TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

麻雀漫画と昭和の日本映画と文楽(人形浄瑠璃)について書くブログ

文楽 3月地方公演『義経千本桜』椎の木の段・すしやの段・道行初音旅、『新版歌祭文』野崎村の段 府中の森芸術劇場

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今回初めて知ったことがある。

地方公演では浄瑠璃の詞章字幕を舞台下手袖に設置した専用装置に表示しているのはみなさまご存じの通り。あの字幕表示機の名前を、上演前の解説時に技芸員さんが必ずドヤ顔で紹介してくることがずっと不思議でならなかった。字幕表示機を開発している企業が実は地方公演のスポンサーで、助成を受けているからには是が非でも宣伝せねばならない状況なのかと思っていた。しかし、今回、夜の部の小住さんの解説でやっと気がついた。あれは「G・マーク(じー・まーく)」=「字幕」という高度な小学生ギャグになっていたんですね。技芸員さんたち大阪弁に訛って発音してるから全然気づかなかった。小住さんは解説時に標準語で喋るからやっとわかったわ。なんで関西の人って外来語まで関西弁イントネーションに訛っているのか。あの人ら「テレビ」とかも訛ってるじゃないですか。わけわからん。(と言いつつ、自分も関西弁圏出身なので外来語も訛っているクチ)

解説つながりで言うと、公演パンフレットを手にした芳穂さんが「字幕があっても浄瑠璃は昔に書かれたものなので、難しい言葉が出てきます。たとえば権太が“台座の別れ”と言いますが、台座というのは笠が乗っている“台座”、つまり首(頭)のことで、荷物に粗相があったならば首と胴が“別れ”ても文句は言いません、という意味です。こういうわからない言葉は……」パンフレットに説明が載っているからパンフを買うてくれと言うのかと思いきや、「メモしておいて、家に帰ってから自分で調べてください」と素でおっしゃっていたのがとても良かった。
 
 
 
 

義経千本桜』椎の木の段。

3月の地方公演で一番楽しみにしていた配役、権太=吉田玉男。権太の、何を考えているかわからない、本心の見えない不気味な大男ぶりが映えていた。作為の透けない、ナチュラル粗野な仕草。たとえば小金吾から受け取った金を足で引き寄せる動作。体をあまり傾けず、すこしだけ足を出してささっ……と素早くいやらしく引き寄せる。本来は小金吾を怖がっている表現だと思うが、シンプルな雑さや下卑さがある。権太が最後に合羽をかぶるのは小金吾におびえているという意味のようだが、玉男さんの権太だと紋秀さんの小金吾の首を簡単にねじ切りそうで、なんで怖がってんのかわからない、そこも別の意味で良い。性根の見えなさ、あいまいな雰囲気があり、このあと善太と突然遊びはじめるくだりも活きていた。玉男さんは本心が見えない(あるいは伏せられている)役がうまい。

うまいなと思ったのは、小金吾から受け取った荷物を改めるとき、行李の中の浴衣をきれいに広げなかったこと。ぐしゃぐしゃの状態のままに左右に引っ張っていたが、それが正しいと思う。なぜならおにんぎょうさんのいしょうのゆかたはせなかにおおあながあいているから……。それがバレると、金がどうこう以前に、現代人は「着物に穴をあけられた!」とタカるのかな、と思っちゃうからね……。というか、浴衣を人形の衣装の流用ではなく、小道具として別途用意できないところに文楽の悲哀がある。しかし小道具の扱い系で言うと、このあと「すしやの段」で梶原景時から受け取った陣羽織を広げなかった(内側に書いてある句を見せなかった)のはなぜだろう。受け取ってすぐなどの広げやすいタイミングで見せるのは不自然であることは確かだが。

そのほかの登場人物では、冒頭、小仙〈桐竹紋吉〉と善太〈吉田簑悠〉の出で、小仙が善太の鼻をかんであげるのは詞章の「女房盛の器量よし。五つか六つの男の子、傍に付き添ひ嬶様と、言ふで端香も冷めにけれ」にかかってるんですね。ぽわっとした可愛い親子だった。

若葉の内侍〈桐竹紋臣〉はふんわりと優美な雰囲気。苦労の多い旅の中にも気品を失わない優しいお母さん。しかしあんなのが延々真横にウゴウゴしていて、小金吾は気が狂わないのだろうか。結構色っぽい感じがあって、小金吾は2回権太にいきり立つところで若葉の内侍に腕につかまられて引き止められるが、あんなに寄ってこられたら困るのではないか。討死する前に正気を保てなくなって自害しそう。それと、小金吾の足の方、どなたかわからないですけど、うまい。きりりとまっすぐに足を下ろす仕草、血気に逸るみずみずしい若者感ある足取り。ちょっとした動きでも、ピタッ!と揃えて立ち止まる足元の行儀良さだった。もちろん紋秀さんもぴりっと一本気な感じに凛々しくて良かった。

上演内容とは関係ないが、この段の名称は「椎の木の段」なので、六代君〈吉田玉彦〉たちが実を拾う舞台中央の大木は椎の木だと思っていた。が、帰ってから角田一郎・内山美樹子=校注『新日本古典文学大系93 竹田出雲・並木宗輔浄瑠璃集』(岩波書店/1991)を読んでいたら、あの木は栃の木とあった。詞章を確認しなおしたら、たしかに浄瑠璃に「機嫌取榧(きげんとるかや)栃の実を……」とある(脳を全然使わずに見ている奴)。では椎の木はどこに? 謎。
 
 
 

すしやの段。

配役が大変に良く、誰か襲名披露でもするんですかという感じだった。床にしても人形にしても、すしやに人を固めているのかな。

床は前・津駒さん、後・織太夫さんで両方よかった。津駒さんは10月公演の後に続き前を担当ということで、今回はお里のクドキのところが当たって、お声の質にも合っていてとても良かった。権太がママ〈桐竹勘壽〉を騙して泣き真似をするところ、三味線〈竹澤宗助〉は泣きのメロディ(?)を演奏しているものの、どうにも「ポロリ」といかない絶妙なラインをいっているのがおもしろかった。津駒さん&宗助さんはますます「しあわせをよぶマスコット」感が増していて眼福だった。織太夫さんは先月、今月とかなり良い。表現の幅が広がった気がする。

お里〈吉田簑二郎〉、めちゃくちゃ元気。勢いがすごい。弥助〈吉田和生〉が帰ってきてからははしゃいでグルグルついて回って顔を覗き込みまくっているが、簑二郎さんの相手の男を覗き込む・覗き込まないの加減が全然わからん。こないだの『壺坂観音霊験記』のほうのお里では全然沢市の顔を見ていなかったのに。あれとはまた別の意味でものすっごいハイテンション娘だった。ボディで維盛をつっつくところはえらい大胆やなと思ったけれど、弥左衛門〈吉田玉志〉が「今日は離れで寝るわ」と言うところで過激な返答をかますので、田舎娘というのは別にウブである必要はなく、こんなもんなのかもしれない。いや、簑二郎さんの辞書に恥ずかしがり屋のおなご萌えの項目がないだけかもしれないけど。とにかく勢いがすごい。いかにも在所娘なお里でおもしろかった。失恋から速攻立ち直りそうな感じも良い。

維盛の和生さんは出のさりげなさが印象的。さらりと出てきてさらりと帰宅するけれど、まさしく「絵にあるような」美しく浮世離れした姿。お里が元気一杯の在所娘である分、より高貴さが際立つ。ものすごい身分違い感だった。本当に「雲井に近き」オーラ。あのメンツの中では和生さんは確かに浮くよね……。若葉の内侍もそうだが、ほかの人物とは時間の流れが違っていた。

弥左衛門は玉志さん。田舎者ながらちょっと品のある雰囲気のカクシャク・ジジイで、夜の部の久作〈吉田玉也〉より結構若そうなイメージ。あとあと出てくる、弥左衛門はかつて重盛卿の御用を受けただけのことはある身分(船頭として)ということを踏まえているのかな*1。でも単に玉志さんの個性のような気もする。お里と弥助を残して一旦奥へ引っ込む直前に、ひょいひょいとちょっとだけ踊る仕草が可愛かった。権太がおどけて踊るところも可愛かったけど、可愛さの質が揃っていて、親子って感じ。動きのせわしなさでは、弥左衛門とお里も親子って感じだった。

そして梶原平三景時が清五郎さんで衝撃的だった。清五郎さんがあんな大きい人形持っているの初めて見た。というか、普段全然あんな役来ないのに、よくあんな大きい人形をあれほど安定して持っていられるなとびっくりした。そりゃ清五郎さんは体格良い方だけど、立役で身長があって体格が良くても、人形がガタガタしていたり華奢に映ってしまうことがあると思うが、慣れていない人ならますますそうなりそうなところをきちんと安定して持って、威厳を示されていた。梶原景時は出からずっと横向きのままで浄瑠璃が進行し、家に上がるまでなかなか真正面を向かないので、その中で威厳を出すのは結構難しいと想像するが、立派な鎌倉武士ぶりだった。驚いた。

