TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 1月大阪初春公演『七福神宝の入舩』『傾城反魂香』『曲輪文章』国立文楽劇場

正月から情報量が多い! 初春公演に行ってきた。

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七福神宝の入舩』。

宝船に乗った七福神がそれぞれ隠し芸を披露する景事。開演時は舞台に紅白幕が張ってある状態で、それが振り落さされると、七福神の乗った宝船がセリで上がってくる。

最初の感想「人がめっちゃ乗ってる!!!!!!!!」。

次の感想「情報量が多い!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」。

文楽劇場の舞台横幅いっぱいの超巨大な船に、とにかく人がめちゃくちゃいっぱい乗ってた。うそ、7人しか乗ってない。その上、七福神がそれぞれが好き勝手にうぞうぞしているので、情報量が多すぎて気が狂いそうになった。

七福神の披露する芸は、歌舞伎の同演目では舞踊だったと思うが、文楽では舞踊ではなく楽器演奏系が多く、三味線のみなさんが活躍する。

  • 寿老人〈太夫=竹本三輪太夫/人形=吉田玉志〉 三味線で琴の音を出す。演奏は本物の琴+三味線。
  • 布袋〈豊竹靖太夫/吉田清五郎〉 腹鼓を打つ。鼓の音は三味線(鶴澤清𠀋)で再現。
  • 大黒天〈豊竹靖太夫/吉田勘市〉 胡弓を演奏する。演奏は本物の胡弓(鶴澤友之介)。
  • 福禄寿〈豊竹亘太夫/桐竹紋秀〉 越後獅子を披露する。
  • 弁財天〈豊竹芳穂太夫/桐竹紋臣〉 琵琶を演奏する。琵琶の音は三味線で再現(鶴澤清友)。
  • 恵比寿〈竹本太夫/吉田簑紫郎〉 竿で拍子を取る+鯛を釣る。
  • 毘沙門〈竹本文字栄太夫/桐竹亀次〉 三味線を弾く。

玉志サン、新年一発目の役はまさかの七福神センター。上品で清楚げな爺さんだった。寿老人が三味線を弾く手のフリは初日から床とぴたっと合っており、すごいを通り越して若干不気味だった。自信満々でやっているというよりやや神経質な合わせ方で、勘十郎さんの阿古屋とはまた違う意味で玉志サンの執念を感じた。どうも琴の音は余韻として聞こえるという解釈らしく、人形の手のフリは琴の音では動かさず、三味線に合わせているようだった。
寿老人は一番ジジイだからという理由で最初に芸を披露するが、寿老人が三味線を弾いているあいだ、ほかの6人が酒盛りをはじめるのがやばい。絶対三味線聴いてない。大黒よ、なに打ち出の小槌で酒出してんねん*1。しかし、その間も、うしろにいるほかの役の人で、寿老人をガン見している方が複数おられた。いつかご自身に寿老人役が来る日に備えておられるのだろうか。
あと、寿老人はものすごい爺さんという解釈だからか、スタンバイしているときはそこはかとなくプルプルしており、相当な後期高齢者感というか、おじいちゃんを通り越してチワワ入りはじめていた。つねにちっこく佇んでいてかわいかった。

布袋は耳がたぷたぷしていた可愛かった。耳たぶだけかしらとは別の素材でできているらしく、ぷるんぷるんしていた。
宝船が最初にセリで上がってくるときの、ちょっと体をひねってそらせた上向いた立ち姿がとてもよく、さすが清五郎!と思った。ちょっと律儀そうなのが良い。ポーズのキメで重要となるアイテム、袋が意外と重そうで、肩にかけるときは勢いよく回して遠心力で肩にのっけていた。
腹鼓はお囃子が入れるのかと思ったら三味線でやっていて、ちょっととんまな音でおもしろかった。技法は、三味線の糸と竿のあいだに指を入れて糸を持ち上げ、擬似的にくぐもった音を出というもの。糸は爪で持ち上げているようだったが、大変そうだと思った。
ところで布袋さん、自称「和尚」と言っていたので神なのに一般人なの?と思ったら、布袋さんって本当に僧侶なんですね(Wikipedia調べ)。勉強になった。

福禄寿の角兵衛獅子は、伸び縮みする頭の上に獅子舞をかぶせて頭をピョコピョコ伸縮させつつ踊るというもの。船のへりから獅子舞の乗った長い頭をニョッと突き出して登場、ひょうきんじじいになっていた。本物の角兵衛獅子ってバク宙したりするけど、うしろに背後霊がいっぱい憑いてる文楽でどういうふうにやるんだろと思ったら、ひょこっと逆立ちしていた。わりと器用。調子こいたジジイ感があってよかった。それはいいけど、あの頭部は日本芸術文化振興会レギュレーション的にOKということでああなってるんだと思うが、うーん、文楽らしいおおらかさ、と思った。

大黒は胡弓を弾く前の狩衣のようなふわっとした袖をひらひらさせる振りがよかった。外見に似合わないシャープさがある。瑞々しさ、ふんわりとした優しさ、端正さが垣間見得て良かった。初日は人形の胡弓の準備に手間取って弾きだしのところが床に遅れてしまっていたが、二日目には早速リカバリしており、さすがだと思った。

弁財天の人形、頭の上にティアラのように鳥居を乗せているのはなぜ?と思ったが、どうもそういう姿で造形される弁財天がいるようだ。あと、先がとんがったブーツを履いているのが可愛かった。
しかし何より驚くのは、三味線で再現される琵琶の音。突然ジャランとした音が鳴ったので本物の琵琶を演奏しているのかと思ったら、清友さんが三味線で琵琶の音を出していた。『源平布引滝』の中に「松波琵琶」という段があって、そこでは琵琶の音を三味線で再現していると聞いたことがあり、実際「松波琵琶」の古い録音を聞くと*2なんだかいつもよりジャランとした音が鳴っとるぞと思うのだが、いかんせん録音が相当古く、リマスター等もしていない音源のためよくわからなかったのだが……。生の演奏で聴くと、確かに琵琶の音に聞こえる。ふだんの太棹三味線とはまったく違う音。すごい。コマの交換等によってあの音を出しているようだが、コマだけでこんなに音が変わるんだ。人形が持っているのは本物の琵琶ではと思うが、本物の琵琶を持っていない清友さんのほうが琵琶の音を出しているのはすごい。
ちなみに弁財天の人形が琵琶を弾く手のフリ、初日から清友琵琶に合っていて、これもまた不気味だった。そうそう出ない演目だし、琵琶を弾く役も滅多にないと思うが、どうやって演奏を覚えているんだろう。寿老人の玉志さんかて、立役で三味線弾く人形なんか滅多におらんのに。確かに玉志さんや紋臣さんは普通の演技でも必ず浄瑠璃の間合いに合っているので、床をよく聞いているということだろうか。
あと、弁財天の姫感というか、サークラ感がとてもよかった。琵琶は遠慮しますと芸の披露を一回断ったとき、両サイドのじじい&おやじ6人が一気に騒ぎ出すのがやばかった。おまえらさっきまで他人の芸の披露にほぼ無反応やったやん。なんでここだけギャーギャー騒ぐねん。お弁女郎とか、そんなあだ名初めて聞いたし。弁財天はビッシリごっつい服を着ているが、扇子を持って踊っているところの過剰なお色気感は宝船を沈没させそうだった。
太夫は芳穂さんで、ちょっと声がしっかりしすぎになるかなと思ったら意外と(と申しては誠に失礼ではあるのだが)紋臣さん弁財天と合った訳あり風の艶冶な雰囲気があり、サークラ感に合っていた。少し細くしたような声の絞り方(声量ではなく、幅)がよかった。

