TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 10月地方公演『妹背山婦女庭訓』『近頃河原の達引』神奈川県立青少年センター

地方公演に行ってみた。

この公演、事前に公演情報を調べてチケットがぴあに出るのを待っていたが、実は主催者専売でとっくの昔に発売していたことが発覚、気づいた時点で即座に取ったが、昼の部はかなり席が埋まっていて、いままでで一番の後列……。実際行ってみたら800席程度の会場ほぼ満席で、人気あるな〜と思わされた。しかし夜の部はなぜか最前列が取れた。差がありすぎでは。なお、実際の客入りは、昼より少ないけど、国立劇場小劇場なら満席入っているくらいの席の埋まり方だった。

 

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昼の部は『妹背山婦女庭訓』のお三輪パート。文楽を観始めて9ヶ月だが、これで観るのは3回目。ふだんどうやって演目をまわしているのか知らないが、今年の重点演目なのだろうか。

まず上演前に太夫さんから文楽についての簡単な解説とあらすじ説明がある。その最後に字幕表示機「Gマーク」(名前うろ覚え)が紹介されて、太夫さんとプチ漫才(?)をしてくれるのだが……、なんだこのコーナーは。やっぱりあの人らは「きょういっぺんは客に笑って帰ってもらわな!」メンタリティなのだろうか。さすが大阪の人は違う。で、この字幕表示機が結構よくて、本公演の字幕は国立劇場小劇場だとステージ上部の左右に縦書き、文楽劇場だとステージ上部センターに横書きで表示されるが、いずれもステージの演技スペースから遠く、字幕を見ようとすると人形が見えなくなるのがイヤで、私はふだんあまり字幕を見ていない。ところがこの「Gマーク」は舞台下手、ステージ脇に巨大な柱としてドーーーーンと立っているので、人形と同時に視界に入り、人形の演技を見ながら無理なく字幕を見ることができるのだ。これ、国立劇場文楽劇場よりもイイ。でもそんな見やすい場所に立ってるとみんなそっちを見ちゃうから、人形遣いさんからすると「ふざけんな💢字幕見てないでオレを見ろ💢💢💢」って感じだろうけど……。

 

本編の人形役割メインキャストは勘十郎さんがお三輪、清十郎さんが求馬、勘彌さんが橘姫、玉志さんが鱶七で、4月の大阪と同じだった。女の人形って、人形遣いが持っていないときは表情が死んでいて胴体にメリハリもなくこけし状で別に可愛くもなんともない。勘十郎さんがときどきFBに人形のこしらえをしました❤的な写真をアップしているが、脊髄反射で「超いいね❤」を押しつつ、あの可愛くもなんともなさ、スゲーっていつも思う(勘十郎様申し訳ございません。でも、あの死体状態で舞台で見せる最終形が見えているのはすごいと思ってます)。しかし、舞台で見ると可憐にクルクルしていて、とても可愛い。持ち方、首のかしげさせ方、肩の動かし方などのほんのすこしのニュアンスでそう見せているのだろうけど、どうしてあんなに可愛いく見せられるのかは具体的にはわからなくて、不思議。鑑賞教室などで人形遣いさんから可憐に見せるテクニックの話が時々あるが(両手の指先を胸の前で合わせて静止するポーズのとき、袖から手を出さない等)、もちろんそれだけではなく、動きや仕草そのものがすべて可愛いんだよなあ。生身の人間の女性であそこまでやったらぶりっこだとは思うが、それが可愛いのが人形の特権。それに加え、演者が男性なのでさらに生臭さが軽減されるという何段階のも屈折があるからだと思うが……。そんなこんなで、お三輪は今回もとても可憐でとても可愛かった。お三輪とキーキーやりあう橘姫も可愛かった。

それと、お三輪と求馬は手にした苧環(糸巻き)をクルクル回転させるが、あれをどうやって回しているのか不思議。とくに後手に持って回す場面のあるお三輪。よくあんなにキレイにそれっぽく回せるな〜と思う。

 

 

夜の部は『近頃河原の達引』。主家を害する悪人を勢い余って殺してしまった伝兵衛(人形役割・豊松清十郎)とその恋人・遊女おしゅん(吉田勘彌)、おしゅんの兄で貧しい猿廻しの芸人の与次郎(桐竹勘十郎)、そして盲目の母(吉田簑一郎)の物語。ほのぼのだった。

