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TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

麻雀漫画と昭和の日本映画と文楽(人形浄瑠璃)について書くブログ

映画の文楽 1 『曽根崎心中』栗崎碧監督(1981)

人形浄瑠璃 文楽 昭和の銀幕

大映の女優・栗崎碧(南左斗子)の監督・製作による自主制作映画。普通に考えて、俳優企画の自主制作となれば人間の俳優主演という方向にいくと思うのだが、本作は文楽人形の演技を普通の人間の俳優と同じ撮り方・演出で見せるという驚天動地の映画だった。

  • 曽根崎心中
  • 監督・製作=栗崎碧
  • 撮影=宮川一夫
  • 美術=内藤昭
  • 人形=徳兵衛:吉田玉男(初代)、お初:吉田簑助九平次:吉田玉幸、下女お玉:桐竹一暢、遊女:桐竹勘寿・吉田簑太郎(現・桐竹勘十郎)、吉田玉女(現・吉田玉男)、吉田玉也、吉田玉輝、桐竹亀次、吉田簑二郎、桐竹勘緑、吉田玉志、吉田幸
  • 太夫=竹本織大夫、豊竹呂大夫(五世)
  • 三味線=鶴澤清治、鶴澤清友、鶴澤清介、鶴澤八介
  • 栗崎事務所/1981

 

冒頭、通常の文楽公演のように下手*1の小幕*2がさっと開いて手代忠兵衛と醤油樽を下げた丁稚が入場してくると、カメラが大きく引いていき、そこが劇場のステージではなく生玉神社(生國魂神社)の境内だとわかる。カメラはかなりの引きになって、画面下部は木陰の落ちた地面、そのグランドライン上を人形が歩きまわり、背後には木々ざわめく生玉神社境内の風景と空が広がるという、文楽公演の舞台をそのまま実景に写し取ったような景色を映し出す。人形遣いはすべて黒衣で背景に溶け込んでいる。映像とはまったく別次元でバックに大夫の語る浄瑠璃、三味線の音が流れているが、その姿は映らない。

 

 

人形があたかも本当に地面を、神社の境内を歩いているかのような美術の作りがうまく、実景になじむよう作られた鳥居・灯篭などを入れ込んだ構図もビシッと決まっていて、「文楽を屋外で上演しているように撮ってるのか〜さすが大映出身スタッフで作ってるだけあって映像レベル高いわ〜」と思っていたら、すごいのはここから先。

本作に関してはじめに聞いていた話は「文楽人形を外に出して舞台になった実際の場所で撮ってる」ということで、観る前はてっきり背景書割が屋外実写というだけで、ほかは通常の文楽公演と同じように家屋セットは真横アングルの書割で、人形はノンストップで演技をしているのを記録映像のように撮っているのかと思ったら、人間の俳優・女優を撮るのと同じようにカットを割り、寄り引きを作り、ときには右から左へ、あるいは奥から手前への移動撮影をおこなって撮っていて仰天。人形を俳優に置き換えるのではなく、俳優を人形に置き換えて通常の実写映画と同じ手法で撮っている。なんでこれを撮ろうと思ったのか、それ自体がすごいわ。製作のいきさつは存じ上げないが、とにかくすさまじい執念を感じる。

というのも、おそらく監督は文楽が好きでこの映画を企画したんだと思うけど、文楽が好きな人は普通は絶対これはやらないと思うから。特に寄りの撮影。人形の顔には基本表情がないため、全身で感情表現の演技をするので、人形バストアップ撮影というのは、アップでよく鑑賞できるように見えて、芸の鑑賞としてはその逆、ものすごく見づらい*3。もっと言うと、一般のかたには理解いただけないかもしれないが、人形遣いが出遣い*4でないこと自体に文楽ファンは不満があると思う。なんで折角の玉男様簑助様が黒衣やねん!?!?!?みたいな。文楽をご覧になったことのない方は、出遣いで「結婚式の新婦の父?」みたいな紋付姿のすんごい普通の真顔のおっちゃんが人形の背後に立ってるのに違和感あるとは思うんですけど、文楽見慣れてくると黒衣のほうが逆に違和感あるんですよ!!! しかしこの作品ではそれがうまくいっていて、異様な映像空間を作り出している。

 

 

寄りで撮っているもんだから、黒衣姿の人形遣いが完全に見切れて見えなくなっており、まるで人形が生命を得て勝手に動いているようでおそろしい。異様にレベルの高いパペットアニメーションを見ているような感覚。ユーリ・ノルシュテインヤン・シュヴァンクマイエルの映像を初めて見たときのような……作り手のドン引きするほどのすさまじいド執念によって本来魂がないはずのもの=紙に描いた絵や人形に生命が宿ってしまった、本来この世にあってはならないヤバイもん見ちゃった感がある。

特に怖いのがお初(吉田簑助)の寄り。前述の通り、文楽人形には基本的に表情はない。お初の人形の場合は目を閉じる仕掛けがついている程度。よって、首のかしげ方やうつむき加減、肩の表情で感情を表現しているんだけど、よくもまあこんなバストアップで表情が出てるなーと思う。人形がここまでの寄りに耐えられる演技をしていることに驚いた。目を閉じる仕草、首のかしげ方、震える面差し、徳兵衛にそえる手の表情、なにをとっても動きがきわめて繊細で驚く。実際の公演ではたとえ最前列に座っても観客はここまで近づいて見ることはできないし、記録映像でもここまで寄りでは撮らない。こんな微細な表現をしていても、それは人形遣い本人しかわからないだろう。しかも本人は人形を覗き込めるわけではないので、この演技を見ることのできる人は誰もいない。誰にも見えないのにやっているというのがすごいのだが、これはそれをとらえている映像。

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↑ 渡邉肇『簑助伝』より、吉田簑助氏とお初の人形(2010年撮影)

 

しかしこれは人形遣いのうまさのほかに撮り方にも要因があって、バストアップになるときは若干高めのアングルから撮っているため肩〜胴体にかけてのひねりの表情も写っており、人形の感情表現がよくわかるようになっている。単に真横バストアップで撮っているわけではなく、人形を撮る工夫がなされている。さすが名匠、宮川一夫と思わされた。

このように人形の技術、撮影の技術ともにきわめて高いためか、芝居をしているのはたしかに人形のはずなのに、これはいわゆる「人形振り」の演出で、俳優に対し人形遣い役の黒衣がついているかのように見える不思議な映像に仕上がっている。通常の公演でも、人形がひとりでに動いていて、うしろについている人形遣いの3人が人形に引きずられているように見えることがあるが、その感覚を映像で再現している感じ。

 

 

徳兵衛(初代吉田玉男)とお初は、ともに透明感のある可憐で儚い印象。すっとしたしなやかな美男美女で、息をしてゆっくり上下する肩や胸元にふっくらとした色気が漂い、人形ならではの濁りの一切ない、限りない透明度を感じる。そしてふたりとも人形のはずなのに大俳優、大女優の風格。日本映画黄金期の大俳優・大女優起用の巨匠映画を観ている気分になる。って、演じている人形遣いは俳優・女優ならそれぞれの最高ランクにあたる人なので当たり前だが。

以前、にっぽん文楽の休憩時間のサービスで八重垣姫の人形が一緒に写真を撮ってくれるというのがあったのだが*5、そのとき写真を撮ってもらったお客さんがスマホに保存した人形との写真を見て、「大女優に一緒に写真撮ってもらったみたい!」と大喜びされていた。その言葉と同じことを、この映画を観て感じた。ものすごくうまい人形遣い(頭の悪い言い方ですいません)は通常の公演でも出てきた瞬間に舞台の雰囲気、そして客席の雰囲気までもさっと変えるようなオーラを放っていて、それは人間でいうと大俳優、大女優の持つそれなんだろうなと。

 

 

■ 

物語構成は近松原作とも文楽現行曲*6とも異なるオリジナルで、生玉社前→観音巡り(浄瑠璃なし)→天満屋→天神森という流れになっている。また、実際の公演ではすべて同じセットのまま進行するシーンでも場所を細かく変えていたり、通常の上演では不可能な回想シーンや風景イメージシーンがちょこちょこ挟まれてきて面白い。

たとえば冒頭部分。普通の文楽公演(生玉社前の段)では「別客に連れられて社前の茶屋に来ていたお初が自分を呼んでいる徳兵衛の姿に気づき、茶屋から出て来て話しかけ、外でしばらく話をしていたら、九平次が通りかかる」という流れになっているところ、本作では「別客に連れられて社前の茶屋に来ていたお初が自分を呼んでいる徳兵衛の姿に気づき、茶屋から出て来て話しかけ、茶屋の屋内に二人で入ってしばらく話をしていたら、外を九平次が通りかかって、徳兵衛が話しかけに行く」という空間を感じる流れに変更されている。徳兵衛が九平次に金を貸したと語る場面は回想シーンとして入っており、通常の上演では観られないオリジナル演技が入っている。

天満屋の段の冒頭では花街を客や幇間、女郎、下女のツメ人形*7が賑わしく歩き回るシーンが入り、当時の色里の様子をありありと伝える。天満屋内も通常の文楽公演のセットにある店の上り口の部屋のほか、女郎が化粧をなおしている部屋(店先の格子の中?)、店の二階など数カ所のセットが組まれていて豪華。天満屋屋内は深いつやのある木のしつらえが印象的。

天満屋では、上がり口に腰掛けたお初の、その打掛の中に隠れた徳兵衛が心中の意思を彼女に伝えるため、お初の足を手にとって喉に当てるという有名なシーンがある。ここはみんなが期待するシーンのためか、結構文楽公演の見え方に近い、真横アングルの様式美的な撮り方を基調としていた。『仮名手本忠臣蔵』を映画化した『大忠臣蔵』(松竹/1957)*8という映画があるのだが、この作品、途中までは脚本が『仮名手本忠臣蔵』なだけで普通に実写映画の映像文法で進んでいくものの、一力茶屋の場面にくるといきなり演出が歌舞伎になり、同じくカメラが真横アングルFIXになるのだが、妙な引き絵になりすぎていて、他のシーンとのつながりにおおいに違和感があった。が、本作では天満屋のこの真横アングルの場面に違和感はなく、寄り引きのカットを織り交ぜて一連の流れの中に溶け込んでおり、うまいなと感じた。このシーン、よく見ていると、お初のバストアップのカットでも徳兵衛がちゃんと打掛の中にいる。映画ならお初役の女優さん単独で撮影すると思うが、あの人ら的にはたとえカメラの画角に入っていなくてもいつもと同じようにやるということなのか、こだわりを感じる。

最後に心中する場所、天神森はふたたび屋外ロケ。霧が立ち込め、草木生い茂る暗い池のほとりをとぼとぼと歩く二人を斜俯瞰から引きでとらえたカットでは、背景が暗いこともあって人形遣いの姿が完全に闇に溶けて消えており、人形が本当にひとりでに動いているように見える。人形だけを自然に目立たせる照明がうまい。

 

ちなみにこの映画独特の演出での私のお気に入り所は、天満屋の夜の場面。吊行灯の下で寝ている下女(桐竹一暢)を二階にいるお初の目線の俯瞰アングルで撮っているシーン。お玉がふとんからはみ出すようなものすごいガサツな寝方をしていてかわいい。通常の文楽公演ではお玉は客席側に小さい屏風を立てて寝るため、客席からお玉の寝姿は見えないのだが、こういう気持ちで遣ってらっしゃるのだな。

あとは人形にあわせた移動撮影が斬新すぎてびびる。移動撮影って映画ではごく普通の手法だが、公演を普通に見る分には絶対ない見え方だし記録映像でも絶対ありえない、またパペットアニメーションでもほぼ不可能の技法なので、人形でそれをやるとこう見えるんだというヴィジュアルショック……。

また、前述の通り本作は普通の実写映画のような撮り方になっているので、人形の振りは必ずしも通常公演と同じわけではなく、映画的空間でカメラに向かって演じるためのオリジナル演技がつけてある。人形遣いさんたちもよくやってくれたなあと思う。カメラに目線を向けて演技をするのもすごいけど、カメラに左遣いが映らないようにしていると見受けられるカットも多いので、カットを割ること前提で演技プランを工夫しているんじゃないかしら。

シーンにあわせた光を作る照明の焚き方も特異。文楽は通常は常灯のまま上演するので、だいぶ雰囲気が変わって見えた。とくに天満屋の内部はロウソクの明かりを模したオレンジ色の薄暗い照明で、人間主演の時代劇よりも凝っているくらいだった。

 

 

