TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

麻雀漫画と昭和の日本映画と文楽(人形浄瑠璃)について書くブログ

文楽 11月大阪公演『心中宵庚申』『紅葉狩』国立文楽劇場

秋深き隣は何をする人ぞ。大阪公演へ行ってきた。

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心中宵庚申。人形の主演おふたり初役ということで(玉男さんはそうだけど、勘十郎さんも初役?)、楽しみにしていた演目だったが、思っていた以上にずっとよかった。以下、復習がてら、あらすじまとめ。

上田村の段

上田村に住まう平右衛門〈吉田和生〉は苗字を許されたほどの大百姓で、多くの使用人をかかえて暮らしている。妻なき今、姉娘のおかる〈吉田簑助〉に婿を取り家を守らせ、妹娘のお千代は大坂の八百屋半兵衛へ嫁がせていた。その平右衛門がにわか病で床に伏せているこの頃、籠に送られてお千代〈桐竹勘十郎〉が帰ってきた。おかるは嫁ぎ先の忙しい中、父の見舞いに帰郷したのかと問うたが、お千代は離縁されて帰ってきたのだった。おかるは彼女に非はないがもう3度目の出戻りと世間の目の厳しさを皮肉交じりに説くが、身重のお千代が夫半兵衛の不在中に姑から無理やり暇を出されたと聞いて不憫がる。そのうち眠っていた平右衛門が目覚め、何度離縁され世の人がなんと言おうと一番大切なのは娘、次はもっと身代の良い男へ嫁入りさせると彼女を励ます。

お千代に父を介抱させ、おかるが彼女の中食の支度をしていると、玄関先に旅姿の半兵衛〈吉田玉男〉が現れる。半兵衛は父の十七回忌のために実家の浜松へ帰っていたのだった。不愉快なおかるが当てつけるのにも気づかず上り込む半兵衛だったが、奥の間からひょっこり顔を出した千代が顔色を変えて引っ込んだのに驚く。これは何事かと戸惑っていると、おかるからは自分の心に聞けと皮肉られ、お千代に本を読ませている義父平右衛門からは義理も法もない武士のクズと言われ、半兵衛は事態を悟ってその場で切腹しようとするが、それでは義理ある大坂の義父母への当てつけになると平右衛門に諌められて思いとどまる。半兵衛がお千代を連れて大坂へ帰るというと、彼女は父の病を忘れたかのように喜んで帰り支度。その姿を見て平右衛門も嬉しく思い、半兵衛お千代と水杯を交わすのだった。平右衛門は二人が未来まで連れ添い、灰になっても戻らぬようにとおかるに門火を焚かせる。不吉さに心曇るおかるがつけた焚火の煙に送られ、お千代と半兵衛は連れ立って大坂へ帰っていった。

お千代がひたすら哀れで健気。いちばん最初の出、実家へ無理矢理に帰された駕籠からうち萎れて出てくるところの、落ち込んだ儚げな雰囲気が印象的。くるくるとまめまめしく立ち働く姉おかる(簑助さんぽい、ひゅっと伸び上がる姿が可愛い)とは対照的に、目を伏せ気味にしてゆっくりとした歩み、寄る年波と病で弱った父平右衛門よりもぐったりとしている。

お千代の演技をよく見ていると、姉に甘えるとき、父に甘えるとき、そして夫・半兵衛に甘えるときで仕草や印象がすべて違っていて面白い。半兵衛の胸にすがりつくときの、安心しきったすごくシンプルな表情の愛らしさ。姉や父の膝にすがりつくときはそれぞれ今まで自分の中に押しとどめていた感情が堰を切って溢れ出すような複雑な表情で抱きついているんだけど、半兵衛に抱きつくときだけは複雑じゃなくて、ただ一心に愛しい人のもとへ帰ってきたという、まるで童心に還っているかのようなピュアな表情なんだよね。ところでお千代、前触れもない自然さとすごいスピードで半兵衛に抱きつくんだけど、そのとき半兵衛の左遣いさんがズドドドドと近づいてくる勘十郎さんを避けるのにものすごい速さでくるっと半兵衛の人形の後ろ側へ避難したのにはちょっと笑った。半兵衛とお千代の人形がからむ所作の、まるで人間同士でやっているような自然さには、こんな努力(?)が隠されていたのね。

平右衛門の和生さんの堂々とした演技も見どころだった。平右衛門は病身ゆえ、丸めたふとんにもたれかかっていてほとんど動かないのだが、父親らしい情愛に満ちた大きい人間性を感じる。夏休み公演の『源平布引滝』義賢に続くイイ役だった。

 

 

 

八百屋の段

半兵衛の養家である八百屋は大坂新靭にあり、かつては小さい商いだったものの、いまでは使用人を何人も雇い人に金を貸すほどの店になっていた。主人・伊右衛門〈吉田簑一郎〉は切り盛りを半兵衛に任せて自分は念仏三昧、その女房〈吉田簑二郎〉は使用人へのケチつけに忙しい。そこへ得意先への配達に行っていた養母の甥・太兵衛〈吉田玉翔〉が帰ってきて、半兵衛に山城屋からの呼び出しの言付けを伝える。実はそれはお千代からのもので、半兵衛は養母に遠慮して大坂へ連れ帰ったお千代を従兄弟の山城屋へ預けていたのだった。それを悟った養母は、甥の太兵衛でなく他人の半兵衛に店を継がせたにも関わらず、その親の気に入らない妻を大事にする不孝者と半兵衛に小言する。伊右衛門は信者仲間の食事会に女房を連れ出そうとするが、留守のうちにお千代を連れ込まれてはと女房は頑として動こうとしない。その気性をよく知る伊右衛門はうまくなだめて後から来させることにして、自分は先に家を出て行くのだった。養母と二人きりになった半兵衛は、自分の不在中に姑から離縁したのでは世間の批判が養母に向く、自分から千代を離縁すると告げる。養母は、それが嘘なら出刃包丁で喉を突いてやると脅して出かけていった。

入れ替わりに浮き足立ったお千代が帰ってくる。あまりにタイミングよく現れたのを訝しがる半兵衛が事情を尋ねると、お千代は養母が山城屋に来て家に帰るよう言ってくれたと、留守中に荒れ放題の家の中を見てどこから家事をしようかとそわそわしている。その姿を見て心が痛んだ半兵衛はすべての事情を話し、養父母・義父母ともに孝行の道を立てるにはもはや心中しかないと告げる。お千代も夫の孝行の道が立てるなら一緒に死ぬと、二人は抱き合い泣き沈むのだった。その門口へ養母がにょっと戻ってくる。猫なで声の養母に呼ばれ心苦しく側へ寄ろうとするお千代を制し、半兵衛は涙ながらに去り状を突きつけて門外へ追い出す。これには養母もさすがに後味悪く、読経にと奥の間へ消えていく。