バカっぽいけど妹想いの与次郎の仕草がいちいち可愛い。横でおしゅんと母が何かやってるうちにちょこちょこと細かいことをしていた。夕食におひつから新しいごはんをよそうのをやめて、お弁当の残りのおにぎりを茶碗にあけて梅干しとタクアンだけでいただくとか、梅干しはちゃんとすっぱそうにチョビチョビ食べているとか……、与次郎のいる下手側の席だったため、目の前でやられているそっちが気になって、上手のほうにいるおしゅんと母がなにをやっているか全く見ていなかった。そして、与次郎が旅立つおしゅんと伝兵衛のために祝いの猿廻しをするシーンは、こざるがとてもかわいかった。こざる、きょう一番の拍手を浴びていたような……。

また、小道具も凝っていて、帰宅した与次郎が母にお茶をわかしてあげる場面で使っている火鉢(?)、うちわでパタパタあおいだら赤く燃えた灰がフワフワ舞っていた。また、キセルもちゃんと煙が出ていた。電子タバコ? どうやっているんだろう。

それともうひとつよかったのが三味線(鶴澤藤蔵、ツレ・鶴澤寛太郎)。いままでは道行ナントカカントカ系以外にはそこまで三味線が演奏しっぱなしの演目を見ることはなかったが、「堀川猿廻しの段」では母が近所の子どもに三味線を教えるシーンがあったり、猿廻しでも三味線が伴奏についていたり、演奏をじっくり聞ける構成だった。津駒大夫さんと藤蔵さんはつい先日、自主公演(?)で寛永寺でこの段を素浄瑠璃をやっていたみたいだが、行きたかったな〜。直前というかその当日に知ってしまったので都合のやりくりがつかず、行けなかった。東京での自主公演は滅多にないだろうから、はやく知りたかった。文楽協会や技芸員さんたちのNPO法人が絡んでいる公演ならともかく、個人の自主公演や仕事の情報はどうやって調べればいいんだろう。勘十郎さんもFBに載せてるのは一部だし……。たいてい後々知って「はよ言えや!!!!」と思ってしまう。技芸員さんの名前でかたっぱしから検索してネットストーキングでもするしかないのでしょうか。

  

そんなこんなで勘十郎様の可愛さスペシャルな公演だった。

客席は子供連れの方から年配の方まで幅広く、いろいろな方が来ていた。昼の部はかなり後列だったからか、周囲の人は客層雑多で、初めて文楽を観るらしい会話をしている方もいらっしゃった。夜の部は最前列、さすがにこちらでは周囲も普段から国立劇場に行っているらしい話をされている方が。錦秋公演の話をされている方も多かったので、固定のファンなんでしょうね。

客席、とくに昼はワーキャー盛り上がっていた。人形のちょっとした仕草にもワイワイ。大阪の文楽劇場のお客さんていつもワーキャー盛り上がってるなと思っていたけど、こないだの狛江での公演も鑑みるに、国立劇場のお客さんがおとなしすぎるだけなのかもしれない。文楽はワーキャー観たほうが楽しいように思う。

それと、音響がいつもと違う感じで、人形の足拍子やツケ打ちの音が大きく反響していた。会場によっては舞台の構造上足拍子の音が鳴らなくて人形遣いさんは困るらしいが、今回の会場は文楽劇場等より足音が鳴りやすいのか、ふだんそんなバタバタした音はしないのに、段を降りるときとか、音が立たなくていいとこまで少しだけど足音立っちゃってたりしてた。やっぱり文楽劇場国立劇場のような専用劇場は床や舟底だけじゃない、専用劇場としての機能を持っているんだろうなと思った。

 

 

  • 『妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)』杉酒屋の段、道行恋苧環、姫戻りの段、金殿の段  
  • 『近頃河原の達引(ちがごろかわらのたてひき)』四条河原の段、堀川猿廻しの段
  • http://www.pref.kanagawa.jp/cnt/f531320/p811343.html

文楽 文楽って?! What's BUNRAKU?!『伊達娘恋緋鹿子』火の見櫓の段 狛江エコルマホール

地方巡業シーズンということで、ぴあに出ていた謎の単発公演を取ってみた。

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見終わってから気づいたのだが(遅い)、これ、一般公演じゃなくて、レクチャーだった。解説70分上演15分くらい。それなら上演見た方が早いので、45分解説して45分普通に上演してくれと思ってしまうが、チケット代が2,500円と異様に安かったから文句は言えない。

