TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

「映画と義太夫――旧劇映画の声と音」早稲田大学小野記念講堂

戦前期にあった、義太夫伴奏をともなっていたでろうサイレント映画(旧劇映画)についてのシンポジウムへ行った。

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映画のサイレント時代、映画館には「活動弁士」がいて、彼らが音声部分を担当し、セリフや状況を語り聞かせていたというのは広く知られており、今日でも、当時の様子を再現するパフォーマンス的な活弁付き上映がしばしば行われている。しかし、現在では失われた形態として、義太夫を伴奏とした「旧劇映画」(義太夫狂言を映画化したもの)が存在していた。役者(いわゆる「大歌舞伎」ではない芝居に出演するような層)が『先代萩』などの義太夫狂言を演じるさまを撮影し、映画館では弁士が義太夫を語ったというものだ。

映像としては、基本、ワンカットの長回しのような状態。テレビの舞台中継のように寄り引きがあったり、適宜編集されたものではなく、「舞台の本番上演中にロビーで流れている舞台のモニタリング」のように、基本的に舞台全体をロングで撮りっぱなし的な単純なもの。ただし、当時の映画はフィルムの制約上、極端な長尺作品は作成しえない。今回上映のあった「尼ヶ崎」なら、光秀の出から段切まで20分程度。相当の部分を縮めたり、すっ飛ばしたりして撮影されている。そうなると、義太夫もホンのまんまの語りとはいかず、相当に切ったり詰めたりの加工をしないと、映像に合わなくなる。それには相当の熟練・技術が必要なはずだ。しかし、当時は映画が配給された先々の映画館で、それが行われていたということになる。

企画の目的としては、演劇博物館が所蔵する『朝顔日記』等の旧劇映画を義太夫伴奏付きで復活上映することを目標に、それを行うにはどのような課題があるのかを検討する、ということのようだった。

内容は、短い調査発表2件、『朝顔日記』(サイレントのまま)、『旧劇 太功記十段目 尼ヶ崎の場』(戦後に録音された大倉貢の義太夫演奏入り)の上映、義太夫三味線奏者・鶴澤津賀寿氏と歌舞伎研究者・児玉竜一氏の対談で構成されていた。

 

 

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義太夫つき上映の参考として、『旧劇 太功記十段目 尼ヶ崎の場』の、義太夫伴奏の録音つき映像が上映された。

先に、この『旧劇 太功記十段目 尼ヶ崎の場』の義太夫伴奏付きフィルムがどのようなものかを説明しておく。
(以下、この節は、今回の講演で聞いたものではなく、私が過去に参加した戦前映画の上映会やシンポジウムで聞いた話の記憶で書いています)

まず、これは、「本物のサイレント時代の義太夫伴奏が記録されている映画」ではない。

映像素材そのものは、1908年(明治41年)に、Mパテー商会によって作られたもので、サイレント映画の作品である。当時、どのような活弁をつけて上映されていたのか自体はわからない。

時は流れて1960年代。当時、文部省芸術祭主催で、「映画の歴史を見る会」というイベントが行われていた。1962年、『旧劇 太功記十段目 尼ヶ崎の場』が上映され、活弁(伴奏)の義太夫を、大蔵貢が語った。大蔵貢とはもちろん、元・新東宝社長の大蔵貢である。大蔵貢は、活動弁士出身。経営で頭角をあらわし新東宝などの映画会社社長をつとめる一方、趣味で義太夫をやっていた(ご子息によると、津太夫に教わっていたらしい。ほんまいかな)。その経歴から大蔵貢が「特別出演」し、三味線奏者の豊沢美佐照氏(掛け合いの語り)、豊沢美佐尾氏(三味線演奏)とともに義太夫の演奏をつけた。その音声を録音したものが残された。

さらに時は流れ2018年、フィルムセンター(国立映画アーカイブの前身)で、自館所蔵プリントと、「映画の歴史を見る会」で録音された大蔵貢義太夫演奏音声とを合成したプリントが制作・上映された。ただし、フィルムセンターが所蔵しているプリントは、「映画の歴史を見る会」で使われたものとは、状態が異なっているようだ。フィルムセンター所蔵のものは十次郎が戻ってくるくだりの冒頭がかなり欠落しているが、「映画の歴史を見る会」で使われたプリントにはその部分が存在していたらしい(その部分の義太夫演奏が録音されており、当時上映を観た人の記録にも「映像と演奏とがぴったり合っていた」という旨が記されているそうだ)。フィルムセンター所蔵で欠落している部分は映像は真っ暗にして、音声が流れるだけの状態にしてある。

映画好きの人なら合点承知之助OK狭間な通り、大蔵貢は相当に強烈なクセのある人だが、活動弁士経験があり、義太夫の技術もあるため、「サイレント時代の義太夫伴奏」の再現ではなくとも、その遺風があると考えることができる。

 

サイレントのみになるが、映像は国立映画アーカイブの特設サイトで公開されているので、歌舞伎・文楽好きの方は、ぜひご覧になっていただきたい。

↓ 『旧劇 太功記十段目 尼ヶ崎の段』映像(サイレント)

 

↓ 2018年の上映会に行った際の感想記事

 

 


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文楽ファンとしては、鶴澤津賀寿氏と児玉竜一氏の対談が興味深かった。津賀寿氏は、『旧劇 太功記十段目 尼ヶ崎の段』について、義太夫三味線演奏者ならではの視点でコメントをされていた。

津賀寿氏からは、操のクドキで、観客が拍手をしている音が入っていることへの指摘があった。まずもって拍手が起こることがすごいと。
義太夫演奏への拍手は、建前としては、「良いと思ったら拍手してください」ということになっている。しかし、実際には、拍手するところって、決まっていますよね。演奏中の拍手は、わかっていないとできない。また、映像の尺に合わせるため、演奏はめちゃくちゃな切り詰めをしており、普通の演奏ならば拍手するようなところが消失している。それでも、当時の観客はそれっぽい箇所(?)で拍手している。つまりお客さんたちは、実際には演奏がなくとも、脊髄反射的に拍手するほどに、義太夫を知っていた。津賀寿氏はこのことに驚き、感銘を受けられたようだった。また、いまのお客さんは義太夫をわかろうとしすぎて、演奏中必死に床本を読んでいるが、この録音の会場からの拍手を聞くと、当時はもっと楽しんで聞いていたのでは、というようなニュアンスのお話をされていた。
私は拍手自体は仕込みだと思うが、仕込みにしても、仕込まれる人が義太夫を知らないと、できない。それが本当にすごいと思う。60年代だと、義太夫わかる人がまだこんなにもいたんだ。っていうか、そのへんの脂ぎったガハハおぢが義太夫習ってて、ドヤ顔でこんな会にまろび出てくること自体、すごい。おじさんがスナックで長渕歌いまくって、三井ビルのど自慢大会に出場するようなもんだったのだろうか?

また、津賀寿氏ご本人による編集で、『旧劇 太功記十段目 尼ヶ崎の段』にご自分の演奏した「尼ヶ崎」の音源(太夫は竹本駒之助氏。NHKラジオの放送用録音)を付けた特別バージョンも上映された。*1
義太夫三味線奏者として、演奏上、ここは残さなきゃだめでしょ!ここは映像に合わせなくちゃだめでしょ!という要所を押さえた編集で、かなり的確に構成されており、「こ、これでええやん……」と思った。
たとえば、大倉貢版だと、さつきを刺す前のくだりを巻きすぎていて(フシをコトバで処理しすぎて、演奏が早く終わりすぎている)、三味線さんが適当になんとなく引き伸ばしをしている。しかし、津賀寿氏の判断では、元の通りにゆっくり語っても尺は合うはずということで、刺す前のくだりは義太夫の従来演奏をいかしたままにして、さつきを刺したあとのくだりは義太夫が先行して映像が若干遅れるという編集にされていた。文楽でもよくある程度の遅れ方で、さほど違和感はなかった。
大倉貢版では、「大落としが抜けている」「段切がない」という、義太夫としてそれはええんかいというメチャクチャなことになっている箇所がある。大落とし(雨か涙の汐境、浪立ち騒ぐ如くなり)は、津賀寿氏も入れたほうがいいとは思われたようだが、入れると映像の尺に合わなさすぎるようで、カット。ただし、段切(威風りんりん凛然たる、真柴が武名仮名書きに、写す絵本の太功記と、末の世までも残しけり)はいかして、きっちり最後を締めていた。確かに、そこなかったら、『絵本太功記』にならないですよね……。
ただ、本筋と外れた話ながら正直なところを書くと、素浄瑠璃前提で普段演奏されている方の語りや演奏というのは、いわゆる「うまさ」がどうこうとは別に、演劇など視覚情報と複合させる向きにはなってないんだなと思った。文楽太夫三味線だと、素浄瑠璃であってもそうは思わないのだが……。声の張り方や押し出しが違うのかな。そういう意味では、大倉貢のほうが、視覚情報と複合させる向きの語りをしていると感じた。

