TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

酒屋万来文楽『艶容女舞衣』酒屋の段 白鷹禄水苑

酒屋万来文楽(白鷹文楽)は、兵庫県西宮市にある酒造会社・白鷹が所有する施設「白鷹禄水苑」で開催される小規模イベント。

白鷹禄水苑は蔵元の住居兼酒蔵だった建物をイメージして作られた古民家風の建物で、自社製品を飲むことができるカフェバー、酒や酒器・おつまみ等を扱うセレクトショップ、所蔵品の展示施設、懐石料理店などが入っている。この公演はその2階にある「宮水ホール」という小さなサロン風の空間で行われた。

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席数が少ない+自由席先着順と聞いていたので早めに現地到着、なんとか狙っていた範囲内の席をゲット。上記の通り会場が古民家風の建物で、舞台や客席を常備した上演ホール等ではないため、何もない空間に簡易な舞台を立て、その手摺ギリギリ、数十センチの距離まで客用の椅子を100席程度びっしり並べるという設営。小ぶりなミニシアター程度の広さしかないので、通常の公演では考えられないほどに舞台が近い。薄茶の壁と高い天井に渡した美しい黒い梁が印象的、美術セットが木戸と奥に続くのれん口程度の簡易なものでも、会場自体とマッチしていて雰囲気がある。ちゃんとした楽屋がないので、開演前に1階を技芸員さんたちがウロウロしていたのがちょっと笑えた。完全にそのへんのおっちゃんな私服の方とか、お客さんと同化していて「すき……」って思った。なかでも和生さんが人探しでずっとうろうろされていたのが一番おもしろかった(?)。すんげー進藤英太郎に似たおっちゃんいてると思ったら和生さんだった。文楽の会場近くで進藤英太郎風のおっちゃんいたらまず和生さんですね。

 

 

 

第一部は『艶容女舞衣』酒屋の段の上演。お園・宗岸の出から、半七・三勝が心中へ向かう場面までの上演だった。床の配役は太夫=豊竹呂勢大夫、三味線=鶴澤藤蔵。人形の配役はお園=吉田和生、宗岸=吉田玉志、半兵衛=吉田玉佳、半兵衛女房=吉田文昇。

一番前の席だったのだが、すっと手を伸ばせば人形に手が届くほどに舞台が近い! 手が届きそうとかの比喩じゃなくて、本当に手が届く至近距離。舞台といっても客席とのあいだに段差などはなく、普通の部屋を客席と舞台手摺の薄い板一枚で仕切っているだけで、通常の公演よりも向こう側とこちら側の境界線がゆらいでいる。陰影の濃いライティングの中、薄暗い空間で人形が動いているさまは、人間として人形たちを見ているというより、自分が小さくなってドールハウス(?)に入って、真夜中の人形たちの秘め事を覗き見ているかのような感覚。とくに半兵衛に縄がかけられているのにみんなが気づくところなど、狭い空間で半兵衛が手摺ぎりぎりまで身を乗り出し、それに皆がつかみかかるという姿は本当に人形が生命を得てひとりでに動いているようで、ぞっとした。こんなにも近い距離なのに人形遣いのすがたがまったく見えないのはなぜだろう? 「くるみ割り人形」の人形たちの饗宴を覗き見していたらこんな感覚だろうか? 恐ろしいほどに美しい人形たちの姿を堪能できた。

和生さんのお園の貞淑さ上品さには目を見張るばかり。普通に考えたらありえない設定の話ではあるものの、それに説得力を持たせるに足る美しいクドキだった。派手さをおさえた清廉な振りは、まさに心から「恨み辛みもつゆほども」なく、ただ一心に夫を待っている娘という感じ。人形だからこそできるファンタジー

そしてお通の出からは人形の配役が交代し(さりげなさすぎて気づかなかった!)、舞台下手の木戸の外に三勝=吉田和生、半七=吉田文昇が登場する。これは当初出ていなかった配役なのでびっくり(というか、別に誰の配役も出てなかったけど……)。お園と三勝が同じ人形遣いって、すごい配役。三勝はお園とはまた違った色気があって良かった。

個人的な注目はお園の父・宗岸役の玉志さん。ごくわずかなかしらの動きで宗岸の威厳と父親らしい深い思いやりを表現しておられた。宗岸はジイちゃん入っているからか、本当にちょっとしかかしらを動かさず(まじでごくわずか)、その深い思いの仕草は集中して見ていないとほとんどわからないのだが、舞台の近さもあってその繊細な演技を堪能することができた。ふだんからこうされてるんでしょうけど、本公演だとなかなかここまで微細な部分は見られませんよね。

本舞台と並べて設置された床も客席と距離がきわめて近いため、太夫の声、三味線の音を十分に堪能できる。呂勢さん、お園のような複雑な内面のある女性像は正直どうなるのかなと思っていたけど、大変丁寧に語られていてとても良かった。そして、文楽はやはりある程度義太夫が大きい音で聞こえたほうがいいなと感じた。義太夫で外界の音や雑念がシャットアウトされると舞台への集中度がぐっと増す。これくらい客席と床が近いと、その音量で現世と舞台との空間がぱつんと切り離され、浄瑠璃の世界に陶酔できる。

 

あとは本当に舞台までの距離がものすごく近いので、和生さんの定紋がとりちゃんということがわかってよかったです。すずめちゃんでしょうか? こうもりちゃんだと思っていました。

 

 

 

お酒やドリンクをいただける休憩時間をはさんで、第二部は和生さんのトークショー。というか質疑応答タイム。お園の人形をかたわらに、和生さんが簡単な上演解説とお客さんの質問を受けるというもの。気さくでお優しい和生さんのお人柄がよく出た素敵な時間だった。とってもほのぼのした……。以下簡単にお話の内容。

