TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

麻雀漫画と昭和の日本映画と文楽(人形浄瑠璃)について書くブログ

文楽 4月大阪公演『仮名手本忠臣蔵』大序〜四段目 国立文楽劇場

文楽劇場開場35周年記念ということで、1年をかけて『仮名手本忠臣蔵』をフル上演する企画。

おととし12月に東京で行われた通し上演と違うのは、4月公演で二段目「桃井館力弥使者の段」、11月公演で十一段目「光明寺焼香の段」を出すこと、11月公演の十段目「天川屋の段」は明治時代の朱をもとにした復曲で上演すること。個人的にはおととし出なかった「桃井館力弥使者の段」、「光明寺焼香の段」の上演が嬉しい。あとはいのししが新調されるかどうか。いのしし、いま、展示室に「これからぼたん鍋になるで〜^^」とばかりに横たわっていらっしゃいますけど、ずいぶん薄汚くなってるのねと思ったので……。

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大序 鶴岡兜改めの段〜恋歌の段。

幕が開いた時点で人形が正面を向いてたくさん並んだ状態になっているところ、高師直〈人形役割=桐竹勘十郎〉だけ顎を引いて若干俯いているのが暗示的。ここは黒衣なのだが、やっぱり勘十郎さんて結構動きに特徴があるから、黒衣でもわかるよね(配役を確認せずに来た人)。体の重心の位置の上下が大振りというか……。女方だとそういう動作の人多いけど、立役系の人はあまりやらないと思うので。いや、二枚目の配役がくる立役の人はもっと力強い動作で体の位置を大きく動かす動作をやるか。黒衣だと人形遣い個々の特徴が素人目にもわかりやすくなる気がする。

 

  

二段目 桃井館力弥使者の段

桃井若狭之助の館を、力弥〈吉田玉翔〉が父・塩谷判官から若狭之助への使者として訪問する。本蔵〈吉田玉輝〉から対応を任された戸無瀬〈吉田簑一郎〉は、娘・小浪〈桐竹紋臣〉の力弥への恋心を察し、仮病を使って小浪へ対応を任せる。訪れた力弥は彼女にそっけない素振りだが……という話。

そこまで重厚な意味のある話ではなかったが、道行の小浪・戸無瀬の必死さや、九段目の最後で力弥と小浪を二人にしてあげようよというのがよくわかった。配役は中堅を大幅に起用する思い切ったもの。しかしこの配役で今年ずっとこのまま行けるわけじゃないんだろうな。できれば、とは思うけど……。

小浪は結構細面のかしらを使っているのか、古風な時代劇のお姫様女優風だった。映画会社は東映だな。映画では古風でも古典芸能からするとモダンな佇まい、文楽で見るとけっこう斬新な感じ。衣装や髪飾りも普通のお姫様やあるいは町娘とは違ってその中間というか、ピンクと水色の鞠型のかんざしとか、頭の後ろに挿しているふさふさが可愛かった。徒歩で江戸から京都まで行った上に、ひとんちの門前で首を落とされようとするってガッツありすぎてかなりやばい女かに思える小浪だが、力弥のこととなると慌てはじめる、ちょちょちょっとした動きが普通のお嬢様風で、良かった。

力弥は生真面目さとみずみずしい雰囲気が同居した少年らしい佇まい。ここはまだ少しお坊ちゃんらしくぼーっとしているけど、事件が起こったあとになると、花籠の段の冒頭、幕があいたら立っている、あの立ち姿の凛々しさは良かった。玉翔さんは人形をぐっと体に引きつけて立っていて、もう少し離しているとやわらいだというかこなれた雰囲気になるところ、あの姿勢から力弥と玉翔さんの内心の緊張感が感じられた。

 

  

二段目 本蔵松切の段

松がすごく青々としていた。説明がないので、『増補忠臣蔵』を観ないと松を切る意味がわからん。いや、観てもわからん。

床(三輪さん×清友さん)は昭和の少女漫画風に渋くて良かった。なんかよくわからんけど本蔵がキラキラじじいになっているのが良い。

 

 

三段目 下馬先進物の段

お昼休憩挟んで、ここから人形出遣い。

文司サン、鷺坂伴内に似すぎでは? 素で「文司サンに似せた特製のかしらを誂えたのかな🤔🤔????」と思ったよ。客席全員そう思ったと思う。いや文司サンも伴内も元からそういう顔なのは知ってるんですけど、いくらなんでも完全に一致すぎでは。でもここまで似てるからには、やっぱり特製の新調のかしらなのかもしれない(5時起きで意識が朦朧としてきている人)。とにかく、この世が文楽なら、鷺坂伴内、偽首にされる運命だなというくらい似ていた。時々起こるこの手のミラクル、今回でいうと『祇園祭礼信仰記』の松永鬼藤太役の紋吉さんも相当人形に似ていた。

あとは本蔵役の玉輝さんの思いつめすぎない感、やりすぎない感が良い方向に出ていた。この時点ではまだ重大事件起こってないからね……。

床は小住さんが頑張っておられた。これみよがしな感じでなく、さくっと聴かせるというか、さりげなくやっておられたところが、良かった。

 

 

三段目 腰元おかる文使いの段

伴内や勘平が後ろでこしょこしょやっているという内容自体は面白かったが……。おかる〈吉田一輔〉があまりに何も考えてなさそうすぎに見える。真面目に使者をやっているのか、それとも勘平〈吉田玉佳〉のことを考えて気もそぞろなのか……、もう少し明確にした方がいいと思うが、どうか。おかるが浄瑠璃の設定上何も考えていないことと、舞台で人形が何も考えてないように見えるのは違うと思う。いろんなことが複合した結果、こうなっているのだと思う。

 

 

三段目 殿中刃傷の段

高師直の陰湿で上品ないたぶりが見どころだが、扇子でのあしらいは今回見たものが一番良かったように思う。やりすぎ感がセーブされていた。しかし和生さんの塩谷判官はどう見ても短慮には見えないのであった。茶坊主〈吉田玉路〉が活躍していた。

 

 

三段目 裏門の段

勘平の、人形そのものより、ふたまわりほど大きく弧を描くような動作が良かった。伴内が「そうそう💓」と喋っていた。

睦さんが頑張っておられた。いきなりテンション上げて語りはじめないといけないところに配役されているが、冒頭から緊張感MAXの高めトーンで雰囲気があった。

 

  

四段目 花籠の段

ここから顔世御前の配役が簑助さんに交代。これが奥さんでは大事故を巻き起すわなという感じだった。体の位置(異様な倒し方)とかがかなり特徴的だけど、顔世御前役でここまでクセが強い演技ができるのは簑助さんだけだなと思う。普通の人がここまでやったら批判されるけど、簑助さんは普通ではないので……。

この段が出ると、塩谷判官が生まれつき短気ということがよくわかる。「殿 is 短慮」みたいなことを本人がいないところで言っているのがリアル。それでもみんな塩谷判官が好きで(なんか素直そうだし)、いままではなんとかフォローしてやってきたんだろうね。由良助が江戸家老だったらここまでの大事件に発展しなかっただろうと思う。由良助がいたらまず顔世御前から高師直への返事の文をブロックしていただろう。