 

その肝心のレクチャーパートの解説担当は太夫・豊竹靖太夫さん、三味線・鶴澤清𠀋さん、人形・吉田簑紫郎さん。

太夫さんからはそもそもの文楽の説明と『菅原伝授手習鑑』寺入りの段より、元気な子どもと利発な子どもの語り分け。ここで三味線弾きさん入って、品のある奥さんとおかみさんの弾き分け。三味線ソロで、天候等による弾き分け、「休みなのにやることがないわたしの気持ち」などを三味線で表現等の実演があった。人形の解説は、かしらの構造と仕掛け、人形遣い3人の動きの合わせ方、女の人形の動きの実演(鑑賞教室公演とほぼ同じ内容)、若い娘さんと年を重ねた女の動きの速さによる演じ分け。そして、人形遣い体験として会場から希望者6人を募って男の人形、女の人形の基本演技をやってみるというもの。最初に太夫さんが聞いた限りだと客のうち半分くらいは文楽を見たことがない人だったが、実演体験メンバーも体験目的でハリキって来た人と文楽見たことない人が混じって混沌としており、おもしろかった。いい大人が「えー!?あれー!?!?!?」とワイワイやってるのがなんか微笑ましくて……。それを簑紫郎さんが「顔はまっすぐお客さんを向いてください!!!」「手はできればまっすぐそろえてください!!!!」「左手どこいきましたか〜〜!!!!!」と横から一生懸命なおしていた。私のまわりの席の人は技芸員さんの追っかけっぽくて、人形を動かすのは難しいことを承知しているためそのへん優しく、動かせてるだけで「すご〜い、うまいね〜^^♪」って反応だったが、人形遣いさんからするとやっぱり細かいところが気になっちゃうんですね。しきりにちょこちょこなおしてあげていた。

で、人形遣い体験があるにしてもよう70分も解説すんなと思うでしょうが、三味線弾きさんがおそろしくよく喋る人で、自分の持ち場のみならず太夫さんが解説している間も横から遮る勢いでものすっごい喋りまくっていたのです。普段お澄ましなさっているお姿しか拝見しておりませんので、この人ほんまによう喋るなと思った。客にきょういっぺんは笑って帰ってもらわにゃ芸人として恥ということなのでしょうか。

 

最後にミニ公演として、『伊達娘恋緋鹿子火の見櫓の段。お七が櫓にチョコチョコ昇っていくのを人形遣いの姿を見せずに演じるのがみどころ……で、見たことのない演目だったのでおもしろかったのだが、さっきまでやってた解説とほぼ関係ない内容で笑った。いや三味線弾きさんからは「雪が降っていてしずかな情景」の弾き方の解説があったが。しかも話の説明を事前に誰もしていないのでめちゃくちゃ唐突。別に話を説明しないとわからないような演目じゃないということだろうが、このワキの甘さがいいよね。

 

ここからは国立劇場系列館にはないサービス。火の見櫓の段が終わったあともういちど幕を上げて出演者全員で舞台挨拶と、終演後にロビーで人形のグリーティングがついていた。今回はスタッフのかたに呼び止められたので私もグリーティングが見られたが、人だかりがすごすぎて近寄れず。でも、終わって速攻人形かかえて走ってきた人形遣いさん、大変だなと思って影から手を合わせておいた。

発売からだいぶ経ってから席を取ったわりにそこそこ前方の席が取れたので不安になったのだが、お客さんは結構入っていた。725席のホール3分の2くらい埋まっていたので、客数的には国立劇場公演満席弱くらいの客数だろうか。こういう単発公演はなかなか大変な仕事だと思うが、お若い(?)みなさんでがんばっておられて、客席の雰囲気もよく、行ってよかった。

 

 

文楽 9月東京公演『一谷嫰軍記』国立劇場 小劇場

このためにあぜくら会に入ったのである。

あぜくら会は国立劇場系列館の会員組織で、年会費2,100円(+入会金2,100円)でチケットの先行予約権、観劇料10%OFFの優待、会員限定イベント参加権等の享受を受けることができる。私はもちろん文楽のチケットの先行予約権目当て。わざわざ会員なんかならなくても一般でもチケット発売開始日・開始時刻に申し込めば取れるでしょというのは甘過ぎと5月の鑑賞教室公演で実感し、大人として金で解決できることは解決すべしとすかさず入会した。