映像に合わせて義太夫を演奏することは可能かという問いについて、素浄瑠璃演奏を主体とした活動をしており、演劇への楽曲提供を行っている津賀寿氏の観点からは、当然ながら「できると思います」という回答があった。また、義太夫狂言を題材にしたものではなく、映画オリジナルの新作(新歌舞伎の竹本部分のように、書き下ろし脚本のうちナレーション部分が義太夫になっているもの)では、歌舞伎の竹本のような役者ありき演奏に特化した特有技術が応用できるだろうという旨のお話があった。このあたりは、歌舞伎の竹本の方に見解を聞いてみたいところ。新規に節をつける場合、邦楽はパターンの組み合わせでできているので、文言や前後のつながりに応じて、類似曲などから引用した節をつけられるという。
曲のパターンについては、児玉氏からは、観客が義太夫を知っている場合、既存曲にある感銘を受けるパターンを使うことで、感銘を呼び覚ますことができるだろうとのコメントがあった。

なお、津賀寿氏は大倉貢の演奏を「コトバは上手いけど節の部分はダメ。よくわからずやっているのでは」(大意)と思われたようだが、私としては、習い事程度の素人でこのレベルはすごいと思った。なぜならば、これよりヤバい演奏を拝聴する機会に恵まれているから。(迫真の表情のツメ人形)

 

児玉氏からは、「十次郎についてくる人」についての話があった。映像の8:00くらいのところから観ていただくとわかるのだが、戻ってきた十次郎に、なんか、軍卒みたいな人がついてきてるんですよ。いや誰やねん。「ただ一騎立ち帰って候」て言うとるやないか。と思うんですが、この「カラミ」がいる演出は、かつて関西の歌舞伎に実際に存在していたらしい。映画に出演しているのは「中村歌扇一座」という浅草をホームグラウンドにしていた集団だが、関西系の演出がどのような経緯で流入したのかはわからないそうだ。現行では失われている古態が映像で観られるというのはすごいことだ。
ちなみに、「取り付く島もなかりけり」は、軍扇を開かず、腰に当てる型です!!!

 

ところでこのトーク、客が全員「尼ヶ崎」知ってる前提でお話しされていた。
実際の来場者が実際どのような方々だったのかはわからない。しかし、それこそ、往年の〈みんなが義太夫を知っていた時代〉の会話のように、お二人は話していた。笠とったとこの光秀の見得がないとか、大落とし飛ばしてるとか。「あの場面ではああいうう演技、こういう演奏」とわかっていないと、何を言っているのかわからない。
本当、この映画、映像だけでは全然完結してないんですよ。「尼ヶ崎」を歌舞伎か文楽で観たことないと、意味がまったくわからない。サイレントだからとかそういう問題ではなく、めちゃくちゃ切り詰められているし、シーンがかなり飛んでいる。ツッコミどころだらけなんですよ、ほんと。当たり前だが、映像にあるものは見たらわかるけど、ないものは、原型を知っている人しか補完できない。「尼ヶ崎」を知っている人が、あることないこと、勝手に脳内補完して、そうそう、これこれ!って言ってはしゃぐ映画だ。
自分は幸い、「尼ヶ崎」は文楽の中でも最も内容を把握している演目のひとつのため、無限にはしゃげた。あるいは、歌舞伎や文楽好きな友人にこの映像を見せたら、「こんな色々すっとばしてるのに、光秀、竹槍にしっかり髪の油つけとるで🤣そこいるんかい🤣」とか、「加藤正清、人一倍目立っとる😂👉」とか、無限に大笑いしてくれると思う。でも、知らない人、つまり世の中の大多数の方は、「芝居」が内包するものは、わからないと思う。しかし、本作の封切当時は、多くの人が観ながら大はしゃぎしていたということなのかな。〈みんなが義太夫を知っていた時代〉、本当に、すごい。

 

最後に、児玉氏から、重要な指摘があった。
戦前の義太夫伴奏を前提とした「旧劇映画」は、制作された映像自体と、義太夫を語ることのできる弁士だけでは、存在し得なかった。義太夫を語る弁士のほかに、義太夫義太夫狂言人形浄瑠璃など)を知っていて欠落等を脳内補完できる観客、聞かせどころやフシなどを知っていて映写速度を適切にコントロールできる映写技師(後述)も必要で、その3者がいてこそ成立していた。つまり、〈みんなが義太夫を知っていた時代〉だからありえたと。

そういう意味では、現在では、たとえば歌舞伎の竹本なりのスキルが非常に高い層から弁士を登用できて、その方の語りをつけて「旧劇映画」が上映できたとしても、「もの珍しいなにか」「カルチャーな感じのなにか」でしかないだろう。もはや、面白おかしく観られる受け手がいないから。サイレント映画の弁士や伴奏付き上映自体も、正直、そうなってますしね。
〈みんなが義太夫を知っていた時代〉、体感してみたいな。
いや、文楽大阪公演(文楽劇場)のお客さんは、ある意味、そうだけどね。

 

 

 

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調査報告が2件あった。いずれも持ち時間15〜20分程度のため、スライドを流しながらさーっと参考資料を紹介するような内容だった。

柴田康太郎氏の発表では、当時の映画館での実態について、浅草・大勝館、札幌・九島興行経営の映画館を例に説明があった。
義太夫入りの上映は大勝館がそのはしり。1908年撮影の『先代萩』の義太夫入り上映大当たりから広まったという。1910年代の新聞の広告欄や、映画館に残された取引書類などで、具体的な上映作品がわかる。「中将姫」、「弁慶上使」、「安達原」、みたいな、今でも歌舞伎・文楽でやっているような演目だった。ぱっと見た感じ、時代物が人気のようだった。世話物では「酒屋」などがあったようだ。
では、映画館の館内はどのような状態だったのか。大勝館の建築図面(?)によると、スクリーン下手側に「チョボ」というスペースがあり、そこで演奏していたのではないかとのこと。位置的に、上部スペースだったのか地面だったのか等はわからないようだ。いったい誰が義太夫を語っていたのかという問題については、映画会社から派遣される太夫と、映画館専属の太夫とがいたようだ。
また、当時の映写機は手回しであり、映写技師が映写速度をコントロールすることができた。そのため、たっぷり聞かせる(見せる)ことが必要な場面では、弁士の語りを映写室から聞き取り、映写速度をゆっくりにしていたらしい。可燃性フィルムだとゆっくり回すにも限度があると思うが、どれくらい速度を変えていたのだろうか。
帰宅してから配布レジュメを改めて読んでみたら、映画制作の状況についても少し記述がされていた。どうも、撮影時に太夫が立ち会い、自分の演奏に沿って演技してもらう(自分が監修して演技してもらう?)という形態を取ることがあったようだ。しかし、撮影に立ち会えない場合、出来上がっていざ映画館上映となったときに困惑することもあったようだ。撮影現場で演奏者が進行をコントロールするという意味では文楽的な部分があり、映画館の現場現場において一律に太夫が受け身、つまり竹本的なシステムでやっていたということではないようだ。

 

冨田美香氏からは、義太夫狂言ではない、映画オリジナル脚本の旧劇映画について報告があった。要するに、純歌舞伎や歌舞伎の新作に雰囲気作りとして竹本が入る演出がみられるが、同じようなものが映画でも存在していたとのこと。残っている台本に「竹本」や「チョボ」となっている部分があり、そこは義太夫だったのではという話だった。
途中で流された、声色・竹本の掛け合いの試演映像は、どういうことだったのだろう。昨年、国立映画アーカイブで行われた『五郎正宗孝子伝』の弁士・演奏入り上映のものだが、私の理解では、台本上「竹本」となっていたり、「〽」がついているところを「竹本」にしてやってみたもの、という解説をされていたように思ったのだが、その「竹本」、義太夫になってないよね……? 活動弁士のみへのアサインで、その方々は義太夫はできないから、とりあえずナレーションにしてもらったってことなのかな……?
それともかかわるのかもしれないが、「児玉先生から声色と竹本の掛け合いはかなり難しいと言われた」という話があった。児玉氏がどのような意味でおっしゃったのかはわからないが、本当に、いろいろな意味で難しそうだと思う。人をアサインできても、言い方は悪いが、各出演者の技術レベルを「どうやって均等にするか」とか、本当に致命的にやばい問題が起こると思う。果たしてそこまで苦労してまでやる価値を創出できるのか、また出演者にも参加の価値を提供できるのか。それこそ大倉貢のような「義太夫が異様に大好きでプロの指導も受けている本職活動弁士」が出現しないと、かなり厳しいのではないか。と思った。

 

↓  当日流された弁士・演奏入り映像、これの部分抜粋だと思う

 

研究発表では「義太夫出語り」という言葉が使われていた。特に説明はなかったが、当時の映画館の宣伝文句をそのまま流用しているのだと思う。本来の人形浄瑠璃でいうところの「出語り」は、ある程度一人前の太夫三味線が、顔出しとして舞台上手の特設舞台「出語り床」で浄瑠璃を語ることを指す。それなりの人、それなりの場面を演じる状況を言う言葉だと思うが、当時の映画館でも、本来の人形浄瑠璃と同じ意味での「出語り」、つまり人気弁士や人気太夫が語るのが好評なのだという「出語り」だったのだろうか? それとも、いまの文楽の「出語り」と同じで、ピンキリあっても慣例でなんとなく客前でやってまーす(失礼)ってだけ……?