 

 

四段目 塩谷判官切腹の段

おととしの東京公演と同じく、「通さん場」を設定していた。東京だとわざわざ言うほどのことではないと思ったが、大阪は確かに上演中に入場する人が多い気がするので、設定の意味があるかも。家中の者でさえ出入りを禁じられているあの空間に入ってきていいのはただひとり、由良助だけ。そんな大名の切腹に同席できる観客は一体何者なのだろう。

塩谷判官は、由良助〈吉田玉男〉が来る前と来た後とで、表情がまったく違うようだった。由良助が来ないうちは、間に合わないだろうとわかっていても、とても悔しそうな、無念そうな表情。心の迷いと切腹の痛み以上の辛さがうかんでいる。ここまでは、彼はあくまでひとりの人間だったのだと思う。しかし、由良助が来てそばへ寄り、思いを伝えたあとは覚悟の決まった意思の強い表情になり、それこそ大名らしい堂々とした最期を遂げる。本当に表情が違うわけではなく、傾け方等のニュアンスなのだと思うけど、雰囲気が伝わってきた。ほかのお客さんも、「やっぱり前のほうの席だと人形の表情がよく見えるわ」と満足そうに語っておられた。この段は何回観ても良いと思った。

由良助が考えていることは、塩谷判官が考えていることと、本当は少し違うんじゃないかと思う。最終的にやろうとすることは同じでも、そこまでの過程が。あの間にたどりついたとき、由良助が本当はなにを思っていたのか。由良助はあまり喋らないので、わからない。塩谷判官は感情と行動を分けられず、由良助は感情と行動を分け通すがゆえに、こういう話になっているのだと思う。

あと私はちゃんと前期に行ったので玉志サンの石堂右馬之丞役を見られてよかったです。ずっとぴんとしててよかったんですけど、上手の下側に降りて切腹を見届けるところ、たぶんぐっと見てるという表現なんだろうけど、首が襟に埋まりすぎで勿体無い。2回見て2回そうしていたので確信的にやっているんだと思うが、個人的にはもう少ししゅっと座って欲しかった。(擬音語多すぎ)

ところでこの段、歌舞伎で上演されるときの配役表を見ると、大鷲文吾とか赤垣源蔵とか義士の名前が載ってることがあるんだけど……、文楽でいうと、あの、ちょっと上等なツメ人形になってる人たちのこと……????? 配役表には「諸士 大ぜい」とだけ書かれているあのツメ人形たちにも実は名前があるのかもしれない。

 

 

四段目 城明け渡しの段

さすがの玉男さんだった。

 

 

 

4時間半かけてのプロローグという感じだった。全体的に端整で慎ましい印象。

それにしても今回の第一部、かなり客が入っていた。2回観た両方ほぼ満席で、補助席を出していた。休憩時間の男子お手洗いの列が長蛇になっているところを見ると、男性客が増加しているのだろうか。お昼休憩にロビーでお弁当を食べていたら、うしろに座っていた初めて文楽を観に来たらしい中年男性二人組が「あの人たち、無事討ち入りできるのかな……💓」とお人形さんたちを心配されていた。11月までぜひ通っていただきたいと思った。文楽には討ち入りの場面はないけど、わたしたちの観ていないところで、しますので……。

年間三分割については、この入り方を見ると上演方向を探る意味があったんだろうなと思う。そりゃ1日でやるのが一番いいと思うけど、本当に通し狂言にしたとしても本当に丸1日通しで見にくる客はそんなにいないんじゃないか。1日でやろうがやらなかろうが、大半の客からすると実は関係ないだろうなと思う。1部2部を別日に観るとすると、1ヶ月に2回観に行くことになる。初見のお客さんや文楽に思い入れのないお客さんはなかなかそこまでできない。年間通して3回行けばOKなら、気軽に見始められる。私は、まる1日の通し狂言は、「たまに」のスペシャルイベント扱いでいいと思う。今回のやりかたで潜在層を発掘して、今後丸1日の通し狂言ができるよう、文楽劇場には頑張ってもらいたいと思う。だから第二部の見取りはやめて欲しい。もとからいない客は見取りにしたからって来るわけないんで(暴言)。

 

そういえば、昨年末、玉男様とめぐる忠臣蔵の史跡バスツアーに行った。泉岳寺吉良上野介邸跡に行くというツアーだったんだけど、参加者が自由にうろうろする中、玉男様は添乗員のように同行していて、町内会の慰安旅行状態でとても味わいがあった。今回、泉岳寺内の有料の記念館2箇所も見てみたんだけど、木像が置いてあるほうのとこが良かったですね、薄暗くて寒くて狭くて。どうもいかがわしいものは撤去しちゃったみたいだが、絶対嘘だろっていう謎の遺物を山盛り置いといて欲しかった。(「忠兵衛手植えの蘇鉄」とかそういうのがとても好き)

そのときの忠臣蔵についての玉男様コメント

  • 高師直は2回くらいやったことがある
  • 力弥は当たったことがない
  • 塩谷判官は2017年6月大阪鑑賞教室公演が初役
  • 若い頃、平右衛門役を由良助役の前にできたことが勉強になった

吉良上野介 with 玉男様*1

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おまけ

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いまからおよそ60年前にとられた、「『仮名手本忠臣蔵』(歌舞伎)を見るのは何回めか?」というアンケートの結果。1958年(昭和33年)の『演劇界』5月号に掲載されたもので、同年3月、新橋演舞場での『仮名手本忠臣蔵』通し上演(大序・三・四・道行・五・六・七・十一段目)でとられたもの。塩谷判官=歌右衛門、由良之助=八代目幸四郎という公演だったらしい。若い回答者がずいぶん多いなと思うけど、調査したのが日本女子大歌舞伎同好会ということで、若めの人からの回収率がよかったのかな……?

ちなみに好きな場ランキングは、1位・祇園一力の場、2位・塩谷館判官切腹の場、3位・殿中刃傷の場、4位・勘平腹切の場、5位・道行旅路の花聟、6位・高家討入りだったとのこと。文楽で取ったらどうなるかしらん。

このアンケートで、『忠臣蔵』が親しまれている理由として、80%の人が「日本人の主君に対する忠義の誇り」と回答したと書かれている。忠臣蔵についての自由回答らしき部分でも、否定にせよ肯定にせよ「忠義とは〜」「忠義の美が〜」というような回答が多いようだった。歌舞伎では九段目をあまりやらないと聞いたことがあるが、文楽とは解釈や観客の受け取り方が違うのかなと感じた。

 

 

 

 

*1:親孝行✌️でお義父さん👴を旅行に連れていきました✨お義父さんもとっても🙌喜んでくれました☺️みたいな写真になっていますが、実際には周囲に玉男様ガチ恋勢のみなさんがわっさりいます。あと早大児玉竜一センセイもレクチャー講師として同行されていました。

映画の文楽4 内田吐夢監督『浪花の恋の物語』2:ふたつの「新口村」

*第1回の記事はこちら

 