権太は自分なりに色々手を尽くしたが、何一つ報われずに悲惨な末路をたどる。にも関わらず、それが同情を誘うような、お涙頂戴でない雰囲気になっていた。人形浄瑠璃的な世界観だ。話そのものは悲哀に満ちているけれど、そこでもって共感されることを拒絶しているように思う。時代の大きなうねりの中ではそれも仕方ないと思えるようなドライさを人形が体現しているというか……。涙を誘う共感性、「泣ける」的なもの、そういった、ある意味でのわかりやすさを突き放している。誘導をせず、判断を観客にまかせているような。表現として面白い。これは装飾性や過剰さを避ける玉男さん個性と人形浄瑠璃の特性、そして戯曲の特徴が複合した結果このような状態になっているのだと思う。人形ならではの表現で、寺子屋の松王丸でもこのような演技をしていると思うが、どういう効果を生んでいるか、もう少し研究したいところ。幸い6月大阪の鑑賞教室公演で寺子屋がまた出るので、そのときに他の方と比較して見てみようと思う。

浄瑠璃では内面が徹頭徹尾変わらない登場人物が多いと思うけど(たとえば松王丸は寺子屋の前と後で行動は変化するが、内面は変わっていない)、権太は途中で内面が変わる。途中と言ってもその変わり目は観客の見えないところであり、おいおい何箇所か本心を覗かせるところがあるとはいえ、どこからが本心を隠して行動しているのか、表現が難しいと思うが……、どこで内面が変化したとしているのか、演技をどう設計しているのかも興味深い。

あっ、でも、ママからお金をもらって(というか自力で戸棚をピッキングして)ウシシとなっていたところに弥左衛門が急に帰ってきて、慌ててお金を入れた鮓桶に腰掛けて隠すところはピュアに💩しそうで、可愛かった。
 
 
 

義経千本桜』道行初音の旅。

清五郎さんが狐忠信役というのが衝撃的だった。いや、清五郎さんがいつも頑張っていらっしゃるのはようわかってます。これくらいの役がいつ来てもおかしくない人やと思います。去年の大阪鑑賞教室の十次郎もとても良かったし。でもすごい。こんな派手な役が来るとは。クルッとターンする等、急激にポーズを変える所作が綺麗に決まっていて、凛々しくてとても良かった。狐の部分が微妙に迷い気味というか、照れ気味というか、ドキドキ感があるのも良かった。左も慣れてない人をつけてるんだと思います。本当大変だと思いますが……、あれくらいの歳の方が(いえ、清五郎さんがおいくつか存じ上げませんが)本当に一生懸命頑張ってる姿を拝見できるのって、すごいことで、文楽ならではだと思います。
 
 
 

『新版歌祭文』野崎村の段。

衝撃の床配役。もう、太夫が全員「ここは若手会か!?!?!?!?!?」状態のso youngぶりで仰天した。椎の木の段とすしやの段にベテランを固めた結果、こっちがすごいことになっていた。中(いちばん最初)の碩太夫さんと富助さんとか、孫とじいちゃん状態。もうほんと頑張っていらっしゃった。フレッシュだった。
そして、人形も小助が紋臣さんで「そこ!?!?!??!?」と思った。紋臣さんって普段の配役はほぼ女方で、立役があったとしても舞踊演目だと思うんですが、衝撃の1ミリも可愛くないキモ手代……。わ、私の姫が……。いや、動作は紋臣さんらしくクルクルしていてとってもウザカワなんですけど、顔がキモくて不思議な時空に……。玉也さんの久作は声はピチピチなのにものすごいジジイぶりでウロウロしてるし(あの「もう歳で体がこわばってよう動きません」の範囲でシャキシャキ動いている感)、清十郎さんのおみっちょは素早さ&おきゃん度が上昇しているし、久松の玉佳さんは困った顔してるし、床も人形も情報量が多すぎて脳が処理しきれなかった。 

清十郎さんのお光はとても可愛かった。やっぱり悲惨な役は清十郎さんにやってもらわなくては。たとえば勘十郎さんがやったらお染〈吉田一輔〉を威圧して自殺に追い込みそうなので(失礼)。お光は可憐で清楚な雰囲気なのだけれど、在所娘らしく仕草が速くて、ちょっと粗野なところがあるのがキュート。清十郎さん的にも調子がとても良さそうで、今年度最大クラスの可愛さだったと思う。まわりの席の方々もしきりに可愛い、可愛いとおっしゃっていた。

久作を囲んで久松が肩を揉み、おみつが灸を据える場面はとてもとても可愛らしかった。お人形さんたちがきゅっと寄って人形遣いの姿がほとんど見えなくなり、絵本に描かれた風景のよう。そして、ここの部分を聴いて、小住さんて良くなったよなと思った。
 
 
 

3月公演は安定配役と衝撃配役の混在ぶりがおもしろかった。人数が少ないのか、基本的にみなさんランクアップした配役が来たり、二役ついていたり、床も人形も普段は絶対ありえない意外性のある配役がたくさんあって楽しめた。ある意味、マニア向け?

それとやっぱり勘壽さんが働きすぎなんですが大丈夫でしょうか。人数少なくて人形はみなさん大変だと思うけど、勘壽さんまでこんなに働くなんて……。勘壽さんて結構なご高齢だと思っていたが、実はそうでもないのか。帰りに勘壽さんをお見かけ申し上げたが、まったく追いつけないレベルのものすごい速さで歩いておられて一瞬で遠ざかっていかれてしまい、元気すぎると思った。あれを拝見すると玉志サンの遣うジジイの異様なカクシャクぶりも間違っていないと思う。好き。あと、この方には私服ではピンクのスパンコールの背広にヒョウ柄のラメ素材のネクタイをしめて深緑のビロードのスラックスを履いていていて欲しいと思っていたお方もお見かけしたが、ピンクのスパンコールの背広にヒョウ柄のラメ素材のネクタイをしめて深緑のビロードのスラックスを履いておらず、フツーのおじさん風だった。でもきっとあのコートの裏地は紫とエメラルドグリーンとエンジ色のペイズリー柄だろう……と新たな夢を持った。

ところで今月から巡業系の仕事では太夫さんの見台は全員共用になったのだろうか。いままでは個人のものをお使いになっていたように思ったが、今月はみなさん文楽座の紋(小幕と同じもの)が入ったもので統一されていた。にっぽん文楽も多分そうだったと思う。輸送費の節減対策とかなんでしょうか……。あと、パンフ掲載の出演者顔写真が新調されたようなので、来月パンフ買うのが楽しみ。
 
 
 

↓ 10月地方公演の感想

 

 

 

 

 

*1:弥左衛門の過去について、今回上演の床本では「船頭として預かった時に過失で金を盗まれた」としているが、原本では「弥左衛門ら船頭が共謀して盗んだ」という設定になっているらしい。時折原本で上演することもあるようだ。

にっぽん文楽『小鍛冶』『日高川入相花王』渡し場の段 明治神宮

ひさびさのにっぽん文楽・東京公演、今回は明治神宮での開催。

前回の上野公園での開催時、雨天中止でチケットが払い戻しになり、その手続きがあまりに面倒だったため、今回は天候が見えてからチケットを買おうと思っていた。ところが天候の見通しが立った頃にぴあを見たら「予定枚数終了」。あれだけデカい会場で売り切れるとは?と思い調べてみたら、明治神宮の境内ではなく、一の鳥居と神宮橋の間にある小スペースでの開催となっている。なるほど、有料席が少なくて無料の立見席を設置するというのはこういうことか。

というわけで、今回は着座できる有料席ではなく、立見で行ってきた。

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開演1時間45分前。JR原宿駅から神宮橋へ出ると、もうそこから定式幕が引かれた宮型の舞台が見えている。「歌舞伎やるの?」「文楽だって!」「人形劇だよ」と行き交う人々が話題にしている。それくらいのモロなド往来に会場は設営されていた。いつものような幔幕囲いはなく、道(っていうか神宮橋)に向かってやっている状態。近づいて見てみると有料席はかなり少なく、過去の三分の一以下。これでは売り切れて当然だ。しかし、この時点では立見スペースは封鎖されていた。「いまこの瞬間文楽に興味を持った通りすがりの興味津々の人💖」を装ってスタッフさんを呼び止め尋ねてみたところ、開演30分前には入れるとのことだった。

明治神宮を参拝して時間を潰しそれくらいの時間に戻ってみると、すでに立見スペースは解放されており、モリモリ人がいた。が、私の姿を発見したさきほどのスタッフさんが前方に入れる場所に誘導してくださったため、無事に最前列を確保。ありがとうスタッフさん。私、実は「いまこの瞬間文楽に興味を持った通りすがりの興味津々の人💖」ではなく、「清姫よりクソヤバな執着心トグロまきまきのキモ野郎🐍」なんです。文楽なら後半髪をさばいて正体を顕し、衣装が派手に変わるやつです。

開演を待っていると、上演中でも撮影可能というすごいアナウンスが入った。写真・動画ともにOK、ただしフラッシュ不可とのことだった。というわけで、今回は当ブログ初のオリジナル舞台写真付きでお送りします。

