TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 『木下蔭狭間合戦』竹中砦の段 まつもと市民芸術館

『木下蔭狭間合戦(このしたかげはざまがっせん)』の松本公演へ行った。

地方自治体の独立した自主企画公演だが、文楽座としては、3年前にロームシアター京都の企画で復活された同演目の再演という体裁になっている。これは、京都公演の際のプロデューサー的立場だった木ノ下裕一氏が会場「まつもと市民芸術館」の芸術監督に今春就任予定という縁での企画だと思われる。このホールで文楽が上演されるのは、20年ほど前の開場以来、初とのこと。



 

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まつもと市民芸術館」は、JR松本駅から大通り添いに15分ほど歩いたところにあった。
公演当日の天候は雪。湿って冷えた空気と大粒の雪がふわふわと舞い散る中、会場に向かった。

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外見は、地方自治体によくあるモダンな建築デザインのアートホール。しかし中に入ると、驚くほど空間に余裕のある建物だった。ヨーロッパの社交場を思わせるなだらかで長大なエントランス階段、ホール外周を取り囲む天井高のある広く長いホワイエなど、幕間に散歩できるほどにゆったりとした設計。土地に余裕がある立地とはいえ、本当にものすごく広くて、驚いた。最近はロビーが尋常じゃなくケチくさい(失礼)会場にばかり行っていたので、びっくらこいた。白と赤を基調とした空間、ランダムに配された有機的な形のくりぬき窓もしゃれている。
上演ホールは、4階層ある大型のもの。ダークトーンでシックにまとめられた内装で、建物自体のモダンさとは逆に、ややクラシカルな雰囲気。椅子がシアター用のそれではなく、「洋館にありそうな上品な椅子」を擬しているのが面白かった。左右で連結されていなくて、それぞれに脚がちゃんと4本あるんですよ! 巨大な空間に普通の椅子が並べてあるようだった。シートに張られたファブリックも家具調(シルク風?)で、上品かつ愛らしい。
音響はかなり良かった。巨大な空間であるにもかかわらず、太夫の声・三味線の音に違和感がない。文楽劇場国立劇場の中間くらいの音の質感。人形の足拍子もほぼ違和感がない。ここが松本でなかったら、今後の東京公演ここでええやん!というくらい、良かった。
本舞台はよくある地方公演会場と同じ。本舞台のやたら奥のほうに人形が出る/舞台面が高い状態だったので、人形の見え方は特にいいわけではなかった。また、客席の傾斜はかなりどきついほうだったので、後方席だと人形遣いの足元まではっきり見えていたと思う(解説でも言われていた)。

ただ、このホール、劇場としての機能に、ひとつ大きな問題がある。客席の椅子の前後間隔がめちゃくちゃビッチリ詰まっていて、足元の余裕がまったくない。歌舞伎座の幕見席より狭いんちゃうかという恐ろしい狭さ。小柄な女性でもひざが前の席に当たりそうになるくらいで、座りにくいし、出入りがものすごくしづらい。あまりに狭すぎて、場内に上着や荷物を持ち込むとしんどいほど。エントランスやホワイエがあんなに広いのに、なんで肝心の場内がこんな狭苦しい設計なのか不思議。私が松本市の納税者だったらブチ切れてるところだった。

観客は、地元の方が多かったのではないかと思う。事前説明での「今回文楽を初めて見る方〜」という会場向け質問では、8割程度の挙手があったようだ。ただ、前列席はおそらく普段から文楽を見ている人だと思う。私含め、前列席の人はほぼ挙手をしていなかった。

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浄瑠璃演奏は、3年前の京都と同じく、竹本錣太夫・鶴澤藤蔵。
かなり大変な曲のため、錣さんの年齢を考えると大丈夫かいなと思っていたが、前半は京都公演より明らかに良くなっていた。それぞれの人物や状況に対する描写力、表現力が上がっている。物語全体に対する登場人物のプライオリティ、社会的位置付けも整理されており、多数の登場人物が次々登場しても混乱することはない。関路の華麗さは人形の不足を補っていた。素浄瑠璃でも成立する演奏だった。
後半は、官兵衛の心変わりの表現、微笑みが漏れるかのような孫への言葉はとても良かった。当吉は老獪な官兵衛とはまったくキャラクターが違っていて、凛々しく若々しいのも好ましい。大落としはやや弱い。彼は手負いの老人なので、極端な大声で泣き叫ぶことはないことはわかる。ただ個人的には、そのジェットコースターの上り坂が少し低かったかなと感じた。本曲の一番の聞きどころは大落としではないので、わざとなのかもしれないし、大落としは状況によってうまくいく/いかないがあるのは理解しているけど、1回きりの公演だと、なかなか難しい。

 

人形は、良くも悪くも京都公演と同じだった。
配役・演出(演技)とも、京都公演をほぼ踏襲。そのため、京都公演からの3年間で出演者がどう変化したのか/しなかったのかが、はっきり見える状態だった。正直、同じか、なんなら……という人が多いように感じた。自分でテーマをもって追求しない限りは、再演といっても個々のその場限りの「頑張りました」でしかないので、まあ、こうなるか……。と思った。

そういうわけで、人形に対する感想はいろいろな意味で京都公演と同じになるため、詳細な感想は京都公演の記事を読んでいただきたい。以下、特記事項。

千里〈吉田一輔〉が自害するところは演技に変更があった。京都では背後にある矢立から矢を取って喉を突いていたが、今回は盃代わりの柄杓の柄を抜いて喉を突いていた。確かに、柄杓の柄の先端はものによって斜めにカットされて尖っている場合もあるが……、感覚的にわかりづらすぎないか? 矢立のそばまで移動するのがまどろっこしいと感じてのことなら、矢立をあらかじめ千里のそばへ移動させておけばよいのではと思うが……。本公演でも、いつのまにか動いている鎧櫃とか、心霊現象よく起こってるし……。
千里と犬清は、手負の演技をよく研究してほしい。京都では目をつぶったが、2回目でこれはない。これでははじめからずっと死んでいる。

当吉〈吉田玉志〉が清松を抱いて子守唄を歌ってやるところはド派手。子守唄を歌って踊る役といえば『ひらかな盛衰記』逆櫓の段の権四郎。それと同じにしたんだろうけど、権四郎はパンピーおじいちゃんのため人形が小さく、衣装も軽装。舞台で、可憐に、悲哀を帯びて見える。当吉だとあまりにも人形がでかすぎて、ショッピングモールのゲームコーナーのこども用乗り物が揺れているみたい。しかも衣装が派手、しかも船底でやる、そのうえ玉志がやってるせいで不要なまでに上手いため、インパクトがありすぎるッ。玉志さんは玉志さんで「すこし控えめに……」と考えてやっているようだったが、うーん。カオスッ。と思った。不用意にダイナミックに見えないよう、演出的な策が必要だったと思われる。
玉志さんは持ち前の真面目さを炸裂させて、ちょっとした所作にも凝りまくっていた。最後、「抱き上げたる後紐、蜻蛉結びも秋津国」というところで、清松を抱き上げて背中の帯(リボン結びみたいになっている)を客席に向け、めちゃくちゃしっかりアピっていた。玉志ッ! 浄瑠璃を重視しすぎて、肝心の人形の見せ方が不自然になってるッ!! 子供が死んでるように見えるでッ!!! と思った。この手の玉志さんの真面目すぎるゆえの迷走、個人的にはかなり好きだが、何度も観たことがあるわけではない演目でやられると、文脈の理解速度が遅れるため、くそやば感がすごい。ホンをちゃんと読んでない人は本当にダメだけど、玉志さんは玉志さんで過剰すぎるので、この思いつめを他の人にも分けてあげて🥹と思った。
ところでこの当吉、かなり上手い左がついていた。その人が当吉でもいいだろレベルの人では。上手い左といえば、官兵衛の左もかなり上手い人だと思われる。普段勘十郎さんの左に入っている人とは違う。本蔵やったことある人ではないでしょうか。