 

 

 

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ほか、参考作品として上映された『朝顔日記』(Mパテー商会 1909)についても触れておく。

内容としては、『生写朝顔話』の「宿屋の段」を抜き出したもの。朝顔が阿曾次郎らの前で昔語りをする場面から、彼女が帰った後、阿曾次郎が歌を認めた扇子を宿屋の亭主・徳右衛門に託して出立するまで。以上は現存部分で、制作当時はもう一幕存在していたようだ。「大井川」があったとか?

演劇博物館所蔵の『朝顔日記』は、約10年ぶりに観た。このブログでもたびたび書いているが、私が文楽に興味を持ったきっかけは2つある。そのひとつが、2013年11月にフィルムセンター(当時)で行われた演劇博物館所蔵の旧劇映画フィルムの上映イベント「伝説の映画コレクション 早稲田大学演劇博物館所蔵フィルム特別上映会」である。『朝顔日記』のほかに『松王下屋敷*2、『心中天網島(紙屋)』などが上映された。そのときも児玉竜一氏が登壇されており、上映前に丁寧な解説があったため、内容を理解できた。思えばあれは良い機会だった。

時は流れ文楽を観るようになった今、あらためて『朝顔日記』を見ると、「深雪、眉毛、太すぎだろ」と思った(そこ?)。光秀より太い。尋常ではない芋さ。ものすごいもっさい子になっており、迫真の零落ぶり。ほんとにこれで良かったのか、観ていて不安になってきた。和生助けて。
また、徳右衛門が異様に若いとか、阿曾次郎が全然刀差せないとか(津賀寿氏も笑ってしまったそう)、いろいろ、面白かった。
しょうもないところは置いといて、朝顔の衣装が現在とほぼ同等なのは興味深い。たとえ「大歌舞伎」でなくてもアレなんだ、と思った。一方、琴を弾いていないのが気になった。琴自体は役者の前に置いてあるものの、琴の前で大きな身振りをつけて喋っているだけになっていた。弾いている場面のフィルムは欠落してしまったのか、それとも元からなかったのか。

 

 


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義太夫伴奏を伴うサイレント映画については、かねてより関心を持っていたので、とても興味深いシンポジウムだった。

それにしても、この手の歌舞伎をはじめとする古典芸能と映画が複合した上映イベント、いったい、どういう人が観客・聴衆として来場されているのだろう。国立映画アーカイブではたびたび開催されているが、毎回、結構人が入っている。歌舞伎題材だと、ことさら人出が多い気がする。歌舞伎ファンの人が結構来てるなと感じられる。役者が映っているのが大きいのと、歌舞伎ファンに勉強熱心な方が多いということだと思う。今回は、基本的には早稲田の学内関係者が多いとは思うが、名画座で見かける方が来場されていたり、おそらく義太夫関連で来ているのだろうと思われる方もいらっしゃったり、という印象を受けた。これら総体のパイがある程度大きければ、もっと大きなイベントができたり、書籍が出版できるんだろうなと思うけど、どうなんだろう。と思った。

 

 

 

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早稲田大学演劇博物館 演劇映像学連携研究拠点
「映画と義太夫――旧劇映画の声と音」
早稲田大学演劇映像学連携研究拠点・国立映画アーカイブ共催
https://enpaku.w.waseda.jp/ex/18715/

  • 報告
    サイレント時代の映画館と義太夫:九島資料を手掛かりに(柴田 康太郎)
    資料から見る”義太夫出語り”旧劇映画の魅力(冨田 美香)
  • 上映
    「旧劇 太功記十段目 尼ヶ崎の場」[弁士説明版]
    Mパテー商会/20分/白黒/1908
    出演=市川左喜次、中村歌扇、中村歌江
    弁士=大蔵貢
    国立映画アーカイブ所蔵

    朝顔日記」
    Mパテー商会/11分/白黒/1909
    出演=中村歌扇、中村歌江
    演劇博物館所蔵

*1:映像と自分の演奏を合体させる編集をするようなことは、文楽太夫三味線なら、絶対やらないなと思った。津賀寿氏くらいの年齢の方は特に。プライド以前に、チャレンジしようという意欲自体がないと思う(決めつけて悪いけど)。津賀寿氏は、携帯でやったから雑!頭切れたりしてる!というようなことをおっしゃっていたが、まず、やったこと自体がすごいよ……。と思った。

*2:『菅原伝授手習鑑』の増補作。「寺子屋」の直前にあたる内容で、松王丸が小太郎・千代に身替りの一件を説得するくだり。現在は文楽・歌舞伎とも廃曲。

文楽 4月大阪公演『団子売』『和田合戦女舞鶴』市若初陣の段、『釣女』 国立文楽劇場

今月、3部ともメインがすべて時代物、かつ親による子殺し・見殺しを描いた演目。しかも親殺しもあり。うーん、これぞ文楽

 

(第二部は口上含め4演目の上演がありましたが、上演順ではなく、書きたい順に書かせていただきます)

 

『和田合戦女舞鶴』市若初陣の段。

襲名披露狂言。珍しい演目ながら、「豊竹若太夫」という名跡に縁故があるということでセレクトされたそうだ。まずは、珍しい演目が観られたことが嬉しい。『和田合戦女舞鶴』は以前から本で読んでおり、観てみたいと思っていた演目だが、人形付きは久しく上演されていないため、このまま消えていく演目かもなと思っていた。
せっかくの襲名披露なら、直前の「板額門破り」もつけて派手にすればいいのにと思うが、ない。そのかわりなのか、昭和40年代以来上演がなされていなかった端場、こども武者軍団がやってくるくだりを復活したようだった(作曲・鶴澤清介)。5月の東京では端場はつけないようなので、大阪のみのスペシャルプログラムとなっている。

 

まず、自分がこの演目の観劇に何を期待して観に行ったかを書いておく。

『和田合戦女舞鶴』の作者・並木宗輔は、非常に緊密な構成を得意としており、また、テーマ性の強い作品を書いた脚本家であった。並木宗輔が追求していたテーマとは、封建制という構造から発生する社会の歪みだ。彼は社会と個人の軋轢を追求した作者で、遺作『一谷嫰軍記』においてそのテーマは顕著だ。「市若初陣の段」もまた、自発的な自己犠牲が強要されるという社会の不条理、異常性を非常に明瞭なかたちで描いている。つまるところ、「そんなことは人間として異常だ」という話なのだ(補足しておくと、この話は、絶対共感できないように、かつ、登場人物の行動原理に違和感をもたれるように書かれているということ)。人間のためにあるはずの社会が孕む非人間的な異常性。出演者は、この深刻なテーマをどう舞台上に表現するかに力量が問われる。

物語の舞台となった時代、鎌倉幕府は、実朝という若い将軍を頂き、非常に不安定な状態となっていた。また、実朝を失脚させ、将軍家を根絶やしにしようとする逆臣が内部に存在していた。この状況下で、公儀を公儀として成立させるため(権威を示すため)には、以下の二つを守ることが必要となる。

①実朝は法を司る者(施政者)としてケジメをつけなくてはならない
 =将軍として逆臣への処罰を行わなくてはならないため、公暁丸の首が必要

②実朝・政子の親子で戦を構えてはならない
 =政子は実朝に背いて公暁丸を保護しており、一種の逆徒である。しかし、親子不和のおおごとを起こすと、実朝の「孝」が立たない

これらは全部、「建前」の話。封建社会では、建前は万事に優先される。
実朝本人は若いので、②を自分の面子のためだけでなく対外的に立てる重要性を理解しておらず、①に必死になって、自分で直接政子に会いに行こうとする。それをやらかすと②が立たなくなるので、幕臣たちから全力で止められる。実朝についている男性幕臣たちは、②を立てるべく、あくまで平和裏にことをおさめようと話を進め、こども武者を派遣してくる。おこさまという封建社会では「役に立たない、一人前ではない」属性の者が首の受け取りに来ることによって、戦を構えるつもりがないことが示される。公儀(施政者)としての建前を立てなくてはいけないという①の問題を解決する折衝を行おうとしているわけだ。ここで政子が態度を変えれば、荏柄平太という逆臣の係累公暁丸をつつがなく処罰することができる。
しかし、公暁丸は実は将軍家の胤のため、本当に公暁丸を殺して首を渡すという手段を取ることは絶対にできない。

