TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

黒川能 王祇祭 2019[一夜目・当屋]山形県鶴岡市黒川

黒川能」は山形県鶴岡市黒川地区に伝わる民俗芸能の能楽で、鎮守の春日神社の氏子によって継承されている。その演能の中でもとくに有名なのは、毎年2月1日から2日にかけて行われる「王祇祭(おうぎさい)」だろう。黒川能自体は出張公演もあり、国立劇場の民俗芸能公演にも出るので蛇のように待っていれば東京でも観られるのだが、こういうのはやっぱり現地で観てこそだよねと思い、観覧に応募して黒川へ行ってきた。

 


 

┃ 黒川へ

2月1日、上越新幹線特急いなほを乗り継ぎ、JR鶴岡駅へ到着。

山形へは初めて来たが、海側だとそんなに雪は降らないのね。外気温は氷点下だけど、これなら雪道に慣れていなくてもなんとかなるかも。と思っていたら、黒川地区へ向かうバスに乗ったあたりから天候が急速に悪化し、すさまじい地吹雪になる。周囲の一面の田んぼから舞い上がる粉雪で視界がホワイトアウト。バスは謎のルートを通っており、経路の小道(農道?)と周囲の田んぼが均等に真っ白になってしまっていて、どこが道だかわからない。バスの運転手さんはなぜここが道だとわかるのでしょうか。と打ち震えているうちに、約40分で黒川へ到着。

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黒川は山間部ではないが市街地から離れた場所で、かなりの積雪。雪かきされていない場所は1m以上積もっている。いちめん白と淡い水色、それに埋もれて枯れ木と家々が黒く見える、雪国らしい世界。周囲に人がいなくて、車等も通らないので、まったく音が聞こえない。少し散歩したかったが、路面がすごい積雪なのと、大粒の雪も降ってきたので、室内へ退避することに。

王祇祭1日目の一般公募の参加者は、「黒川能保存会」という地元組織(公益財団法人)からの紹介というかたちで祭事に参加する。観覧者は春日神社の横にある「王祇会館」という黒川能の記念館的な場所で当日15時までに受付せよという通知が来ていた。王祇会館は地方によくある郷土資料館のようなものらしく、博物館的な展示スペースとちょっとしたミュージアムショップ、大変広い集会室、会合用の座敷等を備えた大きな建物だった。

まずは座敷になっている小部屋で受付をして参加証や資料を受け取り、撮影料等の精算などの事務手続きを行う。ふと見ると、受付の座敷の隣の間に紺の着物姿のおじさん二人組がちょこんと座っていて、受付した人に三重になった盃を三方に乗せて差し出してお神酒を飲ませていた。その横に「寄進料」という紙の下がった三方が置いてあって、お札が乗っかっている。お神酒を頂いた人は座敷に次々と並べられてゆく二つのお椀の乗ったお膳を食べているようだ。何だこれは。早くも地元独特の風習の世界が始まっている。三方に乗った盃は文楽人形たちや東映任侠映画のヤクザたちが受け取っているのを数え切れないほど見てきたが、いざ急に差し出されるとどうやって取ったらいいのかわからない。そして盃を取ったはいいけどおじさんが注いできたこの酒、一気飲みしていいんでしょうか。盃はお椀の蓋みたいなサイズで結構大きくて、お清めにしては結構な量注がれてる気がすると思いつつ一気飲み。自分は日本酒が苦手なので、やたら酒が出てくるこの手の行事は結構厳しいのだが、甘く飲みやすいものでよかった。盃の返し方もわからなかったが、テーブルの上にそのまま置くので合っていたようだ。お金が乗った三方は、外来者は氏子ではないので寄進料として気持ちを横の三方に置くんだけど、観覧料(当屋への寄進料という形になっている)は事前に振り込んでいたのでこんなことになるとは思わず、万札しか持っていなかったのでめちゃくちゃ焦り、小銭で置いてしまった。「寄進料」……、民俗芸能趣味のトラップだと思った。

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二つのお椀が乗ったお膳の振る舞いは「当屋豆腐」と呼ばれているもので、お椀には「上座」・「下座」(後述、黒川の二つの演能座のこと)それぞれの味付けにされた焼き豆腐が入っている。左側のお椀は下座で味噌味。山椒の爽やかな風味の利いたゴボウが乗っていた。右側は上座、焼き豆腐がしょうゆ味のおつゆに浸かっていて、ジューシーだった。

受付の後は集会スペースを利用して設営されている休憩所でお茶を飲んだり、荷物の整理等をして過ごす。この休憩所は事前申し込み制(2500円)で、1日AM10:00頃〜2日AM10:00にかけて出入り自由で利用できるようになっていた。お湯、ホットコーヒー、温かい麦茶、スティック式の甘いインスタント飲料、茶菓子(カントリーマアム、チョコレート、あられ等)がフリーで頂ける。休憩所内はござ敷きになっていて、床に座ってくつろげる低いテーブルのほか、デスク&チェア、こたつが設置されていた。場内はかなり広く、人がぽつぽつ座っている程度なので、周囲に気兼ねなくゆったりと利用できて良かった。ここぞとばかりにカントリーマアムを食った。

15時30分から一般観覧者向けの説明を受ける。事前に送られてきた資料にも書かれていたが、観光客ではなく祭事の当事者のひとりとして参加して欲しいということだった。今年の一般参加者は94人で、約50人ずつ上座・下座に割り振られているらしい。正式申し込み時に提出する書類に、上座と下座どちらで観覧したいかを記入する欄があったが、よくわからないので上座にしていたけど、王祇会館からは上座のほうが距離が近いらしく、上座に人気が集まったので人数調整したとのことだった。後々、下座で観たという人と話してわかったことだが、上座・下座のどっちが良いとかはなく、後述する「大地踏」での稚児の扱いが違うだけのようだ。

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午後4時10分、さきほど受付横でお神酒の授与をしていたおじさん二人組(実は神社関係者等ではなく、一般観覧者のお世話係の人だった)に連れられ、当屋へ向かって出発。このころには地吹雪はおさまり、路面は一面真っ白だけど、なんとか大丈夫。集落の中とはいえ田舎なので建物の間隔等にゆとりがあり、風景がのんびりとしている。雪が積もったのどかな風景を見ながらみんなでテクテク。それよりさっきからおじさんが「夜中に帰る人は道案内誰も立ってないから道覚えといて」とかなんとか恐ろしいこと言ってるんですが。田舎だから目印になるようなものはないし視界が雪に覆われていてどこがどこだかわからない、やばい。そうやって5、6分歩いているうちに「当屋」へ到着。

 


 

┃ 上座当屋

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王祇祭の初日夜の演能は、集落内の「当屋」で行われる。

黒川能の能座は「上座」と「下座」に分かれており(多分、春日神社の拝殿に向かって「上座=上手=右」「下座=下手=左側」という意味なんだと思う)、それぞれの能座の氏子の輪番で王祇祭の幹事(=当屋)を執り行っているようだった。本来は当屋の自宅でやっていたのだろうけど、現在はそれぞれの地区の公民館のような場所で演能しているらしい。私が割り当てられた「上座」も地域の公民館のようだ*1。しかし、ちょっとした会合向けの小さな公民館ではなく、結構大きな建物。天井高がかなりあり、全部の仕切りを取り外して大広間にできる構造になっていた。おそらく演能を見越して設計されているのだろう。内装が新しく、わりと最近できたような、綺麗な建物だった。

公民館内は畳張りで、パーテーションがすべて取り外されて横長の大広間になっており、入り口すぐの天井が高い正方形の間に能舞台、神棚が設置されていた。能舞台は仮設のようだが、重厚で立派なつくりのもので飴色に光っている。高さは20cmくらいだろうか? 床面からはほとんど差がなく、ほぼ地続きのような感覚だ。臨時設置なので橋掛り等の設備はなく、楽屋から直接舞台に上がる構造。楽屋の入り口に下がっている幕も能楽堂の揚幕のようなものではなく、文楽の小幕みたいな感じの普通ののれん的なもの。能舞台の周囲の長押には、「奉納 一金拾萬円」など、寄進の明細を書いた紙が無数に下げられていて、これが地域の祭事であることを物語る。お金じゃないものを寄進している人もいて、「大豆 参俵」「干柿 六百個」などがあった*2

そして入って右手側、座敷中央には突然の謎のお社。古びた衣装箱みたいなものの上に黒屋根の古色を帯びた小さなお社が置かれていて、紙に包まれたおひねり形状のお供え物が周囲を取り囲んでいる。そして最も右側、突き当たりの座敷後部の壁際手前側には、一段高い台に幔幕を張ったスペースが設置されていた。四隅には仮の柱を立てて櫓のようなものが組まれ、上部にしめ縄のような白い布と木でできた何かが吊られている。左側には朱赤で春日神社の紋と「上」の大きな文字が入った巨大な提灯。

その台の上には黒い紋入りの古びた素袍のような衣装を着て頭に白い布を巻いたおじいいちゃん1人と、黒紋付に青い肩衣でこれも頭に白い布を巻いた若者2人がリラックススタイルで座っている。じいちゃんは体育座りしてるし(実はこの人が当屋頭人)、若者はまわりにペットボトル置いてスマホ見てますけど、これ、どういう状況なんでしょうか……。後方さらに奥側には床の間状になった部分があり、紋幕をかけて神鏡をおいた祭壇がしつらえてあって、その前には異様に派手な紅白合計4個の造花の鉢(例えが悪いけど葬式の花輪みたいな感じ)が2つ置かれていた。黒川まで来る途中に見たセレモニーホールに出ていた花輪もかなりデラックスな感じだったので、これは地域性かもしれない。