  • 今日のお園は少し頭が小さく、体(衣装)とのバランスが悪い。このかしらは少しほおが落ちていて淋しそうなので、夕しで(『刈萱桑門筑紫𨏍』)、雪責めの中将姫(『鶊山姫捨松』)などに使う。貧乏をしている役はほおが落ちたものを使う。衣装の梅柄は文五郎師匠が使って人気のあった柄。ほかには氷が割れたような線(梅の枝の模様?)が入っている衣装を使う人もいる。
  • このお園は、酒屋と同じく「出戻り」の人形。元々は文五郎師匠が名古屋のお客さんから注文を受けて拵えた飾り人形。納め先に不幸が続き、持ち主が占い師に見てもらったところ、「帰りたがっているものがある」と言われ、探してみるとこの人形のことだった。そのため、文五郎師匠の弟子である文雀師匠のところへ返された。
  • お園のクドキの型は色々ある。木戸の柱にもたれ掛かって遣っていたら、色気がありすぎて遊女のようだとお客さんに言われた。行燈にもたれかからせて遣う人もいる。初代栄三師匠は一回くるりと回ってから庭に下りる芝居をしていたらしい。二代目もそうしていたが、なぜくるりと回るかはわからないそうだ。
  • 「娘」と「老女方」のかしらの違いについて。老女方は基本的に目が閉じる。娘で目を閉じるものはお初など、一部。他には口元の彫り方が微妙に違うと言われている。老女方のような母役は、耐えなかればいけないことも多いので、口を「くっ」と食いしばるような彫り方をされている。娘は青春の喜びでほころんだような口元。また、老女方はお歯黒をしており、娘はこのように(人形を見せて)白い歯。
  • 師匠の個人所有だったかしらは5番くらいある。最近は人形のかしらがネットでも売りに出されている。文楽の飾り人形をケースに入れて飾るとサイズが大きく、持ち主が亡くなったあとに保管に困った遺族が売ったりしているようだ。文楽では檜のかしらを使うが、よく出回っているのは桐のかしら。普通に見ている分には桐でも変わらないのだが、湿度への耐久性や補修を考えると檜が良い(このあたり記憶あいまい)。わたしらも、大江巳之助さんの焼印があり、檜製で、ものが良ければ買う。衣装は古くなり日に焼けてしまって使えないので、かしらだけが目的。人形の装飾品については、かんざしは個人所有で集めている人もいる。
  • 大江巳之助さんの没後、基本的に新作の人形のかしらは存在せず、ずっと補修して使っている。50〜60年はいまあるものを補修で使い続けられるが、そのあいだにひとりふたり、人形細工師が育ってくれれば。
  • かしら割り委員について。芝居のタイトル・役割が出た時点で決めて、床山さんに発注する。文雀師匠は全部自分で考えていたが、ぼくは床山さんやかしらの担当の方に任せて、責任だけ全部取る!という方式にしている。ぼくが入門したころから師匠はかしら割りをしていて、入ってすぐの頃は手伝っていたが、だんだん舞台が忙しくなってしばらくやらなくなった。しかし、晩年手伝わざるを得なくなった。
  • 酒屋の話がひどすぎる件について。酒屋は曲の良さ、両父親の思いあってのお園の芝居。ただ、わたしら戦後生まれとしてはやっている方も違和感がある話。よそに女がいて子どもがいて帰ってこないって……??????
  • 『艶容女舞衣』が全体でどういう話になっているか? 通しでやったことないからわからない! わたしらは研究者ではないし、丸本も全部読み込んでいるわけではないので。わたしは酒屋と道行しかやっていない。全体でいうとどうかわからん! 道行(道行霜夜の千日)はもっとひどいですよ! 酒屋でお園が半七からの「しかし夫婦は二世と申すことも候へば、未来は必ず夫婦にて候まま……」という手紙を読むが、道行では三勝が「先の先のずっと先まで」と言う場面がある。劇場でもよく「おかしい」と言われるが、ぼくらの責任じゃない!!!!!
  • 人間国宝の認定について。肩書きを頂いたけれど、もらったからといってぱっと上手くなるわけではないし、「今まで」に対して頂いたこと。それにわたし一人でもらったわけではなく、左遣い、足遣い、太夫さん、三味線さん、床山さん、衣装さん、劇場の方、なによりご来場いただけるお客様あってのことだと思う。
  • 皇室の方は文楽を見に来てくださることがあって、大阪府橋下知事時代に助成金カットがあったときも大阪へ来てくださった。人間国宝の認定式のあと、皇居でのお茶会に招待され、皇后陛下から「あのときは大変でしたね」とお声がけいただき、誰か事情を知っている人が両陛下に来ていただけるようにしてくださったのかなと思った。
  • 人間国宝になって一番変わったことは……、朝は最寄駅まで自転車で通っているが、その駐輪場のおじさんが「先生おはようございます!!!」と声をかけてくれるようになったこと! 前から「吉田和生さんですよね?」とぼくのことを知ってくれている人がひとりいたが、その人が話をしてしまったのでは……。
  • 好きな役、嫌いな役についての質問は、聞かれても返答をお断りしている。配役は制作が決めることで、こちらからは決められない。好きな役や嫌いな役を答えてしまうと、実際その役が来たとき、「あのひと、あの役嫌いて言うてた」ということになってしまうので。
  • 文雀師匠に教わったこと。一番大きいのは、芝居や役柄に対する考え方。ああせえ、こうせえということ(即物的な指示)ではない。
  • 公演前のお参りについて。行ったからと言ってどうということでもない。けじめ(?)のようなもので、気の持ちようの問題。泉岳寺は判官さんの役をよくいただくので、役がつくたびに行っている。
  • 1月の『摂州合邦辻』の見方について。この段だけ見るなら「玉手御前は俊徳丸を助けるため、毒酒を飲ませて自分の血で助ける」とだけわかっていれば良い。自分が玉手を遣うときは、前半は本当に俊徳に惚れていたように演じる。そうしなければ説得力がない(このあたりニュアンスあいまい)。

 

 

 

第三部は1階のバーで申し込み制の懇親会。出演者の方や他のお客さんと立食パーティー式で歓談ができるというもの。酒造会社主催のイベントらしく、通常店頭には出ていないという日本酒が振舞われる。本当は、日本酒かー、どうしようかな〜、と思っていたんだけど、これはすごくフルーティーで飲みやすく、とてもおいししくいただけた(しかも飲み放題でした)。乾杯して客がワイワイガヤガヤやっているうちに、出演者が順番に挨拶。会がはじまったばかりなのにすでに完全に出来上がっている方がおられて爆笑した。どんなハイテンションやねんというはっちゃけ状態だった〇〇さんはたぶん和生さんのトークショーの段階から先に飲んでおられたんでしょうね……広瀬アリスの娘義太夫のものまねされてました。ベテランのみなさんのほか、おもてに顔を出さずご出演のお若い方々もひとりづつご挨拶されていてとても良かった。

 

 

 

本編、トークショー、懇親会と、とても充実したイベントだった。小規模会場なので早々に予約しなければならないが、そのぶんいつもと違う格段の迫力を感じられた。音楽用ホールではないが音響も良い。固定メンバーらしい出演者も豪華だし、また来年も行くことを検討したい。

 