本作は、存在は聞いていたが観る方法がなかったものの、機会を得て鑑賞することができた。機会を与えてくださった方々に深く感謝申し上げます。

一度はスクリーンで観たい映画だが、昨年のラピュタ阿佐ヶ谷の芸事映画特集ではこれはかからなかった*9。上映用フィルムが存在しているのであれば、シネマヴェーラ渋谷の「妄執・異形の人々」特集あたりでやってほしい。間違いなくあのカテゴリの映画。

 

 

*1:向かって左側のこと

*2:舞台左右の人形の出入り口にかけられた、のれん状の小さな幕のこと

*3:文楽の記録映像は基本引き目。寄っても人形はひざ以上は写っている+人形遣いも同時に写す撮り方

*4:1体の人形に対し3人ついている人形遣いのうち主遣い(人形のかしらと右手をあやつる人。この人のみ配役表に名前が載る)が顔出し&紋付袴姿で出演すること。文楽公演は基本的には出遣い

*5:八重垣姫は上杉謙信の娘=大名の娘で品格の高い役なんですけど、このとき姫を遣っていたのは実際の公演で八重垣姫をやるような格の方ではなく若手の方だったせいか、姫が若干キャピっていて、「町に遊びに出た姫と入れ替わって姫の姿に化けた町娘」みたいになっていて可愛かったです。

*6:昭和30年の復活公演以降のアレンジ版

*7:モブキャラ。小ぶりな一人遣いの人形

*8:http://www.kusuya.net/大忠臣蔵

*9:文楽からはマーティ・グロス監督『文楽 冥途の飛脚』が上映された

文楽 3月地方公演『妹背山婦女庭訓』『近頃河原の達引』府中の森芸術劇場

人形浄瑠璃 文楽

地方公演、10月にも行っただろと言われそうだが、配役が変わったのでもう一度行った。

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会場となる「府中の森芸術劇場」は、最寄駅は京王線の東府中、そこから大きい道なりに徒歩7分程度と、地図で見るぶんにはわかりやすげな場所なのだが、駅に「府中の森芸術劇場 右の北口出て左に曲がり横断歩道渡って右に曲がって横断歩道ウンヌンカンヌン」と、金殿の豆腐の御用が教えてくるお清所の場所かよっていう文章での案内が出ており、混乱させられた。

府中の森芸術劇場」はオーケストラピットのあるコンサートホールを含めた複数のホールを持つ大型の劇場施設。文楽はそのうち「ふるさとホール」という伝統芸能等を上演する小さめのホールが会場で、文楽劇場のように左右両翼に桟敷席が設置されていた。定式幕を引ける構造になっているものの、道行で吊るす浅葱幕を落とすことができないようで、引き上げで対処していた。

 

 

昼の部は『妹背山婦女庭訓』。人形の配役はお三輪=豊松清十郎、求馬=吉田和生、橘姫=吉田文昇、鱶七=吉田玉也。

お三輪は10月公演(桐竹勘十郎)より、より幼く、透明感のあるいたいけな感じだった。勘十郎さんは(杉酒屋の時点では)おっとりしたお嬢さん風だったが、清十郎さんは等身大の少女的な感じ。和生さんの求馬は優柔不断のクソ野郎にはならず、なんらかの意図があってそうしていることを匂わせる、ぴんとした印象だった。貴公子感が相当あった。

杉酒屋の段。お三輪が不穏な様子。子太郎(吉田玉勢)が余計なこと吹き込むあたりが一番不穏な様子なのだが、手の震えはそれはそわそわや不安を表現しているのか、それとも何らかの不本意な理由によってそうなってしまっているのか。背中に差していたうちわを手鏡のようにかかげるところ、かしらはしっかりしているのだが、持ったうちわがカタカタしているのが目立ってしまっており、後者なら心配。もしそうなら本当、お忙しいのはわかっているがなにより大事なお身体、ご無理のないようにしてほしい。意図だとしたら、求馬の言い訳を聞いた後(〽さすがはおぼこの解けやすく)以降は普通にしているのと、身分が違い仕草も異なる橘姫が出てくると差異が際立つので意図はわかるのだが、少々やりすぎのように感じる。

杉酒屋の床は咲太夫さん・燕三さん。最後、お三輪を追いかけてお三輪ママが駆け出すと、ママの帯に結わえつけられた酒樽の栓が抜けるところ、コポコポコポ〜酒がこぼれるぅ〜ああもったいないぃ〜って感じの三味線でよかった。

 

道行恋苧環。三味線が良かった。2月本公演より良かった。それにしても10月勘十郎さんのお三輪は相当やばい女で、あれに二股かけたら道行で一緒に踊らずその場で求馬がメッタ刺しにされても仕方ない感あったな。勘彌さんの橘姫を袖でおもいっきりぶったたいてキーッてやってたし。いや勘彌さんも負けじとぶったたいていたが。今回のおふたりはポンっと当てる程度でかわいらしかった。

 

姫戻りの段、金殿の段。10月勘十郎さんは相当エキサイトしていたが、今回の清十郎さんは金殿ではだいぶかわいそげな感じで、官女にいびられるところもかなりシオシオしているが、とくに鱶七に刺されたあとはもう死んでるのかなってくらいおとなしい。勘十郎さんは官女にいびられたあと相当狂乱していて鱶七にも楯突いていたが……。演技の組み立ては人によって違うのだなと思った。今回はお三輪がおとなしい分、最後に鱶七が正体をあらわす場面が際立っていた。冒頭に登場する豆腐の御用(吉田簑二郎)はお局様感のあるゲスでよかった。

金殿は我がお気に入り、津駒太夫さんが出演されていた。津駒さん、床が回った瞬間から (>_<) って感じの必死な表情と申しますか、トイレに行きたそうな表情なのがいつも気になっていたが、今回、かなり上手寄りで床がよく見える席になったのでじっと津駒さんを見ていたら、なにもはじめから必死なわけではなく、おそらくもともと必死感のあるお顔立ちで、上演前からお顔が (>_<) って感じになっているのは、単にパチクリまばたきされているだけのご様子だった。いや上演中は本当一生懸命でいらっしゃいましたが。上手に座ると気づくことが多いなと感じた。

 

 

夜の部は『近頃河原の達引』。人形の配役は与次郎=吉田玉男、伝兵衛=吉田簑二郎、おしゅん=吉田和生。

堀川猿回しの段、帰宅してきた与次郎がかぶっているてぬぐいがネコミミ状でかわいかった。与次郎は帰宅後、母に薬湯(お茶?)を飲ませる、今日のあがりを数える、お茶をわかす、たばこを吸う、ご飯を食べるなどやることが多いが、やることそのものは同じでも、10月の勘十郎さんと内容が違っていておもしろかった。ご飯を食べるところでは、勘十郎さんは「おひつからごはんをよそおうとするが、お弁当の残りがあることに気づいて、お弁当の残りのおにぎりをつつましく食べつつ、わずかなおかずである梅干しを酸っぱそうにちょびちょび食べる」みたいな庶民的な姿を表現する流れにしていたと思うが、玉男さんは「まずはお弁当の残りのおにぎりを食い、おひつのごはんもすべてさらえて残さず食う。でも梅干しはちょっとかじっただけで微妙な顔になり、即座に皿に戻す×2回」という流れだった。玉男さんの与次郎は自然体に生きておられるようだが、梅干しはお嫌いなようだ。よく見ると何かやるごとにひんぱんに眉毛をぴこぴこしていて、チャーミングな印象だった。

それはともかく、与次郎が足拍子を踏むたび、その振動で七輪の箱の上に乗った急須がぴょんぴょん飛び上がり、カタカタだんだん傾いてきてひっくり返りそうになっていたのでドキドキした。後ろの席の人は、最後、マンガみたいに急須が傾いたとき、「はっ」と声を出してしまっていた。あと一回足拍子が入っていたら玉男様がギャグになってしまうところだった。

和生さんのおしゅんの気品はさすがだった。掃き溜めに鶴。どうしてあの兄にこんな妹がいるんですかねって感じだった。

堀川の冒頭で、与次郎の母(吉田文昇)が三味線を習いに来ている女の子(稽古娘おつる=吉田玉彦)と合奏するところ、見ているとさすがにベテランの文昇さんのほうが三味線弾いてる感ある遣い方。バチを持つ手の腕の張り方と三味線への引っ掛け方、バチを弦に当てる角度がうまく、人形が持っているのは拵えものの三味線なのに、本当に音が鳴っていそうだと感じた。

そういえば10月に見たときはどうなっているのかわからなかった七輪の箱の火の粉、やっぱりあれは本当に火がついているんですね。与次郎が七輪の箱をうちわであおぐと、ほんのりと炭が燃えるような香りがした。たばこも本当に火がついているようで、杯を落とすとき、灰が落ちきるまできせるをカタカタ打ちつけていた。

 

 

公演日が3月11日だったため、冒頭の解説では東日本大震災の被災者のかたへのお見舞いの言葉があった。

解説は昼は靖太夫さん、夜は咲寿太夫さんで、双方で解説の組み立てが違っており、それぞれ独自に考えているんだなと思った。夜のほうは解説中、字幕立看板のGマークくんに独自の字幕(セリフ)を流していたが、あの字幕の内容も咲寿さんが考えたのかな。

会場規模は国立劇場小劇場くらい。客席に適度な傾斜がついていて人形が見やすかった。昼夜ともほぼ満席で、お客さん年齢層は本公演より若め。特に夜の部は(当社比)若い人のほうが多いほど。浄瑠璃の詞章や人形の仕草ひとつひとつにみなさんキャッキャと盛り上がっておられ、暖かい雰囲気だった。咲寿さんが解説で「文楽を初めてご覧になるかた?」と会場に尋ねておられたが、挙手されたのは3割くらいか。でもこれで文楽初めて観るっていいですよね。出演者も豪華だし、人に土産話を話せるような演目や内容ですからね。

今回はチケットをプレイガイドで取ったため席が指定できず、昼夜とも本公演では取らないような床の間近の席になった。やっぱり床に近いほうが三味線の音が綺麗に聞こえるな。離れた席とは音の澄みきり感やピンとした緊張感が違い、大変な贅沢感があった。これから本公演でもときどきは床の前の席にしようかしらん。でも人形は少々見づらいね。いや、人形は見えるのだが、人形遣いが見えない。昼の部、橘姫が衣をかついでいるときの文昇さん、夜の部の官左衛門役の玉也さん、お姿が人形に隠れてよく見えなかった。

 

10月地方公演(横浜公演)の感想はこちら 

 

 

  • 『妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)』杉酒屋の段、道行恋苧環、姫戻りの段、金殿の段  
  • 『近頃河原の達引(ちがごろかわらのたてひき)』四条河原の段、堀川猿廻しの段

文楽 赤坂文楽『本朝廿四孝』赤坂区民センター

人形浄瑠璃 文楽

赤坂文楽は、東京公演会期付近に赤坂区民センターで行われている単発公演。夜7時開演とはいえ渡世の義理に縛られた身では平日夜のお出かけは難しいのだが、つばさがほしい、はねがほしい、とんでいきたい、とばかりに馳せ参じた(きつねの霊力はないので東京メトロ利用)。

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第一部は勘十郎さんのひとりトークショー

いままでは勘十郎さん・玉男さんのふたりで映像を流しながら昔の師匠の話などをコメントしていたそうだが、今回は「相方がいない」ということで、勘十郎さんがおひとりでお話をされていた。トークショー中も舞台上に灯篭や泉の橋など「奥庭」の上演用のセットが出しっぱなしになっており、そのセットの解説もあり。以下、トーク内容まとめ。

 

┃ 「お初」の役 〜2月東京公演所感、4月大阪・5月東京公演に向けて〜

  • きのう(2月20日)までの2月の東京公演は『曾根崎心中』でお初の役をいただいた。おかげさまで、1月の大阪につづき2月も大入り袋が出てよかった。東京の『曾根崎心中』では玉男さんが相手役だったが、4月の大阪公演では清十郎が忠兵衛。この配役は初めてなのでどうなるのか、自分でもわからない。
  • そして5月の東京公演でもまた「お初」の役。同じ「お初」でも、『加賀見山旧錦絵』の召使お初。これは思い出深い役。14年前の襲名公演のとき、夜の部で『加賀見山』が出たが、お初役の一暢さんが病気休演されて、お前がやれ!と代役が回ってきた。お初は甲斐甲斐しく世話をするなどやることが多く、大変な難役。そのときが初役で、昼の襲名公演がどーでもえー!となるほど頭が真っ白になった。いや、どうでもよくはないです、ちゃんとやりました!