あの有名な「新口村」……と言われても、古典芸能が好きな人以外には通じないと思う。なので、まず、文楽人形浄瑠璃)で「新口村」と呼ばれている演目について説明したい。

「新口村」が何かというのは、文楽や歌舞伎を観る人なら誰もが知っていることではあるんだけど、観ない人にはわからない、つまり、観ていなかったころの自分は知らなかったこと。そのため、今回この記事を書くためにあらためて調べ直したことを含め、細かめに解説を書いておきたいと思う。

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┃ 「新口村」とは

映画公開当時も含めて、現在、文楽で一般に通称「新口村」と呼ばれている演目は、後世(近松没後)につくられた『冥途の飛脚』の改作『傾城恋飛脚』の「新口村の段」のことだ。

『傾城恋飛脚』は、『冥途の飛脚』(正徳元年(1711)以前の初演)からおよそ62年以上もの後、菅専助・若竹笛躬の合作で安永2年(1773)12月に初演された人形浄瑠璃。『冥途の飛脚』から事件の概要、登場人物、ストーリーの骨子・展開を大幅に流用し、そのうえでめちゃくちゃコッテリした味をつけたような内容。原作がおだしでさっぱり仕上げた明石焼きだとしたら、こちらは濃厚ソースとマヨネーズ、それにかつぶしも青のりもいっぱいかけた、ソースたこやきって感じ。

場面構成は『冥途の飛脚』のそれに対応していて、大枠の内容は相似性が高い。「新口村の段」は、このうち最後の場面にあたる。

以下に、文楽現行の『傾城恋飛脚』「新口村の段」の概要を解説する。ここに至る前提は基本的に映画と同じなので、そのまま読んでいただけると思う。(アンダーライン箇所が『浪花の恋の物語』に使用されている部分)

「新口村の段」文楽現行

忠兵衛の親里・大和の新口村には、田舎に似合わない季節候(門付け)や古手買いが姿を見せていた。彼らの正体は、忠兵衛を探す追手だった。

そんな中、忠兵衛は梅川を伴い、実父・孫右衛門と縁故のある忠三郎という男の家を訪ねる。しかし忠三郎はあいにく留守で、最近この村へ来たばかりというその女房が対応に出る。忠三郎の女房は目の前にいる男が忠兵衛とも知らず、「封印切をして傾城を買い逐電したという孫右衛門の息子」の噂、この村にも追っ手が迫っている話をまくしたてる。忠兵衛は彼女に外出中の忠三郎を呼びに行ってくれるように頼み、梅川とともに留守を預かることにする。

忠三郎の家の中から二人が往来を眺めていると、忠兵衛にとっては懐かしい村人たちが通りすぎていく。そして、その中に父・孫右衛門がこちらへ歩いてくる姿を見つける。忠兵衛は養家への義理から孫右衛門の前に出ることはできず、その姿を拝むのみ。しかしそのとき、孫右衛門が足を滑らせて転んでしまう。出るに出られない忠兵衛、梅川は思わず走り出て、孫右衛門を抱き起こし、忠三郎宅の上がり口へかけさせて介抱する。持っていた懐紙で下駄の鼻緒を直してくれる梅川を不思議な思いで見ていた孫右衛門だったが、身なりや様子から彼女が息子・忠兵衛が連れて逃げたという遊女だと気付く。

孫右衛門はそれなら忠兵衛もすぐそばにいるだろうと考えるが、何も知らぬふりをして、不肖の息子の噂、養子に出して縁を切っていたことを慧眼と言われることの辛さ、それでも、身請けのために金がいるのなら養家へは黙って相談してくれればよかったのにと心境を語り、嘆き悲しむ。孫右衛門はせめて二人を少しでも遠くへと逃がそうと、「先ほどの介抱のお礼」という建前で梅川へ金を渡す。自らのせいで愛する忠兵衛を咎人にして、追われる身にしてしまったことを孫右衛門へ告白する梅川。孫右衛門は忠兵衛ともう一度会いたいと思うものの、忠兵衛はお上に追われ、それをおびき出すために義母妙閑は牢に入れられている状況。もし実の父である自分が会ってしまえば、みずからが訴人しなくては義理が立たない状況であり、そんなことは出来ない孫右衛門は忠兵衛に会うことを頑なに拒む。梅川はそれを憐れみ、「顔を見なければ許されるだろう」として、持っていた手ぬぐいで孫右衛門に目隠しをする。忠兵衛は孫右衛門の前に飛び出し、親子は手を取り合って再会を喜ぶ。

しかしそのとき、多くの人の足音が聞こえ、孫右衛門はこの家に追っ手が迫っていることに気づく。捕手たちが周囲に迫りくる中、孫右衛門は二人を裏口へ押しやる。そのとき偶然にも捕手の頭に「梅川忠兵衛」が捕まったという知らせが入り、捕手たちは道を引き返していく。老父は足元に気をつけよと叫びつつ、小さくなっていく二人の影を見送るのだった。

養子先への義理から、それぞれ実父・息子に顔を合わせることができない忠兵衛・孫右衛門の葛藤を描く内容で、特に、いくら義理に苛まれていても実の息子への気持ちを捨てることができない孫右衛門の感情吐露(それもあくまで義理立てして語る)が物語の中心になっている。孫右衛門は義理を立て続けようとしつつも、最終的には人間らしい感情、言い換えると一種の弱さが勝ち(それが物語上肯定され)、最後にごくわずかな時間だけ、忠兵衛へ会うことができる。

映画に使用されている梅川のクドキ*1、「めんない千鳥」と呼ばれる目隠しをしての再会*2は、「新口村」の中でも見せ場。映画に取り込まれているのも理解できる名場面である。

しかし、近松作の『冥途の飛脚』にも物語の最後に、名前もそのまま「新口村の段」という、忠兵衛が梅川とともに故郷新口村の父に会いにいく段は存在している。ならば、この映画のクライマックスはなぜ近松原作の「新口村」の人形浄瑠璃にしなかったのだろうか。

 

 


人形浄瑠璃『冥途の飛脚』『傾城恋飛脚』の上演史

ここまでのドラマパートが『冥途の飛脚』準拠であるにも関わらず、クライマックスの人形浄瑠璃がなぜ『傾城恋飛脚』なのか? この構成そのものについては、公開当時の文楽の上演状況を知っている人だと「まあそれもあるんでは」と感じるのではないか。

なぜなら、当時は文楽でもそういう上演のしかたをしていたから。

は?と思われるかもしれないが、『冥途の飛脚』と銘打っておきながら、『冥途の飛脚』の結末「新口村の段」を『傾城恋飛脚』の結末「新口村の段」に差し替えて上演するという形態は、かつての文楽では時折行われていた。

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※注:段名表記は時代により異なるが、現行に揃えて表記する。

歌舞伎ではこのような上演はされないので気づきにくいが、文楽ではかなり長いあいだ、慣例的にこの方式の上演が行われていた。もっとも、最近ではこの上演方式はとられていないため近年のファンは知らず、私もこの事実は文楽を観慣れてきてから知ったことだった。

そのため、この映画に対して、作品への事実誤認があるとか、逆に、まったく違う作品同士を組み合わせる卓抜な発想であるとかは、ちょっと違う。

はい、以上、疑問解決!!!!!!!!!!!

