TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 7・8月大阪公演『新編西遊記 GO WEST! 玉うさぎの涙』国立文楽劇場

おこさま向け公演。初の平日観劇だが、場内ほんとうにおこさまがいっぱいで驚いた。というか、周囲、私以外みんな親子連れ。所々に普通の(?)文楽ファンの方の姿も混じっているが、おこさまがびっしりしていて気絶しそうになった。「親子劇場」と銘打たれているが、本当に親子劇場だったんだ……。はりきって最前列を取ってしまい浮きまくる私、開演15分前の三番叟に怪訝な目を向けるおこさまたち、所々にひそむ一般文楽ファン年配者、さてどうなってしまうのか。

 

本編上演に先立ち、『五条橋』と「ぶんらくってなあに?」という解説コーナーが付されている。『五条橋』のみ出遣い・字幕ありで通常公演と同じような形態で上演されるのだが、おこさまたちが口々に引率の父上母上に「ど~して牛若丸は女の格好をしているの~?」と聞いている。衣装そのものはそんなに女性的ではないので、浄瑠璃の詞章を理解しているのか、それとも絵本などで知識として知っているのか、あなどれぬおこさまたち。

「ぶんらくってなあに?」は会場から3人のおこさまをステージに上げて、人形遣いの体験をさせるというものだった。人形遣いさんのお手本通りの立役の型を、おこさま3人組が小坊主の人形を使ってそれぞれ主遣い・左遣い・足遣いとなって演じるのだが、まあ、出来ないよね。おこさまでなくとも「円を描くようにくるっと回って、手をぱちんと合わせて、両手を広げる」自体が難しそう。案の定、途中から人形が大きく傾いてきて、あらら……と人形遣いさんたちが立て直してあげていた。おこさまの世話をする左遣いさんと足遣いさんがおこさまたちにデレデレになっていたのが面白かった。

 

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西遊記』の原典をもとにした書き下ろし新作で、今までも『西遊記』を上演しているらしく、なんとすでに天竺へ着く寸前まで話が進んでいる。ストーリーは、いよいよ明日が天竺入りという三蔵一行がある寺院で休んでいると、不思議な娘が現れるというところから始まる。 以下あらすじ。(※結末まで書いています)

新編西遊記 GO WEST! 玉うさぎの涙

ついに天竺国へ差し掛かった三蔵一行は、今夜は布金禅寺という寺の軒を借りて休むことに。ところが八戒が何やら夢にうなされて「嫦娥さま、嫦娥さま」とうるさく泣き叫ぶ。八戒はかつて天界にいたころは天蓬元帥という水もしたたる二枚目で、嫦娥という月の女神に恋をしていたのだった。ところが天からウッカリ滑り落ち、地上へ落下した拍子にブタにぶつかり、いまのような姿になってしまったという。そんな八戒が月を見上げて恋しがっているところにひとりの娘が現れる。彼女は実は天竺の王女で、いまの王女は自分の偽物だと言う。悟空は娘を狂女扱いするが、三蔵は嘘かどうかはわからないと言い、翌日王宮へ赴くことに。

次の日、王宮前広場は大勢の男たちで賑わっていた。きょうは「天婚」、王女の婿を決める日で、王女の投げた鞠に当たった男が婿となり次の王となるという。やがて昨夜の娘にそっくりな王女が姿を現す。鳥に化けて王女を偵察していた悟空は、彼女の影が逆さま、つまり王女は妖怪変化だと気づき三蔵に報告するが、彼女の投げた鞠は三蔵に当たる。

謁見の間に連れて行かれた三蔵は僧侶として妻帯はできないと天婚を固辞するが、国王は三蔵に一目惚れして譲らない。そこで一行は灯明をかざして宮殿の壁に逆さまになった王女の影を映し、彼女の正体を暴露する。

ぴょんぴょん飛び跳ねて王宮から逃げ出す王女、もとい化物を追い、一行は山岳地帯へ。やがて昨夜の布金禅寺へたどり着くと、そこには二人の王女が。水の中から覗けばその者の正体を見ることができる沙悟浄が偽物を見破り、偽王女は追い詰められるが、そのとき月の女神・嫦娥が現れ、うさぎに変化した偽王女は彼女の胸に飛び込む。