 

┃ 八重垣姫

  • 1月の大阪公演は『本朝廿四孝』の八重垣姫を初めて「十種香」「奥庭」通しで遣った。「奥庭」はよくやっているが、「十種香」は初めて。いままで誰がやっていたかというと、師匠(吉田簑助)。師匠は「十種香」が好きでいつも「十種香」を師匠が遣い、あとやれ、で「奥庭」が来ていた。
  • 今回、各人に配られる配役表の封筒を開けて、「十種香」の八重垣姫が自分になっていたので驚いた。しかも師匠が腰元濡衣役で驚いた。今年は自分が師匠に入門して50年の節目にあたり、短い時間でもいいから師匠と共演したかったので嬉しかった。自分は芸歴50年、師匠はもっと上で75年。歳は20歳離れている。この歳で、現役で師匠と一緒に舞台に立てることがほんとうに嬉しい。
  • 「十種香」の八重垣姫は難しい。八重垣姫は「三姫」といわれるお姫様役の中でも最高位で、座頭がやるような役。複雑なストーリーが展開する『本朝廿四孝』のうち「十種香」「奥庭」は典型的な四段目で華やかな場面だが、「十種香」の八重垣姫は冒頭の十数分じ〜っとしており、そこが難しい。存在感がないとお客さんに観ていただけない。後ろ姿で芝居をしなくてはならない場面で、気苦労が多かった。しかも腰元役の師匠がず〜っと横におるし……。
  • 師匠は何も言わないが、「入門から50年経ったんか〜やってみ〜」という気持ちでいつも自身がやっている役をくれたのかなーと思った。上演中、ときどき師匠が「チラ」とこっちを見ていて、「50年でそれか〜」と思われているような気がした。いままでの修行の成果を出すべく、全力で頑張った。(お客様には)「またきつねか〜」と思われるかもしれないが、好きなんです。

 

┃ 奥庭の舞台装置ときつね人形

  • 今回の舞台の手摺は二尺六寸。基本(本公演)は二尺八寸だが、舟底のない通常の会場で二尺八寸にしてしまうと、手摺が高すぎて客席からは見上げの姿勢になってしまうため、会場にあわせて手摺の高さを調整している。場所によってはもっと低く設定することもある。
  • (奥庭用のきつねの人形を手にして)にほんごであそぼ」などではきつね色のきつねを使うこともあるが、文楽では基本的にきつねは霊性を帯びた生き物なので、白ぎつね(きつねの動きを実演。顔で背中をかく仕草など)文楽のきつねの人形は一見犬に見えるが、しっぽが違う(しっぽをポインとはねあげながら)。きつねの遣い方は(1)しっぽを上げない。上げると犬に見える。(2)顔を上げない。上げると妖しさがなくなる。という口伝がある。
  • 補遺:この実演のとき、勘十郎さんがきつねを遣っていないあいだはきつねはやはりただのぬいぐるみでぐったりしており、勘十郎さんが遣うと大きな動きをさせなくてもちゃんときつねに見えるのが不思議だった。しかし勘十郎さん、遣ってないあいだはきつねの喉をひっつかむというわりとラフな持ち方をされていて衝撃。狩られたきつねの死体のようだった。
  • 父の先代勘十郎はきつねを遣うため、天王寺の動物園へ勉強に行っていたが、何度行ってもきつねは寝ていた。父曰く、「動物園は朝行かなアカン。どうぶつはエサ食ったら寝てしまう」

 

┃ 「にほんごであそぼ」の文楽どうぶつ人形たち

  • 今日(2月21日)はNHKの「にほんごであそぼ」のロケで朝8時から船橋アンデルセン公園へ行った。風が強すぎて、予定本数が撮れなかった(この日は関東地方すさまじい強風)。そのロケに一緒に行った仲間を紹介します。

 

その1 いぬ(一人遣いぬいぐるみ)

↓ こいつ(驚異のぶりっこ写真帳、勘十郎様FBを貼っておきます)

  • イソップ童話で、水に映った自分の姿を見て吠えてしまい、口にくわえていた肉を落とすいぬ。自分で作った。耳が立つのと、目が開く(まぶたが動く)つくりにした(肉を落としてしまい、はっ!とする表情を実演、かわいー!!と客席大喜び)
  • 文楽にはあまりいぬが出てこない。『冥途の飛脚』の羽織落としで忠兵衛とぶつかるいぬ、『伽羅先代萩』で若君が飼っている狆くらい。あれらにはあまり仕掛けがなく、動かない。
  • 補遺:このいぬまじでかわいいです。ハンドパペットやミニぬいぐるみにして、NHKのショップで売ってほしい。ちなみにこやつ結構大きくて、奥庭のきつねよりひとまわり以上大きかったです。つよそうでした。

 

その2 かっぱ(三人遣い)

  • 文楽劇場にはハムレット、お岩さんなど、ずっと使われていないかしらがたくさん眠っていて、もったいなく思っていた。これはそのうちのひとつ、かっぱのかしらをリメイクして作った人形。からだは自分で作った。水かきもある(かっぱ、おてて広げてアピール)。体とかしらにはちりめんを貼った。
  • かっぱのかしらはとても古い。かつて紋十郎師匠がお客様に呼ばれて出るお座敷の座興のために作ったもの。「河太郎」という名前で、小唄にあわせてすすきをかついで踊る人形だった(このあたり話が高度すぎてよくわからなかった)。

 

その3 たぬき(三人遣い)

  • 文楽劇場の奈落で長い間眠っていたもの。NHKから「かちかちやま」をやりたいと言われ、たぬきもうさぎも人形がないんやけど……と思っていたとき、小さい頃のアルバムに、劇場の楽屋で姉と自分とたぬきの人形とで写った写真があったのを思い出した。小道具さんに頼んで探してもらい、奈落で見つかった。かなり古いものなので、おなかの白い部分を(とても大きいぽんぽんをなでなでしながら)あたらしく貼りかえてもらった。うさぎは耳が動くものを作った。
 

┃ 新作、こども向け文楽演目について

  • 30歳になるかならないかのころ、幼稚園で上演する用に「ひょうたんいけのおおなまず」という話を作った。こども向けの演目は必要ないと言われることもあるが、文楽は99%悲劇なので、こども向けにはたのしいもの、きれいなものをやりたいと思っている。古典になるものはまだできていないが、どんなに忙しくても、大阪の夏休み公演第一部のように、みんなで新作に取り組むようにしている。
  • 新作は作曲と本(脚本、浄瑠璃)が難しい。良い芝居は良い曲と良い本によって成立する。文楽では名曲と言われる『義経千本桜』の道行(道行初音旅)、『忠臣蔵』の道行(道行旅路の花嫁)でも、オペラのように作曲者の名が残ってはいないが、曲はとても大切な要素。自分が書いた新作は全部清介さんに曲をつけてもらった。作曲料は出世払いということにしてもらって……(はっとして)ぼくまだ出世してないんでまだ払ってないです!
  • 幼稚園で上演するにあたり、幼稚園の先生にあらかじめこどもが飽きないで見られる条件を聞いた。(1)15分以内、(2)動物が出てくる、(3)常に人形か舞台が動いている(人形が会話しているだけというのはNG)。「ひょうたんいけのおおなまず」は、釣り人と大鯰の対決の話で、いつもエサだけ取られて釣れない釣り人がついに大鯰を釣り上げる(が結局またエサだけ取られて逃げられる)だけの15分程度の短い演目。
  • 前半は舞台を下手「釣り人のいる池の淵(土手)」上手「なまずのいる池の中」に分け、釣り人がなまずを釣り上げるとなまずが上へ持ち上がって舞台転換し、舞台全体が上手側へ移動して、下手側からなまずが出てくるという仕掛けにした。これで飽きずに観てもらえた。
  • 現在、太夫・三味線・人形すべてで今までにないほど引き合いが多く、本公演以外も仕事が多くて忙しいが、そのなかでもみんなでいっしょに新作への取り組みを頑張っていきたい。
  • とか言って、あした締め切りの原稿まだ終わってないんですけど……

 

┃ 新著『一日に一字学べば…』

  • 宣伝みたいになってしまいますけど、『一日に一字学べば…』という本を出しました。(とか言いつつ別に本は持ってきていない勘十郎様……)
一日に一字学べば……

一日に一字学べば……

 
  • 題名の「一日に一字学べば…」は、『菅原伝授手習鑑』寺入りの段で菅秀才がいう台詞。菅秀才て、名前からして頭よさそうですね……。これは、1日に1文字ずつでも学んでいけば、360日(太陰暦の一年)で360文字を学べるという教えで、自分が好きな言葉。タイトルの語尾に「…」がついているのは、自分は学んだわけではないから。
  • 文楽の芸も一足飛びにうまくなることはなく、1日に紙1枚ずつ積んでいくようなもの。誰も見ていないからと言って無造作に束で積めば、狂いが生じてきて積めなくなってしまう。それが怖い。
  • 文五郎師匠は、出の拍手で「自分は人気がある」と調子にのってはいけないと戒めた。芸のわかる人は拍手をしないという。芸がよければ終わりに大きな拍手をいただける。しかし本当によかったら、お客様はうなづくだけだと。
  • 菅秀才といえば、小さいころ、歌舞伎の舞台で子役をやらされて失敗したのが思い出。寺子屋へ松王丸と春藤玄蕃が検分に来るときに並ぶこどもの役で、姉も出ていた。自分は頭が大きくて、子役用のいちばん大きなかつらでもきつくて、頭が痛かった。玄蕃が門口でこどもを順番に掴んで検分するのだが、自分の番が来たとき、わらじを履いてくるのを忘れて、履きに戻ってしまった。あとで玄蕃役の方から「そういうときはそのままでいい」と叱られた。よだれくりのようなこどもだった。(このあとちょっと上方歌舞伎の役者さんの話。知識なさすぎて何を話されているのかまじでまったくわからず)

 

人形遣いの修行と今後

  • 足遣い、左遣いの頃、師匠から「はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜(ものすごく脱力した深いため息)」と言われた。「早い」「遅い」と言ってくれればいいが、言ってくれない。そのうち、何も言われなくなる。それがいちばん怖い。
  • 師匠が『伽羅先代萩』で政岡を遣ったとき、自分は左遣いで入っていた。政岡は左が難しい役で、まま炊きでうちわを振るときなどは細心の注意を払って遣ったつもりだったが、師匠は「はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜」と言ってきた。おそらく、左遣いとしてはよく出来ていても、政岡の左になっていないという意味だったと思う。
  • 師匠もかつて、その師匠に「はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜……… お前もそのうちわかるわ〜〜〜……」と言われたそうだ。自分が師匠の足、左だったとき、同じことを師匠から言われた。そしてまたぼくもいまそれを実感している。
  • 文楽の研修生制度について、人形に関しては講習2年は長いと感じている。太夫、三味線は色々とやることもあるのだろうが、ぼくは人形は1年経ったら舞台・楽屋実習をさせている。舞台の袖から上演を見るほか、できることから経験させている。失敗しながら学んでいってほしい。
  • 先人の教えで「言われたことはすぐ忘れる」「聞きに来い、聞きに行かないならわかっていると思われる」というのがある。といっても聞きに行くと、「まだ早い」と言われる。これはどういうことかというと、あまりに自分の力に見合わない、例えば自分の力が2のときに5のことを聞いたということ。基礎ができていないときに教えると、変なくせがついてしまう。先輩たちはよく見ている。
  • 足遣いは大変な仕事。(腰を落とし、実際に足遣いの人の姿勢をしてみせながら)こういう姿勢でいつづけるのは若いときしかできない。人によって10年、15年と経験期間は違うが、自分は足遣いが面白いと感じるようになったころに左がつきだした。そのときは、端役の主遣いを振られるより、主役の足のほうをずっとやっていたいと思っていた。
  • 左遣いは、足遣いより体勢的には楽だが、常に気を張っている。昔は主遣いが倒れたとき(その瞬間かしらを受け取って構える仕草)、すぐ交代できる人が左遣いと言われていた。いまは若い子にも左につかせているので、少し違うが。
  • 昔は足遣い、左遣いのままで一生を終える人もいた。しかし、人形遣いとして名が残らなくても、左遣いとして座頭が頭を下げて左を頼みに来るほどの人もいた。かつて栄三師匠が八重垣姫を遣うとき、桐竹亀三郎という左遣いの名人にいつも左に入ってもらっていた。「十種香」の冒頭、八重垣姫は上手側で客席に斜め後ろの姿を見せて座っており、左手側が客席を向く。なので左の演技が肝心で、このとき左遣いが失敗すると完全な後ろ姿になってしまい、客席から祈る姿が見えなくなる。また、「十種香」では八重垣姫は打掛を着ているので、左遣いがしっかりしていないと打掛の重さがすべて主遣いにかかってしまう。
  • 自分は動く人形であればなんでもやりたい。体力は年齢とともに落ちていくが、気持ちは落とさずやりたい。若い人に芸を形を崩さず受け継ぎたい。襲名も名前を預かっているだけなので、「桐竹勘十郎」の名前を落とすことのないよう、できれば上げることのできるよう、今後も頑張りたい。