公暁丸は将軍家の血を引いているので、安全を守らなくてはならない
 =公暁丸の首を討つことはできない。また、奸臣から守るため、公暁丸の正体を公表することはできない

公暁丸の安全は将軍家の存続に関わることで、封建社会の成立の根幹をなす最大の「建前」であり、何にも優先される。つまり、①②③は同時に成立し得ない。公暁丸が将軍家の血を引いていると知っている者がこの事態を解決しなくてはならない。

「市若初陣の段」は、これらをすべて成立させるために、一番弱い存在であるこども(市若)を犠牲するという「トリック」ひいては「建前」が使われる。物語冒頭では板額は③を知らなかった。①と②を解決するためには、政子が折れて公綱丸の首を渡せばいいと安易に考えていた。しかし③を知ってしまったため、ドラマが発生する。ドラマとは葛藤である。そして、板額(と与市)は、市若という偽首を使うことで、実朝もこれ以上強い手段で政子を追求することはなくなり、政子も実朝の指示に従うことで逆徒ではなくなるというグロテスクな「建前」を作り出した。

以上は物語のテーマについて私なりに解説したものだが、今回の観劇は、この「矛盾に満ちた境遇に陥った人々」をいまの出演者がどう表現するかに興味があった。

なぜならば、封建制度がなくなった現代であっても、社会が非人間性を孕んでいることには変わりがないからだ。自分は非人間的な状況にさらされたことがない、他人が非人間的な状態を強要されているのを見たことがない、そんな人がいるだろうか。そして、そのような非人間的な事態は、毎回必ずしも「救済」されるわけではない。人間の社会がある限り、並木宗輔の作品は、永遠に今日的であると思う。

 

↓ 詳細なあらすじはこちら参照

 

 

政子〈吉田簑二郎〉、市若〈桐竹紋吉〉、浅利与市〈吉田玉志〉、こども武者軍団は、良い。それぞれの人物の佇まいや内面が自然に滲み出ていた。

とくに政子は、出番が短く、セリフもさほどない中に、祖母としての孫への慈愛、臣下の妻に無理強いをしているのはわかっていながら祖母としての愛が勝ってしまうという人間の愚かさが表現されていて、非常に良かった。簑二郎さんの芝居には、感情の流れの表現があるんだよね。その人物が、立場上、本当に思ったことの全てを言うことはできないという状況もよく踏まえられている。人物像の把握が活きた政子だった。

市若はまるで五月人形が歩いているようで、かわいかった。豆大福が動いているような、もっちりちんまりした仕草が愛らしい(ちいかわで開催中の出し物大会に出演できるッ)。屋敷の門に向かって矢を射るところは、本当にちゃんと飛んでいた。市若はこどもサイズの人形なので、弓を構える高さが低いのに、数メートル飛ぶのは、すごい。
市若は紋吉さんに配役されており、「こんな老けた子役、久しぶりに見たッ」と思ったが、長時間の集中力が必要とされるため、これくらいの人でないと難しい役だろうと思った。

与市は若々しく優しげな雰囲気。ずっと屋敷の門外にいるので、文字通り「蚊帳の外」の人だが、出番自体は意外と長い。始終、下手で、わた…!とか、じ…!とか、している。演技設計としては、前半は動きやや多め、後半を絞り目にしていた。リアクションの多い前半は、検非違使のかしらのときの玉志さんにしてはやや動き多め。かしら含めて振りが大きい。後半は通常通り、かしら中心に抑えた表現をしていた。が、屋敷の中にいる人物の演技がのっぺりしているため、言ったら悪いが若干悪目立ちしており、「なんやこの一人で騒いどるおっさんは? そんでなんで最後こんな大人しいん?」状態になっていた(これも言ったら悪いが、ひとりだけ真面目にリアクションしすぎて激浮きする、玉志恒例現象)。屋敷の中がどうなっているか、知らずにやっているのだろう。いや知ってもこの通りだろうが、大阪の状況を受けて、東京ではどう練り直してくるかな。
じ…!としているのが長時間となる前半は、足の下に蓮台(黒い台座)を置いてその上に足を乗せていた。が、途中からは、細切れに位置移動が入るからか、多少じ…!としている時間があっても、蓮台は外していた。蓮台があると、そこに足を乗せられるので、足の位置が物理的に固定される安定するが、蓮台がないと、足遣いが根性で同じ位置に空中浮遊させ続けなくてはならない。一人で離れた場所にいる人形の足がフラつくと、めちゃくちゃ目立つ。頑張れッ。と思った。
与市は男性ではあるが、ほかの浄瑠璃に登場する「いかにもな男性」とは違っている。もし「いかにもな男性」であったら、首の受け取りの場面になってやっと登場するだろう。浄瑠璃的な男性ジェンダーは、「当事者」であることを回避する。しかし、与市はそうではなく、物語冒頭から家族のもとへやってきて、門外でずっと様子を見守り、板額と感情を共にしているところに、彼の特殊性がある。立役専門ながら中性的な雰囲気のある玉志さんが与市に配役されたのは、なんとなくわかる気がする。

こども武者軍団は、カラフルでかわいい。これも、人形屋さんの五月人形売り場みたい。休演都合により、2週目の土日は配役日替わり状態になっていたが、全員黒衣なので、さほど気にならなかった。おいこいつ昨日よりクソデカいぞ、とかはあった。

 

 

舞台全体としては、劇評言葉で言えば(?)、「新しい名前となったリーダーが、協同するメンバーとともに、新しい舞台を作っていく過程を目撃した」。自分の言葉で言えば、結構な度合いで未完成感があり、舞台としての問題が多く存在しているように思われた。という感じ。
初日から1週間程度経過してから見たが、物語が曖昧になっているというのが率直な感想。散漫でメリハリがない。上記の人形の脇役メンバーそれぞれのパフォーマンスはいいのだが、軸がないので、彼らを持て余している状態になっていた。物語の緊張感・陰鬱さと、感情の高潮をどう見せていくのか、どこに観客の集中力の頂点を持っていくのか。私が見た段階では、そこが相当に素直なままになっていた。メリハリがないのには多重の要因があり、このあと相当に練り上げないと、「珍しい演目だね」の範疇を超えられないように感じた。

板額〈桐竹勘十郎〉は、内面がわかりづらい状態になっている。最後、与市が屋敷に入ってきてペア演技になると見せ方の方向性が比較的定まるのだが、市若のみを相手にしているところや一人芝居の部分の間持ちがちょっと……という印象。やはり、ある程度芝居の方向性をリードする相手役が目の前にいたほうが得意ということなのかなぁ。ひとりでの演技が難しい理由のひとつに、勘十郎さんの特性として、動きの大きさ・速度が全編で均一というのがある。景事がかった短い演目ではいいのだが、「市若初陣」のような大人の女性主役のドラマ主体の演目でやってしまうと、話がわからなくなる。こどもを持つひとが一番慟哭するのはどこなのか、表現が必要では。今後の再演という話以前に、まずは現状の見せ方を検討するべきだと思う。
そして、袖萩(奥州安達原)やお弓(傾城阿波の鳴門)などでも「?」と思っていたが……、「老女方」って、「娘」の顔違いじゃないんだ、というのは、今回の状態で、よくわかった。その意味では、本当に勉強になった。

新若太夫さんは声量がないので、大きな声でなんかすごそうにハッタリかけるということはしないし、できない。立てるところをもっとしっかり立てて欲しいが、その代わり、政子や板額の独り言的な述懐に焦点を置いた語りになっていた。太夫としては声量があるほうが有利なのは確実だけど、声量があったら即上手いのか、物語描写を正確に演奏できるのかというとそういうわけでもない。「市若初陣」は引き絞るような悲しみがある話なので、向いているとも言える。そういう語りである分、ほかの出演者が物語の方向性、流れを安易に捉えすぎると、「????」な印象になると感じた。抑えるところをどうするかは、本当に、文楽全体の課題。
ただ、いずれにせよ、文楽劇場の下手側の席だと聞こえないのは、このままいくならどうするのか、本当に考えないと、厳しい。

 

 

今回、特別に、板額に陣羽織の衣装を「付け足した」とのことだが……。派手に見せたいとか、目新しいことをしたいとか、正月公演の政岡(伽羅先代萩)とは明らかに違うことをしたいとか、板額の武勇感を出したいとか、板額の役者絵(歌舞伎)には鎧姿で描かれているものもあるからとか……、とかとか、そういうことだと思うけど……、気持ちは汲み取りたいものの、複数の問題点があるように感じた。まだ東京公演があるので批判の理由は一旦伏せるけれど、もろもろ、関係者含めて、よくよく検討したほうがよかったんじゃないかな。少なくとも、派手に見せるとしたら、後半に仕掛けを作る方が良かったんじゃないか。重量のある打掛を着ての長時間演技が厳しいなどの現実的な事情もあるのかもしれないが、新奇なことをすることそのものに固執しすぎているように思った。