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  • 『艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)』酒屋の段
  • 出演=豊竹呂勢太夫、鶴澤藤蔵、鶴澤友之助、吉田和生、吉田玉志、吉田玉佳、 吉田文昇、吉田勘市、吉田文哉、吉田玉勢、吉田玉翔、吉田玉誉、吉田玉彦、吉田玉路、吉田和馬、吉田玉延、吉田玉俊、吉田和登(配役表共有いただき、修正しました!)
  • https://hakutaka-shop.jp/event/ps/2017-12-03/

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文楽 11月大阪公演『八陣守護城』『鑓の権三重帷子』国立文楽劇場

八陣守護城(熊本)コラボで、文楽劇場ロビーにくまモンが来ていたそうだ。私もくまモンに会いたかった。

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八陣守護城。パンフレットを間違ってロッカーに預けてしまった上、歴史教養が一切ないため加藤正清(加藤清正)が誰かわからないんですが大丈夫でしょうかと思っていたら、話がめっちゃ途中から始まって危なかった。

加藤正清〈吉田玉男〉は嫁・雛絹〈吉田一輔〉を伴い帰国の途にあった。その大船を追って北条時政の使者・早淵久馬〈吉田玉彦〉を乗せた小舟が現れ、正清の機嫌伺いをするが、何事もないのを見てすぐに帰って行く。いぶかしく思う雛絹に正清が琴を弾かせ盃を傾けていると、またも時政の家来・鞠川玄蕃〈吉田文哉〉が船を漕ぎ寄せ、時政からの餞別として鎧櫃を届ける。一献と誘われた玄蕃は森三左衛門と打って変わってのその様子を不審がり、またもすぐに帰っていった。心配する雛絹を制し、正清は豪快に笑うのだった。(浪花入江の段)

話はいきなり海上からはじまり、ステージ中央には巨大な朱塗りの船が浮かんでいる。この船がでかい。いままでになくでかい。美術の予算を突っ込みまくった感があるでかさ。ラストシーンで回舞台を使って方向転換するので、書割の船ではなく、本当に船の形になっている。いつも「あんなでっけー人形乗ってたら沈むだろ、こんな木っ端船。」と思っていたが、今回は絶対沈まないですねって感じの大船。すごかった。この感動をみんなに伝えたい。

と、船について熱く語ってしまったが、床・人形ともに出演者の方々の持ち味をいかしたおおらかな段でとってもよかった。大海原をぐんぐん進んでいる感があった。船の屋台にもたれかかったりと時々物憂げな正清の芝居も良かった。

ところで、忍びしのばせてどうすんの!?って感じの忍者が入っている鎧櫃が初めからカタコト動いているのは、「はいってますよ〜」というアピールなのか。ギャグかと思った。

 

 

 

正清は帰国後、100日の心願ありと雛絹のみを伴って思惟の間へ引き籠っていた。満願の日、鞠川玄蕃と隣国の大名・大内義弘〈吉田玉志〉が時政の上使として訪れる。応対した正清の妻・葉末〈吉田勘彌〉は義弘から正清の病態を尋ねられたのに驚くが、そこへ続けて酒樽を引きずった野卑な姿の船頭・灘右衛門〈吉田玉也〉が現れ、同じように正清の容態を聞く。立て続けの話に葉末が不安がるのを義弘が制し、見舞いの酒樽と藁苞を受け取った。灘右衛門が去るのと入れ替わりに正清の息子・主計之介〈吉田幸助〉が早駕籠で到着する。主計之介は正清が時政に毒を盛られたことを明かし、その様子伺いの使いとして本国へ戻ったこと、また、正清と同時に毒杯を受けた雛絹の父・森三左衛門の逝去を伝える。義弘や灘右衛門の言葉に合点が行った葉末は、主計之介へ正清に付き従っている雛絹に密かに会い、様子を探ってくるようにと告げる。(主計之介早討ちの段)

 

夜更け、主計之介が思惟の間の門扉のなんか(なにあれ?)を鳴らすと、それに気づいた許嫁・雛絹が現れる。久々の再会を喜ぶ雛絹だったが、主計之介が無神経発言をしたため怒りつつも、正清は食が進まず時折手箱の草の根を食べるのみだと答える。そのときあまたの怪しいねずみが現れ、思惟の間へ入り込んでいく。物音がして灯火が消え、思惟の間の障子が開くと、そこには荒れ放題のなりで忍びを倒す正清の姿があった。正清はねずみに化けた玄蕃に「都へ戻り正清存命と伝えよ」と告げて追い返す。主計之介は正清へ政時からの書状を手渡すが、正清は読むまでもなく破り裂き、忠孝信義を理解せず、幼君の守護を怠って時政の甘言に乗せられて帰国するとは女に迷った大馬鹿者であると一喝する。主計之介は身を恥じて、葉末と雛絹の引き止めも聞かず雛絹に手紙を渡して都へ帰ってゆき、正清もまた思惟の間へ戻っていった。

間も無く雛絹の母・柵〈桐竹勘壽〉が現れ、主計之介は時政に命を助けられた恩を捨てるため、時政の家臣の娘である雛絹とは添われないと告げる。主計之介が雛絹に渡した手紙は離縁状だった。雛絹はそれを読み懐剣で喉を突く。柵と葉末が驚き抱き起こすと、雛絹は苦しい息の中、来世では主計之介と添い遂げたいと二人の母に頼む。再び思惟の間の障子が開き、白い鎧に身を固めた正清が南妙法蓮華経の旗を手に現れる。その旗には妻・雛絹、そして夫・主計之介の名がしたためられていた。正清は主計之介の戦死を予感し、未来で夫婦として縁を結べと告げ、雛絹はその言葉を聞きあの世での再会を楽しみに息果てた。

そこへ現れたのは灘右衛門。主計之介を追ったところ、何者かに連れ去られたことを告げ、そのときに拾ったという状箱を正清に渡す。正清が状箱の封を切ると、中には「八十川のその源は変はるとも心あふみの末をみづうみ」という歌をしたためた紙が入っていた。そこへ現れた大内義弘がその歌の心を承知していると言い、灘右衛門が先ほど持参した藁苞を開いて名剣・七星丸を取り出す。これは正清がかねてより幼君を守護する勇士へ渡すよう、片桐氏(誰?)へ預けていたものであり、それを持ってきた灘右衛門こそが実はその勇士・児嶋元兵衛だったのだ。さきほどの状箱の中の短歌は近江源氏の武将・佐々木高綱が主計之介を助けたことを表していたのである。そして、佐々木と児嶋という二人の大きな味方を得たことを喜び心が緩んだ正清についに毒が回る。正清はあの世で主計之介を待ちわびている雛絹を不憫に思いながら、葉末と柵を児嶋に預けて主計之介の安否を尋ねに都へ旅立たせ、自らは城の高楼へ登って最期を迎えた。