 

やさしい口調で1時間淀みなくのお話。11月の三井記念美術館の対談式トークショーではあまりにおっとりされていて不安になったが、おひとりで人形の話をされている今回のほうがはるかにイキイキとされていた。基礎知識的内容なので上では省いたが、三人遣いの発祥の解説などは年号含めかなりスラスラ喋っておられた。勘十郎さんはおひとりのほうがパフォーマンスが上がるタイプなのかも。そしてやはりお人形を持っておられるときが一番楽しそうなご様子だった。

 

 

 第二部、『本朝廿四孝』奥庭狐火の段。

ステージは間口がかなり狭く、本公演のような船底・段上の2段に別れる綺麗なセットの組み方ができないようで、かなりコンパクトに入り組ませた立て込みになっていた。

ネガティブなことから書いてしまうが、会場、義太夫節を聴く環境として悪すぎる。おそらく講演会用のホールで音楽用の音響設備ではないというのも大きいんだけど、会場の建築構造上、床を客席に張り出して設置できずステージ上手袖に設置しているため、そもそもが音が聞こえづらい。私の席は上手かなり後列だったこともあって、いちばん奥側に座っている呂勢さんの声がかよわくしか聞こえない。三味線の音も本公演の会場のようなピーンと張った響きがまったくなくて、かなり華奢。ステージ上の音がどれくらい聞こえないかというと、藤蔵さんの掛け声が気にならないくらい聞こえない(クソ失礼)。唯一はっきり聞こえたのが琴(鶴澤寛太郎)。なぜなら、床が狭すぎて琴を本公演のようにまっすぐ置けず、床に対して斜めに置いているため、客席上手側正面を向いて弾いている状態になっており、上手に座っている私からすると琴の音が真正面になるため、一番大きく聞こえた。というか、太夫の声が負けそうになっていた……。前列席だとまた聞こえ方も違うだろうが、ご本人たちはいつも通りやっているだろうにこれはなかなか辛い。なお、私の席は上手寄りすぎて上手側の舞台袖に隠れてカンタローの姿が見えず、「連れ弾き、誰?????」状態だった。

そんなこんなで冒頭部分〜きつねが演技をしているあいだは「どうしよう……」と思っていたのだが、きつねが去って、カラカラと履物の音を響かせながら八重垣姫が現れた瞬間ステージの空気が変わった。ステージが狭く立て込みも特殊という劣悪な環境で人形のパフォーマンスが下がらないのがすごい。八重垣姫の演技は本公演とかわらず鳥肌もので、これは誇張でなく実感として、人形のまわりだけ時空が歪んでいるようだった。本公演だと客電落とした客席含め劇場空間すべての雰囲気が変わり異界に飲み込まれるイメージだけど、この公演だと客電つけたままで上演していることもあり、八重垣姫の半径1m以内だけ異界になっている印象。

ちなみに八重垣姫は狐の霊力が乗り移ってからも左、足は黒衣。引き連れている白狐は2匹でこれも黒衣でした。

 

 

とはいえ、トークショー付きで派手な演目を豪華な配役でやるというのはやはり引きが強い。価格設定は5,500円と本公演並みだが、それに見合った内容と言える。ステージの狭さは目をつぶるとして(こじんまりとした演目ならむしろいいのかもしれない)、これであとは音響さえよければいいんですけどね。会費上がっていいから会場変えてくれないかなぁ。

トークショーは初心者向けではなくファン向けのハイコンテクストな内容で満足度が高かった。イベント自体は一応初心者もターゲットのようだが、さすがにトークショーは勘十郎さんのキャリアをある程度理解していないとよくわからないと思う。演目選定は初心者の私からしても初心者向けにとても良いと思う。

会場キャパ400席で満席だったが、客筋は大阪公演か若手公演のような雰囲気。東京本公演のようにたしなみ感覚で来ている人はあまりいないようで、後列までほぼ全員が固定の文楽ファンだろうと感じた。年齢層は本公演より若めで、会社帰りの人が多いか? 開演ギリギリに来る人も多く「7時はちょっと厳しい」と話されている方の姿もあった。私も開演7時半くらいのほうが嬉しい。

次回5月は玉男さんと燕三さんがご出演ということで、四つ足で駆けてでも行かねばと思っているが、なんとかして少しでも前列下手の席を取らないとせっかくの燕三さんの三味線が勿体無い。この赤坂文楽、太夫さんや三味線さんのファンの人はどうしてるんだろう。やはりみなさん何がなんでも前列を取っているのだろうか。それとも音響に目をつぶって……いや、耳をつぶって(?)おられるのだろうか。同じように外部主催による単発公演・にっぽん文楽でも後列席だった方は床の聞こえ方に対してかなり強い不満があったようだが、本公演以外は会場状況が事前に予測できず、やはり色々と当たり外れがあるなと感じる。

 

 

 

文楽 2月東京公演『冥途の飛脚』国立劇場小劇場

人形浄瑠璃 文楽

一度は思案、二度は不思案、三度飛脚。戻れば合はせて六道の、冥途の飛脚と

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『冥途の飛脚』は記録映像映画『文楽 冥途の飛脚』と内田吐夢監督の劇映画『浪花の恋の物語』で観たことがあり話を知っているので、初心者ながら予習はバッチリ。また、第一部・第二部とは別日に観劇したので、パンフレットの鑑賞ガイドを予めしっかり読んでおけた。おかげで筋の理解に気をとられることなく芸そのものに集中でき、ゆったりした気持ちで観劇できた。

 

 

淡路町の段。

送り出す荷物を搬出したり、為替金の問い合わせに客が来訪したりで忙しい飛脚屋・亀屋。亀屋は大坂の飛脚屋の中でも鑑といわれるほどの立派な店だった。その後家・妙閑(配役・吉田文昇)は不在にしがちな後継の養子・忠兵衛(吉田玉男)の近頃の素行の悪さを気にしており、小言を聞かされる手代(吉田勘市)はそのフォローと店の切り盛りに手一杯。帰ってきたものの家に入りづらくうろうろしていた忠兵衛は、店先で友人の八右衛門(吉田簑二郎)と出くわす。八右衛門は亀屋に届くはずの金五十両の到着が遅延しているクレームにやって来たところだった。忠兵衛は、実はその金はすでに到着していたが、それを田舎客に請け出されそうになっていた新町の女郎・梅川(豊松清十郎)を先に身請けしようと、手付金として勝手に使ってしまったと告白する。八右衛門は言いにくいことを正直に告白した忠兵衛への友情として、支払いは待つと言って帰ろうとするが、話し声を聞いていた妙閑が現れて八右衛門に上がってもらえと促す。八右衛門が仕方なく亀屋へ上がると、妙閑は忠兵衛に五十両を早く渡すようにと言いつける。もちろん五十両はどこにもなく、忠兵衛は仕方なしに鬢水入れを紙に包んで小判の包みに見せかけ、八右衛門もそれを承知して芝居を打って包みを受け取り、文盲の妙閑にはわからないようかたちばかりの受取を書いて帰っていった。
夜更け、遅れていた江戸からの荷物が到着した。その中にはさきほど催促を受けた堂島の武家の為替金三百両も含まれており、忠兵衛はさっそく客先まで金を届けに行くことにした。ところが忠兵衛、気がついたら遊里・新町の前に立っていた。忠兵衛は引き返して堂島へ金を届けに行くか、それともこのまま梅川に会いに行くか迷うが、羽織がはらりと落ちたことにも気づかず、ついに新町のほうへ足を向けてしまう。

忠兵衛のしょうもない、かわいい男感がすばらしかった。イヤー玉男様ーって感じだった。どれくらいしょうもなかわいかったかと言えば、休憩時間にトイレに並ぶ着物姿の奥様方がダメ男の話題で盛り上がっていたくらいである。近くの席のオッチャンも「いるよねーこういう人。公金横領した人とか」と盛り上がっていた。

そんな忠兵衛に代わってよく働く手代、人形だけに無表情で仕事を黙々とこなしているが、妙閑のお小言の「忠兵衛は鼻紙を妙に無駄遣いする」というくだりだけひゅっと下がり眉になるのがとってもかわいい。妙閑が本気で鼻紙の無駄を言っているのか、鼻紙の用途を揶揄して言っているのかはどうとでも取れて、どちらを言っているのかはわからなかった。しかし他の人へのお小言を本人の不在時にかわりに聞かされるとは、勤め人は大変だ。

家に入りにくい忠兵衛がタルを下げて酒屋へ使いに出かけて行く下女(吉田清五郎)を引き止めるくだりは、店の前で下女と忠兵衛と二人してウンコ座りでしゃべっているのがコンビニの前のヤンキーみたい。普通の人形は正座や床几に座るイメージできれいな姿勢で座るけど、下女は着物の裾をまくってひざから下の足を見せ、はしたなくひざを広げて座っていた。この座り方がいかにも下女っぽくておもしろい。そして、忠兵衛のクソぶりがキラリと光るシーンであった。ご贔屓さんだかの内々の会で和生さんがお染を遣い、久松に見立てたお客さんの肩に手を置いてクドキをやってくれたという話を聞いたことがあるのだが、それで言えば、私もこの下女役をやりたいです。

忠兵衛が淡路町を出てつい新町へ向かってしまう場面は背景書割がスクロール。窓の明かりもちゃんと一緒に動く仕掛けで、風景が普通の街中から色里へうつりかわっていくさまを表現していた。文楽の人形は歩き方が特徴的で、実際の人間よりゆっくり歩く(=一瞬うしろに下がってから歩き出し、大きい足取りだがその動作ほど前には進まない)と思うのだけど、この忠兵衛の動きと背景効果があわさって、前方席のほうで視界いっぱい背景の状態で観ていると空間認識が歪んでちょっと酔う。

最後に現れるぶちいぬ。人形と比べるとむちゃでかくないか。スコティッシュ・ディアハウンド的な。しかし、忠兵衛はなぜあの犬に石を投げつけたのだろう? あの犬だけがもういちど正気の世界へ立ち返る最後のチャンスのようにも、またはその逆、忠兵衛の心の迷いが形をなしたもののようにも見えた。

淡路町の奥(竹本呂勢太夫、鶴澤清治)はとてもよかった。清治さんは盛大な拍手を受けていた。

 

ところで私が観た回、為替金の問い合わせにきたお侍(吉田文哉)が亀屋へ上がって座るとき、左遣いの方が腰から刀を外すのに失敗して刀身が鞘からスポッと抜けてしまい、ちょっとあせっておられたのがかわいかった(失礼)。話の流れを変えてしまうようなミスはまずいが、刀を飾り程度に差している人形でもちゃんと抜ける刀を差してるんですね。ふたたび立ち上がって刀を差すとき、人形がうしろにふりかえって、文哉さんが刀を差す位置を人形の手で「ここ、ここ👇」とジェスチャーでフンフン示していたのもかわいかった。それとも、刀をなおしてる演技? そういえば、うまいことチケットが手に入ったので、別の日にももう一度第三部を観たのだが、その日は八右衛門が亀屋に上がるとき、忠兵衛&介錯の黒衣がのれんをまくった拍子に門口の柱にのれんが引っかかってしまった。介錯の人は気づかなかったようだが、忠兵衛がちょうどのれんの引っかかったほうの柱の影にいたため、玉男さんが人形の手でそっとのれんを直していた。自然な仕草で、かわいかった。

 

 