偽王女の正体は嫦娥に仕える玉うさぎだった。玉うさぎはかつて月の宴で踊れるようになりたいと願って人間にしてもらったが、正体がうさぎゆえぴょんぴょん跳ねてしまってうまく踊れず、前世で月の宮の仙女であり踊りの師匠であった天竺の王女にシバかれたのを遺恨に思っていたという。前世の無礼を詫びる王女に、それで結果的には踊れるようになったのだから感謝しこそすれ自分のやったことは逆恨みと謝ると玉うさぎ。八戒嫦娥に玉うさぎを罰しないように頼む。己の醜い姿を恥じる八戒嫦娥は、ひとの値打ちは姿形にはあらず、いまのような優しい心を持つ八戒が好きだと言う。そして王女と玉うさぎが入れ替わる前まで時間を巻き戻し、王女は元どおりに暮らすようにと告げた。

嫦娥に抱かれた玉うさぎは天へ去ってゆき、三蔵一行は再び天竺を目指すのだった。 

 『西遊記』は学生時代、岩波文庫版で頑張って読んでいたので、なんとなくだが原典の雰囲気はわかるため、いかにもな子ども向けでなく、原作に寄せたストーリーが楽しかった。非常にテンポの速い展開で、幕間なしで上演し、舞台装置転換中はツメ人形が簡単な会話をするシーンなどでつないでいて飽きさせない。

脚本は外注で新作(作・壌晴彦)。太夫は若手中心、一役ひとりついているため、人数が多すぎて床に座りきれず、ステージにはみ出ている方が……。

三味線もすべて新作(作曲・鶴澤清介)なのだが、いつもより演奏多め、というか弾きっぱなしの状態、たたみかけてくる。清介さんはずっと一生懸命弾いていらっしゃった。天竺が舞台とあってか、三味線以外にも琴、胡弓、大弓などの他の楽器も。新作だからか通常のように暗譜ではないようで、足元に楽譜があるらしく、いつもと違い下を向いて弾かれていた。三味線の人がまっすぐ客席を見ていないのは不思議な気分。

人形はすべて黒衣。そして孫悟空沙悟浄猪八戒の人形がリアルすぎて怖い(監修・桐竹勘十郎)。ここでいかにもな子ども向きのかわいい人形でやってしまったら一般の人形劇になってしまうので、その線引きを守っているのだろうか。うしろの席のおこさまが「絵(https://twitter.com/bunraku09/status/737936835301646336)と違う……きもちわるい……」と言っていたのには笑った。それぞれ美しい人形ではあるのだが、この妥協のなさ、おこさま向けと言ってもナメてかからない意気込みを感じる。しかし通常よりアクション多めで、人形の動きの見た目だけでも楽しいつくり。悟空の変化の術や分身の術も楽しいが、自分に関係ない他の人の芝居の最中もチョコマカ小芝居をする八戒&沙悟浄が可愛かった。

 

ちゃんと文楽に落ちてる!と思ったのは、最後の玉うさぎの独白の長さ。そこまではアクション多めでおこさまにもなじみやすいようにしてあるが、玉うさぎが何故偽女王になろうとしたのかは通常の浄瑠璃のように太夫の長台詞で語られる。普通の人形劇や舞台ものではありえない長さ。人形の演技にふり被せてもいいところを、ここは妥協しなかったんだなと思った。ただ、古典浄瑠璃だと長台詞も気にならないが、口語に近い台詞回しだと若干長く感じる。説明台詞になりかかっているというか。また、理由の核心に芸人の心的なオチがついているのだが、これ、古典の浄瑠璃なら倫理観が違う前提があるので理解の範疇だが、おこさまたちには理解されたのだろうか。あの人らの芸の世界が特殊なのはわかるが、いまのご時世、口より先に手を出すのはアウトの風潮だと思うが……。っていうかおこさまたち、台詞聞き取れてますか? と色々心配になったが、でもまあこういうのって、ちょっと背伸びするくらいがいいんだよね。私の隣の小学校中学年くらいの子は『五条橋』のルビのない字幕を理解していたし。難解な固有名詞が多いのに立派(ついていけなかった大人)。

 舞台美術が結構凝っていて、外注とのこと(美術・大田創)。舞台は天竺ということで、インド風。象を大きくあしらった影絵風のフレームなど、通常の公演では見られない変わったセットを楽しめた。お金かけてる〜。と思った。

 