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┃ 小鍛冶

今回のにっぽん文楽は1日3公演の設定で、演目は『小鍛冶』と『日高川』を交互に上演するという方式。それぞれの前に人形or床の解説パートを入れるのは従来通りだった。まず最初に観たのは『小鍛冶』、解説パートは玉翔さんによる人形解説。

人形解説の内容は鑑賞教室と同じだが、今回は解説に使用している人形が赤姫のため、いつもやっている「走っていって、小石にけつまずく」の演技の前に「袖を腕に巻きつける」が入っていたのがかわいかった。それと「ちょっと変な位置に膝が入ってしまった立膝ポーズ」、お園さんの人形でやると確かに変なのだが、姫でやると「そういうもんかな……?」みたいな凛々しい姿勢になっていた。文楽だと姫は商家の奥さんよりかなり活発だから……。そして、玉翔さんの持ちネタ(?)「お尻で踏み潰しちゃうメガネ」がなんと本物のハズキルーペに進化していて爆笑した。勘十郎さんに私物を持ってきてもらったそうです。玉翔さんはにっぽん文楽プロジェクトについても解説していた。この宮造りの舞台は1億円かかっているとのことだった。1億あったら本公演の大道具何回分作れるのでしょうか。おふねのきょうそうがだいすきなおじさんたち、ありがたや、かたじけなや。

↓ 玉翔さんはおなかがすいているのでさしいれがほしいそうです。左は勘次郎さん、足は玉征さん。

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『小鍛冶』本編。

同題の謡曲からの移入。京三条に住む刀鍛冶・宗近は帝の命により刀を打つことになるが、それに相応しい相槌を打つ者がいないので氏神の神助を得ようと稲荷明神へ参拝する。その下向道、不思議な老翁が現れて十握の剣の故事を語り、宗近はそのような名剣を打てる家柄であるとして、帰ったら祭壇を作って待てと言って姿を消す。宗近が言われた通りに祭壇を作り、幣帛を捧げて礼拝していると、稲荷明神が現れて相槌をとる。稲荷明神の力添えによって宗近は刀を打ち、二人の銘の入った名剣・小狐丸が完成する。宗近が剣を掲げて君の世を寿ぐと、稲荷明神は雲に乗って帰っていった。という話。

文楽って、室内環境で上演することを前提とした芸能で、ほんとはこのような屋外公演には向いていないと思う。床の音が拡散して生音でできなくなることは勿論だが、人形の見栄えの低下が甚だしい。屋外は余計な視覚情報があまりにも多く、文楽人形の小ささがそのノイズに対抗できないからだ。

ところが、この悪環境に負けないほど人形が見映えする人もいる。老翁実は稲荷明神役の勘十郎さん。屋外、しかも立見席という遠距離からでも人形がくっきりと美しく映えている。老翁も稲荷明神も小さい人形だけど、存在がはっきりと浮き上がって見える。現代の風景の中に、突然、異様なものがいる感じ。この違和感はある意味劇場上演以上の効果を生んでいた。とくに後場の稲荷明神、佇まいそのものに加えて、狐役独特の異様な動き。周囲に視覚的ノイズが多すぎるからか人形遣いが全員出遣いでもあんまり目につかず(!?)、宙に浮いて激しく動き回る人形だけが目立っていた。たしかに浄瑠璃通り、あの金色に輝く人形は神仏や超常現象のたぐいだった。

でもさすが人形だなと思う微笑ましいところもあって、トントンカンカンとリズミカルに刀を打つところは、こびとのかじやさんのようで可愛らしかった。うーん、突然おとぎ話風。サイズ感でいうと、稲荷明神は冠に乗っているきつねちゃんが小さすぎるのがかわいくて良い。あとは、刀が打ち上がるのを上手でじっと見守る勅使役の道成が全然動かなくておもしろかった。

義太夫は能から移入された演目だけあってか、前半は謡ガカリの部分が多くて面白かった。そういえば、前場での人形の扇の広げ方も、ふだん武将の人形がするような勢いでバシッと広げる所作ではなく、水平にかざしてゆっくり手で開く、仕舞のような所作だった。

この『小鍛冶』、衣笠貞之助監督の『花の長脇差』(大映/1964)という映画の劇中劇で、歌舞伎版が演じられているのを観たことがある。二世市川猿之助が後半の稲荷明神を舞うのだが、その義太夫がなぜか文楽から出ていて、豊竹松太夫(後の竹本春子太夫)・鶴澤清六が演奏していた。レベルが高い劇中劇で、いくつか入っている劇中劇の中でも浮いていた。

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日高川入相花王 渡し場の段

開演前、かなり早めに会場に着いたら、スーツ姿に中年風肩掛けバッグを下げたサラリーマンがダイソーのポリ袋を下げてこっちに向かってズンズン歩いてきた。土曜なのに仕事とは大変だなー、それでも文楽が好きでわざわざ見に来たんだろうなーと思った。が、「それにしてもなんか見たことあるなこの人」と思ってじっと見てみたら、日高川に出る技芸員さんだった。何をどう見てもリーマンにしか見えない完璧な擬態だった。

このころには日も落ちて夜になり、じっとしていると体が冷えてくる。するとスタッフさんが貼らないカイロを配ってくださった。冥加に余る御情。阿古屋ばりにおふねのきょうそうがだいすきなおじさんたちを深々と拝んだ(カイロを手に挟んで)。

こちらの解説は咲寿さん&清公さん。おふたりとも鑑賞教室でよくあるものとは異なる内容の解説で聞き応えあり。慣れてしまえば当たり前だと思ってしまうようなシンプルな事柄(たとえば文楽座は全員男性であるとか)を切り口に、例え話を盛り込んだわかりやすい構成だった。

咲寿さんは「父(とと)さんや母(かか)さんに会いたい」というフレーズの語り分けを幼い女の子、姫、品のある豪傑の三つの役から実演。文楽というのはうちの一座の固有名詞なんですというアピールと(これはやっぱり積極的にした方がいいですね)、『日高川』のあらすじ解説もなさっていた。清公さんはかなり細かめに義太夫三味線について解説。義太夫の三味線は大音量を出す必要があるが、長唄常磐津だと音が小さくていいのはどうしてなのか(=義太夫は芝居小屋での単独演奏が基本だが、長唄常磐津はお座敷での演奏や合奏を前提としているから)など、邦楽の中での義太夫節の特性を踏まえながら解説していて、わかりやすかった。また、実演は感情表現だけでなく、「春のうららかな日差し」「桜が満開の風景」「ちょうちょがひらひら飛んでくる」「急に北風が吹いてくる」など、情景表現関係をかなりの数を弾いてくださった。「男性の悲しみ」を表す一音を「ちゃんと弾いた場合」「てきとうに弾いた場合」の二通り繰り返し何度も弾いて説明してくださったが、最終的には「“言われてみればそう聞こえる”の世界」「自己満足」と自爆なさっていたのが実に良かった。

ところで、咲寿さんが「文楽を初めて見る方〜?」と会場に質問していたが、手を上げる人がほとんどいなかったのには笑った。そりゃそうだろうな。この公演の告知、文楽公演の会場くらいでしかされてないもん。でも、私の周囲の立見席の人は結構挙手していて、みなさん解説中「へぇ〜っ」と盛り上がってらっしゃいました。

↓ 咲寿さんはちゃんとシャッターチャンスを作ってくれました(シャッターチャンスじゃないところを撮るヤツ)

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↓ 目付柱現象が発生し見えなくなってしまった清公さん

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日高川』本編。

清姫は日本一かわいい勘彌さんだった。こちらは逆に屋外上演であることが功を奏して清姫の人形をよりちんまりと見せ、ふわふわとか弱く可憐な雰囲気に引き立てていた。文楽だと姫の表現に「あら風に肌をさらしたことなどない」的な文句が出てくることがあるが、繊細で儚げな雰囲気の清姫は、まさしくこんなやかましくてゴシャゴシャな場所(原宿)には来たことなさそうな、守ってあげたくなるような姫だった。襟元をふんわりと乱れさせて出てくるところなど、まだ熟れきってはいないがもうだいぶ色は濃くなってきている桃の実の、甘く瑞々しい香りがするようだった。とはいえ、あいつは日高川を泳いで渡りきるようなクソヤバ女なわけですが。その川を泳ぐところも人形の姿を大変美しく見せていて、さすがベテランだと感じた。水に沈んでいる時間も短く、人形の交換もスムーズで自然。川を渡りきったあとの最後の決めもキリリとわかりやすく見せ、今回のような雑多な環境・観客の中での公演でも映えていた。となりで立見していたお爺さん(文楽初めて見る方〜?に挙手していた)もしきりに拍手されていた。どうですかわいいでしょう日本一かわいいでしょうそうでしょう。日本一かわいかった。