恵比寿(本名・恵比寿左衛門三郎、西の宮在住。そうなの?)は最初に釣竿で拍子を取るが、釣竿にしなりがあるせいか浄瑠璃の間合いに合っていなくて違和感があった。
ひとしきり拍子を取ったあとは、竿の先にえびをえさにつけ、海に放り込んで釣りをはじめる。そのえびが結構立派なやつで、おいしそうだった*3。恵比寿さんが頑張ってナニカを釣ろうとしていると、大黒さんが応援のため、打出の小槌でビールジョッキ(の食品サンプル)を出してくれる。よく見るとジョッキに恵比寿さんのイラストが描かれていて場内爆笑なのだが、エビスビールと言いたいのはわかるけど、あのイラストって今宮戎神社えべっさんのイラストってこと? 関西の人にしかわからんギャグ。私(東京在住)は恵比寿さんの絵だってことはわかったがイラストの意味がわからず、1Fロビーに今宮戎神社十日戎のポスターが貼ってあるのを見てやっと気づいた。文楽からは大阪や関西独自の風習を知ることができて、本当に勉強になる(?)。
さて、何が釣れるかというと、ぴょい~んと跳ねたのは真っ赤なでっかい鯛(釣り上げの瞬間がめちゃくちゃうまい!!)。おお、なんか足らんと思ったらこの恵比寿さん、鯛を抱っこしてなかった! 鯛さんはびちびちと元気にされており、下手の大黒さんや福禄寿、寿老人の間で跳ね回っていた。
実はこの鯛、日によって動きが違うアドリブ鯛のようだ。初日は鯛リレー。恵比寿さんが隣にいる大黒さんに渡したところ、大黒さんが爆弾リレーのように隣にいる福禄寿にパス、福禄寿も寿老人に渡そうとしたが受取拒否。福禄寿は寿老人に鯛のクチビルをグイグイ押し付け、押し付けられた寿老人がフオオオオとなる展開だった。二日目は大黒さん(確か。福禄寿だったかも)が鯛を受け取ったあと即座に寿老人へ押し付けにいったため、寿老人やむなく(?)受領、跳ね回る鯛を抱っこしてジタバタするという展開だった。以降、鯛は下手3人だけで回したり、やはり寿老人に襲いかかったりと、日々違う動きを見せているようだ。このブログをお読みの皆様もぜひご観劇日の鯛の動きをコメント欄に書き込んでください。ちなみに鯛は最後にはちゃんと恵比寿さんのところへ帰っていき、ヨシヨシイイコイイコされていた。

最後の毘沙門は三味線。毘沙門が「わしもやるー!」と言い出したとき、下手の3人が「うっわー」「いやいやいや」「あかんやろ」って感じでめちゃくちゃdisりはじめるのがやばい。さっきから下手3人やかましいわい。両サイド2人はともかく、なに勘市も一緒になって騒いどんねん。毘沙門の一芸はジャイアンリサイタルなのだろうか。上手の2人は「……」程度の反応なのに、下手のやつらどんだけ自由やねん。毘沙門の三味線は最終的にふさふさ付き扇を持った福禄寿にお鼻をこしょぐられ、クシャミで中断させられていた。

話自体は中身一切なしの40分だが、「何かめでたいものを見たっ!!!」という気になった。おめでたさと豪華感と文楽特有の親しみやすさが満艦飾状態で、正月〜!って感じ。正月の一発目の演目は毎年ほぼ景事のようだが、他愛のない内容のわりに結構うまい人が配役されるのは贅沢なことだと思う。

以上、内容がないと言いながら感想がおそろしく長くなりすぎた『七福神宝の入舩』でした。

 

 

 

竹本津駒太夫改め竹本錣太夫襲名披露狂言、『傾城反魂香』土佐将監閑居の段。

まず最初に、津駒さんがこのような晴れ舞台での襲名披露を決心されて、本当によかったと思う。私はご本人とは無関係の立場だが、いろいろと思うこと、どうしてと思うこともたくさんあったけれど、襲名披露公演が決まってからの様々なイベント等を含め、これで本当によかったと思えた。心からお祝いを申し上げます。

口上幕は設けないとのことで、口が終わって床が回った時点で一旦進行を止め、床口上。床に新錣太夫、宗助さんが並んでいるほか、三味線側の小さい扉から呂太夫さんが出て襲名披露の口上をした。
床口上であっても喋る内容は口上幕と同等。祝辞をする人が1人であるだけという感じ。本人はずっと頭を下げたままなのも変わりない。口上の内容は五代目錣太夫の紹介のほか、「生真面目な六代目錣太夫さんが若い子ころ真面目さのあまりやらかしたやばすぎる案件」の紹介だった。東京公演でも同じ口上である可能性があるので内容は伏せるが、うん、確かにやらかしそう。と思った。口上のあいだ、錣さんはずーーーーっと深く頭を下げていたが、その間にも汗が床にボタボタと落ちまくっていた。さすがだと思った。

 

土佐将監閑居の段、あらすじは以下の通り。

土佐将監光信は近江国高島家に仕える絵師であったが、高島家家伝の硯をライバルと激しく争ったことで主人から勘当を受け、山科の閑居で浪人生活をしている。その屋敷の庭先へ、ドヤドヤと近隣の百姓たちがやってきて騒ぎ出す。将監の門弟・修理之助〈吉田玉勢〉がそれを咎めると、百姓たちは「虎が出た」と言い出すので、修理之助は日本に虎などいるはずもないと笑う。しかし姿を見せた土佐将監〈吉田玉也〉に促され、皆で竹やぶを探すと、やぶの中から虎がギャオ~と現れたではないか。驚く一同に、将監はその虎の正体は狩野元信が描いた虎の絵が抜け出たものだろうと語る。その言葉通り、修理之介が絵筆でシュパパパパとすると、虎は霞のように消えてしまうのだった。修理之介はこの功績で将監から「土佐」の苗字を許され、土佐光澄と名乗ることになる。

[ここから奥]そこへ修理之介の兄弟子、浮世又平〈桐竹勘十郎〉が妻・おとく〈豊松清十郎〉を伴って訪ねてくる。又平は土産物の大津絵を描き売ることで貧しく暮らしていたが、日陰となった師匠を心配してこの閑居に日参していたのだった。喋りの不自由な又平に代わり、おとくは土産物を渡してひたすらくっちゃべりまくっていたが、弟弟子である修理之介が「土佐」の苗字を賜ったと聞いて驚愕。又平とともに夫にも苗字をと懇願するが、将監は修理之介には絵筆の功績を上げたために苗字を与えたのであって、功のない又平には許すことはできないと言って叱る。言葉が不自由なことを師匠ばかりか妻にも言われた又平は、舌を掴んでひどく嘆き悲しむのだった。

そうしているところへ、狩野元信の弟子・雅楽之介〈吉田一輔〉が刀を提げて現れる。雅楽之介は高島家の姫が敵に奪われたことを報告し、姫の救出を将監に依頼してまた去っていった。将監が今すぐ姫の身に危急は及ばないだろうとして弁舌の立つ者に救出を任せようと考えていると、又平がなにやらそわそわしている。何が言いたいやらわからないおとくを押しのけ、又平は姫君は自分が迎えに行くことを必死にアピールして泣きじゃくる。しかし将監はそれを退け、又平の言葉の不自由さを指摘して修理之介を遣わそうとする。代わって欲しいと修理之介にすがりつく又平に気を焦らせる将監夫婦、おとくは修理之介から又平を突き放す。女房にまで狂人呼ばわりされた又平は大泣きするが、将監は又平に「土佐」の苗字は画業での功績あってこそ授けるもの、武道での功で継がせることはないと語るのだった。

おとくはもはやこれまでと、ここで自害し贈り号として苗字を賜るしかない、そのための石塔として、庭の手水鉢に自分の姿を描くよう又平へ言う。思い定めた又平は、魂を込めて御影石の手水鉢に自分の姿を描く。ところが不思議なことに、その筆勢は分厚い石を通り越して反対側にも浮き出ているではないか。その絵を見た将監は驚き、師匠にも勝る画工として又平に「土佐又平起」の名を与える。驚いた又平はおとくとともに涙し、喜びに飛び上がる。