始まる前からあまりに情報が多すぎて、余所者には何がどうなっているのか謎の空間、どこに座ったらいいかまったくわからんと思っていたら、世話役のおじさんに「保存会の人(保存会経由で来ている観覧者の意味)はこっち座って〜」「それ(お社)はなくなるから大丈夫〜」と、お社の右側(舞台上手〜地謡座側)に座るように言われた。お社がなくなるとは???すでに四周をめっちゃ人が取り囲んでるんですが???と思ってマゴマゴしていたら座る場所がなくなり、最後列になってしまった。個人的に能楽は後列席がいいんでまあいいかと思い(だって人間ってめっちゃでかいから)、自分が座るスペース+荷物置きのスペースを確保。場内はかなりギュウギュウになると聞いていたが、後ろのほうだからかそこそこスペースがあり、自分がゆるめに座って横に畳んだロングコートや靴・お弁当等の荷物を置けるくらいの余裕はあった。

下手側は地元の人の席になっているらしく、この時点では開演まで1時間半以上あるせいかまだほとんど人がいなかった。能楽の正面席にあたる場所の上手下手の有利不利ってあるのかな?外来者が上手に座らされるのにはどういう意味が?と思っていたが、なぜ外来者が上手に座らされるかは後々わかることになる。 

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┃ 王祇祭のはじまり

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王祇祭が始まるのは18時と聞かされていたが、17時40分くらいから何かが始まった。何かが始まったと書いたのは、何が始まったのか、わからなかったから。この時点では後々があんなに謎の事態になるとは思わずメモを取っていなかったので、うろ覚えの記憶で書くので内容順序が間違っていたらごめんなさい。

まず、能舞台の周囲を取り囲むように燭台が設置され、奉納された巨大なロウソクが6本立てられた。正しく言うと、巨大なロウソクのレプリカ(?)の上に、本当に燃やす用の20cm弱くらいのロウソクを立てて、そこに点火している。それぞれの燭台にひとりずつ火の番の若者がついており、ロウソクが燃えてくると割箸で芯を切ってお椀に入れていた。若者たちはもうひとつお椀を持っていて、そこには塩のような白いものが入っていたんだけど、それが何なのかはわからなかった。このロウソクの火だけで蝋燭能的に上演するのかと思いきや、フルで電気つけっぱなし、蛍光灯の真新しい白い光の中で祭事は進行した。ロウソクは出演者に対する目付柱的な意味(ここまでが舞台という目印)でつけているのかな。

そうしてしばらくすると若者たちがやってきて、客払いをすることもなく謎のお社のまわりに置かれた賽銭や供物を持って来た袋にざざーっと流し込んで片付けてしまい、おもむろに社を持ち上げて楽屋へ運び込んでいった。そして若者がまた戻ってきて、土台にされていた2つの衣装棚も奥へと運んでいく。全然ついていけず「??????」となる外来者一同。

次に、紋付肩衣姿のおじちゃんたちの指示のもと、後部の幔幕席に座っていた若者がしめ縄を下ろし始める。それは実はしめ縄ではなく、「王祇様」と呼ばれるこの祭事のご神体らしい。王祇様は、てっぺんに白い紙のフサフサがつけられた3mくらいの三本の真新しい白木の角柱で、その間に綱と白い布を船の帆のように張ってつなげられている。え?何??なにかの民間信仰???春日神社のご神体とは違うの????どうも上座と下座にひとつずつあるらしいけど、なぜご神体が二つあるのか??????と頭の中にハテナマークが無限に湧いてくるが、説明は一切ないので全然わからない*3。青い肩衣の若者たちは祭事の実務を執り行う若衆のようで、おじちゃんたちにアレコレ言われながら巨大な王祇様をかつぎ、提灯をかかげて舞台側にえっさほいさと運んでいく。

このあたり、すべて無言で進行。すべての進行が唐突すぎて、正直、ほとんど記憶がない……。写真が残ってなければすべての記憶が飛んでいた……。撮影許可取っといてよかった……。(以下、写真は貼りませんが、演能中・祭事中も撮影可能でした。)

 

 

 

┃ 演能

 

大地踏

一夜目の演目は上座・下座それぞれで別番組となっており、当屋2箇所において同時進行で上演される。演能は式能形式で能五番狂言四番を上演するのだが、その前に両座とも、黒川能独特の「大地踏」という演目が入る。

手前に提灯が置かれた舞台へ、金の烏帽子を被り、黒の小袖に紺地金柄の衣装を羽織った稚児が登場。ずいぶん若い子だと思って配布資料を確認したところ、4歳だそう。うしろに肩衣衣装のおじいがついていて、しきりにこそこそと話しかけ、その子の身長の半分くらいありそうな扇を持たせたりしている。若い衆がさきほどの王祇様を扇状に広げて子どもに覆いかぶせるように傾け、その中で子どもが王祇様へ向き合ってなにかをやっているのだけれど、後列からはよく見えない。それが何を意味しているのかもまったくわからない。それが終わると、稚児は朱鞘の太刀を肩にかけ、舞台の四隅を回ってなにかを小さな声でつぶやいている。このセリフは本来大きい声で言うようだが、聞き取れない。時折、おじいの誘導でとたたたた、と小走りになったり。何が起こっているのかまったくわからないまま、「大地踏」終了。

翌日、一夜目を下座で観たという方と話すことができたのだが、下座ではこの稚児(男の子)が女の子の格好をするということになっているらしい。写真を見せてもらったらものすんごい可愛い子で、素で女の子かと思った。

 

 

能「式三番」

翁、千歳、三番叟が舞う。ほぼ儀式の延長。

全身、さらし木綿のような素朴な白い装束をまとった翁が現れ、黒く大きな重箱に入った面を舞台上で取り出し、かけて、舞う。やっている人は、言うまでもなく、もろ素人。誰がどう見ても素人なのだが、そういう人が翁をやっているというのは、やはり衝撃的である。

不思議なのは、デフォルト姿勢の際、構えた両手の人差し指を立てていること。常に両腕を鳥の仕草のように軽く広げ、その両手人差し指を一本立てている。これはみんなそうだった。はじめは役による袖の掴み方なのかと思っていたが、どの役もみなそうしているので、ここでの所作の基本姿勢となっているようだ。それと、ここでは基本姿勢では直立しないということになっているのだろうか。特にワキ方、まっすぐに立たないというか、狂言師のように、若干前傾気味で棒立ちのような姿勢になっている。はじめは慣れてない人がやっているからかと思っていたが、まっすぐ立っている人も多いものの、この前傾寄姿勢の人も多かったので、なにかそういうルールがあるのかもしれない。

装束は、時代を感じさせる古びたものが多かった。能の装束では唐織をはじめピンピンに綺麗なものしか見たことがなかったので、一般人役の文楽人形が着ているような「長年着てますぅ〜」的な、いや、文楽人形さんたち、別に好きで長年同じ衣装着てるわけじゃないと思いますけど、そういう、日に焼けたり、ほころびができている、古色とこなれのある質感が逆に新鮮だった。装束を見るためにオペラグラスを持っていってよかった。

それにしても翁や千歳より三番叟のほうがおじいちゃんというのが衝撃的だった。式三番って五流でも観たことがないが、そういう配役が普通なのだろうか? いやいや普通翁を一番格上の人がやるはず。正月とか、たいてい宗家がやってるし。三番叟って活動量が一番多いと思うが、大丈夫なのだろうかと思ったが、そこは熟練の技だった。野趣溢れるというと紋切り型表現なのだが、洗練をまったく目指していない、その人独特の演技というか……。腰を大きく曲げてメリハリを強くつけた動作。セルリアンブルーの古びた装束を着て鈴をたずさえた三番叟の舞は、儀式的・舞踊的というより、いわゆる、自然な動作だった。たぶん、実際の種籾まきの動作に近いのだと思うが……、独自の動きだった。こういう素朴さをやたら持ち上げるのは感性の怠慢であると思うので好きじゃないため、もって回った言い方だが、その方のいままでの能役者としての経歴がこれに現れているのだろうと感じた。そこによしあしというものはない。翁、千歳は三番叟に比べると若い人で(といってもおじさんですが)、目線の浮き方から緊張が伝わってきた。

この式三番では、当屋頭人(主人)のおじいちゃんが大鼓を打っていた。囃子方は始めと終わりに、ぺたりと地に伏すように深々とした、しかし形式的な礼をするのも印象的だった。普通の演能なら礼はしないと思うが、春日神社の神に向かって礼をしているのだろうか。

 

 

能「絵馬」

予習せず行ったので(演目を現場で受け取ったプログラムを見て知ったアホ)、内容がまったく理解できなかった。こういうときのために公式パンフレット(1500円)を頼んでおいて助かった。