結果、かなり良い席をゲット。初年度4,200円で東京で土休日にここまで良い席が取れるなら絶対入ったほうがいい*1。観劇料10%OFF優待のことを考えると十分モトが取れる。ただし、実はあぜくら会先行発売開始の時点でも前方は結構席が埋まっているので、よい席を巡る競争そのものは激しいまま。おそらく主催者や企業が押さえている席なのだろう。そのためセンターブロック最前列を取るのはさすがに難しいが、予約開始時刻に申し込みさえすれば席はほぼ確実に取れる。私は国立能楽堂のチケット確保でもあぜくら会先行予約を使っているが、能の公演でも出演者等によって一般発売ではチケットが取りづらいことがある。でも、あぜくら会先行だととりあえず席は取れる。能については文楽ほど必死ではないけど、逆に必死にならなくても席が取れるので便利。

ただ、実は今回の文楽公演に関してあぜくら会の予約開始前に千代田区民の優待席の存在を知ってしまい、心が折れそうになった。あぜくら会の会費払ってでも席を取ろうとしている私は一体……。 

 

 

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国立劇場開場50周年記念、『一谷嫰軍記』の通し上演。50周年記念公演とか言いながら、歌舞伎が『仮名手本忠臣蔵』を3ヶ月かけて通し上演するのに文楽普通では?と思っていたら、有名作にも関わらず通しは滅多になくて、東京では41年ぶり、大阪からでも十数年ぶりとのこと(通しが滅多に出来ない理由は後述)。

先述の通り、あぜくら会の威力で私史上最高の席が取れた。センターブロックかなりの前列で人形を見るには最適。人形の演技や衣装が細かいところまで見られたのがとても良かった。主役クラスの人形は、相当寄って見てもオオと思うくらい、豪華な衣装を着ているのだな。鎧の飾りなど細かいところまで作ってあった。軍馬のつけている、紫糸に金のテラテラがついたタッセル飾りがよかった。

しかし前すぎて舞台袖の字幕が見えない。相当首をひねらないと見えないので、舞台に人形がいるときに見るのはまず無理。だが謡曲の勉強のため先日『平家物語』全編概要&原文対訳の本を読んだので、今回は私には珍しく観る前から若干内容(というかモトネタ)を知っていたのでついていけた。

そこまではよかったのだが、実は特設サイトに上がっている出演者インタビュー動画で和生さんが豪快なネタバレをかましているのを見てしまい、結末を知っていたのだった。なんでインタビュートップバッターからいきなりネタバレしてんだ。古典芸能業界にはネタバレという概念がないのは理解しているが、いちばんのドンデン返し部分を話してしまうとは……和生さん、癒し系の喋り方をしているからと言ってあなどれない。インタビュアーも折角和生さんに話してもらうならほかのこと聞いたって。

 

 

とか言いつつ、ここから私もネタバレ(?)を書く。

本作はストーリーの核心部分が叙述トリックになっている。それが結構巧妙に出来ていて、古典は話が大味という思い込みがあった私は驚いた。その部分に関わるあらすじを簡単に書くとこんな感じ。

『一谷嫰軍記』あらすじ

源平の争乱も末期にさしかかった頃。熊谷直実源義経から「一枝を伐らば一指を剪るべし」と書かれた制札を受け取り、若木の桜を守れと命じられた。須磨に向かった熊谷は一ノ谷の戦場で平家方の身分の高そうな若武者と出会う。組敷くとその美青年は無官太夫敦盛と名乗る。熊谷は自分の息子・小次郎と同年輩の彼を逃がそうとするが、背後から平山武者所味方の軍勢が迫り、見逃せない状況になる。敦盛にも迫られ、熊谷はほかの下司下郎の手にかかるならと敦盛の首を落とす。ところがそこに敦盛を慕う許嫁・玉織姫が現れる。玉織姫は敦盛を追ってここまで来たが、姫に横恋慕する平山が彼女を手にかけたため、瀕死の重傷を負っている。敦盛の首が見たいがもう目が見えないという姫に熊谷は首を抱かせてやり、姫はそのまま息絶える。(堀川御所の段、須磨浦の段、組討の段)

