TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

麻雀漫画と昭和の日本映画と文楽(人形浄瑠璃)について書くブログ

文楽 2月東京公演『桂川連理柵』国立劇場小劇場

ときどき前を通る新聞店の店先に、腰ほどの高さのスチールのラックが設えられている。その上には常に清潔に掃除された水槽が置かれていて、中には一匹の大きなカメが住んでいる。両手に乗せれば太い手足がはみ出すであろうほどの大きなカメだ。飼い主に磨いてもらっているのか、暗緑色の甲羅に汚れはなく、水に濡れてつやつやと鈍く光っている。カメは動かない。いつも、浅く張られた水面から頭を垂直につきだして、天をあおいでいる。朝も昼も夜も、暑い日も寒い日も、カメは同じ姿勢をしたままである。カメは動くことがない。カメは何歳なのだろう。カメはただずっとそこにじっとしている。

そのカメを見るたび、「玉男様……💓」と思っていたが、きょう見たら、めっちゃじたばたしてた。おなかすいてたのかな。

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桂川連理柵、石部宿屋の段。

桂川自体は11月に大阪で出たばかりだが、今回は冒頭に「石部宿屋の段」がつくのが見どころ。石部宿屋は滅多に出ないということなので、以下にあらすじをまとめる。

信濃屋の娘・お半〈人形配役=豊松清十郎〉は丁稚長吉〈吉田文昇〉と下女りん〈桐竹紋吉〉を伴い、伊勢参りの下向道。一行は関の追分で、遠州帰りの隣家帯屋の主人・長右衛門〈吉田玉男〉と偶然出会い、同道することに。

 

一行は京都へ着くまえに石部宿の出刃屋へ投宿する。その深夜、長右衛門の部屋へお半が駆け込んでくる。何事かと問うと、毎晩長吉がしつこく言い寄ってきて、いままではりんを起こして退治させていたが、今夜は彼女がどうしても起きないという。長右衛門はあまり騒ぎ立てては長吉がお払い箱になってしまうからとお半をなだめ、部屋に帰って寝るように諭す。しかしお半は戻ればまた長吉に何をされるかわからないので、長右衛門と一緒に寝かせて欲しいと懇願する。長右衛門は子どものことだと思い、彼女を布団へ入れてやる。

しばらくして、お半を探して長吉がやって来る。猫なで声でお半を誘い出そうとする長吉だったが、大方長右衛門のところへ入り込んでいるのだろうとその部屋の障子に聞き耳を立てる。不審な様子に中を覗いてびっくり。腹を立てた長吉はお半を盗られた意趣晴しに長右衛門が遠州の大名から預かった刀を盗み出し、刀身を己の旅差とすり替えてしまう。

やがて宿の者たちの朝食の膳の支度ができたとの声が聞こえる。長右衛門、お半は帯をしめ、一同は出立の支度をはじめる。

石部宿屋から六角堂までは人形黒衣で上演。

最初の、背の高い松がぽんぽんと間欠的に植えられた街道筋の絵が描かれた幕が降りているパートは原作でいう「道行恋ののりかけ」の部分のようだ。現行上演では最後に増補の道行がついているのでここを道行として処理していないらしいが、見た目は道行で、のんびりとした情景描写になっている。伊勢参り帰りのお半は来合わせた長右衛門にきゃーっと寄っていって、長吉をガン無視してイイコイイコされている。

幕が上がると宿屋「出刃屋」のセット。下手に入り口があり、中央が大きな上り口の間。宿の使用人が頻繁に出入りしている。上手に張り出すように障子の引かれた長右衛門の部屋。上り口の間と長右衛門の部屋の間、上手奥に向かって廊下が続いていて、見えないがその先にお半一行の部屋があるという設定。お半と長吉はここから出入りする。

お半は普通に長右衛門の部屋へやって来て、長右衛門も普通に彼女を布団に寝かしてしまう(っていうか、ちょこんと寝ちゃう)。この流れがかなりさりげない。長右衛門が布団に入るとすぐ障子が閉まってしまうので、事前に後の展開を知らないと話がわからない。襟袈裟の鈴の音がチャリチャリ聞こえるだけ(わざとやっているのかはわからない)。

そういうわけで、この段の一番のみどころはその障子の中を覗き見て大騒ぎする長吉の可愛さ(?)。長右衛門の部屋を覗いた長吉がほっかむりをして出直してきて、古手屋八郎兵衛がどうたらと言って芝居の真似事をするところ、後ろ姿のキメがアホそうで良かった。長吉はこのあとの帯屋で鼻水をすするタイミングも良かった。長吉は配役された人形遣いによって鼻水をすするタイミング、すすり方が結構違うと思うが、文昇さんのすすり方はかなり良かった。「ずずっ、ず、ずずっ、ずずーーーー!!!!」って感じで少しずつすすり上げていて、まじキモかった。ここ最近の文昇さんで一番良かった(?)。

宿屋の朝の場面で、寝床に落ちたお半のかんざしを長右衛門が拾って挿してやる演出が入っていたが、落とすかんざしが最後の道行で「おねだりして買ってもらったかんざし」というもの(向かって左に挿している手毬状のもの)ではなく、逆のほうに挿したもの(花束状のもの)だった。お人形さんは必ず右利き(左手での細かい演技は基本的にしない)という文楽人形の宿命によるものだと思うが、買ってもらったものを落としたほうが意味が出るしよいように思うが。落とすかんざしは誰が決めているのだろう。プログラムの解説を読むと、落とすときと落とさないときがあるようだが……。ただこの簪を挿してやる演出、素でキ……、いえ、なんでもないです。逆に長右衛門が清十郎さんならキモくないと思う(清十郎の清楚感への全面的な信頼)。

心の底からどうでもいいことだが、最初の追分松原のところで長右衛門がわらじの紐を結び直すためにかがむシーン、席の関係上、パンチラしそうだった。思わず覗きそうになった。文楽人形は絶対パンチラしないのでよかった。

 

 

 

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六角堂の段。

儀兵衛〈吉田玉佳〉の絶妙なキモさが最高。お絹〈吉田勘彌〉に擦り寄る距離感と手つきの不気味さは神技だった。床机の横に腰掛けてくるときの、一応距離はあけてるんだけど、にしては異様に密着しているなんともいえない距離感。人形が床机に座るときって、普通、二人連れでも二人とも真正面向いて座るじゃないですか。でもヤツはお絹のほうに体を向けて座るんですよ。キモっ。しかも、やたら大げさな身振り手振りをする、そのとき袖がお絹に当たってるの。それと、微妙にお絹のほうに重心が傾いているというか……。めちゃくちゃキモい。こういうウザキモい人、いるよね。そして、セクハラも玉志さんのような一発お縄系のやばいやつではなく、ギリギリ言い逃れができるレベルのまじキモい下卑たタッチ。至芸であった。

