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文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽  トークイベント:桐竹勘十郎「『壇浦兜軍記』阿古屋琴責の段について」文楽座学

2月5日開催、NPO法人人形浄瑠璃文楽座主催のイベント。今回の内容は勘十郎さんから阿古屋についてお話しいただくというものだった。簡易ながら以下にお話の内容を整理し、まとめる。また、撮影可能だったため、後列席で写りは悪いけど写真もつけている。ご参考まで。

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┃ 『壇浦兜軍記』阿古屋琴責の段について

人形遣い桐竹勘十郎でございます。今月はお昼から時間をもてあましていて(笑)夜の7時半頃から出番です。今回の第三部は中将姫の「雪責」、阿古屋の「琴責」、責められてばっかりです(笑)。

風邪ひいてまして、きょうの話、鼻声で聞き苦しくて申し訳ないんですが、インフルエンザじゃないんでご安心ください。先月の大阪公演の途中で風邪をひいてしまって、治ったかなと思っていたんですが、東京に来たらぶり返してしまって。風邪にはポリフェノールがええらしいですね。紅茶より赤ワインのほうが飲みやすいんですけど(笑)。それとお茶がええらしいですね。病院の先生もひとり患者さん診終わると、お茶をひとくち飲みはるそうです。……って、いまから「ためしてガッテン!」始まるわけやないですよ(笑)。

『壇浦兜軍記』は1732年に書かれた作品。当時は一人遣いで、その2年後に三人遣いがはじまったそうですが、一人遣いの頃の阿古屋はどういうふうにお琴を演奏してたんでしょうね……(笑)。「阿古屋琴責の段」は五段構成の『壇浦兜軍記』のうちの三段目の口。文楽ではこの場面しか出なくて、わたしもここ以外見たことありません。上演順序としては端場(はば)、つまり物語の最初の場面ですが、「阿古屋琴責の段」は「立端場(たてはば)」で、切場にも匹敵する重要な場面です。立端場では、独立した大道具を立てます。普通、「口」に立てた大道具はそのまま次の場面にも続けて使われるんですけど、立端場の場合はそれだけのための大道具。立端場の例は、ほかには『一谷嫩軍記』の「組討の段」など。これは熊谷直実が敦盛に仕立て上げた息子の首を討つという重要な場面ですね。太夫も非常に力がいります。

阿古屋は景清と馴染みが深いとして詮議を受けることになります。景清は源平合戦を生き残り、頼朝をまだ狙っている平家の武将。阿古屋は身重で、おなかに景清の子がいるんです。詮議といっても拷問ではなく、畠山重忠という立派な源氏の武将が楽器の演奏を聞いて、その音にゆらぎがないかを聞いて判断します。上演がない部分には阿古屋のお兄さんも出てきます。お兄さんは「伊庭十蔵(いばのじゅうぞう)」といって、景清にそっくりという設定。「なんで?」って思いますけど、いかにも芝居ですね。それで、景清のかわりに腹を切ろうとしたりする。この兄は直前に景清に会っていて、景清がどこに行くのかも知っていて、阿古屋に話そうとする。でも、阿古屋は聞きたくないと言って耳を塞ぐ。阿古屋は清い心でこの詮議に臨むんですね。

 

 

 

┃ 阿古屋の配役について

ぼくが初めて阿古屋の足をいかしていただいたのは、昭和50年の7月、22歳のときに桐竹亀松師匠−−一輔くんのおじいさんですね−−が遣っていらっしゃったとき。足はなんにもしていないように見えて、大変。見た目何もないですけど、何もないことはない。ものすごく難しい。動きはないんですよ。でも「いかに主遣いを助けられるか」が腕の見せ所。ぼくも2度も3度も怒られた。亀松師匠は厳しかったんです。

そのあと昭和62年、ぼくが34歳のとき。うちの師匠が阿古屋になって、初めて左をいかせてもらった。阿古屋の左は、完璧に曲を覚えていなくてはいけない。どこを押さえるか、はじくか……。足は曲を覚えていなくてもいいんですけど、左は大変です。

そのあとしばらく阿古屋は出なくて、平成10年の東京公演で師匠が阿古屋。左をいかせてもらいました。その翌年の平成11年の1月大阪公演にも阿古屋が出て、師匠が配役されていたんですが、その前年の11月に師匠は倒れられて、出られなくなった。そこで桐竹一暢さん−−一輔くんのお父さん−−がよく左をいっておられたので、代役になった。阿古屋の主遣いは左をいったことがないとできないんです。それで、足だったわたしが左に入った。師匠は???(忘れた……身体系のリハビリ)と謡でリハビリをされて復帰して、また阿古屋に挑戦されて2回いかれた。そのときもわたしが左。