◾︎

おこさま名言集

  • 上演前、準備中の黒衣を見て「初心者だ〜〜〜〜!!!」
  • 「あの人たちって国家公務員?」
  • 「歌舞伎とどっちが給料高いの?」
  • 人形遣いってどの人がいちばんえらいの? 足遣いでしょ?」←足遣いのみなさん聞いてやってください。足遣いがいちばん働いているから、そうでなくてはおかしいと思ったらしいんです。そんなおこさまたちに引率のパパ上様(たぶん文楽通)は「人形は顔が命でそれ以外はどうでもいいんだよ^^」とおそろしいことを吹き込んでいました。

私の周囲は前列だけあってか、どうも親が文楽好きで子どもを連れてきているっぽかった。子どもの質問に対し、文楽そのものについても古語についてもさらさら答えている人が多かったので。こいつ完全に文楽マニアだろうという親御さんの姿も。あと、定式幕を見たおこさまたちは口々にせんべい食べたいと言っていました。そしてママ上様に「それは歌舞伎揚げ」と言われていました。

おこさまたちは私が思っていたよりはるかに文楽に理解があり、みな真剣に観劇していた。やはり子どもの感性というものはすごいなと思わされた。終演後、人形遣いさんたちが人形を連れておこさまたちのお見送りでグリーティングをしていたらしいのだが、私はおなかが空きすぎていたのですぐ出てしまった。ちっ。次の部に備えるべく、カレーうどんをおいしく頂きましたよ。

 

実はこのあと、前日に観た『薫樹累物語』『伊勢音頭恋寝刃』『金壺親父恋達引』があまりによすぎたので、続けて2部3部も観てしまった。あぜくら会会員だから割引あるし*1、最後まで観ても新幹線の終電間に合うしとか言って……。一日で全部観ると疲れるからと言っていたのは何だったのか。意外に疲れない(感覚が麻痺していて)。

しかし、同じ演目を二日続けて観ても面白いものだ。前日とはやはりそれぞれ少しずつ違い、特に偶発要素のある人形の演技は前日とは違う動きを見ることができて良かった。一発で決めなくてはならないような、やりなおせない動き、決めのポーズなどは、一日目よりうまくいく場面、二日目のほうが決まりきらない場面、いろいろ。髪を振り乱すのも、うまく振り乱すのは難しいもんだなと思ったり。『金壺親父恋達引』の金左衛門の、金壺の埋まっていた穴への頭の突っ込み具合が一日目と二日目で違ったのが一番笑った。日々ちょっとずつ変えてるのね。

 

 

*1:あぜくら会の会員証があれば現金を持っていなくてもチケットを購入できるのが感覚の麻痺を助長する。実は1万円くらい払うことにはなるのに。あなおそろしや。

文楽 7・8月大阪公演『金壺親父恋達引』国立文楽劇場

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新作ということで熱心に告知されていたが、正直、実際に観るまではまったく期待していなかった。新作ってまあイロモノでしょと思っていて、技芸員さんたちが頑張ってるならと応援の意味で観に行った。が、実際には夏休み公演の演目の中では一番驚いた。普通に面白い。

話はモリエールの『守銭奴』を江戸時代舞台に翻案したもので、金の亡者の強欲な商人・金仲屋金左衛門とその息子・娘たちのままならぬ恋模様を描く喜劇。他の演目と違いあらすじが一般に露出していないと思うので、以下あらすじを。(※結末まで書いています)

 

金壺親父恋達引(かなつぼおやじこいのたてひき)

強欲商人・金仲屋金左衛門(配役・桐竹勘十郎)は自宅の庭先に埋めた金壺から小判を取り出してほおずりチュッチュするのが楽しみのお金だい好き親父。金左衛門は持参金目当てで母一人娘一人でひっそり暮らす近所のカワイ子ちゃん・お舟を後妻にもらおうとしているが、実はそのお舟というのは金左衛門の息子・万七(豊松清十郎)の想い人だった。いや実は口聞いたことないけど。さらに金左衛門は娘・お高(吉田和生)を“京屋徳右衛門”という近頃江戸で羽振りの良い商人の後妻にさせようとしていたが、お高は実は番頭の行平(吉田玉志)と相思相愛の仲。金左衛門ひとりが上機嫌、息子娘は大困惑。困った万七は手代の豆助に頼み、ある筋から金を用立ててお舟と駆け落ちしようとするが、自分の素性を伏せて金を借りようとしたらばその貸し主というのがなんと自分の親父・金左衛門、大騒ぎになる。

