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麻雀漫画と昭和の日本映画と文楽(人形浄瑠璃)について書くブログ

文楽 上方文化講座(8)文楽の至芸−太夫・三味線・人形、三業一体の舞台(竹本津駒太夫・鶴澤清介・桐竹勘十郎) 大阪市立大学

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上方文化講座記事も最終回! 3日目2限目は津駒さん・清介さん・勘十郎さんが受講生からの質問に答えるという形式のトークショー。質問票はあらかじめ収集してあり、整理した上で久堀先生から代表質問、指名された方から回答をいただくという形だった。

 

文楽の至芸−太夫・三味線・人形、三業一体の舞台(竹本津駒太夫・鶴澤清介・桐竹勘十郎)INDEX

 

 

Q1 スケジュール上、次の公演の稽古はどうしているのか?

勘十郎 最近は公演が多くなっていて、ありがたいことです。本公演では、昼/夜、2日に分けて1回ずつ舞台稽古を行う。今日のようなもの(「金殿の段」の実演)、この週末にある内子座のような公演ではお稽古できないので、「そのままやる」。地方公演の場合も、初日でもしない。人形部はズボラをしている?とも言われるが、ちゃんとした稽古は場所も人形もいるので、なかなかできない。なので、本(床本。浄瑠璃)を読んだり、ビデオを見たりして自分で勉強しておく。きょうも若い人は真っ赤になってやっていた。直前に打ち合わせをして、それが「お稽古」。芝居の流れが頭に入っていれば、スッと動けるはず。普段ぼーっとしている人はすぐ動けない。でも、新作の場合は3日ほど稽古します。

 

津駒太夫 床はそういう訳にはまいりませんので(笑)、3ヶ月前に本を書く。フシのパターンが3通りあるなら、3通りテープを聴いてどれが来ても大丈夫なようにしておく。三味線さんのところに行く前に、自分でひととおり語ってみる。そうして三味線さんと合わせます。時期については、たとえば11月公演なら9月の公演中から稽古をする。そうして、直前に2〜3回、「本イキ」でやる。稽古場は、大阪なら文楽劇場の稽古場、3階の小劇場の楽屋を使っている。いっぱいになっていて、どうしてもという場合は融通をつけてもらっている。東京はもう取り合い。楽屋入るとすぐのところに稽古場のスケジュールが貼ってあって、最近はすぐ埋まってしまう。初日からもう全部埋まっているくらい。最近の若い子は稽古が好きでよくやっている。わたしよりやっている。わたしも好きでよく稽古してきましたが、本当に。

 

清介 テープで聞いて、本を取り寄せて、弾けるようにしておく。きょうの実演はズボラして本(譜)を見せてもらいましたけど。すいません。普段は暗譜。覚えるのに手間がかかる。頭から終わりまで丸覚えして、自分で語ってみて、手が勝手に弾けるようになったら、「覚えた」ということ。それまでは電車の行き帰りに勉強したり、寝るときに白文(詞章のみ)の本と朱が入った本2冊を枕元に置いておいて、夜中目が覚めたら「さらえる」。それで、白文を読んでいるのに朱が入っているように見えたら「覚えたな」となる(このあたり記憶あいまい)

舞台では、突然真っ白けになって、「わたしは今、何をやっているのでしょう……???」となることがある。3秒忘れるともう大変、どこでどう「捕まえられるか」、ようわからんようになる。稽古は十分している、それでもわからんようになることがある。(そうなったときのため、あるいはそうならないため)三味線を弾くことを覚えるのではなく、浄瑠璃を丸ごと覚え、手が勝手に覚えて動く(三味線を弾く)ようになっていないと。稽古には2層あって、浄瑠璃は意識(文章を覚えること)、三味線は無意識(手が勝手に動いて演奏すること)。この二つを仕上げるのに、だいぶ時間がかかる。

 

 

 

Q2 若い人にどのように文楽の魅力を伝えているのか?

勘十郎 難しいことなんですけど、若い人にどんどん見てもらわないと。自由に魅力を感じ取ってほしい。あんまり色々言うと、緊張させてしまう。嘘でもいいから「見たら面白い!」と言っておく。いつも言ってるんですけど、眠いなと思ったら寝てええんです。車の運転と一緒。眠いなと思ったら端に寄せて寝ればいい。肝心のところで起きていればいい。歌舞伎でワンピースやってますけど、文楽でもああいうのやったらどうですかと言われる。とにかく若い人、初心者の人に観てもらわないと。

以前から高津小学校の6年生に文楽の実技を指導している。最近は夏休みが短くて、今年は27日に夏休みが終わるから、31日にまた行かないかん(笑)。昔は文化庁大阪市の依頼でよく学校へ出かけていたが、最近は減ってきた。また回るようにしたい。

 

 

 

Q3 お弟子さんへの指導の仕方は変わってきているか?

津駒太夫 稽古はしてくださる人、誰に教えるのかによって違う。教わる側は、三味線の「ツン♪」で引いて、こういうフシで、というフシカズは頭に入れてから行かないと相手にされない。教える側は、「なんでそういうフシがついたのか」「前後関係として、ここをこってりやるために、ここをさらっと片付ける」「この人物は腹の中で悲しんでいる/上っ面で悲しんでいる」とか細かいことまで教えてくれる人、大雑把・大づかみ・イキの仕方しか教えない人、「自分で考えろ」という人、いろいろ。わたしも最近研修生に教えていて(にぱ❤️)、自分では懇切丁寧な教え方だと思っている(照)。でも自分で考えないと覚えないので、どこまでやればいいか……。

 

 

 

Q4 三味線の新作曲/復曲の作り方の違い、苦労は?

清介 「作曲」と「復曲」はまったく違う。「作曲」はあくまで「浄瑠璃をこしらえる」。手数は浄瑠璃(詞章)に組み込まれているものであり、曲はお芝居につくもの。まず自分で何べんかゴニョゴニョ語ってみて、大道具・照明・人形の振り・出入り・立ち位置を自分の中でこしらえてみてから作曲する。このように、自分の頭の中には一段のお芝居が出来上がってから、作曲する。作曲では、「思いもかけない手」がついたほうが面白い。この文章にこの曲はありえないというものほど、名曲として残っている。『新版歌祭文』野崎村の「哀れをよそに」なんか、前後の文章から想像もつかない手。だから、作曲に詰まったら全然違うほうを向いてみるといい。義太夫は宝塚と一緒で、普通の喋り方からいきなり「ラ〜♪」とフシになるのを、おもしろう取り込まないかん。どこでどう盛り上げるかを設計する。それで、文章がどうしようもないときは、曲で盛り上げないかん。『艶容女舞衣』酒屋なんか、「よーもこんな陰気臭い話!」と思うが、曲がすばらしい。曲だけで一段持たせている。『摂州合邦辻』合邦庵室も同じ。曲には「片付けるところ」と「つかまえるところ」があって、「つかまえるところ」に目をむくような手をつける。つねに「おちょくって」なければいけない。楽しんで作る。真面目に考えたらいかん。松戸の師匠*1は三味線ではなく、コトバの都合で全部こしらえていた(このあたり記憶あいまい)

「復曲」は、手は書いてあるがフシは書いていない譜から復刻するというもの。譜が残っていても、朱という心覚えのツボしか書いていない。これは気圧図のようなもので、朱が書いてある譜をそのまま読んだだけでは……、ラジオの天気予報で、各地の気圧を読み上げるのを聞いて、その地点を直線で結んだだけではカクカクしている状態というのと同じ。気圧配置は実際には点と点のあいだは曲線になっているはず。それを復曲によって、現実の気圧配置のように、なめらかな曲線にしていく(このあたり私の大幅な意訳)。「朱を繰るときは面白う繰りなさい」と言われる。これは、太夫さんの浄瑠璃のポイントのところに三味線が抑えるべきツボがあるということ。復曲では、まず、その曲が大きく言って西風・東風のどちらで、誰それさんが初演したということから、だいたいどのような曲であったか推測する。復曲対象になる曲というのは大抵面白くないからすたったわけで、復曲するにあたって少し面白うせないかん。でも、基本ベースがあるから難しい。

 

 

 

Q5 人形の所作は自分で演じているイメージなのか? 人形遣いさんって歌舞伎できるの?

勘十郎 人形の演技は自分の体でできないといけない。「体でやってみィ」と言われるが、ひどいもんですよ(笑)。何これ?というものしかできない(笑)。でも、人間の体には人形にはない骨組みがあって、自分でやってみれば「人間ならここまでしかいかない」「自分がやったらこうなる」と知ることができる。しかし、それをそのまま人形でやったら面白くない。人形でもっとできることをプラスしてやる。

 

 

 

Q6 人形遣いは舞踊の稽古をしているのか?