そしてしばらく後。御影で石工をしている弥陀六という老人のもとに、石塔を立ててほしいという美青年が現れる。弥陀六は注文通り石塔を建てるが、完成後、彼を石塔へ案内すると美青年はたちどころに姿を消してしまい、弥陀六の娘が彼から受け取った笛だけが残される。敦盛が殺されるところを目撃していた近所の百姓たちが集まってきて、その美青年は幽霊ではないかと言い合う。そこへ敦盛の母・藤の局が現れる。藤の局は笛を見て敦盛のものに違いないと言い、熊谷に殺されて幽霊となった敦盛が託したものだと泣き伏す。(弥陀六内の段、脇ヶ浜宝引の段)

一方、熊谷陣屋には、息子・小次郎を心配した熊谷の妻・相模が訪ねてくる。熊谷は女の来るところではないと追い払おうとするが、そこに藤の局が現れ、敦盛の仇と熊谷に斬り掛かる。熊谷はやむを得なかったと敦盛の最期を詳しく語り、藤の局は泣き崩れる。藤の局は弔いにと弥陀六の娘から譲り受けた笛を吹く。すると奥の障子に若武者の影が映り、藤の局は取り乱すが、障子を開けるとそこには形見の鎧があるだけだった。やがて義経が現れ、敦盛の首実検が始まる。熊谷は義経から受け取った制札を示し、首桶をあけて敦盛の首を義経に見せる。ところがその首を見た相模と藤の局は驚愕する。その首はなんと熊谷の息子・小次郎だった。熊谷はあの制札によって義経から後白河法皇落胤である敦盛を助けよとの命を暗に受け、敦盛と息子・小次郎を入れ替えて実子を殺害していたのだった。すべてを承諾している義経は小次郎の首を敦盛の首と認定し、本物の敦盛は鎧櫃に隠して弥陀六に託し、戦場から逃れさせた。夫が息子を殺していたことを知った相模は泣き伏すが、熊谷が鎧兜を脱ぐとその下は僧侶の姿をしていた。熊谷は武士の身分を捨て僧侶となりたいと申し出、義経もそれを許す。熊谷は一同に別れを告げ、陣屋から去っていった。(熊谷桜の段、熊谷陣屋の段)

このストーリーは観客が全員『平家物語』の「敦盛最期」を知っていることが前提となる。熊谷が敦盛(に見せかけた小次郎)を殺害する「組討の段」の流れは「敦盛最期」と同じなので、『平家物語』を知っている客は「アアハイあれネ」と確実にミスリードさせられる。

問題になるのは敦盛と小次郎のすり替え殺害のトリックだが、熊谷が殺害現場を味方の軍勢に目撃させているのがポイントになる。私はあらかじめすり替えのことを知っていた(正しく言うと、敦盛が生存していることを知っていて、小次郎とすり替えているだろうと推察していた)ので殺害のシーンは注意して見ていたのだが、トリックの核心は「殺害を誰も間近では見ていない」ということ。

最有力目撃者の平山も実際には遠目にしか見ていないので、よく聞いているとここでの平山の台詞、浄瑠璃の詞章も「ヤアヤア熊谷。平家方の大将を組み敷きながら助くるは二心に紛れなし」と、誰を組み敷いているとまでは言っていない。その直後に現れる玉織姫、これは熊谷にとっては想定外の存在で、敦盛の顔をよく知っている危険人物だが、瀕死で目が見えなくなっているので、首を抱いたと言っても誰の首かは本当はわかっていない。さらに熊谷の知らないところで脇ヶ浜の百姓たちも殺害現場を目撃しているが、彼らもかなりの遠目にしか見ておらず、熊谷が組み敷いた相手を敦盛だと思い込んでいる。この百姓たちが底抜けのスットコドッコイというのもポイント。彼らの話を聞いた敦盛の母・藤の局は石塔を建てさせた青年が持っていたという笛とあいまって、敦盛は熊谷に殺され、その幽霊が笛を持ってきたに違いないと思い込む。

そしてとうの熊谷は熊谷陣屋に現れた藤の局に敦盛の最期を語って聞かせるが、ここで熊谷が語る平山の台詞は「熊谷こそ敦盛を組み敷きながら助くるは二心に極まりし」と、実際の平山の発言「平家方の大将」を「敦盛」とすり替えて喋っている。