金左衛門は今夜お舟が訪ねてくる手筈になっているので上機嫌だったが、いざお舟(吉田勘彌)が金左衛門の邸宅へ来てみれば、実はお舟も万七に一目惚れしていたことが発覚、手と手を取り合って見つめ合い二人の世界、大失恋した金左衛門はヨロヨロと奥の間へ去っていく。万七とお舟は駆け落ちの意志を固めるが、その資金がない。するとそこへ豆助が現れ、金左衛門が庭先へ金壺を埋めている秘密を万七に吹き込む。万七らは早速金壺を掘り出してトンズラしようと荷物をまとめる。

一方、妹・お高も見合い相手・京屋徳右衛門がやって来る前に行平と駆け落ちを画策する。先立つものがないという行平に、お高は金左衛門が庭先へ埋めている金壺を拝借しようと言い出す。ところが庭先を掘っても掘っても金壺は出てこない。そうこうしているうちに金左衛門が現れ、金壺を掘っていることがバレてしまう。金左衛門は行平を娘と金壺をくすねようとした盗人だと罵るが、行平は本来自分は長崎の大商人・長崎屋徳兵衛の息子で、ちゃんとした教育を受けて育っていると言い出す。ところがそこに京屋徳右衛門(吉田玉男)が現れ、長崎屋徳兵衛の一家はかつて海難事故で皆亡くなったはずと言う。それに答えて行平は、その海難事故で一家が海に飲まれた中、自分だけは漁師に助けられて生き残ったのだと名前の縫い取られた証拠の守り袋を取り出した。するとお舟が、私も同じ守り袋を持っている、兄さん!と言い始める。お舟とその母もまた、海難事故から命を拾った長崎屋徳兵衛の娘と妻だったのだ。さらには話を聞いていた京屋徳右衛門が突然自分こそその長崎屋徳兵衛で、自分も海難事故から生き残り、名前を変えて江戸で身を立てたのだと告げる。

再会を喜び合う三人は、一同とともにお舟の母に会いに行くと言ってにぎやかに去って行き、金左衛門ひとりが取り残される。しかし愛しの金壺をふたたび胸に抱いた金左衛門には寂しさの影もなく、超大満足げなのであった。

  

完成度が大変高いと感じた。まず全ての演者の技術が非常に高い(当たり前だよ)。本当、当たり前だが、普通の古典作品と同じノリでやっているので。こういう新古典的な作品、言い方は悪いが、外部の人が「歌舞伎“風”」とかであくまで「風」、すなわちパロディ的にやっているものはよく見るが、本物の方々がやるとなると、そもそも元来持っている芸をベースに作品自体が成立しているので、「風」に演出するのとは指向性がまったく違うんだなと感じた。

本作は上演時間が70分程度で幕間もなく、上演中のまま舞台を転換してゆくので展開も大変スピーディで見やすい。会話主体で進むため浄瑠璃もすべて聞き取れるので、字幕なしで問題ない。これくらいハイテンポだと私のような初心者や興味本位で来た舞台好きの人も違和感なくなじめるだろう。このスピード感は個人的には嬉しい。私、映画だと、ハイテンポなものが好きなので……。ストーリーもシンプルでオーソドックスなのでなじみやすく、余計なことを考えずに素直に見られる。

本作には有名な浄瑠璃のパロディが入っているらしいのだが、私がわかったのは、お高の台詞が「いまごろは行平さん、どこにどうしてござろうぞ」とお園のクドキのパロディになっている部分。何故初心者の私がわかったかというと、持っている義太夫ベストセレクション的なCDに『艶容女舞衣』酒屋の段が入っていたからです。販売されているプログラムの付録の床本にはないが、実際の上演ではこのあと行平が同じ節回しで「ここにこうしておりますよ♪」とすかさず出てくるのが可愛い。ほかにも所々、ぱっと聞き普通の部分でお客さんが沸いているところがあったので、何かのパロディだったのかな。

 