将監は又平を姫君の救出に向かわせようと考えるが、彼の言葉の不自由さを心配する。しかしおとくは、又平は踊りが好きで節のついた音曲なら言葉に詰まることはないと言って、夫婦で大頭の舞を披露する。舞い終えて暇乞いをする夫婦に、将監は餞と告げて突然手水鉢を両断する。ばったり倒れる又平、驚くおとくは将監に何が気に入らなかったのかと問う。すると将監は、又平の吃音の原因は舌につながる心臓の調べの不調にあるとして、彼の似姿が描かれた手水鉢を両断し、その根源を断ち切ったと語る。その言葉通り、むっくり起き上がった又平はすらすらと言葉を喋ることができるようになっていた。喜び勇んだ又平は、おとくと共に姫の救出へ旅立っていくのだった。

『傾城反魂香』(宝永5年[1708]竹本座初演、近松門左衛門作)の外題で出ているが、実際には後世の改作『名筆傾城鑑』(宝暦2年[1752] 竹本座初演、吉田冠子作)の内容を上演している。
原作と改作の違いは、最後に又平の吃音が治ること。また、改作では又平が大頭の舞を舞う場面が手厚くなっている。人形遣いでもある吉田冠子の作らしく、人形が目立つ場面が追加されていることが見て取れる。ほか、文言、順序の整理等、そこそこ手が入っている。

 

襲名披露の話が出たとき、なんでこんな地味な曲で? ふだんの配役で来ないようなもっとド派手な曲で襲名披露すればいいのにと思った。けど、演奏を聞いてものすごく納得した。この曲、半端なモンにはできん。登場人物全員パンピーな上にピュアな性格で、愛憎や激情が渦巻いているような曲じゃないから、誤魔化しが一切効かない。難しい曲ですね。他人を思いやる人間の感情が表現できないと絶対に語れないなと感じた。

その点でいうと、『傾城反魂香』は錣さんにはぴったりの曲だった。

朴訥ながらつねに懸命な又平、夫を心底思いやるおとく、いかめしい素振りながら又平を気にかける将監、物静かながら又平夫婦を心配し続けている将監の妻、兄弟子を敬いながらも状況がら頼みを聞いてやれない修理之介。聴いていて切なかった。将監も決してきついだけの人ではなく、師匠だから又平の絵の才能はよくわかっているはずで、それをかたちにできない又平にそわそわしている感じ。本当は又平の吃音のことは気にしていないだろうが、それより気にしているのは又平の要領の悪さだろう。「絵筆の功を立てねば苗字を与えることはできない」ということを理解できない又平を主家の危機の前には追い払わざるを得ないのは苦しかっただろう。それぞれの登場人物の心の綾の微妙さが存分に表現されていた。
又平が吃りながらも一生懸命喋ろうとしているところは、又平も錣さんも本当に一生懸命そうで、又平のピュアさやまっすぐな心がよく伝わってきた。又平は吃音をコンプレックスにしているから、喋りながらときどき、誤魔化すようにへらっと笑う。あれがなんとも悲しい感じで、胸がしめつけられた。そんな心配しなくていいんだよと。又平の健気さや一生懸命ぶりに、客席もしんとして、又平の心を受け止めようとする雰囲気になった。

素朴なストーリーの中にある普通の人の心の微妙な綾が描かれた演奏で、とてもよかった。錣さんの持ち前の優しい雰囲気がとてもよく出ていた。折角の襲名披露、奥だけでなく、まるごと語って欲しかったな。

 

人形は勘十郎さんの又平がとってもよかった。無言のうちのまゆげの「へにょっ……⤵︎」とした表情が愛らしい。喋るのは相当不得手な自覚があるのか、ふだんはおとくに「お願い!」って言いたいことを代弁してもらっているけど、苗字を願うときは本当に一生懸命に頭をぐっと下げている。武士がやるような綺麗な礼じゃなく、手摺りにちょこんとかけた左右の手が揃っていないような礼で、又平の懸命さはよく伝わってきた。
とくによかったのは、喋ることはうまくできなくても、絵を含めて「表現すること」自体は得意というニュアンスがよく伝わってきたこと。喋るのは本当に苦手そうにしておとくの影に隠れているのに(だから姫の救出を志願しようと、又平が自ら歩み出て喋ろうとするというのはよっぽどのことだと感じた)、苗字を許されたことに喜び踊るところでは自信をもって嬉しそうに踊っている。このあたりは勘十郎さんご自身に思うことがあってのことなんだろうなと思う。又平と重なる部分を感じておられるのではないかしらん。勘十郎さんの踊りって、ほかの踊りがうまい人とはまた違ったうまさで、舞踊の振りがうまいというより、登場人物ひいては勘十郎さん自身の中にある「表現したい」という欲求そのもの、「表現しなくてはいられない」という魂が形をなしたもののように感じる。とても又平に似合う踊りだった。しかしそんな踊りに左がついていけていなかったのが非常に残念。左腕がばらけて見える。ここらで真剣になって、ちゃんとがんばろうぜと思った。
又平が石塔に絵を描くところ、客席正面側からは石塔自体に遮られて様子が見えないが、下手の席から見たらとても真剣な様子で絵を描いていた。最後のほうに「ちょんちょん」とするのは目を描き入れているのかな?

清十郎さんのおとくは清楚そうでとてもよかった。でも、清十郎さんの人形って、大人しそうだよね。しかし錣さんの語りは勢いがすごくて、まくしたてるように超おしゃべりな感じだった。とはいえ後半はあまり台詞がない&清十郎さんの人形がおとなしそうなため、急にめちゃくちゃ喋っちゃって、あとで恥ずかしくなった奥さんみたいな感じになっていた。
しかし清十郎よ、鼓を打つのがうまいな! 単にぽんぽん叩いてるだけじゃない。打つ動作にタメというか、微妙な緩急があり、リアリスティックな打ち方になっていた。

 

 

 

『曲輪文章*4』吉田屋の段。あらすじは以下の通り。

暮れも押し迫った頃、新町の大きな揚屋・吉田屋の前では嘉例の餅つきが行われ、太神楽の芸人たちもやってきて、近づく正月にみな浮き足立っていた。ひとしきり華やかな騒ぎも静まったころ、深編笠に紙子姿のうらぶれた男・藤屋伊左衛門〈吉田玉男〉が現れる。伊左衛門は主人・喜左衛門を呼び出して欲しいと店に声をかけるが、姿に合わない鷹揚な態度に店の男たちはいぶかしがり、追い払われそうになる。店先での騒ぎに気付いてやってきた喜左衛門〈桐竹勘壽〉は2年ぶりの伊左衛門の姿を見て驚き、彼を店へ上げてやる。

奥座敷へ通された伊左衛門が亭主の掛けてくれた羽織を着て心遣いを喜ぶと、喜左衛門はその様子に涙する。伊左衛門はかつては大店・藤屋の若旦那であり、そのころはこの吉田屋へも出入りしていたが、700貫目の借銭を背負って勘当され、いまはこの姿。吉田屋へも随分と姿を見せていなかった。しかし伊左衛門はそんなことではびくともしないと笑う。喜左衛門に呼び出された女房・おきさ〈吉田簑助〉が正月の飾り物の三方(っていうか、鏡餅?)を運んできて酒を振る舞ってくれるが、伊左衛門は二人が夕霧のことを言い出さないことを気にかける。夕霧はここに出入りする遊女で、伊左衛門のかつての恋人であり、二人のあいだには7歳になる子まであった。だが夕霧は伊左衛門の勘当を知って病に伏せ、その後どうなったのかを伊左衛門は気にかけていたのである。喜左衛門夫妻は、夕霧は秋頃までは病が重く勤めもできないほどであったが、寒くなってからは持ち直し、きょうは阿波からの客があってここへ来ているという。それを聞いた伊左衛門ははっとして夕霧の不義理をなじり、帰ると言い出す。喜左衛門らは今日の客というのはかつて伊左衛門と夕霧を張り合った者ではないと言ってなだめると、首尾をつけるとして座敷をあとにするのだった。

