさんは是非映画版をどうぞ。

あと一応白衣マニアの方にお知らせしておきますが、写真を見ていただけばわかる通り、俳優の衣装は白衣じゃないです。白衣マニアの方は以下のドラマ版をご覧ください。

 

 

┃ ドラマ版:財前五郎という人間の心の明暗、里見との関係性を重点的に描く

  • プロデューサー=小林俊一
  • 脚本=鈴木尚之
  • 製作=田宮企画・フジプロダクション
  • 放送期間=1978年6月〜1979年1月(フジテレビ)、全31回

結論から先に書いてしまうが、ドラマ版では財前五郎という人物自体の明暗描写に力が入っており、社会の歪みを告発するニュアンスの強い映画版とは違った印象の作品に仕上がっている。

映画版と違うのは、財前は流され易いだけで、そこまでガッついているわけではない、というニュアンスの強調だ。ドラマ版での財前は、周囲の人間にかつぎあげられた神輿として描かれ、その暴走に本人がついていけなくなるような描写が見られる。これは原作版や映画版にもある描写なのだが、ドラマ版ではそのニュアンスをことに強調しており、それが最終回の展開に効いている。このような微妙なニュアンスの付加は財前だけでなくすべての登場人物に言えることで、登場人物をわりとパキッと色づけし、わかりやすいキャラクター的に描いている原作とは異なる点でもある。特に良いのは財前の義父の財前又一。堂島の産婦人科開業医である財前又一は身内に医学部教授を出したいばかりに、金と同窓会関係の縁故にモノを言わせて財前をゴリ押しする俗っぽい大阪のオッチャンキャラだが、俳優に曾我廼家明蝶を起用し、それだけの一辺倒ではない、金持ちならではの品のある遊びのうまい大阪人で、バカっぽい言動の中にも愛嬌の滲み出るチャーミングなジイさんに仕上がっている。曾我廼家明蝶が連れて来る同窓会関係の医学会重鎮のみなさんがまたやたらと面白い配役ですばらしい。これは観てのお楽しみ。ちなみに東教授(ドラマ版配役・中村伸郎)が恃みとする東都大学・船尾教授役は佐分利信、都会的なエリート感満載で、曾我廼家明蝶との対比にうならされる。

ドラマ版はすでに述べた財前・財前又一のほか、東教授の描写も重層的でとても上手い。実は東教授本人はきわめてまっとうであり、教授選はその渦中の当人たち以上に、利権にあやかろうとする周囲のおぞましい煽てによって彩られている。また、原作にもある描写だが、東教授の長年自分を支えてきてくれた財前への愛憎が描かれるのもドラマ版の見所である。

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そしてドラマ版でもう一つ重要なのが、財前五郎という人間にとっての、里見脩二という人間の大切さを大きな扱いで描いていることだ。映画版ではわりと決裂していた二人の仲だが、ドラマ版では友達だけど友達未満だけどやっぱり友達以上……みたいな、絶妙なニュアンスのある関係に設定されている。

財前は基本的に、すべての他人に対して建て前の表情を作って対応している。素の表情を見せるのは愛人のケイ子(太地喜和子)、そして同級生だった里見と接しているときだけだ。財前は婿養子で、義父の財力でもっていまの地位を築いた部分もあるため、妻にも本性は見せず、結構ビジネスライクに対応している。家庭でも素にはならない財前が甘えられるのはこの二人だけだ。

劇中だれもが財前の動向に注目するなか、里見だけは財前をとくに気にしていない。これは映画版と同じである。違うのは財前で、映画版にあるような里見への見下しのニュアンスが薄く、かなり彼を頼っているのだ。財前はときどき相談事で里見へゴロニャンとまとわりつくのだが(このときの猫なで声喋りが最高)、里見は自分の研究で忙しく「いま中断できない作業中だから」等で結構スルーしてくる。そういうとき財前は里見の用事が終わるまで横でホワーンと待っているケイ子と喋るときは自信満々饒舌にペラペラペラペラペラ喋りまくる財前も、里見の前では口調が変わってシュッと大人しくなる。財前自身はこれを「あいつは苦手なんだ」と表現している。でもそれ苦手っていうんですかね〜。……小学生か?? ほのぼのしちゃいますね〜。

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本作での里見修二役は山本學。この人、原作の里見のイメージに結構近い。映画版の田村高廣は地味め人物設定のはずの里見にしては顔よすぎじゃね?感があったが、山本學は地味めの脂っけなし、でもモテそう感がかなり里見のイメージにマッチしている。

ドラマ版での里見は映画版よりも聖人感が増しており、下手すると鼻につくことになりそうなのだが、なぜかサークラキャラになっていて謎の時空を形成していた。なにがサークラなのかというと、里見は財前だけでなく東教授の娘・東佐枝子にも信奉され思いを寄せられているのだが、里見は実は佐枝子の友人の夫なのである。里見はそれを察しつつもだいぶ終盤になるまでスルーし続けた結果、大炎上事件が発生する。正直、あれメッチャおもしろかったわ〜。そりゃそうなるだろって思った。そして、なぜか映画版に比べドラマ版の佐枝子は女性受けが悪そうなお嬢様キャラに設定されていたのもすごかった。映画版では配役が藤村志保で、佐枝子はかなりクールに設定されていたのに……。また、ドラマ版には里見にずっとくっついて回るメガネくん助手が設定されており、何があっても必ず里見についていく健気さが可愛いかった。