帝の勅使であるワキが出てきてぼそぼそとなにかを言い始めたとき、これはやばいと感じた。「式三番」のときから若干察していたが、謡がまったく聞き取れない。いや、五流の公演でも聞き取れないが、それよりはるかに聞き取れない。違う意味で聞き取れないのだ。特にワキは抑揚がまったくなく、祝詞のように平坦なトーンのため、言葉を捕まえられない。舞台で何が起こっているのかがまったく追えない。これはこういうものなのか、演者の力量によるものなのか……。あまりに棒読み状態すぎてわからない……。いや普通にやってはここまで棒読みにすることは難しいので、これも稽古のたまものだと思うが。シテはまだ少し抑揚がついているのだが、全体的に微妙に訛っていて聞き取りづらい。庄内弁? なんで帝の勅使が訛ってんだ? みやこびとでは? いや、義太夫も舞台が江戸だろうが東北だろうがおかまいなく全員大阪弁で喋るので世の中こんなもんか……。むしろ大阪弁のイントネーションがおかしいと師匠から叱られるし客からは叩かれるからな。合点承知之助!!!(すでに意識が朦朧)

天照大神をはじめとした女性の面がなんとも不思議だった。「能面」というと古色を帯びたもの(であるほど良い)というイメージがある。実際、新作は五流の定期公演等の演能には使われないと思う。しかし、ここで使われている面は新品のように顔がまっしろだ。ちょうど文楽人形のごとく胡粉で化粧されているかのようで、白くマットな肌をしている。翁や黒式将などは古い面をそのまま使用しているように思ったが、女の面だけは常に手入れして使うという風習があるのだろうか。経年による肌の色ムラ、細かいひび割れや顔料のかすれ等が見えず、本当に人形のようで、舞い手の表情を率直に映し出している。ある意味で文楽人形に見えが近い。舞い手も能楽師としていわゆる上手さがあるわけではなく、照明も蛍光灯の光の下でやっているので、かなり不思議な雰囲気だった。

ほかには、前半に登場する翁の髷がかなり大きいのも不思議だった。前側に曲げて結うよくある髪型ではあるのだが、結っている部分が頭頂部で大きくおだんご状になっており、扇状にされたその先端は面にかかるほどに大きく散らしている。間狂言の獅子の精も妙にばさばさと乱れた鬘で、よく見る端正な能狂言の世界からは少し遊離した印象だった。

この途中で、事前に頼んでおいた弁当(1000円)を食う。ふだんは上演中飲食可能のイベントでも「先方は真剣にやってるんだから」と絶対ものは食わないが、この「絵馬」、2時間もあって、あまりにお腹がすきすぎたので……。弁当は田舎の法事で出る仕出し弁当としか言いようがない弁当なのだが、実はそういうの大好きなので嬉しかった。弁当は地酒のカップ酒付き。さっきお神酒を飲んだ上にこれを飲んだのが失敗。のちのち眠くなってしまった。

 

 

狂言「末広」

「絵馬」が終わったとき、突然、地謡のおじさんがたばこに火をつけた(衝撃)。いえ、たばこ休憩はわかるんですけど、地謡座でそのままたばこ吸ってもいいの? 狂言方の人が入ってきて次はじめちゃってるんですけど?? いや、むしろ全員リラックス遊ばされているというか、お菓子を取り出して食っているおじさんがいる。そしてアメちゃん分け始めた(目に良いブルーベリーキャンディ)。ところでそのおもむろに傾けているヤカンの中身、もしかして、白湯じゃなくて、酒ですかね。情報量が多すぎてついていけない。狂言が頭に入らない。なんだこの時空は。横に置いたMYバッグ(サラリーマンが持っているようなやつ)をごそごそあさる地謡おじさん。正座してないとか、誤差の範囲でしかない。

この祭事、休憩時間というものは後述の「中入り」しか存在しない。「能楽堂で休憩挟んでやりまぁす」的なお客さん向けプログラムではなく、あくまで神事なので観客の存在を想定しておらず、休憩なしでぶっつづけで演じつづける。役者や囃子方は交代していくんだけど、地謡のおじさんは最初から最後までそこにいるのだ。そりゃリラックスするわと思った。良かったのは、基本紋付でちょろついてて、演能中に地謡座で袴つけてるおじさんね。そんなんありなのか。自分でうまくつけられなくて「なんかヘン〜💦」ってなっていて、隣にいるおじさんにつけてもらっていた。あと、地謡が入るときですらずっと寝てるおじさんがいたけど、誰も起こしていないのが最高だった。

地謡は、普通?後列奥側から順に格の高い人が座ると思うが、ここではそういう座順ではないようだった。神棚の下が一番えらい人なのだろうか? 後列手前(神棚)側のおじさんだけが地謡の番でなくともずっと謡本を見て進行を確認しており、次の動作がわからない子方の世話をしつつ、セリフ飛び等のトラブル等に対処しているようだった。でもこの混沌世界、単にしっかりした人なだけかもしれない。

この上座で一番えらい人=太夫は、後見に座っていた紋付姿の人かと思う。役者や地謡としての出演はなく、一晩中舞台下手で後見をされていたのだが、こんな勘壽さんみたいな歳の人に徹夜させていいの!?と思った。さすがにシテが出ていても時々不在だったり(不在中の衣装直しやトラブル対処、鬘桶の出し入れは地謡おじさんが対応)、正座用の小さい椅子を使って立て膝で座ってらしたけど、地謡についで大変な役だ。

というわけで、出演者の方は大変頑張っておられるものの、「末広」自体にまったく目がいかなくなるほどの混沌……、いや地元の方にとっては普通の風景の中、22時頃、「中入り」を迎える。

 

 

中入り

王祗祭での「中入り」とは、役者の食事休憩の時間を指す。「末広」が終わって場内がざわつきはじめ、外の空気を吸おうと屋外に出たとき、入り口のガラス戸を閉めようとしたら地元の方に「開けたままにしといて」と声をかけられたのだが、それは「暁の使い」を迎え入れるためだった。

中入りの際、上座には「暁の使い」という下座からの使いが提灯を持ってやってきて、上座の一同に挨拶をする*4。儀式的なものかと思ったらさほど格式ばったものではなく、かなりさりげなく入ってきて、かなりさりげなく挨拶がはじまった。ほぼ流れ作業だ。何をしているのかは、場内がざわついていて人の出入りが多く、よく見えない。能舞台両サイドに地謡が4人ずつ分かれて座り、舞台手前に当屋頭人と提灯持ちの若衆2人が座って、舞台奥に座った下座の使いを迎える。使いは楽屋にも回って挨拶をしているようだった。楽屋等での挨拶が終わると、当屋の方々が能舞台上に集まり、談笑しながら食事。盛り上がってます。能舞台の上で飯食ってもいいんだ。ここでは一般観覧客にも豆腐とお神酒の振る舞いがあった。

このあたりで一般の観覧客はほとんど帰ってしった。みなさん近隣の民宿等を押さえていらっしゃるようだ。おかげでこれ以降はだいぶ前のほうで観ることができた。地元の方も出入りはあるものの、人数が激減した。祭事は翌日も続くので、皆さん一旦帰宅されたようだ。一般客が正面上手側(奥側)に座らされるのは、地元の人の出入りの激しさを見越してのことだったのか。ちょっと観てくだけ、という人は公民館の玄関に立ってご覧になっていたり、通路に座って観ていたりされていた。

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能「熊坂」

これは観たことがあるので内容は理解できた(ほとんど忘れていますが……)。熊坂長範役の方は端正な舞だった。その装束はさすがに金襴で美しいものだった。間狂言の所の男役の方がかなり上手かった。間狂言って一般の能の公演でも正直カットしてくれと思うことが多いのだが、間が持っていた。この方には惹きつけられるものがあった。

 

 

狂言「膏薬煉」

これも観たことがあるので、言葉があまり聞き取れなくても内容がわかって助かった。薬売り二人が自分の商う膏薬の吸引力を巡って戦う話。能楽堂だとどれだけ狂言師が下手でも多少わざとらしくあろうと笑っている人がいるものだが、そろそろ深夜になってきて誰も笑っていないのがやばい。狂言方の二人はお若い方ふたり。そこまで詰めに詰めた稽古ができるわけではないだろうに、結構息が合っている。お友達同士なのだろうか。

 

 

能「吉野天人」

なぜか内容の記憶がまったくない。舞台正面に出された桜の作リ物が邪魔でよく見えないと思った覚えだけが……。謡が聞き取れなさすぎると集中力が低下するということがよくわかった。シテの方は息切れしていて、謡がぶつぎれになりがちだった。慣れていない人が面をかけてそれなりの動きをして声を発するとなると、大変なのだろう。間狂言は猿婿入りだろうか? 以前、和泉流で観たときはもっとたくさん猿がいた気がするが、少人数でやっていた。

 

 

狂言「柿山伏」

正直に言うと、「柿山伏」をやってる間、そのへんをうろうろして休憩していた。この「うろうろ」、出演者からしてみれば失礼なのだが、なかなか楽しい。当屋は普通の能楽堂の間取りではないので、一般客でも狂言方の背後に回り込んで観ることができたり。出演者アングルで見所を見ると、みなさんリラックスされてますね……。って感じだった。能楽堂感覚でボケ〜ッとしていると、すべて見えている状態だった。

 


能「船弁慶

義経を連れ大物浦へやって来た弁慶が、大荒れの海上で知盛の怨霊と出会うという話。能では見たことないけど文楽では見たことあるからわかります(わかりません)。

義経役の子方が着ていた装束がボロボロなのはわざとなのだろうか。抹茶色に金の模様が入った狩衣のようなものを着ているが、色がくすみ、ところどころが破けて、布自体もへたって退色している。それともその装束しかないということなのだろうか。弁慶より服がボロい義経