お絹の色っぽい人妻感も最高。奥様らしい、親しみやすいが優美なゆっくりとした動作で、中年の女性のもつ美しさと色気を感じる。去年から延々勘彌さんのお絹を見ている気がするが、毎回、隣家の男子高校生になった気分になる。回覧板を持っていくのを口実にすこし喋るのだけが無上の楽しみで唯一の接触、みたいな……。そのお絹が長吉に与える小遣い、かねてよりどれくらいのモンかしらと思っていたところ、上演資料集の解説に「3〜4万円相当(通常無給の人に対して)」と書かれていた。それなら私も言うことを聞くと思う。長吉が受け取る小道具の紙包みの内側に、銀色のシールみたいな感じでお金が規則正しくはりついてるのも笑える。

六角堂の段が終わって昼休憩に入ったとき、近くの席の方が「宿屋の最後のほうで“帯締め……”って言ってたけど、ほどいたってこと???」と物語の根幹を揺るがす SUGOI SUNAO QUESTION を口にされていた。たしかに人形の演技だけ追っていると何が起こったかわかりづらいのだが、あそこで帯解いてなかったら、第一部、11時24分で終演してしまう。

 

 

 

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帯屋の段。

長吉、石部宿屋→六角堂→帯屋と順を追ってアホになっていってませんか。プログラムの解説にも書かれていたが、知性がダダ下がりというか……。石部宿屋では杉坂屋の丁稚くらいの知性はあったのに、帯屋では酒屋の丁稚レベルのな〜〜〜〜〜んにも考えていないアホになっていた。アルジャーノンに花束を的な何かだろうか。太夫の語りにかなりムラがあるのもあって(というか声質や技量のバラつきが要因だと思うけど)、人物の一貫してなさがすごい。これ、人形さん(文昇さん)的にはどういう解釈になっているのだろう。知らなかったが、原作では「石部宿屋の段」のあとに「信濃屋の段」というのがある。*1そこでの長吉にはかなり知性がある。六角堂で金をもらって実利をダイナミックに得たため、考えることをやめてアホになってしまったのだろうか。

母おとせ〈桐竹勘壽〉は煙管で背中をかいたあと、ひざで吸い口を拭いていたのが細かい。今月は勘壽さんが働きすぎで心配。5月の妹背山では豆腐の御用の御馳走配役なので、今月は働いてもらうということでしょうか……。

お絹が長吉に目配せするところ、お人形が両目を「……ばちん!」としばたかせるのがいい。キャッ❤️となった。あんな小娘より絶対お絹のほうがいい。長右衛門の寝姿を気にしながら暖簾の奥へ去る姿も美しかった。

お半はかなり稚気に振った印象で、勘十郎さんのような意思の強さを感じさせる確信的な様子はなく、純粋に長右衛門を慕うあどけない娘という印象だった。ただ、見え方の不安定さが気になった。特に帯屋の出。後ろ向きの姿、もう少し詰められるように思う。室内に入ってきてからは幼稚な雰囲気が可愛らしくて良いんだけど。白痴っぽい可愛さは映画などで人間の女優にやらせるとかなり痛いが(監督や脚本家が)、人形ならギリギリで持つなと思った。清十郎さんはそっちで行こうとしているのかしらん。どういうお半像にしたいのか、すこしピンボケしているようだった。お半は元々理解不能のキャラクター造形なので、勘十郎さんのようなサイコパスみがある人のほうが有利かも。あとは勘彌さんのお半が見たい(ただの願望)。

ひとつ疑問があるのだが、お半は長右衛門を起こすとき、家の中を伺いながら「長右衛門様(ちょうえみさん)……、……おじさん……」と呼びかけながら近づいてくる。この「おじさん」呼びは原作にない入れ事として有名だが、お半は幼い頃から長右衛門を慕っていたという設定のはず。お半が幼い頃、長右衛門は20代半ばくらいで「おにいさん」だったと思うが、いつから「おじさん」と呼ぶようになったのだろう。母親を「ママ」と呼んでいたボーヤが「おふくろ」と呼び出す境目のようなものがあるということだろうか。でも私が長右衛門なら、いちばん最初に「おじさん」と呼ばれたときにはショックで卒倒すると思う。もうデオドラントグッズとか買いまくりですよ。いやでも江戸時代なら20代半ばは完全にはじめから「おじさん」か……。ていうか、まあ、一番最初にこの入れ事をやりだした人が「おじさん」呼び萌えだったんでしょうね。よかったね〜。私も素直に生きよう!と思った。

あとは玉男さんがずっとじっとしていて、すごく満足感があった。じっとしている玉男様は値千金。動きがある部分は上品だがかなり線が太い印象だった。それはいいんだけど、お半を激しく抱きしめている日があり、長右衛門の演技としては正しいのだが、「こいつ反省してねぇな」と思った。

 

 

 

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道行朧の桂川

悪くはないのだが……、最後の部分で人形のフリがあまり揃っておらず、さすがに11月のほうが良かったというのが素直な感想。それぞれ細かい所作の処理は綺麗なんだけど、フリが揃っていないと心中しなさそうに見える。床は逆に今月のほうが上達していて、良い。

先にも書いたが、石部宿屋とここで演出に使われる簪が違うのが気になる。通常増補の道行しか出していないところに石部宿屋がごく稀にくっつくため違和感が出るのだろうか。長吉の知性が急降下することに比べたら誤差の範囲?