小田春永〈吉田玉男〉は、玉男さんに稀にある「本人にもよーわかっとらんのとちゃうか」系の状態になっていた。じっとしてて上品で貫禄があるところはいいんだけど、どちらかというと「くそでかい動物はあんまバタバタとは動かん」的な感じだった。玉男さんなのであえて書くが、京都のときのほうが凛としていてよかったかな。そもそも、春永、タマカ・チャンのほうが良かったんちゃうかとは思う。(本作の春永は「熊谷陣屋」の義経的役割。最後に出てきて、本来はNGのはずのことを通し、建前を作ってくれる役。寛仁さと颯爽とした気風が必要。タマカ・チャンにタリピツの役🥺)
春永が歩いて出てくるのが本当に良いのか、従者の出し方がそれでよいのかは、玉男さん自身も含めて検討してほしかった。

 

この演目についている人形の振り付けは、別の曲の流用や、文楽としての基本的な動作の踏襲が多い。そういった動作がどれだけできるか、普段の取り組みの如何も見えていた。また、話の流れを理解せず演じていると思われる役や、ひとりの人間の「像」としてまとまらず演技がパーツごとに細切れ化してしまっている役がみられた。そのような人が一場面に固まるとどうなるのかを見てしまったというのが正直なところ。ただ、いわゆる「名作」だと、配役問わず、なんとなくではあってもそれなりの見栄えが保証される。後述するが、人形全体の見応えがいまいちなのは、演出の問題が大きいとは思う。

あとは、足がやばいことになっている役が多かった。なぜこんな若手会並みのめちゃくちゃなことに???

 

 

 

  • 義太夫
    竹本錣太夫/鶴澤藤蔵
  • 人形
    娘千里=吉田一輔、左枝犬清=吉田玉助、竹中官兵衛重晴=桐竹勘十郎、妻関路=吉田勘彌、斉藤義龍=吉田玉佳、大垣三郎=吉田玉勢、樽井藤太=吉田簑紫郎、四の宮源吾=吉田文哉、小田春永=吉田玉男、此下当吉=吉田玉志、一子清松[黒衣]=吉田勘昇
    吉田簑一郎、吉田勘市、桐竹紋臣、桐竹紋吉、吉田玉翔、吉田玉誉、吉田簑太郎、桐竹勘次郎、吉田玉彦、桐竹勘介、吉田玉路、吉田玉延、吉田簑悠、吉田玉征、豊松清之助
  • おはやし=望月太明蔵社中

 

 

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本編上演後、座談会。
基本的には京都公演でのトークショーと同様の内容だったため、差分のみ書く。錣さんは京都での登壇がなく、今回トーク初登場なので、内容詳しめです。

※源太夫(9代目)は藤蔵さんの父。早大での「竹中砦」復活演奏当時は綱太夫(9代目)を名乗っていたため、木ノ下さんは「綱太夫」とおっしゃっていることもあったが、藤蔵さんや錣さんにとっては最後の名前「源太夫」なのと、現在一般的にいう「綱太夫」は8代目(咲さんのパパ)をさすことが多いと思うので、以下、藤蔵パパはすべて「源太夫」に統一しています。

 

竹本錣太夫

「竹中砦」は、かつて、師匠・竹本津太夫も演奏した。とても大変な演目で、自分が文楽に入門した際、師匠のところへ挨拶に行ったら、おかみさんが「うちのお父さんすごいんですよ、竹中砦をラジオで入れはった(収録した)んですよ」と自慢されたほど、太夫にとって負担が大きい、激しい曲。
藤蔵さんと組むにあたり、藤蔵さんと源太夫師匠のやりかた、師匠(四代目竹本津太夫)のやりかたが違っており、2人で話して「こちらでは源太夫師匠のやりかたを」「ここは津太夫師匠の方が良い」と検討し、仕上げていった。(藤蔵さんから、「竹中砦」はいろいろな人形座で伝承されていた曲なので、人によってやりかたに細かいバリエがあるという説明あり)
今回使った自分の床本は、津太夫師匠のものをお借りして、あらたに書き直したもの。津太夫師匠の本はお返しして、自分のものには心覚えを書き込みまくっている。藤蔵さんの持っている、越前少掾から代々伝えられている床本とは違って、なんの価値もありません!!!(笑)
「竹中砦」は、登場人物が全員、自己主張が強い。普通はまわりの人が引き下がって遠慮するところ、だれも引き下がらず、「わたしはこう思う!!!!」と言い続ける。お客さんにとってはうるさくて仕方ない!
どこが大変か? 3人の注進が大変だと言われる場合があるが、注進は三味線に乗って流れでやればいい。走って止まっての計算はやりやすい。そういう意味では「しんどそうにやればいい」だけ。難しいのは、抑えたところ。官兵衛が悔しがり「よくも恥辱を取らせたな」と言うところや、孫に対する情愛といった、「自分の気持ち」を表現するところ。大きな声を張り上げることはできない。大きな声は太夫にとっては実はラク。ぐっと締めて一生懸命やるところこそ大変。
かしらに合った表現は重要。今回はまず楽屋入りしたら、人形のかしらを見に行った。関路に婆を使うのか、老女形を使うのかで、表現が変わってくる。稽古も2通りで準備しておき、決定した老女形のかしらで演奏した。かしらについては、若い頃に大序をやっているとき、語りとかしらが違うと先代桐竹勘十郎師匠からお叱りを受けたことがある。

 

鶴澤藤蔵

三味線も、激しいところのほうが発散できるのでラク。お客さんが退屈するようなところのほうがしんどく、難しい。具体的には、マクラ(官兵衛の出)。三段目の切の雰囲気を出して、三段目らしく弾く。
(そのほか、かつて早大で素浄瑠璃復活演奏をした際のいきさつや復元方法、父源太夫の曲に対する思い入れ等を説明。越前少掾から源太夫に伝わった床本を「わたしは三味線弾きなので、舞台では使わないんですけど」と言いつつ、お持ちになっていた)

 

桐竹勘十郎

官兵衛のかしらに「口開きの鬼一」を選んだのは、普通の口が閉じた鬼一より、口角が「へ」の字型に締まっているいるから。その引き締まりが欲しかった。
(そのほか、京都での復活上演依頼当時のいきさつや、廃曲になったのが昔すぎて、簑助さんに聞いても「知らん!」と言われた話などを披露)


錣さんは妙にテンションが高かった。ふだんは落ち着いた喋り方の方だと思うが、いつもより元気よくお話しされていた。演奏後すぐのご出演で、興奮されていたのかな? 微妙に髪の毛がグシャっていて、かばのように口を左右にもごもごしているのが、かなり良かった。(かばみたいで好き)(口もごもごは本編で出てきたときからやってたが)(かば大好き)(もごもごしている理由は謎)

勘十郎さんは「官兵衛は口あきのかしらでも、口を開くところはない」と話されていた。しかし、実際には開いているところがあった。無意識なのか、それとも操作のアヤなのか。勘十郎さんは言っていることとやっていることが違う場合が多くあるが、それにどういう意味あるいは意図があるのか。いつも興味深く思うところだ。
簑助さんは、かつて「竹中砦」が最後に人形入りで上演された当時は「1歳」だったので、実際の舞台がどのようなものだったかは知らないそうだ。吉田文雀師匠は、文楽劇場発行の『文楽のかしら』の「鬼一」のページの解説で「(鬼一は)『木下蔭狭間合戦』の竹中官兵衛に使う」と書いている。文雀師匠は、かつて「竹中砦」が実際に舞台にかかっていた当時の出演者から伝え聞いた話を残してくれたのだろうか。文雀さんの場合、最後の上演当時は6歳なので、本人が直接観ている可能性自体はあるのと、当時の舞台写真で官兵衛が写っているものが残っているので、それを見て言っている可能性はあるけど。先人から伝え聞いている可能性があるという点では、簑助さんも一切知らないわけでもなさそうだ。

かしらと語りが合っているべきという話はよく聞く。文楽イイ話のテンプレの一つと言って過言ではない。しかし、その話をしている当人であっても、はたしてかしらにあった遣い方をしているかというと、私の感覚では必ずしも「そうではない」と感じる。かしらに合った表現とは何なのか。文楽の大きなテーマだと思う。