会期後半では対応がなされているかもしれないけれど、自分が次に観る東京公演で改善していて欲しい点を述べる。やるならやるで、陣羽織を着た板額の人形の姿を綺麗に見せて欲しい。陣羽織を着ている立役は、肩を開き腕を張った姿勢をしているので、生地のハリが綺麗に出て姿形が美しく見え、人物に風格が出る。しかし、女形は身体の前側に手を置く所作が多いため、陣羽織に常に不自然に大きなシワが寄り、人形の姿全体が崩れてしまっている。従来演出では打掛を着ている場面だと思われるので、板額を美しく堂々と見せるための打掛の扱いがあったはず(少なくとも、過去上演時の板額役・文雀師匠は打掛を有効に使う演技をしていたのでは? 政岡・重の井でも、打掛姿を美しく見せる立ち方とかありますし)。陣羽織にしたのなら、打掛同様、衣装を効果的に見せる遣い方の検証をして欲しい。

そしてもう、本当、劇場はちゃんと調整せいやと思うのだが、第一部『絵本太功記』で、久吉が同じデザインの陣羽織を着ているのがなぁ……。なんで同じ公演で主役級が衣装かぶっとるねん。板額の陣羽織をオリジナルの色味やデザインにしてあげられなかったの? それとも、タマカ・チャン・ヒサヨシが全裸で出るしかなかった?(ほんまに風呂入ってた…ってコト!?)

 

あとは、板額のかしらがいつものお母さん(和生さん私物のやつ)じゃなかったので、私の中の3歳児が「ごんなのおがあざんぢゃない〜〜〜〜!!」と大泣きした。美人なのだが、眉の付け根の下に強い影が出ていて、険がある。和生さんがいつも使っている「お母さん」は優しい顔をしているのに。優しそうなのは、和生さんが遣っているから? ママ〜〜〜〜ッ!どごおおおお〜〜〜〜〜〜!!(第三部に顔は違うけどいますっ)

 

 

 

  • 義太夫
    中=豊竹希太夫/鶴澤清公
    切=豊竹若太夫/鶴澤清介

  • 人形
    平手妻綱手=吉田玉誉(桐竹紋臣休演につき初日より代役)、妻板額=桐竹勘十郎、佐々木綱若丸[黒衣]=吉田玉彦、土肥実千代[黒衣]=桐竹勘介、千葉資若丸[黒衣]=吉田玉路、千葉胤若丸[黒衣]=吉田和馬、市若丸=桐竹紋吉、浅利与市=吉田玉志、政子尼公=吉田簑二郎、公暁丸=桐竹勘次郎
    ※こども武者軍団は休演多発のため、資若丸は勘市さん、綱若丸は玉翔さん、胤若丸は簑紫郎さんが代役で出演した日程あり。本役は五月雨に休演していたため、いつ誰がどうなってたか、忘れた。13日は実千代以外、全員代役だった。大丈夫かその運営。

 

 

 

襲名披露口上。

進行役・呂勢さん、挨拶は太夫部・錣さん、三味線部・團七さん、人形部・勘十郎さんで、兄弟弟子、弟子筋の方が舞台へ並んで口上。

團七さんと勘十郎さんは日による多少のアドリブがあったが(團七さんは完全に「普通にお話しいたします」のスタイルだった)、錣さんは「言うこと」を完全に暗記しているのか、同じことを言っていた。膝元にカンペがあるのかと思って覗き込んでしまったが、本当に暗記しているようだった。逆に怖いッ。

「血筋の正しさ」と前若太夫の実績を非常に強調した話が多かったが……、揚げ足取られるで。言い方、他人事すぎんか……? 團七さんは客の存在、今後の芸の向上、継承への責任へ言及があり、誠実だなと思った。初めて團七を尊敬した。(え?)

 

私が新若太夫さんに期待しているのは、「多様な演目を上演できるようにする」「新若太夫さん自身の得意なものを伸ばし、積極的に打ち出す」の二つ。
特に前者。いま、客はみんな(これは本当に字義通りみんな)「同じ演目ばっかやるんじゃえねよ!」と感じている。これには、劇場制作だけでなく幹部技芸員にも大きな責任がある。大名跡を襲名したからには、それに相応しいリーダーシップを発揮していただきたい。その意味では、襲名披露に『和田合戦』を選ばれたのは素晴らしい。今後も、ほんまに、頼む!!!!!!!!!!
新若太夫さん自身の得意なものを伸ばすというのは、本当に、そうしたほうがいいと思う。私は、新若太夫さんは、時代物を「豪快」に語るより、世話物にあらわれる普通の人のこころの機敏を精緻に語ることのほうが上手いと思う。これは誰にでもできることではない。最近、そこを捨てているのは、本当に勿体無い。他人の曖昧な言葉に踊らされず、ご自身の良さを伸ばし、積極的に打ち出して欲しい。

 

 

 

 

 

 

団子売。

タマカ・キネゾーが良かった。何が嬉しいのかわからないが嬉しそうに出てくるところがいい(ダメだよ)。杵造はなかなかうまくいっていないことが多いが、今回は朗らかな雰囲気が出ていて、良かった。
一輔さんは、手拭いをかぶる役のとき、いつも、人形の目元が見えないほどに深くかぶっているが、どういう意図があってのことなのだろう。普通に考えると、人形は目元が見えないと表情がわからなくなり、表現力が下がる。お臼は舞台上でかしらを替えた際に手拭いをかぶるため、本人が被せているわけではないけど、お光(新版歌祭文)とかお絹(桂川連理柵)のような最初からかぶって出てくる役でもそうなので、ある程度本人の意図があるのか。

先日、『加賀国篠原合戦』という浄瑠璃を読んでいたら、途中の道行のシチュエーションが『団子売』そのままだったので、驚いた。『加賀国篠原合戦』の道行「連理のかちぎね」は、現行の『団子売』と同じく、杵造とお臼という夫婦が「飛団子」を路上(道中)であきなうという内容。ただし、ここでの杵造とお臼は一般人ではなく、木曾義仲の四天王のひとり、今井四郎兼平とその妻・戸無瀬で、京にいる斎藤実盛に会って義仲への加勢を頼まんがために旅をしているという設定。現行の『団子売』は文政期初演の清元「玉兎」をもとにしているようで、話している内容そのものは全く異なっている。なにか関係があるのか、それともないのか。

 

 

 

  • 義太夫
    お臼 豊竹藤太夫、杵造 豊竹靖太夫、豊竹咲寿太夫、竹本織栄太夫/鶴澤清志郎、鶴澤寛太郎、鶴澤清允、鶴澤藤之亮

  • 人形
    団子売杵造=吉田玉佳、団子売お臼=吉田一輔

 

 


釣女。

古典芸能は「知られていない」から客が来ないと思っていらっしゃる方がいるようだが、私が文楽を見るまで古典芸能を敬遠していた理由はひとつ。差別的で不快な演目が多そうだと思っていたから。文楽の存在を知らなかったとか、難しそうとか、敷居が高そうとかではない。
文楽よりも前に見たとある伝統芸能は実際にそうであり(古典伝承ではないアドリブ部分に、女性差別をおもしろがらせようという内容があった)、本当にこういうこと平気でやってるんだ〜、終わってんな〜と思った。文楽の伝承曲ではそこまでの差別的内容の演目は少ないが、最初に文楽を見たときに『釣女』があったら、同じ反応になっただろう。
こういった演目が頻繁に上演されていることが話題にもならないから、まだ「お客さん少ないですね」で済んでいるだけで、もし世間に広く知られたら、文楽のイメージは下がるだろう。やるなら十分なエクスキューズが必要だ。たとえば、いまどきは文化への評価としての「吉原」を紹介するのでも、かなり慎重に人権問題への前置き解説をしている(それでも批判されている)社会状況を、見て見ぬふりしてるのかな。私は、「人をたくさん使えるから」程度のことで安易に差別的演目を上演している薄っぺらさに加担したくない。

 

 

  • 義太夫
    太郎冠者 豊竹芳穂太夫、美女 竹本聖太夫、醜女 竹本南都太夫/野澤錦糸、鶴澤清馗、鶴澤友之助、鶴澤燕二郎

  • 人形
    大名=吉田簑一郎[代役]、太郎冠者=吉田玉也、美女=吉田玉誉[前半]吉田簑紫郎[後半](桐竹紋秀全日程休演につき代役)、醜女=豊松清十郎

 

 

 

『和田合戦女舞鶴』の観劇に際して期待していたことを記事冒頭で述べたが、なかなか難しい状況だと感じた。物語に意図的に仕込まれた矛盾というのは難しい概念だ。技芸員さんは、この手の演目に対し、社交辞令なのか「心情的に理解しがたい話ですが……」とおっしゃる方が多いが、そういう話だからこそ、舞台ではそれがどう表現されているかを見たいと思っている。

