TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

麻雀漫画と昭和の日本映画と文楽(人形浄瑠璃)について書くブログ

文楽 2月東京公演『曾根崎心中』国立劇場小劇場

この世の名残、夜も名残。死にに行く身をたとふればあだしが原の道の霜。一足づつに消えてゆく、夢の夢こそあはれなれ。

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第一部の開演前にロビーにいたくろごちゃん。黒衣だけにロビーに溶け込んでおり、近付くまで存在に気づかなかったが、図体が山のようにでかくて驚いた。一緒に写真を撮ってもらったら、キメポーズでこっちにグイグイ迫ってくるのでびびった。くろごちゃんは調子に乗ってペン(というか筆)と三方を持っていたが、誰も突っ込んでいなかった。 *1

 

 

今回の2月東京公演は近松名作集と題して、『曾根崎心中』と『冥途の飛脚』を同時上演するプログラムになっている。しかも、両方とも男役が玉男さん。ぶっちゃけ似たような話で、人形の配役も同じで、それで変化つくんか、よう続けてやるわいなと思っていたが、実際に観てみたら、受ける印象がまったく違っていて驚いた。基本的には「もう死ぬしかない」オチの話のはずが、なんか違う方向にいっていた。具体的には『曾根崎心中』のほうが……。

 

 

生玉社前の段、冒頭、網笠をかぶった徳兵衛(配役・吉田玉男)が丁稚をともなって生玉神社に現れる。徳兵衛は茶屋の障子の奥に恋人である遊女・お初(桐竹勘十郎)の姿をみとめる。適当な言い訳をつけて丁稚を先へ帰し、徳兵衛が「初ぢゃないか初、初」と呼びかけると、お初もこちらに気がついて「ナウ徳様か、どうしてぞ」と走り寄ってくるが……

なんかこう、この時点からすでにお初がトップギア入っている。この走り寄り、かわいらしい仕草なのだが、速度と目つきが尋常ではない。いや、人形には目つきはないが、なんか、あるんだよ。こいつやばいだろ的な何かが。お初役は勘十郎さんなので、茶屋ののれんから出てくるときには習慣的に出の拍手をしてしまうが、なんだろうこの不穏な気持ち。何がどうとは言えないが、そのさま、ただの「情熱的」ではおさまらない火力を感じる。

 

ところで皆様、増村保造監督による映画版『曽根崎心中』(ATG/1978)をご覧になったことはありますでしょうか。

曽根崎心中 【初DVD化】

このお初(配役・梶芽衣子)が異様にアグレッシブというかエキセントリックで、別になにも始まっていないうちから死ぬ気まんまん、男を地獄に引きずりむ気まんまん。目つきがさそりシリーズと同じで、異様に積極的にガンガンいく、もう最初のシーンからいきなり死を決意したおそろしい目つき。で、私はこれを「まあ、増村保造白坂依志夫コンビだから……」と思っていたのだが、今回のお初、まさにこの通りの火力のお初であった。本物の文楽の演者でもお初をこう解釈している人がいるんですね……。勘十郎さんご本人の火力が強いのはわかるし、お三輪や八重垣姫が強火なのはわかるけど、なぜお初がこんな強火なのか。『曾根崎心中』ってもっと「儚い」「かわいそう」な感じの話かと思っていたがそうでもないのか。増村保造の映画が火力強いのは増村保造が歌舞伎・文楽の現行含むいわゆる「原作」を無視し、自分の色に合わせてオリジナルでそう演出しているからと思っていたが、実はそうでもない、のかもしれない。

勘十郎さんのお初増村保造説は同行の方もおっしゃっていたので、増村保造版『曽根崎心中』を観たことがある方は同様の感想を覚えるのかもしれない。逆にこの映画をご覧になったことがなくて、今回の文楽『曾根崎心中』を観劇したという方は、ぜひ映画版を観てみてください。勘十郎さんは勉強家でいらっしゃるようなので、ご自身でこの映画をご覧になったことあるかもしれませんが、なら、この映画に対してどう思っておられるのか気になります。