最終的には首実検の現場に小次郎の実母・相模と敦盛の実母・藤の局が来てしまったことですべてが露見するが、首桶をあけた熊谷は瞬間的に開いた扇で首を隠し、相模らの視線を遮る。と言っても二人とも首を見てしまって「え!?!?!?」みたいになっているので、手にしていた制札でひとまず二人を押しとどめ、首実検自体は儀式として滞りなく終わらせる。この直前に笛の音とともに障子の影として現れる敦盛は本物で、実は丸本の詞章では、義経の志で影でだけでも母子を再会させていることが説明される、下記のような部分が存在する。

(今回販売プログラム付録床本のP61の頭、「夫は瞬きもせん方涙御前を恐れ、余所に言ひなす詞さへ、泣音血を吐く思ひなり。」のあとに続き)
藤の局は御声曇り。ナウ相模。今の今迄我が子ぞと。思ひの外た熊谷の情。そなたは嘸や悲しかろ。かうした事とは露しらず。敵を取らうの切らうのというた詞が耻しい。我が子の為には命の親。忝いと手を合はせ。此首の生世の中。逢見ぬ事の悔しやと倶に欺かせ給ひしが。是に就きいぶかしきは此浜の石塔。敦盛の幽霊が建てさせたとの噂といひ。秘蔵せし青葉の笛石屋の娘が貰ひしとて我が手に入り。最前其笛吹いた時あの障子に映りし影は慥かに我が子と思いしは。アいや其笛の音を聞いてかけ出し敦盛の幽霊。人目ありと引止め。障子ごしの面影は義経が志と。聞いて御壷は我が子の無事。悟りながらも箒木のありとは見えて隔てられ。又も涙にくれ給ふ。
(このあと「折節風に誘はれて耳を突抜く法螺貝の音喧すく聞こゆれば。」が続く)

この部分は大概の上演ではカットされるとのこと。確かに今回販売プログラム付録の床本ではこの部分抜かれているのだが、今回これ本当に抜いてたかな〜??? 字幕見てなかったし、同じような言葉の繰り返しになる場面だから確信ないですが……、今回公演をご覧になったみなさまどうでしょう?

さらに上演上の工夫としては、敦盛と小次郎の人形の衣装が同じで(人形の顔が同じかまでは間近で見られないのでわからなかった)、かつ敦盛役と小次郎役は同じ人形遣い(配役・吉田和生)が演じており、何も考えずに見ればマア和生さんは今回二役なのかなくらいで*2どっちがどっちかはわからないようにしてある。

そんなこんなで、初演時の江戸時代の観客は『平家物語』の教養があり、熊谷が受け取る制札(実在で当時は有名なもの)、若木の桜(同じく実在で有名なもの)の謂れを知っていたので、「あの名物の裏にはこんな秘話が……」という感じで楽しめたらしい。いまとなってはかろうじて『平家物語』がなんとな〜く知られているくらいだが、『平家物語』を知らなくても叙述トリックものとして楽しめる。浄瑠璃をバックに人形が叙述トリックを演じていると思ったらそれだけで結構意外性あっておもしろい。やっぱり人形がやってるってのがいい。前述の通り、浄瑠璃の詞章も結構整合性があり、いまでいう伏線とその回収が周到に構成されている。

それだけでなく、「組討の段」での熊谷と敦盛(に扮した小次郎)の会話では、小次郎はずっと父に遺体を引き渡してくれ等言っており、取りようによってはちゃんと親子の会話になっているのである。さらにその直前の「陣門の段」では平家の陣屋に勇み入った小次郎を熊谷が助け出すシーンがあり、ここでは熊谷が異様に焦っているが、これは入れ替えを計画していたにも関わらず、小次郎にここで戦死されては困るからである。

ただこれらは浄瑠璃が聞き取れて初めてわかることだが……。

 

 

……と妙に詳しく説明を書いているが、字幕を見ておらず知性が小学生レベルの初心者の私がなぜここまで理解しているかと言うと、NPO法人人形浄瑠璃文楽座主催の文楽座学(レクチャー)に行って詳しい解説を聞いたからです。えっへん。