床のみなさんはかなり良くて、聞き応えがあった。呂勢さんの清姫は早々のうちからなんというかちょっと言動がおかしい感じのヤバさがあった。そういえば、先月、赤坂文楽の『生写朝顔話』へ行ったのだが、そのトークショーで呂勢さんは朝顔について「あんな格好になって追いかけきたら“うわっ!”と思いますけどねぇ」とヤバ女呼ばわりしていた。みんな思ってたけど言わないようにしていたことを……。技芸員さんは文楽の登場人物を結構disってくるのがやばい。燕三さんも以前、塩谷判官が普通の格好の下に白い裃を着ているのを指して「そんな奴いないですね。ジャミラかお前は」とおっしゃっていた。自分が判官切腹弾くのに。睦さんの船頭は金で動く下賤な奴のわりには微妙にイイ男風で艶男(死語)だった。

あと、口上で、太夫さんへのフリーなメッセージを叫んでいる方がいらっしゃったのが味わい深かった。ここは自由の国、文楽

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どちらの回も最後にカーテンコールがついていたが、技芸員さんたち、カーテンコールに慣れていなさすぎてちょっとギグシャグしているのと(人形遣いさんたちは自分のかわりに一生懸命人形に手を振らせるのが良い。女方の人形はちゃんと小ぶりに振るのである)、最近はカーテンコール撮影可能で撮影ポイントを作ってくれる舞台も多いが、当然それにも慣れていないから全員正面向き等ができていなくて、とてもほっこり。ほんわかした気持ちになった。ほんと、この世に残された最後のお花畑だよ……。

見終わって思ったこと。普段はわりと前方席で見ているので気づかないが、たまにこういうときに後方から舞台を見ると、環境や距離に負けない人形の見栄えというのがあるのだなと実感する。それと、いついかなる時も丁寧に安定して演じられるかという人形遣い自身のポテンシャル。相当のメンタルの強靭さが必要なことだろうけど、これ本当重要だと思う。その点勘十郎さんはやっぱりすごいわ。華があるし、ゆらぎがない。床はみなさんすごく安定されていてさすがだった。にっぽん文楽はマイク使用・スピーカー音声になるのが個人的ネックなのだけど、呂勢さんとか希さん、睦さんあたりは元気すぎて、普通に肉声聞こえました。

往来での上演で立見客もかなり多かったのに、お客さんがみんな静かだったのも印象的だった。やはり飲食している人もあまりいない。撮影マナーに関してはかなり良いと思った。日高川であきらかに人形の決めがくることが予測できるタイミングでスマホをそろっとかざす程度。主催者は宣伝・SNS拡散目的で撮影許可したのだろうけど(勿論ありがたいですが)、お客さんは文楽が好きな人が多数だからか、結構みんな上演に夢中って感じだった。やっぱり普通に観ちゃうよね。自分も結局あまり撮らなかった。特に一番フォトジェニックなところの勘十郎さんは人形の動きが結構速いので、写真撮ってたら見逃す。文楽は普通に観るのがいちばん楽しめる。 

 

 

ここまで読んでくださった方へのおまけ。『日高川』で清姫安珍への恨み事をくどきたてる部分の動画です。
※音声あり。呂勢さんの声がかなり大きく入っていますので注意して再生してください。

 

 

 

 

  • 『小鍛冶(こかじ)』
    太 夫:稲荷明神=豊竹呂太夫/宗近=豊竹希太夫/道成=豊竹亘太夫
    三味線:鶴澤清介、鶴澤清𠀋、鶴澤清公、鶴澤清允
    人 形:三条小鍛冶宗近=吉田玉助、左・吉田文哉、足・吉田玉征/老翁実は稲荷明神=桐竹勘十郎、左・吉田簑紫郎、足・桐竹勘介(全員出遣い)/勅使橘道成=吉田勘市、左・吉田玉翔、足・吉田簑之
  • 日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)』渡し場の段
    太 夫:清姫=豊竹呂勢太夫/船頭=豊竹睦太夫/ツレ=豊竹咲寿太夫
    三味線:鶴澤藤蔵、鶴澤友之助、鶴澤清公、鶴澤清允
    人 形:清姫=吉田勘彌、左・吉田簑一郎、足・吉田簑之/船頭=吉田簑紫郎、左・吉田玉翔、足・吉田玉征
  • 他 人形部=吉田簑太郎、桐竹勘次郎、桐竹勘昇
    ※人形の左・足の配役表記は、3/9(土)16:00、19:00の回のカーテンコールの目視確認によるものです。

 

 

 

 

 

黒川能 王祇祭 2019[二日目・春日神社]山形県鶴岡市黒川

王祇祭一夜目・当屋の記事はこちら。

一夜目の演能を観終え、上座当屋から雪道を歩いて王祇会館へ戻ると、休憩所内は明かりが落とされており、先に戻っている人たちは仮眠をとっていた。すでに5時半を過ぎていて時間的にあまり寝られないので、ちょっと休憩するくらいにした。7時頃、事前に申し込みしていた朝食の弁当(1000円)を受け取る。昨夜の仕出し弁当の朝食版(ものすごい辺鄙な場所にあるほぼ親戚の家状態の民宿の丁寧だけど雑な朝ごはん風)と味噌汁。アツアツの手作り味噌汁がありがたかった。

 

 

 

春日神社へ 〜朝尋常〜

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2月2日。二日目の春日神社は事前申し込み不要のフリー参加、当日神社で受付すれば誰でも観覧ができるという案内だった。

春日神社は王祇会館のすぐ隣にある小さな神社。上座側から下座側に向かって土地が小高くなっていくような場所にあり、黒い木立に囲まれた、いかにも地元の鎮守といった佇まい。真っ赤な鳥居の両脇に背の高い「奉納 春日神社」と書かれた白い幟が立てられており、凍る風を受けてはたはたとたなびいている。お祭りらしく、数軒ではあるが鳥居前に屋台が出ていて、現代的な意匠のけばけばとした原色のテントが静かな雪の風景に眩しい。神社向かいの雪の山には穴が掘られていて、中に長い木材が突っ込んであり、火があかあかと燃えていたが、それが何なのかはわからなかった。

春日神社の祭事は8時から受付、8時30分から祭事と案内があったので、8時ジャストくらいに拝殿に着ければいいかと思い、神社の石段(雪で埋まってひとりしか通れない極狭通路)をノロノロ上がる。途中、上座の人たちの行列が木立の隙間から見えた。どうも王祇様を運んでいるようである。

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そうこうしているうちに階段の一番上、拝殿前へたどり着くが、受付時間だというのにあまり人がいない。そもそも拝殿正面の扉が閉め切られていて、どこから入ったらいいかわからない。中に出入りしているのは地元の関係者ばかりのようで、みなさん衣装や道具が入った風呂敷包みやらトランクを持ち「おめでとうございます」と声をかけあって拝殿に上がっている。しかし扉をすぐにぴしゃりと閉めてしまうので、一般の観覧客が入れる雰囲気ではない。どこで受付をしているのだろう? 拝殿の周囲は全部雪で埋まっていてよくわからないし、拝殿の中を小窓から覗いても人気はなく、地元の人しかいないみたいだし……。しばらく拝殿の軒下に立っていたら、参道脇の両サイドに高く土手状に盛り上げられた雪の上に民俗芸能・祭事マニアらしい人や観光客が徐々に陣取りはじめてきた。昨日受け取ったプログラムで「朝尋常」と書いてある何かは、どうも社殿前で行われるようだ。しかし今日の私のメインイベントは演能なんだし、この神事の見学のための場所取りより先に演能の受付をしたほうがいい気が……?

結局、「行ったれ」と思って拝殿の周囲に巡らされている縁を伝って拝殿下手側へ周り、社務所を発見。なんとか受付する。受付おっちゃんズ、紋付袴姿なので祭事・神社関係者かと思ったら臨時のお手伝いの人だったようで、ローカルルールしかわからないおっちゃんとローカルルールがわからない私とでまったく話が通じ合わなくて、面白かった。ここ、地元の人か、「わかってる」人しか来ないんでしょうね。私も文楽の小規模なイベントに行くと独自のローカルルールでの運営ぶりにびっくりすることがあるので(先方も余所者の出現にびっくりされているだろうが)、こういう待遇は慣れている。事前に「玉串料と、写真を撮りたい人は撮影料が必要」ということがわかっていたので、文楽での経験を活かし、玉串料(5000円)と撮影したい旨を話して撮影料を渡し(3000円)、なんとか手続きをしてもらう。というか、自分で会計した。

受付をしたはいいが、拝殿への通路はすべての扉が締め切られていて中へ入る方法がわからなかったため、一旦、なにかが始まるらしき拝殿前へ戻る。すると、いつの間にか両側にある雪の土手上に黄黒のロープが張られていて、一般客はそのロープの外へ退避させられているではないか。何がはじまるのか? 雰囲気的にロープの内側にいるとまずそうだなと思ってロープをくぐろうとしたら、脇にいた男性がロープを上げてくぐらせてくださった。雰囲気から外来者かつ民俗芸能・祭事マニア関係と判断、毎年の常連客かもと思い「これってどうなってるんですかね?」と話しかけてみたところ、その方も初めて来たということでわからないらしい。「上座・下座で何かを競う」ということだけご存じで、何が起こるのか一切わからずそのまま待機。しばらくすると地元の若いモンが来て、ロープのキワキワに立っている私たちを制して「危ねっからもうちょっと下がって」と声をかけてきた。「危ない」とは……? 「何かを競う」とは、よほど勢いがあることなのか……? 深まる謎の中、次第に大粒の雪が降りはじめる。参道を通るのは演能の出演者らしき風呂敷包みを持った人ばかりだったが、それも途切れ、雪の土手にたっつけ袴に襦袢姿の若い衆が集まってきて、円陣を組んでジャンプしながら回転して気合を入れている。寒くないのだろうか*1。若者たちは土手上に散って一般客をガードしはじめる。土手上で待機している一般客(というか祭事マニアのおじさんたちと私)に流れる「これヤバいんでは……?」という空気。