 

 

 

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11月は玉男さん勘十郎さんコンビで「うん、やらかしそう^^」感がすごかったが、今回は今回で「や、やらかしそう……(冷や汗)」という感じの配役だった。先にも書いたが、お半は決めなきゃいけない部分部分がどうにも惜しい。11月に玉男さん勘十郎さんで出たばかりなので、清十郎さんは比べられたらそりゃ不利ではあるが、出来ると思うので、頑張って欲しい。

 

 

 

2月公演は淫行心中、姦通逐電、美少女拷問、美女拷問となかなかスパークした演目選定だった。

第一部は石部宿屋がついていたのが良かった。第二部は人形の出演者が渋く豪華なので大変満足。第三部はさすがにこの短期スパンで同じ演目を繰り返されると厳しいなと感じていたのだが、結果的には出演者のパフォーマンスの上昇度が一番高く、もっとも満足感を得られる部になっていた。ただ狂言自体への理解の難易度も一番高くて、見た目の派手さと相反する難しさであるとは思った。

 

 

 

*1:信濃屋の段あらすじ:石部宿屋の一件から5ヶ月後。お半にお絹の弟・才次郎との縁談が持ち上がり、その結納品を仲人の長右衛門に代わって儀兵衛が信濃屋へ持参、お半の母・お石が歓迎する。連れの衆がお石から振る舞いを受けている影で儀兵衛と長吉はコソコソ密談。お半を狙う長吉、お絹を狙う儀兵衛は利害が一致し、二人で組んで長右衛門を陥れようとしていたのである。儀兵衛はお半が必ず長右衛門へ付け文をするとしてその手紙を盗むように頼むが、実はすでにチャッカリ盗んでいる長吉。また、儀兵衛は石部宿屋ですり替えた預かりの脇差を自分が発見したふりをして長右衛門を蹴落とそうとするが、すぐに受け取ってしまうと目に立つので長吉の兄・本間の五六へ一旦預けることにする。その二人がウッシッシと去ったあと、仲人として礼装姿の長右衛門が信濃屋を訪問する。するとお半が走り出てきて、自分を嫁入りさせようとする長右衛門をなじり、寺子屋の師匠から娘たる者、夫と決めた男はただひとりとしなさいと習ったこと、そして妊娠していることを告白する。長右衛門は当惑し、年端もいかない身での不憫さにお半を抱きしめる(すべてお前のせいだろ)。長右衛門の来訪に気づいたお石が迎えに出たところ、玄関先にひとりの武士が現れる。その男は今日の結納を取りやめにして欲しいと言う。婿の才次郎には隠し女がいて、その女から才次郎の妻にして欲しいと頼まれたというのだ。お石は固辞するが、男はそれでは武士が立たないとして玄関先で切腹すると言い出す。結納を血で汚されてはたまらないとお石は金を包んで切腹をやめさせようとするが、侍はその金をスマイルで見つつ「切腹する」と言い張り、押し問答になる。するとタバコを吸っていた長右衛門が割って入り、おもむろに「人が切腹するとこ見たことないな〜見たいな〜」と言ってお石の阻止を引き止める。どれだけ切腹のそぶりを見せても動じない長右衛門に、武士はスゴスゴ逃げていく。実はその侍は結納を邪魔しにきた長吉の兄・五六だったのだ。お石は長右衛門の機転を喜び、お半を呼び出して結納の盃を取らせようとする。しかしお半は拒否。するとお絹がお半にとくとくと意見した上で、無理に嫁入りさせては互いに無益として破談にすると言い出す。実はお絹は長右衛門とお半の関係に気づいていたのである。お石は取り縋るが、お絹はそのまま帰ってしまう。その夜、お半は、どう考えても長右衛門とは夫婦になれないこと、母やお絹への申し訳なさから、カミソリを取り出して自害を企てる。と、その手を長吉が掴んで止める。そこまでは偉かったが、なおもしつこくお半に迫る長吉。その変なタイミングで縁の下に潜んでいた五六が脇差の受け渡しを催促する。長吉は懐に隠していた脇差を股座から五六に差し出すが、そのせいで手元がお留守になり、お半とりんがいつの間にか入れ替わっていたことに気づかない。行灯が吹き消された暗闇の中で、長吉は門口で待ち構えていた儀兵衛に女を託すが、その声を聞きつけて燭台を持ったお石が現れる。その火に照らされた脇差を見てお石が声を上げるが、お半(と思い込んでいるけど実はりん)を背負った儀兵衛は闇へ消えていくのであった。……という話。帯屋のくだりに話題に出る才次郎とその恋人・雪野の一件は六角堂の段の後半(現行上演ではカット)に登場。また、帯屋の段の最後、長右衛門が出て行ったあとのくだりが現行ではカットされており、その部分で長吉の兄・五六が実はいい人だったという正体をあらわし、長吉・儀兵衛・おとせが追い詰められるという結末がついている。五六がいい人なのは結構なのだが、なぜ実の弟まで裏切るのかはよくわからなかった。悪事を暴露する前に説諭したほうがいいのでは。以上、『新潮日本古典集成 浄瑠璃集』新潮社/1985 参考。

文楽 2月東京公演『鶊山姫捨松』『壇浦兜軍記』国立劇場小劇場

なぜか拷問もの2本立ての第三部。両方とも最近大阪で出たばかりの演目なので、東西の配役違いによる比較や2公演見ての感想を中心に書きたいと思う。

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鶊山姫捨松。大阪で11月に出たときから岩根御前・大弐広嗣・父豊成卿の人形配役を変更して上演。

 
 
 
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大阪公演での「イチスケ頼む、しゃがんでくれ!!!(号泣)(無理)(別にイチスケのせいじゃない)」事件を考慮した上で席を取ったので、ラストシーンも全員見えて大満足だった。*1

 

という話は置いといて……、自分の席が「主観的に」中将姫〈人形配役=吉田簑助〉がものすごく美しく見える席で、ひとりで勝手に感動した。文楽で人形をよく見ようと思ったら、普通、センターブロック中央付近の席が一番いいと思う。人形は正面に向かって演技をしているから。でも、人形が一番美しく見える角度というのはそれだけじゃないんですね。取った席は、舞台中央にいる中将姫に対してかなりの角度がつくような場所だった。本来は人形を見るのには「よろしくない」席である。しかし、そこから見たときの、姫がからだを地に低く伏せ、頭をかしげて頰が雪につくすれすれくらいまで下げたときの表情があまりにも美しくて、驚いた。中将姫は娘のかしらの中でも結構細面のものを使っていると思うが、そのすっとした顔立ちが本当に美しくて……、本物の姫を見た気分だった。ああ、いま、中将姫のこの美しさを見ているのは私だけなんだ。満席の観客席の中で、私だけが姫の本当の美しさを知っている。いま、世界には姫と私しかいない。私だけの秘密。優越感を得た。