少し残念なのは、先人へのリスペクトに欠けているのではと思われる部分があったこと。かしら割は、かつて早大の復活企画の際に源太夫が考案したものなどを参考にしているのではありませんか。関路に老女方を振る考え方も、源太夫がほぼ同じことをコメントしているはず。誰がやってもこうなるだろうなという割り方だし、すべて完全一致しているわけではない。でも、一言あってしかるべきではと思った。

 

 

 

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なにはともあれ、「竹中砦」を再演ができたことは良かった。場所が前回は京都、今回は松本ということで、お客さんの層は大きく入れ替わっていると思うが、とにかく、やれて良かった。
会場側もよくこの演目で承諾してくれたなと思う。本来はもっと平明で派手な演目のほうが良かっただろうに。京都や滋賀、石川の自治体だと、文化事業にかなり力を入れている(予算を持っている)ところがあるイメージがあるが、松本市も結構やる気がある自治体なのだろうか。本当にありがたいことだ。

次の再演は、もしかしたら違う配役になるかなと感じる。いずれ「竹中砦」が国立劇場の公演に採用され、演出等を検討しなおした上で再演されることを望む。

 

 

 

 

┃ 備考記事

全段のあらすじ解説

2021年ロームシアター京都公演 本編感想記事

トークショーまとめ記事

 

 

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付記1 「わかりやすい」の押し付け

「わかりやすい」って、本当にそんなにも大事なことなのだろうか?
このブログでは繰り返し書いているテーマだが、今回公演ではより深刻にそれを感じた。

この公演では、本編上演前に45分の前説と、詞章だけではない解説字幕を出すというサービスを行っていた。
前説で、文楽鑑賞教室公演でやるような「人形の動かし方」説明をやるのは、良いと思う。人形は文楽の一番キャッチーな点で、美術品としての価値も高いので、ゆっくり見てもらえる良い機会だと思う。
でも、あらすじ説明が25分近くあるのは、長すぎ。竹中砦の場合、話自体はたいして面白くない。延々とあらすじだけ、しかも時系列で並べ立てるだけを図解もなく25分喋られても、かなり、苦痛。それは、「わかりやすく解説しました!」と言えることなのだろうか。『勧進帳』のうしろのほうでずっとじっとしている四天王や番卒の気持ちになって拝聴した。
また、字幕で「ここに注目!」というみどころを表示するという件。一部の能楽公演においては、間狂言は演者が喋っている内容を字幕表示するのではなく、シーンとしての概略を表示している場合がある。また、文楽でも、鑑賞教室の英語字幕公演だと、字幕には概要を表示している。寺子屋だと "Yodarekuri is a litte of fool." とか出る。ただ、上演中にそれを見るようにと勧めるというのは、エゴがすぎるし、そもそも、第三者の「注目ポイント」なる解説を二十箇所とかのレベルで上演中に出す必要があるのかと思う。利用が任意であるイヤホンガイドで「見どころ」を解説するのは、それを聞きたい人だけが借りればいいので、理解できる。が、字幕は強制的に視界に入ってくる。あまりにも嫌すぎたので、字幕は一切見なかった。解説が長くて嫌だった云々は、極論、嫌だったのに退席しなかった私が悪い。聞きたくなければ出ればよかったんだから。でも、字幕は本編にぶら下がっていることなので、拒絶できない。本当に勘弁してしかった。(とはいえ、もとから字幕は一切見ないので、偉そうに言っても滑稽なんですが。字幕を見ない理由は、見なくてもわかるからとかではなく、となりの席の人がゴソゴソしてるとか拍子取ってるのが不快なのと同じ意味で、私にとっての文楽鑑賞の主目的である人形以外の余計なものが視界に入るのが嫌だからです)
字幕で配慮すべきは、ワンポイントアドバイスを表示することではなくて、詞章を旧かなづかいではなく新かなづかいで表示することなのではないのかと私は思う。

古典芸能の「現場」での、わかりやすい、わかりやすいの連発には、違和感しかない。
「初心者」の方が、わかりやすいのがいい!と願うのは構わない。でも、「やる側」が無責任に放言することばじゃないと思う。じゃあいったい、あなたたちはなにをわからせたいの? あなたたちがやってることは「わかりやすい」とみずから名乗るほどのクオリティがあるの?
わかりやすい、わかりやすいとばかり言っていると、古典芸能が「確実にわからないといけないもの」「わからないと許されないもの」のようにとらえられる。そもそも、程度問題はあるとはいえ、完璧にわかることなど、ありえない。何十年も見ている観客どころか、演者、研究者であっても、わからないことは確実にある。なのにしつこく「わかりやすい」ばかり強調される現状は、おかしい。
「わかりやすい」を、わからないことへの脅しの言葉、わかることを強要する言葉に使うのは、やめてほしい。わからなければ、また見るか、調べればいいことを伝える。また見る方法や調べる方法を知らせることのほうがよっぽど大切だと思う。
というか、わかりやすいとかわかりにくいとか以前に、京都でもそうだったのだが、解説に微妙に間違っているところがあるのが気になった。誤って捉えられかねない言い方をするのもやめてほしい。

 

 

 

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付記2 人形演出に関しての批判と検討

同じ配役で同じ演目の再演ということで、いろいろ思うことがあった。
前述の通り、人形演出はほぼ京都公演を踏襲していたが、せっかくの再演なら改良を目指して欲しかった。

この演目、話の内容や演奏は『絵本太功記』尼ヶ崎と雰囲気が近く、切れ目なくスピーディに畳み掛けるような迫力がある。にもかかわらず、人形は、『増補忠臣蔵』本蔵下屋敷みたいなんだよね。本蔵下屋敷、誰も面白いと思っていない演目の筆頭(失礼)。むしろ、本蔵下屋敷は最後に琴を弾くシーンがあるだけ、まだマシ。それくらい、人形演出が退屈というか、単調。

  1.  人形の空間的位置移動がない。メインの登場人物がずっと屋体の中にいるままなので、舞台空間の立体性が感じられない。
  2.  前向きか横向きの演技しかない。後ろ姿(振り返り)などの見た目に変化が出る振りがない。また、常に単独の演技であり、ペアになる演技などの変化がない。
  3. 動きのテンポにメリハリがなく、画一的。メリヤスや人形待ちなど、音と人形のバランスをみた緩急づけがない。
  4. 演技上の強調点がない。曲のハイライト=大落としなどの聞きどころが見どころとリンクしていない。

真逆なのが、「尼ヶ崎」。「尼ヶ崎」は、本当によく出来ていると思う。
光秀や操は、詞章と関係なく、屋体・庭先を行き来して演技を行う。操は特にそうで、通常時は屋体の中で手負いの介抱をしているが、クドキになると、文章自体とは関係なく庭先に降りて踊る。クドキのあとには、光秀と屋体/船底で向かい合って決まるという、2人ペアとなる動きもある。
最後に光秀が物見の松に登るところでは、本床の演奏を止めてメリヤスになり、光秀が松に登る上下移動(+道具を引く背景転換あり。背景書割と屋体が動く)のも、物語の区切り、転換点として大きい。久吉が武将の出立となって再度出るところでは、光秀が後ろ姿となってその出を迎えるという型があり、舞台上の複数箇所にアイキャッチが作られている。
伝承曲、しかも人気があり上演回数が多い演目というのは、本当に洗練されているのだなと、よくわかった。何百年もかけて、出演者と観客によって磨かれてきた演目というのはすごい。古典芸能としての価値が歴然とある。と思った。

上記は、個々のシーンの演技のパーツをどうするかに気を取られ、浄瑠璃の全体像の設計(山と谷、緩と急、緊張と緩和)の把握ができていないことによるものだと思う。全体を見てディレクションする演出家が存在しないことが原因だろう。もしくは、それに準じる役割を果たすことができる文楽座座員がいればいいのだが、そういうわけでもない。それはもう仕方ない。先細り業界の宿命だと思う。

 