勘十郎 やっている方もいる。若い頃には心得として少しやったほうがいい。国立劇場の研修生は太夫や三味線志望でも、全員日本舞踊をやらされるので、みんな経験がある。直接入門してくる弟子(研究生)は習うことはないが、自分で考えて、歌舞伎舞踊などやってみるというのはある。しかし、踊りの稽古はあまりやらないほうがいいと言われている。理由は、好きになって「自分が踊ってしまう」から。ぼくは姉が吉村流を習っていて、一緒に敬老会で踊ったことがあるが、恥ずかしくて早く辞めたかった。でも、扇の使い方など、やったほうがいいこともありますね。

 

 

 

Q7 口語の浄瑠璃義太夫節になるのに必要なものは?

津駒太夫 義太夫のリズム、本に尽きますね。音感、言葉のリズム……、七五調でなくてもよくて、義太夫になじむ文章になっていればいい。それは読み下す太夫の技量によるかもしれない。誰か(新作の口語の浄瑠璃を)書いてほしい。文章書いて芥川賞直木賞取るという人はたくさんいる。義太夫も書いてもらえれば……。でも一番大きいのは太夫の力量。その力量とは何であろうか? やってみなわからん。怖いことです。(←これ作った文章みたいですけど、ほんまに津駒さんがこうおっしゃったんです。鈴木則文時空に出てくる文学青年というかスクールものの生徒会長みたいでかっこよかった……)

 

 

 

Q8 作品について、どのくらいまで解釈(いわゆる深読み)しているのか?

津駒太夫 深く読み込めば読み込むほどいいと思うが、それは基本で、演奏とは別。深く読み込んで、それで表現できるかは「言っちゃいけない」。「あの人、解釈はいいけど、何コレ?」ってことがある。あんまり言えないけど……。

 

勘十郎 本を読んでいると「どうしたいの?(勘十郎様の必殺技・こくびかしげ)」と思ってしまうことがある。重要なのは、「性根」を掴めるか。自分が出るところ、自分の遣う人形、相手役の部分を中心に読みます。

 

清介 浄瑠璃の読み込みは相当しておかないと、その音が何を表しているかがわからない。難しいもの、理解に苦しむものはたくさんあって、たとえば『本朝廿四孝』三段目なんかはよっぽど説明してもらわないとわからない。教えてもらわないと。『伽羅先代萩』も、誰も政岡を殺しにこないのは何故?と思う。鶴千代君を殺すよりよっぽどそのほうが早いのに。よく言われるのは「行の間をよく読みなさい」ということ。よく理解しないと、前に進まん。

 

 

 

Q9 近松半二作品は話が複雑だが、技芸員はどのように感じているのか?

津駒太夫 作者によって作品の性根がどうこう、ということはあまり考えたことがない。話がややこしいと思ったことはあるが、自分が出演する部分、その場さえ成立すればいいという考え方が我々の中にはある。ストーリー上の矛盾をあげつらうと芝居が成立しないので、矛盾は置いておこうね、という立場。

 

 

 

Q10 人形が多数舞台に出ているときの人形遣い同士の混雑対策は?

勘十郎 今日は舞台が狭いのでドンドンぶつかってましたが……(場所が講義室のため、メチャ狭)。それについては「体をこなせ」と足遣いのころから言われている。ぼくらが入ったときは屋体(建物のセット)の間口が小さかった。当時公演していた朝日座、国立劇場小劇場は舞台が狭いので、体をこなさないと人に当たってしまい、演技に支障が起こる。最近は地方公演でも立派な劇場が多いし文楽劇場も大きいので、屋体が大きくなってラクだが、「体をこなす」をしなくなってきた。あんまり広いところでやっていると、体がこなせなくなる。お互い、気をつけてやっている。今回の「金殿」の実演でも出てくれた玉助くんは、背が高い。背が高い人はほかにもいっぱいいてるんですけど、玉助くんは足が長い(笑)。屋体で足が出ていると、もう、ものすごい、メーワク(笑)。足遣い時代はみんなに「足切ってこい〜!」「米を縦に食え〜!」と言われて、一生懸命足をたたんでいた。

 

 

 

Q11 文楽の一番の魅力は何だと思うか?

清介 一番というより、魅力満載! どこもかも! こういう演劇て、あまりない。文楽はゆっくりしてるように思われるだろうが、スピーディーでハコビが速い! 歌舞伎芝居なんていらんことばっかりして、辛気臭そうて(笑)。義太夫がいて、舞台に人形がいて、こんなおもしろい芝居、ないの! 歌は文字を伸ばすので*2、慣れないうちはわかりづらいが、慣れてもらえばわかる。ヲクリ、いつまでやってんねん!と思うだろうが、慣れたらこれがエエねん。エラソ〜に見ればいい。わかるところはわかるようにできている。

語って、弾いて、遣うて。人形は人間以上の演技をして人間。これが「おもしろない」と言われたら始まらんわけ。たまたま全部下手が出ることもあるが、メインの大事なところはヘンな人はやりません!! おかしくないネ!!! ちゃんとしたところを観てください。それは昔はすごい名人がたくさんいて素晴らしかっただろうが、いまでも昔の「面影」「ニオイ」は残っている。50回忌の会(誰の?)なんてすごかったわけ! 世間で「おもしろない」と評判立ってるのはみんなウソ! 自分は縁故がまったくない一般家庭から入ったので「変わった子や」と言われた。入門したころ、ぜんぜん文楽なんか観たことがない父親が「息子がやっているから」と観に来てくれたが、なんやこれは〜(びっくりきょとん)という反応だった(このあたり大幅に私の意訳)。息子は中学生の頃からやってんのに!*3

文楽は、全部が一番。とにかく観に来てください。あなたの面白かったところが「縁」のあるところ! よく言うんですけど、文楽には「ビールス」がいて、いまは感染力が弱いわけ! でも何回か来ると感染するわけ! 習うのが一番(突然の飛躍)!! 素晴らしいもんやと思うて、いっぺん来てください。

 

 


Q12 最後に一言

勘十郎 文楽の魅力はもうひとつ、値段が安いこと(笑)。こないだ南座の顔見世のチラシが来たけど、一等席25000円、三等席8000円。文楽は一等席でも歌舞伎の三等席より安い(笑)。

ぼくは最近、一公演で役がひとつということが多くなってきた。ラクしすぎと言われるが、やりたいけど、つけてもらえないんです。でも、大阪11月公演は久しぶりに2役で出ます。昼は『桂川連理柵』のお半、これは長兵衛・玉男さんと出ます。夜は『女殺油地獄』の与兵衛。こないだ歌舞伎の『油地獄』を松竹座へ観に行った。与兵衛(市川海老蔵)、あんまり滑ってなかった(笑)。もうちょっと滑ってほしかった(笑)。とはいえ、『油地獄』は滑るのを見せる芝居ではない。若い頃はよく滑るのが良いと思っていて、滑っていたが……。11月公演でも滑ろうと思う(? 謎の結論)

ぼくはこんど65歳になった。親父は66歳で亡くなった。来年までは真面目にやって、親父の年齢を越えたら…………………………………………、引き続き、真面目にやろうと思います(笑)。

 

津駒太夫 『芦屋道満大内鑑』「葛葉子別れ」に出ます。以前は地味なほう(義太夫にバリエーションがいくつかあるうちの地味なもの)でやったが、今回は派手なほうでやらしていただく。頑張ります。

 

清介 『女殺油地獄』「豊島屋」の殺しに出る。『油地獄』は、中学生のときに外題だけを見て「こんな芝居していいんか……!?」と思った。本当に「殺し場」をしていいんか……。しかしお芝居って不思議なモンで、文楽でやると、陰惨やけど、イヤやない。ひどいことをやっても、そこそこ受け入れられる。たとえば『奥州安達原』の四段目に、鬼婆が妊婦のお腹の子供を割いて取り出す部分がある。「こんな芝居やってええの〜?」と思ったが、前に回って(客席から)見てみると、「存外見てられるな〜!(フム!)」と思った。<記憶を失ってしまったんですが、このあとは文楽をよろしくお願いします的な締めの挨拶>

 

 

−−−−講義ノートここまで−−−−

 

この質疑応答はあらかじめ選抜した質問を技芸員さんにも内示しておいて、講義中にそれを話していただくという形式っぽかった。たしかにフリーで質疑応答すると無礼な質問や意味のない質問をする人がいるのでこれは正しい。

清介さんの仰っていた「文楽だと残酷な内容でもわりと見られる」というのは私もそうだと感じている。もっと厳密に言えば、人形の演技は生身の人間が演じるよりずっと残酷に見える。『妹背山』にしたって、文楽を見始めて間もない頃に山の段を観て、大判事が切腹した久我之助の介錯をいつまで経ってもしないので怖くなってきて、優柔不断しとらんとはよ介錯して……と引きまくっていたくらい(でも指の隙間からガン見)。でも、不愉快ではない。人形だと嫌な生々しさ……「所詮芝居」という油臭さとか露悪感がなく、人形の上に純粋に感情だけが発露するので「わりと見られる」んだと思う。