……となるところなのだが、今回はもう少しよく考えてみたい。そもそも、こういう上演形態になっていったのはいつからで、どういう経緯をたどってのことなのだろうか。この状況に至った経緯を確認するには、人形浄瑠璃での『冥途の飛脚』および『傾城恋飛脚』の上演史を振り返る必要がある。

そこで、国立劇場が発行する上演資料集をベースに『義太夫年表』等を使い、『冥途の飛脚』初演から現代に至るまでの上演の記録を調べてみることにした。

 

 

伝承形態

文楽人形浄瑠璃)は伝統芸能なので、初演当時からすべての演目がしっかり原型そのまま脈々と伝承されているかのように思われるかもしれないが、実はそうではない。廃曲(伝承されなかった作品)も多いし、現在に残っている曲であっても、すべての作品が初演当時のままで残っているわけではなく、断絶からの復活、別の作者による改作の混入、部分的にカットしての上演など、さまざまな加工が行われていることがある。また、たとえば人形が一人遣いから三人遣いへ移行する、三味線の演奏技法が発展するなど、人形浄瑠璃という芸能そのものの技術発達による変更点も発生している。つまり、必ずしも現行曲は初演の原型そのままに上演されているとは限らない。

『冥途の飛脚』をはじめとする近松の世話物に関しては特に注意が必要で、長い時間の流れによって上演と断絶、復活と改作が大変複雑に入り組んだ状態になっている。極端な例を挙げると、現代の文楽でもっとも有名であろう演目『曾根崎心中』は、本来は初演後すぐに断絶し、戦後になって復活されたものだ。なので、『曾根崎心中』は本当は「伝統的な演目」ではない。現行で上演されているものは初演時を復元して復活しているわけではなく、当時の方針等によってカット・改変を行なっている。これもまたいまとなっては一般には知られていない情報になってしまっていると思う。

 

初演・改作・復活の過程

そんな中、『冥途の飛脚』は江戸時代から伝承されている曲だ。とはいえ、厳密には『冥途の飛脚』は初演当時から絶えることなく脈々と受け継がれてきたというわけではない。この曲は、初演(正徳元年(1711)以前)の後はほとんど再演の記録がなく、一旦断絶する。*3

正徳3年(1713)、人形浄瑠璃で改作『傾城三度笠』が上演。作者は紀海音で、登場人物は『冥途の飛脚』から取られている部分が多いが、この段階で話はかなり盛られている。忠兵衛が封印切りを確信的に行うこと、友人の性格等の設定が大きく異なり、ほぼ別物のように思う。この演目の再演記録はない。

近松死没・紀海音引退後、合作制が確立した発展の時代を経て、延享・寛延期 1744-50 に人形浄瑠璃は全盛期を迎える。現在に残る人形浄瑠璃の代表作『夏祭浪花鑑』『菅原伝授手習鑑』『義経千本桜』『仮名手本忠臣蔵』等の初演はこのころ)

宝暦7年(1757)、歌舞伎『恋飛脚大和往来』が上演される*4。これは大変な好評を博して繰り返し再演され、「新町封印切の段」は上方和事の代表演目になるまでに人気を得る。

(宝暦〜天明期 1751-88 は、作者として竹本座には近松半二、豊竹座には菅専助が登場。人形浄瑠璃の技巧発展全盛期を迎える。この時代の代表作は『本朝廿四孝』『妹背山女庭訓』『伊賀越道中双六』『桂川連理柵』など)

安永2年(1773)改作『傾城恋飛脚』が上演される。『冥途の飛脚』原作からはおよそ62年以上経っての改作だが、これは歌舞伎『恋飛脚大和往来』等の人気を受けてのこと。「新口村の段」は大変な好評を得て、以降、それのみでの単独上演が見られるようになる。

(寛政期以降 1789- は人形浄瑠璃業界の風潮が変わり、新作上演より芸の練磨・伝承が重視されるようになって、再演が多くなる)

寛政6年(1794)、歌舞伎『恋飛脚大和往来』の人気を受けて、改作『傾城恋飛脚』の全段通し上演が行われる。

文化2年(1805)、四世竹本染太夫により、原作『冥途の飛脚』の中の巻「新町の段」(現行「封印切の段」)が復活。そして文政3年(1820)、おなじく四世竹本染太夫によって上の巻「飛脚屋の段」(現行「淡路町の段」)が復活。これに復活済みの「封印切の段」、そして「新口村の段」(おそらく『傾城恋飛脚』)を加えた通し上演が行われた。

これ以降、原作『冥途の飛脚』「淡路町の段」「封印切の段」は、今日まで断続的に上演され続けることになる。ここから、『冥途の飛脚』「淡路町の段」「封印切の段」→『傾城恋飛脚』「新口村の段」という原作・改作混在の通し上演の形態がはじまったようだ。

また、この原作復活は好評を得て、天保年間(1830-1843)には原作「淡路町の段(飛脚屋の段)」「封印切の段(新町の段)」の一般向け稽古本も刊行されたらしい。

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「原作・改作を混在させて通し上演する」という状況は、勝手なイメージでなんとなくもっと近年始まったことかと思っていたが、1820年からその状態なら、もう、むしろそれが伝統的だよね……。

このような混在通し上演が多かったのは戦前まで(特に明治期)のようだ。昭和期に入ると、混在通し上演であっても改作「新口村の段」の段名表記を「大和往来新口村」としたりして、別の狂言だとわかるよう区別されていることもある。また逆に、1日で『冥途の飛脚』「淡路町の段」「封印切の段」→『傾城恋飛脚』「新口村の段」の通しを行わず、演目入れ替え(二の替わり等)で公演前半と後半に分離させるなど、ワンセットであることを示唆しつつ区別をつけた上演もみられた。

こうして上演状況を確認していくうち、改作「新口村の段」の見取り上演の頻度の高さに驚いた。特に文楽協会設立以前(昭和30年代まで)の「新口村」の上演頻度はかなり高い。私はいままで改作の「新口村の段」は原作のオマケみたいな感覚で観ていたけれど、実際にはかつては『冥途の飛脚』自体よりも『傾城恋飛脚』の「新口村の段」のほうが有名だったのだろう。

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※注:『國文学 解釈と教材の研究』2000年2月号掲載「文楽で聴く近松心中天網島・冥途の飛脚・心中宵庚申−」の論考では、改作「封印切の段(新町の段)」は文政の原作復活以降すたれたとみなされている。*5

 

しかし、『冥途の飛脚』と『傾城恋飛脚』は同じ話の書き換え・同一構成ではあるものの、実は主要登場人物の性格設定に大きく異なる点がある。『冥途の飛脚』「淡路町の段」「封印切の段」→『傾城恋飛脚』「新口村の段」と続けて上演したときには話がつながらなくなって観客の混乱を招く。そのため、現在の文楽本公演では『冥途の飛脚』と『傾城恋飛脚』は必ず別立てで上演を行うようになっている。

この「くっつけたときに話のつじつまが合わなくなる」は、この映画を読み解く重要なヒントになると私は考えている。

 