そして平成24年、初めて阿古屋の役をいただいた。「今まで足、左で積み重ねてきたことをここで!!」と思ったんですが、見るのとやるのでは大違い。これだけしか積み重ねてきてなかったのかと思った(笑)。大慌てで曲をさらえて。そのときも三曲は寛太郎さんでした。それから平成26年に阿古屋をいただいたときも寛太郎さん。そのあとも寛太郎さん(笑)。寛太郎さんは非常にやりやすい。注目している若手の三味線弾きさんです(突然のカンタローダイマ

平成26年のときには、頼んで太夫さん三味線さんの稽古場に入れてもらって。人形はあんまり稽古してないですけど(笑)、太夫さんと三味線さんは時間を合わせて何回も何回も稽古をしている。稽古場の隅に座らせてもらって、見学させてもらいました。それとはまた別に、寛太郎くんに演奏している様子の映像の録画を頼んで。そうしたら引き受けてくれて、ひとりの稽古のときにカメラを置いてやってくれたんです。それは今もDVDでとってあって。ラベルに「寛太郎のスーパーレッスン」って書いてあります(笑)。それを見ると、「なるほどな」と思います。

三味線さんの本物の演奏と人形では「同じ」にできません。人形は「そう見えればいい」。違うのがいいんです。フリは合ってません! 合っているように見せてるんです。演奏の出来はそのときの「運」。きょうはこのあとどうなるんやろ(笑)トークは阿古屋上演前に開催)。三曲のうちでは胡弓が音が素晴らしくて好きですね。自分自身は楽器はリコーダーくらいしかできませんけど(笑)、舞台に出ると、琴も三味線も胡弓も出来るような顔をしています(笑)。

 

 


┃ 紋十郎師匠の阿古屋と初舞台

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これは今月の小割帳。人形の主遣い、左、足、介錯、口上が誰なのかがぜんぶ書いてあるものです。1日の公演でも、1ヶ月の公演でも、必ずこれを書きます。これを作らないと芝居ができません。ここに「小割委員」と書いてありますが、いまはわたしと吉田玉男さんでやっています。清書は字が下手なんですがわたしがやらせていただいています。

昔の小割帳の写しも持ってきました。これはぼくが3月に中学を卒業して、4月に人形遣いの仲間に入れてもらった昭和43年のもの。阿古屋は桐竹紋十郎師匠。紋十郎師匠は父や師匠のそのまた師匠です。紋十郎師匠は阿古屋が大好きでした。

三人の水奴の配役が、わたし。もう辞めましたけど昇二郎、同期でした。そして和生さん。ぼくはこの水奴で初舞台。(小割の足が書かれた部分を見せて)これ見てください。わたしの足が「勘十郎」。父です(笑)。昇二郎の足が「玉男」(爆笑)。すごいでしょ。当時は人形遣いの人数が少なくて、27、8人しかいなかった。それもあるんですけど、大きいのは、水奴の役は入門したての人だけでは勤められないから。わたしたちは入りたてで、『壇浦兜軍記』は初めて観るし、浄瑠璃も初めて聴く。水奴は阿古屋に楽器を渡すタイミングが難しくて、1日くらいの稽古ではできません。紋十郎師匠はそこに大変うるさかったので、父や玉男師匠が足を遣いながら指図してくれたんです。人形遣いは舞台では無言というのは嘘です。もう、むちゃくちゃ言われます。「立てっ!!」「行けっ!!!」(笑)。それくらい言われないとできないんですね。あ、阿古屋の足は紋壽兄さんですね。(小割帳を示して)水奴は、左遣いの名前は書いていない。これは「欠け」と言って、こういう端役は必要なときだけ人が来て遣うことになっています。

数えてみたら、紋十郎師匠は阿古屋を108公演勤められていた。「舞台」じゃないですよ、「公演」です。紋十郎師匠は本当に名人で、当時は「東の歌右衛門、西の紋十郎」と言われていて。師匠のもすごいけど、紋十郎師匠の阿古屋は本当にすばらしかった。阿古屋に使う傾城のかしらは文楽座には2つあって、「古いもの」と「新しいもの」。ぼくが今の公演で使っているものは、紋十郎師匠が最後に阿古屋をされた地方公演で使ったもの。紋十郎師匠はこのかしらをことに好んでいたそうです(当時の新調のかしらで、肉感的ではっきりした豊かな顔立ちとかそういう彫りのつくりが気に入っていたという理由だったと思う。このあたりうろ覚え)

 

 

 

┃ 阿古屋の人形を組み立てる

(かしらがなく、打掛・帯をつけていない着物のみの姿の阿古屋の人形を見せながら)普段、人形はかしらをつけた状態で竹製の「人形立て」に立てておくんですが、阿古屋は傾城のかしらが大変重いため、バランスが悪くて立てることができず、かしら・打掛・帯を外した状態で部屋(楽屋)に立てています。打掛も非常に重く、着せたままにすると着崩れするので、出の直前に着せます。