簑助さんって、もはや妄執の世界の人だと思う。中将姫が自分を打擲する奴たちにすがりつくところの表情見ました? この世のものじゃない。あのとき中将姫は人間では絶対にできない姿勢、かなり不自然なからだのひねり方と首のねじり方で、人形で見てすらおかしいと感じられるほどの異様な姿勢をしているのだが、そこに不気味なくらいに惹きつけられる。あきらかにおかしいのにそこに目が釘付けになる。使っているのはなんの仕掛けもない娘のかしらなので、ただ口元に微笑を浮かべているだけで、無表情である。しかしそれがこの世のものではない蠱惑的な表情で、奴たちはたかだか15、6歳の中将姫の気迫に押されて引き下がるわけだが、それがよくわかる悪魔的な美しさ。浄瑠璃自体からすると中将姫はひたすらに清浄なイメージで、ピュアでクリアな造形であることが正しい。いや、簑助さんの今回の中将姫もたしかに限りなく清浄なんだけど、それがいきすぎて世俗で淀んだ人間の目で見ると悪魔的になっているというか……。簑助さんは、「正しさ」はもういらない境地なんだなと思った。

 

大阪・東京と見たことで気づいたのは、冒頭で浮舟が「(文は)コレこゝに」と言って桐の谷の胸元を触る部分、あれ、懐に手を差し入れようとしているのかと思っていたけど、桐の谷が差している懐刀の袋に触っているのかな。あの袋の中身は刀ではなく文だということなのだろうか。かねてから桐の谷だけが懐刀を差しているのが不思議だったが、そういうことなのかな。そのあとで桐の谷と浮舟が左右に分かれて広げる巻物、今回は席がよかったので文章の内容まで見ることができた。あれやっぱり姫から桐の谷への手紙なんですね。あれだけのクソヤバ長文手紙をしたためてはオタ女なら最後に「乱筆乱文失礼しました」と書かなくてはいけない気がするが、そこはさすがに姫なので「あなかしこ」でしめられていた。それともうひとつ、後半の浮舟の2回目の出で、広嗣に命じられて中将姫を破竹で打擲しようとするところ、姫を打つ(フリをする)直前に、一瞬、姫にこしょこしょとなにか耳打ちして、姫もうなずくんですね。中将姫がいったいどのタイミングで腰元二人の計略を承知したのかわからなかったが、ここで死んだフリを頼んでいるということかしらん。

 

変更された配役に関して。大阪で観たとき、亀次さんの広嗣があまりにヒョイヒョイ出てきたので不思議に思っていた。広嗣はコッパとは言えど公家のはずだが、これは元々継承されている役の性質設定によるものなのか、人形遣い個人の解釈なのかと考えていたのだが、今回配役が清五郎さんに変更になったことによってわかった。元々の設定ということね。清五郎さんは普段ヒョイヒョイした動きをしない人なので、そういうことなんだと思った(突然の清五郎への全面的信頼)。

それと同様のことでもうひとつ疑問に思っているのは、大阪・東京共通配役だった桐の谷〈吉田一輔〉と浮舟〈桐竹紋臣〉の違い。桐の谷と浮舟はともに右大臣家に仕える腰元だが、配役を見ると桐の谷のほうが格上の役。単にやることが多いというだけではなく、浄瑠璃自体がそういう設定、役職的に桐の谷のほうが高い設定だからだと思う(現行上演がない部分で桐の谷が屋敷の使用人の給与査定面接をするシーンがある)。でも現行の上演ではそれはほとんどわからなくなっているし、特に冒頭は演出上シンメトリーで演技するので双子の姉妹風に見える。が、じっと見ていると結構様子が違っていて、特にラストシーンでは雰囲気に差が出ている。これが元々の振り付け(設定由来のもの)なのか、人形遣いの個性もしくは本人の考え(相手を見て判断していることも含む)によるものなのかと思ったのだが……。そこが知りたかったので、東京公演では一輔さんと紋臣さんの配役をひっくり返して欲しかった。お二人の現状の立場からすれば配役が逆になることは通常ありえないのは理解しているけど。

話の順番が逆になったが、桐の谷と浮舟はさすが通しての配役なだけあって非常に洗練されており、東京公演後半では大変上品で艶のある演技を拝見できた。大阪公演では娘っぽさや可愛らしい印象があったが、かなり大人っぽく薫る方向にきていた。でもやっぱりキキララみたいで可愛かった。

最後の姫と豊成卿の別れの部分が大阪と少し違うように思うのは、豊成卿の配役が玉男さんから玉也さんに変わったからだろうか。玉也さんははじめのほうから結構姫に迫るように演じていたように思うが……、大阪はとにかく「イチスケ、背中の広い男……💓」状態だったんで、実際のところはよくわかりません……。

 

しかし東京公演で一番びっくりしたのは千歳さんの変化。大阪公演のときは、正直、無理してるなあと感じていた。頭の「あらいたわしやの中将姫」とか、本来一番重要であろうところが聞いていられなかった。頑張っているのはわかるし、富助さんがフォローしてるからなんとかカタチにはなってるんだけど……、まあ人形陣が良いからいいかと目(耳?)をつぶっていたのだが、東京公演は驚異的に自然になっていた。若い娘、しかもちゃんとか弱いお姫様の声に聞こえる。すごい。驚いた。千歳さんは声域的に若い姫の声のような高音が出ないんだろうなと思っていて、いや、今回もそれ自体は出ていないんだけど、語り方でカバーできるんだな。本来不得手なはずのものも、経験や稽古で自分のものにしていけるんだなということを目の当たりにして、義太夫っておもしろいなと感じた。

 

↓ 2018年11月大阪公演の感想

 

 

 

壇浦兜軍記。1月大阪公演からは榛澤六郎の人形配役が変更、畠山重忠ダブルキャストなし。

 
 
 
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やっぱり勘十郎さんは狂ってると思った。琴、絶対弾いてるだろ!!!!!! 「手が当たることもありますぅ❤️」とか、しらばっくれブリッコには誤魔化されんぞ!!!!!!!

その証拠に大阪より相当上手くなってるじゃねえか!!!!!!!!!!!!!

ほんま大阪より琴が上手くなってて、このおっちゃんマジでやべえなと思った。ひけらかした上でやるならわかりますよ、わたしは文楽であっても歌舞伎と同じように琴を稽古してますとプロモーションのために大々的にアピールするなら。でもそうじゃなくてただ勝手にやっているのがやばい。なんで?