しばらくすると参道階段の下がざわつきはじめ、人の気配が……? と思ったら、王祇様を担いだ上座・下座両座の若者たちが両サイドの雪の土手の上を駆け上がってきた。「ここを通るの!?まんなかの通路じゃなくて!?!?!?」と驚く見物一同、ふたつの王祇様は一瞬にして社殿扉の左右にある小窓へそれぞれ打ち込まれ、「バシン!!!!!」とものすっごい勢いでその扉が閉じられた。王祇様がまじで目の前、数十cm先を走っていくので、びびった。このあたりすべて無言で進行。完全に置いていかれる部外者。

↓ 階段の両サイドの雪の土手部分を駆け上がってました。

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┃ 拝殿内

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社務所の脇の木戸から拝殿内に入れるらしいことを察し、拝殿に上がる。

春日神社拝殿内はよくある普通の神社とは構造が異なっていた。拝殿内の参道側、つまり通常の神社でいう上り口の部分には、拝殿奥の祭壇に向き合うようにしてつややかに光る大きな能舞台が設置されている。昨夜のような臨時式ではなく、据え置きなのか、重厚な設備である。舞台は拝殿床面からは20cm程度高くなっているだけだが、よく手入れされ磨き上げられているので、その上だけ空気が違っているように見える。能舞台の上には無数の棟木が渡され、能太夫の肖像や演能を描いた多数の扁額が絵馬堂のように所狭しとかけられている。能舞台左右両翼の空間には扁額に加えて春日神社の紋が入った巨大な提灯、金属の黒い灯篭も吊り下がっている。拝殿内の空間を重く古めかしい印象にしているのは、この入り組んだ棟木と重厚な扁額、古びて文字もかすれた提灯やいかめしい灯篭の光によるものだろう。

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能舞台直上を見上げると、舞台左右両側、高さ2m強ほどの位置に、1畳ほどの広さの棚のような台が吊られていて、ござのようなものが畳まれてそこに置かれている。さらにその上の左右の棟木には、松の葉を添えられた薄く平たい餅が縄によって銅鑼のように縦に留められている。この台と餅は後々の祭事に使われるもののようだ。

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再び床面に目を戻す。能舞台奥の中央には太い柱が立っていて、そこに上座・下座の王祇様が立てかけられ、その側に両座の当屋頭人、提灯持ちの若者たちがそれぞれの正装でシンメトリーに居並び、控えている。能舞台奥の左右には廊下状の板敷きが伸びており、低い手すりが設置されて橋掛かりになっている。春日神社の能舞台能楽堂や神社等に設置されているそれと異なるのは、この橋掛かりが舞台左右シンメトリーに設置されていて、合計2つあること。橋掛かりの先にはそれこそ文楽の小幕にような暖簾がかけられていて、その先はそれぞれの楽屋になっているようだ。舞台向かって下手(左側)が「上座」、上手(右側)が「下座」の楽屋になっているらしい。さきほど拝殿正面から出入りしているのが関係者だけなのはそういう事情だったのか。上座・下座の配置が客席側から見た場合通常の舞台・撮影用語でいうところの「上(かみ)「下(しも)」と逆転しているのは、神社祭壇に対しての上下なのだろう。

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そして、能舞台周囲には、多数の柱の間を埋めるように、高さ70cmほどの大きさの春日神社の紋入りの提灯がびっしりと置かれている。この提灯の橙色がかった光が能舞台の床面をつやつやと光らせているのだ。能舞台と拝殿奥の祭壇のあいだは、他の床面とは異なる材質の板で廊下のように結ばれていた。そこはとても座れるような雰囲気ではないので、上手側の舞台キワ、提灯守り(? 村の役員さんらしい)のおじさんの背後に座らせてもらうことに。場内前方部かなり混み合っていてほとんど身動きが取れず、おじさんのものすごい真後ろになった。関係者でもないのにこんなところにいていいのだろうかと思いつつ、腰を下ろして、周囲をよく見回してみる。舞台の縁に並べられた提灯は、よく見るとひとつひとつ大きさや骨組みの作りが異なっている。同じ提灯は昨夜当屋に置かれているのを見かけたが、歴代の当屋で使われたものを並べているのだろうか? この提灯を守っているおじさんたち、肩衣の色が山吹色の人と栗色の人がいる。私が座っている舞台右手はみなさん山吹色。左側はみな茶色のようだ。上座側・下座側で色が異なっているということだろうか。

ところで、あたかもはじめから人がびしっと揃っているように書いていますが、当屋頭人とか提灯持ちの若者とか、その他提灯守りのおじさんとかは、まばらに集まってきます。ほかにも神主さんなどざわざわ人が出入り。時間通りに段取り良く進行とかそういう概念はこの世界にはない。このあたりのフリーダム感がいかにも地方の祭事っぽくていい。あと、柱に立てかけらた王祇様が時々倒れそうになるのがドキドキした。転倒しないよう、若者が時々位置をメンテナンスしていた。で、提灯守りのおじさんたちはキリッとした顔で舞台を見守っているかと思いきや、めちゃくちゃリラックスしておられます。各自大きなポットをご持参で、それを横に置いて座っていらっしゃるんだけど、そのポットの中身が酒であるということは昨夜の状況からすると明白。みなさん仲良しらしく、隣の方と楽しげにキャキャキャキャキャとお喋りされている。そして、やっぱりその場でたばこ吸ってますし、時々、いなくなります。

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┃ 神社祭事のはじまり

春日神社での祭事も、一番最初は神事からはじまる。祭壇の左右に設置された壇に神社関係者や祭事関係者が正装で並んで座り、順番に祝詞を上げるなどして何かをやっていたのだが、このあたりの記憶すべて揮発。最後に神職さんの指示で拝殿に上がっている人全員が祭壇に向かい、礼をしたことだけは覚えている。玉串料自腹で出して拝殿へ上がるなんていうことをしたことがないので、何が起こっているのかまったくわからない私。とりあえず言われたままに従う。

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宮司さんらの指示にしたがってアッチを向いたり、コッチを向いたりするうち、天井に細かな装飾画が描かれていることに気づく。だいぶ古びてよく見えなくなっているが、格子状になったそれぞれのマスに細かな絵が描かれていた。牛や虎などの動物や、植物、富士山などの絵のようだ。また、祭壇のほうは能舞台より一段天井が低くなっているのだが、その段差になっている部分(なんていうの?建築用語わからず)にも豪華なあしらいが施されている。何の絵だろう? 天岩戸? この拝殿も出来た当時は相当華麗な内装だったのだはないだろうか。

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┃ 演能

 

上座 能「絵馬」

春日神社の演能では、前夜の当屋とは上演順が逆転し、各座の脇能一番ずつ、合同で式三番、各座の大地踏という番組になっている。

まずは上座の「絵馬」。囃子方がそれこそ神への供物を持つように楽器を高く掲げ、恭しく入場してくる。同じ演目を昨夜上座の当屋で見たばかりだが、囃子方の一部を除き、出演者はすべて変更されている。また、昨夜は公民館での演能だったので習い事の発表会っぽい見た目になっていたけれど、古びた神社で演じられるとかなり雰囲気が出る。橋掛かりがあるためか、役者が舞台へ入ってくるときの印象も大きく変わっていた。昨夜は蛍光灯の白い光のトップライトの印象が強かったが、今日は足元にある提灯の橙色の光(と言ってもこれも電球だけど)に照らされてのフットライトでの演能になり、装束や面が美しく映えている。天井に蛍光灯もあかあかとついているが、天井や梁の木の色を受けて光全体は赤みがかっているので、人工的な白さがそんなにも気にならなかった。

昨日から気になっていたのだが、普通(というか五流では)、能面は能役者の顔より小ぶりなものを用いて、顎が出るようにしてかける。顎が出ていることによって、そこからその能楽師の歳ばいや体格等を読み取ることができる。あれ、はじめは「おっちゃんは顔がでかいからはみ出てるのかな……」と思っていたのだが、能楽師のインタビューで読んだところによると、これは意図的なことで、出ていないとむしろ落ち着かないそうだ。しかし、黒川能では面は役者の顔をすべて覆い隠しており、役者がどのような人であるのかを察することはできない。一夜目の記事で、黒川能の面をかけた舞い手が文楽人形のように見えると書いたが、血肉を持たない人形のように見えるのは、面自体ののっぺりとした印象に加え、生きた人間の肉体性を感じさせない面のかけかたもひとつあるのだろうと感じた。