やがて夜が迫る頃。半兵衛は準備していた脇差一振り・毛氈・死装束の包みを抱えてそっと店を抜け出し、門外で待っていたお千代とともに、死に場所を探しに出るのだった。

お人形があまりに可愛すぎて、ありがたさのあまり合掌しそうになった。

さきほどの段に続き、お千代の演技で可愛らしかったのが、義母に見せつけるため半兵衛に無理矢理店の外へ追い出され、ぴしゃりと門を閉められたあと。門扉の格子の隙間から家の中にいる半兵衛をじ〜っと見ているのだが、その仕草の可愛らしいこと。おろおろしつつ、しかし不安に夫愛しい気持ちが打ち勝っているような微妙なニュアンスのある仕草で、「すき……❤️」って感じだった。その間メインで演技をしているのは半兵衛なんだけど、どちらかというとお千代のほうに目がいく。勘十郎さんもちょっと人形につられていて切なげな雰囲気というか、可愛いことになっていて、笑った(ごめんなさい)。勘十郎さんはこういう感情だけで生きているようなキャラクターがお似合いですね。感情だけで生きてるって、現実的にはまずそんなことできないし、映画などでも「ありえなくない?」となりがちで、かなり難易度の高いキャラクターだと思う。こういう人物造形、私は文楽を観るようになってはじめて納得がいったというか、しっくりきたな。文楽だと生臭さがなく、浄瑠璃も人形も、感情のそのものを表現しているだけだからかもしれない。ことにお千代はいちばん重要なこと、ただ一心に半兵衛を慕っていることが自然に心に伝わってくるのがとても良かった。

半兵衛は抱きついてきたお千代の背中をぽんぽんしてあげる、その手を回す速度とタイミングが完璧でびっくりした。なんという自然な夫感……。文楽を観ていると人形の演技ってやっぱり人形の演技だなと思うことも多かれど、この演技はあまりに自然で違和感がなさすぎ、人形とは思えなかった。さすが抱きつかれ(つき)なれてると思った。あいづちのようにぽんぽんする手つきに半兵衛のやさしい人柄がよく現れている、しみじみとした良い演技だった。

しかし伊右衛門女房、すごいタヌキババア(素直)。この段ってすごく難しいニュアンスがあると思うんですが、このお姑さん、もとからこういうキャラなんですかね。千歳さん&簑二郎さんの演じ方だと、単に嫌な、陰湿なお姑さんではなく、『仁義なき戦い』の山守組長(金子信雄)的なひねりのあるキャラですよね。ちょっとチャーミングな。現実的に考えると、このお姑さん、性根が曲がっていて、お千代をなぜ嫌っているかというと「嫌だから嫌」、気に入らないところがないから逆に嫌なんだと思いますけど、そういくとマジでド悲惨な暗い話になっちゃうからですかね。個人的にはそういう冷え冷えと凍りつくような人間の心の闇が見える話、好きなんですが……。「甥っ子ではなく赤の他人の半兵衛に店を継がせたという過去があるので、根が芯から曲がっているわけではない」という設定になっているので、ああいうお茶目な演じ方もすごくわかる。あとはこのお姑さんの使いこなし方(?)を夫も甥っ子も心得ているのが面白かった。「ど〜でもい〜」って態度丸出しで天秤棒をくるっと振って配達に出かけていく太兵衛が可愛い。お姑さんをうまくいなせないのは、根が真面目な半兵衛とお千代だけなのね。それが不幸の始まりか。

この段は千歳さん&富助さん。千歳さん、最近、語りがとても丁寧で良い! 『心中宵庚申』は人形が可愛すぎてありがたさのあまり2回観たのだが、千歳さん、1回目は若干お声が枯れ気味で心配だったけど、2回目に観たときのほうが声が落ち着いておられて良かった。やっぱり出だしからいい声で語ってもらえると気持ち良い。

ところで、店先に出ている二股大根がすごい二股大根だった。普通のおしとやかな二股大根ではなく、徳川女刑罰絵巻牛裂きの刑状態のダイナミックな開脚ぶりのやつで、大根だけあってすごい大根足、あまりの開脚ぶりにはじめ二股大根と認識できなかった。ほかにはすんごいゴロンとしたかぼちゃなどが置かれていた。しいたけは蔵で育てているそうです。江戸時代はしいたけ農家はなかったのか? それともしいたけ、すぐ傷んじゃうのかしらん。

 

 

 

道行思ひの短夜

今夜は宵庚申。夜明かしで庚申参りをする人混みに混じり、死に場所を探して彷徨う二人は生玉社前にある東大寺大仏殿の勧進所へとたどり着く。いままでの人生を振り返り、一見商売はうまくいっていても心の内は苦しいことばかりだった上、最後は愛する妻を道連れにして心中せざるを得なくなった自分たちの身の上を嘆く半兵衛。お千代もかざされた脇差を前に、産んでやることができなかったお腹の子の不憫さに泣き伏せる。夜明けが迫り、ついにお千代を一突きにする半兵衛。半兵衛は辞世の句を詠み、武士の出らしく切腹して、お千代の遺骸を抱いて果てるのだった。

主役二人が登場する前に、庚申参りの若者カップル〈娘=吉田簑紫郎、若男=吉田玉勢〉が出てくるのだが、この子たちが高校生カップルみたいで可愛い。意図してそうやっているかはわからないけど、なんだか微妙に浮かれていて、所作が子供っぽくて可愛いんだよね。娘のほうがこけるところで優雅にこけられないところが未熟な小娘っぽくて良いんだよ……。若者よ、頑張って……(T_T)という気分になった。私、簑紫郎さんや玉勢さんより年下ですが……。

そんな高校生カップルが去ると、暗い表情ながら透き通るような空気感をまとった主役カップルが入ってくる。お千代の死に際は壮絶。怖すぎる。死に際に異様なこだわりをお持ちの勘十郎さんがやってるからなんだけど、やっぱり心中って綺麗事ではなく、刺されて死ぬわけだからすごい苦しみだよね。と思った。

半兵衛が辞世の歌を短冊に書きつけるとき、口にくわえた矢立(筆入れ)からしゅっと筆を引き抜く場面、どうやって口に矢立をくわえさせているかよくわからなくなった。初代吉田玉男文楽藝話』をひらくと「筆に栓がついていて、それを口に差し込む」「小道具さんが改良してくれて、上手に引っ掛けられるように工夫されている」と書かれているが、何をどうしていたかは全然わからない。1回めに観たときは半兵衛、引き抜く途中で矢立ごとおろしていたんだけど、2回目は矢立を口にくわえたまますべて引き抜いていた。

そして、刺されたあとのお千代。普通、人形って死ぬと人形遣いは人形を置いて場を離れるが、この間お千代の人形遣いは半兵衛が死ぬ(幕)までかがんでその場で待っている。半兵衛が辞世の句を書いたり、切腹の支度をしている時間は長いんだけど、それまで待っているというのは死ぬときは夫婦一緒という表現なんだろうな。

 

いや〜、『心中宵庚申』、良かったですわ〜。夫婦のあいだに通じ合うしみじみとした情愛を感じた。それも、わざとらしい説明のようなそれではなく、すごく自然な人間らしい感情という印象で……。話が途中から始まるので、この夫婦がどうしてそこまで通じ合っているかはまったくわからないのだが、その前段がなくてもすぐにすうっと世界に入っていけた。他の人がどうあろうと、2人の世界がちゃんとそこにある印象。文楽って浄瑠璃そのものが主体とは言えど、出演者のパフォーマンスによって感じ方が大幅に変わるものだなと思った。