冒頭で腰元たち〈腰元照葉=桐竹紋吉、腰元深雪=桐竹勘次郎〉が「なんで大殿は嫁だけ連れて籠っているのか」について噂話をしているが、それを寄せ付けないほどの一輔さんのおぼこオーラのまばゆさ。女方人形遣いさんにはおぼこオーラがある人と一切ない人がいるが、あれはいったい何が違うのか真剣に不思議である。

ところでねずみに化けられる忍び、すごない!?!?!?!? まじびっくりしたんですけど。ありえねえだろ!!!! 雇われ忍びとかしてないで、ねずみに化けられるスキルを使って身を立てたほうがよかないか!?!?!? しかも一番デカいねずみ、しっぽめっちゃ長ぇ!!!!!!!! と余計なことに気を取られてパニックを起こした。そしてねずみの動きに妙なやる気があり、引いた。この『おしいれのぼうけん』並みのねずみ軍団(と、それに対して動じない人形たち)への驚きで記憶がほとんど吹き飛んだ。

最後、正清を高楼に残してほかのメンバーは城を旅立つ場面、城の外壁の外をみんながゆっくり歩いていって、正清の遠見の人形が高楼からコッチを見ているところ、90年代のRPGのエンディングみたいで面白かった。

 

 

 

正清の人形、三場面で全部違うので忙しかった。最後の白い鎧姿がプロモーション等でも使われていて有名だと思うが、とんがりコーン的な三角帽子の中身が思っていたのと違ったので驚いた。直前の人形では百日鬘っていうのか?もふもふになっていた髪の毛が全部あの三角帽子の中にしまってあった。ええ、そうなってたんですか。そりゃそうか。という感じだった。正清の通常の白い顔が蒼白な顔色に変わる場面は一瞬でスムーズすぎたため、言われなかったらスルーしているところだった。公演プロモーション動画で玉男さんがおもいっきりネタバレしてすべて喋ってしまっていたため気づいたが、玉男様のどちゃくそネタバレがなかったら気づかないところだった。*1

人形で一番良かったのは玉也さん(船頭灘右衛門実は児嶋元兵衛政次)。荒々しい役ではあるんだけど、メリハリが演技と演技のつなぎの動作が大変に洗練されているので下品にならない。アスリート的な動きというか、そこが他の人と違うな〜と思う。最後、城下を歩いていくとこなど悠々としていてとくに良かった。そして出番は少ないが同じく洗練された芝居で気品ある存在感を見せた玉志さんもとってもよかった。余計なことをやらずとも、あれだけ出番が少なくてもちゃんと存在感を示し、どういう役柄か観客に瞬間的にわからせるのはさすがだと感じた。そこがひきしまっていたので、話が途中からはじまる&主役の行動が読めないストーリーながらなかなか満喫できた。

 

 

 

熊本訪問記。くまモンと手をつないでいる加藤正清の人形、可愛い。玉翔さんと宮司さんがなぜかアサッテの方向を見ているのもほのぼのさせてくれます。

あと、パンフレットを購入された方はP28の右下の写真がメッチャ可愛いから絶対観てください。

 

 

 

第一部2本目、鑓の権三重帷子。話がとても面白かった。

松江藩の表小姓・権三〈桐竹勘十郎〉は鑓の名手の誉れ高い美男であった。ある日、権三が馬の遠乗りで浜の宮の馬場までやってくると、茶道の師・浅香市之進の兄弟弟子である川側伴之丞の妹・お雪〈桐竹紋臣〉が乳母〈吉田清五郎〉を伴って待ち受けていた。彼女はかつて乳母の働きで権三と将来を約束した仲、にも関わらずいつまでたっても祝言の話が進まないのを心苦しく思いここまで押しかけたのだった。乳母が詰め寄るのをうまく言いかわした権三に、お雪は二人の紋をあしらった帯を贈る。そのとき、遠くにお雪の兄・伴之丞〈吉田玉輝〉の姿が見え、彼に見つからないよう権三は彼女を帰らせる。近寄ってきた伴之丞の悪口をかわす権三だったが、無理な勝負を挑まれ渋々それを受けることになる。二人が競って馬を走らせているところに現れたのは市之進の舅・岩木忠太兵衛〈吉田玉佳〉。若殿の祝言が無事済んだ祝いとして真の台子の茶の湯を国許でも執り行うことになり、その際、江戸に上っている市之進の代役を、門弟の中で真の台子を伝授された者に仰せつけるという内意を伝えに来たのであった。二人は思わぬ出世の糸口に、自分こそがその役にふさわしいと対抗心を燃やすが、二人とも真の台子の伝授はまだ受けていなかったため、市之進の妻に相談してからにしようとその場を収めるのだった。(浜の宮馬場の段)

この権三ってやつクズじゃない? 顔が良く口の良い1mmの感情移入もできないクズ。演者を選ぶ役だなと思った。勘十郎さんの権三は美男だけどちょっと真面目すぎて、キャラクターがよくわからない印象があった。いや、権三はナチュラルドクズだろうで、こんくらいもやっとしているのがいいのかもしれないが……。モヤキャラはもっと得意な人がいる気がするが、にしてもお雪役が紋臣さんというのがかわいそすぎてクズが引き立つ。こんなん誰よりも先に私が八つ裂きにする。遠乗り勝負で「馬から落ちて落馬した」伴之丞が包帯姿で現れるのが愛らしかった。以上、文章が支離滅裂ですみませんがこういう段でした。

 

 

 

市之進が不在中、留守宅を取り仕切っているのは妻のおさゐ〈吉田和生〉である。おさゐは37歳で三人の子がいるとは思えない美しい女だった。おさゐは姉娘のお菊〈吉田簑之〉の髪を直してやりながら、このように出来の良いお菊を添わせるなら並みの男では不満、婿を取るなら武芸の腕も茶の湯の腕も立ち、気立てよく美しい権三に添わせたいと言い聞かせるが、お菊は権三はオッサンだから嫌と言い放つ(直球)。それなら権三は自分が夫にする、独り身なら放ってはおかないとおさゐは語るのであった。