ひとり座敷で寝転ぶ伊左衛門の耳に、隣座敷から唄が聞こえてくる。夕霧と過ごした日々を思い出した伊左衛門は人の心の移り変わりの早さを悲しみ、夕霧に会わずに帰ろうか、しかし喜左衛門夫婦の志が……と思い悩んでいたが、しかしついに奥の間を覗いてしまい、慌てて座敷へ戻って狸寝入りをする。すると奥の間から美しい傾城姿に病鉢巻をした夕霧〈吉田和生〉が現れ、伊左衛門をゆり起こそうとする。しかし伊左衛門は拗ねて顔を見せようとしない。夕霧はなおも久方ぶりの恋人を慕って伊左衛門を起こすが、やっと起きた男は扇を振って彼女を追い払い、おちょくって万歳を踊る。夕霧は心変わりなどすることなく、ずっと伊左衛門を思い続けていたこと、男からの音信不通に思い悩み、床に伏せていたことを口説き立てる。伊左衛門は夕霧を気にしつつなおも拗ねてそっぽを向いていたが、夕霧が癪を起こしたのを見て驚き、酒を注いでやる。しかし夕霧はその盃を取ろうとしない。伊左衛門がやむなくそれを自分で飲もうとすると、夕霧がそこに手を添えて酒を飲み干す。二人がやっと顔を合わせて見つめ合っていると、喜左衛門やおきさ、禿など店の衆が現れ、伊左衛門と夕霧の子は伊左衛門の実家へ引き取られたこと、伊左衛門の勘当が解かれたことを喜左衛門が報告する。そしておきさが夕霧の年季の目処がついたことを告げ、吉田屋は喜びに包まれるのだった。

近松作『夕霧阿波鳴門』が豊後節に入ったものが歌舞伎に入り、義太夫に戻ってきたもの。そのため豊後節の影響が強く、義太夫らしからぬ節付け等になっている箇所がある。『夕霧阿波の鳴門』との差分は、余所事浄瑠璃「ゆかりの月見」のくだり(ここが豊後節)と万歳傾城のくだりの追加。詞章と直接関わりのない人形の細かい演技が多いのも特徴。

冒頭部は吉田屋の門口前で、吉田屋の使用人たちが集まっての餅つきから始まり、やってきた太神楽の芸人二人組が傘で鞠を回したりと、賑やかでほんわかした雰囲気から始まる。太神楽の芸人役の玉翔さん、傘で鞠を回すときの視線がちゃんと鞠に向いていたので、仕掛け自体は他愛なくとも、本当に傘で回しているように見えて、良かった。

 

伊左衛門は玉男さん。

キャーーーーーー玉男様ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!

って感じだった。玉男様のどうしようもないクズ男は最高だと思った。
あのダメぶり、愛嬌、やわらかな佇まい。本当、文楽業界最高のクズ。普段は忠兵衛などでパンピーなヘタレクズぶりを披露なされている玉男様だが、伊左衛門は根がお坊ちゃん育ち。忠兵衛のようなダメ男系の正真正銘のクズじゃなく、拗ねてる結果としてクズっぽくなってるだけなのが良いよね。しかも、拗ねてるのは夕霧の前だけで、甘えている感じなのが良い。喜左衛門の前ではちゃんと若旦那で、吉田屋の中に入ったあと喜左衛門に案内されなくともスタスタと上座へ歩いていくあたりは元のお大尽ぶりを感じさせる。しかし夕霧の前ではまるで坊や。夕霧にやたらそっぽを向こうとするけなげさ(?)が愛らしい。昔の調子で夕霧のほうを見て寝てしまうのを、ピョコッと寝直すのも可愛かった。
伊左衛門は落ちぶれていても深刻だったり悲惨な感じはなくて、寂しい感じ、くらいにとどまっている。基本は優美な印象。伊左衛門はちょっと足と体を振るような感じ、ツギ足で舞台に入ってくる。そのときのなんとも言えないスウッとした天然由来の気取り感がとても良かった。身長185cmくらいあるキラキラ顔のイケメン風。そのあとの扇の扱いなど、仕草も育ちがよさげな感じの上品な佇まい。忠兵衛や徳兵衛とは違う雰囲気で、劇中には出てこない実家の藤屋の大店ぶりを感じた。
それと、時々舞台上でクルンと回る、その回転ぶりがとても綺麗でびっくりした。あれは完全に「人形自体」が回っている。フィギュアスケートのスピンのように、人形のからだの軸を中心にしてクルンと華麗に回転している。人形の振り返り等の演技は、人形遣いではなく人形を中心にして回るのが基本中の基本とのことだが、その人形の軸にまったくブレがない。伊左衛門はごん太系の役じゃないけど、玉男様の謎の体幹力がこんなことろにも発現するとは……。人形の周りを人間が遠心力で振り回されて回転しているようにしか見えなかった。あと、ちょっとしたことだが、玉男さんの伊左衛門は酒をあおる仕草がうまいと思った。なみなみと注いだ盃から、最初、ちょっとすすってからぐっと飲み干すテンポがよかった。
なにはともあれ、玉男様の世話物のクズバリエの広さを思い知らされた。

そして和生さんの夕霧!!!!! 史上最高にデラックスな和生!!!!! こんなビカビカの和生さん見たことない!!!!!
超豪華な衣装に身を包んだ夕霧は、物理的に照明がめちゃくちゃ当たっているのか、超眩しい。夕霧に接近した人がめちゃくちゃ明るくなるのを見るに、本当に光ってるんだと思う。とにかくものすごい輝きぶり。夕霧はものすごいゴテゴテの衣装とものすごいライティングでおそろしくビッカビカになっているのだが、すごいのが、その姿とは打って変わっての可憐さ。
夕霧は人形自体が相当重いだろうに(あんなん、寝てる伊左衛門の顔見るのにうつむいたら二度と戻らんくないですか!?)、そんなことは全然感じない、ちっちゃな白い文鳥ちゃんのようなちんまりチュン……とした愛らしい動き。あまりの可愛さに感動。最初は和生さんが傾城?とびっくりしたけど、幕があいたらこんどは和生さんがこんなに娘風に可愛い!?とめちゃくちゃびっくりした。以前、『絵本太功記』尼が崎の段の映像を何本も観ていたとき、初菊が衝撃的に可愛い回があった。映像を観ているときは黒衣だったからどなたかわからなかったけれど、あとで調べたら文雀師匠だった。拵えものではない、人形の内側から発するようなピュアな可憐さに衝撃を受けたんだけど、あれと同じものを感じる。和生さんといったらやっぱり老女形がだよなと思っていたけど、私が間違ってました。うちの和生は何やってもエエ芝居するんですっ!!!!!と突然立ち上がって叫びそうになった(つまみ出されます)。
夕霧が上手奥の扉からソソソ……と出てきて伊左衛門を見つけたときの嬉しそうな表情は、少女のよう。そっぽを向き続ける伊左衛門に、恋する少女がそうするように、けなげに寄り添おうとする。彼女もまた伊左衛門が夕霧の前でそうであるのと同じように、恋する男の前では子どものように純粋になるのだろう。もちろん、夕霧のほうが勤めや立場からすると精神的にはずっと大人なんだけど、そういう建前を取り払った心の姿そのままなのが可愛らしい。それでも姿が傾城というのが、ギャップ。

初々しく健気な佇まいの夕霧と、彼女に会えた喜びで坊やのように拗ねる伊左衛門に、ああこれは昔のままの二人の、二人だけの時間なんだなと思った。ここに喜左衛門がいたら二人とも態度が変わってしまって、すれ違ったままになっていただろうな。二人で煙草盆を煙管で引っ張り合うとか、伊左衛門は灰や煙をかけるとか、一回夕霧のほうを向いて寝そべってからあわてて逆向きに寝直すとか、狸寝入りとか、万歳を踊って茶化すとか、夕霧が近づいてきたらこたつごと移動するとか(本物のクズすぎて爆笑)、可愛らしい喧嘩をしているけど、最後、夕霧が癪を起こして苦しみだしたのを見た伊左衛門がお酒を自分の手から飲ませてあげることで仲直りする。みなさんはあの癪、本当に具合が悪くなったと思いますか?