静御前役の方の謡がかなり上手かった。この方は単に地元の習俗のための稽古の範囲を超えて、普通に好きで謡を習っているのではないかと思う。レベルが全然違うというか、きちんと抑揚がついていて、普通(?)の謡に近い。あとこの人だけ訛っていなくて、イントネーションが普通。謡の上手さはナンバーワンだった。

後シテ・知盛役の方は細身長身の方で、黒髪長髪の鬘とあいまって「CLAMP作画のイケメン!!!!!!」と思った。かなり背が高い方で、烏帽子をかぶっていることもあり、自身がたずさえている長刀くらいの身丈があっただろうか。能舞台が若干狭いので、長刀を振るう舞に迫力がある。目が覚めた。舞台キワのギリギリまで行けているところを見ると、かなり慣れている方だと思う(他の出演者では舞台キワまで迫る際に足元を見てしまっている方もいたので)。舞や所作そのものが上手いだとか洗練されているというわけではないが、幽霊となった知盛のイメージを率直にあらわしているような佇まいで、とてもよかった。クリーム色に金で波の模様が入った袴も美しかった。

弁慶役の方はかなりお若くて、緊張のあまりセリフが飛んで目が泳ぎまくっており、知盛に気圧されていた。一生懸命頑張っていらっしゃる姿が好ましかった。

あとはこれも間狂言(船頭役)の人が大変に上手かった。やはり結構訛っているのだが、何を言っているのかわかり、内容に対する語り口も的確な印象だった。

このあたりになると一般枠の観覧者は3分の1以下になっていた。残っている人も寝ていたり、空間がカオスになってきている。しかし逆に地元の人は増えていて、みなさん起きていて熱心に舞台をご覧になっている。知り合いが出ているところに来ているということなのか、うまい人が出るところに来ているということなのか。私の感覚としてはどうも後半のほうがうまい人が出ているように思えて(面をかけているので出演者の年齢層等はわからないが)、途中で帰った人はもったいないことしてるなと思った。せめてこの「船弁慶」まではいた方がよかったと思う。

そして自由な地謡のおじさんたち、普通に弁慶が必死にあーだこーだ言ってるのに、地謡座でのんきにうどんをすすっていた。2杯食ってる人もいた。強い。それよりだしの香りがおいしそう。鍋に山と盛られた細めの麺を各自でお椀によそって、あおさ?もみのり?のようなトッピングを乗せ、ヤカンに入っているだし汁をかけて食べている。見ていて空腹の限界。義経がどうしたとかだんだんどうでもよくなってくる。もう勝手に流浪してくれ。私は飯が食いたい。

 

 

狂言「節分」

夫の留守を守る美しい人妻に懸想した鬼が散々貢物をして家へ上がり込み、亭主気取りで寝はじめるが、女に豆を投げつけられて退治されるという話。悲惨。人妻はもはやひょうたん型になっているおかめの面をかけているのと、言葉がもうものすっごい訛っており、あまりに自然体すぎて美人感がぜんぜんないのと(失礼)、全体的におっとりのっそりした雰囲気が場所に似合っていて、楽しかった。シーズン合わせで選定された演目だと思うが、本当に豆(というか落花生)を撒いていた。

終演後、サービスで後見の人が客席にも落花生や柿の種の小袋を撒いてくれた。ちょっと恥ずかしそうに「おには〜そと……ふくは〜うち……」と声をかけていらっしゃったのが良かった。こちとらマジで腹が減っていたのですかさず柿の種の小袋を掠め取った。

ところで、落花生をまいていたのはあとで片付けをする都合上だと思っていたのだが、豆まきを本当に落花生で行う地域があるんだな。というのも、2日目の春日神社終了後、鶴岡市内に泊まって地元のスーパーへ買い物へ行ったとき、店内アナウンスで「節分の豆まきに、落花生がお買い得になっています♪」というのを聞いたので。ここはそういう地域ということか。

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能「鷺」

集中力と眠さ、疲労に限界が来て、ほとんど寝てしまった。気づいたら鷺が舞い降りて、いなくなっていた……。

 

 

 

┃ 夜明け

午前5時頃、地謡の人が短い祝言(?)を謡って、特に終了とも言われず、終了。

最後まで残っていた一般観覧者が「???」となっていたら、地元の方が「終わったよ」と教えてくれた。演能に使われた装束が楽屋から能舞台へ運び込まれて中央に山積みとなり、片付けがはじまっている。祭事の進行プログラムを見ると翌朝の春日神社までの間にも何か行われているようだが、部外者がここに残り続けることは不可能であろう雰囲気とあまりの眠気に王祇会館へ戻ることに。外へ出ると雪は降っていないがかなりの寒さ。路面も積雪が凍結して歩きにくい状態になっている。そして、当然ながら全然人が歩いていない。巨大な除雪車がゴインゴイン走っている。『少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録』の最後に出てくるお城カーみたいなすごいのが走っててびびった。爪が怖いよ。周囲になにもなく、真っ暗すぎてここがどこだかわからない。帰れるか? と思ったが、なんとかヤマカンで道をたどり、王祇会館まで戻ることができた。遭難しなくてよかった。

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一夜目を終えて感じたのは、民俗芸能ってやっぱり観劇ではなく体験なのだなということ。祭事の参加者と同じ場所にいて、同じことをして、同じものを見ることに意味がある。先述の通り、民俗芸能公演は国立劇場の主催公演にも出るけれど、やはり、現地に来て、祭事の当日に観るのが一番だなと思った。何の説明もなく次々に起こるよくわからん出来事や、地元の人とのちょっとした交流がおもしろい。

それと、感じたこととしてはこれが一番大きいのだが、黒川能と王祗祭は地元の人にとってはあくまで日常の一部で、普通の日々から少しポコっと突出したハレの日なんだなということ。日常から隔絶されたものではなく、地続きである。黒川能関連の書籍や観覧した人の感想ブログでは「五流からは隔絶された世界」というイメージで神聖視されていることも多いと思うが、儀式ではあるけれど、格式ばったものや異様にテンション高いようなものではなく、集落の人にとっては普通の年中行事なんだなと思った。特別なものでないからこそ今まで伝承されてきたんだろうなと。若者たちが儀式の進行をよくわかっていなくて、年配者がその場その場で教えていくというのも、毎日の暮らしの中にまぎれこんだ田舎の祭事ではありがちなことだ(自分の実家のさらに実家の盆行事などは、常にこういう状態になっている)。地元の人々が自然体で祭事に参加しているのがとてもいいなと感じた。

演能そのものについては、当然だが、謡や仕舞を五流と比較する意味はない。とはいえ、普段は五流でしか観ないので、一切比較しないということはできないけれど。私は、文楽と能には洗練と技量を求める。「一生懸命やってます」「頑張ってます」程度の人は、見る気がしないし、まったく興味がない。しかし、うまいとかへたとかは、ここでは関係ない。とくに若い人は途中で謡が出てこなくなっていて(そういうのは五流の公演でも時々あるが)、その際は地謡のおじさんたちが教えてあげていた。普通に考えたら謡を覚えていないような人は舞台へあげられないと思うが、それでも若い人を舞台に立たせているというのが良かった。お若い方は戸惑いがあったり、拙かったりしても、一生懸命に取り組んでおられるのがわかった。子方も、もはや自分が何やってるかわからなないような子が小さい子が出ていて、へんなところへ行こうとしたり、立ち上がるタイミングがわかっていないときは地謡のおじさんが捕まえていた。また、義経役のような一般的な子方だけでなく、巫女や嫗、従者など、本来大人のワキ方が出るであろう役に義務教育年齢のお子さんを出していたのも印象的。二日目の春日神社でも思ったのだが、翁はそれなりの歳の人だけど、嫗がちびっこという組み合わせはなかなか面白い。

若い子にこのような稽古必須の民俗芸能を継いでもらうのは本当に大変なことだと思う。そもそも若者の数自体も少ないだろうし、地方だと若いうちから働きはじめて忙しくなってしまう子も多いし、遠方へ進学する子も多数いるだろう。それでも結構たくさんの若い子が協力しているのが素晴らしいと思った。こんなところにこんなにも若者いるの!?ってびっくりしたもん。出演者にも祭事に参加する人々の中にも、大丈夫か!?というようなヨボヨボのじいちゃんから元気のいい働き盛りなおじちゃん、ちょっとチャラそうなイキのいいお兄ちゃん、一緒に出ている弟分を気にする素朴なティーンエイジャー、ちっちゃすぎて自分が何やってるかわかってなさげな子、全世代、まんべんなくいた(黒川能は出演者全員男性)。実際に行くまでは、もっと露骨に高齢化していると思っていたので、驚き、安心した。みんながみんな好きでやっているわけじゃないだろうに、「地域の行事だし、自分のできることをやるか」と取り組んでおられる姿がとても素敵。茶髪で眉毛細くして上演中でもたばこ吸ってるような若い子が、スマホを見ながらも燭台をちょこちょこ気にして、真面目にロウソクの芯切りやってるのって、いいよね。スマホ見ながら燭台と演能見て、ときどき居眠りしてるっていうのがいい。

狂言は何回も同じ若い子が出ていて大変そうだった。何番もよく覚えたなと思った。世間(?)では能より狂言のほうがとっつきやすくて人気ありそうだと勝手に思っているのだが。囃子方も、一般には習い事としてメジャーそうな笛と小鼓は何度も同じ人が出ていたり、逆にマイナーそうな大鼓や太鼓は毎回人が変わっていたり……。名跡があるようなので家ごとの世襲かと思っていたが、配布された町内会誌(?)に載っている関係者コメントを読むとパート変更ができるようなので、強い縛りがあるわけではないのか。しかし小鼓や狂言の人は出番が多いぶん、板についている感じだった。小鼓、笛の人は安定感があって普通に上手かった。