しかし「絵馬」、長すぎて、かなり、疲れた(正直)。2時間以上あった。謡を伸ばし気味に平坦に唱えるので(もはや「唱える」なんです)、五流の同演目より時間がかかっているのではないだろうか……。そして、拝殿内、とにかく寒い。暖房設備がないので、室内でも外気温と同等と思われる。吐く息が白い。しかも床は板張り。玉串料をおさめたときに貸してもらった座布団をお尻の下に敷いているけど、極寒の中ずっと座っているのはかなり辛い。とはいえ、きついのは体勢だけで、周囲の人と仲良くなったので変な緊張や遠慮はいらず、気持ちの上では過ごしやすかった。

それにしても場内騒々しい。いや、率直に言う。めちゃくちゃやかましい。謡聞こえんがな。さすがに前列のほうにいる外来者は舞台を見ているばかりなのだが、能舞台から離れた後方、火鉢(というか炭火が入った箱)の側等にいる地元の方々は演能中でも楽しげに歓談されていて、かなりざわついた状態になっている。昨夜の「これ喋らないほうがいいな……」という状況とは打って変わっての喧騒。当屋での観覧応募の当選者に送られてくる書類に「二日目の春日神社は祭事のため騒々しい中での上演になる」という注意が書かれていたが、こういうことか。地元の方々的には、地域の面々全員が会する二日目のほうが盛り上がるようだ。

っていうか、このやかましさに関して一番ウケたのは宮司さんらしいおっちゃんがMYコップを持って提灯守りのおじさんたちのところを回ってきて、がばがば酒飲みながら最前列でキャキャキャキャキャと歓談しておられたことだ。おっちゃんおっちゃん、舞台に神さん出とるがな。天照大神住吉明神は他人なんでしょうか。確かに鶴岡からはだいぶ遠くに住んではる(?)けど。宮司さんはかなり出来上がっていらっしゃった。どのくらい出来上がっていたかというと、藤蔵さんくらい出来上がっていた(藤蔵さんは出来上がっていません)。

 

 


下座 能「高砂

下座の番になると、囃子方の座順が上座とは逆転する。右側から太鼓、大鼓、小鼓、笛。役者の入場も舞台右側の橋掛かりからとなり、後見も右の橋掛かりに座ることになる。ふだん観る演能と左右逆転しているので、少し不思議な雰囲気。今日も翁のおだんごはミイのように縦長で、嫗はちびっこちゃんである。熊手を肩にかけた翁の立ち姿は端正で、印象的だった。

後シテの住吉明神が出てからは、神社での演能ならではの荘厳な雰囲気。住吉明神は濃いネイビーブルーに金で大きく紋の入った狩衣、輝くような朱色にこれも大きな金柄の半切袴をつけ、透冠(?)に長い黒髪を両脇に垂らして、色黒のマイケルジャクソンのような面をかけている。住吉明神ってあんなハワイ帰りみたいな感じの人(?)なのだろうか。大阪在住だから派手なんでしょうか(?)。調べると五流では「高砂」の住吉明神には「邯鄲男」という面を使うことが多いようだが、ああいうすっと上品な色白の貴族風の顔ではなくて、肌はかなり濃い茶色、小さな金の目をやや下向きに剥いていて、口を四角く開き歯を見せてつけているかのような表情の面だった。そして、ゆらゆらとした黒い前髪が面に描かれている(これがマイケルジャクソン感をかもしだす)。何の面なのだろう。装束の色彩の強いコントラストとあいまって、異界の鬼神のような、不思議な神の姿だった。

ちなみに「高砂」で一番有名であろう「♪高砂や この浦舟に帆を上げて」の部分、ここを謡うワキのみなさんがお若すぎて、「♪海は広いな 大きいな」的な唱歌童謡の世界になっていて、可愛かった。うーん、楽しそう。橋掛かりに控えている後見の方も一緒に地謡を詠っていたのが印象的だった。

普段、能楽堂で能を見ていると、登場人物に対して背景が動いていくような、絵巻物を繰っているようなイメージを受ける。特に道行は、その謡に合わせて背景……鏡板の松のことではなく、桜が満開の吉野の風景や波の音が響く静かな海辺の風景が見えるのである……が左から右に向かってゆっくりと流れていくように見える。しかし、ここでは背景は一枚ずつの絵になっていて、場面ごとに屏風を取り替えていくようにパタパタと切り替わっていくようなイメージ。能楽堂のほうが背景が整理されていて、抽象度が高いせいだろうか。それとも所作等の違いによるものなのか、不思議だった。

このあたりで12時頃。舞台に出ている人が頑張ってやっているのはわかるんですけど、空腹の限界、玉串料をおさめたときにもらった軽食(プラパック入りのしょうが味の炊き込みご飯)を食べる。もぐもぐもぐもぐやっていると、提灯守りのおじさんがなんとお弁当を分けてくださった。提灯守りの方々は一日中そこに座りっぱなしになるハードなお仕事なのだが、そのぶん、重箱に詰めた素敵なお弁当を持参されている。というか、祭事の最中に奥様が届けにきたりする。私の隣にいた人がそのおじさんたちと仲良くなっていたので、私もおこぼれを頂戴できたのである*2。おじさんは重箱一段をまるごと分けてくださったのだが、中身は謎の山菜(ザーサイと白菜の中間みたいな柔らかくくにゃっとしたもの)をあっさりとした薄味で煮たもの、食べやすい小ぶりなサイズの塩味の卵焼き、自家製のお漬物などなど、おじさんの奥様が作ったであろうごくごく普通の家庭料理がいっぱいに詰まったもので、とても嬉しかった。アルミホイルの仕切りに包まれてぎゅうぎゅうにされた、すべていちから手作りのおかずたちがたまらなく愛おしい。冷えてもおいしいメニュー。謎の山菜の煮物が特においしかったのだが、私には正体がわからなかった。お弁当を分けてくださったおじさんが名前を教えてくれたけれど、それは地元での通称で、私は知らないものだった。あとから横にいた別の提灯守りのおじさんが「〇〇〇〇とも言う」と教えてくれたんだけど、それもわからなかった。周囲の人はわかっていたので、メジャーなものなのかも。さんざんむさぼり食ったが、おじさんご自身はそのお重に手をつけていなかったため、まるごと全部食っていいかわからず、微妙に少し残した(謎の遠慮)。

全然関係ないが、このあたりで目の前に座っている提灯守りのおじちゃんの肩衣が曲がっていて気が気でなくなる。文楽人形の塩谷判官のように「ぴっぴっ☆」と自分で直してくれればよかったのだが、まったく意に介していらっしゃらないご様子で、昭和のロボットアニメの巨大ロボの肩飾りみたいな感じで最後まで曲がり続けていた。

 

 


式三番

春日神社の式三番で特徴的なのは、囃子方を両座から出しているため、各パート2人ずついることだ。小鼓の人が3人くらいいたような気がするけど、幻覚かもしれない……。

翁の袴は白ではなく浅葱色だった。昨夜も思ったけれど、洗練されていないというか、技量が異様に秀でていない人がやっていないことが逆に効果的で、神に身近感があるというか、翁にすごく親近感が湧く。三番叟は昨夜より若い方だった。個人差だろうか、籾種撒きの所作ではより深く腰を曲げていて、能舞台すみずみまで丹念に種を撒いていた。鈴の段って、やっぱり、種撒いてるんだなということがよくわかった。

パンフレット等の解説ではよくわからなかったのだが、帰ってから調べてみると、黒川能王祇祭の式三番は五流の演じる式三番とは異なっており、上座では翁が「所仏則翁」、下座では三番叟が「所仏則三番叟」といって、特殊なものとなっているらしいことがわかった。そして、春日神社の式三番では翁は上座、三番叟は下座から出すというしきたりになっているらしい。それで三番叟が当屋(上座)と違ったわけか。

 

 


大地踏

上座・下座それぞれの大地踏みを再び行う。配役は昨日から変更され、上座はもう少し声の大きな子になったが、やはり何を言っているのかはわからなかった。広げた大きな扇を見つめて、何かを一生懸命唱えている。下座の女装の子はかなり可愛くて(化粧されてるのかな?)、観衆にサービススマイルを振りまいていた。しかしこの演目のイイところは、神事の最中ではございますが突然鶴岡市の市長サンが登場し(一応紋付)、大地踏をした子がそのまま能舞台で市から額入り感謝状と箱みかん等の副賞をもらえることだな。「感謝状」というのがよくないですか。ローカルイベント感もりもりで、癒された。

このあたりで提灯守りのおじちゃんにオヤツのかっぱえびせんをいただく。めっちゃ食いもん持ってる。

 

 

 