 

 

■ 

可愛いプロモーション用写真。お仕事モードでカメラ目線の玉男様と、半兵衛ラブ心がほとばしる勘十郎様。

  

 

 

 

紅葉狩。

その武勇で知られる平維茂〈吉田文司〉はある夕刻、時雨に錦深まる信州戸隠山を訪れていた。維茂が紅葉を楽しんでいたところに幔幕を張った一角に気づき、さぞや高貴な人であろうとその場を立ち去ろうとすると、現れた美しい姫君・更科姫〈豊松清十郎〉とその腰元たち〈吉田紋秀、吉田玉誉〉が彼を呼び止め、酒を振る舞う。維茂が姫の舞を見ながらまどろんでいると、いつのまにか姫とその一行は姿を消してしまう。やがて日が暮れ、維茂の夢の中に山神〈桐竹紋臣〉が現れて彼の身に迫る危機を知らせ、目覚めるように促す。維茂が山神の警告にはっと目を覚ますと、すさまじい山颪とともに鬼女が姿を現す。姫の正体は、維茂に討たれた仲間の仇をとるべく彼を狙う鬼女であった。妖しい秘術で維茂に迫る鬼女だったが、維茂の武勇と名剣の威徳によりついに滅ぼされた。

いろんな人が踊るのが楽しい作品だった。全員出遣いの更科姫の踊りは結構長くて大変そう。榊のついた長い杖を持った山神のリズミカルな踊りが良かった。童子の姿だが威厳と上品さがあり、さすが神だと思った。

後半の人形が鬼女になったときの清十郎さんの雲模様のド派手着付、北九州の成人式のヤンキーみたいで、清十郎さんに似合ってなさすぎて爆笑した。にっぽん文楽の『増補大江山』で簑二郎さんが着ていたときはとくに違和感なかったんだけど。何が違うんですかね。そして清十郎さんて清楚な姫か透明感のある若い貴人役のような、線の細い芝居のイメージがあったが、毛振りの演技なかなか良かった(ウエメセ)。一発でちゃんと綺麗に回しておられました。本当、片腕だけであの人形のかしらの重量を持ち上げるのは大変だと思う。人間が頭を振ってるのでは表現できない摩訶不思議な印象があった。

 

 

 

 

開演前に大阪観光で大阪城へ行った。城内の近代化度がすごすぎたのと(エレベーターで登れるというのがまずすごい)、敷地内でおそうじの人が落ち葉アートを作っていたり、ミミズクや派手な鳥さんが飼われていたり、お堀に観光客の乗れる御座船が浮かんでいたりの観光充実度に仰天した。さすが大阪、サービス精神が突き抜けていると思った。

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文楽 にっぽん文楽in上野の杜『花競四季寿』万才・関寺小町/『増補大江山』戻り橋の段 上野恩賜公園

組み立て移動式舞台による屋外公演シリーズ、今回は上野恩賜公園の噴水広場(国立科学博物館上野動物園の間のスタバの前らへん)。

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屋外公演という形態上、雨天中止となる公演だが、天気予報を確認したところチケットを取った回が雨になる可能性が高かったため、急遽予定を調整し雨の降らないであろう時間帯の回に当日券で行くことに。……と思って上野に着いたらポツポツと雨。これは降ってない!降ってない!とばかりに会場へ向かい、当日券の列に並ぼうとしたら、会場前にいた野次馬らしき知らん人に「気の毒に」と言われたのが衝撃的だった。さらには開演直前になって小雨が降り出し、観客は会場で無料配布されたカッパを着て鑑賞することに。人間はカッパを着ればよいけど(よくないけど)、屋根付き舞台とはいえ三味線さんと人形さんは可哀想。それでもやってくれるというお気持ちは嬉しかったけど、ことに三味線さんはお嫌だろうなと思った。

 

 

小雨けぶる中、まずは『花競四季寿』より「万才」。

正月の門付けをして回る太夫〈吉田文昇〉と才蔵〈吉田玉佳〉の姿を描いた景事。太夫と才蔵のやりとり・所作がほのぼのと可愛らしく、くしゃみとかしててメチャカワ。太夫が微妙にめんどくさげな才蔵の手を引いて入ってくるのもキュート。その愛くるしさはまるで絵草紙を見ているようだった。いちばん可愛かったのが、才蔵が小道具を持ち替えたときに帽子に道具が当たって前へずれてしまったのを、左遣いさんが人形の左手を使ってちょこっと位置を直してあげてた点。萌え絵の美少女キャラがするような仕草だった。髪をさばく場面のある武士の人形も時々まゆ毛に髪が引っかかって髪型がグシャッたりするけど、そんなとき左遣いさんが「ふぁさっ!」とバブル期のOLのように髪の毛をかきあげたりしてあげてるよね。ああいう仕草にキュンとくる。

それと、千歳さんが大変丁寧に語っておられたのが印象的だった。「関寺小町」と「増補大江山」がメインディッシュだよな〜と思って「万才」はまずは気楽にと思って観ていたので、とても丁寧に語っておられることにびっくりした。先述の通りにっぽん文楽は屋外上演のため、上演中でも怪鳥の鳴き声(動物園から聞こえてきてんのか?)やマイクに入るノイズなど雑音が多くて劇場上演より気が散るのだが、そんな悪環境にも負けずひとことひとこと丁寧に語っておられた。本公演でもこんなに丁寧に語ってたっけと思うほどだった。

 

 

 

続けて「関寺小町」。このあたりから雨が上がってカッパのフードを外せたので、義太夫を心地よく聴くことができた。

ウタイガカリというのかな? 謡曲風の語りに乗せ関寺小町〈吉田和生〉がゆっくりとした小股の足取りで小幕から現れると空気がさっと変わり、周囲の雑音がすうっと消えて、冷たい風の音とすすきの穂のこすれあう音だけが響く無人のすすきの野原であるかのような錯覚が起こる。老婆はわずかに首をかしげる程度の動きしかしないのだが、そこには華やかな才女であった往年の姿から今の境遇を含めた彼女のすべて、万感の想いがにじむ。レトリック上の誇張でなく、それが自然に表現されていると感じた。そして、彼女がわずかに空を見上げたとき、偶然上空を通りかかった(?)カラスが「カア!」と鳴いたのがミラクル。カラスを鳴かすほどの芝居、ある意味屋外上演の醍醐味。上演時間そのものはごく短いのだけれど、ゆったりとした気分になれる、すばらしい時間だった。

そして、これも千歳さんの大変丁寧な語りが印象的だった。屋外上演は太夫さんにとっては語りづらいだろうに、お疲れ様でした。

 

 

 