 

 

 

┃ 一夜目を終えて

一般観覧者については、事前には古典芸能(五流の能楽)が好きな人、祭事・民俗芸能が好きな人が多数かと思っていたが、少し違っていたようだ。

まず、近隣地域の人がかなり多いと感じられた。一般枠で入場していても、誘導や交通整理等の人と親しげに談笑されている人も。よそ者系では、なんというか、単にこういう「変わったもの」が好きな人というか、ハンドメイドのイベントとか、古本市(本気のやつではなくカジュアルイベント系の)とか、サブカルほっこりイベントにいる感じの人がそこそこいた。邪念ですいませんが、わかっていただけるでしょうかこのニュアンス……。ほか、当然ながら、純粋に観光客として来ている人も結構いるようだった。

多いと思っていた古典芸能好きの人(私もこの部類)はそこまでいないのではという印象。ただ、休憩所で国立劇場の主催公演関連の話をしていた人はいた。祭事・民俗芸能好きの人は結構いたと思う。スマホタブレットで撮影している人もいる中、結構いいカメラを持ってきてる人とか、細かくメモを取って観ている人とかはこの部類だろう。翌日の春日神社で仲良くなった人たちはこういったジャンルマニアの人だった。

地元の人は出入りが激しいが、かなりの人が見に来ているのではないか。能楽って東京で観ていると、趣味としては都市部の富裕層向けの特殊な娯楽のように感じられるが(特に好きじゃなくても教養や付き合いで観に行く的なことも含め)、ごく普通のそのへんの奥さんやおじいちゃん、ちびっこ連れのお母さんが来ているというのがいい雰囲気だった。ご出演の方も、ご自分の出番が終わったら私服に着替え、見所に回って舞台を見ていらっしゃる。地元の方々は振る舞いのうどんを食べたりしつつも、かなり真剣にご覧になっている方が多かった。家族や親戚、知人が取り組んで出演しているのを観に来ているのだから、当たり前。正直なところ、東京で公演される一流能楽師が出るような流儀毎の定期公演の客席より、真剣率が高いんじゃないかな。あからさまにだらだらした態度を取ったり、大声で話したり、前のほうででも寝ていたりするのは、外部の観覧者。地元の人はよほどのことでないと注意はしてこないが、外来の一般観覧者は所詮よそ者、祭事にお邪魔しているわけだから、恥ずかしい態度は慎んでほしい。

地元の方々は、こちらを観光客扱いして過剰に干渉したり、排除しようとしたりといった特別な態度は一切取らない。もてなしや特別扱い等を期待している人は抜けするだろう。でも、そこがいい。別にこちらを無視しているわけではなく、道端で転んだら「大丈夫〜?」と声をかけてくださって、次に会ったときに「もう転ぶなよー」と言ってくださったり(覚えててくださったのかとびっくりした)、「おっはよーーー!!!!」と気さくに挨拶をしてくださったり。ごくごく稀に法事で会う、親戚の親戚みたいな感じ。つかず離れずの適度な距離感で気持ちがよかった。

 

 


おまけ。個人的な一夜目の攻略ポイント。来年以降行かれる方のために、持ち物関連で。

  • 軽食の用意
    まずこれが個人的に一番失敗したと思うのだが、お菓子でいいから軽食を持っていったほうがいいと思う。事前申し込みで夕食用に仕出しのお弁当を頼めるのと、22時前後に入る中入りで豆腐の振る舞いがあるが、それでは朝方までもたない。深夜26時くらいにお腹がすきすぎて泣きそうになった。翌日の春日神社で会った「下座で観た」という人に聞いたら、下座では途中うどんの振る舞いがあったようだ。ちなみに王祇会館・春日神社付近にお店とかそういうものは一切ない。もっと言うと鶴岡駅前にもない*5。さらに手前で仕入れておかなければいけないのが難しいところ。
  • 撮影許可とカメラ
    撮影許可を取って、演能中の撮影ができたのは良かった(要撮影料3000円)。趣味で写真を撮る人のための設定だと思うが、自分はメモがわりに撮影をしたかったので申し込んでおいた。撮影自体に関しては、規定ではシャッター音・フラッシュ・三脚使用不可。シャッター音禁止は守っていない人も多かったが、自分はシャッター音のしないコンデジを持っていった。後列といっても舞台まで3〜4m程度だし、演能中も電気はフルでつきっぱなしなので光量が足りない等もなく、十分だった。
  • 使い捨てマスク
    場内ではロウソクががんがん焚かれているので、その煤煙対策に使い捨てマスクは必携。その旨、受付時に注意を受け、1枚使い捨てマスクをもらえるのだけれど、ススがついてだんだん黒くなってくるため、自分でも予備を持っていったほうが良いと思う。
  • モバイルバッテリー
    春日神社近辺にはカフェやコンビニ等の小賢しい施設はないので、民宿等を取っていない限り、王祇祭二日間に渡って充電できる場所はまったくない。スマホの電源を入れていないほうが楽しく時間を過ごせる祭事ではあるが、寒冷地ではバッテリーの消耗が激しいのと、深夜外出時は地図アプリが使えないと遭難して死ぬ可能性があるので、持っていたほうがいいと思う。
  • 水筒
    「持ってきておいてよかった!」と思ったものは、水筒。500mlの軽量タイプのタンブラーを持って行ったが、王祇会館の休憩所でお湯・お茶を自由に汲めたので、一夜目、二日目通して温かい飲み物の持ち運びにかなり役に立った。集落の中で自販機は王祗会館内にしかないので、飲み物類はあらかじめ多めにキープしていたほうがよいと思う。
  • オペラグラス
    装束や面を見るのに持って行ったオペラグラスも活躍した。一般の能楽堂でも同じだが、装束や面、鬘帯、扇の模様等を見るのに必要。倍率は後列からでも4倍で十分だった。

 


こうして一夜目が終わり、雪国の朝はしらじらと明けていく。二日目、ローカル色がより加速する春日神社篇に続く。

 

↓ 二日目・春日神社篇はこちら

 

 

 

 

*1:帰宅後調べたら「黒川上構造改善センター」というのが正式名称のようだった。

*2:聞いたところによると、下座には「雑巾 たくさん」という寄進があったらしい。老人クラブからの寄進物なんだって。たしかに能舞台の掃除に雑巾使ってた。そこ?

*3:黒川能保存会が発行しているパンフを買ったんだけど、記事が演能に特化していて、タイムテーブル・配役・詞章・過去の上演記録しか載っていないので春日神社関係の祭事の意義等はわからない。

*4:上座と下座の当屋は春日神社をはさんで存在しているので、結構距離がある。歩くと20分はかかるのではないだろうか。下座で見た人に聞いたら、この使いの人は結構前に中抜けして出発しているらしい。

*5:駅前にお土産等を販売する市の施設、駅舎内に小さなコンビニはある。少し歩けばセブンやファミマもあるけど。

文楽 2月東京公演『桂川連理柵』国立劇場小劇場

ときどき前を通る新聞店の店先に、腰ほどの高さのスチールのラックが据えられている。その上には常に清潔に掃除された水槽が置かれていて、中には一匹の大きなカメが住んでいる。両手に乗せても太い手足がはみ出すであろうほどの大きなカメだ。飼い主に磨いてもらっているのか、暗緑色の甲羅に汚れはなく、水に濡れてつやつやと鈍く光っている。カメは動かない。いつも、浅く張られた水面から頭を垂直につきだして、天をあおいでいる。朝も昼も夜も、暑い日も寒い日も、カメは同じ姿勢をしたままである。カメは動くことがない。カメは何歳なのだろう。カメはただずっとそこにじっとしている。

そのカメを見るたび、「玉男様……💓」と思っていたが、きょう見たら、めっちゃじたばたしてた。おなかすいてたのかな。

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桂川連理柵、石部宿屋の段。

桂川自体は11月に大阪で出たばかりだが、今回は冒頭に「石部宿屋の段」がつくのが見どころ。石部宿屋は滅多に出ないということなので、以下にあらすじをまとめる。

信濃屋の娘・お半〈人形配役=豊松清十郎〉は丁稚長吉〈吉田文昇〉と下女りん〈桐竹紋吉〉を伴い、伊勢参りの下向道。一行は関の追分で、遠州帰りの隣家帯屋の主人・長右衛門〈吉田玉男〉と偶然出会い、同道することに。

 

一行は京都へ着くまえに石部宿の出刃屋へ投宿する。その深夜、長右衛門の部屋へお半が駆け込んでくる。何事かと問うと、毎晩長吉がしつこく言い寄ってきて、いままではりんを起こして退治させていたが、今夜は彼女がどうしても起きないという。長右衛門はあまり騒ぎ立てては長吉がお払い箱になってしまうからとお半をなだめ、部屋に帰って寝るように諭す。しかしお半は戻ればまた長吉に何をされるかわからないので、長右衛門と一緒に寝かせて欲しいと懇願する。長右衛門は子どものことだと思い、彼女を布団へ入れてやる。