若い観客向けの対応では、文楽が本当に初心者に見てもらいやすくしたいのなら、字幕の文言を現代仮名遣いにしたほうがいいと思う。たしかに浄瑠璃の文言は近代以前の日本語文章の中では容易なほうだと思うけど、字幕というシステムそのものに限界があり、読める速度・分量に限度があるので、旧仮名遣いでは反射的に読めない人がかなり多いと思う。せめて現代かな遣いにして、すこしでも舞台の人形の手元をゆっくり見たり、三味線に耳を傾ける余裕をつくるようにしたほうがいいと私は思う。わかりますよ、旧かなで読んだほうがよいということは。制作や出演者側はより一層旧かなにこだわりがあるだろうけど、そもそも旧字出せてないんだし、もう諦めたほうがよいのでは……。

 

 

◾️

このあと3日目3限目は日本近世史・塚田孝先生による「近世大坂の芝居町−明治初期の歌舞伎役者取締り−」。明治初期、政府は税収UPを目的に、歌舞伎役者の驕慢(極端な高給や奢侈・大幅な旅興行など)による大阪芝居町の衰微を防ぐため、歌舞伎役者に出稼ぎや住居の規制等をかけた。その中に浄瑠璃関係者も含まれており、人形遣いは早くから歌舞伎役者と同じ扱いとなって規制下に置かれた。のちに太夫・三味線方も自らその鑑札を受けたいと願い出た。太夫らがわざわざ自ら規制の中に入りたがったのは、それが地位に対する「お墨付き」でもあったから。というようなお話だった。この講義はレジュメがかなりしっかりしており、はじめから何を目的に授業を展開するかわかったため、理解がしやすかった。こちらも内容は大変興味深いのだが、文楽から話が外れるのと、内容が大変専門的で復習がしづらく、資料集めが追いついていない。あいまいな聞きかじりでは書けないため、記事はなしにさせていただく。

3限目が終わったところで大阪府台風20号による暴風警報が発令され、4限目に行われるはずだった表象文化論・海老根剛先生の「人形浄瑠璃の「近代」が始まったころ〜「無知な観客」の歴史にむけて」は休講になってしまった。レジュメだけ頂いたので目を通したが、明治以降の文楽人形浄瑠璃)の観客論に関する内容で、ぜひ受講したかったところ……。実はこの授業は一般受講生募集告知と同時にカリキュラムが出ていた段階から聞きたかったので、大変残念だった。とはいえ、大学側・技芸員さんのご配慮で、実演と技芸員談話は少なくも開講できるよう時間割を組み替え、午前に持ってきてもらったのは本当にありがたかった。

 

 

8回にわたってその内容を書いてきた上方文化講座、充実の3日間だった。技芸員さんのお話も目的ではあったんだけど、個人的には市大側からの講義が目当てだった。というのも、浄瑠璃って謡曲に比べて解説書の数が圧倒的に少なくて、どうやって勉強というか、自分の知りたいことを学べばいいのかわからない。もちろん古典文学全集に収録されている作品もあるけど、近松偏重で私の好きな長編の時代物はあんまり載ってないし、載っている作品でも不明点があった場合に解決しようがないことが多い。さらには古典文学全集に載っている解説というのはあくまで浄瑠璃の解説であって、文楽人形浄瑠璃)の歴史の中に落とし込まれたときにどうなるのかのブリッジがわかりづらかったりする。不明点があったら図書館に置かれているような専門書や上演資料集等は確認するようにはしているけど、一般庶民では資料の入手にも限界がある(というか、アタリがつけられない)。このような大学の公開講座形式だと、そのあたりがフォローされているばかりか、講義終了後に講師に直接質問できたのがありがたかった。もっと時間があれば個別にゆっくり色々お話し伺いたかった思いです。

 

講座の受講は最初に書いた通り抽選制だが、どういうシステムでもって「抽選」しているかはわからない。私の場合は応募にあたっての志望動機は結構きちんと書いて(院試の志望動機の書き方を参考にしました)、シートも選んでもらえるように自分なりに工夫したものを作成して送付した。実際行ってみると「普通に毎年来ている」という人もいて、一体何を基準に「抽選」されているか不思議だった。講師陣もそういう常連さん向けに話している部分も多く、また、受講生には予習資料持参の人もたくさんおられたので、そのあたり合わせて鑑みるに、受講生の選抜は完全な「抽選」制ではなく、おそらく志望動機書に意味があり、そこで足切りしているのではと感じた。ちなみに受講生の層は、全日程が盆明けの平日開講のためか年配の方が多く、ご夫婦参加や友達同士参加、去年受講した人同士で話してる人たちも結構いた。

 

 

講義とは関係ないけど、㊙︎年ぶりの学生気分で学食に行ったり、キャンパス内のベンチでおにぎりを食べたり、学内生協のうらぶれた売店で文具を買ったり(ノートのとりすぎで愛用のフリクションボールのインキが切れまくったため)、帰りに天王寺のカフェでパンケーキやパフェを食べたりと、ちょっとした擬似学生生活?を送れたのも楽しかった。いや、学生時代以上に学生生活を満喫したな……。私が通っていた大学は大変のどかな場所(マキシマムプラス表現)にあったんで、謳歌したことといえば「学校の横のキャベツ畑にいる青虫を観察しようとして畑に落ちる」「蝉の抜け殻やどんぐりを集めまくり→バケツに貯めまくりすぎて虫が湧き、クラスメイトにめちゃくちゃ怒られる」「学食に入っている大葉は学食の裏の雑草畑に生えている大葉ではと疑い、生え具合を日々観察する」みたいな、小学生男子みたいな日々だったんで……。…………………………。書いてて悲しくなってきた。学びの環境や周囲の人に恵まれてすごく楽しかったけど、もっと派手なキャンパスライフを送りたかった気もする……。

 

来年は原点回帰で近松作品に戻り、『心中天網島』をテーマに行うとのこと。個人的に近松作品ってあんまり興味ないんだけど、だからこそ新たな視点や作品理解の切り口を発見できそうで、また参加してみたいと感じる。なぜ自分は近松作品を退屈に感じるかもよく考えてみたいし。来年は台風が来ないよう祈ってます!!

 

 

┃ 上方文化講座記事INDEX

上方文化講座2018 カテゴリーの記事一覧 - TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

 

 

 

旅行記その7。金毘羅宮の参道に「金毘羅大芝居 金丸座→」という立て札が出ていたので行ってみた。

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金丸座は江戸時代に作られた芝居小屋。現在だも現役使用しており、歌舞伎興行のみを行っているという。サイズ感的には内子座よりかなり大きい。っていうか、国立劇場小劇場より大きいし綺麗なんですけど、どうなっているのでしょうか……。

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舞台から客席に向かって。金丸座では「ブドウ棚」といって天井がアミアミになっており、客席にも花吹雪等を降らせることができるという。金丸座はすべて人力運営で、宙乗りやスッポンのせり上がり等も人力で動かしているとか。冷暖房設備も入れていないので、快適な気候の季節にのみ公演を行なっているそうだ。

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楽屋も見学可能。

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奈落。カラリと晴れた昼間でも濡れた土埃の匂いがする空間だった。

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今年は上方文化講座と内子座文楽と個人趣味の旅行をくっつけて京都・長浜・天橋立・伊根・大阪・豊島・小豆島・琴平・松山・内子と9日間旅行したが、久々の長旅、楽しかった。今度は北海道か恐山に行きたいので、博物館網走刑務所かオホーツクの砕氷船船上か恐山で文楽公演がないかな〜と虎視眈々としている。(そんな公演はない)

*1:どなた?上品な東京弁で喋る方

*2:たとえば出だしの「いりぃぃぃぃぃぃにぃぃぃぃぃけぇぇぇぇぇりぃぃぃぃぃ〜〜〜〜〜」のようにかなり長く音を引く、産み字のこと。

*3:清介さんは、親御さんは一般人だが、ご本人が義太夫大好きで中学生のころから女流の三味線弾きさんについて三味線を習っており、その後、本気で三味線をやりたいということで、紹介を受けて文楽に入った。という経歴だったと思う。

文楽 上方文化講座(7)桐竹勘十郎師に聞く−実演をまじえて(桐竹勘十郎) 大阪市立大学

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上方文化講座もついに最終日。3日目1限目は本来別講義だったが、おりからの台風接近に伴って途中休講の可能性が出てきたため、大阪市立大側と技芸員さん側の配慮で時間割を変更し、本来3限目だった勘十郎さんのお話が先になった。 今回はお三輪、鱶七以外の人形の衣装等を見せていただきつつ、お話を伺った。

 

桐竹勘十郎師に聞く−実演をまじえて(桐竹勘十郎)INDEX

 

 