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ドラマ版は全31話と長く、教授選くらいまではテンポよく手に汗握る展開なのだが、以降は展開が少々緩慢で、若干厳しいものがある。しかしそこを我慢して是非最終回まで観てほしい。なぜなら最終回がこの記事の趣旨的な意味で一番すごいからである。

ここからは終盤のネタバレになるので、気になる方は読まないでほしい。

 

ドラマ版でも映画版と同じく原作の一部改変を行っており、その改変の中で最も有名なのは最終回の最後の部分。上にネタバレの警告を書いたのでいいだろう。簡単にいきさつを説明する。

ここまでの話…財前は教授選で立て込んでいた頃に食道ガンの手術を担当していた患者・佐々木庸平の術後の診療をせず、直後に佐々木がガン性肋膜炎で急死したことで遺族から医師としての職務怠慢、誤診であると裁判を起こされる。第一審ではその訴えは棄却されたものの、納得しかねる遺族から即時控訴され、控訴審が行われていた。

 

財前は誤診裁判控訴審終了後、裁判所で倒れ、胃ガンであることが発覚する。教授選で揉めて割れていた浪速大学医学部教授連も恩讐をこえて医療チームを結成し、引退していた東教授を呼んで緊急手術を行うが、末期状態で転移がひどく、手のほどこしようのない状態だった。しかし誰も財前にそれを告知できず、詳細をはぐらかされた財前は疑心暗鬼に陥る。だが里見は優れた臨床医である財前をいつまでもだまし通せるものではないと思っていた。財前は里見にだけは本当のことを言ってもらいたいと彼を呼び出して頼み込むが、里見も良性の胃潰瘍でただの疲れだとはぐらかす。そしてケイ子が見舞いに持って来たバラが枯れるのを待つまでもたず、財前は死去する。ところがその後、枕の下から遺書が見つかる。それは里見宛に書かれたもので、自分が末期の胃ガンだと気づいていたこと、その自己診断はきわめて精確であり、また今後の医学の発展のために献体すること、そして里見のいままでの友情への感謝の言葉が綴られていた。 

この紅涙をしぼる遺書、実は原作では里見宛ではないのだ。原作だと病理学教授で解剖執刀医の大河内教授宛となっており、実際の病状と寸分違わぬ自己診断、そして今後のガン医療研究のため病理解剖を行って欲しい旨が書かれていることになっており、設定としてはわりと冷静である。前述の通り、ドラマ版では財前と里見の関係をより重点的に描いているのだが、個人的にはこの遺書が里見宛というのが衝撃的すぎて、邪悪な私ですら身を乗り出した。だって感謝の言葉的な内容なら義父宛でもいいはずと思ったもん。それでも里見宛になっているとは、やっぱり財前くんは里見くんのことが好きだったんだね……。涙……。

そして、里見が最後に財前に贈ることばも心に残る。衝突することはあったけれど、里見だけは財前の本質を知っていて、ずっと見守っていたことがわかるのだ。これはぜひ、実際に観て確かめていただきたい。目の前の色々なものごとにどうしても焦ってしまう人には、とても響くことばだと思う。

 

そういう意味で、本記事的な趣旨としてはお勧めはドラマ版と言いたいところなのだが、先述の通り、ドラマ版は途中のダルさがかなり厳しいため、まずはDVDで言うと区切りの良い1〜3巻まで観ていただくのがいいと思う。まずここまで観れば皆が思っている『白い巨塔』の概要は押さえられるので「観た、観たで!!」という顔ができる。また、最終的に両方観るなら、話が整理されている映画版を観てからドラマ版に移行したほうがスムーズで、登場人物の膨らませかたを十分に味わえると思う。

以上、結論なく突然話ここで終了。どちらかしかご覧になったことのないかたは是非ご覧になってない方も観ていただきたいし、どちらもご覧になったことのないかたは是非両方観てねというのが私の言いたいことです。

 

ドラマ版 おまけ

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みんな見て。これがわたしたちが失ってしまったもの。テレビのアスペクト比がスタンダードサイズだった頃のドラマのため、画角におさまるためにメッチャ密着させられる田宮二郎&山本學。いまのような横長アスペクト比ではこの密着はもうありえないだろう。いまこそ言いたい。昔はよかった!!!!!!!!!!

 

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里見に頼まれた初期の膵臓ガン患者の手術を成功させた財前。それを里見くんに深く感謝され、握手を求められてドキッ////とするシーン(大学内のドロドロ事情により、本来はとても引き受けにくい手術だったのだ)。このキョドり感を嘘くさくなく演じられるのはさすが田宮二郎膵臓ガンの手術は滅多になく、外科医としてどうしてもやりたいから引き受けたのに、里見くんにこんなにも感謝されちゃうなんて……//// これで財前が調子に乗って飲みに誘ったのにスルーしてくる里見くんのサークラ気質がすばらしい。