しばらくして、お半を探して長吉がやって来る。猫なで声でお半を誘い出そうとする長吉だったが、大方長右衛門のところへ入り込んでいるのだろうとその部屋の障子に聞き耳を立てる。不審な様子に中を覗いてびっくり。腹を立てた長吉はお半を盗られた意趣晴しに長右衛門が遠州の大名から預かった刀を盗み出し、刀身を己の旅差とすり替えてしまう。

やがて宿の者たちの朝食の膳の支度ができたとの声が聞こえる。長右衛門、お半は帯をしめ、一同は出立の支度をはじめる。

石部宿屋から六角堂までは人形黒衣で上演。

最初の、背の高い松がぽんぽんと間欠的に植えられた街道筋の絵が描かれた幕が降りているパートは原作でいう「道行恋ののりかけ」の部分のようだ。現行上演では最後に増補の道行がついているのでここを道行として処理していないらしいが、見た目は道行で、のんびりとした情景描写になっている。伊勢参り帰りのお半は来合わせた長右衛門にきゃーっと寄っていって、長吉をガン無視してイイコイイコされている。

幕が上がると宿屋「出刃屋」のセット。下手に入り口があり、中央が大きな上り口の間。宿の使用人が頻繁に出入りしている。上手に張り出すように障子の引かれた長右衛門の部屋。上り口の間と長右衛門の部屋の間、上手奥に向かって廊下が続いていて、見えないがその先にお半一行の部屋があるという設定。お半と長吉はここから出入りする。

お半は普通に長右衛門の部屋へやって来て、長右衛門も普通に彼女を布団に寝かしてしまう(っていうか、ちょこんと寝ちゃう)。この流れがかなりさりげない。長右衛門が布団に入るとすぐ障子が閉まってしまうので、事前に後の展開を知らないと話がわからない。襟袈裟の鈴の音がチャリチャリ聞こえるだけ(わざとやっているのかはわからない)。

そういうわけで、この段の一番のみどころはその障子の中を覗き見て大騒ぎする長吉の可愛さ(?)。長右衛門の部屋を覗いた長吉がほっかむりをして出直してきて、古手屋八郎兵衛がどうたらと言って芝居の真似事をするところ、後ろ姿のキメがアホそうで良かった。長吉はこのあとの帯屋で鼻水をすするタイミングも良かった。長吉は配役された人形遣いによって鼻水をすするタイミング、すすり方が結構違うと思うが、文昇さんのすすり方はかなり良かった。「ずずっ、ず、ずずっ、ずずーーーー!!!!」って感じで少しずつすすり上げていて、まじキモかった。ここ最近の文昇さんで一番良かった(?)。

宿屋の朝の場面で、寝床に落ちたお半の簪を長右衛門が拾って挿してやる演出が入っていたが、落とす簪が最後の道行で「おねだりして買ってもらった簪」というもの(向かって左に挿している手毬状のもの)ではなく、逆のほうに挿したもの(花束状のもの)だった。お人形さんは必ず右利き(左手での細かい演技は基本的にしない)という文楽人形の宿命によるものだと思うが、買ってもらったものを落としたほうが意味が出るしよいように思うが。落とす簪は誰が決めているのだろう。プログラムの解説を読むと、落とすときと落とさないときがあるようだが……。ただこの簪を挿してやる演出、素でキ……、いえ、なんでもないです。逆に長右衛門が清十郎さんならキモくないと思う(清十郎の清楚感への全面的な信頼)。

心の底からどうでもいいことだが、最初の追分松原のところで長右衛門がわらじの紐を結び直すためにかがむシーン、席の関係上、パンチラしそうだった。思わず覗きそうになった。文楽人形は絶対パンチラしないのでよかった。

 

 

 

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六角堂の段。

儀兵衛〈吉田玉佳〉の絶妙なキモさが最高。お絹〈吉田勘彌〉に擦り寄る距離感と手つきの不気味さは神技だった。床机の横に腰掛けてくるときの、一応距離はあけてるんだけど、にしては異様に密着しているなんともいえない距離感。人形が床机に座るときって、普通、二人連れでも二人とも真正面向いて座るじゃないですか。でもヤツはお絹のほうに体を向けて座るんですよ。キモっ。しかも、やたら大げさな身振り手振りをする、そのとき袖がお絹に当たってるの。それと、微妙にお絹のほうに重心が傾いているというか……。めちゃくちゃキモい。こういうウザキモい人、いるよね。そして、セクハラも玉志さんのような一発お縄系のやばいやつではなく、ギリギリ言い逃れができるレベルのまじキモい下卑たタッチ。至芸であった。

お絹の色っぽい人妻感も最高。奥様らしい、親しみやすいが優美なゆっくりとした動作で、中年の女性のもつ美しさと色気を感じる。去年から延々勘彌さんのお絹を見ている気がするが、毎回、隣家の男子高校生になった気分になる。回覧板を持っていくのを口実にすこし喋るのだけが無上の楽しみで唯一の接触、みたいな……。そのお絹が長吉に与える小遣い、かねてよりどれくらいのモンかしらと思っていたところ、上演資料集の解説に「3〜4万円相当(通常無給の人に対して)」と書かれていた。それなら私も言うことを聞くと思う。長吉が受け取る小道具の紙包みの内側に、銀色のシールみたいな感じでお金が規則正しくはりついてるのも笑える。

六角堂の段が終わって昼休憩に入ったとき、近くの席の方が「宿屋の最後のほうで“帯締め……”って言ってたけど、ほどいたってこと???」と物語の根幹を揺るがす SUGOI SUNAO QUESTION を口にされていた。たしかに人形の演技だけ追っていると何が起こったかわかりづらいのだが、あそこで帯解いてなかったら、第一部、11時24分で終演してしまう。

 

 

 

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帯屋の段。

長吉、石部宿屋→六角堂→帯屋と順を追ってアホになっていってませんか。プログラムの解説にも書かれていたが、知性がダダ下がりというか……。石部宿屋では杉坂屋の丁稚くらいの知性はあったのに、帯屋では酒屋の丁稚レベルのな〜〜〜〜〜んにも考えていないアホになっていた。アルジャーノンに花束を的な何かだろうか。太夫の語りにかなりムラがあるのもあって(というか声質や技量のバラつきが要因だと思うけど)、人物の一貫してなさがすごい。これ、人形さん(文昇さん)的にはどういう解釈になっているのだろう。知らなかったが、原作では「石部宿屋の段」のあとに「信濃屋の段」というのがある。*1そこでの長吉にはかなり知性がある。六角堂で金をもらって実利をダイナミックに得たため、考えることをやめてアホになってしまったのだろうか。

母おとせ〈桐竹勘壽〉は煙管で背中をかいたあと、ひざで吸い口を拭いていたのが細かい。今月は勘壽さんが働きすぎで心配。5月の妹背山では豆腐の御用の御馳走配役なので、今月は働いてもらうということでしょうか……。

お絹が長吉に目配せするところ、お人形が両目を「……ばちん!」としばたかせるのがいい。キャッ❤️となった。あんな小娘より絶対お絹のほうがいい。長右衛門の寝姿を気にしながら暖簾の奥へ去る姿も美しかった。

お半はかなり稚気に振った印象で、勘十郎さんのような意思の強さを感じさせる確信的な様子はなく、純粋に長右衛門を慕うあどけない娘という印象だった。ただ、見え方の不安定さが気になった。特に帯屋の出。後ろ向きの姿、もう少し詰められるように思う。室内に入ってきてからは幼稚な雰囲気が可愛らしくて良いんだけど。白痴っぽい可愛さは映画などで人間の女優にやらせるとかなり痛いが(監督や脚本家が)、人形ならギリギリで持つなと思った。清十郎さんはそっちで行こうとしているのかしらん。どういうお半像にしたいのか、すこしピンボケしているようだった。お半は元々理解不能のキャラクター造形なので、勘十郎さんのようなサイコパスみがある人のほうが有利かも。あとは勘彌さんのお半が見たい(ただの願望)。

ひとつ疑問があるのだが、お半は長右衛門を起こすとき、家の中を伺いながら「長右衛門様(ちょうえみさん)……、……おじさん……」と呼びかけながら近づいてくる。この「おじさん」呼びは原作にない入れ事として有名だが、お半は幼い頃から長右衛門を慕っていたという設定のはず。お半が幼い頃、長右衛門は20代半ばくらいで「おにいさん」だったと思うが、いつから「おじさん」と呼ぶようになったのだろう。母親を「ママ」と呼んでいたボーヤが「おふくろ」と呼び出す境目のようなものがあるということだろうか。でも私が長右衛門なら、いちばん最初に「おじさん」と呼ばれたときにはショックで卒倒すると思う。もうデオドラントグッズとか買いまくりですよ。いやでも江戸時代なら20代半ばは完全にはじめから「おじさん」か……。ていうか、まあ、一番最初にこの入れ事をやりだした人が「おじさん」呼び萌えだったんでしょうね。よかったね〜。私も素直に生きよう!と思った。

あとは玉男さんがずっとじっとしていて、すごく満足感があった。じっとしている玉男様は値千金。動きがある部分は上品だがかなり線が太い印象だった。それはいいんだけど、お半を激しく抱きしめている日があり、長右衛門の演技としては正しいのだが、「こいつ反省してねぇな」と思った。

 

 

 

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道行朧の桂川

悪くはないのだが……、最後の部分で人形のフリがあまり揃っておらず、さすがに11月のほうが良かったというのが素直な感想。それぞれ細かい所作の処理は綺麗なんだけど、フリが揃っていないと心中しなさそうに見える。床は逆に今月のほうが上達していて、良い。

先にも書いたが、石部宿屋とここで演出に使われる簪が違うのが気になる。通常増補の道行しか出していないところに石部宿屋がごく稀にくっつくため違和感が出るのだろうか。長吉の知性が急降下することに比べたら誤差の範囲?