ただ、浄瑠璃本文を大切にすることはできるはずだ。以下の2点は文章に沿った検討をしなおすべきだったと思う。

関路の軽視は問題が大きい。
彼女は、屋体の中を右往左往してるだけの、なーーーんもできず、状況に泣くだけのかよわいお母さん、ではない。全段上演した場合、関路はかなり重要な人物に設定されている。「竹中砦」は竹中官兵衛(斉藤軍)と此下当吉(小田軍)の軍師対決の構造を下敷きにとっているが、実は、直前の段に、前哨戦として官兵衛の妻・関路と当吉の妻・賤の方が対決する場面が入っている。関路もまた官兵衛と同等に頭が良く、貫禄がある女性なのだ。そもそも犬清を砦へ連れて帰ってきたのは関路だし、清松を当吉側に譲ったのも関路。政治的取引として彼女が犬清と清松を引き換えたのだ。また、今回上演では端場がカットされているのだが、その部分で関路と千里が重要な話をするくだりがある。カットされるのが惜しまれる大切なシーンで、そこでも関路は大きな存在意義を持っている。上演部分に関路の主体的な活躍の場がないからこそ、彼女の重要性を踏まえた演出が必要だと思う。
ただ、極論(というか、文楽の一般論かもしれないが)をいえば、自分に蓄積がない役は演じられないし、演出できないということだとは感じた。

最後の官兵衛と清松との対面で、清松を鎧櫃に乗せる演出。
2人が顔を向き合わせて対面する演出自体は、良いと思う。でも、鎧櫃に乗せることについて、「赤ちゃんを戦争の象徴である鎧櫃に乗せるという対比が云々」と誉めそやした解説がされていたことに違和感がある。私は、だからこそ、ダメだと思うからだ。
当吉が密かに連れてきた清松を皆に見せるとき、彼はどこから清松を出すか? 背中につけている母衣(ほろ)の中からですよね。

「ヤア/\官兵衛。義龍が首取ったる当の敵。左枝犬清、見参せん」
と槍提げて駆け来る母衣武者。歩み寄って頬当兜かなぐり取れば此下当吉。御前に向ひ謹んで。
「この久吉が下知に従ひ敵地に入て命を落し。謀を行ひしはあれ成る犬清。又戦場にて義龍を討ち取り。武功を顕はす犬清は則是に」
と槍投捨。母衣絹取れば背負し稚子。ヤア清松かと手負の千里寄るも寄られぬ深手の苦痛。母も心根思ひやり千々に乱るゝ胸の糸。久吉重ねて。此稚子の犬清に御勘気御赦免下さらば。我に加増の君恩にも遥に増る御仁恵と思ひ。入てぞ願ひける。

母衣とは、騎馬戦の際、流れ矢を防ぐために背中にかける袋状や吹き流し状の布。防具、つまり武具。文楽では『一谷嫰軍記』で熊谷や敦盛が出陣の際の衣装として身につけており、ご覧になったことがある方も多いだろう。
ははのころもと書いてほろと読ませる優しい字面なのに、実は戦争の道具。そこから赤ちゃんを取り出すというギャップのインパクトは、浄瑠璃本文の中にすでに備えられている。
また、織田信長は、側近の中から優秀な者を選りすぐり、黒あるいは赤の母衣をまとわせた精鋭「母衣衆」を形成し、戦場に出陣していた(そもそもの「小田軍の母衣武者が無双の活躍をする」という設定も、この逸話から来ているのだと思う)。その小田軍の母衣の中から清松を出している時点で、「犬清を許す、官兵衛を仲間へ迎える」という春永や当吉の心も表現された、非常によく出来た仕掛けにもなっている。

「赤ちゃんと戦争の対比」という鮮烈な見せ方は、清松が登場した時点で終っているにもかかわらず、対面の場面でも安直に重ねることは本当に必要なのだろうか。そこで描くべきは、生命と戦争の対比といった「一般論」ではなく、官兵衛という個人と社会、彼がそれまで信じていたものと新しい価値観との葛藤、相克なのではないか。

私は、官兵衛と清松の対面は、官兵衛が屋体から降りて、船底にいる当吉から受け取るという方法にしたほうがいいと思う。重要なのは、官兵衛の心理の変化をどう表現するか。人形の居場所がこれまでとは変わるという見た目の変化は言うまでもないが、官兵衛がはじめて主体的に動き、立ち位置(物理的にも精神的にも)を変えるという意味も打ち出すことができる。あの屋体というのはまさしく官兵衛の心の砦で、そこにずっと閉じこもっていたにもかかわらず、孫(家族)によってそれが突き崩され、彼の心境は変化し、外へ出ていくのだから。
もし、「赤ちゃんと戦争の対比」が何度も繰り返して表現しなくてはいけないほど重要であると考えているなら、重ねる意義を持たせるためのひねり、洗練が必要だと思う。

 

京都初演時は、まず復活させたこと自体が立派なので、ある程度荒削りでも仕方ない、ズレた手柄話が出ても仕方ない。アガリに文句言うだけなら誰にでも出来るし。そう思って余計なことを言うのは控えたけど、今回は再演。検討しなおすチャンスだったと思う。
木ノ下さんは本来はプロの演出家とはいえ、この企画ではプロデューサーだろうから、演出へはノータッチなのだろう。変な持ち上げを言うのはやめて欲しかったが、責任を問われる立場ではない。けど、文楽座の座員(出演者)はクオリティアップへの責任がある。本当にこれを言ったら終わりだとは思うけど、人形が浄瑠璃演奏よりもクオリティが数段低い状態になっているのは否めない。いまは一人の天才やスターが座を牽引している時代ではないし、創造性があることと小手先が器用なことは違う。だから、チームとしての力が必要だと思う。「より一層いいものを作ろう」という目的を共有することが、本当は、座(チーム)として、一番大事なことだと私は思う。次の上演機会には、より洗練された舞台を望む。

 

この公演を見る前日、国立映画アーカイブで、栗崎碧監督の『曽根崎心中』を観た。
文楽の『曾根崎心中』を劇映画として撮影したという映画で、徳兵衛役として初代吉田玉男が出演している。大きなスクリーンで見てよくわかったのが、徳兵衛の振り付けの秀逸さ。
徳兵衛の内面性や性格を表現する現代的リアリズムを踏まえた演技。舞台に華やかさや文楽らしさをもたせるための人形の型の特性を踏まえた演技。そして、女形の足を使って情感を表現するという、古典にはなく新たに発案された興行の目玉となる演技。これらがバランスよく盛り込まれている。
これらの徳兵衛の演技は、初代玉男によって復活上演のために考案されたものだ。つまり、これも、伝承が無く、手がかりもない状況から、復活にあたって新しく振り付けを考案したということ。あれ見て、「徳兵衛の演技がのっぺりしてる」「単調で飽きる、深みがない」とか、誰も思わないよね。なんなら近松初演からああいう演技だったんじゃない?とみんな思っているでしょう。伝承曲である『冥途の飛脚』や『心中天網島』の人形振り付けに劣るとは思わない。
むろん、復活初演の初日や再演の2回目からこのクオリティだったとは思わない。初代玉男は浄瑠璃に寄り添い、より情感をもって徳兵衛という人物を表現するには?という研鑽を重ねたからこそ、あの徳兵衛が成立しているのだと思う。生涯をかけて研鑽を重ねれば厚みが違ってくるのも当然といえる。その「研鑽」が、本当に重要なのだと思う。そもそも、「自分のやったことを顧みて改善する」「納得できるまで検討する」ことができる、それ自体がなにものにもかえがたい才能なのだろうなと思った。

 

 

 

 

文楽3月地方公演 三重県会場[津市久居アルスプラザ]様 展示企画にイラストを提供しました

文楽3月地方公演 三重県会場・津市久居アルスプラザ様の展示企画 『あなたのしらない文楽の世界』 に、私の描いたイラストを展示いただいています。

展示は、文楽のほか、『桂川連理柵』について詳しく知ることができる内容になっているそうです。
施設の入場無料スペースにあり、公演当日の3月17日(日)まで、どなたでもご覧いただけるとのことです。