外題表記の混乱

こういった原作・改作混在の通し上演に加えてややこしいのは、外題(上演演目名)表記の混乱だ。原作の『冥途の飛脚』という外題は、文政の復活上演依頼、長い間使われなかった。大正中期までは『傾城恋飛脚』『恋飛脚大和往来』の外題を使いながら、実際には原作『冥途の飛脚』「淡路町の段」「封印切の段」『傾城恋飛脚』「新口村の段」を上演しているという状況が続いていた。

このような慣例記載について、当時の観客がなんとも思っていなかったかというと必ずしもそうではなかったようで、『浪花名物 浄瑠璃雑誌』大正3年(1914)10月号に掲載されている同年9月の文楽座9月興行劇評には以下のように書かれているので、当時からマニアは切れていたようだ。この公演も『恋飛脚大和往来』という外題で、実際には『冥途の飛脚』「淡路町の段」「封印切の段」→『傾城恋飛脚』「新口村の段」の原作改作混在通し上演を行なっていた。

(前略)併し殊に可笑しきは番付口上近松研究の第二回として冥途の飛脚を上場いたし相演じ云々と麗々しく書立てたるにも拘らず外題表には恋飛脚大和往来とあり、為に一見世の近松研究者を蔑視したるかの感あり、斯る大矛盾に気の付かざる筈はなけれども(以下、文楽座の興行体制についてぶち切れ続ける。文楽座は斯界の「最高学府」にも関わらずこのようなことを平気でしているのは嘆かわしくお先真っ暗等、痛いヲタ独特の長文が延々と……)

『冥途の飛脚』という外題が復活されたのは、大正9年(1920)9月。しかし、これはすぐに定着したわけではなく、その後も『恋飛脚大和往来』『傾城恋飛脚』の外題での上演も行われ続けた。

現在の文楽本公演では、かならず『冥途の飛脚』の外題で上演している。しかし、文楽劇場開場(1984)以前、すなわち朝日座時代の大阪公演では、内容は『冥途の飛脚』であっても、『傾城恋飛脚』という外題で上演していた(東京公演では同時期であっても必ず『冥途の飛脚』)。理由がよくわからないが、上方演劇界の慣例を踏襲していたのだろうか……。文楽劇場開場後は、東京公演・大阪公演とも『冥途の飛脚』で統一されている。*6

 

 

 

以上が『冥途の飛脚』『傾城恋飛脚』をめぐる人形浄瑠璃の上演史。

各段の原作・改作の錯綜は、予想していた以上に複雑な状況だった。文楽現行曲の各作品の上演史というのは基本的には国立劇場が刊行している上演資料集を参照すれば江戸時代の初演からの歴史が詳細に載っている。これがもっとも手軽な調べ方だ。が、今回、『冥途の飛脚』『傾城恋飛脚』の上演資料集を見てみたところ、両者で記載が曖昧に混在していた。調べたら、両作がどのように上演されてきたのかの研究整理は遅れており、いつ・どっちの・どの段が舞台にかけられていたのかが整理確認されてきたのは近年のことらしい。人形浄瑠璃は歌舞伎・能楽に比べ研究が相当少ないというのは知っていたが、近松ものの有名作さえ、ここまで基礎的な情報整理すらされていなかったんだと驚いた。

以上の上演状況の変遷確認は、『國文学 解釈と教材の研究』(2000年2月号/学燈社)掲載の内山美樹子「文楽で聴く近松心中天網島・冥途の飛脚・心中宵庚申−」を参考にしつつ、上演資料集の記録をベースに『義太夫年表』各巻の番付(人形配役等)で検証した。*7

 

クライマックスの「新口村」が原作でない理由は、改作のほうが人気があるからそうしたというのではなく、率直には原作は廃曲だからだろう。原作の文章だけでも残っているならそれをもとに曲をつけて新しく作ればいいではないかと思われるかもしれないが、人形浄瑠璃の復曲というのは莫大な労力がかかる作業。原作の研究、作曲、人形の振り付け等を起こして実際に舞台にかけるまでは数年の時間と多大な労力を要する。仮に映画制作側からどうしても『冥途の飛脚』の「新口村の段」でやりたいという強い要望があったとしても、この映画のみのために短期間で(かつ、当時の文楽座三和会の体力で)すぐにそれを実現することは難しかっただろう。国立劇場系列はたまに古い演目を復曲するが、『冥途の飛脚』「新口村の段」の復曲は行われていない。(なぜ復曲しないのかは、国立劇場系列が刊行しているパンフレットを読むとなんとなくわかる)

しかし、近松原作を重視して、原作通り(原作をトレースした内容)の映画にしたいなら、脚本として近松の作劇術を謳うようなオチにしなければいい、あるいはラストシーンに人形浄瑠璃を使わなければいいはずだ。にもかかわらず、この映画はどうしてこのような混在形式になっているのだろう。

私は逆に、『冥途の飛脚』「淡路町の段」「封印切の段」→『傾城恋飛脚』「新口村の段」という原作改作混在の「通し上演」を映画化すること自体がこの映画の趣旨だったのではないかと考えている。むかしは、観客も出演者も両者が別物と認識しつつ、“梅忠もの”という大括りの「ジャンル」でこの二つの作品を理解していたのだと思う。ただ、観客はどのように「同じもの」「別物」と認識していたのか? 相当もやっとしていたのではないか。私は、それがこの映画の構成に影響を与えているのではないかと感じている。

 

その理由を述べる前に、もうひとつ気になっていることがある。それは、この人形浄瑠璃「新口村」での人形の演技が、現行の文楽公演と異なっていることだ。(つづく)

  

 

 

TIPS. 2 歌舞伎での上演状況

歌舞伎での改作『恋飛脚大和往来』は、「生玉の場」「亀屋の場」「新町揚屋の場」「新口村の場」で構成されており、このうち現在まで残っているのは「新町揚屋の場」「新口村の場」のみとなっている(「新口村の場」の前に道行がつく等の方式もあり)。

各場面での構成は『冥途の飛脚』に対応していて、「新町揚屋の場」は『冥途の飛脚』「封印切の段」、「新口村の場」は「新口村の段」に相当する。ただし、『傾城恋飛脚』と同じくかなりの脚色(類型化)が行われており、主要登場人物の性格が大きく異なっていたり、忠兵衛の封印切に正当性をもたせる演出をする場合があったりで、原作からの乖離は相当著しい。というか、歌舞伎の場合、それどころではすまない破天荒なことが起こっていたりするんですが……。

現在、舞台にかかる場合は、「新口村の場」のみで見取り上演される場合が大変に多い。ほか、「新町揚屋の場」のみの見取り上演、「新町揚屋の場」「新口村の場」で通し上演をする場合もある。

*原作『冥途の飛脚』の歌舞伎上演は明治以降。

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┃ 参考文献

*1:人形浄瑠璃で、女性登場人物が心情を述懐すること。女性登場人物が悲しみ等で心情が昂ぶらせる場面ではこのような「クドキ」が入る。歌うような節付けと舞踊的な振り付けを伴い、女方の人形にとっても派手な見せ場となる。