最近よく思うのは、本(浄瑠璃)を理解するには、勉強が必要だよなぁということ。この「勉強」というのは、芸の鍛錬(客なら鑑賞眼の向上)ではなく、時代背景を踏まえた教養そのものという意味。そもそも、いまの演者や観客より、江戸時代の作者のほうが、頭、いいから……。そこを無視していると、よくわからないピント外れが起こる。自分自身も、江戸時代の社会状況、観客の意識について、より一層、見識を深めてゆきたいと思った。

もろもろ、形だけは固めたのかなというものを感じる面も多く、状況柄、いろいろと仕方ないのかなとも思うが、東京公演での向上に期待したい。

ほかにも、これ、どうなってんの?と思うことがあり、なんだかモヤモヤの多い4月公演だった。


今月の文楽劇場は、部にかかわらず、比較的客がたくさん入っていた(いるように見えた)。いつもは前方中央ブロックにのみ人が固まっているが、今回は客席全体にバラバラとなんとなく分布していたので、人が多く見えたのかも。「XXさん老けたな〜」という話をされている方を何度かお見かけしたので(文楽劇場恒例、上演中に出演者に聞こえるレベルで喋るツメ人形)(隣のツメ人形がすかさず「お互い様やで〜」と突っ込む)、ずいぶんご無沙汰だった方の足が戻ってきているのかもしれない。
しかし、いちばん増えたのは、訪日外国人観光客だろう。部によっては観客の1〜2割は外国人観光客では。ロビーに英語ガイドのスタッフが立っていたり、展示の解説を日英併記にするなど、劇場側でも対応がとられていた。劇場常連客も、写真のとりあいっこなどで、大阪弁と英語で観光客と会話していた。いやなんで大阪弁と英語で話通じるんや。大阪弁はグローバルランゲージなのか。
第二部は、隣席が西欧系の外国人観光客の方になった日があった。市若が切腹するとき、板額が市若の首を切るときに、Oh...とドン引きされていた。でも、こういった異様な悲劇が文楽の真髄だから、仕方ない。社会問題を扱った悲劇であることこそ、文楽人形浄瑠璃)の一番の個性だと思う。文楽が一般にみられる人形芝居のような「子供向け」とは異なり、大人向けと言われるのもそのためだ。歌舞伎との最大の違いもこの点だろう。今後はいかにその部分を打ち出すかが課題となってくると思う。

 

 

のぼり。

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2Fロビー装飾。そのほか、場内全体に、八重桜の装飾も追加されていた。

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旧・市若の衣装。ボロボロになっていたので今回のものは新調とのこと。

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うしろがわ。

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文楽 4月大阪公演『絵本太功記』二条城配膳の段、千本通光秀館の段、夕顔棚の段、尼ヶ崎の段 国立文楽劇場

文楽劇場の場内アナウンス、「尼ヶ崎の段」の「あまがさき」が訛ってるような気がする。大阪公演だから?

 

 

第一部、絵本太功記。
『絵本太功記』は近年何度も出ている演目のため、感動的な展開!このシーンに震えた!このフリがカッコイイ!とかの素直感想は書きようがなくなってきた(元から書いてねぇだろ)。あまりに見すぎて演技を覚えてしまっているので、この人はこれやってるけどあの人はやらないとか、細かい差異が目につくようになっている。そこで、今回の感想は、極めて微細な部分に注目し、それを通して演者の性質を考察するという方向でいかせていただこうと思う。

 

『絵本太功記』は、文楽の中でも大好きな演目。また、光秀は時代物の男性の役の中でもクソデカい部類、かつ、最も派手な演出がついているので、玉男さんに似合いそうな役として、観るのが楽しみだった。
実際、今回の『絵本太功記』は配役が良く、『絵本太功記』の世界が存分に表現されていて、文楽の舞台として大変充実していた。しっかりくっきり濃い、という印象。よくよく考えるとそんなに長い上演時間ではないのだが、ずっしりとした重量感、充実感があった。配役上、タマ・ブラザーズがやたら集まっていたが、この配役こそ、時代物に力強い口当たりと辛口の切れ味を出している理由とも思える。(集結している理由自体は謎)

その筆頭、玉男さんは、光秀を底知れない豪傑として表現しているのかなと思った。光秀にも、玉男さんの演じる役全般にみられる、不気味さや、なにか隠されたもの、秘められた内面があることが感じられた。光秀は、漫然とした一般論で言うと「悲劇の英雄」風の振る舞いが期待されていると思う。が、玉男さんは、そこを通り越して、「決意の方向と太さが完璧に異常なヤバイ人」になっていた。逆にさつきのほうに感情移入できるッ。的な。

玉男さんと玉志さんは、光秀の方向性が違うんだなとも思った。玉志さん(2022年12月東京鑑賞教室公演)は、光秀の意志の強さが全面に出る。誇り高い叛逆者としての「威ありて猛からず」が突き抜けている。三手、五手先を読んで動くような、雑味のまったくない精度の高い演技だったため、より一層、光秀の意志の強さがクッキリと立ち現れていたのだと思う。
玉男さんは、演技の正確性自体は比較的高いけれど、精度そのものにはこだわらず、自然な所作として動いているように思われる。また、所作を振り付け的に処理しすぎて、動きのスピードが不規則にならないようにしていると思う(所作を過剰に旋律に乗せすぎない。また、演奏に間に合わないからと言って所作を素早くするとかはしない)。本や基本的な型に合っているけどマイペースは絶対崩さないという点、もしかして、これが玉男さんの遣う人形たちの「隠された意志」の印象に繋がっているのかもしれないと思った。

また、玉志さんと玉男さんでは、細かい芝居が違っていた。玉男さんは、じっとしているように見えて、意外と細かくリアクションしている。玉男光秀、なんか、さつきのこと、めっちゃ気にしてるんだよね。刺されたさつきの述懐を聞くところ、さつきが「これを見よ!」と言って刺された姿を見せつけてくる部分。セリフは「これを見よ!」だけど、芝居としては、「親の無惨な姿を直視することはできない(目を逸らしてしまう)」という趣向だと思う。ただ、玉男さんは、その時点で即座に振り向くまではしないが、そのあとに続くさつきのセリフのあいだに、ちょっと、見てますよね。わりあい素直な目線で。光秀がさつきのほうを見ていないようで見るという芝居は玉志さんも同じだが、玉男さんのほうが明瞭。帰ってきた瀕死の十次郎から「父上!」と呼ばれるときも、ちゃんと十次郎のほうに向き直って、「ぱし!ぱし!」していた(玉志さんは回によって違うのだが、十次郎のほうを向かずに扇で腿を打つ返事だけをする場合が多い)。このあたり、何も考えていない人や、人形を遣うのに必死すぎて考えが及ばない人は、リアクションをすること自体が目的となって所作を漫然とやって場合が多いのだが、玉男さんはタイミングがよく図られており、光秀の意図をあらわす演技としてやっているように感じられた。
逆に、冒頭、風呂場に竹槍を突っ込む部分は、玉男さんは(相対的に)かなり演技を切っていた。玉志さんのほうが注意深く中を伺ったうえでやっている。扉に左手を当て、人形の目を風呂場側に寄せさせて様子を観察し、一度扉を軽く叩いてから素早く突き刺す。玉男さんはこのあたり、そこまで細かく演技を入れず、扉のところまで行ったらぱっと刺すという演技。この竹槍を突っ込む部分、実は勘十郎さんも玉志さんに近い細かめのフリを入れているので(ただし、玉志さんと勘十郎さんで、演技が細かい理由は根本的に違うと思われる)、玉男さんだけがシンプル化しているということになる。

このあたりを考えると、玉男さんは光秀の家族関係の描写を重点的に、重めにやりたいということなのかな。彼にとってはやはり家族も大切というか。そういう意味では、異様とも思える稀代の反逆者にも家族への情愛があったという、本来の物語に立ち返った芝居なのか。ただ、個性としての不気味さが強いので、本人の意図からは少しずれて見えているのかもしれない。玉志さんは信念と家族が別次元に存在しているような演技で、実際には、玉志さんのほうが自己と他者との遮蔽は強いのだが(浄瑠璃の内容には合っているが、芝居の慣例としては相当イレギュラーな解釈)。

それはともかく、光秀、まじで、デケェ!!!って感じだった。巨大ロボットがガションガション歩いている感じというか。220cm以上あるだろ。第三部「弁慶上使」の弁慶よりデカい。終演後、「明智光秀 身長」を検索した。(諸説あり)
「人形があたかも大きく見えるように遣っている」というのはもちろんあるが、おそらく、人形を構える位置がほかの人より若干高いのだと思う。座っているときにも人形の脚のラインが見えて、下半身の見え方がほかの人よりすっとしている。つまり人形の胴体の位置が高いのではないかと思った。木登りをして、松の木の上で決まる際も、人形の胴体がしっかり伸びている。光秀は、じっとしている状態でもぐらつきがなく、アクションで人形の位置をさらに高く上げるときも安定していた。相当大変だと思うし、事実、大変そうだと思ったが、本当にようやるなぁと思った。
2022年1月大阪公演で『絵本太功記』が出たとき、勘十郎さんが光秀を遣っていたが、「尼ヶ崎」の最後のほうで、人形の位置が尻餅をついているように下がっていた。ああこの人……と強いショックを受けた。玉男さんがこの状態になったら、私は舞台を直視できなくなくなると思った。そういう意味では、今回の『絵本太功記』は不安もあったのだが、玉男さんは玉男さんで、良かった。大変な役には間違いないが、玉男さんだった。

