TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

 黒い雀たちの神話

小池一夫+芳谷圭児 双葉社 1982
※原本にあたるオリオン書房版は70年代後半か
全1巻

┃あらすじ
歌舞伎町のかたすみにある麻雀屋、「一雀」。深夜2時、常連客だけが残っていたこの店の電話が鳴った。常連客はサツのガサ入れかも知れないから電話には出るなと忠告するが、マスター・池谷一郎はその受話器を取った。電話をかけてきたのはなじみの客・札マキの北見だった。借金の返済期限を守れず、互助会の鉄砲玉に刺された北見は、翌朝の女房(バシタ)との駆け落ちの時間までここで麻雀を打たせてほしいと言う。傷は深く、北見の命は持って5、6時間。異常な状態のなか、池谷と常連客は北見と卓を囲む。これが黒い雀たちの世界なのだ……。




小池麻雀劇画。
原作となっている小説版*1の出版が1978年頃であることから推測するに、初出は70年代後半か? 作画は芳谷圭児で、絵がかなり未完成な時期のものの印象があるのだが、いったいいつの作品なのかしらん。





70年代の作品にも関わらず、ストーリー、雰囲気づくり、麻雀具合、いずれもクオリティが非常に高い。すごいよ。当時の麻雀漫画といえば北野英明の天下*2のはず。言いたくはないが、ああいうレベルの作品がボウフラのように湧きまくっていた中でこのような作品を書けるとは、さすが小池一夫




本作は小池一夫+叶精作『下駄を履くまで』(1978年頃?)と世界が共通しており、主人公が同じ人物で、似た/或いは同じエピソードが入っていたりする。あらゆる部分がコテコテな叶精作版で読むのとは印象が全く違い、芳谷圭児で見るとなんだかよくわからない渇いた雰囲気と煤け感が出ているのがおもしろい。主人公が若者な印象を受ける叶版より主人公が歳上のように感じられる。微妙に困ったツラをしているからそう感じられるだけ? 「クイズタイムショック!」のような「こいつら何を言っていやがる」な場面は登場せず、落ち着いた雰囲気はあるものの、諸般の事情から麻雀中に裸になったり程度の奇行はなさる不思議な作品となっている。
↓「花引き」だけが全裸(ぜンら)麻雀(まーじゃン)じゃないンだッ




では、具体例を挙げる。「雀ぶらあ界隈」という一編は、『下駄を履くまで』の「雀葬」と内容が酷似している。あらすじは以下の通りでほぼいっしょで、その分ディティールに芳谷圭児叶精作の個性の差が出ていておもしろい。併読をおすすめする。

「雀ぶらあ界隈」/「雀葬」あらすじ
ある雀師の葬儀、遺影の前に佇む池谷。池谷は生前の雀師との思い出を回想する。池谷がメンバーをはじめてまもないころ、雀師は池谷の店に新規客として現われた。持ち金が底をついたことを同卓者になじられているのを見かねた池谷は雀師に2万を貸す。雀師はすぐに1万の利子をつけて金を返し、初対面の自分に金を貸してくれた礼に池谷を自分の女房(バシタ)のやっている料理屋に誘った。そこで池谷は雀師から「雀技外雀技」、そして「女房」を譲り受ける。雀師のもとで特訓を積んだ池谷は飛び込んだ雀荘で「雀技外雀技」、六対子を成功させる。池谷は雀師に喜んで結果を報告する。それは実は雀師の最終試験で、池谷が六対子を仕掛けた相手は雀師の友人だった。こうして池谷は麻雀打ちとしての階段を一段登ったのだった。


『黒い雀たちの神話』芳谷版

↓雀師の女房(バシタ)


『下駄を履くまで』叶版

↓雀師の女房(バシタ)

とりあえず何が違うって、女房(バシタ)でスナ。




ところで、この作品の舞台「一雀」はブー麻雀も出来る店。というわけでブー麻雀のエピソードも登場する。麻雀漫画的にはかなり珍しいのでは。

「一雀」ブー麻雀ルール(関東風ブー麻雀)

  • 1翻縛り
  • 4000点持ち
  • 食いピンあり
  • 赤五筒2枚入り、役牌扱い。
  • 誰かが4000点浮きになるか箱割れが出た時点で終了。
  • ガリに関する規定・罰則はなし

関西から来たクマ師の女*3が3コロマルエートップ! というシーンの解説のさいごに「ザッツオール! フィニッシュ。」と書き添えてあったので、小池劇画にたまに出てくる「ザッツオーフィニッシュ!」って、(いろんな意味で)全員飛ばしてラストォ! という意味なのかと思った。むしろほかの作品で使われているシチュエーションを考えても、そういうニュアンスでまんざら間違ってないよね。「ザッツオーフィニッシュ!」っていう台詞が出てくるところって、たいがい、読者は完全に置いてかれてるし(?)。アメリカ馬鹿映画でありそうな台詞だ。




最後に収録されている「冥府麻道」がすごすぎる。
「冥府麻道」とは、小池一夫の代表作『子連れ狼』の「われら父子は冥府魔道に生き六道四生順逆の境に立つ」にかけたタイトル*4。「冥府魔道」は小池一夫の造語だが、「冥府」は実際にある言葉で、中国では西の方角が地獄に通じているとされ、忌み嫌われている。先日の「むこうぶち」でも「西を向く」という言葉が「死ぬ」という意味で使われていた。それで、麻雀でいうと「西」とはもちろん風牌の「西」のことで、「西家開門和(しゃーちゃかいもんほう)」、西家の最初のアガリはロクなことがないというのはこのためだという。
この強制的な話のこじつけにより、「子連れ狼が現れると国士をチョンボする」という頭としっぽだけとると全く意味のわからない話になっていてナイス。要は池谷にとって西はアンラッキー牌という話。




なお、この『黒い雀たちの神話』および『下駄を履くまで』の主人公、池谷一郎(いけがや いちろう)は実は小池一夫自身がモデルとなっているらしい。雀荘のメンバーから漫画プロダクション(さいとうプロ)に転職すること、C大学(中央大学)卒業となっていることから以上の推測が出るのだが、小池一夫って若い頃本当にメンバー&マスターをやってたのかしらん。




以上、やっと『黒い雀たちの神話』が読めてとても嬉しかったです。やはり芳谷圭児の絵は素敵ですわ〜。話はいつもなかなか素敵なことになってますが。

*1:芳谷圭児がさし絵を描いているぺップ出版の文庫小説版、オリオン書房の漫画版が存在?し、内容がここで紹介する双葉社版とは異なると言われている。

*2:70年代の麻雀漫画を脊髄反射で買っていると北野英明作品ばかり買う羽目になり、「西部劇を見続けるとイーストウッドが限り無くウザく感じられる症候群」と同じ症状が出る。

*3:芳谷圭児だけあって清楚そうなモデル風やまとなでしこ美女。叶精作だったらどこからどう見てもギンギンのパンスケになっていたところだ!

*4:子連れ狼』をほとんど読んだ事がないのでこの言葉遊びがおもしろいかどうかがまったくわからんです……。