封印切の段。

女郎・梅川が茶屋・越後屋へやって来る。とんと音沙汰もなく身請けの残金の支払いもない忠兵衛が来ていないかと訪ねてきた梅川は、忠兵衛が手をこまねいているあいだにあの田舎客に身請けされてしまったらどうしようと悲観していた。仲間の女郎たち(桐竹紋秀、吉田玉勢)は場を盛り上げようと、竹本頼母の弟子だという禿(吉田和馬)に浄瑠璃を弾き語りさせる。しかし禿が語ったのは女郎がその悲しい身の上を嘆く内容だったので、梅川はさらに暗くなり、座敷はよりいっそう沈んでしまう。そこへ八右衛門がやって来た。八右衛門は女郎たちや女主人(吉田簑一郎)を呼び出し、忠兵衛が来ても取り合わないように言いつける。彼は金がないはずの忠兵衛がここへ来ればまた人様の金に手をつけるだろうことを心配していたのだ。八右衛門が小判に似せた鬢水入れの包みを見せると一座は驚き色めき立ち、八右衛門を敬遠して一座に交わらず二階から様子を見ていた梅川も身請金の正体に泣き伏した。ところがこれを忠兵衛が立ち聞きしていた。ふらふらと越後屋へ入ってきた忠兵衛は、いますぐ八右衛門へ金を返してやると言い出す。八右衛門はよその金に手をつけてはただではすまされないと止めるが、忠兵衛はついにふところにある小判の包みを切ってしまう。ばらばらと落ちた小判を拾い集め、八右衛門に投げつける忠兵衛。梅川は階段を駆け下り、忠兵衛にすがりついてその金を本来の届け先へ早く持っていってくれと懇願する。しかし忠兵衛はそれをかえりみず、これは養子に来た時の持参金だと言い張って、残った金で女郎や店の衆に祝儀を配り、梅川の身請けの残金を払ってしまった。八右衛門は納得しない様子で越後屋を後にし、女主人や女中たちは身請けの手続きに出かけてゆく。残されたのは忠兵衛と梅川のみ。忠兵衛は、さきほどの金はやはり堂島のお屋敷の急用金だと梅川に告白する。武家の金に手をつけては死罪は免れない。忠兵衛は生きられるだけ生きようと、梅川とともに大坂から逃げることを決意する。

梅川は透明感があって、下級女郎でも心は清楚なイメージが出ていた。着付けはわりと雑ないでたちだけど(わざとやっているそう)、動きが澄み切っていて綺麗だった。梅川は始終嘆いてばかりだが、演技に飽きを感じることはなかったので、客が気づかないレベルでいろいろな工夫をされているのだろうと思った。

忠兵衛は八右衛門が越後屋で皆に鬢水入れの一件を話して以降のシーンはかしらが変わり、鬢が触覚状に左右ひとすじ垂れ、髷の部分も固定が外れてフワフワ浮く姿になり、がらりと様子がかわる。封印切りをしてしまったあとの梅川のクドキのあいだ、この忠兵衛が首をすこしかしげて肩をいからせ気味にうつむいているのが感じが出ていてうまい。わかってる、わかってるよ、わかってるんだけど、やっちゃたんだよ! という雰囲気が出ている。おなじようにじーっと聞いている演技でも、このあとの道行のときとは印象がまったく違う。ただじーっとしているだけでも、こころのなかで何かを考えている感じが出せるんだなと思った。このへんはやっぱり人形遣いさんによって上手い下手がある。脇役だと、ときどき、上司のお説教を上の空で聞いてるサラリーマン状態のお人形がおりますな。

肝心の封印切りのシーン、ぱらぱらぱら、きらきらきらと小判が流れ落ちていくさまは見事。動きはそんなに派手なわけではないが、義太夫や人形の演技によって劇的だと感じるイマジネーションの世界。人形の動きを近くでよく見ていると、落とすより結構先に封を切り始めている(小判をずらしはじめている)のがわかった。ここは塊でぼとっと落とさないよう、バラバラと落とすのがコツだそうだ(初代吉田玉男文楽藝話』より)。

 

禿ちゃん=和馬さんがとても一生懸命三味線を弾いておられた。変化の多い曲調が難しく、まだ曲を覚えきっておられないのだろう、はじめは富助さんの三味線と右手のフリが合っておらずドキドキしたが、左遣いのお兄さん(だよね?)にリードされて途中からうまく弾けていた。富助さんが棹を「トントン♪」とされるのとばっちりタイミングで左手が「トントン♪」としてお客さんも湧いているのにあわせて、うまくノってきたみたい。ようがんばった、ようがんばった(泣)。うしろに下がっているお兄さん女郎たち(変な日本語)も禿ちゃんをじっと見守っていた。お客さんとおなじくらい、ドキドキしておられたことであろう。

仲間の二人の女郎のうち、玉勢さんが持ってる方の子(鳴渡瀬)がなんだか身長が高く見えた。身長170センチはありそう。よく見ていると、他の人より人形を持っている位置が高い。玉勢さんご自身の身長が高いのもあるが、清十郎さんやもうひとりの女郎役の紋秀さんより腕を曲げて高めの持ち方をされていた。これがわざとなのかはわからないが、着付けがコンパクトなのもあり、すらりとした姿に見えて、「すっとしたお姉さんタイプの子なのかな」という感じがした。鈴木則文の映画のような、端役の脇役でも個性の見える子を配しているみたいに思えて、印象深かった。

そうえいば、八右衛門のきせる入れは茶色の革にシルバーの飾りがついていて、コンビニの前にいるヤンキーが腰履き半ケツのズボンの尻ポケットにさしている財布みたいだった。

 

 

 

道行相合かご。ここは改作版上演とのこと。

大坂をのがれ、忠兵衛の故郷・新口村へ向かっていた二人は道の途中で籠から降り、人目の少ないあぜ道へ入る。空からはみぞれ・あられが舞っていた。梅川は京都にいる母を思い、忠兵衛もまた新口村の父へ梅川を紹介したいと思っていた。しかしそれも今世では叶わないだろう。忠兵衛と梅川は来世を思いながら歩みを進めるが、天候はますます悪化し、その風雨の音を追っ手の物音かと驚き怯える。忠兵衛と梅川はお互いを庇い合いながら道を急ぐのであった。

床がちゃんと揃っていた。特に團七さんを筆頭とした三味線はきれいだった。

冒頭、大きな籠をかついでトントントンとあらわれる駕籠かき(桐竹勘次郎、吉田玉彦)がかわいい。籠の中を覗いて「キャッ❤️」となったり、たばこを吸ってちょっと休憩したり。フリも揃っていてよかった。

ラストシーンでは雪がたくさん降っていた。人形や人形遣いにもフワフワと積もっていたが、空調の風に吹かれて客席にも振り込み、私の席まで舞ってきた。終演してから拾って見てみると、薄い半紙を四角く切ったものだった。

 

 

 ■

『曾根崎心中』が火力MAXの世界マッドマックスだとすると、『冥途の飛脚』は劇的だが静かに深く透明感のある世界だった。こういったクリアな質感は、文楽ならではのものだと思う。

それと、漠然とした印象だが、今回第一部、第二部、第三部と観て、三味線って、弾く人によって結構音の印象が違うもんなのだなーと思った。弾き方や旋律そのものの違いもあるけど、音の響き方の印象が人によって違う感じがする。ヲクリのひとばち目の音だけで、場の雰囲気をいっきに変える人がいたり。三味線の音で、空気がピーンと張り詰めたり、逆にほわっとほころんだ感じが急にすることがある。いままで、文楽では三味線で情景を描写するというのがどういうことなのかよくわからなかったが、すこしヒントを得たような気もする。

 

 

冒頭に触れた内田吐夢監督の『浪花の恋の物語』は『冥途の飛脚』を題材にした劇映画だが、結構話を増補してるんだな。今回、原作の文楽を観たことで『浪花の恋の物語』のよさがよりわかった。「淡路町の段」までの前段をしっかり描き込むことにより、二人の立場上の、あるいは気持ちの上での閉塞感を存分に出している。そのへんはやはり劇映画ならではのうまさ。とくにうまいのが、封印切りがいかにヤバイかという話を事前に何度も繰り返している点。これがわかっていないと、封印切りの意味することがわからなくなってしまう。文楽と同じ通り、催促に来る侍が強い調子なのはもちろん、冒頭の人形浄瑠璃の芝居小屋のシーンでよその飛脚屋での封印切りの噂話を出して、その危うさをより印象づけている。そして、ストーリー全体の整理と見せ方に関しては、原作に触れてなお傑作だと感じた。原作のアンチョコになっていないのが本当に素晴らしいと思う。

『浪花の恋の物語』、ご覧になったことがない方は、DVDが出ているので是非ともご鑑賞を。近松門左衛門を主人公に、当時の人形浄瑠璃の芝居小屋の様子も描かれている(ただし人形は三人遣いにしているなど、意図的に時代考証を無視している箇所や史実改変あり。でも、文楽お詳しい方はすぐ意図に気付くと思います)。竹本座の座員を演じる文楽技芸員の方々は最も良いシーンで登場、当時の三和会、若き日の越路太夫師匠(つばめ太夫時代)、勝太郎師匠、紋十郎師匠らが出演され、ストーリーを盛り上げている。人形の撮り方がかなり特殊なことにご注目を!

浪花の恋の物語 [DVD]

浪花の恋の物語 [DVD]

 

 この映画のくわしいレビューは、過去記事2016年ベストムービー5(旧作だけど) - TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹に書いております。

 

 

ところでロビーでずっと流れている文楽研修生の募集ビデオ。

幕間にじっと見ていたら、昨夏頃見たものと内容が差し変わっていて、より詳しい内容になっていた。研修内容の詳細な様子が映ってるのだが、人形の部が結構面白かった。和生さんや清十郎さんがツメ人形のような簡素な女の人形で足の動かし方などをレクチャーしている映像があり、雑な顔のツメ人形なのに主役級にしか見えないすばらしい動きで、笑ってしまった。人形がどう見えるかって、やっぱり人形遣いの芸の力がいちばん大きいんですね。清十郎さんがおそらくアドリブであちこちに動いて、足を遣わせている研修生の子をついて来させるところ、スタタタタと動きが異様に速くて面白かった。ツメ人形(と清十郎さん)、ふだんそんな激しく動かんから。師匠格の方々ばかりでなく、玉翔さんや紋秀さんなど、お兄さんたちが横からサポートしてあげていた。どの研修でも研修生のみなさんとても一生懸命な表情で、またも親戚のオバチャンの気分になってしまい、大変やろけどがんばってな……待っとるで……(ホロリ)となった。

 

 

 

文楽 2月東京公演『曾根崎心中』国立劇場小劇場

人形浄瑠璃 文楽

この世の名残、夜も名残。死にに行く身をたとふればあだしが原の道の霜。一足づつに消えてゆく、夢の夢こそあはれなれ。

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第一部の開演前にロビーにいたくろごちゃん。黒衣だけにロビーに溶け込んでおり、近付くまで存在に気づかなかったが、図体が山のようにでかくて驚いた。一緒に写真を撮ってもらったら、キメポーズでこっちにグイグイ迫ってくるのでびびった。くろごちゃんは調子に乗ってペン(というか筆)と三方を持っていたが、誰も突っ込んでいなかった。 *1

 

 

今回の2月東京公演は近松名作集と題して、『曾根崎心中』と『冥途の飛脚』を同時上演するプログラムになっている。しかも、両方とも男役が玉男さん。ぶっちゃけ似たような話で、人形の配役も同じで、それで変化つくんか、よう続けてやるわいなと思っていたが、実際に観てみたら、受ける印象がまったく違っていて驚いた。基本的には「もう死ぬしかない」オチの話のはずが、なんか違う方向にいっていた。具体的には『曾根崎心中』のほうが……。

 

 

生玉社前の段、冒頭、網笠をかぶった徳兵衛(配役・吉田玉男)が丁稚をともなって生玉神社に現れる。徳兵衛は茶屋の障子の奥に恋人である遊女・お初(桐竹勘十郎)の姿をみとめる。適当な言い訳をつけて丁稚を先へ帰し、徳兵衛が「初ぢゃないか初、初」と呼びかけると、お初もこちらに気がついて「ナウ徳様か、どうしてぞ」と走り寄ってくるが……

なんかこう、この時点からすでにお初がトップギア入っている。この走り寄り、かわいらしい仕草なのだが、速度と目つきが尋常ではない。いや、人形には目つきはないが、なんか、あるんだよ。こいつやばいだろ的な何かが。お初役は勘十郎さんなので、茶屋ののれんから出てくるときには習慣的に出の拍手をしてしまうが、なんだろうこの不穏な気持ち。何がどうとは言えないが、そのさま、ただの「情熱的」ではおさまらない火力を感じる。

 

ところで皆様、増村保造監督による映画版『曽根崎心中』(ATG/1978)をご覧になったことはありますでしょうか。

曽根崎心中 【初DVD化】

このお初(配役・梶芽衣子)が異様にアグレッシブというかエキセントリックで、別になにも始まっていないうちから死ぬ気まんまん、男を地獄に引きずりむ気まんまん。目つきがさそりシリーズと同じで、異様に積極的にガンガンいく、もう最初のシーンからいきなり死を決意したおそろしい目つき。で、私はこれを「まあ、増村保造白坂依志夫コンビだから……」と思っていたのだが、今回のお初、まさにこの通りの火力のお初であった。本物の文楽の演者でもお初をこう解釈している人がいるんですね……。勘十郎さんご本人の火力が強いのはわかるし、お三輪や八重垣姫が強火なのはわかるけど、なぜお初がこんな強火なのか。『曾根崎心中』ってもっと「儚い」「かわいそう」な感じの話かと思っていたがそうでもないのか。増村保造の映画が火力強いのは増村保造が歌舞伎・文楽の現行含むいわゆる「原作」を無視し、自分の色に合わせてオリジナルでそう演出しているからと思っていたが、実はそうでもない、のかもしれない。