 

 

 

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以下、そのほかの感想。

二条城配膳の段。

蘭丸〈吉田玉翔〉と十次郎〈吉田玉勢〉は、非常に良かった。
蘭丸は、かしらや衣装にふさわしい、張りつめてやや険のある、若者ならではの鋭さがあった。目線がしっかり定まっているのが武士らしい。迷いやごまかしがなく、所作は以前の同役配役時より相当に洗練されている。ご本人が自信を持って演じられているのだと思う。前回見たとき、ターン綺麗すぎだろと思ったが、やはり今回もかなり綺麗だった。
蘭丸は、動く時、止まる時、ちょっとだけかしらにアクセントとなる動きを入れている。やはり初代玉男師匠を踏襲しているのかな。このアクセントがあると人形にメリハリがつくので、自分に合う方法を模索しながら深めていって欲しいと思った。

この段の十次郎は非常に可憐。パール色にいろとりどりの刺繍の入った、乙女チック(?)な揃いのスリーピース(スリーピースではない)と、ほやんとした表情のかしらに合った演技。漠然と、玉勢さんは、久我之助とかの美少年、美青年の役のほうが似合うのかもなあと思った。

浪花中納言兼冬〈吉田文司〉は、なんであんなにパンツの丈が詰まってんの? (答え:勅使だから) 「わんこ(ゴールデンレトリバー)を散歩後に風呂場で洗ってあげた人」みたいになっとらん?

尾田春長〈吉田玉輝〉は、ガングロサーファーみたいだった。玉輝さんにしてはオーバーリアクションが多いように思ったが、かなり割り切っているのか? 解釈の幅を持たせるため、もう少し落ち着いていてもよさそうに思った。

 

今回、『絵本太功記』は4/13・14・15の3回見たが、「二条城配膳」「千本通光秀館」は、13日黒衣、14日出遣い、15日また黒衣だった。一般に大序や端場、人形がガチャガチャ出てくる段は黒衣にする場合があるが、なぜ日替わり? 出遣いでいいと思う。

 

 

 

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千本通光秀館の段。

墨絵の襖のある、クリーム色主体の座敷の屋体。上手には、床間を神棚にした一間。床間に「八幡大明神」の掛け軸がかかり、左右に榊。操が塩を供える。下手は廊下。芝居は屋体の中のみで行われ、船底は使われない。

千本通光秀館」は伝承がなかったものを復活した段のようだ。観てみると、確かにいらんな、という印象だった。話としてはあったほうがわかりやすいけど、舞台として上演するほどの意味があるかは首をかしげる。現状では、「光秀が謀反を決意した」というあらすじ説明以外のものが何もないというか……。演出なりで、もう少しドラマティックさや異常性を盛ったほうがいいのではないかと思った。
今回は光秀が玉男さんのため、フラットな状況のなか、突然発狂したような行動を取るというのは、不気味な光秀像への演出として、合っているといえば合っていた。本来はダメだが、どこに心の変わり目があるのか全然わからないことがプラスに働いている。玉男さんのクマ感が活かせるというか。あまりに唐突すぎる謀反の決意、悠々とした動きに、玉男様のクマ・オーラ、ぴったり。くそでかツキノワグマ。月の位置、違うけど🥺 

九野豊後守は、佇まいや所作があまりに上品なので、春長が監視のためによこしたお目付け役かと思っていた。実は普通に光秀の家臣。めちゃくちゃ上品な理由は、配役が勘市さんだからです。

四王天田島頭は、短慮ながらそれが短所とならないところが、文哉さんに似合っていた。しかしこの人、8年ぶりくらいに見たな。8年前に見たときは、プログラムで、「四天王」と誤植されていて、お詫びの紙片が入っていたことだけ、はっきり覚えている。

謀反を決意した光秀を見て、操〈吉田勘彌〉がプルプルして顔を伏せるのは良かった。

 

 

 

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夕顔棚の段、尼ヶ崎の段。

非常によくまとまっていて、良かった。

操は艶麗で良い。以前の感想にも書いたが、操って、氏素性、謎ですよね。「夕顔棚」で家事の手伝いをする際、謎に小汚いエプロンをつけたり、尋ねてきた久吉の足を洗ってあげたりするけど、あれ、大名の奥方という身分にしては、不自然な行動ですよね。もともと氏素性知れないことをバカにされている光秀の妻だからなのか。普通はかなり違和感があるのだが、勘彌さんの若干鄙俗というか、しどけない味がプラスに出て、私の中の高校生男子が大興奮のお色気奥さん感があった(絶対にご注進しないでください)。

今回の番組編成で、操はかなり難しい役になったと思う。操は、「千本通光秀館」で1度、「尼ヶ崎」で2度、クドキ(光秀を諌める、あるいは独白する)がある。それぞれ、なにを訴えかけているかが違うのだが、区別があまりわからない。訴える内容は、それぞれ主君、姑、息子についてと異なっており、操にとっての本当の意味での大切さや切実さは実際には段階ついてるのでは。「尼ヶ崎」の区別だけでも曖昧になっていることが多いのに、たいして意味がない段でも中途半端に見せ場があると、混線するな。ただ、操は悲劇を盛り上げるリアクション係の役割しか与えられていない、中身のない人物だ。たとえば『一谷嫰軍記』の相模と比較するとわかるだろう。この薄っぺらさこそ、若手会含め、誰が操をやってもそれなりに見える理由でもあるのだが、ある程度力量がある人が配役されると、彼らの力量の見せどころである内面表現を深めることが難しく、逆にそこが足を引っ張ってくる。
勘彌さんは上手い人ではあるが、独自のリズム感がある方で、床が盛り上がっていないと、独立して勝手に人形のみで盛り上がることはしない部分がある。十次郎が帰ってきた部分の操はリアクションが大きくなり、非常に悲しそうなんだけど、もっと大きく突き抜けて欲しい感があった。そのあたり、今後の変化があるといいなと思っている。独自の操の人物像をみずから構築しなくてはならないと思う。

操の足の人は真面目そうだった。勘彌さんは一見ゆったりとしているように見えて、感情の動きが非常に速い。そして、人形が決まるまでの動きもかなり早い。速度だけでなく動き始め自体が数手早く、左や足が追いつかなくなることが多々ある。「取りつく島もなかりけり」で、操は船底中央で背後姿勢になり、屋体の中の光秀と向かい合って決まるところなど、二手、三手前から決まる準備していたが、今回の足の人は勘彌さん同様、比較的早くから準備しており、手すりに突き当たったら人形の上半身が完全に決まるより早く、自分はすぐしゃがむなどして、人形が目立つよう配慮がなされていた。えらいっ。

2024.5.2 追記
清十郎ブログに、4月公演分の人形小割の写真が投稿されていた。それによると操の足は勘昇さんですね。えらいっ。
これは清十郎さんが若手を褒め、励ますために上げてくれたものだけど、こういうことは、本来、国立劇場文楽劇場がやることだと思う。研修生募集に苦慮しているならなおのこと、また、若手のモチベーションを上げるためにも、少しでも彼らの励みになることをやって欲しい。でも、絶対やりよらんでと思うので、まずは清十郎、毎月、頼むわっ!!!!!!!!!