人形配役、金左衛門役は勘十郎さん。チャーミングな爺様っぷりがとても似合っておられた。最後ひとりぼっちになってもハッピーエンド感があるのはさすが、役が勘十郎さん本人の雰囲気に引っ張られ、本人も役に引っ張られる感じで、とてもいきいきされていた。そして小道具とかのためについてる黒衣ちゃんがちょっとついていけなくなっててというか、先回りしすぎちゃってとちってて、笑った(ごめんなさい)。人形遣いの配役はかなり豪華で、力の入り方を感じた。みなさんいつもと同じクールなド真顔でコメディを演じておられた。 玉男さんは最もおいしい役だった。その日一番の笑いを取っていた(?)。

太夫さん&三味線弾きさんは若い方中心、舞台美術に合わせたのか「にほんごであそぼ」風の可愛いデザインのちょっと特別の肩衣。こちらもみなさんいきいきされていて、とても良かった

 

やさしく、幸せな気分になる作品だった。

例えて言うなら昔の正月のオールスター映画みたいな感じ。華やかで賑やかでちょっと泣けて楽しくてハッピーエンドで、なおかつ完成度が高くて誰にでも見易い。ア〜〜〜いいもの観たなぁ~〜〜という気分にさせてもらえた。こういうものをリアルタイムで、しかもナマモノで観られるとは思っていなかった。いままでそういうものを求めて古い映画を観ていたので……。

それと、お客さんが結構入っているのが驚きだった。昼の古典とはまたちょっと客層が違っていて、上演中に妙にキョトついてはる、どこから紛れ込んできたんだっていうお若い方の姿もかなり多い。そしてやっぱり客席の反応がいい。みんなとても楽しそうでにぎやかで、私も楽しい気分になれた。

  

文楽 7・8月大阪公演『薫樹累物語』『伊勢音頭恋寝刃』国立文楽劇場

大阪へ行くことに抵抗がなくなってきた。

今回は3部構成で、1日のみで全部観るのは大変そうなので、1日目に第2~3部、2日目に第1部を観る小旅行にした。東京~大阪を新幹線移動にするのは飽きたため、行きは飛行機移動。早期予約の低価格時間帯で取ったので、航空券自体は新幹線(金券ショップで指定席回数券を購入)より安いのだが、伊丹~文楽劇場日本橋)が遠すぎて干上がりそうになった。自宅~羽田も結構遠いので、時間的には新幹線と変わらないどころか、空港での手続き時間を考えると余計に時間がかかっているような……。でも空を飛んだのは面白かったです。(小学生の夏休みの日記)

 

 

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『薫樹累物語』。怪談累が淵……? 何本も映画を観たはずだが、内容一切記憶がない……。と思っていたら、全然話が違った。怪談ではなく、すれ違いが増幅し誤解が行き違って致命的な事態に至る哀しい話だった。

絹川の言葉「(前略)思ひ回せば二人が因果、我が手に掛けし高尾殿の執着ゆゑ、面体ばかりかソレ足迄も、生れもつかぬ片輪となり、サたとへどの様な見苦しい顔形になりやつたとて、三婦殿の志といひ、故郷を離れ遥々とこの下総の草の中、仕付けもせぬ百姓業、不自由な世帯を苦にもせず、誠を尽くしてたもる心の底、心の器量は昔の百倍、コレ何の愛想を尽かさうぞいの。」が印象的。

累(配役・吉田和生)の気品がすばらしかった。立ち居振る舞いの綺麗さ、ちょっとした仕草の細やかさが印象に残った。障子の開け閉めのときちゃんとかがんでいるとか、ちょこちょこと縫い物や身繕いをするとか。累は冒頭で姉・高尾の亡霊に呪われ顔に痣ができるという展開があるのだが、その前後で気品は変わらない。その品にばかり見入っていて、私の座っていた下手側からだと顔の左側にできた痣が見えず、何故突然夫・絹川と兄・三婦がうろたえているのかしばらくわからなかった。とは言いつつ、惚れた男に紹介して~!!結婚さして~!!と兄にグイグイねだりまくる現金なところはオチャメでかわいい。恋する女の業というより現金っぷりを感じた。

「土橋の段」で嫉妬に狂った累は夫・絹川(配役・吉田玉男)と殺し合うことになるのだが、殺陣(文楽でも殺陣と言うのだろうか?)の鮮やかさに見入った。累が手にしていた閉じた和傘をさっと引くと傘がぱっと開き、絹川の鎌を受け止める場面の鮮烈さ。よくもまああんな一瞬でうまく傘を開けるな~と思ってしまう。さすがベテランの技。