┃ 夏の災害と『出世景清』

この夏は地震に大雨にと、災害が多かった。8月夏休み公演で行った西日本豪雨の募金活動では、おかげさまで300万円以上を集めることができた。ぼくたちはあれくらいのことしかできません。でも時々、受け取ったお金を入れ忘れる。お互いに「入れたっけ?」「いま入れた?」と言い合ったりして。

豪雨被害の中、7月ながと近松文楽の『出世景清』も公演中止の予定だったが、無事上演することができた。『出世景清』は鳥越文蔵先生が私費を投じてまで制作した肝いりの企画で、燕三さんに作曲依頼し、大道具、照明、たくさんの人の協力を得て実現した。きのうお話しした通り、公演日直前は豪雨災害で交通が止まっており、長門へはフェリーで行った。ぼくはうちが南港の近くなのに、フェリーは思いつかなかった。フェリーは山陽新幹線が止まったせいで毎日満員だったが、満員になるその直前に乗れたので間に合った。大変な状況だったのに誰も文句を言うことなく、船旅を楽しめた。宴会をしたり……、船は乗ったら楽しいんですよね。

『出世景清』は古い浄瑠璃。1684年竹本座が初演で、いまの文楽に残る作品のさきがけ。近松門左衛門が書き、竹本義太夫が語った初めてのもの。長い間上演が途絶えていたが、昭和60年に国立劇場が復活し、景清・文吾師匠、作曲・先代燕三師匠で上演された。このとき、燕三師匠へは劇場からいろいろな注文がついた。それは「あんまりいろんな手をつけないで、シンプルに」というもの。初演当時は今ほどに複雑な技巧がなかったということなんでしょうかね。……結果、出来上がったものはあんまり面白くなかった(笑)。人形部も「何コレ?」となった。燕三師匠もそんな注文をつけられて、困ったのではないか。今回は(当代)燕三さんが手を加えて上演した。

これを文楽劇場国立劇場でも再演できたらと思っている。新作・復活ものは一度だけの上演で終わることが多いが、上演までに大変なエネルギーがかかる。古典は何百年もかけて練り上げられているので、新作や再演はどうしても負けるが、また上演したい。

 

 


┃ 名人たちの『妹背山』

『妹背山』はスケールが大きい作品。あまりに大きいと、何のお芝居かわからなくなる(笑)。師匠たちのお三輪のかわいらしさ、いじらしさは本当にすばらしい。ぼくは簑助師匠の足も左もいって、紋十郎師匠も見ているけど、師匠たちのお三輪は本当にかわいい。ほんのちょっとした仕草で「かわいいな」と思う。大きい仕草は誰にでもできるが、ほんの瞬間の仕草にそれぞれの人の個性があり、そこにかわいらしさが出る。

師匠の師匠、三世吉田文五郎師匠もかわいかった。明治2年生まれのひとで、ぼくも小さい頃、父に連れられて文五郎師匠の天下茶屋の塩町のお宅へお年始に伺ったことがある。目的はお年玉(笑)。お菓子やお年玉をいただいた。そのころはもうご高齢で、ちょっと見るとガイコツかなと思うくらい、骨の上に皮が乗っているだけというほど痩せておられた。文五郎師匠は本名が「巳之助」(巳年生まれ)で、元々はそれを芸名にしていた*1。それを紋十郎師匠が引き継ぎ、いまの簑助師匠が引き継いだ。

その文五郎師匠の芸談に、すごい名人がいたというものがあった。それは吉田辰造という人。初代辰五郎の息子で、女方の名手だった。お三輪がほおずきを揉んで、口にふくんで吹く仕草。いまはあんまりやりませんけど、昔はようやりましたね。これがなんべんやってもできない。文五郎師匠がこの辰造さんを素晴らしいと書いていた。

 

 

 

┃ 着物の袖の扱い

当時は着物を着ている女性がたくさんいたので、着物で歩いている人をよく観察した。お酒の席、街中……。今は着物をキレイに着こなした色っぽい人はいない。電車の中でつり革につかまって携帯電話を触っている人よくいてますけど、いや、電話はいいんですよ。ウデを出しているのはやめてほしい💦 二の腕まで見えてしまっている人がいて、あれは色気がない💦 人形は手首までしか出してはいけないとよく言われる。こうすると、色気がないでしょう<腕まるだしを人形で実演>。お三輪の金殿の最後は仕方ないが、しとやかなフリをしているときは手首で止める<普通の娘さん風の袖に戻す>。どうすれば腕が出ないか? 腕を内側に曲げると袖が腕に引っかかり、腕が出なくなる。人間でも同じ<ご自身の紋付の袖で実演>。つり革を持つときもそうすれば大丈夫。ハンドバッグや風呂敷の持ち方もそうなっているでしょう。

 

 

┃ 女方の衣装

お三輪のしめている帯は、「中筋」の「振帯」。「中筋」(A)というのは、帯の両側に黒の繻子の縁取りがしてある帯のこと。お三輪は振帯(D)だが、役によってはブンブン結び(文庫結び?よく聞き取れなかった)にする。振帯は、胴に巻きつく部分の「カカエ」、垂れている部分の「ムスビ」、結んでいる部分の「メガネ」……輪っかになってるからですかね? この3つのパーツに分かれていて、本当に結んでいるわけではない。よく「人形遣いさんだから帯結べるでしょう」と、着物の帯を直してほしいと言われるが、結べません(笑)。実用されている結び方と文楽人形では、結び方が異なることも多い。

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帯にはいろいろなタイプがあって、これは「鯨帯」(B)。片側の繻子の縁取りが太い。なぜ鯨帯というかというと、むかしは色が白黒で、それが鯨のように見えたから*2。子役に使う帯で、『奥州安達原』朱雀堤のお君などの中子役(ちゅうこやく)がしめている。結び方は「貝の口」。男性が角帯で結ぶ結び方ですね。

これは「昼夜帯(C)。裏表使えるリバーシブルの帯。裏は黒繻子一面、表の片側にその繻子が縁取りとして出ている。

こちらは「鮟鱇帯」(E)。前で結ぶ結び方で、『冥途の飛脚』の梅川など遊女がしている。魚の鮟鱇が口を開けている様子に似ているから名前がついたそうだが、「どこが鮟鱇?(勘十郎様の必殺技・こくびかしげ)」と思う(笑)。傾城になると「俎板」(F)という帯になる。豪華な刺繍を施した帯を前に垂らしたもので、『壇浦兜軍記』阿古屋などがしている。(「俎板」は現物なしで口頭説明)

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(参考 2016年4月公演でのお三輪、帯の種類や結び方に注目)

 

 

 

┃ 四天(よてん)

昨日は鱶七の四天についてお話ししたが、ほかの四天について。「黒四天」は黒のフサがついた平袖の四天で、忍びの者が着ている。いまの忍者のイメージとは違う。鱶七に襲いかかる雑兵のツメ人形が着ているのは桜の柄の入った「花四天」。これに赤いたすきをしている。帯は「ワリバサミ」と言って、本当には結んでいない。人形だと糸で留められるが、実際(人間が実際に着用する場合)にはどうなっているのか。一度見てみたいです。

 

 

 

 

┃ ツメ人形の遣い方

ツメ人形を遣う上で、若い頃はなにかとしたくなるが、ツメ人形は主役を引き立たせるものであって、余計なことをしてはいけない。(若い子が余計なことをやりすぎて)「きみきみ、そんなせんでええんよ」と思うことがある。

若い人は三人遣いの人形には触れない。三人遣いの人形はそれを遣う人形遣いの許可なくしては絶対に触ってはいけないんです。大変なことになります。着付けをされた人形は、その人形遣いのもの。バラすとかしら、衣装はそれぞれの係の人のものになる。それも勝手に触ってはいけない。

なので、若い人はツメ人形で練習をする。鏡の前でいろいろやっていると、先輩がやってきて教えてくれる。「もっとちゃんと構えてやりっ!」「やんのやったら舞台に出るつもりでやりっ!」とよく言われる。先代玉男師匠からは「三人遣いの人形を遣うつもりでやれ」と言われた。

ここでちょっと「ご注進が主人の前で報告して、くるっと回って下手へ引っ込む」というのを、良い例と悪い例でやってみます。<ごにょごにょとご注進をして、一礼して、振り返って、退出する……を良い例・悪い例の2回実演>……わかりましたか? もういっぺんやってみますね。<同じ振りを実演>

違いは、振り返るときに何を軸にして回るか。振り返るときは人形を中心にして回らなくてはならない。人形遣いを中心にしてはいけない。これがわかっていてもできないのだが、「いつも心がけなさい」と言われる。

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※私のイメージです! 実際には舞台で観察してみてください。たしかに自分が回ってる人、います。三人遣いでも。

ツメ人形は捕手役でよく出てくるが、たとえば『菅原伝授手習鑑』寺子屋浄瑠璃では松王丸が源蔵に「数百人にておっ取り巻き」と言っているが、文楽では捕手は2人しか出てこない(笑)。何度数えても2人です(笑)。これは、太夫さんが責任を持って語ってくれるので、2人しかいなくても緊張感があるということ。こないだ歌舞伎で寺子屋を見たので捕手の人数を数えてみたが、25人くらいいてすごかった(笑)。