琴を本当に弾いたからって人形の見栄えが良くなるわけではない。むしろ大げさな演技にできなくなるので見栄えは下がるだろう。琴の音も阿古屋の目の前の数人の客にしか聴こえない。にもかかわらず、なにが勘十郎さんをあそこまで駆り立てるのだろう。狂気としか言えない。すばらしい阿古屋はいままで大師匠たちのそれを見てきた、だから同じことをしても意味がない、自分だけの、自分にしかできない阿古屋を作り上げたいと思っていらっしゃるのか。阿古屋本人や役の持つ性根を凌駕する、やばすぎる執念。これぞ勘十郎さんだと思った。勘十郎さん自身が詮議の場に引き出されてもあのように三曲を弾ききるのだろう。

演技自体でいうなら、三曲のあいまの重忠の尋問への応答の演技がとても艶麗になっていて、すごくよかった。勘十郎さんは普通の演技では人形のからだを大きくひねるような遣い方をあんりされないと思うけれど、今回はかなりのしなを作った濃厚な振りにされていた。ただ白洲に入ってくるときなどはやっぱりちょっと可愛いね。

 

津駒さんが全体的に大阪よりさらに濃厚で華麗な方向に振っていて、おお、と思った。ご自分自身の芸への検討の結果そうしているのもあると思うんだけど、勘十郎さんの阿古屋に呼応して演技を盛ってるのかな、進展させたのかなと思う部分があった。むこうがそう来るならこっちはこうする、だからそっちももっとやれ、といったような。この過剰感が津駒さんらしい。「阿古屋」は阿古屋の人形遣いと三味線の三曲担当者に注目が集まるが、阿古屋の太夫も大変だよね。三曲歌わなくちゃいけないから……。津駒さんは観劇したどの回も美しく歌っていらっしゃって、さすがわたしたちのお局様(?)って感じでした。ところで津駒さんの見台についているフサフサ、新品ですかね。あと、津駒さんていつも(> <)で汗だくになっているイメージだけど、よく見ていたら口上で「たけもとつこまだゆ〜」って呼ばれてる時点ですでに汗かいてた。津駒さんがどの段階から汗をかいているのか気になる。

ほかに「変えてきたな」と感じたのは半澤六郎役の小住さん。大阪初日・二日目ではご自身の元来持っているものを素直に出して語っている印象だったが、東京公演で聞いたら、役を作りにいっているように感じられた。具体的には、半澤六郎の若い印象を押し出しているというか。ちょっとちゃらっとした感じに振っていた。なるほど、小住さんが素直に語ってしまうと、畠山重忠と競合してしまったり、あるいは本来格上であるはずの岩永左衛門よりも貫禄が出てしまう。それに半澤六郎は浄瑠璃全体からすると重忠の部下のなかでは下のほうのはずだし。人形も今回は玉佳さんから玉翔さんになって、ピチッとしたし。それでちょっと語りを変えてきたのかな。別にご本人に聞いたわけじゃないから、わかんないですけど。

ほか、重忠役の織太夫さん、岩永役の津國さんも密度が上がっていて、床は本当大満足だった。役の個性がよりはっきり出ていて、聴き応えが大幅アップしていた。素浄瑠璃でも聴きたいくらい。

三曲〈鶴澤寛太郎〉は演奏の間合いを日によって少し変えているのだろうか。お客さんの反応を見ているのかな。そのときの自分の相対的な感覚なのかもしれないが、胡弓が特に違うように感じた。胡弓は大阪の初日で聴いたときよりはるかによかった。

 

↓ 2019年1月大阪公演の感想

 

 

鶊山も阿古屋も、浄瑠璃自体を超えたすさまじい妄執の世界が展開されていた。文楽の場合、見取りだと半通しに比べて興行として軽い印象になるけれど、今回の第三部はかなりコッテリしていて、座っていただけなのになぜか達成感。出演者も力が入っており、両方とも大阪公演を上回るパフォーマンスで、大満足だった。

 

 

 

国立劇場の刊行物で『文楽のかしら』と『文楽の衣装』というのが出ているが、これに加えて人形の髪型の図鑑本を出してくれないだろうか。今回の桐の谷と浮舟や『菅原』の三兄弟の妻たちのように、一見、似たような姿で出てきながら全然違う髪型や簪の挿し方をしている人形も多いから、よく見たい。髪型は相当良い席で、しかも双眼鏡を使わないと細かいところまで見ることができない。とくに女方の人形で後ろ側の結い方がどうなっているかはたとえどれだけ良い席であっても細かく見ることは難しい。人形を間近で見ることって単なる客にはとても難しいし、人形遣いさんのトークショーに行くと髪型も解説してもらえるが、そういう機会はレア。単に美的な観点から見たいというだけでなく、知識として、髪型から身分等の人物像も判別できるじゃないですか。正面・左右・上・後ろからの写真に解説をつけて、人形の髪型を一冊の本にして欲しい。

 

 

*1:イチスケはまだかわゆい。以前、忠臣蔵であまりに下手前方の席にしすぎて、判官切腹の最後のシーン、由良助をはじめとしたすべての人形が玉男様(由良助役)の影に隠れてまじで全然見えず「きょうは玉男様の背中を見にきたことにしよう。玉男様を見にきたこと自体は間違ってないし。」となったことがある。内子座で……。

文楽 2月東京公演『大経師昔暦』国立劇場小劇場

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『大経師昔暦』。またも読めない。「だいきょうじ・むかしごよみ」だそうです。「経師」は経巻・仏画等を表装する者。「大経師」とは、経師の代表として朝廷御用を受け大経師暦の発行権を与えられた者のこと。

 

大経師内の段。

京都烏丸の大経師家は朝廷から暦の発行を許された町人ながら特権階級の家柄である。きょうは11月1日、来年の暦の発行日であり、当主・以春は明け方から宮中・親王家等の御所方へ初暦を献上にまわって振舞を頂き、帰宅後のいまは疲れてこたつで居眠りをしている。その妻・おさん〈人形配役=吉田和生〉と女中・お玉〈吉田簑紫郎〉が三毛猫をじゃらして可愛がっていると、手代・助右衛門〈吉田勘市〉がやってきて「オレ忙しいし」とアピりつつ、猫にまで小言を並べ立てて去っていった。残されたおさんとお玉はそののウザさと態度と顔をdisりまくり、もうひとりの手代・茂兵衛の品のよさを褒めちぎる身も蓋もない女子会with猫(サイコーやん)。おさんは膝に乗せた愛猫に、猫にしても男ぶりがあり、ガラ悪く鳴き立てる練物屋の灰毛猫ではなく、可愛らしく鳴く紅粉屋の茶トラ猫を夫にしてやりたいと言う。しかし外で牡猫たちの声がすると駆け出そうと暴れだす三毛。おさんはその多情さに、男を持つなら一人にせよ、間男すれば磔にかかると嗜め、飛び出した猫を追って奥の間へ入る。