 

なお、「取りつく島もなかりけり」での光秀の決まり方は、軍扇を広げる方法。玉男さんが軍扇を広げず腰に手をつけるやり方にする日は来るのか。「普通と違うほう」、「難しいほう」をやればなんでもいいというわけではないが、玉男さんはやるべき水準に達しているのでは。そこでなんか言ってくるやつがいたら手打ちにすればいいと思う。

 

十次郎は、実に良かった。刀をついて思案に沈むとき、鎧姿に着替えたとき、傷を負って帰ってきたとき、それぞれ的確に演じ分けがされていた。思案に沈む姿は、「思案に沈む姿を演じている」以上のものになるのがかなり困難なところ、十次郎自身が持つ愁いや、それが若さゆえの懸命さによるものであることがよく表現されていた。出陣のため鎧姿に着替え、暖簾奥から出てくる場面は華々しく、腕も若武者らしい力強さですんなりと伸びて、綺麗に決まっていた。
十次郎は、上手い人がやれば、もっと「上手い」とは思う。だが、十次郎という役の持っている懸命さ・青さと、いまの玉勢さんの限界まで頑張ったうえでの技術がうまくマッチしていて、非常に魅力的な十次郎となっていた。

しかし、尼ヶ崎の十次郎の刀の下げ緒、変色しすぎ、ズタボロすぎんか? おじ武士が持ってるならともかく、若武者なんだから、もっと綺麗なんに替えてやってくれ。刀といえば、この段でまじで意味わからんのが、初菊が十次郎の刀を受け取るくだり。初菊、水汲みがうまくできなくてウネウネしていたり、鎧櫃をゴチャラゴチャラと時間をかけて引きずったりしてますけど、あいつ、十次郎の太刀を片手で軽々と受け取るよね。太刀って、結構、重いよ。いまの片手での受け取り方、慣例なんだろうけど、『仮名手本忠臣蔵』判官切腹の段で、力弥が由良助から太刀を受け取る所作を安易に流用してるだけで、なにも考えられていないように感じる。頼まれてもいないのに刀を受け取るのは、わたしは十次郎の妻よッ!という意味であって、初菊という人物にとっては重要な行為であると見せたほうがいい。振袖を両腕に巻いて、十次郎にそこに乗っけてもらうという受け取り方のほうが、姫役っぽくて、よいのでは。そもそも直接素手で鷲掴みするのも違和感がある。と思った。(鷲掴み自体は配役された人の問題だが)

 

久吉は玉佳さん。玉佳さん、最後にキラキラになって出てくる役、良すぎ。久吉は、正体を顕わして奥から出てくる「♪三衣に替わる陣羽織〜」のところでいかに燦然と出られるかが勝負。超、キラキラしていた。キラキラは玉志さんも相当強いが、知的で美麗な方向にいく玉志さんより、武張って若い印象に寄っている。腕の突き出しや顔振りが強い。タマカ・チャンお得意の「陣屋」の義経に近いな。
最後に光秀と久吉が睨み合い、立ち位置が入れ替わりになって、同じフリになるところ。ここ、揃わない場合がかなりあるが、ちゃんと揃っていた。睨み合うところは、上手(かみて)にいる玉佳さんが光秀の人形が振り返るのを目視確認し、それに合わせて久吉を振り返らせていた。しかし、最後に振り付けが合うところは、玉男さん(上手)も玉佳さん(下手)も相手を見てないですね。演奏に合わせて動いているだけで合っている。いや、演奏に合わせて動いているからこそ合っているのだろう。ここまで揃っているのは驚異的だが、かつて師匠の光秀の左や足についていたときに「師匠はこのタイミングでこうしてた!」というのをお二人ともよく覚えていて、それを二人が同時に完全再現しているのだと思う。師匠が亡くなっても、師匠が舞台でやっていたことはこうして残っていくんだなと思った。
陣羽織になってからも良いが、旅僧姿の軽快さ、朗らかさもいい。若干頭悪そうなのもいい(よくねぇよ)。普通に考えて、あんな女性3人の住まいに僧侶と言えど泊めてくれとかありえない。そのへんの草むらで寝とけやと思うが、玉佳さんなら「どうぞー!」感、あるな。と思った。タマカ・チャンゆえに、ここが安達原なら、あとで鍋の具材にされて食われそう感もあるのも、また、良い。

 

「夕顔棚」の床、三輪さんは、さすがにベテランは急に音程が上がるところ(マカン)の処理が自然だなと思った。ただ、演奏が途中で詰まった日があった。直接的には、床本のページがうまくめくれなかったのが原因のようだが……、次になにを言うか自体はわかっていたとは思うが、演奏を止めたのは、自分のペースが崩れるからか。それなりの年齢の方だし、何かあったのかと思って、ちょっとドキッとした。人形は、そういったトラブルをうまいこと流れせるタイプの人の演技の番だったので、まあまあなんとかなっていた。翌日からは、なにごともなく、いつもの三輪さんに戻ったので、よかった。そういえば、太夫さんはどんなジジイでも床本のページちゃんとめくってるけど、出る前にハンドクリーム塗ってるのかな。

千歳さんは良かった。自分が見に行く前の日程で数日休演されており、大丈夫かと思った。実際、3回見たうちの最初の2回は、のどの調子が悪そうで、盛り上がりにも欠けた。しかし、3回目は、思う存分の演奏ができているようだった。光秀やさつきの語りには、旋律や拍子に乗りすぎない破調した部分が作られており、そこが「ささくれ」となって、人物の切実性が滲んでいた。
「尼ヶ崎」が出るといつも気になることがある。それは、二度目の操のクドキ「母は涙に正体なく『コレ見給へ光秀殿……』」の部分が、直前のくだりとシームレスすぎること。どこから操のクドキになるのかわからない。「母は涙に正体なく」以降の声量を目に見えて(耳に聞こえて?)上げたほうがいいのではと思っていた。で、今回、実際にそうなっていたのだが、それでも「?」な感じ。
そこで津太夫の「尼ヶ崎」の録音を聞き直してみたところ、「母は涙に正体なく」をデカい声で語っているというより、直前の「愛着の道に引かるゝいぢらしさ」を抑えた声で、かなり遅く語っていることに気づいた。このうち、「かなり遅く」というのが一番重要で、「母は涙に」から急速にテンポを上げていることが劇として、つまり操の内面表現として効果を生んでいるのだと思う。大きく盛り上がるところを作るには、引いて抑えるところを作らなデコボコはできんわな。義太夫という音楽および人形浄瑠璃という人形では、速度のメリハリは重要だと改めて思った。
昔の録音を聞くと、「ゆっくりしたところ」は本当に「ゆっくりしている」ように聞こえる。本当に今よりゆっくりしていたのかな。それとも、舞台で生聞いているときと、好き勝手な環境で聞いているときの、自分の感じ方の違いかな。
「尼ヶ崎」の三味線について、最後の「♪みわ〜た〜す、沖は中国よりおいお〜い〜いい数万(すまん)の兵船」のところ、三味線が非常に細かくなるが、あそこ、結構ミスするもんなんですね。過去の鑑賞教室でもかなりのミスが発生していたが、「若造」はともかく、ここまでのベテランでも難しいのか、と思った。観た回全部失敗したわけではないけど、いいところなので、失敗すると、目立つ。

 

 

今月は人形に休演が多い。「夕顔棚」の冒頭、妙見講に参加しているツメ人形は、通常4人だと思うが、3人になっている日があった。人を出しきれなかったのか。それでも、出されている湯呑みの数は4個。お茶注ぎ役の人は「あ」と思っただろうが、なんとなく少し触って、誤魔化していた。
それにしても、冒頭の「ナンミョーホーレンゲーキョー」、良すぎ。上手袖のカーテンの裏に若手太夫が隠れてやっているのだが、席によっては、若手たちツメ人形のように並んでワーワー言っているのが見える。ツメ人形、めっちゃおるwwwwwwと嬉しくなる。

 

 

 

  • 義太夫
  • 人形
    浪花中納言=吉田文司、尾田春長=吉田玉輝、武智光秀=吉田玉男、森の蘭丸=吉田玉翔、武智十次郎=吉田玉勢、妻操=吉田勘彌、九野豊後守=吉田勘市、四王天田島頭=吉田文哉、赤山与三兵衛=桐竹亀次、母さつき=桐竹勘壽、嫁初菊=吉田簑紫郎、旅僧 実は 真柴久吉=吉田玉佳、加藤正清=吉田玉延[前半]吉田玉峻[後半](吉田玉延、吉田玉峻休演につき、代役・4/14〜吉田和馬)

 

 

 

 

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玉男さんの光秀を見て、改めて、光秀は、配役された人によってイメージが変わるなと思った。
私は、人形を見るとき、人形遣いがその人形(役)をどのような人物として捉えているのかに関心がある。また、演者がそれをいかに高い精度で舞台へ定着させるのかを見たいと思っている。光秀だけでなく、ほかの役でも同じだが、「既存のその役に期待されるもの」をコピペしたような慣例的な芝居は、現代ではもう通用しない。「既存のその役に期待されるもの」自体をいまの観客はわからないから期待していないし、慣例的な芝居は好まれない。一般の舞台演劇、映像等の芝居で、近年、「憑依型」の俳優、あるいは「憑依型」という言葉が褒め言葉としてもてはやされるのも、その裏返しだと思う。歌舞伎を真似しても、じゃあはじめから歌舞伎行けばいいじゃんって話になるし。文楽文楽として、芸能としての特性通り、浄瑠璃の文章に沿い、その演者がよくよく考えた、独自の像を作っていく必要があると考えている。その意味で、今回の玉男さんの光秀は、興味深い人物像だった。

「尼ヶ崎」が近年繰り返し上演されているのを見ていると、人形の操演技術と、それが導く表現力だと、玉志さんがぶっちぎった状態になったと思う。精度が高すぎて、真正面からぶつかっても、もう誰も勝てない。そうなると、どのような解釈をどう表現するかという個性自体が争点になる。そういう意味でも、今後光秀を演じる人がどのような光秀像を描いていくのか、楽しみである。