金殿には官女のツメ人形が4人出てくる。役としてついて三人遣いの人形でやることもあるが、ぼくはツメ人形のほうが面白く、効果があると思う。官女は主役(お三輪)を引き立てるもので、勝つようではいけない。

ちなみにツメ人形は後ろ頭に釘が打ってある(ツメ人形を振り向かせて)。かわいそうでしょう(笑)。これは楽屋で壁に引っ掛けるためなんです。

 

 

 

┃ 人形の着付け

着付けは人形遣いが自分で行う。作業としては、針と糸を使って人形の胴に衣装を留めていくというもので、人形の衣装は絹の生地だが、三重、四重と留めていくと針が通らなくなる。そのため、7cmくらいの布団針に木綿糸を4筋掛けにして使う。女方の人形だと、50箇所くらい留める。鎧人形ともなると3〜4時間かかる。

最初に留めるのは、棒襟。お三輪は赤。薄い綿が入っている。厚みがいろいろあって、わたしや師匠は薄いものが好き。次に中襟。お三輪は朱鷺色。これらを胴に3箇所(首の後ろ、その左右の肩)で留めていく。

着付けで一番神経を使うのは、襟を留めるとき。ここができたら着物が「乗る」。棒襟の薄い、厚いはその人形遣いの判断。師匠は薄いものが好みだが、それは襟足を計算してのことかと思う。師匠は襟足(首筋)を見せるため、襟を抑えて着せつけている。ちょっとしたときに襟足が見えると可愛らしいし、かしらも遣いよい<実演>

これらのものは、衣装部で選ぶことができる。どういう着物を着るかは古典では決まっているのでそんなに幅はない。少しは選べるが……。師匠は自前の衣装を使っていることも。しごき、オビアイ(? よく聞き取れず)など、自分で揃えている。

 

 

 

┃ 団七の丸胴

これは団七の丸胴、二代目。親父が最後に団七を遣うとき、それまで使っていた丸胴があまりにボロボロで汚れ、痛みがひどいので新調したもの。刺青は昭和57年の海外公演中に自分で描いた。準備時間がなくて、そうなってしまった。ストックホルムのホテルで、オフの時間帯みんなは遊びに行っているのに、ぼくはひとりだけホテルにこもって描いていた(笑)。急ぎすぎて色止めをし忘れて、舞台稽古で足遣いが一番当たるところ(足首近く)が色落ち。自分が足遣いで、汚れてしまった(笑)。

背中には不動明王。昔は違う柄やったそうですけど、今では不動明王になっています。足にはドクロですね。お尻にはワタが入ってふくらんでいるので、足が左右どっちかわかります。

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二代目刺青は先代玉男師匠、文吾師匠、いまの玉男くん、ぼくと使ってきている。本当にちゃんと刺青を描いたものはこの1つしかなく、小学生の宿題みたいなのでだましだまし使ってきたが(長町裏以外の衣装に隠れている段ではフル刺青ではないスペアを使っていた、という意味?)、今では三代目刺青ができている。

(参考 2017年夏休み公演)

 

 

┃ 苧環

苧環をくるくる回しながら)苧環には麻の糸が巻いてある。これが活躍する「道行恋苧環」は、三角関係の三人で仲良く踊るのは「おかしいな?」と思うが、名曲。苧環は回すのが難しい。最後、求馬につけた苧環の糸が切れてはっとするところは、回す→落として抑えつける→糸が切れる→糸を繰る→苧環を後手に回してポーズ、となる<実演>

 


−−−−以下、「金殿の段」の実演−−−−

 

 

ツメ人形の実演で教わった「人形を軸にして演技する」という話には「なるほどそうだったのか!!!」と思わされた。というのも、時折、人形遣いだけがやたら目立つ、なにか変な動きの人形がいると思うんだけど、どこがおかしいかわからず、しかし異様な違和感だけはある……、あれは何?と思っていたけど、こういうことか!と腑に落ちたのだ。なるほど、人形を振り回している状態になるから、人形を軸に動かしている人の中では浮くということね……。三人遣いでも異様に人形遣いが目立つ人がいるけど、それも同じことか。これっておそらく人形遣いとしては基本中の基本なんだろうけど、あまりの基礎動作すぎて芸談等では聞かないので、この話、今回の勘十郎さんのお話でいちばん参考になった。

人形の着付に関する好みの話も大変おしろかった。綺麗に着物を着こなしている人形とモッサリした人形がいるのが今までものすごい気になっていた。いったいどういう違いなのかと。たしかに簑助さんはかなりコンパクトに着付けしていて、胸元〜襟足が立体的にすっきり見える。遣うときのプロポーションを計算して着付けしていらっしゃるんだろうけど、もうシンプルに、すごい、と思う。ちょっと話はずれるけれど、役を考えた着こなしも結構おもしろいなと思うところで、きょうも『良弁杉由来』観てきたけど、いちばん最初、志賀の里に出てくる乳母・おふくの腰元・細身の腰元、全員着物の着方が違っているのがおもしろかった。おふくの腰元チャンはちょっとぽちゃっとした感じに着せつけてあるんだけど、いいかんじに柔らかそうで、よくフワフワをキープしてるな!と思う(時々グシャッてるお人形さんがいるので)。

ところで女方の人形の袖を腕に引っかけて過剰に腕が出ないようにするというのは、はっきり言って素人には無理です。時々、イベントなどで人形の体験をやらせてもらえる機会があるが、そもそも腕をまともに動かせない。まず上げ下げ自体ができませんから。もう関節は人間としてヤバい方向に曲がっちゃうし、なんか全身脱臼してるかのような不自然なプロポーションになっちゃうし。袖とか配慮してる場合じゃないです。袖は一度グシャると自力で直すのはまず無理(暴れていると指導の人形遣いさんが見かねて直してくれます)。女方の人形がよくやる、「手を袖の中に入れて袖をフックラさせ、そっと目元口元にもっていく」とか神業ですわ。ふだん何気なく観ている動作が実は確実な技術や工夫によるものであることを体感できるので、人形の体験イベント、機会がありましたら是非とも参加してみてください。

しかし勘十郎さんて苧環回すのうまいですよね。昔の資料映像を観ても、あそこまでうまく回している(本当に糸がほどけていっているように見える)人、なかなかいらっしゃない気がする。お三輪が苧環をとり落すところなど、真に迫っている。人形さえちゃんとしていれば別に下手でもいいとこではあるんだろうけど、回すのが下手だとそのぎこちなさが気になるのは確か。多分、執念のお稽古のなせる技だと思うんだけど、すごい。

金殿の実演は、講義室の演壇で行う都合上環境は悪いながらも、津駒さん・清介さん・勘十郎さんの力でここが講義室であることを忘れるような、すばらしい舞台だった。かんたんな大道具は出してあるんだけど、その大道具に頼らずともわりとちゃんと本公演のような御殿が見えるよう。こういうのを一発で決めてくるのはやっぱりベテランの技だなあと感じさせられた。都合(?)により豆腐の御用は出てこなかったが、金殿をほぼフルで拝見できるというのは本当に贅沢なことだった。

 

 

9月公演も中盤に差し掛かり、もはや記憶も薄まってきている今日この頃だが、上方文化講座記事も次回ついに最終回、3日目2限目「文楽の至芸−太夫・三味線・人形、三業一体の芸(竹本津駒太夫・鶴澤清介・桐竹勘十郎)」です!