勘十郎さんのお初増村保造説は同行の方もおっしゃっていたので、増村保造版『曽根崎心中』を観たことがある方は同様の感想を覚えるのかもしれない。逆にこの映画をご覧になったことがなくて、今回の文楽『曾根崎心中』を観劇したという方は、ぜひ映画版を観てみてください。勘十郎さんは勉強家でいらっしゃるようなので、ご自身でこの映画をご覧になったことあるかもしれませんが、なら、この映画に対してどう思っておられるのか気になります。

ちなみに徳兵衛は宇崎竜童(なぜ)で、かなりのヘタレ。宇崎竜童自身が何もわからず流されてやってる感がやばさを増幅していた。先に書いてしまうが、今回の玉男さんの徳兵衛はヘタレではなかった。服装はこの段でゴミ野郎・九平次(吉田玉輝)にボコられて以降ボロボロなのだが、雰囲気はずっとキリリとしていた。徳兵衛はなんだかんだいっても最後はお初をリードしなくてはいけない役という話を聞いたことがあるが、まさに、ひよっとしていても芯のある雰囲気だった。

  

 

天満屋の段。

お初が縁の下に徳兵衛を忍ばせ、店の会話にまぎれて徳兵衛と死ぬ決意を語る有名なシーン。お初の打掛の中に隠れた徳兵衛がお初の白いちいさな足を頬ずりするようにして首に当て、一緒に死ぬ気持ちを伝えるところが色っぽいが、徳兵衛が打掛の中でモゾモゾしながら時折すそからちょこっと顔をのぞかせる姿はこたつにもぐった猫っぽくてかわいらしかった。ひっこむときは裾を綺麗なかたちに整えるのもかわいい。ヒヨっとしたイケメンの面目躍如だった。

玉男様勘十郎様厨のわたくしとしては普通に観ていればここで「ンギャー!!!!!!!!」と絶叫して劇場外へつまみ出されるところだが、チケット取得当初から絶対やばいと思い、観劇日前日に国立劇場のサイトに載っていた初日レポの写真を見て予習していたので、叫ばずに済んだ(50周年記念公演ニュース|国立劇場50周年記念サイト|国立劇場)。文楽劇場には時折玉男さんに「イヤ〜❤️❤️❤️」と叫んでいる玉男様ガチ恋勢の爺さんがおられるが(直後同行の奥様から肘鉄を食らう)、あやうくあれになるところを文明の利器インターネットの力で乗り切った。

そして夜も更けて、ひそかに天満屋を抜け出す二人。お初の火力はますますアップ、八方(天井から下がった吊行灯)を扇子のついた箒で扇いで消すのがムチャクチャ速かった。増村保造はこのシーンを相当引っ張っていたが、勘十郎さん、すごい速度で扇ぎ、2回目で瞬間的に消していた。見つかるとか見つからないとかを意識していないのではと思える扇ぎぶり、ちょっと速すぎのように思うが(少なくとも八方の下で寝ている下女に見つかるかもというスリルはない)、もう目の前のこと、徳兵衛と逃げるということしか見えていないという解釈だろうか。このシーン、本当に八方に火を入れていたら炎がゆらめいて面白いんだろうけど、今回はさすがに危ないからか、電気ONッ!OFFッ!の割り切りぶりがすごかった。

このあたりの場面で、二人は直接手をつなぐわけではなく、徳兵衛の編笠をお互いにつかんで一緒に歩いているのがいいなと思った。わがバイブル、初代吉田玉男文楽藝話』によると、この段の最後は編笠をつかむのではなく、お互いが直接手をつなぐことで情を表現するとあったが、個人的には編笠を介して手をつなぐ姿はいじらしく、強い印象が残った。

 

 

■ 

天神森の段。

暗い森の中でグリーンの人魂がふたつ、ポワンポワン揺れている。これ、増村保造の映画版にも同じシーンがあり、そのときは普通の赤い火だったので、当初てっきりお初を探す追手の松明の火かと思っていた。今回、義太夫をよく聞いていると、今夜二人より先に心中した人がいるのだろうか、それとも死ぬより先に二人の魂が人魂となって抜け出たのかと言っていた。なるほど、だから2つポワンポワンしていたのね。やっとちゃんと理解できた。

 

ところでさっきから徳兵衛とお初がやたら頻繁にひしと抱き合っているのだが、その速度がはんぱない。人形ってたいてい予備動作をもってから、綺麗な体勢になるよう形式的に抱き合うと思うのだが、徳兵衛とお初が目の前で予備動作なくものすごい速度でがしっと抱き合うので、だんだん頭がおかしくなってきて、見てはいけないものを見ているような気分になってきた。勘十郎さんが談話等で頻繁に「玉男くんとはずっと一緒にいるから、お互い次になにをやりたいかわかる」と発言していたのは本当だったんだと思った。具体的にどういうことを指すのかわからなかったけど、なるほど、こういうことだったんですね……。ペアでやる芝居も、息があっているとこうなるのかーと思った(あいすぎ?)*2。足拍子も完全に揃っていた。なんかきょう足拍子がすげーでかい音だなと思っていたら、二人完璧に揃っているだけだった。足遣いの方々もすごい。

そんなこんなで二人が異様にアツアツすぎるのと、そして太夫もわりとみなさんお元気な感じだったので(津駒太夫さん、咲甫太夫さん、芳穂太夫さん、亘太夫さん)、この二人、心中せずこのまま駆け落ちするのでは? と思ってしまった。ベテラン二人の人形が異様に火力強くて床は勢いで負けるかと思ったけど、太夫さんこれからって方ばかりだからか、人形に負けるどころかガンガン焚き付けにいっていた。三味線も寛治さん、清志郎さん、カンタロー(と突如呼び捨て失礼、寛太郎さん)、清公さんでとっても良かった。ナイスな床配役。これからのあたらしい文楽の舞台への意気込みを感じる段だった。

 

今回の上演では、最後、お互い身体に帯を巻きつけ(巻くのがうまい)、徳兵衛が刀を持つシーンで幕となっており、実際に刺すシーンはない。余韻を残す演出だが、あの前のめりぶりでは死ぬわけない。もう本当申し訳ないが、絶対駆け落ちしたと思う。もちろんこれは褒め言葉、disではないことを重ねて申し上げておきます。

 

 

人形が演じる恋人同士役は、設定上は恋人同士でも、良くも悪くも「そういう設定なんだなー」としか思わないことがあるけど、今回は本当に恋人同士に見えて他を圧倒していた。二人以外の周囲のようすすべてが環境音のようだった。生玉社前で徳兵衛が九平次にボコられるところすら、そうだった。二人の行く先には他の人が何をしようと、何を言おうと関係ない。別に九兵衛に金を着服されなくともこうなっただろう。全体的に、かわいそう、哀れを誘うという気持ちより、二人の絆の強さ自体のほうが印象に残った。お初のクドキにもエネルギーがあり、哀れを超える情念のたぎりを感じた。

 

 

昨年5月の鑑賞教室の『曾根崎心中』が取れなかったリベンジを早々に果たすことができてよかった。そして、斬新な(?)古典作品を観られて、とても興味深い体験だった。逆にふつう(??)はどういうものなのかも気になるので、それは4月の大阪公演でゆっくり観たい。人形に関しては、先代玉男さん×簑助さんの上演記録を探して観てみようと思う。

以前は、『曾根崎心中』は初演から途切れることなく継承されている演目だと思っていた。だが、初演ののちまもなく断絶し、昭和30年代に歌舞伎の影響を受けて復活上演したところから人気になったというのを文楽を観るようになって初めて知った。だから、現行曲は結構商業演劇的な側面もあることも。文楽をまったく観たことがないときは、文楽といえば『曾根崎心中』と思っていたので、とても意外だった。古典芸能において伝統だと思っていても伝統ではない、伝統とは言い切れないもの、また、古典を新作として上演すること、さらにはこういった企業努力(?)で集客を上げることってあるんだなと思った。パンフレットに近松原作も読んでほしいと書いてあったので、『上方文化講座 曾根崎心中』に載っている原作全文校注を4月までにあらためて読んでおこうと思う。

 

 

そんなことより皆様、勘十郎様のFaceBookが超火力でまじやばいので見て。


ありがたや……ありがたや……………………(成仏)

 

 

 

*1:国立劇場のチケット情報のメルマガで、「このたび、世界的に流行している、「ピコ太郎」の動画「PPAP(Pen-Pineapple-Apple-Pen)」の国立劇場版「PNSP(Pen-Nurisampo-Sampo-Pen)」を作成し、動画投稿サイト YouTube に公開しました。」というメールを送ってきたくらい、調子に載っている。このメルマガ、YouTubeのURLより先に出演者紹介が載っていたのには爆笑した。さすが国立劇場、そっちが先かい。

*2:後日、玉男さん・忠兵衛×清十郎さん・梅川の『冥途の飛脚』を観たら、やっぱりちゃんと一拍おいてタイミングをとって抱き合っていた。

文楽 2月東京公演『平家女護島』国立劇場小劇場

人形浄瑠璃 文楽

鬼界が島に鬼はなく、鬼は都にありけるぞや。

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平家女護島。話を自分の中で整理しよく理解するために、あらすじを追いながらメモを書いていこうと思う。

六波羅の段。

六波羅の清盛館では、囚われの身の俊寛の妻・あづまや(配役=吉田一輔)が気を沈ませていた。平相国清盛(吉田幸助)は上臈を踊らせたりと彼女の気を引こうとしていたが彼女は一向に良い顔をせず、鬼界が島へ流された夫を思い泣き伏すばかりだった。やがて清盛の甥・能登守教経(吉田玉佳)が童・菊王丸(吉田玉翔)を従えて現れ、清盛に背かず夫に操を立てよと促すと、あづまやは守り刀を引き抜き自害してしまう。教経は彼女の首を切り落とし「顔が気に入っていたのならこれでいいだろう」と清盛に差し出すが、さしもの入道もこれには顔を背け席を立つ。そこへあづまやが自害したことを知った俊寛の従者・有王丸(吉田玉勢)が侍たちを蹴散らしながらやってきて、菊王丸と力比べになる。二人の力は互角であったが、それを遮った教経の「鬼界が島の主人を忘れ犬死するか、戯け者」という言葉に情けを感じ、有王丸は去ってゆく。

 

ここは人間関係の整理と話についていくので精一杯。能登守教経が平清盛の甥って初めて理解したわ……頭がパーすぎて半年前に『平家物語』読んだばかりなのにまったくわかっとらんかった……。とは言え、上臈たち(吉田玉誉&吉田簑太郎)の踊り、有王丸の捕手の綱を使った殺陣や鮮やかに濃いグリーンの衣装もまばゆい菊王丸との戦いなど、直観的にわかる視覚的見どころも多くて楽しい。

 

 

鬼界が島の段。

平家討滅の陰謀が発覚し、鬼界が島(硫黄島)へ流刑となった俊寛僧都(吉田和生)がヨロヨロと現れ、自らの身の悲哀を語る。気がつくとすぐそばの大岩には平判官康頼(吉田玉志)がしがみついてる。そのさまがあまりにもすごすぎて、俊寛は自分がいつの間にか餓鬼道に堕ちていたのかと勘違いするほど。さらに藪の中からは丹波少将成経(吉田勘彌)が現れる。久方ぶりの再会を喜ぶ三人、成経は顔を赤らめながら夫婦の契りを結んだ島の海士・千鳥(吉田簑助)を二人へ紹介する。この四人が水盃でわいわいやっているところへ、都から赦免船がやってくる。赦免船には、ちゃんとしてるんだろうけど性格が悪いとしか思えない瀬尾太郎(吉田玉也)と、いい人だろうけどクソまじめな丹左衛門(桐竹勘壽)が乗っていて、二人は中宮御産御祈祷のための大赦の書状を持ってきたという。その書状には康頼と成経を赦免するとあるが、俊寛の名は載っていない。俊寛は悲嘆に暮れるが、丹左衛門がさらに小松内府重盛公の書状を持っており、そこには俊寛も赦免すると書かれていた(実際に書いて持たせてくれたのは教経)。三人は喜び船に乗ろうとするが、千鳥を連れて乗ろうとしたところで瀬尾に止められる。成経は千鳥は妻だと説明するが、同道は許されず、瀬尾は通行手形の通り三人だけを船底へ押し込もうとする。千鳥は「鬼界が島に鬼はなく、鬼は都にありけるぞや」と嘆き悲しみ、自害しようとする。瀬尾から妻がすでに亡いことを聞いた俊寛は、妻のいない都へ帰っても栓なきこと、自分のかわりに千鳥を乗せてくれるように頼む。しかし瀬尾はそれをも許さない。それならばと俊寛は瀬尾の差している刀を引き抜き、彼に切り掛かって殺してしまう。俊寛は、この咎により自身はふたたび罪人となり鬼界が島に残るので、かわりに千鳥を赦免船に乗せてほしい、千鳥を入れて三人なら通行手形の筋も通ると丹左衛門に懇願する。康頼と成経、そして千鳥を乗せた船は鬼界が島を離れ、どんどん沖へ出てゆく。自分が乗るのは浮世の船ではなく弘誓の船だと言った俊寛も、いざとなれば浮世の未練捨てがたく、転げ落ちながらも岸壁の大岩へ駆け上がり、遠くなってゆく船をいつまでもいつまでも見送っていた。