まず帯。阿古屋のつけている帯は「俎帯(まないたおび)」というもので、またいたに似ていることからそう呼ばれているそうです。傾城は部屋の中では鮟鱇帯をしていますが、道中などには俎帯をつけます。今回の阿古屋の衣装は打掛も着物も帯もすべて新調。綺麗なんですけど……、言いにくいんですけど、慣れていないので硬くて遣いにくい。今回、帯の上につけている蝶と金糸・銀糸の飾りは、自分が勝手につけているもの。傾城の衣装そのものは夕霧などにも使っているんですが、阿古屋には特別感が欲しかったので、自分で考えてデザインして材料を集めて作りました。なにがええかなと思ったけど、蝶にしたのは、帯が牡丹柄なのもありますが、阿古屋の馴染みの景清の平家の紋、揚羽蝶をイメージしてのこと。本当は衣装は少しでも軽くしたいんですが、これは特別。文楽では、阿古屋はお琴を演奏した後、帯を後ろに回す振りがあるんですが、このとき後ろに回したフリをして帯を外してしまいます。

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次に打掛。阿古屋の着ている打掛は、左に桜、右に紅葉の刺繍が入っています。打掛を着せると人形が非常に重くなります。人形の衣装は普通は針と糸で縫い留めてるんですが、打掛のように舞台上で脱ぐものはセンバリで肩に仮留めをしておいて、脱ぐ直前に糸を引っ張って針を引き抜きます。糸は衣装の色に合わせたもの。このように肩に針を刺しておくことが多いので、衣装の肩の部分は傷みやすいですね。

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最後にかしら。傾城のかしらは女型のかしらの中でも大型。重さも普通のもののいくつ分かありますかね。髪型は「立兵庫」で、床山さんも工夫をしてできるだけ軽くしてくれるんですが、重い。普通にまっすぐ向いて顔をあげているときはいいんですよ。お琴を弾くためにうつむくときが大変。そのままでは持っていられません。そのときに足遣いが活躍するんです。琴の演奏中は、足遣いは「イッチョウ持ち」といって、右手で衣装を持ち、左手を帯と着物間に差し込んで、かしらの重量を人形の胸のあたりで主遣いと一緒に受けます。(このあたり話をかなり要約している。以下の1枚目の写真のようにするということのようだ)

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傾城はこのように大きなかしらや衣装をつけているので、腕もそれに負けないよう、普通の女方のものより大型の「5番」を使います。これは師匠から借りました(とおっしゃっていたと思う)。この手はほかにも夕霧や梅ヶ枝にも使います。

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阿古屋は打掛を取り、帯を取りと衣装を脱いでいくと、どんどん遣いにくくなります。打掛を脱いだときは軽くなるのでホッとするんですが、かしらだけが重くなってバランスが悪くなり、遣うのが大変です。

 

 


┃ 三曲の演奏

歌舞伎の役者さんは楽器の稽古をして本当に三曲を演奏するのがみどころですけど、文楽では床でプロの三味線弾きさんが弾いてくれますので(笑)。今回は寛太郎くんです。文楽では、人形と床がどれくらい「合う」かというのは、二の次なんです。先月の大阪でもあったんですけど、何度も見に来ていただいているお客さんが、双眼鏡で人形と床を交互に見て、フリと演奏が合っているかをチェックしていらっしゃることがある(汗)。そういうもんではないんです(笑)。やめていただきたいです(笑)。なるべく合わせる、ツボを合わせるようにはしています。

(古びた木箱を示して)三曲を弾くときに使う手はこのような木箱に入っています。ぼくは師匠のものを借りて使っています。箱の蓋の上部には「三曲」と書かれていて、左下には「簑助」の名前が入っています。そして、消えかけているけど、右下に薄く「紋十郎」とあります。これは師匠が紋十郎師匠から引き継いだもの。文楽座にはこの三曲の手が4組あり、立女方、つまり座頭級の女方を遣う人に代々継承されています。これが簑助師匠のもの。また別のひとつは先代清十郎師匠が使っていたもので、いまは当代の清十郎くんが持っています。それと亀松師匠のもの。もうひとつが文五郎師匠から引き継がれた、文雀師匠のもの。それぞれの弟子が受け継いで持っています。

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琴を弾くときに使う「琴手」は親指・人差し指に黒い琴の爪がついています。通常の手を衣装の中に隠し、この手に差し替えて琴を弾きます。文楽の舞台で使う琴は「短琴」で、調子を合わせてあるそうですね。だから正しいところに手が当たれば床の演奏とだいたい近い音が出るんですが、違うところに当たれば間違った音が出てしまいます。……気になりましたか? 大阪でも同じことをお客さんに聞かれたんです。でも、正しい音が鳴っていると聞いて、「よかったー」と思いました。