その玄関先へ、当の権三が現れる。手土産をたずさえ真の台子の伝授を乞う権三に、おさゐは真の台子は一子相伝で、伝授するなら親子の契りが必要である、そしてかねてより権三をお菊の婿に考えていたことを彼に告げる。それともおさゐからそれとも言い交わした女がいるのかと迫られた権三は秘伝欲しさにお菊との結婚を約束してしまうが、そこへ突然、お雪の乳母が訪ねてくる。お雪の兄・伴之丞から何度も不義を迫られ辟易していたおさゐはまた付け文かと不快に思い、権三を一旦帰して留守を装いその様子を立ち聞くことに。しかし乳母が持ってきた話というのは、なんと権三とお雪の祝言の仲人をおさゐに頼みたいというものだった。下女が乳母をつれなく追い返した後、おさゐが怒り狂って塩を撒かせているところに、父・忠太兵衛が来訪する。おさゐから真の台子は権三に伝授することを聞いた忠太兵衛は、秘伝は誰にも漏らしてはならないと注意し、満足げに帰っていった。(浅香市之進留守宅の段)

 

その夜。数奇屋の前に一人たたずむおさゐは、権三とお雪の一件に腹を立てつつもそのような自分の気性に思い悩んでいた。そのうち忍んでやってきた権三を引き入れ、おさゐは数奇屋の内でひそかに真の台子を伝授する。一方、そこへもう二つの怪しいふたりの影が数奇屋へ忍び寄る。それはおさゐの寝込みを狙ってやってきた伴之丞とその手下・浪介〈吉田玉勢〉であった。ひそかに庭へ入り込んだアホ二人は、本来の目的を忘れて数奇屋の障子へ映るあやしい男女ふたつの人影をウォッチする。さっきまでしきりに鳴いていたカエルが鳴きやんだのを不審に思った権三が庭へ立つと、おさゐはこうしているのを妬む女がほかにいるのであろうと昼間聞いたお雪の存在を問い詰めようとする。白を切ろうとする権三に、ではその帯はなんだと怒ったおさゐがつかみかかり、彼のしめていたお雪からの贈り物の帯をほどいてしまう。庭へ打ち捨てられた帯を拾おうとする権三に自らの帯をほどいて叩きつけたおさゐだったが、権三はその帯を庭へ打ち捨てる。そこへ現れた伴之丞、二人の帯を拾って不義密通の証拠と言い立てて持ち去ってしまう。権三は伴之丞を追うが、すんでのところで取り逃がしてしまう。たとえ潔白でもこうなっては生きていられないと自害しようとする権三をおさゐは引き止め、市之進の名誉のため、ここは生き延びて夫に妻敵として討たれてくれと懇願する。権三は無念の中、おさゐと互いに「女房」「夫」と言い交わし、屋敷を抜け出すのだった。(数奇屋の段)

おさゐの感情の上下がメチャクチャなのが良い。言動が支離滅裂である。権三の造形が比較的のっぺりとしているぶん、彼女の不条理とも思える気性が引き立つ。明快な筋立てではなく、他人にはわけのわからないところがある、説明もなく不条理な人間の心の動きが描かれているところが良い。このような感情優位でそれに自覚的な人物造形って現代作品の特長だとなんの根拠もなく思い込んでいたが、古典でもあるんですね。

芝居としては、ことに暗い庭の腰掛でうち沈むおさゐが印象的。下女や娘・息子たちの前で毅然とした立ち居振る舞いとは異なる、ひとりの女、個人としての姿を感じた。しかし女の人形って屋外でもペトンと突然座ってしまうが、こんな身分が高い人が突然地べたに座るか?とよく思っていたんだけど、椅子(なんか陶器の樽型のやつ)に座ることもあるのね。文楽人形ってなんであんなにすぐペトンと座っちゃうんだろう。やっぱり人形を高い位置に持ち続けるのが大変だからでしょうか。

伴之丞が持ってきた酒樽の使い方が思ったのと違ってびっくりした。あの塀、塀じゃないのか? もしかして生垣のつもりだった? 美術が変でよくわかんないんだけど(失礼)かたい塀ではなかったみたい。狭い樽のトンネルをちょこちょこと一生懸命通り抜ける人形たち(と人形遣いさんたち)が可愛らしかった。権三に気付かれ、庭でしゅっと平らになって(?)隠れる伴之丞・浪介もプリティだった。こういう可愛さは人形ならでは。

しかしこんな大事な場に他の女にもらった帯をしめてくるとは、権三はアホではないか。アホでないなら池部良とか加山雄三的な何かだと思う。しかも最後はおさゐに言い負けるし、単に押しに弱いだけでは。ここいら、すでにお雪のこと忘れてるだろ。おさゐが権三の帯をほどくところでは、人形でどうやってやるのかしら、人形の帯ってほどけるの?と思っていたら、ぽかぽかえいえいと一生懸命ほどいておられてなんだか可愛かった。人間でやると印象まったく違うと思うが、人形だと可愛いね。

 

 

 

国許から出奔したおさゐと権三は、盆踊りでにぎわう京都伏見の京橋の下にたどり着いていた。過ちと身の上を嘆き悲しむ二人だったが、ついにおさゐの夫・市之進に見つかってしまう。おさゐは夫の無事と子供たちのことを頼み、市之進に討たれる。権三もまた、かつて「鑓の権三」と名を馳せた形見として竹を手に取り、市之進に討たれるのだった。(伏見京橋妻敵討ちの段)

 

妻敵討ち(めがたきうち)とは何だ。女房に間男されて、しかも逃げられた場合、それを追い掛けて斬戮することなのである。

前の段から話が飛んでいるようだが、さほど違和感はない。夫が連れてきている助太刀の人〈岩木甚平=吉田簑之〉唐突すぎだろ、誰やねん、下男? 下男て仇討ちに連れてきていいんだっけ? と思っていたら、おさゐを思慕する彼女の弟で、叶わぬ恋の意趣晴らしに伴之丞を討ち取ったという設定らしい(注 2020.9.28追記:岩木甚平はおさゐの弟であることは原作にに描かれているが、おさゐを思慕していたかどうかは描かれていない。というか、そこまでの書き込みがない人物。この記事書いたとき、何を見たっんだっけ? 忘れた……)。人間関係複雑。一瞬だけ出てきて無念のなか(実は真相を知っているのではないか?)市之進も哀れである。

盆踊りカップル〈娘=桐竹紋秀、源太=吉田玉翔〉、『心中宵庚申』の庚申参りカップルと同じく可愛かった。やっぱりなんか微妙に嬉しそうなのが良いよね。

 

 

 