ここでレクチャーコーナー。

今回は床パートの解説で、睦さん&錦吾さんがお話をしてくださった。とても好感の持てる解説だった。おふたりともメッチャ緊張されていた。睦さんが語り分けの説明のために忠臣蔵の裏門をちょこっと語っていたのだが、睦さんはどういうシーンなのか特に解説していないのに、振られた錦吾さんがアガりすぎて(?)「腰元おかると勘平が……」と内容をわかっていないと何言ってんのかわからん話を突然はじめたのはちょっと笑った。個人的に、三味線の解説の、「三味線の弦の絹糸は黄色く染められている(←なぜ染められているかの話は忘れた……)」というのと「駒に入っている鉛が義太夫用の太棹三味線の特徴、演目によって駒を変えていて、その重さによって違う音を出せる」「三味線自体の重さは3kgくらい」という話が勉強になった。

 

 

増補大江山、戻り橋の段。

ある夜、源頼光の四天王のひとり・渡辺綱吉田玉男〉が京都一条の戻り橋にさしかかると、そのたもとに美しい娘・若葉〈吉田簑二郎〉がひとり佇んでいた。夜分にどうしても五条まで行くという娘を連れて綱が橋を渡ろうとすると、川面には恐ろしい鬼の姿が映っていた。道中、綱は扇折りの娘だという女に舞を舞わせ妻に娶るというと、娘はお慕い申していたと、名乗っていなかったはずの綱の名を告げる。彼女の正体はかねてより頼光の命を狙う、大江山に住む鬼であった。

娘の人形は仕掛けのあるかしら=ガブになっていて、時々、黄金の目とツノを持ち口が耳まで裂けた鬼女の顔にクワッと変化する。浄瑠璃の詞章だけ床本で読むと、最初の橋のところで水面に鬼の姿を見るのは綱の幻覚とも取れると思うけど、舞台では本朝廿四孝の奥庭のように実像は人間・鏡像は魔性を表現するような水面のセットはなく、橋はあっても水面は見えないセット。橋の上の場面では衣をかついた娘のかしらを鬼に変化させて詞章の内容を示し、客には早い段階で若葉が鬼とわかるようになっている。逆に気配を察した綱がギョロリと横目に娘の姿を凝視する場面も(めっちゃウケてました)。

そして古びた社の前で綱に詰め寄られた女は鬼の本性を顕す。娘の正体は打杖をたずさえ灰色の長い髪を振り乱す、大江山の鬼。ここからはかしら自体も変えて本当に鬼女の姿になる。この話、歌舞伎からの移入らしいけど、文楽人形でやるの大変ちゃう!?!?!?!? 舞踊で連獅子とか鏡獅子みたいな髪の毛を回すやつ*1あるやん、簑二郎さんがあれやってた!!!!! はじめはうまく回ってなくて何がしたいのかなーと思っていたけど、だんだんちゃんと回ってきて、ドラム式洗濯機状態になっていた。鬼の髪は相当長く&分量が多く、人形遣い自身の体は動かさず、かしらを持っている左手だけであれを回すのはかなりきついと思う。簑二郎さんがあんなに活発に動いているのを初めて見た。これまでは特に印象がない人だったが、すばやい動きのときは普通に切れがあって、思っていたよりすばやい人だった。若菜の舞も前半はどうかなと思ったけど、メリハリのつく後半はよかった。若菜は人形遣い・人形とも衣装の早変わりもあり、大忙し。綱の衣装は普通に文楽っぽいんだけど、鬼女の持ち物や衣装は打杖と言い、装束のかたちといい、能のそれっぽくて面白かった。

雷光閃く雲の上での格闘では、高い手摺を外してかなり低めの手摺に変えていたので、人形遣いの足元まで見えて人形にもなかなか迫力があった。しかしこの話、夜の公演で見てみたかったな。それを期待して当初は夜の回のチケットを取っていたんだけど、その回は雨天中止になってしまった。夜闇の中のガブのかしらを見てみたかった。残念。

床は初回だけあってか掛け合いのテンポが合っておらず、両者とも食い気味でちょっとちぐはぐだったかな。それについていくため人形さんがだんだん反応が速くなっていくのにちょっと笑った。でも、大変がんばっておられたのはよくわかった。がんばりすぎて食い気味になってるんだろうね。

 

 

 

今回のにっぽん文楽は悪天候に見舞われ、ほとんどの回が中止になってしまったようだが、なんとか1回観られてよかった。

このイベント、主催者側のホスピタリティの方向性がビジネスイベントみたいな雰囲気なのはちょっと文楽に似合わないけれど、そのぶん金あります感がすごいというか、単発公演ながら舞台美術に金かかってるので見応えがある。

また、この公演は完全自由席制で早いもん勝ちという今時なかなかないすごい制度なのだが、今回は当日券を買うため開場50分前(開演1時間50分前だよ……)に行ったため、かなりの前列が確保できた。というか、行くのが早すぎて、会場着いた時点で列すらできてなかったくらいだった。次回また行く時は2時間前くらいに行けば1列目取れるなと思った。普段は森羅万象に並ぶの大嫌いなんだけど、我ながら頑張った。歌舞伎座の幕見に並んでる人は本当にえらいと思う。

あと、この公演、上演中も飲食可なんだけど、やっぱり待ち時間が長すぎてみんな上演前にあらかた食い終わっちゃってるね。上野だと周囲にテイクアウトの食い物売ってるところもないし。ただ、今回は日本酒の「文楽」が会場内にブースを出していて、小瓶の「文楽」の和生さん筆の特製ラベル版を販売していた。それは結構みんな飲んでいて(パンフレットかって勢いでまじみんな買ってた)、私も隣の席の知らん人から一杯どうですかって勧められました。

 

 

 

ところでにっぽん文楽を観た翌日、国立劇場の歌舞伎公演『霊験亀山鉾』を観に行った。久々に歌舞伎観たのだが、人間、くそでかくてびびった。人間、めちゃでかい。あまりにでかすぎて、帰ってから思わずニザ様の身長を調べた*2。人間、まじでかい。

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*1:「髪洗い」と言うそうです

*2:ネット情報によると177cm。人形遣いでもでかい人いてますけど、普段あんまり人間自体は見てないし、舟底があるせいで身長よくわかんないので……

文楽 10月地方公演『桂川連理柵』神奈川県立青少年センター

10月の地方公演は横浜公演の昼の部『桂川連理柵』だけ行った。

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六角堂の段。長右衛門の妻・お絹〈吉田勘彌〉が六角堂へお百度参りに来ている。ポッポポッポ。そこへ義弟・儀兵衛〈吉田幸助〉が現れ、長右衛門とお半の仲をちらつかせてお絹を脅迫してくるが……ポポッ。

儀兵衛のウザさがすごい。なぜあんなにウザく生きていられるのか。そして文楽人形特有の膝とか肩に顔をこすりつけてくワンコめいた謎のセクハラ。あらゆる演目で気になることだが、あの謎のセクハラの度合いはアドリブでやっているのだろうか。時々やりかたがまじでキモい人がいるのが気になる。される側の演技で言うと、去年観た『伊勢音頭恋寝刃』で岩次(玉輝さん)にセクハラされるお紺(簑助さん)がものすごい勢いで顔をそむけ、メッッッッッッッッッチャ嫌そうな顔をしていたのが印象的だった。人形だから顔は変わりませんが、そう見えたんです。

 

 

 