午前の部の最後に「林住家の段」がくっついているが、観劇時はここの部分、唐突すぎて話が全然意味わからなかった。薩摩守忠度(配役・吉田玉男)が林という乳母(吉田和生)の家で恋人・菊の前(吉田簑助)と再会するが、義経の使者が現れ、いろいろウニャウニャ言ったけど最終的にはさわやかにひかれていくという話そのもの以外に何が言いたいのかわからん……ていうかなにをウニャウニャ言ってたんだ????? 上演中は玉男様おステキ、簑助様おカワイイということしか頭になく、終わった瞬間記憶がすべて蒸発したと思っていたが、レクチャーによると本当にただそれだけの話の段らしい。私が理解できなかった「ウニャウニャ」部分は「自分の詠んだ歌が『千載集』に載るかどうか」という話だったとのこと。話が驚異的に薄い。

そうなると配役が謎で、忠度は派手な見せ場があるので玉男さんが出るのはわかるのだが、簑助様、何故ここにお出ましに……。ほかの段だと美少女役はあまり見せ場がないから? でも、「敦盛出陣の段」での玉織姫(吉田一輔)は「誰もいないところで側に寄って膝をつねるんですよ!!!!」とか恋愛テクを入れ知恵してくる女房たちの台詞に「や〜❤ど〜しよ〜❤」とか照れているが、直後に自分を連れ出しに来た武将の腰の刀を瞬間的に引き抜いてそのまま刺し殺すというすごい芸当を見せる。美少女役ではここは一番の見せ場(?)か。プログラムには「姫は玄藩を手討ちにして敦盛への操を立てます」とか長閑なことが書いてあるが、こんなん残酷時代劇で剛毅な武士がやってんのしか見たことないわ。恋する乙女は強い。

 

 

◼︎

あとは「脇ヶ浜宝引の段」が面白かった。藤の局を追って脇ヶ浜に現れた須股運平を、藤の局をかばう6人の百姓たちがドヤドヤやっているうちに金的で殺してしまい、そこへ庄屋さんがやってきて犯人探しをするも、庄屋さん含めて全員がぼ〜っとしているため際限なくボケが連鎖してアラど〜しましょというしょうもない話なのだが、全員がぼ〜っとしているため際限なくボケが連鎖してアラど〜しましょという感じでおもしろかった(小学生の作文)。むかしの娯楽はツッコミがおらず際限なくボケるやつが多くて良い。床は豊竹咲大夫さん・鶴澤燕三さんだった。

 最後になったが、熊谷直実役は勘十郎さんだった。大輪の菊のような、あでやかに華がある感じで、とても良かった。

 

動物話シリーズ。何頭か馬が出てくるのだが、馬の顔は意外とリアルだった。みな武将が乗ってそうなブヒヒンとした顔をしていた。しかしニワトリの鳴き声はなぜあんなに素っ頓狂なのだろう。客席が若干どよめいていた。

あと、今回人形遣いさんが袴柄物の方が多かったのは何か理由があるのだろうか。人形の衣装等とコーディネートされてるんだろうが、実生活ではまずお目にかかれないすごい柄の方が若干おられて、中でもヒョウ柄風の謎の柄の方には「こんな柄の袴あるんだ……いや注文だろうけど何故これを……?????」と思った。太夫さん・三味線弾きさんたちの肩衣・袴は色物だけど、柄はとくになくて普通だった。

 

 

■ 

さて、何故『一谷嫰軍記』の通しが滅多にかからないか……だが、 今回は初段から三段目、プラス、午後の部の頭に『寿式三番叟』をくっつけて終日通し上演のかたちにされているが、実は今回上演のない四段目が存在しているとのこと。しかしそれは初段〜三段目とは作者が違うそうだ。というのも作者・並木宗輔は初段〜三段目を書いたのち逝去し、残された人が四段目を書いたとのこと。そしてその四段目だけあからさまにクオリティが低く江戸時代から不評らしい。四段目はもうずっと上演してないとのこと。最終作だけ笠原和夫が降りた『仁義なき戦い』シリーズとある意味同じ(高田宏治先生大変申し訳ありません)。それで初段〜三段目だけで上演するとなると今度は時間が短くなりすぎる。なので今回は午後の部の頭に「50周年ですから!!!!!」と言い訳をつけて『寿式三番叟』をくっつけ、終日上演の形式にしているとのこと。10年に1回くらいはこうして通し上演できるといいねって話になっているらしい。さすが明治維新以降は「最近」と言ってしまう古典芸能業界、気がクソ長い。とっしょりは死んでまうがな。