*2:浄瑠璃の詞章に「めんない千鳥」とあることから、孫右衛門が目隠しをして忠兵衛と手探りで再会する部分をこう呼ぶ。歌舞伎ではよく使われる用語のようだが、現代の文楽では特段言われないかも。「めんない千鳥」とは、京阪において目隠しをして逃げた子を捕らえる子どもの遊びをいう。

*3:一度だけある記録は番付等ではなく、『音曲猿口轡』記事によるもの。

*4:現存最古の台本は寛政8年(1796)。初演記録は歌舞伎年表による。ただし初演時の内容が現行と同じかというと違うらしい。

*5:ここで若干気になるのが、内山美樹子氏の考証では

改作「新町」が廃れたかとみなされる根拠の一つは、番付の人形役割に改作「新町」で活躍する槌家次右衛門の名が全く見えないことである

※引用者注:槌屋次右衛門=梅川の親方。梅川の忠兵衛への思いに理解を示し、まわりがギャンギャン騒いでも他人に身請けされないよう配慮してくれるイイ人。

と書かれているにも関わらず、『義太夫年表』明治篇・大正篇の番付には槌家次右衛門ほか、改作の封印切にのみ登場する役の人形配役がついていること(徳川期は人形配役表記なしの番付も多く、役の有無が判定できない)。表記があるのに「全く見えない」とまで断言されているのは、義太夫年表が間違えているかな(私が見ているものの版が古いのかな?国立劇場の図書室のと国会図書館のを使ってるんだけど)。それとは別に役名の揺れとして、原作の太鼓持ち伍兵衛など茶屋にいる脇役男性を指さないとも限らないというのはわかるが、少なくとも下記のうち大正9年と13年は同時に伍兵衛の配役もついているので……。昔の人形浄瑠璃、役名が一定しないのでなんとも言えませんが……(ほかにもイレギュラーとしては、歌舞伎『恋飛脚大和往来』にしか登場しない「槌屋おえん」役の人形配役がついている公演もある。おそらくこれは原作の花車のことを指してこの役名にしているか)。

  • 明治39(1909)4月・御霊文楽座『恋飛脚大和往来』(淡路町+封印切+新口村の通し)→「槌屋次右衛門」「判人由兵衛(改作・封印切にのみ登場する身請けの仲介人。端的に言ってせこい女衒)
  • 大正9年(1920)9月・御霊文楽座『冥途の飛脚』(同通し)→「槌家次右衛門 ※これは主役格を遣うような格の高い人形遣い(吉田辰五郎)が配役されているので、素人目には改作の可能性がある気がしますが……。」「判人由兵衛」
  • 大正13年(1924)2月・御霊文楽座『冥途の飛脚』(同通し)→「槌屋次右衛門」

仮にこれらが改作ではなく原作だとすると、改作「封印切の段(新町の段)」の最後の上演は、もっとも早くて文化13年(1816)にまで遡るかも。

また、同論考での改作「封印切の段」廃曲の根拠として、安政2年(1855)、慶応2年(1866)、明治22年(1889)に行われた改作「淡路町の段」+「新口村の段」通しという、「封印切の段」を抜いた特殊な上演方法に着目している。※改作であるか否かは推測。明治22年(1889)は『傾城恋飛脚』にのみ登場するおすわ(妙閑の姪で忠兵衛の許嫁)、梅川忠兵衛(梅川の兄)の役が人形配役に見られるので、まず改作と思われる。

*6:国立劇場国立文楽劇場は基本的に正本準拠で外題表記を行う。そのため、民間公演とは表記が異なる場合もある。

*7:この手法は一般図書館でもできるようないちばん手軽な手段なので、素人が判定できることは限られているけど……。検証していると上演資料集と義太夫年表で齟齬のある点がみられ、より細かい調査をするなら相当大変だと思った。それにしても上演資料集は「文楽座の忘年会でやりました💓」とかまで載ってるんですね……。師匠主催の勉強会@師匠ハウスはまだわかるけど(上演劇場の表記が突然の個人宅)。関係ないけど義太夫年表の新刊は今秋に出るらしいです。

映画の文楽4 内田吐夢監督『浪花の恋の物語』1:クライマックスへの疑問

内田吐夢監督の映画に、『浪花の恋の物語』(昭和34年(1959)9月公開)という作品がある。内田吐夢は『妖刀物語 花の吉原百人斬り』『恋や恋なすな恋』など何本かの古典芸能原作の映画を撮っているが、『浪花の恋の物語』はそのうち人形浄瑠璃を原作・題材としている作品だ。また同時に、当時の人形浄瑠璃の芝居小屋(竹本座)の内幕を舞台としていることも興味深い。

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私、この映画、文楽がどうこう以前に、映画として大好きなんですよね。東映京都撮影所というインフラがあり、時間もお金もかけて映画が制作されていた頃の密度の高い大作時代劇だし、俳優陣のパフォーマンスもきわめて高い。監督としても映画会社(東映)としても、また、歌舞伎出身である主演俳優(中村錦之助)も力を入れた企画であると思う。

しかし、この映画に対して「ヘンだなあ」と思っていることがある。それは普通に映画を観ていただけのときには気付かなかったのだが、文楽を観るようになってから「なぜそんなヘンなことになっているのか」とだんだん疑問が大きくなってきた。私が抱いている疑問の答えを知っている人はいると思うし、当時の関係者に聞けばわかることだろう。しかし、今回は自分のできる範囲で、文楽人形浄瑠璃)という切り口から疑問解決へのアプローチをしてみたいと思う。

今回の記事は長くなるため、記事を何度かに分けて書いてみたいと思う。まず第一回目の今回は、『浪花の恋の物語』の内容を振り返り、その疑問点について書く。

 

 

 

┃ 『浪花の恋の物語』の概要

本作『浪花の恋の物語』は、江戸時代の大坂、正月、『曽根崎心中』の大ヒットから時が経ち、有力な太夫筑後掾(竹本義太夫)の逝去によって再び閑古鳥が鳴くようになった人形浄瑠璃の芝居小屋「竹本座」を舞台にしている。桟敷で見物していた小豆島のお大尽(東野英治郎)は、客入りの悪さから浄瑠璃作者の近松門左衛門片岡千恵蔵)を呼び出そうとしている。お大尽は竹本座を贔屓にしており、商売になるなら金主になってやってもいいと考えているらしく、金に困っている竹本座の座主たちはこのお大尽を厚遇していた。一方、小屋の平土間のいちばんうしろで舞台を見ていた近松は、客入りには芝居の内容が重要であると考えているのだった。

そんな竹本座へ、ひとりの若い男がやってくる。桟敷で見物している飛脚屋、亀屋の後家・妙閑(田中絹代)と娘・おとく(花園ひろみ)のもとへ弁当を届けにきたのである。その男は、亀屋の養子・忠兵衛(中村錦之助)であった。青白い顔をした優男だ。おとくは兄も一緒に見ていけばと提案するが、妙閑はそれを許さない。忠兵衛は江戸から届ける金子を持っていた飛脚が「封印切」をしたこと、そのために近隣の組合に加入する飛脚屋が役人に集められる寄り合いがあることを話して帰っていく。