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三味線の右手には撥がついています。本来、本物の三味線を演奏するときは撥の上の角の部分で弦をはじくんですが、人形でそのように演技をしても弾いているようには見えません。どう弾いているように見せるかというと、「撥のお尻をうまく使え」と言われています。撥のお尻の部分を強調して動かすと、まるで弾いているように見えます(実演。手の動きの支点を撥の先端側に寄せて、お尻側を大きく動かすイメージ)。左手は3本の指が動くようになっています。舞台では水奴が小道具として三味線の撥を運んでくるんですが、どのように普通の手と三味線手を取り替えているかというと、受け取るふりをして袖の陰で元々吊ってある手を隠し、三味線手に持ち変えるんです。受け取った小道具の撥は後ろにいる介錯が受け取って隠します。むかし人が少なかったころは介錯をつけられなかったので、持ってきた水奴が渡すフリをしてそのまま持ち帰っていた(笑)。失敗すると撥がふたつあるように見える(笑)。左手は差金がついていて、右手と構造が違うのでこのようにはできません。左手は外してしまいます。「外す」といっても人形の腕は通常、紐で結わえて吊ってあります。どのようにしているかというと……、本当は見せるものではないので内緒なんですが、阿古屋のときだけ、肩のところでマジックテープで留めてるんです(笑)。それでつけかえる。最近は便利なものがたくさんありますから(笑)。ぼくの場合は、これで付け外しをしています。

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胡弓のときは、右手は普通の手で弓を持ちます。胡弓はまっすぐ立てて演奏します。左手は三味線と同じ手。演奏中の切れ目でない箇所での拍手についてですか。拍手はありがたいと思っています。なんですけど、胡弓の「つるのすごもり(小さな音になっていって、弓を大きく引く部分)」の切れ目でない部分(弓を引く前)で拍手が来ると、あれ??つぎどうするんやったっけ???となって、演技がわからなくなります。なので、寛太郎くんが拍手がおさまるまで演奏を待ってくれます。

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使う舞台下駄について。阿古屋の場合、人形が大きいので、ぼくの場合はふだん立役に使う「5番」という高さのものを使っています。演奏中はそれでは高くて遣いにくいので、右足だけ低い舞台下駄に変えています。これはぼくがそうしているというだけで、どうするかは自由なんです。

 

 

 

┃ 最後に

50年前、はじめて紋十郎師匠の阿古屋を拝見してからずっと憧れていた役を頂けて嬉しい。ぼくはこれで4回目ですけど、紋十郎師匠の108回を目指して(笑)がんばりたいと思います。ありがとうございました。

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1時間程度の会だったが、勘十郎さんはお話しがうまくて、お考えをよく整理されているので、内容の濃い時間を過ごすことができた。そして、やはりこの人すごく鋭いなと感じた。お客さんの反応をよく見ていると言うか、ほんわかとお話しされてはいるけど、実はぜんぜんすっとぼけてなどいない。洞察力が鋭い。さすが阿古屋を張る人なだけあると思う。

最後はご好意で阿古屋の人形に近づいて見たり、撮影できる時間を設けていただいた。勘十郎さんの大切な人形で、普通には絶対こんなにも近づけない、貴重な機会。おかげで、衣装の刺繍や生地の質感などをよく観察することができてとても嬉しかった。絢爛で気品のある、本当に美しい人形だった。

実は、大阪公演では蝶の帯飾りを不思議に思っていた。よくある舞台写真等では阿古屋は普通に俎板帯をしめているだけで、それ以上の装飾をしたものは見たことがなかったからだ。それと、金糸銀糸の飾りは大阪の初日ではたしかつけていなくて、二日目からつけていたように思う。オプションの飾りなのかなと思っていたら、まさかの勘十郎さん手作りとは。近づいてよく観察すると、至近距離で見ても仕上げがものすごく綺麗で驚いた。しかも、よく見ると部分によって少しモコモコした布でできていたりと、素材感が異なった凝った設計である。この記事をお読みいただいている方は、ぜひ上に貼った写真を拡大して見てみてほしい。勘十郎さんは手先が器用すぎて、世が世なら人気ハンドメイド作家になってしまっていたと思う。デザインフェスタに出て欲しい(出ません)。勘十郎さんは遣い方自体ではそこまで人形の体格感を出さないので、帯飾りをつけることで人形に対して客の視線を集める位置がやや上のほうに行き、人形の体格がバランスよく見えるように思う。

 

 

 

最後に私から一言。

\第三部の切符買ってね❤️/*1