お玉がひとりになると、こたつで寝ていた以春〈吉田玉勢〉が起き上がって彼女を後ろ抱きにしてしつこく口説く。胸元へ手を伸ばされた手を振り離し、おさんへ告げ口するというお玉。それでもしつこく迫っていたところにおさんの母〈吉田簑一郎〉がやってきたので、さすがの以春も退散する。出迎えたおさんが父の姿が見えないのを尋ねると、父・道順は風邪気味で同道していないとのこと。おさんは母を奥の間へ招き入れる。

それと入れ替わりに、得意回りを終えた手代・茂兵衛〈吉田玉志〉が帰ってくる。客先で頂いた酒でいい気分の茂兵衛が煙草をふかしていると、相談があるとしておさんが声をかけてくる。彼女の相談とは、実家の窮状であった。かつては名家だった彼女の実家だがいまや逼塞しており、父が家を二重抵当に入れたことが債権者にバレて即座に金を返すか家を渡せと激詰めされ、きょうのところはなんとか二貫目だけ入れることで勘弁してもらえることになったが、その金すらままならないという。おさんから以春へ頼めばすぐに整うことであるが、両親は娘に負い目をつくらせたくないと言い、だからと言って助右衛門へ頼めば性根の悪さから以春に告げ口をされて事がよりこじれる。そこでおさんは茂兵衛に金の工面を頼んだのであった。お主の頼みと酒の加減もあって茂兵衛がそれを快諾すると、おさんはよろこんで母の元へ報告へ。茂兵衛は以春の印判をそっと持ち出して白紙に押すが、それを見ていた助右衛門が大声を上げ、家中が大騒ぎとなる。やってきた以春はいままで真面目一徹だった茂兵衛がどうしてこんなことをしたのかと言うが、茂兵衛はどうあっても口を割らない。助右衛門が茂兵衛を責め立ててギャアギャア喚いていると、お玉が突然以春の前に手をつき、茂兵衛のこの所業は自分のためにやったことだと言い出す。お玉の身元保証人である伯父・梅龍が借銭を返しかねて切腹すると言うので、それを助けるための金の算段を茂兵衛に頼んだというのだ。おさん母娘は意外な玉の働きに便乗し、一緒になって以春に許しを乞うが、なぜか以春はますます怒って茂兵衛とお玉の密通を詮議立てしはじめ、明日改めて保証人を呼び出すとして茂兵衛を隣の空き家の二階へ閉じ込めてしまう。そして以春はおさんの父の見舞いに行くとして、頭巾をかぶって外出する。

夜も更けた頃、お玉の寝床のある茶の間へおさんがやってくる。おさんがお玉の機転に礼を言うと、お玉は実はかねてから茂兵衛に思いを寄せていたことを告白する。どれだけ惚れても彼が靡くことはなく悔しく思っていたお玉だったが、さきほどの難儀を見て思わず助けに入ったというのだ。そして以春があれほどに怒ったのは、お玉が慕う茂兵衛への嫉妬からだと言う。今夜お玉が起きていたのも、夜毎忍んでくる以春を捕まえおさんの前へ突き出してやろうとの算段からだった。それを聞いたおさんは、お玉と入れ替わって今夜はここで寝て、自分自身で以春をとっちめて恥をかかせてやりたいと言い出す。おさんはお玉の寝巻を借りると茶の間の床へ伏せ、お玉は明かりの火を消しておさんの寝所へ向かう。

一方、空き家の二階へ閉じ込められていた茂兵衛が考えているのは、さきほどのお玉の志であった。日頃あれほどつれなくしていたにも関わらず、恨むことなく仇を恩で返してくれたお玉。彼女の想いに報じるため、茂兵衛は空き家を抜け出し、屋根と引窓を伝ってお玉の寝床に忍んでいく。茶の間。おさんは屏風に当たった人の気配に膝を震わせるが、抱きついてきた男の頭の頭巾を撫でて夫の忍ぶ姿だと思い込み、肌を交わしてしまう。

やがて夜明けが訪れ、けたたましく鳴く鶏の声とともに門の戸を打ち叩く音、以春の帰りを告げる声が聞こえる。助右衛門が迎えに出た提灯の明かりに浮かび上がるお互いの顔に、おさんと茂兵衛は驚くのであった。

「大経師内」は人形全員黒衣。最後は三味線や柝の音、人形の極めなしで定式幕だけが引かれていくという不思議な段切れ。

和生さんのおさんの人妻らしい清楚な美しさがよかった。おさんは結構若い設定のようだが、かしらや衣装からは結構大人っぽい印象。仕草の優雅さや上品さもあいまって、正直、以春や茂兵衛より上に見える(和生様には大変申し訳ございませんが、本当そうなっちゃってたので……)。

茂兵衛は生真面目で清廉な印象が玉志さんに似合っていて、とてもよかった。かしらの源太の若さをうつしてかすこし生硬な雰囲気に振っているのと、酔って帰ってくるところはヒョイヒョイとした所作がちょっと軽妙で、町人らしいところもよい。

おさんと茂兵衛の人形配役によっては「まあそりゃ密通しますわなあ〜」みたいな事故が起こりかねないと思うが、両役とも清楚さや清潔感がある人が当たってよかった。とはいえ、以春も若い人を配役しているせいか、結構清純派だったけど……。以春のお玉へのセクハラがマイルドで、おんしは紅粉屋の猫か!? 灰毛猫並みの根性見せたらんかい!! もっとガッツリいかんと話が意味不明になるど!! と思った。人形の技量そのものとは別に、セクハラのさじ加減調整というか、距離のはかりかたががうまい人とへたな人がいる。今月は桂川の儀兵衛(玉佳さん)が一番うまかった。

はじめの浄瑠璃だけのあいだ、猫を探しておさんがちょろりと出て、すぐ引っ込む。そのおさんがかわいがっているペットの猫チャンがちゃんと普通の猫サイズで驚いた。『冥途の飛脚』の「淡路町」の段切れに出てくるぶちいぬ、あれ、やばいくらいデカいじゃないですか。あのサイズの猛犬と戦おうとする忠兵衛はほんとすごいと思う。あの時点でおのれを顧みない無鉄砲さが出ている。あのデンでいうとこの話でも1m級の化け猫が出てきてもおかしくないと思っていたが、おさんの膝にちょこんと乗るサイズの、人形に対して子猫サイズの猫でよかった。