 

 

X(Twitter)・instagramなどで発表した過去作品の提供のほか、『桂川連理柵』の人物相関図イラストを新規描き下ろしさせて頂きました。

(相関図で説明すると、長右衛門さんのヤバさが際立ちます)

 

地方公演は毎年色々な土地へ伺っていますが、このように力が入った企画を合わせて行われる会場は本当にすごいと思います。また、ウェブサイトの公演案内ページにも力が入っており、上演作品の詳しいあらすじなどを事前に読むことができるようになっています。文楽の地方公演は、主催者の方の尽力に支えられているということを改めて知ることができました。

お近くの方、展示・公演ともに、ぜひお運びください。

 

  • 展示詳細
    会期 2024年2月17日(土)~3月17日(日)8:30~22:00 ※火曜休館
    会場 津市久居アルスプラザ アートストリート1
    ※3月15日(金)~17日(日)はエントランスロビーにて展示いたします
    ※観覧無料

  • 公演詳細
    久居アルスプラザ開館3周年記念 人形浄瑠璃 文楽 | 津市久居アルスプラザ
    2024年3月17日(日)
    • 昼の部『義経千本桜』椎の木の段、すしやの段
      13:00開場/13:30開演/16:15終演予定
    •  夜の部『桂川連理柵』六角堂の段、帯屋の段、道行朧の桂川
      17:30開場/18:00開演/20:25終演予定
    • 昼の部終演後、エントランスロビーにて文楽技芸員による文楽解説あり(30分程度)。事前申込不要・どなたでもご覧いただけます。

文楽 2月東京公演『艶容女舞衣』『戻駕色相方』『五条橋』『双蝶々曲輪日記』 日本青年館

 

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2月東京公演は、神宮外苑にある日本青年館で上演。日本青年館てこんな場所やったっけ??と思ったら、2017年の建て替え時に場所ごと微妙に移動してたのね。

最近知ったのだが、日本青年館という施設は大正時代からあり、そもそもは明治神宮造営とともに計画されたものだそうだ。なぜこんな施設が神宮外苑にあるのか、なぜ「青年館」なのかは、山口輝臣『明治神宮の出現』(吉村弘文館/2005)に詳しく書かれている。この本、おすすめです。

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場内は、12月の「シアター1010」と同じく、「地方公演のうち、いい方の会場」という印象。2階層かつ客席に縦の奥行きのあるホールで、1階のみで815席あるとのこと。2階席の位置が高く、また、天井高もかなり高いのが特徴だった(2階席は販売なし)。本舞台の間口は国立劇場くらいだろうか。広すぎず狭すぎず、文楽として標準的と感じる幅。いわゆる緞帳はないようで、開演していないときは定式幕のみ張っている状態だった。本舞台上手には回転できる出語床を設置。もともと舞台まわりに大きな余裕があり、また、舞台袖が張り出している設計のため、客席を潰しての設置ではなく、上手の袖にそのまま出語り床を乗せているようだった。

音響は、天井高のためなのか、三味線の音が少し散り気味のように感じられた。音域の脱落はないが、低音の余韻が飛ぶため、やや軽く聞こえる。また、太夫の声を含め、上手ブロック床付近の席よりも、中央ブロックのほうが浄瑠璃が自然に聞こえるように感じた。
本舞台上の音は、かなり強く反響するようだった。人形が手を叩くときに木同士が触れ合うカチンという音まで客席に響いていた。足拍子は、いわゆる伝統芸能的な低い響き方ではないのだが、音はかなり大きく出ていた。踏んだときの振動は、国立劇場以上に伝わってきた。

人形の見えは、良くない。見えるか見えないかの話でいうと、客席の傾斜が強いので、後列席からでも人形が見えるというメリットは大きいと思う。ただ、問題は前列席。ステージ自体が高く、客席との距離が遠いため、極端にいえば、お祭りで山車の上の人形を見ているかのような状態になる。たとえば第三部『双蝶々曲輪日記』「引窓」は、もともと濡髪が2階座敷に出る演出があり、それがより見上げ姿勢になるのは良いのだけど、演目によってはしんどいものも出てきそうだった。

ロビーが激狭なことは気になった。1Fが入場前ロビー、階段上がってすぐにチケット改札があり、2Fは入場後ロビーとなっているのだが、これらのロビーが、ロビーというより、ただの通路。
特に2Fは、今回、義援金募集やお土産物販の机、イヤホンガイド・プログラム販売の机が出ていたけれど、もうそれだけでまともに通行できない状態になっていた。休憩用ベンチがないとかそういう次元ではない。休憩時間にロビーに出ていられない。入場階段付近や階段自体も狭いので、出入りがやたら混雑する。文楽は1階席のみしか販売していないし、今回は満席まで入ってなかったので人混みはまだましな方だと思うが、2階席まで人を入れる完売公演の場合はどうなっているのだろうか。

「シアター1010」と同じく、ここも、客席に電波が届く仕様。ある日、「引窓」で延々携帯鳴らしまくっているヤツがいて、5人目になりたい…ってコト!?と思った。

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第二部、艶容女舞衣、酒屋の段。

久々に清十郎さん復帰。まずはあまり重くない役からということなのか、三勝を演じていた。特に以前と変わりない様子だった。三勝は手拭いをかぶっている時間が長いため、そこの見せ方には検討が必要だと感じた。

お園〈桐竹勘十郎〉がおかるみたいなことになっているのが気になった。言いたいことはわかる。だが、話から乖離しているし、本人の持ち味からも浮いている。相手役が目の前にいないと、過剰になってしまうということなのか。それとも、簑助さんを意識しすぎなのか。

お園にはお園の才能が必要だ。お園のやっていることは、「自分が一生懸命相手を想っていることには至上の価値がある、相手や世間はそれを認めるべきだ」的な、推し活を履き違えた女子に近しいアレがある。自分が半七の立場で、「ここで死んだら来世では妻ッ!」とか言って悦に入ってる女が「自宅待機」しつづけてるとしたら、怖すぎて、ほんまに、家、帰れん。
この完全なるヤバみを崇高性をもって表現できる人でないと、お園というキャラクターは成立しない。まず「クソヤバい」、しかし着地点としてその異常さの突き抜けが崇高性を帯びている、というのが重要だ。
こういう虚構性は、おそらく、簑助さんが得意だったんだろうな。いま配役されるような人は、簑助さんを模倣しようとしているから、変になるのだと思う。そうでない出発点からはじめないと、「十種香」の八重垣姫と同じく、「簑助のほうがうまい」としか言いようがないのだと思った。

長太〈吉田玉彦〉は、中央線の居眠りサラリーマンのように、「いつでも起きれます」な寝方だった。冒頭のこの寝姿は結構難しいと思う。寝ているように見えない場合が多い。今回は少なくとも寝てはいる。
勘壽さんは半七パパ・半兵衛に来たか。確かに半兵衛は建前が極めてきちんとしている人物なので、これくらいキリッとした人がやらないと締まらない。勘壽さんの真面目な商人役らしい居ずまいで、首をぎゅっとかためたような姿勢が印象的だった。対してお園のパパ・宗岸にまわったのは玉也さん。半兵衛より宗岸のほうが若干柔和なので、これが合っているのかもと思った。
それはそうとして、半兵衛のパパママは、初孫と初対面🤩❤️✌️なのに、生まれてからずっと一緒に住んでそうだった。初孫が初めて遊びに来ておひざに乗ってきたら、おるのかおらんのかわからん息子とか、どうでもええし〜ってなりそう。

 

床は良かった。
錣さんは、自分のことはさておき娘息子のことしか頭にないジジババの心境がリアルに描写されていた。それと、錣さんは、五人組の頭*1に似ているのが、良い。
今回は、床と本舞台のあいだが狭すぎるせいか、白湯汲みが客席から見える位置にはついていなかった。酒屋は、白湯を出していたかどうかも見えなかった(「引窓」は出していた)。
清治さんは、今後このままずっとこうしていくつもりなのか。腕そのものが大きく落ちたとは思わないし、年齢からくる不安感をやわらげるためにやむを得ないとも思うが、やっぱり、生きていくというのは、最後は、自分の気力との勝負なのか。