そして、吉田屋の亭主・喜左衛門とその女房・おきさがものすごく良かった。勘壽さんの喜左衛門は、加藤泰の明治時代物の映画に出てきそうな、モダンでカラッとした雰囲気。同時に、色街の大店の旦那という「普通」とは違う耽美的な佇まいもあり、端正で奥深い雰囲気があった。こういう味わいは勘壽さんならではだなと思う。ちょっとがっしりしたような、猪首のような構え方も雰囲気があった。『博奕打ち 総長賭博』の若山富三郎みたいな折り目正しさ、律儀さを感じる。

そしておきさの簑助さん。ものすごい色っぽい、しっとりとした風情のある奥さんで、ものすごく良かった。娘のまま大人になった人というイメージで、良い。相当良い家から嫁入りしてきたか、婿を取った吉田屋の一人娘かのどっちかだなって感じ。おきさは出番やしどころが少ないんだけど、いるだけで場の雰囲気が変わり、舞台全体に湿度が満ちて、甘いお菓子やお酒の香りがしてくるよう。絶妙な毒々しさにくらくらした。うちの簑助は宇宙一可愛い!!!!!!!と突然立ち上がって叫びそうになった(つまみ出されます)。

 

『曲輪文章』、思ったよりめちゃくちゃ良かった。とにかく人形がものすごく良い。超おすすめ。幕を開けたままの大道具の転換で吉田屋の内装がどんどん立ち上がっていくのもゾワっとして、良かった。文楽には珍しく、吉田屋の床の間のツボは本物(陶器かどうかは不明。とにかく立体物)で、正月ッ!!!!!!と思った。

それにしても、開演前に「知っとる。クズが出てくる話やろ」って言ってるお客さんがいてめちゃくちゃ笑った。終演後、「グズやなあ〜」と言っているお客さん(開演前とは別人)がいてまた笑った。

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初春公演第一部は正月らしく、かつ文楽らしくほんわかとした雰囲気で、癒された。昨年後半は少し疲れていて、開演直前まで正月休みは初春公演へ行かずにゆっくり過ごした方がよかったかもと思っていたけど、第一部が終わったとき、「ああやっぱり来てよかった」と、満ち足りた気分になった。だいぶ元気になった。

それはこの公演に、自分が文楽に感じている良さがすごく出ていたからだと思う。上述の通り、錣太夫さんは舞台での襲名口上幕をもうけず、床口上での襲名口上。こんな上手い人がこんな簡素な襲名とは勿体ないと思ったけど……、でも、そのぶんのお祝いがあって、本当によかった。ある配役を不思議に思っていたのも、なるほどと思わされた。錣さんと、錣さんと長い年月を過ごした方々らしい、とても素敵なお祝いだった。あたたかい気持ちになった。錣太夫襲名は文楽にとってもすごく喜ばしく、良いことだと思った。皆様、本当におめでとうございます。

 

 

 

初日の鏡開き。

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技芸員からは錣さん、清五郎さん(布袋)、紋秀さん(福禄寿)が参加。色合い的に(?)恵比寿と弁財天あたりが出ると思っていたが、絶妙な渋みのあるセレクト。今年は黒門市場商店街振興組合の人のほかに南水産物組合の人からも挨拶があり(連名でにらみ鯛ちゃんを提供してくれているから)、魚タイムが長くて文楽というより魚関係の鏡割りに行ったような気分になった。

挨拶にあった鯛情報
文楽劇場に贈られるにらみ鯛は九州から飛行機で運んでいる。関西地方では年末時期は海が荒れ、近場で鯛を獲るのが難しい。
②にらみ鯛はオスメスで一対とするが、鯛はオスメスを見分けるのが難しい。(もしかしてあいつらオスメスではないのでは?という空気になる会場)
③鯛がおめでたい行事に使われるのは「めで鯛」の語呂合わせとか色が赤とかの理由がよく言われるが、鯛自体が長生きな魚であることからではないかと思う。(40さいくらいまで生きるそうです)(別にヨタ話ではなく、挨拶してくれた人が大学がそっち関係だから詳しいと自分で言っていた)(正月からこんな『任侠沈没』みたいなことってある?)

ここまで鯛推ししてくる魚関係スポンサーが2人も来るなら、恵比寿さんも出てもらったほうがよかったのではないかと思った。それにしてもあの生にらみ鯛ちゃんたちはあのあとどうなるのだろう? 関係者用の鯛汁とかにされるのだろうか? ちなみに、文楽劇場初春公演ににらみ鯛が贈られるのは今年で30年目とのことでした。

……と、鯛インパクトがすごすぎて後回しにしてしまったが、錣さんからの挨拶は「(オリンピック開催地でない)大阪にも文楽にもお客様がネズミ算式に増えるよう……」というもの。あまりにフツーにスピーチされたため誰もギャグに気づかなくて笑わず、「すみません……」と自分でおっしゃっていた。でも、登壇されたときの拍手は誰よりも盛大で長く、「錣太夫!」の声がかかっていた。

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↓ 動画

 

 

 

ここからSHIKOROコーナーです。

昨年10月に行われた襲名に関する記者会見。とても大切なことを話されていると思う。


80年ぶりの名跡復活 文楽の竹本津駒太夫さん「六代目竹本錣太夫」襲名へ意気込み

 

昨年末は襲名に先駆けていろんな行事に参加されていたが、通天閣で行われた干支の交代式でカピバラと共演していたのが一番意味不明で良かった。挨拶の「がんばりマウス」が棒読みすぎて爆笑した。

↓ 挨拶中の津駒さんのうしろでめちゃくちゃ嫌がるカピバラ

 

↓ 引き継ぎ式のフル動画。津駒さんの挨拶は2:30ごろ(襲名披露関連)、9:30(ねずみの口上)


「きラット輝く年に」通天閣で干支の引き継ぎ式(2019年12月27日)

 

 

 

 

*1:寿老人も自分の出番のあと、お酒ついでもらえます

*2:復刻版『道八芸談』のふろくCDについています。

道八芸談(道八名演CD付き) (花もよ叢書009)

道八芸談(道八名演CD付き) (花もよ叢書009)

 

 

*3:終演後、ほかのお客さんが「『海老で鯛を釣る』やな~」とおっしゃっていたけど、私には「おいしいものでおいしいものを釣る(すぐさばけばえびもたべられる)」というように映った。

*4:「文章」は「文」と「章」で一字。

くずし字学習 翻刻『女舞剣紅楓』一巻目

ここしばらく、くずし字を勉強している。

そのくずし字の学習の一環として、翻刻が出ていない浄瑠璃を、一般公開されている義太夫正本をもとに翻字してみようと考えている。

まずは、自分がくずし字を学ぶきっかけになった『女舞剣紅楓(おんなまいつるぎのもみじ)』を翻字しようと思う。

『女舞剣紅楓』は『艶姿女舞衣』の先行作で、『艶姿女舞衣』には語られていないお園とお通の関係等が描かれており、『艶容女舞衣』の理解には欠かせない作品だ。いろいろと調べてみたが、『女舞剣紅楓』は翻刻が一般書籍として刊行されたことはないようで、全容を知るには正本(丸本、院本)で読むしかない。現在、義太夫正本は様々な図書館が蔵書をデジタル化してオンライン公開しており、『女舞剣紅楓』も早稲田大学演劇博物館、東京大学大阪府立図書館、広島文教大学が蔵書のデジタル画像を公開しているので非常に容易に内容を確認することができる。しかし、いくら簡単に閲覧できても、くずし字が読めなければ『女舞剣紅楓』の内容を知ることはできない。これがくずし字を学ぼうと思ったきっかけだった。

そういうわけで、昨年11月の半ばごろからくずし字を勉強しはじめ、いまではおおざっぱにでも正本を読むことができるようになってきた。まだ読めない文字はたくさんあるし、誤読も多いかと思うが、自分の学習の記録として、ここに翻字を公開する。自分で気づいた間違いは随時修正していくが、誤読、誤字等はコメント欄でご指摘等いただければと思う。

 

翻字について

 

 

 

 

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浮名茜染/五十年忌 女舞剣紅楓 作春草堂

(一巻目)