でも実は昔はさらに興行上の致命的な理由があったそうで、それは、通しで上演してしまうと午前の部か午後の部のどっちかに有名な太夫が固まってしまい、どっちかの部が「誰も出てへんやん💢💢💢」というやばい事故が起こってしまうからだそうな。太夫さんの層が厚かった時代ならではの贅沢な悩み……、いまは有名な太夫さんが亡くなったり引退されたりして誰もいなくなり、もうはじめから誰も出ていないから何の問題もなく通し上演ができる^^♪んだそうです。(レクチャー講師・談)

 

 

『寿式三番叟』の翁は玉男さん、千歳が吉田文昇さん、三番叟が吉田玉勢さん・吉田簑紫郎さんだった。人形が踊るのはやっぱりかわいい。動きそのものは人間が生身で舞うほうが流麗だけど、とくに三番叟のような激しい踊りは人形がやっているととてもかわいい。三番叟は黒地に原色の柄の衣装もかわいいし。人間の衣装では『寿式三番叟』は太夫さん三味線弾きさん含めてみなさん笹色の国立劇場の紋入りの肩衣と袴だった。でもこれ、午後の部の頭に唐突に始まるので、正直、朝一にやりゃいいのにと思った。

 

 

レクチャーで聞いたおまけ話。床本をプログラム付録のヤツとは別途入手した場合、実際の上演ではその詞章の一部が飛ばされていることがある。『一谷軍記』で言うと、先述の障子に映った敦盛の影の部分もそうなのだが、最後、相模が熊谷に向かって「エゝ胴欲な熊谷殿。こなた一人の子かいなう。」と言う場面があるが、深刻な場面にも関わらずここで大阪の客が爆笑するので太夫さんが激おこして飛ばしちゃうことがあるそうだ。今回の東京公演ではシーンとしていたが。さすが大阪のお客様、箸が転んでもおかしいお年頃、弁当のおかずと小学生レベルのエロネタには敏感に反応なさる(失礼)。

 

 

そんなこんなで今回はいままでで一番話そのものを堪能できた。通し上演ならではの楽しみだと思う。さらに今回は文楽が好きな知り合いの方と一緒に行ったので、より楽しかった。 きゃっきゃっ。

あと、開演前、半蔵門駅から劇場まで歩いていく途中、後ろから来た知らない男性に会釈された。見ると私の前を歩いているおじさんにも会釈している。観劇日の前日広島が優勝したので、広島優勝にテンション上がっちゃってる近所のオッチャンかと思って無視したが、よく見たら技芸員さんだった。劇場に向かって歩いている=自分トコの客だから追い抜くときに会釈してらっしゃったんだろう。言われて気づいたが、会期中は劇場近辺や駅にけっこう技芸員さんがいらっしゃるんですね。お客さん誰も気にしてないけど……。

 

 

  • 『一谷嫰軍記(いちのたにふたばぐんき/一谷嫩軍記)』初段 堀川御所の段・敦盛出陣の段、二段目 陣門の段・須磨浦の段・組討の段・林住家の段/三段目 弥陀六内の段・脇ヶ浜宝引の段・熊谷桜の段・熊谷陣屋の段
  • 『寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)』
  • http://www.ntj.jac.go.jp/schedule/kokuritsu_s/2016/9157.html
  • http://www.ntj.jac.go.jp/50th/bunraku_9.html(50周年特設サイト。和生さん&勘十郎さんのインタビュー動画つき。公演成功祈願で行った須磨寺参拝のときに撮ったらしく、セミが鳴きまくっててめっちゃ暑そう。技芸員さんも大変)

*1:ただし、チケット代の支払いのため会員証=JCBのクレジットカードを作らなくてはいけなくなる。このクレジットカードはチケット代の支払い以外には使用できない。また、即日発行はしてもらえず、審査期間が20日程度かかる。絶対取りたい公演があるなら、発売日から1ヶ月前に申し込まなくてはいけない。

*2:実際にはもう一役やってるけど……。なぜ乳母林までやったのか。業界の慣例でもあるんでしょうか?