 

小幕ではなく、その奥の岩のセットのあいだから俊寛が自然木でつくった杖にすがるようによろめきながら現れると、ぱっと舞台の雰囲気が変わる。シンプルな美術セットだが、ここが都から遠く離れた異界であることがわかる。文章を書くうえの誇張ではなく、本当にここが打ち寄せる波の音と松をすりぬける風の音しか聞こえない、どこか遠くの寂しい島に見えるのが不思議。これはもちろん義太夫のよさもあってのこと。俊寛の人形は古びて変色したかのように顔がすこし黄色っぽくて、腕もほかの人形と違って筋張っていた。

しかし和生さんと玉志さんと勘彌さんが同時に出てきたときはどうしようかと思いましたねえ……。私、和生さんか玉志さんか勘彌さんが出てるときはそこをじ〜っと見てるんですが、きょうはどこを見てたらいいんでしょうね??? 席の関係上、こんなにパラパラ立ってられると誰か一人しか見られないんですけど??? それにしても父や兄のようだとか言いつつこの人ら一緒に生活してたわけじゃないんですね。能だと三人一緒に暮らしてたんじゃなかったっけ。三人はヨロヨロ演技がすごすぎてびびった。とくに冒頭で岩にへばりついている康頼、熱演すぎてやばい。死ぬ気でボルダリングしている人状態。三人の衣装は近くで見ると単なるツギハギでなく、細かい裂けやほつれがたくさん作ってあって、精巧さに驚いた。すだれ状のほつれが見事だった。

そして呼ばれてチョコチョコと現れる、黄緑の着物とそこから覗く赤の襟、腰蓑姿のヒロイン・千鳥。キャーカワイー! 能の『俊寛』には千鳥は登場しないので、初見、正直「誰?」と思った。いや、配役表で「蜑千鳥(鬼界が島) 吉田簑助」というのを見たので存在は知っていたが、「蜑」が読めなくて、蟹の仲間かと思ってましてねぇ……。まあ簑助様がカニ役のわけないとは思ってたんで(当たり前だ)、カニとり娘かなーと思ってましたが、「あま」でしたか……。

何がどうしてそう見えるのかよくわからないのだが、簑助さんの人形はとても可愛い。千鳥も近くで見ると、大きな動きをしているときにも静かにしているときにも、そのなかにかなり繊細で微細な仕草を加えているのがわかる。たぶんそこが可愛さにあらわれているのだろうが、こういう細かい演技は後列に座っているとなかなか見えないので、良い席でじっくり見られるのはありがたい。成経に寄り添っているときばかりか、船に乗る乗らないのところで俊寛の袖の影に隠れてきゅっとしがみついているさまなど、かなり可愛い。まるで「カワイイ」という概念が具現化した存在のようで、こういうふうに言っていいかはわからないが、生身の人間とは思えない。いや、人形は人形なんですけど、生身の人間でいうとどういう人?ということがぜんぜん思いつかない。成経が語る馴れ初めは義太夫らしく艶っぽい(というかオヤジエロギャグ)ものだが、それを忘れさせる清廉さと可憐さ。

赦免船はものすごく大きくて、驚いた。舳先しか舞台に見えていない。船の舳先に逆J字型のなにかがついているので何だろうと思っていたら、フサフサ(タッセル)らしい。パンフレットに載っている過去の舞台写真ではちゃんと本物の大きなタッセルがついていた。

ここからのヒネリが能と異なる部分で、一番おもしろいところ。能だと俊寛はマジで名前が落ちていて取り残されるオチで、助かると期待していたところからの絶望への転落、ぬか喜びがあまりに悲惨すぎておろそしい話なのだが、『平家女護島』だと自らすすんで鬼界が島に残る。『俊寛』もそうだけど、能とか説経節の中世以前に成立している話って人間味のないド悲惨なものが多いが、『平家女護島』では悲しみそのものはあるのだが、それを人間味の方向というべきか、違う方向にいかせていた。現世への未練は断ち切ったというけれど、それでもさすがに船が出ていくのを見るといてもたってもいられない俊寛の人間らしさ。クライマックスで俊寛が駆け上がる大きな岩が印象的。文楽の人形はちっちゃいので、このセットの大岩がものすごく大きな岸壁に見える。幕が閉まる直前はこの岩が半回転していた(廻り舞台を使っている?)。このラストシーン、黒衣ちゃんが波の模様の布を手すりにかけるのを失敗してて、下手側の子はそうそうに諦めたんだけど、上手側の子が最後まで一生懸命かけようとしていたのが印象的だった(そこ?)。最後に出てくる遠見の船は可愛かった。

そういえば、都からの赦免使ふたりが島に降り立ったとき、お付きのツメ人形がちいさな床几を出していて、ふたりがそこにチョコンと座ったので驚いた。もちろん足遣いの邪魔になるので床几はかたちだけですぐ下げられてしまったいたが……、いままで、文楽の人形は屋外でも「座っている」が、いったいどこに座っているのかと思っていたが、やっぱり床几に座っていたんですな。

  


舟路の道行より敷名の浦の段。

成経らを乗せた赦免船は鬼界が島を離れ、備後敷名の浦へたどり着く。そこでは有王丸が主・俊寛の帰りを今や遅しと待ち構えていたが、赦免船に俊寛の姿がないことを知り落胆する。これまでと自害しようとする有王丸だったが、千鳥にとどめられ、思い直す。そして、一行からの頼みで主人の養娘である彼女を預かることに。そうこうしているうちに清盛と後白河法皇を乗せた厳島神社ご参詣の船が敷名の浦を通りかかる。清盛は後白河法皇を「前からうざいと思ってたんだよね〜!」みたいな感じで船から海へ投げ落とすが、海に慣れた千鳥(吉田簑紫郎)が咄嗟に海へ飛び込み、法皇を海中から助け出す。ところがそれを見ていた清盛が千鳥に熊手を打ち込み、頭を踏み砕いて殺してしまう。千鳥は恨みの言葉を吐きながら死に、千鳥の瞋恚の業火に取り憑かれた清盛はその執念に恐れをなしてあわてて都へ帰ってゆく。

 

太夫さんがまったく声揃っていなかった。滅多に出ない段らしいのと、かつ私が行ったのは2日目なんで仕方ないのかもしれないが、特に人形が出ていない幕を張っているだけの状態のときに揃ってないと、浄瑠璃そのものより揃ってないこと自体に気がいく。それとも揃える気がないんですかね。というか、言ったら悪いけど、あきらかに揃える気ぃないときありませんかあの人たち。三味線もはじめのほう揃っていなかったが、だんだんなんとなく揃ってきていた。がんばって!と思った。あの人ら絶対全員が全員「おれが一番イケてる」と思っているだろうし、個性とか芸の方向性が結構違うから仕方ない部分はあるんだろうな〜、とは思う。

それはともかく千鳥が芝居ながら着物姿のまま海へ飛び込んだのは驚き。千鳥は海女なので着物の裾を普通の女の人形より上げていて、足が吊ってあるのがわかった。千鳥はわりとフワフワと泳いでいた。水中で着物が揺れているイメージなのかな。あと、千鳥は「蜑訛り(薩摩訛り)」という設定らしいが、どこがどう訛っているのかはよくわからなかった。前段の簑助様が実は方言萌えキャラだったということだけは理解した。

簑紫郎さんの千鳥。簑紫郎さんのインスタ、人形の写真を見たくてフォローしているのだが(簑助様の人形の写真をアップしてくれることがある)、絵文字たっぷりや自撮りはまだいいんだけど、時々虫のクソどアップ🐜やみんなで温泉に入りました♨️的な写真が混入してきてびびる。勘十郎様の暴走を止められるのは簑紫郎さんだけと思っていたが、これではもう誰も止められないと思った。

 

 

鬼界が島に鬼はなく〜というフレーズは聞いたことがあったけど、この作品に出てくるセリフだったのか。

ところでこの『平家女護島』、これだけでは話がまったくわからないので、全段だとどういう話になるのか我が愛読書・先代吉田玉男文楽藝話』で調べたところ、「常盤御前が牛若丸に女装させて通行人を色仕掛けで引き込み源氏再興を企てるという設定に、平宗清父娘の悲劇が絡む」と書いてあって、余計に意味がわからなくなった。俊寛の話はそこにどう関係あるんでしょうか……。

2月は東京でもチケットが取りやすいということで、『平家女護島』は最終週も取った。2回目は初回ではよく理解できていなかった部分をしっかり観て聴いて、新しく気づいたことや改めて理解できたことなどは、ここに書き足したい。

 

2017.2.27追記、鑑賞2回目感想。

結論としては2回観てよかった。1回目は人形目当てに絞った前列席を取ったので、俊寛たちがヤイノヤイノやっている輪に自分も混じっているかのような錯覚を覚えたが、2回目は浄瑠璃をゆっくり聴こうと、床の直線上にくるまんなかくらいの席にした。引いて観ることになるので客観性が生まれて物語全体を把握しやすく、また、人形の大きな動きも見やすく、これはこれでよかった。

まず「六波羅の段」、これは初見時まじで意味わからなかったので2回目観て本当によかった。初回時は入場時にロビーにいたくろごちゃんに夢中になり、開演前にあらすじを読めなかったので……。この段は教経が何者なのかわからずに観るものではないと思った。

「鬼界が島の段」、今回は康頼と成経をじっと見てみた。冒頭、『八甲田山』でこんなシーンあったよね〜って感じの這いずり回りがやばすぎてびびる康頼だが、よく観察していたら、その後も人一倍盛り上がっていた。成経が千鳥との馴れ初めを語るくだり、俊寛はときどき「ほほー」みたいに手をあげたりするのだが、康頼はものすごい前傾姿勢で成経を見つめ、興味津々に聴いている。いや、人形ってもともとやや前傾してますけど、「まじで!?」って感じで真顔で(人形だから当たり前)聴いているのがなんかおもしろくて……。人形の目線は成経にいっているのだが、玉志さん(康頼役)はぴくりとも動かず、勘彌さん(成経役)の背後をじ〜っと見ていらっしゃった。何をご覧になっていたのだろう。康頼は赦免状に俊寛の名前がないとわかったときも、「な、なんですとー!?」と言わんばかりに結構びっくりしてぷるぷるしていた。貴公子風に見えて、実はキモオタなのかもしれない。康頼はドラマに関係のない役だが、その分、わりと盛り上がっているのだなと思った。それにつけてもあの人ら、久々に再会したしょっぱなから恋バナはじまるあたり、アラサー女子会のようでのんきではある。成経はあまりウロウロはせずちょっと品があって、あんな辺鄙な島で何年も暮らしていても貴公子っぷりが抜けていない感じで、姫騎士な感じで良い(勘彌さん自身のイメージによるもの?)。

「舟路の道行より敷名の浦の段」。身もふたもないことを言うが、千鳥はやっぱり鬼界が島のほうがかわいい。鬼界が島の千鳥は、棒を振り回しても、石を投げても、落ちるがなってくらい船から身を乗り出してジタバタしても、すっごくかわいい。ぶっちゃけいわゆるブリッコなのだが、現世のものとは思えないほどに可憐だからすべて許される。体が小さく、華奢に見えるのが大きい。守ってあげたい感がある。単体での演技とあわせてほかの人形とのからみがうまいんだろう。敷名の浦では泳ぐという一番大きいアクションをしないといけないので、そういった意味での可憐さは出しにくいのかもしれない。

浄瑠璃……、太夫の声、三味線の音は、やはり床の直線上にくる席のほうが聞こえよい。字幕を見ながらゆったりと聴くことができるし、床の様子も見られるし。しかし舟路の道行のとこ、揃っている日といない日があるのだろうが、もうちょっと頑張って揃えるようにしてくれよと思った。個々の方が頑張っておられるのはわかるし、あんまりネガティブなことは書きたくないが、正直あれでは舟路の道行〜は上演しないほうが鬼界が島の余韻を楽しめると思ってしまう。咲甫さんは今回3部とも出演されて、本当にがんばっておられた。