帯屋の段。儀兵衛とその母・おとせ〈吉田簑一郎〉は長右衛門を陥れ、家督を横取りしようと画策していた。2人は帰宅した長右衛門〈吉田文司〉に消えた為替の行方を詮議し、さらにはお半からの恋文を読み上げる。義父・繁斎〈桐竹勘壽〉もそれには助け舟の出しようがなかったが、お絹は……。

しょっぱなから恐縮だが、長右衛門役の文司さんの「隣のおじさん」感はんぱねえなと思った。話の内容はスキャンダラスなのに安心してしまうのはなぜだろう。地方公演のリラックスした空気によるものだろうか。それとも文司さんの癒しオーラによるものか。

詮議の証人(?)として呼び出された隣家の丁稚長吉〈吉田清五郎〉と儀兵衛のやりとりはしつこすぎだけどかわいい。長吉がアホすぎて手紙本文の詮議にいくまでにかなり時間がかかる。儀兵衛に「まあまあその洟から片付けてくれ。アゝきたな。すゝりこんでしまいよったがな」と言われる長吉の鼻水(鼻からなんか出てる)はかしら自体に仕掛けがあるらしいが、一瞬で消えたのでよく分からず、その鼻水が小さいきゅうりみたいで面白かった。個人的にはすすったというより持っていたはたきで拭いたように見えてそれはそれで不気味だった。お絹が長吉にいくら渡したかはわからないが、小遣い程度の金であそこまでいうこと聞くのはほんまアホなんやろなと思った。

そして夜更けになってチョロンと現れる、一輔さんのお半のそこはかとないおぼこ感がすごかった。おぼこ娘をやらせたら日本一になる人かもしれないと思った。おなじお師匠様についている女方の人で、おなじような人形を持っていたとしてもまったくおぼこには見えない人もいるのが不思議。そのへんはやっぱり人形遣いご本人の持っている「佇まい」によるものでしょうか。

あと、清治さんが頑張っておられてびっくりした。呂勢さん以上に頑張っておられたのではないだろうか。清治さんにはすさまじいバイタリティを感じる。

 

 

 

道行朧の桂川。お半を背負った長右衛門が桂川の川岸に現れる。長右衛門は自分だけが死ぬのでお半には生き残って欲しいと頼むが、お半は聞き入れない。

なんだろうこのほのぼのとした感じは……。普通におじちゃんと女の子が川に来ました^^的な……。 長右衛門が幼い女の子に慕われそうなおじちゃんというのはよくわかりましたが(そのニュアンスはむちゃうまい)、とても心中しそうにないこのナチュラル感あふれる空気……。いや「この人ら心中せんでしょ」な人らはいままでも見てきたし、ひどい場合はド他人同士にしか見えない場合もあるのでここでだけ取り立てて言うのも申し訳なく(ド他人になってる場合は逆にここには書けない)、許容範囲ではあるのだが、なんかほっこりしちゃったんで……。床は浄瑠璃の内容通りのそのもの、思い詰め感を表現していたと思ったけど、人形のほのぼの感とがアンバランスで不思議なことになっていた。

 

 

 

中堅でがんばるぞー!という感じの回だった。

文楽では普通に考えて絶対ありえない非常識な話が芸の力によって説得力を持つというミラクルが時折発生するけど、そこまでうまくいくのはなかなか難しくて、複雑に要因が絡み合っているんですね。

個人的にはお絹役の勘彌さん目当てでチケットを取ったため、お絹の見せ所はそことは別なのでそれはそれでいいのだが……。お絹は細面の健気なエロ奥さんな佇まいがあってよかった。

ところで今回上演前解説で「劇中の内容に遠慮なく反応してください」的なお話があったが、客席が相当静かな会場でもあったのでしょうか。

 

 

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文楽 中之島文楽『冥途の飛脚』道行相合かご/『ひらかな盛衰記』逆櫓の段 大阪市中央公会堂

中之島文楽大阪市中央公会堂で上演されるビギナー向けイベント公演。

溝口健二の映画『浪花悲歌』でヒロインが四ツ橋文楽座で文楽見物するシーン観てから一度近代建築のホールで文楽見てみたいと思っていたので、短時間の単発公演だけど関西出張してきた。

大阪市中央公会堂は大阪を代表する近代建築。外観だけは以前見たことがあったが、今回は「大集会室」での公演だったため中に入ることができた。オペラハウスのような壮麗な内装で、高い天井から下がるモダンなデザインのシャンデリアやステージを飾る豪奢な舞台額縁が美しい。二階のテラス席もロマンチック。京阪神の近代建築はやっぱエエですわ。

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第1部は初心者向けガイダンストークショー。私も初心者だが、そこまで「文楽といえば敷居が高い」的な仮想の一般論に寄せなくていいんじゃないと思った。少なくとも今回は金払うて来てる客相手だし、とくに大阪公演は敷居かなり低いと思うが……。むしろあれより下がることってありえるのか???

個人的な所感としては、文楽まったく知らん人に文楽について話して関心をもっとも抱いてもらえる話題は「文楽人形浄瑠璃の一種」ということと「文楽世襲ではない」の2点で、前者はみんながモヤっとよくわからない基礎知識なのでシンプルにへ〜っと思ってもらえて、後者は好感を持ってもらえる(敷居が下がる)印象がある。世襲ではない点は後述の玉翔さんからお話があったけど、そのあたり話して敷居下げるのはアリだと思う。

 

司会とゲストによる簡単な概要解説の後は玉翔さん(大元気)による人形解説。大変元気に解説しておられた。こういう人形体験で人形遣いさんがよく「はいっ、そこで足拍子っ!」と突如指導してくることがあるが、足拍子って言われてもどうしたらいいかわからん人が多いのではと思う。事前に上演してるわけでもないし、人形が足音を立てること自体を知らない人が多いんじゃないかな。私は実際に見るまでは人形が足音を立てるって知らなかった。だってなんだかんだ言ってあいつら宙に浮いてるし。

あとは人形解説にアシストで入っていた玉彦さんが突然話を振られ、何故文楽に入ったのか聞かれたときの答えがおもしろかった。ご本人ははじめから文楽をやりたかったわけではなく、きっかけはお母様が文楽好きだったことだそう。お母様は喜んでおられるそうです。よかったね〜。玉翔さんも入門のきっかけは親御さんの影響だったと思うが、そういう方意外と多いのかしらんと思った。それと、どうでもいいんですが途中玉翔さんが何故か袴のすそをたくし上げていて、袴の下ってそうなってるんだ〜と思った。

 

 

 

第2部は文楽公演。口上の人がいつもと違うなー、口調めっちゃ慣れきった感じでお声が結構歳いってない? どなた? と思っていたら、サプライズ出演だったらしい。

 

1本目は『冥途の飛脚』道行相合かご。

なんでいきなりこれ!? 意味わからんやろ!? 出演者問題があるのはわかるけどせめて新口村にすれば!? と思いつつ、かごから下りた忠兵衛〈吉田玉佳〉のすっとした儚げな立ち姿が美しくて良かった。

 

2本目『ひらかな盛衰記』逆櫓の段。

これ目的で来たものの、逆櫓と言ってもどこからどこまでやるのと思ったらものすごい勢いでカットされていて、船頭〈吉田玉勢・桐竹紋吉・吉田玉誉〉が松右衛門〈吉田玉男〉を逆櫓の稽古に誘いにくるところから沖に出て逆櫓を教え、松の前で立ち回りを演じるところまでの15分程度だった。