『槍の権三』はストーリーがおもしろくて引き込まれた。もうすこしおさゐの内面をじっくり見たいとも思った。ただ「???」となる部分もあったので、もちょっと違う配役で観てみたいところ。権三とお雪の配役でイメージが変わりそうだ。

近松の姦通ものだと『堀川波の鼓』が観てみたい。これは映画『夜の鼓』(監督=今井正/脚本=新藤兼人/松竹/1958)で観ておもしろかったもの。本作と話が似ていて、やはり夫が江戸詰の最中、息子の鼓の師匠との姦通を疑われた妻の話なのだが、原作では実際に姦通しているところ、映画版では不貞を働いたかどうかがわからない演出になっている。映画版の結末は妻は自害(追い込まれて自害するのでほぼ殺されたも同然だが)、鼓の師匠はショックで目がイッちゃってる夫(三國連太郎です)に妻敵討ちとして殺害される。これって『鑓の権三』を参考にした演出にしているのかなーと思った。いや、と言っても相手役の鼓の師匠役が森雅之なので客観的には真っ黒だし、観たのがそこそこ前なんで、記憶がおかしくなってきているのかもしれませんが……。『堀川波の鼓』も近いうちに文楽で観てみたい。*2

 

 

第一部全体いついての感想としては、なんだかとっても自然に楽しめて良かった。普段、端緒や末尾についている切にならない段は床がガチャガチャになっていることが多く思うのだけれども、今回はすべての段がバランスよくて心地よかった。「浪花入江の段」は全体的にとても良くて聴きやすく、「伏見京橋」は盆踊りの歌の掛け合い、歌のハーモニー(というのか?義太夫でも)のバランスが良くてとても楽しめた。あとは人形遣いってやっぱり上手い人は違うなと思った(漠然とした印象)。

 

 

 

 

  •  『八陣守護城(はちじんしゅごのほんじょう)』浪花入江の段、主計之介早討の段、正清本城の段
  • 『鑓の権三重帷子(やりのごんざかさねかたびら)』浜の宮馬場の段、浅香市之進留守宅の段、数寄屋の段、伏見京橋妻敵討の段
  • http://www.ntj.jac.go.jp/schedule/bunraku/2017/1116.html?lan=j

 

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*1:この動画、玉男様がほんま最高なんで是非見てください。ご自分の番が回ってくるまではいかめしい真顔でいらしたのに、最後映像が切れる直前「ほっ……^^」みたいな表情をなさるのがイイ…… http://www.ntj.jac.go.jp/topics/bunraku/29/1133.html

*2:『鑓の権三』も映画版があるらしいが、制作年代が遅くて好みの範疇から外れるのと、監督の篠田正浩が苦手なため、どうしたもんか思案中。

文楽 11月大阪公演『心中宵庚申』『紅葉狩』国立文楽劇場

秋深き隣は何をする人ぞ。大阪公演へ行ってきた。

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心中宵庚申。人形の主演おふたり初役ということで(玉男さんはそうだけど、勘十郎さんも初役?)、楽しみにしていた演目だったが、思っていた以上にずっとよかった。以下、復習がてら、あらすじまとめ。

上田村の段

上田村に住まう平右衛門〈吉田和生〉は苗字を許されたほどの大百姓で、多くの使用人をかかえて暮らしている。妻なき今、姉娘のおかる〈吉田簑助〉に婿を取り家を守らせ、妹娘のお千代は大坂の八百屋半兵衛へ嫁がせていた。その平右衛門がにわか病で床に伏せているこの頃、籠に送られてお千代〈桐竹勘十郎〉が帰ってきた。おかるは嫁ぎ先の忙しい中、父の見舞いに帰郷したのかと問うたが、お千代は離縁されて帰ってきたのだった。おかるは彼女に非はないがもう3度目の出戻りと世間の目の厳しさを皮肉交じりに説くが、身重のお千代が夫半兵衛の不在中に姑から無理やり暇を出されたと聞いて不憫がる。そのうち眠っていた平右衛門が目覚め、何度離縁され世の人がなんと言おうと一番大切なのは娘、次はもっと身代の良い男へ嫁入りさせると彼女を励ます。

お千代に父を介抱させ、おかるが彼女の中食の支度をしていると、玄関先に旅姿の半兵衛〈吉田玉男〉が現れる。半兵衛は父の十七回忌のために実家の浜松へ帰っていたのだった。不愉快なおかるが当てつけるのにも気づかず上り込む半兵衛だったが、奥の間からひょっこり顔を出した千代が顔色を変えて引っ込んだのに驚く。これは何事かと戸惑っていると、おかるからは自分の心に聞けと皮肉られ、お千代に本を読ませている義父平右衛門からは義理も法もない武士のクズと言われ、半兵衛は事態を悟ってその場で切腹しようとするが、それでは義理ある大坂の義父母への当てつけになると平右衛門に諌められて思いとどまる。半兵衛がお千代を連れて大坂へ帰るというと、彼女は父の病を忘れたかのように喜んで帰り支度。その姿を見て平右衛門も嬉しく思い、半兵衛お千代と水杯を交わすのだった。平右衛門は二人が未来まで連れ添い、灰になっても戻らぬようにとおかるに門火を焚かせる。不吉さに心曇るおかるがつけた焚火の煙に送られ、お千代と半兵衛は連れ立って大坂へ帰っていった。

お千代がひたすら哀れで健気。いちばん最初の出、実家へ無理矢理に帰された駕籠からうち萎れて出てくるところの、落ち込んだ儚げな雰囲気が印象的。くるくるとまめまめしく立ち働く姉おかる(簑助さんぽい、ひゅっと伸び上がる姿が可愛い)とは対照的に、目を伏せ気味にしてゆっくりとした歩み、寄る年波と病で弱った父平右衛門よりもぐったりとしている。

お千代の演技をよく見ていると、姉に甘えるとき、父に甘えるとき、そして夫・半兵衛に甘えるときで仕草や印象がすべて違っていて面白い。半兵衛の胸にすがりつくときの、安心しきったすごくシンプルな表情の愛らしさ。姉や父の膝にすがりつくときはそれぞれ今まで自分の中に押しとどめていた感情が堰を切って溢れ出すような複雑な表情で抱きついているんだけど、半兵衛に抱きつくときだけは複雑じゃなくて、ただ一心に愛しい人のもとへ帰ってきたという、まるで童心に還っているかのようなピュアな表情なんだよね。ところでお千代、前触れもない自然さとすごいスピードで半兵衛に抱きつくんだけど、そのとき半兵衛の左遣いさんがズドドドドと近づいてくる勘十郎さんを避けるのにものすごい速さでくるっと半兵衛の人形の後ろ側へ避難したのにはちょっと笑った。半兵衛とお千代の人形がからむ所作の、まるで人間同士でやっているような自然さには、こんな努力(?)が隠されていたのね。