ところで猫の細かい話していいですか。はじめのほうでおさんとお玉が平織りの帯みたいなやつで猫じゃらしを作ってあやしてますけど、猫、ぜったい助右衛門の羽織についてるポンポンのほうに食いつくと思う(食いついてたけど)。実家で猫飼ってた頃、家中のポンポンとかファーはすべてヤツに食い荒らされた。で、ここでおさんのペットの猫を遣っていらっしゃる方、猫飼ったことない人でしょうね。ぜひとも猫カフェで猫の動きや姿勢を研究し、研鑽に励んで頂きたく存じます(突然のウエメセ)。あと、灰毛猫のいる「練物屋」って、ちくわとかはんぺんを売ってる店ってこと? 猫、めっちゃ食いつくのでは? と思っていたら、「練物屋」とは「生絹を灰汁で煮て、柔らかくした練絹を売る店」のことだそうです*1。最後に話自体とはまったく関係ないけど、茶トラのオスってめちゃくちゃデカくなるよね。紅粉屋の赤猫って、いくら愛らしく鳴こうが、見た目は灰毛猫より相当やばいガテン系ではないだろうか。

そして「饂飩に胡椒はお定り」、コショウっていまでいうコショウと同じもののことだろうか。うどんにコショウってかけたことないけど、今度かけてみようと思う。

 

 

 

岡崎村梅龍内の段。

京都の外れ、岡崎村に、『太平記』を語り聞かせる講釈師として身を立てるお玉の伯父・赤松梅龍の粗末な住居があった。そこへやって来たのはお玉を連れた助右衛門。戸口を叩いて大騒ぎする助右衛門に、梅龍〈吉田玉也〉が何事かと顔を出す。助右衛門はお玉が手引きして主人の妻と手代を密通させた上に駆け落ちさせたとわめき、かくなる上は二人が見つかるまでは保証人である梅龍にお玉を預けると言う。梅龍は逆に預けものの受け取りにも作法があるとまるで講釈を語るように助右衛門を責め立てるが、助右衛門は構わずに縛り上げたお玉を突き出す。伯父の顔を見て泣き出すお玉に、梅龍もまた涙を喉に詰まらせ、歯嚙みをする。お玉は、助右衛門がおさんに横恋慕していたのを自分が見張って邪魔した恨みからあれほど大騒ぎしたのだろうと言う。そして、本来は助右衛門とその手下になった腰元が磔獄門になるところを黙っていたのに恩が仇となったと悔し泣きするのだった。助右衛門は構わず帰ろうとするが、梅龍はその首根っこをひっつかみ、お玉に縄をかけて返すとはお上の威光を着る慮外者として籠の棒を引き抜いて打擲する。その勢いに助右衛門はしぶしぶ縄を解き、まだゴチャゴチャ言ったところを梅龍にポコスカ殴られてスゴスゴ帰っていった。

それと入れ替わりに梅龍の小屋の前に現れたのは、おさんと茂兵衛。不義の仲立ちの嫌疑をかけられたお玉の行く末を確かめ、また、父母を恋しがるおさんの実家に連絡をつけてもらおうと思ってここへやって来たのだった。二人が家の中の様子を伺うと、梅龍が『太平記』を引いてお玉に密通の仲立ちとなってしまったことを諫めているのが聞こえる。梅龍は、不義が事実でないにしても二人が駆け落ちしたことは事実であり、より一層の嫌疑を避けるため、おさんと茂兵衛がここへ現れても決して会ってはいけないと戒めるのだった。獄門にかけられても主人のために命を惜しむなという梅龍に、お玉はそれはもとより覚悟の上だが、おさんが心配であると涙を流す。

そこへおさんの父母が通りかかる。菩提寺である黒谷へ金を借りに行った帰りであった。おさんは思わず走り寄るが、父・道順〈桐竹勘壽〉は涙をこらえて振り払い、母は彼女を押し隠す。道順は、鳥でも雌雄はひとつがいであり、多くの相手とまじわるのは犬猫のような畜生の所業であると意見し、おさんが処刑されるようなことがあれば、妻がそれを嘆くのが悲しいと大声を上げて泣く。おさんは親に会えたからにはもう思い残すことはないと言うが、父は彼女を磔にさせまいと心を痛めているのだと語る。路銀のために着物を売払い薄着となったおさんを見た母は少しばかりの金を彼女に渡そうとするも、おさんは母からもらったこの「芦に鷺」の着物があれば寒くないとして、受け取った金は死後の弔いに使いたいと言う。聞いていた茂兵衛は自分ひとりで死ぬので、父母におさんを連れ帰って欲しいと頼む。しかしおさんはそれが出来るなら二人で永らえられる、不義は事実で悪名はぬぐえないと返し、茂兵衛は自らの故郷の丹波へ逃げようと言うのだった。月光があたりをありありと照らし出し、闇夜ならばお互いの顔が見えず未練が残らないところ、おさんとその父母は思い残しを振り払うことができない。父は黒谷の和尚から借り受けた金を「落とした」と言っておさんに拾わせ、路銀の足しにさせて去っていく。それを物干しにもたれて見送るおさんと茂兵衛の姿が月光に映し出された影はまるで磔の姿のようであり、またお玉がくぐり戸から一同の様子を見る影はあたかも獄門にされた首のよう。黒谷の後夜の鐘が鳴り響く中、こうして面々はそれぞれに別れ行くのであった。

今月はパンフレットのインタビューが玉也さんで、飛び上がった。梅龍の人物造形について、みんなが思っているけど口に出してはいけないから黙っていようと思っていた疑問をそのままおっしゃっていた。お答えはマイルドにぼかされていたけど……。それと、玉也さんが『太平記』好きというのが意外(?)だった。そんな玉也さんの梅龍は当て書きみたいになっていた。シブい感じでかっこよかったです(知性が一切ない感想)。

 

 

 

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丹波隠れ家の段。

まだ残雪の消えない立春の頃、奥丹波には万歳〈吉田玉誉=前期〉の姿があった。鼓を鳴らして万歳歌をうたい舞う芸人に、おさんは祝儀を包んで差し出す。しかしおさんの顔を見た万歳はなぜか「おひさしゅうございます」と言う。その万歳は京都烏丸の大経師の家にも出入りしている者で、彼女の顔を覚えていたのである。おさんははっとして自分は実家の窮状ゆえにここにいる、近所の者にはひかされてきた島原の傾城ということにしておいて欲しいと言いつけ、さらに祝儀を包む。芸人はそれなら近日中に参る烏丸の大経師には無事を伝えようと言うが、おさんは烏丸へは行かないようにと頼む。振る舞い酒のかわりにさらなる大金の祝儀を差し出された万歳は上機嫌で帰っていった。