┃ 王祇祭のクライマックス 〜棚上がり尋常/餅切尋常/布剥ぎ尋常〜

ここからが祭事の大詰め。このあたり、興奮しすぎて記憶が混沌としているので、間違っていたらごめんなさい。

式三番が終わると能舞台宮司さんがやってきて、提灯の電球の火を本物のロウソクの火に差し替えていく。ここまでは能舞台の縁に置かれている提灯は舞台台座についているコンセントから電気を吸って点灯しているのだが(ついてるんですよ、コンセントが。能舞台に。祭事中に提灯守りのおっちゃんがザツに座ったためかプラグが抜けて、提灯が消えたのを見た見守り人が焦って飛んできたのめっちゃ笑った)、宮司さんが提灯の覆いをはずし、電球をどけて中に仕込まれたロウソクに神灯から取ってきたらしき火を移していく……んだけど、宮司さん酔っているのか、1個目の提灯をつけるために神灯をつけたロウソクを傾けたそのとき手元が狂い、垂れてきた自分のロウでロウソクが消えた。

宮司さん、提灯守りのおっちゃんズ、私&見物一同「「「「「「あらあああああああ!!!!!!」」」」」」

するとすかさず肩衣姿の世話役のおっちゃんが飛んできて、自分のたばこ用ライターで点火したのでめちゃくちゃ笑った。神灯をとりなおしに行かんのかい。このざっくり感、最高だと思った。宮司さん&肩衣のおっちゃんはその後も舞台を回ってせっせと提灯に(おっちゃんの私物ライターで)本物の火を点火していった。これを一個ずつやるのでかなり時間がかかる。点火しながら提灯の位置調整が行われ、能舞台と祭壇をつなぐ通路に降りる部分に人が通れるよう空きを作っている。また、見物客はその通路部分からどくようにという指示がくる。いよいよ何かがはじまるようだ。ぎゅうぎゅうになる見所。

……と、しばらくぎゅうぎゅうにされたまま、謎の時間が経過。世話役の人がやってきて、通路キワに座っている人に「もう少し下がって、この板くらい」等言ってくるのだが、これから何が起こるのか。また何か勢いがある行事なのか。ふと祭壇側を見ると、何かお膳のようなものを通路中央に並べて支度をしている。頭に白い布を巻いて、黒い蘇芳のような着物に縄でたすき掛けをした若者が4人おり、2人ずつ左右に別れてそのお膳を挟んで向かい合って座っている。舞台の上には襦袢にたっつけ袴姿の若者が上座・下座に別れて集結し、朝と同じように円陣を組んでぴょんぴょん跳ねながら「わ〜〜〜〜っ」と叫び、クルクル回転して気合いを入れている。「祭壇の前にいる4人の若者」「通路の人払い、提灯をどける」「能舞台上に集結している若者」……これはもしや、と思ったら、祭壇の前にいた4人……というか、上座・下座各2名の若者が盃を一気に飲み干し、能舞台に向かって走り出す! 舞台上の若者たちは彼らをリフトし、能舞台上の棚の上へ飛び上がらせる!! さらには王祇様をかつぎ上げて棚上の若者へパス、棚の上の梁へ横向きにして乗せた!!! この間数秒、一瞬で終わる競合祭事に驚き。これがプログラムに書かれていた「棚上がり尋常」というものらしい。

この後、長〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜い待ち時間が発生。棚の上に上がった4人の若者はそのままあぐらで座ってじ〜〜〜〜っとしている。いったい何の待ち時間なんだ? あの子たちトイレ行かなくて大丈夫? と思ってふと振り返って祭壇のほうを見たら、神前で両座の代表者らしき肩衣姿の人が派手な飾り花の鉢の前に正座して、何かゴソゴソしている。よく見ていると、飾り花の鉢に挿してある無数の小さい飾りを取って細い竹の棒に取り付け、小さな造花のようなものを拵えている。何本も、何本も、何本も。ここでわかった。一夜目の王祇会館での事前説明の際、「二日目の春日神社へ行く方は帰りに“小花”を受け取ってください」と言われるのだが、”小花”が何なのかは説明されず、“小花”って何?と思っていたら、もしやあれがその“小花”。ということは、この拝殿にいる玉串料をおさめた全員分をいまここで生産しているということである。そりゃ時間かかるわ!と納得した。そしてこの小花作りは、この後1時間ほどかかることになる。

ところで、祭壇前では小花作りと同時並行して食膳のようなものも用意されており、祭事の関係者に配ったり、それを上座・下座の楽屋等へ運び込んでいるようだった。それを受け取ったらしい楽屋から声が聞こえたりするのだが、何をしているのかはやはりわからない。この最中、青い肩衣姿の若者が人や祭具を持っていったりきたりするのに神職さんたちが付き添っていて、進行を知らなけど運搬等をしなくてはならない若者ズが女性の神職さんに「早い!! まだ!!! 待って!!!!」とビシバシ指導されていたのが面白かった。それにしてもこの時点でもう4時半過ぎてるんだけど、まだまだ見物から見えないところで延々何かが進行中。声だけが聞こえる。この祭事、いつ終わるんだろう。隣の方と「5時終了って聞いてたけど、これ、めっちゃ押してますよねえ……」と会話。

一方、能舞台奥では襦袢姿の若者たちがやっぱり円陣を組んで「わ〜〜〜っ!!!!」と叫びながら飛び跳ねている。もしかして、あれは気合い入れではなく防寒対策なのだろうか。若い子は本当元気だねえ。みんな今っぽい普通の子なんだけど、かっこつけてる子もおとなしげな子もみんなピュアそうで、一緒になってキャキャキャキャキャとずっとはしゃいでいる。きゃーきゃーやってみんなのウケを取ろうとする子、酔ってテンションが上がってる子(途中から酔いつぶれて寝てた)、それをちょっと離れて見ていて世話を焼いている子……、みんな仲良しでいいねえ……。みんなが着ている襦袢はおばーちゃんの古い着物のリメイクとかなのかしら。純粋な下着的なものではなく、セルリアンブルーや紺等、落ちついた色味ながら、ちょっと華のある細かな柄が入ったものなんだけど、よく見ていると柄がお揃いの子がいたり。ご兄弟とかいとこ同士とかなのかな。いいねえ。そして、その若い子たちの中に、仲良しらしいおっちゃんが混じってたりするのも良い。おとなしくさせようとしているのかと思いきや、一緒にはしゃいでいて、混ざっているようで混ざっていないようでやっぱり混ざっているって感じで味がある。

きゃーきゃーやっている若者たち、延々続く小花作り、楽屋から聞こえる挨拶の声に注意を引かれていたが、ふと周囲を見回すと、午前中には報道のカメラしかいなかった能舞台両脇に、いつの間にか観覧客が増えている。服装や様子からするとほとんどが地元の人のようだ。若い女の子も多い。そしてしきりに皆スマホ能舞台に向かって構えている。いよいよ何かが始まるというのか。

このあたり記憶が完全にあいまいなのだが、何かの合図をきっかけに突然舞台上が混沌として、棚の上に座っていた若者たちが棟木に固定してある餅を落とした! 固定している縄を切らなければ落ちないわけだが、あまりに一瞬で落ちたので、どうやって縄を切って(外して?)落としたのかわからない。上座側はすぐに落ちたのだが、下座側がなかなか落ちない! 下座の若者たちは餅に向き合って一生懸命なにかをしているが、餅はびくともせず、能舞台脇にいる地元の女の子たちがもはや怒号とも言えるものすごい声で叫んでいる! 彼氏や旦那さん、幼馴染、同級生への応援!? すごい騒ぎ!! この餅落としと同時に、梁の上に上げられていた王祇様を舞台上へ下ろし、下で待ち構えていた若衆たちが巻きつけられていた細長い白布を持って祭壇へ走る! このあたり本当に一瞬で、ものすごい喧騒の中行われるので、何が起こったかまったくわからなかった。

…………………なにがなんだかわからず座っていたら、提灯守りのおじちゃんに「終わったよ〜」と言われた。おじちゃんたちも帰ろうとしているし(っていうか私より先に帰った)、地元の人たちはすでにだいぶいなくなっている。プログラムには祭事の最後の部分に「餅切り」「布剥ぎ」というのが書かれていたが、何だったのだろう。と思っていたのだが、帰ってから調べてみると、どうも「餅切り」というのは本当に餅を切るのではなく、先ほどの餅を落とす神事のことで、「布剥ぎ」というのはそれとほぼ同時にゴッチャゴチャの中で行われていた、王祇様と王祇様に巻かれた布を祭壇へ運ぶ動作(布は祭壇の前にいる人が受け取るというか、巻きつけられていたらしい)を表しているようだった。「餅切り」って、餅を固定している綱を切るってことだったのね。餅を切り分けて食わしてくれるのかと思い、周囲の人とワクワクしてた……。しかし、朝見た参道を駆け上がるやつもそうだったけど、両座で競うような神事でも、どっちが勝ったとか、そういうことじゃないのね。別に勝敗の判断はされていなかったし、誰も気にしていないようで、若衆たちは両座とも、終わったらまたみんなで円陣を組んで飛び跳ね、「わ〜〜〜〜〜〜〜っ」と叫んで盛り上がっていた。両座で同時にやること、みんなで盛り上がることに意味があるのね。