と、ここまで見ると、この映画が浄瑠璃『冥途の飛脚』を下敷きにしていることがわかる。

この映画には、梅川(有馬稲子)と忠兵衛の出会い、そしてその結末までが描かれている。二人は『冥途の飛脚』そのままの運命をたどる。これを見ているのが近松門左衛門だ。ただし、近松はあくまで傍観者であり、二人に干渉することはない。ただ偶然、そこに居合わせ続けるだけだ。

おもしろいのは、この映画の「結末」。長くなるが、この稿で私が語りたいことはすべてここからはじまるので、順を追って解説する。

 

 

 

┃ 封印切の果てと近松の作劇

忠兵衛は小豆島のお大尽が梅川を身請けしようとするその仮祝言の満座の中で封印を切ってしまう。封印切は大罪だ。とくに私欲のために武家の金に手をつけたとあっては獄門は免れない。梅川の主人である槌屋の親方はそれを通報し、その夜のうちに亀屋妙閑は引っ立てられる。

翌朝。道頓堀の町には封印切の瓦版が出回り、竹本座の楽屋もその噂で持ちきりだ。しかし近松は無言で大雪の中を帰宅して机に向かい、当人たちばかりではなく、彼らを心配しているであろう親の心中を案じる。

ここで画面が切り替わる。雪の中、山狩りをする役人や捕手衆の姿。田舎道の片庇の小さな小屋に、粗末な姿で身を寄せ合う忠兵衛と梅川。*1忠兵衛が貧しい民家の木戸を開けると、中ではみずぼらしいなりの老婆がうずくまって苦しんでいる。忠兵衛と梅川は驚いて老婆を介抱するが、追っ手の足音が聞こえ、思わず家の奥へ隠れる。役人たちが去った後、梅川は老婆を母に似ていると言って背中をさすってやる。それを見た忠兵衛は梅川を呼び、ここで別れようと言い出す。槌屋で切った封印の正体はやはり武家の急用金であり、自らの行く末は諦めているゆえ、梅川は京都の母に会ってから訴え出れば無事にもとの勤めに帰れるだろうと言う。しかし梅川はその口を塞ぎ、それは薄々知っていたことだと言う。忠兵衛が新口村の父に会いに行ったあと、自害するだろうと見抜いていたのだ。逃げて逃げ抜いて、どこまでもついて行きたいと。忠兵衛はひたすら梅川を抱きしめるのだった。

画面が切り替わり、ふたたび大坂の近松の自室。竹本座の座本・竹田出雲が訪ねてきて、もうすぐ初日だからと次の芝居の台本の進行を問うてくる。あの一件をありのままに書き、封印切を見せ場として寂しい道行をつけ、「御用だ」でしめれば芝居ができると言うのだ。しかし近松は「あったことを土台にして、情(じょう)を写さななりまへんのや」と返し、槌屋で執筆するとして再び出かける。槌屋にやって来た近松が梅川の可愛がっていた下働きの少女と話していると、梅川と忠兵衛が忠兵衛の故郷・新口村の入り口で捕まったという知らせが入ってくる。やはり親里へ向かっていたのか……、近松は筆を握りながら、「人間やもん、間違いすることもあるやろ。男かわいそうには獄門、女は二度の勤め。ほんまはそうなるやもしれへん。が、わしの筆はそこまで不人情にはなれへん。舞台の上では……」とつぶやく。

ここで突然柝の音が入って画面が切り替わり、真っ暗な背景の中、揃いの黒の着付の忠兵衛と梅川が姿をみせる。「〽落人のためかや今は冬枯れて……」と清元が入ってくる。傘を差し、舞踊的な足取り・所作の二人。白粉と紅でうつくしく化粧された顔。その足元、行く先に見えるのはまっすぐな白い道、これは花道だ。バックの暗幕が落ちると、そこは本舞台。雪持ちの竹林の大道具が出ていて、雪が降っている。それが下手に引かれていくと、在所の粗末な家の書割、そして「新口村」と書かれた標柱が芝居の大道具としてあらわれる。*2

再び柝の音が入ると、そこはやはり槌屋である。周囲が騒がしくなり、梅川が連れ戻されてきたという声が聞こえる。近松が障子を開けると、廊下には黒い布をかけられ、朋輩たちに助けられながらよろよろと歩く梅川の姿が。自室に帰され、黒い布が落ちたその姿は、別人のように無残に泣き乱れている。梅川は忠兵衛と引き裂かれた瞬間を思い出し、突然部屋を飛び出す。下働きの少女の叫び声に近松が中庭を見ると、梅川は井戸へ身投げしようとしていた。近松は慌てて彼女を抱きとめるが、親方から「勝手に死なせるわけにはいかない、お前の体には金がかかっている」と言われ、梅川は「遊女は死ぬことさえ自由になれないのか」と近松にすがりつく。近松は梅川が親方らに引かれていく姿をただ見送るしかなかった。

ここで突然義太夫三味線の音が入り、また画面が切り替わる。ふたたび背景暗黒、そこにぽつんと立った黒着付の梅川の姿に、「〽大坂を立ち退いて、私が姿目に立てば……」という義太夫がかぶってくる。彼女はまるで人間でないような無機的な表情と振りで、義太夫に合わせて踊っている。

と、また画面が突然切り替わり、人間だったはずの梅川は黒着付はそのままに、まっしろな顔をした娘の人形へと姿を変えている。背景は貧しい田舎家の大道具。人形浄瑠璃の舞台だ。「金より大事な忠兵衛さん、科人にしたのは私から、お腹も立とうが、因果づくと……」、彼女の上手側には、白髪の老爺の人形がうなだれて座っている。奥の一間の障子が薄く開き、若い男の人形が二人の様子を伺っているのが見える。

画面は近松のアップに変わる。おや、平土間席の一番後ろというセンセイの定位置ではない。小屋のほんとうに一番後ろの木戸ぎりぎり、しかも周囲には一心に舞台を見つめるたくさんの立見の見物がいるではないか。「親子は一世の縁とやら、この世の別れにたった一目、会うてしんぜてくださんせと……」カメラがどんどん引いて行くと、竹本座は近来稀に見るほどの超大入りである。押し寄せているのは町人だけではない。二階にはお武家の姿もあり、果ては槌屋の使用人まで立ち見しているではないか。

カメラがさらに引かれると……、彼らが固唾を飲んで見つめている先は、舞台上の人形だ。カメラはそのまま引き続け、人形の背後、舞台の奥から人形と観客たちを映し出す。「たった今も言う通り、たとえ詞は交わさいでも、顔見合はしたりゃ縄かけるか……」舞台では老爺の人形と梅川の人形が話しあっている。「そんなら顔を見ぬように……」と、梅川の人形が老爺……孫右衛門の人形の後ろへ回り、「慮外ながら、と、めんない千鳥……」と、手拭いで目隠しをしてやる。梅川が奥の間に隠れていた若い男の人形を呼び出すと……、「親子手に手を取交せど、互ひに親とも我が子とも、言はず言はれぬ世の義理は……」忠兵衛が走り出て、孫右衛門のひざに手をつく。孫右衛門は手探りで我が子の顔をみとめ、ふたりは抱き合う。「涙湧出づる水上と、身も浮くばかりに……泣きかこつ」。