にぎはひは仏を出しに京中が十夜参りの人らんじね所
は名高き誓願寺。夜見世のあんどあり/\と手の筋占
辻放下。売物ぞろへめつた的あたる上るりはやりうた。
引もちぎらぬ其中に。出合の色や釣者や思ひ/\が二人づれ。
男を尻に敷金の付た女房が足引の山鳥の尾の長刀。
こじりとがめの酒機嫌。罪もむくひも忘れたる心はすぐに極*1

 

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楽の。庭は往来の山なせり。なまいたんやほく/\ほうど行合。ヤイ/\
眼つぶれめ待チあがれ。人に行当つて挨拶もせずおのりやどこへ
うせる。何とがざみよ。どぶよ。なめたつらじやないか。べら/\いはずと
ふいてしまへ。サア誤つたら四つばひに。二三べんまいあがれと。ぶいぶい/\作り
の二三人前後にはさみのさばれば。ハヽヽヽヽいやはや笑止ながらくた共。コリヤわいら
がやうに鯛くはぬ骨とは違ふぞよ。忝くも大坂の北浜の水のん
で。ちつとほねのかたい男。悪うばたつくと。手足をぽき/\へし折て。居

風呂の焚付にする。サアかた付イて返せ/\。ヘヽヽテモぬかしたは/\。コリヤ大
坂の者しや迸。きりばんで茶漬はくふまいし。がた/\ぬかすあごたぼね。
ぶち砕て仕廻んと。掴かゝるむなぐらの。手首を取て打かへせば。二人が一度
にぶちかゝる。両手をしめ上蹴倒すひま。又取かゝるをひつかづきどうとなぐ
れば三人が。ほう/\起て。イヤコリヤ何ンとするのじや。ヲヽ何ン共せぬかうすると。
首筋つかんで二人を打付。足にしつかとふみ付ケて。一人を捻上投とばし。何と北浜
のあんばいは覚へたか。アヽ覚へました/\。モどうも此通りでは済まされぬ。すりやまだ。

 

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あんばいが見たいかと立かゝれば。アヽ勿体ない/\。こなさんの事じやない。どこぞで弱そふ
なやつを捕らへて。此しかへしをせにやおかぬと。へらず口にて三人は。腰をのしかねあいタヽヽ。ても
ゑらいめにあはせおつた。アヽどふやらいぬのに拍子がぬけた。ヱイハはやしかけていんでくりよ
と。顔をしかめて拍子とり。万小間物京やが娘としは廿三其名はおすへ。サアサよい
やさ/\。まけぬ顔して立帰る。テモよはいめんざい共。是から東へ出かけふと。立行後へ申シ
/\。誰じや。フン長九郎か。おそい/\。よい慰が有たにと。投た自慢をしかくれば。アヽたし
なましやませ。誰レ有ふ大和の。作左衛門様の御子息。善右衛門様。共有ふお方がぶい/\中カ

間の付合申御仁体に似合ぬ/\。惣体よしない事に力立するは。血気の勇と言
て。まさかの時に臆病の基。魏の曹操が様な勇者でも。孔明という軍
者には勝れぬ/\。ハテ剣を学ぶ者は敵四五人に過キずといふて。せいさい強いが百人力。謀
を以て勝時は天下も一挙に平呑する。此道理以ツて。剣を学ぶ者は敵四五人に過キず。
何ンと聞へましたかと。なりに似合ぬ学問に。もてあましてぞ見へにける。ヱゝ長九郎おけ/\。いかに
わが宇治やの手代で。学問が好じや迸。阿蘭陀人の睦言聞クやうで。おりやすつきり
合点かいかぬ。シテ謀/\といふが。彼ぐわいどふじや/\。サそこが拙者蜀の孔明あぢを

 

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やつたと思しめせ。やんがておまへの思しめす儘。スリヤあんばいがよいか。よい共/\極上飛切。それでマア
落着イた。市蔵が此京へ登つて。ぽんと町み居る内。どふぞこんたんせうと思ひ。それておれも
登てきた。そんならいさいゐは。ぽんと町で一ぱい引かけ。万ン事の評定。然らばお出と何事やら。互イ
に呑込悪事のさゝやき打つれてこそ立帰る。夜も早なかば。ふけ行けば。売リ物店もちり/“\
に。空すみ渡る町つゞき。風ひや/\と月かげに十夜参りの悪あがき。溝板はづし駒よせの竹
でぐはた/\戸をたゝき。会所へ判持てごんせ。今じや/\と門々に。忌札はつて行道へ。石塔すた/\
さし荷ひ軒に立かけ行も有リ。女子一人リを四五人が引ずり引ぱる念仏は。十夜のおかげと見へ

にける。道へゑい/\/\/\と。大勢づれが隣町の番部屋かいて打おつし。テモよふねる夜番じや。
四五町が間かいてくるに鼻息もしおらぬ。太平な代の印シじやと皆言。打捨テ逃て行。夜半
過れば八ツ時を。酉の辻からどん/\と町の番太が打てくる。太鼓の音が聞こへてや。夜番箱から
太鼓さげ。ぬつと出たる大あくび。空を眺て。ハアなむ三八つじや。四つからぐつと一寝入。夜半をとん
と打たなんだ。アヽヱイハ夜半と八つと押込に。打てこまそと現半分。どん/\と打出す向ふへ又どん
/\。べつたり行合恟りし。ヤイ/\人の町へ儕は何て太鼓打てあるく。イヤ儕レ何でこちの町を
あるきおる。ヤこちの町とはどうしてぬかす。儕レはどふしてぬかしおる。ヤうろたへ者め目を明おれ。儕レ

 

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からマア目を明おれ。イヤ儕レから。われからと。互イにせり合ねぼけ共。さらにたはいはなかりけり。コリヤ
やい謹で承はれと。しかつべらしくこは作る。忝くも拙僧は。夜番には二代の後胤。宵寝の
仁助と名を取て。つゐにふかくを取ぬ男。先鉄棒の引ずるあんばい。りんのふりやう。太鼓の
拍子。われ竹拍子木の廻り。酒■捨子の捌やう迄おそらく。夜番一通りなら。コリヤ
番銭持てけいこにこいと。撥しやにかまへばはりひぢし。さもさう/\とぞ語りける。ハア丶やりおつた
/\。儕レが寝てゐる番部屋を。かゝれて来たもしらぬざまで。夜番の因縁おかしうして。臍
が有馬へ湯治すると打笑へば。あたりを見。ヤアなむ三こりや誓願寺じや。おれが町とは

五町違ふた。扨は夢ではなかつたかと。まつげぬらし[革可]*2居る。顔をつく/“\月夜かげ。わりや大
坂の勝次郎じやないか。そふいふわれはごろたの彦六。ても。/\。是はと太鼓で拍子。扨はわれ
も夜番か。サアわれも。何を思ひあふた事ではないか。イヤもふどうで悪い事でもうけてはのし
がない。それでふつつりもふけ事の数珠切つた。腰のわるいやつでは有ル。此勝次郎はいんまに止
ぬ/\。五つ六つから勘当しられはへぬきの手ながゑび。こんな名な女郎が大坂に有ツた。いくつに成ツ
ても故郷はなつかしい。昔咄しもなじみだけ。同し友呼ならひかや。すりや勝よ。いんまにわりや
止めぬか。止めぬ共/\。ヲ丶たのもしい毒をくはゞ皿とやら。数珠切たとはわれが心をついて見るこんたん。

 

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何と一もふけ有ががいかぬかい。縄俵の入ル事か。そりやこちでくめんする近年にないよい仕事。そ
りや耳よりな面白い。かういふ事を聞ふはしか番部屋の丁子頭。そんならふてうは。二つ割。
合点か。合点じや。どん/\/\。とんと太鼓のうつゝなく打つれ。てこそいそぎ行

(二巻目に続く)

 

 

 

 

*1:注:東京大学所蔵本は左下「極」の文字部分にページ損傷があり、次のページの文字が透けてしまっている。大阪府立図書館、早稲田大学所蔵本のほうがコンディションが良いが、東大所蔵本はクリエイティブ・コモンズで自由に使用できるため、便宜上この画像を使っている。