 

 

 

┃ 参考文献

 

┃ 上方文化講座記事INDEX

上方文化講座2018 カテゴリーの記事一覧 - TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

 

 

 

旅行記6。高松からことでんに乗って、こんぴらさんに行ってみた。ことでん、なぜか京急コラボで京急と化していた。旅情がない……。

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参道にあるお店がまるで時代劇のセットのようだった。

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両側にお土産屋さんやお茶屋さんのある石段をひたすら登る。ここらへんは中腹。道中に石松推しのお土産屋さんがあった。石松金毘羅代参ネタだろうが、今ではほとんど伝わらないだろう……。渋い……。あと、石松の人形になぜか『傾城阿波の鳴門』のお鶴らしき人形が紛れていた……。

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何も始まってないうちから休憩。参道にあった資生堂パーラーにて、「神椿パフェ」(銀座の資生堂パーラーにも入ったことないのに)。上に乗っているのは「おいり」という讃岐地方の嫁入り菓子で、甘くて軽いあられのようなもの。

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最初の拝殿。

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奥の院。意外とラクに着けた。伏見稲荷奥の院っていうか山の上まで行ったときは死ぬかと思ったのに。境内にはテントを張った休憩所が設置されており、氷柱と塩飴のおもてなしが。参拝客みんな塩飴を食いまくっていた。

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奥の院からの眺め。四国ってまじでマンガみたいなおにぎり型の山があるんですね。山の側生まれなのですが、視界に入ってくるのは山脈的な感じのもっとガチな山だったんで、この写真中央左寄りあたりに写っているようなマンガみたいな小山って、フィクションの中にしか存在しないと思っていた……。おにぎり山の実在に感動。

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絵馬の奉納殿。金刀比羅宮って船の神様でもあるらしく、大正時代からの造船・漁業・海運関係の会社の扁額が大量に飾られていた。扁額はどれも個性的で、写真あり木彫りあり立体模型ありと、かなりの見どころだった。

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*1:巳之助→簑助→亀松→文五郎

*2:鯨を肉にして切ったときの皮と脂肪層の見え方から

文楽 9月東京公演『夏祭浪花鑑』国立劇場小劇場

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今回は『夏祭浪花鑑』の現行で上演できる段をすべて出す半通しだった。

まず言いたいことは、一寸徳兵衛がどういうキャラクターなのか、やっとわかったということ。『夏祭』は一昨年(釣船三婦内・長町裏)、昨年(住吉鳥居前・釣船三婦内・長町裏)と2回観たけど、徳兵衛が「何この人??」っていう印象だった。正直な感想は、まあ、とりあえず出てくるだけの、捨てキャラかなと。そういうイメージ。それで今回、人形は文司さんが配役されてるのを見て、え、ベテランすぎでは?すごい落ち着いた配役だな〜と思っていたけど、徳兵衛、文司さんで納得だった。徳兵衛は若気の至りとかバカ正直、直情という性根ではないのね。品格がある男伊達なんだと思った。特に今回は最後に団七内の段がついていて徳兵衛の内面描写・演技時間が相当長いので、がんばってます程度じゃ間が持たない。お辰が夫の顔を立てるとしてあそこまでやるに相応しい男でなくてはならないんだと、パチパチとパズルがはまっていった感覚があって、話の筋が通った。ありがとう、文司サン。

以下、あまり出ない段はあらすじをつけて、感想。

 

 


住吉鳥居前の段。

人形の配役は三婦=吉田玉也、お梶=豊松清十郎、市松=吉田簑之、こっぱの権=桐竹紋秀、なまの八=吉田玉翔、玉島磯之丞=吉田勘彌、団七=桐竹勘十郎、大鳥佐賀左衛門=吉田玉勢。

去年観たばかりなのに内容をかなり忘れていたので(アホ)、新鮮に楽しめた。今回は席がよくて人形がよく見えたのだが、三婦ってユーモラスで可愛い顔してるんですね。ほかのお人形とはちょっと顔立ちの方向性が違う。することも顔立ちの通りちょっとユーモアがある、ゆったりした雰囲気なのが面白い。あと、血色がすごくいい。

磯之丞が出てくるところ、駕籠かきの二人とモメて駕籠の中からワタワタ騒ぐくだりは、人形遣いが自分の人形が見えていない状態で演技をしていて、これは大変だと思った。

 

 


内本町道具屋の段。

団七の計らいにより、磯之丞は内本町にある道具屋に「清七」という名で預けられている。彼は手代として働いているうちに、娘・お中〈吉田文昇〉と恋仲になっていた。清七は来訪した田舎侍〈吉田玉男〉に頼まれ、仲買・弥市〈吉田文哉〉から「浮牡丹の香炉」を買い取ろうとするが、元手がない。そこに番頭・伝八〈吉田簑二郎〉が助け舟を出してお屋敷の為替だという五十両を渡し、清七はその封を切って渡してしまう。ところが田舎侍は香炉を買う約束などした覚えはないという。金を戻せという伝八に、清七は田舎侍から金を取ると言って聞かず、田舎侍は清七を斬ると言い出して揉め事になる。そこへ魚を売りに来た団七が顔を見せて仲裁に入るが、田舎侍の正体が舅・義平次であることに気づいてお互いに間が悪くなる。店の騒ぎに気付いた主人・孫右衛門〈吉田玉輝〉が姿を見せ、弥市という仲買は聞いたことがないと言って件の香炉を確かめると、それは真っ赤な偽物であった。弥市を捕らえるといきり立つ清七を抑える団七。しかし彼もまた舅への怒りを必死に抑えている。そうこうしているうちに義平次はあたふたと去っていく。この件を鑑み、孫右衛門は金の沙汰が済むまで清七を一度団七のもとへ返すと言って、顔を隠す笠を渡して店を出させるのだった。

その日の深夜。お中は清七の後を追おうとこっそり店の戸口へやってくるが、錠が下りている。彼女が嘆いていると、戸口の表には清七が。清七は昼の一件を手引きした伝八をぶち殺そうと舞い戻ってきたのであった。お中は父から清七宛として難儀を助けるように五十両を預かったという。孫右衛門の心遣いに清七が涙を流していると、店の奥から伝八が姿を見せたので、清七は向かいの番小屋へ姿を隠す。伝八はキモくお中に擦り寄って、清七が追い出されるよう仕組んだのはお中を自分のものにするためであり、へそくりを持ってくるから駆け落ちしようと言って店の戸口の錠を開け、お中を番小屋へ押し込む。そうして伝八がグヘッているところへ提灯を下げた弥市がやって来て、昼間の分け前だと言って金の包みを渡す。実は弥市・伝八・義平次はグルだったのだ。伝八は弥市にお中を宿に連れて行ってくれと頼み、店の奥へ姿を消す。弥市は張り切って番小屋の戸を開けるが、出てきたのは清七。清七も弥市の姿を見ていきり立ち、彼を袈裟斬りにしてしまう。弥市の持っていた提灯の灯が消えたところに伝八がやって来て、暗闇の中で清七を弥市と勘違いし、宿の支度をとへそくりと分け前の金を預けてまた店の奥へ戻っていく。清七、お中の二人はこれ幸いと、手に手を取って闇の中へ姿を消すのだった。

磯之丞ってクソじゃない?(素直感想)

お中って「嫁入り盛り」って言ってるけど、人形のこしらえからすると相当若いっていうか幼いよね。団七も義平次を殺すより先にそこのアホにいっぺんグーパンしたほうがいいのではと思った。光秀も「無道の君を弑するは民を休むる英傑の志」と言っている。まあ団七は頑張りどころがおかしいサイコパスだから仕方ないか。

あとは番頭伝八役の簑二郎さんが似合いすぎていて爆笑した。死にかけのセミが暴れまわってこっちへ飛んできたときかのような、唯一無二の絶妙のキモさ加減だった。さらには人形と人形遣いの顔が同じでどっちが人形かわからなくなることがたまにあるが、それが起こっていた。今回はこっぱの権役の紋秀さんもわりかし人形と双子の兄弟状態になっていた。

侍に化けた義平次が出てくるとき、首の後ろにコヨリのような札がついているのが「クリーニングの札がつきっぱなしの人???」状態で不思議に思っていたが、貸衣裳のタグってことね。団七にチクリと言われたときにピョコンと抜いていた。これは表向き上品ぶってそれが成功していながら微妙にツメが甘く抜けているという表現だが、上演資料集によると、むかしはどれだけ偽侍ぶるかに細かい演技(刀を持つ方向が間違っているなど)をつける人がいたらしいので、つぎ観るときにどれだけ偽演技を盛っているか、もう少しよく観察しようと思う。

ところでこの段、団七が魚を入れた天秤を下げて出てくるが、団七って本当に魚売ってたんだ……。お梶に生活全部面倒見てもらって、自分は家でゴロゴロしてるのかと思ってた。しかし普通にああいう客商売してたら義平次よりクソな客がいくらでもいると思うけど、そこはどうなっているのか不思議。やっぱりたまにしか働いてないのかな……。

 

 

 


道行妹背の走書。

あてどなく逃げる清七とお中は、安井の森にたどり着く。清七の故郷の和泉で二人一緒に暮らしたいと言うお中に、弥市を殺した罪は逃れられないので切腹すると言って清七は事の次第を記した書置を用意している。その言葉にお中が泣いているところへ提灯を下げた三婦が追いついてくる。早まるなという三婦に清七は書置を見せるが、三婦は弥七という者は元々大騙りなので犯人の詮議も深いものではあるまい、しばらく身を隠していれば済むから自分に任せよと言う。二人がほっと安堵しているところへ、「お中」と娘を呼ぶ声が聞こえてくる。三人は提灯を吹き消して、そっと姿を隠した。

やって来たその追っ手は伝八だった。お中、お中と呼ぶ声に、お中はわざとらしく走り出て、清七を呼び求めるふりをする。清七に捨てられたなら死にたい、と騒ぐ彼女を捕らえた伝八はその懐を探って金子をゲットし、それほど死にたいなら見逃してやると言う。お中が刃物がないので死ねないと言うと、首吊りをすればいいと告げる伝八。その首吊りはどうやって?と教えを請う彼女に、調子こいた伝八は傍の木に帯揚げを引っ掛け、その輪の中に首を差し込んで爪先立ちになって見せる。と、その背後から近づいてきた三婦がおもむろに伝八に足払いを食らわせたため、伝八はバタバタ暴れて、やがて動かなくなってしまった。三婦は、弥市殺しの罪は伝八に着せれればよいと言って、清七の書置をその死骸のそばに置き、二人を連れて去っていくのだった。