それと、人形遣いさんって、結構声をかけてやってるのね。と思った。この場面、最前列だと若干だが合図のかけ声的なものが聞こえる。鎌と傘を打ち合わせるタイミングを図っているのだろうか。

 

 

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『伊勢音頭恋寝刃』。遊郭で無下にされた男が起こす大量殺人事件の話。

犯人・福岡貢役が勘十郎さん、彼の想い人である女郎・お紺が簑助さんということで、楽しみにしていた演目。簑助さんは終始ソヨソヨと可憐だった……のはいいのだが、「古市油屋の段」では大半の場面で舞台上手の奥のほうでソヨソヨされており、下手の私の席からはセットの門扉や舞台センターに立つ勘十郎さんの影に隠れてしまい、簑助さんのお姿がよく見えなくて泣いた。ただそのかわり勘十郎さんはよく見える位置だったので、演技を堪能することができた。貢は鬼気迫る雰囲気でとてもとてもよかった。

大量殺人の場面、「奥庭十人斬りの段」は殺人の場所が遊郭の門前→廊下→中庭とどんどん移ってゆくのだが、休憩を挟まずに上演中のままセットをどんどんばらして場所を転換するスピーディーな展開。そして人形でしかできない凄惨なスプラッタ表現がある。人形だから表現がソフトになっているわけではなく、かなり陰惨な印象(良い意味で)。そこまで陰惨な表現のつもりではないとらしいことがプログラムには書いてあったが、貢があまりに鬼気迫りすぎていて……。

抜粋で上演しているからか、なぜ貢が大量殺人に至ったのかが正直よくわからなかった。同じようなあらすじの内田吐夢監督の映画『妖刀物語 花の吉原百人斬り』*1は犯人の行動にかなり説得力があったが……。うん、簑助様の色香に当てられて気が狂ったのだろうと解釈した。簑助さんはそれくらいの何かをソヨソヨかもしていた。しかし最後の展開、居合わせた人を女子供関わらず見境なく殺した貢が家臣筋の者に助けられてその場を脱出するのには場内どよめき。後ろの席の人など「今の倫理観からはありえないよね(汗)」と声に出していた。場内があんなにどよめいてるの、むかしシネマヴェーラ中島貞夫監督の『犬笛』が上映されたとき、最後に三船敏郎艦長が「領海侵犯と女の子の命では女の子の命のほうが重い」とか言って海上保安庁の巡視艇で他国に領海侵犯するところで本当に海上保安庁の巡視艇が映るというあまりの超展開に場内がどよめいたのを聞いて以来だよ……(わかりづらい例え)。

でもそれくらい勘十郎さんはあきらかにヤバい人な雰囲気を出していたし、その場面を担当されていた咲太夫さんはぱっと場内の雰囲気を変えるような迫力があり、とても良かった。

そして、古典だから今の倫理観とは違います、と思考停止してわかったふうにせず、素直に反応する大阪の皆さんが好き。

とか言いつつ人間の首や足や腕がちぎれて飛ぶ場面ではみなさん爆笑していて、みんな、素直に生きてる!と思った。

 

今回、席はついに最前列をゲット。チケット発売後1ヶ月近く経ってから席を取ったため、さすがにセンターブロックは取れずかなり下手寄りになったが、前の席の人の頭に遮られずにステージを観られることの有り難さに感激。ちょうど人形が立ち止まる場所の真ん前だったため、演技をかなりじっくり観られて良かった。ただ、あまりに至近距離だと無意味に緊張してしまうね……人形に対して……(?)。

ところで文楽を初めて観たときから気になっているのだが、庭先などの屋外にいる場合でも人形はチョコンと座ってるけど、何に座ってるんですかね。空気椅子? 空気ざぶとん?

障子や襖が自動ドアなのも気になる。人形がトコトコ歩いていったら勝手に開くこと多くないですか。そして気付いたのだが、同じ自動ドアでも、開閉のうまい黒衣さんと下手な黒衣さんがいる……ような気がする。いや、実際にはセットの構造の問題もあるのだろうが、上手い人は本当に自動ドアかのようにスゥーッと開けるので、怪奇現象のようだ。

 

 

 

*1:歌舞伎『籠釣瓶花街酔醒』原作。あらすじや設定を結構いじっているらしい