 

 

 

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11月は玉男さん勘十郎さんコンビで「うん、やらかしそう^^」感がすごかったが、今回は今回で「や、やらかしそう……(冷や汗)」という感じの配役だった。先にも書いたが、お半は決めなきゃいけない部分部分がどうにも惜しい。11月に玉男さん勘十郎さんで出たばかりなので、清十郎さんは比べられたらそりゃ不利ではあるが、出来ると思うので、頑張って欲しい。

 

 

 

2月公演は淫行心中、姦通逐電、美少女拷問、美女拷問となかなかスパークした演目選定だった。

第一部は石部宿屋がついていたのが良かった。第二部は人形の出演者が渋く豪華なので大変満足。第三部はさすがにこの短期スパンで同じ演目を繰り返されると厳しいなと感じていたのだが、結果的には出演者のパフォーマンスの上昇度が一番高く、もっとも満足感を得られる部になっていた。ただ狂言自体への理解の難易度も一番高くて、見た目の派手さと相反する難しさであるとは思った。

 

 

 

*1:信濃屋の段あらすじ:石部宿屋の一件から5ヶ月後。お半にお絹の弟・才次郎との縁談が持ち上がり、その結納品を仲人の長右衛門に代わって儀兵衛が信濃屋へ持参、お半の母・お石が歓迎する。連れの衆がお石から振る舞いを受けている影で儀兵衛と長吉はコソコソ密談。お半を狙う長吉、お絹を狙う儀兵衛は利害が一致し、二人で組んで長右衛門を陥れようとしていたのである。儀兵衛はお半が必ず長右衛門へ付け文をするとしてその手紙を盗むように頼むが、実はすでにチャッカリ盗んでいる長吉。また、儀兵衛は石部宿屋ですり替えた預かりの脇差を自分が発見したふりをして長右衛門を蹴落とそうとするが、すぐに受け取ってしまうと目に立つので長吉の兄・本間の五六へ一旦預けることにする。その二人がウッシッシと去ったあと、仲人として礼装姿の長右衛門が信濃屋を訪問する。するとお半が走り出てきて、自分を嫁入りさせようとする長右衛門をなじり、寺子屋の師匠から娘たる者、夫と決めた男はただひとりとしなさいと習ったこと、そして妊娠していることを告白する。長右衛門は当惑し、年端もいかない身での不憫さにお半を抱きしめる(すべてお前のせいだろ)。長右衛門の来訪に気づいたお石が迎えに出たところ、玄関先にひとりの武士が現れる。その男は今日の結納を取りやめにして欲しいと言う。婿の才次郎には隠し女がいて、その女から才次郎の妻にして欲しいと頼まれたというのだ。お石は固辞するが、男はそれでは武士が立たないとして玄関先で切腹すると言い出す。結納を血で汚されてはたまらないとお石は金を包んで切腹をやめさせようとするが、侍はその金をスマイルで見つつ「切腹する」と言い張り、押し問答になる。するとタバコを吸っていた長右衛門が割って入り、おもむろに「人が切腹するとこ見たことないな〜見たいな〜」と言ってお石の阻止を引き止める。どれだけ切腹のそぶりを見せても動じない長右衛門に、武士はスゴスゴ逃げていく。実はその侍は結納を邪魔しにきた長吉の兄・五六だったのだ。お石は長右衛門の機転を喜び、お半を呼び出して結納の盃を取らせようとする。しかしお半は拒否。するとお絹がお半にとくとくと意見した上で、無理に嫁入りさせては互いに無益として破談にすると言い出す。実はお絹は長右衛門とお半の関係に気づいていたのである。お石は取り縋るが、お絹はそのまま帰ってしまう。その夜、お半は、どう考えても長右衛門とは夫婦になれないこと、母やお絹への申し訳なさから、カミソリを取り出して自害を企てる。と、その手を長吉が掴んで止める。そこまでは偉かったが、なおもしつこくお半に迫る長吉。その変なタイミングで縁の下に潜んでいた五六が脇差の受け渡しを催促する。長吉は懐に隠していた脇差を股座から五六に差し出すが、そのせいで手元がお留守になり、お半とりんがいつの間にか入れ替わっていたことに気づかない。行灯が吹き消された暗闇の中で、長吉は門口で待ち構えていた儀兵衛に女を託すが、その声を聞きつけて燭台を持ったお石が現れる。その火に照らされた脇差を見てお石が声を上げるが、お半(と思い込んでいるけど実はりん)を背負った儀兵衛は闇へ消えていくのであった。……という話。帯屋のくだりに話題に出る才次郎とその恋人・雪野の一件は六角堂の段の後半(現行上演ではカット)に登場。また、帯屋の段の最後、長右衛門が出て行ったあとのくだりが現行ではカットされており、その部分で長吉の兄・五六が実はいい人だったという正体をあらわし、長吉・儀兵衛・おとせが追い詰められるという結末がついている。五六がいい人なのは結構なのだが、なぜ実の弟まで裏切るのかはよくわからなかった。悪事を暴露する前に説諭したほうがいいのでは。以上、『新潮日本古典集成 浄瑠璃集』新潮社/1985 参考。

文楽 2月東京公演『鶊山姫捨松』『壇浦兜軍記』国立劇場小劇場

なぜか拷問もの2本立ての第三部。両方とも最近大阪で出たばかりの演目なので、東西の配役違いによる比較や2公演見ての感想を中心に書きたいと思う。

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鶊山姫捨松。大阪で11月に出たときから岩根御前・大弐広嗣・父豊成卿の人形配役を変更して上演。

 
 
 
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大阪公演での「イチスケ頼む、しゃがんでくれ!!!(号泣)(無理)(別にイチスケのせいじゃない)」事件を考慮した上で席を取ったので、ラストシーンも全員見えて大満足だった。*1

 

という話は置いといて……、自分の席が「主観的に」中将姫〈人形配役=吉田簑助〉がものすごく美しく見える席で、ひとりで勝手に感動した。文楽で人形をよく見ようと思ったら、普通、センターブロック中央付近の席が一番いいと思う。人形は正面に向かって演技をしているから。でも、人形が一番美しく見える角度というのはそれだけじゃないんですね。取った席は、舞台中央にいる中将姫に対してかなりの角度がつくような場所だった。本来は人形を見るのには「よろしくない」席である。しかし、そこから見たときの、姫がからだを地に低く伏せ、頭をかしげて頰が雪につくすれすれくらいまで下げたときの表情があまりにも美しくて、驚いた。中将姫は娘のかしらの中でも結構細面のものを使っていると思うが、そのすっとした顔立ちが本当に美しくて……、本物の姫を見た気分だった。ああ、いま、中将姫のこの美しさを見ているのは私だけなんだ。満席の観客席の中で、私だけが姫の本当の美しさを知っている。いま、世界には姫と私しかいない。私だけの秘密。優越感を得た。

簑助さんって、もはや妄執の世界の人だと思う。中将姫が自分を打擲する奴たちにすがりつくところの表情見ました? この世のものじゃない。あのとき中将姫は人間では絶対にできない姿勢、かなり不自然なからだのひねり方と首のねじり方で、人形で見てすらおかしいと感じられるほどの異様な姿勢をしているのだが、そこに不気味なくらいに惹きつけられる。あきらかにおかしいのにそこに目が釘付けになる。使っているのはなんの仕掛けもない娘のかしらなので、ただ口元に微笑を浮かべているだけで、無表情である。しかしそれがこの世のものではない蠱惑的な表情で、奴たちはたかだか15、6歳の中将姫の気迫に押されて引き下がるわけだが、それがよくわかる悪魔的な美しさ。浄瑠璃自体からすると中将姫はひたすらに清浄なイメージで、ピュアでクリアな造形であることが正しい。いや、簑助さんの今回の中将姫もたしかに限りなく清浄なんだけど、それがいきすぎて世俗で淀んだ人間の目で見ると悪魔的になっているというか……。簑助さんは、「正しさ」はもういらない境地なんだなと思った。

 

大阪・東京と見たことで気づいたのは、冒頭で浮舟が「(文は)コレこゝに」と言って桐の谷の胸元を触る部分、あれ、懐に手を差し入れようとしているのかと思っていたけど、桐の谷が差している懐刀の袋に触っているのかな。あの袋の中身は刀ではなく文だということなのだろうか。かねてから桐の谷だけが懐刀を差しているのが不思議だったが、そういうことなのかな。そのあとで桐の谷と浮舟が左右に分かれて広げる巻物、今回は席がよかったので文章の内容まで見ることができた。あれやっぱり姫から桐の谷への手紙なんですね。あれだけのクソヤバ長文手紙をしたためてはオタ女なら最後に「乱筆乱文失礼しました」と書かなくてはいけない気がするが、そこはさすがに姫なので「あなかしこ」でしめられていた。それともうひとつ、後半の浮舟の2回目の出で、広嗣に命じられて中将姫を破竹で打擲しようとするところ、姫を打つ(フリをする)直前に、一瞬、姫にこしょこしょとなにか耳打ちして、姫もうなずくんですね。中将姫がいったいどのタイミングで腰元二人の計略を承知したのかわからなかったが、ここで死んだフリを頼んでいるということかしらん。