*2:あきれ(呆)。革+可で一字。

文楽 12月東京鑑賞教室公演『伊達娘恋緋鹿子』『平家女護島』国立劇場小劇場

俊寛が最後に駆け上がる岩にはかつてはフジツボがいっぱい張りついていたそうですが、今月は全然ついてなかった……。鬼界が島のフジツボ、絶滅したみたい……。

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『伊達娘恋緋鹿子』火の見櫓の段。

  • Aプロ
    お七=桐竹紋臣
  • Bプロ
    お七=桐竹紋秀

昨年12月の本公演同様、お七以外にわんさと人が出てくるパターン。こんなモロな人数稼ぎ演目あるかい。人形にしてもお七以外はツメ人形同然の扱いでちょっとかわいそう……。

今回のお七は紋臣さん/紋秀さんと兄弟弟子で配役されたが、イメージがまったく違っていた。これでよくわかったのは激しい動きのある女方の難しさ。振付自体とは別のところに表現が存在している。どちらか片方だけ見ていたら気付かなかったと思う。

今回はBプロを先に観たので、火の見櫓も紋秀さんから先に観た。紋秀さんはご本人のいっしんさが本当によく伝わってきた。それがお七の役自体が持っている必死さを超えている。かなり直線的なイメージで、しかしこれが現状の文楽座でお七が出るときの平均的なイメージだと思う。ぶっちゃけた話、お七ってほんとに上手い人(中堅のトップクラス以上)には配役いかないし。

しかし紋臣さんは全然違った。紋臣さんは舞台に舞い散る雪のようにふんわりとしたイメージ。袖の巻きつけなどの所作が優しい印象で、人形や衣装そのものの重量を感じさせない、優しく軽やかな動き。人形に肉体の重量を感じさせることは難しいが、空気をはらんだように軽やかに見せることもまた難しい。お七は途中で髪をほどいてふり乱す演技があるが、そこでもきつい印象にならず、柔らかさや空気感、可憐さをキープされていた。ただそれがバカっぽくならないのは、決心をしてからは目線がしっかりしていて、ちゃんと櫓の上を見ているからでしょうね。意思を感じさせるお七でした。

段切れでお七は天国の剣を大事そうにしっかり抱いているのだが、今回のような上演のしかたではあの剣に何の意味があるのかサッパリわからないのが難点。解説でヤスさんも話されていたが、意味わからなさすぎてすごい。

↓ 『伊達娘恋緋鹿子』の全段のあらすじはコチラ

 

 

 

解説 文楽の魅力。

  • Aプロ
    豊竹希太夫/鶴澤寛太郎/吉田玉誉
  • Bプロ
    豊竹靖太夫/鶴澤友之助/吉田玉翔

おヤス・EYEに輝きがあった。いつも死んだ目で解説をされていたのに、どうしたんでしょう。おひるのお弁当に入っていたからあげが錦糸さんより1個多かったのか? 陣屋の配役が回ってきたからなのか? そんなヤスさんが「文楽を見るのが初めてという方、手を挙げてください」と会場に質問したら、
🙍‍♂️🙍🙍🙍‍♂️🙋‍♂️🙍‍♂️🙍🙍🙍🙍‍♂️🙍🙋
🙍🙍🙋🙍‍♂️🙍🙍🙍‍♂️🙍‍♂️🙍‍♂️🙍🙍‍♂️🙍
🙍‍♂️🙍🙍🙍‍♂️🙍🙍‍♂️🙍🙍‍♂️🙍🙍🙋🙍‍♂️
🙍🙋‍♂️🙍🙍🙍‍♂️🙍🙍‍♂️🙍‍♂️🙋🙋‍♂️🙍🙍
🙍‍♂️🙍🙍🙍‍♂️🙍🙍‍♂️🙍🙍‍♂️🙍‍♂️🙍‍♂️🙍🙍
🙍🙍🙍‍♂️🙍‍♂️🙍‍♂️🙍🙍🙍‍♂️🙍🙍‍♂️🙍🙍‍♂️
みたいな比率で笑った。ヤスさんも「前にも質問したのですが、文楽を見た事のない人のほうが少ないという……」とおっしゃっていた。現状のチケット販売状況ではそりゃそうなるわなと思った。

外国人向け公演では、希さん&寛太郎さんが『夏祭浪花鑑』釣船三婦内の段を「わざと下手に演奏する」のをやってくれた。太夫は抑揚なく語り分けをせず、三味線は太夫にベタ付きで演奏するというもの。三味線はベタ付きで演奏するのは逆に難しいようだった。希さんはひたすら一本調子でやっているのだが、三味線はヘンな間を意図的に作れず、単にきょどった演奏というか、ぎこちないけどわりと普通だった。若手会で入り方を失敗したときの演奏のほうがまだ下手だな。太夫にベタベタ貼り付いてくるように演奏するというのは、客にはなかなかわからない感覚でもあると思う。ほか、太夫は語り分けの例で『鎌倉三代記』米洗いの段、『彦山権現誓助剣』瓢簞棚の段、『菅原伝授手習鑑』寺子屋の段、三味線は日高川にある川の旋律、木登りのメリヤスを演奏していた。

なお、通常公演ではAプロは『仮名手本忠臣蔵』裏門の段の語り分けを通常の演奏に加えて「おじいさん・おばあさん」バージョンで、Bプロは『伊達娘恋緋鹿子』火の見櫓の段、『仮名手本忠臣蔵』裏門の段の演奏を行っていた。話す内容そのものは毎年同じだが、説明の仕方など、一般の方にもわかりやすいよう各々工夫を加えておられる方も多くて良かった。三味線は説明が難しいと思うが(そもそも学生さんだと、この鑑賞教室で初めて三味線という楽器を見るおそれがありますので……)、実はカンタローは説明を微妙にバージョンアップしていることに気づいた。

Bプロ人形解説の玉翔さんは好きなお弁当を紹介していたが、残念ながら聞き取れなかったよ……。天松? そんな直球おねだりあるかい。欲しい日時と必要個数(ひとりで2個食うのはダメ)を教えてくれ……。

 

 

 

『平家女護島』鬼界が島の段。

  • Aプロ
    竹本千歳太夫(代役)/豊澤富助
    俊寛=吉田和生/平判官康頼=吉田玉勢/丹波少将成経=吉田勘市/蜑千鳥=豊松清十郎/瀬尾太郎兼康=吉田玉也/丹左衛門基康=吉田清五郎

AプロとBプロで鬼界が島の鬼界が島感がかなり違った。

Aプロは人形配役の影響か、能の『俊寛』のような枯淡な雰囲気。清浄な空気が島を包んでいる。俊寛の和生さん、康頼の玉勢さん、成経の勘市さんの脂の抜けた佇まいによるものだろうか。昔の人は都=京都市街地のごく一部だと思っており、明石まで行ったら人生終わっとると大騒ぎ、鹿児島など完全にこの世の果てだったそうだが、この三人、島で世の無常を悟ったのか、鬼界が島に完全になじんでいた。

和生さんの俊寛は知的で上品な印象。解説が英語の外国人向け公演では、俊寛は"high priest"と紹介されていたが、「確かに……」と思った。和生さんの俊寛は、千鳥を本当に娘のように可愛がっている感じ。いや、実の娘というより、息子の彼女か孫へのかわいがりぶりっぽいのが良い。渚で嘆いている千鳥を見て船から駆け下りてくるときの「おお〜〜〜😭😭😭」ぶりが良かった。本気で千鳥を心配して走ってきた感があった。都にいたころは平家全盛の世の中に反逆を企てるギラつきがあったというのに、島暮らしのせいで情(なさけ)の感情がわいてきてしまったのだろうか……。清十郎さん千鳥もよくなついていた。瀬尾の首を斬り落とすところは、詞章通り、胴を何度か軽く斬ってから、体重をかけて首を斬り落とすというもの。首を拾ったあとはそのまま力なくポトリと下に落とし、自身も崩れてへたり込む。その姿には残された体力すべてを使って瀬尾を斬り千鳥を助ける覚悟のほどが滲んでいる。最後に崖に駆け上がり、去ってゆく船を見送るところは、自分も都に帰りたいというより、乗って去っていった人々との別れを悲しんでいるようで、名残惜しげなのが印象的。ちょっと寂しそうだった。