 

 

 

  • 義太夫
    中=竹本三輪太夫/鶴澤清友
    切=竹本錣太夫/竹澤宗助
    奥=豊竹呂勢太夫鶴澤清治

  • 人形
    丁稚長太=吉田玉彦、半兵衛女房=吉田文昇、美濃屋三勝=豊松清十郎、娘お通(黒衣)=吉田和登(前半)豊松清之助(後半)、舅半兵衛=桐竹勘壽、五人組の頭=桐竹亀次、親宗岸=吉田玉也、嫁お園=桐竹勘十郎、茜屋半七=吉田勘市(代役、吉田清五郎全日程休演につき)

 

 


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戻駕色相肩、廓噺の段。

地方公演の景事みたいだった。

駕籠かき二人(実は正体がある)とカムロチャンがお国(?)自慢をするという建て付けだが、彼らはお互いに興味はなさそうだ。次郎作〈吉田玉佳〉だけ、カムロチャンの羽突き大失敗に微妙に目線を送っていた。前に玉志さんが次郎作をやったときには「目ぇあけたまま寝てんのか?」ってくらいガン無視していたので、タマカ・オリジナル・キヅカイなのかもしれない。でも、木に引っかかった羽根を無駄にデカい図体をいかして取ってあげるわけではない。長柄に肘をついて見ているだけ。よくわからないのんき話。

ただ、客がこれを気楽に見るのは勝手だけど(傲慢)、出ているほうは慎重にやってくれと思った。特に人形。主遣いはともかく、左がガチャガチャしているのが非常に気になった。
ある日、この演目ではない別のものを、客席ではなく、ロビーのモニタで見た。ロビーのモニタで流されている映像は、1階席最後部か2階席最前列から撮っていると思われ、舞台の床面がすべて見える状態だった。ここは船底がない劇場なので、足もかいしゃく(介錯、小道具の出し入れなどをする係)も、舞台上にいる人全てが、どう動いて、なにをしているかを見ることができた。
その演目は、客席から見ると、主役の足がズレているというのが気になっていた。足遣いは、普通に客席から見ているのでは手すりに隠れてほとんど見えず、なにをどうやっているのか、客にはわからない。それこそ「足がズレている」ということだけが端的に見える状態だ。ところが、舞台全体を高いアングルから写したモニタで見ると、足遣いの全身が見える。そうすると、ずいぶんとぐるぐる、そして、あちこち動き回っていることがわかる。人形がターンする際には、人形自体は動かず、人形遣いは人形をよけ、自分自身がその周囲をまわらなくてはいけない。足遣いはより一層外周を大きくまわり、かつ、その自分の移動ロスを埋めるように急いで遣わなくてはいけない。
それを見て、ああ、自分自身が動き回っているから、それで「ものすごくやっている気」になってしまって、肝心の「曲に足を合わせる」ことがおろそかになっているのに気づいていないんだなと思った。足自身も主遣いも。左も同じで、やること自体は多いから、客席から見てガチャガチャになっているだけに見えても、それこそ、本人は「ものすごくやっている気」なのだろうなと思った。
人形が演技をしている状態になっているかを意識しながら遣えるまで、遠い道のりなのだろう。
話が突然辛辣になってしまった。でも、客からどう見えているか意識せずに舞台に上がってはいけないのは、本当。

床は、燕三さんがここというのは、違う気がする。

 

 

  • 義太夫
    次郎作 豊竹藤太夫、与四郎 豊竹靖太夫、かむろ 竹本碩太夫/鶴澤燕三、鶴澤清𠀋、鶴澤清公、鶴澤燕二郎(カーテンを自分で閉める係をかねる!!)
  • 人形
    浪花次郎作=吉田玉佳、吾妻与四郎=吉田玉勢、かむろ=吉田一輔

 

 

 

 


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第三部、五条橋。

地方公演の景事みたいだった(その2)。

今回の出演者の方がどうこうという話ではないのだが、「五条橋」、頻繁に出るわりに、「これだッッ!!」というほど決まることって、ないですよね。義経・弁慶でタイミングを合わせなければ成立しない演技があまりにも多いし、振り付けそのものが根本的に難しいのだろうか? それはそれで、演目としての致命的欠陥のような気がするが……。誰がどうやっても何となくなんとかなるという意味では、『二人三番叟』のほうがよく出来た振り付けなのか?

プログラムの解説も、ここまで同じような演目を繰り返していると、サボり意図でなくとも、「コピペ」になる。それでも、児玉竜一氏は、義弁強火勢である。(逆カプだったらすんません)

 

 

  • 義太夫
    牛若丸 豊竹咲寿太夫、弁慶 豊竹亘太夫、豊竹薫太夫/鶴澤清志郎、鶴澤友之助、鶴澤清允、鶴澤藤之亮

  • 人形
    弁慶=吉田簑太郎、牛若丸=吉田玉誉

 

 

 

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双蝶々曲輪日記、難波裏喧嘩の段。

「難波裏喧嘩の段」は人形黒衣。
濡髪〈吉田玉志〉以外、若い人ばかり。なにげない段だが、いろいろとわかることがあった。

この場面、登場するほとんどの人形に、「転ぶ」という演技が含まれている。それを見ていると、みな、「転び方」が師匠にそっくりだ。転び方がうまい人の弟子は転び方がうまく、「あー」という人の弟子は「あー」という転び方をする。良くも悪くも、師匠からしか学べないのだなと思った。本当は、自分の師匠であっても、参考にすべきところ、そうでないところがあるはずだが、それに気づくまでには、時間がかかるのだろう。よほど周囲をよく見ていないと、ほかのお師匠さんがどう転んでいるか、意識もしないだろう。転び方は、本当に、侮れない。

もうひとつ。現在の文楽の人形のかしらは、昭和を代表する人形師・大江巳之助さんによって制作されたものが多く使用されている。ほぼ大江さんの作品だといっても過言ではない。大江さんのかしらは、顔の正中線が、胴串(人形のかしらの持ち手)に対して、本当にまっすぐになるよう作られていると言われている。人形遣いからすると、大江さんのかしらが文楽で多用されている最大の理由は、この「顔の正中線がまっすぐ」という点だそうだ。顔の造作が綺麗だからではなく、自分の意図通り、精緻に遣える構造になっていると。過去の人形師の作品は、そうは出来ていないらしい。
でも、かしらがまっすぐに出来ていることと、舞台で人形遣いが本当にまっすぐに持っているかは、別の話ですよね。不必要にゆがんでいる人、たくさんいる。まっすぐ持てていなかったり、正中線が頻繁にぐらついたり、ヨレたり。ベテランでもそうだ。この段は若い人が多く、黒衣なこともあって、歪んで持っていると、それが最大の情報になってしまい、「歪んで持っているな」ということが一番目立ってしまう。
逆に、本当にまっすぐに持っている人は、人形がものすごく端正に見える。歪ませて持っているときがあれば、それは意図があることだとわかる。人形をまっすぐ持つことができる技術というのは、貴重で、重要なことだと思った。

 

 

 

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「八幡里引窓の段」から出遣い。

最近何度か出ている「引窓」、今月が一番良い。床、人形とも、やや時代物向きの人が並んだこともあってか、並木宗輔の理知的な世界と、そこに滲む人間の情が爽やかに出ていた。
いかにも引窓でございとでもいうような油臭さがないのは、良い。「それっぽさ」を変にこさえると、浄瑠璃は中年太りしてしまう。でっぷり太った役者がでっぷり太った節回しをするのを文楽で見たいわけじゃないから、そういう意味で、シンプルでストレートな今回の引窓は、私の嗜好に合ったものだった。
脂ギッシュ(死語)にやられても困るのだが、「文字通り」にやられても困る話ではある。ロジックが勝ちすぎて、「はあ、ようできた話ですな」以上のものになれない。「昼夜によって対応が変わる」という時刻を使った理詰めのロジックは、ともすればドキつすぎる。このロジックが崩れるからこそ「引窓」は面白いのだが、そのロジカルさの塩梅が難しい。今回はそれがうまくいっていた。
真剣な話、濡髪が関取かどうかを確認するために劇場に足を運んでいるわけじゃないんで、床にしても人形にしても、過剰な「関取」こさえはいらないかな。少なくとも。千歳さんはもともと声が太めのため、濡髪に作り込みがいらないというのもあるけど、濡髪が自然なのがいい。