 

変更された配役に関して。大阪で観たとき、亀次さんの広嗣があまりにヒョイヒョイ出てきたので不思議に思っていた。広嗣はコッパとは言えど公家のはずだが、これは元々継承されている役の性質設定によるものなのか、人形遣い個人の解釈なのかと考えていたのだが、今回配役が清五郎さんに変更になったことによってわかった。元々の設定ということね。清五郎さんは普段ヒョイヒョイした動きをしない人なので、そういうことなんだと思った(突然の清五郎への全面的信頼)。

それと同様のことでもうひとつ疑問に思っているのは、大阪・東京共通配役だった桐の谷〈吉田一輔〉と浮舟〈桐竹紋臣〉の違い。桐の谷と浮舟はともに右大臣家に仕える腰元だが、配役を見ると桐の谷のほうが格上の役。単にやることが多いというだけではなく、浄瑠璃自体がそういう設定、役職的に桐の谷のほうが高い設定だからだと思う(現行上演がない部分で桐の谷が屋敷の使用人の給与査定面接をするシーンがある)。でも現行の上演ではそれはほとんどわからなくなっているし、特に冒頭は演出上シンメトリーで演技するので双子の姉妹風に見える。が、じっと見ていると結構様子が違っていて、特にラストシーンでは雰囲気に差が出ている。これが元々の振り付け(設定由来のもの)なのか、人形遣いの個性もしくは本人の考え(相手を見て判断していることも含む)によるものなのかと思ったのだが……。そこが知りたかったので、東京公演では一輔さんと紋臣さんの配役をひっくり返して欲しかった。お二人の現状の立場からすれば配役が逆になることは通常ありえないのは理解しているけど。

話の順番が逆になったが、桐の谷と浮舟はさすが通しての配役なだけあって非常に洗練されており、東京公演後半では大変上品で艶のある演技を拝見できた。大阪公演では娘っぽさや可愛らしい印象があったが、かなり大人っぽく薫る方向にきていた。でもやっぱりキキララみたいで可愛かった。

最後の姫と豊成卿の別れの部分が大阪と少し違うように思うのは、豊成卿の配役が玉男さんから玉也さんに変わったからだろうか。玉也さんははじめのほうから結構姫に迫るように演じていたように思うが……、大阪はとにかく「イチスケ、背中の広い男……💓」状態だったんで、実際のところはよくわかりません……。

 

しかし東京公演で一番びっくりしたのは千歳さんの変化。大阪公演のときは、正直、無理してるなあと感じていた。頭の「あらいたわしやの中将姫」とか、本来一番重要であろうところが聞いていられなかった。頑張っているのはわかるし、富助さんがフォローしてるからなんとかカタチにはなってるんだけど……、まあ人形陣が良いからいいかと目(耳?)をつぶっていたのだが、東京公演は驚異的に自然になっていた。若い娘、しかもちゃんとか弱いお姫様の声に聞こえる。すごい。驚いた。千歳さんは声域的に若い姫の声のような高音が出ないんだろうなと思っていて、いや、今回もそれ自体は出ていないんだけど、語り方でカバーできるんだな。本来不得手なはずのものも、経験や稽古で自分のものにしていけるんだなということを目の当たりにして、義太夫っておもしろいなと感じた。

 

↓ 2018年11月大阪公演の感想

 

 

 

壇浦兜軍記。1月大阪公演からは榛澤六郎の人形配役が変更、畠山重忠ダブルキャストなし。

 
 
 
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やっぱり勘十郎さんは狂ってると思った。琴、絶対弾いてるだろ!!!!!! 「手が当たることもありますぅ❤️」とか、しらばっくれブリッコには誤魔化されんぞ!!!!!!!

その証拠に大阪より相当上手くなってるじゃねえか!!!!!!!!!!!!!

ほんま大阪より琴が上手くなってて、このおっちゃんマジでやべえなと思った。ひけらかした上でやるならわかりますよ、わたしは文楽であっても歌舞伎と同じように琴を稽古してますとプロモーションのために大々的にアピールするなら。でもそうじゃなくてただ勝手にやっているのがやばい。なんで?

琴を本当に弾いたからって人形の見栄えが良くなるわけではない。むしろ大げさな演技にできなくなるので見栄えは下がるだろう。琴の音も阿古屋の目の前の数人の客にしか聴こえない。にもかかわらず、なにが勘十郎さんをあそこまで駆り立てるのだろう。狂気としか言えない。すばらしい阿古屋はいままで大師匠たちのそれを見てきた、だから同じことをしても意味がない、自分だけの、自分にしかできない阿古屋を作り上げたいと思っていらっしゃるのか。阿古屋本人や役の持つ性根を凌駕する、やばすぎる執念。これぞ勘十郎さんだと思った。勘十郎さん自身が詮議の場に引き出されてもあのように三曲を弾ききるのだろう。

演技自体でいうなら、三曲のあいまの重忠の尋問への応答の演技がとても艶麗になっていて、すごくよかった。勘十郎さんは普通の演技では人形のからだを大きくひねるような遣い方をあんりされないと思うけれど、今回はかなりのしなを作った濃厚な振りにされていた。ただ白洲に入ってくるときなどはやっぱりちょっと可愛いね。

 

津駒さんが全体的に大阪よりさらに濃厚で華麗な方向に振っていて、おお、と思った。ご自分自身の芸への検討の結果そうしているのもあると思うんだけど、勘十郎さんの阿古屋に呼応して演技を盛ってるのかな、進展させたのかなと思う部分があった。むこうがそう来るならこっちはこうする、だからそっちももっとやれ、といったような。この過剰感が津駒さんらしい。「阿古屋」は阿古屋の人形遣いと三味線の三曲担当者に注目が集まるが、阿古屋の太夫も大変だよね。三曲歌わなくちゃいけないから……。津駒さんは観劇したどの回も美しく歌っていらっしゃって、さすがわたしたちのお局様(?)って感じでした。ところで津駒さんの見台についているフサフサ、新品ですかね。あと、津駒さんていつも(> <)で汗だくになっているイメージだけど、よく見ていたら口上で「たけもとつこまだゆ〜」って呼ばれてる時点ですでに汗かいてた。津駒さんがどの段階から汗をかいているのか気になる。

ほかに「変えてきたな」と感じたのは半澤六郎役の小住さん。大阪初日・二日目ではご自身の元来持っているものを素直に出して語っている印象だったが、東京公演で聞いたら、役を作りにいっているように感じられた。具体的には、半澤六郎の若い印象を押し出しているというか。ちょっとちゃらっとした感じに振っていた。なるほど、小住さんが素直に語ってしまうと、畠山重忠と競合してしまったり、あるいは本来格上であるはずの岩永左衛門よりも貫禄が出てしまう。それに半澤六郎は浄瑠璃全体からすると重忠の部下のなかでは下のほうのはずだし。人形も今回は玉佳さんから玉翔さんになって、ピチッとしたし。それでちょっと語りを変えてきたのかな。別にご本人に聞いたわけじゃないから、わかんないですけど。

ほか、重忠役の織太夫さん、岩永役の津國さんも密度が上がっていて、床は本当大満足だった。役の個性がよりはっきり出ていて、聴き応えが大幅アップしていた。素浄瑠璃でも聴きたいくらい。

三曲〈鶴澤寛太郎〉は演奏の間合いを日によって少し変えているのだろうか。お客さんの反応を見ているのかな。そのときの自分の相対的な感覚なのかもしれないが、胡弓が特に違うように感じた。胡弓は大阪の初日で聴いたときよりはるかによかった。

 

↓ 2019年1月大阪公演の感想

 

 

鶊山も阿古屋も、浄瑠璃自体を超えたすさまじい妄執の世界が展開されていた。文楽の場合、見取りだと半通しに比べて興行として軽い印象になるけれど、今回の第三部はかなりコッテリしていて、座っていただけなのになぜか達成感。出演者も力が入っており、両方とも大阪公演を上回るパフォーマンスで、大満足だった。

 

 

 

国立劇場の刊行物で『文楽のかしら』と『文楽の衣装』というのが出ているが、これに加えて人形の髪型の図鑑本を出してくれないだろうか。今回の桐の谷と浮舟や『菅原』の三兄弟の妻たちのように、一見、似たような姿で出てきながら全然違う髪型や簪の挿し方をしている人形も多いから、よく見たい。髪型は相当良い席で、しかも双眼鏡を使わないと細かいところまで見ることができない。とくに女方の人形で後ろ側の結い方がどうなっているかはたとえどれだけ良い席であっても細かく見ることは難しい。人形を間近で見ることって単なる客にはとても難しいし、人形遣いさんのトークショーに行くと髪型も解説してもらえるが、そういう機会はレア。単に美的な観点から見たいというだけでなく、知識として、髪型から身分等の人物像も判別できるじゃないですか。正面・左右・上・後ろからの写真に解説をつけて、人形の髪型を一冊の本にして欲しい。

 

 

↓ 本公演に関する勘十郎さんのトークイベント

  

 

*1:イチスケはまだかわゆい。以前、忠臣蔵であまりに下手前方の席にしすぎて、判官切腹の最後のシーン、由良助をはじめとしたすべての人形が玉男様(由良助役)の影に隠れてまじで全然見えず「きょうは玉男様の背中を見にきたことにしよう。玉男様を見にきたこと自体は間違ってないし。」となったことがある。内子座で……。