でも内容自体は大満足。睦さん&宗助さんの床が良かったし、何より玉男さんの樋口がとても男前だった。短時間でも樋口の人物像がキッチリわかり、髪をさばいてかしらを振る仕草、ぴっと凛々しくターンする姿勢などがキリリと決まっていた。樋口の出で舞台の雰囲気がぱっと変わったのが印象的(特急券分褒めます)。9月東京公演の玉男様は出演時間の9割じっ…………………………………………としておられたので、動く玉男さんを見られてよかった。できれば松には登って欲しかったです……。

あと、樋口のぽんぽんがふかふかしてそうで、つっつきたくなった。

逆櫓のセットは赤坂文楽のように哀しさ余って前衛100倍的な感じではなく、松右衛門宅、海、船、松、ぜんぶ立派なセットがちゃんとあった。松は福島にあるという逆櫓の松趾にある変な松をモデルにしすぎたのか枝ぶりが悲しげで、杉みたいだった。

 

 

 

そんなこんなで短時間の上演だったが、逆櫓には大満足。

上演は本公演同様字幕付きほか人形のライブスクリーン付き。アーチ状になっている舞台額の上半月部分に字幕とライブ映像を投影しているんだけど、個人的には逆櫓は人形を肉眼で見てるほうが良いかなと感じた。人形の動きに大きな迫力があり、ステージから遠い席でも十分見応えのある演技だったと思う。ライブスクリーンももう少しカメラさんが演技をうまく追ってくれると良いんだろうけど、人形が次になにするかわからないとなかなか難しいようで、寄り引きがおかしいところがあった。

解説パートに関しては、鑑賞教室もそうなんだけど、演目のあらすじそのものをもうちょっとしっかり説明したほうが実際の上演を楽しめるように思う。国立能楽堂が毎月行っている普及公演だと開演前に30分解説タイムがついていて、そこであらすじと原作・史実、装束や舞などの見どころ、よく聞いておくべき詞章を教えてくれる。どこに注視すればよいかを明示してくれるので、はじめて知る曲でもどこをどう見ておけばいいかわかるし、見終わったあと自分の中でまとめやすく、自分で復習するときの参考資料も探しやすい。個人的には、ああいううふうに今から始まる話自体への具体的なみどころ説明があるほうが見易いように感じる。

あとこのイベント、先に配役教えて欲しいな。私は「玉男様が樋口」ということだけ聞いてチケットを取ったんですけど(後に玉佳さんが忠兵衛という情報をゲット)、梅川が誰かわかんないまま会場来ました。梅川、簑二郎さんでしたわ。床も開演してはじめてわかった。これに限らず、地方等の単発公演だと配役が発表されないことがあるけど、人形ならせめて主要登場人物の配役はあらかじめ教えて欲しい。

 

 

大阪市中央公会堂

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終演後の人形グリーティング。トークゲストに「落武者ですか?」と言われてしまったお人形さん。と玉誉さん。

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  • 『冥途の飛脚(めいどのひきゃく)』道行相合かご
  • 『ひらかな盛衰記(ひらがなせいすいき)』逆櫓の段
  • 太夫:竹本三輪太夫、豊竹始太夫、豊竹咲寿太夫/豊竹睦太夫
  • 三味線:鶴澤清友、鶴澤友之助、鶴澤燕二郎/竹澤宗助
  • 人形:吉田簑二郎、吉田玉佳、吉田玉彦、吉田玉路/吉田玉男、吉田玉勢、吉田玉誉/吉田玉峻、吉田玉延、吉田玉征、吉田和登
  • http://www.enjoy-bunraku.jp

 

 

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文楽 9月東京公演『玉藻前曦袂』国立劇場小劇場

第2部を観劇する日の朝、中平康監督の『才女気質』(日活/1959)という映画を観に行った。京都の表具屋一家の人間模様を描いた作品で、途中に南座文楽見物をするシーンが入っている。そこで上演されているのは『生写朝顔話』大井川の段、出演は竹本南部大夫、野澤八造、吉田栄三。朝顔が大井川の標柱にしがみつくあたりから段切れまでが入っており、三味線の手元や床の二人アップ、人形の背後からのショット、客席(下手桟敷席)からのショットが織り交ぜられ、映像的にも見応えがある。しかし衝撃的なのは義太夫のうまさ。人形の映像がOFFになっていても義太夫はずっと流れ続けているのだが、それがうますぎてまじびっくり。記録映像や音源でむかしの名演を聴いたことはあるけど、映画館の大音量で聴くとよりすばらしい。今後、私がこのような義太夫を生で聴ける機会はあるのだろうか。残念だがおそらくないのではないか……。そう思うとテンションが激烈下がった。そして、上演まではそう思っていたのだが……

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清水寺の段。

謀反を企てる鳥羽天皇の兄・薄雲皇子〈人形役割=吉田玉也〉は着々とその準備を進めていたが、懸想する桂姫が何度召しても応じないことに不満を抱いている。桂姫が思いを寄せていたのは、実は陰陽頭・安倍泰成の弟、采女之助〈吉田幸助〉だった。皇子は家臣・犬淵源蔵〈吉田勘市〉に、鷲塚金藤次を姫のもとへ遣わしてこれ以上従わないならば首を討ってこいと命じ、方丈へと去っていった。やがて薄雲皇子と入れ替わりに桂姫〈吉田簑二郎〉が清水寺を訪れる。姫は来合わせた采女之助に恋しい胸の内を訴えるが、采女之助は取り合わず、現れた犬淵が彼女を連れ去ろうととするのを追い払うのだった。

これは……、もう色々仕方ないのはよくわかっているのだが、床が……。いや、頑張っておられる方もいるのは重々承知で申し訳ないのだが、情景がマジ全っ然わからん! なんとかするか、上演しないかのどっちかにしてくれ! と思った。

 

 

 

道春館(みちはるやかた)の段、ここが一番の出色。

主なき藤原道春の館には、後室・萩の方〈吉田和生〉と二人の娘、姉姫の桂姫と妹姫・初花姫〈吉田文昇〉が暮らしている。初花姫は采女之助を想うあまり取り乱す桂姫を心配していた。桂姫は萩の方に呼び出され館を訪ねた采女之助に走り寄るが、采女之助は自分のことは諦めて入内せよとつれない態度で退ける。現れた萩の方は采女之助に何者かによって盗まれた獅子王の剣を奪還して欲しいと頼む。