平右衛門の和生さんの堂々とした演技も見どころだった。平右衛門は病身ゆえ、丸めたふとんにもたれかかっていてほとんど動かないのだが、父親らしい情愛に満ちた大きい人間性を感じる。夏休み公演の『源平布引滝』義賢に続くイイ役だった。

 

 

 

八百屋の段

半兵衛の養家である八百屋は大坂新靭にあり、かつては小さい商いだったものの、いまでは使用人を何人も雇い人に金を貸すほどの店になっていた。主人・伊右衛門〈吉田簑一郎〉は切り盛りを半兵衛に任せて自分は念仏三昧、その女房〈吉田簑二郎〉は使用人へのケチつけに忙しい。そこへ得意先への配達に行っていた養母の甥・太兵衛〈吉田玉翔〉が帰ってきて、半兵衛に山城屋からの呼び出しの言付けを伝える。実はそれはお千代からのもので、半兵衛は養母に遠慮して大坂へ連れ帰ったお千代を従兄弟の山城屋へ預けていたのだった。それを悟った養母は、甥の太兵衛でなく他人の半兵衛に店を継がせたにも関わらず、その親の気に入らない妻を大事にする不孝者と半兵衛に小言する。伊右衛門は信者仲間の食事会に女房を連れ出そうとするが、留守のうちにお千代を連れ込まれてはと女房は頑として動こうとしない。その気性をよく知る伊右衛門はうまくなだめて後から来させることにして、自分は先に家を出て行くのだった。養母と二人きりになった半兵衛は、自分の不在中に姑から離縁したのでは世間の批判が養母に向く、自分から千代を離縁すると告げる。養母は、それが嘘なら出刃包丁で喉を突いてやると脅して出かけていった。

入れ替わりに浮き足立ったお千代が帰ってくる。あまりにタイミングよく現れたのを訝しがる半兵衛が事情を尋ねると、お千代は養母が山城屋に来て家に帰るよう言ってくれたと、留守中に荒れ放題の家の中を見てどこから家事をしようかとそわそわしている。その姿を見て心が痛んだ半兵衛はすべての事情を話し、養父母・義父母ともに孝行の道を立てるにはもはや心中しかないと告げる。お千代も夫の孝行の道が立てるなら一緒に死ぬと、二人は抱き合い泣き沈むのだった。その門口へ養母がにょっと戻ってくる。猫なで声の養母に呼ばれ心苦しく側へ寄ろうとするお千代を制し、半兵衛は涙ながらに去り状を突きつけて門外へ追い出す。これには養母もさすがに後味悪く、読経にと奥の間へ消えていく。

やがて夜が迫る頃。半兵衛は準備していた脇差一振り・毛氈・死装束の包みを抱えてそっと店を抜け出し、門外で待っていたお千代とともに、死に場所を探しに出るのだった。

お人形があまりに可愛すぎて、ありがたさのあまり合掌しそうになった。

さきほどの段に続き、お千代の演技で可愛らしかったのが、義母に見せつけるため半兵衛に無理矢理店の外へ追い出され、ぴしゃりと門を閉められたあと。門扉の格子の隙間から家の中にいる半兵衛をじ〜っと見ているのだが、その仕草の可愛らしいこと。おろおろしつつ、しかし不安に夫愛しい気持ちが打ち勝っているような微妙なニュアンスのある仕草で、「すき……❤️」って感じだった。その間メインで演技をしているのは半兵衛なんだけど、どちらかというとお千代のほうに目がいく。勘十郎さんもちょっと人形につられていて切なげな雰囲気というか、可愛いことになっていて、笑った(ごめんなさい)。勘十郎さんはこういう感情だけで生きているようなキャラクターがお似合いですね。感情だけで生きてるって、現実的にはまずそんなことできないし、映画などでも「ありえなくない?」となりがちで、かなり難易度の高いキャラクターだと思う。こういう人物造形、私は文楽を観るようになってはじめて納得がいったというか、しっくりきたな。文楽だと生臭さがなく、浄瑠璃も人形も、感情のそのものを表現しているだけだからかもしれない。ことにお千代はいちばん重要なこと、ただ一心に半兵衛を慕っていることが自然に心に伝わってくるのがとても良かった。

半兵衛は抱きついてきたお千代の背中をぽんぽんしてあげる、その手を回す速度とタイミングが完璧でびっくりした。なんという自然な夫感……。文楽を観ていると人形の演技ってやっぱり人形の演技だなと思うことも多かれど、この演技はあまりに自然で違和感がなさすぎ、人形とは思えなかった。さすが抱きつかれ(つき)なれてると思った。あいづちのようにぽんぽんする手つきに半兵衛のやさしい人柄がよく現れている、しみじみとした良い演技だった。

しかし伊右衛門女房、すごいタヌキババア(素直)。この段ってすごく難しいニュアンスがあると思うんですが、このお姑さん、もとからこういうキャラなんですかね。千歳さん&簑二郎さんの演じ方だと、単に嫌な、陰湿なお姑さんではなく、『仁義なき戦い』の山守組長(金子信雄)的なひねりのあるキャラですよね。ちょっとチャーミングな。現実的に考えると、このお姑さん、性根が曲がっていて、お千代をなぜ嫌っているかというと「嫌だから嫌」、気に入らないところがないから逆に嫌なんだと思いますけど、そういくとマジでド悲惨な暗い話になっちゃうからですかね。個人的にはそういう冷え冷えと凍りつくような人間の心の闇が見える話、好きなんですが……。「甥っ子ではなく赤の他人の半兵衛に店を継がせたという過去があるので、根が芯から曲がっているわけではない」という設定になっているので、ああいうお茶目な演じ方もすごくわかる。あとはこのお姑さんの使いこなし方(?)を夫も甥っ子も心得ているのが面白かった。「ど〜でもい〜」って態度丸出しで天秤棒をくるっと振って配達に出かけていく太兵衛が可愛い。お姑さんをうまくいなせないのは、根が真面目な半兵衛とお千代だけなのね。それが不幸の始まりか。

この段は千歳さん&富助さん。千歳さん、最近、語りがとても丁寧で良い! 『心中宵庚申』は人形が可愛すぎてありがたさのあまり2回観たのだが、千歳さん、1回目は若干お声が枯れ気味で心配だったけど、2回目に観たときのほうが声が落ち着いておられて良かった。やっぱり出だしからいい声で語ってもらえると気持ち良い。