このあたりで午後5時過ぎ。タイムテーブルに「午後5時頃終了」となっていたその通りに終わった。意外。終了後、祭壇側をふと見たら、祭壇前に座って祭事を見届けていた一番格上らしき神職のおじいちゃんが爆睡していたのが良かった。笏を持ったままめっちゃ傾いていらっしゃった。誰も起こさんのかい。

帰り、社務所へ立ち寄り、玉串料をおさめたときに受け取ったIDカードホルダーを返却すると(よく考えるとすごい管理方式だけど、玉串料をおさめたかどうかはIDカードを下げているかどうかで判定されるのです)、さきほど神前でせっせと生産されていた小花がもらえた。三色の薄紙を重ねて花びらを作り、長めのお箸くらいの長さの竹の棒の上方に小さな豆で留めた、風車状のアイテムだ。昨日の王祇会館での説明によるとこれには厄除けの効果があるんだそう。拝殿内で床に落ちていたIDカードも一緒に渡したら、「拾ったのー? まいっかー」と1輪おまけ(?)してくださって、2輪いただいてしまった。

 

 


┃ 王祇祭の終わり

一日神社の中で過ごしたので時間の概念がまったく消えていたが、外に出ると周囲は薄暗くなっていた。雪はもう降っていない。帰路については、黒川・JR鶴岡駅間のバスは土日運休(衝撃)なので、タクシーを呼んだ*3。王祇会館前でタクシーを待っていたら、王祇会館のスタッフさんが「このあと地元の人だけでの行事があるので」と帰っていかれた。やっぱり地元の人全員参加で祭事を行っているんだな。地元の人は翌日も事後行事などがあるようだった。周囲はもう誰も歩いておらず、車も通らない。普通の田舎の集落に戻っている。暗闇の中にヘッドライトが見えて、タクシーが来た。きょう一日を一緒に過ごした方と握手して、挨拶をして別れる。路面にまったく積雪がないほど天候がよく、渋滞等もなかったため、スムーズに鶴岡市街へ戻ることができた。王祇会館からJR鶴岡駅まで迎車込みで4000円弱だった。いや、迎車料入っていたかわからん。運チャン、そもそもだいぶ走ってからメーターのスイッチ入れてたし……。

こうして私の王祇祭、黒川での濃密な2日間は終わった。

 

 


┃ 祭りの高揚を後に

私感だが、結果的に、一番話題性のある(?)一夜目の当屋での演能より、二日目の春日神社のほうが面白かった。何が起こるか一切わからないのがとにかく最高だった。一夜目と違い、本当に誰も何も説明してくれないので、目の前で起こっていることが何なのか、まったくわからなくてめちゃくちゃ面白かった。もう、なにがなんだかよくわからないけど、興奮。なにがなんだかわからないって、楽しい。

二日目の観覧客は客層が変わり、玉串料を納めて拝殿に上がっている人にはかなりやる気のある人が多いようだった。拝殿内は狭いので、観覧客の絶対数も減っていると思う。玉串料は安くないし、演能は当屋と同演目だし、朝8時半から夕方5時までの長丁場なので、こっちはさすがに「本気」の人しか来ないのだろうか。私は気まぐれ、興味本位にしか過ぎなくて、もともとは当屋を見終わったら山形県内を観光して帰ろうと思っていた。「でも、せっかく鶴岡まで来たんだし……」という貧乏性的な気持ちで参加したのだが、本当、行ってよかった! もし王祇祭を観てみたいという方がいて、当屋の観覧に落選した*4or応募期間が過ぎてしまって観られないとしても、二日目の春日神社だけ観るのでも十分楽しめると思う。地元の方々がより楽しそうだったのも二日目である。一夜目は本気、二日目はお楽しみ、なのかな。*5

しかしすごいのは、やっぱりこの日も観光客扱いは一切されないことである。観光客扱いどころか案内もしてもらえないのですべて自力解決。「←受付こちら」くらいの張り紙をしておいてくれてもいいのに。ここまで観光的な概念と隔絶されているとは思っていなかった。本当、あくまで地元の祭事なんですね。それにしても地元のおじさんは、お弁当まで分け与えてくれながら、こちらの細かいことには全然干渉してこないのはすごいと思う。お弁当を分けてくださったのは、おっちゃんのただの「素」なんだと思う。

春日神社では、周囲の方々(祭事・民俗芸能マニアの方々)と一日中わいわいお話しできたのも楽しかった。自分は趣味を社交ツールとは捉えておらず、趣味を通じて友人友達を作りたいとは考えていない。しかし、趣味関係の場で偶然出会う人って、初対面でも盛り上がれて楽しい。趣味そのもの、例えばこの王祇祭なら民俗芸能、能楽の話だけでなくその他の興味領域も近かったり、逆にいままで興味がなかったことや知らなかったことに関してお話を伺えたり。謎の待ち時間も楽しく過ごすことができた。

とにかく、純粋に楽しい2日間だった。

民俗芸能は地元の祭事に付随していることが多くて、開催日や場所柄なかなか観に行くことができないけれど、今回の王祇祭に参加できたことは自分にとって貴重な体験だった。一夜目の感想にも書いたけれど、民俗芸能というのは観劇でなく「体験」で、「参加」なんだね。よそ者ではあるけれど、その地域や地元の人々の暮らしにほんの少しだけ、触れることができた気がする。過度に神聖視して持ち上げるのは、不誠実な気がした。

 

 


個人的な二日目のチェックポイント。

  • 玉串料奉納でもらえるもの
    拝殿に上がるには玉串料5000円が必要。玉串料をおさめると授与品がもらえる。内容は、春日神社のパンフ、お札、お神酒の小瓶、神饌(お供え物的な砂糖菓子2個)、軽食(プラパック入りのしょうが味の炊き込み御飯)、あとお茶の小さいペットボトル(ホット!)。これらのものを袋に入れて渡してもらえる。ほか、座布団を貸してもらえる。

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  • 防寒対策
    拝殿内はむちゃくちゃ寒い。火鉢やストーブはだいぶ後ろに下がったところにしかないので、能舞台キワで見物したいとなると外と同様の防寒具、カイロ必携。とにかくものすごく寒い。室内だけど息が白い。温かい飲み物を入れた水筒は本当に役に立ってくれた。
  • 荷物の整理
    事前に特にそのような案内はないが、場内とくに前方(いわゆる正面席)はかなり人が密集する。自分ひとりコンパクトに座るので精一杯、大きな荷物を置く場所はないので、手荷物を小さくまとめて行ったほうがいいと思う。ただ、荷物預かり等をしてくれる場所がないので、近隣の民宿に泊まっているor王祇会館の休憩所を申し込んでいる(一夜目・当屋の観覧申し込みをしていると、荷物を置いておかせてもらえる)or自分の車で来ている等でないと、どうしようもない問題だと思うけど……。
  • 撮影許可とカメラ
    春日神社も許可制で撮影が可能(要撮影料3000円)。社殿内、かなり光量があるので、コンデジで十分な撮影ができた。一夜目に続き、ここでも演能中・祭事中の撮影ができる。ただ、祭事中はともかく、神社の儀式に属するような神事中(宮司さんから脱帽等の指示がある)はさすがにシャッター音を立てるのはマナー違反だと思うので、遠慮したほうがよいと思った。
  • 資料ゲット
    一夜目からずっと「何が起こっているのかわからなかった」と書きまくってきたが、実は王祇会館では黒川能や王祇祭の祭事を解説した書籍が販売されているらしい。買ってこればよかった……。五流の定例公演等に行くとロビーに「本日の使用面リスト」が張り出されていて、使用している面の種別(名称)がわかるけど、当然ながらここにはそういうサービスはない。そして、提灯守りのおっちゃんや世話役の肩衣姿の人、各座の提灯持ちの若者にも役職名があるらしくて、そういう地元の人しか知りえない情報も書かれているのかもしれない。

 

*1:やっぱり寒いらしい。寒いと言っていた

*2:我々がきゃっきゃと話しているので、おじさんが「あんたらお連れさん?」と聞いてきたが、隣の人は「赤の他人です。さっき会いました」と本当のことを真顔で答えたので、おじさんは「……?」となっていた。

*3:王祇会館受付にタクシー会社の電話番号を聞いたら、すでに呼んでいて割り勘相手を探しているという人を紹介されたが、遠慮した。割り勘相手を探している人は何人もいらっしゃった。私とは逆にタクシーに相乗りしてくれる人を探したい方には楽な環境だと思う。交通の便悪すぎの件に関しては、民宿等に泊まっている人は宿の方が送迎してくれるようだった。タクシーは早めに予約しておいたほうがよさそうだった。タクシー会社は何社かあるのだが、地方なので台数自体が少ないため。

*4:王祇祭当屋は収容人数に制限があるので事前応募制で、当選者のみが観覧できる。しかし、春日神社で知り合った方に伺ったところによると、今年は応募が少なく、全員当選だったらしい。当日ビジターでの観覧の受付もしていたそうだ。

*5:次回また来るとことがあれば一夜目は下座へ行ってみたい。王祇様の配置の仕方や能舞台の構成が違うらしいので。