そこへ薄雲皇子からの上使・鷲塚金藤次〈吉田玉男〉が訪れる。金藤次は萩の方に獅子王の剣か、皇子に靡かない桂姫の首、どちらかを差し出せと迫るが、獅子王の剣は差し出したくとも叶わない。萩の方は、実は桂姫は血を分けた娘ではなく夫婦の間に子どもがなかったことを憂いた道春が清水寺近くの神社参籠のおり五条坂で雌龍の鍬形とともに拾った赤ん坊であることを明かす。神から授かった子どもを殺すことはできない、妹の初花姫を身代わりにして欲しいと頼む萩の方だったが、金藤次は聞き入れず、どちらの首を差し出すかは二人の双六勝負で決めさせることになる。白装束で現れた二人の姫は互いを助けるため負けようとするが、勝負は桂姫の勝ちに終わり、喜んで首をさしのべる初花姫に金藤次は刀を抜く。ところが金藤次が斬り落としたのは桂姫の首だった。萩の方は憤り、長刀でもって金藤次に立ち向かうが、あえなく縁から蹴り落とされてしまう。それを影から見ていた采女之助が金藤次を刺すと、金藤次は苦しい息の中、ことの真相を語る。実は桂姫は金藤次の実の娘だった。かつて金藤次は東国の武士で、生国を追われ流れているうちに女房が女の子を生み、その子に雌龍の鍬形を添えて五条坂に捨てたというのだ。そして、獅子王の剣は仕官の条件として自分が道春館から盗み出したことを告白し、娘の首を抱いて嘆き悲しんだ。

そこへ帝からの勅使・中納言重之卿〈桐竹亀次〉が到着する。先の句会で初花姫が詠んだ歌が帝の目に止まり、玉藻前と名を改めて入内せよとの仰せ付けだった。萩の方と初花姫は喜んでそれを受諾し、姫は衣装を改めて玉藻前となる。

ここは床も人形も本当によかった。近くの席の男性が泣いていらっしゃったのも印象的。しみじみと美しく哀しい、すばらしい舞台だった。

奥の千歳さんは公演期間半ばだというのに早くもお声が枯れかかっていて、はじめは大丈夫か!?と思ったが、毎日ここまでの大熱演をされているのならお声も枯れようという次第。しかし、萩の方や初花姫の嘆きはその枯れかかった声が涙声の語りに相乗され、雰囲気のひとつになっていた。三味線も力強く素晴らしいものだった。いままで聴いた富助さんの三味線で一番良かった。登場人物のこころの動きがよくわかる演奏だった。出だしからここまでは正直「人形は良いんだけど、床が……」というのが否めず厳しいものを感じていたが、この千歳さん&富助さんには、きっとこれから文楽ですっごく良い浄瑠璃が聴ける、そう思わされた。

そして金藤次の人形! ほんとうにすばらしかった。いままでに観た玉男さんのしっとり系演技で一番よかった。前半の、こころのないような……、横柄で居丈高な振る舞いから一転し、采女助に刺されて髪をさばき、うつむいて過去を物語る姿には、長い間どうしているかと心に残っていた娘にやっと再会できたのもつかの間、名乗りもできず討たざるを得なかった金藤次の無念がよく滲み出ていた。派手な身振りはないが、うつむきかげんの表情の中に、ニュアンスと雰囲気だけで金藤次のこころのうちを伝えるすばらしい芝居だった。トークイベントでの玉男さんのお話通り、金藤次は桂姫が実の娘と知ってもすぐには表情に出さず冷淡なままであり、その悲しさに涙が出る。

ところで。文楽って同じ種類のかしらの人形が同じような衣装でおもむろに舞台に数人いたりすることがあるじゃないですか。あれ、まじで意味わかんなかったんですが、かしらというのはそれ自体で個性を出すものではなく、あくまで依り代である、アバターなんだなとこの段で突然思った。違いを見るのは語りや人形の遣い方。そういうことを感じた道春館であった。

 

 

 

神泉苑(しんせんえん)の段、廊下の段。

玉藻前として入内した初花姫は帝の寵愛を受け、多くの人に傅かれる日々を送っていたが、哀れ魔風とともに到来した金色九尾の妖狐〈桐竹勘十郎〉に食い殺されてしまう。妖狐が玉藻前の姿に変じ、御殿の奥へと進もうとしたところにかねてより彼女に目をつけていた薄雲皇子がしつこく口説きにやってくる。妖狐は自らの正体がかつて天竺と唐土を滅ぼそうとした老狐であることを明かし、皇子の謀反の企てに魔力をもって協力するかわり、成就ののちには日本を魔界とすることを持ちかける。それには八咫の鏡を穢すことが必要であり、ただひとつ恐れるのは獅子王の剣であると語る。皇子は鏡も剣もすでに落手していると語り、二人は御殿の奥へ消えてゆく。(神泉苑の段)

御殿の廊下では帝の寵愛を失った皇后・美福門院〈吉田清五郎〉と上臈たち〈菖蒲前=吉田玉翔、葛城前=吉田玉誉、千歳前=桐竹勘次郎〉が玉藻前の殺害を企てていたが、灯明を吹き消す一陣の風とともに現れた玉藻前は妖しい光を放って周囲を真昼の如く照らし出し、皇后たちを遠ざける。(廊下の段)

娘の貌と狐の貌、玉藻前の人形の両面のかしらの変化があまりにスムーズすぎて何が起こったかよくわからず客席全体???????となり、拍手がワンテンポ遅れていた。顔だけ狐になる変化には二通りがあり、前後に違う顔のついたかしらを使って髪をさばくと同時に顔そのものを変える「両面」のパターンと、娘の顔の上に狐のお面を下ろす「双面」のパターンがあった。「双面」のほうは『摂州合邦辻』の映像で観たことがあるので仕掛けはわかるが、「両面」のほうはまったくわからない。いや、仕掛けそのものはわかっているが、180度回してますと言われても回してること自体がわかんないんですけど……。なお、さいきん買った参考書『文楽のかしら』によると、「双面」の娘の顔は普通の娘のかしらと違い、つり目つり眉(狐眉)に描くそうです。

↓勘十郎様FaceBookに変化の動画がアップされています。 (音声あり注意)

ただ、この段のみどころはそういったいかにもケレンな部分だけではない。人間のときの玉藻前(文昇さん)と妖狐が変じた姿の玉藻前(勘十郎さん)、双方ともおなじ役ではありながら全然雰囲気が違っていて驚き。姉姫の死の悲しみに暮れるあどけない少女のような人間玉藻前からは一変、妖狐玉藻前は飾り糸のついた檜扇の扱いも堂に入った悠々たる艶姿。鷹揚な身振りも麗しい。今回の『玉藻前曦袂』は「化粧殺生石」が目玉のように喧伝されているけど、先の「道春館」は当然として、妖狐の演技ならばこの「神泉苑」が見どころではなかろうか。皇子と密談を交わす玉藻前の老獪で妖しい高貴さには魅入ってしまった。勘十郎さんってあまり身分の高い役を演じることがないからよくわからなかったが、こういう捻れた気品ある役も良いですね。ああとにかく一刻も早く『シグルイ』が文楽化され、勘十郎様が伊良子清玄を演じてくださることを祈るばかりなり。

 

 

 