こうしておさんが世間の狭さにおびえていたところに茂兵衛が帰ってくる。顔色の悪い茂兵衛は、大経師家の者がこの近在に宿を取っていること、このあたりの駕籠かきにまで二人の噂が詳しく聞こえていることを語って身を震わせる。二人はここにもいられないとして、茂兵衛と親しい者のいる宮津へ逃れようと話し合う。*2

しかしそのとき捕手の役人〈桐竹亀次〉が現れ、二人は周囲を取り囲まれる。歩み出た茂兵衛は、ここで武士相手に抵抗ができるような心得もあるが、主人に手向かうのと同じことになるとしておとなしく縄にかかると告げる。捕手たちは縄をかけながらもしおらしい二人を哀れに思うのだった。そこへウキウキやってきたのは助右衛門、喜んで二人を引き受けたいと申し出る。しかし役人は二人を召し捕ったのは京都からの解状によるものだとして一喝する。そうして助右衛門がヘコヘコしているところへ早駕籠で梅龍が駆けつけてくる。梅龍はおさんと茂兵衛に不義はなく、お玉の余計な言葉をおさんが誤解したことから間違いが起こっただけであって、その濡れ衣はお玉の責任だと言う。梅龍が手にしていた首桶にはお玉の首が入っていた。驚くおさんと茂兵衛。しかし意外なことに役人は「早まった」と言う。二人の有罪は決まっておらず、これからお玉を含めて取り調べるところだった、そうすれば三人とも無罪になるかもしれないところ、その証人であるお玉が死んでは罪は決まってしまったというのだ。梅龍は地団駄を踏み、腹を切るなら道連れだと言って助右衛門を斬りつける。額を斬られた助右衛門は血だらけになって一目散に逃げていく。梅龍はなおもそれを追おうとするが、捕手たちに引き止められる。こうしておさんと茂兵衛は役人たちに引かれていくのだった。

この段……、出演されている方には申し訳ないんですけど、蛇足ですよね……。岡崎までで止めるか、やるなら最後までやって欲しい。

でも、出演者はよくて、万歳はかわいかったし、三輪さんのジジイ役が上品でよかった。梅龍は話自体の破綻もあるけど、太夫の語り方の違いの影響で段によりキャラがバラついている印象だった。この段が一番零落した武士っぽさ、無骨な浪人ぽさがあって良いかなあ。話の内容は一番ないなと思うけど。桂川の長吉も太夫と段ごとの造形のバラつきによって幕が開いたり閉まったりするごとに人格変わってましたが……。

 

 

 

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第二部は出演者のパフォーマンスにはたいへん満足した。とにかく玉志さんがいい役でよかった。茂兵衛はかなり人を選ぶキャラクターだと思うが、その雰囲気にピタッとはまっていた。

が、話自体は上演が途絶えていたのがよくわかる微妙さだった。この話、観客全員が「なんで??????」となると思う。パンフレットやら上演資料集やらに技芸員の解釈等がいろいろ載っているけど、言い方は悪いけど、そのような無理のある屁理屈を後付けしてやらなきゃいけないなんて、やってるほうも大変。太夫はある程度その場その場でまとめられればいいと思うが、通しての出演になる人形は理屈をこねまわしていると収集がつかなくなるのではないか。個人的には茂兵衛が人違いに気づかなかったのには目をつぶれても、駆け落ちしたのがよくわからない。そうしないとその場で殺されもおかしくないとは思うけど。でももう次の段がはじまる頃には幕間にオヤツを食ったからかいろいろどうでもよくなってきていて、もはや人形の演技自体にしか気がいかなくなっているのだった。

 
 
 
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ひどいことを言うが、近松にぜんぜん興味がないので、正直、今年から2月東京公演が近松特集じゃなくなって嬉しい。ヘンな近松推しは有名だからと言って近松演目で文楽をはじめて見た人に「なんだやっぱり文楽ってつまんないじゃん」と思われるリスクのほうが高いと感じる。何十年も前の近松ブームに頼らず、ほかの演目の企画にもっと力を入れて欲しい。近松演目って玄人向けだと思う。とにかく配役が良くないとどうしようもない。だからヘタレクズ役は全部玉男様に振って欲しい。以上、のびのびとした個人の感想でした。

 

 

 

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おまけ。カットされている「奥丹波隠れ家の段」以降の展開あらすじ。

  • 様々な人の命乞いもむなしく、冷えきった風の中、おさんと茂兵衛は粟田口の刑場へと引かれていく。(おさん茂兵衛暦歌)
  • 刑場。見物の人混みをかきわけてきた道順夫婦が娘と茂兵衛の身代わりになることを懇願するも、役人頭は聞き入れず、警固の者は夫婦を打ち払おうとする。そこへ黒谷の菩提寺の和尚・東岸が走り出て、出家を棒で叩けば極悪罪であると言って二人をかばい、僧衣をかける。役人頭はお上に反逆する気かと腹を立てるが、東岸は「助ける」というのは僧侶も武士もかわらない三世にわたる功徳であり、ここで二人を助ければ現世の功徳、もしまた罪に処せられるとすれば自らの弟子にして未来の功徳であると語ると、群衆はわっと沸きあがる。こうして二人は助けられ、道順夫婦の喜びは万年暦のように尽きることがなく、ことし未年の新暦の使いはじめをめでたく寿ぐのであった。(粟田口刑場の場)

「おさん茂兵衛暦歌」は二人が引かれていく様子を暦にまつわる言葉を織り込んで歌う道行(?)で、内容はほぼなし。「粟田口刑場の場」では東岸が二人にかけた僧衣と功徳を結びつけて役人頭を説得するのだが、その理屈がよくわからなかった。理解できないのは仏教の知識がないせいだろうか。頭が悪すぎてそれすらわからない。勉強しなかった因果の報いはおそろしい。私がいままでの自分の人生で一番後悔しているのは、勉強せずに生きてきたことだ。

 

 

 

 

*1:『日本古典文学全集 近松門左衛門集2』小学館/1975 による

*2:原作ではここで隠れ家の家主・助作(助右衛門のいとこ)が登場。おさんと茂兵衛は傾城とその恋人である金持ちの息子の駆け落ちになりすましており、道順から受け取った金を馴染み客から借りた金と偽って助作に預けていた。助作は預かっていた金を戻すのでここにいるようにとおさんに言って出て行く。おさんは宮津まで逃れられれば、そこから母の知己である切戸の文殊の法印を頼って落ちのびられるだろうと考えるが、実は助作は二人の件を役所へ通報しており、捕手が隠れ家を取り巻く。以降、助作の存在は除外されるが、現行上演とほぼ同様。