ところで、店先に出ている二股大根がすごい二股大根だった。普通のおしとやかな二股大根ではなく、徳川女刑罰絵巻牛裂きの刑状態のダイナミックな開脚ぶりのやつで、大根だけあってすごい大根足、あまりの開脚ぶりにはじめ二股大根と認識できなかった。ほかにはすんごいゴロンとしたかぼちゃなどが置かれていた。しいたけは蔵で育てているそうです。江戸時代はしいたけ農家はなかったのか? それともしいたけ、すぐ傷んじゃうのかしらん。

 

 

 

道行思ひの短夜

今夜は宵庚申。夜明かしで庚申参りをする人混みに混じり、死に場所を探して彷徨う二人は生玉社前にある東大寺大仏殿の勧進所へとたどり着く。いままでの人生を振り返り、一見商売はうまくいっていても心の内は苦しいことばかりだった上、最後は愛する妻を道連れにして心中せざるを得なくなった自分たちの身の上を嘆く半兵衛。お千代もかざされた脇差を前に、産んでやることができなかったお腹の子の不憫さに泣き伏せる。夜明けが迫り、ついにお千代を一突きにする半兵衛。半兵衛は辞世の句を詠み、武士の出らしく切腹して、お千代の遺骸を抱いて果てるのだった。

主役二人が登場する前に、庚申参りの若者カップル〈娘=吉田簑紫郎、若男=吉田玉勢〉が出てくるのだが、この子たちが高校生カップルみたいで可愛い。意図してそうやっているかはわからないけど、なんだか微妙に浮かれていて、所作が子供っぽくて可愛いんだよね。娘のほうがこけるところで優雅にこけられないところが未熟な小娘っぽくて良いんだよ……。若者よ、頑張って……(T_T)という気分になった。私、簑紫郎さんや玉勢さんより年下ですが……。

そんな高校生カップルが去ると、暗い表情ながら透き通るような空気感をまとった主役カップルが入ってくる。お千代の死に際は壮絶。怖すぎる。死に際に異様なこだわりをお持ちの勘十郎さんがやってるからなんだけど、やっぱり心中って綺麗事ではなく、刺されて死ぬわけだからすごい苦しみだよね。と思った。

半兵衛が辞世の歌を短冊に書きつけるとき、口にくわえた矢立(筆入れ)からしゅっと筆を引き抜く場面、どうやって口に矢立をくわえさせているかよくわからなくなった。初代吉田玉男文楽藝話』をひらくと「筆に栓がついていて、それを口に差し込む」「小道具さんが改良してくれて、上手に引っ掛けられるように工夫されている」と書かれているが、何をどうしていたかは全然わからない。1回めに観たときは半兵衛、引き抜く途中で矢立ごとおろしていたんだけど、2回目は矢立を口にくわえたまますべて引き抜いていた。

そして、刺されたあとのお千代。普通、人形って死ぬと人形遣いは人形を置いて場を離れるが、この間お千代の人形遣いは半兵衛が死ぬ(幕)までかがんでその場で待っている。半兵衛が辞世の句を書いたり、切腹の支度をしている時間は長いんだけど、それまで待っているというのは死ぬときは夫婦一緒という表現なんだろうな。

 

いや〜、『心中宵庚申』、良かったですわ〜。夫婦のあいだに通じ合うしみじみとした情愛を感じた。それも、わざとらしい説明のようなそれではなく、すごく自然な人間らしい感情という印象で……。話が途中から始まるので、この夫婦がどうしてそこまで通じ合っているかはまったくわからないのだが、その前段がなくてもすぐにすうっと世界に入っていけた。他の人がどうあろうと、2人の世界がちゃんとそこにある印象。文楽って浄瑠璃そのものが主体とは言えど、出演者のパフォーマンスによって感じ方が大幅に変わるものだなと思った。

 

 

■ 

可愛いプロモーション用写真。お仕事モードでカメラ目線の玉男様と、半兵衛ラブ心がほとばしる勘十郎様。

  

 

 

 

紅葉狩。

その武勇で知られる平維茂〈吉田文司〉はある夕刻、時雨に錦深まる信州戸隠山を訪れていた。維茂が紅葉を楽しんでいたところに幔幕を張った一角に気づき、さぞや高貴な人であろうとその場を立ち去ろうとすると、現れた美しい姫君・更科姫〈豊松清十郎〉とその腰元たち〈吉田紋秀、吉田玉誉〉が彼を呼び止め、酒を振る舞う。維茂が姫の舞を見ながらまどろんでいると、いつのまにか姫とその一行は姿を消してしまう。やがて日が暮れ、維茂の夢の中に山神〈桐竹紋臣〉が現れて彼の身に迫る危機を知らせ、目覚めるように促す。維茂が山神の警告にはっと目を覚ますと、すさまじい山颪とともに鬼女が姿を現す。姫の正体は、維茂に討たれた仲間の仇をとるべく彼を狙う鬼女であった。妖しい秘術で維茂に迫る鬼女だったが、維茂の武勇と名剣の威徳によりついに滅ぼされた。

いろんな人が踊るのが楽しい作品だった。全員出遣いの更科姫の踊りは結構長くて大変そう。榊のついた長い杖を持った山神のリズミカルな踊りが良かった。童子の姿だが威厳と上品さがあり、さすが神だと思った。

後半の人形が鬼女になったときの清十郎さんの雲模様のド派手着付、北九州の成人式のヤンキーみたいで、清十郎さんに似合ってなさすぎて爆笑した。にっぽん文楽の『増補大江山』で簑二郎さんが着ていたときはとくに違和感なかったんだけど。何が違うんですかね。そして清十郎さんて清楚な姫か透明感のある若い貴人役のような、線の細い芝居のイメージがあったが、毛振りの演技なかなか良かった(ウエメセ)。一発でちゃんと綺麗に回しておられました。本当、片腕だけであの人形のかしらの重量を持ち上げるのは大変だと思う。人間が頭を振ってるのでは表現できない摩訶不思議な印象があった。

 

 

 

 

開演前に大阪観光で大阪城へ行った。城内の近代化度がすごすぎたのと(エレベーターで登れるというのがまずすごい)、敷地内でおそうじの人が落ち葉アートを作っていたり、ミミズクや派手な鳥さんが飼われていたり、お堀に観光客の乗れる御座船が浮かんでいたりの観光充実度に仰天した。さすが大阪、サービス精神が突き抜けていると思った。

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