訴訟の段、祈りの段。

病に伏せる帝に代わり政を執り行っていた薄雲皇子だったが、水無瀬へ御遊に出かけた折に連れ帰った遊君・亀菊〈吉田勘彌〉を寵愛し、昼夜かまわず酒色に溺れる日々を送り政治を怠っていた。亀菊を女御として披露したいという薄雲皇子に、男の心は変わりやすいと傾城の姿を解かない亀菊。皇子は心変わりをしない証にと八咫の鏡を彼女に預け、訴訟の裁きをも任命した。亀菊は早速内侍の局〈桐竹紋秀〉と持兼の宰相〈吉田文哉〉の金の貸し借り、下女お末〈吉田簑紫郎〉と右大弁〈吉田玉勢〉の色恋沙汰を粋に裁いていく。(訴訟の段)

訴訟は陰陽頭・安倍泰成〈吉田玉輝〉の番になる。泰成は帝の病の原因を玉藻前、その正体は金色九尾の妖狐であると訴えるが、同席していた玉藻前は証拠不十分と反論し、亀菊も玉藻前の言葉を受けて泰成の訴えを退けた。泰成はそれでは帝の病ご平癒のため祈祷をしたく玉藻前を弊取の役にと願い出る。これには玉藻前も了承し、殿中へと去っていく。亀菊が一人になると、泰成の使い・采女之助が姿を現した。亀菊は薄雲皇子から預かっていた八咫の鏡を采女助に渡す。実は彼女は帝派、泰成の密偵だったのだ。ところがそこへ薄雲皇子が現れ、裏切りに憤って亀菊を刺す。なんとか采女助を逃し、皇子に改心を願う亀菊だったが、彼の決意は変わる事なく、亀菊は息絶える。

一方、禁中にしつらえられた祭壇では帝の病平癒の祈祷が始まっていた。壇上からわたしを化生の者と言うならばその証拠を見せてみよと嘲る玉藻前に、泰成は携えていた獅子王の剣を抜いて掲げる。その剣の威徳の光に玉藻前は憤怒の形相を顕して、日本を魔界にできずに終わる無念を語り、妖狐の姿に変じて虚空高く飛び去っていった。(祈りの段)

御殿に現れる突然の傾城!!!!!! 突如始まる傾城裁判!!!!! めっちゃ国傾いとる!!!!!!!!!!!

亀菊、ハチャメチャに浮いていてちょっと笑った。紅葉散らしたる打掛の、豪奢な衣装に身を包んだ亀菊はとても可愛く美しいんですけど、とにかく唐突感がすごい。いやそういう話なんだけどとにかく激浮き。禿〈文字野=吉田簑悠〉に身の回りの世話をさせ煙管をふかし、ゆったりと首をかしげる。亀菊には不思議な華美さがあり、清楚なたたずまいで首をわずかに動かすたびにちゃりちゃり揺れて輝く簪が印象的だった。そして、勘彌さんが遣っているからか、亀菊は可憐な非処女というこの世ならぬ魔導生物的な何かになっていて、とってもよかった。こういう芝居ならではの現実味のないキャラを演じられるのは女方人形遣いさんでもごく一部だなと思う。次々出てくるどうでもいい訴訟(というか人生相談)の原告の人々も面白い。

獅子王の剣を突きつけられた妖狐が飛び去るところは宙乗り国立劇場小劇場はステージが狭いせいか、なんかほのぼのしていて可愛かった(?)。

 

 

 

化粧殺生石(けわいせっしょうせき)。

那須野原に飛来し、巨石「殺生石」と化した妖狐だったが、その禍々しい妖気は近づく者の命を奪い、草木を枯れさせていた。長い年月が流れる中、殺生石に閉じ込められた妖狐の霊魂は夜な夜な様々な姿に化け出でて踊り狂う。

この段はこれまでのストーリーから完全に切り離された景事。妖狐がコスプレ……もとい「七化け」を見せるお楽しみ会。

妖狐は、たんこぶのあるおもしろ「座頭」→うぶエロい「在所娘」→突然のおっちょこちょい「雷」さん→祭りの提灯みたいなのを掲げた「いなせな男」→こう見えても純朴で身持ちの固い「夜鷹」→おたふく顔が可愛らしいほっこり「女郎」→おおらかな「奴」さん→玉藻前と早変わりで変化してゆく。個人的には雷さんといなせな男が良いと思ったな。雷さんは四肢ののびのびとした動きがよかった。

イメージの違う役を巧くぱっぱっぱっと次々遣い分けてていくのが見どころだけど、勘十郎さん、余裕あるな! 悠々とやっておられるように見えた。実は私の席からは早変わりの仕掛けが一部見えてしまっていたのだが、あせることなく落ち着いてやっておられるのがよくわかった。私がいままでに観た勘十郎さんの技術上の驚きとしては『本朝廿四孝』の奥庭が一番驚異的で(あれだけ速い動きで人形の姿勢が崩れないのは本当にすごいと思う)、これはあそこまでの速い動きではなく浄瑠璃のテンポに乗ってぽんぽんやっていくので余裕に見えるし、ほぼ舞踊なので見ている方も気負いなくヤンヤヤンヤと気楽に楽しめる。って、実際には絶え間なくずっと踊りっぱなしだし、勘十郎さんには珍しく汗をかいておられたので、本当はとても大変なのだと思うけど。

この段、戦後の文楽では演じたのが先代の玉男師匠と勘十郎さんしかいないのかな? 我がバイブル、吉田玉男文楽藝話』に1枚この七化けのところの舞台写真が載っているのだが、「イケメンが狐のぬいぐるみ抱っこしとる!?!?!?!?!?!?」状態で爆笑した。いや、キマりすぎてて笑えない。ほら、勘十郎さんは愛嬌あるお顔立ちだからさ(disってないです)。あの写真1枚でもこの本買う価値あります。イケメンが狐遣ってる絵面がまじすごいんで。

 

 

 

道春館ではしっとりと浄瑠璃を楽しみ、以降はケレンに満ちた演出を楽しむ充実度の高い演目だった。観に行く前とはじめのほうの段では「人形はよくても床が……」という念がどうしても拭えなかったのだが、そのもやもやは道春館ですっきりと晴れた。この段だけでももういちど観たかったわ……。道春館がしっかりしていたおかげで後のケレン味の強い話もシンプルに楽しめた。

ところで今回、パンフレットの技芸員インタビューが勘十郎さんだったんだけど、完全に勘十郎様ワールドが炸裂していて爆笑した。インタビューページの図版ってみなさんだいたい「ワシも若い頃はイケメンやったんやで〜」的な若い頃の思い出アルバムとか載せているが、勘十郎様はご自分で描かれたキツネ姿の童子のイラスト、作ったぬいぐるみ(ブランド物にいろどられたしっぽを持つ“求美の狐”)の写真、蔵王キツネ村に行って小ギツネを抱っこしたときの写真を掲載されていて、オリジナリティ溢れすぎるページと化していた。でも勘十郎様ってほんとこだわり派だよね。単純に手先が器用なだけじゃなくて、なにごとにもこだわりと研究・研鑽をもってやってらっしゃるんだと思う。それが化粧殺生石に現れているんでしょうね。*1

 

 

 

 勘十郎様メッセージ動画

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*1:私なんかむかし『不思議の国のアリス』の眠りネズミのぬいぐるみを作ったら、不器用なくせに何の研鑽もしなかったせいで変なところから足を生やしてしまい、そのぬいぐるみ、友人一同から「ボッキー」と呼ばれてましたわ……