 

「難波裏喧嘩の段」で、人形のかしらが本当に正面を向いているかの話題を出したが、「引窓」の人形演技では、「本当に正面を向いているとき」と、「そうでないとき」の区別がいかされている。端的には、どこをどう見ているかで、その人物の心のうちがわかるようになっていた。
濡髪は、常に若干顎を引いて、うつむいている。露骨に表には出していないが、心のうちは深刻である。そして、せっかく会いに来たのに、ママ〈吉田和生〉から顔をそらせている。まっすぐ正面を見ているようで、上手にいるママからやや顔をそむけ、わずかに下手を向いて、どこか遠くを見ているような表情。彼は、せっかくママに会っても、ママに迷惑をかける、心配をかけてしまうと心を悩ませており、ママの顔を見られない心境である。
十次兵衛〈吉田玉男〉は、顎をあげてまっすぐ正面を向いている。検非違使のかしらにふさわしい表情だ。しかし、彼もまた、ママの様子がおかしいことを悟ると、ママの顔を見なくなる。ママはなぜ自分に隠し事をしているのか、そのママの想いを叶えるにはどうしたらいいか。強い視線はそのままに、思慮をめぐらせている。濡髪を助けると決意したあとは、ふたたびきりりと正面を向くようになる。
でも、ママはちゃんと息子たちの顔を見ているのが、印象的。ママは常に息子たちに対して分け隔てなく、ママなのだ。

濡髪が玉志さん、十次兵衛が玉男さんというのは、本来的には役が逆だと思う。大柄で愚直な濡髪には玉男さんが似合うし、凛と理知的な十次兵衛には玉志さんが似合う。「十次兵衛のほうが役が大きい」というのは慣例にすぎず、当人たちに似合う役をつけたほうがいい。本来的には。
でも、今回は、これで良かったのかもなあとも思った。誰もが手を差し伸べ助けたくなるような素直な若者である濡髪には瑞々しい玉志さんが似合うし、役目があっても暖かい気持ちを忘れない大人である十次兵衛には優しい玉男さんが似合うよなぁ。演技の上手い下手とか、得意不得意ではなく、玉志さんは玉志さんとして存在するだけで瑞々しいし、玉男さんは玉男さんとして存在するだけで優しげだ。これは、その人自身が持っている特性。
玉男さん十次兵衛は、11月大阪公演の時点では「役作りに迷っているのかな?」と感じていたが、結果としてそのまま、優しげで自然な大人の男性として落ち着いたということね。
自然な優しさというのは、玉男さんならではの持ち味だ。たとえば『心中宵庚申』の半兵衛とか、『卅三間堂棟由来』の平太郎とか、あの「穏やかでいい人な大人の男性」ぶりは、玉男さんにしか出せない上手さがある。彼らのゆったりとした動きは、心のゆとりだ。ちょっとキョトンとしたり、どこかかわいらしい仕草も挟まるのも、人柄をしのばせる。
十次兵衛が彼らと役として同系統といったら、本当は違うと思う。玉志さんが十次兵衛をやったなら、誠実さと篤実さが全面に出て、「彼は心が清く篤い人だから、ロジック(建前)を立てつつ、役目に背くことなく濡髪を助けた」という見え方になったと思う。弁慶を助ける冨樫(勧進帳)、若君を助ける畠山重忠(ひらかな盛衰記)のように。本当はこちらのほうが浄瑠璃に対して正しいだろう。でも、玉男さんの場合、十次兵衛がなぜ濡髪を助けたのかの理由が、彼が、自分のことよりママを思いやれるような「穏やかでいい人な大人の男性」だから、に見えている。
逆に、玉志さんの濡髪は、本来の役以上に颯爽として、若々しい。スッと伸び上がる特徴的な動きも、濡髪に若さゆえの誠実さを添えている。そして、所作のいずまいがきちっとしている分、図体に似合わない細やかな心根の人物に見える。玉男さんが濡髪であれば、くそでっけー赤ちゃん的な、愚直で素朴な人物像になるだろう。そして、めちゃくちゃ、ドスコイ化するであろう。濡髪もまた、本当はこっちのほうが浄瑠璃に対して正しいと思う(特にドスコイ)(ああどす恋どす恋)。しかし玉志さんの濡髪は、若く繊細に見えるぶん、真面目になりすぎるところが非常にリアリスティックになってくる。話の進行としてはぶっちゃけうざったい「でも、やっぱり」の繰り返しも、繊細さの範囲に落ちる。
濡髪も十次兵衛も、ある意味では類型的な役だ。そういった役に対し、本質的にはまった配役でないからこそ、はみだした部分にその方ならではの特性が出て、それが個性として役にうつるのだろうなと思った。玉男さんは濡髪やったことあるだろうし、玉志さんもいつか十次兵衛がくるだろうから、いまはこれでいいのかな。玉男さんの十次兵衛自体、まだまだ未完成ということだろうし。

 

濡髪についてもう少し。
濡髪は、玉志さんにしては動きが非常に大きく、また多い役だ。主役で文七のかしらを遣うときには、緻密にコントロールされた微細な動き(動いてるのか動いてるのかわからんレベル)を中心にすることが多い人だが、濡髪は町人・若者・アスリートだからか、身体の動きを多めに入れ、予備動作も大きく遣っていた。もとの動きの速さもあいまって、大きな動きを思い切りやっていることが、人形に映えている。また、玉志さんの場合、大きな動きが入っても、止めではかしらの位置が一発できっちりFIXするのが特徴だが、濡髪を見ていると、肩、腕の関節といった身体のアクセントになる部分も変なブレやぐらつきがなく、一発でFIXしていることがわかる。これが、フォームのトレーニングを積んだ本物のアスリートのようで、良い。段切の旅立ちで、門口で大きく振りかぶって体をかえす所作は、きびきびと引き締まっている。自分が体を動かしているかのような気分になり、さっぱりと気持ちよかった。
ママに対し、自分よりも十次兵衛をとるよう迫る場面も、立役らしい横顔の美しさを見せつつ、左肩から背中を客席側に向けて体全体を大きく落とした、迫力のある所作。ここだけは、それまでちょこんと振る舞っていたママに対しても、大きく遣う。
いずれも、昔の玉志さんだったら、あそこまで大きく動かさなかっただろうな。いつからふっきれたのだろうか。
濡髪役を重ねるにつれ、だんだん、すこしずつ、ドスコイ化してきているのは、おもしろい。全然太ってはいないけど、若干重めに筋肉ついてきた。「喧嘩」は立ち姿勢が多く上半身が下着なのでスラッとして見えるが、「引窓」では着付けをだいぶふかふかさせており、座り姿勢も二の腕の位置に工夫をこらすなどして、姿が大きく見えるように遣っていた。今回は、鈴木亮平くらいにはなっていたのではないでしょうか。


「引窓」の真の主役、ママは、今回は和生さんが配役。ママは、人形遣いがついていることを忘れるほど、自然だった。最初に出てきたときは、和生さんらしく折目正しいママだなと思っていたが、だんだん「和生さんが遣っている」ということを忘れ、前髪を落とすところでママが前のめりにかがむのを見て、「背後におるこのオッサン、何??????」と素で思った。それは和生。ひさびさに「人形遣いが消える」という感覚を味わった。
折目正しいといっても、ママは、在所の百姓・町人身分の奥さんだ。ツッコミ入れのときは濡髪の膝をばしっと叩く(武家女房ならおそらく床か自分の膝をトンと軽く叩く程度)、立ち上がりながら振り返るといった複合的な「ついで」風動作をするなど、やや素朴な動作が織り込まれていた。大名の乳人である政岡の、端々まで行き届いたそれとはまったく違った所作だ。和生さんは全体的に上品なのでわかりづらいが、やはり、細かく遣い分けているんだなと思った。
濡髪を元服させるところの前髪の剃り方は、勘壽さんとは少し違っていた。勘壽さんは上手側(濡髪からすると左側)から剃り始め、おはやと濡髪のあいだへ移動しながら剃っていたが、和生さんはおはやと濡髪のあいだに立って下手側(右側)から剃り始め、その位置のまま、すべてを剃っていた。そして、めっちゃ細かく、丁寧に、産毛を剃っていた。(そのあいだずっと体を倒して和生さんをよけている玉志さん。腰が大変そう)

