TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

麻雀漫画と昭和の日本映画と文楽(人形浄瑠璃)について書くブログ

 近代麻雀 2010年4/1号

    • いつの間にか宴麻雀も3回目となった安ちゃん。安ちゃんが姿を見せると、例のオッチャンたちがこっちこっちと手招きします。………この宴麻雀(無尽)って、代打ち・本打ちたちが凌ぎを削る本物の博打って話じゃなかったですっけ。ただの麻雀大好きオヤジのたまり場(ナンパOK)と化してませんか?
    • 驚いた。安ちゃんの口から女の話が出るとは。つか、あの世界、女がいたんですね。おいらてっきり、麻雀ウイルスの台頭によって生態系が大きく崩れ、男性のみの単性生殖が行われることになった退廃した近未来の物語だと思ってましたよ。
    • 伊原さんは自称「盆面がいい」そうです。自分で言うな。まあ、伊原さんくらいのイケメンなら盆面どうこうではなく、ちょっと勝ち過ぎても「にこりv」と笑っておけば「ンも〜v 優チャンは仕方ないな〜v」とか言って赦してもらえそうですけど。ダメですか。
    • またも何か変な手順でアガリをもぎ取る安ちゃん。そうだ、安ちゃん、その通りだ。はじめっからイイ配牌ってのは、気分はいいけど、ワクワク感はないんだよね。
    • 「ゴロ」での安ちゃんの手順は、ある意味、来賀作品を貫く「麻雀とは何か」を最も顕著に表わしている。……というと語弊があるのでさらに言い換えると、安ちゃんは来賀的な麻雀観が最も栄えるキャラクターだと思う。
    • これはあくまで私の解釈だけど、来賀世界(どこだそこは)ではアガリだけが絶対ではない。よく「来賀作品ではどんな配牌からでもアガれる手順が存在し、その一筋を見つけられるのが強者」と言われるけど、私はむしろアガリはさほど重要ではないと思う。それよりも重要なのは「アガり以外の意義」、つまり「アガりへ向かう以外にその配牌から何ができるか」が描かれているのが来賀作品だと思っている。よく菊多あたりが変な待ちに取っているのも、単にトリッキーであることに意義があるのではなく、なぜ・なんのためにその手順に取ったのか(取れたのか)に意義があるからだと思っている。天牌では待ちの残り枚数が少ない程ツモりやすいと言われるけど、それもまた違う。そんな単純なことではない。少ない待ちでもツモれるほどに流れを持ってきているからツモれるのであって、待ちが少ないからツモれるのではない。前も書いたかもしれないが、渋谷編で、リャンメンに取っても値段が変わらないのに、わざと三色固定して変なカンチャンに受けて三國からアガるシーン*1があるじゃないですか。あそこで菊多が言う「最終形は美しい形にしろとアンタから教わった。「麻雀は値段じゃねえ 美しい形こそ流れを呼ぶ」とな」って台詞が大好きなんですよ。普通、ある程度麻雀のウェイトが高い麻雀漫画で「最終形は美しい形」って言ったらテンパイ形の美しさを指すじゃないですか。私が片山まさゆきに毒されてるだけかもしれないけど、あのシーンは本当にびっくりした。ああ、麻雀の目指すところが決定的に違うと思って。
    • って、私、麻雀わかりもしないのに、一体何を語ってるんでしょうか。しかもすっごい脱線して何の話してたかわからなくなった。まあとにかく安ちゃんはカワイイってことですよ。
    • しかし、「毒や棘のある女のほうが魅力的」という前ふりをしておきながら、なぜ「安斉に惚れちまうぜv」でオッチャン抱きつきv ってオチになるんだ。意味わがんね。テリブル来賀嶺岸。麻雀イズラブ。
    • いや、もっと言えば、「毒や棘のある女のほうが魅力的」という前ふりをしているなら、最後に胸ボーン尻バーンのギンギン美女(叶精作系)が登場して「ここ、入れてもらっていいかしら?」で以下次号ってなるのが普通だと思う。でも、それをやらないのが来賀嶺岸。菊多@天牌も登場1コマ目、口紅を引いたように赤い唇だけが写ったカットを見て、女のコだと思いましたからね。私。そもそもシチュエーション的に三國の恋人かと思うじゃないですか、普通。そしたらあんなことなって。そのときは来賀嶺岸初心者でしたので、「来賀嶺岸、マジスゲエ!!!!!!!」と思いました。
    • で、胸ボーン尻バーンのギンギン美女のかわりに最後のページに登場したのは「松山書房」という看板を見上げるデコがヤバいオッサン。このオッサンは誰、で以下次号。もしかしてこの人が「哮るの会」の主宰者・朝丘先生とかいう人? もし朝丘先生だとしたらちょっぴり残念というか、私といたしましては『鉄砲』の麻沼先生みたいな、いい匂いがしそうなイケオジンがよかったんですけど、まあそれは置いておいて、とにかく、このオッチャンが誰なのか気になる。
  • 山田J太・他「ひぐらしの哭く頃に 雀」
    • あのさあ、これだけの話じゃないけど、最近の若いモン向けの麻雀コミックとかライトノベルとかって、なんでイカサマありなんですかね。イカサマものなんて70年代に滅亡したジャンルで、いまどき灘ッチもやらないような地獄のようにダサイもんだとばかり思っていたのに。
    • はじめは、読者の若いコはゲームやネットゲームでしか麻雀をやったことがないだろうから、本物の牌でしか出来ないイカサマをおもしろがるのかな、それならある意味いい傾向かもしれない……と思ったんだけど、単純に書き手が「哲也」世代だからですかね。
    • それならそうで、もうちょっと自分で考えてから書くことはできないんですかね。これじゃただの劣化パロディでしょ。読者の年齢層が違うとはいえ、同じイカサマものでも『ショーイチ』とか『バード』とか、それくらい考えてくれないと、これではあまりに幼稚すぎる。裏では何やってるかわからない=イカサマって、あまりに短絡的すぎる。それともモトネタのゲーム自体がそういう話なの?
    • ここについでに書く。「角刈りすずめ」と「ジャンケット」をなんとかしてくれ。
  • 福本伸行「アカギ」
    • なぜはじめから絞殺しない。
  • 天獅子悦也「むこうぶち
    • 江崎サンがネクタイをズボンにINしてるのがマジきもい。
    • 哭きの竜」ももうすぐ終わりだけど、「むこうぶち」も終わるんですかね。ていうか、「近代麻雀」自体が終わるんですかね。

*1:44巻186ページ