道行といえど目的地にはすぐ着いてしまい、大半が普通の芝居になるという不思議な道行。

この段から学べることは、「俺が教えてやる」としゃしゃり出てくる教えたがりの男性は「首◯りのやりかた教えてぇ💓」と言って調子ぶっこいて実演指導しはじめたところに背後から足払いを食らわせるととても静かになる✌️ということですね。さすが古典芸能は勉強になる。でも、伝八はこっちから教えを請うまで出しゃばってこないあたりぜんぜんカワイイ。簑二郎伝八のキモさ絶好調ぶりは最後まで最高で、テンション上がった。まったくもってdisってるんじゃないですけど、あそこまでキモく演技できる人そうそういないと思う。こういうキモ番頭・キモ腰巾着役って、たいていの人がチャリ感を可愛い方向に転ばすから。このキモさ(しかし見苦しいとか不愉快であるとかではない)の純粋性はえらい。とにかく死にかけのセミが玄関前でビチビチしていて家の玄関ドアを開けられないときの感情と同じものを感じた。

 

 

 

釣船三婦内の段。

いままでこの段の冒頭で磯之丞と琴浦が謎の痴話喧嘩をしているのが可愛らしいと思っていたけど……………………。三婦に後始末を任せて普通に三婦の家でのんびりしている磯之丞、おかしくない? え? 何なんこいつ?? 三婦も若様だからと言って甘やかさないで、庭の木に逆さ吊りとかにしといたほうがいいのでは????

簑助さんのお辰の演技は、昨年大阪で観たときと多少違っていた。そのときはたしか三婦のセリフに結構細かく反応していて、三婦に「磯之丞は預けられない」と言われていきり立ったり、かと思えば「こなたの顔に色気がある」と言われて今度はぽっとなったり、特に最後に「わが手にしたこと」と微笑むくだりが凄艶で、人形でしか出来ない独特の媚があったが、今回は三婦へのリアクションを抑え、自分自身の心の動きを表現しているように思われた。結構大人っぽい方向に振っているというか……。とはいえ、浄瑠璃のひとことひとこと、あるいは他の人形が芝居している間などもかなり細かい対応をしていて、お辰の演技を見ているだけで情報量がいっぱいいっぱいになるくらい。扇子をゆったりあおぎながらおつぎと世間話をしているときの普通のおかみさん風の様子と、最後ついに三婦から磯之丞の身柄を頼まれたあとの、頰の火傷の痛みをこらえるような仕草が興味深かった。それと驚いたのは、鉄弓を頬に押し当てる場面で人形の顔を隠さなかったこと。人形を客席から見えなくなるまで後ろに倒したりせず、ほぼそのままに見せていた。なぜそうしようと思われたのだろう、普通できないことだと思う。

おつぎ〈桐竹勘壽〉は磯之丞・琴浦と話をしつつ魚を焼いているが、その所作の優雅なこと。串に刺した魚を皿から火鉢へ移して炙って、ちょっと裏返して、火鉢に差した火箸が乱れたのをいつのまにか直していて……、普通の所作なんだけどうーん、この普通さがいい。あとは火鉢の仕掛けが細かくて、ちゃんと焼いているときだけ煙が出るようになっていた。しかしおつぎって三婦の年齢からするとなかなか若い奥さんのような気がするが、なんでそうなってるのかは今は断絶している段でわかるようになっているのだろうか? 忠臣蔵の本蔵は奥さん(戸無瀬)が若い理由は一応あるというか、そこが味なポイントになっているよね。三婦はおつぎを奥さんにもらってからおとなしくなったのだろうか?

ここからは義平次・団七の人形遣いはコスチュームチェンジでそれぞれブラウン、オフホワイトの着付にお着替えされていた。玉男さんはいい役でも着付が普通、袴もおしゃれだけど遠目地味のことが多いので、もうけたと思った(?)。

 

 

 

長町裏の段。

ここの何がいいって、義平次が三輪さんなところ。三輪さんここにも出るのーーーーー!?!?!? さっきも出とったやーん!!!! とまず床の配役にビックリした。でも玉男さん義平次はビシッとした上品な下衆ジジイ(?)だったので、三輪さんの声質と義平次のいやらしさの方向性がうまくマッチしていて、「なるほど……」と思った。確かにここの義平次に技量のない人は配役できない。団七より華美にせず、でも的確に。若い人が伸びていくために、こういう部分に回ることができるベテランって人数少ないのではないだろうか、と思わされた。

さすがに人形も見ごたえがあり、面白かった。私、個人的には団七には一切同情できなくて、義平次が団七に言う「一人前にしてやったのは俺だ」的なことはある意味本当で、にもかかわらず義父を殺した団七は、やっぱりこいつはどこかおかしい、ヤバい奴だったんだと思っている。

しかし当たり前だけど勘十郎さんはそうはやってないですね。真正面から同情できるように演じていると思う。織太夫さんもそのようにピュアな方向に語っておられるだろう。でも勘十郎さんってそのピュアさを上回る、役(演技)そのものに対する執念が滲んでますよね。そのせいで余計にヤバいサイコパスに見えるところに計算外の深みが生まれているように思う。私は本当は団七は玉男さんにやって欲しい。その方が団七のピュアな狂気は直球で出るだろう。この複雑な狂気は、勘十郎さんの団七ならではなだなと思う。

 

 

 

田島町団七内の段。

長町裏での一件から7日後、田島町の団七の自宅。お梶が父義平次の墓参りから帰ってくるが、その足取りは重い。息子・市松は祖父を斬った犯人を見つけたら自分が殺してやると言う。それを屏風の内で寝たふりをしながら聞いていた団七は胸が塞がる思いなのだった。そこへ徳兵衛が玉島へ帰るからと暇乞いにやってきて、父を亡くしたばかりのお梶を労う。市松に起こされて出てきた団七に、徳兵衛は一緒に玉島へ行かないかと誘う。団七はお辰に失礼だし船は嫌いだと断るが、徳兵衛とお梶はしきりに玉島へ下ることを勧める。団七はお梶を一喝してさらに断るが、徳兵衛はお梶に茶を頼んで座敷から退かせた上で、懐から山形に丸印の入った雪駄を取り出して見せる。それは自分のものだという団七に、徳兵衛はこれは長町裏で拾ったものだ、だからやはり玉島へ行こうと重ねて誘う。しかしそれは先日祭り見物の際に犬に取られたものだと言いつくろう団七。徳兵衛は、片袖を取り交わした仲でどうしてそんな隠し事をするのか、もしこの雪駄の詮議があれば自分の雪駄も山形に丸印だと言って代わりに引かれようものを、相談してくれればいいのにと涙を落とす。それでも団七は早く玉島へ帰って磯之丞の面倒を頼むと言うのだった。

徳兵衛がどれだけ説得しても団七は口を割ることはせずそのまま奥の間へ入ってしまい、入れ替わりに茶を盆に乗せたお梶が戻ってくる。お梶は帰ろうとする徳兵衛の帷子がほころびているのを見て繕いを申し出る。遠慮する徳兵衛だったが、お梶の押しに負けてついに着物を脱いで彼女に預ける。その繕いをするお梶の顔をじっと見ていた徳兵衛は、突然お梶に不義を仕掛ける。その徳兵衛をお梶が針で刺しまくったりしているところに団七が飛び出てきて彼女の縫っていた帷子を投げつけると、徳兵衛は居直って悪口を叩く。怒った団七と徳兵衛は刀を抜いての喧嘩になるが、そこへ通りかかった三婦が止めに入り、団七に落ち着くように言いつける。団七は思い直して硯箱を取り出し、なにやら一筆。それを三婦に預けてまた奥の間へ入る。お梶が取り上げてみると、それは離縁状だった。泣き沈むお梶は市松とともに戸外へ締め出されるが、実はこれはみな計略で、団七を怒らせて離縁状を受け取っておけば「義父」殺しの重罪を彼がかぶらずに済むだろうとして、示し合わせて芝居を打っていたのだ。

三人が三様に嘆いているところへ捕手の太鼓が鳴り響き、四方を取り囲む人声、足音が聞こえる。徳兵衛は三婦にお梶と市松を預けて身を隠させる。間もなく現れた代官・門脇左膳〈吉田玉路〉に徳兵衛は自分に天下の大罪人・団七を捕らえさせて欲しいと願い出て、十手を預かる。そして屋根へよじ登ると、「とても逃れられない大罪、縄にかかれ」と大声を上げて自分の首にかけていた路銀の束を団七の首に投げかける。そして団七を突き飛ばして玉島で落ち合うことを約束し、団七は彼の恩義に感じ入りながら屋根を飛び移って逃れていくのだった。