お早〈吉田勘彌〉は、引窓の引縄を引く姿に彼女の置かれた立場があらわれていて、良かった。夫・十次兵衛の、濡髪を捕縛するという言葉に、お早は思わず引窓の縄を引き、窓を閉めてしまう。そのとき彼女は、縄を引くとともに体を下手に向かせて、顔も夫から大きくそらし、うなだれる。窓を閉めることで濡髪とママを助けることはできるが、何も知らない夫を本意でなく裏切ってしまう。その悔恨の心情。この場面、かならずしも毎日決まりきった角度・表情でやっているわけでなく、そのときの感情の流れにあわせてやっているようで、そこも良かった。
冒頭の里芋剥きは、里芋の毛を剃っている感じだった。ぞりぞり(里芋に包丁を小刻みに当てて引く)、なすなす(包丁についたものを横に置いた樽のへりにこすりつけて落とす)。全部剥いて茹でたやつ(?)はママが月見台に乗せてお供えしてるし、これから作るのは、家族の夕ご飯用に毛だけとって丸焼きにするってことなのか? 里芋の丸焼き、ホクホクしてうまそうだな??
それはそうとして、お早、今月から役名が突然漢字になった。どういうこっちゃ。

 

総合的には、濡髪、ママ、お早の、演技のタイミングがバッチリ噛み合っているのが、良かった。急に動いてカラミとなるところでも、もちゃもちゃせず、ごまかしていない。「引窓」の場合、三味線のリズムに乗って舞踊的にからむというより、コトバ(セリフ)とともにからむパターンが多いので、タイミングをはかるのが難しいと思うが、浄瑠璃をよく聞いて、間合いを把握しているということか。
間合いが合っているというのは、人形同士だけではない。床と人形もだ。ママが「お前が捕まって死ぬ気ならワシのほうが先に死んだるわ!」とカミソリで自害しようとすると、濡髪はそれを引き留め、「誤りました」と大きく嘆いて倒れ伏す。この「誤りました」を語る太夫の間合いは(あるいは回数も)、おそらく日によるアドリブだと思うが、よく合わせに行くよな。同じフレーズの繰り返しは義太夫には非常によく見られる手法だけど(12月の『源平布引滝滝』にもありましたよね)、床の語り方がワンパターンにならないよう工夫が必要なのはもちろん、人形もまた同じ所作の繰り返しにならないような設計が必要。一般的には最後の1回をもっとも強調するという処理になるとは思うが、間合いにアドリブが含まれてくると、大変だなと思った。

引窓の開閉タイミングはもう少し正確に、びしっと曲に合わせてやってほしい。おはやが最初に引き縄を引くところはいいんだけど、特に最後、十次兵衛が濡髪を縛った引き縄を切るところで引窓があくタイミング。十次兵衛や濡髪自身が開閉するわけではないせいか、いったい何を契機に引窓があいたのか、わからない。本質的には実際に開閉を行うかいしゃくの問題だろうけど、十次兵衛や濡髪役の主遣いも含めて、決めておいてほしい。


11月の大阪公演ではぐにゃぐにゃしていた平岡丹平〈吉田文哉〉、三原伝蔵〈桐竹紋秀〉は、今月はシャッキリしていた。これくらいシャッキリで頼む。

 

  • 義太夫
    • 難波裏喧嘩の段
      長五郎 豊竹靖太夫、郷左衛門 竹本津國太夫、有右衛門 竹本文字栄太夫(2/6?〜13、竹本文字栄太夫休演につき、代役・竹本南都太夫)、吾妻 竹本碩太夫、与五郎 竹本織栄太夫、長吉 竹本南都太夫/竹澤團吾
    • 八幡里引窓の段
      中=豊竹芳穂太夫/野澤錦糸
      切=竹本千歳太夫/豊澤富助

  • 人形
    平岡郷佐衛門(黒衣)=吉田玉路、三原有右衛門(黒衣)=吉田玉延、山崎与五郎(黒衣)=桐竹勘介、藤屋吾妻(黒衣)=吉田和馬、濡髪長五郎=吉田玉志、放駒長吉(黒衣)=桐竹勘次郎、下駄の市(黒衣)=吉田玉峻、野手の三(黒衣)=吉田簑悠、女房お早=吉田勘彌、長五郎母=吉田和生、南方十次兵衛=吉田玉男、平岡丹平=吉田文哉、三原伝蔵=桐竹紋秀

 

 

 

 

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『双蝶々曲輪日記』の作者・並木宗輔は、〈理〉と人間性の拮抗を強く意識した作品が多い。彼の描く〈理〉とは、社会制度上の不条理であることが多い。〈理〉は人間の社会を規定しながらも、人間の人間性を否定する。そのとき人間は、どうするのか。遺作『一谷嫰軍記』は、その真骨頂だろう。『双蝶々曲輪日記』は少し違っていて、この作品を支配する〈理〉とは、時間である。なるほど、本作は世話物で、町人が抗えない〈理〉といえば、金と時間。時間は天体の運行をもとにしており、人間が絶対に介入することのできない〈理〉である。しかし、この物語では、人間の情が時の流れを曲げてしまう。時代物の〈理〉=社会制度上の不条理(でも所詮人間が勝手に決めたこと)は絶対に曲げられないのに、それよりも絶対に曲げられないはずの自然現象が人間の情によって曲げられるだなんて、ロマンチックだと思う。並木宗輔は、あれだけ残酷な物語を多数描いておきながら、やっぱり最後には、人間を信じたかったのかなと思う。

 

今月も会期が短く、あまり見られないのが残念だった。5月は二部制、通常会期に戻るので、楽しみ。

最近いろいろ考えることがあり、玉志さんは、人が若いときに持っている強さ、気高さを、年をとっても失わなかった人なんだなーと思った。そういった純粋さ、清潔さが、濡髪にあらわれていると思った。


今月の文楽公演の良いところは、プログラムに、全ての人形の顔写真が載っていること。各演目に、人形の顔写真(免許証の証明写真みたいなアレ)入りの人物関係図ページがもうけられていた。
おかげで、『双蝶々曲輪日記』、なんか、6人くらい似たようなツラのアホがボコボコ出てくるけど、1秒で顔忘れる。という問題を解決できた。『双蝶々』雑魚のみなさんは、並べた写真で見比べてもやっぱり似たようなツラで、良かった。というか、兄弟役には、ちゃんと顔かたちの似たかしらを割り振ってるのね。と思った。近くの席の方は、人物関係図ページを見て、「この人たち、すぐ死んじゃうんだよー」と身も蓋もないことをおっしゃっていた。

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↓ 2023年11月大阪公演『双蝶々曲輪日記』感想、濡髪玉志さん、十次兵衛玉男さん。

↓ 2021年9月東京公演『双蝶々曲輪日記』感想、濡髪玉志さん、十次兵衛勘十郎さん。

 

↓ 『双蝶々曲輪日記』全段のあらすじ解説記事。「引窓」の理解に必要な、江戸時代の身分制度や時刻制度についての解説もつけています。

↓ 『艶容女舞衣』全段のあらすじ解説記事。この記事を書いた頃はくずし字が読めなかったけど、いまは浄瑠璃本ならまず読めるようになった。そういう意味では、『艶容女舞衣』は私に勉強のきっかけを与えてくれた大切な演目です。

 

 

 

*1:いつも「長」という表記だったと思うが、今回は「頭」。