ちなみに徳兵衛は宇崎竜童(なぜ)で、かなりのヘタレ。宇崎竜童自身が何もわからず流されてやってる感がやばさを増幅していた。先に書いてしまうが、今回の玉男さんの徳兵衛はヘタレではなかった。服装はこの段でゴミ野郎・九平次(吉田玉輝)にボコられて以降ボロボロなのだが、雰囲気はずっとキリリとしていた。徳兵衛はなんだかんだいっても最後はお初をリードしなくてはいけない役という話を聞いたことがあるが、まさに、ひよっとしていても芯のある雰囲気だった。

  

 

天満屋の段。

お初が縁の下に徳兵衛を忍ばせ、店の会話にまぎれて徳兵衛と死ぬ決意を語る有名なシーン。お初の打掛の中に隠れた徳兵衛がお初の白いちいさな足を頬ずりするようにして首に当て、一緒に死ぬ気持ちを伝えるところが色っぽいが、徳兵衛が打掛の中でモゾモゾしながら時折すそからちょこっと顔をのぞかせる姿はこたつにもぐった猫っぽくてかわいらしかった。ひっこむときは裾を綺麗なかたちに整えるのもかわいい。ヒヨっとしたイケメンの面目躍如だった。

玉男様勘十郎様厨のわたくしとしては普通に観ていればここで「ンギャー!!!!!!!!」と絶叫して劇場外へつまみ出されるところだが、チケット取得当初から絶対やばいと思い、観劇日前日に国立劇場のサイトに載っていた初日レポの写真を見て予習していたので、叫ばずに済んだ(50周年記念公演ニュース|国立劇場50周年記念サイト|国立劇場)。文楽劇場には時折玉男さんに「イヤ〜❤️❤️❤️」と叫んでいる玉男様ガチ恋勢の爺さんがおられるが(直後同行の奥様から肘鉄を食らう)、あやうくあれになるところを文明の利器インターネットの力で乗り切った。

そして夜も更けて、ひそかに天満屋を抜け出す二人。お初の火力はますますアップ、八方(天井から下がった吊行灯)を扇子のついた箒で扇いで消すのがムチャクチャ速かった。増村保造はこのシーンを相当引っ張っていたが、勘十郎さん、すごい速度で扇ぎ、2回目で瞬間的に消していた。見つかるとか見つからないとかを意識していないのではと思える扇ぎぶり、ちょっと速すぎのように思うが(少なくとも八方の下で寝ている下女に見つかるかもというスリルはない)、もう目の前のこと、徳兵衛と逃げるということしか見えていないという解釈だろうか。このシーン、本当に八方に火を入れていたら炎がゆらめいて面白いんだろうけど、今回はさすがに危ないからか、電気ONッ!OFFッ!の割り切りぶりがすごかった。

このあたりの場面で、二人は直接手をつなぐわけではなく、徳兵衛の編笠をお互いにつかんで一緒に歩いているのがいいなと思った。わがバイブル、初代吉田玉男文楽藝話』によると、この段の最後は編笠をつかむのではなく、お互いが直接手をつなぐことで情を表現するとあったが、個人的には編笠を介して手をつなぐ姿はいじらしく、強い印象が残った。

 

 

■ 

天神森の段。

暗い森の中でグリーンの人魂がふたつ、ポワンポワン揺れている。これ、増村保造の映画版にも同じシーンがあり、そのときは普通の赤い火だったので、当初てっきりお初を探す追手の松明の火かと思っていた。今回、義太夫をよく聞いていると、今夜二人より先に心中した人がいるのだろうか、それとも死ぬより先に二人の魂が人魂となって抜け出たのかと言っていた。なるほど、だから2つポワンポワンしていたのね。やっとちゃんと理解できた。

 

ところでさっきから徳兵衛とお初がやたら頻繁にひしと抱き合っているのだが、その速度がはんぱない。人形ってたいてい予備動作をもってから、綺麗な体勢になるよう形式的に抱き合うと思うのだが、徳兵衛とお初が目の前で予備動作なくものすごい速度でがしっと抱き合うので、だんだん頭がおかしくなってきて、見てはいけないものを見ているような気分になってきた。勘十郎さんが談話等で頻繁に「玉男くんとはずっと一緒にいるから、お互い次になにをやりたいかわかる」と発言していたのは本当だったんだと思った。具体的にどういうことを指すのかわからなかったけど、なるほど、こういうことだったんですね……。ペアでやる芝居も、息があっているとこうなるのかーと思った(あいすぎ?)*2。足拍子も完全に揃っていた。なんかきょう足拍子がすげーでかい音だなと思っていたら、二人完璧に揃っているだけだった。足遣いの方々もすごい。