最後の場面、すごーい、伊藤大輔監督の『御誂次郎吉格子』みたーいと思った。『御誂次郎吉格子』って初めて観たときは「え? なんであの女はそうも簡単に心から次郎吉(鼠小僧)を逃してやろうと思うの? 逃すと見せかけて背後から刺すだろう普通???」と思って全然意味がわからなかったのだが、その後文楽を観るようになって、何が言いたいかわかるようになった……ということを思い出した。あれが人形なら全部話の意味わかる。いや、実際には伊藤大輔の世界観って浄瑠璃ではなく歌舞伎狂言の世界観だと思うけれど。伊藤大輔に『夏祭』映画化して欲しかった……。

と、それはともかく、そこへ至るまでの前半が恐ろしく長い。上のあらすじのように要約すればイカニモ芝居というイイ話なんだけど、いかんせん浄瑠璃と人形にされると見せ場が全然ない。率直に言ってこれは上演されなくなるわと思った。今回、文司さんが徳兵衛に配役されていたり、ここに文字久さん清介さんが配役されている理由がよくわかった。ちゃんとした人を配役しないと間が持たない、謎の1時間になる。文字久さん本当頑張ってた。あ、でも、お梶に着物を繕っているところで徳兵衛が腹ばいになって肘をつき、足をパタパタさせているのは可愛かった。あとお梶に針でつつかれるところ(珍しく?セクハラに反撃する清十郎さん)。お梶は針仕事のまめまめしい所作も愛らしかった。

最後、団七が屋根から屋根へ飛び移る場面、上手には飛び移らないという手法を取っていた。芝居だから綺麗に飛び移ってもいいところ、リアリティ方向に振ってるのかな。セットがもっと豪華ならともかく普通の書割だし、段切だから余計な情報を乗せず普通に飛び移るのでいいと思ったが……。いろいろ試しておられるのかも。

 

 

 

今回は床の配役がかなり工夫されているように感じて、基本、適材適所、飽きないようにベテランを散りばめつつ、若い方にいいところも任せてと、どの段にも聴きごたえがあるようになっていた。小住さんとか精一杯頑張ってらっしゃったと思う。

人形だと、いちばん最初に書いた通り、やっぱり徳兵衛の筋が一本通っていたのが良かった。上演の仕方もあるけど、その上での人形の配役による感じ方の違いが大きいと思った。ありがとう、文司サン(2回目)。

あとは玉男さんが義平次をどう演じるのか興味あったけど、なるほど、と思った。琴浦を誘拐する場面以前に偽侍に化けて出てくる場面が先にあるからか、ちょっと上品めな雰囲気が活きていた。でもこれは義平次が出てくる場面2箇所で三輪さんが出演してるのもあると思う。あと、沼に放り込まれてからもかなり元気だった。義平次って年寄りだからまわりが甘く見てくれることにつけこむ弱者キャラじじいかと思いきや、わりと強気なアクティブシニアだった。たぶんにんにく卵黄通販してるね(古い)。

そして、半通しにすると、三婦がめっちゃ頻繁に出てくる役ということがわかる。大変な役だ。団七に負けず劣らず、毎回お着替えしてるし。なるほど玉也さんが配役されてるわけだよ、と思った。

 

 


今回も休憩時間には技芸員さんたちが北海道地震への募金活動を行っていた。今回は技芸員さんがいるときに行った(技芸員さんがいないときは募金箱が撤去されていたので)。募金箱にそっとお金を入れたら、和生さんがオフクチャン……っていうか良弁杉の志賀の里に出てくる腰元の人形でそっとおててにぎにぎしてくださった。そして、和生さんの左隣にお立ちになっていた玉男さんがしきりにオフクチャンの着物の袖を直しながら声がけされていて、「いい……」と思った。

「お父さんのfb」こと勘十郎様のfacebookに、オフクチャンと玉男様そして写りのクソ悪い勘十郎様のスリーショット写真が載っていた。自分の写りのいい写真アップすりゃいいのになんでこれを??? 突き抜けた自由な天然オーラを感じる。

 

 

 

おまけ。蝠聚会(ふくじゅかい)に行った。

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蝠聚会というのは三味線さんたちが太夫に回って浄瑠璃を語る会で、普段は大阪でのみやっているらしいが、今年は第20回記念で東京・国立演芸場でも行われた。

今回は『絵本太功記』夕顔棚の段を清志郎さん(三味線・清允さん)、尼ヶ崎の段が3分割で宗助さん(清友さん)・清介さん(清公さん)・燕三さん(燕二郎さん)、『一谷嫩軍記』脇が浜宝引の段を勝平さん・清馗さん・清𠀋さん・友之助さん・清公さん・藤蔵さん(團吾さん)が語っていた。

趣味の発表会的なノリかな?学芸会?と思っていたけど、宗助さん・清介さん・燕三さんのお三方は完全に本MAJI気だった。清介さんと燕三さんは「ワシの考えた尼ヶ崎を語ってやるっ!!!!」って感じで、かなりディティールを作って細かい情景・心の動きまで表現されていた。うまいなーと思ったのが、燕三さんの「雨か涙の潮境、波立騒ぐごとくなり」近辺の部分。泣いているのは光秀だけではないという、場そのものの描写を感じられて、三味線さんならではだなあというか、三味線さんって普段からここまで考えて弾いておられるんだなあということが感じられて興味深かった。言われればたしかにそうなんだけど(人形だってそういう演技してるし)、三味線さんはそういうつもりで弾いているんだ、全然三味線聴けてなかったなあと。あと燕三さんの十次郎はめっちゃ美少女化していた。清介さんは普段からこういうふうにやりたい!と思っておられるんだろうなと感じられた。配役上、清介さんがここを弾く可能性は少ないだろうけど、気持ち的には自分が弾くならこうしたいんだろうなと。そして宗助さんなんですが、あの、宗助さんて普段から義太夫お稽古なさってるんですか????? 本気というか、うますぎじゃないですか?????? 十次郎の述懐とかあまりにうまくて「????????」と思った。あれは負ける太夫さんいるでしょ。三味線清友さんなのでめちゃくちゃ「普通」だし。清友さんに弾いてもらうのずるい。でも宗助さんは語り出しの声量がかなり抑えめで、元気ある子の相手役の調子で弾いていた清友さんが三味線の音量いきなりメチャクチャ下げてきたのには笑いそうになった。おいちゃん普段ぜったいそんな弾き方しないでしょって感じでウケる。清友さんは正式メンバーじゃなくて教官役なのかな? 最後の挨拶にはおみえにならなかった。

お師匠さんの相方として三味線を務めるために、普段からは考えられないほどにランクアップした部分を弾かれたお若い方々、本当に頑張っておられた。そして普段太夫さんに相当気を付けて弾いていると思われる燕三さんが、「師匠に合わせなきゃっ!!!」ってふうに必死に尼ヶ崎の切部分を弾いている燕二郎さんに合わせて語ってる部分があって癒された。燕三さんいまなんか突然伸ばし方おかしかったぞ!?三味線のほうチラ見したよね!?みたいな。

清志郎さんや宝引のみなさんは元気いっぱいに「わーいわーい☆キャピピピピ☆」って感じで楽しげにやっておられてよかった。宝引はほぼ元の詞章通りでしょうか? アレンジがあんまりなかったような気がする。それにしてもあの金的で死ぬ人はかわいそう。

あとおもしろかったのは、みなさん上演中になんかモゾモゾしておられたこと。普段と違う座り方だからおしりやおなかの座りが悪いみたいで、途中で座り方を直してゴソゴソしたり、見台に手をついてウゴウゴしたり。しかも見台に対して微妙にまっすぐ座れてないのがミソ。太夫さんがいっぺん座ったらまず動かないのはベテランの技だったのかと思わされた。

ところで、おみやげでオリジナル手ぬぐいを売っておられたのだが、1枚1000円で「商売っ気がなさすぎでは!?!?!?!」と心配になった。注染の数色使ってある手ぬぐいって普通に買ってももうちょいしますよね。技芸員さんからしてみれば普段お世話になっているお客さん向けの会の要素が強いのでこうなっているのかもしれないが……、次回開催の積立金だと思って2000円くらいにすればいいのに、素直に生きすぎ……と思った。そして休憩時間に買おうと思ったら、燕三さん宗助さん清介さんトリオが店番をしていて、めちゃくちゃ買いにくかった。買ったけど。

最後は出演者全員揃ってのプレゼント抽選会やちょっとしたお話もあり、ほっこりした楽しい時間を過ごさせていただいた。みなさん、すてきな一夜をありがとうございました^^♪(誰とも一切知り合いじゃないのに紛れ込んだヤツの恐ろしく図々しい感想)