 

 

 

今回は昼食を食堂で食べた。開演前に1Fの階段上り口で予約。国立劇場のウェブサイトに載っておらず要問合になっているあぜくら会の食堂優待だが、受付の方に質問したところ、2,000円以上のメニューに適用されるようだ。ケチって一番安いお弁当にしたので優待を受けられず、適用時の割引率は不明。

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一番安い! 梅弁当(1,600円)! こまごましたおかずが一口分ずつ入っている。歌舞伎公演とかぶっていなかったせいか食堂内は人が少なく、広めのテーブルで食べられた。少なくとも味も接客も文楽劇場よりはいい。分量は多くないけど、休憩時間の30分で食べきるにはけっこうギリギリだった。これよりランクが上のお弁当は私は分量的に食べきれないかな。


 
 
• 『平家女護島(へいけにょごのしま)』六波羅の段、鬼界が島の段、舟路の道行より敷名の浦の段
http://www.ntj.jac.go.jp/schedule/kokuritsu_s/2016/21039.html

国立劇場近くのおすすめランチ店 8軒 〜半蔵門観劇お食事頂上作戦篇〜

2月の文楽東京公演は3部制ということで、ご観劇前後にお食事を劇場外で召し上がる方も多いと思います。しかし国立劇場近辺に土地勘のない方は、半蔵門では食べるところがないと思われる方も多いのでは。

おっしゃる通りその通り。半蔵門には皇居と最高裁国立劇場しかありません。そこで、半蔵門界隈のランチに一家言ある(?)私が、国立劇場近く、とくに半蔵門駅から国立劇場までの間にあるおすすめのランチ店8軒を半蔵門駅から/国立劇場までの所要時間とあわせてご紹介します。

 

 

┃ 1. やくしま

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名前通り、夜は屋久島直送品を使った料理を提供する和食店で、ランチタイムは和定食を出している。

落ち着いた店内で、丁寧に調理され盛り付けられた健康的な料理をゆっくり味わえるのがこの店の良いところ。ただのヘルシーではなく、品質のよい健康的な定食なので、きちんと食べたい男性客はもちろん、体に良い食事をとりたい女性客も多い。板前さんがたくさんおられるので出てくるのも早く、店員さんの接客も気持ち良い。

メニューも一番人気の日替わりをはじめ、焼き魚や煮魚、鳥唐揚げ、肉じゃが、刺身などのベーシックな定食から、牛アボカド丼、屋久島トビウオ丼などのちょっと変わったものまで様々。定食の場合はご飯、味噌汁、小鉢、漬物等の箸休め2種がつく。また、大抵メインおかずに生野菜サラダが一緒に盛られているので、野菜を無理なくたっぷり摂取できるのも良い。ちなみに日替わり定食に具体的に何が出るかというと、キムチ鍋+プチコロッケなど、メインにちょっとしたおかずがつくことが多く、結構がっつり食べられる。

この店、おいしすぎてランチタイムは近隣勤務の会社員が集結するので、12時台〜1時過ぎまでは結構混んでおり、1時半以降が穴場。広めのグループ席、御簾で仕切った個室風席あり。カウンター席があるので、おひとりでも気軽に入店可。国立劇場行き帰りらしき方もよくお見かけする信頼できる店。 

 

 

┃ 2. 巨牛荘

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焼肉系韓国料理の有名店。ランチではプルコギ、クッパ、ビビンバのほかステーキなどを出している。

おすすめは旨味たっぷりスープのクッパ。ダシの風味を大切にした締まりがありつつも優しめの味で食べやすく、スープもすべていただける。調味料付きなので、辛いのが好きな人は唐辛子粉を入れて味を調節可能。主食は「ごはん」と「うどん」から選べる。

この店、以前は千鳥ヶ淵付近にあり、かなりの床面積を持つ人気店だったが、最近半蔵門駅国立劇場出口目の前へ移転してきてカジュアルダウン、店内が狭くなった。人気のわりに席数が少ないので、さっと食べてさっと劇場へ向かいたいときに良い。

 

 

┃ 3. ガンジス

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衆議院御用達」と謎の張り紙がしてある、黄色い外壁塗装もまばゆいインドカレー店。

ここのカレーはスパイシーでコクある風味が特徴。私が好きなのは辛口チキンと日替わり。日替わりは独創的で「かぼちゃとチーズのキーマカレー」など、良い意味でインドカレーにとらわれないバラエティ感がある。春季なら春野菜を使ってみたりと、ちょっと創作料理風。それと、インドカレーだと調理が素朴なところも多いが、ここはどれも丁寧。前述のかぼちゃとチーズのキーマカレーも、かぼちゃが小粒に切ってあるのに煮崩れていなかったり。

この店で一番勧めたいのは、ランチに無料でついてくるドリンクで「マンゴーラッシー」を選ぶこと。これがコックリ濃厚で旨い! なんでもヨーグルト成分は明治の機能性ヨーグルト・プロビオを使っているらしい。ヨーグルトとマンゴーの配合も絶妙で、デザート代わりにもなるほど。これだけをテイクアウトで売ってほしいくらいだ。

写真はレディースランチで、好きなカレー2種、ナン、ライス、タンドリーチキン、サラダ、ドリンク、マンゴープリンがついて999円。ナンとライスはもちろんおかわり自由。女子はみんなこれ注文すべし! 男子が注文できるかは店員さんに聞いてみて!

※ちなみに今回記事を書くにあたり「衆議院御用達」の意味を調べてみたところ、なんでも国会議事堂(衆議院)内に系列店が喫茶店形式で入っていて、そこでココと同じカレーを出しているようです。

 

 

┃ 4. 麹町カフェ

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半蔵門駅国立劇場側出口の目の前にある大型カフェ。

カフェと言いつつ食事メニューが充実した店で、オーガニックフードを取り扱う。メニューは軽食をオシャレっぽく調理したいわゆる「カフェめし」中心だが、あなどるなかれ、メインからちょっとした付け合わせの野菜に至るまでひとつひとつの料理が丁寧に作られており、しかもボリュームたっぷりで満足感は◎。ランチメニューはあまりに遅い時間だと品切れすることがあるが、その場合は代替メニューに差し替えてくれるのが嬉しい。写真はメインのキッシュがなくなったので、タンドリーチキンのサンドイッチに差し替えてもらった日。むしろこっちのほうがええやんけ。

ランチメニューにつく付け合わせのひとくちパンはおかわり自由のほか、手作りのプチデザート付き。ランチドリンクは別途オーダーだが(200円くらいだった気が)、ドリンクも頼んですこしゆっくりするのがおすすめ。

店内はかなり床面積が広く、食事にお茶にゆったりでき、広めのグループ席(ソファ)もある。にぎやかな店なので、静かに落ち着いた会話をとはいかないが、キャーキャーやりたいときはあえてここを選びたい、半蔵門には少ない若干チャラついた(?)店。 

 

 

┃ 5. おかめ

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国立劇場表側(内堀通り沿い側)にある甘味屋。

おはぎ、あんみつ、かき氷などの甘味がメインだが、実はうどん、お雑煮、お茶漬けなどの食事メニューが充実。この地味さ、半蔵門には他になくて貴重な存在。あんまり味の濃いものとかがっつりしたものはちょっと、というときはここでさらっと。

写真の「甘辛弁当」はおでん、茶めしおにぎりをメインに、おはぎがついた一品。おでんと茶めしおにぎりの落ち着いた味に癒される。私はとろけるはんぺんが好み。おはぎはこしあん・きなこ等のオーソドックスなもののほか季節限定品も選べて2月現在は桜味を展開中(写真中央のピンク色の物体)。この桜おはぎ、要するに桜餅(東京で言う道明寺)をおはぎ化したものだが、見た目に反して甘くなく、食べやすい。そしてサイズが妙に大きく、普通のおはぎ2個分はありそう。おにぎりよりでかいぜ。おでんとおにぎりだけならかなり量少なめだけど、このおはぎで程よく腹八分目に。

端正な雰囲気の店内はテーブル同士の間隔がかなり広めの余裕あるレイアウト。テーブル自体も広いので、静かにゆったり食事や甘味を味わえる。一応書いておくと、味レベル的には劇場内のレストランに近いかな。めちゃウマの名店とかではなく、雰囲気を楽しむ店。

※食事メニューはWEBサイトに掲載なし。一例としては、おぞうに770円、豚うどん830円、あべ川もち760円、さけ茶漬け810円、おにぎり吸物付810円、茶めしおでん910円など。季節メニューあり。ご参考まで。

 

 

┃ 6. プティフ・ア・ラ・カンパーニュ

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半蔵門駅からは国立劇場と逆の出口(番町方面)になるので国立劇場との行き来が少々遠いのだが、それでも是非訪問してもらいたい半蔵門最高の名店。

欧風カレーの専門店で、種類はビーフ・ポーク・チキン・シーフードなど多様。私のおすすめはポーク。カレーソースとは別に揚げ焼きされたポークにワインのような風味がかすかについていて、いかにも高級欧風カレーというお味(貧乏人の感性)。柔らかなチキンも王道のおいしさ。芳醇で深いコクのあるカレーソースは本当にすばらしく、欧風カレーらしいスパイシーさと濃厚さに加え、フルーツのような甘味がほのかに香るのがこの店の特徴。辛口で注文した場合でも、辛みが浮かずよりコクを増すようなまろやかさがある。写真のように小さなジャガイモ2個付き。

個人的にはこの店、欧風カレー店の最高峰で(料理自体のほか、接客・店内雰囲気を加算すると神保町ボンディより上)、別に半蔵門に用事がなくともこのカレーを食べるために半蔵門へ行きたいくらい好き。

終日通し営業なので第二部終演後、第三部開演前・終演後でも食事を楽しめて便利。実際、しばしば国立劇場歌舞伎や国立演芸場終わりのお客さんの姿を見かける。ややアンダーな照明の隠れ家風の店内で落ち着くので、観劇後に少しゆっくり話ができるのが良い。

 

 

┃ 7. ドーカン

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近隣の会員制洋菓子店・村上開新堂の系列店だが、ここは終日予約等不要・だれでも利用可の一般向けのカジュアル店舗。

外観からはイートイン付きの老舗洋菓子店に見えるが、本業は食事メニューだそうで、ランチ・ディナータイムには洋食メニューを提供。その洋食がいかにも昔ながらの味で楽しい。豚ブロックをケチャップ風味に煮込んでグリーンピースを添えたポーク煮ライスは懐かしい美味しさ。豚肉はスプーンで崩れるほどやわらかく、やや強いトマトの酸味が効いている。これに生姜味にクタクタに煮込んだ野菜の和風スープ(一例。スープは日替わり)がついてきて、まるで昭和の金持ちの奥様が料理教室で習ってきたメニューをホームパーティで振舞っているようなお献立。もしくは昭和の給食。食後のコーヒーについてくる角砂糖が個装の輸入品だったり、プチデザートのガトーショコラがよくあるしっとりタイプではなく、焼菓子のようにカリカリだったりするセンスもいかす。写真は具だくさんスープセットで、メイン料理にたっぷりのスープ、飲み物、プチデザート付きで1,350円。

高級店の系列店のせいか、店員さんの接客が値段や店の雰囲気を超える丁寧さなのも不思議時空を増幅する。昭和の古き良きお店感を満喫したいときに訪問したいお店。

 

 

┃ 8. 朝霞

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‪中華ならここ。最近の中華料理らしいカジュアルな店。

麻婆豆腐や鶏肉のカシューナッツ炒め、高菜炒飯など、様々なメニューが日替わりで楽しめる普通の定食もおいしいが、辛いもの好きの方はぜひ刀削麺を。モチモチ麺と粗挽肉にからむ山椒が爽やかな麻辣、風味豊かなスープの坦々ともにパンチがあって大満足。味はしっかりしているが、辛口すぎず食べやすい。オプションとして、ミニサイズ刀削麺+日替わり定食のミニサイズ丼やチャーハンミニサイズとのセットもあり。この店、全体的にものすごく量が多いので、セットで頼むとミニサイズとか言ってもすさまじいボリュームとなる。観劇前は鬼門かも(上演中スヤる)。また、すべてのメニューに杏仁豆腐付き。

店内こぎれいで広いが、ザックリしたおおらかな店なので、さっともゆっくりも可。刀削麺をオーダーすると紙エプロンをもらえるので、お召し物が気になるけどがっつり食いたい乙女も安心。