そんなこんなで二人が異様にアツアツすぎるのと、そして太夫もわりとみなさんお元気な感じだったので(津駒太夫さん、咲甫太夫さん、芳穂太夫さん、亘太夫さん)、この二人、心中せずこのまま駆け落ちするのでは? と思ってしまった。ベテラン二人の人形が異様に火力強くて床は勢いで負けるかと思ったけど、太夫さんこれからって方ばかりだからか、人形に負けるどころかガンガン焚き付けにいっていた。三味線も寛治さん、清志郎さん、カンタロー(と突如呼び捨て失礼、寛太郎さん)、清公さんでとっても良かった。ナイスな床配役。これからのあたらしい文楽の舞台への意気込みを感じる段だった。

 

今回の上演では、最後、お互い身体に帯を巻きつけ(巻くのがうまい)、徳兵衛が刀を持つシーンで幕となっており、実際に刺すシーンはない。余韻を残す演出だが、あの前のめりぶりでは死ぬわけない。もう本当申し訳ないが、絶対駆け落ちしたと思う。もちろんこれは褒め言葉、disではないことを重ねて申し上げておきます。

 

 

人形が演じる恋人同士役は、設定上は恋人同士でも、良くも悪くも「そういう設定なんだなー」としか思わないことがあるけど、今回は本当に恋人同士に見えて他を圧倒していた。二人以外の周囲のようすすべてが環境音のようだった。生玉社前で徳兵衛が九平次にボコられるところすら、そうだった。二人の行く先には他の人が何をしようと、何を言おうと関係ない。別に九兵衛に金を着服されなくともこうなっただろう。全体的に、かわいそう、哀れを誘うという気持ちより、二人の絆の強さ自体のほうが印象に残った。お初のクドキにもエネルギーがあり、哀れを超える情念のたぎりを感じた。

 

 

昨年5月の鑑賞教室の『曾根崎心中』が取れなかったリベンジを早々に果たすことができてよかった。そして、斬新な(?)古典作品を観られて、とても興味深い体験だった。逆にふつう(??)はどういうものなのかも気になるので、それは4月の大阪公演でゆっくり観たい。人形に関しては、先代玉男さん×簑助さんの上演記録を探して観てみようと思う。

以前は、『曾根崎心中』は初演から途切れることなく継承されている演目だと思っていた。だが、初演ののちまもなく断絶し、昭和30年代に歌舞伎の影響を受けて復活上演したところから人気になったというのを文楽を観るようになって初めて知った。だから、現行曲は結構商業演劇的な側面もあることも。文楽をまったく観たことがないときは、文楽といえば『曾根崎心中』と思っていたので、とても意外だった。古典芸能において伝統だと思っていても伝統ではない、伝統とは言い切れないもの、また、古典を新作として上演すること、さらにはこういった企業努力(?)で集客を上げることってあるんだなと思った。パンフレットに近松原作も読んでほしいと書いてあったので、『上方文化講座 曾根崎心中』に載っている原作全文校注を4月までにあらためて読んでおこうと思う。

 

 

そんなことより皆様、勘十郎様のFaceBookが超火力でまじやばいので見て。


ありがたや……ありがたや……………………(成仏)

 

 

 

*1:国立劇場のチケット情報のメルマガで、「このたび、世界的に流行している、「ピコ太郎」の動画「PPAP(Pen-Pineapple-Apple-Pen)」の国立劇場版「PNSP(Pen-Nurisampo-Sampo-Pen)」を作成し、動画投稿サイト YouTube に公開しました。」というメールを送ってきたくらい、調子に載っている。このメルマガ、YouTubeのURLより先に出演者紹介が載っていたのには爆笑した。さすが国立劇場、そっちが先かい。

*2:後日、玉男さん・忠兵衛×清十郎さん・梅川の『冥途の飛脚』を観たら、やっぱりちゃんと一拍おいてタイミングをとって抱き合っていた。