千鳥は清十郎さん、清らかで愛らしい雰囲気。ぱたぱたちまちました動作が可愛い。持ち前の清楚さ、純粋さがよく出ていて、鄙びた土地に可憐に咲く一輪のお花ちゃん感があった。余分な雑味を感じないピュアな一生懸命さも魅力。

勘市さんの成経はふんわりと優しい雰囲気。康頼に千鳥のことを話されて照れたり、千鳥をちょこちょこ招いたりする可憐で優しい仕草が貴公子風。離島にはいなさそうな、ナヨっとしたところがちょっと美少女風で良かった。よく3年間生きてたね……。

丹左衛門は清五郎さん。浜辺に取り残された千鳥を心配して話しかけているとき、船から呼ばれてうしろを振り返るときの、背を伸ばして胸を張りつつ、さっと振り返る姿勢が仕事できそうな感じだった。

ところで、赦免船に乗っているお付きのツメ人形のうち、船のキワに立ってるポトフに入ってそうな顔したヤツが私を見ていた(妄想)。人形はときどき私を見ている(妄想)。私はおおざっぱな顔をしているので、私を仲間だと思っているのだと思った。

 

Bプロの鬼界が島は離島キャンプの雰囲気。おれはいつか必ず都へ帰るぞ、それまではここでなんとしても生き延びるというオーラがある。その筆頭、俊寛は玉男さん。意思のぎらつき、線の強い知性と生命力を感じる俊寛だった。なんかこう……、腹筋が6つに割れてそう。海に向かって銛を投擲して2km先の沖合にいるシャチを射殺しそうな感じ。玉男さんの人形のあの体幹ごん太ぶりと重量感はすごい。普通に言うのとは違う意味で人形に見えない。人形には腹筋や上腕二頭筋はないはずだが、玉男様の俊寛にはミッシリと熱を持ったそれがあるのだ。しかし、当然ながら9月の日向嶋の景清よりは確実に弱っていて、当たり前だが、玉男様の中ではやっぱり違うんだ……。と思った。景清のほうがオーラだけで人を殺すような殺気と怨念があった。

俊寛と瀬尾〈吉田玉輝〉は息が合っていた。スリリングな立ち回りには打ち込みの鋭さが欠かせないが、玉男さんは結構ギリギリのところに打ち込んでいく。相手が玉輝さんだから安心してやっておられるのだと思うが、かなり勢いがあった。Aプロだと玉也さんのやりかただと思うが、打ち込むときに少し声をかけていてタイミングを合わせているのかなと思ったが、Bプロは普通にそのままやっていた。兄弟弟子だとやはりやりやすいのだろうか。(玉男さんは勘十郎さんや和生さん相手でもガンガン打ち込むし、そのおふたりも玉男さんには容赦なく打ち込むが)

瀬尾の首を斬り落とすところはやはりギリギリとしたノコギリ引き、首を落とした後は高く掲げ、船に向かって放り投げるやり方だった。船に乗ってる人々、ドン引き。最後、崖に駆け上がるところは船を見送る目元にどことなく人懐こい感じがして、良かった。しかし、玉男さんの俊寛は岩への駆け上りとずり落ちの勢いがすごすぎて、ツタの葉っぱがちぎれて思いきり散っていく……。左の人と足の人は大変だと思うけど、玉男さんはそんなん関係なくガンガンいくところがいい。瀬尾とのスリリングな打ち合いもその思い切りのよさによるものだな(でも、相手役が簑助様とかだと、時々「ちょこ……」とずれてあげたり、微妙に配慮したりしてるのも良い)。

勘十郎さんの千鳥はザ・健康娘って感じ、元気いっぱいだった。妹背山のお三輪とはまた違うタイプの田舎のハツラツ娘で、良い。朝ドラヒロイン感がある。千鳥は瀬尾と戦う俊寛を助けようと、瀬尾が下手に来たときに微妙に攻撃を加えるが、それが砂かけで笑った。勘十郎さん、砂かけの勢いがすごすぎ。先日、道を歩いていたら、お若い娘さんたちが散歩中のいぬ(ハピヨン的なやつ)を見て「見て〜〜〜!!!!いぬいぬいぬ〜〜〜!!!!」「ふわふわしてる〜〜〜!!!!」と勢いよく叫んでおられて、勘十郎さんが演じる娘さん、こんな感じだなと思った。大元気。瀬尾玉輝さんも砂かけ攻撃に「あちゃちゃちゃちゃちゃ!!!!!!!!」って感じにリアクションされていて、良かった。

ちなみにこの場面、清十郎さんも砂かけ攻撃だった。清十郎はもっとかわいく、ちょっと掴んで投げるだけです。清十郎は文楽業界の北川景子なので。簑助千鳥はバスケットに入れていた小石(文楽名物ぬいぐるみの小石)を投げて攻撃していたかと思う。

 

 

 

Aプロ・Bプロどちらも、いままでに見た鬼界が島とは雰囲気が違っていた。それは、千鳥の造形によるものだと思う。これまで2回『平家女護島』を観て、その両方とも、千鳥が簑助さんだった。あの千鳥は、魔物だね。離島に流されて発狂した流人の見た幻覚、異界に住む人間の精神を蝕む者。あの千鳥によって鬼界が島が人間の世界から隔絶された異様な世界に感じられ、一連の出来事も人間の世界の話ではないように思われた。島がどう見えるかには、千鳥の印象が結構関わってくるんだなと感じた。

あとは、一番最初に観たときの康頼が玉志サンだったんですが、いまならわかる。玉志康頼は勢いがありすぎたと……。当時はそんなもんかなと思っていたが、あそこまで覇気とリアクション芸のある康頼は他に誰もいない……。今回も玉勢さん・文哉さんともおとなしくされていた。いちばんのしどころ(?)は俊寛が地べたに叩きつけた赦免状を拾って瀬尾に返す部分だが、Bプロ玉男俊寛はあまりに勢いよく叩きつけたため、赦免状が手すりの向こう側(客席側)に落下。拾得できなくなったので、無の人になっていた。

 

床は両方とも品格は感じたが……、千鳥の詞はもうちょっとなんとかならなかったのでしょうか……。現状、太夫は上のほう数人抜くと、女性を語れる人が全然いなんだなということがよくわかった。太夫は幹部抜きで公演するのはかなり無理があるんじゃないでしょうかと思いました……。本公演のほうはこのさい目を瞑るとして(瞑るな)、鑑賞教室はもうちょっとなんとかして欲しかった。

Aプロ千歳さんは段切、諦念に満ちた枯淡な佇まいがあってよかった。文楽俊寛は能の『俊寛』に比べてヒロイックな造形になっていて、それは一種アンチョコだとも思うが、演奏に「諦念」の雰囲気があるのは、「とはいっても結局島にひとり残されて、末は長くない」というそのあと感が出て、面白いと思った。

しかし、今回は成経が千鳥との馴れ初めを語る部分がカットされていたので、つまんない。あそこがいいのに。

 

 

 

今回上演されている『平家女護島』『一谷嫰軍記』ともに、初代吉田玉男師匠によって人形の演技に改定が行われている。その改定が行われた箇所というのはともに刀の扱いに関する部分。それと関係があるのかはわからないが、初代玉男師匠は小道具の刀にこだわりがあったそうだ。自前で人形に合ったものを誂えて使っており、人にも貸していなかったという。それも劇場所属の小道具係の人に頼むのではなく、外部に頼んで作っていたそうだ。抜かないで下げているだけの刀でも構造を工夫してもらい、軽量で扱いやすいようにしていたとか。いまはその刀はどうなっているんだろう。

 

 

今月から売店で販売されている新グッズ、文楽キティキーホルダー。持っているのはお初の人形のようです。

このキティさんのように主遣い(舞台下駄をはいている)が黒衣で頭巾を跳ね上げているスタイルというのは今はありませんが、出遣いが定着する以前の昔の舞台写真ではたまに見られます。マニア向けシチュエーションですね。

この調子で松王丸キティや熊谷キティ、碇知盛キティをこさえて欲しいです。

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