……その舞台を見つめる近松の心のうちには、「忠さまのところへ行きたい、忠さまのところへいかして!」という梅川の悲痛な叫びがこだましているのだった。

 

 

┃ クライマックスへの疑問 

この映画では、近松は芝居を書くにあたって、現実では悲惨な結末を迎えた二人の運命をそのまま劇化するのではなく、忠兵衛が故郷で実の親に会うという夢を浄瑠璃の中で結実させたという締めになっている。もっとざっくりいうと、近松があの有名な親子の再会シーンを書いたのには、こういう秘密があったのですよ……。というお話。現実世界が近松のイマジネーション(作劇)を経て、清元舞踊、人形振り、人形浄瑠璃とだんだん虚構の世界へ移行していく映像演出が特徴となっている。

ここで問題となるのが、映画のクライマックス=人形で親子が再会する部分の人形浄瑠璃の演目。作中ではタイトルクレジット等が一切が出ないが、これは文楽では通称「新口村」と呼ばれる、大変有名で人気の高い出し物である。歌舞伎にも同一のものがある演目なので、文楽・歌舞伎を観る方ならこのシーンが何を意味しているのかは義太夫が入った瞬間にわかるだろう。

 

しかし、実は、本作で「近松が書いた」と設定されているこの人形浄瑠璃「新口村」とは、実は『冥途の飛脚』のラストシーンではない。別人による後世の改作、『傾城恋飛脚(けいせいこいびきゃく)』の「新口村の段」なのだ。作者が違う、別の作品だ。

このことは文楽や歌舞伎を観ない方はまったく気づかないだろう。しかし、観る人にとっては結構引っかかってくるポイント。いい映画なんだけど、肝心のところで違う作者の作品を「近松作」としているのはあまりにザックリしすぎてはいないか。私は文楽を観るようになってから、その点がずっとモヤモヤしていた。

なぜこんな致命的な改変をしているのだろうか? 当時は映画の「時代考証」のリテラシーが低かったのだろうか?

(つづく)

 

 

 

TIPS.1  人形浄瑠璃『冥途の飛脚』のあらすじ

以降の話をわかりやすくするため、最初に人形浄瑠璃『冥途の飛脚』の現在の文楽での上演内容を紹介します。近松門左衛門作の『冥途の飛脚』は、現在、「淡路町の段」「封印切の段」そして「道行相合かご」の三つの段が上演されています。以下にその現行上演内容を簡単に記します。

 

淡路町の段」

飛脚屋・亀屋では、後家・妙閑が養子・忠兵衛の不在と不品行を嘆いている。亀屋が預かっているはずの金50両が届かないクレームを入れるため、丹波屋八右衛門が店の手前までやって来たところに偶然忠兵衛が帰宅。忠兵衛は八右衛門に、その金は田舎客けらの身受け話が持ち上がっている梅川を引き留めるために使ってしまったと告白。八右衛門は友情に免じてそれを赦し、帰ろうとするが、妙閑が気づいて八右衛門を家に上がらせる。忠兵衛は妙閑から丹波屋へ金を渡すように言われるが、窮して鬢水入れを紙に包み、八右衛門へ渡す。八右衛門は金包みのふりをして受け取るも、妙閑が受け取り証文を書いて欲しいと言い出してしまう。八右衛門は妙閑が文盲であることから、「金は受け取っていない」としたためた証文を書き付けて一旦ことを納め、帰っていく。その夕方、亀屋の店先に江戸からの荷が到着。夜も迫っていたが、忠兵衛は堂島の武家屋敷へ届ける金300両をいますぐ持って行くとして、羽織を着て外出する。しかしいつの間にか彼の足は色街である新町の方角へ向かっていた。忠兵衛はここで引き返して堂島へ戻るか逡巡するが、羽織が落ちたことも気づかず、梅川のいる新町のほうへと向かってしまう。

 

「封印切の段」

新町の茶屋・越後屋で遊女たちが身の悲しさを語らっているところへ、見世女郎・梅川が姿を見せる。遊女たちは打ち沈んだ様子の梅川を励ましていたが、そこへ八右衛門がやってくる。八右衛門は忠兵衛が来ても店に上げるなと一同に告げ、このままでは店で扱う人様の金に手をつける可能性があるとして鬢水入れの一件を話す。しかし実は店の前には忠兵衛が来ており、この話を立ち聞きしてしまう。忠兵衛は乱れた姿で店へ上がり込み、八右衛門に金をいますぐ返すと言い出す。その金の出どころを知る八右衛門は引き止めようとするが、言い合いになり、忠兵衛はついに武家の300両の金封を切ってしまう。忠兵衛は110両を茶屋の女主人に梅川の身請け金として渡し、さらに心づけを撒く。八右衛門は50両を受け取ってそのまま帰り、茶屋の一同が座を外したあと、残された忠兵衛は梅川へ金の正体はやはり武家の急用金であることを告白する。こうなっては死罪は免れられないが、せめて逃げられるところまで逃げようと、二人は大坂を後にする。

 

「道行相合かご」

大坂を逃れた忠兵衛と梅川は、大和新口村に住む忠兵衛の実の父・孫右衛門に会おうとみぞれの中を急ぐ。

参考:文楽では、「道行相合かご」は『浪花の恋の物語』公開の11年後、1970年に復曲されて、現在の上演に至っています(原作初演当時とは別の詞章・曲で上演しています)。すなわち『浪花の恋の物語』公開時点では失われていた曲であり、文楽のレパートリーには存在していませんでした。

 

↓ 『冥途の飛脚』詳細なあらすじと上演状況は以下の記事を参照ください。

 


┃ 参考文献

 

 

 

*1:以下、老婆のいるすさまじいボロ屋含め、脚本を参照するとこのシーンは「三輪の茶屋」ということらしい。歌舞伎ではそういう設定なのかな……。文楽でも確かに「道行相合かご」の途中によくわからないものすごく粗末な小屋(しかも書割)が唐突かつおざなりに一瞬出てきますけど、あれがもしかして「三輪の茶屋」……? 単なるものすごく粗末な小屋だと思っていままで観ていました。三輪の茶屋で休んでいるおつもりでしたの……? 全然わからなかった。玉男様ごめんなさい……。でも、浄瑠璃の文脈上、「借駕籠に日を送り、奈良の旅籠屋三輪の茶屋、五日三日夜を明かし二十日あまりに四十両使ひ果して二歩残る」なので、見た目だけは羽振りのいい逃避行(エーゾエーゾ的な)だと思っていたんですけど……。

*2:初回からこんなこと言うのもなんだけど、あの踊りの出来は斯界ではどういう評価になってるんでしょうか…………。あと、ここの本舞台に降ってる雪が直前の現実シーンで降ってる雪と同質(リアル)なのはなぜ……? このシーンの意義を考えると、三角とか四角の紙の雪のほうが脚本上適切だと思うのだが……。