TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

 第4夜 天牌III

第1夜に続き、『天牌』のVシネ版。
収録エピソードは、水道橋での段位認定試験、学生麻雀大会後編、横浜白虎隊麻雀など。原作で長丁場になっている部分をはしょり気味にしてわかりやすく構成している。
また、今回は麻雀のシーンがかなり長い。みんなやたら打牌がビシッとしている。そして、点棒払うのがめっちゃ速い。手牌が映る時間が短いので、流れを追ってゆくのが少し大変。漫画では進行状況がわからなくなったら読み返せばよいが、映像だとあっという間にわけがわからなくなる。作り手側が相当意識しない限り、これをフォローするのは難しいだろう。


学生麻雀大会では、なぜかまりもっこり阿部ちゃんがイケメンになっていた驚いた。しかし、何より、このVシネはよっちんがさわやかハンサムすぎるのだ。よっちんは、もっとこう、純(@北の国から)みたいな雰囲気がないといけない。それと、入星さんはもっとガチムチしていないといけないと思う。王老熔よりも王老熔の付き人のほうが雰囲気があるのはなぜだろうか。河野には若くてアホそうな青年をキャスティングしてほしかった。結論として、このVシネで一番のナイスキャステイングは陳さんなのであった。
兎に角、嶺岸系イケメンというのはこの世にはいないということがよくわかった。遼チャンはその真骨頂だと思うのだが。遼チャンが一番好きだ。あのビジュアルで、人の肩にあごのっけたり、「想像よりちょっぴり高いぜ」とか言うのが好きだ。




私はこのVシネを見て気付いたことがある。
それは来賀友志が漫画向きの構成を書くのがとてもうまいということだ。
世の中に、おもしろい話を思い付くことができる人はたくさんいる。
しかし、その話を、どのメディアで発表するかによって、「どのような演出や構成が魅力につながるのか」は異なる。創作において、プロとアマチュアの差が出るのは、この点を踏まえ、そのメディアで展開するにふさわしいおもしろさを提供できるかどうかである。つまり、どれだけ高級な食材を以てしても、その食卓にふさわしい料理を作る事ができなければ、その料理人はプロとは呼べない、ということである。私の考察の詳細はここでは述べないが、『天牌』のおもしろさは、漫画でしかなしえないということを、原作・作画ともに、よく認識しているからこそ成立するおもしろさなのだろう。


このVシネは正直言ってどうしようもない内容だった。
既に原作が存在しているものを、改めて別メディアで展開する場合、原作のおもしろさの理由となっているものを抜粋し、それを展開したいメディアにあわせてうまくアレンジしなければならない。
Vシネのアカギ(或いはアニメのアカギ)は、『アカギ』原作のおもしろさのベクトルをうまいこと活かした内容だったが、この『天牌』のVシネは、そのあたりが下手だ。『天牌』は、読んでいるうちに酩酊してきて、どんなイッチャッテル展開や台詞が出てきても、「ああんちょうすてき」と頭悪そうな感想を言いそうになってしまうところがいいところだと思うのだが…、それがうまく活かされていない。このVシネは、ただ、若い子が麻雀しとりますね、というだけになっている。あの酩酊感がよいのに、勿体ない。いや、別に原作も若い子が麻雀してる話だけどさ。




ところでもうひとつ言っておきたいことがある。多くの作家は、「処女作がいちばんおもしろい」ということだ。
どんな人であっても、処女作というのは、ツメが甘く、洗練されておらず、ひとりよがりで、何が言いたいのかわからないことも多い。しかし、その人が今迄の長い人生に妄想に妄想を重ね、それをそのまんまむき出しにした情念の煮凝りのようなものである。小手先の技術などないから、表面上の取り繕いがなく、また、心の余裕もないから、誤魔化しやその場凌ぎの嘘で作品のピントをぼかすこともない。



ところで来賀さんの処女作とは何なんだろう。



そういえば、『あぶれもん』4巻を買いました。
3巻買うまでは読めないので、私のなかで、永遠に健三と啓一は旅を続けているのです。この「続きが読みたいけど読めない」時間が漫画を読む時間で一番楽しいと思います。数年前、『ノーマーク爆牌党』を初めて読んだときぶりにドキドキしている私でした。